chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
のんびりブレイク http://inemugi.cocolog-nifty.com/

蓼科山山麓で田舎暮らしをしています。生活を通して、文学・歴史・哲学を学びながら、 楽しく暮らしています。自由にお立ち寄りください。

ジョウさん
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/03/11

arrow_drop_down
  • モイワナズナです

    北海道の藻岩山で見つけられたので、モイワナズナと言うそうです。何とか写真が取り込めました。  ...

  • 山菜取りとナズナを見に行きました

    長さがなければ短さも成り立たぬ。短いということがあるからこそ、長いという意味もありうる。これは長短に限ったことではなく、この世の万相のすべてに当てはまることであり、我々の人生や幸や不幸にも適用できることだ。不幸があれば幸福は存在しないし、病気があるからこそ健康もありうるわけだ。すべての価値概念は、このように相対的である。結局、我々の人生には、絶対的なものなどありはしないということにつきる。 (生き上手死に上手 遠藤周作6)  幸せと不幸は、一見対立するもののようでありながら、実はそれほど鮮やかな対照を示してはいない。むしろ、重さと体積を一つの秤に掛けて比べようとするようなおかしな事態が生じる。幸せとは一瞬の閃光の如きものであり、不幸はどんより曇った長い午後に似ている。一般の暮らしの中では、そのいずれとも定め難い普通の状態の占める領域が最も広いと推測される。幸せの状態がもしも長々と続...

  • また、忙しいです

    5 幸福誰も幸福の正体を見た奴はいない。幸福を追い求めているが、なかなか幸福はつかまらない。どうやら幸福というものは、ひどく平凡なことの中にある。静かな眼、おだやかな心、健やかな体、平穏な日々、そうした状態以外の何ものでもないらしい。(欅の木 井上靖1)  不幸と思わないで、思い悩むことを止めれば、うれしくなる。 そして、うまくいき、幸せになれる。幸福とは、心の平静なことであり、平凡な日常の中に存在する。幸福とは、作り出すもので、知る喜びも幸福のひとつである。幸福は、周りの人の人生も幸福にする。そして、人間は幸福になる義務がある。(幸福論 アラン2)  人それぞれの脳の中には、幸せ度というものがあって、多少上下するが、その幸せ度は意識的に変えようとしない限り、一定の値にとどまってしまう。脳の柔軟性を考えれば、幸福感や思いやりの気持ちを高めるのは、楽器やスポーツを習うと同じで、脳...

  • 外出しすぎで忙しいです

    われわれのライフサイクルのうちでもっともカミに近い段階にあたるものが老人のそれであるということになるであろう。年をとるということはたんに老いて死を迎えるということを意味するのではない。それは生命の暗い谷間を降りていくことなのではなく、むしろカミの世界へとしだいに近づいていくこと、すなわち至福の山頂へとのぼっていく。ゆるやかな道ゆきを意味していたのである。 (日本人の顔 山折哲雄12)   「脳にいいこと一覧表」1つ 手を使う。文字を書く、絵をかく、ガーデニングをする、利き手でないほうの手をよく使うことなど。2つ 耳を刺激する。音楽を聴く、誰かと話をするなど。3つ 口を動かす。食べ物をよく噛む、歌を歌う、本を音読するなど。4つ 新しい体験をする。美術館に行く、新しい場所を散歩する、新しい料理に挑戦するなど。 (10歳若返る健康法 米山公啓13) 昨日は、月1回の歴史を読み解く...

  • 新緑が素晴らしい信州です

    年をとるにつれ、人の記憶の配置というものは変わっていく。いわば、縦並びから横並びへ。若い頃は日めくりカレンダーのような年代記だが、だんだん時間の順序があいまいな遠近法になり、最後は一枚の絵になる。人生の記憶の画面を眺める無為の時間が手に入れば、幸せといっていいのだろう。 (微候・記憶・外傷 中井久夫7)  感動を味わった時には、大いに涙を流すことです。面白いと思ったならば、大声で笑うことです。感動する気持を抑え込んではいけません。私はまだまだ若いんだと考え、表情は明るく、天真爛漫に生きることです。 (感動する脳 茂木健一郎8)  私の心を大きく占めるのはある種の感謝の気持ちである。私は愛し、愛されてきた。多くを与えられ、お返しになにがしかを与えてきた。本を読み、旅をし、考え、書いてきた。世界とのかかわりを築いてきた。(残りの時間を濃密に生きる 神経学者オリバー・サックス9) ...

  • 耳がかなり遠くなりました

    4 老い悠々自適に暮らすことと、ただ、ボンヤリと過ごすことは、全く違う。 (森村誠一1)   加齢というのは、残酷なものなのだ。視力も落ちる。聴力も、反射神経もおとろえる。歯もガタガタになる。記憶力も、判断力も、いやおうなしに低下してくる。べつにこれという病気でもないのに、体が昔のように自由に動かない。さらに、八十歳になったら、八つの病気をもっていると覚悟すべきだ。 (新老人の思想 五木寛之2)  老いるということは、どこかに到達することではなく、延々と老いつづけることであり、老いつづけるとは生き続けることに他なりません。老いが身の底に定着するとしたら、そこから日々の味わい、季節の感触、一年一年の姿が、それまでとは異なるものへと変わり始める。 (老いるということ 黒井千次3)  老いは自然現象です。体のさまざまな機能に少しずつブレーキをかけながら、速度をゆるめていくの...

  • 気力を保つ4月です

    自分が変わることでしか、環境は変わらない。環境や他人を直接変えることはできない。自分を変えられるのは、自分しかない。自分のやり方が変われば、相手も変わる。(7つの習慣 スティーブン・コヴィー6)   習慣を作ったのは、自分自身です。だから、習慣を変えることができるのも自分です。アドラーは、「人間は自分自身の人生を描く画家である」という言葉を残しました。アドラー心理学の魅力は、すべての行動を環境のせいにせず、自分の意志しだいで変えられるとするところです。人間関係も習慣によって作られますから、やはり変えることは可能です。これはアドラーが教えてくれた心理学の知恵なのです。 (アドラーの教え 岩井俊憲7)   ぼんやりしているのが好きだ。ぼんやりしていると清々(すがすが)しい気持ちになってくる。とりわけ海を見ながらぼんやりしているのが好きだ。せわしければせわしいほど、憂き世の急流に溺...

  • 桜は満開を過ぎました

    3 心朝、散歩に出かけて美しい山を見て感動した。夕方にまた散歩に出かけて再びその山を見る。別に山が変化するわけではないのに、それでも新たな美しさに感動する。毎朝同じ時間に、同じ場所から山を見ているのに、毎朝新しい感動を覚える。こういう人はとても幸せです。 (感動する脳 茂木健一郎1)  今日一日を楽しく生きようと思うなら、そのままの自分でいいのだと安心する以外方法はない。そのままの自分が百点満点。そのままのあなたでいい。そのままのあなたが百点満点。馬鹿みたいに何をそんないに心配しているの。今、何にもなかったら、なんでもないのです。人生って、今なんだから、馬鹿みたいに、黄色くなった古新聞を握りしめて、自分を苦しめるのはやめよう。 (心がやすらぐ魔法のことば 山崎房一2)  私たちは自分の心のなかを整理する必要がある。何年、何十年にもわたって溜め込んだ心のゴミともいえるようなものが...

  • 上田城の桜が満開です

    その人が、自分の好きな勉強をし、社会の一部に組み込まれて働き、愛も知り、人生の一部を選ぶことができ、自由に旅行し、好きな読書をし、趣味に生きる面も許され、家族や友だちから信頼や尊敬や好意を受けたなら、もう、それだけで、その人の人生は文句なく大成功だったのである。こういう計算のできない年寄りは、何のために年をとって来たのだ、と言われても仕方がないだろう。 (戒老録 曽野綾子12)   闘病中、それまで理想の死に方を豪語していた夫は、一転生きたいと思い始め、そんな彼を見ながら、私は生来の悲観主義に取りつかれていた。祈りは必ず天に届く、と素直に信じることができない天邪鬼(あまのじゃく)な私も、祈ることを止めなかった。烈しく悲観しながらも、あるかなきかの希望にとりすがった。目に見えない無名の神々に向かって、四六時中、手を合わせた。夫(作家藤田宣永)が逝ってから、四つの季節が過ぎようとしている...

  • 宇都宮へ行ってきました

    いい言葉を使う習慣が、いい現象と共鳴していきます。嬉しいね、楽しいね、ありがたいね。どんな小さなことにもこうした言葉を口にしていると、嬉しいことや楽しいことやありがたいことが、どんどん起こっていきます。 (魔法の習慣 佐藤伝6)   借り物でも、毎日着ていれば身につくもの。自分が善人と思っていれば、やがて善人に変わっている。習慣は、その人格、品格まで変えてしまう。 (シェークスピア7)  私にとっての人の死の最もきれいな姿は、風のようにあとかたもなく消えることである。この頃、自分史を出す人も増えてきているが、何かを言い残して死のうなどと思わないこと。子供たちに家の歴史を残すことを有益とする考えもあるが、何も言わずに死ぬ方が美しいと思う。 (戒老録 曽野綾子8)  祖父や祖母の記憶はあっても、祖祖父・祖祖母については知らないと言う人がほとんどだろう。血はつながっていても名...

  • 時の過ぎゆくままに

    2 人生人生というものは、一つの体験であり、全体としてよいか悪いかを判断されるべきものだと考え、自分自身を犠牲にしている人が大勢いる。人生はたった一つの体験なのではない。人生は常に変わりつつあり、一生のうちの一日一日が、一日のうちの一瞬一瞬が、まったく新しい何かを意味しているのである。あなたの決定する見方次第で、数えきれないほどの方法で楽しむことができる。人生をただ一つの体験だと解釈する人びとは、ほとんど幸福になれない。 (どう生きるか、自分の人生 渡部昇一訳1)  本に書いたことのどれひとつをとっても、私はそれにまったく反対の生き方があることを肯定する。あるがままの自分でいいと思う。これだけ面白い人生を送ったのだから、いつ死んでもいいと習慣づけること。老年のさまざまな苦しみは、人間の最後の完成のために与えられた贈り物と思うこと。 (戒老録 曽野綾子2)   我々の人生のどん...

  • 今週、MRI 3度目です

    3月15日の早朝、左足首と左腰、左肩に違和感を感じ、医療センターの緊急外来へ受診したことは、記述しています。その後、レントゲンとCTを撮って、頸部脊柱管狭窄症ではないか、 何度か同症状が再発し、今週月曜日に頸部MRIを撮って、翌日、整形外科で頸部脊柱管狭窄症ではないだろうと診断。 水曜日、脳のMRIを撮って、翌日、脳神経外科で診察、脳の病気ではなく、脳梗塞の痕跡もないことが分かりました。さらに、脳の萎縮状態を質問すると、年齢にしてはしっかりしているようです。と安心しましたが、現在の持病である頸部脊柱管狭窄症でないか? 本日、今週、3度目の腰部MRIを撮りに行きます。当地は、やっと梅が散り始め、アンズが満開で桜が咲き始めました。春爛漫の最高の日々が続いています。...

  • 上田自由塾の開校式

    自分が興味をもったものを、毎日、少しずつでもいいから勉強していく。この小さな蓄積が、将来、花開くのである。朝日新聞の名コラムニスト荒垣秀雄氏がふとこう漏らした。「晩酌の習慣のある記者で本を書いたものはいないね」と。ただし私は、晩酌をして幸福感を持って布団に入る生き方も、ひとつの人生の美学であり、立派なことだと思う。 (知的余生の方法 渡部昇一6)   アイザック・ニュートンは、万有引力の法則を発見し、また微分積分法の創始という、人類史上特筆すべき偉大な業績を残した。その方法は、自分が経験したことばかりをくり返してみるのではなく、経験していないことに目をやる。そうすることで感動を見つけることができるのです。人生の大海原というのは、泳ぎ回れば回るほど、楽しくかつ刺激的なものです。今のあなたが、全てではないのです。 (感動する脳 茂木健一郎7)  知っていることを伸ばしていけば、...

  • 東京湾フェリーに乗る

    1 学問自分独自の道を歩む可能性を追求して行くためには、歴史を知り、哲学を知り、その上で常に考える姿勢を身につけていなければならない。自分らしく生きるということは、苦しみを求めるということと、ほとんど同じ意味を持つ。人生を列車にたとえれば、長いトンネルもあれば、短いトンネルもあるということだ。いつも陽光の下を走っているわけではないのである。 (自分らしく生きられる 藤島泰輔1)  「なんの役に立つのか」より「誰の役に立つのか」を重視して考えることです。誰の役に立つかを重視するというのは、つまり、そのアイデアによって喜ばせる対象をはっきりさせることです。 (脳がさえる15の習慣 築山節2)  あなたに、もともとそなわっている記憶力だけでも驚くべきものである。脳や知的な能力をフルにつかうようになったとき、あなたは本当に力のある人物といえる。そして、ほとんどの場合、あなたは自分がなり...

  • 鶴岡八幡宮の桜

    鶴岡八幡宮を参拝してきました。参道の桜が満開です。参道の桜が見えるレストランで生シラス丼を堪能しました。 ...

  • 春はうららで医者通い

    【休憩】 小話農家の人に「何を蒔いているんですか」と聞くと、「シー、静かに」。不思議に思って、近づくと、「大豆じゃ。大きな声でいうと、カラスや鳩に聞かれてしまう」 (江戸小話) 「牧師さま、神様は本当にいるのでしょうか」、「イエス」。「では、お釈迦さまは」、「そのような他宗教のことは、ホットケ」 (フリテンくん) 歳はとりたくないですねえ。男性のかたは、使えなくなる言葉があります。「俺についてこい」と言えなくなります。自分がついていく年齢です。 (綾小路きみまろ) 夫が妻に「母さん、時々友達にウソをつくようだね」、「ええ、時々はね。―――」、「だって、あなたの本当のことは、人さまには、言えないですもの」。 (笑い話) 「少年老いやすく、学成り難し」をもじって、「中年老いやすく、ガクガクなりやすし」。 (車内広告) 昨日は、風速6メートルの風が吹いて、駐車場の波板がパ...

  • 嚥下障害とは

    赤城の山も今夜を限り、生まれ故郷の国定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手前たちとも、別れ別れになる首途(かどで)だ。そういやなんだか嫌に寂しい気がしやすぜ。ああ、雁が鳴いて南の空へ飛んでいかあ。月も西山に傾くようだ。加賀の国の住人小松五郎義兼が鍛えた業物(わざもの)、万年溜の雪水に浄(きよ)めて、俺にゃあ生涯手前という強い味方があったのだ。(国定忠治 赤城山)   野辺へ出てまいりますと春先のことで、空にはひばりがピーチクパーチクピーチクパーチク、下にはレンゲ・タンポポの花盛り、陽炎(かげろう)がこう燃え立ちまして、遠山にはすーつと霞の帯を引いたよう麦が青々と伸びて、菜種の花が彩(いろど)っていようかという本陽気、やかましゅう言うてやってまいります。その連中の陽気なこと。(落語 愛宕山)  (善光寺の隣、城山公園のライオン像)嚥下障害は、読めないです。食事をしてい...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、ジョウさんさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ジョウさんさん
ブログタイトル
のんびりブレイク
フォロー
のんびりブレイク

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用