専用線がなくなって、貨物駅だけが残された北館林荷扱所。東武鉄道で最後の貨物輸送があった拠点に並ぶ、行き場を無くした電車。
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
本年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い致します。
柵で塞がれて、警報機は錆び付いて、線路だけは残っている踏切。バイパス道路の立体交差が造られるまで、交通量が多かった古き大通り。この道路は西へ進むと沼垂駅の北に繋がっています。
藪に覆われている線路。開店休業を通り越して、荒廃してしまった貨物線。
立体交差を渡るコンクリート橋。バイパス道路が造られた際に貨物線をくぐる大工事が行われましたが、東新潟港駅への貨物列車は無くなってしまいました。
新潟地区の路線改良が進んだ際に架けられた通船川橋梁。船の衝突防止で設置された警戒色の梁が珍しいですが、古くは東の阿賀野川と西の信濃川を結ぶ運河。川を埋め尽くしていた原木は姿を消し…
有蓋車に代わって使われていたコンテナ車コキ53345。ひとつひとつ消えていった国鉄の世代。
専用線の廃止後に設置されたフェンス。草に埋もれた線路がフェンスの下に残されたまま。
北へ続く線路。左へ分かれた先に新設された倉庫が今の荷主。右の藪もかつての専用線でした。
駅から左右に複数の専用線が分かれていた焼島駅。敷地内に所々残された、分断された線路。
工場に囲まれた焼島駅。西側の北越製紙に対して、東側は高度成長期に田園地帯が工場に変わった場所です。
上沼垂信号場から北東へ。1924年に開通した山之下駅へ向かう貨物線。途中の焼島駅まで旅客営業があったものの、戦時中に貨物線として再編され、地名を採用していた山之下駅は東新…
岸壁の倉庫。綺麗に舗装されていますが、かつては倉庫寄りに線路が敷かれていました。今は静かな倉庫街。
交差点の先は港。幅広い歩道部分もかつての廃線跡。様々な形の倉庫だけは昔のまま。
度重なる再開発で多くの廃線跡が消えていく中、かつての雰囲気を残していた倉庫。植え込みが岸壁へ向かう廃線跡で、平行して有蓋車を止めていた線路が張り出した屋根の下にありました。
沼垂駅の端から北、新潟港駅へ貨物線は伸びていました。港湾局の交差点は線路が枝分かれしていた部分で、倉庫がある正面の道路両側の他、右の道路沿いと左の岸壁へ。 左に分か…
沼垂駅の北に残る錆びたタンク。当初はタンクの左横へ専用線が伸びていましたが、1960年代に残っていた入江を埋め立てて沼垂駅が拡張された際に撤去。その後、ここから南側に新し…
深い草に覆われた沼垂駅の北端。今も残っているのはタンク車の留置線と再開発時に東寄りへ移された着発線。
沼垂駅の西、右は再開発用地に造られた学校、左の細い緑地はかつて新潟駅へ向かっていた信越本線の跡。1897年の開通当初、信越本線は南から海に向かって直進する形の沼垂駅が終点…
石油施設へ向かう踏切跡。石油輸送のために残された沼垂駅でしたが、施設が遊休状態で貨物列車はなくなってしまいました。
架線までそのまま残っている沼垂駅。 元は行き止まり型のコンテナホームを持つ巨大な貨物駅でしたが、長距離列車が途中で荷役する場合だと出入りに時間がかかるため、貨物扱い…
現役当時と変わらないまま残された小さな踏切。ここはもう沼垂駅。
住宅地が途切れて。広がり始める港町の広い空。
レールの下にあったはずの枕木は土に還り、踏切に転用した古枕木も砕け散り。置き去りにされてから長い歳月が経っていました。
枯れた蔦に覆われた架線柱。埋められてしまった水路跡を越えるガード橋。何もかもが時代に取り残されている、かつての信越本線。
信越本線電化完成は新潟駅移転後の1962年、それから2年後に電化された貨物線。関東地方から補機を連ねて山を越えたEF15などの旧型電機が通っていた道。今はもう途切れ途切れの静…
旅客列車が通らなくなった後、貨物輸送の主要ルートとして残った線路。もはや必要がなくなった陸橋の向こう、少しずつ進んでいる撤去工事。
鋼材は外されたものの、架線柱と線路はそのまま。市街地の東を直進する廃線跡。
上沼垂信号場から北へ。使われなくなって久しいガード橋。新潟駅へ向かう信越本線が西へ曲がるのに対して、沼垂駅へ向かう貨物線は北へ。新潟駅移転に合わせて1958年に経路が切り…
在来線と新幹線回送線に挟まれた場所。再開発前は貨物駅の上沼垂駅だった場所で、民営化直前に貨物扱いが廃止されて、在来線の分岐点のみ上沼垂信号場として残りました。
白新線複線化に合わせて信越本線と分離運転出来るように立体交差化した際、白新線の高架橋に新潟運転所からの線路も合流可能な構造に。利用率が低く、ガード橋は旺盛な緑に埋もれ…
信越本線から分かれて白新線に向かう南側の連絡線。旅客列車は直進して新潟駅へ向かうため、ここで曲がるのは貨物列車のみ。三角線の中に造られた新潟運転所よりも連絡線の方が草…
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専用線がなくなって、貨物駅だけが残された北館林荷扱所。東武鉄道で最後の貨物輸送があった拠点に並ぶ、行き場を無くした電車。
佐野線の渡瀬駅近く、1972年に開業した北館林荷扱所。私鉄の貨物駅新設は珍しく、工業団地建設に合わせて開業して、右の食品工場からの出荷に対応していました。
群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。
館林駅から東へ分かれて行く佐野線。葛生の石灰石を国鉄の佐野駅まで運んでいた佐野鉄道が東武鉄道と合併し、その後に館林・佐野間が開通して今の佐野線に。東武鉄道での貨物輸送…
館林駅から西へ分かれて行く小泉線。館林・小泉町間の中原鉄道として開通し、東武鉄道合併後に戦時輸送で小泉町・西小泉間と東小泉・太田間が造られて二又の支線に。西小泉駅の先…
館林駅の北側、伊勢崎線沿いにある車両基地。細長い用地にあり、電車は縦列で停車。連結器があれば繋がっているくらい間近に止められています。
館林駅北にある踏切。駅の変遷と密接に関わっていて、駅西側が再開発されて新しい道路が開通するまで、駅の両側を結ぶ主要道路でした。今は自動車禁止になり、ランプも×印が…
先頭車のパンタグラフが特徴的な3両編成。伊勢崎線は逆走しているのではなく、館林駅から北側が単線区間。右は分かれていく佐野線です。
館林駅に隣接する新しい食品プラント。かつてのサイロは姿を消し、港からやってきたホッパ車も見られなくなりました。
館林駅に残る側線。駅の北に車両基地、南に小さな工場があり、その間に位置する電留線のようになっていますが、かつては貨物列車が並んでいた線路。隣接して食品工場の倉庫とサイ…
浅草行の特急電車。伊勢崎線の特急は太田止まり以外ほとんどが赤城行で、群馬県東部の連絡に主軸を置いています。
ホーム端の切り欠きホームが特徴の館林駅。運転系統が南北で分断されており、特急電車以外のほとんどが始発になっています。
2両編成の8000系が特急電車と並ぶ館林駅。伊勢崎線から東へ佐野線、西へ小泉線が分かれる分岐点。利根川と渡良瀬川に挟まれた沼が多い城下町。東へ細長く飛び出た群馬県が栃木県…
かつての工場は花咲く丘に変わり、貨車の向こうには霞む浅間隠山。草津温泉への道中でしたが、西にも道路が開通して静かになってしまった六合村。
従来の15t積から17t積に拡大した大柄な2軸有蓋車。17000両以上も造られた黒い貨車のトップナンバーは保存施設入口のシンボルに。
太子駅の上、工場跡地の丘で保存されている有蓋車ワラ1。国鉄を代表する2軸貨車は標高700mの山間部。ここまで風光明媚な場所で保存されている貨車は珍しい存在です。
京都市で保存されていた車掌車ヨ6720。小柄なヨ6000はホッパーのある山の貨物列車によく合います。
茨城交通の無蓋車トラ15。国鉄トラ55000に似たタイプで、元は東武鉄道が杉戸工場で自作した17t積無蓋車。保存されている無蓋車の中では近代的な貨車で、海に近い車庫から山へとや…
綺麗に補修された無蓋車ハト37・ハト152。遠く九州の大牟田駅東側、三井専用鉄道の隅に止められていた小さな貨車。専用鉄道は三井三池炭鉱と港・工場を網羅する大規模なもので…
あおなみ線の電車が荒子川公園駅へ。荒子川公園は運河が荒子川に合流する予定地だった場所で、2km東にある名古屋港線が橋を渡っていた港北運河の延長。戦後に建設が始まった運河は先に造られ…
荒子川のガード橋は西名古屋港線のもの。1950年の開通時は周辺に農地が広がっていました。
荒子川を渡る橋。公園の歩道となったガード橋の上にはあおなみ線の吊り橋。同じ鉄道橋ながら全く違う存在感。
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…
ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の…
高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋でつないで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名…
西名古屋港線の途中に新しいコンテナ対応の貨物駅として開業した名古屋貨物ターミナル駅。1980年5月1日の開業日は名古屋港駅の先にあった堀川口駅の廃止日で、最後には名古屋駅の南に広が…
小本駅の西に残るカーブした敷地。 貨物列車の主要ルートになるはずだった南方貨物線は名古屋貨物ターミナル駅に合流し、そこからは複線化された西名古屋港線が東に向きを変えて名古屋駅へ…
希少なコキ250000の向こう、休憩室に使われていたコンテナ緩急車コキフ50000の車掌室部分。車掌業務が無くなって以降もしばらくはコキ50000に混じって使われ、いつし…
開業当初から電化が準備されながら、DD51が出入りしていた名古屋貨物ターミナル駅。ディーゼル機関車を置き換えた国鉄の電気機関車も姿を消し、並んでいるのは広島の…
待機中のハイブリッド機HD300-11。臨海鉄道のディーゼル機関車が姿を消した今の名古屋貨物ターミナル駅。
大都市の片隅に残っていた転車台。国鉄時代から名古屋客貨車区の客車・気動車の転向をしてきましたが、今は1両も客車が存在しません。
名古屋駅を出たEF210-112があおなみ線へ。ささしまライブ駅の東側は全て貨物駅だった笹島駅の跡地で、西名古屋港線の築堤横から大規模なコンテナホームが向こうの新幹線に突き当…
名古屋駅の西名古屋港線部分にはホームが造られて名古屋臨海高速鉄道に。使われないままの平らなホーム端部。
名古屋駅を通るEF210-309。名古屋貨物ターミナル駅へ向かう通路になっている新幹線横の単線。
南郊運河沿いの高架橋は西名古屋港線のすぐ手前で建設が止まり、接続は実現しませんでした。空き地に残された高度成長期の置き土産。
遊歩道は西名古屋港線から分かれて中部鋼鈑の北側に繋がっていた専用線の跡。専用線とは別に、壁の向こうには工場を繋いでいた専用鉄道のレールが今も残っている、色々な鉄道が紆…
中部鋼鈑の西端、橋脚が乱立する遊歩道。南方貨物線はここで高さを変えながら単線高架の西名古屋港線を跨いで名古屋貨物ターミナル駅へ。
中部鋼鈑の中を北へ曲がる南方貨物線。遮音壁まで存在し、完成状態だった高架橋。