所在地兵庫県高砂市阿弥陀町生石171祭 神・大穴牟遅命(大国主大神・生石子大神)・少毘古那命(粟嶋大神・高御位大神)由 緒神社に伝わる生石神社略記によると、神代の昔、大穴牟遅命と少毘古那命の2神が、天津神の命を受けて出雲国より播磨国に来られ
全国の寺社と御朱印を紹介。 参拝記と御朱印情報を中心に、寺社の歴史や仏像・日本神話のことなどを書いています。
延命寺の御朱印|四国霊場 第54番|宝冠をかぶった不動明王と近見二郎|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県今治市)
所在地愛媛県今治市阿方甲636宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第54番前後札所・前 → 第53番札所・圓明寺・後 → 第55番札所・南光坊本 尊宝冠不動明王真 言のうまくさんまんだ ばざらだんせんだ まかろしゃだ そわたやうん たら
圓明寺の御朱印|四国霊場 第53番|お札博士が発見した四国最古の銅板納札!隠れキリシタンを見守ったお寺|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県松山市)
所在地愛媛県松山市和気町1-182宗 派真言宗智山派札 所四国八十八ヶ所 第53番前後札所・前 → 第52番札所・太山寺・後 → 第54番札所・延命寺本 尊阿弥陀如来真 言おん あみりた ていぜい からうん由 緒749年、聖武天皇の勅願によ
太山寺の御朱印|四国霊場 第52番|国宝!真言密教最大級の本堂。真野長者伝説とひきさき地蔵伝説|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県松山市)
所在地愛媛県松山市太山寺町1730宗 派真言宗智山派札 所・四国八十八ヶ所 第52番・伊予十三仏霊場 第3番前後札所・前 → 第51番札所・石手寺・後 → 第53番札所・圓明寺本 尊十一面観世音菩薩真 言おん まか きゃろにきゃ そわか由
石手寺の御朱印|四国霊場 第51番|愛媛随一の名刹は愛媛随一のカオス寺!|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県松山市)
所在地愛媛県松山市石手2丁目9−21宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第51番前後札所・前 → 第50番札所・繁多寺・後 → 第52番札所・太山寺本 尊薬師如来真 言おん ころころ せんだりまとうぎ そわか由 緒728年、聖武天皇の勅
繁多寺の御朱印|四国霊場 第50番|一遍上人の修行地ならびに徳川家ゆかりのお寺|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県松山市)
所在地愛媛県松山市畑寺町32宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第50番前後札所・前 → 第49番札所・浄土寺・後 → 第51番札所・石手寺本 尊薬師如来真 言おん ころころ せんだりまとうぎ そわか由 緒749~757年、孝謙天皇の勅
浄土寺の御朱印|四国霊場 第49番|空也上人ゆかりの地。国重文の堂内を想像拝観|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県松山市)
所在地愛媛県松山市鷹子町1198宗 派真言宗豊山派札 所・四国八十八ヶ所 第49番・伊予十三仏霊場 第2番前後札所・前 → 第48番札所・西林寺・後 → 第50番札所・繁多寺本 尊釈迦如来真 言のうまく さんまんだ ぼだなん ばく由 緒74
西林寺の御朱印|四国霊場 第48番|伊予の関所寺!?無間地獄に落ちるかもよ!|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県松山市)
所在地愛媛県松山市高井町1007宗 派真言宗豊山派札 所・四国八十八ヶ所 第48番・伊予十三仏霊場 第8番前後札所・前 → 第47番札所・八坂寺・後 → 第49番札所・浄土寺本 尊十一面観世音菩薩真 言おん まか きゃろにきゃ そわか由 緒
八坂寺の御朱印|四国霊場 第47番|修験と地獄と浄土が合体したお寺(門と橋も)|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県松山市)
所在地愛媛県松山市浄瑠璃町773宗 派真言宗醍醐派札 所・四国八十八ヶ所 第47番・伊予十三仏霊場 第10番前後札所・前 → 第46番札所・浄瑠璃寺・後 → 第48番札所・西林寺本 尊阿弥陀如来真 言おん あみりた ていぜい からうん由 緒
浄瑠璃寺の御朱印|四国霊場 第46番|お釈迦様の部位が点在する御利益のよろず屋|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県松山市)
所在地愛媛県松山市浄瑠璃町282宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第46番前後札所・前 → 第45番札所・岩屋寺・後 → 第47番札所・八坂寺本 尊薬師如来真 言おん ころころ せんだりまとうぎ そわか由 緒708年、行基が奈良・東大
岩屋寺の御朱印|四国霊場 第45番|山奥の海!岩波の飲み込まれたお堂|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県上浮穴郡)
所在地愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第45番前後札所・前 → 第44番札所・大宝寺・後 → 第46番札所・浄瑠璃寺本 尊不動明王真 言のうまく さんまんだ ばざらだんせんだ まかろしゃだ そわた
大宝寺の御朱印|四国霊場 第44番|通称・へそ寺。3番目に長く5番目に高い遍路転がし|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県上浮穴郡)
所在地愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2−1173−2宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第44番前後札所・前 → 第43番札所・明石寺・後 → 第45番札所・岩屋寺本 尊十一面観世音菩薩真 言おん まか きゃろにきゃ そわか由 緒585年
明石寺の御朱印|四国霊場 第43番|源頼朝ゆかりの赤瓦のお寺。白王権現伝説からのアゲイシさん|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県西予市)
所在地愛媛県西予市宇和町明石205宗 派天台寺門宗札 所・四国八十八ヶ所 第43番・南予七福神霊場 第5番(布袋)前後札所・前 → 第42番札所・仏木寺・後 → 第44番札所・大宝寺本 尊千手観世音菩薩真 言おん ばざらたらま きりく そわ
仏木寺の御朱印|四国霊場 第42番|弘法大師の遠投伝説パート3。茅葺鐘楼や家畜堂など|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県宇和島市)
所在地愛媛県宇和島市三間町則1683宗 派真言宗御室派札 所・四国八十八ヶ所 第42番・南予七福神霊場 第4番(大黒天)前後札所・前 → 第41番札所・龍光寺・後 → 第43番札所・明石寺本 尊大日如来真 言おん あびらうんけん ばざらだど
龍光寺の御朱印|四国霊場 第41番|龍の目伝説が伝わる神仏習合のお寺|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県宇和島市)
所在地愛媛県宇和島市三間町戸雁173宗 派真言宗御室派札 所・四国八十八ヶ所 第41番・南予七福神霊場 第3番(恵美寿尊)前後札所・前 → 第40番札所・観自在寺・後 → 第42番札所・仏木寺本 尊十一面観世音菩薩真 言おん まか きゃろに
観自在寺の御朱印|四国霊場 第40番|菩提の道場 最初の札所は裏関所!?|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県南宇和郡愛南町)
所在地愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253−1宗 派真言宗大覚寺派札 所四国八十八ヶ所 第40番前後札所・前 → 第39番札所・延光寺・後 → 第41番札所・龍光寺本 尊薬師如来真 言おん ころころ せんだりまとうぎ そわか由 緒807年、
延光寺の御朱印|四国霊場 第39番|修行の道場 最後の札所!通称・カメ寺|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(高知県宿毛市)
所在地高知県宿毛市平田町中山390宗 派真言宗智山派札 所四国八十八ヶ所 第39番前後札所・前 → 第38番札所・金剛福寺・後 → 第40番札所・観自在寺本 尊薬師如来真 言おん ころころ せんだりまとうぎ そわか由 緒724年、聖武天皇の
金剛福寺の御朱印|四国霊場 第38番|補陀落渡海の出発地!足摺岬にあるお寺さんです|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(高知県土佐清水市)
所在地高知県土佐清水市足摺岬214−1宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第38番前後札所・前 → 第37番札所・岩本寺・後 → 第39番札所・延光寺本 尊三面千手観世音菩薩真 言おん ばざら たらま きりく そわか由 緒822年、嵯峨
岩本寺の御朱印|四国霊場 第37番|ポップでアートなお寺になっていた!|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(高知県高岡郡四万十町)
所在地高知県高岡郡四万十町茂串町3−13宗 派真言宗智山派札 所四国八十八ヶ所 第37番前後札所・前 → 第36番札所・青龍寺・後 → 第38番札所・金剛福寺本 尊・不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩真 言不動明王なうまく
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所在地兵庫県高砂市阿弥陀町生石171祭 神・大穴牟遅命(大国主大神・生石子大神)・少毘古那命(粟嶋大神・高御位大神)由 緒神社に伝わる生石神社略記によると、神代の昔、大穴牟遅命と少毘古那命の2神が、天津神の命を受けて出雲国より播磨国に来られ
所在地兵庫県神戸市灘区原田通3丁目8−43祭 神●主祭神・健御名方大神●配祀神・若一王子神・大市比売大神・稲荷大神・八幡大神・大国主大神・事代主大神・祇園大神・猿田彦大神・須佐男大神由 緒鎌倉時代初期、松本忠一が信州諏訪から一族を連れてこの
所在地東京都千代田区九段北3丁目1−1祭 神護国の英霊246万6千余柱由 緒1869年、明治天皇の命により創建した東京招魂社が始まり。1879年、社号を靖国神社に改称。国家の為に尊い命を捧げた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えること
所在地東京都千代田区外神田2丁目16−2祭 神・大己貴命・少彦名命・平将門命由 緒730年、出雲系の氏族が現・東京都千代田区大手町・将門塚周辺に大己貴命を祖神として祀ったのが始まり。935年、平将門の乱で敗死した平将門の首を神社の近くに葬っ
所在地東京都港区台場1丁目7−1 アクアシティお台場7階祭 神・天照皇大御神・豊受大神由 緒2004年、芝大神宮の御分霊を勧請し、お台場地域の人達、また遠方から訪れる観光客の人達の心のやすらぎの場所として建立された神社です。HPアクアシティ
所在地東京都港区芝公園4丁目8−10祭 神徳川家康由 緒1601年、徳川家康が還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた寿像を駿府城に祀ったという。その後、1616年に徳川家康が寿像を祭祀する社殿を増上寺に建立するようにと遺言したそうです。 そん
所在地東京都港区芝公園4丁目7−35宗 派浄土宗寺 格大本山札 所江戸三十三ヶ所 第21番由 緒1393年、浄土宗第8祖・酉誉聖聡上人が浄土宗正統根本念仏道場として創建したのが始まり。1598年、江戸城を拡張する際、徳川家康が現在地に移転。
所在地東京都港区芝公園4丁目2−8祭 神天照皇大神由 緒1977年、日本電波塔株式会社が創立20周年を記念して創建された神社です。事業の繁栄と来塔者の安全を祈願して伊勢神宮より御分霊を勧請。この地の氏神・幸稲荷神社の境外末社とのことです。H
所在地東京都港区高輪2丁目11−1宗 派曹洞宗由 緒1612年、徳川家康が幼少期に人質として身を寄せていた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田に創建したのが始まり。しかし1641年に寛永の大火で焼失。その後、1604〜1651年
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目35−2宗 派曹洞宗札 所関東百八地蔵霊場 第108番由 緒1596年、萬頂山 集福寺(埼玉県)の扶嶽太助和尚が江戸の神田明神同朋町に創建したのが始まり。その後、1657年に明暦の大火で全焼し、下谷車坂下に移転し
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目21−21宗 派真言宗豊山派札 所・御府内八十八ヶ所 第33番・江戸六地蔵尊 第3番・豊島八十八ヶ所 第33番由 緒創建年は不詳ですが、聖武天皇の勅願により行基が開いたお寺と伝わっています。その後、1615年に祐
所在地東京都豊島区巣鴨4丁目35祭 神・天津祖 庚申猿田彦大神・地津主 甲子大己貴神・人津霊 己巳少彦名神由 緒1502年に高さ2.4mの庚申塔を建立したのが始まり。しかし、1653年に材木が倒れて5つに砕けてしまったという。そんなこんなで
所在地東京都杉並区高円寺北2丁目38−12由 緒1716年、高円寺村の講中10人が悪病退散・村民安全を願って建立したのが始まり。当初は真南に向って建っていましたが、1923年の関東大震災で横転してしまい、その後、西向きに建立されたという。ま
所在地東京都世田谷区代沢3丁目27−1宗 派浄土宗由 緒1608年、結城秀康が帰依した越前国・一乗寺の万世和尚に一寺の創建を依頼。そして万世和尚の弟子・孫公和尚が結城秀康の位牌所として創建したのがこのお寺の始まりといいます。明治時代の神仏分
所在地東京都世田谷区代沢3丁目25−3祭 神応神天皇・比売神・神功皇后・仁徳天皇由 緒1469〜1487年、世田谷城の城主・吉良頼康が世田谷城の鬼門にあたるこの地に創建したのが始まり。そして創建後、吉良氏の家臣がこの地に住みつき、下北澤村(
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目21−21宗 派真言宗豊山派札 所・御府内八十八ヶ所 第33番・江戸六地蔵尊 第3番・豊島八十八ヶ所 第33番由 緒創建年は不詳ですが、聖武天皇の勅願により行基が開いたお寺と伝わっているそうです。その後、1615
所在地東京都台東区上野4丁目6−2宗 派日蓮宗由 緒1624〜1644年、慈光院の日遣上人が創建。奉安する摩利支天像は、京都で霊夢感得された聖徳太子が自刻と伝わる像で、1708年に徳大寺に安置されたそうです。もともと摩利支天は戦国時代の武将
尾道七佛めぐりとは?尾道市街地には25ヶ寺のお寺さんがあります。そのうちの7ヶ寺が宗派を越えて繋がり、尾道七佛めぐりが誕生しました。そんなこんなで満願成就を目指して、その7ヶ寺を全て巡る。それが尾道七佛めぐりです。●尾道七佛めぐり①持光寺(
住 所広島県尾道市東久保町22−8宗 派真言宗泉涌寺派札 所中国地蔵尊霊場 第9番由 緒1245年、備後国大田庄の荘官・和泉法眼渕信が曼茶羅寺(曼荼羅堂)を建立したのが始まり。1298年、西国巡教をしていた定證上人が曼茶羅寺に住み、荒廃して
所在地広島県尾道市東久保町20ー28宗 派真言宗泉涌寺派寺 格大本山札 所・中国三十三観音霊場 第9番・備後西国三十三観音霊場 第5番・百八観音霊場 第11番由 緒616年に聖徳太子が開基したお寺といわれています。1336年、足利尊氏が九州
所在地兵庫県高砂市阿弥陀町生石171祭 神・大穴牟遅命(大国主大神・生石子大神)・少毘古那命(粟嶋大神・高御位大神)由 緒神社に伝わる生石神社略記によると、神代の昔、大穴牟遅命と少毘古那命の2神が、天津神の命を受けて出雲国より播磨国に来られ
所在地兵庫県神戸市灘区原田通3丁目8−43祭 神●主祭神・健御名方大神●配祀神・若一王子神・大市比売大神・稲荷大神・八幡大神・大国主大神・事代主大神・祇園大神・猿田彦大神・須佐男大神由 緒鎌倉時代初期、松本忠一が信州諏訪から一族を連れてこの
所在地東京都千代田区九段北3丁目1−1祭 神護国の英霊246万6千余柱由 緒1869年、明治天皇の命により創建した東京招魂社が始まり。1879年、社号を靖国神社に改称。国家の為に尊い命を捧げた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えること
所在地東京都千代田区外神田2丁目16−2祭 神・大己貴命・少彦名命・平将門命由 緒730年、出雲系の氏族が現・東京都千代田区大手町・将門塚周辺に大己貴命を祖神として祀ったのが始まり。935年、平将門の乱で敗死した平将門の首を神社の近くに葬っ
所在地東京都港区台場1丁目7−1 アクアシティお台場7階祭 神・天照皇大御神・豊受大神由 緒2004年、芝大神宮の御分霊を勧請し、お台場地域の人達、また遠方から訪れる観光客の人達の心のやすらぎの場所として建立された神社です。HPアクアシティ
所在地東京都港区芝公園4丁目8−10祭 神徳川家康由 緒1601年、徳川家康が還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた寿像を駿府城に祀ったという。その後、1616年に徳川家康が寿像を祭祀する社殿を増上寺に建立するようにと遺言したそうです。 そん
所在地東京都港区芝公園4丁目7−35宗 派浄土宗寺 格大本山札 所江戸三十三ヶ所 第21番由 緒1393年、浄土宗第8祖・酉誉聖聡上人が浄土宗正統根本念仏道場として創建したのが始まり。1598年、江戸城を拡張する際、徳川家康が現在地に移転。
所在地東京都港区芝公園4丁目2−8祭 神天照皇大神由 緒1977年、日本電波塔株式会社が創立20周年を記念して創建された神社です。事業の繁栄と来塔者の安全を祈願して伊勢神宮より御分霊を勧請。この地の氏神・幸稲荷神社の境外末社とのことです。H
所在地東京都港区高輪2丁目11−1宗 派曹洞宗由 緒1612年、徳川家康が幼少期に人質として身を寄せていた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田に創建したのが始まり。しかし1641年に寛永の大火で焼失。その後、1604〜1651年
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目35−2宗 派曹洞宗札 所関東百八地蔵霊場 第108番由 緒1596年、萬頂山 集福寺(埼玉県)の扶嶽太助和尚が江戸の神田明神同朋町に創建したのが始まり。その後、1657年に明暦の大火で全焼し、下谷車坂下に移転し
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目21−21宗 派真言宗豊山派札 所・御府内八十八ヶ所 第33番・江戸六地蔵尊 第3番・豊島八十八ヶ所 第33番由 緒創建年は不詳ですが、聖武天皇の勅願により行基が開いたお寺と伝わっています。その後、1615年に祐
所在地東京都豊島区巣鴨4丁目35祭 神・天津祖 庚申猿田彦大神・地津主 甲子大己貴神・人津霊 己巳少彦名神由 緒1502年に高さ2.4mの庚申塔を建立したのが始まり。しかし、1653年に材木が倒れて5つに砕けてしまったという。そんなこんなで
所在地東京都杉並区高円寺北2丁目38−12由 緒1716年、高円寺村の講中10人が悪病退散・村民安全を願って建立したのが始まり。当初は真南に向って建っていましたが、1923年の関東大震災で横転してしまい、その後、西向きに建立されたという。ま
所在地東京都世田谷区代沢3丁目27−1宗 派浄土宗由 緒1608年、結城秀康が帰依した越前国・一乗寺の万世和尚に一寺の創建を依頼。そして万世和尚の弟子・孫公和尚が結城秀康の位牌所として創建したのがこのお寺の始まりといいます。明治時代の神仏分
所在地東京都世田谷区代沢3丁目25−3祭 神応神天皇・比売神・神功皇后・仁徳天皇由 緒1469〜1487年、世田谷城の城主・吉良頼康が世田谷城の鬼門にあたるこの地に創建したのが始まり。そして創建後、吉良氏の家臣がこの地に住みつき、下北澤村(
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目21−21宗 派真言宗豊山派札 所・御府内八十八ヶ所 第33番・江戸六地蔵尊 第3番・豊島八十八ヶ所 第33番由 緒創建年は不詳ですが、聖武天皇の勅願により行基が開いたお寺と伝わっているそうです。その後、1615
所在地東京都台東区上野4丁目6−2宗 派日蓮宗由 緒1624〜1644年、慈光院の日遣上人が創建。奉安する摩利支天像は、京都で霊夢感得された聖徳太子が自刻と伝わる像で、1708年に徳大寺に安置されたそうです。もともと摩利支天は戦国時代の武将
尾道七佛めぐりとは?尾道市街地には25ヶ寺のお寺さんがあります。そのうちの7ヶ寺が宗派を越えて繋がり、尾道七佛めぐりが誕生しました。そんなこんなで満願成就を目指して、その7ヶ寺を全て巡る。それが尾道七佛めぐりです。●尾道七佛めぐり①持光寺(
住 所広島県尾道市東久保町22−8宗 派真言宗泉涌寺派札 所中国地蔵尊霊場 第9番由 緒1245年、備後国大田庄の荘官・和泉法眼渕信が曼茶羅寺(曼荼羅堂)を建立したのが始まり。1298年、西国巡教をしていた定證上人が曼茶羅寺に住み、荒廃して
所在地広島県尾道市東久保町20ー28宗 派真言宗泉涌寺派寺 格大本山札 所・中国三十三観音霊場 第9番・備後西国三十三観音霊場 第5番・百八観音霊場 第11番由 緒616年に聖徳太子が開基したお寺といわれています。1336年、足利尊氏が九州