出かけました。須田町の六文そば、名物、ゲソ天は品切れ。買い物の後、新宿。百貨店が解体され空が広がる。あくまでも物売りは電鉄の副業、そして淘汰。岐阜屋でビールでした。久しぶりに出かけたものの、夏バテ
出かけました。須田町の六文そば、名物、ゲソ天は品切れ。買い物の後、新宿。百貨店が解体され空が広がる。あくまでも物売りは電鉄の副業、そして淘汰。岐阜屋でビールでした。久しぶりに出かけたものの、夏バテ
築10年ともなれば機器の「寿命」が来るものでして、父の部屋のエアコンの次は温水便座。エアコンはこれまで仕事でしたが最初から調子が良くなく専業メーカーですが「買うのをやめた方がいい」と思ってた製品でしたので来るべくしてきたと思ってました。買い換えた零は好調です。今のは快調です。しかし便座が交換なら20万は覚悟してましたが、修理を依頼すればまだまだ持つとのこと。結構な出費ですが仕方ない。痛かった、、、、、
月一で開催してます。来月は検討中。運転会
DT32はブッシュが入ってたので流用します。ボルスターは交換します。昔、MPギアを買ったらボルスターがついてたので手持ちがありました。台車
室内灯はパネルライトでした。LEDに交換します。下回りはすべて交換です。車体を外してみました。
飯を食ってリサイクルショップを覗いて見つけました。先日のモハネ580より状態が良いので購入しました。下回りが、片側のインサイドギアなし、元からこの動力は使うつもりがないのですが、覚えてる人も多いはず。モハネ582
本日発売分です。平成元年「海峡」で渡道したときに車窓から見た青森運転所は広々とした印象がありました。「日本海」や「きたぐに」が整備を受けた拠点です。最後に乗ったブルートレイン「あけぼの」が引き上げるのを見たのが10弁前になりました。ブルートレイン3車両をつくる188
今週に入り、父の看護で部屋を回送しています。先日のキャスターは書棚などの重量物の設置には向かないので、既存の作業台と交換し、作業台も組みなおしします。作業台の組み立て、
鉄道模型趣味で紹介されてたG&D鉄道、製作者が無くなられたのち、焼失してしまった、と記事にありました。小さなパネル1枚が原点でした。自分の鉄道もこの900×450mmのパネル2枚が始まりです。はじまり
わざわざ高く買い物するのを美徳とは思いませんが安いものを買って失敗した例です。組立家具は旧東急ハンズで求めてましたが、製造元が無くなった(不明)ので〇天で互換性があるか工夫して使える部材を物色してました。書棚をつくりましたが重さに耐えかねて変形、修理できるレベルですが安いだけならそれなりです。安物買い
こちらも修理します、交換す部品をさがします。昨日に引き続き
運転会の度に持って行くのでネジの緩みが見られたので整備します。未だにマグネットモーターをtかってる車両があるので旧式ですが一番安定しています。パワーパックの整備
エックスカーです。実際の物語には出てきませんが人気があります。ロータリー式の雪かき車に似てます。エックスカー
本日発売分です。「さくら」は「はやぶさ」との併結時代に乗りました。25形と14系の併結でしたが、電源が分かれて供給されてましたので矛盾を感じてました。ブルートレイン3車両をつくる187
父の看護に伴い雑誌を整理しています。書棚を組み立てて雑誌の整理をします。父が鉄道雑誌を見て「模型の本は広告ばかりやな。」と言ってました。母が毎日婦人雑誌を買って嵩張るのでそれを見て同じように思っていたのですが、専門誌や資料についてはそのようなことを言いませんでした。処分するのは模型雑誌がほとんどです。雑誌の整理
今日は振替休日です。この時期に運転会を企画してましたが会場が都合できませんでした。モハ484の相方です、しばらくそのままでしたが整備します。モハ485
祖父が甲冑の職人で「こどもの日」からは一息付けます。祖父のことで思い出すのが、亡くなったのが年末の繁忙期で「連休は禁止」と言われお通夜だけでて銀河82号で帰ってきたことです。今ならば、親族のお通夜や葬式にださせないと、パワハラになります。朝一番の新幹線で京都に向かいお通夜まで祖父のそばにいたのですが、金がないから臨時列車で帰る手段を考えるあたり「鉄」ということです。そんなことを思い出しながら出してきた14系座席、ジョイントの音が南無阿弥陀仏でした。こどもの日
先日の運転会で気になったキハ80系の車端ダンパー、妻面でかなり気になります。やはりあるのとないのとでは違います。車端ダンパー
父の看護に伴い部屋の整理をしてたら、処分したと思ってた「ひとりぼっちの政一」が出てきました。政一の両親が失踪し親戚に引き取られ、特殊学級に入れられた6年生の1年間の話です。引き取られた親戚に特殊学級に入れれれて今ならば虐待です。父の両親が早くなくなり、幸せでなかった父の子供時代を思うと、政一と父が重なります。また亡くなりましたが金沢市出身の御木本伸介が父と同じ歳で同じ境遇だったのも重なります。久しぶりに読み返してみると、修学旅行や政一が家出して金沢に行く描写が、キハ20やキハ26の車内を思い出させる表現でした。この本を読んだのが甲子園に住んでいた小学生の時で気動車の記憶と言えば東海道線で「みるだけ」でしたが、高校生の時に津でキハ55やキハ20に乗って政一の旅を思い出しました。「おわりに-今、五人の子どもた...「ひとりぼっちの政一」
本日アップになります。昨日発売分です。宮原客車区、「きたぐに」が最初の14系が配置された運用でした。西行きはほとんどが京都や新大阪なので新設された向日町が中心になり、運転所で各種の車輛が配置されてたのに対し「客車の宮原」でした。そして関東では目黒川~蛇窪~大崎と同じ役割が宮原~塚口~塚本のルートでした。時々、塚口で見た485系が今では懐かしいです。ブルートレイン3車両をつくる186
「感謝」と言う言葉、ありがたいです。仕事も趣味も感謝の気持ちをもちたいものです。夏になりました。南無阿弥陀仏こころのともしび2024年5月
外れてた部品がありましたので接着剤を剥がして再度取付ました。救助メカの中でも特に人気があります。新しい生活が始まった今月もおしまい、今年は暑くなりそうですが、もう気にすることはない。ジェットモグラ
「家庭の事情」で月末は会館を借り切ってます、昨日より線路を設置したままで開催しました。運転会二日目
EF65-1000の試運転をしました。運転会
リモコンでコントロールされるエレベーターカーです。②番のエレベーターカーは途中で故障して他の航空機に衝突して炎上します。そして予備のエレベーターカーの登場となります。エレベーターカー②
ウェイトを取付けました。車体を載せて試運転ですが、片方の連結器を調達しないといけません。EF65-1000更新工事第二部(7)
便利そうに見える工具も使いにくいときがあり「外れ」のときがあります。インパクトドライバー用のチャックです。1mm以下の刃で使ってみましたがドライバー本体が重いので使いにくい。パンタグラフ用のドライバーになりました。今日は尼崎の事故の日、身近な場所なので他人事とは思えません。犠牲者の冥福と事故を繰り返さないことを思いつつ。適材適所
本日発売分です。現役時の最後の姿を見たのが97年の5月、出雲市で付属編成を解放してるときでした。「博多あさかぜ」と共用されたオシ24-700が連結されていた列車でした。その時は出雲市駅が高架化工事の最中でした。博多「あさかぜ」の編成があるので「出雲」の編成が組めます。ブルートレイン3車両をつくる185
「トットちゃん」、今も元気です。そして永遠に「お嬢様」です。「金庫破り」が運転するスーパーカーです。本物も環境にやさしい仕様になったとか。ペネロープ
久しぶりに手入れがてらサンダーバード2号の救助メカを見ていこうと思います。「SOS原子力旅客機」のメカです。①は「マスターエレベーターカー」でバージルが乗って他のエレベーターカーはリモコンで操作します。救助は成功するものの止まり切れず滑走路から外れますが、バージルは怪我もなく救助の成功を喜びます。リニアモーターで駆動してるようですが、聞こえるのはディーゼルエンジンの音、そして左右のバックミラーで他のエレベーターカーを操作するのが、今から100年以上先の時代設定ですが、60年前の製作というのが伺えます。エレベーターカー①
ウェイトを塗ったのですが塗装が剝がれてしまいました。洗ってトップコートを吹きます。EF65-1000更新工事第二部(6)
再組み立てをします。やっと下回りの問題が解決します。仮組しました。配線は長めに出してます。同じ手法でED76とED77が控えてます。EF65-1000更新工事第二部(5)
中間台車の処理ができました。試行錯誤した割には新しい部品を使えば難なく解決したのですが、手を付けて1年以上経ちました。EF65-1000更新工事第二部(4)
荒療治です。リーマーで強引に取り外しワイヤーブラシでハンダを落としました。横着してペーストを使ったのが間違いでした。EF65-1000更新工事第二部(3)
本日発売分です。「有明」はクモハ485に乗り実家に行きました。当時は模型を一時離れてた時期でしたが、その後中古で購入しました。動力もインサイドギアからカツミのフライホィールが付いた動力ユニット、そしてMPとキハ82系と同じ変遷です。ブルートレイン3車両をつくる184
在庫品の103系のモハユニットがあるので仕立てます。動力ユニットを出してきました。103系
そのままのEF65-1000初期です。中間台車の固定でそのままの状態です。次回の運転会ならぬ「線路を敷く日」までにせめて走らせるようにしたいです。放置
今日は脱脂したTR217を水洗いです。乾燥したら塗装です。毎日なにかしてます。
クーラーやベンチレーターの塗装をしたい。モハベ581も都合がつきそうなのでMPギアに変更します。モハネ580の更新工事
立派なトランスがついてますし部品そのものも新しい、時間ができた時に見てみましょう。シャーシをあけてみましたが、、、、、
あるメーカーの容量の大きいトランジスターコントローラーを入手しました。試しにつないでみたら電源は入るものの動作せず、テスターであちこち測りながらしばらくしたらトランジスターが熱を持つ始末。シャーシを開ければいい加減な配線、ボリュームには車両用の細い線を数本束ねて配線してるといういい加減なものでした。パワーパックの中古品を入手しました。電圧計は交換すればいいのですが、動くのかどうか。半導体式のパワーパック
本日発売分です。ついこないだ新幹線の車内販売が廃止になりました。日本の鉄道が「輸送力」優先と考えられており、60年前の年末に乗った「高千穂」は繁忙期は食堂車の代わりに座席車が連結されました。似たように思うのが航空機でボーイング747のアッパーデッキ(2階席)が当初はファーストクラスのラウンジと考えられてたのがストレッチされ、エコノミークラスとして使用されました。輸送力にならない「食堂」を飛ばすよりも座席として使った方が「移動手段」としては有効なのでしょう。新幹線も0系や200系の食堂車が姿を消しました。食堂車は採算性が悪く水を使うので保守費用もかかるので「食堂車淘汰」が北陸トンネル事故も理由になったと思います。車内販売の思い出は95年の夏、これが20系客車に乗るのが最後と思い「桜島」で西鹿児島から新大阪ま...ブルートレイン3車両をつくる183
塗っただけのホームです。1mもあると見栄えがします。ホームを作る⑨
後家さん(後家モハ)の相方の目途がついたので更新工事を開始します。上回りはガラスの交換とクーラーの塗装です。パンタグラフ部の屋根が浅いので室内灯が悩みです。この部分が「元祖に段ハネ」です。モハネ580の更新工事
モハネ580(60Hz)とモハ484、いずれもインサイドギアの車輛が1台ずつあります。DT32PLの在庫が2個、床板も電動機も在庫があるのでやりなさいということです。しかし国鉄型特急
381系の運転が終了し新型車両に置き換えられました。151系に始まった新型国電の特急型の最後と言えましょう。しかし車両の話題よりも「撮り鉄」の常識を外れた行動が取りだたされるのは残念なことです。国鉄型特急の終焉
関西に行ったのが先々月になり、いつのまにか3月も終わり4月。近所の模型店を覗きに行った以外は関西旅行以来の外出です。必要な部品を購入しました。久しぶりに外出
後家さんになってるモハネ580です。一時期MP改造を考えましたがそのままになってました。部屋を整理してて発掘です。相方がいたのには居たのですが、どうしても欲しい方がいて譲渡されました。動力を更新するも全てマイナスネジの骨董品です。保留車
本日発売分です。「ブルートレイン」(固定編成客車)よりも在来型の客車の印象があるのは、品川・尾久・龍華・竹下と並ぶ名門なのでしょう。昭和53年の配置表ではオシ17が北陸トンネル事故の証拠物件として配置されてました。ブルートレイン3車両をつくる182
父の看護に伴い部屋を明け渡しすることになりました。同居を辞めるのではなく部屋を変わるだけのことですが、家具を移動します。自室(模型部屋)が父の部屋になるのですが、試運転線を常設してるので、解体します。そしてベランダに面した部屋が寝室になります。家を丸々使ってよくなったものの自室が狭くなるので慣れるまでが大変になります。今月に入り時間ができたのでやっていこうかと。新年度になりまして、引越し
自尊心が高い人がいます。「負けず嫌い」は良いことと思いますが。人を見下し続けるということは、自分の未熟なところを隠してることと思います。長所短所を重んじ他人を大切に自分を大切にしたいものです。南無阿弥陀仏新しい生活がはじまります。こころのともしび4月
今日で軽天です。物事に始まりがあれば終わりがあるのです。さようなら、街の模型店
天板を塗分けます。毎年のことですが、今日は引っ越しのピークの日です。ホームを作る⑧
追加分(2個目)の側板を塗りました。ホームを作る⑦
1箱250mmのホームが2組、500mmです。ちょっと物足りないのでもう一つ手を出しました。リサイクルショップで求めました。4箱あります。ホームを作る⑥
本日発売分です。「瀬戸」の終着駅です。冬至の日「東京からの20系」を見たくて朝3時に線路際に行きました。闇の中を貨物列車が走ります。遅れてたのかわずかに見せた朝日を背にEF65-500に「瀬戸」のマーク、そして14系や24系にはないスマートな屋根そして優雅な後ろ姿、「東京からの列車」は優雅な姿列車でした。そして朝日に向かうEF61が引く郵便車を連結した「阿蘇」、大きな窓のグリーン車を連結した「日南1号」、下る荷物列車には満載の荷物、「ワムフ」が連結されてました。裏表紙です。棚の肥やしのプラットホームを作り出した理由です。ブルートレイン3車両をつくる181
アスファルトの表現をします。マスキングをして塗り分けます。ホームを作る⓹
正月は母の実家で祖父母に挨拶です。京都ですから白みその雑煮を食べます。機関車を自作すべく(EF61もどき)ユニバーサル模型に行きました。「これからはこれの時代やで、1990円で連結器もついてるで。」と後の八条口模型の主人になられる籾井氏に紹介されたのが中村精密のキットでした。「ナハはこれや。」と思い購入しました。妻板のリブの表現もされてます。76年の正月、この年の3月に関西を離れることになります。「きたぐに」と私
ついに購入しました。購入予定はなかったものの北陸トンネルを見てからひかれるものがありました。あの日の「きたぐに」のオシ17の仕様です。手前の部分のヒーターが発火点と言われてます。北陸新幹線の敦賀開通が半端で乗り換えが不便と言われてますが、早く京都・大阪へアクセスして欲しいものです。オシ172018
結局1箱分(500mm)作ります。とりあえず塗装してホーム面は塗り分けします。ここに住んで10年、そろそろエアコン買い換えたい。ホームを作る④
ホームの端は側板と同じ色に塗ります。ホーム面は塗り分けるので2日仕事になります。ホームを作る③
側板を塗ります。ホームを作る②
「ブルートレイン3車両を作る」(+)でとうとうホームまで作り、「大型ドールハウス」になりかねないと思ってます。人形が身近にある環境でしたので、とことんまでやろうと思ってます。中心となる16番の方は「自宅レイアウト」のカテゴリーまでありますが気が向くときにやるていどです。さて、この16番のホームちょっと手を付けてみようと思います。ホーム
本日発売分です。尾久は品川と違い、ホームから客車を撮影できるのが良かったです。「喜劇、急行列車」の大原麗子を思い出しました。今日はお彼岸です。ブルートレイン3車両をつくる180
主人から話を聞いてましたがいよいよ閉店とのこと。ここに住み着いた当時「鉄道模型を扱ってる店」(玩具店を含む)が5店ありましたが、最後の「模型専門店」が閉めることになります。沿線ではホクトモデルが閉店しやく20年、模型店に行くには都心にでないといけなくなりました。メーカーそのものも吸収される今、そして老舗のカワイモデルも閉店の話を聞きました。姿を消す街の模型店、
最初に購入したパソコンが先輩にすすめられたメーカーの製品でした。そこのパソコンが時限爆弾の如く〇〇O〇タイマーと言われてました。その会社勤めてましたが、理由があって退職したのですが、その会社の商品は今でも好きです。デザインなどはかなり影響を受けてます。区画整理で建て替えて入居10年になりました。給湯器の時間表示をみれば時計ではないので調べたら「10年点検の表示」とのことでした。ガスなので爆発すれば怖いのですが、こんな祖機能もあるとは。タイマー
「きたぐに」に乗ったことがありませんが、事故以来意識する列車になりました。新聞の一面で焼けただれた軽量客車を見て、父が「高千穂」に乗った話をしてくれました。父が飛行機が好きで技術者を目指したたこともあり、倅が鉄道が好きなのも当然と思ったようです。そして「きたぐに」で運用された「ナハ」という形式の車輛が欲しく、大阪大丸(京都模型)で話したら東海道線で見た日南1号の「ナハ」とは違う短い車両で帯が入ってました。結局その時は諦めることになりました。画像は924列車1978年6月の撮影です。「きたぐに」と私
おめでとうございます。地震の後だけに開業の喜びは大きなものでしょう。自分の地元、九州新幹線の開業はは東北地震の翌日でしたのでお祝いどころではありませんでした。華やかな宣伝も公開されず動画サイトでしか見ることができません。本来は新幹線は「用事がないと乗らない」のですが、今回は敦賀まで乗って関西に向かいたいと思っています。祝北陸新幹線、敦賀開業。
明日、北陸新幹線敦賀開業です。地元の地震の後なのですが、新幹線開通は喜ばしいことです。それは自分の故郷にも新幹線が通り駅もあるので同じ気持ちです。そしてこれまでの北陸の輸送とその輸送を支えてきた犠牲者のことを忘れることはできません。「きたぐに」を忘れないで
事故の日の「きたぐに」の編成です。機関車は富山機関区の所蔵でした。客車はすべて宮原です。食堂車の連結された列車だけあって、座席車はオハ35が入ってません。A寝台が入っても末端区間では各駅停車になる「妙高」とは違います。九州方面なら43-10以前「の霧島」「高千穂」クラスの列車なれど新潟で寝台車が解放されます。「あさかぜ」が山口県から有効時間帯で設定されたことから同じ意図を感じます。9号車のナハ102010は年度初頭ではナハ1010だったので夏場に電気暖房が取り付けられたのでしょう。「きたぐに」
本日発売分です。内容は先週と同じです。16番の模型ではできない工作を考えてますが、まだ考えが煮詰まってません。ブルートレイン3車両をつくる179
1200mmのベースです。KATOの製品ですが今後発売されないとのことです。16番に応用できるので残念です。高さが100mmあるので床においても使いやすいです。レイアウトベース
元旦の北陸地震は寒い中なので阪神淡路地震を思い出しました。地震の3週間前に祖父の1周期で京都に行き、墓参りの後は大阪神戸と模型店を巡りました。当時三ノ宮に店があったKOKで委託品の模型を求め三ノ宮から大阪に出て新幹線で帰りました。「火垂るの墓」が作り話なれど、このような話はいくらでもあることですが、最初の場面にあった阪急三ノ宮駅を見たのがこれで最後でした。95年当時は義援金をだす余裕がなかったのですが、13年前はそれなりにできました。しかし原発事故は、せっかくの新しいエネルギーの平和利用がこのような形になってしまい残念と思います。そして東京電力(株)の職員が責められるのが気の毒に感じました。それに追い打ちをかけるがごとく水産物の風評は四方が海の日本には辛いものです。「ひとりぼっちの政一」だけでなく北陸には...地震から13年
ずいぶん昔に作った鉄橋です。処分しようと思いましたが、先輩から「アルミは大切にしなさい。」と言われそのままにしてます。一部が木材なので、更新改造して再利用を検討してます。鉄橋
クモハ485-0の相方のモハ484増は初期、平成一桁にMPに換装し、そしてモハ484-0は動力付き、もう1ユニットの増Mはトレーラー、そしてインサイドギアのままの増Mがこの車両です。485系は先頭車が6両あるので動力を換装します。モハ484
動力車増備なので、組み立てていきます。キハ80動力
待避線ではなく側線が踏切を越えるので興味があって見に行きました。相武台前は工場がありました、名残でヤードがあり側線の1本が踏切を越えます。かつては本線に接続していたと思われる配線ですが架線は張ってないので工事用車両に使われたと思います。特急が通過します。座間市は踏切信号の会社があり何気に「鉄」分があります。小田急電鉄(株)小田原本線小田急相模原7号踏切
本日発売分です。高校生の時、関西には縁がなかったオハネフ13を見たかったので上野→尾久→赤羽、上野と赤羽の間にあるのなら京浜東北線で上野から尾久に向かいました。当時は「津軽」「妙高」が尾久所属、「越前」が福井所属で上野発で運用されてました。東京から上野を通り京浜東北線で赤羽、尾久駅どころか客車の姿が見れず、再度京浜東北線で上野に戻り赤羽へ、そこで駅員氏に「すみません、尾久にはどういっていくのですか?上野と赤羽の間で京浜東北線で行けるはずですが?」と聞いたら「東北本線の列車ホームです。」と親切に連れて行ってくれました。念願のオハネフ13を見ることはできましたが、緩急車としての運用は「津軽」のみ、「妙高」や「越前」は重量と床板が木材なのでスハネ16が使用できないのが理由でした。白が車掌夏服、できれば蝶ネクタイ...ブルートレイン3車両をつくる178
玄関を留置線にしますので線路を仮設しました。狭いマンションでも16番の模型が楽しめます。仮設線路
「ナ」は客車では「並型」の意味ですが貨車は「活魚車」の記号です。活魚車は梅田や米原に常備されて多摩川や相模川に稚魚が放流されました。川魚は苦手ですが活魚車を思い出し米原で求めました。鮎のオイル漬け
今日はひなまつりです。人形に縁があるのですが、それを模型に応用してます。ラティスを使って工作コーナーを作ります。水道もあります。片付けないといけません。ベランダ工房
現役のそばスタンドdす。京都駅第二ホームのそばスタンドです。こちらは繁盛してますので現役ですがお値段は高めです。観光地そしてかつての首都です。凝った外装です。こちらこそ模型化してみたいですが16番では難しい。「三公社五現業」の名残、都市部の中央郵便局は主要駅のそばにありました。大阪駅はコンテナセンターからスイッチバックで郵便局にホームがありました。主要駅には改札内にポストがありましたが、東京駅は丸の内口にポストがあります。ホームにあるのはこの京都駅のみと思われます。その昔、和歌山市駅にもポストがあって職員が郵袋をスユニ61に積んでました。ホームの上のそばスタンド(2)
「諸行無常」南無阿弥陀仏こころのともしび2024年3月
「きたぐに」の車輛を調べてみました。基本付属編成共に宮原の所属で、オハネフ12は「山陰」で縁がありますが、座席車は60-3改正前にナハ102012に和田山から福知山まで乗車した記録がありました。今月も終わり、「さる」は一日多い日です。配置表
本日発売分です。昨日、近くに行きました。今年は閏年、今月はあと一日あります。ブルートレイン3車両をつくる177
乗車券は大阪から小田原まで、大阪市内→山科→近江塩津→米原→小田原で乗車券を求めてました。長浜鉄道スクエアでED70を見に行く予定でしたが、、、、、。阪神梅田駅は線路が1本撤去されてホームが拡幅されてました。大阪駅から湖西線に向かいますが、山科で少し時間があります。山科駅の湖西線の分岐点です。近江塩津に近づくにつれて気が変わってきました。全国ダイヤから外れる前に北陸トンネルを通ることにします。南今庄まで乗り越しします。敦賀で切符を求めます。敦賀を出て長いトンネルを通ります。南今庄で1時間近く時間があります。昭和47年の北陸トンネル列車火災事故で犠牲になった乗客と「トンネルに散った韋駄天機関士」に手を合わせます。あの日の「きたぐに」は南今庄口を無事にでられませんでした。火災事故の原因は電気暖房の端子盤の不備...予定は未定でした。
三ノ宮の朝です。日本橋に向かいます。いつものルートが三ノ宮から甲子園口、甲子園口から阪神甲子園まで徒歩。そして難波から日本橋に向かい模型店巡り。昼食はきつねうどんとかやくご飯。油揚げはきざみです。昨年5月の撮影です。阪神ファンは地元甲子園よりも阪神尼崎の方が強いと思いました。テレビで阪神ファンのお店が紹介されてたので行ってみます。開店前に覗いてきました。看板からしてすごいですが今日は試合なし。店の様子、天国です。主人、主人も虎でした。河岸を変えて以前から気になってたお店で土手焼き。今日も呑みました。虎に酔う
祇園の朝です。昨夜、かなり呑んだので朝食は軽く、しかしホテルでダラダラしてたので日は昇り八坂神社の山門がきれいでした。運動がてら墓参りに行きます。そして河原町から梅田へ。「祇園四条」「京都河原町」「大阪梅田」「神戸三宮」が駅の名前ですが「昔の名前で出ています」。梅田の「松葉」で昼食&昼のみ。阪神優勝の余韻が残り「六甲颪」の大合唱、当然流れに混ざり盛り上がりました。空き腹で酔いも回り、酔いを醒ますがごとく各駅停車で三ノ宮に向かいます。神戸でも呑んでいつものホテルで就寝。大阪で酔う
年初に京都の墓参りの予定でしたが「諸般の事情」により、今回実行することにしました。今回は3月から北陸本線敦賀より新潟方面が全国ダイヤから外れるので、近江塩津~米原間の未乗区間に乗って、長浜にED70を見に行く予定でした。京都駅の新幹線ホームから下に降り、東福寺→四条から市内に入ります。一本橋です。渡って京都市内へ、比叡山の阿闍梨様にあやかってます。近くの花屋で花を買い母と祖父母の墓参り。この後は模型店巡りです。西大路駅まできました。日は西に傾いてます。新幹線のガードがボロボロです。建設されて60年新幹線を止めて建て替えするわけにもいかずどうするのやら。この後は懐かしい料理と共に祇園で泊まりました。繰り下げ関西旅行
「横浜鉄道模型フェスタ」で見せてもらったカツミの新製品の25形の床下機器です。長らく12系のユニットが流用され93年頃の14系から改善されてきましたが、エンドウから供給が難しくなったようです。かなりよくなりました。床下機器
手つかずの「ブルートレイン3車両を作る」が「4車両を作る」になりそして「ブルートレインと停車駅を作る」で打ち止めと言うことです。書店で予約して受け取ってます。気になるのが「ホンダCB750を作る」です。バイクは好きですが乗る機会がなく特に好きなのがホンダのGL400です。シャフト駆動ですが2輪車なので原動機の回転方向と反対方向に発電機を回してバランスをとるように設計されてます。祖父・父・弟はバイクに乗ってましたが自分はバイクには縁がなかたのですが余計なことだけは知っており、CB750は本当は「CD750K0」で「K0」(ゼロ)は「改良0の原形」の意味のようです。さてカツミのキハ80系、本来は「キハ80系改良増備型キハ82グループ」が60年以上前から生産され、昭和末期に前面が改良され車体がそのままになり、車...木に竹を接ぐ
本日発売分です。「いなほ」に乗ったのは国鉄時代で合宿免許で酒田に行ったときでした。表題が「ブルトレに接続した」ですが自分には「新幹線に接続」したのです。今も新潟から山形・秋田を結ぶ列車です。再び酒田を通った旅が「あけぼの」の旅、米どころを走りながら羽前大山駅から複線から単線になったり、そして防雪林を初めてみたり八甲田丸との再会と思い出になりました。ブルートレイン3車両をつくる176
隣が機関車または在来客車の連結を考慮し中間のオハ12の連結器を交換しました。簡単ながら屋根の補強を再現してます。#118をオハ12
手持ちのアングルでボードを載せる架台を組みました。棚にはコントローラーが入ります。レイアウト架台
長らく天賞堂(株)が米国ケーディー社の代理店でしたが、模型ショーで紹介された16番用の頭が大きい連結器です。カトーの車輛と互換性があるので、緩急車用に使用してます。#118
画像には出してませんが、自宅で走らせるボードを作りました。そのうちアップしますが、この古い中村精密のナハ10を走らせると中々のものでした。旧友
一番お世話になった客車です。特に興味があったのが戦後型オハ35改造のオハフ33についてですが詳しい記事が掲載されてます。オハ35系客車
しかかってる車両もかなりあるので仕上げていきます。広窓と狭窓がアンバランスです。クモハ53007は動力化します。旧型国電も少し。
昨日のテレビ埼玉の「パパと呼ばないで」第12話を見ながらはんだ付けをしてました。両国駅の改札口や銚子に向かう列車はキハ58系、そいて両国駅の改札口やホームの詰め所、に目が行ってしまいます。キハ58の車内が今は懐かしいです。下町のお米屋さんは「三丁目の夕日」の世界です。昭和40年代後半は関西も同じ風景、区画整理前の地元も同じでした。本日発売分です。九州に乗り入れないブルートレインは、「あさかぜ」設定当初からありました。それは山口県内が有効時間帯に設定されたことであり、そのために関西を深夜時間帯に通過することからも伺えます。また北九州が有効時間帯にするのに無理があったこともあります。まもなく北陸トンネルが全国ネットワークから外れます。「きたぐに」のオロネ10やオロネ14そしてサロネ581と共に「国鉄」らしさで...ブルートレイン3車両をつくる149
電球式の室内灯です。白色LEDに交換しました。FLパネルライトの在庫が払底しました。ボルスターのネジを交換しました。スハネ16更新修繕
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出かけました。須田町の六文そば、名物、ゲソ天は品切れ。買い物の後、新宿。百貨店が解体され空が広がる。あくまでも物売りは電鉄の副業、そして淘汰。岐阜屋でビールでした。久しぶりに出かけたものの、夏バテ
築10年ともなれば機器の「寿命」が来るものでして、父の部屋のエアコンの次は温水便座。エアコンはこれまで仕事でしたが最初から調子が良くなく専業メーカーですが「買うのをやめた方がいい」と思ってた製品でしたので来るべくしてきたと思ってました。買い換えた零は好調です。今のは快調です。しかし便座が交換なら20万は覚悟してましたが、修理を依頼すればまだまだ持つとのこと。結構な出費ですが仕方ない。痛かった、、、、、
月一で開催してます。来月は検討中。運転会
DT32はブッシュが入ってたので流用します。ボルスターは交換します。昔、MPギアを買ったらボルスターがついてたので手持ちがありました。台車
室内灯はパネルライトでした。LEDに交換します。下回りはすべて交換です。車体を外してみました。
飯を食ってリサイクルショップを覗いて見つけました。先日のモハネ580より状態が良いので購入しました。下回りが、片側のインサイドギアなし、元からこの動力は使うつもりがないのですが、覚えてる人も多いはず。モハネ582
本日発売分です。平成元年「海峡」で渡道したときに車窓から見た青森運転所は広々とした印象がありました。「日本海」や「きたぐに」が整備を受けた拠点です。最後に乗ったブルートレイン「あけぼの」が引き上げるのを見たのが10弁前になりました。ブルートレイン3車両をつくる188
今週に入り、父の看護で部屋を回送しています。先日のキャスターは書棚などの重量物の設置には向かないので、既存の作業台と交換し、作業台も組みなおしします。作業台の組み立て、
鉄道模型趣味で紹介されてたG&D鉄道、製作者が無くなられたのち、焼失してしまった、と記事にありました。小さなパネル1枚が原点でした。自分の鉄道もこの900×450mmのパネル2枚が始まりです。はじまり
わざわざ高く買い物するのを美徳とは思いませんが安いものを買って失敗した例です。組立家具は旧東急ハンズで求めてましたが、製造元が無くなった(不明)ので〇天で互換性があるか工夫して使える部材を物色してました。書棚をつくりましたが重さに耐えかねて変形、修理できるレベルですが安いだけならそれなりです。安物買い
こちらも修理します、交換す部品をさがします。昨日に引き続き
運転会の度に持って行くのでネジの緩みが見られたので整備します。未だにマグネットモーターをtかってる車両があるので旧式ですが一番安定しています。パワーパックの整備
エックスカーです。実際の物語には出てきませんが人気があります。ロータリー式の雪かき車に似てます。エックスカー
本日発売分です。「さくら」は「はやぶさ」との併結時代に乗りました。25形と14系の併結でしたが、電源が分かれて供給されてましたので矛盾を感じてました。ブルートレイン3車両をつくる187
父の看護に伴い雑誌を整理しています。書棚を組み立てて雑誌の整理をします。父が鉄道雑誌を見て「模型の本は広告ばかりやな。」と言ってました。母が毎日婦人雑誌を買って嵩張るのでそれを見て同じように思っていたのですが、専門誌や資料についてはそのようなことを言いませんでした。処分するのは模型雑誌がほとんどです。雑誌の整理
今日は振替休日です。この時期に運転会を企画してましたが会場が都合できませんでした。モハ484の相方です、しばらくそのままでしたが整備します。モハ485
祖父が甲冑の職人で「こどもの日」からは一息付けます。祖父のことで思い出すのが、亡くなったのが年末の繁忙期で「連休は禁止」と言われお通夜だけでて銀河82号で帰ってきたことです。今ならば、親族のお通夜や葬式にださせないと、パワハラになります。朝一番の新幹線で京都に向かいお通夜まで祖父のそばにいたのですが、金がないから臨時列車で帰る手段を考えるあたり「鉄」ということです。そんなことを思い出しながら出してきた14系座席、ジョイントの音が南無阿弥陀仏でした。こどもの日
先日の運転会で気になったキハ80系の車端ダンパー、妻面でかなり気になります。やはりあるのとないのとでは違います。車端ダンパー
父の看護に伴い部屋の整理をしてたら、処分したと思ってた「ひとりぼっちの政一」が出てきました。政一の両親が失踪し親戚に引き取られ、特殊学級に入れられた6年生の1年間の話です。引き取られた親戚に特殊学級に入れれれて今ならば虐待です。父の両親が早くなくなり、幸せでなかった父の子供時代を思うと、政一と父が重なります。また亡くなりましたが金沢市出身の御木本伸介が父と同じ歳で同じ境遇だったのも重なります。久しぶりに読み返してみると、修学旅行や政一が家出して金沢に行く描写が、キハ20やキハ26の車内を思い出させる表現でした。この本を読んだのが甲子園に住んでいた小学生の時で気動車の記憶と言えば東海道線で「みるだけ」でしたが、高校生の時に津でキハ55やキハ20に乗って政一の旅を思い出しました。「おわりに-今、五人の子どもた...「ひとりぼっちの政一」
本日アップになります。昨日発売分です。宮原客車区、「きたぐに」が最初の14系が配置された運用でした。西行きはほとんどが京都や新大阪なので新設された向日町が中心になり、運転所で各種の車輛が配置されてたのに対し「客車の宮原」でした。そして関東では目黒川~蛇窪~大崎と同じ役割が宮原~塚口~塚本のルートでした。時々、塚口で見た485系が今では懐かしいです。ブルートレイン3車両をつくる186
模型の画像ではありません。高崎でもなく大井川でもなく福知山で現役の頃の画像です。模型を買ったのではるか昔の画像です。オハニ36が入った編成で記録はDD511128米子オハニ367オハフ33539スハフ42140オハ47167スハフ42226オハフ33125オハ472221スハフ422149523列車福知山→浜坂198538の記録です。全て福知山区の客車でオハニは福附15オハフ33539は福臨附23で増結以下は福12で「基本編成」です。オハニの背後はマニ50そして1本越えて、更新工事されたオハフ33後ろはオハ12でしょう。ここで気になったのが背後の客車区の建物、煙を外に出すための屋根が見えます。鍛冶職場があったのでしょう。古い写真の再発見です。オハニ36トラムウェイ
「達人」とJAMで話したこと、直流でもスイッチマシンだ電気を食うものでリレーを使う、と言ってました。そこで在庫部品から探し出したプラグインリレーです。遠隔制御に使います。リレー
一歩ずつ終わりに近づく日がきました、今年は仕事。いつもなら母の日もかねて京都に行ってます。弟、友人からお祝い帰ってから父とサシで呑みです。さてEF65-1000更新工事をしないと、9月の運転会もしばらく運転会はやるともりなのでまだまだおわれません。やらなきゃ、
9月に運転会を開催するつもりで今から準備です。会場の確保が月末に決まりますので今から準備します。左の端子盤は自宅レイアウトの信号用です。準備
昨日発売分です。「あかつき」が廃止になって年経ちました。これからは新幹線「かもめ」の駅です。ブルートレイン3車両をつくる136
福知山線は古くから尼崎から塚口まで電化されてました。スハ44時代の「つばめ」「はと」の折り返し用で塚口で折り返して宮原に入り翌日の出発時に折り返して大阪駅にはいります。50-3以降は北陸線関連の「雷鳥」が向日町→新大阪→宮原→塚本→尼崎→塚口で折り返し大阪駅の混雑を緩和してました。塚口で581系や485系をよくみましたが、側線で大物車や鉄製有蓋車を見ました。その鉄製有蓋車が三菱の専用線に入っていったのが気になってました。奥の車止めから工場に入っていきます。長い踏切です、線路跡はコンビニです。右手のマンションは森永の工場でした。いつも甘い匂いがしてました。阪急神戸線がオーバークロスします。専用線の入り口です。門の跡です。上は阪急神戸線、専用線の跡は一部が生活道路になってます。昭和50年頃シキ400が塚口に留...三菱電機(株)伊丹製作所専用線跡
尼崎市は大阪市の一部の印象がありますが、市外局番が大阪市で商売上の理由です。みんな阪神大好きです。今夜の試合はどうなるか、サウナで観戦します。阪神甲子園球場100年のラッピング。後ろを振り向けば今年度中に姿を消す青胴車、MAU-13も今年の夏で役目を終えます。入庫・出庫を繰り返すので転轍機の音が頻繁に聞こえます。新ジェットカーの足元の分岐も変わった形です。阪急が好きな三分岐ではありませんが、出庫車両が出ていきます。この後は日本橋で買い物。そして甲子園口に向かいます。一番右が今の下り列車線、その昔は阪神武庫川線、その左が下り緩行線です。ちょっと不自然な配線です。路盤に余裕があります。分岐を見ます、背後のマンションは武庫川に沿ってます。下り列車線にホームがありません。線路に沿って店舗が見えます。「甲子園模型」...尼崎から神戸
白川の一本橋を渡り京都に入ります。東山からお寺に向かい墓参りです。昨夜2340発で今朝540で6時間の乗車でしたが町田発は新宿発と違い、乗車前に食事をするにも時勢上22時を過ぎると営業してる店は少なく、そのまま乗車しました。京都で降りても540なら営業してる店は少なく、とりあえず適当に朝食を済ませます。ここからは自由時間、東大路から大回りして西大路のボークス、河原町に戻り阪急で十三に乗換です。久しぶりにイチフジ模型に行き、伊丹空港をくぐって福知山線で尼崎からバスで阪神尼崎へ。予約してるホテルにチェックイン、風呂に入って一休みしてお好み焼きでも食べに行こうと思いましたが寝入ってしまいました。新緑の京都?夏の京都?
本来は仕事が終わって新横浜から新幹線の予定でしたが、行きつけの京都の宿泊施設が工事で休業なので予行バスで向かいます。指定された乗り場がここ、住宅街か日本食レストランか長野のほうに向かいそうです。急行「きそ」という列車がありました。名古屋からEF64が引く列車で客車は電気暖房でした。金曜日に帰宅の予定でしたが木曜日に用事ができたので水曜日遅くに帰宅予定、京都に行くといっても観光をするわけでなし墓参りでカーネーションを供えれば模型店にいくくらいですが、食事などそれなりの楽しみがあります。町田から出発です。京都まで6時間の道のりで横浜町田インターから京都東インター、五条通から河原町通で八条口に向かいます。足柄SAから減速を感じた土山SAまで眠りました。夜行バスで関西
自分で使うのですからありあわせの部品で作った電源です。レイアウト用に家を借りてた頃に作ったもので部品を外したりつけたりしてます。これにメーターをつけます。電源
先日手に入れたパワーパックの変圧器です。容量が大きいので活用したいのですが、その前にテストをします。2回ほど、これも部品取りに落札したパワーパックが電源を入れたらトランスから出火した経験があるので仮配線をします。1回目は秋葉原で有名な店舗。もう一つは有名なメーカーの製品でしたが、それ以来この2社の製品は使わないようにしてます。一番使うのは秋葉原の東栄でメーカー店舗です。危険承知
下回りを組み立てます。完成です。キハ5856は室内灯でてこずってます。キハ40長崎機関区試験色
昨夜「ラジオ深夜便」でドナ・サマーの特集を組んでました。高校2年の夏休みアルバイトをしてコタニ模型にあったスハネ16を買いにったらすでに売れてました。その時の「ホットスタッフ」が商店街に流れてましたが、今は閑古鳥がないてます。ツカサ模型を紹介され放出に向かいはんだ付けの講習を受けてキットを求めました。オレンジ色の101系や放出のヤードなど古いことを思い出しました。もう一つNHKネタで高見ノッポさんが昨年死去されました。昭和一桁で両親の世代でした。京都生まれというとこで親しみを感じます。工作が苦手だったそうですが一生懸命されてたのが印象的でした。本日発売分です。記事もなく部品があるのみでした。ブルートレイン3車両を作る135
小学生の頃給食の鉱物が鯨の竜田揚げでした。今は珍味ですがそのころが安価なたんぱく源でした。クジラ一頭で3つの村が潤うと言われてます。環境団体は和歌山で騒いでくれてますが資源の乏しい日本では貴重なんですよ。そういえば破れ奉行という時代劇で成敗に向かうのが鯨船で武器が銛でした。関西に住んでた頃、大洋漁業(株)、今のマルハニチロ(株)ですが「鯨」と聞くと「横浜大洋ホェールズ」という印象があります。1998年、寅年でしたが横浜の優勝がうれしかったのは長く神奈川県に住んでるからでしょう。そう思いながら燗酒3合呑んでしまいました。鯨
自宅レイアウトの延長部の架台を作りました。架台
パワーパックも結構作りましたが、配線の引き回しも中学生の頃の「密林配線」から合理的に配置を考えて引き回すようになります。製作するときや運転会をやるので機器そのものを動かしますからネジの緩みを直しやすいようにシャーシとパネルを完全分離できるように改善しました。先日のシャーシです。歪んでたので叩きます。シャーシに端子盤をつけて100V側の配線をします。ゴム足は4mmのタップを立てて取付けます。ゴールデンウィークが終わって新緑の時期を過ぎたら梅雨です。タップと言えば「雨に唄えば」を思い出しますがそのタップではありません。自分仕様
配線をしていきます。完成しました。フィーダースイッチ
端午の節句です。母の実家が五月人形を作ったましたので忙しさも収まる頃です。子供のころから仕事場にでいりしてたので一通りに工作は覚えました。はんだ付けはガスバーナーでしていました。祖父が自分にはんだ付けを教えるのに「電線はこの三分の一でええ」と言われ100Wの鏝をだしてきました。そして初めて半田鏝を買ったのが小学校2年のときでした。先日、その鏝を修理しました。子供のころから「修理は自分でるもの」という癖はその頃についたのでしょう。環状線のモハ100の床板を加工します。ウェイトと床下機器の穴をあけます。できました。モハ100下回り
土曜日の夜「おとこはつらいよ」が放送されてます。良き時代の「国鉄」の場面と共に楽しんでますが、柴又に行ったことがありません。「矢切の渡し」と千代田線で反対方向の「登戸の渡し」です。地ビールその②
学生の頃、白山通りに「いもや」というてんぷら屋の近くに「憲法会議」と書いた扉があっていつも「何をやってるんだろ」と思ってました。たいした勉強はしませんでしたが、日本国憲法と聞けば「朝日訴訟」を思い出しますが、その基準が曖昧と思います。神保町界隈も鉄道本を専門に扱う古書店がなくなり足が遠のきましたが、ガイドブックシリーズや貴重な本を入手することができました。今は市ヶ谷でお参りして坂道を降りながら覗き気が向いたら書泉グランデに寄って神田でそばを食べ秋葉原に向かうのが定番です。書泉グランデに寄って時折大学のサークル誌を見かけますが、まともに学生生活ができなかったので大学の「鉄道研究会」は憧れでした。高校生の時は非公認ながら運動部と掛け持ちで写真部の仲間でグループを作ってました。阪和線のEF58は39にはよくあい...ブルートレイン3車両をつくる134