晴海運河を渡るアーチ橋。常磐線の三河島駅近くで現役の鉄橋と同世代の意匠。元は灰色だったものが年月とともに錆色に変わっていきました。
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
勝田駅の側線に止まったままだった651系の付属編成。増結用の短い付属編成は転用されず、すぐ北にある勝田電車区を追われて駅に並べられていました。
常磐線の脇で眠る線路。専用線の引上線と勝田駅からの線路が合流して日立の工場へ分かれていましたが、今は途切れた状態。新品の機関車が最初に通っていた、旅立ちの駅。
電化区間の交直切り替えと周囲に非電化が混在する常磐線の地域性から、DE10と交直両用EF81が待機している水戸駅。今はもう貨物用の交流電気機関車ED75が来…
電車の非電化区間乗り入れ用電源車に改造されていた荷物車マニ50-2186。大量の客車と貨車が並んでいた水戸客貨車区は街へと変わり、…
水戸駅で休むDE10-1603。駅の南に広がっていた巨大な水戸客貨車区と水戸機関区は姿を消し、常磐線と転車台の間にあった線路が機留線として残りました。
団地が並び始めた1970年代にはほとんど荒野だった京葉線沿線。遠く地平線を望みながら。
貨物列車は都市へと変わった千葉みなと駅へ。千葉貨物ターミナル駅の入口だったのは昔の話。
港と団地に挟まれた高架橋の貨物列車。最も京葉線らしい一コマ。
京葉線を走る貨物列車。湾岸経路での東京貨物ターミナル駅連絡は果たせず、武蔵野線と繋がって以降も貨物列車の運行開始に時間を要しました。
千葉貨物ターミナル駅の南側に広がる工業地帯。食品関係が多いのが特徴で、中央の白い共同サイロやその向こうにある千葉製粉へ線路が繋がっていましたが、京葉線開業が遅かったた…
武蔵野線経由でやってきた貨物列車。水色の建屋から手前が千葉貨物ターミナル駅のコンテナホームだった場所ですが、貨物駅の跡はほとんど残っていません。
港の雰囲気は変わったものの、街並みは意外と変わっていない蘇我駅周辺。湾岸を工業地帯で塞がれていたため、住宅地が古くから内陸側を埋め尽くしていました。
千葉みなと駅の北に残る高架橋。本来は左に広がっていた千葉貨物ターミナル駅へ向こうの東京側から入る下り貨物列車を跨ぐ上り線として造られましたが、京葉線建設の遅れで貨物列…
京葉線の高架橋に残る分岐点。京葉線は最初に蘇我駅から6km北西の千葉貨物ターミナル駅のみ1975年に開業し、蘇我駅への高架橋が未着工だったので川崎製鉄の専用線を経由してい…
彼方の煙突に向かって住宅地の中を抜ける廃線跡。蘇我駅の西300mにある国道から海側に広がっていた川崎製鉄は縮小されて再開発が進み、廃線跡は蘇我駅付近にしか見られなくなりま…
蘇我駅から分かれていく廃線跡。川崎製鉄の専用線は工場や製鉄所に張り巡らされていた他、市街地が未建設だった京葉線の高架橋とも接続していました。
蘇我駅の南、内房線沿いにある小さな機関区。非電化時代の名残だった転車台は国鉄末期に撤去され、今は武蔵野線を大回りしてきた電気機関車のねぐらに。
外房線と内房線の分岐点に京葉線が合流する蘇我駅。側線から川崎製鉄と京葉臨海鉄道の貨物列車が発着していましたが、もう雑多な貨車が並んでいた最盛期の雰囲気は見られなくなり…
操車場時代のままで残った東新潟機関区。かつては多くの機関車が集っていた建屋。
新潟貨物ターミナル駅東側には留置線が並んでいて、仕訳線が並んでいた新潟操車場の頃に似ていますが、コンテナ車もまばら。田畑だった周辺は住宅地に変わりました。
新潟操車場の北側に設置された車両基地。上越新幹線は新潟駅で終点ですが、高架橋はここまで。建設当初は北上する計画で、上越新幹線は北陸・羽越方面との共用を想定していました。
新潟貨物ターミナル駅北側で行われている着発線荷役。操車場時代には白新線下りだった場所で、東新潟駅の下りホームがありました。 単線だった白新線の北側にあった新潟操車場は1978年の複…
白新線から南へ向かう、草木に覆われた連絡線。新潟貨物ターミナル駅を出る貨物列車は暗い時間帯がほとんどで、昼間は静まり返っています。
焼島駅で出発を待つDD200-3。機関車も貨車も世代が変わり、貨物線の在り方も変わりました。
岸壁の手前で左右に大きく広がっていた東新潟港駅。ここから資源埠頭や石油施設へ線路が伸びていました。 駐車場を跨ぐパイプラインのトラス橋は駅の北側を跨いでいたもので、…
海に向かって広がり始める東新潟港駅。線路の向こうには控えめな貨物ホームがあり、大規模なコンテナホームの沼垂駅とは対照的でした。
残された転轍機、外されかけたままのレール。貨物扱いがなくなって久しい東新潟港駅。
国道を渡る踏切。レールは埋められて、遮断機の横に横断歩道用の信号機が建てられてしまいました。
ポイントも信号もそのまま。時間だけが過ぎてゆく港への道。
街の中を抜ける草に埋もれた線路。右側の新しい住宅地はかつての車両工場で、手前に向かって何本も線路が分かれていました。
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。
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晴海運河を渡るアーチ橋。常磐線の三河島駅近くで現役の鉄橋と同世代の意匠。元は灰色だったものが年月とともに錆色に変わっていきました。
都市の中を通る晴海通り。豊洲を縦貫する道路は周囲が造船所だった頃からの大通り。再開発前は目の前に晴海方面へ向かう貨物線の踏切がありました。工業地帯の中央に古い団地が並…
石川島播磨重工ビルの近くに置かれた機関車の動輪。新しさを感じる造形の割に外から動かすロッド式。名もなき産業機関車が今では木陰のベンチに。
歩道に埋められたレール。左奥へ伸びる道路が豊洲方面の廃線跡で、晴海方面への分岐はここよりも手前。造船所時代のドッグに向かって設置されたモニュメント。
隅田川から分かれた豊洲運河に残る橋脚。廃止後もしばらく残っていた鉄橋はいつしか姿を消しました。
国鉄民営化から間もない頃に廃止された東京都の線路。木々が廃線跡を覆うほどに流れた歳月。
変化する街の中で置き去りにされた線路。東京駅からわずか3kmあまりの道端。
京葉線が地下を通っているせいか、開発が進まなかった廃線跡。専用線が繋がっていたタンク施設はマンションに変貌。貨車入換用の引上げ線に挟まれていた豊洲方面への線路だけが取…
京葉線の地上出口が建設されたのは貨車の検修庫があった場所。貨物輸送があった頃の面影はほとんど見られなくなった住宅地。
汐見運河に浮かんでいた材木は姿を消し、貨車の姿もなくなってディーゼルカーが止まっているだけ。岸壁に面した越中島貨物駅の今。
今はもうやって来ないEF64-1027。勾配用の国鉄機が広く走り回っていた頃。
新小岩駅の横を通って機回しするEF65-2091。貨物列車の折り返しが続く街。
都心に残っていたディーゼル機関車の舞台。国鉄時代には北の大地にいたDE10-1704。
新小岩信号場の景色。待機していたDE10も今は懐かしく。
特急電車485系の姿が印象的だった東北本線。東北新幹線開通から歳月を経て、電車の姿が変わっても花は咲き続けています。
東北路を北上し続けるEH500-63。桜前線を追い越した貨物列車が札幌貨物ターミナル駅に着くのはずっと後。
花に彩られた船岡城址。急行型や寝台特急電車581系改造車など、様々な国鉄電車で運転されていた仙台近郊の普通列車。今使われているのは民営化後のステンレス車のみ。
重連のED75に代わって東北本線を駆け抜けるEH500-78。静かに咲き誇る桜の花。
桜に彩られた東北本線。交流電気機関車ED71-37が保存されている船岡駅。
何も来なくなって久しい昭和町駅。建物の張り出し屋根がタンク車の荷役設備だった場所。もう、私有タンク車の存在すらも消えてしまった工業地帯の片隅で。
春を駆けていた205系。101系・103系に続いて武蔵野線を彩った通勤型。
芝川上流に存在した巨大な見沼。中世に水害対策で干拓が行われ、田畑の灌漑用水で西岸に見沼代用水西縁、東岸に見沼代用水東縁が開通。水運用に中央の芝川と結んだ運河が見沼通船…
色とりどりの見沼代用水西縁。花筏の向こうには装いを変えた機関車の姿。
芝川の支流を越えるEH500-60。公園以外は暗渠化されて存在が消えてしまった小川。
湿地が多かった沿線の雰囲気を残す公園。車窓を彩る桜。
中央本線へ向けて武蔵野線を西へ。桜並木を横切るEH200-4。
劇的な変化を物語る新鶴見機関区の新顔EF210-343。EF65・EF66を淘汰し始めた勾配補機。
花筏の見沼代用水西縁を越えて。晴れた日のEF65-2080。
開発が規制された芝川河川敷ならではの広い空。音を響かせる貨物列車。
段々と希少になっていく私有貨車。春を迎えた石油以外を運ぶタンク車。
コブシの咲き誇る公園。鮮やかなアクセントのEH500-33。
桜が咲き始めた武蔵野線。開けた河川敷を駆けるEF210-163。
1910年開業の東京砂利鉄道に続いて、1917年に開業した多摩鉄道。東京砂利鉄道は国鉄に買収されて下河原線に、多摩鉄道は西武鉄道に買収されて多摩川線に。多摩川の砂利採取が終了…
宅地化が進んだ沿線。残された数少ない原風景。
中央本線の武蔵境駅から分岐する西武鉄道の多摩川線。他の西武鉄道と接続せず、3扉車が残る短い支線。
中央本線と並ぶ国分寺線に対して、国分寺駅の北口に直交する多摩湖線の国分寺駅。かつての駅は左の雑居ビル裏手を曲がって奥のマンション部分にありましたが、国分寺駅の再開発に…
国分寺線の東側を平行する多摩湖線。所沢方面へ北上する川越鉄道を乗り越し、西へ向かう多摩湖鉄道が由来。池袋線となる武蔵野鉄道と合併した後、川越鉄道を中心に成立した西武鉄…
支線でも少しずつ進む世代交代。今の主役は4扉の通勤型。
1973年に国鉄の武蔵野線が開通して新秋津駅経由に変わる以前、貨物列車の連絡経路だった国分寺線。F級電気機関車E851型も通っていた緑の道。
中央本線の国有化前、甲武鉄道と川越鉄道の頃から接続していた国分寺駅の線路は既に分断。短編成の電車が区間運転している国分寺線。