小学生の頃集めてました。状態は今一つ、老人の「サンダーバード」は50年ぶりの再入門です。サンダーバードコンテナ
小学生の頃集めてました。状態は今一つ、老人の「サンダーバード」は50年ぶりの再入門です。サンダーバードコンテナ
「大寒」だと、「大寒」と言えば小学生の頃「大寒訓練」と称して朝礼時なわとびをやらされてましたが、風邪をこじらせたこともあり、「寒いのにあほなことすりなぁ」と思ってました。昔は先生の力が強かったですが、母(注:元幼稚園の先生でした)が学校の先生とやりあったときは怖かったなぁ。その上に、今日は昼前から父の看護なのと今夜仕事なのに寝てたらパトカーと救急車のサイレンで起こされ始末、聞けば自転車の事故、禁止なのに歩道を走ったり進路妨害をしたり、歩道に停める輩が居るのだから、徹底して取り締まってほしいものです。救急車のサイレンは世話になったことがあるのでしかたありませんが、自転車の運転者の常識のなさは困ったものです。救急車のサイレンを聞いて思ったのですが、今日は文化財防火の日で、法隆寺の国宝が火災の日です。自分にとっ...雑記
床下機器は12系の流用でなく正しい配置です。室内灯が取付できます。中村精密のオハネ25-100を見てみる、
安く入手できたのですが、この状態、どうやって掃除するか、ダンパー付きです。中村精密のオハネ25-100
子供の頃を過ごした阪神間、関東に住んでいてもあの惨事は忘れることができません。能登の地震も真冬の1月でしたので大変でした。能登の地震は課題図書を読んだことと、お世話になってる住職さんが金沢出身でしたので身近に感じます。祖母の葬式の後「金沢回って夜行で東京に戻った」と言ったら「“能登”に乗ったやろ。」とバレバレでしたが。NHKラジオで「明日への言葉」で浄土真宗の故豊原さんのことを知り、震災で娘さんを亡くされたことを知りました。弟と同じ歳でした、弟は最初の正月は家にいませんでしたが豊原さんが同じ病院に入院されてたこともあり、また西ノ宮駅の近くにお寺があったこともあり我が身のことのように思えました。画像は三ノ宮の生田神社です。弟の七五三で「にいちゃん何言ってんの?」と聞かれ適当に「南無阿弥陀仏」と答えましたが、...阪神淡路大震災30年
手持ち車輛の更新工事用に購入しました。従来のパネルライトと交換します。カツミの室内灯
半月経てば正月も終わり、普通の生活が帰ってきました。もっとも正月感のない生活ですがせめて路線を伸ばそうと線路を購入。正月も終わり
宮崎の地震や園田競馬場の落馬、海外に目を移せば火災で災害の報道が目につきます。その上に朝方救急車や消防車のサイレンの音で起こされ、災難と言えばそうですが、いつは我が身と思うと、備えておかなければなりません。今年こそは仕掛の車輛を減らそうと思いながら放置状態のナハネフ11です。高校生のころひと夏アルバイトをして買ったキットです。雑記
TOMIXから新製品。好きな車両なので検討しています。コキフ10000もアナウンスコキ10000
仕事が終わってから都内へ、朝の寒いなか指定席でひと眠り。終わってからは、入換用の移動機を販売してるのでしょうか、模型店なら近くにありますが、環七をバスで移動し阿波踊りの駅からこちらへ、休みの日は混んでますね。相席で店員や周りの人に挨拶、正月は日本酒で、焼けるまで時間がかかるので鮪。肉の店ですが鮪もおいしい。楽しみはポテトサラダ、本命は焼酎の炭酸割、だんだん濃くなってきます、肉が焼けるまで待ちましょう。ごちそうさまの一言。このあとは井の頭線で帰宅。夜勤明けなのに元気です。模型店詣で
古い模型です。今年も忙しくなりますが、部品代もたかくつきそうです。週末は仕事なので作業なし。作業待ち
14両編成の大仕事です。しばらくは楽しめます。「あさかぜ1号」オハネフ25-200
「なは」の1号車になります。鹿児島についてからは「はやぶさ」で上京します。オハネフ25-100完成
「モームリ」という退職代行会社があって年数を問わず利用者が多いようです。この連休期間に頭を冷やして決心した人が多いようです。自分が10年以上勤務した会社を辞めるのを決めたのも5年前のこの時期でした。同じ営業部門でも格差が大きく、正月勤務について上司が「僕たちは休みですが出てください、手当はありません。」と堂々とパワハラまがいのことを言われました。どこの家にもそこの商品がある会社ですが、このようなのは販売会社だけなのでしょう。商品は悪くありません。後にシニア雇用で入った会社は正月勤務は強要されませんでした。今は24時間365日動いてる会社なのですが、正月はそれなりの待遇やイベントがあり勤務者に気を遣ってくれます。長く勤めた会社は退職した人が周りにもいて「ブラック」なのかもしれません。創立者が従業員を大切にし...少し進む
水タンクは洗浄しベースと別々に塗ってましたが、今回からベースに固定し一体化して塗装をします。水タンクに手を触れないように組み立てます。ベースに固定したのでクリップに固定がしやすいです、冬場は乾燥してるので早く固着します。やりかたを変えてみた、
仕事が深夜帯なので「夜鍋」は珍しいことではありませんが、法令(1週間の仕事時間合計)と父の在宅看護に合わせて仕事の日程を決めてます。25形の床下機器をまとめて購入しましたが、組立作業に入ります。単純作業ばかりですが、それなりに楽しい作業です。正月も明、Facebookを見れば懐かしい根岸駅の写真。冬場は横浜で仕事をしてましたが、もう20年以上前になりました。あの頃の仲間は元気にしてるのかなと思うと久しぶりに横浜に行きたくなります。夜なべ
在庫分の水タンクを洗います。オハネフ3両、オロネ1両、オハネ1両。オロネの床下機器も塗りました。まとめて作業
1両分を組み立てました。このオハネフ25-200は「あけぼの」と兼業になってます。オハネフ25-200の床下機器
「正月気分」とありますが、祖父の命日が年末、そして母の命日がまもなくやってきて、神戸地震(阪神淡路大震災)もあってこの30年は感じないようになりました。その上に今年は大師のお参りで毎年楽しみにしてた「酒屋のおでん」もなく、仕事から帰ってきてからは模型を少しやってます。今年で阪神淡路大震災が30年で豊原さんも仏さんになり、娘さんと再会しておられると思います。阪神淡路大震災以来「正月気分」はほとんどなくなったこともあり、正月に勤務しても手当が出ない「ブラック企業」に10年以上務めたので「正月気分」は無に等しいです。「あさかぜ1号」のオハネフ25の床下機器を組み立てはじめました。正月三日
昨日仕事前にアップしようにもログインできず、「昨日の分」でアップします。昨年購入し2日の昼に到着しました。20系は大好きなので順次そろえていきます。室内灯が電球なのでLEDのパネルに交換します。ナハフ21
明日から仕事なので初詣、最初は氏神様のお稲荷さん。もう一軒のお稲荷さん。川崎に向かい、川崎大師。思えば高野山に行ったことがありません。和歌山との不思議な縁を思います。川崎稲荷にも御参り。初詣
昨年の能登地震の犠牲者の冥福と、復興を心から祈ります。あけましておめでとうございます己を知ること、発展・進化の始まりです。南無阿弥陀仏。こころのともしび1月
正月早々に父が倒れ、看護に追われた日々でした。そして退職、今までとは違った仕事に就き新しい生活が始まりました。災害、紛争の年でしたが、来年はいい年になるように。画像は年越しそばです。今年もありがとうございました。
30日なのでキハ30です。変化が大きかった今年もあとわずか。30日
寒さと忙しさに負けても耐えながらここまできました。跡は室内灯の配線です。このオハネフ25は中間車なので尾灯は配線しません。オハネフ25-100
今年導入した車両の一部です。20系が一番いい顔をしてます。足回りを作らないといけません。ブルートレイン
今年で「電気」から離れました。鉄道や模型以外のオーディオ、アンプの自作が趣味でしたが、40年間遠のいてました。弟が使ってたコンポを引っ張り出してきました。久しぶりに昔の音を聞いてみます。趣味は仕事になるか
60年前、南宮崎から京都まで「高千穂」に乗りました。当時は寝台車が連結された列車でした。父の「食堂車がなかった」記憶で乗車日が判明しました。両親と一緒に京都の母の実家で年越し、正月を過ごしました。その次に母と一緒に寝台車に乗ったのが2000年にローマからパリに向かった「パラティーノ」号の1等寝台でした。その2か月後、母は旅立ちました。「高千穂」の夜
巷ではカツミとエンドウの新しい室内灯が品薄です。参考にエンドウの室内灯を購入し食堂車かグリーン車に使ってみます。チップLED室内灯
床下が完成しました。次が「あさかぜ1号」の3両です。もっと大きな模型だと楽しそうです、「ブルートレイン3車両をつくる」始めるか。オハネフ25-100の床下機器
塗りムラ、さぁ気に入らない。再度塗装します。今夜は馬小屋で、、、、、。塗りムラ
ACEカプラーにして既存の仕様にしました。年末輸送に間に合わせます。スハフ14
本日を持ちまして創立50年を迎えました。今年は家族のことや自分の仕事と体調、そして天候などで運転会の開催が思うようにいきませんでしたが、新しい生活も始まりまだまだ走ります。EF61茶は好きな機関車で「高千穂」に乗ったのは60年前になりました。走ります、創立50年
カツミの電球式のパネルライトです。パネルのLEDに交換してますが、チップに代わったので、そろそろ在庫が払底します。エンドウの旧製品のLEDのパネルライトがあるので交換しました。しばらく更新工事に困りません。旧製品のパネルライト
塗って取付けました。水タンクは塗装待ち。オハネフ25-100(131)床下機器
組立て塗装します。オハネフ25-100床下機器の組み立て
カツミ直営店では純正のチップLED室内灯が在庫切れですが、スペーサーを市販のテープLEDを取付けました。絶縁も両面テープを使って問題ありません。カツミ製品互換室内灯
25形の床下機器をまとめて購入しました。博多「あさかぜ1/4」の床下機器を全車両交換予定です。手始めにオハネフ25を3両、15両いつになったらできるやら。勢いのみ
配線をして完成しました。スハフ14
スハフ14を新造、新しい室内灯がついてました。新しい室内灯
勤務が終わり、半分寝ながら都内へ。朝食は「一由そば」寒い中身に沁みます。食べ終わって移動したら模型店が開く時間。一足早く年越しそば
「銀河」用のスハフ14です。年末輸送に向けて整備します。この後、剣菱を呑みます。スハフ14
併結運用をしなくなって運転台を撤去して中間車化→私鉄、小田急や京王で見られます。鋼製車はそのままの形態を生かせますが、ステンレスの車体は後付け感が残ります。先頭車から中間車
30代欧州型に凝ってました。毎年欧州に行ってたこともありかなり凝ってましたが変化についていけませんでした。60-3でブルートレインでロビーカーが連結され、牽引定数があがりEF66牽引になりました。ロビーカーはフリー車輛で「運賃を稼がない」車輛です。フリー車輛という内容で宴会用車両でドイツでは「Gesellschaftwagen」と呼ばれてました。日本ではロビーカーと称される車両です。模型はカツミのジャンク品でこれも「養整備」。WGm
古いのが出てくるので何とかしないといけません。カニ21は「桜島」の思い出です。出てくる、、、、
スハフ14-0の連結器です。臨時「銀河」用ですがエンドウの連結器がついてます。これは使用予定がないのでACEカプラーと交換します。蒲田のショーでブルートレインを求め、編成にします。これは「臨時」(銀河)でなくて「出雲」にするかな。石破首相がブルートレインをもって無邪気な微笑みが印象に残ります。山陰ブルトレに乗る機会がありませんでしたが、その表情に「鉄道が好き」なのを感じます。前原氏とも「鉄話」があるのでしょうか。エンドウの伸縮連結器
「なは」「おもいでのはやぶさ」用のカニ24です。カニ24-0にオハネフ25-100が続きます。カニ24
松山英太郎演じる厨房で「日付変更線を挟んで弾を打ってもあたらない。昨日の敵に今日の弾は、、、」の台詞が有名な「トラ!トラ!トラ!」、今日はその日。米国では昨日です。毎年、11月22日と12月8日はアメリカを意識してしまう日ですが、太平洋戦争は米国も日本も避けたかったことであり、お互い最大の攻撃と損害を出すに至りました。広島の原子爆弾の日本人の犠牲者もありますが、米兵の19歳の青年が苦しんで亡くなったのは気の毒と思います。電気の仕事を離れてまもなく1年です。本来はアナログオーディオが好きで仕事を始めたのですが、その時はデジタルへの移行期でした。オーディオでそれなりの英語が理解できないと意識したのが、米国人観光客との会話でレコード・プレーヤーの接続がわからないらしく、日本では「ピンプラグ」と言いますが本来は米...12月8日
オハネフ25はLEDテープで既存の交換します。室内灯
昨日「ゆうひがおかの総理大臣」を見てたら、京王永山駅がロケ地でした。当時は鋼板製の5000系や6000系がステンレスの車輛になってましたが、トンネルは昔の儘でした。学校のロケ地は多摩美術大学です。そのときは高校生は今は還暦を越しました。橋本駅にて。ロケ地
1両完成。「なは」のレガートシートが付いた時代がですが「おもいでのはやぶさ」にも目移りします。オハネ25-100完成
近所のお稲荷さんにあった幟。大きな変化があった今年もまもなく終わりです。12月に入ったんですね、
ユニットがもう一組必要なので増備しました。相方を探さないと後家さんのままですがもう来年度。モハネ583増備
床下機器の一部を取付けました。体調を崩したので今日はここまで。オハネフ25-100更新工事
今年は正月から多くの変化がありました。10年間務めた会社を辞めた時に違った業種にしようと思ったものの(食品)、コンビニに3年務めた程度では相手にされませんでした。今回は還暦を越え、シニア雇用で他の業種の経験を積み目的の仕事になりました。「人生を全う」と思うとそうでもなく、浪人して大学に行けず父に悔やませたことや、進学をあきらめて社会に出た時に父が単身赴任してたところに泊まった時に父が「もう大学行かんのか」と行ったときに「学校だが人生やない」と言った時の父の姿が「涙を出さずに泣く。」のを見ました。それが一番の悔いです。普段から父は「俺は100年生きる」と豪語してましたが「俺の葬式を頼む」と冗談で言ったことがあります。息子を亡くした父の悲しみを感じるのは、遊就館で見た「青い目の英霊」、来栖良少佐の話で、墓碑に...こころのともしび12月
床下機器を交換して室内灯をLEDにします。今月も終わり、大きな変化があった今年もあと一カ月。オハネフ25-100の更新工事
塗装して取付ました。床板が鉄板ですのでしのでピンバイスで開けたら一苦労、電気ドリルを使おう。オハネフ25-100も交換します。オハネ25-100の更新工事
プラモデルの要領で組み立てて塗装しました。アルミ挽物の水タンクは脱脂してから塗装。オハネ25-100床下機器の組み立て
カツミから発売された25形の床下機器です。オハネ25の更新改造に使います。新しい床下機器
朝から出かけましたが寒い、ラーメンがうまい季節になりました。買い物前に朝飯です。「パパと呼ばないで」最終回、子供の頃よくみてました。杉田かおるさんが「天才子役」と称され素晴らしい演技でしたが、一番印象に残るのが一番最初の実のお母さん、右京の姉が亡くなるところで、通夜の夜の千春の悲しい演技が心に残りました。母が死んだときにその場面を思い出しましたが、母も杉田さんと同じ歳の娘(妹)を亡くしてるので思い出しましたが、母が妹のもとに行ったと思うと気が晴れました。そして最後に新しいお母さんとの人生を歩む場面で締めくくります。総武線や常磐線の場面も多く、総武地下駅開通前の両国駅や上野駅で急行列車に併結された常磐線の改造荷物車も場面に出てきます。朝ラーメン
自宅レイアウトも少し進捗、手持ちの台枠に線路の一部を固定しました。裏線
昔ほど集まって飲みこともなくなり、その代わり気に入った店で静かに呑むことが多いです。今日は昔勤務して、仕事帰りに寄った店に行きました。寿司店の経営する店で刺身が中心ですが、寒いので熱燗呑んで温まりました。飲み歩き
下回りを更新します。台車は塗装、車輪は交換しました。オハネ25-100
11月22日は日本語の読み方で言われますが、自分が最初に思い出すのは1963年のダラスの事件です。この事件が米国からの最初の宇宙中継でした。翌年の東京オリンピックを放送するための実施でした。この少し前、鶴見事故・三井三池の爆発事故がありました。「国鉄一般形気動車」と共に資料性の高く相応の値段です。表紙をめくると「急行形」が和歌山機関区、一般形が大淀川橋梁と自分には懐かしい風景が広がります。国鉄準急・急行形気動車
客車が好きなのかブルートレインが好きなのか、仕掛がたくさんあります。年末輸送に間に合うかな。ブルートレイン
「国鉄車掌物語」と副題が付され、鉄道ジャーナルに連載された記事です。昭和40年代の本です。戦後からの車掌の仕事が記されてます。読み返すと「年越し車掌」で「さくら」が京都を走る頃、年を越し「除夜の鐘」が聞こえる錯覚を感じます。20系で運転されてた頃のことです。「喜劇急行列車」の時代でした。購入したのは旭屋書店でした。赤い腕章
発掘本、一般の人に鉄道模型を紹介した内容です。当時はマグネット・モーターの最後の時期でした。古い本ながらも、カワイのカタログに似た基本的なことが書かれてます。カワイのカタログで電気の知識を得て、40年間電気に携わりました。レイアウトの記事も見られ当時はレイアウトも盛んでした。発掘本
床板の在庫です。「備え」だけですがやらないといけません。備えあれば
整理をしたら未使用のハガキがたくさんでてきました。手数料を払って切手に交換しましたが、昭和の物まで出てきました。切手は使うので在庫にします。交換
昭和時代、深夜ラジオで「おもろない節」なるものを聞いたことがありますが、.京王(帝都)電鉄と書きたくなりますが、社内アナウンスでは「京王を~」と。京王帝都電鉄が京王電鉄に。井の頭線が「帝都電鉄」で元々小田急でしたが戦後政策にて京王になりました。画像は「京王ライナー」の末端区間です。「帝都」の名前が消えたのが面白くないわけで、元々小田急だったうえに相模原~新宿のアクセスは京王が勝るので小田急沿線住民としては面白くないわけです。1435mmと1067mmは軌道と鉄道の違いで、阪神がうまく利用しましたが、収支を見ても小田急は本厚木から西が今一つなので小田急も井の頭を持ってたら少しは潤ってたのかもしれませんし、戦前は代田~新代田間に短絡線がありましたが、梅が丘あたりから短絡線を新設し駒場まで抜けて、渋谷に行くのに...面白くない、、、
懐かしい気動車の写真集です。特に貫通型のキハユニ15など貴重な画像が見られます。その他の「キハユニ」の画像もさんこうになります。資料写真集
手持ちの車輛を完成すべく部品を購入、昭和40年代110円の部品が今は550円、高くなった。買い出し
閉鎖されて4年、千葉に行くことになりました。加悦から千葉へ
一晩待ってできました。市販品d一番辛いカレーです。カレーができた、
玉ねぎは水分と甘みが必要なので大きめのを二つ。切っていきます。刺激がありますが、アロンアルファよりひどくない。ニンジンも大きめに切ります。じゃがいもも大きめに切ります。ポークカレーにします。水だけ入れて電気釜に入れて8時間煮込みます。カレールーはこちら。寝る前に仕込めば翌日の昼にはできてます。カレーを作りました。
懐かしい本です。写真集なれどデータなどが掲載され「大人の図鑑」とも言うべきでしょうか。発行は昭和48年、新幹線の博多開通前でした。書籍・雑誌を整理し発掘
古い部品です。台車が日光製なのでこちらを使います。TR55は800mmでした。ナハネフ22改修
洗って艶消し黒を吹きました。空気が乾燥してきたので塗装が乾きやすい季節になりました。TR55
「不動明王」で行者橋を思い出すのは京都産まれ、それも地元です。近くに知恩院やユニバーサル模型があります。撮影はまだまだ暑さが続いた9月です。涼し気な水面と柳の木です。「不動」在庫になりつつあったTR55です。20系の更新工事に使います。まずは洗浄。不動在庫を掘り出す
パソコンのラックを組み立てました。模様替え
「漂流教室」のなかで「関谷」と言う名前が記憶にありましたが、駅名からとったのでしょうか。郵便局と郵便車がありました。隣が堀切で「パパと呼ばないで」のロケ地、川を渡って模型店は古い記憶です。ご冥福をお祈り申し上げます楳図かずお氏死去
整備をすべく出してきました。白木屋時代のカツミで買いましたが、同名のとんかつ屋がありました。クハ153新快速
過ごしやすくなりましたが、相変わらず忙しく模型も進展せず。ナハネフ22の床下機器を塗った程度です。塗装
これも古い、高校生の頃旭屋書店時代のマッハ模型で買ったもの。整備します。ナハネフ22
「心が私をつくる」総本山、知恩院のサイトで念仏を唱えることを表してます。「南無阿弥陀仏」と聞くと祖父のお通夜の帰りの「銀河82号」で一晩中眠れなかったことと、もう二度と祖父に会えないことを一晩中考えたことでした。南無阿弥陀仏スハフ14を1台新造しました。それは後日。こころのともしび11月
エンドウのキットです。非冷房化して阪和色にします。今月も終わり、新しい生活が始まり忙しく楽しい一か月でした。クハ111阪和色
うどんと思って買ったらそばでした。キツネ様だからかな。仕事前の食事でした。急に過ごしやすい天気になり食欲もでてきました。あとで気づく
次回からはエンドウのニューシステム線路にします。ジョイナーを鉸めます。運転会の準備
このラベルを見て懐かしむ人はかなり長く模型をやってる人です。113系につなげようと堀切で購入しましたが、カツミで完成品がでたのでそのままになってます。手放すにも昭和63年12月とあり、昭和時代最後の買い物と思うと手元に置いときたい気持ちがあります。棚の肥やし
一端には排気管があるものの、反対側にはなし。形式図をみたらとんでもない場所についてました。キシ80の排気管
足がつきました。日曜日仕事なので選挙いかないと。カニ24
飛行機の補助動力は電源供給が目的です。それがだめになればラム・エア・タービンという風力発電装置がありますが、写真でしか見たことがありませんが、実際に動作すれば大変なことです。レガートシートがあったころの「なは」のカニ24です。そのままだと足がありませんが、完成しても幽霊です。補助動力
レイアウトの記事を見て購入。亀屋をはじめ参考になります。仕事を離れて半年、船井電機(株)は娯楽家電の末路かもしれません。それを予測してたのが鉄道模型を作ろうとしてやめた会社です。今月の「とれいん」
マイクロから発売予告がありました。Nゲージですが、見れば中間車のベンチレーターが押し込み型です。こんな画像があれば助かります。千葉の阪和線
阿部氏のお店で年に何度かお邪魔してます。今の時代に合った模型の楽しみが見えてきます。エコーモデル
坂本龍一氏が亡くなりしばらくたちますが、シンセサイザーを買って真似事をしたことがありました。受験の時期でした。東京に着く前に品川のブルートレインの屋根が「テクノポリス」の音楽と共に思い出せます。リバイバルなのかその音楽に合わせてダンスのグループがありますが、メークの前と後の差がすごい。模型もシンナーで洗浄して塗る前と後が怖い。塗装
更新工事で台車を洗ったら地肌がでてきました。乾燥して塗装します。洗浄
運転会再会に伴い、線路を更新します。蔵から出してきました。線路更新
今から思えば50-3改正の京阪神地区は子供向けの「図鑑」の世界でした。47年に開館し今は京都鉄道博物館になった梅小路には蒸気機関車があり、事故が理由で廃止になった在来型客車の食堂者こそありませんでしたが、北海道の特定形式車輛を除けばほとんどの車輛を見ることができました。先日求めた155系の中間車です。柵に腰掛け上ってくるブルートレインを見てたら、東の方から「修学旅行電車」がやってきました。「わこうど」のヘッドマークをつけて下っていきました。実物を見たのが初めてで、中は学生服の生徒が乗ってました。カツミで165系にモーターとパンタグラフを付けた「自由型」の電車がありました。交通博物館でモックアップを見たのが最後の「修学旅行色」でした。新幹線博多開通以降は、新幹線に移行しました。小学生の頃は「淡路交通」(鉄道...サハ155
「鉄道の日」にこんな列車が運転されました。思い出したのがバーゼル駅に向かってたICの車窓。パンサーワーゲンと呼ばれる戦車を積んだ貨車です。撮影しようとしたら兵士に止められ「ヤパーナ」と言われ、パスポートとHAGの機関車の模型を見せたらニコニコしたてのも思い出になりました。陸続きの国
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小学生の頃集めてました。状態は今一つ、老人の「サンダーバード」は50年ぶりの再入門です。サンダーバードコンテナ
「大寒」だと、「大寒」と言えば小学生の頃「大寒訓練」と称して朝礼時なわとびをやらされてましたが、風邪をこじらせたこともあり、「寒いのにあほなことすりなぁ」と思ってました。昔は先生の力が強かったですが、母(注:元幼稚園の先生でした)が学校の先生とやりあったときは怖かったなぁ。その上に、今日は昼前から父の看護なのと今夜仕事なのに寝てたらパトカーと救急車のサイレンで起こされ始末、聞けば自転車の事故、禁止なのに歩道を走ったり進路妨害をしたり、歩道に停める輩が居るのだから、徹底して取り締まってほしいものです。救急車のサイレンは世話になったことがあるのでしかたありませんが、自転車の運転者の常識のなさは困ったものです。救急車のサイレンを聞いて思ったのですが、今日は文化財防火の日で、法隆寺の国宝が火災の日です。自分にとっ...雑記
床下機器は12系の流用でなく正しい配置です。室内灯が取付できます。中村精密のオハネ25-100を見てみる、
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子供の頃を過ごした阪神間、関東に住んでいてもあの惨事は忘れることができません。能登の地震も真冬の1月でしたので大変でした。能登の地震は課題図書を読んだことと、お世話になってる住職さんが金沢出身でしたので身近に感じます。祖母の葬式の後「金沢回って夜行で東京に戻った」と言ったら「“能登”に乗ったやろ。」とバレバレでしたが。NHKラジオで「明日への言葉」で浄土真宗の故豊原さんのことを知り、震災で娘さんを亡くされたことを知りました。弟と同じ歳でした、弟は最初の正月は家にいませんでしたが豊原さんが同じ病院に入院されてたこともあり、また西ノ宮駅の近くにお寺があったこともあり我が身のことのように思えました。画像は三ノ宮の生田神社です。弟の七五三で「にいちゃん何言ってんの?」と聞かれ適当に「南無阿弥陀仏」と答えましたが、...阪神淡路大震災30年
手持ち車輛の更新工事用に購入しました。従来のパネルライトと交換します。カツミの室内灯
半月経てば正月も終わり、普通の生活が帰ってきました。もっとも正月感のない生活ですがせめて路線を伸ばそうと線路を購入。正月も終わり
宮崎の地震や園田競馬場の落馬、海外に目を移せば火災で災害の報道が目につきます。その上に朝方救急車や消防車のサイレンの音で起こされ、災難と言えばそうですが、いつは我が身と思うと、備えておかなければなりません。今年こそは仕掛の車輛を減らそうと思いながら放置状態のナハネフ11です。高校生のころひと夏アルバイトをして買ったキットです。雑記
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仕事が終わってから都内へ、朝の寒いなか指定席でひと眠り。終わってからは、入換用の移動機を販売してるのでしょうか、模型店なら近くにありますが、環七をバスで移動し阿波踊りの駅からこちらへ、休みの日は混んでますね。相席で店員や周りの人に挨拶、正月は日本酒で、焼けるまで時間がかかるので鮪。肉の店ですが鮪もおいしい。楽しみはポテトサラダ、本命は焼酎の炭酸割、だんだん濃くなってきます、肉が焼けるまで待ちましょう。ごちそうさまの一言。このあとは井の頭線で帰宅。夜勤明けなのに元気です。模型店詣で
古い模型です。今年も忙しくなりますが、部品代もたかくつきそうです。週末は仕事なので作業なし。作業待ち
14両編成の大仕事です。しばらくは楽しめます。「あさかぜ1号」オハネフ25-200
「なは」の1号車になります。鹿児島についてからは「はやぶさ」で上京します。オハネフ25-100完成
「モームリ」という退職代行会社があって年数を問わず利用者が多いようです。この連休期間に頭を冷やして決心した人が多いようです。自分が10年以上勤務した会社を辞めるのを決めたのも5年前のこの時期でした。同じ営業部門でも格差が大きく、正月勤務について上司が「僕たちは休みですが出てください、手当はありません。」と堂々とパワハラまがいのことを言われました。どこの家にもそこの商品がある会社ですが、このようなのは販売会社だけなのでしょう。商品は悪くありません。後にシニア雇用で入った会社は正月勤務は強要されませんでした。今は24時間365日動いてる会社なのですが、正月はそれなりの待遇やイベントがあり勤務者に気を遣ってくれます。長く勤めた会社は退職した人が周りにもいて「ブラック」なのかもしれません。創立者が従業員を大切にし...少し進む
水タンクは洗浄しベースと別々に塗ってましたが、今回からベースに固定し一体化して塗装をします。水タンクに手を触れないように組み立てます。ベースに固定したのでクリップに固定がしやすいです、冬場は乾燥してるので早く固着します。やりかたを変えてみた、
仕事が深夜帯なので「夜鍋」は珍しいことではありませんが、法令(1週間の仕事時間合計)と父の在宅看護に合わせて仕事の日程を決めてます。25形の床下機器をまとめて購入しましたが、組立作業に入ります。単純作業ばかりですが、それなりに楽しい作業です。正月も明、Facebookを見れば懐かしい根岸駅の写真。冬場は横浜で仕事をしてましたが、もう20年以上前になりました。あの頃の仲間は元気にしてるのかなと思うと久しぶりに横浜に行きたくなります。夜なべ
在庫分の水タンクを洗います。オハネフ3両、オロネ1両、オハネ1両。オロネの床下機器も塗りました。まとめて作業
1両分を組み立てました。このオハネフ25-200は「あけぼの」と兼業になってます。オハネフ25-200の床下機器
「正月気分」とありますが、祖父の命日が年末、そして母の命日がまもなくやってきて、神戸地震(阪神淡路大震災)もあってこの30年は感じないようになりました。その上に今年は大師のお参りで毎年楽しみにしてた「酒屋のおでん」もなく、仕事から帰ってきてからは模型を少しやってます。今年で阪神淡路大震災が30年で豊原さんも仏さんになり、娘さんと再会しておられると思います。阪神淡路大震災以来「正月気分」はほとんどなくなったこともあり、正月に勤務しても手当が出ない「ブラック企業」に10年以上務めたので「正月気分」は無に等しいです。「あさかぜ1号」のオハネフ25の床下機器を組み立てはじめました。正月三日
昨日仕事前にアップしようにもログインできず、「昨日の分」でアップします。昨年購入し2日の昼に到着しました。20系は大好きなので順次そろえていきます。室内灯が電球なのでLEDのパネルに交換します。ナハフ21
古いカツミのカタログでキハユニ18が「新潟地震でキハユニ172が廃車になりキハ16をキハユニ18に改造した、と解説されてました。「キハユニと地震」が自分の中に残っています。キハユニ172が被災した画像や昭和橋、炎上する昭和石油のタンクそして「喜劇初詣列車」の若者、地震で人生が変わった人を見てると他人事でないと思います。このカツミのカタログを求めたのも甲子園に住んでた頃で後に震災にあうことになります。画像は小浜線のキハユニ26、金沢局敦賀配置の車輛です。「キハユニ」
ED70の車体があるのですが、台車が片側のみしかないので手を付けられずです。ネタがないので言い訳。後家
体は正直で昨日は早退、今日は通院。筋肉の痛みで神経性疲労と。神経質でなく鈍感な方なのでやはり疲れによるものでしょう。しばらく好きなことでもしたら、と言われますが時間が取れず。ついにダウン
地元駅のホームにもそばスタンドが跨線橋の下にありました。跨線橋の下にあるのは現役では東海道線(京浜東北線)の東神奈川駅の日栄軒や藤沢駅の大船軒があります。ホームの上のそばスタンド跡(1)
身近に参考になりそうな資料を集めます。小田急線相模大野駅、現役です。ホームの上のそばや
本日発売分です。「そばスタンド」です。「ペーパー製」とアナウンスされてましたが、これは小学館の雑誌の付録レベルです。この値段ならレーザーカットで作ってもいいでしょう。次号は「売店」とのこと。参考になる写真です。工事中なのか橋梁の桁の色の違いなど参考なります。「日本海」は青森受け持ちの編成で、頭からオハネフ24耐寒改造(引戸)オハネ25-100旧博多「あさかぜ」グレードアップ車輛。オハネ24耐寒改造(引戸)オハネフ25(100/200)旧博多「あさかぜ」グレードアップ車輛。オハネ24原形(二段寝台)オハネ24原形(二段寝台)オハネフ25(100/200)旧博多「あさかぜ」グレードアップ車輛。オロネ25原形カニ24原形客車の観察もできなくなりました。ハイケンスのセレナーデが「きしゃはでたぞ、早く寝ろ、それ!」...ブルートレイン3車両をつくる171
旧「太子」駅に四国からワラ1がやってきました。ちょっと遠いですが再会したいです。画像は1982年5月、丹後山田駅。ワラ1
朝から歯科で定期健診、今は歯科医はコンビニより多いらしいです。昔からかかってた先生が亡くなり困ってました。近所を歩き回り、歯科医の古い友人と名前が同じなのでそこにかかることにしました。調べたところ大学が一緒で、亡くなった先生も同じ大学で縁と思ってかかったら、冠が寸分違わず腕のいい先生でした。学校は大変な状態ですが卒業生は各方面で活躍しています。そして父の面会、明日が退院なので衣類を持っていったりで、あまり楽しくない病院のはしごでした。通院
ユニトラックで一部の線路を固定します。運転会の準備
車輪と室内灯を交換します。「珠洲市上戸町」は「ひとりぼっちの政一」の舞台になった場所です。「上田町」と表現されてました。昭和40年代前半急行「能登」が米原経由で「大和」と併結され、1両だけ和歌山市行きの寝台車をつないでました。急行「きたぐに」は14系客車で運転された急行で当時唯一オロネ14が連結された列車でした。オハ14臨時入場
しばらくというか何年も出してないととんでもないことになってます。絶縁側の鉸めが緩んで車輪が外れてます。修理は車輪の交換ですがこの車輪だけではなくすべて交換します。床下機器も古いものですがネジのみ切りなおして交換します。劣化?
八代亜紀さん死去、ご冥福を祈ります。実家の駅が福岡県にありますが旧熊本鉄道管理局に所蔵してるので親近感がありました。志村けん氏とのコントは気さくな人柄をしのばせます。災害で流行するのが「きずな」(絆)と言う言葉。2011年の東北地震の折に流行った言葉で狭義には「人との結びつき」を表すようです。「すべての人との結びつき」なのか「一定の範囲の人との結びつき」と曖昧な意味だと思います。一時期「微妙」と曖昧な言葉がはやりましたが「絆」も曖昧と思います。それを裏付けるのが「避難所に送付された賞味期限の切れた救援物資」、「捨てられない」し「食いたくない」から「避難所で役に立つ」と思うのか、物流費や仕分けをする人の手間を考えずに送る人がいます。「避難所はゴミ箱ではない」と言いたくなります。阪神淡路大震災の時、寄付ができ...雑記
本日発売分です。あと40号続きます。「あかつき」は2回乗りましたが、2回とも座席車でした。ブルートレイン3車両をつくる170
昨年、東海道新幹線が運休したときに「雷鳥」で金沢から新幹線で乗り継ぐルートが報道されてました。古くは夜行列車が運転され「北陸」が特急、「能登」が急行、さらに昔は「越前」が運転されてました。3月改正で北陸新幹線が延伸され、西日本に向かう選択肢が増えることになります。石川県の今はお祝いムードはなく、災害と天候で辛い日々を送られてると思います。できるだけのことをしたいと思っています。北陸ルート
川崎大師のお参りし帰りに横浜で買い物です。今年こそは自宅レイアウト着工のともりです。元旦の買い物
今夜出発予定が父の入院で中止、明日様子を見に行きますがどうやら。集中治療室から一般の病室に移動はしたものの、仕事の都合で様子が見に行けないのは困ったものです。予定は新幹線で京都に行き最終の5系統に乗る予定でしたが、関ヶ原で遅れると間に合わずです。阪神淡路大震災のあった年の年末、祖父の命日の墓参りに行くので、新幹線が遅れて京都市内も積雪、そして1番ホームに「出雲」、「帰ろか」と思いながら行きつけのサウナに行き、仮眠室は満室。長風呂で疲れを癒せば起きだしてくる人もいるので、仮眠。遅めの朝食の後、墓参り。神戸に行きKOKにお見舞い。ビルが傾いてるのでショーケースの上の模型が転がりました。多分、予定通りに行かずに5系統には乗れなかったと思います。今回は西宮戎のお祭りや阪神優勝の余韻に浸るつもりでした。「予定は未定...出かける予定が
昨年、カツミの最新鋭のキハ80が配属されたので、久しぶりに走らせたいと思ってます。同期のキシ80を整備中です。今年も気が動く車
繰り下げ、本日発売分です。次号で終わりのはずが続きます。ブルートレイン3車両をつくる169
後期高齢者、父親(92歳)と暮らしてるので仕方なく、2日に仕事に行く前に倒れ通報。その日は仕事を休んで二晩集中治療室で何とか取り留めました。自分は父が30越の子供なのでそれなりの歳ですが20年以上前に母が死んだ時とは違い、その時は30代でしたが今はで体力に限界を感じます。しかし通報後2分で救急車が来たのはこの立地の良さでしょう。仕事と看護と趣味、そして災害と事故。特に金沢の会社にお世話になってるので少しでも役に立てればと思います。のんびり酒を吞んだのは元旦だけでした。我が家も色々とありまして、
台車を組み立てました。すこしずつやっていきましょう。EF65-1000更新工事第二部(2)