前回「仕事人生が一周した話。TIMEX TV に取材してもらった」に戻る オン・ジャパン株式会社 共同代表 兼
前回「#誰もいなくても俺はやる の本当の意味」に戻る ねこはいい。 高校時代から猫と共に過ごしてきた俺は、猫の良さを知っているつもりだった。 しかし、猫好きが高じてきたのは、2020年6月から。 そう、うみが我が家に来てからだ。 ※ 我が家にきた直後のうみ。 我が家に子猫がきた。 うみが駒田家に来てから、もう1年8ヶ月になろうとしている。 彼が来てくれたことで、我が家に幸せが増えた。元気一杯のうみと、うみに翻弄されつつ幸せそうなまどか。その構図は、うみが我が家に来たときから変わらない。 ※ 2020年8月頃のうみ。 禍福は糾える縄の如し。 いつも自由に好き勝手しながら、自分が愛されていると疑わない存在。 家の中を走り回って大騒ぎしていたかと思うと、いつの間にかピタッと寄り添っている温かい存在。 彼が我が家に来たその日の夜、膝の上に乗られたまどかは、「あったかいなー」と言いながら涙していた。 かわいらしく温かく、やんちゃで甘えん坊。うみはそんな猫に成長した。 ※ 2022年1月1日、名古屋にて。 赤ちゃんの頃から育ててきたからだろうか。たまに、彼の言っていることが分かるような気すらする。 まあ、それは多分気のせいか。いまだになんで突然噛んでくるのか分からないわけだし。 ところで、うみが我が家に来てから、「ねこ友達」が増えた。 たとえば、On アンバサダーの「マイ」は、元々は俺のねこ友達だった。うみと一緒に暮らすようになってから入社した仲間たちにも、ねこ友達はいる。#OnFriends にも猫好きは多い。 この投稿をInstagramで見る Mai Yamada(@maidon513)がシェアした投稿 そんな彼らと猫について語り合っているとき、俺は大きな平和を感じる。 「君の猫かわいいね!」 「あなたのところの猫ちゃんも!」 お互いの猫のかわいさを愛で合い、同時にどちらも「うちの子が一番かわいいんだけどね!」と思っている。そして、そんなお互いの気持ちを「よーくわかるよ!」と当たり前のように認め合う。
前回「駒田画伯、虎を描く」に戻る 突然だが、俺は元々臆病で小心者であった。 子供時代に身体が弱く、いつ他人に攻撃されるかとビクビクしていたことも影響しているのかも知れない。 ふとした拍子に瞬間湯沸かし器のように激怒する、父親の顔色を見ることが多かったからかも知れない。 でも、本当のところは分からない。 成長しても、その性質は変わらなかったからだ。 若かりし頃、この臆病さを認めることができなかった。自分は強いと思いたかったからだ。 だから空手を稽古して、それなりには強くなった。それでも、自分の臆病さは消えてくれなかった。 ただ、臆病で小心者だったからこそ、得られた経験もあった。 なぜ自分は目の前の物事を怖がっているのだろう。何がそんなに怖いのだろう。そうして考える時間が多かったからこそ、分かったこともある。 寄って立つ精神的な支柱があれば、恐怖は減るのだと。 何か問題が起きて苦しんだときでも、それに照らし合わせて手探りしていけば、どうにか自分なりの答えに辿り着けるような、そんな精神的な支えがあれば。 だから、何か問題が起きたときや、新しい物事に取り組むとき、俺は動きながら同時に自分の内面に潜る。 自分の内面に潜るというのは、自問自答するということだ。自分の考え方、生き方、心の支え、そうしたものにひき比べ、今の行動を自分で評価するということだ。 「それは本当にお前のやりたいことか?」 「それが本当に正しいと信じられるか?」 「恥じることなく、誰に対しても堂々と語れるか?」 そうして、自分の支柱から離れていないかどうかを問う。 そこから離れていれば、きっと分かる。そういうとき、俺は恐怖を感じるからだ。 誰を誤魔化せたとしても、自分の心だけは誤魔化せない。 そして、自問自答の結果、「自分はそこから離れていない」と確認できれば、もう恐れることはない。 いつしかこの状態を、「#誰もいなくても俺はやる」と名付けるようになった。 自分の支柱から離れておらず、誰に対しても恥じることなく自分の行動の理由を説明できるとき。 しかも、それを心の底から楽しめると確信できるとき。
前回「コミュニティ・ビルディング。古くて新しいお役目」に戻る 2021年末、「コミュニティビルディング」という、自分にとって古くて新しい役割を引き受けることに決めた。 その日以降、俺はOnに関わるようになってからの9年間を振り返った。年末年始休暇の半分は、その振り返りに費やしたと言ってもいい。それは、自分の初心を見つけるための心の旅でもあった。 Onに関わるようになったきっかけ。 公私共にお金がなくて苦しんだこと。 情熱を傾けた仕事が無くなるかもしれないと知ったときの絶望。 全て投げ捨てそうになったこと。 キャスパーからの電話。渾身のプレゼンテーション。 "Big in Japan" プロジェクト。 仲間集めと小さなオフィスからの再スタート。 カズやヤスコとの旅の日々。おかしなホテルにばかり泊まったものだ。 横浜に本籍を移したこと。かけがえのないパートナーとの再婚。 "Never Not On" を旗印に、Onを日本に根付かせるために全てを賭けてきた。 Onは俺の人生を豊かに変えてくれた。ランニングを通じて「楽しさ」の意味を知った。 だから、OnとOnを応援してくれる人たちに少しでもお返ししたいと思った。 その中で生まれた #OnFriends の概念。 日本を巡る #MeetOnFriends ツアー。 さらに規模を大きくしたRuntrip via On Japan Tour。 日本のビジネスが3年で大きく成長したこと。 世界のOn社員の前で想いを語ったこと。 お店をサポートするためTech Repチームを組織したこと。 新型コロナウィルス感染症が拡大する中、できる施策を全てやった。 その甲斐もあり、2020年は大きく市場での存在感を増した。 長年のビジネスパートナーとの別れ。 それでもビジネスの土台を強固にしたこと。 その後、ずっと深く関わってきたセールスを離れたこと。 そして、ニューヨーク証券取引所への上場。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 そのような流れの中で、日本国内におけるOnの位置付けも大きく変わってきた。
前回「人生は所詮ネタ探し。ちっちゃな死を乗り越えて」に戻る 先日、インスタストーリーズ上でブログ記事のお題を募集した。 幸いなことに、多くのお題が集まった。それで書いた記事が「人生は所詮ネタ探し。ちっちゃな死を乗り越えて」と「自らを鼓舞する言葉。人の支えになる言葉」であった。いずれも自分の人生観を綴るという意味で共通している。 こういう記事を書くと、自分の頭と心を整理することができる。そうして書いた記事は、何年か後になって自分自身を支えることもある。 「そうか〜、博紀は真面目だな〜 (*°ᆺ°) 記事を書いてえらいな〜 (*°ᆺ°) 」 出たな、まどか。今日もゆるいな。 今、俺たちは長めの正月休みの旅第2弾ということで、伊東の赤沢温泉にいる。 雪の降る中、赤沢温泉へ。 pic.twitter.com/5JfyQJfPWU — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) January 8, 2022 海洋深層水を使ったプールで身体を緩め、サウナと水風呂と温泉で頭も身体もフワフワしている。それでも、油断するとつい考えごとばかりしてしまう。 この仕事を始めてからというもの、完全にオフになれたことはない。それでも、こうしてオフに近い場に連れて行ってもらい、隣でゆるい雰囲気を出してもらえると助かる。 「新谷さんのお題は、『絵を描いて』だっけ?」 そんな俺の心境を知ってか知らずか、まどかはいつものペース。それが助かる。 「そう。テーマ募集のところに『虎の絵』とだけ」 すると、まどかはホテルのメモ帳に絵を描き始めた。 まど画伯作・虎。 pic.twitter.com/K33erWhv57 — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) January 8, 2022 「腰に手を当ててるの、なんでか分かる?」 「力道山だろ」 「さすが!」 まど画伯のインスピレーションはこの方。 pic.twitter.com/nUxktMjfoz — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) January 8, 2022
前回「自らを鼓舞する言葉。人の支えになる言葉」に戻る 「博紀はいいな〜。 ネタに満ちてるな〜 (*°ᆺ°)」 まどかがいつものゆるい言い方でそんなことを言う。 なんだなんだ。 「だってさ、小学生の頃からの話を聞いててもさ、いつもなんだか色々あるじゃん?」 まあ、そうかもな。 「私なんて特に何もなく生きてきたからさ〜 (*°ᆺ°)」 いや、そんなことないだろ。 みんな生きてればそれなりに色々あるし。 「でも博紀は書くことが好きだからね。良かったんじゃない? 『ちっちゃな死』 みたいなことがあって。そこから這い上がる経験できて」 そんな、人ごとみたいに…。 それにしても、「ちっちゃな死」か。まどかが以前からよく使う表現だ。 まどか曰く、人は本来の「在りたい状態」から離れれば離れるほど、人生において苦しみを味わう。その苦しみの最中で「これは自分の在りたい状態じゃない」と気がつき、望む状態に戻ってくれば、それ以上苦しむことはないらしい。 では、その苦しみを味わっても戻ってこなかったら。そのまま突き進んでしまったら。 人によっては本当に不幸なことになってしまうかも知れない。事実、俺もその寸前までいきそうになった。 あのとき、五反田駅のホームで、あの黄色い線の向こうに本当に行ってしまったとしたら、今こんな記事を書いてはいなかっただろう。このブログは存在すらしなかっただろう。 俺は何がしたいんだ、の先。 心を決めたら見えたもの。 あの、ギリギリで踏みとどまったとき。あるいは、執着を捨てて心を決めたとき。 それがもしかしたら、まどかの言うところの「ちっちゃな死」だったのかも知れない。本当の死を味わうことなく、人生がリセットされたようなあの感覚は、まさしく「ちっちゃな死」だったように思う。 それにしても、そこまで追い込まれなければ分からないなんて、どれだけ鈍感だったのだろう。何が好きか、何が嫌いか、どうしたいのか、どう在りたいのか、そういう根本的なところから目を背け続けてきたツケが回ってきたという他ない。それはすなわち、心の訓練を怠っていたということだ。
前回「書くということ」に戻る 前回の記事で、こう書いた。 過去の自分を癒し、現在の自分を鼓舞し、未来の自分に答え合わせを委ねる。 それが自分にとって「書く」ということだったらしい。 2013年以降、SNSやブログ、あるいは雑誌の寄稿などで「書く」ことが仕事の一部となっていた。 でも、その書くこと自体が直接的にお金を生んでいるわけではないので、仕事そのものというわけでもない。 だから、本業が大変な時期を迎えた頃 (2019-2021年)、自然とブログを書く頻度は減っていった。 同時期にOn日本公式インスタグラムやLINEを作ったことも関係している。On公式ウェブサイトでも、少しずつ日本発信のコンテンツが増えている。自分が発信しなくても、もうOnの「公式」な声はそこにある。 だから、もう必要はないのだと。自分が本来やるべきことに集中すればいいのだと、そう思っていた。 書く目的 しかし、ブログを書くことから少し離れていても、これまで書き溜めた記事はそこにある。 その記事のうちいくつかは、定期的に読んでもらっていたようだ。 自分の個人的な出来事とそこから得られた学びをオープンに書き続けてきた記事は、どうやら少しは人の支えにもなっていたらしい。このブログを「心の参考書」と言ってくれた人がいる。 少しは人の支えになるのなら、とても嬉しい。 pic.twitter.com/vdA0f5x9bk — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) January 3, 2022 過去の自分を癒し、現在の自分を鼓舞し、未来の自分に答え合わせを委ねる。 そういうつもりで書いたものが、少しでも人の役に立つのだとしたら、それほど嬉しいことはない。 だからこそ、まずは自らを鼓舞するために。 誰かからの借り物ではない、自分自身の人生で得られた、自分のための言葉を綴ろう。 次回に続く ※ インスタストーリーズで「書いて欲しいテーマ」を募集したとき、「心の参考書」と表現してもらいました。嬉しかったです。ありがとう。 にほんブログ村
前回「2021年、ハマのダンディズム的 3大ニュース」に戻る 2020-21年はほとんどブログ記事を書かなかった。 Instagram, Twitter, Facebook はほとんど毎日更新している。特に、Twitter は自分の考えをまとめる練習にとてもいいと思っている。短い文章で端的に表現するスキルというのは、プレゼンテーションをするにも、インタビューを受けるにも、とても有用だ。 ただ、それだけでは物足りなかったのも事実だ。日々考えていることをまとまった形で残すというのは、何年か経った後でも自分の助けになる。 書くことは自分にとって、立ち返るべき初心の確認であり、想いの補強であり、癒しでもあったからだ。 過去の自分を癒し、現在の自分を鼓舞し、未来の自分に答え合わせを委ねる。 それが自分にとって「書く」ということだったらしい。 だから、2022年はもっと書こうと思う。 次回に続く ※ インスタストーリーズで「書いて欲しいテーマ」をいくつか募集しました。どうぞよろしくお願いします。 にほんブログ村
前回「甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根コース 挑戦記 – 最終話『甲斐駒ヶ岳の男と女たち』」に戻る 「ヒロキに新しい仕事を頼みたい」 2021年が終わろうとしている頃、久しぶりのキャスパーとの電話でそう言われた。 その新しい仕事とは、一言で言えば「コミュニティ・ビルディング」。今、キャスパーが取り組んでいる大きな仕事のひとつである。 ちなみに、彼が取り組んでいるもう一つの大きな仕事は、「サステナビリティ」。On公式ウェブサイトでメンバー登録している人であれば、ここ数年でいくつか大きな話題が配信されたことを知っていると思う。 「……それは、俺の初心そのものだよ」 「知ってる ;) だからお願いしたいんだ」 マーケティングの目的と手段 コミュニティ・ビルディングやコミュニティ・マーケティングという言葉が、いつ頃日本国内で広まり始めたのかはよく知らない。 しかし、自分が2013年にOnの仕事を始めた頃は、それをやっている企業・ブランドはあったのだろうが、まだ一般的に意識されるような状況ではなかったように記憶している。 そして自分もまた、コミュニティ・ビルディングを意識してOnの仕事を始めたわけではなかった。 当時の自分が思っていたマーケティングの目的とは、「売り込むことなく、お店で自然に売れるように仕組むこと」であり、その典型的な手段は、マスメディアやSNS等の媒体からの発信や、店頭ディスプレイの整備、販促キャンペーンの仕掛けなどであった。 しかし、それらの手段には当然ながら多額のお金がかかる。 2013年当時、自分が勤めていた On日本輸入代理店が Onに割り振った年間マーケティング予算は、わずか数百万円であった。これがどの程度のお金なのかと言えば、有名雑誌に見開き2ページで広告を出したら、それでほぼ終わりといった金額だ。 期待されていなかった、といえばそれまでだろう。実際、それから1年半後、その会社はOnから手を引く判断をした。 宮古島トライアスロン挑戦記 2016 – 第1話「Onをやめる?」 お金がない。それなら動くしかない。 ともかく、当時の自分は、その限られた環境の中でどうすればOnを知ってもらえるかを考えた。
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前回「北海道マラソンの舞台裏。レース前日にSUIちゃんの歌で勇気を」に戻る 2022年8月28日
前回「北海道マラソンの舞台裏。Onの参加賞Tシャツを着て、レース翌日にモーニングラン」に戻る 北海道マラソンまであと4日。 準備のできている人も、そうでない人も、ワクワクしたり、少し不安になったりしている頃だと思う。 自分にも何度となく覚えがある。 歌の力を借りるのもあり。 はじめての宮古島トライアスロンに出場したときのことだ。 自分のフィニッシュシーンを具体的にイメージしながら、その瞬間を彩る「テーマソング」を心の中で流していた。 レース中も苦しい局面になるたび、テーマソングを心の中で流しながら、繰り返しフィニッシュしている自分をイメージした。 自分を「勝ったも同然」状態にするため、信じ込む力だけではなく、歌の力も借りたのだ。 そして、それはとてもうまくいった。 宮古島トライアスロン挑戦記 2014 「勝ったも同然」に込めた意味。幸せの前借り。 シンガーソングランナーSUI が札幌で歌う。 北海道マラソンレース前日の土曜日、シンガーソングランナーのSUIちゃんがステージで歌ってくれることになった。 北海道マラソンEXPOの開催される「大通公園」で、午前11時と午後3時半の2ステージだ。 「チャレンジャー」と「奇跡の裏側」の2曲は、2ステージともに歌うとSUIちゃんから教えてもらったので、事前に予習しておいて欲しい。 挑戦を続ける人たちに向けた「チャレンジャー」と、これから奇跡を起こしたいと願う人に向けた「奇跡の裏側」。いずれもマラソンの応援歌として力を与えてくれることだろう。 チャレンジャー 奇跡の裏側 そしてSUI も走る。 2回のステージで歌った翌日、SUIちゃんも北海道マラソンを走る。 シンガーソングランナーSUI、北海道マラソンを走る。 pic.twitter.com/8mU91IghsV — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 24, 2022 応援歌を歌った人が、みんなと一緒に走ってくれる。 これほど心強いことはない。 次回に続く ※ あなたの北海道マラソンのテーマソングに。 にほんブログ村
前回「北海道マラソンの舞台裏。渾身のサポート企画。Onスペシャルエイドステーション」に戻る Onは、北海道マラソンのオフィシャルウェアパートナーとなった。 北海道マラソンオフィシャルウェアパートナー。 pic.twitter.com/az1XSSwLCq — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 22, 2022 参加賞Tシャツの問題点。 オフィシャルウェアパートナーとは、大会参加賞のTシャツがOnのデザインになるということだ。 商品として発売されている Onのランニングアパレルが参加賞になるということではなく、今回の北海道マラソンに参加するランナーのために、特別なデザインのTシャツが贈られるということだ。 参加賞Tシャツというものは、もらったその時は少し嬉しくなるのだが、レース後も継続して着続ける人はあまり多くない。寝巻き等として使われれば良い方で、レース後に捨てられてしまうことも多いと聞く。 とてももったいない。もし数千〜数万着の参加賞Tシャツが捨てられてしまったとしたら、環境にも決して良くないだろう。 シンプルな解決策。 この解決策は、シンプルだと思う。 そもそも参加賞Tシャツを作らない。 普段から着られて、長く使いたくなる参加賞Tシャツを作る。 北海道マラソンとOn は、後者を採ることにした。 Tシャツの素材は 100% 再生ポリエステルで、普段着としても着用しやすいものになっている。 Tシャツ前面のデザインは、左胸にOnロゴが入っているだけ。背面には、北海道のクリエイターがデザインし、Onスイス本社デザインチームが選定したグラフィックが入っている。 この背面グラフィックは、四角形や楕円形を散りばめたものになっており、それを全体として眺めると2人のランナーが浮かんで見えるような遊び心を取り入れた。 長く着用してもらえるよう、大会名と大会年度の表記は意図的に小さくプリントされている。カラーもベーシックなものに絞った。 北海道マラソンに参加される方には、このTシャツをレース後も長く使っていただきたいと思う。 Onの参加賞Tシャツを着て、レース翌日にモーニングラン。 そんな参加賞Tシャツを使ったイベントを考えた。
前回「On Tokyo オープンまで、あと1日」に戻る 2022年のOnジャパンにとって大きな話題のひとつに、「北海道マラソン オフィシャルウェアパートナー」がある。 北海道マラソンオフィシャルウェアパートナー。 pic.twitter.com/az1XSSwLCq — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 22, 2022 北海道マラソンのようなメジャーなマラソン大会のパートナーになれる日が来るなんて、なんだか不思議な感じがする。 1小間のブースで売れなくて困り果てていたあの頃と比べると、隔世の感がある。 On、日本デビューの頃のお話。 オフィシャルウェアパートナーとは、大会参加賞として配布される Tシャツが Onのデザインになるということだ。 普段から着たくなるようなシンプルな仕上がりなので、北海道マラソンに参加する方は楽しみにして欲しい。 他にはないスポンサーの形を目指して。 とてもめでたいニュースなわけだが、それだけで満足することなく、もっとランナーをサポートしたい。 そんな気持ちで、北海道マラソン事務局にアレコレとアイデアを出してきた。 その結果、レース25km地点に「Onスペシャルエイドステーション」を設けることになった。 そのエイドステーションには俺も入る。他のエイドでは出ない飲み物や食べ物を提供する予定となっている。 そして、他のエイドではあり得ないサービスも展開する。 Hypervolt Go / Go 2 によるマッサージサービス これだ。かねてから温めてきた企画である。 マッサージガンの元祖「Hypervolt」で、25km地点まで走ってきた疲労困憊ランナーの足腰をくまなく癒す。 そんな話を Hyperice Japan社に持ちかけたところ、二つ返事でOKをいただいた。 そんなわけで、4台の Hypervolt Go、4台の Hypervolt Go 2、合計8台の高性能マッサージガンがOnジャパンに届いた。 目下、充電中だ。充電が完了し次第、北海道に発送する。 Hypervolt Go / Go 2 pic.twitter.com/ZbQSSy8J0e —
前回「タカスィが写真を撮ってくれた」に戻る 突然だが、俺には3つほど特技がある。 大切なときは必ず晴れる。 虫に刺されない。 同じ店に2度行くと覚えられる。 2と3についてはまたいつか語ろう。 今日話をしたいのは、1についてだ。 大切なときは必ず晴れる。 そう、俺にとって大切なときは必ず晴れる。 それに気づき始めたのは、2016年の宮古島トライアスロンの旅のことだった。 2016年4月13日、宮古島に向かう道中、俺の旅日記を掲載していた Facebookには、このようなコメントがあふれていた。 「これから滝のような豪雨らしいです」 「デュアスロンですかね…(泣)」 「残念ながら予報ではデュアスロンは濃厚かと」 中にはご丁寧にレース日の天気図を示しつつ、「雨です」と教えてくれる人もいた。 2016年の宮古島トライアスロン、レース当日の天気予報図。 pic.twitter.com/y4OIYV13Vi — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 21, 2022 しかし、俺は全く気にしていなかった。 「大丈夫です、晴れます」 そのようにしか返信しなかった。 結果、4月17日のレース当日の天気は、「晴れ、一瞬豪雨、そして晴れ」だった。 たとえ途中で雨が降ろうと、大切なときは必ず晴れる。 それまでの人生で得てきた教訓を、そのままあらゆる事象に当てはめようと意識したのは、このときからだったと思う。 「勝ったも同然」の応用技。 俺は天気予報を見なくなった。 その代わりに、信じ込むようにした。俺にとって本当に大切な瞬間には、必ず晴れるのだと。 それは、Onジャパンを立ち上げて少ししてから作り出した、「勝ったも同然」という言葉にも込められていた。 「勝ったも同然」とは、「自分のありたい状態を先取り」するということだ。 つまり、まだ「勝った」状態でなくても、そうなったときに覚えるであろう感情を先に想像して、それを存分に楽しむことだ。
前回「文章を残すことの意味」に戻る 「ダンディズムのプロフを更新しないことには、執事の名がすたります!」 ある日、歳上の親友タカスィがLINEで叫んだ。 っていうか執事ってなんだね。 勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2017、3人目。「永遠の10代タカスィ」中川 隆志。 「以前のを今でも使っていただいているのが感涙モノです。 だいぶ経ちますのでリニューアルしましょう!」 そう言えばそうか。このプロフィール画像、2019年2月に撮ってもらったんだっけ。 2019年2月のプロフィール画像。 Photo by タカスィ pic.twitter.com/PHygAk6YkG — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 18, 2022 「そうです。夏バージョンを撮りましょう! どこにでも行きますから!! まどサマも撮りたい!!!」 そんなわけで、異様にフットワークの軽い「永遠の10代」タカスィが夕暮れの横浜にやってきた。 一方まどかは、着物を装備して準備万端。それを見たタカスィのテンションは天を衝くばかり。 「いい!いいですよまどサマ!!」 それによって、ますます雰囲気を出してこようと意気込むまどか。 夕暮れの横浜とまどか。 Photo by タカスィ pic.twitter.com/Rw4u1deLka — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 18, 2022 雰囲気を出してくるまどサマ。 pic.twitter.com/7p7akHGOig — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 18, 2022 まどかを撮り終えたタカスィは、そのままの勢いで俺に向き合う。 「執事として……」とうわごとのように呟きながらカメラを構えるタカスィ。 いつのまに執事になったんだね。。。 ハマのダンディズム。
前回「#花とダンディズム とは何なのか」に戻る 今となっては遠い昔のように感じてしまうが、今年7月3日(日) に、第2回 Lake Biwa Triathlon in Moriyama に参戦してきた。 ちなみに、先日書き上げたばかりの記事は、2021年10月に開催された第1回大会に関するものだ。 ※ 第1回大会フィニッシュ後の写真。 Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 第1回大会では右ハムストリングスの肉離れのために大いに苦しんだが、第2回大会は体調も悪くなく、レースを目一杯楽しむことができた。 ただ、7月のレースは暑い。俺の特技「雨雲ずらし」を全力で発揮してしまった結果、灼熱のレースとなった。あまりにも暑くなり、「熱中症アラート」が発令されたことで、当日のコースが短縮になったほどだ。 特に最後のラン (18km → 12km に短縮) はキツかった。全てのエイドステーションで立ち止まって水をかぶらないことには、一歩も進めないほどであった。たった12kmがこれほど長く感じたのは初めての経験だった。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 そんなキツいランを乗り切れたのは、旅の仲間のOnジャパンメンバーの応援、道中のボランティアやエイドステーションの皆さんのサポートのおかげだ。 そしてもう一つ。レース中に何度も交錯する、選手同士の応援の力も大きい。 俺が暑さと脱水に苦しんでいるとき、ひとりの男性がこう声をかけてくれた。 「駒田さんのブログのおかげで、宮古島トライアスロンに出ました。 最近、ブログの更新があまりなくてさみしいです。 また、書いてください。楽しみにしています」 宮古島トライアスロンの長編は、このブログの中で3つある。 どれを読んでくれたのか、その場では聞くことができなかった。意識朦朧で、「ありがとうございます。また書きます」としか答えられなかったからだ。 宮古島トライアスロン挑戦記 2014 宮古島トライアスロン挑戦記 2016 宮古島トライアスロン挑戦記 2018
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