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堀川11
埋立地の東側に来た貨物線は一二号地間運河を渡る可動橋へ。垂直型の昇開橋が多かった中、四日市でも見た片持ち型。既に廃線跡すら判らなくなった埋立地に突如として現れる産業遺…
2024/05/31 08:00
堀川10
広がった線路に荷役設備があった名古屋港駅の南側。貨物線は埋立地の西端にある名古屋港駅から東に向きを変え、突堤に線路を分けながら、埋立地を半周して東側の岸壁に向かってい…
2024/05/30 08:00
堀川9
レール輸送で存在を保っていた名古屋港線。左の貨物ホームがある倉庫は貨物駅が盛業だった頃からのもの。再開発された中に点々と当時の構造が残されていた名古屋港駅。廃止される…
2024/05/29 08:00
堀川8
終点の名古屋港駅。手前の引上線で折り返して左奥に繋がっています。右奥は北側の着発線だった部分で、行き止まりになる前はここから南側へ広がっていました。
2024/05/28 08:00
堀川7
港北運河を渡るガード橋。二つ並ぶガード橋にうち、反対側の方は現役で水色、赤錆びた方は廃止された専用線のもの。埋め立てが進んだ結果、名古屋港線が川を渡る唯一の場所になり…
2024/05/27 08:00
堀川6
石炭が山積みされていたプラントの跡地はショッピングモールに。連絡通路を跨ぐガード橋は構内道路を跨いでいたもので、当時はガード橋の向こうに専用線の踏切があった場所。専用線から築堤に…
2024/05/26 08:00
南方7
踏切の隣に商業施設。再開発前は名古屋港線から南方貨物線へ合流する高架橋が向こうへ曲がっていた場所。名古屋港線と接続する坂は建設されずに終わり、途切れた単線高架橋も合流先の南方貨物…
2024/05/25 08:00
南方6
運河を埋めた公園のすぐ隣に立つ高架橋。東海道本線から分かれて東海道新幹線と平行してきた南方貨物線は南郊運河に沿って西へ。
2024/05/24 08:00
堀川5
名古屋港線をくぐる公園の歩道。国鉄末期までここは川で、西の中川運河から東西に延びていた南郊運河の跡。川だった頃の橋がそのまま埋め立てで造られた公園に取り込まれてしまいました。
2024/05/23 08:00
堀川4
建設時期が他よりも早かったため、一直線に港を目指す名古屋港線。彼方には再開発で造られた観覧車。
2024/05/22 08:00
堀川3
東海道新幹線の高架と平行する名古屋港線の築堤。実際には逆で、1960年代に築堤と平行して高架橋が建設されました。
2024/05/21 08:00
堀川2
新幹線のすぐ隣、白鳥駅へ分岐していた廃線跡。南東の堀川沿いにある国際会議場などは貯木場の堀を埋めた場所で、八幡信号場で分かれた貨物線は堀に隣接する白鳥駅と北側にあった…
2024/05/20 08:00
堀川1
名古屋駅の南、中央本線から山王信号場で分かれる貨物線の名古屋港線。臨時のナゴヤ球場正門前駅跡を過ぎると築堤を上って東海道新幹線と平行して南下。車窓に映る小屋や片方外さ…
2024/05/19 08:00
下町の隅23
民営化後に40両以上も田端運転所に集中配置されていたEF65-1000番台。旅客用・貨物用・特急用、かつて種別があった時代に生まれたEF65-1103。
2024/05/18 08:00
下町の隅22
今も踏切が残る南亘り線に対して、踏切が撤去されて保線基地に変わった北亘り線の跡。周囲を線路に囲まれた静かな空間。
2024/05/17 08:00
下町の隅21
尾久客車区と田端操車場に挟まれた道路。DE10-1603が下町の斜め踏切へ。
2024/05/16 08:00
下町の隅20
出発を待つEF81-141。電気機関車が電気機関車に引かれて去って行く日。
2024/05/15 08:00
下町の隅19
わずかな客車の入換で常駐していたDE10-1697。台地が見下ろす田端の街。
2024/05/14 08:00
下町の隅18
塗装が剥げてしまったマヤ34-2004。旧型客車と軽量客車の構造が混在、試験用に中央にも台車があった高速軌道試験車。
2024/05/13 08:00
下町の隅17
彼方には霞むスカイツリー。客車の姿が激減した尾久客車区。入換がなくなって錆び付いた引上線のレール。
2024/05/12 08:00
運河のほとり32
都心から工業地帯がなくなり、市街地になった埋立地。運河にかかる鉄橋だけは昔と同じまま。
2024/05/11 08:00
運河のほとり31
市場に変わったもう一つの石炭埠頭。豊洲埠頭の先にも石炭埠頭があって、道路の両側とも石炭が積まれていました。道路に平行していた貨物線はここが末端。熊谷のセメント工場へ石…
2024/05/10 08:00
運河のほとり30
石炭埠頭の先は右が倉庫街で左がプラント。今はゆりかもめが通る街へ変貌し、道路の左側に平行していた廃線跡もわからなくなりました。
2024/05/09 08:00
運河のほとり29
火力発電所の跡に造られた学校。産業遺産として飾られている古典機。1886年製の403型は私鉄譲渡を繰り返して、今は埋立地のモニュメントに。
2024/05/08 08:00
運河のほとり28
ガスの科学館があるのは石炭埠頭の跡で、両側に山積みされた石炭の中を貨物線が通っていました。今の公園からは廃線跡どころか、石炭埠頭の雰囲気すら感じられません。
2024/05/07 08:00
運河のほとり27
再開発から取り残された岸壁。左のフェンスあたりが廃線跡で船に無蓋車を横付けしていましたが、利用率は低かったようです。左の建物部分にあった線路は左奥へ曲がって大きな倉庫…
2024/05/06 08:00
運河のほとり26
晴海方面から分かれた豊洲方面の貨物線は今の豊洲公園で南に向かって大きく分岐。晴海方面よりも廃止が早く、右にあった石炭埠頭と左奥の岸壁に伸びていた線路は1980年代のうちに…
2024/05/05 08:00
運河のほとり25
かつての雰囲気が残った最後の一角。晴海埠頭は大きく様変わりしました。
2024/05/04 08:00
運河のほとり24
豊洲埠頭へ渡る道路橋建設で再開発が進み、廃止後も長く残っていた線路は消滅。晴海埠頭でかつての雰囲気が残っているのは、4棟のうち2棟が残った都営倉庫。現役の頃は右奥に向か…
2024/05/03 08:00
運河のほとり23
晴海運河を渡るアーチ橋。常磐線の三河島駅近くで現役の鉄橋と同世代の意匠。元は灰色だったものが年月とともに錆色に変わっていきました。
2024/05/02 08:00
運河のほとり22
都市の中を通る晴海通り。豊洲を縦貫する道路は周囲が造船所だった頃からの大通り。再開発前は目の前に晴海方面へ向かう貨物線の踏切がありました。工業地帯の中央に古い団地が並…
2024/05/01 08:00
2024年5月 (1件〜100件)
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