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駒田博紀の鉄人鍛練記 http://hirokikomada.com

「On (オン)」のマーケティングを生業とする空手家が、トライアスロンに挑戦する過程を追ったブログ。

ヒロキ
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2016/07/19

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  • 北海道マラソンの舞台裏。レース前日にSUIちゃんの歌で勇気を。

    前回「北海道マラソンの舞台裏。Onの参加賞Tシャツを着て、レース翌日にモーニングラン」に戻る 北海道マラソンまであと4日。 準備のできている人も、そうでない人も、ワクワクしたり、少し不安になったりしている頃だと思う。 自分にも何度となく覚えがある。 歌の力を借りるのもあり。 はじめての宮古島トライアスロンに出場したときのことだ。 自分のフィニッシュシーンを具体的にイメージしながら、その瞬間を彩る「テーマソング」を心の中で流していた。 レース中も苦しい局面になるたび、テーマソングを心の中で流しながら、繰り返しフィニッシュしている自分をイメージした。 自分を「勝ったも同然」状態にするため、信じ込む力だけではなく、歌の力も借りたのだ。 そして、それはとてもうまくいった。 宮古島トライアスロン挑戦記 2014 「勝ったも同然」に込めた意味。幸せの前借り。 シンガーソングランナーSUI が札幌で歌う。 北海道マラソンレース前日の土曜日、シンガーソングランナーのSUIちゃんがステージで歌ってくれることになった。 北海道マラソンEXPOの開催される「大通公園」で、午前11時と午後3時半の2ステージだ。 「チャレンジャー」と「奇跡の裏側」の2曲は、2ステージともに歌うとSUIちゃんから教えてもらったので、事前に予習しておいて欲しい。 挑戦を続ける人たちに向けた「チャレンジャー」と、これから奇跡を起こしたいと願う人に向けた「奇跡の裏側」。いずれもマラソンの応援歌として力を与えてくれることだろう。 チャレンジャー 奇跡の裏側 そしてSUI も走る。 2回のステージで歌った翌日、SUIちゃんも北海道マラソンを走る。 シンガーソングランナーSUI、北海道マラソンを走る。 pic.twitter.com/8mU91IghsV — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 24, 2022 応援歌を歌った人が、みんなと一緒に走ってくれる。 これほど心強いことはない。 次回に続く ※ あなたの北海道マラソンのテーマソングに。 にほんブログ村

  • 北海道マラソンの舞台裏。Onの参加賞Tシャツを着て、レース翌日にモーニングラン。

    前回「北海道マラソンの舞台裏。渾身のサポート企画。Onスペシャルエイドステーション」に戻る Onは、北海道マラソンのオフィシャルウェアパートナーとなった。 北海道マラソンオフィシャルウェアパートナー。 pic.twitter.com/az1XSSwLCq — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 22, 2022 参加賞Tシャツの問題点。 オフィシャルウェアパートナーとは、大会参加賞のTシャツがOnのデザインになるということだ。 商品として発売されている Onのランニングアパレルが参加賞になるということではなく、今回の北海道マラソンに参加するランナーのために、特別なデザインのTシャツが贈られるということだ。 参加賞Tシャツというものは、もらったその時は少し嬉しくなるのだが、レース後も継続して着続ける人はあまり多くない。寝巻き等として使われれば良い方で、レース後に捨てられてしまうことも多いと聞く。 とてももったいない。もし数千〜数万着の参加賞Tシャツが捨てられてしまったとしたら、環境にも決して良くないだろう。 シンプルな解決策。 この解決策は、シンプルだと思う。 そもそも参加賞Tシャツを作らない。 普段から着られて、長く使いたくなる参加賞Tシャツを作る。 北海道マラソンとOn は、後者を採ることにした。 Tシャツの素材は 100% 再生ポリエステルで、普段着としても着用しやすいものになっている。 Tシャツ前面のデザインは、左胸にOnロゴが入っているだけ。背面には、北海道のクリエイターがデザインし、Onスイス本社デザインチームが選定したグラフィックが入っている。 この背面グラフィックは、四角形や楕円形を散りばめたものになっており、それを全体として眺めると2人のランナーが浮かんで見えるような遊び心を取り入れた。 長く着用してもらえるよう、大会名と大会年度の表記は意図的に小さくプリントされている。カラーもベーシックなものに絞った。 北海道マラソンに参加される方には、このTシャツをレース後も長く使っていただきたいと思う。 Onの参加賞Tシャツを着て、レース翌日にモーニングラン。 そんな参加賞Tシャツを使ったイベントを考えた。

  • 北海道マラソンの舞台裏。渾身のサポート企画。Onスペシャルエイドステーション。

    前回「On Tokyo オープンまで、あと1日」に戻る 2022年のOnジャパンにとって大きな話題のひとつに、「北海道マラソン オフィシャルウェアパートナー」がある。 北海道マラソンオフィシャルウェアパートナー。 pic.twitter.com/az1XSSwLCq — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 22, 2022 北海道マラソンのようなメジャーなマラソン大会のパートナーになれる日が来るなんて、なんだか不思議な感じがする。 1小間のブースで売れなくて困り果てていたあの頃と比べると、隔世の感がある。 On、日本デビューの頃のお話。 オフィシャルウェアパートナーとは、大会参加賞として配布される Tシャツが Onのデザインになるということだ。 普段から着たくなるようなシンプルな仕上がりなので、北海道マラソンに参加する方は楽しみにして欲しい。 他にはないスポンサーの形を目指して。 とてもめでたいニュースなわけだが、それだけで満足することなく、もっとランナーをサポートしたい。 そんな気持ちで、北海道マラソン事務局にアレコレとアイデアを出してきた。 その結果、レース25km地点に「Onスペシャルエイドステーション」を設けることになった。 そのエイドステーションには俺も入る。他のエイドでは出ない飲み物や食べ物を提供する予定となっている。 そして、他のエイドではあり得ないサービスも展開する。 Hypervolt Go / Go 2 によるマッサージサービス これだ。かねてから温めてきた企画である。 マッサージガンの元祖「Hypervolt」で、25km地点まで走ってきた疲労困憊ランナーの足腰をくまなく癒す。 そんな話を Hyperice Japan社に持ちかけたところ、二つ返事でOKをいただいた。 そんなわけで、4台の Hypervolt Go、4台の Hypervolt Go 2、合計8台の高性能マッサージガンがOnジャパンに届いた。 目下、充電中だ。充電が完了し次第、北海道に発送する。 Hypervolt Go / Go 2 pic.twitter.com/ZbQSSy8J0e —

  • 秘技・雨雲ずらし。大切なときは必ず晴れる。

    前回「タカスィが写真を撮ってくれた」に戻る 突然だが、俺には3つほど特技がある。 大切なときは必ず晴れる。 虫に刺されない。 同じ店に2度行くと覚えられる。 2と3についてはまたいつか語ろう。 今日話をしたいのは、1についてだ。 大切なときは必ず晴れる。 そう、俺にとって大切なときは必ず晴れる。 それに気づき始めたのは、2016年の宮古島トライアスロンの旅のことだった。 2016年4月13日、宮古島に向かう道中、俺の旅日記を掲載していた Facebookには、このようなコメントがあふれていた。 「これから滝のような豪雨らしいです」 「デュアスロンですかね…(泣)」 「残念ながら予報ではデュアスロンは濃厚かと」 中にはご丁寧にレース日の天気図を示しつつ、「雨です」と教えてくれる人もいた。 2016年の宮古島トライアスロン、レース当日の天気予報図。 pic.twitter.com/y4OIYV13Vi — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 21, 2022 しかし、俺は全く気にしていなかった。 「大丈夫です、晴れます」 そのようにしか返信しなかった。 結果、4月17日のレース当日の天気は、「晴れ、一瞬豪雨、そして晴れ」だった。 たとえ途中で雨が降ろうと、大切なときは必ず晴れる。 それまでの人生で得てきた教訓を、そのままあらゆる事象に当てはめようと意識したのは、このときからだったと思う。 「勝ったも同然」の応用技。 俺は天気予報を見なくなった。 その代わりに、信じ込むようにした。俺にとって本当に大切な瞬間には、必ず晴れるのだと。 それは、Onジャパンを立ち上げて少ししてから作り出した、「勝ったも同然」という言葉にも込められていた。 「勝ったも同然」とは、「自分のありたい状態を先取り」するということだ。 つまり、まだ「勝った」状態でなくても、そうなったときに覚えるであろう感情を先に想像して、それを存分に楽しむことだ。

  • タカスィが写真を撮ってくれた。

    前回「文章を残すことの意味」に戻る 「ダンディズムのプロフを更新しないことには、執事の名がすたります!」 ある日、歳上の親友タカスィがLINEで叫んだ。 っていうか執事ってなんだね。 勝手にマン・オブ・ザ・イヤー 2017、3人目。「永遠の10代タカスィ」中川 隆志。 「以前のを今でも使っていただいているのが感涙モノです。 だいぶ経ちますのでリニューアルしましょう!」 そう言えばそうか。このプロフィール画像、2019年2月に撮ってもらったんだっけ。 2019年2月のプロフィール画像。 Photo by タカスィ pic.twitter.com/PHygAk6YkG — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 18, 2022 「そうです。夏バージョンを撮りましょう! どこにでも行きますから!! まどサマも撮りたい!!!」 そんなわけで、異様にフットワークの軽い「永遠の10代」タカスィが夕暮れの横浜にやってきた。 一方まどかは、着物を装備して準備万端。それを見たタカスィのテンションは天を衝くばかり。 「いい!いいですよまどサマ!!」 それによって、ますます雰囲気を出してこようと意気込むまどか。 夕暮れの横浜とまどか。 Photo by タカスィ pic.twitter.com/Rw4u1deLka — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 18, 2022 雰囲気を出してくるまどサマ。 pic.twitter.com/7p7akHGOig — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 18, 2022 まどかを撮り終えたタカスィは、そのままの勢いで俺に向き合う。 「執事として……」とうわごとのように呟きながらカメラを構えるタカスィ。 いつのまに執事になったんだね。。。 ハマのダンディズム。

  • 文章を残すことの意味。

    前回「#花とダンディズム とは何なのか」に戻る 今となっては遠い昔のように感じてしまうが、今年7月3日(日) に、第2回 Lake Biwa Triathlon in Moriyama に参戦してきた。 ちなみに、先日書き上げたばかりの記事は、2021年10月に開催された第1回大会に関するものだ。 ※ 第1回大会フィニッシュ後の写真。 Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 第1回大会では右ハムストリングスの肉離れのために大いに苦しんだが、第2回大会は体調も悪くなく、レースを目一杯楽しむことができた。 ただ、7月のレースは暑い。俺の特技「雨雲ずらし」を全力で発揮してしまった結果、灼熱のレースとなった。あまりにも暑くなり、「熱中症アラート」が発令されたことで、当日のコースが短縮になったほどだ。 特に最後のラン (18km → 12km に短縮) はキツかった。全てのエイドステーションで立ち止まって水をかぶらないことには、一歩も進めないほどであった。たった12kmがこれほど長く感じたのは初めての経験だった。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 そんなキツいランを乗り切れたのは、旅の仲間のOnジャパンメンバーの応援、道中のボランティアやエイドステーションの皆さんのサポートのおかげだ。 そしてもう一つ。レース中に何度も交錯する、選手同士の応援の力も大きい。 俺が暑さと脱水に苦しんでいるとき、ひとりの男性がこう声をかけてくれた。 「駒田さんのブログのおかげで、宮古島トライアスロンに出ました。 最近、ブログの更新があまりなくてさみしいです。 また、書いてください。楽しみにしています」 宮古島トライアスロンの長編は、このブログの中で3つある。 どれを読んでくれたのか、その場では聞くことができなかった。意識朦朧で、「ありがとうございます。また書きます」としか答えられなかったからだ。 宮古島トライアスロン挑戦記 2014 宮古島トライアスロン挑戦記 2016 宮古島トライアスロン挑戦記 2018

  • #花とダンディズム とは何なのか。

    前回「敏腕編集者まど氏の圧」に戻る 突然だが、「#花とダンディズム」という企画 (?) を知っているだろうか。 百聞は一見に如かず。まずは見ていただこう。 この投稿をInstagramで見る Madogram(@divadesukedo)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る Madogram(@divadesukedo)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る Madogram(@divadesukedo)がシェアした投稿 だんだん俺が後ろの方に遠ざかっているのが少々気になるが、基本的には下記のようなものを言う。 花が主役。 ダンディズムは添え物。 表情は素。 これがはじまったのは、2020年のこと。 近場の旅行に楽しさを見出した俺とまどかが、熱海サンビーチを散策していたときだ。 サンビーチ沿いには、ジャカランダの木がたくさん生えている、その名も「ジャカランダ遊歩道」という場所がある。それを見たときのまどかのテンションの上がり具合が少々おかしかったのだ。 「ジャカランダ!ジャカランダ!! (*°ᆺ°) 」と繰り返し叫ぶまどか。O次郎 (オバケのQ太郎の弟) が唯一喋れる単語「バケラッタ!」とアクセントが全く同じと思ってくれれば間違いない。 そのおかしなテンションのまま、彼女はこう言った。 「博紀!そこ!立って!ジャカランダ!! (*°ᆺ°) 」 もう「はい」以外の返答は許されない。 それでこうなったわけだ。俺の表情が全てを物語っている。 この投稿をInstagramで見る Madogram(@divadesukedo)がシェアした投稿 ※ ジャカランダでバケラッタ。 このときの投稿に「#花とダンディズム」という誰も使っていないハッシュタグを使ったことで、俺たちの間で不定期企画のようになったわけだ。 以来、花を見るとこんな会話が展開される。 「あっ、あじさい!」 「はっ」 「博紀、そこに立って!」 「はい」

  • 敏腕編集者まど氏の圧。

    前回「ねこはいいよにゃー」に戻る 「はあはあ…書き上げました……」 Lake Biwa Triathlon in Moriyama 挑戦記、全8話を書き上げた俺。 背中と腰をさすりながら息も絶え絶えな俺に、まどかがゆるい目を向ける。 「はい、先生、おつかれさまでした (*°ᆺ°) 」 実は先週、ジムでアーノルドプレスをしていたとき、背中がパキッと音を立て、その日の深夜からぎっくり背中の症状を呈していた。寝返りすらうてないほどの激痛に苛まれた。 そのため、友人と約束していたトレランに行くこともできず、ひたすら家でじっとしていたのだ。イベントの仕事が入っていなかったことは、不幸中の幸いと言えよう。 そんなわけで、久しぶりに週末に暇を持て余した俺は、ただベッドに転がって痛みに唸っていた。 そんな俺を見たまどかは、こう言ったのだ。 「この機に書き上げましょう、先生 (*°ᆺ°) 」 と。背中の痛みに苦しむこの俺に、長編を書きあげろと? すると、敏腕編集者顔負けのまどかが、怒涛の攻勢に打って出た。 「いつまでたっても琵琶湖に入らないではないですか」 「もう宮古島のお話かと思われているのではないですか」 「いっそ琵琶湖島トライアスロンと呼んだらどうですか」 ぐうの音も出ないほどの正論。 敏腕編集者の圧。 pic.twitter.com/mYT6HIB1rk — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 8, 2022 確かに、いつまでたっても琵琶湖に入っていけていない。第4話まで書いても、まだ2019年の宮古島にいる。俺が書こうと思っているのは、2021年10月のお話だというのに。 「この前のレースでも、読者が待ってるって言ってたよね (*°ᆺ°) 」 そうだった。つい先月行われた第2回 Lake Biwa Triathlon in Moriyama でも、ランで俺を抜きざまに「最近ブログ更新されていなくて寂しいです」と言ってくれた人がいたのだった。

  • Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 最終話「いつか、世界で一番のトライアスロン大会に」

    第7話「俺のクソみたいな腰」に戻る バイクを降りた瞬間、正直「こりゃ大変だ」と思った。 何しろ、どう身体を動かしても痛いのだ。あのとき、得意技でもなんでもないカカト落としをどうして8回も繰り返してしまったのか。後悔先に立たず。 第1ランではそれでもキロ6分少々で走れたのに、今はキロ8分でもキツい。まるで、宮古島トライアスロンの折り返し地点後のようだ。 すっかり雨もあがり、太陽が熱く照りつけている。顔が歪む。 第2ラン。顔が歪む。 pic.twitter.com/wZxu1q0SWv — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 しかし、「宮古島みたいだな」と思った瞬間、ふと痛みの中に幸せを感じた。 痛いのも苦しいのも、俺自身が望んでやっていることだ。 去年、味わいたくても叶わなかったそれを、今存分に味わわせてもらっている。 あいかわらずピカチュウ姿で応援してくれる家族。 カウベルを振り回しながら応援してくれるOnジャパンの仲間。 沿道やエイドで献身的にサポートしてくれるボランティアの人たち。 すれちがいざまにエール交換してくれる #OnFriends や OTC の仲間。 世界の鎌田、走る。 pic.twitter.com/SpctG1eZKi — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 これだ。こういうのがずっと欲しかったんだ。 そして、やっぱりそうだった。 大切なときは必ず晴れる。 痛くて仕方ないが、走ったり歩いたりを繰り返しながら、それでも少しずつ前に進む。 前に進めば、また別の仲間とエール交換ができる。 次のエイドにたどり着けば、またボランティアの人たちと言葉をかわすことができる。 トシヒデとシュンジとエール交換しながら進む。 pic.twitter.com/xz4rwy37ab — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 「琵琶湖は素晴らしいんだよ」 「地元の人たちが協力してくれるんだよ」 身体の痛みと心の内の幸せを同時に味わいつつ、あのときの田中さんの言葉を思い出す。

  • Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 第7話「俺のクソみたいな腰」

    第6話「空手マスター、かかと落としに泣く」に戻る バイクに移り、俺は少し安心していた。 前日のバイク試走で、意外と右ハムに痛みが出なかったからだ。 「こわいのはランだけ。バイクはなんとかなる」 そんな風に思っていた。 何故ならこのハマのダンディズム。一応、宮古島トライアスロンやアイアンマン・ケアンズの完走経験がある。 宮古島トライアスロンでは、あの金剛力士から、「100kmまでは準備運動」というありがたい教えを受け、その通りに走りきれたこともある。 それを思えば、平坦な64kmの4周回コースなど恐れるに足らず。 ……愚かにも、俺はそうタカをくくっていたのだった。 ショートでもミドルでもロングでも、ラクだったことなどただの一度もなかったというのに。 レースをほとんど経験できなかった2020年の1年間で、あのキツさをすっかり忘れてしまっていたのだろうか。 ともかく、俺は驕っていたのだろう。そのしっぺ返しはすぐに食らうことになる。 今回のバイクコースは、農道や河川敷をぐるっと4周回するコース。コーナーは多いものの、基本的には幅広い平坦区間が多い。いかにDHポジションで乗れるかが鍵だと思われた。 河川敷のパートに入り、おもむろにDHポジションを取ろうとしたところ、右ハムに強烈な違和感。 前傾姿勢を取ろうとすると、ハムが引っ張られて痛い。一度アップライトな姿勢に直って、心の内のわずかな動揺を鎮める。 DHポジションがとれない…。 pic.twitter.com/xkN0LNcFSJ — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 第1ランで少し痛みを覚えたものの、大したことはないと思っていたのに。 きっと気にしすぎたせいだ。 そう思うようにして、ゆるゆるとDHポジションで走ってみる。 しかし、力が入らない。時速30kmを保つのもやっとという有様。 河川敷の下の方では、「世界の鎌田」ことカズが、美しいDHポジションですっ飛んでいく。 パールイズミの「エア トライスーツ」をベースにしたOTCトライスーツは発色が美しく、遠くからでもすぐに見つけることができる。 世界の鎌田、世界のポジションで爆走。 pic.twitter

  • Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 第6話「空手マスター、かかと落としに泣く」

    第5話「第1回 Lake Biwa Triathlon in Moriyama」に戻る 「ひろき〜!」 第1ランスタート直後、ピカチュウが2匹跳ね回っているのを見つけた。 よく見るまでもなく、妻のまどかと、まどかの妹のみかだ。 応援隊のまどみか。 pic.twitter.com/bCsOqQ6PSY — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 「なんでピカチュウ?」と一瞬思ったが、そういえば今日はハロウィンだった。 ウィットさんもカボチャの帽子をかぶっていた。トライアスロンのレースにハロウィンが重なるのは今回がはじめてだ。うっすらと寒い秋の天気の中、身体を暖めるように走る。 第1ランスタート。 pic.twitter.com/NKcCx492zf — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 周りの選手にどんどん置いていかれるが、決して着いていかない。無理をしたら、すぐにDNFしてしまう。 それというのも、1週間前に仕事で撮影をしていたとき、右のハムストリングスを酷く痛めてしまったからだ。 Onジャパンの横浜オフィスを他国の社員に紹介するという趣旨の動画を撮っていたのだが、ヤスコの「そういえばひろきさん、空手マスターですよね?」の一言にいざなわれるまま、右カカト落としを全力で振るってしまったのだ。 しかも、撮り直しのため8回も。 おのれヤスコ。 これを読んでいる皆さまは意味が分からないことと思う。俺もよく分からない。 だから、その動画を参考までに上げておくとしよう。 この投稿をInstagramで見る Hiroki Komada(@hirokikomada)がシェアした投稿 そんなわけで、つい3日前までは歩くのすら辛かった。 右ハムが引き攣れるような違和感がつきまとう。しかし、出る以上は楽しませていただく。今回の目標は「完走」の二文字に尽きる。 今日の自分にとって、安全と思われる目安はキロ7分。 しかし、手元のGARMINを見るとキロ5分半。速すぎる。 ローリングスタートで走り始めた後続の選手に抜かれつつ、ペースを落とす。

  • Lake Biwa Triathlon in Moriyama 2021 挑戦記 – 第5話「第1回 Lake Biwa Triathlon in Moriyama」

    第4話「伝説の男、永遠の師匠」に戻る 2021年10月31日(日)、7時55分。 Lake Biwa Triathlon in Moriyama レーススタート5分前。 滋賀県守山市の宮本市長の挨拶の後、主催者であるジョー田中が言葉を発した。 「私の想いは全て市長が語ってくれました (ええ声 」 そんな言葉から始まった田中さんの挨拶。短いながらも想いが詰まった言葉。 それを聞きながら、田中さんがOnジャパンのオフィスでレース開催案の話をしてくれたときのことを思い出していた。 宮本市長がたった今語ったことは、田中さんがあの時俺に語ってくれた言葉そのものであったからだ。 2020年は全てのトライアスリートにとって、ある意味で特別な1年となった。 例年であれば、4月中旬に宮古島でシーズンが始まり、それから9月末くらいまで日本中で開催されるトライアスロン。 トライアスロンが開催される季節こそが夏。自分にとってはそういうものだった。それが根底から覆ったのが2020年だったのだ。 レースがない。 それがこんなに寂しいことだとは、想像したこともなかった。 全国各地で仲間に会い、言葉を交わし、レースではエール交換する。それがないだけで、まるで1年から夏が消えてなくなってしまったように感じていた。 そんな1年が終わろうとしていた2020年12月18日。 誰にとっても大変だった1年が過ぎ、不透明さがなお色濃く残る2021年を迎えようと、一抹の不安の中で年越しの準備をしていた俺の前に、彼は現れた。 冬なのに真っ黒に日焼けした、年中無休の夏男。俺が「金剛力士」と呼んで敬愛して止まない、あの田中 信行が。 2020年12月18日。金剛力士、降臨。 pic.twitter.com/LRnWOIVINX — 駒田 博紀 (@hiroki_komada) August 7, 2022 「琵琶湖は素晴らしいんだよ (ええ声 」 「地元の人たちが協力してくれるんだよ (ええ声 」 「いつか、世界で一番のトライアスロン大会にしたいんだよ! (ええ声 」 トライアスロンの火は消せない。

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