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  • 百物語 九十三回目「天使」

    二十年ほど前の話である。そこは、風俗街やホテル街のはずれにあるライブハウスだった。おれは、そこの暗闇の片隅に、踞るようにして座っていた。大体がひとりでいるときに、ひとから話かけられるのがとても嫌いなのであるが。知らないひとから話かけられるのは、それ以上にいやであった。そいつは。憑かれたように暗いひとみを剥き出しにした、まだ十代のように見える若いおとこだったが。何を勘違いしたのか、おれに話かけてきた。「キャニス・ルーパスって北村のバンドですよね」おれは、曖昧に頷くだけで言葉は返さなかった。「北村の持っているのは、ベースじゃなくてギターですよね」夕闇よりもさらに暗いこのライブハウスの中で、さらに遠…

  • 百物語 九十二回目「夜明けの歌」

    気がつくと、波打ち際にいた。僕はいつのまにか、海辺に佇んでいた。一体どうやってその鈍い鉛色に光る海の側まできたのか、全く記憶はない。乳灰色に輝く泡を飛ばしながら、波が打ち寄せまた退いてゆく。僕は、凶悪さすら感じる冷たい風を頬に受けながら、その波打ち際をゆっくりと歩いた。白い砂浜と鉛色の海の境界に、その流木があった。巨人の骨のように白くねじくれているその流木は、ひどく孤独で孤立している気がする。ふいに。僕は誰かに呼ばれたような気がして振り向いたが、もちろんそこには誰もおらず、灰が積もったような砂浜が延々と広がっているばかりだ。僕はその寒々とした海辺を離れ、砂浜の中に孤島のように取り残されている駐…

  • 百物語 九十一回目「悪魔」

    五年ほど前の話。あるひとが、プロテスタントの洗礼を受けたというので、話を聞きにいった。「わたしは、聖書を読んで愛されていることに気がついたのです」おれは、ひととして多くのものが欠落しているせいか。そもそも、神の愛というものを未だに理解できていないせいなのか。まあ、そういうものなのかという感想しか抱かなかった。「わたしは、その大きな愛に包まれていることに気がついたとき」そのときおれは。そのひとが重ねる言葉を、遠い物語を聞くような気持ちで聞いていた。「わたしは、声をあげて泣きました」 キリスト教を難解なものにしているのは、悪魔の存在ではないかとも思える。神は全能であるのであれば。なぜ自らに背くもの…

  • 百物語 九十回目「幽霊」

    おれは結局のところ。書くことあるいは、描くことをつうじて。言語化される以前の世界。言葉によって構築される以前の意識へと。遡ってゆくことを望んでいたのではないかと思う。それはいうなれば。豊穣なカオスへの回帰を夢見ていたということであろうか。 幽霊とは、デリダが使っていた言葉のひとつである。幽霊とは複数存在するものとされる。ただひとつの神ではなく。複数の幽霊へ。不在神学では。論理体系が不可避的に呼び込むであろう綻びに注目する。その唯一の綻びこそが、超越を、神を呼び込むことになるであろうか。それに対して幽霊は。郵便のことから話さねばならない。郵便は届かないところから、語り始めなければならない。わたし…

  • 百物語 八十九回目「ポルポト」

    西原理恵子がイラストを書く場合、ほぼ間違いなく元の文章と全く関係の無いカットを描くのであるが、おそらく意図的になのであろうが、元の文章を喰ってしまうようなカットを描いている。唯一、西原のカットと互角に存在感を示すことができたのは、アジアパー伝の鴨志田穣くらいのものではないだろうか。このアジアパー伝の中に、ポルポトNO2であったイエン・サリが登場する。本当なのかどうかは判らないが、西原はイエン・サリに会ったと語っていた。まるでおれの記憶の中では、夢の中の風景を描いているような、あるいは霧につつまれた白日夢の風景を描いているようなカットであったと思う。西原は、イエン・サリの手が小さかったというよう…

  • 百物語 八十八回目「戦争機械」

    ジョン・レノンはイマジンでこのように歌っていた。 Imagine there's no countries 果たして、国家というものが無くなる日がいつになるかというのはともかくとして。この島国は、それほど遠くない未来において消滅すると思われる。それは、お隣の大陸にある党によって併合されるという形になるであろう。それは既に規定路線となっている。まずは、半島の併合から着手するであろうから、それがどのように行われるのかは見ることができるであろうけれど。結局それはヨーロッパで行われたことの、焼き直しになるであろう。通貨統合。関税の撤廃。そのような形で進められ、国際金融資本が望む形で主権国家はコントロー…

  • 百物語 八十七回目「ドン・ファン」

    子供のころ、よく熱をだした。そういう体質であったようだ。中学生くらいまでは、一週間くらい高熱が続くことはよくあった。熱がでている間は、世界が変容し歪んで感じられた。深夜、暗闇の中で高熱に包まれていると、生きることがそもそも暗い地下の牢獄に閉ざされているような気分になった。まあ、そういうものなのだろうとも思うが。また、自分ができそこないの、まともに生きる力のないがらくたのようにも感じられた。そうした時、自分の死を思い描いた。こうして。苦痛だけが身近なものとしてあり。このままゆっくりと衰弱して闇にのまれるのだろうと。そんなことを考えていると。死の恐怖がまるで不意な漆黒の来訪者のように、おれのそばに…

  • 百物語 八十六回目「ケルベロス」

    もう、10年はたっただろうか。おれは、失業者であり、求職活動をしていた。朝まず、就職情報紙に目をとおして。おれのスキルが通用しそうな求人を見つけると、コンタクトをこころみる。アポイントがとれると、指定された時刻まで時間を潰す。だめだったとしても、なんとなく街中で時間を潰した。主に図書館にゆき、本を読んで過ごした。そのころ思ったのは。仕事をしていたころのおれは、飼われていたのだなあということだ。おそらく。目的も、意思も、喜びや哀しみも。飼い主である企業から与えられていた訳であり。そこから縁を切るということは。生きる意思すら希薄になる感じで。おれは飼い犬から野良犬になったのだろうが。多分そこに自由…

  • 百物語 八十五回目「童子切」

    7年ほど前になるだろうか。住んでいる近くに文士村というところがあった。由来はよく知らなかったのだが。夜になると、どこか濃い闇を湛える場所だったように思う。おれは、よくその夜の街を歩き。レンタルDVD屋にゆくのに。くらやみ坂といわれる通りを抜けていった。まあ、普通の街ではあるが闇はどこか液体のようにあたりを満たしていた気がする。近くには桜の咲く通りもあり。どこか熱に浮かされたような浮ついた闇が支配するその通りを。深夜にひとり歩いたものである。そのころ、お守りとしてナイフを持ち歩いていた。まあ、ナイフというにはいまひとつの、単に鉄のプレートにエッジを立てただけのブレードがついている、ツールキットみ…

  • 百物語 八十四回目「反対に河を渡る」

    僕は暗闇を歩いていた。黒く真っ直ぐ伸びている道の両側は、熱帯の密林のように木や草が生い茂っており。灼熱に燃え上がる生の光輪が闇色にあたりを染め上げてゆき。そのむせかえるように濃厚な闇の薫りに僕は、少し意識が遠のくのを感じながら。黒曜石か、もしくは星のない夜空のように真っ黒な道を、僕はひたすらに歩いた。やがて。ずっと遠くに光が見えてくる。それは地上に墜ちた銀河のようであり。月明かりに輝く、水晶の宮殿を思わせ。無数の宝石が埋め込まれた、地底の鉱脈のようでもあった。その光輝くところと、僕の間には河が黒々と流れている。夜空の闇が空から滑りおりてきて、地上を分断しているようなその河は。荒れ狂う漆黒の龍の…

  • 百物語 八十三回目「サンジェルマン伯爵」

    おれは、元々アルコールには強い方ではないため、すぐに酔い潰れることになる。だから、記憶を失うほど飲むことは、殆どない。けれど、一度だけ。酒を飲みすぎて、記憶を失ったことがある。学生の頃のことであった。サークルの合宿で、琵琶湖のほとりにある民宿に泊まったときに、酔いつぶれて記憶を失ったことがある。嘘をつくのが好きな彼が、後におれにこう語った。「いや、真面目な話。救急車を呼ぼうかと思ったわ」いやいや、本当に死ぬかと思ったんだが。おまえが飲ましたんだろ。「まあ、そうやな」おれは少しため息をつくと。どうでもいいと思いつつも、一応尋ねてみた。なんで、そんなにおれに飲ましたんだよ。「寂しかったんだよ。おま…

  • 百物語 八十二回目「夢の酒」

    中学生のころ。古典落語が好きだった。なにしろ、アナーキー&バイオレンスな日常であったためか。おれは、普通の日常というものに憧れていた。まあ、学校だけでなく。家庭もそうとうあれていたので。こころの拠り所となるものが、必要であったのかもしれない。古典落語の世界には。ひとの日常の営みが描かれている気がしたのだ。宮台真治の言葉であったと思うのだが。終わり無き日常という言葉がある。江戸時代はまさにそうした時代であったとされ。それはまた、この島国の現代を示す言葉であるともいう。ただ、現代においては、必ずしも終わり無き日常というものは存在せず、それはグローバリゼーションが世界を覆う前。この島国が島国として閉…

  • 百物語 八十一回目「おとろし」

    こどものころから、色々なものが怖かったようだ。今となってはなぜそのようなものを怖れていたのかよく判らないものまで、怖がっていた。小学生のころはどうも怖れていただけなのだが。中学生のころからは、怖れをいだくとともに魅了されるようになった。そのころに。おれは、怪奇小説のようなものにのめり込んでゆくことになる。そのころは大都市の書店へゆくことなど、ほとんどなかったが。近隣の書店で手に入る本は限られていたし、そうたくさん買えるほどお金もなかった。ただ、家のすぐ近くに古本屋があって。そこでよく古ぼけた文庫の怪奇小説を買って読んだものだ。後に知ったのだが。おれがその西日が差込む店内の赤く染まる書架で、背表…

  • 百物語 八十回目「絡新婦」

    誰にでも、もて期というものがあるという。どうも、おれにもそんな時期があったようだ。といっても、ほとんど自覚はなかったのだが。会社勤めをはじめて間もないころ、どうも客先でもてていたらしい。 「こないだの合コンどうたっだんですか」「ああ、あそこはだめだよ」「へぇ、何でですか?」「何でって。おまえの人気が高すぎるんだ」「冗談でしょう」「いやいや、おまえの物まねとかして盛り上がったりするんだよ」 おれのいないところで、色々あったらしい。おれ自身に対するアプローチは、ほとんどなかったけれど。客先で作業していたときに一度話しかけられたことはある。それくらいで。そもそもおれは、情けない話ではあるが、おんなの…

  • 百物語 七十九回目「フランケンシュタイン」

    それはおそらく、滋賀県の片田舎であったように思う。もしかしたら、違ったかもしれない。単線の電車にのり、その駅についた。なくなったのは冬であったが。その時はもう、夏になっていた。全ては手遅れであったのかもしれないが、ではいつであればよいというものでもない気もする。寂れた駅前には、花屋があった。「おれは薔薇の花を買ってゆくけれどおまえはどうするんだよ」彼の問いに。おれは、ぼんやりと頭を働かせる。「そうだな。おれも何か花を買うよ」おれは結局霞草を買って。紅い薔薇の花とともに。目の眩むような夏の日差しの元を歩き。鬱蒼とした林の中にあるその墓所で。花をささげたのである。 おそらくその時、雨が降っていたの…

  • 百物語 七十八回目「見知らぬひと」

    僕は、その薄暗い部屋のなかで。愛するひとを腕にだきながら。ああ、一体このひとはそれにしても誰だったのだろう。そう思いながら。こころの底の闇の中を。ただひたすら手探り続けるのだが。腕の中のそのひとの。美しい花びらのような唇も。黒い太陽のように闇色に輝く瞳も。残酷に忘却の帳が僕を覆ってしまい。ただ、愛しているという思いだけが、そこに残るのだが。同じ文字を見つけ続けていると、そこから意味が抜け落ちてゆくような気がするのと同じで。僕の愛も。まるで砂を手にしたようにさらさらと。さらさらと流れていって。それすら僕から失われてゆくようで。ああ、そのとき僕に蘇った記憶は。 あなたは、抱きしめようとする僕の中か…

  • 百物語 七十七回目「ヒルデガルド・フォン・ビンゲン」

    おれ自身にもっとも近しい存在とは。結局のところそれは痛みであり。それは恐怖であり。それらは、幾人もおれから離れていったひとびとはいるが。ひとり残ったおれのもとに。兄弟のように。恋人のように。そっと寄り添い。つきそい続けたのだ。 ヒルデガルド・フォン・ビンゲンについて。さて、一体何を語ればいいのだろうか。ただその楽曲の美しさに触れさえすれば。既に十分とも思えるのではあるけれど。ヒルデガルド・フォン・ビンゲンは常に病とともにあった。彼女にとって生きることは病とともに苦痛とともにあることであった。そしてその苦痛こそが。彼女にヴィジョンをもたらした。 「しかし彼女は生来非常に病弱な体質で、終生自由に歩…

  • 百物語 七十六回目「心の一法」

    若き日のおれが最ものぞんでいたものは得られなかったのだが。まあ、そのむくいのようにぐだぐたの生活を一時送っていた。単に働いていただけといえば、そうなのだが。特に目的も希望もなくまあ、ゾンビのように。昼夜を問わず徹夜の連続で仕事をしていた。出口のない暗い道をただひたすら歩いているようなものだったが。そうしていることで、望んだものが手に入るかもしれないという。勘違いを生きていた。 それは春先のことであった。そのころはまだ窓の外に桜の木があり。薄い血の色に染まった花びらが雪のように舞い。徹夜続きで陽が夕刻には部屋を赤く燃え上がらせるように染めるその部屋で。おれは横たわっていたのだが。疲労しつくしてい…

  • 百物語 七十五回目「ウィンチェスター」

    おれは過ちをいくつも犯してきた。そして。今もさらに積み重ねていこうとしている。そんなことは、今更なのだが。かつて、過ちについて、このようなことを語ったことがある。 「過ちとは、量子力学的なふるまいをする事象だと思う。個々の愚かな行為を行っている間、そのときの行為はシュレディンガーの猫が生と死が重なりあった状態にあるように、それはまだ過ちとは決定されていない。でも。愚かな行為が積み重ねられ、それが自らの重みで崩壊して誤りと決定された時。愚かな行いだけではなく、積み重ねられた全てが過ちの自壊へなだれこんでいく。コヒーレントに重なり合った波動関数が量子重力の崩壊で、一意に局所実在化するようなものだ。…

  • 百物語 七十四回目「火車」

    7年ほど前の話である。毎晩終電車が過ぎ去ってから仕事場より帰るのが通例であった。まあ、忙しかったのである。電車がなければ、必然的にタクシーに乗って帰ることになった。確か1号線沿いを通って帰ったように思う。広く長い真っ直ぐな道は深夜を過ぎると車の通りもへり、ビジネス街も暗く闇に沈んで行くせいもあってか、どこか夜の河のようでもあった。おれは、タクシーをその夜の河を渡る船のようだと思いながら、黒く闇に溶け混んだ街を眺めていたものだ。その日。闇の中から大きなトレーラーが、海の底から海獣が浮かび上がるように姿を現したのを見た。始めはそれはクレーン車を積んでいるのかと思ったが。薄明かりの中で影のように浮か…

  • 百物語 七十三回目「かまいたち」

    子供のころの話である。まだ小学生の低学年であったころ。なにかと血塗れになるような怪我ばかりする子供であったようである。頭部に傷を負うことが多く。額に何針か縫うような傷をよくおっていた。今では、特に傷跡も残っていないようであるが。小学生のころは額に傷跡があったため、なんとなく前髪をたらしてそれを隠していたらしい。幼い日の記憶がいいかげんなので定かではない。だいたいが、不器用で臆病な子供であったらしく。特に危険な遊びをしていた訳ではなく。普通に遊んでいて、全身血塗れになるような怪我をしていたようなので。まあ、ある意味怪我する才能があったのかもしれない。怪我をしたとき、本人はただ茫然としていただけの…

  • 百物語 七十二回目「しょうけら」

    10年ほど前のことになるだろうか。おれは、タブレット型のパソコンを使っていた。後にアップルがipadを売り出したときには、随分懐かしいものをひっぱり出してきたものだと思ったが。それにしても、パソコンを携帯電話として売るとは、たいしたものだと思った。それはともかくとして、おれは結構そのタブレット型のパソコンを気に入っていたので、長い間使っていた。ただ、ジャンク品として安く売られていたものを買って自力でリストアしたしろものだけに。とてもスペックが低かったため、ネットに繋がなければそう問題では無かったのだが、いざネットに繋ぐとなると。アンチウィルスのソフトや、ファイヤーウォールに、アンチスパイウェア…

  • 百物語 七十一回目「見えないひと」

    その図書館は、書物の迷宮のようであった。建物自体はそう大きいわけではない。けれども、幾重にも折り重なるように配置された書架は、まるで僕を袋小路へと誘い込んでゆくようだ。その本で作られた森のような図書館の中につくられた、森の空き地のような読書スペースに僕はなんとか辿り着くと本を開く。腰をおろして本を読み出すとようやく気がつくのであるが、以外とこの図書館はひとの行き来がある。本の作り上げた海の底を静かに遊弋していく魚のように、ひらりひらりとひとが漂っていった。また、物思いに沈むように、書架を前に本を読み耽るひともいる。秘密の話を囁き合うような声で、本を前にして語り合うひとたちもいた。僕は、自分の選…

  • 百物語 七十回目「KLF」

    12年ほど昔のことになるだろうか。田舎に造られた、とある企業の研究所のようなところに、仕事で通っていた。いわゆるバブルの時代に山に囲まれた土地を切り開いて、街をつくりだそうとしたところであって。バブルが崩壊するとともに、都市を造り上げる計画も中途半端なところで消えさてしまったらしく。高級住宅街のような街並みが、いくつかの企業の研究所に囲まれるようにあることはあるが。その周囲には延々と里山を切り崩して造ったらしい住宅の建設予定地であろう平地があるばかりで。ひとが住むというにはあまりに人工的な世界であり。子供のころに住んでいた山を切り崩して造ったであろう住宅街とも少し似ていたのではあるが。それ以上…

  • 百物語 六十九回目「イボイボ」

    「こまわりくん、ってマンガがはやったじゃあないですか」「ああ」7年ほど前のことだったか。仕事場の裏から出てすぐ向かい側に、朝四時までやってる飲み屋があった。いつも真夜中に仕事を終えると、その店にいって飯を食い酒を飲み、埒もない話をしたものだった。「そのこまわりくんの作者が、こまわりくんの前に描いていたマンガに、いぼぐりくんというのがあって」「ああ?」「頭がいがぐりではなくて、いぼぐりになってるんです」「なんだよ、いぼぐりって」「最初にそれでブレークして、いぼブームを起こしたんですよ」「嘘つけ、知らねえよ。そんなの」「いやいや、ねえ、ありましたよねぇ」「いやあ、聞いたことないですねえ」「ありまし…

  • 百物語 六十八回目「黒百合姉妹」

    昔から変わらず、古本屋が好きだ。昔は、大阪球場のところにあった古書街によく行った。最近は、梅田の駅前ビルにある古書街へ遊びにゆく。古書街は迷路のように思え。いたるところに入り込んだら抜けれない袋小路があるような気がして。丸一日でも彷徨い続けることができる。最近のブックオフとかは、まあ便利ではあるのだが。あの雑然として混沌とした古書街の魅力はない。古書街にはどんなものが眠っているか得体がしれないような凄みがある。ブックオフのようなチェーン店は別として。昔ながらの古本屋には二種類あるように思う。ひとつは。骨董品としての本を扱う店。そこでは本はきちんとした商品となり、様々な等級づけ価格付けがなされ、…

  • 百物語 六十七回目「アントナン・アルトー」

    20代のころの話。よく映画を見た。いわゆるメジャーなもの、芸術的なもの、B級サスペンスやホラー、アニメ。まあ、なんでも見たのだけれど。たまにマイナーな作品の上映のときに。場末のポルノ映画館を一時的に借りて上映されることがある。普段あまりいかない、街の片隅。迷路のように入り組んだ、しかし多分夜になればネオンも輝きそれなりに賑やかなかもしれないが。まるで冬の曇り空に閉じ込められたように灰色に沈んだ路地裏を歩くと。小さな小屋のような映画館があったりする。中に入ると妙に薄暗く。そこはなんだか巨大な生き物の体内に入り込んでしまったような。闇が溶けてゆき、液状化して溜まったような映画館の中で。断片化した色…

  • 百物語 六十六回目「アルフレッド・ジャリ」

    中学生のころ。前にも書いたように、よく殴られた。まあ、おれの性格が悪かったせいもあるのだろうけれど。普通に廊下を歩いているだけで、前から殴りかかってこられたし。階段の最上段で背中を蹴られたりして、あやうく転げ落ちるところだったこともある。気がつくと制服をぼろぼろにされたりしていたのだが。学校とはそういうところだと思っていたので。特にいじめにあっているという認識は無かった。そのころただひとりだけ、おれの味方というか。ともだちがいて。ある日そいつが。「おまえ、弱いからこれ持っとけ」と言って、ナイフを渡してくれた。刃渡り20センチほどだったろうか。正確にはナイフではなく、単に鉄板を細長く切って、グラ…

  • 百物語 六十五回目「シュヴァルの理想宮」

    確かそれは、大学受験をする前の日であったと思う。おれは自分の部屋で。なぜか漫画を描いていた。それは、多分中学生のころに友人と馬鹿話をして着想したストーリーで。その漫画に着手したのは多分高校生の終わりごろだと思う。結局、大学に入学したのはその翌年であったが。大学生になっても飽きもせずその漫画を描きつづけていた。自分の絵を出展している画廊にその漫画をおいて、来場する知人たちに無理やり読ませていたのだが。まあ、あまりのその長大さに。これをライフワークにするつもりかよ、と。失笑されたものであったが。社会人になってもいつか続きを描く日がくるであろうと思い。その漫画のシナリオを書きはじめて。今でも時折、思…

  • 百物語 六十四回目「僕らはなんだかいつも全てを忘れてしまうね」

    たん。た、たん。たた、たん。た、たたん、たん。たたん、たたん、たたん。 闇の中に規則正しいリズムが響いてゆく。それは心地よく、僕の心音と同期をとるように律動を作り出す。身体を揺らす振動は、僕をまるで宙に浮いているような、不思議な気持ちにした。(ねぇ、凄いよ)闇の中に降りてきたあなたの声に、僕は目を見開く。僕らは、そのシートに凭れ合うようにして仲良く並んで座っていた。あなたは、僕の方を見て微笑みかけている。ああ、いつものように美しく見開かれた、黒曜石の輝きを持つ瞳は僕を貫き。桜色の唇から漏れる甘やかな吐息に、僕は酔いしれながら。夢見るような気分であなたを見つめていた。あなたは少し華やいだ表情を見…

  • 百物語 六十三回目「山童」

    子供のころの話である。住んでいた街は、山に囲まれていた。家の前は坂道で、そこを下ってゆくと川があり。その川を渡ると山である。山へ入って遊ぶことはよくあったのだろうとは思うのだが。不思議なことに山の中の記憶はあまりなく。その入り口となる場所がいくつかあるのだが。その、山の入り口である空き地はよくおぼえており。山の中では、まるで夢を見ていたとでもいうかのように。どこにいるのかも。どこに向かっているのかも。よく判らない状態で、歩いていたようである。一度、山の中で遊んでいて道に迷ったことがあり。おれの意識の中では、とんでもないところへ。別の街に向かって歩いているような気がしていたのだが。気がつくと、家…

  • 百物語 六十二回目「ふらり火」

    中学生のころの話である。それは、秋のはじまりくらいの出来事であった。文化祭が間近にひかえており。生徒会の役員を諸般の事情からやるはめになっていたおれは。既に陽が落ちて闇につつまれていた学校の校舎にひとり残り。文化祭に向けての雑務をこなしていたのだが。色々なことに飽いてきて。ぼんやりと、窓の外を眺めていた。今では、その学校は住宅街の中にあるのだが。そのころは、学校の裏手には雑木林があり。丁度、林と住宅街の境界線に学校は位置していた。学校の脇にある道は、学校の横で断ちきられたように終わっており。その向こうは下り坂で、雑木林へと続く。不思議なことに。その学校の向こう側、下り坂を降りきったところの林が…

  • 百物語 六十一回目「野狐」

    数年前の話である。住んでいるところの近くに、それなりに有名らしい密教の寺院があるのだが。その寺院が何年かに一度、秘蔵の本尊を公開することがあり。まあ、せっかくだから見に行ってみようと思い、その寺まで行ってみた。思ったより大きな寺院であり。インドのシヴァ神などを思わせる姿の神を描いたタペストリなどもあって。そこそこ見応えのあるお寺なのだが。なぜかぼけ封じの弥勒菩薩が祀られているのはともかくとして。何より驚いたことに、お稲荷さんが祀られていたことだ。そのあたりの繋がり方がよく判らないというか。寺の中に鳥居があって、狐を神体とした神社があるというのは。おれの常識からは少しはずれていて。なんなんだろう…

  • 百物語 六十回目「犬神」

    学生のころの話である。おれと、うそをつくのが好きな彼と。哲学好きの後輩と三人で話していた。「僕は、全てのことを説明できますよ」哲学好きの後輩は、こう言った。「ほう」おれは、彼と目を見合わせ、まあそういうものかと頷いたのだが。彼は表情を無くしていた。いつもの。本当のことを語るときの表情になっていた。おいおい、とおれは思ったが。彼は、こう語りはじめた。「じゃあ聞くけどな」彼は、顔にも声にも表情を無くしたまま、語り続ける。「なんでひとはな」哲学好きの後輩は、基本的にいいやつなのでまじめな顔をして聞いているが。おれは多分ろくでもない話になる予感がして、うんざりしていた。「呪いの言葉を書いて、床下に埋め…

  • 百物語 五十九回目「高く孤独な道」

    僕は、その高い塔の上から、夜のそらを見上げていた。傍らにはあなたいて。穏やかな笑みを浮かべている。黒い幕を貼ったような夜空に、突然いくつもの亀裂が走った。亀裂の奥には、ビロードのような夜空よりさらに深く、濃い闇がのぞいている。それは何物にも形容することができないような、虚無であり。この世の終わりを思わすような、深い闇であった。僕は驚き、不安を感じてあなたの腰に手を回し、ぎゅっと抱きよせたのだけれど。あなたは平然と、何か面白がっているかのような笑みを浮かべて、手を夜空に向かって伸ばしてみせる。「ほら、始まるよ」あなたの指し示す、夜空の裂け目からひらりひらりと。花束が落ちてきた。深紅の薔薇のような…

  • 百物語 五十八回目「見越し入道」

    中学生のころの話である。おれの通っていた中学は兎に角アナーキー&バイオレンスな学校だったので。まあ、おれの性格の悪さも災いしてか。やたらと殴られた。虐めにあっていたという自覚はあまりなかったというか。まあ、学校というのはそんなもんだろうと思っていたわけだ。例えばこんな感じで。「おれが本気を出して殴ったら、おまえの内臓は破裂するぜ」とか。「おまえの腕の骨、このまま折ってやってもいんだぜ。そうしたらおまえ、どうするのかなあ」という感じだったが。実際には内臓が破裂したり、骨を折られたこともないので、結局大したものでは無かったということなんだろうけれど。面倒くさいなあ、とかさっさとやるならやってくれよ…

  • 百物語 五十七回目「一つ目坊」

    学生時代の話である。おれは、嘘をつくのが好きな彼と話ていた。「おまえ、眠たそうやな」彼の言葉に、おれは答える。「夢見が悪かったんだよ」「夢なんか見るのか。 どんな夢なんや」「いや、それが」多少、ここに書くには憚れる内容の夢なのであるが、詳細をはぶくとようするにおれは男性器を切断して自殺する夢を見たのである。その話を聞いたとたん、彼はにこにこと楽しそうにしはじめた。「なんだよ」「いやあ、とうとうきたんやなと思って」「どういう意味だよ」「まあ、いつかはくると思っとったよ、おれは」「何がいいたいんだよ」「おまえはさあ。そういう運命なんや」「たかが夢だろう」「いやいや。 その夢は間違いなくおまえの真実…

  • 百物語 五十六回目「ドラゴン」

    高校生のころの話である。大阪市立美術館は、天王寺公園の中にある。今では有料化され、普通の公園になったが。30年前にはかなりカオスな場所であった。昼間から、酒をくらい、歌をうたって、踊り続ける。そんなひとたちが、たむろしている場所であり、素性や得体のしれないひとたちが行き交う場所であった。その中に、大阪市立美術館は君臨していたのであるが。そこで、高校生を対象とした美術展が開かれており。おれはそれに出展したのだが。たまたま、そのからみで絵の師匠と美術館のそばで待ち合わせをした。なぜか師匠は一時間ほどはやくついており。おれがようやく辿り着いたときには、とても不機嫌であった。師匠が言うには。「なんだか…

  • 百物語 五十五回目「えびす」

    15年ほど前のことである。一時おれは職を離れ。日々を無為に過ごしていた。一日の大半を誰とも会わず、誰とも口をきかず。どこかに居つくこともなく。ただただ、漂泊の毎日であった。そのときは時間をつぶすため、あちこちを訪れた。主に図書館。それ以外にも。美術館や博物館。そして。水道博物館には。淡水魚を飼育している水槽が無数に並んでいる部屋があった。おれは。時折、日長一日魚を見て過ごす。そこは、いつも薄暗くひんやりとした部屋で。その薄闇の中。幾つもの水槽が、光を閉じ込めた硝子の箱のように。仄かな輝きを浮き上がらせており。そしてその水槽の中で銀色の流線型をした魚たちが。ひらり、ひらりと。泳いでいるのを見た。…

  • 百物語 五十四回目「付喪神」

    高校生のころの話である。絵の師匠のアトリエには色々なものがあったが。中には、名状の付けがたいものがあった。例えば。螺旋を描く棒状のもので、虹のように様々な色彩が彩色されているもの。アクリル絵の具でおそらくクリスタルバーニッシュかなにかでつや出しされており、ある種両生類の身体めいたつやがあった。何かの役にたつものであるとは、とても考えられないのであるが。装飾品というにはあまりに不気味で意味がなさすぎる。それは何をできるでもない名もないただの「もの」であったが。それがなんであるのかは、あるとき師匠から聞いた。「これはな、足無しイモリや」師匠はそう言った。果たして。その足無しイモリと言う生き物が実在…

  • 百物語 五十三回目「真白き花と星の河」

    夜は黒いビロードのように、世界を覆っていた。その優しく滑らかな夜空の黒い幕に、無数に開けられた穴のような白い星々が輝いている。僕は、黒に黒を塗りつぶしたような夜を歩いていた。気がつくと、白い花が咲き乱れているような。あるいは、真白き骨の破片を撒き散らしたかのような。白い河が目の前を流れていた。あたかも、夜空に瞬く星々が地上に墜ちてきたように、光の囁きのような煌めきを放ちながら河は流れてゆく。僕は、その星たちの呟きを地上に埋め込んだ河の側を歩いていった。そして、僕は唐突に何かを思い出したように、その小屋を見つける。夜の闇に置き去りにされた、灰色の箱のような小屋に向かって僕は歩いていった。本当にそ…

  • 百物語 五十二回目「ぬらりひょん」

    10年ほど前の話である。都心近くに住んでいたが、その近くに大きな商店街があった。休みの日、時間があると夕暮れ時にその商店街を歩いたりする。いわゆる、逢魔ヶ刻。西のそらは紅く染め上げられ。地上は黒い水が澱むように、闇が沈んでくる。そんな時間に。徐々に、紅や青、黄色い灯がともりはじめ、薄っすらと闇を押しやって。色とりどりの食材や、雑貨、布地をほんのりと浮かび上がらせる。慌しく、少し浮ついた気配のただよう、その時間をただ目的もなくぼんやりと商店街を歩いてゆく。ひとびとは、夜の河の流れのように影となって通り過ぎてゆき。夕闇は。ひとびとから顔を奪い、影のように変えていった。それは不思議な。魔術的な時間の…

  • 百物語 五十一回目「人狼」

    15年ほど前のこと。おれの仕事場は地下にあった。そこは、当然窓はなく人工の照明のみで、温度調節も空調のみなので。外の気配は知るよしもなかった。そんな場所なので、ただひたすら仕事をする以外にどうしようもなかったのだが。昼も夜も。季節も感じることもなく。ただ仕事を終えて夜の闇へと溶けて行くだけの生活だったので。いつしか、おれのこころは麻痺していった。いわゆるひととしての感性がもともと薄かったせいか。おれは、その人工の異世界の中へと馴染んでいく。それは、ひとでありながらひとではなく。生きていながら生きてはおらず。かといってむろん死者でもないような。そんな感じであったのだが。そのころつきあったおんなた…

  • 百物語 五十回目「進化」

    高校生のころの話である。おれは、絵の師匠の元へ通っていたが。時折、食事をご馳走になることもあった。ある日の夕食後、居間でこのような話をした。「生物の進化というものは不思議ですね。適者生存といいますが、より環境に適応したものが生き残っていくというだけでは、海から地上に生物が出て行くことを説明しきれないように思います」師匠は。面白がって聞いていたように思う。「海という環境に比べると、地上はあまりに苛酷すぎます。例えてみれば、地球から月面へと行くようなもの。それは単に環境に適応しようというよりも、さらに超越的な力の介在を感じるのです」師匠は、笑いながら言った。「まあ、そうかもしれへんな」そういうと、…

  • 百物語 四十九回目「村正」

    大体3年ほど前のことになるだろうか。その街は、多少古い町並みを保存しているらしかったが。まあ、古い商店街や昔ながらのお寺があったりする、ありふれた街ではあったのだけれど。街全体を、博物館ということにしているらしくて。ただの和菓子屋とか新聞屋とか生地屋を博物館と呼んでいるのだけれど。それらは単に変哲のない普通の店があるだけだった。休日の昼下がりにその街をふらふら散歩していたのだが。今時珍しい刃物研ぎの店があって。古物商も営んでいるらしく。古い刀剣を展示していた。ふらりとその店に入ってみたのだが。工芸品のことについて何か知識があるわけではないので。ただ漫然と日本刀を眺めていたのだけれど。とても美し…

  • 百物語 四十八回目「くだん」

    5年ほど前の話である。赤坂のあたりで仕事をしていた。おれは、5人ほどのチームのリーダーであり、例によってデスマーチの真っ只中であった。「今呼ばれて、スコップを渡されました」「何だよ、それ」「それで、足元に穴を掘れって言われました。その後穴に入ったら上から土をかけてやるって言われました」「いや、訳が判らんし」まあ、こんな感じで。毎晩午前零時を過ぎたころに仕事を終えて帰っていた。当時は出張で東京に来ていたのだが、常宿にしていたホテルは神田であった。いつも赤坂から神田へとタクシーで帰っていたのだが、不思議なことに。なぜか牛をいつも見かけることになる。もちろん作り物の牛なのだが。一ヶ所ではなく、何ヵ所…

  • 百物語 四十八回目「サイコパス」

    学生のころの話である。周りのひとたちから聞いたところによると。おれは常に不機嫌そうな顔をし、口を開けば冷笑を浮かべながら辛辣なことを言うひとで。まあ、簡単に言えば実にいやなやつということなのだが。そのおれが唯一楽しそうにすることがあった。それはどうもひとを殴ることらしい。実はおれ自身はよく覚えていなのだが。おれに殴られたほうはよく覚えていて。おれはこころの底から実に楽しそうにひとを殴っていたらしい。「おい、この店だよ」「なんすか?」「ここでおれはお前に殴られたんだ」「へえ、全然覚えてないっす」「すげえ痛かったんだぞ」「ふうん、災難でしたね」「ふざけんな。おれのだちにおまえをボコボコにするように…

  • 百物語 四十六回目「ジル・ド・レエ」

    学生のころの話である。おれは、はじめて小説をひとつ書き上げた。当時笠井潔の作家の行きつくところは自殺か政治家という言葉を知っていたわけではないが、文学というものにできるだけ関わりたくなかったおれとしては奇妙なことをしたものであるが。自作の朗読会というのをしてみたかったのである。どこかでカフカは審判を書き上げたときに朗読会をして。その時にカフカは読みながら笑いだしてしまい。聴いているひとも笑いころげて結局最後まで読めなかったというのを読んだので。おれも似たようなことをしてみようと思ったのだ。で、参加者を無理矢理集め。彼らには必ず楽器を持ってくるように言い聞かせた。大学の絵画サークルでアトリエとし…

  • 百物語 四十五回目「エリザベート・バートリ」

    学生のころの話である。よく、先輩の下宿にいりびたっていた。そこは、幾人かが常時いる感じでおれたちがたむろする場所と化していた。先輩はいいひとなので。たまに。「カレー作ったけど食うか?」とか言ってカレーをご馳走してくれたり。酒を持っていくとあてを作ってくれたり。気配りのきく器用なひとでもあった。その夜。そいつは、くるなりこう言った。「すげえ怖いめにあったんですよ」おれは苦笑しながら何があったのかを問うた。だいたいこんな感じのできごとであったと思う。住宅街を歩いていたはずなのだが。道に迷って、気がつくと物凄く寂れた田舎の村みたいなところに迷い込んでしまい。ひとが住んでいるような気配がないバラックの…

  • 百物語 四十四回目「ヴラド・ツェペシュ」

    25年ほど前の話。そこは梅田にある小さな居酒屋であった。おれたちは既にかなり杯を重ねていて。酩酊というところまではいってなかったかもしれないが。それなりに酔ってはいた。どうしてそういう話になっていったのかは、よく覚えていないが。彼はこう言った。「おれはサディストだよ」「ふうん」おれは少し冷たく嗤った。「そういうのは、ひとを殺したことがあるやつの言うことだよ」「あるぜ」彼は。酔った顔から、仮面をつけたように表情を消し去り。言葉を重ねる。「おれはあるぜ」「へえ」おれは嗤いを浮かべたまま。応える。「そいつは驚いたね」彼は、仮面をつけたような表情のまま。ことの顛末を語ってみせた。なるほどそれは。そう言…

  • 百物語 四十三回目「妖魔」

    ずっと昔、僕はそのおんなと夜を幾度か過ごした。一緒に暮らしていたわけではないけれど。おんなは僕とともに夜を渡った。僕は殆どしゃべることは無かったので。おんなは僕にいつも話しをねだった。僕は。いつか書こうと思っている物語の断片を女に語った。口付けをした相手を物の怪に変えてしまう王女の話や。ライオンと共に暮らす、真紅の髪の少女の話を。僕はとつとつと思い出すように語った。おんなは満足したのか判らなかったが。黙って聞いて感想をいうことも殆ど無かった。ただ。その妖魔の話のときだけは。一言もらしたのだけれど。それは大体こんな感じの話だったと思う。 「王子は若く美しかった。 ある日王子は森へと迷い込み。 妖…

  • ゲイシャロボット VS ニンジャ

    「馬鹿かよ、わざわざ災厄を持ち帰るとは」おれは、そう言い放つと金髪の野獣たちの前に立った。霊柩車のように黒く武骨なフォードから降り立ったベビーフェースは、天使のように整った顔に苦笑を浮かべる。肩にはドラム弾倉をつけたトンプソンSMGを担ぎ、月の光のように金色に輝く髪の下で青く光る瞳を少し曇らせた。「おいおい、おれたちが何を持ち帰ったのか判っているのか」「そもそも」ダークスーツを身につけ、マシンガンを肩から吊るした屈強の男たちは車から札束の詰まった袋をいくつも下ろす。「今時、紙屑同然の価値しかない札束を列車強盗なんていう時代錯誤なやりくちで手に入れるのも間抜けだが」「言ってくれるね」「そいつはな…

  • 百物語 四十二回目「仮面」

    学生時代の話。嘘をつくのが好きな友人がいた。彼は、嘘をついているときにはとても楽しそうにしていた。だから。嘘をついているときには、すぐに判る。彼は、言葉を操り。束の間の仮想現実の中で、僅かばかりの享楽を得る。反対に。真実を語るときには、とても静かで感情を失ったような平板な口調になった。彼は、時折耐え難い現実と向き合う。その時もまた。彼は言葉とともにある。彼はおれたちと共に絵を描いていたが。やがて、演劇の世界へと入り込んでいった。虚構を演じ。演じることを現実とする。おそらくそれが彼の選択であったのだろう。彼が描いた絵をひとつ覚えている。ある人物の肖像画だ。彼はその絵について、こう語った。「これは…

  • 百物語 四十一回目「ローゼンクロイツ」

    学生時代のころ。ヨーロッパで荷物を財布ごと盗まれて文無しになったやつが。なぜかロシアを横断してこの島国まで帰ってくることができて。どうもそいつは、秘密結社であるローゼンクロイツに加入しているという噂があり。哲学科の学生なのに教授からは相手にされていなかったらしいが。さすがローゼンクロイツすげぇ、とおれたちは皆そいつを尊敬することになった。 それはさておいて。 学生時代、サークルで毎日新聞京都支局ホールでグループ展をやったことがある。文化財として指定されたとても歴史的に貴重な建物であり、古き時代の匂いを感じさせる風格のある建物であったが。そこにおれの友人は二トントラックに積んで持ってきた、百個く…

  • 百物語 四十回目「呪詛」

    十数年前のことになる。そのころは、移動するのによく飛行機を利用していた。今ではまずやらないのだけれど。東京-大阪間でも普通に飛行機を使っていた。その日。珍しく、夏の夕暮れに大阪へと向かっていた。飛行機の窓から見える景色は、どこか現実離れしている。地上の風景も、ジオラマのようであり。手を伸ばせば建物も乗り物も手にとることができるようで。空から見下ろす雲にしても。それは、シュールレアリスムの例えばイブ・タンギーが描いた風景画のような。頭の中の空想が取り出されたように見え。特に夕暮れ時の真紅に染まった景色は。とてもこの世のものとは思えず。機内も夕日の紅い光を浴びて薄赤く染め上げられており。ふと気がつ…

  • 百物語 三十九回目「夜を歩く」

    僕らが辿り着いたのは、とても小さな駅だった。僕とあなたは、夜の闇に浮かんだ白い孤島のようなプラットホームから降りると。銀色の雨が降る夜道へと歩みだす。僕らは記憶をたどるようにして。そう、古い古い記憶をたどってゆくようにして、銀色に輝く雨の中をゆっくりと歩き出す。ああ、そうすると本当に。あなたとの記憶が揺さぶられるような気がして。傍らを歩むあなたに思わず目を向けると。あなたはそっと、闇の中でその大きな黒い瞳を見開いて微笑んでみせる。あなたも同じように。僕と記憶をたどっているのだと思うと。それに勇気づけられれ、僕はさらに歩きだすのだが。けれど間違いなくその銀色の雨に彩られた夜の道を歩くのは、はじめ…

  • 百物語 三十八回目「見つめる瞳」

    子供のころの話である。家の裏手には庭があったのだが。あまり手入れのされていない、サヴェージ・ガーデンといった感じの庭であった。一度その庭で竜巻がおこったことがあり。親は小さな池を造って、竜巻を防止した。おれはその池に蛙をつれこんだので。夏場には随分鳴き声でにぎやかなことになった。おれはひとりで遊ぶことの多い子供であったため、その庭で蛙や虫を捕まえて遊んでいたものである。例えばバッタを捕まえて、蜘蛛の巣につけて蜘蛛が獲物を捕らえるところを見たりして。夏の終わりから秋のはじまりの長い午後を過ごしたりしていた。ただ。ある日の出来事を境にして、おれは虫を捕まえて遊ぶのを止めてしまう。出来事といっても、…

  • 記憶の箱

    あたしは、雑踏が苦手だ。ひとが多いと、何か異様なものを感じてしまう。ひとがひとに見えない感じ。まるで無数の操り人形が、耳には聴こえない音楽に合わせて動いているような。非現実的な感覚に陥ってしまう。そんなときは、頭の中でぼんやり想像する。自分の腕の中にはマシンガンがあって、それを撃ちまくることを。操り人形となったひとたちは、みな崩れ落ちあたしに見えない糸や聴こえない音楽は打ち消され、消えてゆく。後に残るのは平穏な静寂だけ。そんな想像はあたしをうっとりさせ、無意識のうちにあたしの口元に笑みが浮かぶ。多分、そのときもあたしはきっと、ぼんやりと無意味な笑みを浮かべていたのだろうと思う。気がつくと目の前…

  • スイッチオフ

    幾千もの刃が降り注ぐような日差しの下、彼女は夜の闇のように黒い蝙蝠傘をさして現れた。「なんで蝙蝠傘なんだよ」おれの呟きに、彼女は美しい、そう、大輪の花が開いたように美しい笑みを浮かべて応える。「決まってるじゃない」彼女の傘の中だけは、太陽の支配から免れた黄昏の空間であり、彼女が支配する世界である。彼女はその世界に相応しい月の輝きのような笑みを見せ、言葉を続けた。「日が照ってるからに決まってるじゃない。馬鹿ね」 戦争は、補給路の確保によって勝敗が決まる。そういうやつがいるが、まあ、そういうやつは戦争というものが判っていない。じゃあ、USAがベトナムで戦争に負けたのは、補給路の確保に失敗したからな…

  • 百物語 三十七回目「憑物筋」

    学生時代の話である。それは、当時はやっていたと思われる無国籍料理の店であった。エスニックな装飾がほどこされたその薄暗い店内で。おれの前にいたそのおんなの子は、こんなことを言ったと思う。「結婚するときに、娘さんをくださいとかいうの。あれ絶対いややわ」おれは。「ほう」と相槌をうつと。皮肉な笑みを浮かべた唇を歪めて。こう言った。「しかし、レヴィ・ストロースのおんなが原始社会において富として流通するような経済人類学を学んでおいて、その実践の場においては否定するというのは、ダブルスタンダードやろう」おれは。怒らせたつもりだった。罵倒されるのであろうと思っていた。レヴィ・ストロースなんてあたしの人生には微…

  • 百物語 三十六回目「天国と地獄」

    それは5年ほど前のこと。プロテスタントの牧師と話をしたときのことである。おれは前々から聞いてみたいと思っていたことを、牧師に訊ねてみた。それは。「イエスは死んで生き返ったということは、今もどこかにいるのですよね。どこにいてるのでしょう?」多分、あまりに質問がくだらなすぎたせいか。牧師は、少しあきれた顔になったように思う。それとも、こちらの意図をはかりかねて不審に思ったのかもしれない。おれとしてはとてもナイーブな質問をしたつもりだったのだが。あまりにナイーブすぎたというか。率直に言えば、まぬけな質問だったのかもしれない。牧師は少し複雑な笑みを見せて、こんなこと言ったように思う。「天国に。と言うひ…

  • 百物語 三十五回目「サイン」

    学生のころの話である。おれたちは、学生会館の一室をアトリエとして借り受けて、そこで作品制作を行っていた。そのアトリエは結構広い場所であったが。なぜか、大量の廃材が置かれてあり。おれは、意味もなくそこで廃材を叩き壊したり、角材を振り回してへし折ったりしていた。そのころのおれは。自分の中から沸き上がってくる情動に振り回されていたように思う。何か自分の奥底から沸き上がる無色の力。どこにも向かわぬ、何も形成しないような、ニュートラルの力が。おれをひきつかみ、振り回している感じだった。 おれは、避難するように、映画館に入り浸った。そこには闇があり、おれは音響と闇の中へと溶け込むことで。自分を無にすること…

  • 百物語 三十四回目「転移、逆転移」

    学生のころの話。絵を描いていた。描くだけではなく、ときおりグループ展と称し画廊を借りたりしていた。もちろん、美大でもない学生の描く絵など見にくるひとは殆どおらず。画廊にいても、暇なばかりだったので。色々馬鹿な話をしていた。例えば。そのころなぜか流行っていたマーラーの大地の歌をかけながら。同じ楽団で同じ交響曲を違う指揮者が指揮すれば、指揮者の特徴が判るのではということになって。ウィーンフィルをワルターが指揮する盤と、同じくウィーンフィルをバーンスタインが指揮する盤を聞き比べたりしたのだが。あまりに録音された年代が違うので録音の質もかなり違うし、何十年もたっていれば同じウィーンフィルというのに無理…

  • 百物語 三十三回目「ニンゲン、ヒトガタ」

    学生時代の話である。それは、夏が終わり秋がはじまったばかりのころだったように思う。なぜか海辺でバーベキューをしようという話になったのだが。より集まったおれたちは、皆手ぶらだった。当然バーベキューセットもないし、どこへゆくというあてもない。とりあえず、レンタカー屋で車を借りて海へ向かった。海の近くのスーパーでガスコンロと肉を買えばいいだろうということになったのだが。結局どこに行くとも決めないまま、ただひたすら海へと向かった。おれたちは。何をするという気でもなかったのかもしれない。どこへゆくという気でもなかったのかもしれない。ただひたすら、どこでもない場所へ向かって。なんの目的もないまま。走り出し…

  • 百物語 三十二回目「コトリバコ」

    それは、30年くらい前の話。古い家に住んでいた。戦後間もないころに建てられた家。その家にある離れに住んでいた。その離れは。どこか閉ざされた場所であった。通りには面しておらず。片面は雑木林じみている庭と、母屋の裏手に囲まれ。その裏側は、地面より低い位置にあるため、垂直の土手に面しており。どこか四方を封じ込められているといった感じだったのだが。さらにその二階にある物置は。階段梯子をかけて、天井板を外して入るのだが。階段梯子を外してしまうと、出入りできない封印された空間になり。屋根裏の中は、窓も無く裸電球がつるされたきりの、昼でも薄暗い場所で。そこには、とてもとても沢山の。箱があった。その多くは木の…

  • 百物語 三十一回目「くねくね」

    それは、夏の日のことでした。盛夏とでもいうべき、燃え盛る業火のような太陽が地上を蹂躙していた日。まだ学生だったわたしは、なぜかその容赦のない日差しの元で、絵を描いていました。そこは滋賀県の湖西だったと思います。見渡す限り、ずっと田園地帯で。水の上に緑の絨毯を敷き詰めたように、田んぼが景色を埋め尽くしていました。凶悪に黄金色に輝く太陽は、田の水を仮借ない光で照らしつづけ。わたしはその眩暈を伴うような強い日差しの中で。緑の風景を、描いていました。灼熱の夢のような。その景色は、熱が水を焦がすように照射し続けられることにより。透明の陽炎がゆらゆらと立ち昇り。時折、その中に。くねくねとした。光の妖しのよ…

  • 百物語 二十九回目「綱渡りの夢」

    おれはかなり綱渡りの人生を歩んでいる気がすることもあるが。これはそういうことではなく。子供のころの夢の話だ。子供のころは、よく熱をだしたらしい。一度大病したらしく、その後よく熱をだすようになったと聞かされたが。正直あまりはっきりした記憶はない。おとなになってから、扁桃腺が大きくてよく発熱する体質と医者から言われたことがあり。未だに年に数回は高熱がでる。今は熱がでても夢をみることなどない。けれど、発熱したときに子供のころは決まってみる夢があった。それが、綱渡りの夢だ。あまり子供のころの記憶はないのだが、妙にその夢だけは記憶に残っている。 もちろん。綱渡りを現実にやったことがある訳でもなく。現実の…

  • 百物語 三十回目「ヒサルキ」

    8年ほど前のことになる。そのころおれは、いわゆるデスマーチの真っ只中にいた。例えば、月曜日に出勤して金曜日に帰るような日々で。半年くらい、一日も休まず働いていた。はたからは、死のうとしているように見えたらしく。実際そう言われたこともあるのだが。そういうつもりではなく。エッセイでデスマーチがおこる原因について書かれているのを読んだことがあるのだが。まあ、マネージメントの問題とかそういうものとはべつに、日本的なデスマーチの原因というのが書かれていて。いうなれば、呪術的なものがあり。自分自身を生贄としてさしだすことによって、プロジェクトを成功させようとするというのが書かれていたが。確かにそんな面もあ…

  • 百物語 二十八回目「九字印」

    それは30年くらい前の話になる。古い街に住んでいた。近くには、縄文期の土器が出土するような山があり。いくつもの沼地が近くにはあった。今はもう、山は崩され沼は埋められ、延々と住宅地が広がっているのだが。そのころは、色々な気を孕んだ緑や水場が溢れていたところで。そこは迷路のような住宅地があり、その行き止まりの路地の奥におれの住む離れがあった。家自体、相当古いが、周囲の街も古くまた迷路の奥にひっそりと佇む離れがおれの住処であったのだが。そこには何か澱む気があったのであろうと今になって思うことがある。 ある夜。おれは九字の印を切る声で目覚めた。おそらく午前2時か3時くらいのことであるおそらくおとことお…

  • 百物語 二十七回目「夜の夢」

    僕はその黒い車の後部座席に座っていた。夜の国道を黒い車は西へ向かっている。夜の街のイルミネーションは綺羅綺羅と輝きながら、左右を飛び去ってゆく。遠くに黒い壁のように山が聳えていた。カーラジオからは、定期的にそれの情報がながされている。「現在南南西へ時速15キロで移動しています。現在位置はI市の北端で山沿いに移動中です。移動している地域のみなさんは、十分ご注意ください」情報を伝え終わるとカーラジオは、また少しメランコリックな音楽をながしはじめる。遠い昔の恋愛映画のサントラだ。僕は、後部座席に深く腰を降ろすと緞帳に覆われたみたいにチャコールグレーの夜空へ、イージーリスニングが翔び去ってゆくのを見て…

  • 百物語 二十六回目「文学について」

    彼女は再び訪れる。 彼女は再びこの地を訪れるだろう。その両の手には荊の焔につつまれた、剣を持ち。芸術と呼ばれる駿馬に跨り。その両脇には、美と快楽という名の猟犬をうち従えて。古に、東の草原を駆ける騎馬の民が。西の古都を燎原の火が焼き尽くすように、蹂躙したかのごとく。彼女の焔はひとびとを花びらにかえて宙を舞わし。彼女の叫びはひとびとを音楽にかえて空を散らす。 彼女はそうして、再びこの地を訪れるだろう。 「これはなんだい」まあ、詩だな。「これが詩だって? 韻を踏んでないじゃないか。それに対句法や反復法の使い方がでたらめだし」うるさいな、韻を踏めば詩だってもんじゃあないだろう。谷川俊太郎の「なんでもお…

  • 百物語 二十四回目「グノーシス主義」

    果たしてキリスト教徒を最も陰惨に迫害し、虐殺した宗派はなんだろうか。それはもう、疑う余地もなく明白である。キリスト教徒は大量のキリスト教徒を迫害し虐殺してきた。邪悪な教えを信仰したという理由で。例えば、プロテスタントはカトリックを。カトリックはプロテスタントを。邪悪として否定し、互いに殺しあってきた。中世ヨーロッパ最大の虐殺とされるのは、あの有名なアルビジョア十字軍である。カトリックはフランス南部を中心として広がった、カタリ派を弾圧し、未曾有の大虐殺を行った。しかし、外から見るとカタリ派であろうと、プロテスタントであろうと、カトリックであろうとさして大差はないように思える。いや、当事者のキリス…

  • 百物語 二十四回目「目について」

    ベルクソンは、目について光という問題に対する解と語ったという。それは、複数の生物の種が異なる器官を発達させていった結果、たどりついたのが同じ目という器官であったためだ。ベルクソンは重要なのは問題を解くことではなく、問題をみいだすことだという。では、光とはそもそも問題なのだろうか。アインシュタインは、光とは波であると同時に粒子であるという非常に奇妙な解釈を行う。問題は、そもそもそこにある。局所実在という問題。波は空間に遍在し、一ヶ所に収束することはない。しかし、粒子は一ヶ所にしか存在しえない。ここからあの有名なシュレディンガーの猫というパラドックスが生まれてくる。波から粒子へ。波動関数の収縮。そ…

  • 百物語 二十三回目「脳について」

    アンティキティラの機械よりも古いコンピュータがあるとすれば、それはひとの脳ということになろうか。脳というものは、大変不思議な機械である。そこでは複数重なりあって存在する世界がひとつの実存に向かって収束するという出来事が行われている。量子力学におけるコペンハーゲン解釈に基づくのであれば、おれたちの脳が認識した瞬間に。無数に平存していた世界は唯一のものへと収束するのだ。かつてフリードリッヒ・ニーチェが賽の目がでる確率を測ることではなく、何千回、何万回振っても必ず同じ目がでる永劫回帰を問題にしたように。予め定められていたように、ひとつの出来事へと収束してゆく。 例えば恋愛という出来事について考えてみ…

  • 百物語 二十二回目「ジョン・ディー」

    そういえば、二十年ほどまえ新聞の映画の紹介で、エリザベス女王を暗殺者の手から救うため魔法使いジョン・ディーが魔法の力で彼女を未来へ送るのだが、そこはパンクスに支配されたロンドンだったというのを読んだんだが。一体なんというタイトルの映画だったかも覚えておらず、観てみたいと思うのだが、観るすべもない。 ジョン・ディーは映画のエリザベス・ゴールデンエイジにも登場してくる。ジョン・ディーは実在の魔法使いである。かつて魔法使いがどの程度宮廷の中枢で機能していたかは、よく知らないが。少なくとも、ジョン・ディーは何らかの形で機能していたことは、まちがい無いと思う。 16世紀ごろ、魔法とはどのようなものであっ…

  • 百物語 二十一回目「水晶髑髏」

    水晶髑髏はいわゆる、オーパーツと呼ばれるもののひとつだ。「オーパーツだって?」古代の遺跡から発掘されたものの中で、その当時の技術で造り上げることが極めて困難であるとされるものを、そう呼ぶ。「へえ、じゃあ水晶髑髏はいつの時代のものなんだい」マヤ、アステカ文明といわれている。水晶髑髏は水晶で作られた頭骸骨の模型で、とても精巧に作られており下顎の部分をとりはずすことができる。当時の技術で造り上げるには数百年が必要だと言われていた。「なるほど、謎の発掘品というわけだ」水晶髑髏には伝説があり、全部で12個の水晶髑髏がこの地上のどこかにあって、その全てを2012年までに一ヶ所に集めなければ世界が滅ぶそうだ…

  • 百物語 二十回目「人力コンピュータ」

    コンピュータを文字どおり、計算機とうけとるのであれば。例えば算盤にしても人力で動かされるコンピュータと言えなくもない。ただ、関数計算くらいはできるべきだというのであれば、計算尺といことになる。古いSF小説を読んでいると、星間文明を築き上げるほどに科学技術が発達した世界でも。物理学者は手に計算尺を持っていたりする。 しかし、世界最古のアナログコンピュータとして知られているのはやはり、アンティキティラ島の機械ということになるだろうか。ウィキペディアから少し引用してみる。 アンティキティラ島の機械「アンティキティラ島の機械は最古の複雑な 科学計算機 として知られている。機械の作りが完璧なため、発見さ…

  • 百物語 十九回目「ヴォイニッチ手稿」

    かつて、ウォルター・ベンヤミンは純粋言語という概念を提示している。思考をひとからひとへと伝えるという、おれたちが言語の役割と信じているものを。放棄してしまい、ただ言語のための言語としてのみ存在しているとされる純粋言語。もちろんそれは、ベンヤミンが思考実験として提示してみせた架空の言語であるが。これは否応なく、ある本のことを想起させられる。 その本は、ヴォイニッチ手稿と呼ばれる。 16世紀のプラハ。ルドルフ2世の統治のもと、プラハには様々な魔道師や錬金術師たちが集ったと言われている。あの高名なジョン・ディーもまたそのプラハに訪れたひとりであった。ヴォイニッチ手稿はそんな魔法が隆盛しているプラハへ…

  • 百物語 十八回目「シンクロニシティ」

    はじめてユング心理学のこの概念に出会ったときには、ものごとが起きたときに働くこころの動きのことを指しているのかと思った。実際にユングの考えていたことが判ってきたのは、アーサー・ケストラーの偶然の本質を読んだくらいのころだろうか。おそらくそれは。エヴァレットの多世界解釈と、魔術の混合のようなことかもしれない。現実に、シンクロニシィティと呼べるような事象に遭遇することはまれであるが。一度だけ、そのような経験をしたことがある。 10年ほど前のことである。当時は小説を書いてネットで公表するようなことをやっていた。大したものが書けた訳ではないのだが。まあ、こころに浮かぶ妄想をそんな形ではきだしていたとい…

  • 百物語 十七回目「砂の本」

    ホルヘ・ルイス・ボルヘスの綴る物語にこのようなものがあった。砂漠の中に解き放ったひとに、このように語る。「ここが、我らの迷宮だ。ここには入り口も無く出口もない。行く手を阻む壁もない」うろ覚えの記憶では、こんな感じだった。物語が始まるということは、終わりが必ずあるということだ。それは、内側がつくられると必然的に外側がうみだされるということのようなものである。そして、ハレがつくられると、ケガレが産みおとされるということと同じ。生もまた。始まるとともに。死への旅が必然づけられる。恋愛という特権的な時間もまた、終わりを必然づけられるものだ。しかし、砂はそうではない。どこにも始まりを指し示すものはなく。…

  • 百物語 十六回目「黒い悪魔を見たはなし」

    ずっと昔、子供のころのこと。よく、悪夢を見た。そのころはまだ不安が虫の形をとるということもなくて。もっと漠然とした恐怖があったように思う。それは単純に、夢の中でどこか奥深いところへと入り込んでしまい。そこから、帰れなくなってしまうのではという感じの。なにかに魅入られて、とりこまれてしまうのではといった感じの恐怖であった。しかし、その帰れなくなるもしくは、取り込まれてしまいそうになる世界には。子供の夢らしい、何か異形のものたちが沢山いた。お伽噺らしい魔物、幻獣たち。おれはそれらの中に入り込みそれらの一部になろうとしてたのかもしれない。そうなったら、もう帰ってはこれないのだろうと。子供のおれは、そ…

  • 百物語 十五回目「再び虫のはなし」

    古い家に住んでいたころの話だ。兎に角木造の古い家であったせいか、色々な虫が棲んでいた。大きな蜘蛛が木の枝みたいに長い手足を伸ばして這い回り。寝ているとざわざわと百足が足元を這い回ったりするし。夏になれば網戸で蝉が脱皮をして。扇風機に蟷螂が産卵していたりする。 そのころから、おれは不安と恐怖が夢の中で虫の形をとることはよくあって。寝床の隣に大きな本棚を置いていたのだが、その最上段と天井の間にスペースがあった。夢の中で色々な虫がそこからよく落ちてきたものだ。眠っていて身動きできないおれの上に。なんだかゴムチューブのような無数の節のあるのたくる虫や。アメフラシみたいな軟体動物ぽいやつも。無数の足があ…

  • 百物語 十四回目「白い煙を見た話」

    子供の頃のはなしである。古い街に住んでいたころがあった。戦後間もないころに建てられた家の離れがおれの部屋である。そこに住んでいたひとたちは皆亡くなっており。その後に、おれの家族が住むことになった。母屋に両親たちが暮らし、おれはひとりで離れで寝起きしていた。ちゃんとした独立した家となっており、母屋にいくには一度外へ出る必要がある。トイレはついているが風呂はないため、風呂は母屋へゆくことになった。昔は茶室として使われていたようで、ちゃんと茶室としてのつくりにはなっていたようだが。おれが住むようになってからは、ほとんどその面影はなくなっていた。庭には桜の木、梅の木、柿の木が立ち並び、どこか雑然とした…

  • 人生はデスマーチ

    あたしは、相変わらずデスマーチのただ中にいた。デスレースだったら格好いいんだけれどもね。あれは狩る側、奪う側だから。デスマーチっていったらもう、あれじゃあない。旧軍のほら、飢えと疫病で苦しみながら行軍をジャングルで続けるやつ。そんな感じでさ。なんていうかUSAとかでは、リスクマネージメントとして危機的な状況では十分な睡眠をとるように指導するっていうけど。この島国では違うんだよね。デスマーチに陥るこの島国独自の原因として、昔評論家がいってたけれどさ。なんか呪術的な原因があって、自分をいけにえとして捧げることによって、プロジェクトを成功させようっていう。ファック。そんなわけあるかっての。ただただひ…

  • 百物語 十三回目「待合室」

    僕は気がつくと、その薄暗い部屋にいた。その部屋に湛えられた闇の濃さ、そして空気の重さはそこが地下であるかのように思わせる。湿った空気、音の無い沈黙、身体を蝕むような冷気。そうしたものは、ひとつの予兆を指し示しているようだ。僕は、少しづつ目がなれてきたため、あたりを見回す。僕以外にも、何人ものひとがいた。思ったよりも長いベンチである。そこにずらりとひとびとが腰掛けて並んでいた。僕の両側と、向かい側にもベンチがありそこにも同じようにひとびとが並んでいる。そのひとたちはまるで、影でつくられたかのように闇に包まれており、気配を感じさせず石のような沈黙に沈んでいた。低い天井に吊るされた、赤いランプが小さ…

  • 輝くもの天から落ち

    あたしは、いつものように。死衣のような白い服を身に着けて。死神のような漆黒の着流しを着たそのおとこの腕に抱かれておりました。夜のときは、目の前に流れる大きく黒い河のようにゆるゆると。そう静に密やかにゆうるりと。流れてゆくのです。おとことあたしの前には、紅く身もだえするように千変万化に姿を変えてゆく焔が。ゆらゆらと燃えておりました。あたしといえば、そのおとこの腕の中はとてもここちよく、本当に夢の中にいるのでしょうかと思ってしまい。ああ、本当にすべては夢の中でおこっているというかのように心地よく、美しく。そしてあたりには不思議なことに甘やかな香りがただよっておりました。空高く輝く星々は砕いて散りば…

  • 百物語 十二回目「しゃれこうべ」

    折角、百物語なのであるから、怪談ふうの話もしてみようと思う。 絵の師匠から聞いた話である。師匠は、しゃれこうべ、つまりひとの頭蓋骨を描いてみたいと思ったそうで。その理由は忘れてしまったのだけれど。兎に角、頭蓋骨をもっているひとがいないかあちこちあたったようだ。日本国内ではみつからなかったらしく、南米に住んでいる知人がもっているのを貸してもらえることになって。ようやくそれを手にいれることができた。遠く異国の地からきた頭蓋骨は、師匠のアトリエに置かれることになる。師匠のアトリエは、師匠の色々な過去の作品の他に弟子たちが寄贈した工芸作品やら、師匠の扱うシンセサイザーやパソコンといった電子機器やらが雑…

  • 百物語 十一回目「足のはなし」

    左足のふくらはぎの外側。 何故か、夢の中でそこに苦痛が幾度も訪れる。似たような夢を何度となく見た。医者に不治の病を宣告され、家に帰ったあと。全身が腐り爛れてゆくなかで。真っ先に左足のふくらはぎの外側の肉がごそりと崩れ落ち。骨が露出する。そこから病が広がってゆく感じ。そんな夢を繰り返し見る。 そこから死が強引に入り込んでくることもある。電気スタンドのコードが火花を散らしながら、左足に食い込む。稲妻のような、あるいは蒼い炎のような苦痛がそこから全身に広がる。真冬の寒さのような毒が身体中に注ぎ込まれるような。それも、左足のふくらはぎの外側からくる。 実際の左足には。何もない。右足と変わるところはない…

  • 百物語 十回目「手のひらのはなし」

    子供のころのはなしである。 子供の頃、季節の変わり目になると手のひらに水疱ができた。手のひらに水滴がぽつりぽつりと。落ちてくるように。あるいは。手の中から水滴がわきだしてくるかのように。ぽつり、ぽつりと。細かな泡のようなそれは。浮きだしてくる。針でつついて潰すと。透明な水があふれでる。色もなく。匂いもない。ただの水が溢れる。やがて手のひらの皮がぼろぼろになってゆき。手のひら全体の皮がめくれきったころに、水疱は消えてゆく。一度医者に連れていかれたことがあったが、原因は何か判らなかった。痛みも痒みもなく。ただ、それは身体の中から浮き上がってくるものであった。身体というのは、意識やおれ自身の生命とも…

  • 地球最後の夜

    「ボットはね、自己完結的なモジュールなんだけど、相互依存的でもあるんだ。面白いでしょ」「ええ、とっても興味深いですわ」そういいながら、言ってることがわけ判んなんいだよ、とこころの中でつっこみをいれる。「それはまあ、群態として存在していると言っていいかな。プラットホームに依存せずあらゆるリソースに向かって増殖してゆき、最終的にはひとつの存在へと統合される。例えてみればミームみたいなもんだね。判るだろう」「ええ、とっても判りやすいお話ですわ」いや、わけ判んないし。と、こころの中でつぶやきつつ、にこやかな笑みで応える。おとこは、満足げにうんうん頷いた。どうして、おとこってこう仕事の話が好きなんだろう…

  • 百物語 九回目「公園で蛇を見る」

    それは、まだ、小学校へいく前のことである。まだ大阪の北の端へは行っておらず、そこから淀川を渡った向かい側、淀川の南側にある街に住んでいたころのことだ。 おれの一番古い記憶。おそらく3才くらいの頃のできごとである。当時、世界は何やらふわふわとした色と音が雑然と溢れている場所であった。今の自分の言葉を使えば、それはノイズに満ちているということになる。カレイドスコープを覗くように。色々な色彩やざわざわとした音たちが、目にも彩な文様を描き出しているのだが。それに意味を見出すことができず、ただただそれら流れてゆく色と音に浸っていたのだけれど。その時だけ。かちりと。何かがはまったように。ひとの声と、景色と…

  • 迷い家

    貴方様は、わたしの身体を抱き締めるとまるで息の根をとめるかのように。わたしの中の命そのものを、吸い出そうとしているかのように。強く強くわたしの唇を吸った。わたしは貴方様の鋼のような抱擁の中で、ゆるゆると溶けていきそうな、ここちになる。貴方様はわたしを抱き締め唇を吸うことで満足したように、唐突にわたしの身体を離すと。夢の中にいるような眼差しでわたしを見つめながら、ゆっくりと話をはじめた。 月は驚くほど天高いところに輝いており。その山道はその傲慢なまでの月光の輝きを受け、真昼の海の中ように蒼白く明るかった。そのおんなは、さすがの貴方様もぞっとするような異様な様であったそうで。もちろん貴方様自身も黒…

  • 水曜日の彼

    彼がわたしを呼び出すのは、いつも水曜日なので。わたしは冗談混じりに彼のことを「水曜日の彼」と呼んでいる。じゃあ、月曜日や金曜日の彼がいるのかというと、そんな訳でもなくて。水曜日の彼だって。奥さんと子供がいるひとなので、果たしてわたしたちが付き合ってると言えるのかはよく判らないのだけれど。そもそも、彼は自分のことを偽物だと言ってる。どういう意味なのか、わたしにもよく判ってはいないのだけれど。わたしたちが出会ってまもない頃、彼のi-podを見たとき。そこに入っていたのが、ドラゴン・アッシュというバンドのインディペンデンスというアルバムだけだったので。わたしが彼にそのアルバムが好きなのか聞いたの。そ…

  • 百物語 八回目「山の中で犬と遭う」

    それは、小学生だったころの話。 おれは、大阪のずっと北のほう、歩いて京都との境まで行けるようなところに住んでいた。かなりの田舎だったかというと。そんな感じの土地でもなく、ごく普通の住宅地であった。それは山の一角をとり崩したような土地であり。山間に忽然と住宅地が現れる、そんなような場所だったと記憶している。まあ、随分昔のことなので、大分記憶も歪んできてはいるのだろうけれど。周りに田圃や畑、農村があるのではなく。そうしたところは山間の道を通り抜けてゆく必要があり。駅までいける道路は、ひっきりなしに道路工事のダンプカーが走っているような道が一本だけで。その駅に行くにしても、バスで十分はかかったような…

  • 百物語 七回目「土地の精霊に嫌われる」

    まだ、おれが学生時代のことである。 当時、おれはI市の隣の市に住んでいた。I市には、絵の師匠が住んでいて、おれは絵の師匠の元へ定期的に通っていた。まあ、今もそうなのだけれども当時は土地には土地の精霊が存在しており。その土地を訪れると、その精霊の息遣いのようなものを感じることができると思っていた。今では、そんな感覚は大分薄れてきたのだが。当時は今以上に、そういう感覚を強く感じていた。土地に踏み込むと。そこの精霊に愛されていなければ。どこかいたたまれぬような。すこしこころがざわめく感じとなり。早々に立ち去ることになる。I市は昔の文豪が青春を過ごした街でもあり。まあ、普通のベッドタウンのようで、どこ…

  • 追放者

    (あたしと別れてここを出て行くなんて)彼女は、すこし口を歪ませた。笑っているような。憐れんでいるような。嘲っているような。そんなふうに唇を撓ませる。(砂漠の中に追放されるようなものよ)そうだね。そのとおりだ。僕は生きる理由も、描く情熱もすべて君からもらっていた。君から離れたら、僕は無だよ。彼女はあきれたように、僕を見る。鋭く輝くひとみが僕をつらぬく。それぞれが、独立した大輪の花のようだ。二つの花が部屋の中に浮かんでいる。でも、僕はもう決めたんだ。その部屋は南の島のように感じる。薄暗い部屋には、彼女が描いた花の絵が無数にあった。あるものは繊細で緻密に描かれており。べつのものは子供が描いたように大…

  • 百物語 六回目「天使の羽を持つひとと会う」

    15年ほど前の話となる。 そのころおれは、この島国のいたるところを渡り歩いていた。バブルが崩壊したとはいえ、まだ今ほど経済は壊滅的なところまで来てなかったので。地方でもまだそれなりに仕事がとれたし、仕事のあるところにはどこにでも行った。当時の上司がでたらめなひとであったため、おれは独立愚連隊のように好き勝手に動いていた。それこそ南の端から北の果てまで、日々移動して。行った先では毎夜おんなのこがつく店で明け方まで飲み続け、翌朝までに酒を抜いて仕事場に出た。ある意味、放蕩無頼な生活だったかもしれない。まだ世の中がそのようなでたらめを許容できる程度には、おおらかさを残していたということでもある。 そ…

  • 百物語 五回目「亡くなったひとと会う」

    それはやはり10年近く前の話となる。 あれは母親が死んでから一年くらいがたった時期であり。母親が入院していたころは地元に戻っていたが、母親が死んでまもなく都心へと戻ることになった。その当時、仕事していた場所は本当にこの島国の中心地に近い場所だったのだが。不思議なことに、高層ビルが立ち並ぶような街であっても、大きな国道を渡ったこちら側は別世界のようであったりする。古い商店街があったりアパートがあったり昔ながらの蕎麦屋とか寿司屋が並んでいたり。小さなスーパーがあり学校がありそれなりに生活する場所となっていた。おれは、国道の向こう側にある高層ビル群を見上げながら五階建ての小さなオフィスビルで仕事をし…

  • あたし、ギターになっちゃった

    あたしはまるで。ふわふわとした、薔薇の花束の上でただよっているような気分から。刃を突き付けられるような、鋭い現実へと戻った。薄暗い場所だ。天井は高く、広々としている。あたしに馬乗りになったおとこは、にやにやと軽薄な笑みを浮かべたまま。手にした大きなナイフをひらひら弄んでいる。鉈をくの字にへしまげたようなそのナイフは、ククリナイフというやつだろう。金属のブレードは、七色のハレーションをおこして八の字の軌跡を描く。うーん。意識がはっきりするにつれ、全身が苦痛を訴えはじめる。ひどい。さんざん殴られたようだ。身体のこの感覚は多分、ドラッグを使われた感じ。アンフェタミンじゃなくて。MDMAだね、これは。…

  • 百物語 四回目「神のすまう場所をとおりすぎる」

    それは10年近く前の話となる。 おれは、百段坂を登りきったあたりに住んでいた。百段坂は元々その名のとおり、段々となった坂であったらしい。しかし、今では舗装され平らで長く急な坂道となっている。その坂を登りきったあたりの安アパートで、おれはひとりで暮らしていた。あれは、夏が終わり秋が始まったくらいのころだろうか。休日の前夜は明け方まで飲み続け、夜明け前に部屋へ戻ると昼過ぎまで眠る。昼過ぎに起きると掃除洗濯を片づけて、夕暮れどきに近くのスーパーへ買い物へゆく。それがおれのいつものパターンだった。近くのスーパーは百段坂と反対側の坂を下ったところにある。そこはこの島国の都心から車で30分ほどの場所とは思…

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