中央前橋駅では真ん中のホーム2・3番を使用中。改築で少し広くなったホーム入口。
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
中央前橋駅では真ん中のホーム2・3番を使用中。改築で少し広くなったホーム入口。
川岸のターミナル、中央前橋駅。 1888年に両毛線が開通していましたが、北側の山沿いで群馬県内の前橋・桐生を結ぶ都市間鉄道として1927年に開通。地方私鉄では珍しく国鉄と接続せず、始点…
広瀬川の岸を通る上毛電鉄。堤防なしで河川に沿った鉄道は珍しいですが、広瀬川は昔から上流で利根川に放流して水位調節されているので、この状態が続いているのでしょう。
臨時用として生まれた12系客車。国鉄の一大勢力だった客車は多くが姿を消し、原型で残る姿も、存在そのものも珍しくなってきました。 発電機の音を響かせて去って行く、青い後ろ姿。
山道を目指して上越線を北上するC61-20。補機の力を借りずに蒸気機関で走行しています。
田園の中を行くC61-20と12系客車。蒸気機関の煤煙と発電機の排気で周囲には機械の匂いが立ち込めます。
花咲く小道。駅の東側には貨物扱いの設備が並んでいましたが、高架工事で再開発されてしまいました。
鉄骨がむき出しの橋桁。両毛線は複線化を想定していたものの、高架橋は単線のまま。
利根川を渡る両毛線。高架工事は平行して単線を新設する形で進められて、鉄橋も隣に新設されました。手前の地面には今も橋脚跡の枠がそのまま残されています。
新前橋駅を出発する上越線。登場時から上信越方面での使用を想定していた211系は、新前橋電車区に根付いて長い時を過ごして来ました。
ひっくり返されて外を向く車止めの標識。両毛線高架化で新しく整備された引上線は、わずか10年で役目を終えてしまいました。
新前橋駅の南側、陸橋の向こうに今も残る錆び付いたゲート。並んでいた石油タンクは空き地に変わり、特徴的な私有タンク車が出入りしていた専用線は入口で途切れたまま。
新前橋駅の北側、歩道橋の向こうにあったはずの荷役設備。右側の敷地は公共施設に変わり、もうどこにも繋がっていないポイント。
都内へ直通する電車以外は今でも211系が主役。一帯ではドアが半自動扱いですが、全てボタン式になっているので、115系の重たいドアを手で開ける事はなくなりました。
電車に混じって検査中のディーゼルカー。響き渡るエンジン音。
リバイバルカラーの特急電車。181系特急「とき」が駆け抜けた駅で。
新前橋駅に隣接する新前橋電車区。郊外に移転しないまま残る車両基地は珍しくなりました。115系の姿は消えましたが211系は今も多く、国鉄末期からそれほど雰囲気が変わっていません。
遠く山稜を望む新前橋駅。高崎駅から両毛線と上越線が平行していたものを複線の上越線に改めて、両毛線が乗り入れる形に。上越新幹線開通・貨物縮小前は新潟方面へ多数の長距離列車が通る要衝…
桜が咲き誇る柳瀬川の河川敷。柳瀬川は東京都から埼玉県へ北に向かって流れる珍しい川。
EF210-343がEH500-40を従えて。彩り豊かな春の武蔵野線。
EF65がHD300だけを引いて。武蔵野線は新座と所沢の台地を高架橋で結んでおり、柳瀬川の低地には高い高架橋が築かれています。
起伏に富んだ地形が特徴的な所沢東部。自治体の境界も複雑で、河川敷の向こうは東京都清瀬市が埼玉県側に飛び出した地区。桜を横目にEH200-5がやってきました。
中世には見沼という広大な湖沼だった場所。武蔵野線が通っているのは干拓で出来上がった平原。
会社のマークを付けているのが当たり前だった私有貨車。今では貴重になった私有貨車が貨物の大動脈を西へ。
300番台に合わせて装いを変えた100番台。貨車を引かずにEF210-122がのんびりと。
補機で後押し出来るように連結器が強固になって、前面下部が全体的に飛び出た造形に変わった300番台。EF65に代わって春の道を走るEF210-343。
東浦和駅を通過するEF210-326。やって来る桜の季節、変わってゆく電気機関車の姿。
土筆が伸びた春の草原。桜に彩られた武蔵野線。
小樽築港機関区所属で客車列車の先頭に立ったディーゼル機関車DD51-615。この場所は築堤の坂が始まる部分で、この先を右に曲がって石炭埠頭へ繋がっていま…
小樽築港機関区所属で地元に縁のあったディーゼル機関車DD16-17。細かく枝分かれした簡易な路盤の港湾線と共に役目を終えた小型機。
DE10では初期の部類に入るディーゼル機関車DE10-503。道内を駆け回った機関車で、地方線に貨物列車があった時代を支えていました。
手宮駅東側の斜面に残るレンガの擁壁。戦前に使われていた海上高架桟橋に石炭車を送る線路の遺構で、斜面に沿って高さを稼ぎ、南に曲がって海上高架桟橋へ。 1882年に線路…
除雪作業の近代化で登場したロータリー除雪車DD14。ディーゼル機関車としては運転台が端にある珍しい構造で、ロータリーヘッドがない側はどの機関車とも違…
施設の北側に置かれているディーゼル機関車DD13-611。北海道で貨物列車を引いていたDD13-611は手宮駅で最後を迎えました。
青函連絡船に接続する特急として北の大地を疾走した特急形気動車キハ80系。1960年代から30年余り、国鉄民営化・青函トンネル開通後も一部…
1960年代に全国各地で長距離列車の近代化に貢献した急行形気動車キハ58系。初期に製造された北海道用キハ56-23はグリーン車を従えて。
扇形庫に収容された国鉄の小型気動車キハ03-1。簡易構造の低い車体が2軸に載っているレールバス。1954年の登場時は既製品を多用した安価な車…
北海道用ながら車内を仕切るデッキがなく、本州用と似た外観だった合造車キハユニ25-1。地方路線にも荷物輸送と…
北海道各方面で使われてきた一般形気動車。北海道を代表するデッキ付きの耐寒形キハ22-56は手宮駅の隅に置かれています。
F級並みの車体を持つED76-509。今は解体されて野外でED75-500番台の長い車体を見られなくなってしまいました。
1968年の北海道電化に向けて試作された交流用電気機関車ED75-501。既に東北地方向けで量産されていたED75の酷寒地形として試験を実施。1両のみで目立った活躍…
北海道で末期まで活躍していた旅客用蒸気機関車C55-50。 1977年の保存開始当初、搬入予定は流線形から通常形に改造された30号機でしたが、実際にはナンバー1文字…
全国各地にいた小型タンク蒸気機関車。C12-6はC62-3・C55-50と共に手宮駅の隅にあった記念館で1977年から保存。手宮駅の車両では最も南に位置し、先頭に立つ姿はどこか…
小柄な車掌車ヨ7904。今も使われているヨ8000や保存例が多いヨ5000に比べて珍しい、小さな現存車。
貨車では珍しい、日照対策で明るい塗装を採用したホッパ車ホキ2226。横浜港など首都圏でも頻繁に見かけた穀類用ホッパ車ホキ2…
石炭輸送に縁ある地で保存された石炭車セキ7342。北海道最初に石炭船積みを行った手宮駅でしたが、後発の大規模な石炭埠頭が…
パレット積み有蓋車の初期車ワム82506。後年まで残った280000番台に比べて珍しく、80000番台で保存された車両は貴重…
事故復旧用で各地に配置されていた操重車。長物車は資材の運搬で使うためにセット運用。操重車ソ34と一緒に保存されている…
扉を埋めた跡が特徴的な救援車オエ61-309。旧型客車を改造した荷物車をさらに再改造したタイプ。操車場や機関区の隅に待機していた…
後から保存対象に加わった現金専用荷物車マニ30-2012。設計も運行状況も非公開だった特殊車両で、貫通路は向こう側だけで車掌室…
50系客車の車体に旧型客車の台車を組み合わせた郵便荷物合造車スユニ50-501。郵政省が次々と新型を投入していた全室郵便…
特徴的な姿のロータリー除雪車キ601。蒸気機関で駆動するロータリー除雪車の初期型で、後に国産化される以前に輸入されたタイプ。
珍しいマックレー車キ800。名寄駅で保存されているキ911よりも古く、車体も古典的な造形。向こうが進行方向で、開いたウイングでラッセル車が積み…
初期の意匠が残るジョルダン除雪車キ718。石炭輸送で活況だった頃、石炭車が出入りする冬の駅を蒸気機関車の後押しで除雪。
蒸気機関車の時代に造られた単線用ラッセル除雪車キ270。ディーゼル機関車の時代でも多くの路線で使われていた冬の護り人。
手宮駅の跡地に造られた交通記念館。古くは手宮駅にあった古い機関庫を中心に1960年代から車両保存が始まりましたが、今の施設は手宮駅跡地に車両を搬入して整備したもの。現在は…
まだ遊歩道に変わる前の手宮駅入口。奥にある手宮駅の大部分は交通記念館として早くに整備されましたが、分岐が始まる辺りは草に埋もれたまま。 ここから右奥は枝分かれした多…
草花に埋もれた手宮線。小樽築港駅の貨物線は港の南側を網羅していましたが、手宮線は北側と接続。1985年の廃止直前にはほとんど貨物列車がない状態でした。
草に埋もれながら残されていた小さな踏切。港の線路が跡形もなく消えていったのとは対照的に、南小樽駅から分岐していた手宮線は大部分が廃止後も残されていました。
特徴的な石積み倉庫が並ぶ小樽の街。かつては海側に函館本線の小樽築港駅と廃止された手宮駅から数多くの引込線が分岐。この倉庫街も道路の片側が廃線跡で、小樽築港駅から廃止さ…
シェルターをくぐる電車。トンネルではなく、飛行場の滑走路延長上で地下に潜るためのもので、飛行場周辺の鉄道で見られる構造です。 未開発の丘と田園を横切っていた長閑な地…
東名自動車道が相模大塚駅のすぐ東をくぐっており、南に分かれた貨物線は駅の南側で高速道路を横断。道路橋との珍しい併用橋で、貨物輸送廃止後も軍用でありがちな線路そのままで…
相模大塚駅西側。飛行場への軍用燃料輸送が行われていた支線の跡。相模大塚駅から側線に出て、折り返して右奥へと向かっていました。既に住宅地に飲み込まれて、廃線跡がわからな…
珍しい無蓋緩急車トフ400。無蓋車の中央に小さな車掌室を付けた貨車は古くから存在。貨車の近代化で消えていった狭小な車掌室。脚光を浴びる事のな…
車両基地の隅に置かれた電気機関車ED11。メーカーの性格が強く出た小柄な半流線形。最後まで残った軍用燃料輸送に使われていました。
空中で途切れる高架橋。 かしわ台駅の車両基地は丘の上に線路を広げたため、引上線の敷地が足りずに丘からはみ出る珍しい構造。
起伏に富んだ台地にある、かしわ台駅。発着するのは乗り入れてきた埼京線。かしわ台駅には面積が限られている丘の片隅に造られた車両基地が隣接。実際に手狭なようで、近隣の相模…
台地が切れる手前にある相模国分信号所。今も残る、小さなホームや側線。ここから曲がって海老名駅に向かう方が本線になり、直進する方が旅客輸送がない支線になりました。
相模線と分かれた後の相模鉄道貨物線。築堤上を通っているのはこのまま海老名市東部の台地へ登るため。住宅地は台地の上に広がり、低地はほぼ全て田畑。ガード橋の向こうは団…
厚木駅から北へ。車庫に出入りする電車しか通らない手前の相模鉄道と対照的に、電車になって運転状況が改善された相模線が頻繁に発着。 今でこそ住宅地になっていますが、右の…
相模線と並んで残る、相模鉄道の厚木駅。西横浜駅の連絡線が廃止された後は厚木駅で国鉄と接続。セメントなどの扱いがありましたが、最後まで残った軍用燃料輸送も廃止されて…
南北を結んでいた貨物側線が撤去されて道路側に設置された新ホーム。まるで終点のように、ホームに挟まれている厚木駅。
小田急電鉄の擁壁下にあった構内踏切。厚木駅は相模鉄道だけでなく、向こう側にあった連絡線で小田急電鉄とも接続。3社の貨物列車が連絡していた古き地方私鉄の要衝。
多くの側線があった厚木駅でしたが、貨物輸送廃止で空いた用地にホームを新設。反対側のホームは廃止されたものの、時間が止まったままで残されています。
相模線の厚木駅。1926年に南から延伸されてきた相模鉄道と横浜から西へ建設された神中鉄道が接続した場所で、小田原急行鉄道も1年遅れて上を乗り越す形で開通。相模鉄道と神中鉄…
西寒川駅の線路は途切れて、その先は道路。 元々、西寒川駅は末端の小さな駅だったわけでなく、古くは貨物線の途中に位置。国鉄買収以前の1921年、相模鉄道が茅ヶ崎駅から川寒…
廃線跡の遊歩道は八角公園まで。ここは支線の終点・西寒川駅があった場所。短いホームも整地されて残されていません。
花咲く公園の一角。もう何も通らない線路の姿。
住宅地に囲まれて、憩いの場所となっている一之宮公園。木の枕木に釘止めしただけの簡素な線路がそのまま残る廃線跡。
支線の中間が公園として整備された廃線跡。車輪がオブジェとして置かれている踏切跡。
寒川駅北側、寒川神社鳥居のすぐ近くで広がっている敷地。本線上から分かれていた支線の跡で、1984年まで支線が南西の相模川河川敷脇にあった西寒川駅へと続いていました。
相模線の寒川駅。電化されて木造駅舎もなくなりましたが、どこか落ち着いた雰囲気があります。
専用線はここからすぐ右へ、他にも本線に沿って南北にも専用線がありました。工場跡などは商業施設と住宅地に変わっています。
相模線が茅ヶ崎駅を出て、急カーブを曲がってすぐの場所にある北茅ヶ崎駅。駅そのものは側線2本の小さな駅でしたが、工業団地に複数の専用線が分岐する貨物列車の中継地点でした…
無骨な工場は林に変わり、通る物が減って線路は草に覆われて。世代交代した通勤電車が走る鶴見線。
周囲に製鉄所が広がっていた1970年代までは複数の橋が並び、頭上を専用貨車が行き交っていた鉄の道。
鉄橋をくぐる鶴見線。パイプライン用で使われている古い橋が浜川崎地区と水江地区を繋いでいた日本鋼管専用鉄道の記憶を呼び覚まします。
浜川崎駅を出発した205系。複線のように電車線・貨物線が平行していますが、利用率が低い貨物線は草に埋もれ気味です。 向こうに見える砂利の山はかつての浜川崎機関区。機関…
改築が進んでもなお風情がある鶴見線の鶴見駅。茶色の旧型電車や黄色の通勤電車101系が長らく主力だった湾岸の路線には、国鉄の最後を彩った通勤電車の姿。
全国津々浦々、数多のタイプが存在していた貨車移動機。裏方は今日も工場の片隅で。
広すぎて遮断機の棒が足りない踏切。夕方の日差しを浴びて輝く車列。臨海鉄道の日常風景。
世代交代が進んだディーゼル機関車。DD602がたくさんのタンク車を連ねて。
荷役を終えたタンク車が浮島線へ。東京湾を横断するトンネルへ向かう高速道路の下、ゆっくり走る貨物列車。
側線に留置されたタンク車タキ43325。雑多なタンク車を淘汰して形式を統一するため、オイルターミナルから石油輸送へ編入されたタイプ。青から黒へ塗り替えられましたが…
移動機No46は鉄塔の下で待機中。埋立地の造成時に送電線は貨物線上空を通したため、点在する門型の鉄塔が線路を跨ぐ浮島支線。貨物線廃止後には通常の鉄塔に変わる事が多いので、…
昼も夜も同じようにタンク車が並ぶ浮島支線。夜はコンビナートの煙突から吹き上げる炎を見られましたが、昼は空の明るさで見えません。
パイプラインをくぐり、遮断機も一部しかない斜め踏切を渡って。工業地帯ならではの線路を通る臨海鉄道の貨物列車。拡大・再編・縮小を重ねてきた湾岸の貨物線を行くDD603には神…
千鳥町駅に置かれているのはたった1両のコンテナ車。小型の2軸タンク車に代わって使われるようになったタンクコンテナが今の主流。周辺の専用線や公共倉庫の利用がなくなって…
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中央前橋駅では真ん中のホーム2・3番を使用中。改築で少し広くなったホーム入口。
川岸のターミナル、中央前橋駅。 1888年に両毛線が開通していましたが、北側の山沿いで群馬県内の前橋・桐生を結ぶ都市間鉄道として1927年に開通。地方私鉄では珍しく国鉄と接続せず、始点…
広瀬川の岸を通る上毛電鉄。堤防なしで河川に沿った鉄道は珍しいですが、広瀬川は昔から上流で利根川に放流して水位調節されているので、この状態が続いているのでしょう。
臨時用として生まれた12系客車。国鉄の一大勢力だった客車は多くが姿を消し、原型で残る姿も、存在そのものも珍しくなってきました。 発電機の音を響かせて去って行く、青い後ろ姿。
山道を目指して上越線を北上するC61-20。補機の力を借りずに蒸気機関で走行しています。
田園の中を行くC61-20と12系客車。蒸気機関の煤煙と発電機の排気で周囲には機械の匂いが立ち込めます。
花咲く小道。駅の東側には貨物扱いの設備が並んでいましたが、高架工事で再開発されてしまいました。
鉄骨がむき出しの橋桁。両毛線は複線化を想定していたものの、高架橋は単線のまま。
利根川を渡る両毛線。高架工事は平行して単線を新設する形で進められて、鉄橋も隣に新設されました。手前の地面には今も橋脚跡の枠がそのまま残されています。
新前橋駅を出発する上越線。登場時から上信越方面での使用を想定していた211系は、新前橋電車区に根付いて長い時を過ごして来ました。
ひっくり返されて外を向く車止めの標識。両毛線高架化で新しく整備された引上線は、わずか10年で役目を終えてしまいました。
新前橋駅の南側、陸橋の向こうに今も残る錆び付いたゲート。並んでいた石油タンクは空き地に変わり、特徴的な私有タンク車が出入りしていた専用線は入口で途切れたまま。
新前橋駅の北側、歩道橋の向こうにあったはずの荷役設備。右側の敷地は公共施設に変わり、もうどこにも繋がっていないポイント。
都内へ直通する電車以外は今でも211系が主役。一帯ではドアが半自動扱いですが、全てボタン式になっているので、115系の重たいドアを手で開ける事はなくなりました。
電車に混じって検査中のディーゼルカー。響き渡るエンジン音。
リバイバルカラーの特急電車。181系特急「とき」が駆け抜けた駅で。
新前橋駅に隣接する新前橋電車区。郊外に移転しないまま残る車両基地は珍しくなりました。115系の姿は消えましたが211系は今も多く、国鉄末期からそれほど雰囲気が変わっていません。
遠く山稜を望む新前橋駅。高崎駅から両毛線と上越線が平行していたものを複線の上越線に改めて、両毛線が乗り入れる形に。上越新幹線開通・貨物縮小前は新潟方面へ多数の長距離列車が通る要衝…
桜が咲き誇る柳瀬川の河川敷。柳瀬川は東京都から埼玉県へ北に向かって流れる珍しい川。
国鉄民営化から間もない頃に廃止された東京都の線路。木々が廃線跡を覆うほどに流れた歳月。
変化する街の中で置き去りにされた線路。東京駅からわずか3kmあまりの道端。
京葉線が地下を通っているせいか、開発が進まなかった廃線跡。専用線が繋がっていたタンク施設はマンションに変貌。貨車入換用の引上げ線に挟まれていた豊洲方面への線路だけが取…
京葉線の地上出口が建設されたのは貨車の検修庫があった場所。貨物輸送があった頃の面影はほとんど見られなくなった住宅地。
汐見運河に浮かんでいた材木は姿を消し、貨車の姿もなくなってディーゼルカーが止まっているだけ。岸壁に面した越中島貨物駅の今。
今はもうやって来ないEF64-1027。勾配用の国鉄機が広く走り回っていた頃。
新小岩駅の横を通って機回しするEF65-2091。貨物列車の折り返しが続く街。
都心に残っていたディーゼル機関車の舞台。国鉄時代には北の大地にいたDE10-1704。
新小岩信号場の景色。待機していたDE10も今は懐かしく。
特急電車485系の姿が印象的だった東北本線。東北新幹線開通から歳月を経て、電車の姿が変わっても花は咲き続けています。
東北路を北上し続けるEH500-63。桜前線を追い越した貨物列車が札幌貨物ターミナル駅に着くのはずっと後。
花に彩られた船岡城址。急行型や寝台特急電車581系改造車など、様々な国鉄電車で運転されていた仙台近郊の普通列車。今使われているのは民営化後のステンレス車のみ。
重連のED75に代わって東北本線を駆け抜けるEH500-78。静かに咲き誇る桜の花。
桜に彩られた東北本線。交流電気機関車ED71-37が保存されている船岡駅。
何も来なくなって久しい昭和町駅。建物の張り出し屋根がタンク車の荷役設備だった場所。もう、私有タンク車の存在すらも消えてしまった工業地帯の片隅で。
草に埋もれたレール。錆び付いた転轍機。パイプラインの横で眠り続ける線路。
静かな港に埋もれた線路。途切れた先に続く昭和町線。
化成品を運ぶタンク車が消えて、閉じられたままのゲート。荷役設備を避けて右側を通る線路が昭和町線。後に敷地内の線路が撤去されたため、再開出来なくなってしまいました。
名古屋臨海鉄道の東港駅から西へ伸びる支線。昭和町線は専用線と一体で東亜合成の敷地を通り抜けています。
現役なのか廃線なのかもわからない線路。分断された箇所もあり、すぐに再開は出来ないようです。