chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
orion12
フォロー
住所
岡山県
出身
未設定
ブログ村参加

2020/05/22

arrow_drop_down
  • 生きてる人間も色々なら、ご先祖も色々

    以前に「誰かが亡くなったら自分の親族に悪いことをやろうと思うでしょうか? 当然、そんな人間などいないはずです!」という意味のことをおっしゃる方のことを述べました。 「ご先祖さまは子孫に対して良いことしか考えるわけないじゃないか! 『悪いご先祖』など一人もいないんだよ!」てな感じのお話です。 でも、その考え方って『死後のココロの変質』を前提にしないと成り立ちません。 例えば「生きてる時のAさんがいくら偏屈で子どもや孫に恐ろしく冷淡でも、亡くなった途端に子孫の繁栄をひたすら願う温厚篤実なココロに変質する」と信じているってことです。 つまり、死ぬことによって生きてる時のその人の生き方や人格が一度完全…

  • ㊙️

    ブログを更新しました! ヒーリングのことや不思議な話などを書いておりますので、興味がおありでしたらご覧くださいm(_ _)m 呪をかけることと言葉のチカラ

  • 『チカラ尽く』から咲く修羅の花

    例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 チカラ比べには終わりがありません。いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。眼に見えないチカラについての話ですがね…よって、除霊を続ける限り相手をねじ伏せられるだけの『より強く、より大きなチカラ』を常に求め続けなくちゃなりません。そうしなければ、いつの日か相手にねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。そうでなくても相手がいる限りはいつでも一方的な攻撃が成立するとは限りません。『返り討ちに遭う可能性』ってのはいつも存在するってことです。返り討ちに会わないまでも時には逆襲にあうかも…

  • スピリチュアルと特別な存在になりたがる人々

    世の中には『特別』であることを求める人がたくさん存在います。 特別なチカラ、特別な感覚、特別な使命、特別な人生などをです。 『特別』に囚われているといったほうがいいかも知れませんが… ここで言う『特別』とは例えば「自分は他人より世界の真実を知っている!」とか「自分は神より選ばれた人間である!」とかいう万能感に溢れた状態のことです。 そういう状態になりたいと渇望し、「既にそうなったに違いない!」と思い込みたい方々が大勢いらっしゃるわけです。 よく魔法とか出てくるファンタジー系の物語には、「最初無力だった主人公が実は秘めたる凄いチカラを持っていて、話が進んでいく過程でそのチカラに目覚める!」みたい…

  • ジブンガーZと論破という言葉

    ハッキリ言ってスピリチュアルゥ~な人ほど我の強い人が多い気がします。 「どうだ! オレって凄いだろぉ~‼」みたいな感じが透けて見えるのです。 我というのはコダワリです。 人間こだわればこだわるほど波動は荒く重くなっていきます。 個人的にはそういう人のことを『ジブンガーZ』と呼んでおります。 簡単に言えば、自我の肥大化したオラついた人のことです。 最初にスピリチュアル〜な人って書きましたが、『ジブンガーZ』はなにもスピリチュアルな世界限定ってわけではありません。 その手の人ってのは古今東西どこにでも存在しています。 『ジブンガーZ』の特徴の一つに「自分語りの激しさ」があります。 ここでいう「自分…

  • いわゆる蟲と『モノを見る眼』

    以前から蟲というモノについて何度か述べてきました。 ここでいう蟲というのは眼に見えないイモムシか何かのような黒くてモヤッとした不定形のエネルギー体のことです。 蟲は人が直接発する想念エネルギーとは別モノです。かといって物の怪やオニなどの類いともまた異なっています。 大概は澱んだエネルギーが自然と集まり凝り固まって出来たモノのような気がします。 オニや物の怪ほどガッチリと出来上がったモノではないのは確かです。 この蟲は個人的には大抵クネクネした細長いミミズのようなモノとしてイメージされます。例えていえば、映画もののけ姫でアシタカの腕に蛇のように絡みついたタタリガミってヤツに似ています。 「黒くて…

  • 想像力の大切さと『絶対的な正しさ』という迷妄

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。 知力・暴力・権力…それが如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。 『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ません。 じゃ…

  • 所謂ひとつの『人生100年時代』の終焉

    「生きてる間にどれだけ良い想いをして、死というゴールまで無事逃げ切れるかどうか?」が人生の勝ち組を目指す人々の『関心の中心』を成しているみたいです。 人生を勝ち負けで判断しようとする人たちの心の根っこにはそういう認識はあるんじゃないでしょうか? 世にいう健康というモノにも勝ち負けをつけたがる人はいらっしゃいます。むやみに生き急ぐ必要はもちろんありません。 でも、世俗的な成功哲学としての『健康』ってモノにそれほど価値があるとはどうしても思えないのです。 世俗的な成功哲学としての『健康』とは「人生80年のゴールを社会的な勝者として迎えたい!」という欲望の行き着く果てのことです。 ある意味それは唯物…

  • 『召喚』というのは良いモノだけが来るわけではない

    このブログでいう式神とは特定の人間や集団などが何らかの霊的・呪術的な方法を用いて意図的に使役することの出来るエネルギー体全般のことを指します。 昔の陰陽道で言わていたような狭義のモノとは違うとお考えください。他に適当な言葉が見つからないので『人間の側が何らかの手段で使いこなそうとするエネルギー体すべて』を式神という言葉で表現しています。言葉としてはどちらかというと『使い魔』と言った方が近いのかも知れません。実際何らかの呪術的な方法によってエネルギー体を使役しようと試みる人々は古今東西後を絶ちません。 後を絶たないどころかソフトな装いに変わって増えている気がします。エネルギー体を使いたがる人って…

  • 唯物論的思考を続けていると必然的に欲望に取り憑かれる

    ここでいう唯物論的な考え方ってのは簡単にいえば「自分が直接見たり聞いたり触れたりして、確かめられるモノ以外はマヤカシだ!」って発想のことです。 例えば幽霊否定派の人は「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことがないからだ!」みたいなことをおっしゃいます。 その人にとって幽霊がいない根拠は「自分が直に確認できない」ってことなのです。 なので、唯物論的な考え方に染まれば染まるほど『世界』がその人サイズの時空間に収縮していきます。 「自分に見えたり聞こえたり触れたりするモノこそが世界である」という発想ですので。時間的には、大体自分の人生という時間のサイズ以下でしか物事を考えられなくな…

  • 人が『ありのまま』でいてはいけない理由

    世の中には「ありのままの自分」みたいな言葉を好んでお使いになる方がいらっしゃいます。 「ありのままの自分を認めましょう! そうすれば心はまるっと解放されるのです!」みたいな感じでね。 でも、『ありのままの自分』の自分ってのが何なのか私には分かりません。 「自分の魂のことなのか? 」「自分の肉体のことなのか?」「 自分の心のことなのか?」 どれなんでしょうねぇ… もし「ありのまま」ってのが無作為のことだとしたら、それは『ぐうたら』を意味します。無作為 作為がないこと。偶然にまかせること。また、そのさま。ぐうたら のんびりしていて、だらだらと過ごしている状態、働く気がない状態。『ぐうたら』が良いこ…

  • 天罰と因果応報

    地球上において人間ってのは特別なonly oneなどではなく、あくまでもone of themってヤツだと思います。 一匹の蟻と一人の人間の価値が違うってのは、人間目線でなら正解ですが、地球目線なら不正解だってことです。 でも、現実に地球上の多くの人間が「自分たちは特別な存在である!」と信じています。 「じゃあ、なぜそんな風に信じるのか?」というと、人間社会にはベーシックに『選民思想』があるためだと思われます。ここでいう『選民思想』というのは、「人間だけが『特別に選ばれた種族』だっていう根拠のない思い込み」のことです。 その『選民思想』を現代社会では教育という形で大多数の人々が刷り込まれていま…

  • 波動のレベルの数値化

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルというのはスピリチュアルな序列を付けるためのバロメーターではありません。 また目に見えないエネルギーの強さを計るための物差しでもないのです。 ただ、自然で無理なく生きるための目印には十分なると思います。っていうかここでいう波動のレベルというのは出来るだけ自然で無理なくあるための目印のことです。波動のレベルをまるでそれが評価対象である人間や事物の絶対的な価値であるか…

  • 競争しなくても生き物は生きています

    個人的には何事にも競争原理と自然淘汰が付いて回るという進化論的な価値観にはずっと違和感があるんですよね… そもそも「この世界では何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのだ!」ってのは本当に真実なんでしょうかねぇ? 実は適者生存なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎないんじゃないでしょうか? もっと簡単にいえば「競争原理ってのはこの世を貫く鉄の掟なんてモノではないよね!」ってことです。 少なくとも個人的にはそう感じています。 そもそも生き物を種という『単位』で見たら「みんながみんな、そんなにシャカリキに競争なんてしてますかねぇ?」って疑問が湧くのです。 例えば…

  • 人は慣れたモノに対して「当たり前だ!」と感じやすい

    例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。 実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』の社会です。つまり、『現実に存在することを単に事実として認識すること』と『その事実を肯定的に受け入れ、本来あるべき姿として容認すること』は別モノだってことです。 でも、世の中にはこの『認識』と『容認』の2つを一緒くたにしてしまう人が案外多いです。そして「実際にあるんだからそれを『あるべき現実』として素直に認めろよ!」的なことをドヤ顔でおっしゃったりします。或いは…

  • こちらの時間軸とアチラの時間軸は同じではない

    スピリチュアルな世界には「宗教的に言われるところの時間的な節目=見えないチカラの変化」みたいに捉えてる方がいらっしゃいます。 それは例えば「お彼岸やお盆にピッタリ合わせて必ず亡くなられたご先祖様が自宅に戻ってくるのだ」みたいな話を信じているってことです。宗教的しきたりや土俗的な年中行事に対してそれぞれの立場に応じて信じたい方は信じればいいと思います。それを否定する気はありません。社会的な潤滑油として、また生ている人間の心の安らぎとして機能していたりしますからね。しかし、あくまでそれは、『生きてる人間のためにあるモノ』です。「眼に見えないアチラ側の現実がそういった儀式や慣習にきっちり縛られている…

  • 成仏したければ生きてるうちにできるだけコダワリを少なくすることです

    一般的に「ほとんどの霊は成仏しているだろうけど、もしかしたら一部分は無念などで成仏できていないかもしれない」って感じに捉えてる人の方が多数派じゃないかと思うのです。 唯物論者ではなく、「死後の世界を何となく信じてる人たちの中では」ですが… でも、霊能者と呼ばれる人の中には「ほとんどの人は死んでも当分のあいだ成仏出来ない」みたいなことをおっしゃる方が時々いらっしゃいます。 一人じゃなく、別の人がそういうニュアンスのことを別の立場で語られていたりするのです。 ざっというと「死後の世界は存在するけど、亡くなった人のほとんどは成仏していない」というのがそういう方々の見解らしいです。 ただ、個人的には亡…

  • 心のドーピングと心のバランス

    ここでいう『心のドーピング』というのは、心を不自然なやり方で一気に高活性の状態にしようとする行為全般を指します。 その一つに「わくわくすれば何でも実現するぜ!」といういわゆるポジティブシンキングに頼る方法があります。 それを麻薬で例えれるなら、覚醒剤のようなアッパー系のモノってことになるでしょう。 不自然で無理のあるカタチでココロを高揚させたり、万能感を持たせたりするのが覚醒剤に似ているってことです。 まあ、クスリと同じで、効果は一時的なものに過ぎませんがね… 一時的なだけならまだしもくり返せば無理が祟って心に変調をきたすこともあるでしょう。 その変調が大きくなるとそのうち心がぶっ飛んだ状態に…

  • 人の運命と『袖すり合うも他生の縁』という話

    人生は絶え間ない『出会い』と『選択』の連続によって成り立っています。 『出会い』と『選択』があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。 つまり、運とは人・モノ・場所との『出会い』とその際における『選択』から生まれるってことです。 そうやって生まれた個人の『運』は、巨大なジグソーパズルのピースのようにもっと大きな『運命』の数々へと繋がっているのです。 運命のパズルは一人の人間だけで完結するものではないってことです。 個人の一生というジグソーパズルは、もっとずっと巨大な『世界』というパズルのワンピースとして存在しています。 もっと言えば、古今東西世界で起…

  • 引き寄せの法則とご都合主義

    所謂一つの引き寄せの法則って呼ばれるものがあります。 その法則によると何でも「方法さえ間違わなければどんなことでも無制限に引き寄せられる!」ってことらしいです。 その根拠となるのは、「私なら私が考えたことがこの世界すべてを創っている」って理屈みたいです。 でもね、どんな人間でもたった一人でこの世に存在しているわけではありません。 「他の人間や出来事などとの関わりあうことによって、はじめて人の人生は紡がれていくのだろう」と思います。 仮にもしこの世界に引き寄せの法則と呼ばれるモノがあったとします。 ならば、有史以来この世に溢れている戦争も飢餓も貧困も『人間が自ら引き寄せた結果』ということになりま…

  • 俯瞰的な視点とほっとくといくらでも育つ先入観と偏見

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルが下がれば下がるほど、より波動のレベルの低い人•物•場所に親近感を持ちやすくなります。 親近感を持つということは、つまりウエルカムな心の状態になっているということです。何が怖いってその心の状態が一番怖いわけです。なぜなら、他人からドン引きされるような事柄を何気にドヤ顔でひけらかす『鈍感さ』を手に入れてしまうからです。つまり、『人としてのマトモな感覚』が働かなくなる…

  • 人の一生は良くも悪くも欲望とともに在る

    この世というのは『物』がある世界です。 「生きている」というのは、肉体という『物』とともにこの世に存在し続けるということを意味します。 で、肉体があるということはこの世にある限り自分の肉体を維持する必要に常に迫られているということでもあります。 生命を維持するために本能があり、その本能を継続するために欲望が与えられているのです。 なので、欲望という存在は善でもなければ悪でもありません。 それはこの世に生存するために与えられた『必要な条件』であり、元から倫理的な事柄ではないのです。 欲望は常に『プラス方向』へ向かうものです。 「もっと美味いものをたくさん食べたい!」 「もっと金持ちになりたい!」…

  • 勘を磨くことは己が身を助けるための一つの方法である

    波動的な変化を知るための一つのサインとしては『耳鳴り』があります。 もちろんそれが何時でも必ず波動的な変化を表すモノだとは限りません。 時には単なる肉体の不調のサインだったりするでしょう。 ただ、いつもと違う現象は、それが何であろうと「変化の兆し」かも知れないので、気には掛けたほうがいいと思います。 そこんところを「単なる気のせいにしてしまうか、それとも少しでも気に留めるようにしておくのか」は長い目で見れば結構大きな差になるでしょう。 その「大きな差」というのが何かといえば、勘の発動しやすさみたいなモノの差です。 勘というのは、それまでのその人の人生における経験値が大きく作用します。簡単にいえ…

  • 『癒し』と『競争』は相反する

    赤ちゃんの時は、誰でも『癒しの波動』を持っています。 つまり、人間は癒しを為すことのできるエネルギーを持って生まれてくるということです。 それはこの世にやって来る人間全員に標準装備されたエネルギーです。 その『癒しの波動』は人にもよりますが、2〜3歳くらいまでは出ています。 一般的によく言われる特殊な能力や特別な方法で伝授されるエネルギーなどは別にヒーリングの絶対条件ではありません。 誰もが生まれながらにして癒しのエネルギーを持っているからです。 しかしながら、実際には幼児以外の大半のオトナは『癒しの波動』を持っていません。 現実社会で育っていく過程で知らぬ間にソレを失くしていきます。 失くし…

  • 不確実性の世界とナニカの『信者』になるということ

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 ここでいう不確実性とは、「人間の認識を超えたモノがたくさん存在する」という意味です。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、その流動性は自由の源でもあります。 固定されたモノに自由など無いからです。 一方物事は固定されるほど安定します。 安定と自由は相反するモノだってことです。 なので、安定を突き詰めると固定された状態を目指すことになります。 グラグラ動くこと(流動性)を嫌うようになるのです。 心を固定させるとその分精神的に安定します。 ここでいう心を固定させるは「深く考えない」ってことです。 深く考えないと心は安定しますが、その代わりそれ…

  • 再開2回目!クリアー整体ヒーリング東京講習会(2025年8月)

    今年5月末に東京でのヒーリングの講習会を再開したしました。 無事1回目を開催できましたので、欲を出して2回目も開催する運びとなりました(^_^;) これまでも電話でのマンツーマンの講習はやってまいりましたが、参加者の方々と直接会ってお話するのはまた違った『気付き』があるものだと改めて気づいた次第です。 講習会についての参考資料 ヒーリング講習会のご感想をいただきました! : 『クリアー整体ヒーリング』です ヒーリング講習会のご感想をいただきました!(その2) : 『クリアー整体ヒーリング』です ヒーリング講習会のご感想をいただきました!(その3) 相変わらずの三歩進んで二歩下がるような状態では…

  • 中途半端にお祓いみたいなことに手を出さないほうがいい

    例えば「何かに憑かれた人がいたとして、気力の充実した人がその人の背中をドンと叩いて「出ていけ!」と気合いを込めればその何かは出て行くんだよ」みたいな話があります。 気合い一発でなくてもセルフでお手軽に出来るお祓い?みたいなことを勧める人は時々いらっしゃいます。それを全くのフェイクとまでは申しませんが、何時でも誰でも雑作なく出来る方法ではないでしょう。少なくとも誰彼なくお気軽に勧めて良い類いのものではありません。なぜなら、それがちゃんと出来る保証なんて何処にもないからです。もし出来なくても誰も助けてはくれません。それにもし出来たとしても『良い事尽くめ』とは限らないです。何らかの副作用が起こらない…

  • 光と闇と「すべてはバランスで出来ている」という話

    コインには表と裏があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。 表だけ削り取ってもそれは同じです。 夜が明けたら朝になる 雨が上がって晴れになる 光があれば闇がある 片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。 光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。 光だけ見て闇を見ようとしない人はマヤカシにやられて闇に取り込まれる人です。 闇の何たるか知ろうとすれば闇にそれだけ近付かなくちゃなりません。 闇に近付けば近付くほど、その分闇に深く関わることになるでしょう。 闇とは何時も人に恐怖や嫌悪を与えるだけの存在ではありません。 人の心を蕩けさせる怪しい甘美…

  • 合体化したオニと百鬼夜行の世界

    「人間の想念の塊のようなんですが明らかに普通の想念エネルギーとは毛色が違うモノがこの世には存在する」ということに或る時気付きました。 それは「世の中全部気にくわない 」とか「人間なんて滅んでしまえ‼」とかいった破壊的或いは破滅的なエネルギーが素になっているようです。 普通のネガティブな想念エネルギーと比べると遥かにドロ~と濃厚で禍々しく黒いイメージのモノです。 邪悪な『まっくろくろすけ』というか暴走モードに突入した『カオナシ』というか… 最初に真っ黒の中に裂けた口と牙が感じられたので個人的にソレをずっと 『オニ』と呼んでいます。 オニの大きな特徴は一旦暴走モードになると手当たり次第に何でもかん…

  • 心のバランスを取ることと「所謂一つの『悟り』はない」って話

    人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 簡単にいえば、「全ての人は自分仕様の色眼鏡でモノゴトを見ている」ということです。 人は誰しも個人的な経験を経て、その人独自の考え方を持つに至ります。 その人のかけてる色眼鏡はその人独自のモノだってことです。 人間は元々主観的な存在です。 主観というものには大なり小なり偏りが存在します。 その偏った主観 (偏見) がここでいう色眼鏡です。 一人一人が見ている『世界』…

  • いわゆるひとつの『健康的な世界』と正しいの比べっこ

    世の中には『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。 ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を持った人のことです。 人は「周りの人間より自分は優れている!」という根拠のない優越感を持ってしまうと「無知蒙昧な人間たちを自分が啓蒙しなくちゃいけない!」という傍迷惑な使命感に駆られたりするようです。 そして、それこそが「善を為すことだ!」と信じていたりします。 そういう人は必然的に他人に対して押し付けがましくなっていくものです。 何故なら「分かってない奴らにオレ様が本当のことを教えてやるよ〜!」って感じの『熱い想い』…

  • 輪廻転生と「今生は一度限り」って話

    所謂『この世』というのは言ってみれば「学校の夏休み」みたいな世界だと思うのです。 どういうことかというと「ある一定期間 (人生) 、自分がやるべき宿題を抱えて敢えてやって来ている世界」ということです。 この『敢えて』っていうのがミソで、「何とな〜く薄ぼんやりと生まれてくる」って人はいないんだろうと推測します。 本人がその『敢えて』の部分を認識しようと認識しまいとです。 その宿題は夏休みの期間中 (生きてる間)どういうやり方をしても構いません。 やらなくても別にバチは当たりません。 ただ、休みが終わった時 (亡くなった時) に提出しなくちゃならないモノです。 実際どこに提出するのかは分かりません…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、orion12さんをフォローしませんか?

ハンドル名
orion12さん
ブログタイトル
『クリアー整体ヒーリング』です
フォロー
『クリアー整体ヒーリング』です

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用