番号が巨大化していたキハ182-7559。静かな昼間の函館駅で。
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
番号が巨大化していたキハ182-7559。静かな昼間の函館駅で。
民営化後の速達輸送を支えたキハ182-2556。屋上タンクが国鉄らしい意匠。
札幌行特急「北斗」のキハ182-2555。速度種別で番号が細分化されていた北の特急形。
現番号のままだったキハ183-1507。 国鉄最後のダイヤ改正で登場した特急形ディーゼルカー183系500番台。1986年当時は都内へ延…
北の大地を離れずに過ごしたDE10-1738。函館本線と根室本線の分岐点にあった滝川機関区の出身で、石炭輸送を知っているディーゼル機関車。
夜の光に照らされたDD51-1142。函館の検修庫にいた現役時代。
ナンバープレートを外されたDD51-1142。僚機よりも一足早く離脱した北斗星色。
東武鉄道が蒸気機関車の運転で使う客車よりも早く旧型客車のような塗装を採用。北の大地に残ったスハフ14-507。
国鉄時代は札幌運転区の所属。民営化後に道内の寝台急行がなくなって函館運転所、さらに旭川運転所へ。急行列車がなくなった頃、再び函館駅へとやってきたオハ14-526。
有蓋車の代用で蒸気機関車の部品を運んだ長物車チキ6366。コンテナ車から長物車に改造された後、再びコンテナを積む事になっ…
イベント用で残っていた車掌車ヨ4647。展望デッキのような使われ方をしていた黒い二軸車。
函館駅のオハ14-519。特急電車に似た車体構造の客車は流転の末に旧型客車の塗装で。
寝台急行「はまなす」廃止で廃車が進んだ中、それよりも前に蒸気機関車運転用に改造されて残ったスハフ14-505。函館駅に止まるあずき色。
旧型客車淘汰と鉄道縮小の狭間に生まれた普通列車用50系の北海道仕様51形客車。ディーゼルカーに改造される車両が多い中…
広大な北の鉄路に砂利散布を続けてきたホッパ車ホキ881。古き伝統を感じさせる黒い貨車。
函館駅に隣接する函館運転所はいつしか運輸所に名を変えて。電車・気動車・客車・貨車が詰め込まれた港町。
対岸の青森駅と同様に連絡船が保存された函館駅。函館山が見下ろす、もう使われていない岸壁の摩周丸。
あおなみ線はさらに南、廃線跡ではない新規の用地を通って金城埠頭へ。工業地帯の中、貨物列車が通らない高架橋。
野跡駅から南へ向かう高架橋。北側は高度成長期の頃から団地でしたが、駅が出来たのは半世紀も後の事。ここから南側は再び工業地帯の様相で、西名古屋港駅から分かれた貨物線はこの辺りで道路…
西名古屋港駅跡を離れたあおなみ線はさらに先へ。稲永東公園の南側にある入江の築堤は西名古屋港駅から西へ分かれていた貨物線の跡で、車両基地への分岐点から先の高架橋もここまでと同じく廃…
歩道部分に残る斜め踏切の跡と専用線のゲート。再開発が進む埋立地に残る、数少ない記憶。
割と新しい強固なコンクリート舗装の道路。斜めに曲がった側溝はかつて踏切があった頃の名残。
西名古屋港駅から南の埠頭へ斜め踏切が3箇所連続していた道路。現代でも石炭埠頭は操業中ですが当時を偲ぶ物は少なくなりました。
西名古屋港駅の跡地を再利用して造られた名古屋臨海高速鉄道の車庫。民営化後も残った貨物駅の西名古屋港駅でしたがコンテナ扱いがなく、コンテナが積まれた港との関わりは段々と失われていき…
車両基地へ降りる高架橋が分かれて地上へ。西名古屋港線の終点、貨物駅の西名古屋港駅があった場所。埋立地が拡大したりしたものの、倉庫の佇まいなど周囲はそれほど変わっていません。
あおなみ線の電車が荒子川公園駅へ。荒子川公園は運河が荒子川に合流する予定地だった場所で、2km東にある名古屋港線が橋を渡っていた港北運河の延長。戦後に建設が始まった運河は先に造られ…
荒子川のガード橋は西名古屋港線のもの。1950年の開通時は周辺に農地が広がっていました。
荒子川を渡る橋。公園の歩道となったガード橋の上にはあおなみ線の吊り橋。同じ鉄道橋ながら全く違う存在感。
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…
ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の…
高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋でつないで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名…
西名古屋港線の途中に新しいコンテナ対応の貨物駅として開業した名古屋貨物ターミナル駅。1980年5月1日の開業日は名古屋港駅の先にあった堀川口駅の廃止日で、最後には名古屋駅の南に広が…
小本駅の西に残るカーブした敷地。 貨物列車の主要ルートになるはずだった南方貨物線は名古屋貨物ターミナル駅に合流し、そこからは複線化された西名古屋港線が東に向きを変えて名古屋駅へ…
希少なコキ250000の向こう、休憩室に使われていたコンテナ緩急車コキフ50000の車掌室部分。車掌業務が無くなって以降もしばらくはコキ50000に混じって使われ、いつし…
開業当初から電化が準備されながら、DD51が出入りしていた名古屋貨物ターミナル駅。ディーゼル機関車を置き換えた国鉄の電気機関車も姿を消し、並んでいるのは広島の…
待機中のハイブリッド機HD300-11。臨海鉄道のディーゼル機関車が姿を消した今の名古屋貨物ターミナル駅。
大都市の片隅に残っていた転車台。国鉄時代から名古屋客貨車区の客車・気動車の転向をしてきましたが、今は1両も客車が存在しません。
名古屋駅を出たEF210-112があおなみ線へ。ささしまライブ駅の東側は全て貨物駅だった笹島駅の跡地で、西名古屋港線の築堤横から大規模なコンテナホームが向こうの新幹線に突き当…
名古屋駅の西名古屋港線部分にはホームが造られて名古屋臨海高速鉄道に。使われないままの平らなホーム端部。
名古屋駅を通るEF210-309。名古屋貨物ターミナル駅へ向かう通路になっている新幹線横の単線。
南郊運河沿いの高架橋は西名古屋港線のすぐ手前で建設が止まり、接続は実現しませんでした。空き地に残された高度成長期の置き土産。
遊歩道は西名古屋港線から分かれて中部鋼鈑の北側に繋がっていた専用線の跡。専用線とは別に、壁の向こうには工場を繋いでいた専用鉄道のレールが今も残っている、色々な鉄道が紆…
中部鋼鈑の西端、橋脚が乱立する遊歩道。南方貨物線はここで高さを変えながら単線高架の西名古屋港線を跨いで名古屋貨物ターミナル駅へ。
中部鋼鈑の中を北へ曲がる南方貨物線。遮音壁まで存在し、完成状態だった高架橋。
南郊運河沿いでは1970年代のうちに高架橋の大部分が完成しましたが、道路を跨ぐ部分は全て撤去済み。再利用されているとも、放置されているとも言えない、負の遺産。
埋められた運河と使われなかった高架橋。不可思議な人工の景観。
新幹線と平行する区間が頓挫していたのと対照的に、分かれた後の区間は順調に建設が進んだ南方貨物線。名古屋港線を跨いだ先、南郊運河を埋め立てた公園でソーラーパネルを載せた…
東海道本線と別れて東海道新幹線と平行する計画だった南方貨物線。名鉄常滑線を跨ぐ部分で新幹線の隣にある高架橋が途切れていますが、新幹線と平行する区間は用地買収に失敗し、…
笠寺駅に止まっていた超低床構造のコキ71-5。生まれては消えていった特殊用途の貨車。
大府駅から貨物線を分けて複々線になる予定だった東海道本線。拡幅工事後に建設中止となりましたが新設された橋梁を再利用するため、向こう側の設置済みだった線路に東海道本線が…
路上に残る曲がった廃線跡。倉庫街の線路は道路の北側でしたが、そのままでは余地がなくて北へ曲がれないため、道路の南側に分かれてから大回りして道路の北へ曲がっていく構造で…
当時と同じ佇まいが残る倉庫街。二階からせり出すクレーンなども今では珍しい造り。右奥から来た貨物線は左のアスファルト舗装部分を通っていました。
緩やかに曲がる道路。右側の草地が廃線跡で、元々あった貨物線に沿って建設された曲がっている倉庫街。
広々とした堀川口駅の跡。貨物駅があった頃は倉庫が密集していて、左に残る倉庫の左に曲がる線路と右奥に向かう線路がありましたが、他よりも早い1980年に役目を終えました。
貨物線は堀川が見える岸壁へ。左の駐車場部分が廃線跡で、当時は小さな川を渡る橋もありましたが、更地になっています。
堀川沿いの岸壁に残る倉庫。倉庫の向こうを通っていた貨物線は早くに廃止されましたが、置き土産のようにワム183878の車体が置かれていました。
埋立地の東側に来た貨物線は一二号地間運河を渡る可動橋へ。垂直型の昇開橋が多かった中、四日市でも見た片持ち型。既に廃線跡すら判らなくなった埋立地に突如として現れる産業遺…
広がった線路に荷役設備があった名古屋港駅の南側。貨物線は埋立地の西端にある名古屋港駅から東に向きを変え、突堤に線路を分けながら、埋立地を半周して東側の岸壁に向かってい…
レール輸送で存在を保っていた名古屋港線。左の貨物ホームがある倉庫は貨物駅が盛業だった頃からのもの。再開発された中に点々と当時の構造が残されていた名古屋港駅。廃止される…
終点の名古屋港駅。手前の引上線で折り返して左奥に繋がっています。右奥は北側の着発線だった部分で、行き止まりになる前はここから南側へ広がっていました。
港北運河を渡るガード橋。二つ並ぶガード橋にうち、反対側の方は現役で水色、赤錆びた方は廃止された専用線のもの。埋め立てが進んだ結果、名古屋港線が川を渡る唯一の場所になり…
石炭が山積みされていたプラントの跡地はショッピングモールに。連絡通路を跨ぐガード橋は構内道路を跨いでいたもので、当時はガード橋の向こうに専用線の踏切があった場所。専用線から築堤に…
踏切の隣に商業施設。再開発前は名古屋港線から南方貨物線へ合流する高架橋が向こうへ曲がっていた場所。名古屋港線と接続する坂は建設されずに終わり、途切れた単線高架橋も合流先の南方貨物…
運河を埋めた公園のすぐ隣に立つ高架橋。東海道本線から分かれて東海道新幹線と平行してきた南方貨物線は南郊運河に沿って西へ。
名古屋港線をくぐる公園の歩道。国鉄末期までここは川で、西の中川運河から東西に延びていた南郊運河の跡。川だった頃の橋がそのまま埋め立てで造られた公園に取り込まれてしまいました。
建設時期が他よりも早かったため、一直線に港を目指す名古屋港線。彼方には再開発で造られた観覧車。
東海道新幹線の高架と平行する名古屋港線の築堤。実際には逆で、1960年代に築堤と平行して高架橋が建設されました。
新幹線のすぐ隣、白鳥駅へ分岐していた廃線跡。南東の堀川沿いにある国際会議場などは貯木場の堀を埋めた場所で、八幡信号場で分かれた貨物線は堀に隣接する白鳥駅と北側にあった…
名古屋駅の南、中央本線から山王信号場で分かれる貨物線の名古屋港線。臨時のナゴヤ球場正門前駅跡を過ぎると築堤を上って東海道新幹線と平行して南下。車窓に映る小屋や片方外さ…
民営化後に40両以上も田端運転所に集中配置されていたEF65-1000番台。旅客用・貨物用・特急用、かつて種別があった時代に生まれたEF65-1103。
今も踏切が残る南亘り線に対して、踏切が撤去されて保線基地に変わった北亘り線の跡。周囲を線路に囲まれた静かな空間。
尾久客車区と田端操車場に挟まれた道路。DE10-1603が下町の斜め踏切へ。
出発を待つEF81-141。電気機関車が電気機関車に引かれて去って行く日。
わずかな客車の入換で常駐していたDE10-1697。台地が見下ろす田端の街。
塗装が剥げてしまったマヤ34-2004。旧型客車と軽量客車の構造が混在、試験用に中央にも台車があった高速軌道試験車。
彼方には霞むスカイツリー。客車の姿が激減した尾久客車区。入換がなくなって錆び付いた引上線のレール。
都心から工業地帯がなくなり、市街地になった埋立地。運河にかかる鉄橋だけは昔と同じまま。
市場に変わったもう一つの石炭埠頭。豊洲埠頭の先にも石炭埠頭があって、道路の両側とも石炭が積まれていました。道路に平行していた貨物線はここが末端。熊谷のセメント工場へ石…
石炭埠頭の先は右が倉庫街で左がプラント。今はゆりかもめが通る街へ変貌し、道路の左側に平行していた廃線跡もわからなくなりました。
火力発電所の跡に造られた学校。産業遺産として飾られている古典機。1886年製の403型は私鉄譲渡を繰り返して、今は埋立地のモニュメントに。
ガスの科学館があるのは石炭埠頭の跡で、両側に山積みされた石炭の中を貨物線が通っていました。今の公園からは廃線跡どころか、石炭埠頭の雰囲気すら感じられません。
再開発から取り残された岸壁。左のフェンスあたりが廃線跡で船に無蓋車を横付けしていましたが、利用率は低かったようです。左の建物部分にあった線路は左奥へ曲がって大きな倉庫…
晴海方面から分かれた豊洲方面の貨物線は今の豊洲公園で南に向かって大きく分岐。晴海方面よりも廃止が早く、右にあった石炭埠頭と左奥の岸壁に伸びていた線路は1980年代のうちに…
かつての雰囲気が残った最後の一角。晴海埠頭は大きく様変わりしました。
豊洲埠頭へ渡る道路橋建設で再開発が進み、廃止後も長く残っていた線路は消滅。晴海埠頭でかつての雰囲気が残っているのは、4棟のうち2棟が残った都営倉庫。現役の頃は右奥に向か…
晴海運河を渡るアーチ橋。常磐線の三河島駅近くで現役の鉄橋と同世代の意匠。元は灰色だったものが年月とともに錆色に変わっていきました。
都市の中を通る晴海通り。豊洲を縦貫する道路は周囲が造船所だった頃からの大通り。再開発前は目の前に晴海方面へ向かう貨物線の踏切がありました。工業地帯の中央に古い団地が並…
石川島播磨重工ビルの近くに置かれた機関車の動輪。新しさを感じる造形の割に外から動かすロッド式。名もなき産業機関車が今では木陰のベンチに。
歩道に埋められたレール。左奥へ伸びる道路が豊洲方面の廃線跡で、晴海方面への分岐はここよりも手前。造船所時代のドッグに向かって設置されたモニュメント。
隅田川から分かれた豊洲運河に残る橋脚。廃止後もしばらく残っていた鉄橋はいつしか姿を消しました。
国鉄民営化から間もない頃に廃止された東京都の線路。木々が廃線跡を覆うほどに流れた歳月。
変化する街の中で置き去りにされた線路。東京駅からわずか3kmあまりの道端。
京葉線が地下を通っているせいか、開発が進まなかった廃線跡。専用線が繋がっていたタンク施設はマンションに変貌。貨車入換用の引上げ線に挟まれていた豊洲方面への線路だけが取…
京葉線の地上出口が建設されたのは貨車の検修庫があった場所。貨物輸送があった頃の面影はほとんど見られなくなった住宅地。
汐見運河に浮かんでいた材木は姿を消し、貨車の姿もなくなってディーゼルカーが止まっているだけ。岸壁に面した越中島貨物駅の今。
今はもうやって来ないEF64-1027。勾配用の国鉄機が広く走り回っていた頃。
新小岩駅の横を通って機回しするEF65-2091。貨物列車の折り返しが続く街。
都心に残っていたディーゼル機関車の舞台。国鉄時代には北の大地にいたDE10-1704。
新小岩信号場の景色。待機していたDE10も今は懐かしく。
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番号が巨大化していたキハ182-7559。静かな昼間の函館駅で。
民営化後の速達輸送を支えたキハ182-2556。屋上タンクが国鉄らしい意匠。
札幌行特急「北斗」のキハ182-2555。速度種別で番号が細分化されていた北の特急形。
現番号のままだったキハ183-1507。 国鉄最後のダイヤ改正で登場した特急形ディーゼルカー183系500番台。1986年当時は都内へ延…
北の大地を離れずに過ごしたDE10-1738。函館本線と根室本線の分岐点にあった滝川機関区の出身で、石炭輸送を知っているディーゼル機関車。
夜の光に照らされたDD51-1142。函館の検修庫にいた現役時代。
ナンバープレートを外されたDD51-1142。僚機よりも一足早く離脱した北斗星色。
東武鉄道が蒸気機関車の運転で使う客車よりも早く旧型客車のような塗装を採用。北の大地に残ったスハフ14-507。
国鉄時代は札幌運転区の所属。民営化後に道内の寝台急行がなくなって函館運転所、さらに旭川運転所へ。急行列車がなくなった頃、再び函館駅へとやってきたオハ14-526。
有蓋車の代用で蒸気機関車の部品を運んだ長物車チキ6366。コンテナ車から長物車に改造された後、再びコンテナを積む事になっ…
イベント用で残っていた車掌車ヨ4647。展望デッキのような使われ方をしていた黒い二軸車。
函館駅のオハ14-519。特急電車に似た車体構造の客車は流転の末に旧型客車の塗装で。
寝台急行「はまなす」廃止で廃車が進んだ中、それよりも前に蒸気機関車運転用に改造されて残ったスハフ14-505。函館駅に止まるあずき色。
旧型客車淘汰と鉄道縮小の狭間に生まれた普通列車用50系の北海道仕様51形客車。ディーゼルカーに改造される車両が多い中…
広大な北の鉄路に砂利散布を続けてきたホッパ車ホキ881。古き伝統を感じさせる黒い貨車。
函館駅に隣接する函館運転所はいつしか運輸所に名を変えて。電車・気動車・客車・貨車が詰め込まれた港町。
対岸の青森駅と同様に連絡船が保存された函館駅。函館山が見下ろす、もう使われていない岸壁の摩周丸。
あおなみ線はさらに南、廃線跡ではない新規の用地を通って金城埠頭へ。工業地帯の中、貨物列車が通らない高架橋。
野跡駅から南へ向かう高架橋。北側は高度成長期の頃から団地でしたが、駅が出来たのは半世紀も後の事。ここから南側は再び工業地帯の様相で、西名古屋港駅から分かれた貨物線はこの辺りで道路…
西名古屋港駅跡を離れたあおなみ線はさらに先へ。稲永東公園の南側にある入江の築堤は西名古屋港駅から西へ分かれていた貨物線の跡で、車両基地への分岐点から先の高架橋もここまでと同じく廃…
坂城駅を出発した貨物列車と入れ替わりでやって来たEH200-14。重量物は横川・軽井沢間を通れなかったため、国鉄時代から中央本線を迂回する経路で多くの貨物列車が運転されてきまし…
緑を背に走るEH200-8。EF62が急坂を踏破して来た信州路、今は矩形の大型機。
道路沿いに残る古レールの強固な防護柵。対策していたものの斜面の崩落が続いたため、山を迂回していた旧線は廃止。道路の整備で跡はほとんど残っていませんが、藤の花が被さった…
築堤上の115系。坂城駅を出た信越本線は千曲川沿いに山を迂回していましたが、1960年代に横川・軽井沢間の新線切り替えに続いて、坂城駅周辺でもトンネルで抜ける新線が造られま…
小型機関車が荷役線から着発線へタンク車を移動。各地にあった駅横の石油基地が消えていく中、山裾の坂城駅では貨物列車の姿が残っています。
横川・軽井沢間では坂の下側でEF63と連結していた動力付きの先頭車クモハ169-1。様々な国鉄の電車でライトをシールドビーム化…
坂城駅横の貨物側線跡で保存されている直流急行型169系。165系8両をEF63で押し上げていた信越本線の急行は、1968年からEF63と協調運転可能…
古レールが支える屋根。ホームは嵩上げされましたが、駅にはかつての情景が残されています。
貨物列車が発車を待つ坂城駅。千曲川沿いの宿場町にある駅で、旅客と貨物を扱う一般駅として残りました。
久喜駅の北側には再利用されなかった側線跡。中央から左に合流するのは東鷲宮駅に続く連絡線で、東武鉄道に貨物輸送があった頃は東北本線ではなく東武鉄道の側線に繋がっていまし…
都心を離れて、新幹線の高架下で並ぶ半蔵門線。久喜駅の一コマ。
引上線には半蔵門線のトップナンバー。車体裾が下に長い初期型のため、奥に見える10両化で増結した中間車と側面が違って見えます。
東急車もやってくる久喜駅。銀色の車体を輝かせていた8500系。
特急「りょうもう」が久喜駅を出発。乗り換えに対応して久喜駅でも特急が止まるようになりました。
地下鉄乗り入れの急行に合わせてやってくる区間運転の普通電車。世代交代が進み、本線系統はステンレス車のみになりました。
南側から到着した地下鉄車はそのまま北側へ。電車が走るのは貨物列車の受け渡しが行われていた側線だった場所。
複数の支線に分かれていく東武鉄道ですが、今は全て館林行。区間運転の乗り継ぎが基本になりました。
館林駅から来た電車は南側の引上線へ。地下鉄半蔵門線乗り入れで運転系統が分断され、ほとんどが久喜駅で折り返すようになりました。
ホーム2本が並ぶ東武鉄道の久喜駅。外側が地下鉄直通の発着、内側が館林方面の発着。元は奥の石積みホーム1本の中間駅で、手前にあったのは5本の貨物側線。国鉄の番線と連番にな…
新幹線の下、久喜駅で東北本線と並ぶ東武伊勢崎線。東武鉄道開業以来の連絡駅で、貨物輸送廃止後に地下鉄折返しで活用されるようになりました。