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JNR-M http://jnr-m.sblo.jp/

北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。

国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。

武蔵宮
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2016/02/01

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  • 信号場の景色35

    新小岩信号場の景色。待機していたDE10も今は懐かしく。

  • 白石川6

    特急電車485系の姿が印象的だった東北本線。東北新幹線開通から歳月を経て、電車の姿が変わっても花は咲き続けています。

  • 白石川5

    東北路を北上し続けるEH500-63。桜前線を追い越した貨物列車が札幌貨物ターミナル駅に着くのはずっと後。

  • 白石川4

    花に彩られた船岡城址。急行型や寝台特急電車581系改造車など、様々な国鉄電車で運転されていた仙台近郊の普通列車。今使われているのは民営化後のステンレス車のみ。

  • 白石川3

    重連のED75に代わって東北本線を駆け抜けるEH500-78。静かに咲き誇る桜の花。

  • 白石川2

    桜に彩られた東北本線。交流電気機関車ED71-37が保存されている船岡駅。

  • 眠る鉄路17

    何も来なくなって久しい昭和町駅。建物の張り出し屋根がタンク車の荷役設備だった場所。もう、私有タンク車の存在すらも消えてしまった工業地帯の片隅で。

  • 眠る鉄路16

    草に埋もれたレール。錆び付いた転轍機。パイプラインの横で眠り続ける線路。

  • 眠る鉄路15

    静かな港に埋もれた線路。途切れた先に続く昭和町線。

  • 眠る鉄路14

    化成品を運ぶタンク車が消えて、閉じられたままのゲート。荷役設備を避けて右側を通る線路が昭和町線。後に敷地内の線路が撤去されたため、再開出来なくなってしまいました。

  • 眠る鉄路13

    名古屋臨海鉄道の東港駅から西へ伸びる支線。昭和町線は専用線と一体で東亜合成の敷地を通り抜けています。

  • 眠る鉄路12

    現役なのか廃線なのかもわからない線路。分断された箇所もあり、すぐに再開は出来ないようです。

  • 眠る鉄路11

    名古屋臨海鉄道の東港駅から南西へ伸びる支線。汐見線は湾の中央にある埋立地へ向かう貨物線でしたが開店休業。石油・自動車輸送の需要がありましたが、何も運行されていません。

  • 眠る鉄路10

    東名古屋港駅を過ぎると非電化の貨物線に。左の駐車場は倉庫街だった場所で、多くの有蓋車が並んでいた側線跡。周辺の専用線も早くに姿を消し、ほとんど跡が残っていません。 …

  • 眠る鉄路9

    直交して折り返した名古屋臨海鉄道は名鉄築港線に合流。合流前に蛇行しているのは複線時代の名残。架線柱が珍しい形ですが、元は工業地帯でよくある背の高い門型で上部を送電線が…

  • 眠る鉄路8

    名鉄築港線と名古屋臨海鉄道の直交部分。名鉄築港線の歴史は古く、1924年に東名古屋港駅が開業し、名古屋鉄道の貨物輸送では主要な地位を占めていました。埋立地の拡大で名古屋臨…

  • 眠る鉄路7

    名古屋臨海鉄道の東港駅から北へ伸びる支線。廃線ではないものの、使われなくなって劣化してしまった路盤。砂利と枕木が砂と草に埋もれた線路。

  • 眠る鉄路6

    木々に埋もれた通り道。どこにも繋がらないまま残された踏切。

  • 東港25

    道路を横断するホキ9700。飛散防止カバーを付けずに、積み荷がむき出しの貨車は珍しくなった現代。

  • 東港24

    ホキ2500の編入車と新製車ホキ2000の狭間に生まれたホキ19500。かつては細かな形態の差異を持っていた貨車という存在を伝…

  • 東港23

    無蓋車・ホッパ車・タンク車・専用コンテナと会社によって様々な私有貨車が存在していた鉱石輸送。国鉄末期と…

  • 東港22

    国鉄ホキ2500から編入されたホッパ車ホキ9500。北海道の石炭輸送から始まった短い車体と側開きのホッパ車は、…

  • 東港21

    黒塗りの鋼板で造られていた私有の有蓋車ワ1。プレス板の国鉄車が姿を消した貨物駅の隅で。

  • 東港20

    分解された貨車の向こうに佇むトキ28921。側板は変形して外にふくらんでしまった、晩年の無蓋車。

  • 東港19

    貨物駅の作業用になっていたトキ28664。解体された機関車の部品を載せて。

  • 東港18

    手頃な代車がなかったので長生きだった無蓋車トキ25000。国鉄時代から多くの物を運んできたトキ27022。

  • 東港17

    止まったままのタンク車タキ43550。北の大地からやってきて迎えた雪のない冬。

  • 東港16

    機関区の隅に取り残された大型有蓋車。コンテナ化で消えていったプレス版の車体。

  • 東港15

    北海道から九州まで、各地を結ぶコンテナ車。1両単位への回帰で珍しい存在になった4両ユニット型コキ102-533。

  • 東港14

    ライトは簡易な1灯ながら国鉄車との類似点も多いND5528。長生きを続けたDD13の系譜。

  • 補機が駆ける20

    貨物列車を後押しするEF210-306。新型機の登場で様々な場面が過去のものになった峠道。

  • 補機が駆ける19

    瀬野駅を通過するEF200-14。瀬野駅での後部補機連結・八本松駅での走行中解放はなくなり、峠道で止まらなくなった貨物列車。

  • 補機が駆ける18

    向洋駅の通過線を駆けるEF210-140。段々と数を増やし、EF66・EF200に代わって主力に。

  • 補機が駆ける17

    広島貨物ターミナル駅を出発するEF200-4。余りある出力6000kWの電気機関車。

  • 補機が駆ける16

    傷みが目立ち始めたEF67-103。迫っていたEF210-300番台との交代。

  • 補機が駆ける15

    EF61-200番台と交代して約30年。広島の街とともに歩んできたEF67-102。

  • 補機が駆ける14

    EF65から改造された、もみじ色のEF67-105。重量貨物列車を後押しするため、連結器の基部が強化された勾配補機。

  • 古き鉄道の街17

    朝の広島。まだ現役だったEF200-20。

  • 古き鉄道の街16

    日夜忙しく入換を続けてきたDE10-1164。民営化で貨物用になった客貨両用の1000番台。

  • 古き鉄道の街15

    暗くなり始めた広島の街。止まっているのは吹田機関区のEF210-167。

  • 古き鉄道の街14

    パンタグラフを片方だけ上げたEF210-127。関東地方への出発を待つひととき。

  • 古き鉄道の街13

    EF66よりもシンプルに、EF65よりもパワフルに。現代へと繋がる0番台、EF210-17。

  • 古き鉄道の街12

    大動脈の山陽路を支えてきたEF66-124。少し煤けてきた白い車体。

  • 工場を歩く25

    歴史あるレンガ倉庫に横付けされたままの配給代用有蓋車ワム283430。その向こうには大型機EF66-27。いつしか国鉄生まれの車両は消えていき、レンガ倉庫だけ…

  • 工場を歩く24

    富山機関区から来たEF510-11。直流機EF210に混じって工場で検査を受ける交直流機。

  • 工場を歩く23

    再び動き始めるEF210-126。岡山機関区へ帰るまであと少し。

  • 工場を歩く22

    関東の新鶴見機関区から来たEF210-132。近隣の大宮ではなく、広島に集うEF210。

  • 工場を歩く21

    磨き上げられたEF210-101。工場の中でしか見られない分解された車体。

  • 工場を歩く20

    よく晴れた休日。民営化後に生まれながら、国鉄機よりも早く舞台から去る事になったEF200-6。

  • 工場を歩く19

    もみじ色の警戒色になったものの、国鉄機のシルエットが残っていた勾配補機EF67-101。

  • 工場を歩く18

    工場の奥で待機していたワム280452。民営化後も機関区などに点々と残されていた有蓋車。

  • 工場を歩く17

    特徴的な塗装だったDE10-1588。静かな工場の建屋にて。

  • 工場を歩く16

    工場の隅に止められたDE10-1081とDE10-1046。民営化後の関西圏を支えた入換機。

  • 工場を歩く15

    東新潟機関区からやってきたDD51-759。各地から消えていく国鉄の証。

  • 工場を歩く14

    広島工場の奥に眠る貨物用蒸気機関車D52-1。D51を強力にした戦時型トップナンバーの周囲は公園のようになっていますが、国鉄時代には建屋で遮られ、芝生に埋もれた線路…

  • 青の時代115

    異なる断面で目を引く食堂車スシ24-507。特急電車から外されて大きい駅の隅に並べれていた食堂車のうち、客車に改造されて生き残った幸…

  • 青の時代114

    寝台特急「北斗星」東日本編成のA個室・B個室合造車オロハネ24-552。様々な改造車が作られた時代、番号は…

  • 青の時代113

    窓配置が特徴的だったA個室・B個室合造車オロハネ25-502。縦に並ぶ小窓が特徴的なB個室ソロ、黎明期の改…

  • 青の時代112

    古きA寝台車ゆずりの上段小窓が並んでいたA個室車オロネ24-501。寝台特急「北斗星」の始まりから終わりまで使われた寝台…

  • 青の時代111

    北海道編成のロゴが目を引くB個室・ロビー合造車スハネ25-502。寝台特急「北斗星」運行開始時に多くの人で賑わった半室…

  • 青の時代110

    長い旅路を終えたB個室車オハネ25-552。需要の高さから休む事なく使われてきたB個室。

  • 青の時代109

    電源車カニ24-506を先頭に上野駅から回送されてきた寝台特急「北斗星」が尾久客車区へ。上野駅を発着していた客車列車は高架ホームで機…

  • 青の時代108

    寝台特急「カシオペア」の予備電源車カヤ27-501。貫通扉や表示、連結側の業務用扉などが埋められてカニ24-100番台とは大きく雰囲気が変…

  • 青の時代107

    尾久駅横の着発線に止まったオハネフ25-13。「北斗星」で使われる車両は南向きでしたが、外されて保留になる…

  • 青の時代106

    尾久駅横の着発線に移動したオシ24-701。700番台は寝台特急「あさかぜ」用のグレードアップ車で、銀帯から金帯に代わってイメージを一…

  • 青の時代105

    客車由来では最後まで残った食堂車オシ24-701。北陸トンネル事故以降、旧型客車の夜行急行から食堂車が消えたため、客車の食堂車は旧世…

  • 青の時代104

    尾久駅横の着発線に移動したオロネ25-7。通路側はB寝台車と同じ窓配置ですが、反対側は個室と同じ数の小窓で、20系ゆずりのテ…

  • 青の時代103

    尾久客車区の奥で眠りについていた1人用A個室車オロネ25-7。オロネ24は開放A寝台でしたが、24系25型は個室があった20系の代替…

  • 青の時代102

    ロゴマークが特徴的だったロビーカーのオハ25-503。寝台特急「北斗星」北海道編成では半室ロビーでしたが、東日本編成では寝台特急「は…

  • 青の時代101

    尾久駅横の着発線に止まったオハネ25-238。個室化が進んだ寝台特急「北斗星」しか運転されなくなった後、用途もないまま…

  • 青の時代100

    尾久駅横の着発線に止まったオハネ25-231。長距離列車の基地というイメージが強い尾久客車区ですが、民営化前は臨時用の…

  • 青の時代99

    民営化前後、青函トンネル開通に備えて耐寒改造されたオハネ25-229。24系25形は九州方面で使われていた20系客車の代替で…

  • 青の時代98

    イベント車の形態は各地の鉄道管理局ごとに様々でしたが、共通で緩急車の車掌室がない側に展望ユニットを接合。大阪の「…

  • 青の時代97

    尾久駅横の着発線に移動したスロフ14-701。登場時は目新しさから様々な電気機関車に引かれて各地を巡り歩いた、記憶とと…

  • 青の時代96

    尾久駅横の着発線に移動したスロフ14-702。 展望室を持つイベント車は地域ごとに企画され、尾久客車区には「スーパー…

  • 青の時代95

    国鉄末期になると雑多な旧型客車の淘汰とともに、臨時用12系・臨時特急用14系客車は長距離夜行列車でも使われ始めました…

  • 青の時代94

    民営化後に高崎駅発着の臨時用になったスハフ12-161。国鉄時代に所属していた尾久客車区へやってきた夕暮れ時。 10系軽…

  • 常陸12

    もう動かない、ゲートの中に残る踏切。工場に張り巡らされていた専用線の記憶。

  • 常陸11

    途切れ途切れの線路は日立の工場へ。重い機関車が出てきたとは思えないほど、今は劣化してしまった鉄路。

  • 常陸10

    勝田駅の側線に止まったままだった651系の付属編成。増結用の短い付属編成は転用されず、すぐ北にある勝田電車区を追われて駅に並べられていました。

  • 常陸9

    常磐線の脇で眠る線路。専用線の引上線と勝田駅からの線路が合流して日立の工場へ分かれていましたが、今は途切れた状態。新品の機関車が最初に通っていた、旅立ちの駅。

  • 常陸8

    電化区間の交直切り替えと周囲に非電化が混在する常磐線の地域性から、DE10と交直両用EF81が待機している水戸駅。今はもう貨物用の交流電気機関車ED75が来…

  • 常陸7

    電車の非電化区間乗り入れ用電源車に改造されていた荷物車マニ50-2186。大量の客車と貨車が並んでいた水戸客貨車区は街へと変わり、…

  • 常陸6

    水戸駅で休むDE10-1603。駅の南に広がっていた巨大な水戸客貨車区と水戸機関区は姿を消し、常磐線と転車台の間にあった線路が機留線として残りました。

  • 湾岸経路21

    団地が並び始めた1970年代にはほとんど荒野だった京葉線沿線。遠く地平線を望みながら。

  • 湾岸経路20

    貨物列車は都市へと変わった千葉みなと駅へ。千葉貨物ターミナル駅の入口だったのは昔の話。

  • 湾岸経路19

    港と団地に挟まれた高架橋の貨物列車。最も京葉線らしい一コマ。

  • 湾岸経路18

    京葉線を走る貨物列車。湾岸経路での東京貨物ターミナル駅連絡は果たせず、武蔵野線と繋がって以降も貨物列車の運行開始に時間を要しました。

  • 湾岸経路17

    千葉貨物ターミナル駅の南側に広がる工業地帯。食品関係が多いのが特徴で、中央の白い共同サイロやその向こうにある千葉製粉へ線路が繋がっていましたが、京葉線開業が遅かったた…

  • 湾岸経路16

    武蔵野線経由でやってきた貨物列車。水色の建屋から手前が千葉貨物ターミナル駅のコンテナホームだった場所ですが、貨物駅の跡はほとんど残っていません。

  • 湾岸経路15

    港の雰囲気は変わったものの、街並みは意外と変わっていない蘇我駅周辺。湾岸を工業地帯で塞がれていたため、住宅地が古くから内陸側を埋め尽くしていました。

  • 湾岸経路14

    千葉みなと駅の北に残る高架橋。本来は左に広がっていた千葉貨物ターミナル駅へ向こうの東京側から入る下り貨物列車を跨ぐ上り線として造られましたが、京葉線建設の遅れで貨物列…

  • 湾岸経路13

    京葉線の高架橋に残る分岐点。京葉線は最初に蘇我駅から6km北西の千葉貨物ターミナル駅のみ1975年に開業し、蘇我駅への高架橋が未着工だったので川崎製鉄の専用線を経由してい…

  • 湾岸経路12

    彼方の煙突に向かって住宅地の中を抜ける廃線跡。蘇我駅の西300mにある国道から海側に広がっていた川崎製鉄は縮小されて再開発が進み、廃線跡は蘇我駅付近にしか見られなくなりま…

  • 湾岸経路11

    蘇我駅から分かれていく廃線跡。川崎製鉄の専用線は工場や製鉄所に張り巡らされていた他、市街地が未建設だった京葉線の高架橋とも接続していました。

  • 湾岸経路10

    蘇我駅の南、内房線沿いにある小さな機関区。非電化時代の名残だった転車台は国鉄末期に撤去され、今は武蔵野線を大回りしてきた電気機関車のねぐらに。

  • 湾岸経路9

    外房線と内房線の分岐点に京葉線が合流する蘇我駅。側線から川崎製鉄と京葉臨海鉄道の貨物列車が発着していましたが、もう雑多な貨車が並んでいた最盛期の雰囲気は見られなくなり…

  • 北越13

    操車場時代のままで残った東新潟機関区。かつては多くの機関車が集っていた建屋。

  • 北越12

    新潟貨物ターミナル駅東側には留置線が並んでいて、仕訳線が並んでいた新潟操車場の頃に似ていますが、コンテナ車もまばら。田畑だった周辺は住宅地に変わりました。

  • 北越11

    新潟操車場の北側に設置された車両基地。上越新幹線は新潟駅で終点ですが、高架橋はここまで。建設当初は北上する計画で、上越新幹線は北陸・羽越方面との共用を想定していました。

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