取付けて出来上がり、後はオシとハネが7両です。スハネ25702床下機器
室内灯はLEDのパネルライトにしました。デッキ側に仕切りをつけます。仮配線をします。今月も終わり、後半は掘り出し物のモハネ582と兄貴分と弟に祝われ楽しく過ごせました。来月も運転会をやりますが、7月8月は夏休みなので子供優先なので休止です。モハネ582⑦
こちらの記事から。2020年の阪神赤胴車の引退、そして今年の青胴車引退で同じクーラーを積んだ12系をはじめ国鉄型車両の引退も近いと思ってました。高温多湿の日本の気候は車体の消耗もありますが、昭和40年代前半の開発で冷媒は塩素を含んだ冷媒を使ってると思われます。小学生の時、カツミのブリキの模型に始まり、「山陰」で余部鉄橋を渡り、2000番代の東北本線、日豊本線の「日南」で乗車しました。今月、京都に行かなかったのでどうしようか。西日本の12系引退
本日発売分です。青森運転所は最後のブルートレインの基地でした。「あけぼの」に乗ったのが10年前になりました。ブルートレイン3車両をつくる190
床下機器の塗装をします。キハ47
黄色のセメダインCが使いやすいんですが100均を見てもなし、次の目的が。JRマークをつける気がないので実家の佐賀線か山陰線。昼飯の名目で呑んで鯨刺し、小学生の頃給食で竜田揚げを食べてから好きになったのですが、今は貴重品。キハ47T
台車は新調しました。下回りを組み立ててます。ウェイトを黒を塗るところが灰色に塗ってます。そのまま使います。モハネ582⑥
在庫品のEN22をつけてACEカプラーを付けます。楽しい作業です。モハネ582⓹
買い置きの床板Aです。折り戸の切欠きをします。モハネ582
本日発売分です。人形や内装を入れるとこのくらいのスケールならよくなるでしょう。ブルートレイン3車両をつくる189
出かけました。須田町の六文そば、名物、ゲソ天は品切れ。買い物の後、新宿。百貨店が解体され空が広がる。あくまでも物売りは電鉄の副業、そして淘汰。岐阜屋でビールでした。久しぶりに出かけたものの、夏バテ
築10年ともなれば機器の「寿命」が来るものでして、父の部屋のエアコンの次は温水便座。エアコンはこれまで仕事でしたが最初から調子が良くなく専業メーカーですが「買うのをやめた方がいい」と思ってた製品でしたので来るべくしてきたと思ってました。買い換えた零は好調です。今のは快調です。しかし便座が交換なら20万は覚悟してましたが、修理を依頼すればまだまだ持つとのこと。結構な出費ですが仕方ない。痛かった、、、、、
月一で開催してます。来月は検討中。運転会
DT32はブッシュが入ってたので流用します。ボルスターは交換します。昔、MPギアを買ったらボルスターがついてたので手持ちがありました。台車
室内灯はパネルライトでした。LEDに交換します。下回りはすべて交換です。車体を外してみました。
飯を食ってリサイクルショップを覗いて見つけました。先日のモハネ580より状態が良いので購入しました。下回りが、片側のインサイドギアなし、元からこの動力は使うつもりがないのですが、覚えてる人も多いはず。モハネ582
本日発売分です。平成元年「海峡」で渡道したときに車窓から見た青森運転所は広々とした印象がありました。「日本海」や「きたぐに」が整備を受けた拠点です。最後に乗ったブルートレイン「あけぼの」が引き上げるのを見たのが10弁前になりました。ブルートレイン3車両をつくる188
今週に入り、父の看護で部屋を回送しています。先日のキャスターは書棚などの重量物の設置には向かないので、既存の作業台と交換し、作業台も組みなおしします。作業台の組み立て、
鉄道模型趣味で紹介されてたG&D鉄道、製作者が無くなられたのち、焼失してしまった、と記事にありました。小さなパネル1枚が原点でした。自分の鉄道もこの900×450mmのパネル2枚が始まりです。はじまり
わざわざ高く買い物するのを美徳とは思いませんが安いものを買って失敗した例です。組立家具は旧東急ハンズで求めてましたが、製造元が無くなった(不明)ので〇天で互換性があるか工夫して使える部材を物色してました。書棚をつくりましたが重さに耐えかねて変形、修理できるレベルですが安いだけならそれなりです。安物買い
こちらも修理します、交換す部品をさがします。昨日に引き続き
運転会の度に持って行くのでネジの緩みが見られたので整備します。未だにマグネットモーターをtかってる車両があるので旧式ですが一番安定しています。パワーパックの整備
エックスカーです。実際の物語には出てきませんが人気があります。ロータリー式の雪かき車に似てます。エックスカー
本日発売分です。「さくら」は「はやぶさ」との併結時代に乗りました。25形と14系の併結でしたが、電源が分かれて供給されてましたので矛盾を感じてました。ブルートレイン3車両をつくる187
父の看護に伴い雑誌を整理しています。書棚を組み立てて雑誌の整理をします。父が鉄道雑誌を見て「模型の本は広告ばかりやな。」と言ってました。母が毎日婦人雑誌を買って嵩張るのでそれを見て同じように思っていたのですが、専門誌や資料についてはそのようなことを言いませんでした。処分するのは模型雑誌がほとんどです。雑誌の整理
今日は振替休日です。この時期に運転会を企画してましたが会場が都合できませんでした。モハ484の相方です、しばらくそのままでしたが整備します。モハ485
祖父が甲冑の職人で「こどもの日」からは一息付けます。祖父のことで思い出すのが、亡くなったのが年末の繁忙期で「連休は禁止」と言われお通夜だけでて銀河82号で帰ってきたことです。今ならば、親族のお通夜や葬式にださせないと、パワハラになります。朝一番の新幹線で京都に向かいお通夜まで祖父のそばにいたのですが、金がないから臨時列車で帰る手段を考えるあたり「鉄」ということです。そんなことを思い出しながら出してきた14系座席、ジョイントの音が南無阿弥陀仏でした。こどもの日
先日の運転会で気になったキハ80系の車端ダンパー、妻面でかなり気になります。やはりあるのとないのとでは違います。車端ダンパー
父の看護に伴い部屋の整理をしてたら、処分したと思ってた「ひとりぼっちの政一」が出てきました。政一の両親が失踪し親戚に引き取られ、特殊学級に入れられた6年生の1年間の話です。引き取られた親戚に特殊学級に入れれれて今ならば虐待です。父の両親が早くなくなり、幸せでなかった父の子供時代を思うと、政一と父が重なります。また亡くなりましたが金沢市出身の御木本伸介が父と同じ歳で同じ境遇だったのも重なります。久しぶりに読み返してみると、修学旅行や政一が家出して金沢に行く描写が、キハ20やキハ26の車内を思い出させる表現でした。この本を読んだのが甲子園に住んでいた小学生の時で気動車の記憶と言えば東海道線で「みるだけ」でしたが、高校生の時に津でキハ55やキハ20に乗って政一の旅を思い出しました。「おわりに-今、五人の子どもた...「ひとりぼっちの政一」
本日アップになります。昨日発売分です。宮原客車区、「きたぐに」が最初の14系が配置された運用でした。西行きはほとんどが京都や新大阪なので新設された向日町が中心になり、運転所で各種の車輛が配置されてたのに対し「客車の宮原」でした。そして関東では目黒川~蛇窪~大崎と同じ役割が宮原~塚口~塚本のルートでした。時々、塚口で見た485系が今では懐かしいです。ブルートレイン3車両をつくる186
「感謝」と言う言葉、ありがたいです。仕事も趣味も感謝の気持ちをもちたいものです。夏になりました。南無阿弥陀仏こころのともしび2024年5月
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取付けて出来上がり、後はオシとハネが7両です。スハネ25702床下機器
取付のネジを切り、配線を戻します。昨日組み立てた機器は塗装中。スハネ25702床下機器
スハネ25702の床下機器を組み立てます。プラモデルらしい簡易な造りには物足りなさを感じます。プラモデル
水タンクを除くすべての部品です。共通部品。オロネの専用部品。オハネフの専用部品です。オロネ・オハネフの部品は余ってしまいます。24系25形の床下機器
スハネ25ともう1両のオハネ25-100の床下機器を交換します。床下機器
深夜の仕事ですが夜食は眠くなるので食べません。眠気が来ると危険だからです。今日は明けで出かけました。模型店が開くまで近くで食事、普段は帰ってきたら風呂に入ってから寝るだけなので食事は昼からになります。みそ汁と卵とも食事。久しぶりの朝食はうまかったです。この後は模型店のはしごです。朝食
外れてた窓ガラスを新調します。窓貼り
4両のうちの1両です。台車・車輪・連結器の交換、床下機器の塗装とネジを切りなおししました。「桜島」ナハネ20①
下回りは台車周りの交換、床下機器の塗装、連結器を交換しました。「桜島」ナハネフ22
下回りは台車・車輪・マクラバリの交換、床下機器の塗装、ネジは切りなおして交換しました。台車は手持ちのカツミのTR50を使いました。「桜島」カニ21
「これが最後」と思い西鹿児島から乗った20系「桜島」の編成です。古い模型ですが、室内灯付きです。lEDに換装予定です。「桜島」カニ21
モハ153がやってきました。これで急行の編成ができますが、室内灯と動力の交換はしばらくお預けです。後家さんの相方
水タンクを取付けました。現行のカツミ仕様に合わせてます。本来は4個水タンクを付けますが、精密さはもっと大きい模型で。スハネ25702床下機器
相方がなく後家さんになってたモハ152湘南色です。相方が見つかり運用復活です。懐かしの山陽急行です。後家さん
「北斗星」の新設のモデルで整備された博多「あさかぜ」の二人個室です。弟と一緒に乗ったので思い出の車輛です。オシ24の床下機器が流用されてますので、今のカツミ仕様にします。実際は水タンクは4本でした。スハネ25702
父が現役の頃、自動車会社の融資が仕事でした。日産がホンダの子会社化は抵抗があると報道で言ってましたが、個人の考えは「失礼」と思ってました。やはり物別れに終わりました。画像は日産で好きな車の一つで、名前の由来が映画でした。日産とホンダ
相変わらず整備してない車両の作業です。カニ24の機関車側はケーディーの#118を取付けます。発売元では「イチモツ」と言い、先輩の言葉では「立派なもの」と言いますが、走行中外れてほしくないのでヘッドが大きめです。カニ24-0
先行して水タンクを作ります。ベースに固定します。塗装しました。スハネ25702の水タンク
「あさかぜ1/4」のスハネ25、オシ24の床下機器が流用されてます。シャワーがあるので水タンクが増設されました。Nゲージの製品を参考にします。中村精密の水タンクを使います。スハネ25700の床下機器
今日は節分です。閏年の翌年はずれます。自称「鬼」なのでこのあたりは気になります。取付けました。これで在庫が払底、再開は調達後になります。オハネ24702床下機器
年初に京都の墓参りの予定でしたが「諸般の事情」により、今回実行することにしました。今回は3月から北陸本線敦賀より新潟方面が全国ダイヤから外れるので、近江塩津~米原間の未乗区間に乗って、長浜にED70を見に行く予定でした。京都駅の新幹線ホームから下に降り、東福寺→四条から市内に入ります。一本橋です。渡って京都市内へ、比叡山の阿闍梨様にあやかってます。近くの花屋で花を買い母と祖父母の墓参り。この後は模型店巡りです。西大路駅まできました。日は西に傾いてます。新幹線のガードがボロボロです。建設されて60年新幹線を止めて建て替えするわけにもいかずどうするのやら。この後は懐かしい料理と共に祇園で泊まりました。繰り下げ関西旅行
「横浜鉄道模型フェスタ」で見せてもらったカツミの新製品の25形の床下機器です。長らく12系のユニットが流用され93年頃の14系から改善されてきましたが、エンドウから供給が難しくなったようです。かなりよくなりました。床下機器
手つかずの「ブルートレイン3車両を作る」が「4車両を作る」になりそして「ブルートレインと停車駅を作る」で打ち止めと言うことです。書店で予約して受け取ってます。気になるのが「ホンダCB750を作る」です。バイクは好きですが乗る機会がなく特に好きなのがホンダのGL400です。シャフト駆動ですが2輪車なので原動機の回転方向と反対方向に発電機を回してバランスをとるように設計されてます。祖父・父・弟はバイクに乗ってましたが自分はバイクには縁がなかたのですが余計なことだけは知っており、CB750は本当は「CD750K0」で「K0」(ゼロ)は「改良0の原形」の意味のようです。さてカツミのキハ80系、本来は「キハ80系改良増備型キハ82グループ」が60年以上前から生産され、昭和末期に前面が改良され車体がそのままになり、車...木に竹を接ぐ
本日発売分です。「いなほ」に乗ったのは国鉄時代で合宿免許で酒田に行ったときでした。表題が「ブルトレに接続した」ですが自分には「新幹線に接続」したのです。今も新潟から山形・秋田を結ぶ列車です。再び酒田を通った旅が「あけぼの」の旅、米どころを走りながら羽前大山駅から複線から単線になったり、そして防雪林を初めてみたり八甲田丸との再会と思い出になりました。ブルートレイン3車両をつくる176
隣が機関車または在来客車の連結を考慮し中間のオハ12の連結器を交換しました。簡単ながら屋根の補強を再現してます。#118をオハ12
手持ちのアングルでボードを載せる架台を組みました。棚にはコントローラーが入ります。レイアウト架台
長らく天賞堂(株)が米国ケーディー社の代理店でしたが、模型ショーで紹介された16番用の頭が大きい連結器です。カトーの車輛と互換性があるので、緩急車用に使用してます。#118
画像には出してませんが、自宅で走らせるボードを作りました。そのうちアップしますが、この古い中村精密のナハ10を走らせると中々のものでした。旧友
一番お世話になった客車です。特に興味があったのが戦後型オハ35改造のオハフ33についてですが詳しい記事が掲載されてます。オハ35系客車
しかかってる車両もかなりあるので仕上げていきます。広窓と狭窓がアンバランスです。クモハ53007は動力化します。旧型国電も少し。
昨日のテレビ埼玉の「パパと呼ばないで」第12話を見ながらはんだ付けをしてました。両国駅の改札口や銚子に向かう列車はキハ58系、そいて両国駅の改札口やホームの詰め所、に目が行ってしまいます。キハ58の車内が今は懐かしいです。下町のお米屋さんは「三丁目の夕日」の世界です。昭和40年代後半は関西も同じ風景、区画整理前の地元も同じでした。本日発売分です。九州に乗り入れないブルートレインは、「あさかぜ」設定当初からありました。それは山口県内が有効時間帯に設定されたことであり、そのために関西を深夜時間帯に通過することからも伺えます。また北九州が有効時間帯にするのに無理があったこともあります。まもなく北陸トンネルが全国ネットワークから外れます。「きたぐに」のオロネ10やオロネ14そしてサロネ581と共に「国鉄」らしさで...ブルートレイン3車両をつくる149
電球式の室内灯です。白色LEDに交換しました。FLパネルライトの在庫が払底しました。ボルスターのネジを交換しました。スハネ16更新修繕
今回はユニトラックで開催しました。運転会
会場を述べ3日借りてます。仕事から帰ってきて搬入します。前夜
ユニトラック対応のフィーダーを作ります。フィーダー
カツミのスハネ16です。車輪がこの状態、室内灯も連結器も交換したい。スハネ16
月曜日の運転会に向けて買い出し、しかしリレーラー線路が足らず。これは工夫、フィーダーも作りました。買い出し
本日発売分です。品川客車区。ブルートレイン3車両をつくる174
こちらも足がないモハ181です。パンタグラフを外したので掃除をします。モハ181の掃除
九州の実家のお盆の墓参りは日が暮れてから行きます。暑いからですが、お墓に灯された提灯が幻想的です。95年のお盆に「20系客車に乗るのが最後」と思い西鹿児島から新大阪まで「桜島」に乗りました。今なら新幹線で数時間ですが、その少し前までは「かいもん」が夜行で運転され、西鹿児島では日が高かったのですが熊本ではすっかり日が暮れました。沿線の墓地の灯りを見て「お参りすればよかったな、祖父母伯母従妹寂しがってるから久留米から乗ったら良かった。」と思いながら北上し博多は夜中でした。臨時列車でしたので停車駅も多くかなり時間がかかりました。さて足のないED70、台車が見つかりましたので再生したいのですが、EF65-1000は進まず、その次とその次のお題が決まり後回しです。関東地方は大雪です。北陸本線の金沢付近はED70がキ...季節外れの幽霊