取付けて出来上がり、後はオシとハネが7両です。スハネ25702床下機器
取付けて出来上がり、後はオシとハネが7両です。スハネ25702床下機器
取付のネジを切り、配線を戻します。昨日組み立てた機器は塗装中。スハネ25702床下機器
スハネ25702の床下機器を組み立てます。プラモデルらしい簡易な造りには物足りなさを感じます。プラモデル
水タンクを除くすべての部品です。共通部品。オロネの専用部品。オハネフの専用部品です。オロネ・オハネフの部品は余ってしまいます。24系25形の床下機器
スハネ25ともう1両のオハネ25-100の床下機器を交換します。床下機器
深夜の仕事ですが夜食は眠くなるので食べません。眠気が来ると危険だからです。今日は明けで出かけました。模型店が開くまで近くで食事、普段は帰ってきたら風呂に入ってから寝るだけなので食事は昼からになります。みそ汁と卵とも食事。久しぶりの朝食はうまかったです。この後は模型店のはしごです。朝食
外れてた窓ガラスを新調します。窓貼り
4両のうちの1両です。台車・車輪・連結器の交換、床下機器の塗装とネジを切りなおししました。「桜島」ナハネ20①
下回りは台車周りの交換、床下機器の塗装、連結器を交換しました。「桜島」ナハネフ22
下回りは台車・車輪・マクラバリの交換、床下機器の塗装、ネジは切りなおして交換しました。台車は手持ちのカツミのTR50を使いました。「桜島」カニ21
「これが最後」と思い西鹿児島から乗った20系「桜島」の編成です。古い模型ですが、室内灯付きです。lEDに換装予定です。「桜島」カニ21
モハ153がやってきました。これで急行の編成ができますが、室内灯と動力の交換はしばらくお預けです。後家さんの相方
水タンクを取付けました。現行のカツミ仕様に合わせてます。本来は4個水タンクを付けますが、精密さはもっと大きい模型で。スハネ25702床下機器
相方がなく後家さんになってたモハ152湘南色です。相方が見つかり運用復活です。懐かしの山陽急行です。後家さん
「北斗星」の新設のモデルで整備された博多「あさかぜ」の二人個室です。弟と一緒に乗ったので思い出の車輛です。オシ24の床下機器が流用されてますので、今のカツミ仕様にします。実際は水タンクは4本でした。スハネ25702
父が現役の頃、自動車会社の融資が仕事でした。日産がホンダの子会社化は抵抗があると報道で言ってましたが、個人の考えは「失礼」と思ってました。やはり物別れに終わりました。画像は日産で好きな車の一つで、名前の由来が映画でした。日産とホンダ
相変わらず整備してない車両の作業です。カニ24の機関車側はケーディーの#118を取付けます。発売元では「イチモツ」と言い、先輩の言葉では「立派なもの」と言いますが、走行中外れてほしくないのでヘッドが大きめです。カニ24-0
先行して水タンクを作ります。ベースに固定します。塗装しました。スハネ25702の水タンク
「あさかぜ1/4」のスハネ25、オシ24の床下機器が流用されてます。シャワーがあるので水タンクが増設されました。Nゲージの製品を参考にします。中村精密の水タンクを使います。スハネ25700の床下機器
今日は節分です。閏年の翌年はずれます。自称「鬼」なのでこのあたりは気になります。取付けました。これで在庫が払底、再開は調達後になります。オハネ24702床下機器
仏と共に、南無阿弥陀仏こころのともしび2月
2両のオハネフ25-100の配線を戻して完成。オハネ24-701、4人個室で戦前型はマロネ38、戦後ならスロネ30、Cロネ。分離しました。今月も終わり、「いぬるさるにげる」、早い三カ月。新しい生活にも慣れました。オハネ24701の床下機器交換
民営化7社の日数が「日本国有鉄道」を越えました。昨日、国会答弁を見てて「ライドシェア」の論議を見てましたが、だれが「交通弱者」を作ったのかどうか。そう思いながら、今度はバス旅を考えてます。オハネフ25の床下機器が完成しました。残りの1個は何に使うか。オハネフ25床下機器完成
こちらの記事から、懐かしい色です、記念切符もあります.。キハ85共々見に行きたいです。キロ28復活
オハネフ25-100の床下機器交換4期4両ずつに分けて「あさかぜ1/4」の25形の床下機器の交換、今回は1期目の最後に残ったのは⓵オハネフ25128⑧オハネフ25126です。車体を完全に分離しないと床下機器の交換がやりにくいので、今回は2両一度に車体と下回りを外しました。オハネフ25-100の床下機器交換
今日はオロネ25の床下機器を交換します。電動工具を使えば早いもんです。オロネはB寝台と反対側に廊下があり、水タンクも設置されます。この床下機器のキットですが説明書が簡単すぎてわかりにくいです。土曜日は家にいて夕方ミュージックフェアを見ましたが、シオノギ製薬㈱の宣伝がなく全てACに振り替えてました。オロネ25702の床下
職場から「冬休み取ってられないんで休んでください。」ということで今日は休み。昨日、仕事の帰りに都内に行こうと思いましたが、模型店に行くにしても欲しいのはドリルの刃だけでした。高いものを買うことはないと思いホームセンターに行きました。2mmのネジを切るのにインパクトドライバーの刃を買ってきました。インパクトドライバーを使えば早いもんです。⑭オハネフ25205床下機器完成〇〇に刃物
最後の「殿様あさかぜ(1/4)」の客車14両すべての床下機器交換、これまで室内灯・車輪・連結器の交換を経ました。1両ずつ進めていきます。オハネフ25-205を施工中。言うは易し行うは難し
「カ」なら空気バネは耐えられない、TR54はTR50やTR230と類似なので交換します。床下機器を塗りました。カニ21更新工事
最初で最後の20系「桜島」に乗ったのも30年前になりました。古いカニ21を整備しますが、25形の床下が放置でいつやるのか。カニ21の整備
販売が不振のようで来年度から休刊です。この数年、資料性が低かったので購入しませんでしたが、そこまでとは。画像は良き時代の表紙です。鉄道ジャーナル休刊
小学生の頃集めてました。状態は今一つ、老人の「サンダーバード」は50年ぶりの再入門です。サンダーバードコンテナ
「大寒」だと、「大寒」と言えば小学生の頃「大寒訓練」と称して朝礼時なわとびをやらされてましたが、風邪をこじらせたこともあり、「寒いのにあほなことすりなぁ」と思ってました。昔は先生の力が強かったですが、母(注:元幼稚園の先生でした)が学校の先生とやりあったときは怖かったなぁ。その上に、今日は昼前から父の看護なのと今夜仕事なのに寝てたらパトカーと救急車のサイレンで起こされ始末、聞けば自転車の事故、禁止なのに歩道を走ったり進路妨害をしたり、歩道に停める輩が居るのだから、徹底して取り締まってほしいものです。救急車のサイレンは世話になったことがあるのでしかたありませんが、自転車の運転者の常識のなさは困ったものです。救急車のサイレンを聞いて思ったのですが、今日は文化財防火の日で、法隆寺の国宝が火災の日です。自分にとっ...雑記
床下機器は12系の流用でなく正しい配置です。室内灯が取付できます。中村精密のオハネ25-100を見てみる、
安く入手できたのですが、この状態、どうやって掃除するか、ダンパー付きです。中村精密のオハネ25-100
子供の頃を過ごした阪神間、関東に住んでいてもあの惨事は忘れることができません。能登の地震も真冬の1月でしたので大変でした。能登の地震は課題図書を読んだことと、お世話になってる住職さんが金沢出身でしたので身近に感じます。祖母の葬式の後「金沢回って夜行で東京に戻った」と言ったら「“能登”に乗ったやろ。」とバレバレでしたが。NHKラジオで「明日への言葉」で浄土真宗の故豊原さんのことを知り、震災で娘さんを亡くされたことを知りました。弟と同じ歳でした、弟は最初の正月は家にいませんでしたが豊原さんが同じ病院に入院されてたこともあり、また西ノ宮駅の近くにお寺があったこともあり我が身のことのように思えました。画像は三ノ宮の生田神社です。弟の七五三で「にいちゃん何言ってんの?」と聞かれ適当に「南無阿弥陀仏」と答えましたが、...阪神淡路大震災30年
手持ち車輛の更新工事用に購入しました。従来のパネルライトと交換します。カツミの室内灯
半月経てば正月も終わり、普通の生活が帰ってきました。もっとも正月感のない生活ですがせめて路線を伸ばそうと線路を購入。正月も終わり
宮崎の地震や園田競馬場の落馬、海外に目を移せば火災で災害の報道が目につきます。その上に朝方救急車や消防車のサイレンの音で起こされ、災難と言えばそうですが、いつは我が身と思うと、備えておかなければなりません。今年こそは仕掛の車輛を減らそうと思いながら放置状態のナハネフ11です。高校生のころひと夏アルバイトをして買ったキットです。雑記
TOMIXから新製品。好きな車両なので検討しています。コキフ10000もアナウンスコキ10000
仕事が終わってから都内へ、朝の寒いなか指定席でひと眠り。終わってからは、入換用の移動機を販売してるのでしょうか、模型店なら近くにありますが、環七をバスで移動し阿波踊りの駅からこちらへ、休みの日は混んでますね。相席で店員や周りの人に挨拶、正月は日本酒で、焼けるまで時間がかかるので鮪。肉の店ですが鮪もおいしい。楽しみはポテトサラダ、本命は焼酎の炭酸割、だんだん濃くなってきます、肉が焼けるまで待ちましょう。ごちそうさまの一言。このあとは井の頭線で帰宅。夜勤明けなのに元気です。模型店詣で
古い模型です。今年も忙しくなりますが、部品代もたかくつきそうです。週末は仕事なので作業なし。作業待ち
14両編成の大仕事です。しばらくは楽しめます。「あさかぜ1号」オハネフ25-200
「なは」の1号車になります。鹿児島についてからは「はやぶさ」で上京します。オハネフ25-100完成
「モームリ」という退職代行会社があって年数を問わず利用者が多いようです。この連休期間に頭を冷やして決心した人が多いようです。自分が10年以上勤務した会社を辞めるのを決めたのも5年前のこの時期でした。同じ営業部門でも格差が大きく、正月勤務について上司が「僕たちは休みですが出てください、手当はありません。」と堂々とパワハラまがいのことを言われました。どこの家にもそこの商品がある会社ですが、このようなのは販売会社だけなのでしょう。商品は悪くありません。後にシニア雇用で入った会社は正月勤務は強要されませんでした。今は24時間365日動いてる会社なのですが、正月はそれなりの待遇やイベントがあり勤務者に気を遣ってくれます。長く勤めた会社は退職した人が周りにもいて「ブラック」なのかもしれません。創立者が従業員を大切にし...少し進む
水タンクは洗浄しベースと別々に塗ってましたが、今回からベースに固定し一体化して塗装をします。水タンクに手を触れないように組み立てます。ベースに固定したのでクリップに固定がしやすいです、冬場は乾燥してるので早く固着します。やりかたを変えてみた、
仕事が深夜帯なので「夜鍋」は珍しいことではありませんが、法令(1週間の仕事時間合計)と父の在宅看護に合わせて仕事の日程を決めてます。25形の床下機器をまとめて購入しましたが、組立作業に入ります。単純作業ばかりですが、それなりに楽しい作業です。正月も明、Facebookを見れば懐かしい根岸駅の写真。冬場は横浜で仕事をしてましたが、もう20年以上前になりました。あの頃の仲間は元気にしてるのかなと思うと久しぶりに横浜に行きたくなります。夜なべ
在庫分の水タンクを洗います。オハネフ3両、オロネ1両、オハネ1両。オロネの床下機器も塗りました。まとめて作業
1両分を組み立てました。このオハネフ25-200は「あけぼの」と兼業になってます。オハネフ25-200の床下機器
「正月気分」とありますが、祖父の命日が年末、そして母の命日がまもなくやってきて、神戸地震(阪神淡路大震災)もあってこの30年は感じないようになりました。その上に今年は大師のお参りで毎年楽しみにしてた「酒屋のおでん」もなく、仕事から帰ってきてからは模型を少しやってます。今年で阪神淡路大震災が30年で豊原さんも仏さんになり、娘さんと再会しておられると思います。阪神淡路大震災以来「正月気分」はほとんどなくなったこともあり、正月に勤務しても手当が出ない「ブラック企業」に10年以上務めたので「正月気分」は無に等しいです。「あさかぜ1号」のオハネフ25の床下機器を組み立てはじめました。正月三日
昨日仕事前にアップしようにもログインできず、「昨日の分」でアップします。昨年購入し2日の昼に到着しました。20系は大好きなので順次そろえていきます。室内灯が電球なのでLEDのパネルに交換します。ナハフ21
明日から仕事なので初詣、最初は氏神様のお稲荷さん。もう一軒のお稲荷さん。川崎に向かい、川崎大師。思えば高野山に行ったことがありません。和歌山との不思議な縁を思います。川崎稲荷にも御参り。初詣
昨年の能登地震の犠牲者の冥福と、復興を心から祈ります。あけましておめでとうございます己を知ること、発展・進化の始まりです。南無阿弥陀仏。こころのともしび1月
正月早々に父が倒れ、看護に追われた日々でした。そして退職、今までとは違った仕事に就き新しい生活が始まりました。災害、紛争の年でしたが、来年はいい年になるように。画像は年越しそばです。今年もありがとうございました。
30日なのでキハ30です。変化が大きかった今年もあとわずか。30日
寒さと忙しさに負けても耐えながらここまできました。跡は室内灯の配線です。このオハネフ25は中間車なので尾灯は配線しません。オハネフ25-100
今年導入した車両の一部です。20系が一番いい顔をしてます。足回りを作らないといけません。ブルートレイン
今年で「電気」から離れました。鉄道や模型以外のオーディオ、アンプの自作が趣味でしたが、40年間遠のいてました。弟が使ってたコンポを引っ張り出してきました。久しぶりに昔の音を聞いてみます。趣味は仕事になるか
60年前、南宮崎から京都まで「高千穂」に乗りました。当時は寝台車が連結された列車でした。父の「食堂車がなかった」記憶で乗車日が判明しました。両親と一緒に京都の母の実家で年越し、正月を過ごしました。その次に母と一緒に寝台車に乗ったのが2000年にローマからパリに向かった「パラティーノ」号の1等寝台でした。その2か月後、母は旅立ちました。「高千穂」の夜
巷ではカツミとエンドウの新しい室内灯が品薄です。参考にエンドウの室内灯を購入し食堂車かグリーン車に使ってみます。チップLED室内灯
床下が完成しました。次が「あさかぜ1号」の3両です。もっと大きな模型だと楽しそうです、「ブルートレイン3車両をつくる」始めるか。オハネフ25-100の床下機器
塗りムラ、さぁ気に入らない。再度塗装します。今夜は馬小屋で、、、、、。塗りムラ
ACEカプラーにして既存の仕様にしました。年末輸送に間に合わせます。スハフ14
本日を持ちまして創立50年を迎えました。今年は家族のことや自分の仕事と体調、そして天候などで運転会の開催が思うようにいきませんでしたが、新しい生活も始まりまだまだ走ります。EF61茶は好きな機関車で「高千穂」に乗ったのは60年前になりました。走ります、創立50年
カツミの電球式のパネルライトです。パネルのLEDに交換してますが、チップに代わったので、そろそろ在庫が払底します。エンドウの旧製品のLEDのパネルライトがあるので交換しました。しばらく更新工事に困りません。旧製品のパネルライト
塗って取付けました。水タンクは塗装待ち。オハネフ25-100(131)床下機器
組立て塗装します。オハネフ25-100床下機器の組み立て
カツミ直営店では純正のチップLED室内灯が在庫切れですが、スペーサーを市販のテープLEDを取付けました。絶縁も両面テープを使って問題ありません。カツミ製品互換室内灯
25形の床下機器をまとめて購入しました。博多「あさかぜ1/4」の床下機器を全車両交換予定です。手始めにオハネフ25を3両、15両いつになったらできるやら。勢いのみ
配線をして完成しました。スハフ14
スハフ14を新造、新しい室内灯がついてました。新しい室内灯
勤務が終わり、半分寝ながら都内へ。朝食は「一由そば」寒い中身に沁みます。食べ終わって移動したら模型店が開く時間。一足早く年越しそば
「銀河」用のスハフ14です。年末輸送に向けて整備します。この後、剣菱を呑みます。スハフ14
併結運用をしなくなって運転台を撤去して中間車化→私鉄、小田急や京王で見られます。鋼製車はそのままの形態を生かせますが、ステンレスの車体は後付け感が残ります。先頭車から中間車
30代欧州型に凝ってました。毎年欧州に行ってたこともありかなり凝ってましたが変化についていけませんでした。60-3でブルートレインでロビーカーが連結され、牽引定数があがりEF66牽引になりました。ロビーカーはフリー車輛で「運賃を稼がない」車輛です。フリー車輛という内容で宴会用車両でドイツでは「Gesellschaftwagen」と呼ばれてました。日本ではロビーカーと称される車両です。模型はカツミのジャンク品でこれも「養整備」。WGm
古いのが出てくるので何とかしないといけません。カニ21は「桜島」の思い出です。出てくる、、、、
スハフ14-0の連結器です。臨時「銀河」用ですがエンドウの連結器がついてます。これは使用予定がないのでACEカプラーと交換します。蒲田のショーでブルートレインを求め、編成にします。これは「臨時」(銀河)でなくて「出雲」にするかな。石破首相がブルートレインをもって無邪気な微笑みが印象に残ります。山陰ブルトレに乗る機会がありませんでしたが、その表情に「鉄道が好き」なのを感じます。前原氏とも「鉄話」があるのでしょうか。エンドウの伸縮連結器
「なは」「おもいでのはやぶさ」用のカニ24です。カニ24-0にオハネフ25-100が続きます。カニ24
松山英太郎演じる厨房で「日付変更線を挟んで弾を打ってもあたらない。昨日の敵に今日の弾は、、、」の台詞が有名な「トラ!トラ!トラ!」、今日はその日。米国では昨日です。毎年、11月22日と12月8日はアメリカを意識してしまう日ですが、太平洋戦争は米国も日本も避けたかったことであり、お互い最大の攻撃と損害を出すに至りました。広島の原子爆弾の日本人の犠牲者もありますが、米兵の19歳の青年が苦しんで亡くなったのは気の毒と思います。電気の仕事を離れてまもなく1年です。本来はアナログオーディオが好きで仕事を始めたのですが、その時はデジタルへの移行期でした。オーディオでそれなりの英語が理解できないと意識したのが、米国人観光客との会話でレコード・プレーヤーの接続がわからないらしく、日本では「ピンプラグ」と言いますが本来は米...12月8日
オハネフ25はLEDテープで既存の交換します。室内灯
昨日「ゆうひがおかの総理大臣」を見てたら、京王永山駅がロケ地でした。当時は鋼板製の5000系や6000系がステンレスの車輛になってましたが、トンネルは昔の儘でした。学校のロケ地は多摩美術大学です。そのときは高校生は今は還暦を越しました。橋本駅にて。ロケ地
1両完成。「なは」のレガートシートが付いた時代がですが「おもいでのはやぶさ」にも目移りします。オハネ25-100完成
近所のお稲荷さんにあった幟。大きな変化があった今年もまもなく終わりです。12月に入ったんですね、
ユニットがもう一組必要なので増備しました。相方を探さないと後家さんのままですがもう来年度。モハネ583増備
床下機器の一部を取付けました。体調を崩したので今日はここまで。オハネフ25-100更新工事
今年は正月から多くの変化がありました。10年間務めた会社を辞めた時に違った業種にしようと思ったものの(食品)、コンビニに3年務めた程度では相手にされませんでした。今回は還暦を越え、シニア雇用で他の業種の経験を積み目的の仕事になりました。「人生を全う」と思うとそうでもなく、浪人して大学に行けず父に悔やませたことや、進学をあきらめて社会に出た時に父が単身赴任してたところに泊まった時に父が「もう大学行かんのか」と行ったときに「学校だが人生やない」と言った時の父の姿が「涙を出さずに泣く。」のを見ました。それが一番の悔いです。普段から父は「俺は100年生きる」と豪語してましたが「俺の葬式を頼む」と冗談で言ったことがあります。息子を亡くした父の悲しみを感じるのは、遊就館で見た「青い目の英霊」、来栖良少佐の話で、墓碑に...こころのともしび12月
床下機器を交換して室内灯をLEDにします。今月も終わり、大きな変化があった今年もあと一カ月。オハネフ25-100の更新工事
塗装して取付ました。床板が鉄板ですのでしのでピンバイスで開けたら一苦労、電気ドリルを使おう。オハネフ25-100も交換します。オハネ25-100の更新工事
プラモデルの要領で組み立てて塗装しました。アルミ挽物の水タンクは脱脂してから塗装。オハネ25-100床下機器の組み立て
カツミから発売された25形の床下機器です。オハネ25の更新改造に使います。新しい床下機器
朝から出かけましたが寒い、ラーメンがうまい季節になりました。買い物前に朝飯です。「パパと呼ばないで」最終回、子供の頃よくみてました。杉田かおるさんが「天才子役」と称され素晴らしい演技でしたが、一番印象に残るのが一番最初の実のお母さん、右京の姉が亡くなるところで、通夜の夜の千春の悲しい演技が心に残りました。母が死んだときにその場面を思い出しましたが、母も杉田さんと同じ歳の娘(妹)を亡くしてるので思い出しましたが、母が妹のもとに行ったと思うと気が晴れました。そして最後に新しいお母さんとの人生を歩む場面で締めくくります。総武線や常磐線の場面も多く、総武地下駅開通前の両国駅や上野駅で急行列車に併結された常磐線の改造荷物車も場面に出てきます。朝ラーメン
自宅レイアウトも少し進捗、手持ちの台枠に線路の一部を固定しました。裏線
昔ほど集まって飲みこともなくなり、その代わり気に入った店で静かに呑むことが多いです。今日は昔勤務して、仕事帰りに寄った店に行きました。寿司店の経営する店で刺身が中心ですが、寒いので熱燗呑んで温まりました。飲み歩き
下回りを更新します。台車は塗装、車輪は交換しました。オハネ25-100
11月22日は日本語の読み方で言われますが、自分が最初に思い出すのは1963年のダラスの事件です。この事件が米国からの最初の宇宙中継でした。翌年の東京オリンピックを放送するための実施でした。この少し前、鶴見事故・三井三池の爆発事故がありました。「国鉄一般形気動車」と共に資料性の高く相応の値段です。表紙をめくると「急行形」が和歌山機関区、一般形が大淀川橋梁と自分には懐かしい風景が広がります。国鉄準急・急行形気動車
客車が好きなのかブルートレインが好きなのか、仕掛がたくさんあります。年末輸送に間に合うかな。ブルートレイン
「国鉄車掌物語」と副題が付され、鉄道ジャーナルに連載された記事です。昭和40年代の本です。戦後からの車掌の仕事が記されてます。読み返すと「年越し車掌」で「さくら」が京都を走る頃、年を越し「除夜の鐘」が聞こえる錯覚を感じます。20系で運転されてた頃のことです。「喜劇急行列車」の時代でした。購入したのは旭屋書店でした。赤い腕章
発掘本、一般の人に鉄道模型を紹介した内容です。当時はマグネット・モーターの最後の時期でした。古い本ながらも、カワイのカタログに似た基本的なことが書かれてます。カワイのカタログで電気の知識を得て、40年間電気に携わりました。レイアウトの記事も見られ当時はレイアウトも盛んでした。発掘本
床板の在庫です。「備え」だけですがやらないといけません。備えあれば
整理をしたら未使用のハガキがたくさんでてきました。手数料を払って切手に交換しましたが、昭和の物まで出てきました。切手は使うので在庫にします。交換
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取付けて出来上がり、後はオシとハネが7両です。スハネ25702床下機器
取付のネジを切り、配線を戻します。昨日組み立てた機器は塗装中。スハネ25702床下機器
スハネ25702の床下機器を組み立てます。プラモデルらしい簡易な造りには物足りなさを感じます。プラモデル
水タンクを除くすべての部品です。共通部品。オロネの専用部品。オハネフの専用部品です。オロネ・オハネフの部品は余ってしまいます。24系25形の床下機器
スハネ25ともう1両のオハネ25-100の床下機器を交換します。床下機器
深夜の仕事ですが夜食は眠くなるので食べません。眠気が来ると危険だからです。今日は明けで出かけました。模型店が開くまで近くで食事、普段は帰ってきたら風呂に入ってから寝るだけなので食事は昼からになります。みそ汁と卵とも食事。久しぶりの朝食はうまかったです。この後は模型店のはしごです。朝食
外れてた窓ガラスを新調します。窓貼り
4両のうちの1両です。台車・車輪・連結器の交換、床下機器の塗装とネジを切りなおししました。「桜島」ナハネ20①
下回りは台車周りの交換、床下機器の塗装、連結器を交換しました。「桜島」ナハネフ22
下回りは台車・車輪・マクラバリの交換、床下機器の塗装、ネジは切りなおして交換しました。台車は手持ちのカツミのTR50を使いました。「桜島」カニ21
「これが最後」と思い西鹿児島から乗った20系「桜島」の編成です。古い模型ですが、室内灯付きです。lEDに換装予定です。「桜島」カニ21
モハ153がやってきました。これで急行の編成ができますが、室内灯と動力の交換はしばらくお預けです。後家さんの相方
水タンクを取付けました。現行のカツミ仕様に合わせてます。本来は4個水タンクを付けますが、精密さはもっと大きい模型で。スハネ25702床下機器
相方がなく後家さんになってたモハ152湘南色です。相方が見つかり運用復活です。懐かしの山陽急行です。後家さん
「北斗星」の新設のモデルで整備された博多「あさかぜ」の二人個室です。弟と一緒に乗ったので思い出の車輛です。オシ24の床下機器が流用されてますので、今のカツミ仕様にします。実際は水タンクは4本でした。スハネ25702
父が現役の頃、自動車会社の融資が仕事でした。日産がホンダの子会社化は抵抗があると報道で言ってましたが、個人の考えは「失礼」と思ってました。やはり物別れに終わりました。画像は日産で好きな車の一つで、名前の由来が映画でした。日産とホンダ
相変わらず整備してない車両の作業です。カニ24の機関車側はケーディーの#118を取付けます。発売元では「イチモツ」と言い、先輩の言葉では「立派なもの」と言いますが、走行中外れてほしくないのでヘッドが大きめです。カニ24-0
先行して水タンクを作ります。ベースに固定します。塗装しました。スハネ25702の水タンク
「あさかぜ1/4」のスハネ25、オシ24の床下機器が流用されてます。シャワーがあるので水タンクが増設されました。Nゲージの製品を参考にします。中村精密の水タンクを使います。スハネ25700の床下機器
今日は節分です。閏年の翌年はずれます。自称「鬼」なのでこのあたりは気になります。取付けました。これで在庫が払底、再開は調達後になります。オハネ24702床下機器
「横浜鉄道模型フェスタ」で見せてもらったカツミの新製品の25形の床下機器です。長らく12系のユニットが流用され93年頃の14系から改善されてきましたが、エンドウから供給が難しくなったようです。かなりよくなりました。床下機器
手つかずの「ブルートレイン3車両を作る」が「4車両を作る」になりそして「ブルートレインと停車駅を作る」で打ち止めと言うことです。書店で予約して受け取ってます。気になるのが「ホンダCB750を作る」です。バイクは好きですが乗る機会がなく特に好きなのがホンダのGL400です。シャフト駆動ですが2輪車なので原動機の回転方向と反対方向に発電機を回してバランスをとるように設計されてます。祖父・父・弟はバイクに乗ってましたが自分はバイクには縁がなかたのですが余計なことだけは知っており、CB750は本当は「CD750K0」で「K0」(ゼロ)は「改良0の原形」の意味のようです。さてカツミのキハ80系、本来は「キハ80系改良増備型キハ82グループ」が60年以上前から生産され、昭和末期に前面が改良され車体がそのままになり、車...木に竹を接ぐ
本日発売分です。「いなほ」に乗ったのは国鉄時代で合宿免許で酒田に行ったときでした。表題が「ブルトレに接続した」ですが自分には「新幹線に接続」したのです。今も新潟から山形・秋田を結ぶ列車です。再び酒田を通った旅が「あけぼの」の旅、米どころを走りながら羽前大山駅から複線から単線になったり、そして防雪林を初めてみたり八甲田丸との再会と思い出になりました。ブルートレイン3車両をつくる176
隣が機関車または在来客車の連結を考慮し中間のオハ12の連結器を交換しました。簡単ながら屋根の補強を再現してます。#118をオハ12
手持ちのアングルでボードを載せる架台を組みました。棚にはコントローラーが入ります。レイアウト架台
長らく天賞堂(株)が米国ケーディー社の代理店でしたが、模型ショーで紹介された16番用の頭が大きい連結器です。カトーの車輛と互換性があるので、緩急車用に使用してます。#118
画像には出してませんが、自宅で走らせるボードを作りました。そのうちアップしますが、この古い中村精密のナハ10を走らせると中々のものでした。旧友
一番お世話になった客車です。特に興味があったのが戦後型オハ35改造のオハフ33についてですが詳しい記事が掲載されてます。オハ35系客車
しかかってる車両もかなりあるので仕上げていきます。広窓と狭窓がアンバランスです。クモハ53007は動力化します。旧型国電も少し。
昨日のテレビ埼玉の「パパと呼ばないで」第12話を見ながらはんだ付けをしてました。両国駅の改札口や銚子に向かう列車はキハ58系、そいて両国駅の改札口やホームの詰め所、に目が行ってしまいます。キハ58の車内が今は懐かしいです。下町のお米屋さんは「三丁目の夕日」の世界です。昭和40年代後半は関西も同じ風景、区画整理前の地元も同じでした。本日発売分です。九州に乗り入れないブルートレインは、「あさかぜ」設定当初からありました。それは山口県内が有効時間帯に設定されたことであり、そのために関西を深夜時間帯に通過することからも伺えます。また北九州が有効時間帯にするのに無理があったこともあります。まもなく北陸トンネルが全国ネットワークから外れます。「きたぐに」のオロネ10やオロネ14そしてサロネ581と共に「国鉄」らしさで...ブルートレイン3車両をつくる149
電球式の室内灯です。白色LEDに交換しました。FLパネルライトの在庫が払底しました。ボルスターのネジを交換しました。スハネ16更新修繕
今回はユニトラックで開催しました。運転会
会場を述べ3日借りてます。仕事から帰ってきて搬入します。前夜
ユニトラック対応のフィーダーを作ります。フィーダー
カツミのスハネ16です。車輪がこの状態、室内灯も連結器も交換したい。スハネ16
月曜日の運転会に向けて買い出し、しかしリレーラー線路が足らず。これは工夫、フィーダーも作りました。買い出し
本日発売分です。品川客車区。ブルートレイン3車両をつくる174
こちらも足がないモハ181です。パンタグラフを外したので掃除をします。モハ181の掃除
九州の実家のお盆の墓参りは日が暮れてから行きます。暑いからですが、お墓に灯された提灯が幻想的です。95年のお盆に「20系客車に乗るのが最後」と思い西鹿児島から新大阪まで「桜島」に乗りました。今なら新幹線で数時間ですが、その少し前までは「かいもん」が夜行で運転され、西鹿児島では日が高かったのですが熊本ではすっかり日が暮れました。沿線の墓地の灯りを見て「お参りすればよかったな、祖父母伯母従妹寂しがってるから久留米から乗ったら良かった。」と思いながら北上し博多は夜中でした。臨時列車でしたので停車駅も多くかなり時間がかかりました。さて足のないED70、台車が見つかりましたので再生したいのですが、EF65-1000は進まず、その次とその次のお題が決まり後回しです。関東地方は大雪です。北陸本線の金沢付近はED70がキ...季節外れの幽霊
「ホームの上のそばスタンド跡」になってしまいました。いち早く大船駅から撤退した「大船軒」のそばスタンドです。大船駅はしばらくは東日本直営で営業してましたがこちらは跡形もありません。「老朽化」が理由でした。甘めのだしでいつも「かけそば」を食べてました。自分が知る限りホームのそばスタンドは東海道方面は東神奈川駅北行ホームの日栄軒だけになりました。クハ86の売店は健在です。ホームの上のそばスタンド跡(2)