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2016/10/06

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  • 無粋な自分にあきれる ー 映画「ドライブ・マイ・カー」を観た

    映画「ドライブ・マイ・カー」を観てきた。3時間の長編だった。中休みがあったが、年寄りにはつらい。観客はほとんど高齢者、しかも女性。村上春樹原作だからだろうか。わたしは村上春樹はほとんど読んだことがないので予備知識ゼロだった。2021年のカンヌ国際映画祭の作品賞など賞をたくさんもらった映画らしいという程度の知識だった。映画が終わった直後の印象はこれは宗教映画なのではないか、というものであった。なにか宗教的なシーンが出てくるわけではないが、映像の余韻は宗教的だった。ストーリーとしては、妻に死なれた主人公の苦しみと立ち直りを描いているのだが、無神論者の宗教性みたいなものを描いているような印象を受けた。チェーホフの「ワーニャ伯父さん」が劇中劇だからかもしれない。この映画の評価は日本国内より海外で高いのはそのせいで...無粋な自分にあきれるー映画「ドライブ・マイ・カー」を観た

  • 日本仏教は大乗仏教の形骸か完成か ー 仏教概論(4)

    Ⅲ修行生活と教団第3章は「修行生活と教団」と題されているが、教団論ではない。修行という出家の生活様式の話である。在家の話ではない。出家の話だ。サンガ(僧伽)は出家した修行者の集団、いわば共同体だ。修行についての考え方の変化が仏教の日本化を進め、現代日本の葬式仏教という特有の仏教の形態を生み出しのではないか、というのが私の仮説だ。インドでも中国でも仏教は衰退したと言われる。現代日本の仏教を葬式仏教と呼んでよいのなら、葬式仏教は形骸化した大乗仏教なのだろうか。それとも、大乗仏教は日本でこそ葬式仏教という形で一つの完成形に辿り着いたと言えるのだろうか(1)。修行(spiritualexperience)とは何らかの宗教体験を通して自分の信仰を強めることだと考えるのなら、どの宗教にも修行のようなものは有るのだろう...日本仏教は大乗仏教の形骸か完成かー仏教概論(4)

  • 教義は輪廻と空 ー 仏教論(3)

    第2章は「仏教の教義」と題されている。仏教にはいわゆる共通の教義はないとよく言われる。これは褒め言葉で使われる場合と、蔑称だったり、また自ら卑下して使われる場合もある。教義を教理とは区別された概念とするなら(1)、仏教のすべての宗派に共通の教義はないと言えそうだ。教理として考えるなら、仏教の各宗派(原始・大乗・小乗・浄土・密教・禅など)ごとに議論せざるを得なくなる。我々が目にする仏教の解説書はほとんど各宗派の教理論であり、その比較であるといえそうだ。ここではあえて、宗派にとらわれずに、小乗の「輪廻」論、大乗の「空」論を教義に近いものとして考えてみる(2)。シーダルタ(シャカ)の輪廻論(縁起論)からナーガールジュナの空論へという展開の中で仏教の教義の変化・発展を無理矢理整理してみる。1輪廻説をシーダルタの教...教義は輪廻と空ー仏教論(3)

  • 知ってそうで知らない仏教 ー 仏教概論(2)

    「はじめに」での問いは「なぜ仏教を学ぶのか」であった。報告では4点が指摘された。①現代は「諸宗教の神学」の時代だから②仏教はキリスト教、イスラームとならぶ世界三大宗教だから③仏教が日本の精神文化に与えた影響が大きいから④仏教研究を通してキリスト教信仰を再確認したいからどれももっともな理由だが、それ以上ではない。現代日本の仏教は「葬式仏教」として我々の目の前にある。普遍宗教だというが、日本が乗り越えなければならない諸問題、たとえば財政破綻について、ウクライナについて、コロナについて、津波と原発事故について、なにかを語っているわけでもない。一人一人の人間の苦難と救いについて手がかりを与えてくれているわけでもない。キリスト教やイスラム教ではそれが出来ているというわけではないが、仏教はなぜか静かに佇んでいる。葬式...知ってそうで知らない仏教ー仏教概論(2)

  • 旧統一協会は3大異端のひとつ ー 仏教概論(1)

    2022年10月の「学び合いの会」は肌寒い10月末に開かれた。急に寒くなったので出席者も少なかった。テーマは「仏教概論」である。わかったようでわからない仏教について素人なりに学んでみましょうということのようだ。なぜこの時期に仏教概論をとりあげるのか。明示はされなかったけれど背景に旧統一協会問題があることはみなわかっていた(1)。旧統一協会はキリスト教では異端である(2)。だが、旧統一協会問題は宗教問題でもあると同時に政治問題でもあるのでカトリック教会内ではなかなか表だっては話題にしずらい。そこで補助線を引いてみる。仏教にはなぜ異端がないのか。仏教は拡大・拡散するだけでなぜ異端が生まれないのか。今回のテーマである仏教概論は実は2018年の学び合いの会ですでに取り上げられたものである。1月から数回にわたって学...旧統一協会は3大異端のひとつー仏教概論(1)

  • 煉獄と浄化 ー 終末論(了)(学び合いの会)

    Ⅳ教義史的観点1世界史的次元聖書の終末論、すなわち神の国の使信は教義史の中で受けつがれていった。アウグスチヌスの「神の国」(413~26)は特に大きな影響を与えた。「神の国」によれば、世界史の起源と目標は、神と、時間を超越した永遠の意志の中にある。歴史とは、創造と終末の完成という二つの極の間の巡礼の旅に他ならない。信仰か不信仰かの決断だけが、歴史を神学的に評価する基準となる。そこには、二つの国、つまり「神の国」(civitasDei)と「地上の国」(civitasterrena)という理念がある。神の国は、神によって回心させられ、神の愛に生きる人々によって構成される。地上の国は自己愛にこもり、神によって解放されることを受け入れない人々によって構成される。この二つの国は歴史の中では分かれがたく存在している。...煉獄と浄化ー終末論(了)(学び合いの会)

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