群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
東浦和駅を通過するEF210-326。やって来る桜の季節、変わってゆく電気機関車の姿。
土筆が伸びた春の草原。桜に彩られた武蔵野線。
小樽築港機関区所属で客車列車の先頭に立ったディーゼル機関車DD51-615。この場所は築堤の坂が始まる部分で、この先を右に曲がって石炭埠頭へ繋がっていま…
小樽築港機関区所属で地元に縁のあったディーゼル機関車DD16-17。細かく枝分かれした簡易な路盤の港湾線と共に役目を終えた小型機。
DE10では初期の部類に入るディーゼル機関車DE10-503。道内を駆け回った機関車で、地方線に貨物列車があった時代を支えていました。
手宮駅東側の斜面に残るレンガの擁壁。戦前に使われていた海上高架桟橋に石炭車を送る線路の遺構で、斜面に沿って高さを稼ぎ、南に曲がって海上高架桟橋へ。 1882年に線路…
除雪作業の近代化で登場したロータリー除雪車DD14。ディーゼル機関車としては運転台が端にある珍しい構造で、ロータリーヘッドがない側はどの機関車とも違…
施設の北側に置かれているディーゼル機関車DD13-611。北海道で貨物列車を引いていたDD13-611は手宮駅で最後を迎えました。
青函連絡船に接続する特急として北の大地を疾走した特急形気動車キハ80系。1960年代から30年余り、国鉄民営化・青函トンネル開通後も一部…
1960年代に全国各地で長距離列車の近代化に貢献した急行形気動車キハ58系。初期に製造された北海道用キハ56-23はグリーン車を従えて。
扇形庫に収容された国鉄の小型気動車キハ03-1。簡易構造の低い車体が2軸に載っているレールバス。1954年の登場時は既製品を多用した安価な車…
北海道用ながら車内を仕切るデッキがなく、本州用と似た外観だった合造車キハユニ25-1。地方路線にも荷物輸送と…
北海道各方面で使われてきた一般形気動車。北海道を代表するデッキ付きの耐寒形キハ22-56は手宮駅の隅に置かれています。
F級並みの車体を持つED76-509。今は解体されて野外でED75-500番台の長い車体を見られなくなってしまいました。
1968年の北海道電化に向けて試作された交流用電気機関車ED75-501。既に東北地方向けで量産されていたED75の酷寒地形として試験を実施。1両のみで目立った活躍…
北海道で末期まで活躍していた旅客用蒸気機関車C55-50。 1977年の保存開始当初、搬入予定は流線形から通常形に改造された30号機でしたが、実際にはナンバー1文字…
全国各地にいた小型タンク蒸気機関車。C12-6はC62-3・C55-50と共に手宮駅の隅にあった記念館で1977年から保存。手宮駅の車両では最も南に位置し、先頭に立つ姿はどこか…
小柄な車掌車ヨ7904。今も使われているヨ8000や保存例が多いヨ5000に比べて珍しい、小さな現存車。
貨車では珍しい、日照対策で明るい塗装を採用したホッパ車ホキ2226。横浜港など首都圏でも頻繁に見かけた穀類用ホッパ車ホキ2…
石炭輸送に縁ある地で保存された石炭車セキ7342。北海道最初に石炭船積みを行った手宮駅でしたが、後発の大規模な石炭埠頭が…
パレット積み有蓋車の初期車ワム82506。後年まで残った280000番台に比べて珍しく、80000番台で保存された車両は貴重…
事故復旧用で各地に配置されていた操重車。長物車は資材の運搬で使うためにセット運用。操重車ソ34と一緒に保存されている…
扉を埋めた跡が特徴的な救援車オエ61-309。旧型客車を改造した荷物車をさらに再改造したタイプ。操車場や機関区の隅に待機していた…
後から保存対象に加わった現金専用荷物車マニ30-2012。設計も運行状況も非公開だった特殊車両で、貫通路は向こう側だけで車掌室…
50系客車の車体に旧型客車の台車を組み合わせた郵便荷物合造車スユニ50-501。郵政省が次々と新型を投入していた全室郵便…
特徴的な姿のロータリー除雪車キ601。蒸気機関で駆動するロータリー除雪車の初期型で、後に国産化される以前に輸入されたタイプ。
珍しいマックレー車キ800。名寄駅で保存されているキ911よりも古く、車体も古典的な造形。向こうが進行方向で、開いたウイングでラッセル車が積み…
初期の意匠が残るジョルダン除雪車キ718。石炭輸送で活況だった頃、石炭車が出入りする冬の駅を蒸気機関車の後押しで除雪。
蒸気機関車の時代に造られた単線用ラッセル除雪車キ270。ディーゼル機関車の時代でも多くの路線で使われていた冬の護り人。
手宮駅の跡地に造られた交通記念館。古くは手宮駅にあった古い機関庫を中心に1960年代から車両保存が始まりましたが、今の施設は手宮駅跡地に車両を搬入して整備したもの。現在は…
まだ遊歩道に変わる前の手宮駅入口。奥にある手宮駅の大部分は交通記念館として早くに整備されましたが、分岐が始まる辺りは草に埋もれたまま。 ここから右奥は枝分かれした多…
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群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。
館林駅から東へ分かれて行く佐野線。葛生の石灰石を国鉄の佐野駅まで運んでいた佐野鉄道が東武鉄道と合併し、その後に館林・佐野間が開通して今の佐野線に。東武鉄道での貨物輸送…
館林駅から西へ分かれて行く小泉線。館林・小泉町間の中原鉄道として開通し、東武鉄道合併後に戦時輸送で小泉町・西小泉間と東小泉・太田間が造られて二又の支線に。西小泉駅の先…
館林駅の北側、伊勢崎線沿いにある車両基地。細長い用地にあり、電車は縦列で停車。連結器があれば繋がっているくらい間近に止められています。
館林駅北にある踏切。駅の変遷と密接に関わっていて、駅西側が再開発されて新しい道路が開通するまで、駅の両側を結ぶ主要道路でした。今は自動車禁止になり、ランプも×印が…
先頭車のパンタグラフが特徴的な3両編成。伊勢崎線は逆走しているのではなく、館林駅から北側が単線区間。右は分かれていく佐野線です。
館林駅に隣接する新しい食品プラント。かつてのサイロは姿を消し、港からやってきたホッパ車も見られなくなりました。
館林駅に残る側線。駅の北に車両基地、南に小さな工場があり、その間に位置する電留線のようになっていますが、かつては貨物列車が並んでいた線路。隣接して食品工場の倉庫とサイ…
浅草行の特急電車。伊勢崎線の特急は太田止まり以外ほとんどが赤城行で、群馬県東部の連絡に主軸を置いています。
ホーム端の切り欠きホームが特徴の館林駅。運転系統が南北で分断されており、特急電車以外のほとんどが始発になっています。
2両編成の8000系が特急電車と並ぶ館林駅。伊勢崎線から東へ佐野線、西へ小泉線が分かれる分岐点。利根川と渡良瀬川に挟まれた沼が多い城下町。東へ細長く飛び出た群馬県が栃木県…
かつての工場は花咲く丘に変わり、貨車の向こうには霞む浅間隠山。草津温泉への道中でしたが、西にも道路が開通して静かになってしまった六合村。
従来の15t積から17t積に拡大した大柄な2軸有蓋車。17000両以上も造られた黒い貨車のトップナンバーは保存施設入口のシンボルに。
太子駅の上、工場跡地の丘で保存されている有蓋車ワラ1。国鉄を代表する2軸貨車は標高700mの山間部。ここまで風光明媚な場所で保存されている貨車は珍しい存在です。
京都市で保存されていた車掌車ヨ6720。小柄なヨ6000はホッパーのある山の貨物列車によく合います。
茨城交通の無蓋車トラ15。国鉄トラ55000に似たタイプで、元は東武鉄道が杉戸工場で自作した17t積無蓋車。保存されている無蓋車の中では近代的な貨車で、海に近い車庫から山へとや…
綺麗に補修された無蓋車ハト37・ハト152。遠く九州の大牟田駅東側、三井専用鉄道の隅に止められていた小さな貨車。専用鉄道は三井三池炭鉱と港・工場を網羅する大規模なもので…
大井川鉄道からやってきた無蓋車ト111。1930年代の鋼製車ながら古典的な小型車。国鉄では戦後の輸送力拡大に対応出来ないので10t積は早くから淘汰が進みましたが、私鉄車だっ…
鉱石輸送に縁がある無蓋車を収集・保存している施設。廃墟と化した積み込みホッパーと傷んだ木製扉の無蓋車。時代のコントラスト。 トラ51862は1960年代始めに造られた木製扉のトラ4…
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…
ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の…
高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋でつないで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名…
西名古屋港線の途中に新しいコンテナ対応の貨物駅として開業した名古屋貨物ターミナル駅。1980年5月1日の開業日は名古屋港駅の先にあった堀川口駅の廃止日で、最後には名古屋駅の南に広が…
小本駅の西に残るカーブした敷地。 貨物列車の主要ルートになるはずだった南方貨物線は名古屋貨物ターミナル駅に合流し、そこからは複線化された西名古屋港線が東に向きを変えて名古屋駅へ…
希少なコキ250000の向こう、休憩室に使われていたコンテナ緩急車コキフ50000の車掌室部分。車掌業務が無くなって以降もしばらくはコキ50000に混じって使われ、いつし…
開業当初から電化が準備されながら、DD51が出入りしていた名古屋貨物ターミナル駅。ディーゼル機関車を置き換えた国鉄の電気機関車も姿を消し、並んでいるのは広島の…
待機中のハイブリッド機HD300-11。臨海鉄道のディーゼル機関車が姿を消した今の名古屋貨物ターミナル駅。
大都市の片隅に残っていた転車台。国鉄時代から名古屋客貨車区の客車・気動車の転向をしてきましたが、今は1両も客車が存在しません。
名古屋駅を出たEF210-112があおなみ線へ。ささしまライブ駅の東側は全て貨物駅だった笹島駅の跡地で、西名古屋港線の築堤横から大規模なコンテナホームが向こうの新幹線に突き当…
名古屋駅の西名古屋港線部分にはホームが造られて名古屋臨海高速鉄道に。使われないままの平らなホーム端部。
名古屋駅を通るEF210-309。名古屋貨物ターミナル駅へ向かう通路になっている新幹線横の単線。
南郊運河沿いの高架橋は西名古屋港線のすぐ手前で建設が止まり、接続は実現しませんでした。空き地に残された高度成長期の置き土産。
遊歩道は西名古屋港線から分かれて中部鋼鈑の北側に繋がっていた専用線の跡。専用線とは別に、壁の向こうには工場を繋いでいた専用鉄道のレールが今も残っている、色々な鉄道が紆…
中部鋼鈑の西端、橋脚が乱立する遊歩道。南方貨物線はここで高さを変えながら単線高架の西名古屋港線を跨いで名古屋貨物ターミナル駅へ。
中部鋼鈑の中を北へ曲がる南方貨物線。遮音壁まで存在し、完成状態だった高架橋。
南郊運河沿いでは1970年代のうちに高架橋の大部分が完成しましたが、道路を跨ぐ部分は全て撤去済み。再利用されているとも、放置されているとも言えない、負の遺産。
埋められた運河と使われなかった高架橋。不可思議な人工の景観。
新幹線と平行する区間が頓挫していたのと対照的に、分かれた後の区間は順調に建設が進んだ南方貨物線。名古屋港線を跨いだ先、南郊運河を埋め立てた公園でソーラーパネルを載せた…