群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
埋立地の東側に来た貨物線は一二号地間運河を渡る可動橋へ。垂直型の昇開橋が多かった中、四日市でも見た片持ち型。既に廃線跡すら判らなくなった埋立地に突如として現れる産業遺…
広がった線路に荷役設備があった名古屋港駅の南側。貨物線は埋立地の西端にある名古屋港駅から東に向きを変え、突堤に線路を分けながら、埋立地を半周して東側の岸壁に向かってい…
レール輸送で存在を保っていた名古屋港線。左の貨物ホームがある倉庫は貨物駅が盛業だった頃からのもの。再開発された中に点々と当時の構造が残されていた名古屋港駅。廃止される…
終点の名古屋港駅。手前の引上線で折り返して左奥に繋がっています。右奥は北側の着発線だった部分で、行き止まりになる前はここから南側へ広がっていました。
港北運河を渡るガード橋。二つ並ぶガード橋にうち、反対側の方は現役で水色、赤錆びた方は廃止された専用線のもの。埋め立てが進んだ結果、名古屋港線が川を渡る唯一の場所になり…
石炭が山積みされていたプラントの跡地はショッピングモールに。連絡通路を跨ぐガード橋は構内道路を跨いでいたもので、当時はガード橋の向こうに専用線の踏切があった場所。専用線から築堤に…
踏切の隣に商業施設。再開発前は名古屋港線から南方貨物線へ合流する高架橋が向こうへ曲がっていた場所。名古屋港線と接続する坂は建設されずに終わり、途切れた単線高架橋も合流先の南方貨物…
運河を埋めた公園のすぐ隣に立つ高架橋。東海道本線から分かれて東海道新幹線と平行してきた南方貨物線は南郊運河に沿って西へ。
名古屋港線をくぐる公園の歩道。国鉄末期までここは川で、西の中川運河から東西に延びていた南郊運河の跡。川だった頃の橋がそのまま埋め立てで造られた公園に取り込まれてしまいました。
建設時期が他よりも早かったため、一直線に港を目指す名古屋港線。彼方には再開発で造られた観覧車。
東海道新幹線の高架と平行する名古屋港線の築堤。実際には逆で、1960年代に築堤と平行して高架橋が建設されました。
新幹線のすぐ隣、白鳥駅へ分岐していた廃線跡。南東の堀川沿いにある国際会議場などは貯木場の堀を埋めた場所で、八幡信号場で分かれた貨物線は堀に隣接する白鳥駅と北側にあった…
名古屋駅の南、中央本線から山王信号場で分かれる貨物線の名古屋港線。臨時のナゴヤ球場正門前駅跡を過ぎると築堤を上って東海道新幹線と平行して南下。車窓に映る小屋や片方外さ…
民営化後に40両以上も田端運転所に集中配置されていたEF65-1000番台。旅客用・貨物用・特急用、かつて種別があった時代に生まれたEF65-1103。
今も踏切が残る南亘り線に対して、踏切が撤去されて保線基地に変わった北亘り線の跡。周囲を線路に囲まれた静かな空間。
尾久客車区と田端操車場に挟まれた道路。DE10-1603が下町の斜め踏切へ。
出発を待つEF81-141。電気機関車が電気機関車に引かれて去って行く日。
わずかな客車の入換で常駐していたDE10-1697。台地が見下ろす田端の街。
塗装が剥げてしまったマヤ34-2004。旧型客車と軽量客車の構造が混在、試験用に中央にも台車があった高速軌道試験車。
彼方には霞むスカイツリー。客車の姿が激減した尾久客車区。入換がなくなって錆び付いた引上線のレール。
都心から工業地帯がなくなり、市街地になった埋立地。運河にかかる鉄橋だけは昔と同じまま。
市場に変わったもう一つの石炭埠頭。豊洲埠頭の先にも石炭埠頭があって、道路の両側とも石炭が積まれていました。道路に平行していた貨物線はここが末端。熊谷のセメント工場へ石…
石炭埠頭の先は右が倉庫街で左がプラント。今はゆりかもめが通る街へ変貌し、道路の左側に平行していた廃線跡もわからなくなりました。
火力発電所の跡に造られた学校。産業遺産として飾られている古典機。1886年製の403型は私鉄譲渡を繰り返して、今は埋立地のモニュメントに。
ガスの科学館があるのは石炭埠頭の跡で、両側に山積みされた石炭の中を貨物線が通っていました。今の公園からは廃線跡どころか、石炭埠頭の雰囲気すら感じられません。
再開発から取り残された岸壁。左のフェンスあたりが廃線跡で船に無蓋車を横付けしていましたが、利用率は低かったようです。左の建物部分にあった線路は左奥へ曲がって大きな倉庫…
晴海方面から分かれた豊洲方面の貨物線は今の豊洲公園で南に向かって大きく分岐。晴海方面よりも廃止が早く、右にあった石炭埠頭と左奥の岸壁に伸びていた線路は1980年代のうちに…
かつての雰囲気が残った最後の一角。晴海埠頭は大きく様変わりしました。
豊洲埠頭へ渡る道路橋建設で再開発が進み、廃止後も長く残っていた線路は消滅。晴海埠頭でかつての雰囲気が残っているのは、4棟のうち2棟が残った都営倉庫。現役の頃は右奥に向か…
晴海運河を渡るアーチ橋。常磐線の三河島駅近くで現役の鉄橋と同世代の意匠。元は灰色だったものが年月とともに錆色に変わっていきました。
都市の中を通る晴海通り。豊洲を縦貫する道路は周囲が造船所だった頃からの大通り。再開発前は目の前に晴海方面へ向かう貨物線の踏切がありました。工業地帯の中央に古い団地が並…
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群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。
館林駅から東へ分かれて行く佐野線。葛生の石灰石を国鉄の佐野駅まで運んでいた佐野鉄道が東武鉄道と合併し、その後に館林・佐野間が開通して今の佐野線に。東武鉄道での貨物輸送…
館林駅から西へ分かれて行く小泉線。館林・小泉町間の中原鉄道として開通し、東武鉄道合併後に戦時輸送で小泉町・西小泉間と東小泉・太田間が造られて二又の支線に。西小泉駅の先…
館林駅の北側、伊勢崎線沿いにある車両基地。細長い用地にあり、電車は縦列で停車。連結器があれば繋がっているくらい間近に止められています。
館林駅北にある踏切。駅の変遷と密接に関わっていて、駅西側が再開発されて新しい道路が開通するまで、駅の両側を結ぶ主要道路でした。今は自動車禁止になり、ランプも×印が…
先頭車のパンタグラフが特徴的な3両編成。伊勢崎線は逆走しているのではなく、館林駅から北側が単線区間。右は分かれていく佐野線です。
館林駅に隣接する新しい食品プラント。かつてのサイロは姿を消し、港からやってきたホッパ車も見られなくなりました。
館林駅に残る側線。駅の北に車両基地、南に小さな工場があり、その間に位置する電留線のようになっていますが、かつては貨物列車が並んでいた線路。隣接して食品工場の倉庫とサイ…
浅草行の特急電車。伊勢崎線の特急は太田止まり以外ほとんどが赤城行で、群馬県東部の連絡に主軸を置いています。
ホーム端の切り欠きホームが特徴の館林駅。運転系統が南北で分断されており、特急電車以外のほとんどが始発になっています。
2両編成の8000系が特急電車と並ぶ館林駅。伊勢崎線から東へ佐野線、西へ小泉線が分かれる分岐点。利根川と渡良瀬川に挟まれた沼が多い城下町。東へ細長く飛び出た群馬県が栃木県…
かつての工場は花咲く丘に変わり、貨車の向こうには霞む浅間隠山。草津温泉への道中でしたが、西にも道路が開通して静かになってしまった六合村。
従来の15t積から17t積に拡大した大柄な2軸有蓋車。17000両以上も造られた黒い貨車のトップナンバーは保存施設入口のシンボルに。
太子駅の上、工場跡地の丘で保存されている有蓋車ワラ1。国鉄を代表する2軸貨車は標高700mの山間部。ここまで風光明媚な場所で保存されている貨車は珍しい存在です。
京都市で保存されていた車掌車ヨ6720。小柄なヨ6000はホッパーのある山の貨物列車によく合います。
茨城交通の無蓋車トラ15。国鉄トラ55000に似たタイプで、元は東武鉄道が杉戸工場で自作した17t積無蓋車。保存されている無蓋車の中では近代的な貨車で、海に近い車庫から山へとや…
綺麗に補修された無蓋車ハト37・ハト152。遠く九州の大牟田駅東側、三井専用鉄道の隅に止められていた小さな貨車。専用鉄道は三井三池炭鉱と港・工場を網羅する大規模なもので…
大井川鉄道からやってきた無蓋車ト111。1930年代の鋼製車ながら古典的な小型車。国鉄では戦後の輸送力拡大に対応出来ないので10t積は早くから淘汰が進みましたが、私鉄車だっ…
鉱石輸送に縁がある無蓋車を収集・保存している施設。廃墟と化した積み込みホッパーと傷んだ木製扉の無蓋車。時代のコントラスト。 トラ51862は1960年代始めに造られた木製扉のトラ4…
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…
ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の…
高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋でつないで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名…
西名古屋港線の途中に新しいコンテナ対応の貨物駅として開業した名古屋貨物ターミナル駅。1980年5月1日の開業日は名古屋港駅の先にあった堀川口駅の廃止日で、最後には名古屋駅の南に広が…
小本駅の西に残るカーブした敷地。 貨物列車の主要ルートになるはずだった南方貨物線は名古屋貨物ターミナル駅に合流し、そこからは複線化された西名古屋港線が東に向きを変えて名古屋駅へ…
希少なコキ250000の向こう、休憩室に使われていたコンテナ緩急車コキフ50000の車掌室部分。車掌業務が無くなって以降もしばらくはコキ50000に混じって使われ、いつし…
開業当初から電化が準備されながら、DD51が出入りしていた名古屋貨物ターミナル駅。ディーゼル機関車を置き換えた国鉄の電気機関車も姿を消し、並んでいるのは広島の…
待機中のハイブリッド機HD300-11。臨海鉄道のディーゼル機関車が姿を消した今の名古屋貨物ターミナル駅。
大都市の片隅に残っていた転車台。国鉄時代から名古屋客貨車区の客車・気動車の転向をしてきましたが、今は1両も客車が存在しません。
名古屋駅を出たEF210-112があおなみ線へ。ささしまライブ駅の東側は全て貨物駅だった笹島駅の跡地で、西名古屋港線の築堤横から大規模なコンテナホームが向こうの新幹線に突き当…
名古屋駅の西名古屋港線部分にはホームが造られて名古屋臨海高速鉄道に。使われないままの平らなホーム端部。
名古屋駅を通るEF210-309。名古屋貨物ターミナル駅へ向かう通路になっている新幹線横の単線。
南郊運河沿いの高架橋は西名古屋港線のすぐ手前で建設が止まり、接続は実現しませんでした。空き地に残された高度成長期の置き土産。
遊歩道は西名古屋港線から分かれて中部鋼鈑の北側に繋がっていた専用線の跡。専用線とは別に、壁の向こうには工場を繋いでいた専用鉄道のレールが今も残っている、色々な鉄道が紆…
中部鋼鈑の西端、橋脚が乱立する遊歩道。南方貨物線はここで高さを変えながら単線高架の西名古屋港線を跨いで名古屋貨物ターミナル駅へ。
中部鋼鈑の中を北へ曲がる南方貨物線。遮音壁まで存在し、完成状態だった高架橋。
南郊運河沿いでは1970年代のうちに高架橋の大部分が完成しましたが、道路を跨ぐ部分は全て撤去済み。再利用されているとも、放置されているとも言えない、負の遺産。
埋められた運河と使われなかった高架橋。不可思議な人工の景観。
新幹線と平行する区間が頓挫していたのと対照的に、分かれた後の区間は順調に建設が進んだ南方貨物線。名古屋港線を跨いだ先、南郊運河を埋め立てた公園でソーラーパネルを載せた…