前回「仕事人生が一周した話。TIMEX TV に取材してもらった」に戻る オン・ジャパン株式会社 共同代表 兼
前回「アクティブ超人コマダとめぐる大人の仮入部。Beginのライターになった話」に戻る 新年になると、「今年の
アクティブ超人コマダとめぐる大人の仮入部。Beginのライターになった話。
前回「神様からのメッセージを台無しにする人とは」に戻る 「博紀はいつか物書きになるかも知れないわね。 あなたの
仕事人生が一周した話。TIMEX TV に取材してもらった。
前回「北海道マラソンの舞台裏。Hokkaido Is On.」に戻る 真剣に向き合ってきた二つのブランドへの想
前回「神様からのメッセージについて」に戻る 前回の記事で、実際的な意味における「神様からのメッセージ」について
前回「一年の計は元旦にはない」に戻る 最初に言っておくと、宗教的なことを書くつもりはない。 あくまで実際的なこ
前回「2022年、ハマのダンディズム的最大ニュース」に戻る 2022年が通り過ぎたかと思ったら、もう2023年
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2022、5人目。『On Tokyo Store Lead』松尾 僚介」に
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2022、5人目。「On Tokyo Store Lead」松尾 僚介。
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2022、4人目。「くれいじーかろ」甲斐 大貴 松尾 僚介、勝手にマン・オブ・ザ
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2022、4人目。「くれいじーかろ」甲斐 大貴。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2022、3人目。『グランドマスター』染谷 真之介」に戻る この投稿で、彼
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2022、3人目。「グランドマスター」染谷 真之介。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2022、2人目。『ダース・あおい』近藤 碧」に戻る 狂気のサウナーにして
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2022、2人目。「ダース・あおい」近藤 碧。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2022、1人目。『俺たちのランコンシェルジュ』木村 泰裕」に戻る ランニ
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2022、1人目。「俺たちのランコンシェルジュ」木村 泰裕。
前回「秘技・雨雲ずらし。大切なときは必ず晴れる」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ
前回「北海道マラソンの舞台裏。レース前日にSUIちゃんの歌で勇気を」に戻る 2022年8月28日
北海道マラソンの舞台裏。レース前日にSUIちゃんの歌で勇気を。
前回「北海道マラソンの舞台裏。Onの参加賞Tシャツを着て、レース翌日にモーニングラン」に戻る 北海道マラソンまであと4日。 準備のできている人も、そうでない人も、ワクワクしたり、少し不安になったりしている頃だと思う。 自分にも何度となく覚えがある。 歌の力を借りるのもあり。 はじめての宮古島トライアスロンに出場したときのことだ。 自分のフィニッシュシーンを具体的にイメージしながら、その瞬間を彩る「テーマソング」を心の中で流していた。 レース中も苦しい局面になるたび、テーマソングを心の中で流しながら、繰り返しフィニッシュしている自分をイメージした。 自分を「勝ったも同然」状態にするため、信じ込む力だけではなく、歌の力も借りたのだ。 そして、それはとてもうまくいった。 宮古島トライアスロン挑戦記 2014 「勝ったも同然」に込めた意味。幸せの前借り。 シンガーソングランナーSUI が札幌で歌う。 北海道マラソンレース前日の土曜日、シンガーソングランナーのSUIちゃんがステージで歌ってくれることになった。 北海道マラソンEXPOの開催される「大通公園」で、午前11時と午後3時半の2ステージだ。 「チャレンジャー」と「奇跡の裏側」の2曲は、2ステージともに歌うとSUIちゃんから教えてもらったので、事前に予習しておいて欲しい。 挑戦を続ける人たちに向けた「チャレンジャー」と、これから奇跡を起こしたいと願う人に向けた「奇跡の裏側」。いずれもマラソンの応援歌として力を与えてくれることだろう。 チャレンジャー 奇跡の裏側 そしてSUI も走る。 2回のステージで歌った翌日、SUIちゃんも北海道マラソンを走る。 シンガーソングランナーSUI、北海道マラソンを走る。 pic.twitter.com/8mU91IghsV — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 24, 2022 応援歌を歌った人が、みんなと一緒に走ってくれる。 これほど心強いことはない。 次回に続く ※ あなたの北海道マラソンのテーマソングに。 にほんブログ村
北海道マラソンの舞台裏。Onの参加賞Tシャツを着て、レース翌日にモーニングラン。
前回「北海道マラソンの舞台裏。渾身のサポート企画。Onスペシャルエイドステーション」に戻る Onは、北海道マラソンのオフィシャルウェアパートナーとなった。 北海道マラソンオフィシャルウェアパートナー。 pic.twitter.com/az1XSSwLCq — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 22, 2022 参加賞Tシャツの問題点。 オフィシャルウェアパートナーとは、大会参加賞のTシャツがOnのデザインになるということだ。 商品として発売されている Onのランニングアパレルが参加賞になるということではなく、今回の北海道マラソンに参加するランナーのために、特別なデザインのTシャツが贈られるということだ。 参加賞Tシャツというものは、もらったその時は少し嬉しくなるのだが、レース後も継続して着続ける人はあまり多くない。寝巻き等として使われれば良い方で、レース後に捨てられてしまうことも多いと聞く。 とてももったいない。もし数千〜数万着の参加賞Tシャツが捨てられてしまったとしたら、環境にも決して良くないだろう。 シンプルな解決策。 この解決策は、シンプルだと思う。 そもそも参加賞Tシャツを作らない。 普段から着られて、長く使いたくなる参加賞Tシャツを作る。 北海道マラソンとOn は、後者を採ることにした。 Tシャツの素材は 100% 再生ポリエステルで、普段着としても着用しやすいものになっている。 Tシャツ前面のデザインは、左胸にOnロゴが入っているだけ。背面には、北海道のクリエイターがデザインし、Onスイス本社デザインチームが選定したグラフィックが入っている。 この背面グラフィックは、四角形や楕円形を散りばめたものになっており、それを全体として眺めると2人のランナーが浮かんで見えるような遊び心を取り入れた。 長く着用してもらえるよう、大会名と大会年度の表記は意図的に小さくプリントされている。カラーもベーシックなものに絞った。 北海道マラソンに参加される方には、このTシャツをレース後も長く使っていただきたいと思う。 Onの参加賞Tシャツを着て、レース翌日にモーニングラン。 そんな参加賞Tシャツを使ったイベントを考えた。
北海道マラソンの舞台裏。渾身のサポート企画。Onスペシャルエイドステーション。
前回「On Tokyo オープンまで、あと1日」に戻る 2022年のOnジャパンにとって大きな話題のひとつに、「北海道マラソン オフィシャルウェアパートナー」がある。 北海道マラソンオフィシャルウェアパートナー。 pic.twitter.com/az1XSSwLCq — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 22, 2022 北海道マラソンのようなメジャーなマラソン大会のパートナーになれる日が来るなんて、なんだか不思議な感じがする。 1小間のブースで売れなくて困り果てていたあの頃と比べると、隔世の感がある。 On、日本デビューの頃のお話。 オフィシャルウェアパートナーとは、大会参加賞として配布される Tシャツが Onのデザインになるということだ。 普段から着たくなるようなシンプルな仕上がりなので、北海道マラソンに参加する方は楽しみにして欲しい。 他にはないスポンサーの形を目指して。 とてもめでたいニュースなわけだが、それだけで満足することなく、もっとランナーをサポートしたい。 そんな気持ちで、北海道マラソン事務局にアレコレとアイデアを出してきた。 その結果、レース25km地点に「Onスペシャルエイドステーション」を設けることになった。 そのエイドステーションには俺も入る。他のエイドでは出ない飲み物や食べ物を提供する予定となっている。 そして、他のエイドではあり得ないサービスも展開する。 Hypervolt Go / Go 2 によるマッサージサービス これだ。かねてから温めてきた企画である。 マッサージガンの元祖「Hypervolt」で、25km地点まで走ってきた疲労困憊ランナーの足腰をくまなく癒す。 そんな話を Hyperice Japan社に持ちかけたところ、二つ返事でOKをいただいた。 そんなわけで、4台の Hypervolt Go、4台の Hypervolt Go 2、合計8台の高性能マッサージガンがOnジャパンに届いた。 目下、充電中だ。充電が完了し次第、北海道に発送する。 Hypervolt Go / Go 2 pic.twitter.com/ZbQSSy8J0e —
前回「タカスィが写真を撮ってくれた」に戻る 突然だが、俺には3つほど特技がある。 大切なときは必ず晴れる。 虫に刺されない。 同じ店に2度行くと覚えられる。 2と3についてはまたいつか語ろう。 今日話をしたいのは、1についてだ。 大切なときは必ず晴れる。 そう、俺にとって大切なときは必ず晴れる。 それに気づき始めたのは、2016年の宮古島トライアスロンの旅のことだった。 2016年4月13日、宮古島に向かう道中、俺の旅日記を掲載していた Facebookには、このようなコメントがあふれていた。 「これから滝のような豪雨らしいです」 「デュアスロンですかね…(泣)」 「残念ながら予報ではデュアスロンは濃厚かと」 中にはご丁寧にレース日の天気図を示しつつ、「雨です」と教えてくれる人もいた。 2016年の宮古島トライアスロン、レース当日の天気予報図。 pic.twitter.com/y4OIYV13Vi — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 21, 2022 しかし、俺は全く気にしていなかった。 「大丈夫です、晴れます」 そのようにしか返信しなかった。 結果、4月17日のレース当日の天気は、「晴れ、一瞬豪雨、そして晴れ」だった。 たとえ途中で雨が降ろうと、大切なときは必ず晴れる。 それまでの人生で得てきた教訓を、そのままあらゆる事象に当てはめようと意識したのは、このときからだったと思う。 「勝ったも同然」の応用技。 俺は天気予報を見なくなった。 その代わりに、信じ込むようにした。俺にとって本当に大切な瞬間には、必ず晴れるのだと。 それは、Onジャパンを立ち上げて少ししてから作り出した、「勝ったも同然」という言葉にも込められていた。 「勝ったも同然」とは、「自分のありたい状態を先取り」するということだ。 つまり、まだ「勝った」状態でなくても、そうなったときに覚えるであろう感情を先に想像して、それを存分に楽しむことだ。
前回「文章を残すことの意味」に戻る 「ダンディズムのプロフを更新しないことには、執事の名がすたります!」 ある日、歳上の親友タカスィがLINEで叫んだ。 っていうか執事ってなんだね。 勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2017、3人目。「永遠の10代タカスィ」中川 隆志。 「以前のを今でも使っていただいているのが感涙モノです。 だいぶ経ちますのでリニューアルしましょう!」 そう言えばそうか。このプロフィール画像、2019年2月に撮ってもらったんだっけ。 2019年2月のプロフィール画像。 Photo by タカスィ pic.twitter.com/PHygAk6YkG — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 18, 2022 「そうです。夏バージョンを撮りましょう! どこにでも行きますから!! まどサマも撮りたい!!!」 そんなわけで、異様にフットワークの軽い「永遠の10代」タカスィが夕暮れの横浜にやってきた。 一方まどかは、着物を装備して準備万端。それを見たタカスィのテンションは天を衝くばかり。 「いい!いいですよまどサマ!!」 それによって、ますます雰囲気を出してこようと意気込むまどか。 夕暮れの横浜とまどか。 Photo by タカスィ pic.twitter.com/Rw4u1deLka — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 18, 2022 雰囲気を出してくるまどサマ。 pic.twitter.com/7p7akHGOig — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 18, 2022 まどかを撮り終えたタカスィは、そのままの勢いで俺に向き合う。 「執事として……」とうわごとのように呟きながらカメラを構えるタカスィ。 いつのまに執事になったんだね。。。 ハマのダンディズム。
前回「#花とダンディズム とは何なのか」に戻る 今となっては遠い昔のように感じてしまうが、今年7月3日(日) に、第2回 Lake Biwa Triathlon in Moriyama に参戦してきた。 ちなみに、先日書き上げたばかりの記事は、2021年10月に開催された第1回大会に関するものだ。 ※ 第1回大会フィニッシュ後の写真。 Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 第1回大会では右ハムストリングスの肉離れのために大いに苦しんだが、第2回大会は体調も悪くなく、レースを目一杯楽しむことができた。 ただ、7月のレースは暑い。俺の特技「雨雲ずらし」を全力で発揮してしまった結果、灼熱のレースとなった。あまりにも暑くなり、「熱中症アラート」が発令されたことで、当日のコースが短縮になったほどだ。 特に最後のラン (18km → 12km に短縮) はキツかった。全てのエイドステーションで立ち止まって水をかぶらないことには、一歩も進めないほどであった。たった12kmがこれほど長く感じたのは初めての経験だった。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 そんなキツいランを乗り切れたのは、旅の仲間のOnジャパンメンバーの応援、道中のボランティアやエイドステーションの皆さんのサポートのおかげだ。 そしてもう一つ。レース中に何度も交錯する、選手同士の応援の力も大きい。 俺が暑さと脱水に苦しんでいるとき、ひとりの男性がこう声をかけてくれた。 「駒田さんのブログのおかげで、宮古島トライアスロンに出ました。 最近、ブログの更新があまりなくてさみしいです。 また、書いてください。楽しみにしています」 宮古島トライアスロンの長編は、このブログの中で3つある。 どれを読んでくれたのか、その場では聞くことができなかった。意識朦朧で、「ありがとうございます。また書きます」としか答えられなかったからだ。 宮古島トライアスロン挑戦記 2014 宮古島トライアスロン挑戦記 2016 宮古島トライアスロン挑戦記 2018
前回「敏腕編集者まど氏の圧」に戻る 突然だが、「#花とダンディズム」という企画 (?) を知っているだろうか。 百聞は一見に如かず。まずは見ていただこう。 この投稿をInstagramで見る Madogram(@divadesukedo)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る Madogram(@divadesukedo)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る Madogram(@divadesukedo)がシェアした投稿 だんだん俺が後ろの方に遠ざかっているのが少々気になるが、基本的には下記のようなものを言う。 花が主役。 ダンディズムは添え物。 表情は素。 これがはじまったのは、2020年のこと。 近場の旅行に楽しさを見出した俺とまどかが、熱海サンビーチを散策していたときだ。 サンビーチ沿いには、ジャカランダの木がたくさん生えている、その名も「ジャカランダ遊歩道」という場所がある。それを見たときのまどかのテンションの上がり具合が少々おかしかったのだ。 「ジャカランダ!ジャカランダ!! (*°ᆺ°) 」と繰り返し叫ぶまどか。O次郎 (オバケのQ太郎の弟) が唯一喋れる単語「バケラッタ!」とアクセントが全く同じと思ってくれれば間違いない。 そのおかしなテンションのまま、彼女はこう言った。 「博紀!そこ!立って!ジャカランダ!! (*°ᆺ°) 」 もう「はい」以外の返答は許されない。 それでこうなったわけだ。俺の表情が全てを物語っている。 この投稿をInstagramで見る Madogram(@divadesukedo)がシェアした投稿 ※ ジャカランダでバケラッタ。 このときの投稿に「#花とダンディズム」という誰も使っていないハッシュタグを使ったことで、俺たちの間で不定期企画のようになったわけだ。 以来、花を見るとこんな会話が展開される。 「あっ、あじさい!」 「はっ」 「博紀、そこに立って!」 「はい」
前回「ねこはいいよにゃー」に戻る 「はあはあ…書き上げました……」 Lake Biwa Triathlon in Moriyama 挑戦記、全8話を書き上げた俺。 背中と腰をさすりながら息も絶え絶えな俺に、まどかがゆるい目を向ける。 「はい、先生、おつかれさまでした (*°ᆺ°) 」 実は先週、ジムでアーノルドプレスをしていたとき、背中がパキッと音を立て、その日の深夜からぎっくり背中の症状を呈していた。寝返りすらうてないほどの激痛に苛まれた。 そのため、友人と約束していたトレランに行くこともできず、ひたすら家でじっとしていたのだ。イベントの仕事が入っていなかったことは、不幸中の幸いと言えよう。 そんなわけで、久しぶりに週末に暇を持て余した俺は、ただベッドに転がって痛みに唸っていた。 そんな俺を見たまどかは、こう言ったのだ。 「この機に書き上げましょう、先生 (*°ᆺ°) 」 と。背中の痛みに苦しむこの俺に、長編を書きあげろと? すると、敏腕編集者顔負けのまどかが、怒涛の攻勢に打って出た。 「いつまでたっても琵琶湖に入らないではないですか」 「もう宮古島のお話かと思われているのではないですか」 「いっそ琵琶湖島トライアスロンと呼んだらどうですか」 ぐうの音も出ないほどの正論。 敏腕編集者の圧。 pic.twitter.com/mYT6HIB1rk — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 8, 2022 確かに、いつまでたっても琵琶湖に入っていけていない。第4話まで書いても、まだ2019年の宮古島にいる。俺が書こうと思っているのは、2021年10月のお話だというのに。 「この前のレースでも、読者が待ってるって言ってたよね (*°ᆺ°) 」 そうだった。つい先月行われた第2回 Lake Biwa Triathlon in Moriyama でも、ランで俺を抜きざまに「最近ブログ更新されていなくて寂しいです」と言ってくれた人がいたのだった。
Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 最終話「いつか、世界で一番のトライアスロン大会に」
第7話「俺のクソみたいな腰」に戻る バイクを降りた瞬間、正直「こりゃ大変だ」と思った。 何しろ、どう身体を動かしても痛いのだ。あのとき、得意技でもなんでもないカカト落としをどうして8回も繰り返してしまったのか。後悔先に立たず。 第1ランではそれでもキロ6分少々で走れたのに、今はキロ8分でもキツい。まるで、宮古島トライアスロンの折り返し地点後のようだ。 すっかり雨もあがり、太陽が熱く照りつけている。顔が歪む。 第2ラン。顔が歪む。 pic.twitter.com/wZxu1q0SWv — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 しかし、「宮古島みたいだな」と思った瞬間、ふと痛みの中に幸せを感じた。 痛いのも苦しいのも、俺自身が望んでやっていることだ。 去年、味わいたくても叶わなかったそれを、今存分に味わわせてもらっている。 あいかわらずピカチュウ姿で応援してくれる家族。 カウベルを振り回しながら応援してくれるOnジャパンの仲間。 沿道やエイドで献身的にサポートしてくれるボランティアの人たち。 すれちがいざまにエール交換してくれる #OnFriends や OTC の仲間。 世界の鎌田、走る。 pic.twitter.com/SpctG1eZKi — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 これだ。こういうのがずっと欲しかったんだ。 そして、やっぱりそうだった。 大切なときは必ず晴れる。 痛くて仕方ないが、走ったり歩いたりを繰り返しながら、それでも少しずつ前に進む。 前に進めば、また別の仲間とエール交換ができる。 次のエイドにたどり着けば、またボランティアの人たちと言葉をかわすことができる。 トシヒデとシュンジとエール交換しながら進む。 pic.twitter.com/xz4rwy37ab — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 「琵琶湖は素晴らしいんだよ」 「地元の人たちが協力してくれるんだよ」 身体の痛みと心の内の幸せを同時に味わいつつ、あのときの田中さんの言葉を思い出す。
Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 第7話「俺のクソみたいな腰」
第6話「空手マスター、かかと落としに泣く」に戻る バイクに移り、俺は少し安心していた。 前日のバイク試走で、意外と右ハムに痛みが出なかったからだ。 「こわいのはランだけ。バイクはなんとかなる」 そんな風に思っていた。 何故ならこのハマのダンディズム。一応、宮古島トライアスロンやアイアンマン・ケアンズの完走経験がある。 宮古島トライアスロンでは、あの金剛力士から、「100kmまでは準備運動」というありがたい教えを受け、その通りに走りきれたこともある。 それを思えば、平坦な64kmの4周回コースなど恐れるに足らず。 ……愚かにも、俺はそうタカをくくっていたのだった。 ショートでもミドルでもロングでも、ラクだったことなどただの一度もなかったというのに。 レースをほとんど経験できなかった2020年の1年間で、あのキツさをすっかり忘れてしまっていたのだろうか。 ともかく、俺は驕っていたのだろう。そのしっぺ返しはすぐに食らうことになる。 今回のバイクコースは、農道や河川敷をぐるっと4周回するコース。コーナーは多いものの、基本的には幅広い平坦区間が多い。いかにDHポジションで乗れるかが鍵だと思われた。 河川敷のパートに入り、おもむろにDHポジションを取ろうとしたところ、右ハムに強烈な違和感。 前傾姿勢を取ろうとすると、ハムが引っ張られて痛い。一度アップライトな姿勢に直って、心の内のわずかな動揺を鎮める。 DHポジションがとれない…。 pic.twitter.com/xkN0LNcFSJ — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 第1ランで少し痛みを覚えたものの、大したことはないと思っていたのに。 きっと気にしすぎたせいだ。 そう思うようにして、ゆるゆるとDHポジションで走ってみる。 しかし、力が入らない。時速30kmを保つのもやっとという有様。 河川敷の下の方では、「世界の鎌田」ことカズが、美しいDHポジションですっ飛んでいく。 パールイズミの「エア トライスーツ」をベースにしたOTCトライスーツは発色が美しく、遠くからでもすぐに見つけることができる。 世界の鎌田、世界のポジションで爆走。 pic.twitter
Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 第6話「空手マスター、かかと落としに泣く」
第5話「第1回 Lake Biwa Triathlon in Moriyama」に戻る 「ひろき〜!」 第1ランスタート直後、ピカチュウが2匹跳ね回っているのを見つけた。 よく見るまでもなく、妻のまどかと、まどかの妹のみかだ。 応援隊のまどみか。 pic.twitter.com/bCsOqQ6PSY — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 「なんでピカチュウ?」と一瞬思ったが、そういえば今日はハロウィンだった。 ウィットさんもカボチャの帽子をかぶっていた。トライアスロンのレースにハロウィンが重なるのは今回がはじめてだ。うっすらと寒い秋の天気の中、身体を暖めるように走る。 第1ランスタート。 pic.twitter.com/NKcCx492zf — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 周りの選手にどんどん置いていかれるが、決して着いていかない。無理をしたら、すぐにDNFしてしまう。 それというのも、1週間前に仕事で撮影をしていたとき、右のハムストリングスを酷く痛めてしまったからだ。 Onジャパンの横浜オフィスを他国の社員に紹介するという趣旨の動画を撮っていたのだが、ヤスコの「そういえばひろきさん、空手マスターですよね?」の一言にいざなわれるまま、右カカト落としを全力で振るってしまったのだ。 しかも、撮り直しのため8回も。 おのれヤスコ。 これを読んでいる皆さまは意味が分からないことと思う。俺もよく分からない。 だから、その動画を参考までに上げておくとしよう。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 そんなわけで、つい3日前までは歩くのすら辛かった。 右ハムが引き攣れるような違和感がつきまとう。しかし、出る以上は楽しませていただく。今回の目標は「完走」の二文字に尽きる。 今日の自分にとって、安全と思われる目安はキロ7分。 しかし、手元のGARMINを見るとキロ5分半。速すぎる。 ローリングスタートで走り始めた後続の選手に抜かれつつ、ペースを落とす。
Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 第5話「第1回 Lake Biwa Triathlon in Moriyama」
第4話「伝説の男、永遠の師匠」に戻る 2021年10月31日(日)、7時55分。 Lake Biwa Triathlon in Moriyama レーススタート5分前。 滋賀県守山市の宮本市長の挨拶の後、主催者であるジョー田中が言葉を発した。 「私の想いは全て市長が語ってくれました (ええ声 」 そんな言葉から始まった田中さんの挨拶。短いながらも想いが詰まった言葉。 それを聞きながら、田中さんがOnジャパンのオフィスでレース開催案の話をしてくれたときのことを思い出していた。 宮本市長がたった今語ったことは、田中さんがあの時俺に語ってくれた言葉そのものであったからだ。 2020年は全てのトライアスリートにとって、ある意味で特別な1年となった。 例年であれば、4月中旬に宮古島でシーズンが始まり、それから9月末くらいまで日本中で開催されるトライアスロン。 トライアスロンが開催される季節こそが夏。自分にとってはそういうものだった。それが根底から覆ったのが2020年だったのだ。 レースがない。 それがこんなに寂しいことだとは、想像したこともなかった。 全国各地で仲間に会い、言葉を交わし、レースではエール交換する。それがないだけで、まるで1年から夏が消えてなくなってしまったように感じていた。 そんな1年が終わろうとしていた2020年12月18日。 誰にとっても大変だった1年が過ぎ、不透明さがなお色濃く残る2021年を迎えようと、一抹の不安の中で年越しの準備をしていた俺の前に、彼は現れた。 冬なのに真っ黒に日焼けした、年中無休の夏男。俺が「金剛力士」と呼んで敬愛して止まない、あの田中 信行が。 2020年12月18日。金剛力士、降臨。 pic.twitter.com/LRnWOIVINX — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 「琵琶湖は素晴らしいんだよ (ええ声 」 「地元の人たちが協力してくれるんだよ (ええ声 」 「いつか、世界で一番のトライアスロン大会にしたいんだよ! (ええ声 」 トライアスロンの火は消せない。
Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 4話「伝説の男、永遠の師匠」
第3話「金剛力士頂上決戦」に戻る 「あれ…?ヒロキ?」 視界に大きく広がる青空の端に、義弟しげちゃんの顔がよぎった。疲労困憊しているようだ。きっと俺の表情も似たり寄ったりだろう。 4月14日(日) 18:00、ラン21km 折り返し地点。スタートから10時間40分。スタート時に完走を誓い合った義弟に、ついに追いつかれた。 「大丈夫?」 「先に行ってて。追いつくから」 短く答える。心配そうなしげちゃんが先を急ぐ。 少ししてから俺はノロノロと起き上がる。5分前、突如手足に広がった痺れは治っていない。 それでも、自分を叱咤しながら追いかける。今回のレースで俺を動かしてくれる最大のモチベーション、どうしても完走したいと思う理由が何だったのかを思い出す。 少し先でその理由、しげちゃんに追いついた。 ここからレースが終わるまでの約10km。 疑いなくこれまでで最も苦しい10km。 それでいて、おそらく今後最も記憶に残るであろう10km。 俺はしげちゃんと並走を開始した。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 関連記事: 6回目の宮古島トライアスロン、レースレポート。 2019年4月14日(日)、俺にとって6回目の宮古島トライアスロン。結果は35km地点関門をクリアできずのDNF。 35km地点で回収された俺は、フィニッシュ地点の宮古島市陸上競技場に戻ってきた。 雨が降っている。大事なときにはいつも晴れるはずなのに、俺の体調と精神状態によっては必ず雨が降る。 その理由はよく分かってている。仲間たちに会わせる顔がないと思っているからだ。 それでも、そんな俺に仲間たちは優しかった。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 気持ちの整理がうまくいかず、しばらく呆然と座り込んでいると、陸上競技場の入り口が大きくどよめいた。 20時29分。最終ランナーが帰ってきたのだ。俺と違い、最後までやり切った選手の姿を見届けよう。
Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 第3話「金剛力士頂上決戦」
第2話「レスラー vs スモウレスラー」に戻る 宮古島トライアスロン2017、ラン25km地点。 ジョー田中と俺は歩いたり走ったりを繰り返していた。お互い、明らかに限界が近い。 「駒田くん、先行っていいよ…私はもうダメだ…… (ええ声 」 どうしたというのだ、ジョー。そんな縁起でもないことを言って。 「そんなこと言わないでください、田中さん…一緒に行きましょう」 「…もし…私に勝ったら…… (ええ声 」 やめてくれ、悲しくなるじゃないか。 一緒にフィニッシュラインを越えよう、田中さん。 「私に勝ったら、『師匠』って呼ぶよ (ええ声 」 「先に行きますね」 冗談交じりに先に進んだ俺だったが、やはりダメージは大きかった。 すぐに俯いて歩いてしまう。 一人進むも、ボロボロ。 pic.twitter.com/rNa5IuaKsQ — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 最終関門のラン30km地点を制限時間の少し前に越え、先に進む。 田中さんがそこを越えられることを祈りつつ。 そして、20時29分30秒。フィニッシュ制限時間の30秒前。 本当のギリギリに戻ってきた俺は、言葉にならない雄叫びを上げ、家族の前でフィニッシュテープを掲げた。 制限時間の5分前。宮古島トライアスロン2017、フィニッシュ。 pic.twitter.com/5sNmRcSSHa — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 家族の前でフィニッシュテープを掲げる。 pic.twitter.com/ClrDciFcBO — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 それから5分後、田中さんは戻ってこなかった。 どうやら、最終関門で捕まってしまったらしい。 こうして、俺史上に残る「金剛力士頂上決戦」は終わりを告げた。 無事に完走できた喜びと、ジョー田中と共に完走できなかった寂しさを味わいつつ。
Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 第2話「レスラー vs スモウレスラー」
第1話「金剛力士、ジョー田中」に戻る 全1,500人のトライアスリートの中、唯一ノーウェットで挑んだ金剛力士・ジョー田中。 彼の泳いだ軌跡は、そのまま爆笑の渦と成り果てた。 この美しい宮古島の海が、爆笑の渦に叩き落とされる。 pic.twitter.com/ughzDNzAn0 — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 しかし、それでも彼は速かった。 何しろ彼は、元同志社大学水泳部主将。 パンケーキで太ろうが、ウェットが弾け飛ぼうが、俺とはそもそもの地力が違うのだ。 ノーウェットの金剛力士、圧倒的速さでスイムアップ。 pic.twitter.com/CpsYAf0KQp — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 俺がスイムアップした頃、金剛力士は愛機CEEPOにまたがり、はるか遠くに行ってしまっていた。 金剛力士を追うハマのダンディズム。 pic.twitter.com/ZGTW86vxbc — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 ところで、ジョー田中をよく知らない人のために説明しておきたい。ただの名物おもしろおじさんではないのだ。 彼は、毎年ハワイ島で行われる「アイアンマン世界選手権」のエイジ部門 (年代別) で、上位を何度となく勝ちとってきた強豪中の強豪。近い将来、彼はエイジチャンピオンになるであろう。 彼の脹脛を見て欲しい。齢60を超えた男のものとは思えない。なんというか、生き物としてのベースの強さが違うのだ。 金剛力士の脹脛。 pic.twitter.com/OCG5pQqril — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 そんなジョー田中だが、4月に行われる宮古島トライアスロンに限って、最大体重でのぞむのが恒例となっていた。その理由は、冬の間に存分に蓄えられるパンケーキローディングだ。 後年、ジョーはこう語っている。 「トライアスリートは太ってもいいんだよ (ええ声 」
Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 第1話「金剛力士、ジョー田中」
2017年4月23日(日) 宮古島トライアスロン2017、レース当日。 2014年に初参加して以来、毎年継続的に出場してきた宮古島トライアスロン。そこには必ず、巨大な存在感を示す漢がいた。 その漢の名は、田中 信行。英語名は、「Joe Tanaka (ジョー田中)」。 トライアスロンバイクブランド「CEEPO」の創業者にして、トライアスロン界の生きる伝説といっても過言ではない。 そのジョー田中と俺は肩を組んで、レース前の記念撮影を楽しんでいた。 2017年4月23日(日) 宮古島トライアスロン2017、レース直前。 pic.twitter.com/qAlMF4hr3y — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 しかし、どうしても気になることがある。 レース直前だというのに、田中さんはウェットスーツを着ようとしないのだ。 「なんでウェットスーツ着ないんですか?」 「太って入らなくなっちゃったんだよ (ええ声 」 ウェットスーツを何故か着ないジョー田中。 pic.twitter.com/WTQ6YP8n74 — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 加山雄三または中尾彬のようなええ声で、堂々と語るジョー田中。 そのまま悠然とスイムスタート地点に向かう彼の姿を見て、俺の脳裏に一つの単語が降りてきた。 「金剛力士」 「金剛力士」誕生の瞬間。 pic.twitter.com/KMTHgZhjNg — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) July 9, 2022 宮古島トライアスロンに参加する1,500人の全トライアスリートの中で、唯一ノーウェットで沖に向かって爆進する金剛力士。 それが伝説の男、ジョー田中。 思えば、この時こそが、ジョー田中と俺の旅の始まりだったのかも知れない。 第2話に続く ※ すごく久しぶりの長編。お付き合いの程、よろしくお願いいたします。 にほんブログ村
前回「オン・ジャパン株式会社のオンライン会社説明会でもらった、ある若者からの質問。言葉に本心を込めること」に戻る 「ヒロキ、ここはいいじゃないか」 2014年9月下旬、俺たちは原宿・キャットストリートを歩いていた。 周囲を見回しながら、「グッド」「パーフェクト」と繰り返すキャスパー。 「走るのに良さそうな公園もある。いいじゃないか。ここはどういう場所なんだ?」 「ファッションと、ポップカルチャーと、ランニングコミュニティが交差する場所だよ。たぶん」 そう答えると、キャスパーは深く頷いた。 それから4ヶ月後、「ビッグ・イン・ジャパン」プロジェクトが立ち上がった。 俺の最初のミッションは大きくふたつ。 1. 最高のメンバーを集めること 2. 完璧なオフィスを作ること だった。前者に関しては、運命に導かれるようにスムーズに進んだ。セールスの鎌田 和明 (カズ)。カスタマーサービスの前原 靖子 (ヤスコ)。大げさではなく、魂を預けるに値する仲間を見つけることができた。 そして、それと同時並行でやらなくてはならなかったのが、「完璧なオフィスを作ること」。これに関しては、キャスパーと水面下で議論があった。 「ヒロキ、あそこがいい。キャットストリート」 「キャスパーさん、それには少し問題が…」 電話の向こうで首を捻っているのがわかる。 「お金がね。かかるんだ。それも多分すごく」 「妥協はするな。ノー・コンプロマイズ」 やはり。キャッさんならそう言うと思った。俺はそこで切り札を提示した。 「妥協はしていない。素晴らしい場所を見つけたんだ」 「それはどこだ」 「横浜、という場所だ」 またも電話の向こうで首を捻るキャスパー。 東京より知名度は圧倒的に低い。それは分かっている。だが、横浜にしなければならない。 横浜はカズとヤスコの居住地。何より、キャットストリートより圧倒的に賃料が安い。ただし、それを馬鹿正直に言うわけにはならない。 「横浜は、日本で最も早くに世界に開かれた港の一つだ。
オン・ジャパン株式会社のオンライン会社説明会でもらった、ある若者からの質問。言葉に本心を込めること。
前回「ずっと前に開催した『ハマのダンディズムナイト』のこと。それもまたコミュニティビルディング」に戻る 2022年2月17日(木) 17:00。 アパレルやファッション系の転職に強い求人サイト「クリーデンス」が主催する、オンライン会社説明会が開催された。 主な趣旨は、4月にオープン予定のOn東京旗艦店舗「On Tokyo (オン・トーキョー)」のストアスタッフの採用だ。 Onの求人情報は、On公式ウェブサイト内の「Careers at On」で常時アップデートされているのだが、採用の間口を広げるために求人サイトの力も借りている。 それはともかく、今回の会社説明会の内容は大きく3つに分けられた。 オンライン会社説明会の資料。 pic.twitter.com/QwMRKKfCsx — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) February 19, 2022 On の歴史 On のミッションとコア・バリュー On Tokyo の求人について 1. はそのままだ。 On共同創業者のオリヴィエ・ベルンハルドが「CloudTec®」を生み出した理由。 友人のキャスパー・コペッティとデイビッド・アレマンを誘って2010年に創業したこと。 Onの成長の軌跡。東京五輪でのスイス選手団の勇姿。ニューヨーク証券取引所への上場。 これから先、新たな挑戦がたくさん待ち構えているということ。 記憶に新しいスイス選手団。 pic.twitter.com/kmlnWhIwPE — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) February 19, 2022 2. は On の掲げる価値観について。 「ミッション」とは、「目的」「存在意義」と言い換えても良い。 Onというブランドがこの世に存在する理由。達成したい目的。そうしたものをミッションと呼んでいる。 Onのミッション: Ignite the human spirits through movement. pic.twitter.com/1P6ksoFSpe — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) February 19, 2022 「コア・バリュー」を直訳すれば、「核となる価値観」だろう。 ブランドのミッション
ずっと前に開催した「ハマのダンディズムナイト」のこと。それもまたコミュニティビルディング。
前回「初心に戻り、謙虚であろう。9年間の旅路の振り返り」に戻る もう5年以上前のことになる。 まだOnジャパンに、自分を含めて社員が4人しかいなかった頃のことだ。 日本仕事百貨と組んでゆるい会社説明会、その名も「ハマのダンディズムナイト」を開催した。 ハマのダンディズムナイト、その後の質問。 「ハマのダンディズムナイト」とは、Onジャパンに就職したいと思う人やOnに興味がある人を集め、一緒に走り、風呂に入り、バーで飲みながらOnジャパンのリアルな姿を披露するという、非常にゆるい会社説明会のことだ。 ※ ランの最後、カズにダッシュさせされて半死半生のハマのダンディズムの図。 思い返せば、ここで出会った人との縁は今も続いている。 トシやさのーんは、ここがキッカケとなってOnジャパンのメンバーになってくれた。 昨年、Contents Producer として入社した巨匠・松平 伊織とは、ここで出会った。 ついでに、人生に迷っていたアッキーともここで出会った。ちなみに、何故か迷いが吹っ切れたらしいアッキーは、そのすぐ後、Runtrip に転職した。 ※ この画像の左端手前にアッキー。その少し奥に伊織。 会社説明会とは、コーポレートブランディングなのだと理解した。 入社するかしないかは別として、会社やブランドやそこで働く人たちの雰囲気を肌で感じ取ってもらう。そこで働きたい人たちの想いを正面から受け止め、質問に正直に透明に答える。そうして得られた人間関係は、その後も続く大切な縁になるかも知れない。 それもまた、大切なマーケティングであり、コミュニティビルディングなのだ。 しかし、その後しばらく会社説明会を行うことができなかった。 会社の規模が少しずつ大きくなり、お店も増え、セールスでもマーケティングでもやるべきことが増えた。スイス本社との会議も大いに増えた。外に行くことすら難しくなった。 でも、去年から今年にかけて、状況は少しずつ変化していった。 セールスもマーケティングも、優秀な仲間たちが引き継いでくれたのだ。それによって、自分の中にスペースが生まれた。そのスペースに、「コミュニティビルディング」という新たな役目が入り込んできた。
前回「#誰もいなくても俺はやる の本当の意味」に戻る ねこはいい。 高校時代から猫と共に過ごしてきた俺は、猫の良さを知っているつもりだった。 しかし、猫好きが高じてきたのは、2020年6月から。 そう、うみが我が家に来てからだ。 ※ 我が家にきた直後のうみ。 我が家に子猫がきた。 うみが駒田家に来てから、もう1年8ヶ月になろうとしている。 彼が来てくれたことで、我が家に幸せが増えた。元気一杯のうみと、うみに翻弄されつつ幸せそうなまどか。その構図は、うみが我が家に来たときから変わらない。 ※ 2020年8月頃のうみ。 禍福は糾える縄の如し。 いつも自由に好き勝手しながら、自分が愛されていると疑わない存在。 家の中を走り回って大騒ぎしていたかと思うと、いつの間にかピタッと寄り添っている温かい存在。 彼が我が家に来たその日の夜、膝の上に乗られたまどかは、「あったかいなー」と言いながら涙していた。 かわいらしく温かく、やんちゃで甘えん坊。うみはそんな猫に成長した。 ※ 2022年1月1日、名古屋にて。 赤ちゃんの頃から育ててきたからだろうか。たまに、彼の言っていることが分かるような気すらする。 まあ、それは多分気のせいか。いまだになんで突然噛んでくるのか分からないわけだし。 ところで、うみが我が家に来てから、「ねこ友達」が増えた。 たとえば、On アンバサダーの「マイ」は、元々は俺のねこ友達だった。うみと一緒に暮らすようになってから入社した仲間たちにも、ねこ友達はいる。#OnFriends にも猫好きは多い。 この投稿をInstagramで見る Mai Yamada(@maidon513)がシェアした投稿 そんな彼らと猫について語り合っているとき、俺は大きな平和を感じる。 「君の猫かわいいね!」 「あなたのところの猫ちゃんも!」 お互いの猫のかわいさを愛で合い、同時にどちらも「うちの子が一番かわいいんだけどね!」と思っている。そして、そんなお互いの気持ちを「よーくわかるよ!」と当たり前のように認め合う。
前回「駒田画伯、虎を描く」に戻る 突然だが、俺は元々臆病で小心者であった。 子供時代に身体が弱く、いつ他人に攻撃されるかとビクビクしていたことも影響しているのかも知れない。 ふとした拍子に瞬間湯沸かし器のように激怒する、父親の顔色を見ることが多かったからかも知れない。 でも、本当のところは分からない。 成長しても、その性質は変わらなかったからだ。 若かりし頃、この臆病さを認めることができなかった。自分は強いと思いたかったからだ。 だから空手を稽古して、それなりには強くなった。それでも、自分の臆病さは消えてくれなかった。 ただ、臆病で小心者だったからこそ、得られた経験もあった。 なぜ自分は目の前の物事を怖がっているのだろう。何がそんなに怖いのだろう。そうして考える時間が多かったからこそ、分かったこともある。 寄って立つ精神的な支柱があれば、恐怖は減るのだと。 何か問題が起きて苦しんだときでも、それに照らし合わせて手探りしていけば、どうにか自分なりの答えに辿り着けるような、そんな精神的な支えがあれば。 だから、何か問題が起きたときや、新しい物事に取り組むとき、俺は動きながら同時に自分の内面に潜る。 自分の内面に潜るというのは、自問自答するということだ。自分の考え方、生き方、心の支え、そうしたものにひき比べ、今の行動を自分で評価するということだ。 「それは本当にお前のやりたいことか?」 「それが本当に正しいと信じられるか?」 「恥じることなく、誰に対しても堂々と語れるか?」 そうして、自分の支柱から離れていないかどうかを問う。 そこから離れていれば、きっと分かる。そういうとき、俺は恐怖を感じるからだ。 誰を誤魔化せたとしても、自分の心だけは誤魔化せない。 そして、自問自答の結果、「自分はそこから離れていない」と確認できれば、もう恐れることはない。 いつしかこの状態を、「#誰もいなくても俺はやる」と名付けるようになった。 自分の支柱から離れておらず、誰に対しても恥じることなく自分の行動の理由を説明できるとき。 しかも、それを心の底から楽しめると確信できるとき。
前回「コミュニティ・ビルディング。古くて新しいお役目」に戻る 2021年末、「コミュニティビルディング」という、自分にとって古くて新しい役割を引き受けることに決めた。 その日以降、俺はOnに関わるようになってからの9年間を振り返った。年末年始休暇の半分は、その振り返りに費やしたと言ってもいい。それは、自分の初心を見つけるための心の旅でもあった。 Onに関わるようになったきっかけ。 公私共にお金がなくて苦しんだこと。 情熱を傾けた仕事が無くなるかもしれないと知ったときの絶望。 全て投げ捨てそうになったこと。 キャスパーからの電話。渾身のプレゼンテーション。 "Big in Japan" プロジェクト。 仲間集めと小さなオフィスからの再スタート。 カズやヤスコとの旅の日々。おかしなホテルにばかり泊まったものだ。 横浜に本籍を移したこと。かけがえのないパートナーとの再婚。 "Never Not On" を旗印に、Onを日本に根付かせるために全てを賭けてきた。 Onは俺の人生を豊かに変えてくれた。ランニングを通じて「楽しさ」の意味を知った。 だから、OnとOnを応援してくれる人たちに少しでもお返ししたいと思った。 その中で生まれた #OnFriends の概念。 日本を巡る #MeetOnFriends ツアー。 さらに規模を大きくしたRuntrip via On Japan Tour。 日本のビジネスが3年で大きく成長したこと。 世界のOn社員の前で想いを語ったこと。 お店をサポートするためTech Repチームを組織したこと。 新型コロナウィルス感染症が拡大する中、できる施策を全てやった。 その甲斐もあり、2020年は大きく市場での存在感を増した。 長年のビジネスパートナーとの別れ。 それでもビジネスの土台を強固にしたこと。 その後、ずっと深く関わってきたセールスを離れたこと。 そして、ニューヨーク証券取引所への上場。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 そのような流れの中で、日本国内におけるOnの位置付けも大きく変わってきた。
前回「人生は所詮ネタ探し。ちっちゃな死を乗り越えて」に戻る 先日、インスタストーリーズ上でブログ記事のお題を募集した。 幸いなことに、多くのお題が集まった。それで書いた記事が「人生は所詮ネタ探し。ちっちゃな死を乗り越えて」と「自らを鼓舞する言葉。人の支えになる言葉」であった。いずれも自分の人生観を綴るという意味で共通している。 こういう記事を書くと、自分の頭と心を整理することができる。そうして書いた記事は、何年か後になって自分自身を支えることもある。 「そうか〜、博紀は真面目だな〜 (*°ᆺ°) 記事を書いてえらいな〜 (*°ᆺ°) 」 出たな、まどか。今日もゆるいな。 今、俺たちは長めの正月休みの旅第2弾ということで、伊東の赤沢温泉にいる。 雪の降る中、赤沢温泉へ。 pic.twitter.com/5JfyQJfPWU — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) January 8, 2022 海洋深層水を使ったプールで身体を緩め、サウナと水風呂と温泉で頭も身体もフワフワしている。それでも、油断するとつい考えごとばかりしてしまう。 この仕事を始めてからというもの、完全にオフになれたことはない。それでも、こうしてオフに近い場に連れて行ってもらい、隣でゆるい雰囲気を出してもらえると助かる。 「新谷さんのお題は、『絵を描いて』だっけ?」 そんな俺の心境を知ってか知らずか、まどかはいつものペース。それが助かる。 「そう。テーマ募集のところに『虎の絵』とだけ」 すると、まどかはホテルのメモ帳に絵を描き始めた。 まど画伯作・虎。 pic.twitter.com/K33erWhv57 — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) January 8, 2022 「腰に手を当ててるの、なんでか分かる?」 「力道山だろ」 「さすが!」 まど画伯のインスピレーションはこの方。 pic.twitter.com/nUxktMjfoz — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) January 8, 2022
前回「自らを鼓舞する言葉。人の支えになる言葉」に戻る 「博紀はいいな〜。 ネタに満ちてるな〜 (*°ᆺ°)」 まどかがいつものゆるい言い方でそんなことを言う。 なんだなんだ。 「だってさ、小学生の頃からの話を聞いててもさ、いつもなんだか色々あるじゃん?」 まあ、そうかもな。 「私なんて特に何もなく生きてきたからさ〜 (*°ᆺ°)」 いや、そんなことないだろ。 みんな生きてればそれなりに色々あるし。 「でも博紀は書くことが好きだからね。良かったんじゃない? 『ちっちゃな死』 みたいなことがあって。そこから這い上がる経験できて」 そんな、人ごとみたいに…。 それにしても、「ちっちゃな死」か。まどかが以前からよく使う表現だ。 まどか曰く、人は本来の「在りたい状態」から離れれば離れるほど、人生において苦しみを味わう。その苦しみの最中で「これは自分の在りたい状態じゃない」と気がつき、望む状態に戻ってくれば、それ以上苦しむことはないらしい。 では、その苦しみを味わっても戻ってこなかったら。そのまま突き進んでしまったら。 人によっては本当に不幸なことになってしまうかも知れない。事実、俺もその寸前までいきそうになった。 あのとき、五反田駅のホームで、あの黄色い線の向こうに本当に行ってしまったとしたら、今こんな記事を書いてはいなかっただろう。このブログは存在すらしなかっただろう。 俺は何がしたいんだ、の先。 心を決めたら見えたもの。 あの、ギリギリで踏みとどまったとき。あるいは、執着を捨てて心を決めたとき。 それがもしかしたら、まどかの言うところの「ちっちゃな死」だったのかも知れない。本当の死を味わうことなく、人生がリセットされたようなあの感覚は、まさしく「ちっちゃな死」だったように思う。 それにしても、そこまで追い込まれなければ分からないなんて、どれだけ鈍感だったのだろう。何が好きか、何が嫌いか、どうしたいのか、どう在りたいのか、そういう根本的なところから目を背け続けてきたツケが回ってきたという他ない。それはすなわち、心の訓練を怠っていたということだ。
前回「書くということ」に戻る 前回の記事で、こう書いた。 過去の自分を癒し、現在の自分を鼓舞し、未来の自分に答え合わせを委ねる。 それが自分にとって「書く」ということだったらしい。 2013年以降、SNSやブログ、あるいは雑誌の寄稿などで「書く」ことが仕事の一部となっていた。 でも、その書くこと自体が直接的にお金を生んでいるわけではないので、仕事そのものというわけでもない。 だから、本業が大変な時期を迎えた頃 (2019-2021年)、自然とブログを書く頻度は減っていった。 同時期にOn日本公式インスタグラムやLINEを作ったことも関係している。On公式ウェブサイトでも、少しずつ日本発信のコンテンツが増えている。自分が発信しなくても、もうOnの「公式」な声はそこにある。 だから、もう必要はないのだと。自分が本来やるべきことに集中すればいいのだと、そう思っていた。 書く目的 しかし、ブログを書くことから少し離れていても、これまで書き溜めた記事はそこにある。 その記事のうちいくつかは、定期的に読んでもらっていたようだ。 自分の個人的な出来事とそこから得られた学びをオープンに書き続けてきた記事は、どうやら少しは人の支えにもなっていたらしい。このブログを「心の参考書」と言ってくれた人がいる。 少しは人の支えになるのなら、とても嬉しい。 pic.twitter.com/vdA0f5x9bk — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) January 3, 2022 過去の自分を癒し、現在の自分を鼓舞し、未来の自分に答え合わせを委ねる。 そういうつもりで書いたものが、少しでも人の役に立つのだとしたら、それほど嬉しいことはない。 だからこそ、まずは自らを鼓舞するために。 誰かからの借り物ではない、自分自身の人生で得られた、自分のための言葉を綴ろう。 次回に続く ※ インスタストーリーズで「書いて欲しいテーマ」を募集したとき、「心の参考書」と表現してもらいました。嬉しかったです。ありがとう。 にほんブログ村
前回「2021年、ハマのダンディズム的 3大ニュース」に戻る 2020-21年はほとんどブログ記事を書かなかった。 Instagram, Twitter, Facebook はほとんど毎日更新している。特に、Twitter は自分の考えをまとめる練習にとてもいいと思っている。短い文章で端的に表現するスキルというのは、プレゼンテーションをするにも、インタビューを受けるにも、とても有用だ。 ただ、それだけでは物足りなかったのも事実だ。日々考えていることをまとまった形で残すというのは、何年か経った後でも自分の助けになる。 書くことは自分にとって、立ち返るべき初心の確認であり、想いの補強であり、癒しでもあったからだ。 過去の自分を癒し、現在の自分を鼓舞し、未来の自分に答え合わせを委ねる。 それが自分にとって「書く」ということだったらしい。 だから、2022年はもっと書こうと思う。 次回に続く ※ インスタストーリーズで「書いて欲しいテーマ」をいくつか募集しました。どうぞよろしくお願いします。 にほんブログ村
前回「甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 最終話『甲斐駒ヶ岳の男と女たち』」に戻る 「ヒロキに新しい仕事を頼みたい」 2021年が終わろうとしている頃、久しぶりのキャスパーとの電話でそう言われた。 その新しい仕事とは、一言で言えば「コミュニティ・ビルディング」。今、キャスパーが取り組んでいる大きな仕事のひとつである。 ちなみに、彼が取り組んでいるもう一つの大きな仕事は、「サステナビリティ」。On公式ウェブサイトでメンバー登録している人であれば、ここ数年でいくつか大きな話題が配信されたことを知っていると思う。 「……それは、俺の初心そのものだよ」 「知ってる ;) だからお願いしたいんだ」 マーケティングの目的と手段 コミュニティ・ビルディングやコミュニティ・マーケティングという言葉が、いつ頃日本国内で広まり始めたのかはよく知らない。 しかし、自分が2013年にOnの仕事を始めた頃は、それをやっている企業・ブランドはあったのだろうが、まだ一般的に意識されるような状況ではなかったように記憶している。 そして自分もまた、コミュニティ・ビルディングを意識してOnの仕事を始めたわけではなかった。 当時の自分が思っていたマーケティングの目的とは、「売り込むことなく、お店で自然に売れるように仕組むこと」であり、その典型的な手段は、マスメディアやSNS等の媒体からの発信や、店頭ディスプレイの整備、販促キャンペーンの仕掛けなどであった。 しかし、それらの手段には当然ながら多額のお金がかかる。 2013年当時、自分が勤めていた On日本輸入代理店が Onに割り振った年間マーケティング予算は、わずか数百万円であった。これがどの程度のお金なのかと言えば、有名雑誌に見開き2ページで広告を出したら、それでほぼ終わりといった金額だ。 期待されていなかった、といえばそれまでだろう。実際、それから1年半後、その会社はOnから手を引く判断をした。 宮古島トライアスロン挑戦記 2016 – 第1話「Onをやめる?」 お金がない。それなら動くしかない。 ともかく、当時の自分は、その限られた環境の中でどうすればOnを知ってもらえるかを考えた。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2021、5人目。『トラベルフォトグラファー』竹岡 篤志」に戻る 2021年12月30日現在、名古屋のしげみか家に滞在させてもらっている。 すっかり大きくなった駒田家のねこ、うみも一緒だ。吉田家の先輩ねこ、オッちゃん、ぼんさん、ぐりさんともうまくやっているようだ。特に、ぐりさんと仲がいい。 吉田家のキャットタワーでライオンキングごっこをするうみ。 pic.twitter.com/4kXaD4tKCX — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 30, 2021 吉田家のぐりさんと仲良くしたいうみ。 pic.twitter.com/ikwH3cqBDu — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 30, 2021 「なにかあるかも」 「なにかあった?」 「なにもなかった」 pic.twitter.com/O4gG5rARTf — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 30, 2021 ねこマンションと化したキャットタワー。 pic.twitter.com/F8kH6Sz3PO — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 30, 2021 上階の住人からちょっかいをかけられて応えるうみ。 pic.twitter.com/0nGQ6utkUA — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 30, 2021 名古屋はめしがうまい。「名古屋めし」という言葉があるくらいだ。 濃い味付けを愛する俺としては、名古屋はめし天国である。 昨晩、しげちゃんと軽く5kmほど走って、名古屋めしを楽しんでから帰宅すると、急にテンションが上がってきた。仲間と身体を動かし、うまい飯を楽しむほど幸せなことがあろうか。 そんなわけで、突発的にインスタライブを敢行した。ねこに囲まれながら。 突発的インスタライブ中も、ねこに囲まれる。 pic.twitter.com/QEdceMUKkF — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 30, 2021 ※ キャットタワーで寝ているのがうみ。テーブルに座っているのがぼんさん。
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2021、5人目。「戦場カメラマン」竹岡 篤志。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2021、4人目。『らんまる』中川 崇道」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2021年の5人目はこちら。 「戦場カメラマン」竹岡 篤志 モテの爆心地を疾走する戦場カメラマン 2021年12月24日。 クリスマスイブで華やぐ横浜・みなとみらいエリアをひとり疾走する男の姿があった。 まだ体力のあった。 大急ぎで大桟橋へ♂️ pic.twitter.com/Zyv1QJvG2d — タケ / トラベルフォトグラファー (@Atsushi_Takeoka) December 24, 2021 「姿があった」とは言っても、直接この目で見たわけではない。 しかし、彼のTwitterからその縦横無尽な活躍ぶりをまざまざと想像できる。 スタンバイしました お声がけしてください。 クリぼっちです pic.twitter.com/aVpF7gEAw9 — タケ / トラベルフォトグラファー (@Atsushi_Takeoka) December 24, 2021 かつてこの俺はクリスマスイブに「ひとりホールケーキの行」などの数々の地味な名勝負を繰り広げた。 しかし、彼の「みなとみらい撮影疾走」もそれに勝るとも劣らない荒行だ。 家帰ってレタッチするの楽しみやわー♫ pic.twitter.com/sIlRsUcZRD — タケ / トラベルフォトグラファー (@Atsushi_Takeoka) December 24, 2021 何しろ、この時期のみなとみらいエリアは危険だ。 モテる者共によるモテエナジーが爆発的に充満している。 そんなモテの爆心地を、カメラ片手に疾走する竹岡 篤志。 カップルかフォトグラファーしかおらん マジョリティはカップル pic.twitter.com/EPAh7KBaM2 — タケ / トラベルフォトグラファー (@Atsushi_Takeoka) December 24, 2021
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2021、4人目。「らんまる」中川 崇道。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2021、3人目。『SKCマスター』今井 タカシ」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2021年の4人目はこちら。 「らんまる」中川 崇道 奇妙な男 この奇妙な男の存在を知ったのはいつのことであっただろうか。 奇妙な上体反らしの画像をInstagramに繰り返し投稿する男に気付いたのは。 この投稿をInstagramで見る 中川 崇道(@ranran_ranmaru)がシェアした投稿 それがDIO様の「WRYYY」ポーズだと気付いたとき、俺はこう思った。 「こいつ……クレイジーな野郎だな……」 「どうかしてんじゃあねーのか」 クレイジーな野郎だな… pic.twitter.com/xnVhstx6jk — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 29, 2021 らんまる、詳細不明 その男は「らんまる」と名乗った。本名は知らん。 年齢も不詳。30代のようでもあり、40代と言われればそんな感じでもある。 東京都内、おそらく新宿区か渋谷区あたりに住んでいるのだと思うが、所在不明。 そして、職業不明。ランニングとギターを楽しむ無職と言われたら深く納得してしまいそうだ。 この投稿をInstagramで見る 中川 崇道(@ranran_ranmaru)がシェアした投稿 何を言ってるのかわからねーと思うが… その奇妙な男の存在に気付いてから、奴は俺との距離をじわりと、しかし素早く確実に縮めてきた。 気がついたらその男が目の前にいて、いつの間にか会話を楽しみ、六甲山で川で泳ぎ、SKCに行き、あまつさえ風呂にすら一緒に入っていた。 この投稿をInstagramで見る 中川 崇道(@ranran_ranmaru)がシェアした投稿 OTS チームB。仲間にいれてくれーい。 pic.twitter
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2021、3人目。「SKCマスター」今井 タカシ。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2021、2人目。サイラス・ジュイ」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2021年の3人目はこちら。 「SKCマスター」今井 タカシ 今井 タカシという男 初代atmos店長にして、現atmosバイヤー。1990年代初頭からスニーカー業界、ヒップホップ界隈で活躍。近頃はめっきりランナーたまにラッパー。 - atmos ウェブサイトから引用 今井さんには公私共にものすごくお世話になっている。 atmosバイヤーとしてOnを担当し、凄腕 (脚) ランナーとして、俺のはるか彼方の目標でいてくれる。 彼がランニングを始めたのは、40代に入ってから。今の彼のスラッと鍛え抜かれた身体つきからは信じられないのだが、暴飲暴食がたたって痛風になってしまったことで、健康のために走り始めたらしい。 そこだけ見ると、いわゆる典型的な「医者に勧められてちょっと運動を…」な人なわけだが、今井さんは並ではない。 若かりし頃、とあるライブを観て「自分の方がカッコよくやれる」と信じ込み、音楽未経験なのにHIP HOPグループ「GAS BOYS」を結成するほど、こうと決めたら一直線な熱い人なのだ。 必ず走る、それが今井 タカシ 彼の人並み外れた部分を垣間見たのは、2019年11月のチューリッヒ出張だ。 今井さんをスイス本社で行われる「グローバル・ミーティング」に招待したときのこと。 「チューリッヒ湖を軽く1周走ろうと思ったらさ〜、70kmくらいあるじゃん!? 参ったよ。午後のミーティング前だから、そんなに時間もないし、 45kmくらいしか走れなかったよ」 ※ その話を聞いたときの俺。 朝45kmも走ったら、向こう数日間はポンコツになってしまいそうなものだが、今井 タカシは並ではない。 45kmの孤高のランの翌日、全世界対抗戦「SquadRace (スクアッド・レース)」に参戦し、世界の健脚たちと共に、見事チームを勝利に導いたのだった。
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2021、2人目。サイラス・ジュイ。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2021、1人目。『安達太良のプロポーズ』羽根田 周平」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2021年の2人目はこちら。 サイラス・ジュイ 2020年11月、三浦半島にて 「トレイルやってみない?」 「わたし、すごくやりたいよ!」 2020年11月、神奈川県三浦市のハードコアなホテル「マホロバ・マインズ三浦」にて、俺とサイラスはお昼ごはんを食べながら作戦会議をしていた。 日本のトレイルランニングにおけるOnの存在感をどのように高めていくのか。まずは、社員自身がトレランに親しむのは当然のことだ。トレランイベントへの出展もやりたい。アウトドア店舗の開拓も進めたい。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 ※ トレイルに親しむ社員の図。 しかし、それだけでは足りない。Onアスリートが日本のトレランシーンに存在しないのだ。 それはつまり、トレランで戦える本格ブランドであるという信頼度が足りないと見られてしまうことになる。 もちろん、海外のOnアスリートの中には強力なトレイルランナーがいる。しかし、日本国内にはまだいない。 そして、俺としては他ブランドのアスリートを無理やりOnに引っ張ってくることはしたくなかった。それは、リアルなストーリーになりづらいからだ。 「よし、じゃあ頼む!プロジェクト名は、 "Conquer the Japanese Trails" (日本のトレイルを征服せよ) だ」 Onジャパン唯一の Wikipedia 掲載者 陸上競技ファンでサイラス・ジュイを知る人は多い。 「サイラス・ジュイ」と検索すると、一番上に表示されるのは Wikipedia だ。 2017年に放送されたドラマ「陸王」で、「サイラス・ジュイ」役で出演したことも記憶に新しい。
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2021、1人目。「安達太良のプロポーズ」羽根田 周平。
前回「超久しぶり。やるぜ、勝手にマン・オブ・ザ・イヤー!」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2021年の1人目はこちら。 「安達太良のプロポーズ」羽根田 周平 2019年1月にOnジャパンに入社した高橋 奈々を知っている人は多いだろう。 小田急ハルクのOn売り場で、多くの #OnFriends と日々交流を深めてくれている。 今では「なーさん」「高橋さん」と親しまれるようになり、俺としては嬉しい限りだ。 そんな彼女は、最近「羽根田さん」になった。 いかにもOn的なシチュエーションで、これ以上ない渾身のプロポーズを受けて。 勝手にマン・オブ・ザ・イヤー2021 最初の1人目は、なーさんに「イエス」と言わせたこの男、羽根田 周平だ。 羽根田くんからのDM 2人の出会いの詳細は知らん。気がついたら付き合っていた。わしは認めんぞ。 しかし、後から奈々から聞いた話によれば、2人の出会いのキッカケは、Runtrip via On Japan Tour 2019 であったらしい。その後、同棲を経て、交際は順調に見えた。しかし、なかなか結婚には至らなかった。 これはアレかな。ヨーロッパ的な「わたしたちパートナーですし」的なアレになっていくのかな。そんな雰囲気すら感じさせた。わしは認めんぞ。 その後、二人の関係性について特に新情報も入らず、いよいよヨーロッパ的なパートナー的なアレに落ち着くのかと思っていた2021年9月某日。羽根田くんからDMが届いた。 突然のご連絡失礼致します。羽根田です。 駒田さんには事前にご報告させて頂きたくご連絡しました。 ナナさんと9月で交際して2年になるのですが、 安達太良トレイルのゴール時間にこっそりお邪魔して、 ゴールゲートにてプロポーズをしようかと考えております。 当日会場にいらっしゃる佐野さんには、先程ご相談をさせて頂きました。大会の主催者様には御迷惑にならない程度にサプライズさせて頂きます。 なんと、水面下で羽根田くんは動いていた。 奈々が一生懸命準備しているOSJ
前回「楽しさと感謝。5回目の結婚記念日に思ったこと」に戻る 前回の記事が3月31日とか…。すっかりご無沙汰となってしまった。 そして、超久しぶりの記事が、年末恒例企画「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」になるとは。 時が経つのは早い。 勝手にマン・オブ・ザ・イヤーとは 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。そう、勝手極まりない。 おそらく2015年あたりに、俺のFacebookで勝手に始めたように記憶している。2016年にこのブログを開設してからは、ここでまたもや勝手に表彰し続けてきた。ブログ開設から5年間、毎年欠かさず勝手に表彰し続けてきたわけだ。 勝手に始めたことだが、ごく一部のマニアの間では、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤーに表彰された」というのはなかなかの喜ばしい出来事であるらしい。そうか。続けるって大事なのね。 2021年の表彰を始める前に、過去5年間の受賞者を簡単に紹介してみよう。 2016年 1人目、「折れないメンタル」森下 健 受賞理由: 「あなたと付き合うことはあり得ない!」とまで言ってきた美女相手に高度な恋愛技術と折れないメンタルで寄り切り、見事結婚にこぎつけたこと。なお、現在はパパ。 2人目、「いきなりアイアンマン」高倉 恵子 受賞理由: 「初トライアスロン・初アイアンマン・初表彰台」の偉大な合わせ技を決めたこと。苦しい局面で大技「#お前のハートにバキューン」すら決めてのけたこと。 3人目、「キャプテン・みずお」碓井 瑞生 受賞理由: キャプテン・アメリカも真っ青なヒーローぶり。若干の手違いにより、アイアンマン・ケアンズで "Mizuo Usui, 108-year-old male, born in 1908" ということになっていた。御年108歳。 4人目、「笑いの刺客」河原 勇人 受賞理由: 年間を通じて俺を爆笑の渦に叩き込み続けてきたこと。トライアスロン界、生きた笑いの伝説。 5人目、「しげ選手」吉田 茂利 受賞理由: いつも俺に挑戦する気持ちを思い出させてくれること。Onの掲げるスピリッツの一つ、"The Positive
前回「藤原先生の思い出。藤原パンチと鉄棒受け」に戻る まどかとの5回目の結婚記念日を迎え、昨年も訪れた別府・湯布院に来た。旅の2日目の朝、由布院の宿の露天風呂に入った。 空はどこまでも青く、白い雲はゆったりと流れていく。笹の葉の隙間から朝日が差し込み、湯の表面で輝いている。湯加減はちょうど良い。 「幸せだなぁ」と加山雄三のようなことを呟いた。 日々大変なことはたくさんあるが、好きなことを仕事にさせてもらっている。こうして休みをいただき、結婚記念日の旅行をさせてもらっている。おかげさまで幸せだ。楽しい。 湯に浸かりながら感謝の念がじんわりと浮かんでくる。楽しさと感謝、そんな言葉も一緒に浮かんできた。 「楽しさ」という言葉を真剣に考え始めたのは、2012年9月のことだ。最初の結婚生活に行き詰まり、もうどうにも動きが取れなくなってしまった頃のこと。 俺の人生を決定的に変えた瞬間というのがあるとすれば、その中のひとつは間違いなくあの時だ。大学時代の先輩から絡まれ、怒涛の問い詰めにあった時。 「おまえは何がしたいんだよ!」 この問い詰めを受けるまで、俺は自分が何をしたいのか真剣に自問自答したことはなかった。 戸惑いながらモゴモゴと口から出てくるのは、どれも自分が「やるべき」「やらなければならない」と考えていたものばかり。すると、すかさず「そういうことじゃねぇんだよ!」と言われてしまう。 じゃあどういうことなんだ。俺は正しいことをやってきたはずなのに。誰にも迷惑をかけないようにやるべきことをやり、仕事でも結果を出してはずなのに。それなのに、今の人生はどん詰まりのようにしか思えない。 「それが楽しいのかよ!」 酒に酔った先輩から真っ赤な顔でそう叫ばれたとき、俺の中で何かが切れた。 「楽しいわけないだろ!」 反射的にそう言い返し、彼の胸ぐらに掴みかかった。 「離せコマダこの野郎ー!俺は晩酌がしてぇんだよ!!」 先輩が真っ赤な顔でわめいている。なんだそのパワーワード。 そう、俺は楽しくない。
前回「生涯の師との別れ」に戻る 「よし、じゃあちょっと強めにいくぞ」 そう言った藤原先生は、構えた両手を斜め前方に持ち上げ、グッと手前に引きつけ構え直した。 ヤバい。いつものヤツだ。 そう思った途端、先生は右足を大きく踏み出した。同時に、文字通り唸りを上げて迫る右正拳。 俺は左腕で先生の右正拳を受け止めようとする。左内受け。 「ゴキっ」と俺の左腕が嫌な音を立てる。 「いったぁー!!」 思わず叫ぶ。見る見るうちに左前腕が腫れ上がってくる。左前腕をさすりながら後ずさってしまう。 先生は右正拳を放った体勢のまま、厳つい顔でニヤッと笑った。 1990年、初夏。 「真光流 拳生会」という琉球古武道空手道の道場に入門した俺が最初に教わった技は、「追い突き」という技だった。 左前に構えて右脚を大きく踏み出し、地面を踏みしめてから右正拳を突き出す。逆の手足でも同じこと。いわゆる正拳突き。基本中の基本の技だ。 琉球古武道空手道 真光流 拳生会、入門。 左右の追い突きを何度も繰り返し、形を覚えた後にやったのは、「約束組手」だ。例えば、相手は右正拳を打ち、こちらは左腕で受ける。そういう約束の元、攻守を練習する稽古方法である。 拳生会では、約束事なしの組手、つまり「自由組手」ができるようになるまで、この約束組手を徹底的にやる。様々な約束組手のパターンを学び、約束事の元とはいえ、どのような攻撃も一通り受けられるようになって、ようやく自由組手が許される。 相手がどんな攻撃をしてくるか事前に分かった状態で受けるので、こちらもある程度余裕をもって受けられる。そのはずだ。 しかし、相手が藤原先生の場合、その余裕がほとんど無くなってしまう。 来ると分かっていても怖い。覚悟を決めていても痛い。 それが藤原先生の正拳突き。 「左腕はもうダメか?よし、腕を変えろ」 パンパンに腫れてしまった俺の左腕を見た藤原先生は、逆構えに変えた。俺も右腕を前にして構える。 「最初はゆっくり、丁寧にな」
前回「正義の星と正義感の話」に戻る 藤原先生が眠っている。 随分と痩せてしまった。最後に先生と会って話したのは、もう3年も前のことだ。 あの頃は、なんというか、丸かった。フォルムが。 「お腹が出ちゃったから、蹴りが出しにくくなってなぁ」 そんなことを言いながら、赤い顔をして日本酒を飲んでいたときのことを思いだす。 線香を手に持って蝋燭に近づけようとする。 あまりうまくできない。手が震える。 俺にとってもう一人の父親のような存在。別れはずっと先のことだと思っていた。 去年の春に電話で話したときは、「ちょっと体調を崩してな」と言っていた。 手術は成功したと聞いていたのに。 ようやく線香を供える。 ずっと先のことだと思っていたから、仕事の忙しさを言い訳に、道場から足が遠のいていた。 「忙しいときはそれでいいんだよ。でもたまには顔見せろよ」という先生の言葉に甘えていた。 会えばいつもの笑顔で、いつもの「おっ、久しぶりだな!」で迎えてくれると思っていたから。 鐘を小さく鳴らす。掠れたような音しか鳴らない。 昨日、メールで届いた先生の訃報。 文字が目に入っても、理解が追いつかなかった。そんなはずがないと思った。 体力と気迫の塊のような人なのに。 それでもなんとか手を合わせる。 心の中で話しかけようと思っていたのに、涙以外何も出てこない。 話しかけるのはやめて、ただ思い出すことにした。 30年教わってきた、生涯の師匠との思い出を。 次回に続く ※ 書くことは自分にとって癒しです。下の応援バナーのクリックをお願いします。 にほんブログ村
前回「禍福は糾える縄の如し」に戻る 俺の母親は、俺が生まれたとき「大輔」と名付けたかったそうだ。 どうやら「だいちゃん」と呼びたかったらしい。「だいちゃんって、なんかかわいくない?」とウキウキした感じで聞かれたことがある。「博紀」となった後にそんなことを言われても少し困る。そんなことを思った覚えがある。 しかし、俺は結局「大輔」にはならず、「博紀」と名付けられた。なんでも、姓名判断をする占い師から反対されたとか。「『駒田 大輔』だと、気の弱い子供になってしまう」と言われたそうだ。 そこで、その占い師と相談の上、「博紀」という名前になったと聞く。 結局、「駒田 博紀」はさほど気が弱い子供にはならなかったが、身体の弱い子供になった。ただ、それは別の話だ。 使えない駒田。 最後のチャンス。 素質はない。逃げ道もない。 俺の名前を「博紀」と提案したその占い師は、四柱推命をやる人だった。 その人によれば、「博紀」という名前はあらゆる意味でバランスが良くオススメだが、唯一気をつけた方がいいことがあると母親はアドバイスを受けた。 「この子には『正義』の星が2つもある」 その話を母親から聞いた子供時代の俺は、四柱推命の何たるかも分からなかった (今もよく分からない) ため、こう感じた。 「正義の星が2つ。かっけぇ」 それなのに、母親はこう言った。 「気をつけてね」 子供時代の俺には意味が分からなかった。正義の味方ならいいじゃないかと。 身体が弱く、ともすれば腕ずくで黙らされてしまうことも多かった俺は、「理不尽なこと」や「不公平なこと」、「正しくないこと」にとりわけ敏感だった。 「正義の星が2つ」のお墨付きをもらった俺は、以降こうして育つ。 ・学校の勉強を頑張る。 ・身体は弱かったが空手の稽古に励み黒帯になる。 ・白黒ハッキリさせたがる。 ・旧司法試験に挑む。 ・旧司法試験でモノにならず浪人。 「正義の星2つ」の俺が揺らぎはじめたのは司法浪人時代だった。 論文模試では何度も模範解答に選ばれ、講師から文章力と論理的思考力を褒められた。しかし、肝心の本試験で合格しない。その俺に大学時代の友人が言った。  
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、5人目。『ヒデフルネス』吉澤 秀史」に戻る 昨晩はギリギリまで「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー2020」シリーズを書いていた。 勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、1人目。「婚活人事」中川 淳一郎。 勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、2人目。「ファイナンスラン」本西 孟史。 勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、3人目。「横浜ビール」横内 勇人。 勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、4人目。「にんげんっていいな」杉山 響。 勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、5人目。「ヒデフルネス」吉澤 秀史。 というか、年末年始休暇にはいった途端、サボりにサボって溜まりに溜まった話を書き続けた。 年末恒例のしげみか家に来てからも、パソコンに向かい続けた。しげちゃんと走ったり、温泉につかったり、勝手に #MeetOnFriends in Nagoya をやったり、そんなことをやっている合間にも、そりゃもう書いた。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 2020年12月26日から12月31日の6日間で書いたのは約27,000字。原稿用紙約67枚分。1日平均4,500字。 書きながら思ったのは、「良いことがたくさんあったな」だった。1年を通じて苦しいことがたくさんあり、思い通りにいかないことばかりであった。それでも、間違いなく良いこともたくさんあったのだ。 たとえば、新たな家族を迎えたこと。元気いっぱいのうみと、うみに翻弄されつつ楽しそうなまどかを見るたびに、小さな幸せをじんわりと味わったものだ。家で過ごす時間が増えたことで、小さな息子のような存在の成長を喜ぶことができた。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 禍福は糾える縄の如し。 耐えられないほど「悪い」と思われることであっても、そこで投げ出して終了させなければ、今につながる「良い」ことのキッカケになっていたりする。
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、5人目。「ヒデフルネス」吉澤 秀史。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、4人目。『にんげんっていいな』杉山 響」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2020年の5人目はこちら。 「ヒデフルネス」吉澤 秀史 大阪・岸和田の #OnFriends、自称・ヒデフルネスが「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー2020」最後の5人目だ。 ヒデフルネスとは何なのか 覚えている人はいるだろうか。 かつて、マインドフルネスを粉砕しようとして取り込まれた哀しき男の話を。 リトリートとはなんぞや。マインドフルネスとはなんぞや。返答せい。 IGNITE YOGA、マインドフルネスの総本山に乗り込んだ。前編。 IGNITE YOGA、マインドフルネスの総本山に乗り込んだ。中編。 IGNITE YOGA、マインドフルネスの総本山に乗り込んだ。後編。 この一連の話を殊の外気に入ってくれた人がいた。気に入るあまり、自らのTwitterやInstagramのアカウント名を変えてしまうくらいに。 吉澤 秀史。俺が「ヒデちゃん」と呼んでいた男は、その日から「ヒデフルネス」という挑戦的な名前になった。 乾杯レベル上限突破 2019年、Onジャパンは全国7都市を巡るツアーを企画した。 #OnFriends たちと一緒に走り、顔を見て話し、ときには一緒にビールを飲むツアー。 題して「Runtrip via On Japan Tour 2019 - #MeetOnFriends -」を。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 このツアーで乾杯の音頭を取るたびに、俺はあることを提案した。 乾杯レベル1: 自分の周りにいる初めましての人、5人と杯を合わせること。 乾杯レベル2: その人たちと一緒に写真を撮ること。 乾杯レベル3: その人たちをタグ付けして、SNSに投稿すること。
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、4人目。「にんげんっていいな」杉山 響。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、3人目。『横浜ビール』横内 勇人」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2020年の4人目はこちら。 「にんげんっていいな」杉山 響 Onジャパン Tech Rep、杉山 響。Onジャパンで最も山に熱い男。 響の年末の過ごし方 今年は誰にとってもそうであったように、響にとっても大きな動きのある1年だったように思う。 彼が愛してやまない地元、横須賀にしばしの別れを告げ、大阪に転勤したからだ。 旅を日常とする Tech Rep とはいえ、家族も友達もいない土地に移るというのは簡単なことではない。 ……そう思っていた俺がバカだった。 響は年末を全開で楽しんでいた。 大阪ではなく、神戸・三宮で。iro-hanaかふぇ食堂で。 周囲をぐるりと #OnFriends に取り囲まれて。 「えー、僭越ながら…」 僭越すぎるわ!なんでお前そこにいるんだ!! 僭越の極み。 pic.twitter.com/uUfC3FsJCQ — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 31, 2020 「あのー、大阪に来て気がつけば1ヶ月…。 あれ?あれですよね? 1ヶ月前ポップアップで来たとき以来ですよね? えーと、そんなどうでもいい話なんですけど…」 ヘタクソか。 カット。 pic.twitter.com/gtDBWVXqqB — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 31, 2020 オーディエンスが貴様に求めているのはそういうことじゃねーんだよ。 甲斐駒ヶ岳で奇跡的に生まれたアレなんだよ。 くちゃくちゃやってねーで早くやれ。  
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、3人目。「横浜ビール」横内 勇人。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、2人目。『ファイナンスラン』本西 孟史」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2020年の3人目はこちら。 「横浜ビール」横内 勇人 ヨコハマには横浜のビールがある。 横浜に住む俺が最も愛するクラフトビール、それが横浜ビールだ。 その横浜ビールの Head of Marketing、横内 勇人 (ヨコウチ ハヤト) が「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」の3人目。 なお、彼も法政大学出身。昨年の受賞者「ラントリップ」大森 英一郎も法政。俺はよくよく法政に縁があるらしい。 ラン & ビールの楽しさ 2013年、Onの仕事をはじめたのと同時に習慣となったランニング。 ただ、元々走ることが苦手で仕方なかった俺は、なんとか走り続けるモチベーションを保ちたいと思っていた。それが、走り終えてシャワーを浴びた後の一杯のビールだった。 酒が弱いくせに、ビールは好き。だから、「ビールを飲みたかったらちょっとだけでも走る」という自分ルールを作ることで、走り続けようと思ったのだ。そして、それは意外とうまくいった。 こうして、俺は「走ったらビール」という、ゆるくも楽しい習慣を身につけたのだった。 ヨコハマで出会った横浜ビール 2015年5月、Onジャパンを立ち上げた俺は、その直後に横浜に引っ越してきた。 東京大田区で生まれ育ち、鎌倉市で孤独と新たな喜びを知り、人生を変えるつもりで本籍地を横浜に移した。 横浜に早く馴染みたいと思った俺は、横浜の街を走ることと、走り終えた後、横浜の飲食店を巡ることを趣味にした。 そんな中で出会ったお気に入りの店のひとつが「横浜ビール 驛の食卓」だった。 そこはレストランであって、同時に醸造所でもあった。そこでランニング後に飲む「ヴァイツェン」が最高の楽しみとなった。 そのときに撮ったこの写真が、ハヤトとの付き合いの始まりになるとは不思議なものだ。 この投稿をInstagramで見る Hiroki
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、2人目。「ファイナンスラン」本西 孟史。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、1人目。『婚活人事』中川 淳一郎」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2020年の1人目はこちら。 「ファイナンスラン」本西 孟史 2019年1月入社。Onジャパン Finance Specialist。 ファイナンス、すなわち財務。「財務スペシャリスト」という肩書きと裏腹に、多方面で活躍する本西 孟史 (モトニシ タケシ) が「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー2020」の2人目だ。 ファイナンスなのに肉体派。「ファイナンスラン」とは。 タケシがOnジャパンに入った月の翌月、東京マラソンEXPO 2019が開催された。 この東京マラソンEXPO、カード決済も多いが現金決済も多い。そうすると、お釣りが足りなくなることもある。 そんなとき、タケシがおもむろに財布を持ってブースからふらりと出ていくことがあった。 一歩ブースから外に出た瞬間、彼の恵まれた体躯 (180cm) とはち切れんばかりの大腿四頭筋 & 下腿三頭筋、ついでに彼がこよなく愛する Cloudsurfer が爆発的な推進力を生み出す。 一分一秒でも早くお釣りを両替に。Onを楽しみにお買い物に来てくださるお客様をお待たせしない。その心意気でタケシは何度も何度もブースと銀行ATMを往復した。真冬の屋外ブースという極寒の環境にも関わらず、タケシは常にホットであった。 お釣りを両替に走る際、タケシはいつもこう言っていた。 「ファイナンスランに行ってきます」 それがそのまま彼の代名詞となった。走る財務、本西 孟史。 なお、彼はサブ3ランナー。しかもトライアスリート。 オリンピック・ディスタンスは2時間5分。 あまりにも肉体派。 爆発的な笑いを生み出す大阪人 タケシは実直な男だ。大坂生まれなのに、基本的に喋りでボケることをしない。 しかし、彼はやはり大阪人なのだろう。唐突にボケを放り込んでくることがある。
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2020、1人目。「婚活人事」中川 淳一郎。
前回「我が家に子猫がきた」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2020年の1人目はこちら。 「婚活人事」中川 淳一郎 中川 淳一郎、略歴。 ニューヨーク出身。Onジャパンに入社する前は、アジア諸国を敏腕人事として渡り歩いた。 2017年6月、タイで人材会社立ち上げ。会社が軌道に乗ったのを見届け、2019年12月31日、惜しまれつつ退社。 2020年1月、日本帰国。そして、Onジャパン Talent Acquisition Specialist (タレント・アクイジション・スペシャリスト) として入社した。 なお、バツイチ。この点、限りないシンパシーを覚える。 経歴を見ると超絶エリート。しかし…。 ニューヨーク出身、アジア諸国歴訪、タイ・バンコクで会社立ち上げ。 超絶エリートにしか見えないこの経歴。実際、一流の人事であることに間違いはない。 しかし、どうしたことだろう。彼を知るOnジャパンの面々は、彼をマスコットキャラのように扱う。その動き、その目の配り、その佇まい、全てがかわいいと言わざるを得ない。 例えばこれ。マスクをかけて歩いているじゅんさん。どう見ても狙っているとしか思えない。マスクがぱくぱくしている。 マスクの掛け方がおかしいじゅんさん。 pic.twitter.com/qlqdYe62BL — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 30, 2020 そんなわけで、年齢を問わず Onジャパンの面々は、深い親しみを込めて彼を「じゅんさん」と呼ぶ。 ゆるTで面接 彼の佇まいは全体的にゆるっとしている。 それを象徴するのが、彼のゆるTだ。ご覧いただこう、彼の代表作のひとつ「キン骨マン」Tを。 KINKOTSU MAN (キン骨マン) Tを身にまとうじゅんさん。 pic.twitter.com/QYjinyqOMr — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 30, 2020
甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 最終話「甲斐駒ヶ岳の男と女たち」
第9話「日没ギリギリの帰還」に戻る 18時20分。完全に日が沈んで10分後、トシ・ヤスコ・亀さん組下山。 俺とさのーんは彼らをハイタッチで迎える。 「足を捻りそうになったんですけど、響さんにやってもらったテーピングのおかげで持ちこたえられました!」 そう言って、20分前の俺と同じように駐車場に転がる亀さん。 暗い山道で、響は亀さんを救ったのかも知れない。 亀さんにテーピングする響。 pic.twitter.com/PoEHvZOdva — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 29, 2020 18時50分、最後尾を守るつっちーからLINEが入った。 「間もなく駐車場着きます!」 じゅんさん組を迎えるべく、俺たち全員で駐車場入口で待機する。ここは盛り上げていきたい。 「さのDJ」 「はい」 「音楽を頼む。『アルマゲドン』のテーマを」 「はい」 そして、ついに待ち望んだ瞬間が。同時に音楽スタート。 「あっ、ライトきた 」 「おーい!」 「おかえりなさーい!」 「おかえりー」 「テーマソング、ピッタリだろ」 「帰ってきた感がありますね」 笑いと拍手が沸き起こる。 映画・アルマゲドンでは、ひとりだけ帰還できずに死んでしまうわけだが、それはここでは口にしない。 「じゅんさんおつかれ!伊織もおつかれ!つっちーもおつかれ!」 ヤスコが帰還した男たちを迎えていく。 笑顔を浮かべたじゅんさん、響、伊織、つっちーとハイタッチ。 「響先生!」 ヤスコの呼びかけに、やり遂げた男の顔を見せる響。 じゅんさんのザックをお腹側に持って、頭にはライトを点けている。 本当に頑張ってくれた。 「いやー、すいません! 時間遅くなっちゃったんですけど… 皆さん、無事に降りれてよかったっす! ありがとうございました!!」 やり遂げた男の顔。 pic.twitter.com/EZGbkbFUQP — 駒田 博紀 (@hiroki
甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 第9話「日没ギリギリの帰還」
第8話「ヤスコ・ザ・Disconnectedと忍び寄るピンチ」に戻る 「佐野、この道で正しい?」 つづら折りのような道の途中で少しだけ立ち止まり、俺はさのーんに話しかけた。もう、日の入りまで時間がほとんどない。 さのーんはスマホにダウンロード済のYAMAPを見て、「多分、この道で大丈夫だと思います」と言った。あまり自信がなさそうだ。 「そっか、こんなに長かったっけ。この道…」 不安が漏れる。しかし、いずれにしろこの道しかなかったはずだ。すぐに走り出すさのーんと俺。 今、俺はさのーんと二人で、尾白渓谷駐車場を目指している。 その後に第二組のトシ・ヤスコ・亀さん。 最後が第三組の響・つっちー・伊織・じゅんさんだ。 俺とさのーんは、どんどん暗くなる森の中をひた走る。 -------------------------------------------------------------- 刃渡りを超えた俺たちは、徐々にペースを上げた。「このペースだと日が落ちます」と響が不安げにこぼしたからだ。 当初の予定では、16時には全員山を降りることになっていた。しかし、残り4kmほど残した今、もう16時に近い。20分/kmペースで進んだとして、山を降りるのは17時半。日の入りが18時なので、ギリギリだ。山の中では実際の日の入り時間より暗くなるのが早いので、それでも間に合わないかも知れない。 「キロ20分で行ければ大丈夫なんだから、きっと間に合うよ」 俺はそう言いつつ、じゅんさんの体力の消耗具合が心配だった。 少し進んでは立ち止まり、じゅんさんと共に行く伊織とつっちーを待ち、彼らが追いついてきたらまた進む。 何度かそれを繰り返すうちに、待つ時間の方がどんどん長くなっていった。 甲斐駒ヶ岳下り。頑張るじゅんさん。 pic.twitter.com/5G4ofkmBZp — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 29, 2020 じゅんさんだけでなく、山頂の方で転んだ亀さんの足の具合も思わしくなさそうだ。
甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 第8話「ヤスコ・ザ・Disconnectedと忍び寄るピンチ」
第7話「甲斐駒ヶ岳登頂」に戻る 「うわぁーー!!!」 何事かと後ろを振り返ると、石が転がってきた。 その上を見ると、亀さんが転んでいる。足元の石が崩れたらしい。幸い、軽い擦り傷と少し足首を捻っただけで済んだようだ。 つっちーがすかさずザックからバンドエイドを出し、亀さんの手当をしていく。響から仰せつかったミッション「誰も脱落させずに連れて行く」に実に忠実に行動している。 登りがキツくて下りはラク、それは嘘だ。もしそう言う人がいるなら、その人は山登りもトレイルランニングもしたことがないに違いない。 実際、ただでさえ下りはしんどい。着地のたびに脚にダメージが蓄積されていく。 それに加え、これほどの急斜面だと下りは恐怖そのものだ。登りで足元を見ないようにして進めたとしても、下りでは足元を直視しなければならない。 今まさに、俺はその下りの恐ろしさを体験している。「どうやって登ってきたんだ?」と思ってしまうようなところを、地面に腰を下ろしながら進んでいく。 斜面に腰を下ろしながら少しずつ進む。 pic.twitter.com/JrC0eUJhsI — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 28, 2020 八合目にじゅんさんを待たせているとはいえ、この下りは絶対に焦ってはならない。 高所恐怖症でビビりだからというのもあるだろうが、ここで油断したらマズいと本能的に感じる。 無事に帰るのだ。 pic.twitter.com/SphM0tqKZV — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 28, 2020 座ってずり落ちるように斜面を下り、鎖を握りしめて崖を降る。 そうしてようやく八合目へ。 下を見ると恐怖が倍増する。 pic.twitter.com/Da72TyWDa7 — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 28, 2020 頂上から八合目までの下りにかかった時間は、八合目から頂上までの登りにかかった時間とさほど変わらなかった。 随分じゅんさんを待たせてしまったが、ようやく合流できた。 彼はどうやら百式 (というかエマージェンシーシート)
甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 第8話「ヤスコ・ザ・Disconnectedと忍び寄るピンチ」
第7話「甲斐駒ヶ岳登頂」に戻る 「うわぁーー!!!」 何事かと後ろを振り返ると、石が転がってきた。 その上を見ると、亀さんが転んでいる。足元の石が崩れたらしい。幸い、軽い擦り傷と少し足首を捻っただけで済んだようだ。 つっちーがすかさずザックからバンドエイドを出し、亀さんの手当をしていく。響から仰せつかったミッション「誰も脱落させずに連れて行く」に実に忠実に行動している。 登りがキツくて下りはラク、それは嘘だ。もしそう言う人がいるなら、その人は山登りもトレイルランニングもしたことがないに違いない。 実際、ただでさえ下りはしんどい。着地のたびに脚にダメージが蓄積されていく。 それに加え、これほどの急斜面だと下りは恐怖そのものだ。登りで足元を見ないようにして進めたとしても、下りでは足元を直視しなければならない。 今まさに、俺はその下りの恐ろしさを体験している。「どうやって登ってきたんだ?」と思ってしまうようなところを、地面に腰を下ろしながら進んでいく。 斜面に腰を下ろしながら少しずつ進む。 pic.twitter.com/JrC0eUJhsI — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 28, 2020 八合目にじゅんさんを待たせているとはいえ、この下りは絶対に焦ってはならない。 高所恐怖症でビビりだからというのもあるだろうが、ここで油断したらマズいと本能的に感じる。 無事に帰るのだ。 pic.twitter.com/SphM0tqKZV — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 28, 2020 座ってずり落ちるように斜面を下り、鎖を握りしめて崖を降る。 そうしてようやく八合目へ。 下を見ると恐怖が倍増する。 pic.twitter.com/Da72TyWDa7 — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 28, 2020 頂上から八合目までの下りにかかった時間は、八合目から頂上までの登りにかかった時間とさほど変わらなかった。 随分じゅんさんを待たせてしまったが、ようやく合流できた。 彼はどうやら百式 (というかエマージェンシーシート)
甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 第7話「甲斐駒ヶ岳登頂」
第6話「Cloudventure (クラウドベンチャー )、命を預けられる相棒」に戻る 八合目から頂上まで、どのくらいかかるのだろう。 距離にして1km強程度のはずが、いつまで経っても頂上に着く気配がない。かれこれ40分以上は登っている。 ただ、良い予兆のようなものも感じる。雨が弱まってきたのだ。 本当に大切なときは、俺の望む天候になる。頂上では絶対に晴れていて欲しい。 それなら、もうすぐ頂上のはずだ。 すると、大きな剣が2本刺さった岩が見えた。 前夜のブリーフィングで聞いた情報によれば、ここは山頂直下。もうすぐだ。 甲斐駒ヶ岳、もうすぐ頂上。 pic.twitter.com/XbmgLBcvPw — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 28, 2020 「誰がどうしてこれを立てたんだろう」と歴史の不思議に思いを馳せつつ、残り少ない体力を振り絞るようにして登る。 そして頂上へ。 草履が掛かった祠が出迎えてくれた。 この草履は、修験者のものなのだろうか。 甲斐駒ヶ岳、頂上の祠。 pic.twitter.com/1yYo0KFxVS — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 28, 2020 祠に一礼。 頂上にたどり着くと、分厚かった雲が風で流されていった。 やはり最後には晴れてくれた。 頂上に着いたら晴れた。 pic.twitter.com/ke87MlvJC2 — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 28, 2020 先に着いていた響、さのーん、トシ、ヤスコとハイタッチ。 スタート地点の尾白渓谷駐車場から6時間もかかってしまった。 疲労困憊。思わず転がってしまう。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 ほどなくして、亀さん、伊織、つっちーも到着。 「甲斐駒の男になったからな!写真撮らなきゃな!!」 そんな調子に乗ったことを言いながら、じゅんさんを除いた全員で記念撮影。
甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 第7話「甲斐駒ヶ岳登頂」
第6話「Cloudventure (クラウドベンチャー )、命を預けられる相棒」に戻る 八合目から頂上まで、どのくらいかかるのだろう。 距離にして1km強程度のはずが、いつまで経っても頂上に着く気配がない。かれこれ40分以上は登っている。 ただ、良い予兆のようなものも感じる。雨が弱まってきたのだ。 本当に大切なときは、俺の望む天候になる。頂上では絶対に晴れていて欲しい。 それなら、もうすぐ頂上のはずだ。 すると、大きな剣が2本刺さった岩が見えた。 前夜のブリーフィングで聞いた情報によれば、ここは山頂直下。もうすぐだ。 甲斐駒ヶ岳、もうすぐ頂上。 pic.twitter.com/XbmgLBcvPw — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 28, 2020 「誰がどうしてこれを立てたんだろう」と歴史の不思議に思いを馳せつつ、残り少ない体力を振り絞るようにして登る。 そして頂上へ。 草履が掛かった祠が出迎えてくれた。 この草履は、修験者のものなのだろうか。 甲斐駒ヶ岳、頂上の祠。 pic.twitter.com/1yYo0KFxVS — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 28, 2020 祠に一礼。 頂上にたどり着くと、分厚かった雲が風で流されていった。 やはり最後には晴れてくれた。 頂上に着いたら晴れた。 pic.twitter.com/ke87MlvJC2 — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 28, 2020 先に着いていた響、さのーん、トシ、ヤスコとハイタッチ。 スタート地点の尾白渓谷駐車場から6時間もかかってしまった。 疲労困憊。思わず転がってしまう。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 ほどなくして、亀さん、伊織、つっちーも到着。 「甲斐駒の男になったからな!写真撮らなきゃな!!」 そんな調子に乗ったことを言いながら、じゅんさんを除いた全員で記念撮影。
甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 第6話「Cloudventure (クラウドベンチャー )、命を預けられる相棒」
第5話「刃渡り、刀利天狗、鎖場。修験者の道を征く高所恐怖症の男」に戻る 「皆さん、お気をつけて〜」 甲斐駒ヶ岳八合目。消耗の激しかったじゅんさんが手を振り、先に進む俺たちを見送る。 ここから先、響によれば「三点支持必須」のさらなる絶壁エリアに入る。この三点支持とは、両手・両足の四肢のうち三肢で身体を支え、一肢だけを動かして次の手がかり・足場に移動する登り方のことだ。 三点支持を使って登らなければならない場所とは、すなわちそうしなければ滑落のおそれがある危険箇所ということ。だから、昨日の夜、響指導の上でメンバー全員が練習していた。 そんな危険地帯にこれから挑む。直線距離にすればせいぜい1km強だが、往復で1時間半くらいはかかる見込みらしい。 体力が消耗すると、注意力も散漫になりがちだ。じゅんさんも一緒に登頂できないのは残念だが、冷静な判断をした彼は素晴らしい。俺なら無理にでも行こうとしてしまうかも知れない。 後ろを振り返ると、つっちーが何やらザックから取り出してじゅんさんに渡している。それは、金色に光るシート。 これは…! あの伝説の百式…!! ※ ハセツネ2016、ヤスコを応援しに山に入ったらいきなり凍えて選手より先にエマージェンシーシートに身を包んだ人の図。 百式と化したじゅんさん。これでこの人は大丈夫だ。百式に対する絶大な信頼。 「行ってきます!」 元気よく出発した俺たちは、背後からキラッとする光に後押しされるように、急斜面に挑む。 甲斐駒ヶ岳八合目から山頂へ向かう。 pic.twitter.com/xS5QeirAqC — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 28, 2020 先頭は響。続いてさのーん、トシ、ヤスコ。この4人は会話する余裕がある。特に響とヤスコがキャッキャしている。 俺はその4人から少し離れたところに位置する。少し歩いただけで心拍数が160を超えてしまうのに、会話をする余裕はない。あのキャッキャに巻き込まれるとMPまで削られてしまう。少し歩いては立ち止まって息を整え、そしてまた進む。
甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 第5話「刃渡り、刀利天狗、鎖場。修験者の道を征く高所恐怖症の男」
第4話「まだまだ序盤。張り切っていきやしょーう」に戻る はあはあ。。 はあはあはあ。。。 何なんだこの山は。落ちたら即サヨナラじゃないか。 「刃渡り」……読んで字のごとく、鋭い刃物の上を歩いて渡っているかのような場所である。 その刃物の側面に、ほとんど柵はない。つまり、崖そのもの。 そんなアホみたいな場所を、高所恐怖症の男が這いずるように進んでいる。 甲斐駒ヶ岳、刃渡り。 pic.twitter.com/dJhkIohFnH — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 26, 2020 「いい感じっすよー!その調子でサクッと行っちゃいやしょーう!」 やかましいわ。どこをどう見たらいい感じなんだ。 ここに来てから語尾がずっと「やしょーう」なのは何でだ。山賊か。 しかし、それを口に出す体力はない。 命からがら刃渡りをクリアし、地面に足がついている感覚を味わいながら、次のチェックポイント「刀利天狗」に到着。 甲斐駒ヶ岳、刀利天狗。 pic.twitter.com/wuoSQCBpCg — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 26, 2020 立派な祠だ。 こういう建築物を山の上に建てるには、どんな苦労があるのだろう。さっきの刃渡りを、石材や木材を抱えて歩いたのだろうか。 元々、甲斐駒ヶ岳は修験者の修行の場だったと聞く。こういうものを作るのも修行の一環だったのだろうか。高所恐怖症の修験者とかいなかったのか。 そんなことを考えつつ、はあはあ言いながら歩く。 途中何箇所か小休憩を入れながら進んでいたが、響が嬉しそうに振り返ってこう言った。 「ここから有名な鎖場っす!!」 昨日の夜、この男から話は聞いていた。断崖絶壁と呼んでも差し支えのない急斜面に、梯子のような階段や、ギリギリ手がかりとなる鎖が設置された難所。 万が一にも手を滑らせたら、もう待った無しでサヨウナラ。それが鎖場だった。
甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 第4話「まだまだ序盤。張り切っていきやしょーう」
第3話「初戦がラスボス。甲斐駒ヶ岳黒戸尾根日帰りピストンへ」に戻る 甲斐駒ヶ岳神社を過ぎると、いきなりの急登が俺たちを出迎えてくれた。 いつも思うのだが、山登りやトレランは開始直後が一番キツい。 心臓がただひたすらビックリする。汗がいきなり噴き出してくる。 いきなりの急登。 pic.twitter.com/PCpATiIyvw — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 26, 2020 それなのに、響は先頭をガシガシと登っていく。遠目にも山を登る歓びに溢れている。 殿 (しんがり) は、響を妙にリスペクトしている Tech Rep の土田 優樹 (つっちー)。つっちーは、この日までに響に山でかなり揉まれたらしい。響とつっちーは、Tech Rep の先輩と後輩。そして今では山の先輩と後輩。出来上がった師弟関係がそこにはある。 今回、つっちーは響からミッションを課されたようだ。それは、「誰も脱落させずに連れて行く」というもの。だから、最後尾のじゅんさんが落ちそうになっても、つっちーが絶妙に拾い上げる。誰もDNFさせないという意気込みを感じる。 つまり、そんな響とつっちーに挟まれた俺たちは、もう絶対に脱落できない。そんな感じの布陣で少しずつ登っていく。 先頭は響。殿はつっちー。逃げられない。 pic.twitter.com/3wCr8xpcJz — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 26, 2020 それにしても素晴らしい天候だ。 俺にとって大切なイベントでは、必ず俺の望む天候になる。そういうジンクスが俺の中にはある。 絶対に晴れて欲しいときは晴れに。雨が降った方が面白いと少しでも思ってしまうと雨に。そんな実績の枚挙にいとまがない。 晴れて欲しいときに必ず晴れる。 pic.twitter.com/m8vpqdTEqo — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 26, 2020 ただ、素晴らしい天候に恵まれたせいか、いつも以上に汗をかく。平均斜度10%が俺の貧脚に牙を剥く。 はあはあ言いながら足元だけ見つめて登っていると、急にひらけた場所に出た。 「ここで小休止!補給してくださーい!」
甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 第3話「初戦がラスボス。甲斐駒ヶ岳黒戸尾根日帰りピストンへ」
第2話「前夜のかぱーい」に戻る 2020年9月4日(金) 5時。 宿の外に出ると、美しい朝焼けが広がっていた。実に幸先が良い。 甲斐駒ヶ岳の朝。 pic.twitter.com/ZJjkACkHQY — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 26, 2020 「いい天気だなぁ。あとは風呂入ってビール飲んで帰ろうか」 「なにいってんすか!最高じゃないですか!山!行きますよ!」 最後の抵抗を試みてみたが、響のテンションはとどまるところを知らない。車に詰め込まれ、まるで出荷されるようにして、スタート地点の「尾白渓谷駐車場」へ。 尾白渓谷駐車場。 pic.twitter.com/NROU0fmvkE — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 26, 2020 昨日の夜、響からYAMAPの読み方や黒戸尾根ルートの流れを教え込まれたわけだが、スタート地点にある地図でもう一度おさらいする。 最後のおさらい。 pic.twitter.com/gyFZZzKi2b — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 26, 2020 おさらいすると、イヤでもこれからの道のりの厳しさを突きつけられる。 総距離20km。ここ尾白渓谷駐車場から甲斐駒ヶ岳頂上までの標高差2,200m。1km進むごとに、100m登らなければいけない計算だ。つまり、平均斜度10%。 「なあ、平均10%ってバイクでもなかなかの激坂なんじゃ。。。」 「そうっすね!甲斐駒は日本三大急登で一番キツいっすから!」 響が心の底から楽しそうに言うと、俺と同じくらい体力面での不安を抱える「婚活人事」じゅんさんが不安げな表情を隠さずにボヤく。 「なんで初戦からラスボスに挑むんですか…」 例えるなら、いきなりアイアンマンに挑むようなものか。じゅんさんには同情の念を禁じ得ない。 おさらいが終わると、いよいよスタート。 「スタート前の元気なところを最後にとっておきやしょーう!」
甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 第2話「前夜のかぱーい」
第1話「杉山 響の圧」に戻る 2020年10月3日。 待ちに待った甲斐駒ヶ岳。今日の夕方に現地に乗り込み、明日4日早朝からアタック開始という予定となっている。 なお、この2日間のスケジュールについても、響が詳細な予定を立てていた。このような感じだ。 スケジュールの確認ですが 9/3(木) 14:00 オフィス出発 (遅くても15:00) 17:00 宿着 → 温泉、食事(カレー)、装備チェック、就寝 9/4(金) 5:00 宿出発 5:30 アタック開始 11:30 山頂予定 (登り休憩込み6時間) 15:00 下山完了 (下り休憩込み3.5時間) 16:30 現地発 20:00 オフィス着 食事が「カレー」と有無を言わさない感じになっているのも、響の意気込みだと言えよう。異論はない。山といえばカレー。アウトドアといえばカレーなのだ。多分。 さて、まずは今回の甲斐駒ヶ岳アタックメンバーを紹介しよう。 甲斐駒ヶ岳アタックの主役とも言うべき山の男。テーマソングは「にんげんっていいな」。Tech Rep 杉山 響。 甲斐駒ヶ岳アタックメンバー、杉山 響。 pic.twitter.com/Xp8UyPJgXB — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) September 10, 2020 将来の夢はランニングショップを開くこと。靴に囲まれているのが何より幸せな「靴フェチ」。杉山 響を妙にリスペクトしているOnジャパン最若手、Tech Rep 土田 優樹。 甲斐駒ヶ岳アタックメンバー、土田 優樹(手前)。 pic.twitter.com/OQxtSzfszl — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) September 10, 2020 この世で最も堂々と、かつふてぶてしく振る舞う20代 (俺調べ)。愛娘の誕生でさらなる男力向上を狙う。Onジャパン Sales Rep「さのーん」 佐野 亮。 甲斐駒ヶ岳アタックメンバー、佐野 亮。 pic.twitter.com/mOfBRyVYoe — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) September 10, 2020
甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 第1話「杉山 響の圧」
前回「Runtrip via YOKOHAMA RUN & BEER FESTA powered by YOKOHAMA BEER x On × Tinys、イベントページ完成。内容ほぼ確定」に戻る 2020年8月某日。 「甲斐駒ヶ岳!最高っす!!」 この投稿をInstagramで見る Hibiki Sugiyama(@hibikisugiyama)がシェアした投稿 - 2020年 8月月5日午前7時36分PDT 中華料理屋で Onジャパン Tech Rep 杉山 響が力説している。早くその焼きそば食べないと伸びちゃうよ。 「そんなに良かったの?」と行くと、「まちがいないっす」と深く深く頷く響。 そうか、そんなに良いのか。なんだか興味が出てきた。 「じゃあさ、みんなで行ってみる?社内の研修を兼ねて」 そうポロっと口走ったことで、一気に話が進んでいった。というか、進めないといけない感じになっていった。 ランチから帰るとすぐ、俺はOnジャパンのSlackチャンネルにこのように書いた。 響の圧を背中に感じながら。 #にんげんっていいな でお馴染み、杉山 響プレゼンツ「日本三大急登制覇SPARK」第一弾、「甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根トレラン」を開催いたします。 9月3日(木) 夕方にOnカーとレンタカーで前入りし、9月4日(金)早朝からアタック開始。登山者で約16時間かかる約20km/高低差2,200mのコースを、半分の8時間で走破することが目標です。非常に歯ごたえのあるコースだとのことですが、響曰く、「ここを走った経験があれば自信になるし、お客さんと話が盛り上がる」ようです。 日本三大急登とは: 現在、OnはICIスポーツや好日山荘、さかいやスポーツやRUN-WALK STYLEなどのアウトドア系店舗で展開していただいていますが、今後、Performance Outdoor マーケットで本格的にブランド拡大を図るにあたっては、やはり私たち自身でもっとアウトドアに親しんでいきたいと思っています。 Performance
Runtrip via YOKOHAMA RUN & BEER FESTA powered by YOKOHAMA BEER x On × Tinys、イベントページ完成。内容ほぼ確定。
前回「8/23(日) 開催決定、横浜の夏祭り。Runtrip via YOKOHAMA RUN & BEER FESTA powered by YOKOHAMA BEER x On × Tinys」に戻る 8月23日(日)に開催するとお伝えした、「Runtrip via YOKOHAMA RUN & BEER FESTA powered by YOKOHAMA BEER x On × Tinys」のイベントページがつい先ほどアップされた。 前回の記事で、ゴール地点は「Tinys Yokohama Hinodecho」と伝えたが、諸般の事情で変更。Tinysは最終経由地となった。 ゴール地点は、横浜市中区の「大通り公園」。JR・関内駅と横浜市営地下鉄・伊勢佐木長者町駅が最寄り駅だ。 参加費は3,000円。この参加費に、オススメ経由地で提供するエイドビール3杯、ゴール地点用の乾杯ビール1杯、乾杯のおとものフード1品が含まれる。豪華特典が当たるチャンスもある。 詳細と申し込みについては、是非イベントページを見て欲しい。 楽しい街ランと至福の一杯を、浜風そよぐヨコハマで。 みんなで一緒に夏祭りを作りたい。 次回に続く ※ 祭りだ祭り。下の応援ボタンのクリックをお願いします。 にほんブログ村
8/23(日) 開催決定、横浜の夏祭り。Runtrip via YOKOHAMA RUN & BEER FESTA powered by YOKOHAMA BEER x On × Tinys
前回「Bang & Olufsen との限定コラボイヤフォン Beoplay E8 Sport On Edition について」に戻る 今から3ヶ月ほど前、横浜ビールとTinys Yokohama Hinodecho と一緒に、オンラインのラン&ビールイベントを開催した。 参加者それぞれが各地で走り、zoomで集まってオンラインで乾杯するというイベントだ。 そのイベントの席で、酔っ払いながら俺はこんなことを言った。 横浜で、横浜ビール & Tinys と夏祭りをやりたい。 やることになりました。夏祭り。 題して、 Runtrip via YOKOHAMA RUN & BEER FESTA powered by YOKOHAMA BEER x On × Tinys (長いってツッコミは甘んじて受ける) 横浜ビール、Tinys Yokohama Hinodecho、そして Runtrip と一緒にリアルなイベントをやる。今週の日曜日に。 イベントページは現在、横浜ビールの太っ腹部長・ハヤトが鋭意作成中。 その完成前に、概要だけ下記の通りお伝えしたい。 イベント概要 日時: 2020年8月23日(日) 15:00-17:30 (会場受付 14:50より) 場所: Tinys Yokohama Hinodecho イベント形式: 「コースは自由、ゴールで乾杯」のRuntrip via 形式。今回は、主催者がランニングの経由地を提案。経由地を巡った人の魅力的な Instagram投稿は、プレゼントタイムで有利に働くこと間違いなし。 スケジュール: 0:00 Runtrip アプリスタート可能 15:00 Tinys Yokohama Hinodecho でフィニッシュ 17:30 イベント終了 イベント参加費: 3,000円 (エイドフリービール2杯、乾杯ビール、主催者からの景品含む) コロナ対策: ・当日朝の検温をお願いします。37.5°以上の場合、イベント参加をご遠慮ください。 ・当日朝の検温で参加できなくなった場合は返金します。 ・Tinys
Bang & Olufsen との限定コラボイヤフォン Beoplay E8 Sport On Edition について。
前回「On Cloudboom (クラウドブーム) について」に戻る 7月16日に発売して、早くも大きな評判を呼んでいるOnの新作「Cloudboom (クラウドブーム)」。 その同日、デンマークのオーディオブランド「Bang & Olufsen (バング & オルフセン)」とコラボした特別なアイテムも発売した。 On ブランド創業10年にして、初の異業種コラボレーション。それが、「Beoplay E8 Sport On Edition」だ。 Bang & Olufsen Beoplay E8 Sport On Edition Beoplay E8 Sport On Edition は、ランニングをはじめとしたスポーツに最適な、完全ワイヤレスイヤフォンだ。 ワイヤレスイヤフォンを使ったことのある人であれば頷けると思うが、豊かな音質を保ちつつ、丈夫で軽量、しかもデザイン性に優れたイヤフォンというのは稀有な存在と言える。その上、防水性能まであわせ持ったものは、探す方が難しい。 その点、Beoplay E8 Sport On Edition であれば、ランニングやワークアウトを楽しむ人の要望に完全に応えることができるだろう。1回の充電で最大7時間連続で使用することができるため、フルマラソンであっても対応可能だ。充電ケースを併用すれば、30時間分音楽を楽しめる。 イヤフォン本体には、右耳用と左耳用に Onロゴと Bang & Olufsen のロゴがそれぞれ刻印されている。Onのシューズやアパレル以外にOnロゴが正式に刻印されたのは、これがはじめてだ。 また、充電ケースの蓋を開けると、雲をモチーフにしたデザインを見ることができる。Onを好きな人であれば、誰もが知っているだろう。Onのシューズボックスの内側に描かれている、あの雲だ。 Beoplay E8 Sport On Edition 販売店舗 この特別なコラボレーションモデルは、ごく限られた店舗でのみ販売される。 Onジャパン分として日本に入荷する数量も、100個程度だ。下記店舗で販売されている。 ESTNATION 六本木ヒルズ店 NEUTRALWORKS.TOKYO atmos新宿店 atmos心斎橋店 Bang & Olufsen
前回「On Cloud Waterproof (クラウド ウォータープルーフ) があれば梅雨も快適」に戻る 2020年7月16日(木)、Onは新作パフォーマンスシューズを発売する。 世界最高レベルのアスリートたちからのインプットを得て開発した、エリートレベルのコンペティションシューズ。自己ベストを破るための1足。 それが、On史上最速のマラソンシューズ、「Cloudboom (クラウドブーム)」だ。 On史上最速のマラソンシューズ、Cloudboom Cloudboom は、2020年7月現在で On が考え得る、最高のコンペティションシューズだ。 これまでOnが培ってきたCloudTec®やSpeedboardなどの技術をさらに磨き上げ、快適かつスピーディーにロングディスタンスを駆け抜けられるよう、各所に工夫を施した。どのような工夫があるのか、説明してみようと思う。 カーボンファイバー配合のSpeedboard Onがシューズ内に「Speedboard」と呼ばれるプレートを内蔵させ始めたのは、2014年のことだ。 着地から蹴り出しまでのローリングモーションを後押しし、なるべく自然な形で反発力を生み出すことを目的としたSpeedboardは、Onの基幹技術となる。 それから数年後、カーボンファイバーを使用したプレートを備えたランニングシューズが多く発売された。しかし、Onはカーボンファイバー製のSpeedboardを搭載したモデルは出さなかった。 「Onはなんでカーボンのやつ出さないの?」 そう聞かれたことも多い。理由を端的に言えば、Speedboard らしさを失わないようにするためだ。 着地から蹴り出しまでのローリングモーションを後押しすること。着地の衝撃を前方への推進力に変え、なるべく自然な形で反発力を発揮すること。それが Speedboard に込められた開発思想だ。単純に硬いプレートを入れればいいというわけではない。 そこで On の開発チームは、Speedboard らしさを保つ最適なカーボン比率を検討した。その結果生まれたのが、Cloudboom 専用の Speedboard だ。 Cloudboom の Speedboard
前回「#StayHome は手段、#StayHealthy が目的」に戻る 2018年9月に愛猫「カル」を亡くして以来、まどかも俺も猫のいない生活を送ってきた。 ※ まどかを18年間見守ってきてくれたカル。 猫という種族全体を愛しているまどかは、街でも旅先でも常に「猫チャンス」を狙っている。どうやら、「猫分 (ねこぶん)」を補給しなければ生きていけないらしい。旅先でも野猫 (のねこ) を見つけるたびに交流を試みている。ちなみに、「猫チャンス」も「猫分」も、まどかの造語だ。 ※ 旅先の御蔵島の島猫と交流するまどか。 まどかの愛猫カルと、みか師の愛猫ぼんさん。 そんな彼女は、カルを失った悲しみをゆっくり癒し、好きな猫たちと遊びながら、いつかまたあるかも知れない縁を待っているように見えた。 俺とまどかの間には、「猫は縁が連れてくるもの」という共通認識がある。猫は不思議な縁に導かれ、俺たちの生活にスッと入ってくる。そう思っている。 カルを亡くしてから1年9ヶ月。その縁がやってきた。 6月9日、出社すると世界の鎌田がこう言ってきたのだ。 「駒田さん、子猫飼いたくありませんか?」 え?うんうん。どうして? 「友達の友達が子猫を拾ったんです。インスタストーリーで流れてきて」 その写真を見せてもらうと、俺の好みのど真ん中。キジトラのかわいい子猫。即座にまどかにLINEで写真を送ると、当然彼女も興味津々。「里子にもらうことを前提としたお見合い」ということで、その子猫が保護された銚子に行くことになった。 横浜から車で約2時間。子猫を保護したお宅に行くと、大歓迎していただいた。話を聞くと、これまでの経緯はこういうことだった。 家の裏にある畑に、米袋が捨てられていた。 ジョギングをして通りかかると、その米袋から猫の鳴き声が。米袋を開けると、ねずみ取りにかかった状態の子猫が入っていた。ねずみ取りに貼りついた状態の子猫は衰弱していたが、まだ声を上げていた。 すぐにねずみ取りを剥がし、身体を洗ってあげて、エサを与えた。落ち着いたところで病院に連れて行ったら、ちょっと弱っているけれど、どこにも問題のない2ヶ月くらいの子猫。
On Cloud Waterproof (クラウド ウォータープルーフ) があれば梅雨も快適。
前回「Cloud Terry (クラウドテリー) に、モノトーンカラーが登場」に戻る 梅雨入りした。この梅雨が明ければ、俺の一番好きな季節がやってくる。 問題は、その梅雨をどのように快適に乗り切るかだ。雨が降ったら家から出ないというのも一計ではあるが、もう俺たちはこの2ヶ月ほど十分家に留まった。少しくらいの雨なら外に出たくなる。 それに、雨が降っても濡れない快適なシューズがあるなら、外に出るのも楽しくなるというものだ。そして、Onはそんなシューズを提案している。 100%防水なのに、快適な履き心地。通勤に、ランニングに、ライフスタイル全般に。ありとあらゆるシーンで使える「Cloud Waterproof (クラウド ウォータープルーフ)」を。 Cloud Waterproof (クラウド ウォータープルーフ) 「Never Not On (いつでもOn)」と言われるほど、いつでもどんなときでも履ける万能なライフスタイルシューズ。それが Cloud (クラウド) だ。 Onの中で最も人気の高いコレクションでもある。その Cloud を完全防水にしたのが、Cloud Waterproof だ。 ただでさえ万能なライフスタイルシューズが、完全防水になったのだ。使いやすいに決まっている。雨が降るか降らないか微妙なときは、とりあえずこれを履いておけば間違いない。そんな安心感もある。 ちなみに、Onジャパンの「ファッションの化身」田中 利栄は、Cloud Waterproof をこのように履きこなしている。 この投稿をInstagramで見る t_toshihide(@toshi_toshihide)がシェアした投稿 - 2020年 6月月12日午後8時37分PDT 彼は、このモデル「Cloud Waterproof Black l Lunar」について、このように語っている。 オールブラックっぽく見えますが、リフレクタブルなアッパーで光沢もあるので重たく見えすぎず、明るいボトムとも相性がいいです。 なお、Cloud Waterproof のカラーバリエーションはそれなりに豊富だ。2020年6月現在の展開カラーは下記の通り。
Cloud Terry (クラウドテリー) に、モノトーンカラーが登場。
前回「横浜ビールが Onジャパン5周年を祝う。その名も、Onジャパン祝5周年 #OnFriends 乾杯セット」に戻る Onの全コレクションの中で、最もよく売れているのは、定番中の定番「Cloud (クラウド)」だ。 そして、そのクラウドのシルエットはそのままに、その素材使いを一新したモデルが「Cloud Terry (クラウドテリー)」となる。 通気性の高い高級ウールのアッパーをヴィーガン・レザーのヒールカップで包み込み、上質なテリークロスのシュータンを合わせている。最高品質のミニマリストシューズ、それがクラウドテリーだと言えるだろう。 On クラウドテリー 発売。クラウドエッジがカラーを増やして戻ってくる。 クラウドテリーにモノトーンカラー登場 2020年5月21日(木)、そのクラウドテリーから待望の新色が登場する。ブラックとホワイトのモノトーンコレクションだ。 クラウドテリーの美しさを最大限に引き立てる、モノトーンカラー。極限まで無駄を省いたタイムレスなデザインを引き立ててくれる。 それはきっと、スタイルを問わず、季節も問わず、あらゆる場面で合わせられるだろう。 毎日、どこでも、いつでもOn。クラウドテリーは、そんな1足に仕上がっている。 メンズ ブラック メンズ ホワイト ウィメンズ ブラック/ホワイト ウィメンズ ホワイト クラウドテリーをOn公式サイトで購入したい方は、こちらから。 次回に続く ※ クラウドテリーに興味を持ってくださった方は、下の応援ボタンのクリックをお願いします。 にほんブログ村
#StayHome は手段、#StayHealthy が目的。
前回「走るのは自由で投稿は自粛すべき?問題の本質はどこに」に戻る Onジャパンは5周年を迎え、そのままゴールデンウィークに入った。 とはいえ、この社会情勢だ。とりたててやることに変化はない。ひとりで走ったり、走るのに適さない時間帯にはローラーをやったりして、基本的には家でできることを楽しんでいる。#StayHome というやつだ。 ローラーでインターバル45分。ウェアはPearl Izumi x iro-hanaかふぇ食堂。 pic.twitter.com/2rp4Ukzuxc — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) May 2, 2020 とある医師からのメッセージ 先日の記事で、俺が自分自身の身を慎む基準として考えた下記の5基準は、このブログの読者である数人の #OnFriends の医者たちから、「冷静かつ妥当」と言っていただいた。 人がいる時間帯・エリアを極力走らない。 人がゼロの時間帯・エリアだけを走れというのも現実的ではない。10m以上先に人が見えたら、マスク等で口鼻を覆う。 人と走るときは少なくとも2mの距離をとる。 最初から混雑すると分かっている場所は、そもそも走らない。 走り終えたらすぐにシャワーを浴び、ウェアは洗濯する。 新型コロナ診療の最前線にあるひとりは、こう言っていた。 「最近は皆さま不安だからなのか、偽情報ばかりが世の中に蔓延しています。私たち医師も厚労省も望んでいないような、過度な『自粛』に辟易しています」 彼の言う偽情報とは、サーフィンやランニングがハイリスクであるとか、子供が遊具で遊ぶことがウイルスを媒介しているとか、そういうことだ。そして、彼が言う過度な自粛とは、「自粛」の本来的な意味から離れた行動のことだろう。 自らの正義感に照らし合わせ、自粛していないと判断した人を過剰に攻撃したり、そういう人から攻撃されることを恐れ「萎縮」してしまったり。そういった行動はここ最近特によく見られる。 手段と目的の入れ違い そういう社会状況で、少し気になることがある。
前回「自粛と萎縮は違う」に戻る 最近、こういう投稿をSNSで見かけた。 「走るのは自由だが、その投稿は自粛すべき」 この投稿に思うことがあるので、それについて自分の考えを述べてみたい。 外出自粛とランニングについて 新型コロナウイルス感染症拡大を防ぐため、自分自身と大切な人たち、ひいては社会全体を守るために外出自粛は大切だ。ここに異論はない。 そして、外出自粛を要請する根拠となる法律、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」は、「生活の維持に必要な場合」は外出自粛の要請の対象外としている。 都道府県知事による外出自粛要請がなされた場合であっても、生活必需品の買い物、医療機関への移動、健康維持のための散歩やジョギングなどは、「生活の維持に必要な場合」にあたると解釈されている。 つまり、健康維持目的の散歩やジョギングは、適切なルールに則って行われる限り、法的に尊重される行為だ。つまり、そのようなジョギングを自粛する必要はない。 適切なルールとは? そうだとすると、次に問題になるのは、「ジョギングが許されるためのルールは何か」だろう。 このテーマに関して、絶対的に正しい基準はまだ示されていない。そもそも、あらゆる感染症において、「感染リスクゼロ」はあり得ない。全ては程度問題だからだ。 そこで、シンプルに理解するため、俺は下記のように考えている。 人がいる時間帯・エリアを極力走らない。 人がゼロの時間帯・エリアだけを走れというのも現実的ではない。10m以上先に人が見えたら、マスク等で口鼻を覆う。 人と走るときは少なくとも2mの距離をとる。 最初から混雑すると分かっている場所は、そもそも走らない。 走り終えたらすぐにシャワーを浴び、ウェアは洗濯する。 2020年4月末現在、専門家たちの発信内容を読み解けば、この基準は大きく外してはいないだろう。 もし明らかに間違っている場合、是非教えていただきたいと思う。 走るのは自由で投稿は自粛? 以上のようなルールを守って走る限り、それは尊重されるべき行為だ。 そして、そうした行為を楽しむことに、何の引け目も感じる必要はない。 ここで、冒頭の意見の意味が分かるだろう。
横浜ビールが Onジャパン5周年を祝う。その名も、Onジャパン祝5周年 #OnFriends 乾杯セット。
前回「Thank you, Every Day Heroes. ありがとう、俺たちの日々を支えてくれるヒーローたち」に戻る 2015年5月1日に横浜で立ち上げた Onジャパンは、もうすぐ丸5周年を迎える。 そのようなSNS投稿やブログ記事を発信していたところ、横浜ビールの Head of Marketing & Media 横内 勇人さんから嬉しい連絡があった。横浜ビールが特別なセットを組んで、Onジャパンの5周年を一緒に祝ってくれるというのだ。 その名も… Onジャパン祝5周年 #OnFriends 乾杯セット ※ リンク先は注文ページ 横浜ビールのウェブサイトにはこう書いてある。 横浜ビール大ファンのOnジャパン代表 駒田氏への 日頃の感謝と5周年のお祝いを込めて 同じ横浜に在籍する企業として #OnFriends 限定でお得なビール6本セットを ご用意しました。 5周年おめでとう!一緒に乾杯しましょう! なんて粋なんだ勇人…! なんという嬉しいお心遣いだろうか。横浜ビールが好きで、フラフラ飲み歩いていただけなのに。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 - 2019年 7月月22日午前7時49分PDT この「#OnFriends 乾杯セット」、6本セットなのに5周年にかけて5本分の値段にしてくれた。しかも送料無料。 本当にいいのか勇人。ガッツリ買っちゃうよ? この素晴らしいセットは、4月24日〜5月1日までの限定企画だ。全国の横浜ビール好き、On好きは是非注文を。 ゴールデンウィークはOnジャパン5周年を祝って飲んでくれたら、日本のOnの一人目として、そして横浜ビール好きのひとりとして、これほど嬉しいことはない。 購入はこちら。 次回に続く ※ さあ何セット注文しようかな!勇人の企画を粋だと思ってくれる方は、下の応援ボタンのクリックをお願いします。 にほんブログ村
Thank you, Every Day Heroes. ありがとう、俺たちの日々を支えてくれるヒーローたち。
前回「Onジャパン5周年祭、2020年4月24日〜5月1日まで開催」に戻る On がスイス・チューリッヒで誕生して10年。Onジャパンが横浜に根付いて5年。 その間、「ランニングを楽しく」を合言葉に、 ファンやお店やメディアと共に、この仕事を、ランニングを楽しませてもらってきた。 その気持ちは今も全く変わらない。その一方で、自分たちを取り巻く環境は大きく変化してきている。 日常を支えてくれている人たちへの恩返し 新型コロナウイルス感染症を取り巻く環境は、緊急事態宣言の発令を境に、さらに日々厳しさを増しているように感じられる。 そのような環境の中で、自分たちの日々の生活を支えてくださる多くの人がいる。 医療関係者はもちろん、生活必需品を販売いただいているお店の従業員の方、官公署に勤務されている方、交通・物流サービスに従事いただいている方、他にもたくさんの人たちが。 このような方々の多大な努力によって、自分たちはスポーツやランニングを楽しみ、心身を健康に保つことができている。 そのような日常を守ってくれている人たちに少しでも恩返しをできないか、Onは考えた。 Everyday Heroes という取り組み そのひとつが、今、On公式ウェブサイト上に表示している「Everyday Heroes」という取り組みだ。 On は一部の旧作を「On Classics」として、通常展開商品とは異なる価格で販売している。2020年4月24日現在、その On Classics ページは一般オープンになっていない。 日々の生活を支えてくれている人たち、言い換えれば「Everyday Heroes」のために、数少ない On Classics を確保しておきたいというのがその理由だ。 On は、日々献身的に私たちの社会を支えてくださっている人たちこそが、自分たちにとってのヒーローだと考えている。その感謝の想いを込め、On Classics は「Everyday Heroes」のために確保することにした。 Onはパフォーマンスブランドだ。快適で高いパフォーマンスを備えたシューズやアパレルで、日夜頑張っていただいている人たちの負担をなるべく軽くしたいと願っている。
Onジャパン5周年祭、2020年4月24日〜5月1日まで開催。
前回「苦渋の決断。On Cheering Party 中止。OnがOnであるために」に戻る ちょうど5年前の今日、2015年4月23日。「オン・ジャパン株式会社」を登記した。 そして、5月1日に「ビッグ・イン・ジャパン」プロジェクトの集大成として、横浜にオフィスを開いた。 あれから5年経ったのだ。長かったような、あっという間のような。 「ランニングを楽しく」を合言葉に、ファンとお店とメディア、みんなで日本にOnを広めてきた。 おかげさまで5年。本当に感謝している。 「おかげさま」という言葉の意味をここまで実感した5年は、俺の人生の中で他にはない。 Onジャパン5周年祭、開催! そこで、Onジャパンメンバーから、感謝の念を込めてお祭りを提案したい。 「2015年5月1日」の数字にちなんだアクティビティで、みんなと一緒に楽しみたいと思っている。 たとえば、こんなアクティビティだ。 ・1.5kmウォーク部門 ・5kmラン部門 ・15kmラン部門 ・51kmラン部門 お祭りとはいえこういう時期なので、このようなアクティビティはひとりでやることになる。 そして、Onの写った写真を、インスタストーリー、インスタポスト、Facebook、Twitter などに投稿する。 その際、Onジャパン公式インスタグラム (@on.japan) と、#onrunning #OnFriends #5yearanniversary をタグ付け。 例えば、インスタストーリーに投稿すると、こんな感じになる。 そうすると、なんとOnジャパンメンバーが大層喜ぶ。それだけだ。 大事なお約束 もはや言うまでもないこととは思うが、祭りを楽しく盛り上げるためのお約束はこちら。 ・基本的にはひとりで歩こう/走ろう。同居の家族と一緒に走るのはもちろんあり。 ・他人との距離は最低2m離そう。 ・なるべく人のいない場所や時間帯を選んで走ろう。 ・人がいそうなところを走るなら、マスク等で顔を覆おう。 ・何より、楽しもう!! ※ Onアンバサダー、アイリのマスクラン姿。イメージ。 4月24日(金)〜5月1日(金) 開催
前回「外出自粛の要請とランニングの関係。それから『走ってもいいんじゃナイト』出演」に戻る 日本仕事百貨のオンラインしごとバー「走ってもいいんじゃナイト」に出演した俺は、放送の最後にこう言った。 楽しむことは自粛しないで欲しい。 この放送の直後、こういうダイレクトメッセージが届いた。 「微妙な発言でしたね。そういう発信をするにはデリケートな時期だったんじゃないですか」 デリケートな時期だから、多少なりとも発信力のある人間が言うべきことではなかったのではないか、と。デリケートな時期だから、そうした発言も自粛すべきではなかったのか、と。 「走ってもいいんじゃナイト」に出演を決めたとき、俺は覚悟を決めていた。こういうことを言う人が出てくることは、当然予想の範疇ではあった。それでも、このメッセージを見て、改めて考えさせられたものだ。 コロナのことがあって、みんな元気を失いかけている。思い返せば、俺自身もそうだった。 自分なりに頑張って準備を進めていた東京マラソンが中止になり、各種イベントも自粛せざるを得なかった。 先行きが見えず、このままだと経済が行き詰まってしまうのではないかと誰もが心配している。 心配で不安な状況では、つい言葉もキツくなる。自分の正義感に照らし合わせて「間違っている」と思った行動を、瞬間的に批判したくなる。「自粛すべきだ」という言葉があちこちを飛び交っている。 「自粛」という言葉を広辞苑でひくとこうある。 自分から進んで行動や態度をつつしむこと。 大変な時期だと皆知っているからこそ、それぞれが自らの行いを振り返り、社会全体のために行動や態度を慎む。それが自粛なのだと思う。 どのような行動が社会的・法的に許されるのか、あるいは許されないのか。デリケートな時期だからこそ、調べて理解して、自分の行動や態度に反映させる責任が組織のトップにはある。だから、俺はあの発言をした。 自粛を「すべき」と言ってしまうこと自体、本来の言葉の意味から離れてしまうのだが、それでもあえて言うならば、現状に鑑みて自粛はすべきだろう。そうでなければ、自分や大切な人間や社会を守れない。
外出自粛の要請とランニングの関係。それから「走ってもいいんじゃナイト」出演。
前回「東京マラソン2020への道。名古屋で銭湯ラン、世界の鎌田家で相撲大会、それからロッキーごっこ」に戻る 2020年4月7日、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」に基づき、緊急事態宣言が発令された。 3月の最終週、1日あたりの感染者数がそれまでより大幅に増加した。同じ頃、志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。 刻一刻と変化する状況や世間の空気感が、俺たちを取り巻く問題が一段階上のレベルに上がってしまったことを感じさせるに十分だった。国がこれまでと違う対策を取るであろうということは、4月に入って真実味を帯びたのだ。 非常事態宣言が発令される前後にやったこと 俺は、Onジャパン社員の健康と、それを支える働き方や仕組みづくりについての責任を持っている。 とはいえ、俺は医者でもなければ新型コロナウイルスに詳しいわけでもない。何が正しいのかハッキリと分からないまま、手探りで対応策を考えざるを得なかった。 対応策として、「Work from Home (WFH)」の導入や時間差通勤の推奨、自家用車通勤の許可と駐車場代の負担などを考えた。WFHを完全なものにするため、自宅にいながらにしてパソコンで電話を受けられるシステムの導入も行った。スイスと日本のカスタマーサービスチームの協力で、そのシステムの導入は非常に素早く進めることができた。 それとは別に、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」を理解しようと努めた。4月に入り、非常事態宣言が発令されそうだという情報の確度が高まっていたからだ。 非常事態宣言とは何か 「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(以下、特措法) に基づく「緊急事態宣言」とは、新型インフルエンザ等 (新型コロナウイルス感染症含む) が国内で発生し、その全国的かつ急速な蔓延により、国民生活および国民経済に甚大な影響を及ぼす事態が発生したと認められるときに出される宣言のことだ。 緊急事態宣言においては、下記3点を公示しなければならない。 1. 緊急事態措置を実施すべき期間 2. 緊急事態措置を実施すべき区域 3. 緊急事態の概要 そして、この緊急事態措置を実施すべき区域として公示された都道府県知事は、下記の措置を講ずることができる。 1. 外出自粛の要請
前回「3月1日(日) On Cheering Party 開催。盛りだくさんなコンテンツと、スポーツカンパニーとしての想い」に戻る 昨日2月26日(水)、新型コロナウイルス感染症への対応に関する政府発表の直後、イベント関係者を取り巻く環境は大きく変化した。 2月25日(火)の記事で「On Cheering Lounge は中止、Cheering Party は開催」とお伝えしたのだが、それを撤回したい。 3月1日(日) 開催予定だった「On Cheering Party」中止 3月1日(日)に開催を予定していた「On Cheering Party」を中止することに決定した。 イベントに申し込んでくださった方々には、先程事務局からメールでその旨ご連絡した。 つい一昨日は「開催」と言っておきながら、それを今になって撤回することになってしまった。改めてお詫びしたい。 この判断の要因に政府発表があったのは事実だが、それ以上にOnの根本に関わる疑問が生まれてしまったことが、この結論に至った一番の理由だった。 今この環境で実施して、参加者は心の底から楽しめるのか? 参加者をイベントに送り出すご家族は心配するのではないか? Onのミッションは「ランニングを楽しくすること」。 もしその楽しさに陰りが差すのであれば、それをやることで Onではなくなってしまうのではないか。 Onのミッションに立ち返った結果、「今はやらない」という結論となった。 中止に伴う対応 On Cheering Party の中止に伴い、下記の対応をとらせていただくことにした。 イベント参加費について クレジットカード決済をしていただいた方には払い戻しの手続きを進め、コンビニ決済を完了された方には事務局から連絡をさせていただき、個別の返金対応をとらせていただきたいと思う。 ささやかなプレゼント イベントに参加していただいた方には、ささやかなプレゼントをお渡しするつもりであった。直接お渡しすることが叶わなくなってしまったので、お送りしたいと思っている。 その旨、事務局からメール連絡が入っているので、お手数ながら必要事項をご返信いただければと思う。
3月1日(日) On Cheering Party 開催。盛りだくさんなコンテンツと、スポーツカンパニーとしての想い。
前回「On Cheering Lounge & Party 開催。3月1日(日) 1日限りのラウンジとスペシャルイベント」に戻る 3月1日(日)に、東京・京橋のレストラン「世界食堂 Transit Table d'Or」で1日限りのお祭り「On Cheering Lounge」と「On Cheering Party」を行うと宣言してから、世の中の状況は大きく変化した。 言うまでもなく、新型コロナウイルス感染拡大による、各種大規模イベントの中止である。この状況を受け、Onとしての判断を改めてお伝えしたい。 第一部「On Cheering Lounge」は中止、第二部「On Cheering Party」は開催 第一部「On Cheering Lounge」は中止し、第二部のメインイベント「On Cheering Party」は開催する。 申し込みは、こちらから。 On Cheering Party 開催要項 開催日時: 3月1日(日) 18:30〜20:30 (受付開始 18:00) 開催場所:「世界食堂 Transit Table d'Or」 開催にあたっては、新型コロナウイルス感染拡大予防の趣旨をご理解いただき、風邪や季節性インフルエンザ対策同様に、下記事項へのご協力をお願いしたい。 注意事項 ・咳エチケットを守ること。咳・くしゃみのある方は、必ずマスクを着用いただくこと。 ・発熱・全身痛など、体調に不安のある方は来場を控えていただくこと。 ・会場内に手指消毒液を準備するので、入場の際等に利用いただくこと。 ・会場内で体調が悪くなった方は、スタッフまでお声がけいただくこと。 ・スタッフがマスクを着用している場合、あらかじめご了承いただくこと。 On Cheering Party の盛りだくさんコンテンツ On Cheering Party の関連コンテンツは、当初よりも少しグレードアップすることにした。かなり盛りだくさんだ。 On ポップアップコーナー まず予定通り、Onポップアップコーナーはオープンする。 その場で 15,000円相当のシューズ・アパレル・アクセサリーを購入してくれた方には、特別なバッグ「On
東京マラソン2020への道。名古屋で銭湯ラン、世界の鎌田家で相撲大会、それからロッキーごっこ。
前回「東京マラソン2020への道。マーマンキングの謎企画始動」に戻る 東京マラソン2020にチャリティランナーとして挑むことになった俺。岩本さんの「黄色い本」をガイドに、本気でサブ4を目指すことにした。 今日は12月1日。はじめての東京マラソンまで、あと13週。ぼちぼち本格始動しよう。目標はサブ4。 pic.twitter.com/LlUuXgijuU — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 1, 2019 クリスマスをビルドアップ走で過ごした俺は、年末年始を恒例の名古屋で迎えることになった。そんな年末年始を振り返ってみたいと思う。 2019/12/26 - Day 25 昨日のビルドアップ走の「セット練」というものが、今週から岩本式メニューに追加された。 内容は、10分ジョグ→600m (3'00) x 1 → 200m (0'49) x 3、つなぎは90秒ジョグまたはウォークというものだ。 俺は元々瞬発系。ロング走よりこちらの方がテンションが上がりやすい。 200m x 3本は、0'37→0'37→0'38 だった。最後1秒落ちたのが悔やまれる。ともかくメニューは完遂。 「セット練」が今週から岩本式メニューに追加された。 内容は、10分ジョグ→600m (3'00) x 1 → 200m (0'49) x 3、つなぎは90秒ジョグまたはウォーク。 俺は元々瞬発系。こちらの方がテンションが上がりやすい。200m x 3本は、0'37→0'37→0'38。最後1秒落ちたのが悔やまれるが、メニューは完遂。 pic.twitter.com/lZvMRSBD4q — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 26, 2019 2019/12/27 - Day 26 Off. 2019/12/28 - Day 27 明らかに体調不良。ビルドアップ走 + セット練でやられてしまったのか? 残念ながら、今日のメニューの20kmペース走DNS。回復に努める。 2019/12/29 - Day 28 昨日やれなかった20kmペース走 (5'55 min/km) に取り組むも、やはり調子が上がらない。
On Cheering Lounge & Party 開催。3月1日(日) 1日限りのラウンジとスペシャルイベント。
前回「On 第二世代 Cloudflow (クラウドフロー) について」に戻る 突然だが、Onはお祭りを執り行う。 3月1日(日)、東京・京橋にあるレストラン「世界食堂 Transit Table d'Or」で、1日限りのラウンジ「On Cheering Lounge」とスペシャルイベント「On Cheering Party」を開催するのだ。 第一部、On Cheering Lounge 「On Cheering Lounge」は前編。12:00〜17:30、このレストラン内にOnのポップアップコーナーが出現する。その場で 15,000円相当のシューズ・アパレル・アクセサリーを購入してくれた方には、特別なバッグ「On Pack」をプレゼントする。 レストラン内のポップアップコーナーなので、ランチも提供する。150食限定のランチを食べてくれた方には、Onがデザインした東京のマップ「#TokyoIsOn」をあしらった特製ランチョンマットをプレゼント。繰り返し使えるようになっているので、きっと喜んでもらえるはずだ。 第二部、On Cheering Party 「On Cheering Party」は、同日18:30〜20:30に開催する、#OnFriends を招くパーティーだ。定員100名の事前申し込み制となる。 なんだか知らないが、岩本さんと俺のトークショーがあるらしい。敏腕PR・ヤスコがいつの間にか準備を進めていた。 各媒体に Cheering Lounge & Party の記事が掲載されているのだが、そこにはしっかりとこう書いてある。 お食事とともにオン・ジャパン代表の駒田博紀氏と国内ウルトラマラソンのパイオニアとして知られる岩本能史氏によるスペシャルトークショーなどを実施。ランニング初心者からコアなランナーまでどなたでも楽しめるパーティーです。 本当か?岩本さんは大丈夫に決まっているが、俺の話でコアなランナーは楽しめるのか?どうなんだ、ヤスコ。 Runners Pulse Runtrip
前回「しげ選手のウルトラマラソン挑戦成否を占う、正拳ローソク吹き消しの儀」に戻る 12月1日に本格始動した東京マラソン2020への挑戦。早いもので、あれからもう2ヶ月が経とうとしている。 岩本さんの「黄色い本」をガイドに、俺なりに練習を積んでいる。クリスマスまでをどのように過ごしたのか、振り返ってみたい。 今日は12月1日。はじめての東京マラソンまで、あと13週。ぼちぼち本格始動しよう。目標はサブ4。 pic.twitter.com/LlUuXgijuU — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 1, 2019 東京マラソン2020に向け、本格始動。 2019/12/16 - Day 15 Off. 2019/12/17 - Day 16 今日のメニューは45分ジョグ。 しかし、終日仕事が忙しく、夜は会食のためスキップ。早起きして走れば良かった。意志の弱さが悔やまれる。 2019/12/18 - Day 17 15kmビルドアップ走、手につけることもできず。 2019/12/19 - Day 18 Off. オフだが前日のできなかったメニューをやりたいと思いつつも、またも仕事で忙しくやることができない。 2019/12/20 - Day 19 ジョグ45分、今日もまた手をつけられず。 2019/12/21 - Day 20 1週間の疲れが出たのか、気力が湧かない。 夜、なおこのヨガをまどかと受けに行く。ヨガの前、ユウキが息子のかんかんと一緒に会いに来てくれた。 ユウキとなおこの笑顔を見て、なんだか癒される。「来て良かったな」とまどかと話しながら帰る。明日こそはやろう。 2019/12/21 - Day 20 1週間の疲れが出たのか、気力が湧かない。夜、なおこのヨガをまどかと受けに行く。ヨガの前、ユウキがかんかんと一緒に会いに来てくれた。ユウキとなおこの笑顔を見て、なんだか癒される。「来て良かったな」とまどかと話しながら帰る。明日こそはやろう。 pic.twitter.com/b7wGotcB2Y — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 22, 2019
しげ選手のウルトラマラソン挑戦成否を占う、正拳ローソク吹き消しの儀。
前回「しげ選手、おもてなしタキシード隊公式サイトに掲載される。名古屋を代表するイケメン、始動」に戻る 名古屋を代表するイケメンとしてもはやお馴染み、義弟しげちゃん。 俺がしつこく勧めたことでトライアスロンの世界に足を踏み入れた彼は、すっかりトライアスロンとランニングのある生活が日常になった。 昨年、惜しくも宮古島トライアスロンでDNFに終わってしまったが、宮古島トライアスロンとアイアンマンが彼の大きな目標であることに変わりはない。 ※ 宮古島トライアスロン2019、しげちゃんと一緒に走った10km。 しかし、2018年と2019年の2年連続でDNFとなってしまったことで、彼には大いに思うところがあったようだ。 2020年は宮古島トライアスロンにエントリーすることはせず、「ランニング強化」を掲げ、「第4回南房総みちくさウルトラマラソン」75kmの部にエントリーしたのだ。ちなみに、この記事を書いている2020年1月12日現在、まだエントリーは可能となっている。 しげちゃんは、みかやまどかに言わせれば、お世辞にも「運動の飲み込みが早い」タイプではない。しかし、うまくいかなくても粘り強く続けることができ、しかもそのうまくいかないこと自体を楽しめてしまう。 うまくいかなくても楽しく、成長したらもっと楽しいという。その姿勢には大いに学ぶところがある。 そんなしげちゃんは、岩本 能史さんの通称「赤い本」を教材として、日々トレーニングを楽しんでいる。 2020年のしげ選手の抱負は、「ウルトラマラソン完走」。ちなみにこの本、ぼんさん (ねこ) にバリバリにやられて補修したらしい。前途多難。 pic.twitter.com/hGxqATN9R8 — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) January 3, 2020 1月3日、しげちゃんの誕生日を少し早めに名古屋で祝った俺たちは、恒例の「正拳ローソク吹き消しの儀」を執り行った。 しげ選手の誕生日祝い。 pic.twitter.com/3CkglxFTbC — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) January 3, 2020 しげちゃん、はじめての正拳ローソク吹き消しの儀。掛ける願いは、もちろんウルトラマラソン完走。
しげ選手、おもてなしタキシード隊公式サイトに掲載される。名古屋を代表するイケメン、始動。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2019、5人目。『さのーん』佐野 亮」に戻る 昨年10月末、名古屋ウィメンズマラソン「おもてなしタキシード隊」に、義弟しげちゃんが選ばれたというニュースをお伝えした。 あのときは、おもてなしタキシード隊公式サイトでも、「吉田 茂利」という名前と年齢が明らかにされているだけであった。 しげ選手、名古屋ウィメンズマラソン2020のおもてなしタキシード隊に選ばれる。 しかし、つい先日、ついにおもてなしタキシード隊の公式サイトに、しげちゃんがタキシードを着た画像がアップされたのだ。 2020/3/8/(日)名古屋ウィメンズマラソンで完走したランナーにティファニーフィニッシャーペンダントを贈呈するおもてなしタキシード隊。公式HPに写真とメッセージが掲載されました!#名古屋ウィメンズマラソン #名古屋ウィメンズマラソン2020 #おもてなしタキシード隊 #おもてなしタキシード隊2020 pic.twitter.com/JGKpRdZQg9 — Shigetoshi Yoshida (@swingingonaka) January 10, 2020 これをもって、しげちゃんが名古屋を代表するイケメンのひとりと公式に認定されたわけだ。横浜を代表するダンディズムのひとりと自称し続けて5年の誰かとは随分違う。 ところで、現在しげちゃんは、ある目的のためにトレーニングを重ねている。 それが、3月14日(土)開催「第4回南房総みちくさウルトラマラソン」の75kmの部の完走。そのために、彼は岩本師の通称「赤い本」を教材に練習に励んでいる。 2020年のしげ選手の抱負は、「ウルトラマラソン完走」。ちなみにこの本、ぼんさん (ねこ) にバリバリにやられて補修したらしい。前途多難。 pic.twitter.com/hGxqATN9R8 — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) January 3, 2020 名古屋ウィメンズマラソンは、その前週の3月8日(日)開催。しげちゃんは、名古屋を走る女性たちを全力で応援しつつ、同時にはじめての挑戦となるウルトラマラソンに向けて努力を重ねているのだ。
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2019、5人目。「さのーん」佐野 亮。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2019、4人目。『ランメンさん』大杉 亜依里」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2019年最後の5人目はこちら。 「さのーん」佐野 亮 2017年11月入社、Onジャパンの Sales Rep。「さのーん」としてお馴染み、佐野 亮が2019年最後の「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」受賞者だ。 さのーんとの出会い 佐野との出会いは、2016年12月に遡る。Onジャパンのゆるい企業説明会「ハマのダンディズムナイト」に参加した若者が、佐野だった。 彼は学生時代、ずっとテニスをやっていた。その頃の彼にとって、走ることはトレーニングの一環でしかなく、「嫌いなトレーニング」のひとつだった。 しかし、ハマのダンディズムナイトで足を入れたクラウドが、佐野の価値観を変えた。佐野はOnジャパン入社を熱望してくれたが、そのときは採用には至らなかった。そのときのことを、彼はこう述べている。 その後、名古屋に帰りクラウドを即購入し、選考後も走ることをやめませんでした。その時のランニングはすでに、トレーニングのためではなく、「楽しいから走る」に変わっていたと思います。クラウドで走りながらいつも、Onで働く事ばかり想像していました。 人の価値観が変わる瞬間は、そんなに多くないと思います。Onのシューズはその瞬間を生み出せると直感で感じました。早く走るために作られたシューズはいくつもありますが、楽しく走るために作られたシューズ、そんなコンセプトのシューズはなかなかありません。 楽しく走るために作られたからこそ、ランニングをトレーニングとしてしか見たことがなかった人も、履いて走った瞬間振り向きます。「あっ、ランニングって楽しいんだ」と。だからOnは「履けばわかるシューズ」と言われるんだと思います。 私が味わった「楽しさに気づく喜び」を世の中に広げたいという思いで、次の採用でもう一度挑戦することを決意をしました。クラウドは、ランニングの楽しさを教えてくれ、生き方や働き方を考えている時、常に一緒にいた、相棒のような存在です。
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2019、4人目。「ランメンさん」大杉 亜依里。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2019、3人目。『北の最終兵器』シブケン」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2019年の4人目はこちら。 「ランメンさん」大杉 亜依里 Onアンバサダー 大杉 亜依里。彼女のプロフィールを、彼女のTwitterアカウントから引用してみよう。 ▶︎走るタレント。ランメンさん。▶︎Manchester United好き。▶︎時々、世界ふしぎ発見!ミステリーハンター。▶︎フルマラソンPB:3時間43分13秒 「世界ふしぎ発見!ミステリーハンター」のふたつ前、なんならプロフィールの一番前に、ハッキリとこう書いてある。 走るタレント。ランメンさん。 この「ランメンさん」とは、僭越ながら俺が名付けたあだ名である。由来は超簡単。 走った後にラーメンを食べることを生きがいにしているアイリであるからして、「ラン」と「ラーメン」を組み合わせただけのことだ。敬意を評して最後に「さん」をつけているのがポイント。 Onアンバサダー、大杉 亜依里 Onに関わるようになってほどなくして、アイリのことは人づてに知った。他ならぬ、岩本 能史さん経由だ。 当時、アイリが所属していた東京ガールズコレクション公式ランニングチーム「TOKYO GIRLS RUN (TGR)」のコーチが岩本さんだったのだ。 今、俺自身が体感しているところだが、岩本式メニューはキツい。そのメニューを着実にこなしたアイリは、2015年の東京マラソンで3時間43分14秒という記録を出したのだった。ちなみに、このときペーサーを務めたのはヤスコ。二人して、なかなかの怪物である。 その後、ミステリーハンターとなり、活躍の場を広げたアイリ。一時は走ることから距離を置いているようにも見えた。しかし、彼女はやはり走ることが好きだと再発見した。そして、Onのことも好きでいてくれたようだ。 だから、俺はアイリにOnの仲間に加わってくれないかとお願いした。 この投稿をInstagramで見る
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2019、3人目。「北の最終兵器」シブケン。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2019、2人目。「パナマ人」上山 光広」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2019年の3人目はこちら。 「北の最終兵器」シブケン 北海道から走る楽しさを発信する男、人呼んでシブケン。本名知らず。 シブケンとの出会い - ネット編 シブケンとの最初の出会いはリアルではなかった。ある日、岩本 能史さんからメッセージが入ったことがキッカケだ。 「駒田さん!この人のブログおもしろいよ(笑)」 そう言いながら、とあるURLを貼り付けてきた。 そのブログこそ、北海道を拠点とするランナーで知らぬものはいない (多分) 人気ブログ「スタートラインはどこですか?」。そして、その筆者がシブケンであった。 岩本さんのお勧めということで読み始めた「スタートライン」は、確かに面白かった。軽快な語り口で、書き手の温かい人柄が伝わってくる。端的に、好きな文章だった。 そして、筆者シブケンはOnをこよなく愛する #OnFriends だったのだ。シブケンがどのくらいOnを愛してくれているか、その一旦は下記の記事を一読してもらえればすぐに分かるだろう。 靴が欲しい訳ではない Onのランニングシューズを選ぶ理由 ランニングシューズの答えはOnクラウドだった【オレの場合】 【レビュー】Onクラウドフライヤーウォータープルーフでサロマ走ったよ そこまでOnを好きでいてくれている人と、いつか会えたら楽しいだろうな。俺はそう思っていた。 シブケンとの出会い - リアル編 人との出会いというのは、本当に面白い。それを改めて実感したのは、2019年1月24日のDMだった。 「突然のDM失礼いたします」 そう切り出した女性は、2月初旬に東京に来るとのこと。Onのシューズとアパレルを含め、ラインナップ豊富なお店を教えて欲しいという。DMでよくある問い合わせだ。もちろん、喜んでお店のアドバイスをさせてもらった。
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2019、2人目。「パナマ人」上山 光広。
前回「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2019、1人目。『ラントリップ』大森 英一郎」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2019年の2人目はこちら。 「パナマ人」上山 光広 人呼んで「世界で一番走る書家」、そしてOnアンバサダー。その言動と問答無用の風貌で強烈なインパクトを残す。それがこの男、上山 光広だ。俺は彼を「光ちゃん」と呼んでいる。 光ちゃんとの出会い 彼との出会いは2019年5月。英ちゃんたちと一緒に作り上げた「Runtrip via On Japan Tour 2019」の目的地のひとつ、神戸でのことだった。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 - 2019年 5月月11日午後6時45分PDT 「Runtrip via」を知らない人のために説明すると、このランニングイベントには決まったランニングコースはない。決まったスタート地点もスタート時間もない。決まっているのはゴール地点とゴール時間のみ。どのようなルートでゴール地点に向かっても自由なのだ。 そして、Runtrip via On Japan Tour 2019 では、ゴール地点の目印として特別なゲートを設置した。俺はそれを「クラウドゲート」と名付けた。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 - 2019年 5月月10日午後7時48分PDT そのクラウドゲートの内側で、俺とカズはフィニッシュテープをピンと張り、ゴールする人たちを迎えるべく準備していた。 すると、ゲートの外側をうろうろしている男性を見つけた。 「あの人、参加者かな?」 「どうでしょうね。。間違いなくランナーだとは思うんですが。。。」
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2019、1人目。「ラントリップ」大森 英一郎。
前回「東京マラソン2020に向け、本格始動」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2019年の1人目はこちら。 「ラントリップ」大森 英一郎 元箱根駅伝ランナーにして、「もっと自由に、楽しく走れる世界へ。」を掲げる株式会社ラントリップ代表。そして、俺の偉大なる後輩。尊敬と親しみの念を込め、俺は彼を「英ちゃん」と呼ぶ。 英ちゃんとの出会い 彼との出会いは2015年。彼が株式会社ラントリップを立ち上げる直前のことだった。そしてそれは、俺がOnジャパンを立ち上げる直前のことでもあった。 「タイムだけじゃない、もっとこう、あれですよ…!」 とあるランニングイベント後の打ち上げで隣の席に座った英ちゃんは、酒で少し赤くなった顔で熱く語りはじめた。 箱根駅伝に出場するため、全てを賭けてランニングに打ち込んだ。念願叶って箱根駅伝を走った。その後、まるで燃え尽きるように走らなくなってしまった。ある日、思いつきでのんびり走ってみると楽しかった。そのとき、彼は「これだ」と感じたという。 「…もっと自由に、楽しく走ったっていいじゃないですか!」 折しも「ビッグ・イン・ジャパン」プロジェクトを進めていた俺は、その彼の想いに大いに共感したのだった。なぜなら、俺が目指すのは「ランニングを楽しく」を掲げるブランドを日本に根付かせることだったから。 Runtrip via On Japan Tour 2019 程なくして、彼が「Runtrip」というものを始めたと聞いた。彼らしい名前だと思った。いつか彼と一緒に旅するように走ってみたい、そう思った。 それから4年、俺は英ちゃんとOnジャパンのオフィスで話をしていた。この4年間、俺の中で形作られてきた「#OnFriends」や「#MeetOnFriends」という考え方。それとRuntrip を掛け合わせることはできないか。日本全国の #OnFriends のために、Runtrip で日本ツアー的なことをやれないかと。
勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2019、1人目。「ラントリップ」大森 英一郎。
前回「東京マラソン2020に向け、本格始動」に戻る 我が鉄人鍛練記、年末の恒例企画、「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」。 この1年、俺の中で大活躍をした人物を勝手にノミネートし、勝手に表彰する企画だ。 そんな勝手極まりない「勝手にマン・オブ・ザ・イヤー」、栄えあるかないか分からない2019年の1人目はこちら。 「ラントリップ」大森 英一郎 元箱根駅伝ランナーにして、「もっと自由に、楽しく走れる世界へ。」を掲げる株式会社ラントリップ代表。そして、俺の偉大なる後輩。尊敬と親しみの念を込め、俺は彼を「英ちゃん」と呼ぶ。 英ちゃんとの出会い 彼との出会いは2015年。彼が株式会社ラントリップを立ち上げる直前のことだった。そしてそれは、俺がOnジャパンを立ち上げる直前のことでもあった。 「タイムだけじゃない、もっとこう、あれですよ…!」 とあるランニングイベント後の打ち上げで隣の席に座った英ちゃんは、酒で少し赤くなった顔で熱く語りはじめた。 箱根駅伝に出場するため、全てを賭けてランニングに打ち込んだ。念願叶って箱根駅伝を走った。その後、まるで燃え尽きるように走らなくなってしまった。ある日、思いつきでのんびり走ってみると楽しかった。そのとき、彼は「これだ」と感じたという。 「…もっと自由に、楽しく走ったっていいじゃないですか!」 折しも「ビッグ・イン・ジャパン」プロジェクトを進めていた俺は、その彼の想いに大いに共感したのだった。なぜなら、俺が目指すのは「ランニングを楽しく」を掲げるブランドを日本に根付かせることだったから。 Runtrip via On Japan Tour 2019 程なくして、彼が「Runtrip」というものを始めたと聞いた。彼らしい名前だと思った。いつか彼と一緒に旅するように走ってみたい、そう思った。 それから4年、俺は英ちゃんとOnジャパンのオフィスで話をしていた。この4年間、俺の中で形作られてきた「#OnFriends」や「#MeetOnFriends」という考え方。それとRuntrip を掛け合わせることはできないか。日本全国の #OnFriends のために、Runtrip で日本ツアー的なことをやれないかと。
前回「Onスイス本社から戻り、誕生日に横浜マラソンの応援をしていて気付いたこと。誇りと謙虚さ」に戻る 東京マラソン2020のチャリティランナーに決定したのは、今年9月のこと。 今読み返しても、東京マラソン事務局から届いたあのメールのタイトルは強烈であった。 ハマのダンディズム様がチャリティランナーになりました! 東京マラソンチャリティ "Run with Heart"、トシヒデのブッ込み。 東京マラソンチャリティ "Run with Heart"、経過報告。 東京マラソンチャリティ "Run with Heart"、結果発表。はじめての東京マラソン出走へ。 それからもコツコツと走り続け、月100kmは安定して走るようになった。今年3月から10月までは、毎月100kmを走ることが習慣になった。 しかし、11月に大きく体調を崩してしまった。それまでの仕事の疲れが身体に出たようだ。体調を崩すと、メンタルにも大きく影響する。「走りたい」という気持ちが薄れてしまった結果、11月の走行距離はなんと18kmに終わった。 これではいけない。東京マラソンまで3ヶ月。あっという間だ。 少し体調も回復し、12月に入ったこともあり、心機一転で頑張ろうという気力が湧いてきた。 そこで12月1日、俺は本棚に眠っていた「とある本」を引っ張り出すことにした。 岩本 能史 師の著書「限界突破マラソン練習帳」、通称「黄色い本」だ。 今日は12月1日。はじめての東京マラソンまで、あと13週。ぼちぼち本格始動しよう。目標はサブ4。 pic.twitter.com/LlUuXgijuU — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) December 1, 2019 師曰く、「レースはトレース。練習もトレース」。 岩本さんによれば、レースとは練習で積み重ねたものを発揮する場。つまり、練習内容をなぞるように、トレースするように、本番で力を発揮すれば良い。これが「レースはトレース」の意味。
On 第二世代 Cloudflow (クラウドフロー) について。
前回「iro-hanaかふぇ食堂、まさかの大胆企画。レストランを基本閉めてまでやるOnポップアップ。2019年11月9日(土) 開幕」に戻る 2016年11月3日に発売されたクラウドフローは、瞬く間にOnのベストセラーとなった。 On クラウドフローについて。 ISPOベストパフォーマンスシューズ部門金賞を受賞し、ティム・ドンがアイアンマン世界記録 (当時) を出し、何より世界中のランナーに支持されたクラウドフロー。 その理由は、クラウドフローのバランスの良さにあるだろう。 軽く、クッション性と反発性に優れ、着地から蹴り出しまでの流れるような心地良い感触。それは、プロアスリートであろうと、一般ランナーであろうと、変わらぬ楽しさだ。 クラウドフローは、Onのあらゆるシューズの中でも最高傑作のひとつに数えられる。社内でも社外でもそう評価されればされるほど、それを上回るべく努力を重ねる人たちがいる。 それが、On共同創業者 オリヴィエ・ベルンハルド率いるR&Dチームだ。完璧さが存在しないことを知りつつ、それでも完璧さを求めてあらゆる努力を重ねる人たち。 その彼らが自信を持って発表したのが、2019年11月7日に発売された第二世代のクラウドフローだ。 第二世代のクラウドフロー、発売。 初代クラウドフローの発売から3年。 その間、Onは世界中のアスリートたちからフィードバックを集めた。その結果、共通して得られた声とはこのようなものだった。 「クラウドフローの軽さとバランスの良さ、流れるような走り心地は素晴らしい」 「でも、フォアフット部分のクッション性がもう少しだけあったら」 「そして、ヒール部分のホールド感がもう少しだけ高かったら」 クラウドフローの良さは100%残し、わずかに気になる箇所を全てアップデートする。それが、この3年間で採られた、新型クラウドフローの開発アプローチだった。 Helion™️スーパーフォーム採用のCloudTec® まず最大のアップデート箇所は、On最大の特徴でもある世界特許技術「CloudTec®
Onスイス本社から戻り、誕生日に横浜マラソンの応援をしていて気付いたこと。誇りと謙虚さ。
前回「しげ選手、名古屋ウィメンズマラソン2020のおもてなしタキシード隊に選ばれる」に戻る 11月3日の日曜日から10日の日曜日まで、丸々1週間スイス出張に行ってきた。 セールスミーティング本番開始。 pic.twitter.com/TQZkWKvkSH — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) November 6, 2019 出張の主な目的は、来年の秋冬シーズンの新作発表を受けること。そして、ブランドとして歩む方向性の確認をすることだ。 新作は実に素晴らしかったし、早くそれを日本に届けたいとワクワクする。しかし、それ以上に俺の心に残ったのは、キャスパーが冒頭に語ったことだった。 「2020年1月6日、Onは10周年を迎えます。 オリヴィエとデイビッドと私、3人で創業した当時、何よりもまず一番の目標は『生き残ること』でした。 しかし、今ではOnは多くの市場で、『最も成長率の高いスポーツブランド』と呼ばれるようになっています。 だから、生き残ることはできたと思います」 Onのブランドプレゼンテーションには、キャスパー・オリヴィエ・デイビッドの3人が冷たいシャワーを浴びている画像がある。それは、彼らがそれまでのキャリアを全て投げ打って、新たな世界に飛び込もうとしたときの「冷たい水をかぶるような怖さ」を表現したものだ。 「生き残ることはできました。今こうして、目の前にたくさんの社員や取引先の皆さんがいます。 そのことに大きな誇りを感じます。しかし同時に、謙虚な気持ちになります。 3人だけでOnが大きくなるはずがありませんでした。 家族、社員、取引先、メディア、Onのファン、多くの方々に助けられて生きていると実感すると、謙虚な気持ちになるのです」 キャスパーのその言葉を聞いたとき、俺自身のこの数年間も思い出した。小さな誇りを感じると共に、謙虚な気持ちになった。キャスパーがそのプレゼンテーションで多用した「Humble (謙遜した)」という意味の言葉は、個人的に今回の出張を象徴する言葉となった。 そんなスイス出張から戻ってすぐ、義弟のしげちゃんと友人のあやの走りを見届るべく、まどか・みか・若菜と共に赤レンガ倉庫に向かった。
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