佐野線の渡瀬駅近く、1972年に開業した北館林荷扱所。私鉄の貨物駅新設は珍しく、工業団地建設に合わせて開業して、右の食品工場からの出荷に対応していました。
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
工場の奥で待機していたワム280452。民営化後も機関区などに点々と残されていた有蓋車。
特徴的な塗装だったDE10-1588。静かな工場の建屋にて。
工場の隅に止められたDE10-1081とDE10-1046。民営化後の関西圏を支えた入換機。
東新潟機関区からやってきたDD51-759。各地から消えていく国鉄の証。
広島工場の奥に眠る貨物用蒸気機関車D52-1。D51を強力にした戦時型トップナンバーの周囲は公園のようになっていますが、国鉄時代には建屋で遮られ、芝生に埋もれた線路…
異なる断面で目を引く食堂車スシ24-507。特急電車から外されて大きい駅の隅に並べれていた食堂車のうち、客車に改造されて生き残った幸…
寝台特急「北斗星」東日本編成のA個室・B個室合造車オロハネ24-552。様々な改造車が作られた時代、番号は…
窓配置が特徴的だったA個室・B個室合造車オロハネ25-502。縦に並ぶ小窓が特徴的なB個室ソロ、黎明期の改…
古きA寝台車ゆずりの上段小窓が並んでいたA個室車オロネ24-501。寝台特急「北斗星」の始まりから終わりまで使われた寝台…
北海道編成のロゴが目を引くB個室・ロビー合造車スハネ25-502。寝台特急「北斗星」運行開始時に多くの人で賑わった半室…
長い旅路を終えたB個室車オハネ25-552。需要の高さから休む事なく使われてきたB個室。
電源車カニ24-506を先頭に上野駅から回送されてきた寝台特急「北斗星」が尾久客車区へ。上野駅を発着していた客車列車は高架ホームで機…
寝台特急「カシオペア」の予備電源車カヤ27-501。貫通扉や表示、連結側の業務用扉などが埋められてカニ24-100番台とは大きく雰囲気が変…
尾久駅横の着発線に止まったオハネフ25-13。「北斗星」で使われる車両は南向きでしたが、外されて保留になる…
尾久駅横の着発線に移動したオシ24-701。700番台は寝台特急「あさかぜ」用のグレードアップ車で、銀帯から金帯に代わってイメージを一…
客車由来では最後まで残った食堂車オシ24-701。北陸トンネル事故以降、旧型客車の夜行急行から食堂車が消えたため、客車の食堂車は旧世…
尾久駅横の着発線に移動したオロネ25-7。通路側はB寝台車と同じ窓配置ですが、反対側は個室と同じ数の小窓で、20系ゆずりのテ…
尾久客車区の奥で眠りについていた1人用A個室車オロネ25-7。オロネ24は開放A寝台でしたが、24系25型は個室があった20系の代替…
ロゴマークが特徴的だったロビーカーのオハ25-503。寝台特急「北斗星」北海道編成では半室ロビーでしたが、東日本編成では寝台特急「は…
尾久駅横の着発線に止まったオハネ25-238。個室化が進んだ寝台特急「北斗星」しか運転されなくなった後、用途もないまま…
尾久駅横の着発線に止まったオハネ25-231。長距離列車の基地というイメージが強い尾久客車区ですが、民営化前は臨時用の…
民営化前後、青函トンネル開通に備えて耐寒改造されたオハネ25-229。24系25形は九州方面で使われていた20系客車の代替で…
イベント車の形態は各地の鉄道管理局ごとに様々でしたが、共通で緩急車の車掌室がない側に展望ユニットを接合。大阪の「…
尾久駅横の着発線に移動したスロフ14-701。登場時は目新しさから様々な電気機関車に引かれて各地を巡り歩いた、記憶とと…
尾久駅横の着発線に移動したスロフ14-702。 展望室を持つイベント車は地域ごとに企画され、尾久客車区には「スーパー…
国鉄末期になると雑多な旧型客車の淘汰とともに、臨時用12系・臨時特急用14系客車は長距離夜行列車でも使われ始めました…
民営化後に高崎駅発着の臨時用になったスハフ12-161。国鉄時代に所属していた尾久客車区へやってきた夕暮れ時。 10系軽…
もう動かない、ゲートの中に残る踏切。工場に張り巡らされていた専用線の記憶。
途切れ途切れの線路は日立の工場へ。重い機関車が出てきたとは思えないほど、今は劣化してしまった鉄路。
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佐野線の渡瀬駅近く、1972年に開業した北館林荷扱所。私鉄の貨物駅新設は珍しく、工業団地建設に合わせて開業して、右の食品工場からの出荷に対応していました。
群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。
館林駅から東へ分かれて行く佐野線。葛生の石灰石を国鉄の佐野駅まで運んでいた佐野鉄道が東武鉄道と合併し、その後に館林・佐野間が開通して今の佐野線に。東武鉄道での貨物輸送…
館林駅から西へ分かれて行く小泉線。館林・小泉町間の中原鉄道として開通し、東武鉄道合併後に戦時輸送で小泉町・西小泉間と東小泉・太田間が造られて二又の支線に。西小泉駅の先…
館林駅の北側、伊勢崎線沿いにある車両基地。細長い用地にあり、電車は縦列で停車。連結器があれば繋がっているくらい間近に止められています。
館林駅北にある踏切。駅の変遷と密接に関わっていて、駅西側が再開発されて新しい道路が開通するまで、駅の両側を結ぶ主要道路でした。今は自動車禁止になり、ランプも×印が…
先頭車のパンタグラフが特徴的な3両編成。伊勢崎線は逆走しているのではなく、館林駅から北側が単線区間。右は分かれていく佐野線です。
館林駅に隣接する新しい食品プラント。かつてのサイロは姿を消し、港からやってきたホッパ車も見られなくなりました。
館林駅に残る側線。駅の北に車両基地、南に小さな工場があり、その間に位置する電留線のようになっていますが、かつては貨物列車が並んでいた線路。隣接して食品工場の倉庫とサイ…
浅草行の特急電車。伊勢崎線の特急は太田止まり以外ほとんどが赤城行で、群馬県東部の連絡に主軸を置いています。
ホーム端の切り欠きホームが特徴の館林駅。運転系統が南北で分断されており、特急電車以外のほとんどが始発になっています。
2両編成の8000系が特急電車と並ぶ館林駅。伊勢崎線から東へ佐野線、西へ小泉線が分かれる分岐点。利根川と渡良瀬川に挟まれた沼が多い城下町。東へ細長く飛び出た群馬県が栃木県…
かつての工場は花咲く丘に変わり、貨車の向こうには霞む浅間隠山。草津温泉への道中でしたが、西にも道路が開通して静かになってしまった六合村。
従来の15t積から17t積に拡大した大柄な2軸有蓋車。17000両以上も造られた黒い貨車のトップナンバーは保存施設入口のシンボルに。
太子駅の上、工場跡地の丘で保存されている有蓋車ワラ1。国鉄を代表する2軸貨車は標高700mの山間部。ここまで風光明媚な場所で保存されている貨車は珍しい存在です。
京都市で保存されていた車掌車ヨ6720。小柄なヨ6000はホッパーのある山の貨物列車によく合います。
茨城交通の無蓋車トラ15。国鉄トラ55000に似たタイプで、元は東武鉄道が杉戸工場で自作した17t積無蓋車。保存されている無蓋車の中では近代的な貨車で、海に近い車庫から山へとや…
綺麗に補修された無蓋車ハト37・ハト152。遠く九州の大牟田駅東側、三井専用鉄道の隅に止められていた小さな貨車。専用鉄道は三井三池炭鉱と港・工場を網羅する大規模なもので…
大井川鉄道からやってきた無蓋車ト111。1930年代の鋼製車ながら古典的な小型車。国鉄では戦後の輸送力拡大に対応出来ないので10t積は早くから淘汰が進みましたが、私鉄車だっ…
荒子川を渡る橋。公園の歩道となったガード橋の上にはあおなみ線の吊り橋。同じ鉄道橋ながら全く違う存在感。
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…
ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の…
高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋でつないで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名…
西名古屋港線の途中に新しいコンテナ対応の貨物駅として開業した名古屋貨物ターミナル駅。1980年5月1日の開業日は名古屋港駅の先にあった堀川口駅の廃止日で、最後には名古屋駅の南に広が…
小本駅の西に残るカーブした敷地。 貨物列車の主要ルートになるはずだった南方貨物線は名古屋貨物ターミナル駅に合流し、そこからは複線化された西名古屋港線が東に向きを変えて名古屋駅へ…
希少なコキ250000の向こう、休憩室に使われていたコンテナ緩急車コキフ50000の車掌室部分。車掌業務が無くなって以降もしばらくはコキ50000に混じって使われ、いつし…
開業当初から電化が準備されながら、DD51が出入りしていた名古屋貨物ターミナル駅。ディーゼル機関車を置き換えた国鉄の電気機関車も姿を消し、並んでいるのは広島の…
待機中のハイブリッド機HD300-11。臨海鉄道のディーゼル機関車が姿を消した今の名古屋貨物ターミナル駅。
大都市の片隅に残っていた転車台。国鉄時代から名古屋客貨車区の客車・気動車の転向をしてきましたが、今は1両も客車が存在しません。
名古屋駅を出たEF210-112があおなみ線へ。ささしまライブ駅の東側は全て貨物駅だった笹島駅の跡地で、西名古屋港線の築堤横から大規模なコンテナホームが向こうの新幹線に突き当…
名古屋駅の西名古屋港線部分にはホームが造られて名古屋臨海高速鉄道に。使われないままの平らなホーム端部。
名古屋駅を通るEF210-309。名古屋貨物ターミナル駅へ向かう通路になっている新幹線横の単線。
南郊運河沿いの高架橋は西名古屋港線のすぐ手前で建設が止まり、接続は実現しませんでした。空き地に残された高度成長期の置き土産。
遊歩道は西名古屋港線から分かれて中部鋼鈑の北側に繋がっていた専用線の跡。専用線とは別に、壁の向こうには工場を繋いでいた専用鉄道のレールが今も残っている、色々な鉄道が紆…
中部鋼鈑の西端、橋脚が乱立する遊歩道。南方貨物線はここで高さを変えながら単線高架の西名古屋港線を跨いで名古屋貨物ターミナル駅へ。
中部鋼鈑の中を北へ曲がる南方貨物線。遮音壁まで存在し、完成状態だった高架橋。
南郊運河沿いでは1970年代のうちに高架橋の大部分が完成しましたが、道路を跨ぐ部分は全て撤去済み。再利用されているとも、放置されているとも言えない、負の遺産。
埋められた運河と使われなかった高架橋。不可思議な人工の景観。