京葉線の地上出口が建設されたのは貨車の検修庫があった場所。貨物輸送があった頃の面影はほとんど見られなくなった住宅地。
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
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京葉線の地上出口が建設されたのは貨車の検修庫があった場所。貨物輸送があった頃の面影はほとんど見られなくなった住宅地。
汐見運河に浮かんでいた材木は姿を消し、貨車の姿もなくなってディーゼルカーが止まっているだけ。岸壁に面した越中島貨物駅の今。
今はもうやって来ないEF64-1027。勾配用の国鉄機が広く走り回っていた頃。
新小岩駅の横を通って機回しするEF65-2091。貨物列車の折り返しが続く街。
都心に残っていたディーゼル機関車の舞台。国鉄時代には北の大地にいたDE10-1704。
新小岩信号場の景色。待機していたDE10も今は懐かしく。
特急電車485系の姿が印象的だった東北本線。東北新幹線開通から歳月を経て、電車の姿が変わっても花は咲き続けています。
東北路を北上し続けるEH500-63。桜前線を追い越した貨物列車が札幌貨物ターミナル駅に着くのはずっと後。
花に彩られた船岡城址。急行型や寝台特急電車581系改造車など、様々な国鉄電車で運転されていた仙台近郊の普通列車。今使われているのは民営化後のステンレス車のみ。
重連のED75に代わって東北本線を駆け抜けるEH500-78。静かに咲き誇る桜の花。
桜に彩られた東北本線。交流電気機関車ED71-37が保存されている船岡駅。
何も来なくなって久しい昭和町駅。建物の張り出し屋根がタンク車の荷役設備だった場所。もう、私有タンク車の存在すらも消えてしまった工業地帯の片隅で。
草に埋もれたレール。錆び付いた転轍機。パイプラインの横で眠り続ける線路。
静かな港に埋もれた線路。途切れた先に続く昭和町線。
化成品を運ぶタンク車が消えて、閉じられたままのゲート。荷役設備を避けて右側を通る線路が昭和町線。後に敷地内の線路が撤去されたため、再開出来なくなってしまいました。
名古屋臨海鉄道の東港駅から西へ伸びる支線。昭和町線は専用線と一体で東亜合成の敷地を通り抜けています。
現役なのか廃線なのかもわからない線路。分断された箇所もあり、すぐに再開は出来ないようです。
名古屋臨海鉄道の東港駅から南西へ伸びる支線。汐見線は湾の中央にある埋立地へ向かう貨物線でしたが開店休業。石油・自動車輸送の需要がありましたが、何も運行されていません。
東名古屋港駅を過ぎると非電化の貨物線に。左の駐車場は倉庫街だった場所で、多くの有蓋車が並んでいた側線跡。周辺の専用線も早くに姿を消し、ほとんど跡が残っていません。 …
直交して折り返した名古屋臨海鉄道は名鉄築港線に合流。合流前に蛇行しているのは複線時代の名残。架線柱が珍しい形ですが、元は工業地帯でよくある背の高い門型で上部を送電線が…
花筏の見沼代用水西縁を越えて。晴れた日のEF65-2080。
開発が規制された芝川河川敷ならではの広い空。音を響かせる貨物列車。
段々と希少になっていく私有貨車。春を迎えた石油以外を運ぶタンク車。
コブシの咲き誇る公園。鮮やかなアクセントのEH500-33。
桜が咲き始めた武蔵野線。開けた河川敷を駆けるEF210-163。
1910年開業の東京砂利鉄道に続いて、1917年に開業した多摩鉄道。東京砂利鉄道は国鉄に買収されて下河原線に、多摩鉄道は西武鉄道に買収されて多摩川線に。多摩川の砂利採取が終了…
宅地化が進んだ沿線。残された数少ない原風景。
中央本線の武蔵境駅から分岐する西武鉄道の多摩川線。他の西武鉄道と接続せず、3扉車が残る短い支線。
中央本線と並ぶ国分寺線に対して、国分寺駅の北口に直交する多摩湖線の国分寺駅。かつての駅は左の雑居ビル裏手を曲がって奥のマンション部分にありましたが、国分寺駅の再開発に…
国分寺線の東側を平行する多摩湖線。所沢方面へ北上する川越鉄道を乗り越し、西へ向かう多摩湖鉄道が由来。池袋線となる武蔵野鉄道と合併した後、川越鉄道を中心に成立した西武鉄…
支線でも少しずつ進む世代交代。今の主役は4扉の通勤型。
1973年に国鉄の武蔵野線が開通して新秋津駅経由に変わる以前、貨物列車の連絡経路だった国分寺線。F級電気機関車E851型も通っていた緑の道。
中央本線の国有化前、甲武鉄道と川越鉄道の頃から接続していた国分寺駅の線路は既に分断。短編成の電車が区間運転している国分寺線。
中央本線と並ぶ西武鉄道の国分寺駅。新宿線から国分寺駅へ向かう支線のような国分寺線ですが、川越鉄道が1894年に開通させた西武鉄道で最も古い路線です。
南千住駅で常磐線に入った貨物列車はすぐに隅田川へ。武蔵野線開通で新宿駅を通らなくなった中央本線の貨物列車。工場が消えて団地に変わった街を今日も。
隅田川駅の隅で使われなくなった線路。様々な貨物用に一通り揃っていた設備は次々と消えて、コンテナホームだけになってしまった貨物駅の裏側。
隅田川駅の折返線から出発するEH200-15。南松本駅までは7時間の道のり。
すっかり景色が変わった隅田川駅。タワーマンションがなかった頃から各地を渡り歩いてきたEF65-2057。
次々と進む、貨車の入換と機関車の交代。夕暮れ時のEH500-60。
折返線に向かって逆走するEF56-2060の横で入換を進めるHD300-4。同じくらいの速度で貨物列車が並走する隅田川駅。