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2016/10/06

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  • エックハルトは異端か ー 仏教概論(12)(学び合いの会)

    Ⅱ神秘主義1神秘主義とは何かここでは、キリスト教神秘主義の歴史、その定義、論争などが紹介された。議論の焦点はドイツ神秘主義であり、エックハルトの評価であった。キリスト教神秘主義の定義はトマス・アクイナスを持ち出すのが常道らしいが(神の体験的認識cognitoexperimentalis)、要は、神秘主義では、信仰を前提として、神を、分析的にではなく直観的に、認識することを意味するようだ。信仰が前提であること、直観的であること、が強調される。このように神秘主義とは本来はキリスト教に固有の概念なのだが、実際には、他宗教にも神秘主義が見いだされるというのが今日の我々の理解だ。キリスト教の独占物ではない。なぜか。なぜ他宗教にも神秘主義が見いだせると考えるようになったのか。それは、キリスト教では神秘主義は神からの賜...エックハルトは異端かー仏教概論(12)(学び合いの会)

  • 禅は神秘主義思想だ ー 仏教概論(11)(学び合いの会)

    2023年1月の学び合いの会は大雪が予報された厳寒のなかで開かれた。コロナ禍第8波のなかマスク解禁も取り沙汰されるも、お集まりの皆さん10名は全員マスクをしておられた。今回は仏教概論の第4回目で、タイトルは「仏教とキリスト教ー禅と神秘主義」となっている。内容は、禅の話と、神秘主義思想の話、「禅と神秘主義」という上田閑照氏の論文の紹介である。実はこのレジュメは2018年5月のこのブログですでに報告してある。内容を再度繰り返すのもおかしいので、ここではこの報告を聞いた私の個人的印象をコメント風に少し記してみたい。本報告の論点は、結局は、禅は宗教ではなく神秘主義思想である、というものだ。宗教や神秘思想をどう定義するかで変わるので限定的な命題だが、キリスト教との対比でいえばわかりやすい命題のように思える。というか...禅は神秘主義思想だー仏教概論(11)(学び合いの会)

  • 禅は宗教にあらず ー 仏教概論(10)(学び合いの会)

    Ⅷ仏教とキリスト教ここでは、カトリック大辞典に依拠しながらキリスト教と仏教の比較がなされた。と言っても全く異なる宗教なので比較は難しいというのが共通理解であった。そこで、話は主にキリスト教と仏教の「創始者と教え」の比較に集中した。そうはいっても、キリスト教の創始者は誰か、は難しい問題だ。同じことは仏教、特に大乗仏教についてもいえるだろう。そもそも創始者という問題の立て方自体が成立しないともいえる。報告の詳細は2018年3月の本ブログ記事をご参照いただきたい。結局は、イエスとシッダルタ(釈迦)の比較の話になるのだが、イエスは神の子であり(つまり人間)、シッダルタは、先の「三人のブッダ」説を採れば、ブッダの一人(人間)である、ということになる。この種の義論は、歴史のイエス論、歴史的釈迦論につながり、信仰のイエ...禅は宗教にあらずー仏教概論(10)(学び合いの会)

  • ブッダは3人いる ー 仏教概論(9)学び合いの会

    Ⅶ日本仏教の各宗派ここでは日本仏教の各宗派の誕生の背景とその教義の特徴が紹介された。仏教関連の書物では、仏教の説明は、宗派の説明が中心になるか、教祖の説明が中心になるか、に分かれるようだ。思想別に見ていく(例えば華厳系、密教系、浄土系など)こともあるようだし、教義別で見ていく(例えば華厳経系、般若経系、法華経系など)こともあるようだ。仏教学界でどれが主流なのかは知らないが、わかりやすいのは宗派別と教祖別の説明だろう。①宗派別の説明配布された第一の資料は「日本の宗教史」と題されていた。出典は不明だが、よく見る整理の仕方だ。「神仏習合→国家神道→政教分離」と言う流れでの歴史的説明が中心だった。【日本の宗教史】こういう説明の仕方はあまりにも教科書的で、内容に踏み込んだ議論が同時になされているケースが少ない印象を...ブッダは3人いるー仏教概論(9)学び合いの会

  • にわかサッカーファンの仏教論 ー 仏教概論(8)(学び合いの会)

    昨日の夜中のW杯を観戦した。アルゼンチンがフランスを破って優勝した。わたしはにわかサッカーファンなのでどちらかを応援するほどの知識は無い。フランシスコ教皇様の母国と言うことでなんとなくアルゼンチンを応援していた。教皇様は2019年の来日の折に広島で「自分はサッカーが下手だから教皇になった」と冗談めかしておっしゃったそうで、サッカーファンらしい。【フランシスコ教皇とマラドーナ】それにしてもペナルティーキック合戦でのW杯王者とは劇的な幕切れだった。PK戦とはなにかと考えさせられた。日本代表も同じ憂き目に遭ったからだ。なにかサドンデスみたいにどちらかが得点するまで戦わせるのは選手に対して酷すぎるのだろうか。サッカーは、ラグビーとは異なり、歴史的には労働者のスポーツとして生まれたと聞く。ルールを決める視点が独特な...にわかサッカーファンの仏教論ー仏教概論(8)(学び合いの会)

  • 映画「PLAN75」を観てきた

    機会があって映画「PLAN75」を観てきた。この6月に公開されたばかりの映画だという。カンヌ国際映画祭カメラドール特別表彰の作品とのこと。監督は早川千絵さん、主演は倍賞千恵子さん。2時間近い長編映画だった。鑑賞後の第一印象は後味の悪さだった。映画だから、フィクションだからと言えばそれまでだが、なんとも気持ちの晴れない映画だった。まるでノンフィクションのようだ。冒頭の銃殺事件。まるで安倍元首相暗殺事件や相模原障害者施設殺傷事件を想起させるようなシーン。しかも背景の音楽はピアノだ。かといって後のストーリーにつながっているわけではなさそうだった。映画全体としても何を言いたいのかよくわからなかった。各自お考えください、なのだろうが、後味の悪さだけが残った。安楽死(尊厳死ではない)をテーマにした高齢化社会批判と言え...映画「PLAN75」を観てきた

  • 「いずも」の巨大さに驚く ー 「横須賀のりものフェスタ」

    「いずも」の艦内を見学してきた。「横須賀のりものフェスタ2022」が3年ぶりに開催されるというので行ってみたら、海上自衛隊基地も一般公開されていた。そして「いずも」の艦内の一部が公開されていた。行ってみて、とにかくその巨大さに驚かされた(1)。写真は上下する昇降機から見た艦橋である。【昇降機から見た艦橋】「いずも」は「ヘリコプター搭載護衛艦」と言われるようだ。護衛艦がどういうものか、何を護衛するのか、は良く知らない。ただ、destroyerと説明されていたので駆逐艦のようなものらしい。といっても、憲法上、自衛隊は軍艦は持てないので護衛艦という曖昧な名称を使っているようだ。日本独自の、国内向けの用語らしい。ただ素人から見ると、どう見ても航空母艦だ。カタパルトはまだついていないからヘリ空母と言われるらしい。大...「いずも」の巨大さに驚くー「横須賀のりものフェスタ」

  • 大乗経典は般若経と法華経に尽きる ー 仏教概論(7)学びあいの会

    今朝はW杯で日本を応援するために朝4時に起きた。2:1の逆転勝利にキーボード上の指が今でも震える。こういうことが起こりうるのだ。日本代表を讃えたい。今回も、報告内容の概要紹介は2018年2月のブログの繰り返しになるのであえてふれない。ここでは引き続きコメント風に私見を書き連ねてみたい。今回のポイントは、大乗仏教には無数の経典があるが、結局は般若経と法華経に尽きるという点だ。浄土教は別世界の話になる。Ⅵ大乗経典ここからは大乗経典の話だ。主な大乗経典である、般若経・法華経が紹介される。さらに、観音経、維摩経、華厳経、浄土三部経、涅槃経、大日経が紹介される。このようにお経をずらずら紹介されてもおのおのがどう違うのか、どれが大事なのか、予備知識がないとさっぱり解らない。大乗経典は3000種類以上あると言われる。と...大乗経典は般若経と法華経に尽きるー仏教概論(7)学びあいの会

  • 顕教か密教か ー 仏教概論(6) 学びあいの会

    Ⅴ様々な仏教(浄土教・禅宗・密教)第5章は基本的には大乗仏教の分類論だ。報告の詳細は2018年2月のブログに載せてあるので、ここでも私見をいれながら報告へのコメントをしてみたい。今回のポイントは、日本仏教では浄土教の影響が圧倒的に強いということ、そして禅宗は信仰ではなく修行方法だから仏教の一つと見なさなくとも良いのではないか、という点だ。1顕教と密教仏教の各宗派をどのように分類・整理するのかは定説はないようだ。上座部仏教・大乗仏教との分類がよく見られるがどこまで定説なのかはわからない。日本仏教を見ても、奈良仏教・平安仏教・鎌倉仏教と時代別に分類したり、13宗派56派とわけたり、ご本尊別に分類したりもするようだ。浄土宗系・禅宗系という分け方もあるようだ。伝統宗教・新興宗教・新新宗教という切り方もあるようだ。...顕教か密教かー仏教概論(6)学びあいの会

  • 釈迦からブッダへ ー 仏教概論(2) 学びあいの会

    アドヴェント(待降節Advent)が始まった。昨日のごミサでは4本中最初のローソクに灯がともされた。4週間後のクリスマスまで一本づつローソクに灯がともっていく。家ではアドヴェント・クランツ(リース)を飾った。街中では、楽しいのは子どもだけではなく、大人もクリスマス・ショッピングで忙しい期間だ。11月の学びあいの会は寒さが戻った曇天の中で開かれた。昨日のワールドカップでの日本代表の思いがけない敗戦の翌日と言うことで、集まりは寂しかった。仏教概論の二回目である。テーマは仏教の歴史的展開と諸宗派の比較の話だった。ポイントは、釈迦の仏教がブッダの仏教、大乗仏教に変化していく過程を知ることだ。今回の講義の要旨は既に2018年2月17日のブログに載せてあるので繰り返さない。ここでは主要な論点だけをピックアップして私見...釈迦からブッダへー仏教概論(2)学びあいの会

  • 「またあなたとともに」が始まる ー 待降節・新年・A年

    今日から待降節が始まった。教会暦でいえば新年が始まった。聖書朗読は今年はA年で、主にマタイが読まれる。B年のマルコ、C年のルカに較べると何か難しい。今日のミサから「新しいミサ式次第」が実施された。新形式による初めてのミサである。私どもの教会ではまだ地区ごとの分散ミサが続いているが、私の組は幸運にも今日の朝10時からのミサに割り当てられた。出席者は多かった。50人くらいはおられたであろうか。新しい「ミサの式次第(会衆用)」が配られた。横浜教区発行のものだ。各人が氏名記入の上持ち帰るように指示された(1)。ごミサそのものは何の混乱もなく無事挙げられた。司祭や司会者に若干の言い間違いはあったが、なにぶん練習なしのぶっつけ本番なのだから致し方ない。【ミサの式次第】新形式の式次第は、内容を細かく見ると大分変更点があ...「またあなたとともに」が始まるー待降節・新年・A年

  • 奥只見の紅葉にみた全国旅行支援

    コロナもほとぼりが冷めたようなので奥只見湖とドラゴンドラに紅葉旅行を楽しんできた。険しい場所らしく自分でクルマを運転しては行けそうもないところらしいので諦めていたが、ツアーがあったので思い切って申し込んでみた。奥只見湖の紅葉は評判に違わず素晴らしい景色だった。俳句や絵心でもあればこの感動を表現できるのだろうが、無趣味で不器用な自分はただ息を飲み込むだけだった。苗場ドラゴンドラは紅葉もさることながらゴンドラの設計にも圧倒された。聞きしに勝る景観だった。【苗場ドラゴンドラから】外国人観光客もちらほら見られた。コロナによる3年にわたる長い蟄居期間からやっと解放されるのだから、観光地はどこも高齢者の観光客で一杯だった。コロナと言えば、全国旅行支援なるものが急遽実施され、旅行は様変わりだ。我々の今回のツアーは、この...奥只見の紅葉にみた全国旅行支援

  • 無粋な自分にあきれる ー 映画「ドライブ・マイ・カー」を観た

    映画「ドライブ・マイ・カー」を観てきた。3時間の長編だった。中休みがあったが、年寄りにはつらい。観客はほとんど高齢者、しかも女性。村上春樹原作だからだろうか。わたしは村上春樹はほとんど読んだことがないので予備知識ゼロだった。2021年のカンヌ国際映画祭の作品賞など賞をたくさんもらった映画らしいという程度の知識だった。映画が終わった直後の印象はこれは宗教映画なのではないか、というものであった。なにか宗教的なシーンが出てくるわけではないが、映像の余韻は宗教的だった。ストーリーとしては、妻に死なれた主人公の苦しみと立ち直りを描いているのだが、無神論者の宗教性みたいなものを描いているような印象を受けた。チェーホフの「ワーニャ伯父さん」が劇中劇だからかもしれない。この映画の評価は日本国内より海外で高いのはそのせいで...無粋な自分にあきれるー映画「ドライブ・マイ・カー」を観た

  • 日本仏教は大乗仏教の形骸か完成か ー 仏教概論(4)

    Ⅲ修行生活と教団第3章は「修行生活と教団」と題されているが、教団論ではない。修行という出家の生活様式の話である。在家の話ではない。出家の話だ。サンガ(僧伽)は出家した修行者の集団、いわば共同体だ。修行についての考え方の変化が仏教の日本化を進め、現代日本の葬式仏教という特有の仏教の形態を生み出しのではないか、というのが私の仮説だ。インドでも中国でも仏教は衰退したと言われる。現代日本の仏教を葬式仏教と呼んでよいのなら、葬式仏教は形骸化した大乗仏教なのだろうか。それとも、大乗仏教は日本でこそ葬式仏教という形で一つの完成形に辿り着いたと言えるのだろうか(1)。修行(spiritualexperience)とは何らかの宗教体験を通して自分の信仰を強めることだと考えるのなら、どの宗教にも修行のようなものは有るのだろう...日本仏教は大乗仏教の形骸か完成かー仏教概論(4)

  • 教義は輪廻と空 ー 仏教論(3)

    第2章は「仏教の教義」と題されている。仏教にはいわゆる共通の教義はないとよく言われる。これは褒め言葉で使われる場合と、蔑称だったり、また自ら卑下して使われる場合もある。教義を教理とは区別された概念とするなら(1)、仏教のすべての宗派に共通の教義はないと言えそうだ。教理として考えるなら、仏教の各宗派(原始・大乗・小乗・浄土・密教・禅など)ごとに議論せざるを得なくなる。我々が目にする仏教の解説書はほとんど各宗派の教理論であり、その比較であるといえそうだ。ここではあえて、宗派にとらわれずに、小乗の「輪廻」論、大乗の「空」論を教義に近いものとして考えてみる(2)。シーダルタ(シャカ)の輪廻論(縁起論)からナーガールジュナの空論へという展開の中で仏教の教義の変化・発展を無理矢理整理してみる。1輪廻説をシーダルタの教...教義は輪廻と空ー仏教論(3)

  • 知ってそうで知らない仏教 ー 仏教概論(2)

    「はじめに」での問いは「なぜ仏教を学ぶのか」であった。報告では4点が指摘された。①現代は「諸宗教の神学」の時代だから②仏教はキリスト教、イスラームとならぶ世界三大宗教だから③仏教が日本の精神文化に与えた影響が大きいから④仏教研究を通してキリスト教信仰を再確認したいからどれももっともな理由だが、それ以上ではない。現代日本の仏教は「葬式仏教」として我々の目の前にある。普遍宗教だというが、日本が乗り越えなければならない諸問題、たとえば財政破綻について、ウクライナについて、コロナについて、津波と原発事故について、なにかを語っているわけでもない。一人一人の人間の苦難と救いについて手がかりを与えてくれているわけでもない。キリスト教やイスラム教ではそれが出来ているというわけではないが、仏教はなぜか静かに佇んでいる。葬式...知ってそうで知らない仏教ー仏教概論(2)

  • 旧統一協会は3大異端のひとつ ー 仏教概論(1)

    2022年10月の「学び合いの会」は肌寒い10月末に開かれた。急に寒くなったので出席者も少なかった。テーマは「仏教概論」である。わかったようでわからない仏教について素人なりに学んでみましょうということのようだ。なぜこの時期に仏教概論をとりあげるのか。明示はされなかったけれど背景に旧統一協会問題があることはみなわかっていた(1)。旧統一協会はキリスト教では異端である(2)。だが、旧統一協会問題は宗教問題でもあると同時に政治問題でもあるのでカトリック教会内ではなかなか表だっては話題にしずらい。そこで補助線を引いてみる。仏教にはなぜ異端がないのか。仏教は拡大・拡散するだけでなぜ異端が生まれないのか。今回のテーマである仏教概論は実は2018年の学び合いの会ですでに取り上げられたものである。1月から数回にわたって学...旧統一協会は3大異端のひとつー仏教概論(1)

  • 煉獄と浄化 ー 終末論(了)(学び合いの会)

    Ⅳ教義史的観点1世界史的次元聖書の終末論、すなわち神の国の使信は教義史の中で受けつがれていった。アウグスチヌスの「神の国」(413~26)は特に大きな影響を与えた。「神の国」によれば、世界史の起源と目標は、神と、時間を超越した永遠の意志の中にある。歴史とは、創造と終末の完成という二つの極の間の巡礼の旅に他ならない。信仰か不信仰かの決断だけが、歴史を神学的に評価する基準となる。そこには、二つの国、つまり「神の国」(civitasDei)と「地上の国」(civitasterrena)という理念がある。神の国は、神によって回心させられ、神の愛に生きる人々によって構成される。地上の国は自己愛にこもり、神によって解放されることを受け入れない人々によって構成される。この二つの国は歴史の中では分かれがたく存在している。...煉獄と浄化ー終末論(了)(学び合いの会)

  • 旧約と新約が描く個人の終末とは ー 終末論(3)(学び合いの会

    Ⅱ-3旧約時代の死後の観念以上はイスラエル民族または人類全体の終末についての旧約の考え方であるが、人間個人個人の終末または死についての考え方を以下の通りにまとめてみた。もともとユダヤ教の伝統は神とイスラエル民族全体との結合(つまり契約)がテーマであり、古代イスラエル人は個人の死についてはあまり問わなかった。旧約聖書全般では、長生きすること・富と子宝に恵まれること・社会的地位や名声を得ることが、人生の目的とされた。人間は死ぬと、シェオール(よみ黄泉、新共同訳では陰府)に下り、地上との関係のみならず神との関係も絶たれ、悦びも希望もない陰のような存在になると考えられていたようだ。知恵文学以外で死者の希望を語るものはまれだという。死後の「報い」について語るのは「知恵の書」だけである。だが、捕囚期以降、個人の死が問...旧約と新約が描く個人の終末とはー終末論(3)(学び合いの会

  • 終末に審判はあるのか ー 終末論(2)(学び合いの会)

    Ⅰ終末論の概念終末論eschatologia(ラ)eschatology(英)とは、最終の事柄(終末)に関する論述のこと。「時間の終わり」または「救いの完成」について(1)聖書が述べていることを吟味する神学的作業をさす。伝統的なスコラ神学では、終末論のテーマは、一方では個々の人間の死の後に起こる私審判、煉獄、天国、地獄という出来事を指し、他方では、世界の歴史の終わりの出来事、つまり、キリストの再臨、死者の復活、公審判を指していた。だが、20世紀半ばにカトリック神学に起こった人間学への接近により、終末論は「死についての神学」と位置づけられるようになる。人間の、生きている間になされた自由意志に基づく決断が、死に臨んで徹底的なものになると考えるようになる(K・ラーナー、ゼメロート)(2)。第二バチカン公会議で現...終末に審判はあるのかー終末論(2)(学び合いの会)

  • 「審判」論から「完成」論へ ー 終末論(1)(学び合いの会)

    2022年9月の学び合いの会は、台風一過、秋晴れのもとに開かれた。すがすかしい空気のもとで参加者も増え、10名はおられたようだ。今回のテーマは終末論である。カトリック神学のなかで「神学的人間論」のテーマで言えば、神論・創造論・原罪論・恩恵論に続く最後のテーマとなる。永らく誰も触れたくないテーマだったが、21世紀に入って終末論への関心が世界的に高まってきているという。昨日は年間第26主日(C年)で、福音朗読はルカ16:19-31だった。ラザロとファリサイ派の金持ちの話である。陰府の場面が出てくるからだろうか、YouTubeで与ったイグナチオ教会のミサでは神父様(日本人)はお説教でしきりに「今はお彼岸だからお墓参りしましょう」と言われ、彼岸・此岸の比較と「浄め」の説明をしておられた。言いたいことはわからなくも...「審判」論から「完成」論へー終末論(1)(学び合いの会)

  • 「新しいミサ式次第」の準備

    2022年9月24日(土)に梅村昌弘司教を講師とするカテキスタ会の公開講座(第24回)が雪の下教会で開かれたようだ。わたしは急用で出席できなかったが、90名ほどの出席者があったという。いずれ詳しい報告がなされるだろうが、新しいミサ式次第がすぐに始まる。横浜教区典礼委員会はその冊子「典礼の風」(No.27)などで周知を図っているようだが、わたしの所属教会ではこの冊子すら配布されず、神父様もお説教で11月からミサが変わることに一言の言及もない。さすが来月にはミサの練習がおこなわれるだろうが、他教会では準備が始まっているところもあると聞く。コロナ対策でミサは相変わらず地域割り・名簿順割が続き、練習どころではないのかもしれない。横浜教区典礼委員会は「新しいミサ式次第」の研修用動画を公開しているので大体の様子はわか...「新しいミサ式次第」の準備

  • 恩恵論は予定説を超えたか ー 恩恵論4(了)(学び合いの会)

    Ⅳ恩恵の教義カトリック教会の恩恵に関する教義は以下の通りである。①ペラギウス論争(1)の結果、救いのためにはキリストの恩恵が前提で、救いの恩恵は神から無償で与えられている(484年のカルタゴ教会会議、529年の第2回オランジュ教会会議)②トリエント公会議の「義化の教令」は、神の恩恵と人間の協力(善行)の必要性を説き、恩恵によって実現される人間の内的変化の現実性を強調した③ヤンセニズムとの論争の結果、ピウス5世、イノケンチウス10世、アレキサンドル8世、ピウス6世は、キリストの救いが特定の人に限定されるという考えを排斥した。④第二バチカン公会議はキリストと聖霊の恩恵の働きの普遍性を教示した。キリスト教徒以外の者にも恩恵があるとした(現代世界憲章第22項「新しい人キリスト」、教会憲章第16項「キリスト教以外の...恩恵論は予定説を超えたかー恩恵論4(了)(学び合いの会)

  • ペラギウス論争からヤンセニズム批判まで ー 恩恵論3(学び合いの会

    Ⅲ教義史恩恵論は古代・中世から宗教改革に至るまでの激しい論争の中で整備されてきた。近代神学・現代神学の中で論争はさらに激しくなるが、ここでは主な恩恵論の発展を要約する。1古代①教父たちの恩恵論の共通点古代ギリシャ・ローマ世界では二つの救済論が支配的であった。一つはストア的禁欲主義の救済論(1)。もう一つは密儀宗教の秘密の儀式による救済論だ(2)。古代教父たちはこれらの汎神論的救済観念や、人間と神の本性の区別を軽視した哲学思想を否定した。古代教父たちは、神の超越性を主張し、神の恩恵によりイエス・キリストを通して救われることを強調した。他方、教父たちは、ストア派を批判しながらも、逆に倫理を軽視した運命論に対しても批判を展開し、神の恩恵なしには救いはなく、恩恵を受け入れ、実らせること以外に救いは無いと主張した。...ペラギウス論争からヤンセニズム批判までー恩恵論3(学び合いの会

  • 「贖い」と「償い」が区別できない現代の日本人 ー 恩恵論2(学び合いの会)

    Ⅱ聖書1旧約聖書①神の恵みという考え方は、旧約聖書においては世界創造の物語の中ではっきりと示されている(創世記1ー2,知恵の書11:24-26)「あなたがお造りになったもので、あなたが忌み嫌うものは何一つない。憎んでおられるのなら、造られなかったはずである・・・」(知11:24)②さらに、アブラハムの選びと祝福の中でも示される(創12:3)(1)「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う人をわたしは呪う・・・」・小さな民族イスラエルの「選び」によっても明らかにされる。(申7:7)。・神の慈しみは人間の罪を超えて、人を神と和解させる。罪を悔い改める民を神は赦す(エレ31:20)。・もともと神はその義のゆえに正しい人に報い、罪人を罰すると言われる。しかし後に、神の義はすべてのイスラエルの罪を赦し、民を...「贖い」と「償い」が区別できない現代の日本人ー恩恵論2(学び合いの会)

  • 恩恵論はカトリックとプロテスタントの分断の源か ー 恩恵論1(学び合いの会)

    2022年7月の学び合いの会は、第7波に入った新型コロナ感染拡大の中で開かれた。猛暑とコロナのせいで参加者は10名ほどのいつものの顔ぶれであった。今回は神学的人間論の第3弾としての恩恵論である。神学的人間論は創造論、原罪論と検討してきたので、残るは恩恵論ということになる(1)。恩恵論は伝統的には「救済論」として論じられてきた(2)が、救済論というカテゴリーはキリスト論と恩恵論(秘跡論)を含むので、現在の神学教育では別のコースとして設けられているようだ。現代の恩恵論の課題は明確だ。現代社会を支配する能力主義・業績主義・理性中心主義は様々の問題点を産みだしていることは誰もが認めているが、それを乗り越える視点を、自己決定する主体(自分自身)ではなく、「恩恵」(恩寵・聖寵・恵み)に求める試みを明確化することのよう...恩恵論はカトリックとプロテスタントの分断の源かー恩恵論1(学び合いの会)

  • 特別展「発掘された日本列島2022」に驚く

    特別展が終わるというので昨日思い切って埼玉県立博物館(歴史と民俗の博物館)を訪ねた。文化庁主催の全国巡回展だそうだが、内容の素晴らしさに驚いた。上野の国立博物館でなぜ展示しないのだろうと思うほどの特別展だった。わたしは、発掘だの古墳だの遺跡だのという考古学には全くの音痴だが、近年の日本の考古学上の発見が、われわれが昔学校で習った昔ながらの縄文・弥生・古墳時代の観念を覆すほどの大発見が続いていると言うことは側聞していた。縄文時代にも稲作がおこなわれていた地域・時代があったらしいなどという話をどこかで聞いたことはある。どういうことなのだろうと思い、はるばる時間をかけて大宮まで行ってみた。行ってみて驚いた。展示物の多様さ、説明のわかりやすさ、全国的視点からの出土品の相互比較など、準備がよくなされていたことがわか...特別展「発掘された日本列島2022」に驚く

  • 現代日本人の罪理解(2) ー 原罪論8(了)(学び合いの会)

    4日本人の罪の意識R・ベネディクトにならって日本文化における「恥の文化」はユダヤ・キリスト教文化における「罪の文化」と対比されることが多い(1)。恥の文化の特徴は各自が自分の行動に対する世間の目を強く意識していることとされる。日本人にとって恥の意識が最重要の地位を占める。罪の文化の基礎は「罪責性」であるのにたいし、恥の文化のそれは「羞恥心」である(2)。恥の文化においては罪を告白するという習慣はない。伝統的日本文化において、「恥と穢れ」はキリスト教文化における「罪責性と悪」に対応するといえよう。【『菊と刀』】5罪理解を巡る今日の問題①宗教的空白という現実現代日本における宗教的空白の要因はさまざまであろうが、その一つは、折衷主義的な日本仏教各宗派が惰性化し、葬式仏教化していることにある(3)。各宗派は組織化...現代日本人の罪理解(2)ー原罪論8(了)(学び合いの会)

  • 現代日本人の罪理解(1) ー 原罪論7(学び合いの会)

    Ⅸ現代日本人の罪理解ここからは原罪論の補足として、日本人の罪意識、罪理解を考えてみる。小笠原優師は『信仰の神秘』のなかでこう問う。よくわれわれは、「聖書がいう罪とは何のことかよくわからない」という言葉を聞く。どういうことか。日本人は「罪深い」とか「罪づくりな事をする」など、罪という言葉をよく使う。ありふれた言葉だ。これは、法律に背いているという意味でcrime(悪事)のことかもしれないし、「人様に迷惑をかけた」という意味でのshame(恥)のことかもしれない。その意味する範囲は広そうだ。なぜか。現代の日本人の罪理解には様々な歴史的要素が混入しているからだろう。土俗宗教、神道、仏教、儒教などの影響を挙げられそうだ。1神道的要素①罪とは規範や秩序を乱す行為のことをいう(天つ罪・国つ罪)(1)近親相姦・獣姦・呪...現代日本人の罪理解(1)ー原罪論7(学び合いの会)

  • 現代神学の原罪論の方向 ー 原罪論6(学び合いの会)

    Ⅵ公式教義への批判1世界観の変化トリエント公会議時代の世界観と今日支配的な世界観の間にはギャップがあり、そこから問題点が浮上してくる。トリエント公会議の教義の原則は以下のようなものであった。①創世記の物語は歴史的事実で、アダムは歴史上の人物である②人類の起源は一つである③原罪は、模倣によってではなく遺伝によって伝わる④原罪は一人一人に固有なものとして内在する(幼児にも原罪はある)このような教義に対して次のような問題点が指摘された。①今日の聖書学によれば、創世記の人祖の物語は歴史的事実ではない②今日の科学の示すところによれば人類の起源は一つではない③アウグスティヌスは原罪は遺伝する罪だと考えたが、他の教父たちには遺伝という考えはなかったこのような批判は、研究の成果の表れではあるが、世界観の変化をも反映してい...現代神学の原罪論の方向ー原罪論6(学び合いの会)

  • トリエント公会議のカノン ー 原罪論5(学び合いの会)

    Ⅴトリエント公会議の原罪の教義1五つのカノントリエント公会議(1545~1563)(1)の原罪論は、第5総会の「5つのカノン」で表明された(2)。①第1カノン(DS1511)人祖アダムが楽園で神の掟に背いた結果、聖性と義を失い、神の怒りを買い、死を招き、悪魔の勢力に与することになった。②第2カノン(DS1512)アダムの罪と罰は彼だけではなく、その子孫である全人類に及ぶ。③第3カノン(DS1513I)アダムの罪は起源が一つであり、遺伝によって伝えられる。この罪はイエス・キリストの功績と洗礼によってのみ取り除かれる。④第4カノン(DS1514)自身の罪のない幼児も原罪を免れ得ないのだから、洗礼を受けなければならない(幼児洗礼の肯定)(3)⑤第5カノン(DS1515)洗礼によって原罪が赦され、神の愛児、相続人...トリエント公会議のカノンー原罪論5(学び合いの会)

  • 原罪の教義はいつ定着したのか ー 原罪論4(学び合いの会)

    Ⅳ古典的原罪論の展開1アウグスティヌス以前の教父たち①ギリシャ教父たち2・3世紀エイレナイオス、アレキサンドリアのクレメンス、オリゲネスなど彼らは人間の「罪」に関心を持った。「なぜ無垢の嬰児が死なねばならないのか」という問題意識から原罪について考察した。特に問題にしたのは、原罪が人祖からどのように子孫に伝わるのか、という点であった。エイレナイオスは、人祖が所有していた本来的な善は罪によって損なわれたが、洗礼によって回復されると考えた。この考えはアウグスティヌスに影響を与えたという。②ラテン教父たち2・3世紀キプリアヌス、テリトリアヌスなど。「悪」の起源について深い関心を払った。2アウグスティヌス(354-430)アウグスティヌスは教会の原罪についての公式教義の基礎を作った。①悪の問題について自分自身の体験...原罪の教義はいつ定着したのかー原罪論4(学び合いの会)

  • 罪の赦しは恵みか悔悛か ー 原罪論3(学び合いの会)

    Ⅲ新約聖書における罪の理解1罪をめぐるイエスの教えイエスは、罪とは「律法」違反のことではなく、神と隣人への「愛の欠如」の問題であるとした。そしてそれを「一人一人の問題」として扱う。罪の観念はここで大きく転換していく。①罪の赦しと病の癒やしを同時に行う(マルコ2~5章)②信仰が罪からの救いである(マルコ5:34「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」)③あなたの罪は信仰によって赦されたと宣言する(マルコ2~5章)④イエスは人間の罪からの解放のため自己を捧げる。そして罪の赦しの権能を弟子たちに与える(マルコ10~19章、ヨハネ20~23章)2パウロパウロは罪の意識を深く掘り下げる。パウロの罪の観念はキリスト教の罪観念のベースとなっていく。①罪は普遍的である(ロマ書3:23「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられな...罪の赦しは恵みか悔悛かー原罪論3(学び合いの会)

  • 罪は人間の内にあるのか ー 原罪論2(学び合いの会)

    Ⅱ旧約聖書における罪の理解1人祖の物語創世記第2・3章創世記は人類の発生をアダムとエバのドラマとして描く。神の計画により恵まれた原初の至福の状態と、堕罪後の神から見放された状態とを比較する(1)。人間は神の似姿として造られたが、すべてを許される自由が与えられたわけではなく、有限な存在である。しかし、人間は神のようになろうする欲求を持ち、自己の絶対性・全能性を求める。「禁断の木の実」は実は人間の有限性にもとづく制約のシンボルであり、「蛇」は悪の誘惑を表す。創世記の記述は、本来神により頼むべき人間の限界を踏み越えようとした人間の試みが、世界のすべての悪の根源であることを示す。創世記は、すべての人間にある罪への傾きとその結果を、人祖が自らの罪によって神との交わりを失ったことによって説明しようとする。神が創造され...罪は人間の内にあるのかー原罪論2(学び合いの会)

  • 原罪論はなぜ未熟な教義なのか ー 原罪論1(学び合いの会)

    6月の学び合いの会は猛暑の中で開かれた。まだ6月だというのに梅雨明け宣言が出たという。この暑さの中、出席者の数は当然少なかった。今回のテーマは原罪論である。何もよりによって原罪論を取り上げなくとも、と思わなくもなかったが、ロシアによるウクライナ侵攻を前にして、科学技術の発達が、社会制度の改革が、人間を悪から解放するという楽観主義が打ち砕かれ、もう一度「悪」の問題を神学的に問い直してみたいというのが趣旨のようであった(1)。神学的に問い直すと言っても、原罪論は「神学的人間論」の中ではもっとも評判の悪い、人気のないテーマのようだ(2)。キリスト教神学の中でキリスト論、三位一体論、教会論はそれなりに教義が整備され、体系化されているが、原罪論は未成熟である。特に古典的な(アウグスティヌス的な)原罪論はいわば袋小路...原罪論はなぜ未熟な教義なのかー原罪論1(学び合いの会)

  • 映画「ベルファスト」(アカデミー賞脚本賞)を観た

    やっと映画Belfastを観ることができました。アカデミー賞受賞作品だからと言うより、カト研のジョンストン師を思い起こすためでした。師は2010年に帰天しているので今年は仏教的に言えば13回忌になります。カト研の皆さんはもうすでにご覧になられたでしょうか。白黒映画でした。少年バディが主人公だが、過酷な時代の変化に抗いながら家族が一緒に未来へ踏み出していく姿を描いているように思えました。故郷ベルファストを讃えるご当地映画ともいえそうです。この映画は、1969年頃のいわゆる「北アイルランド紛争」(1)を直接正面から取り上げているわけではない。むしろ、それを背景としたファミリー・ドラマでした。監督・脚本はケネス・ブラナーで、著名な映画監督のようです。この映画は監督ご本人の自伝的な物語のようです。ローヤリスト、ユ...映画「ベルファスト」(アカデミー賞脚本賞)を観た

  • 創造論か進化論か ー 創造論5(学び合いの会)

    Ⅵ教義史1古代①使徒教父たち使徒教父たちはは聖書の創造に関する信仰を継続し、更に展開していった(1)。「ヘルメスの牧者」ー「無からの創造」(creatioexnihilo)(2)②ギリシャ哲学プラトン哲学は神の存在は認めるものの、この世界も永遠の存在であり、神による創造という思想はない。神も世界も永遠とされる。世界は、神の意志や、業の結果ではなく、すべては必然ないしは運命だと考える(3)。②グノーシス主義グノーシス主義は善悪二元論で、霊が善、物は悪とするから、物を造った創造の業は悪であり、創造主は悪い神だという悲観的世界観からなる(4)。③エイレナイオスエイレナイオスは2世紀後半のフランス・リヨンの司教。グノーシス主義の正体を暴露し、正統信仰を守ることを生涯の課題としたという。主著『対異端駁論』では、神による無...創造論か進化論かー創造論5(学び合いの会)

  • 人間は世界の管理者か ー 創造論4(学び合いの会)

    Ⅳ新約聖書新約聖書とはキリスト教が経典として認めている27文書(1)のこと。キリスト誕生以前に書かれた旧約聖書に対して、キリスト誕生後紀元50年から150年頃までに書かれた文書である。27文書が正典として認められたのはカルタゴ教会会議(397年)だという(2)。中身は旧約にならって、歴史・書簡・預言に分けられる(歴史書は4福音書と使徒言行録、書簡はパウロなど、預言は黙示録)。新約聖書には世界の創造を直接の対象として述べた箇所はない。なぜなら神による世界の創造はあまりにも明白な事実で、改めて述べる必要がなかったからだという。①神は言葉によって世界を創造したヘブ11:3、第2ペテロ3:5②神はすべての創造者マタイ19:4マルコ13:19③神が創造者であることは明白ロマ1:191コリ8:6④イエスは神の名において創造...人間は世界の管理者かー創造論4(学び合いの会)

  • 創造は恵みである ー 創造論3(学び合いの会)

    Ⅲ旧約聖書2預言書預言とは神から啓示を受け、それを告知することを意味する。日本語では神の言葉を預かるという意味だと説明されることが多い。予言ではない。だが預言者は神の言葉を告知するだけではなく、来るべき時代についても語った。預言者の資格・条件ははっきりしないが、神の霊そのものには求めず、神の言葉を「持っている」という事実・言明に求められたようだ(1)。預言者はサムエルの時代に登場するが、活動が活発化するのは王国の分裂以後である(2)。北王国にエリア、エリシャ、ミカヤが現れ、南王国にはイザヤ、ミカが現れ、以後続々と続く。イザヤ・エレミヤ・エゼキエルは三大預言者と呼ばれる。預言者の託宣や活動は多岐にわたるが、総じて祭儀を批判する点で共通する。自分たちのヤーウエ信仰を守るためであったのであろう。第2イザヤ40:27~...創造は恵みであるー創造論3(学び合いの会)

  • 創造物語は二つある ー 創造論2(学び合いの会)

    創世記には二つの創造物語が並列されている。1章と2章はそのまま連続しているわけではない。Ⅲ旧約聖書1創世記聖書の創造物語は、神・人・自然の創造に関する教説の重要な典拠である。人は、創造の始原に立ち返り、自らの生存の意義を確認する。自分は何のために生まれてきたのか。どこに向かっているのか。創造物語の根底には強烈な救済論的志向がある。つまり、救済と選びの信仰がある。創世記には実は二つの創造物語が並列されている。一般にはあまり知られていない論点なので少し詳しく見ていこう。これを理解するには、たとえば創世記1章と2章の違いを理解するためには、聖書の交差配列や旧約聖書についての知識が必要になってくる。誰でも知っている話と言われればそれまでだが、前もって少し整理しておきたい。旧約聖書は一応紀元90年頃編纂されて成立したとさ...創造物語は二つあるー創造論2(学び合いの会)

  • 無からの天地創造説は珍しい ー 創造論(学び合いの会)

    5月の学び合いの会は久しぶりの五月晴れのもとに開かれた。会合にはマスクをしない人も数人おられ、コロナ禍も少しづつ落ち着き始めているようだ。今回からはいわゆる「神学的人間論」が取り上げられる。神学的人間論というのもわかりづらい表現だが、どうもカトリック神学の視点からの人間論という意味のようだ(1)。具体的には、創造論・原罪論・恩恵論・終末論を指し、さらに神論とマリア論を含むようだ。一言で言えば救済論のことのようだ。神学の中で言えば、教義学の中で(つまり実践神学以外で)キリスト論と教会論には含まれない領域を扱う幅広い分野を指すようだ。今回は創造論が取り上げられた。テーマとしては以下の通りだ。1概要2さまざまな創造神話3旧約聖書4新約聖書5聖書における人間観6教義史7結び細かく、専門的な議論が続くが(2)、私が理解し...無からの天地創造説は珍しいー創造論(学び合いの会)

  • やっと2022年度の初ホタル

    2022年度の初ホタルを先ほど確認した。5月18日(水)午後8時頃、10数匹飛んでいた。今日は一週間ぶりに晴れて、気温も高く、風もなく、月も出ていなかった。絶好のホタル日和ということになる。5月18日に初発見というのはこの20年近い定点観測の中では一番遅い日付になる。場所は馬場橋から谷戸の空橋の間で、法勝寺橋から上流はまだ湧いていないようだった。来週末には町内会による川ざらえ(ゴミ掃除)があるというので心配だが、来週いっぱいは楽しめることだろう。スマホでフラッシュをたいて写真を撮る人が今年はいないことを望もう。近年、洗濯水や台所の汚水をそのまま川に流している家がまだあるのでホタルの絶滅が心配されていたが、まだなんとか生き延びているようだ。大量発生の復活を祈りたい。ホタルを初めて観測した日2022年5月18日20...やっと2022年度の初ホタル

  • 従順な婢女から弁護者へ ー 聖母マリア(了)(学びあいの会)

    Ⅷマリア信心(崇敬)とは何か崇拝(Latria)と崇敬(Dulia)の区別は定着して、最近はあまり誤用はみられないようだ。マリアは崇敬の対象とされる(1)。1概要マリア信心とは古くから形成されてきたマリアへの崇敬心のことをいう。マリアを敬い、取り次ぎを願うキリスト者の態度とそれを表す様々な行為や行事のことをいう。個人か集団を問わず、態度・行為・儀式をさす幅広い概念のようだ。具体的には、ロザリオの祈り、スカプラリオ(2)、不思議なメダイユ(3)、巡礼(4)、詩歌(5)、行列(6)、聖画像(7)などをいう。2歴史2-1古代マリア信心の芽生えは、ルカ1:42「女のなかで祝福された方」、1:48「幸いなる者」という呼称にみられる。マリアの取り次ぎを願う最古の祈りは3世紀頃の「あなたの保護に寄りすがる」(「スブ・トゥウム...従順な婢女から弁護者へー聖母マリア(了)(学びあいの会)

  • マリアの出現を信じますか ー 聖母マリア(16)(学びあいの会)

    Ⅶマリアの出現1マリアの出現(1)は中世以来数多く伝えられている。だが世界的に大きな影響を及ぼした出現は19世紀から20世紀にかけて起きた。主な出現を挙げてみる。①カトリーヌ・ラブレーへの出現:1830年パリ「不思議なメダイ」の起源(2)②ラ・サレット(南仏の地名)での出現:1846年2人の子どもにマリアが出現した③ルルドのベルナデッタへの出現:1858年ルルドの水により病者の奇跡的回復がみられ(ルルドの泉)、毎年数百万人の巡礼者が訪れるという最も有名な奇跡といわれる(3)④ファティマ(ポルトガル)での出現:1917年⑤その他教区司教により真実と認められたものボンマン(フランス1871年)ボーラン(ベルギー1932年)バヌー(ベルギー1933年)秋田(日本1973年)(4)フインカ・ベタニア(ベネズエラ1976...マリアの出現を信じますかー聖母マリア(16)(学びあいの会)

  • 祈りのなかのマリア ー 聖母マリア(15)(学びあいの会)

    Ⅵマリアの祈りマリア信心の表れとして教会はマリアに関する様々な祈りを生み出した。ここでは主なものを取り上げてみる(1)。1アヴェ・マリアの祈りこれはマリアと共にキリストを観想する(2)基本的な祈りである。アヴェ・マリアの祈り前半は、大天使ガブリエルの受胎告知の言葉(ルカ1:28)と、エリザベトの喜びの声(ルカ1:42)を組み合わせたものである。後半はマリアへの祈願である。このように、この祈りは祈りとしては独特の形式をとっているが、現在の章句の形式は6世紀から16世紀までの発展を経て成立したと言われる。2ロザリオの祈りロザリオの祈りとは、基本的には珠(たま)を繰りながら、「アヴェ・マリアの祈り」を数えながら唱え、キリストの出来事を黙想していくお祈りのことを言う。数珠(じゅずたま玉・珠)を祈りに使う伝統は様々な宗教...祈りのなかのマリアー聖母マリア(15)(学びあいの会)

  • 典礼暦のなかのマリア ー 聖母マリア(14)(学びあいの会)

    聖母マリア論は第2部「マリア信心(崇敬)」に入った。5月連休直前の今日の例会は晴天に恵まれたが出席者は少なかった。Ⅴ典礼典礼(1)とは教会がおこなう祭儀である。典礼暦(2)は4世紀頃(3)東西両教会で定着する。マリア信心もこの頃から盛んになる。エフェゾ公会議(431年)におけるマリアの「神の母(テオトコス)」宣言はマリア信心をさらに促進し、マリアの祝祭日(4)が祝われるようになった。祭日と祝日と記念日が区別されている。1マリアの祭日現行の教会暦のマリアの祭日は以下の三つである①神の母聖マリア(1月1日)②聖母被昇天(8月15日)③無原罪の御宿り(12月8日)2マリアの祝日①聖母の訪問(5月31日)マリアのエリザベト訪問(ルカ1:39~50)を記念する祝日。ローマでは8世紀に降誕節中に祝われたという。東方教会では...典礼暦のなかのマリアー聖母マリア(14)(学びあいの会)

  • 典礼歴のなかのマリア ー 聖母マリア(14)(学びあいの会)

    聖母マリア論は第2部「マリア信心(崇敬)」に入った。5月連休直前の今日の例会は晴天に恵まれたが出席者は少なかった。Ⅴ典礼典礼(1)とは教会がおこなう祭儀である。典礼暦(2)は4世紀頃(3)東西両教会で定着する。マリア信心もこの頃から盛んになる。エフェゾ公会議(431年)におけるマリアの「神の母(テオトコス)」宣言はマリア信心をさらに促進し、マリアの祝祭日(4)が祝われるようになった。祭日と祝日と記念日が区別されている。1マリアの祭日現行の教会暦のマリアの祭日は以下の三つである①神の母聖マリア(1月1日)②聖母被昇天(8月15日)③無原罪の御宿り(12月8日)2マリアの祝日①聖母の訪問(5月31日)マリアのエリザベト訪問(ルカ1:39~50)を記念する祝日。ローマでは8世紀に降誕節中に祝われたという。東方教会では...典礼歴のなかのマリアー聖母マリア(14)(学びあいの会)

  • ご復活祭おめでとうございますー3回目のコロナ禍のもとで

    ご復活祭おめでとうございます。コロナ禍の中でのイースターは3回目となります。私どもの教会では分散ミサが続いており、、ご復活祭といっても特定の班のみ出席可能なごミサです。私どもはたまたま今日のミサに当たっていたので出ることが出来ました。長い四旬節、聖週間、過越の3日間と、私どももカト研の皆さんと同じように、それなりに過ごしてきました。例年なら、教会のみなさんと一緒に盛大にごミサを挙げ、みなでお祝いするところですが、今年も寂しい復活祭となりました。復活徹夜祭で洗礼を受けた方もおられなかったようです。世界中どこでも同じなのかは解りませんが、残念なことです。ごミサ後のお祝いのパーティーもなく、子どもたちからのイースターエッグもなく、顔見知りの人と挨拶することもかないませんでした。コロナだからと言われれば返す言葉もありま...ご復活祭おめでとうございますー3回目のコロナ禍のもとで

  • 「神学ダイジェスト」にみる今日のマリア論 ー 聖母マリア(13)(学びあいの会)

    現代のマリア論の理解のために、上智大学神学会発行の機関誌「神学ダイジェスト」131号(2021年冬季号)の特集「今日のマリア論」が紹介された。5論文中4本の論文の要旨が紹介された。わたし自身はこれらの論文を読んでいないので不正確な紹介になるかもしれないが、現代のカトリックの神学者たちが、マリア論の中でなにを主要な問題として捉えているかを知る手がかりとして、簡単に目を通しておきたい。現代カトリック神学におけるフェミニズム神学、解放の神学のインパクトの大きさを垣間見ることができる。なお、この機関誌の編集長は光延一郎師のようだ(1)。神学ダイジェスト*目次は次の通り*〈巻頭言〉今日のマリア論について………………………………………岡立子神学の内に示されるマリア論の新たな方向性……………………………M・マッケンナ貧しい人...「神学ダイジェスト」にみる今日のマリア論ー聖母マリア(13)(学びあいの会)

  • 望ましいマリア信心とは ー 聖母マリア(12)(学びあいの会)

    それでは、新しいマリア論はどのような形をとるのだろうか。新しいマリア崇敬はどのような方向に進もうとするのか。それは、プロテスタントからの批判に耐えるものであり、解放の神学やフェミニズム神学の成果を取り入れ、エコロジー神学の展望を見据えるものとなるだろう。光延師は、聖霊とマリアのつながりを強化し、神の女性的側面と三位一体の交わりがつながることにマリア論の新しい展開を展望しているようだ。それは次回紹介する『神学ダイジェスト』(師が編集長である上智大学神学会の機関誌)特集号からも読み取ることができる。1解放の神学とフェミニズム神学解放の神学とフェミニズム神学は、その成立の背景も主張も異なるとは言え、実は「マグニフィカト聖母の讃歌」(ルカ1:46~56)に描かれる「解放の霊感」に共に注目している(1)という。マグニフィ...望ましいマリア信心とはー聖母マリア(12)(学びあいの会)

  • マリア崇敬をめぐる現代のマリア論 ー 聖母マリア(11)(学びあいの会)

    現代のマリア論の中心的論点はマリア崇敬だ。特に、エキュミニズム運動の進展の中で、カトリック教会とプロテスタント諸教会とのあいだで理解の違いが明確になってきた。また、解放の神学、フェミニズム、エコロジー神学など、新しい運動の登場の中で、マリア崇敬は新しい形を求められるようになっている。新しいマリア崇敬とはどのような形をとるのだろうか。1エキュメニズムとマリアマリア論はエキュメニズムの対話において重要なテーマの一つとなっている。マリア崇敬について東方教会(1)は本来はカトリックと同じ神学的伝統を持っている。プロテスタント諸教会はマリア崇敬に関しては消極的な傾向がある。マリア崇敬はカトリック教会では19・20世紀に強まったが、これは東方教会にもプロテスタント諸教会にとっても当惑の的となった。たとえば、プロテスタント側...マリア崇敬をめぐる現代のマリア論ー聖母マリア(11)(学びあいの会)

  • 教義宣言されなかった「恩恵の仲介者マリア」説 ー 聖母マリア(10)(学びあいの会)

    3-5恵みの媒介者なるマリアマリアに関する教義は神学的には多方面にわたる。神の母説はキリスト論に、無原罪の御宿り説は原罪論に、被昇天説は終末論に密接に関わっていた。そしてこの「恵みの媒介者」説は「教会論」に深く関わっている。マリアの「霊的母性」の教えは、マリアが願いの取りなし手、恩恵の仲介者であるとの信仰を強めた。そして、マリアは信仰者の共同体である教会の母であると敬われてきた。だが、マリアがキリストの「協贖者」(Coredmptrix)であるとの考えはまだ教義として認められていない。現代マリア論の最大の焦点のようだ(1)。①私たちにとってのマリアとは伝統的にマリアは信仰者のためにとりなす媒介者、取り次ぎ手、代願者medeatrixとされてきた。こういう表現は使徒信条の「聖徒の交わり」という言葉に通じる。「聖人...教義宣言されなかった「恩恵の仲介者マリア」説ー聖母マリア(10)(学びあいの会)

  • 終末に煉獄や中間期はない ー 聖母マリア(9)(学びあいの会)

    3-4マリアの被昇天被昇天の教義はマリア論ではあるが中心は「終末論」だ。終末論とは人間の(個人の、そして人類全体の)終末についての議論・洞察のことだ。つまり、人は死んだらどうなるのか、人類の歴史の終わりはどうなるのかと問うことである(1)。人は死んだら無に帰る。それでよいではないか。何であれこれ考えるのか。日本人の多くは、宗教心はあっても、神を信じないから、死んだら無に帰ると言われても、特に不安にもならない。せいぜい今の自分の人生を楽しんでおけばよい。あとは野となれ山となれだ。自分たちのために戦争などで亡くなられた方には申し訳ないと思う。でも、とりあえずは神社でお札でももらって健康とお金を願っておけばよい、と考えている。大げさに無神論などと騒ぎ立てない。ご先祖様のお墓参りはするが、自分は散骨でも樹木葬でもよいの...終末に煉獄や中間期はないー聖母マリア(9)(学びあいの会)

  • 原罪は遺伝する ー 聖母マリア(8)(学びあいの会)

    3-3マリアの無原罪の御宿り無原罪の御宿りの教義はマリア論ではあるが中心は「原罪論」だ。つまり罪と恵みの関係の問題だ。では、原罪とは何のことなのか(1)。原罪という言葉を聞くとすぐにいろいろな疑問が脳裏に浮かぶだろう。わたしは何も悪いことをしていないのにどうして罪人などと呼ばれるのか。自分がいつか死ぬのは罪を犯したからなのか。マリアはいつ原罪を免れたのか。イエスを宿した時か。それとも自分が生まれたとき(母アンナの胎内に宿ったとき)か。アダムが罪を犯したから全人類が原罪を免れなくなったのか。だから人間は必ず死ぬのか。ではマリアは死を免れているのか。生まれたばかりの赤ん坊(幼児)は無垢ではないのか。どうして汚れのない子どもが幼児洗礼を受ける必要があるのか。マリアの無原罪の御宿りの教義はこういう古くからある問いをめぐ...原罪は遺伝するー聖母マリア(8)(学びあいの会)

  • マリア神学は教皇至上主義の支柱か ー 聖母マリア(7)(学びあいの会)

    2マリア論の展開マリア論とは教義神学の一つで、マリアへの信仰や崇敬を対象として教義神学の中に位置づけようとする。歴史的経緯から実践神学としては教会論の中に位置づけられ(1)、また、教皇至上主義を擁護する議論として考えられてきたようだ(2)。マリア論Mariologiaという用語は、17世紀初めのニジド著『マリア論大全』(1602)で最初に使われ、19世紀には定着して用いられるようになったという。とはいえ、古代中世にもマリアを扱った著作は多い。たとえば、トマスなど中世のスコラ学者たちはマリアを受肉論のなかで扱い、中世の神学者スワレスも『キリストの生涯の秘跡』(1592)のなかでマリア論を展開していたという。おなじく、ペトロ・カニージオも『無比なる乙女マリア』(1577)のなかでマリアを論じているという。19世紀以...マリア神学は教皇至上主義の支柱かー聖母マリア(7)(学びあいの会)

  • マリアの「特権」とはなにか ー 聖母マリア(6)(学びあいの会)

    新型コロナウイルス対応で18都道府県に適用されていた蔓延防止等重点措置が3月22日に、全面解除された。当地では桜も満開を迎えた。だが当教会では4月も分散ミサが継続され、復活祭も皆でお祝いすることはできないようだ。ウクライナでの状況も予断を許さず、3月の学びあいの会も出席者の数は少なかった。満開の桜Ⅱマリア神学とは何か大仰なタイトルだが、議論の視点を定めるためにも、一応最低限の了解事項を共有しておく必要があるということであろう。1マリア神学の基礎マリアは「神の母」であることがマリア神学の基礎となる。「母」であるとはどういうことなのか。神の救いの業とは、神が御子キリストの「受肉」(1)と「復活」および「聖霊」の派遣によって人間を神と和解させ、永遠の命を与えることである。キリストは神と人間との「唯一の仲介者」である。...マリアの「特権」とはなにかー聖母マリア(6)(学びあいの会)

  • マリア信仰かフェミニズム神学か ー 聖母マリア(5)(学びあいの会)

    Ⅴ近・現代のマリア運動啓蒙思想の時代にはマリア信心は衰退したが、19世紀に入るとマリア信心は復活し始める。19世紀も近代と呼ぶなら(1)、この時代に多くのマリア大会が開催され、マリア関連の諸作が増え、マリア出現への関心が高まる。歴代の教皇に対して多くの国の司教からマリアを「恩恵の仲介者」と宣言するよう嘆願書が出される(2)。歴代の教皇たちはこの表現は誤解を招きやすく、エキュメニズムの思想に合わないとして永らく回避してきた。また、19世紀から20世紀前半にかけてマリア論者たちはマリアの「特権」を強調した。キリストについて当てはまることはマリアにも適用できるとして、マリアをキリストとの「共済者」として教義宣言するよう主張した。さすがこれは行きすぎたマリア信心だとして反省運動が起こり、第二バチカン公会議にまで議論は持...マリア信仰かフェミニズム神学かー聖母マリア(5)(学びあいの会)

  • マリアは恩恵の仲介者か ー 聖母マリア(4)(学びあいの会)

    Ⅲ中世西欧中世は停滞した暗黒の時代だったという、昔の日本の教科書によく見られた見方は現在ではほぼ消えたといえよう。中世は独自のダイナミズムを持つ豊かな時代だったという理解が支配的になってきているという。西欧中世をいつからいつまでと考えるかは諸説あるのだろうが、西ローマ帝国の滅亡(478)からアメリカ大陸の発見/到着(1492)までと考えてみる(1)。つまりざっと1000年間となる。中世をさらに初期(5~10世紀)・中期(11~15世紀)・後期と分けることも多いようだ。マリア崇敬で言えば東方教会では8世紀に頂点を迎え、西欧中世は13世紀を頂点とみてよいだろう。マリア論は修道院神学から大学神学へと中心が変化し、その姿も変貌していく。1修道院神学のマリア西方教会における神学は修道院でなされていた(2)。修道院神学は典...マリアは恩恵の仲介者かー聖母マリア(4)(学びあいの会)

  • マリアはキリストの神性を産んだのか人性を産んだのか ー 聖母マリア(3)(学びあいの会

    Ⅱ古代教会初期教会の時代にはマリア論はおもに「神の母」論が中心だったようだ。やがて教父時代に入るとグノーシス派との対決のなかで「処女母性」論が浮かび上がってくる。100篇を超えるといわれる「外典」(僞典)の流布のなかでマリアの「永眠」(終わり)を語るものは30篇を超えるらしい。マリア信心が広まっていく。なかでも「ヤコブ原福音書」の与えた影響が大きい。1初期教会時代のマリア理解①初期の信条「イエスが聖霊により乙女マリアから生まれた」との表現が見られる②「ヤコブ原福音書」(2世紀中頃の外典)これはエジプトで書かれたものらしく、マリアの誕生、幼年時代、ヨセフとの結婚、処女性、「洞窟」でのイエスの誕生などを詳しく述べている(1)。後年のマリアのイメージはこの外典(2)から大きな影響を受けているという(3)。③アンティオ...マリアはキリストの神性を産んだのか人性を産んだのかー聖母マリア(3)(学びあいの会

  • マリア信仰の歴史は古い ー 聖母マリア(2)(学びあいの会)

    第一部マリア神学【Ⅰ歴史】Ⅰ聖書新約聖書におけるマリアの記述は少ないといわれる。新約聖書がイエスの言行を描写したものなので、当然と言えば当然だろう(1)。新約でマリアの姿が最もよく描かれているのはルカだ。ルカは異邦人(主にギリシャ人)向けに書かれているとも言われるので、マリアが敬虔なユダヤ教徒であったことを強調しているようだ。他方共観福音書では最も古いと言われるマルコではマリアはほとんど言及されていない。マタイはユダヤ教徒向けの文書らしく、ユダヤ教徒を納得させるために、マリアではなくヨゼフ中心の誕生物語が描かれる。マリア信仰は伝承の世界で成熟してきたようだ。とはいえ、前提として聖書のなかでのマリアへの言及を比較しておこう(2)。【聖書のなかのマリア】1パウロ新約聖書で最古の文書であるパウロの書簡ガラティア4:4...マリア信仰の歴史は古いー聖母マリア(2)(学びあいの会)

  • マリア信仰は復活したか ー 聖母マリア論(1)(学びあいの会)

    2月の学びあいの会は、春を思わせる暖かい日差しのもとに開かれた。出席者は久しぶりに10名ほどだったが、男性は私だけ。今年も信徒総会(最近は信徒大会というらしい)は開かれず、「年次報告」が印刷物で配布されただけだった。当教会も信徒数が減り、献金が減り、収支決算は「縮小均衡化」が進んでいるという。なんでもコロナの所為にするのではなく、婦人会頼みの教会活動から早く抜け出したいものだ。明後日は灰の水曜日だ。大斎ではあるがフランシスコ教皇様は改めてウクライナのために断食と祈りを訴えておられる。4月の復活祭をちゃんと迎えられるのか、教会は来週から四旬節に入る。マリア論が始まった。マリア論は難しい。天使論とならんで難しい。難しい理由はいろいろあるだろうが、私が思うに、マリア神学はそれなりに整ってきたが、マリア信心は多様なため...マリア信仰は復活したかー聖母マリア論(1)(学びあいの会)

  • 宗教的多元主義への教会からの警告 ー 諸宗教の神学(了)(学びあいの会)

    Ⅵ宗教的多元主義への教会からの警告ー教皇庁教理省宣言宗教的多元主義に対する教会の立場を明らかにした宣言がある。2000年9月5日付でバチカンの教理省が発表した36ページの文書だ。教理省長官ヨーゼフ・ランッチンガー枢機卿(現名誉教皇ベネディクト16世)と秘書タルシシオ・ベルトーネ大司教が署名したものである(1)。内容は、宗教的多元主義を論ずるカトリックの神学者たちへの警告である。この警告は宣言という形をとっている。宣言(Declaratio)は一般に教会の「姿勢」を表明するもので、憲章や教令よりも軽いと言われる。だが、この宣言は神学者むけで一般信徒向けではないので、かなり厳しい表現が使われている。1目次教皇庁教理省『宣言主イエスーイエス・キリストと教会の救いの唯一性と救いの普遍性について』導入1章イエス・キリスト...宗教的多元主義への教会からの警告ー諸宗教の神学(了)(学びあいの会)

  • 遠藤周作は共感しますか嫌いですか ー 諸宗教の神学(6)(学びあいの会)

    Ⅴ宗教的多元主義5代表的宗教多元主義者③レイモンド・パニカー(RaimonPanikkar1918-2010またはRaimundo)インドのカトリック司祭で神学者。インド人のヒンズー教徒の父(生まれはスペイン)と、スペイン人のカトリック教徒の母(カタロニア生まれ)との間に1918年にバルセロナ(スペイン)で生まれる。聖書とヒンズー教の聖典を学ぶ。1942年叙階。インド・ヨーロッパ・北米で過ごし、20世紀で最も大胆で創造的な視野を持つ神学者の一人と評された。ヒンズー教と仏教をキリスト教に統合(merge)しようとしたという。宗教間対話の先導者。「エキュメニカルなエキュメニズム」を唱え、教会一致はキリスト教内だけではなく、全世界の宗教の一致運動だと提唱した。聖書にも教会教父にも、諸宗教に対するより包括的見解があると...遠藤周作は共感しますか嫌いですかー諸宗教の神学(6)(学びあいの会)

  • 宗教的多元主義は望ましいですか ー 諸宗教の神学(5)(学び合いの会)

    2022年度1月の学びあいの会は諸宗教の神学の続きである。オミクロン株の蔓延のせいだろうか出席者は数名だった。令和4年のお正月明けの私どもの教会は再び厳しい分散ミサに戻る。どの地区(組・班)でも土日のミサのうち月1回ミサの順番が回ってくるかどうかというくらい厳しい。しかも高齢者はミサに出ることはならんという神父様のきついお達しだ。オミクロン株が蔓延しつつあるからだろう。ごミサで聖体拝領ができないとは、教会は危機にあるとしか言いようがない(1)。今回は宗教的多元主義の主張が詳しく紹介された。だが教会は包括主義の立場に立たざるを得ず、諸宗教の神学は「明快な結論の出しにくい問題」だというのがS氏の結びの言葉だった(2)。まず宗教的多元主義の主張を見てみよう。宗教的多元主義については辞書的な知識はあってもその詳しい内容...宗教的多元主義は望ましいですかー諸宗教の神学(5)(学び合いの会)

  • 「無名のキリスト者」説の登場と退場 ー 諸宗教の神学(4)(学び合いの会)

    以上概観してきたように、キリスト教と他宗教を巡る議論は様々な形で展開された。結局これらの議論は三つの立場に整理されていったようだ。ここではイギリスの神学者アラン・レイスの分類を見てみたい(1)。宗教的排他主義・包括主義・多元主義の三つである。これはキリスト教の救済論の中で「レイスの三類型」と呼ばれ、最も標準的な類型論のようだ。とはいえ時代的制約もあり、現代の議論までは射程距離に入っていない(2)。Ⅳ現代における他宗教観の三つの方向S氏はここでは「方向」と表現しているが、「類型」と言い換えてみる。それは、教会が三つの異なった方向を目指しているという意味ではなく、救済論には三つの類型があり、教会の他宗教観はこの三類型からみるとよく見えるようになるという意味だ。どれか一つが正しいとか、どれか一つの方向に進まねばならな...「無名のキリスト者」説の登場と退場ー諸宗教の神学(4)(学び合いの会)

  • カトリック教会の他宗教観の理念 ー 諸宗教の神学(3)(学び合いの会)

    Ⅲ第二バチカン公会議の他宗教観第2バチカン公会議は他の宗教をどう見ていたのか。この「他の宗教」には正教会やプロテスタントも入るし、仏教やヒンズー教も入る。この他宗教観は「教会憲章」と「諸宗教宣言」のなかで表明されている。要約は難しいテーマだが、少し覗いてみよう。1「教会憲章」教会憲章の全8章のうち第2章は「神の民について」と題されている。神の民とは、カトリック信者だけではなく、他のキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、その他の宗教を信じる者、そして無神論者まで、同心円的に拡大して捉えている点が特徴的だ。人類全体を神の民と想定しているのであろう。14項はカトリック信者、15項はプロテスタント、16項はキリスト教以外の諸宗教を信じる者が取り上げられている。16項には、「まだ神をはっきりとは認めていないとはいえ、神...カトリック教会の他宗教観の理念ー諸宗教の神学(3)(学び合いの会)

  • 洗礼を受けてなくとも救われます ー 諸宗教の神学(2)(学び合いの会)

    Ⅱ教会の他宗教への態度の変遷教会は他の宗教をどう見ていたのだろうか。教会の他宗教への態度は時代とともに変遷していく。当初は、「教会の外に救いなし」論が支配的であった。教会の最盛期、第4ラテラノ公会議(1215)くらいまで続いたとみて良いであろう。やがて新大陸の発見、宗教改革を経て、トリエント公会議(1545-)で新たな段階に入る。「望みの洗礼」という新しい考え方が登場する。17世紀に入ると教会はジャンセニスム(1)と激しく戦い、結局この思想を異端として退け、「キリストの救いはすべての人のため」と宣言する。19世紀に入ると教会の発言に揺れが見られるようになるが、結局第二バチカン公会議(1962-1965)で、他宗教はおろか無神論者でも救われる可能性があると宣言された。1「教会の外に救いなし」論の根拠①聖書聖書の様...洗礼を受けてなくとも救われますー諸宗教の神学(2)(学び合いの会)

  • 「教会の外に救いなし」からの脱却 ー 諸宗教の神学(1)(学び合いの会)

    テーマが変わったせいか、今日の学び合いの会の出席者は多かった。10名は超えていたか。「諸宗教の神学」という言葉を聞かれたことがあるだろうか。クリスチャンの中では聞き飽きたという人も多いだろうが、今日の出席者の中でも初めて聞くという人もいたことであろう。「宗教間の対話」(キリスト教の司祭・牧師と仏教の僧侶との対話など)とか、「エキュメニズム」(教会一致運動)とかいう言葉の方がなじみ深いだろうが、諸宗教の神学とは、キリスト教がキリスト教の絶対性と他宗教(イスラム教、仏教など)との関係をどう捉えるかを探求する教義神学であり、宗教哲学でもある(1)。諸宗教の神学とはtheologyofreligions(複数形)の訳語で、宗教学における比較宗教論ではない(2)。キリスト教が他の宗教をどう見るか、クリスチャンは他の宗教を...「教会の外に救いなし」からの脱却ー諸宗教の神学(1)(学び合いの会)

  • 中東イスラム圏の最近の政治紛争 ー イスラム教概論28(了)(学び合いの会)

    Ⅹ中東イスラム圏の最近の政治紛争:米ソの介入(1)現在国連加盟国は193カ国だが(日本政府の承認国は195カ国)、ウイキペディアによると2020年時点で戦争に従事している国家や集団は24カ所くらいあるらしい。そのうち死者が1万人を超えるのは、アフガニスタン内戦・イラク内戦・・シリア内戦・メキシコ麻薬戦争だという。以下に中東の紛争で継続中のものを思いつくままにあげてみた。(世界の紛争地域:茶色大規模赤色中規模橙色小規模黄色小競り合い)①レバノン中東のレバント(地中海東部沿岸地域)に位置する共和制国家。シリアとイスラエルに接する。公用語はラビア語。人口は700万人弱。。宗教では、ざっと、キリスト教マロン派が1/3,シーア派が1/3、スンニ派が1/3といわれる。大統領はキリスト教徒、首相はスンニ派、国会議長はシーア派...中東イスラム圏の最近の政治紛争ーイスラム教概論28(了)(学び合いの会)

  • アメリカ同時多発テロはアメリカを変え、中東を変えた ー イスラム教概論27(学び合いの会)

    Ⅵアメリカ同時多発テロ1同時多発テロ事件2001年9月11日(火)の朝、イスラーム過激派テロ組織アルカイダはアメリカ北東部の空港から出発した飛行機4機をハイジャックし、アメリカ合衆国に4回のテロ攻撃をおこなった。アメリカ同時多発テロ事件(1)である。いろいろな背景が指摘されているが、アサマ・ビン・ラディンによれば、聖地メッカを有するサウジアラビア国内に米軍基地が置かれていることに反発したからだという。(グラウンド・ゼロGroundZero)2イラク戦争(第二次湾岸戦争)ブッシュ大統領(子)は2003年3月にに有志連合を作ってイラクおよびアフガニスタンに進軍した。ともに長期にわたる戦争となり、世界に与えた影響は大きい。イラクでは侵攻の理由として挙げられた大量破壊兵器は結局発見されず、2011年12月に米軍は完全撤...アメリカ同時多発テロはアメリカを変え、中東を変えたーイスラム教概論27(学び合いの会)

  • サダム・フセインの野望と3回の戦争 ー イスラム教概論26(学び合いの会)

    古代から中東の覇権争いのプレイヤーは変わっていない。エジプト・メソポタミア・ペルシャだ。やがてトルコが覇権争いに加わる。①イラン・イラク戦争1980・9-1988痛み分けイラクのサダム・フセイン(1937-2006)は中東制覇の野望を抱き、革命後のイランを攻撃した。1979年にイラン革命によってイランにシーア派のイスラム共和国が成立したばかりだ。イラン・イラク戦争が始まる。、欧米各国、ソ連や中国は革命の波及を恐れてイラクを支援した。戦いは実に8年におよんだ。両軍は多大な犠牲を払いながらも決着はつかず、1988年にイランは国連の停戦決議を受け入れた。形式的にはイラクの勝利だが、実質痛み分けと言って良いようだ。②クエート侵入と湾岸戦争1990年8月2日にフセインは突如クエートを侵攻し、占領した。小国クエートはひとた...サダム・フセインの野望と3回の戦争ーイスラム教概論26(学び合いの会)

  • ソ連のアフガン侵攻はソ連のベトナム戦争だった ー イスラム教概論25(学び合いの会)

    Ⅳソ連のアフガン侵攻ソ連軍のアフガニスタン侵攻は1979年から1989年まで実に約10年に及ぶ。長期化した戦争による被害は大きかった。ソ連軍の撤退後もアフガニスタンで内戦が続いている。1ソ連・アフガニスタン戦争(1979-89)(1)①1979年12月24日ソ連がアフガニスタンに軍事介入アフガン人民民主党(共産主義政党)の要請とされる②「ムジャーヒディーン」とよばれる抵抗運動が生まれる③ソ連のアフガン侵攻は、異教徒によるイスラムの土地への侵略とされた④この侵略への対抗は全ムスリムの責務とされ、アフガンはジハード主義者たちの聖域となる⑤アフガンとパキスタンにジハード主義者たちが集結した。アメリカ・サウジアラビア・パキスタンはこれを支援し、両者は冷戦の最前線としてソ連に対抗した(2)⑥エジプト・アルジェリア・シリア...ソ連のアフガン侵攻はソ連のベトナム戦争だったーイスラム教概論25(学び合いの会)

  • 予想外のホメイニー革命の成功と持続 ー イスラム教概論24(学び合いの会)

    Ⅲイランのホメイニ革命ホメイニー革命(イラン革命)とは、イラン・パフラヴィー朝において1978年1月に始まった革命のこと。フランスに亡命中であったアヤトラ・ルーホッラー・ホメイニーを精神的指導者とするイスラム教十二イマーム派(シーア派)の法学者と民衆勢力が、モハンマド・レザー・バフラビー国王の専制に反対して革命を起こし、1979年2月11日に政権を奪取した革命をさす(1)。専制を排除し、「イラン・イスラム共和国」を成立(4月1日)させたという意味で民主主義革命であったが(2)、ホメイニーをアヤトラ(最高指導者)(3)とするイスラム回帰の反動的革命(4)だったとも言われる。1979年11月イラン・アメリカ大使館人質事件アメリカとの対立激化1979年イスラム革命の波及を恐れたソ連がアフガニスタンに侵攻1980年イラ...予想外のホメイニー革命の成功と持続ーイスラム教概論24(学び合いの会)

  • 世界の難民中5人に1人がパレスチナ難民 ー イスラム教概論23(学び合いの会)

    パレスチナ難民は、1947年の「国連パレスチナ分割決議」に端を発して生まれたという。国連難民条約の適用を受けることもないので、常に軍事的脅威にさらされていると言われる。周辺国に逃れた難民は560万人近かったという。無国籍で、すでに第3,第4世代になっており、ほとんど難民キャンプで生活しているという。世界中の難民総数の5人に1人がパレスチナ難民だという(1)。中東和平問題は変化の兆しがあるが、難民問題は別でここ数年さらに深刻化しているとようだ。(イスラエル警官隊とパレスチナ人)3パレスチナ難民問題パレスチナ難民とは誰なのか。それがどういう意味で「問題」なのか。そもそもパレスチナ人とはどういう民族なのか。そして「中東和平」問題とはなんのことなのか。詳しい話は専門書に任すとして、ここでは次のように理解しておきたい。パ...世界の難民中5人に1人がパレスチナ難民ーイスラム教概論23(学び合いの会)

  • イギリスの三枚舌と中東情勢 ーイスラム教概論22(学び合いの会)

    以下前回主要な要因として挙げた項目を順番に見ていきたい。Ⅱ中東問題の背景と経緯【一】オスマントルコ領の分割中世末から近世にかけて隆盛を誇り、ヨーロッパを圧倒したオスマン・トルコ帝国も18世紀には衰退した。第一次世界大戦では同盟国(ドイツ)側に加わり敗北する(1)。西欧列強はすでに大戦中にその領土の分割を図っていた。①サイクス・ピコ秘密協定(Sykes-PicotAgreement)1916年5月、英仏露間で第一次世界大戦後のオスマン帝国の領土分割を約した秘密協定。サイクスはイギリスの、ピコはフランスの外交官の名前。3国それぞれの勢力範囲を定め、パレスチナを国際管理地域とした。この協定は、アラブ独立を約束したフサイン・マクマホン書簡、ユダヤ人国家の建設を黙認したバルフォア宣言と矛盾していた。やがてシリア・キルキア...イギリスの三枚舌と中東情勢ーイスラム教概論22(学び合いの会)

  • 敵の敵は味方の中東情勢 ー イスラム教概論21(学び合いの会)

    学び合いの会でのイスラム教概論は今日で最後となる。コロナ禍の中で中断もあったが、1年あまりよく学んだ(1)。この間アフガニスタンでタリバンが政権を奪い、アメリカ軍が撤退し、タリバンとIS(イスラム国、IS-K)との対立が深まるなど、イスラム教についてのわれわれの勉強もなかなか追いつかない。今日はイスラム教と現在の中東情勢のとの関わりが紹介された(2)。複雑なテーマなのでどのような視点から、どのような枠組みで整理するかが問われれる。今日のS氏の整理は簡潔で時宜にかなったものであった。補足を加えながら要約してみたい。Ⅰ現在の中東情勢1混乱と不安定一言で言えば、現在の中東は「政治的な混乱、社会的な不安定性」という言葉で特徴づけられよう(3)。その原因をイスラム教という宗教にだけ求めることはできないが、イスラム教との関...敵の敵は味方の中東情勢ーイスラム教概論21(学び合いの会)

  • 「また司祭とともに」から「またあなたとともに」へ

    今日のミサは「王たるキリスト」の祝日のミサだ。イグナチオ教会では堅信式が行われていたし、関口教会では「世界青年の日」が祝われ、また東京教区の「ミャンマーデー」のミサでもあった(1)。今年もいよいよ終わりである。来週から待降節が始まる。来年(正確には2022年11月27日待降節第一主日)から新しいミサの式次第が始まるという。つまり、ミサでの式文(お祈りの「ことば」)がかなり変わるようだ。私どもの教会ではまだ司祭からのお知らせや説明はないので、変更(修正)の経緯や規模はまだわからない(2)。カトリック中央協議会のホームページを参考に、典礼委員会発行の書籍『新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」の変更箇所――2022年11月27日(待降節第1主日)からの実施に向けて』を購入し、読んで少し学んでみた(3)。写真ミサ式...「また司祭とともに」から「またあなたとともに」へ

  • イスラム教とキリスト教は和解できるのか ー イスラム教概論20(び合いの会)

    難しいテーマなのでS氏主張の論点のみを要約しておきたい。イスラムはユダヤ教とキリスト教から発生した宗教であるから、キリスト教との共通点は多い。共通点と異なる点をまとめと次のようになる。1共通点ムハンマドは文盲だったとも言われ、聖書を読んだことも聖書朗読を聞いたこともなかったと言われる。ただ、ユダヤ教徒やキリスト教徒との交流を通じて聖書の内容は知っていたと思われる。創世記25章に依拠して、アラブ人はアブラハムーイシュマイルの子孫と考えていたようだ。教義上の共通点:神の唯一性・偶像崇拝の禁止・無からの創造・天使と悪魔の存在・啓典の書・最後の審判・肉体の復活・永遠の生命・地獄の刑罰預言者:旧約聖書の多くの人物を預言者として認める:アダム・ノア・アブラハム・イサク・イシュマイル・ヤコブ・ヨゼフ・モーセ・ダビド・ソロモン...イスラム教とキリスト教は和解できるのかーイスラム教概論20(び合いの会)

  • イスラム王朝は復活するのか ー イスラム教概論19(学び合いの会)

    学び合いの会は7月以来三ヶ月ぶりに開催された。コロナ禍が収まりつつあるなか教会の集会室の扉が開かれたとはいえ、出席者は10人ほどであった。皆さん全員マスク姿で、雑談もままならない状態だった。今回のテーマは「イスラム教の歴史」と題されていた。イスラム世界の歴史をどのようにして通して語るのか、興味深いテーマだ(1)。キリスト教の歴史は、いろいろな語り方があるだろうが、結局は「教会史」だ。教会の歴史を学ぶことがキリスト教の歴史を学ぶことになる。ところが、イスラム教には教会や教皇庁に対応する組織がない。モスクを語ってもイスラムの歴史を語ることにはならない。それはイスラムの歴史は「帝国」または「国家」の歴史だからだ。帝国の成立と滅亡を語ることがイスラムの歴史を語ることになる(2)。帝国と言えば、イスラム世界の歴史は複雑す...イスラム王朝は復活するのかーイスラム教概論19(学び合いの会)

  • 主日ミサが再開された ー 2021年10月

    2021年(令和3年)4月に出された緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置が、9月30日をもって全都道府県で解除された。これにともないわたしの所属教会でも10月9日からミサが再開された。これほど嬉しいことはなく、わたしの所属する「組」も今日24日のごミサに出てよいこととなった。喜び勇んでごミサに出てきた。それでも出席者は20名ほどであった。相変わらず「組」ごとの、つまり地区ごとの、分散ミサという形での再開である。コロナ禍後のミサの再開形式は、教区ごとに、小教区ごとに異なるようで、主任司祭の意向で(または教会委員会の意向で)多様なようだ。完全に元の形に戻った教会もあると聞くが、わたしの所属教会では分散ミサが続いている。いくつかの部会の教会活動も少しづつ動き始めたようだ。ミサがもとの形に戻るには時間がかかるのだろうが...主日ミサが再開されたー2021年10月

  • 神学は知恵である ー 『今日のカトリック神学』の要約(最終)

    この最後の第3節は「学術と知恵」と題されている。結局神学は単に学術であるだけではなく、知恵そのものであり、他の学問を知恵へと招くものであるというのが主旨のようだ。神学は知恵である。英知である(1)。あまり聞き慣れない表現だろうが、よくかみしめてみよう。人間は部分的な諸真理に満足できない。究極的な真理を理解したいと望む。そして神学は究極の真理は「超越的」であると主張する(2)。イエスがヨハネ福音書で最初に語った言葉が繰り返される。「何を求めているのか」(ヨハネ1・38)あなたは何を求めているのか(3)。それは知恵ではないですか、というのが本文書の主張のようだ。第3節学術と知恵[旧約での知恵]旧約の知恵文学(4)は知恵を天的・女性的に擬人化して知恵神話を語る。知恵は実践知だけを意味するのではない。旧約の人々は、自然...神学は知恵であるー『今日のカトリック神学』の要約(最終)

  • 神学は学問なのか ー 『今日のカトリック神学』の要約(7)

    カトリック神学はそもそも学術(学問)なのか?この素朴な問いに、本文書は「神学は・・・学界において独特の立場を要求する」と宣言する。近代において合理主義と実証主義によって神学が学術の世界から追い出されてしまったことへの、国際神学委員会の反論と挑戦である。では、「独特の立場」とは何か。神学はどのような学術として認められたいのか(1)。第2節方法および専門分野の多様性における神学の唯一性第2節はこのように題されているが、「多様性における唯一性」とはなんともわかりづらい。要は、この節は二つのことを言っている。まず、神学は専門分化が進み、「諸神学の複数性」(2)が生まれたという指摘と、第二に、神学は「他の諸科学」との交流による「学際的な協力」のもとに発展してきているという指摘だ。この神学の専門分化と他の諸科学との相互作用...神学は学問なのかー『今日のカトリック神学』の要約(7)

  • 現代神学はポストモダンを乗り越えたか ー 『今日のカトリック神学』の要約(6)

    第3章は「神の真理を説明すること」と題されている。大仰なタイトルだが、文章は謙虚に書かれている。この章は3節からなっている。本章は、神学は神の真理を説明できると言っているわけではない。神学が神の「真理」を説明するとは、神学が神の「啓示」を、「理性」を用いて、「合理的方法」を使って、「霊的体験」と結びつけて、真の「知恵」(英知とでも訳すべきか(1))へ通じようと努力することを意味する、と述べているようだ。神のことばは啓示だが、啓示はなにか神から人間に一方的に与えられ、人間がただ受動的に受け取るもの、という印象を持ちやすい。本文書はこれは間違いだという。啓示は受動的に受け取るものではない。人間は「知性」を通じて、啓示された真理を能動的に受け入れる(2)。知性は、真理を理性的で学術的に表現しようとする(3)。第1節神...現代神学はポストモダンを乗り越えたかー『今日のカトリック神学』の要約(6)

  • 時のしるし ー 『今日のカトリック神学』の要約(5)

    第2章教会の交わりのうちにとどまること第5節神学者たちの交流神学者の奉仕も個人的であると同時に、共同体的・団体的でもある(1)。神学者の仕事は同じ召し出しを持っている人々との連帯の中で実現される。では、神学者とは具体的に誰のことを言うのか。どういう人を神学者と呼ぶのか。誰がそう呼ぶのか。資格はあるのか、などなどいろいろ疑問がわいてくるがここでは簡単に説明されている。神学者とは、神学部や学校で神学を教えたり、神学会の会員であったり、著作家だったり、教師だったりする。いわば専門的な神学者だ。他方、叙階を受けた神学者や、修道生活を送る神学者もいる。また、最も数が多いのは「信徒神学者」だ。信徒神学者は、他の神学者たちが持っていない経験、すなわち、「教会と世界、福音と生活都内だの相互作用に関する分野の経験を持っている」(...時のしるしー『今日のカトリック神学』の要約(5)

  • 「信仰者の感覚」に配慮する ー 『今日のカトリック神学』の要約(4)

    第2章教会の交わりのうちにとどまること第3節「信仰者の感覚」への配慮信仰者の感覚とはわかりづらい日本語訳だが(1)、要は、一般信徒の考え方、思想、運動という意味だ。神学者は、聖書と教導権(教皇・司教・司祭)に耳を傾けるだけでは不十分だ。神学者は「信仰者の感覚」にこそ耳を傾けねばならない。「信仰者の感覚への配慮はカトリック神学の基準」だという(37頁)。信仰者の感覚といっても、なにも特定の時代・地域・文化の多数意見のことではないし、また、司教や司祭から教えられたことをオーム返しに「後追いで肯定する」ものでもない。信仰者の感覚は、「教会内で神のことばを受け取り、理解し、生きる神の民のうちに深く根づいている信仰の感覚」のことを意味するという。具体的に言えば、それは、大衆の経験や表現、教会内の新しい思想や運動の諸潮流の...「信仰者の感覚」に配慮するー『今日のカトリック神学』の要約(4)

  • 教会の交わりのうちにとどまること ー 『今日のカトリック神学』の要約(3)

    このような表題はなにかすごく護教的に聞こえる。護教的であることが悪いことではないが、無教会主義(1)にだって集会があり人間の交わりがある。だから交わりの中身が問題となる。国際神学委員会は教会の社会会関係、相互作用をどのようにみているのかこの章は長い。6節からなり、翻訳で27頁に及ぶ。この章では、具体的には、神学者と司教との関係、つまり、神学と教導権の関係、が議論の焦点となっている。いろいろ細かく論じられるが、結局は教導権は神学に優るが神学を必要とする、という言明に修練していくようだ。本章のまず始めに、「神学は教会的性格を持っている」と述べられる。なぜなら、信仰は神学に基づき、信仰は個人的であると同時に教会的だからだという(2)。第1節神学のいのちとしての聖書研究聖書研究は神学のいのちそのものだという。神学が真理...教会の交わりのうちにとどまることー『今日のカトリック神学』の要約(3)

  • 神のことばに聞くー『今日のカトリック神学』の要約(2)

    【序】カトリック神学は第二バチカン公会議によって開かれた道を歩んできている(1)。だが、カトリック神学は保守的なものから急進的なものまで「ある種の断片化」がみられる。カトリック神学は「同一性の明確な感覚」を必要としている。では、同一性とは何か。ここでは、「神学の唯一性と多様性」のことだという。「カトリック神学のうちに唯一性における多様性、多様性における唯一性」が同定されることが求められているという。「国際神学委員会」の主張を具体的に見てみよう(2)。【第1章神のことばに聞くこと】神学とは、通常は、神の存在を証明する学問だといわれる(3)。本文書では、「神学は・・・神の啓示に関する知的な省察」と定義されている。「神の啓示」がキーワードだ。第1節神のことばの重要性神のことばは、ヨハネ福音書の「プロローグ」で始まる。...神のことばに聞くー『今日のカトリック神学』の要約(2)

  • 神学が哲学に基盤を求めているー『今日のカトリック神学』の要約(1)

    4回目の緊急事態宣言のもと当方の教会も完全に閉じられ、学び合いの会は全く開くことができない状態が続いている。そこで、勉強中の『今日のカトリック神学』を少しまとめてみた。私どもの教会は完全に立ち入り禁止で、信徒会館にすら足を踏み入れることができない(1)。司教の判断か、教区司祭の判断かはわからないが、当教区と東京教区との対応姿勢の違いを感じている。教会の中でも、地球規模のコロナ禍は近代文明に対する神の怒りだとか陰謀説のようなものが広まっていると言うが、ここは一歩踏みとどまって冷静に対応していきたいところだ。さて、この『今日のカトリック神学ー展望・原理・基準」(カトリック中央協議会)はほぼ10年前2013年に出版されたものである。これはヴァチカンの「国際神学委員会」が教皇庁に2011年に提出し、教皇庁教理省が201...神学が哲学に基盤を求めているー『今日のカトリック神学』の要約(1)

  • カリフは全イスラム世界を統一できるのか ー イスラム教概論18(学び合いの会)

    【Ⅱ】イスラム政治論の展開1アッバース朝の変質アッバース朝では成立後100年もたたないうちにカリフ制が崩壊し始める。各地の知事や軍司令官が地方権力を奪取して世襲を始める。奴隷出身の軍閥が多く「奴隷軍団」とも呼ばれたようだ。モロッコのイリース朝(786-985)、チェニジアのアグラフ朝(800-909)、イランのターヒル朝(821-873)、鍛冶職人から身を起こしたイラン東部のサッファル朝(867-908)、イラン系土着貴族のサーマーン朝(875-999)はサッファル朝を破る。やがてチェニジアのファティーマ朝(909-1171)はシーア派でカリフを称し、エジプトを侵略した。アッバース朝の建国後破れたウマイヤ家のアブド=アラフマーン1世は北アフリカに逃れ、756年にイベリア半島に渡って後ウマイヤ朝(756-1031...カリフは全イスラム世界を統一できるのかーイスラム教概論18(学び合いの会)

  • カリフと教皇の違い ー イスラム教概論17(学び合いの会)

    今回のカリフ制の議論の中で、カリフと教皇の違いが繰り返し言及された。そのなかでカトリックの「カテキズム」が紹介され、カトリックの神秘主義とイスラム教の神秘主義の違いが説明された。どれも大問題だが、イスラム教についてほとんど知識を持たないわれわれにとり、カトリックのカテキズムについての最低限の知識は必要だろう。1まず、カリフと教皇の違いは次のような説明であった。教皇:教義の解釈、秘跡の授与などをおこなう宗教的権威を有するカリフ:聖法の執行者であり、聖法や教義を解釈する宗教的権威は持たない教皇は宗教的権威者、カリフは政治的権威者といえそうだが、カリフの場合は政治権力はスルタンが握っているので区別が難しそうだ。問題は、教義の解釈権を誰が握っているのか、だ。カトリックでいえば、教皇と公会議の対立であり、イスラム教でいえ...カリフと教皇の違いーイスラム教概論17(学び合いの会)

  • カリフ制とイスラム政治 ー イスラム教概論16(学び合いの会)

    Ⅸカリフ制【Ⅰ】イスラムと政治1イスラムとスイヤーサースイヤーサーsiyasaとは「政治」のことらしいが、イスラム教は政教一致の宗教であり、政治は宗教と結びついている。ここでは「カリフ制」の特徴が論じられる。2カリフ制の意味カリフ制とは「カリフを首長とするイスラム共同体(ウンマ)の統治制度」と定義されている(「角川世界史事典」)。ウンマは、精神的側面のみならず実際的生活にも関わるため、法執行のための政治権力が必要となる。すなわち、政治とはシャリーアを現実に適用するための統治(政教一致)のことであり、具体的にはカリフ制のことを意味するようだ(1)。カリフkhalifaとは「後継者」という意味らしく、ムハンマドの死後、共同体の指導者の地位を引き継ぐ者のことで(2)、政治的最高指導者であり、知事・裁判官・軍司令官など...カリフ制とイスラム政治ーイスラム教概論16(学び合いの会)

  • スーフィズムは修行論か哲学か ー イスラム教概論15(学び合いの会)

    タッサウフ(タサッウフ)Tasawwufとはイスラム神秘主義のことで、欧米では一般にスーフィムSufismと呼ばれる。特定の教派というよりは一つの思想運動らしく、イスラム諸国には現在も様々なスーフィズム系「教団」が存在しているようだ。歴史的には、9世紀以降のイスラム教の世俗化に反発する改革運動として生まれ、修行によって神との神秘的一体化を目指す運動として発展したようだ。現在はその修行の方法(音楽や舞踏)が注目されているという。思想的に政治的権威を認めないためにイスラム各国の政府からは危険視されているというが、他方、イスラム国のようなイスラム原理主義をとらないためにイスラム教の反テロリズム思想として注目されてもいるようだ。スーフィズムは拡大発展しつつあるのかもしれない(1)。イスラム教の神秘主義思想はどのような特...スーフィズムは修行論か哲学かーイスラム教概論15(学び合いの会)

  • イスラム教における神学と哲学の対立 ー イスラム教概論14(学び合いの会)

    7月も学び合いの会の参加者は多かった。15名はおられたようだ。コロナ禍のなか猛暑が続き、東京オリンピックも始まってテレビ漬けになりがちだが、コツコツと学ぶことを楽しむ同好の士が多いことは励みになる。今日のテーマは、イスラム教におけるカラーム論(神学)、タッサウフ論(神秘主義)、スイヤーサー論(政教一致)と多岐にわたったが、どれもカトリック神学との比較に力点が置かれていた。S氏のカトリック神学観を垣間見るようで興味深かった。極めて一般的に言えば、キリスト教では神学の位置づけは高い。キリスト教は神学とともに発展したともいえる。他方、イスラム教は実践的・倫理的性格が強く、神学の位置づけは低く、法学として発展したともいえそうだ。とはいえ、イスラム教でも、自らの信仰を基礎づける努力は、思弁神学として異端視されながらも、続...イスラム教における神学と哲学の対立ーイスラム教概論14(学び合いの会)

  • シーア派は異端か(その2) ー イスラム教概論13(学び合いの会)

    Ⅵ宗派(正統と異端)ースンナ派とシーア派その他2シーア派Shia2-1シーア派とは何か「シーア」とは「党派」を意味する。シーア派はもともと「シーア・アリー(アリーの党派)」と呼ばれた。「アリーを支持する党派」という意味のようだ。ムハンマドの後継者(カリフ)はムハンマドの従兄弟で、ムハンマドの義理の息子となったアリーおよびその子孫だけであると主張する一派である。現在は、カリフではなく、イマームを指導者とする(1)。シーア派は現在はイラン、アゼルバイジャン、バーレーン、イラクでマジョリティのようだが、イラン以外の国には当然スンニ派もいる(2)。2-2シーア派発生の経緯ムハンマドは、預言者(宗教指導者)であり、同時に軍事指導者(政治指導者)であった。ムハンマドの死とともに預言者の役割は終了した。ムハンマドは最後の預言...シーア派は異端か(その2)ーイスラム教概論13(学び合いの会)

  • イスラム教の正統と異端(スンナ派とシーア派の対立その1)ー イスラム教概論12(学び合いの会)

    Ⅵ宗派(正統と異端)ースンナ派とシーア派その他イスラム世界には歴史的に様々な宗派が存在してきた。現在でもいくつかの分派が存続している。だが現在はスンナ派とシーア派が二大勢力であり、その他は微々たるものだという。イスラム教の信者数を16億~18億人として、スンナ派が90%、シーア派が10%といわれる(1)。ここでは簡単にスンナ派とシーア派の比較が紹介されるが、イスラム教の歴史的発展の知識がないとフォローが難しい。私は全く勉強したことがないので、年表でも見てみよう。イスラム教関連年表(2)歴史的には、やはり680年にフサインが殺害され、スンニ派とシーア派が分裂していったことと、1979年のイラン革命によりイランがシーア派による厳格なイスラム教国になったことが目につく。神学的にはムハンマドの後継者の条件をめぐる各宗派...イスラム教の正統と異端(スンナ派とシーア派の対立その1)ーイスラム教概論12(学び合いの会)

  • イスラーム法学者とは何者か ー イスラム教概論11(学び合いの会)

    Ⅴイスラーム法ーシャリーア(Sharia)(聖法)4イスラム法学イスラム法学とはイスラム法(シャリーア)に関する解釈学のことだ。といっても、なにか制定法とか条文の実務的な説明を行う学問ではなく、一種の「哲学・思想」のようなものらしい。イスラム法は実定法ではなく、自然法(神が定めたもの)みたいなものだから当然だろう。ムスリムには、法律を制定するとか、改正する、とかいう観念が理解できないという。法は神から与えられるものだと理解しているかららしい。イスラム世界はまだ宗教改革も近代革命も経験していない。S氏はイスラム法学について次のように説明している。①イスラムでは、人間の理性によるのではなく、神意によって法律的判断が下される②イスラム法学とは、シャリーアと個別的法規の律法、解釈、適用に関する学問である③イスラムはカリ...イスラーム法学者とは何者かーイスラム教概論11(学び合いの会)

  • スラーム法は神の掟だ ー イスラム教概論10(学び合いの会)

    Ⅴイスラーム法ーシャリーア(Sharia)(聖法)1シャリーアの意味イスラム教にはいわゆる「近代法」はない(1)。かわりに「イスラム法」と呼ばれる「規範」が存在する。イスラム法とはシャリーアの訳語だ。「聖法」と訳すこともあるようだ。つまり、「神が定めた掟」という意味で、人間が定めた法・法律ではない。シャリーアは人定法ではない(2)。行為の正邪の判断、人間の従うべき規範は人間の「理性」ではなく神の「啓示」によるという考え方だ。つまり、コーランが判断の根拠になるという考え方だ(3)。シャリーアとは普通「水飲み場に通じる道」のことだと説明される。神の掟はそれをたどれば命の泉に連れて行ってくれるという意味のようだ。一般的にいえば人間の倫理規範・行為規範ということになるだろうか。シャリーアは具体的には「コーラン」(神の啓...スラーム法は神の掟だーイスラム教概論10(学び合いの会)

  • 「イスラム国」(IS)は「妄想」だった ー イスラム教概論9(学び合いの会)

    6月の学び合いの会は参加者が多かった。15名はおられたようだ。喜ばしいことではあったが、小さな集会室は文字通り「三密」だった(1)。今回のS氏の解説は前回までとは少しトーンが異なり、イスラム教への批判的視点の強調が印象的であった。今回のテーマはイスラム法学が中心だったせいかもしれない。イスラム教は「イスラム神学」としてはほとんど発展せず、「イスラム法学」(2)として発展し、キリスト教の発展との違いが対照的であったからであろうか。Ⅳ共同体ーウンマ1ウンマとは何かウンマ(umma)とは普通名詞で、「信仰共同体」のことをさすという。よく聞く用語だが、その指し示す範囲は時代と共に変化し、明確では無いようだ。部族・民族単位の信仰共同体だったり、事実上近代国家の範囲を指したり(つまり政治団体)、場合によっては地球規模のイス...「イスラム国」(IS)は「妄想」だったーイスラム教概論9(学び合いの会)

  • 三位一体の主日とペスト・コロナ

    三位一体の主日ミサに出てきた。教会での私の所属班の順番ではないので出てはいけないミサなのだが、三位一体の祝日なので出ないわけにはいかない。しかもコロナの終息を祈る貴重な機会なのだ。天気も良かったが、ごミサの出席者は少なかった。10数名だったか。祝日なのにと思わなくもなかったが、高齢者はミサに出てはいけないというのだから致し方あるまい。三位一体の主日はペストと切り離せない。ヨーロッパの大都市には巨大な「三位一体像」が町の広場に立っていることが多い。「ペスト記念像」が多いという。ペストの終息を祝って建てられたものが多いらしい。(三位一体像)諸説あるようだが、ヨーロッパにおけるペストの流行は三度あった。最初は6~8世紀、第二回目は14~15世紀(1)、第3回目が19~20世紀だという。第二回目は中国が発生源でイタリア...三位一体の主日とペスト・コロナ

  • 一夫多妻と聖戦は当然だ ー イスラム概論8(学びあいの会)

    コーランの思想その3ームアーマラート(1)ムアーマラートとは共同体内の倫理のこと。シャリーアのうち世俗生活にかかわる法的規範のこと(1)。イスラム共同体の内部の人間相互の正しい関係について定めた倫理規範、法規のことをさすという。以下の15項目が挙げられているという(2)。①神の他に別の神を設けないこと②両親に優しく接すること③近親者・貧者・旅人に与えるべきものを与えること④浪費をしないこと⑤吝嗇(りんしょく)を避けること⑥貧困を恐れて我が子を殺さないこと⑦姦淫(かんいん)に近づかないこと⑧不当に他人を殺さないこと⑨孤児の財産に手を触れないこと⑩契約を守ること⑪量目を正しく計ること⑫自分の知らないことを行わないこと⑬得意然として歩かないこと⑭その他忍耐すること・偽証しないこと・訪問・挨拶・食事・言葉遣いの規定⑮日...一夫多妻と聖戦は当然だーイスラム概論8(学びあいの会)

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