建造物の中に広がる草。錆び付いたレール。規則的に並ぶコンクリートの柱。どの廃線跡とも違う、自然と機能美の融合。
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
無骨な工場は林に変わり、通る物が減って線路は草に覆われて。世代交代した通勤電車が走る鶴見線。
周囲に製鉄所が広がっていた1970年代までは複数の橋が並び、頭上を専用貨車が行き交っていた鉄の道。
鉄橋をくぐる鶴見線。パイプライン用で使われている古い橋が浜川崎地区と水江地区を繋いでいた日本鋼管専用鉄道の記憶を呼び覚まします。
浜川崎駅を出発した205系。複線のように電車線・貨物線が平行していますが、利用率が低い貨物線は草に埋もれ気味です。 向こうに見える砂利の山はかつての浜川崎機関区。機関…
改築が進んでもなお風情がある鶴見線の鶴見駅。茶色の旧型電車や黄色の通勤電車101系が長らく主力だった湾岸の路線には、国鉄の最後を彩った通勤電車の姿。
全国津々浦々、数多のタイプが存在していた貨車移動機。裏方は今日も工場の片隅で。
広すぎて遮断機の棒が足りない踏切。夕方の日差しを浴びて輝く車列。臨海鉄道の日常風景。
世代交代が進んだディーゼル機関車。DD602がたくさんのタンク車を連ねて。
荷役を終えたタンク車が浮島線へ。東京湾を横断するトンネルへ向かう高速道路の下、ゆっくり走る貨物列車。
側線に留置されたタンク車タキ43325。雑多なタンク車を淘汰して形式を統一するため、オイルターミナルから石油輸送へ編入されたタイプ。青から黒へ塗り替えられましたが…
移動機No46は鉄塔の下で待機中。埋立地の造成時に送電線は貨物線上空を通したため、点在する門型の鉄塔が線路を跨ぐ浮島支線。貨物線廃止後には通常の鉄塔に変わる事が多いので、…
昼も夜も同じようにタンク車が並ぶ浮島支線。夜はコンビナートの煙突から吹き上げる炎を見られましたが、昼は空の明るさで見えません。
パイプラインをくぐり、遮断機も一部しかない斜め踏切を渡って。工業地帯ならではの線路を通る臨海鉄道の貨物列車。拡大・再編・縮小を重ねてきた湾岸の貨物線を行くDD603には神…
千鳥町駅に置かれているのはたった1両のコンテナ車。小型の2軸タンク車に代わって使われるようになったタンクコンテナが今の主流。周辺の専用線や公共倉庫の利用がなくなって…
様々な時代を反映してきた工業地帯の鉄道。55t機に代わって主力になった60t機DD603。今も現役の神奈川臨海鉄道千鳥線。
千鳥町に残る古いガード橋。水江町の隣に位置する千鳥町の埋立地は1950年代にほとんど未完成。水江町と同様に貨物線が市電経由で国鉄と接続し、市電の塩浜駅で分かれた線路が道路…
全国各地で時代に翻弄された数多の路線がある中、レールが繋がった会津鉄道。下野・岩代・出羽を結ぶ野岩羽線は会津盆地から北へ延伸出来ませんでしたが、関東地方との連絡にシフトして山々を…
会津滝ノ原駅の頃はホームに屋根がなく、列車交換廃止でホーム片面使用の無人駅。国鉄時代は本数がかなり少なく、首都圏までは会津若松経由の大移動でしたが、今の会津高原尾瀬口駅では特急電…
雪の中、山に反響するエンジン音。廃止されずに生き残る道を選んだ路線の姿。当初のAT-100から世代交代が進んだ会津鉄道。
ホームが足跡ひとつない雪に覆われた会津高原尾瀬口駅。廃止対象路線の終着駅だった頃の侘しい雰囲気は電化で一変し、雪でも止まらない電車の頼もしさが山間の駅を支えています。
会津高原尾瀬口駅に止まる会津鉄道のディーゼルカーAT-601。国鉄会津線は1986年の野岩鉄道開通に続いて国鉄民営化直前の1987年に転換。野岩鉄道との連絡は会津鉄道になってから改善され、1990…
長いトンネルを抜けて県境を越えた野岩鉄道は終点・会津高原尾瀬口駅へ。特急電車では途中駅ですが、路線はここから国鉄会津線を転換した会津鉄道に。駅の隅には蒸気機関車を転向していた手回…
ダム湖を渡る鉄橋が珍しい野岩鉄道。 野岩羽線計画で戦前に開通したのは福島県側のみ。当初は山間を縫って峠越えする想定だったのかもしれませんが、公団建設が各地で進んだ1960年代以降に…
トンネルを出ると吹雪。東武鉄道と同型の電車が使われている野岩鉄道。 野岩鉄道は東北中央部を縦断する野岩羽線として計画された路線の南側。国鉄会津線から南へ建設が進んで1970年代のう…
単線トンネルが湯西川温泉駅の部分だけ大きい断面に。複線トンネルとしては小さい、珍しいサイズ。
湯西川温泉駅に止まる特急電車。1986年開通の野岩鉄道で唯一の地下駅。沿線のほとんどが栃木県藤原町の中、栗山村に位置していた場所が山の中だったのでトンネル内に。
寝台特急「北斗星」が大宮駅で出発前のひととき。最後尾はオハネフ25-15。もう駅にやって来ない青い客車。
伝統的に電源車の隣には車掌室を持つ緩急車が連結される事が多く、カニ24の隣にはオハネフ25の姿が。廃車後…
夜を彩る青い寝台車。東北新幹線開業で北海道へ渡った14系寝台車は24系に転身して寝台急行から寝台特急へ…
晴れた朝。EF510-515が大宮駅に到着。寝台特急「北斗星」の終点まで、あと少し。
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。
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建造物の中に広がる草。錆び付いたレール。規則的に並ぶコンクリートの柱。どの廃線跡とも違う、自然と機能美の融合。
太子駅で保存されている貨車。当時の配線はシンプルで、左にホームの線路と機回し線、その隣のホッパー内に2本、ホーム右に貨物側線2本だけ。貨物扱いが無くなった末期にはほ…
線路とホームが復元された太子駅。鉱石を貨車に落とすホッパーの基部が残されていた公園は整備されて保存施設に。今は人工物の跡が見当たりませんが、正面の山をロープウェーのよ…
集落を過ぎると広がり始める廃線跡。点在しているコンクリートの基部。ここから先は長野原線の終点・太子駅。読み方は『おおし』で、他の地域にある太子(たいし)や大子(だいご)、…
廃線跡の中間点を過ぎるとトンネルの連続。舗装された他は鉄道があった頃とほとんど変化がありません。
日影地区を過ぎると廃線跡は道路に。彩り豊かな沿線。鉄道が残っていれば渓谷美を楽しめたはずですが、北西にある白根山東側の草津温泉とは標高差400mもあるため、長野原線の延伸…
道路脇に口を開けた廃線跡。この先は集落もなく、立ち入り禁止になっています。明治・大正の優美なレンガのトンネルと比べると、戦時中に突貫工事で造られたあまりにも無骨な…
長野原草津口駅の北、白砂川に残る錆びたガード橋。1945年1月に開通した貨物線が吾妻線のルーツで、長野原駅までは旅客扱いがある国鉄の長野原線、この先は日本鋼管の専用線でした。
長野原草津口駅で発車を待つ211系。国鉄民営化後に吾妻線の長野原駅は長野原草津口駅に名前を変えて、観光輸送に特化。上下列車が交換する中間駅でしたが、折り返す電車が多く…
北海道への往復が嘘のように。街の中にある静まり返った空間、豪華編成の展望室。
客車が隅へと追いやられてしまった新大阪駅の西側。かつて宮原客車区と呼ばれた場所で。
特急形気動車キハ80系の初期型キハ81-3。東海道本線の特急電車151系に続き、東北本線の客車特急「はつかり」を置き換えるために登場したキ…
1950年に登場した80系電車初期型クハ86。雑多で混結が多かった当時に固定編成の長距離電車は画期的で、後に訪れる特急電車・急行電車の…
交通科学館で保存されていた旧型客車。マロネフ59は3等級時代の1・2等合造車マイロネフ38だったもの。奥の食堂…
京都へ移転する以前、今はない交通科学館で1960年代から保存されていたC62-26。速度試験で129km/hを記録した華々しい車両でしたが、製造から20年も経たずに廃車され…
使われなくなった有蓋車が残る安治川口駅の奥。青いワム380307の向こう、安治川の対岸は国鉄末期に廃止された大阪東港駅の倉庫街。
圧縮空気で自走可能な蒸気機関車C12-167。小さな給水塔の横、国鉄時代よりも賑やかになった若桜駅。
若桜駅に止まる、DD13よりも軽い50t機DD16-7。各地の簡易な地方線を想定したディーゼル機関車でしたが、このサイズが使われる路線では客車・貨車の需要が低迷し、工…
若桜鉄道の終点、若桜駅。最後尾のスロフ12-3は床下が灰色塗りに変わった他は登場時のような姿。
木材出荷があった八東駅、戦前製の狭い車掌室を戦後に拡大改造した珍しい有蓋緩急車ワフ35597。駅舎横の貨物ホームに置かれた姿が現役…
大府駅から貨物線を分けて複々線になる予定だった東海道本線。拡幅工事後に建設中止となりましたが新設された橋梁を再利用するため、向こう側の設置済みだった線路に東海道本線が…
路上に残る曲がった廃線跡。倉庫街の線路は道路の北側でしたが、そのままでは余地がなくて北へ曲がれないため、道路の南側に分かれてから大回りして道路の北へ曲がっていく構造で…
当時と同じ佇まいが残る倉庫街。二階からせり出すクレーンなども今では珍しい造り。右奥から来た貨物線は左のアスファルト舗装部分を通っていました。
緩やかに曲がる道路。右側の草地が廃線跡で、元々あった貨物線に沿って建設された曲がっている倉庫街。
広々とした堀川口駅の跡。貨物駅があった頃は倉庫が密集していて、左に残る倉庫の左に曲がる線路と右奥に向かう線路がありましたが、他よりも早い1980年に役目を終えました。
貨物線は堀川が見える岸壁へ。左の駐車場部分が廃線跡で、当時は小さな川を渡る橋もありましたが、更地になっています。
堀川沿いの岸壁に残る倉庫。倉庫の向こうを通っていた貨物線は早くに廃止されましたが、置き土産のようにワム183878の車体が置かれていました。
埋立地の東側に来た貨物線は一二号地間運河を渡る可動橋へ。垂直型の昇開橋が多かった中、四日市でも見た片持ち型。既に廃線跡すら判らなくなった埋立地に突如として現れる産業遺…
広がった線路に荷役設備があった名古屋港駅の南側。貨物線は埋立地の西端にある名古屋港駅から東に向きを変え、突堤に線路を分けながら、埋立地を半周して東側の岸壁に向かってい…
レール輸送で存在を保っていた名古屋港線。左の貨物ホームがある倉庫は貨物駅が盛業だった頃からのもの。再開発された中に点々と当時の構造が残されていた名古屋港駅。廃止される…
終点の名古屋港駅。手前の引上線で折り返して左奥に繋がっています。右奥は北側の着発線だった部分で、行き止まりになる前はここから南側へ広がっていました。
港北運河を渡るガード橋。二つ並ぶガード橋にうち、反対側の方は現役で水色、赤錆びた方は廃止された専用線のもの。埋め立てが進んだ結果、名古屋港線が川を渡る唯一の場所になり…
石炭が山積みされていたプラントの跡地はショッピングモールに。連絡通路を跨ぐガード橋は構内道路を跨いでいたもので、当時はガード橋の向こうに専用線の踏切があった場所。専用線から築堤に…
踏切の隣に商業施設。再開発前は名古屋港線から南方貨物線へ合流する高架橋が向こうへ曲がっていた場所。名古屋港線と接続する坂は建設されずに終わり、途切れた単線高架橋も合流先の南方貨物…
運河を埋めた公園のすぐ隣に立つ高架橋。東海道本線から分かれて東海道新幹線と平行してきた南方貨物線は南郊運河に沿って西へ。
名古屋港線をくぐる公園の歩道。国鉄末期までここは川で、西の中川運河から東西に延びていた南郊運河の跡。川だった頃の橋がそのまま埋め立てで造られた公園に取り込まれてしまいました。
建設時期が他よりも早かったため、一直線に港を目指す名古屋港線。彼方には再開発で造られた観覧車。
東海道新幹線の高架と平行する名古屋港線の築堤。実際には逆で、1960年代に築堤と平行して高架橋が建設されました。
新幹線のすぐ隣、白鳥駅へ分岐していた廃線跡。南東の堀川沿いにある国際会議場などは貯木場の堀を埋めた場所で、八幡信号場で分かれた貨物線は堀に隣接する白鳥駅と北側にあった…
名古屋駅の南、中央本線から山王信号場で分かれる貨物線の名古屋港線。臨時のナゴヤ球場正門前駅跡を過ぎると築堤を上って東海道新幹線と平行して南下。車窓に映る小屋や片方外さ…