プロフィールPROFILE
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
367回 / 365日(平均7.0回/週)
ブログ村参加:2016/02/01
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1件〜30件
新小岩駅の脇で折り返すDE10-1571。都内で細々と続く日常。
夜に大宮駅を出発してから37時間40分後に戻って来ていたスシ24-504。電車に生まれ、客車時代の最後を飾った食堂車。
飾られたテーブルセット。営業前のひととき。
走行中も静かな食堂室。電車などと違って、客車ならではの静寂。
スシ24-504の通路。調理室を避けて片側を通る構造は食堂車の伝統でした。
特急電車の食堂車では両端部に回送運転台がありました。反対側は業務用室の中でしたが、こちらは正面の壁にある段の中に埋め込まれた状態。客車に改造された際、窓なども埋め込ま…
反対の連結面では通路が改装されていました。貫通路の正面には調理室の出入口があり、通路は調理室を避ける形。かつて途中駅で資材を搬入する際には、業務用の外吊扉から左下のシ…
側面に客用の扉がない食堂車では、入口はいつもここから。貫通路と食堂の間には、左に倉庫、右に業務用室。食堂の扉以外は、国鉄車の雰囲気が残るスシ24の小さな空間。
特急電車から寝台客車へ姿を変えたスシ24-501。九州方面で20系から24系25型への変更によって不足する食堂車にオシ14が編入されたり、オ…
コキ100系のような構造で造られた長物車チキ5400。はるか遠く、北九州の製鉄所からやって来ました。
貨車の種類も減り、見た目も規格化された今、目を引く存在になったステンレス無垢のタンク車。たった1両だけの試作車タキ143645。
少し色あせたトップナンバー。冬場の需要を支える裏方。
タキ1200と一緒に使われているトキ25000。国鉄車を引き継いだ無蓋車の日常。
遠く小名浜で見かけたタキ1200が夕刻に。貴重な存在となった石油以外のタンク車。
早朝の駅を人知れず通っているホキ10011。オイルショック後にセメント工場で石油に代わって利用されるようになった石炭…
統一感のない凸凹の中央に陣取った大物車シキ801。EF65が速度を抑えて引いていく黒い車列は、騒音も少なく、滑るように過ぎ去…
三笠駅跡のすぐ近くまで雑木林が迫っており、保存編成の反対側にあるキハ80-37は今にも森に埋もれそうになっています。 かつて人が石炭…
三笠駅跡の近くに工業用の機関車が保管されていました。割と新しいものなので、炭鉱とは関係なさそうです。 どちらかと言うと、向こうに転がっている蒸気機関車の動輪が気にな…
キハ80系では付随食堂車キサシ80が造られましたが、気動車では機関数がそのまま性能に直結するため、重装備のキハ80系は軽快な急行型より…
三笠駅跡で編成に組み込まれたまま残るキロ80-52。優等列車の栄華を今に伝えています。
東北本線特急「はつかり」用キハ81登場の翌1962年に全国展開したキハ82。北海道初の特急「おおぞら」として青函航路連絡を担い、現在の…
三笠駅跡に佇むホキ2341。主に港の食糧倉庫から製粉工場へ輸入小麦を運んでいたホキ2200は関東でも馴染みの貨車でしたが、現存車はほんの僅かになりました…
ちょうど60年前に造られたホキ746。線路内に砂利散布可能なホキ800は今も現役で残りますが、直前に少数製造されたホキ700は外側しか散布出来ないタイプ。 人影もまばらな北…
風光明媚な三笠駅跡。秋の北海道では様々な色が溢れています。
紅葉の始まった北の高原で。色付いた木々に映えるキハ82系。幌内線では置き去りにする形で保存車が並べられており、編成保存…
三笠の街から幾春別川を渡った街はずれにあった三笠駅。鉄道黎明期の1882年に開業した古い駅で、幌内駅へ向かう貨物線の分岐点。2番線にDD51-548が貨物列車を…
岩見沢駅から函館本線は北へ曲がりますが、運炭路線として先に開通した幌内線は直進。岩見沢駅からほぼ東北東へ約6km進んだ場所に幌内線の萱野駅が残ります。廃止3ヶ月前の…
木陰に伸びる砂利敷き。コンクリートで固められた橋台にはもう使われる事のない小さなガード橋。岩見沢駅から南東の山裾へ向かっていた幌内線の落とし物。
広い青空の下。岩見沢第一機関区の検修庫を背に止まるDE15-1542。石炭輸送のあった頃が想像もつかない静かな駅で。
ホーム屋根を支える古レールに残された1919年の刻印。今からちょうど100年前のレールが支えていた御茶ノ水駅。工事が終わって綺麗な駅になった時、ここにはもうこの柱はなくなっ…