レールが跨線橋を支える春日部駅。東武鉄道の要衝として歩んできた、長い歳月。
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
1件〜100件
レールが跨線橋を支える春日部駅。東武鉄道の要衝として歩んできた、長い歳月。
DE10が何度も通った道。越中島貨物駅の東にある運河。ここから北側は埋め立てられて陸地になっていますが、その先は埋められずに残った錦糸町駅の東を通る横十間川で、押上の北十…
役目を変えて残った越中島貨物駅。レール輸送の基地から段々と消えてゆく、黒い長物車。
数多の貨物列車が過去の物となって、レール輸送の長物車が通るだけの線路。ディーゼルカーの導入で消えゆく最後の灯。
町工場が消えて、宅地化が進んだ下町。時代から取り残された築堤の非電化区間。
何度も見てきた街。何度も見てきた線路。試験車両がやってきた日。ディーゼルカー投入に向けて、長い間止まっていた時代が動き始めた瞬間。
京葉道路の上を通るDE10-1751。レール輸送がディーゼルカーに代わって、段々と見られなくなる姿。
錆び付いた長い鉄橋を抜けて。ディーゼル機関車DE10-1685が都心の隅を。
都会を走る2軸車チ1111+チ1160。部品が外されて、上面に何もない状態。静かに姿を消してゆく貨車。
DE10-1751が長物車を引いて。何度も繰り返されてきた、新小岩駅での光景。
新小岩信号場に止まるチキ5307。車掌室の乗り心地を改善するため、コンテナ緩急車コキフ50000にコキ10000から空気バネ台車を…
新小岩信号場に止まるチキ5316。コキ5500を従来型の長物車に合わせて改造したチキ6000に比べて、レール輸送用で改造箇所が少…
コキ10000の車体を切りついで短縮した長物車チキ5232。国鉄とともに消滅した高速貨車10000系の系譜。
何も載せない貨車となったチ1074。1両のチキ6000でレールを運ぶ際に連結距離を稼ぐ遊車で使われていました。都心の鉄道では貴重な存在だった…
新小岩信号場に止まるチキ6155。レール輸送では2両編成が多いですが、1両のチキ6000をチ1000で挟む編成も少数存在。所属表記…
新小岩信号場に止まるチキ6181。汎用長物車としての用途は民営化後になくなり、側面の突起に柱を立てて木材などを積み上げる…
新小岩駅の横を通過するロングレール用長物車チキ5901。半世紀を生き抜いた、初期のコンテナ車コキ5500の末裔。
段々と姿を消す国鉄機。代わりにやって来たEF210-162が引上線へ。本線との間にある錆びた手すりは新小岩操車場があった頃のまま。
グラウンドとなった再開発用地の横で出発を待つEF65-2088。折り返しで成り立っている、今では珍しくなった都内の信号場。
機回しのため、新小岩駅の横までやってきたDE10-1571。西端にある新小岩駅から新小岩信号場の東側まで約1kmもあります。
DE10-1654を横目に走り去るDE10-1752。縮小された施設。それでも閑散としている施設。
EF65-2066と向き合うDE10-1752。国鉄の機関車が並んだ新小岩信号場。
錦糸町駅の電留線には東京始発の電車が待機。
特急「しおさい」は総武本線の終点まで。急行から始まった電化後の優等列車、格上げで生まれた近距離特急の系譜。
埋め立てられずに残された横十間川。 都内の写真が多かったのも、錦糸町へ通っていたためでした。ひとつひとつ写真の日付を見るたびに、その日の事を思い出します。
子供の頃に通っていた秋葉原〜御茶ノ水界隈とともに、大人になってから長く見てきた錦糸町の街。 御茶ノ水駅の対岸に住んでいた親戚夫妻は叔父様が亡くなられた後にお一人で錦…
街を離れて広い烏川の河川敷へ。烏川から分かれる碓氷川は信越本線に沿っていて、横川駅の向こうで見かけた川も烏川へ繋がる利根川水系。 軽便鉄道の上野(こうずけ)鉄道は100…
郊外の森を抜けて。107系の整備ではワンマン化や連結器周りの交換・撤去とともに、西武車と同じく地元スポンサーに合わせた塗装への変更が行われています。
新幹線の下、走り出す2両編成。
新幹線建設の頃に造られた佐野信号所。貨物輸送が旺盛だった時代のものですが、現在も活用されており、地方私鉄で交換設備はかなり珍しいです。
107系とともに主力の西武車。のどかな郊外の小私鉄。
南高崎駅の近く、線路脇に積まれたレール。側線を撤去した際のポイント部品が、もう長い間そのままで。
高崎駅から約1kmの南高崎駅。市街地から離れた住宅街の小さな駅ですが、かつては左側にチチブセメントの側線があり、頻繁に貨物列車が発着していました。他の地方私鉄と同じく…
車両区の隅に止められた電気機関車デキ1とED31-6。国鉄が激変を遂げた隣で、貨物輸送の歴史を見守って来た古典機。
国鉄から乗り入れた貨車に混じってセメント袋を運んでいた私有有蓋車テム1。鉄のテやスチールのスで表現されていた鉄製有蓋車は水を嫌うセメント用で、上信電鉄でも保有していま…
高崎線を挟んで、かつての高崎客車区と並ぶ車両区。国鉄通勤電車で見慣れた円形の通風器が非冷房の在来車に残っていました。
装いを変えた107系が目立つ車両区。地方私鉄でも冷房車が主流となった現代。
国鉄時代から高崎駅の隅を間借りする形だった上信電鉄。0番線に止まるのは、かつて上越線で見た107系。
車両区に並ぶ電車の横、高崎駅を出発する電車。転属してきた中古車へ世代交代が進む上信電鉄。
閑散とした高麗川駅。草に埋もれた線路だけはそのままで。
街も鉄道も変わって来た高炉の町で。変わらずに続く、遮るものがない空の下。
高麗川駅を出発し、排煙を噴き上げて加速するキハ111+キハ112。架線は電車の入換用で、電化区間はこの部分のみ。群馬県へと続く、非電化区間の旅路。
専用線は日本セメントの工場を通り抜けて、そのまま北側へ。残っているのは工場近くの築堤だけで、この先は築堤も撤去。道路用地と原野がさらに北の東武越生線まで続いています。…
近代的な踏切が使われていた専用線。石灰石搬入が終了した後もセメント出荷が続いていた線路。向こうの高炉は当時のまま。
レールが埋め込まれた遊歩道。関東平野の西端。飯能の山々を見ながら。
遠くの煙突に向かって伸びていた専用線。撤去されたレールが舗装の両脇に転用されている遊歩道。
向こうで鳴り響く八高線の踏切。もう動かない専用線の踏切。
藪に埋もれた廃線跡。隣の川越線と八高線から見えないよう、横向きにしたまま残されている信号。
周囲を分断されながら残ったポイント。高麗川駅から北東の日本セメントへ伸びていた専用線の入り口。
電留線用に移設された車止め。ポイントと接していて入換は出来ず、ただ車止めを1個で済ませるために残されたポイント。
引上げ線の末端に残る距離と停止の標識。DD51が走り回っていたのは、もうずっと昔の事。
分断された南側の引上げ線。八高線の隣に残る、錆びたレール。
高度成長期を支えていた高麗川駅。貨物列車の入換がなくなって久しく、八高線だけでは幅が広すぎる陸橋の下。
川越線に沿って伸びていた北側の引上げ線。既にどこにも繋がっていない、埋もれた線路。
通るものが無くなって、草に埋もれてしまった引上げ線。電車の世代が変わっていく隣で、止まったままの時間。
かつては7本もの側線が並んでいた高麗川駅。秩父鉄道と青梅線から石灰石列車が到着し、首都圏各地へセメント列車が出発。いまはもう、草に覆われてしまった線路。
多くの路線で電化が進んだ一方、非電化で残った八高線北部。来てはすぐに折り返す、高麗川駅のキハ111+キハ112。
高麗川駅で入換中の電車。八高線電化後も別系統となっていた川越線でしたが、直通運転が多くなり、高麗川駅で待機する電車の姿はあまり見られなくなりました。
ホームに挟まれた川越線。混雑の激しかった川越駅では貨物側線用地を活用し、電化の際にホームを増設。中央は高麗川方面の区間運転用、両側は埼京線直通用。電化で運転系統が分断…
単線のまま通勤電車が走る川越線。単線で続いて来た通勤路線に変化は訪れるのでしょうか。
木々に囲まれて、山のような一場面のトンネル。当初は小さな山だったのかもしれませんが、上は削られて国道交差点に。隣接する東武東上線にトンネルはなく、国道は東上線を陸橋で…
川越駅の手前でトンネルをくぐる川越線。埼玉県内には山間部の鉄道トンネルが元から少なく、特に平野部では珍しい存在でした。
埼京線の基地として国鉄末期に新設された川越電車区。民営化間もなく205系に置き換わったため、10両編成の103系は早くから姿を消していました。
荒川を渡る川越線。非電化時代から使われてきた単線の鉄橋ですが、河川改修とともに消える運命。平行して新線を造る計画がありますが、複線用の鉄橋を希望する地元と話はまとまら…
確かに駅だった事を示す幅の広い架線柱。南大塚駅から分かれていた安比奈線の終着駅。砂利を出荷していた安比奈駅には、もう何もありません。
人の手を離れた自然の中へ。道なき道となった、かつての貨物線。
向きを変えた安比奈線は河川敷へ。支えのないレールは土砂で変形した状態。終点まで、あと少し。
入間川が近づき、架線柱も枕木もない線路は雑木林へ。それでも直進し続ける安比奈線。
枕木は朽ちて、宙に浮いたレール。砂利を運ばなくなって休止となっている間に、貨物輸送が消えてしまった私鉄。
当初から警報機もなかった、郊外の踏切。宅地が点在していて車両基地の用地はなく、新宿線の輸送形態でも必要性が薄かった再利用計画。誰からも忘れられつつある安比奈線。
畑の中に埋もれた築堤を繋ぐガード橋。小さすぎて目立たない小川は都内の隅田川へ至る新河岸川。大都会の喧騒とは無縁の緑の中、使われていない線路。
国道の北側にある住宅地。良く見なければわからない、道路に埋まってしまった踏切。時が止まっている安比奈線。
駅を離れると木々が目立ち始める、かつての貨物線。架線柱も枕木もなく、錆びたレールだけが土に乗ったまま。
国道の踏切は埋め込まれて、警報機も撤去。大通りを横切るハードルは高く、再利用計画が霞んでいく安比奈線。
傷んだ架線柱。途切れた架線。土に還った枕木。運行休止とは名ばかりで、既に使えない安比奈線。この場所も撤去が進み、実態は廃線状態となっています。
本線から離れた地面に埋まっている踏切。南大塚駅周辺が整備された際、安比奈線再利用の計画が浮上。新しい路盤が新設されたものの、結局どこにも繋がらないままになっています。
駅横に側線跡が残る南大塚駅。鉄道新設が多かった昭和中期まで各地の河川敷では砂利採取が行われており、南大塚駅でも近くの入間川から貨物線で砂利輸送が存在。運行終了後も…
有料特急も運転されている西武新宿線。複線最後の踏切。片方は何も通った事がない、安全側線の終端。
次々とやってくる電車はポイントを渡って単線に。あっても使われる事がない、線路の横で。
ポイントから少し先まで続く複線の終点部分。列車交換する単線駅と違って複線運転の終端のため、長めの安全側線が設置されています。
上を跨ぐ東武東上線と川越線の改築が必要なため、新宿線は終点の本川越駅手前のみ複線化されないまま。今日も単線で出入りが続く、市街地の終点。
川越駅と川越市駅を結ぶ通りを横切る西武新宿線。 後に新宿線となる川越鉄道が西武鉄道となり、戦後に池袋線となる武蔵野鉄道と合併した会社が現在の西武鉄道。明治時代から続…
長い間続いて来た、黄色い電車の発着。先頭のパンタグラフがいかにも私鉄らしい、西武新宿線。
西武新宿線の終点・本川越駅。川越駅の北側でずれた位置関係に見えますが、実際には1895年に川越鉄道として開業した最も古い川越の駅。
長旅を終えたEH500に混じって置かれた車掌車ヨ8753。赤と青に囲まれて、不思議と目立つ小さな黒い車体。
黙々と進む入換作業。東北本線を駆ける青いコンテナが発着する盛岡貨物ターミナル駅。
盛岡客貨車区で救援車代用となっていたスユニ50-2018。検修庫の新築で居場所を追われた、国鉄時代を偲ばせる青い客車。
盛岡駅北側を走るEH500-11。上を通る東北新幹線の高架橋は、延伸されるまでこの先の車両基地横で途切れていました。
蒸気機関車用に整備された建屋の隣で、少しずつ進む整地作業。国鉄末期は出入口すらなかった駅の裏側で、掘り起こされた枕木。
旧型客車が無くなってからも、50系客車と12系客車をED75が引いていた普通列車。同じ場所に止まっているのは、短いステンレス車体の電車。電気機関車も客車も、もう存在しない盛岡…
特急電車と寝台客車の発着に加えて、貨車の入換で賑わっていた盛岡駅。新設された駅西口周辺は発展したものの、本線と雫石川の河川敷に挟まれた南側は荒地のまま。民営化後も引き…
市街地を北に抜けた場所にある川越市駅。森林公園駅と並ぶ東上線の拠点で、車両基地も併設。近くにある西武鉄道の本川越駅との乗り換えで多くの人々が行き交っています。
川越駅を出発する東武東上線。開通当初の東上鉄道は次の川越市駅が終点で、遅れて手前に川越駅が開業しました。元から市街地に近く、後から国鉄川越線が開通し、小さめの駅ながら…
水がない川を渡る東上線。新河岸川から分かれる不老川は狭山湖の北を通って東京都との県境まで続く長い川ですが、季節によって水が無くなり、砂利がむき出しになります。
薔薇が咲いた小道と並ぶ電車。湾岸からやってきた地下鉄は草木が点在する郊外へ。
複々線は志木駅まで。川越の街に近づくと、開発から残された緑が点々と周辺に見られる東上線。
武蔵野線と交差する朝霞台駅に止まる東急車。 駅が出来たのは武蔵野線北朝霞駅開業から1年以上経った1974年。国鉄が武蔵野線を開業させた当初は東武鉄道の乗換駅が一つもなく…
宅地化が進む中、残された地面。この先、東京の地下を縦断して湾岸を目指す地下鉄の電車。
地下鉄有楽町線は和光市駅で東上線に合流して北上。坂道が築堤と掘割の繋ぐ、緩やかな丘陵地帯。
池袋駅を出た東武東上線は新河岸川と平行して埼玉県へ。開けた場所が多くなる郊外。
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レールが跨線橋を支える春日部駅。東武鉄道の要衝として歩んできた、長い歳月。
DE10が何度も通った道。越中島貨物駅の東にある運河。ここから北側は埋め立てられて陸地になっていますが、その先は埋められずに残った錦糸町駅の東を通る横十間川で、押上の北十…
役目を変えて残った越中島貨物駅。レール輸送の基地から段々と消えてゆく、黒い長物車。
数多の貨物列車が過去の物となって、レール輸送の長物車が通るだけの線路。ディーゼルカーの導入で消えゆく最後の灯。
町工場が消えて、宅地化が進んだ下町。時代から取り残された築堤の非電化区間。
何度も見てきた街。何度も見てきた線路。試験車両がやってきた日。ディーゼルカー投入に向けて、長い間止まっていた時代が動き始めた瞬間。
京葉道路の上を通るDE10-1751。レール輸送がディーゼルカーに代わって、段々と見られなくなる姿。
錆び付いた長い鉄橋を抜けて。ディーゼル機関車DE10-1685が都心の隅を。
都会を走る2軸車チ1111+チ1160。部品が外されて、上面に何もない状態。静かに姿を消してゆく貨車。
DE10-1751が長物車を引いて。何度も繰り返されてきた、新小岩駅での光景。
新小岩信号場に止まるチキ5307。車掌室の乗り心地を改善するため、コンテナ緩急車コキフ50000にコキ10000から空気バネ台車を…
新小岩信号場に止まるチキ5316。コキ5500を従来型の長物車に合わせて改造したチキ6000に比べて、レール輸送用で改造箇所が少…
コキ10000の車体を切りついで短縮した長物車チキ5232。国鉄とともに消滅した高速貨車10000系の系譜。
何も載せない貨車となったチ1074。1両のチキ6000でレールを運ぶ際に連結距離を稼ぐ遊車で使われていました。都心の鉄道では貴重な存在だった…
新小岩信号場に止まるチキ6155。レール輸送では2両編成が多いですが、1両のチキ6000をチ1000で挟む編成も少数存在。所属表記…
新小岩信号場に止まるチキ6181。汎用長物車としての用途は民営化後になくなり、側面の突起に柱を立てて木材などを積み上げる…
新小岩駅の横を通過するロングレール用長物車チキ5901。半世紀を生き抜いた、初期のコンテナ車コキ5500の末裔。
段々と姿を消す国鉄機。代わりにやって来たEF210-162が引上線へ。本線との間にある錆びた手すりは新小岩操車場があった頃のまま。
グラウンドとなった再開発用地の横で出発を待つEF65-2088。折り返しで成り立っている、今では珍しくなった都内の信号場。
機回しのため、新小岩駅の横までやってきたDE10-1571。西端にある新小岩駅から新小岩信号場の東側まで約1kmもあります。
浅草方面・押上方面の分岐点に変わった曳舟駅。駅の片隅に亀戸線が到着。創成期の短期間に本線だった亀戸線ですが、2両編成のみで直通運転もなく、曳舟駅へ来てはすぐに折り返し…
入り組んだ高架橋を通る区間急行。業平橋駅からシンプルな複線で坂を上っていたのは昔。業平橋駅の端に位置する押上駅から地上へ出る線路が新設されて、大きく変わった曳舟駅。
地下鉄半蔵門線の押上駅ではホーム外側2本が東武伊勢崎線直通用で、内側2本は折り返し用。住吉駅に有楽町線への延伸計画があったように、押上駅も千葉県北部への延伸計画が存在。…
6+4両となっている伊勢崎線用30000系。東上線用は10両固定なので、運転台が向き合うのは少数派の伊勢崎線用のみ。固定編成ばかりとなった地下鉄では珍しくなった、貫通路で繋がっ…
新しいホームドア、両側には一時代前のステンレス車体。
割と新しい押上駅。止まっているのは半蔵門線とともに生まれた東急8500系。
彼方から轟音が響く単線シールド。東武伊勢崎線への直通用に延伸された半蔵門線。
石炭産業が終焉し、交替で始まった蒸気機関車の保存運転。北海道の鉄道とともに生まれ、100年の歳月を歩んだ幌内駅。
幌内駅の先へ続く線路。民営化直後に幌内線が廃止されるまで、石炭車が通っていたガード橋。
炭鉱の駅で保存されている石炭車セキ6657。 セキ6000は代表的な石炭車セキ3000を台車改造したタイプ。元は道外で幹線を通…
整備されて綺麗になった有蓋車ワム66172。1961年から製造されたプレス構造と全溶接のワム60000。1962年には17t積に…
90年前の三等荷物合造車オハニ30から改造された救援車スエ30-41。戦前の旧型客車は木造から鋼製車体へ、17mから20mへ、明かり窓のあるダブ…
操重車ソ81と随伴用長物車チキ6147。 操重車は資材を積んだ客車改造の救援車と組んで列車事故の復旧に備えていました。65t対応のソ80は代表的な操重車…
北国のラッセル除雪車キ274。蒸気機関車の時代が終わった後もディーゼル機関車の後押しで活用されていました。
国鉄末期に登場した郵便荷物合造車スユニ50-505。 客車急行に併結する旧型荷物車が老朽化したため、新製荷物車マニ50…
原色で残る急行型気動車キハ56-16。まだ東海道新幹線も開通していない1961年から急行で使われた北海道用2機関型の初期型。北海道では最…
原色で残る急行型気動車キハ27-23。 本州のキハ58よりも早い1960年から製造開始の北海道用1機関型。最盛期には10両以上の長編成で急行…
特急型気動車の食堂車キシ80-31を再利用した軽食堂。
一般形気動車キハ20系の寒冷地型キハ22。1958年から300両以上製造された一大勢力で、北海道全域で見られました。後継車の登場よりも多数の…
近代化に翻弄された電気機関車ED76-505。 炭鉱の多い空知地方から港湾への石炭輸送近代化のため、重量貨物対応の重連仕様と客車暖房用の蒸気発生装置を…