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  • 百物語 二十一回目「水晶髑髏」

    水晶髑髏はいわゆる、オーパーツと呼ばれるもののひとつだ。「オーパーツだって?」古代の遺跡から発掘されたものの中で、その当時の技術で造り上げることが極めて困難であるとされるものを、そう呼ぶ。「へえ、じゃあ水晶髑髏はいつの時代のものなんだい」マヤ、アステカ文明といわれている。水晶髑髏は水晶で作られた頭骸骨の模型で、とても精巧に作られており下顎の部分をとりはずすことができる。当時の技術で造り上げるには数百年が必要だと言われていた。「なるほど、謎の発掘品というわけだ」水晶髑髏には伝説があり、全部で12個の水晶髑髏がこの地上のどこかにあって、その全てを2012年までに一ヶ所に集めなければ世界が滅ぶそうだ…

  • 百物語 二十回目「人力コンピュータ」

    コンピュータを文字どおり、計算機とうけとるのであれば。例えば算盤にしても人力で動かされるコンピュータと言えなくもない。ただ、関数計算くらいはできるべきだというのであれば、計算尺といことになる。古いSF小説を読んでいると、星間文明を築き上げるほどに科学技術が発達した世界でも。物理学者は手に計算尺を持っていたりする。 しかし、世界最古のアナログコンピュータとして知られているのはやはり、アンティキティラ島の機械ということになるだろうか。ウィキペディアから少し引用してみる。 アンティキティラ島の機械「アンティキティラ島の機械は最古の複雑な 科学計算機 として知られている。機械の作りが完璧なため、発見さ…

  • 百物語 十九回目「ヴォイニッチ手稿」

    かつて、ウォルター・ベンヤミンは純粋言語という概念を提示している。思考をひとからひとへと伝えるという、おれたちが言語の役割と信じているものを。放棄してしまい、ただ言語のための言語としてのみ存在しているとされる純粋言語。もちろんそれは、ベンヤミンが思考実験として提示してみせた架空の言語であるが。これは否応なく、ある本のことを想起させられる。 その本は、ヴォイニッチ手稿と呼ばれる。 16世紀のプラハ。ルドルフ2世の統治のもと、プラハには様々な魔道師や錬金術師たちが集ったと言われている。あの高名なジョン・ディーもまたそのプラハに訪れたひとりであった。ヴォイニッチ手稿はそんな魔法が隆盛しているプラハへ…

  • 百物語 十八回目「シンクロニシティ」

    はじめてユング心理学のこの概念に出会ったときには、ものごとが起きたときに働くこころの動きのことを指しているのかと思った。実際にユングの考えていたことが判ってきたのは、アーサー・ケストラーの偶然の本質を読んだくらいのころだろうか。おそらくそれは。エヴァレットの多世界解釈と、魔術の混合のようなことかもしれない。現実に、シンクロニシィティと呼べるような事象に遭遇することはまれであるが。一度だけ、そのような経験をしたことがある。 10年ほど前のことである。当時は小説を書いてネットで公表するようなことをやっていた。大したものが書けた訳ではないのだが。まあ、こころに浮かぶ妄想をそんな形ではきだしていたとい…

  • 百物語 十七回目「砂の本」

    ホルヘ・ルイス・ボルヘスの綴る物語にこのようなものがあった。砂漠の中に解き放ったひとに、このように語る。「ここが、我らの迷宮だ。ここには入り口も無く出口もない。行く手を阻む壁もない」うろ覚えの記憶では、こんな感じだった。物語が始まるということは、終わりが必ずあるということだ。それは、内側がつくられると必然的に外側がうみだされるということのようなものである。そして、ハレがつくられると、ケガレが産みおとされるということと同じ。生もまた。始まるとともに。死への旅が必然づけられる。恋愛という特権的な時間もまた、終わりを必然づけられるものだ。しかし、砂はそうではない。どこにも始まりを指し示すものはなく。…

  • 百物語 十六回目「黒い悪魔を見たはなし」

    ずっと昔、子供のころのこと。よく、悪夢を見た。そのころはまだ不安が虫の形をとるということもなくて。もっと漠然とした恐怖があったように思う。それは単純に、夢の中でどこか奥深いところへと入り込んでしまい。そこから、帰れなくなってしまうのではという感じの。なにかに魅入られて、とりこまれてしまうのではといった感じの恐怖であった。しかし、その帰れなくなるもしくは、取り込まれてしまいそうになる世界には。子供の夢らしい、何か異形のものたちが沢山いた。お伽噺らしい魔物、幻獣たち。おれはそれらの中に入り込みそれらの一部になろうとしてたのかもしれない。そうなったら、もう帰ってはこれないのだろうと。子供のおれは、そ…

  • 百物語 十五回目「再び虫のはなし」

    古い家に住んでいたころの話だ。兎に角木造の古い家であったせいか、色々な虫が棲んでいた。大きな蜘蛛が木の枝みたいに長い手足を伸ばして這い回り。寝ているとざわざわと百足が足元を這い回ったりするし。夏になれば網戸で蝉が脱皮をして。扇風機に蟷螂が産卵していたりする。 そのころから、おれは不安と恐怖が夢の中で虫の形をとることはよくあって。寝床の隣に大きな本棚を置いていたのだが、その最上段と天井の間にスペースがあった。夢の中で色々な虫がそこからよく落ちてきたものだ。眠っていて身動きできないおれの上に。なんだかゴムチューブのような無数の節のあるのたくる虫や。アメフラシみたいな軟体動物ぽいやつも。無数の足があ…

  • 百物語 十四回目「白い煙を見た話」

    子供の頃のはなしである。古い街に住んでいたころがあった。戦後間もないころに建てられた家の離れがおれの部屋である。そこに住んでいたひとたちは皆亡くなっており。その後に、おれの家族が住むことになった。母屋に両親たちが暮らし、おれはひとりで離れで寝起きしていた。ちゃんとした独立した家となっており、母屋にいくには一度外へ出る必要がある。トイレはついているが風呂はないため、風呂は母屋へゆくことになった。昔は茶室として使われていたようで、ちゃんと茶室としてのつくりにはなっていたようだが。おれが住むようになってからは、ほとんどその面影はなくなっていた。庭には桜の木、梅の木、柿の木が立ち並び、どこか雑然とした…

  • 人生はデスマーチ

    あたしは、相変わらずデスマーチのただ中にいた。デスレースだったら格好いいんだけれどもね。あれは狩る側、奪う側だから。デスマーチっていったらもう、あれじゃあない。旧軍のほら、飢えと疫病で苦しみながら行軍をジャングルで続けるやつ。そんな感じでさ。なんていうかUSAとかでは、リスクマネージメントとして危機的な状況では十分な睡眠をとるように指導するっていうけど。この島国では違うんだよね。デスマーチに陥るこの島国独自の原因として、昔評論家がいってたけれどさ。なんか呪術的な原因があって、自分をいけにえとして捧げることによって、プロジェクトを成功させようっていう。ファック。そんなわけあるかっての。ただただひ…

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