百物語 九十一回目「悪魔」
五年ほど前の話。あるひとが、プロテスタントの洗礼を受けたというので、話を聞きにいった。「わたしは、聖書を読んで愛されていることに気がついたのです」おれは、ひととして多くのものが欠落しているせいか。そもそも、神の愛というものを未だに理解できていないせいなのか。まあ、そういうものなのかという感想しか抱かなかった。「わたしは、その大きな愛に包まれていることに気がついたとき」そのときおれは。そのひとが重ねる言葉を、遠い物語を聞くような気持ちで聞いていた。「わたしは、声をあげて泣きました」 キリスト教を難解なものにしているのは、悪魔の存在ではないかとも思える。神は全能であるのであれば。なぜ自らに背くもの…
2019/10/23 23:57