地方線近代化で身延線に115系と共に導入された郵便・荷物電車クモユニ143-1。登場があまりに遅く、国鉄末期に生ま…
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
畑の道が十字に交差していた部分を跨ぐため、偶然に大きく造られたガード橋。籠原駅に新設された南口の延長にあたり、時代を経て2車線に変わった道路もくぐる事が出来ました。…
1960年代に工業団地が整備された際、長方形の田畑を斜めに横切る専用線の築堤が造られました。ガード橋は元からあった畑の道を跨ぐ部分に架けられたもの。
熊谷貨物ターミナル駅との接続は上越新幹線建設に伴う工事だったため、電化とともに踏切も国鉄並みの新しい物が設置されて、貨物列車の往来に対応していました。
築堤の向こうに霞むチチブセメント熊谷工場。少し前まで電気鉄道があったとは思えない道の跡。
高崎線を離れた専用線は一直線に。かつてセメント・石灰石輸送で賑わった大動脈。最後はオイルショックで始まった代用燃料の石炭輸送だけになっていました。
熊谷貨物ターミナル駅を出発した貨物列車。ほんの少し前まで確かにあった線路。朝にいつでも見られた光景でした。
高崎線から急カーブで離れていた専用線。元は左にある籠原駅と繋がっていた専用線でしたが、1979年に熊谷貨物ターミナル駅が建設されて秩父鉄道と専用線経由で連絡する事になった…
籠原駅から東側に出た専用線が分かれていた場所。EH500-25が通過するすぐ右から、田んぼの中を南へ曲がっていました。今は跡形もない田園風景。
籠原駅の西側だけでなく、東側にも伸びていた専用線。ここには高崎線に沿って左にもう1本線路がありました。
熊谷貨物ターミナル駅を出発したEF210-161が籠原駅へ。今は貨物列車が通過する駅。
籠原駅で不自然に残る跨線橋。国鉄時代は片側にしか出られない典型的な地上駅舎でしたが、民営化時に跨線橋と直結する2階建て駅舎が新設され、さらに通路が追加された結果、古…
貨物列車の入換用から電車の留置用に変わった籠原駅の側線。
籠原駅近く、活用策がないままの隙間。幸か不幸か使われない事で生き残った、どこにも繋がっていない線路。
ほとんど痕跡が残らない中、強固なコンクリートで固められていて撤去を逃れた踏切跡。籠原電車区の通用口なのは今も変わらずに。
籠原電車区の脇に1kmも続いている駐車場。専用線は籠原電車区の端に沿って籠原駅へ乗り入れていました。
左側にあった工場は住宅と店舗に、右側にあった畑も住宅に。高崎線から曲がって離れていく空き地だけが、ここに鉄道があった事を物語っています。
籠原電車区と道路の間にある未舗装の駐車場は籠原駅から西側へ伸びていた専用線の跡。車輪止めで並んでいるのはここで使われていた枕木。廃止から40年が経過していますが、今も社…
高崎線の籠原駅は熊谷駅から7km離れた隣の駅。籠原電車区もあって折返し運転もある普通電車の拠点。貨物輸送に縁がなさそうな駅ですが、1980年頃までは一般駅で、南西の工業団地…
跨線橋を中央で支えていた強固な橋脚は1978年製。優等列車の消滅、地方私鉄の廃止、跨線橋の短縮。全てを見てきた屋代駅の柱。
線路が無くなり、木が生えた敷地。それでも残っている架線柱と信号機。
屋代駅の隅に造られた工場。長野電鉄の部分廃止後もホームなどの線路が残されており、工場の出入り用に屋代駅と繋がっています。
線路が部分的に残されている長野電鉄の屋代駅。跨線橋が長野電鉄のホームにも繋がっていましたが、長野電鉄の部分のみ解体されてしまいました。
屋代駅の裏に残る4・5番線ホーム。長野電鉄の起点だった場所で、ここから須坂駅までの区間は廃止。今も使われている2・3番線ホームからは国鉄の急行「志賀」が乗り入れていました。
木造の屋根に覆われた屋代駅。歴史ある駅に止まるステンレス車。
存在感を増す新型車。高原の青い息吹。
背景が街でも山でも目立つ湘南色。まだしばらく続く国鉄車の日々。
戸倉駅から少し離れている引込線。駅の裏で踏切が鳴る、少し変わった場所。
単線をゆっくりと走る115系。松本運転所から来た生粋の山育ち。
戸倉駅横の採石場下にあった引込線は車庫として整備され、様々な装いの115系が止められています。
崖下に収容された湘南色。動力車の窓横に吸気用の雪切室が付いた耐寒型115系1000番台は長らく信越本線の代表格でした。
盆地の東端にある戸倉駅。西には篠ノ井線が通る斜面、さらに向こうは冠雪した北アルプス。風光明媚な山間の街。
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地方線近代化で身延線に115系と共に導入された郵便・荷物電車クモユニ143-1。登場があまりに遅く、国鉄末期に生ま…
高架下を走る115系。北陸新幹線が造られた後も信州で第二の人生を歩んでいる近郊形電車。
長野工場で入換を続けてきた小型ディーゼル機関車DD16-11。余剰化したDD16を工場の入換機に使う動きは国鉄末期からありましたが、11号機は現代まで稼働し続けてきた小さ…
最後まで残った石油輸送は奥にあった油槽所へ。北館林荷扱所から分かれていた専用線は更地に変わりましたが、工業団地は貨物輸送廃止時よりもむしろ拡大。旺盛な需要の隣、物を言…
専用線がなくなって、貨物駅だけが残された北館林荷扱所。東武鉄道で最後の貨物輸送があった拠点に並ぶ、行き場を無くした電車。
佐野線の渡瀬駅近く、1972年に開業した北館林荷扱所。私鉄の貨物駅新設は珍しく、工業団地建設に合わせて開業して、右の食品工場からの出荷に対応していました。
群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。
館林駅から東へ分かれて行く佐野線。葛生の石灰石を国鉄の佐野駅まで運んでいた佐野鉄道が東武鉄道と合併し、その後に館林・佐野間が開通して今の佐野線に。東武鉄道での貨物輸送…
館林駅から西へ分かれて行く小泉線。館林・小泉町間の中原鉄道として開通し、東武鉄道合併後に戦時輸送で小泉町・西小泉間と東小泉・太田間が造られて二又の支線に。西小泉駅の先…
館林駅の北側、伊勢崎線沿いにある車両基地。細長い用地にあり、電車は縦列で停車。連結器があれば繋がっているくらい間近に止められています。
館林駅北にある踏切。駅の変遷と密接に関わっていて、駅西側が再開発されて新しい道路が開通するまで、駅の両側を結ぶ主要道路でした。今は自動車禁止になり、ランプも×印が…
先頭車のパンタグラフが特徴的な3両編成。伊勢崎線は逆走しているのではなく、館林駅から北側が単線区間。右は分かれていく佐野線です。
館林駅に隣接する新しい食品プラント。かつてのサイロは姿を消し、港からやってきたホッパ車も見られなくなりました。
館林駅に残る側線。駅の北に車両基地、南に小さな工場があり、その間に位置する電留線のようになっていますが、かつては貨物列車が並んでいた線路。隣接して食品工場の倉庫とサイ…
浅草行の特急電車。伊勢崎線の特急は太田止まり以外ほとんどが赤城行で、群馬県東部の連絡に主軸を置いています。
ホーム端の切り欠きホームが特徴の館林駅。運転系統が南北で分断されており、特急電車以外のほとんどが始発になっています。
2両編成の8000系が特急電車と並ぶ館林駅。伊勢崎線から東へ佐野線、西へ小泉線が分かれる分岐点。利根川と渡良瀬川に挟まれた沼が多い城下町。東へ細長く飛び出た群馬県が栃木県…
かつての工場は花咲く丘に変わり、貨車の向こうには霞む浅間隠山。草津温泉への道中でしたが、西にも道路が開通して静かになってしまった六合村。
従来の15t積から17t積に拡大した大柄な2軸有蓋車。17000両以上も造られた黒い貨車のトップナンバーは保存施設入口のシンボルに。
西名古屋港駅から南の埠頭へ斜め踏切が3箇所連続していた道路。現代でも石炭埠頭は操業中ですが当時を偲ぶ物は少なくなりました。
西名古屋港駅の跡地を再利用して造られた名古屋臨海高速鉄道の車庫。民営化後も残った貨物駅の西名古屋港駅でしたがコンテナ扱いがなく、コンテナが積まれた港との関わりは段々と失われていき…
車両基地へ降りる高架橋が分かれて地上へ。西名古屋港線の終点、貨物駅の西名古屋港駅があった場所。埋立地が拡大したりしたものの、倉庫の佇まいなど周囲はそれほど変わっていません。
あおなみ線の電車が荒子川公園駅へ。荒子川公園は運河が荒子川に合流する予定地だった場所で、2km東にある名古屋港線が橋を渡っていた港北運河の延長。戦後に建設が始まった運河は先に造られ…
荒子川のガード橋は西名古屋港線のもの。1950年の開通時は周辺に農地が広がっていました。
荒子川を渡る橋。公園の歩道となったガード橋の上にはあおなみ線の吊り橋。同じ鉄道橋ながら全く違う存在感。
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…
ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の…
高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋でつないで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名…
西名古屋港線の途中に新しいコンテナ対応の貨物駅として開業した名古屋貨物ターミナル駅。1980年5月1日の開業日は名古屋港駅の先にあった堀川口駅の廃止日で、最後には名古屋駅の南に広が…
小本駅の西に残るカーブした敷地。 貨物列車の主要ルートになるはずだった南方貨物線は名古屋貨物ターミナル駅に合流し、そこからは複線化された西名古屋港線が東に向きを変えて名古屋駅へ…
希少なコキ250000の向こう、休憩室に使われていたコンテナ緩急車コキフ50000の車掌室部分。車掌業務が無くなって以降もしばらくはコキ50000に混じって使われ、いつし…
開業当初から電化が準備されながら、DD51が出入りしていた名古屋貨物ターミナル駅。ディーゼル機関車を置き換えた国鉄の電気機関車も姿を消し、並んでいるのは広島の…
待機中のハイブリッド機HD300-11。臨海鉄道のディーゼル機関車が姿を消した今の名古屋貨物ターミナル駅。
大都市の片隅に残っていた転車台。国鉄時代から名古屋客貨車区の客車・気動車の転向をしてきましたが、今は1両も客車が存在しません。
名古屋駅を出たEF210-112があおなみ線へ。ささしまライブ駅の東側は全て貨物駅だった笹島駅の跡地で、西名古屋港線の築堤横から大規模なコンテナホームが向こうの新幹線に突き当…
名古屋駅の西名古屋港線部分にはホームが造られて名古屋臨海高速鉄道に。使われないままの平らなホーム端部。
名古屋駅を通るEF210-309。名古屋貨物ターミナル駅へ向かう通路になっている新幹線横の単線。
南郊運河沿いの高架橋は西名古屋港線のすぐ手前で建設が止まり、接続は実現しませんでした。空き地に残された高度成長期の置き土産。