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後藤和弘のブログ https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。 反対のご意見やコメントも歓迎しま

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2014/10/30

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  • 「山梨県の『ぶどうの丘』と日本のワインの歴史」

    山梨県の甲府盆地には緑豊かなぶどうの里と日本一古いワイナリーがあります。葡萄酒を醸造している洒落たワイナリーが点在しています。子供が小さい頃に何度もブドウ狩りに行きました。フランス風の美しい建物のワイナリーの工場見学をし、出来立てのワインの試飲もしました。勝沼にはブドウ畑に覆われた「ぶどうの丘」もあります。頂上にホテルやレストランがあり楽しい所です。以前に撮って来た写真をお送りします。1番目の写真はブドウ畑の近影です。季節が早いのでまだ育っていない小粒のブドウの房です。2番目の写真はJR勝沼駅のそばにあるブドウ畑に覆われた「ぶどうの丘」の遠景です。3番目の写真は「ぶどうの丘」の頂上から見た甲府盆地の風景です。4番目の写真は「シャトー勝沼」というワイナリーの工場です。1階が大きな売店で、昨日は晩秋に仕込んだ...「山梨県の『ぶどうの丘』と日本のワインの歴史」

  • 「ミレーの『種まく人』など名画がある山梨県」

    このブログでは北海道や鹿児島のような地方の文化をご紹介しています。今日は葡萄や桃で有名な山梨県ご紹介してしたいと思います。「甲州ワイン」は近代国産ワインの先駆けでした。さて第一回目にはミレーの『種まく人』で有名な山梨県立美術館をご紹介いたします。山梨県立美術館は1978年の開館以来「ミレーの美術館」として有名です。70点ものミレー作品を所蔵する美術館は世界でも他に無く、『種をまく人』をはじめ、『落ち穂拾い、夏』や『角笛を吹く牛飼い』などの名画を見ることができます。そしてミレーだけでなく、バルビゾン派の画家たちの作品や、山梨県ゆかりの作品も展示されています。総点数は現在約1万点もありコレクション展は年4回展示替えを行っています。それでは展示作品の写真を示します。1番目の写真はミレーの『種まく人』です。この絵...「ミレーの『種まく人』など名画がある山梨県」

  • 「日本にプロ野球が誕生したいきさつ」

    日本にプロ野球が誕生したいきさつです。仙台では八木山の吊り橋とベーブルースが自慢だった頃のことです。昭和のはじめの頃の話です。1934年にアメリカ選抜チームが日本にやって来て、ベーブ・ルースらがホームランを打ったのです。そして日米試合がきっかけになり1934年の12月に現在のジャイアンツの前身の大日本東京野球倶楽部が発足したのです。それが日本のプロ野球の歴史の始まりです。今年が90年目になるのです。この1934年にはアメリカ選抜チームが日本の各地でも試合をし、野球というものを広く日本人に見せてくれたのです。私の生まれ故郷の仙台にも来て、八木山球場でベーブ・ルースが2本のホームランを打ったのです。私は1936年生まれなので見てはいません。しかし八木山球場の近くに住んでいたのでこの八木山球場は勝手に走り回れる...「日本にプロ野球が誕生したいきさつ」

  • 「今日は年間第18日のミサをイグナチオ教会であずかりました」

    今日は年間第18の主日です。ミサをインターネットを通うしてイグナチオ教会であずかりました。ミサの写真をお送り致します。https://www.ignatius.gr.jp/news/streaming.html「今日は年間第18日のミサをイグナチオ教会であずかりました」

  • 「長野県出身の善光さんと飯田市と長野市と甲府市の善光寺」

    善光寺は3つあります。飯田市と長野市と甲府市の善光寺です。私はこの3つを参拝しました。何故か幸福感につつめる良い雰囲気のお寺です。そんな訳なので善光寺を建てた善光さんのことを書きたいと思います。今から1400年ほど前、現在の飯田市郊外(信州麻績の里)に本多善光(よしみつ)さんという人が住んでいた。ある時、善光さんが都へ帰る国司について行った。ところが難波の堀の中から一光三尊の像を見つけて、それを拾い上げ、持ち帰った。自宅の臼の上に像を祀り、拝んでいたところ、台座の臼が光り輝いた。それで座光寺(善光寺)を作ったという(推古天皇10年)。それから41年ほどして皇極天皇元年に勅命によりご本尊を長野へ移し、現在の長野、善光寺が出来た。移転した善光寺のあとには以前のご本尊と同じ形の木像をつくり、座光寺を存続させた。...「長野県出身の善光さんと飯田市と長野市と甲府市の善光寺」

  • 「長野県の上高地の絶景風景」

    「長野県の上高地の絶景風景」何度も訪れた上高地です。上高地は神々しい別世界です。険しい山々をバスで根気よく登り、最後の長いトンネルを抜けると、いきなり眼前に穂高の連峰が広がり、大正池と梓川が夢幻のように美し盆地を作っているのです。撮った写真で上高地をご紹介しましょう。1番目の写真は上高地の梓川と河童橋から見た穂高岳です。この河童橋は上高地の中心付近にあります。2番目の写真は上高地の入り口にある大正池です。奥に見えるのは穂高岳です。この写真の左側には焼岳があります。学生の頃の1959年に行ったときは立ち枯れの木が林立していましたがその木々も朽ち果てて、ほんの数本が残っている状態になりました。風景も年を取って変わって行くのです。3番目の写真は田代橋から河童橋の中間にある中の瀬から見た穂高と明神岳です。明神岳は...「長野県の上高地の絶景風景」

  • 「長野県に棲んでいた象とナウマン博士」

    ハインリッヒ・エドモンド・ナウマン博士は1875年、明治8年から10年間も日本人を指導した地質学者です。彼は全国の現地調査をして日本の地質地図を始めて作り、日本人へ地質学の重要性を教えてくれたのです。そして地質調査の結果、日本には昔、象が棲んでいたことを発見しました。そして糸魚川から静岡にいたるフォッサマグマを発見し、その東西では地質が異なることを指摘したのです。ナウマン博士が日本に象が棲んでいたことを発見したのです。このアジア象はナウマン象と呼ばれています。私は日本に象が棲んでいたことに衝撃を受けました。そこで今日は日本に棲んでいたナウマン象の話を致したいと思います。さて日本で縄文時代が始まったのは12000年前です。その以前は無土器の旧石器時代でした。その旧石器時代は約40000年前から12000年前...「長野県に棲んでいた象とナウマン博士」

  • 「旧石器時代の遺跡がある長野県」

    長野県域では旧石器時代の遺跡がいくつか発掘調査されています。以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8Cからの抜粋です。・・・野尻湖遺跡群(立ヶ鼻遺跡)から人類が活躍していたことを示す槍状木器・骨器・剥片石器などの遺物が発見されている。この遺跡はナウマンゾウやオオツノシカなどの大型哺乳動物を解体したキルサイトと推定されている。時期は約2万5000年前から3万年前のものである。全国で発見されている斧形石器の約4分の1にあたる239点を出土し、刃の部分を砥石で研磨したものが多く、世界でももっとも古い磨製石器と言われている。そのほか、この時代の遺跡としては仲町(信濃町)・日向林B(信濃町)・石子原(飯田市)遺跡が発見されている。200...「旧石器時代の遺跡がある長野県」

  • 「安曇野、大町、仁科3湖、松本城をめぐる旅」

    数年前に信州への旅をしました。安曇野を中心にして碌山美術館、大王山葵園、大町山岳博物館、仁科3湖、白馬村などを丁寧にめぐりました。大町温泉の黒部ビューホテルに泊まりました。帰りに松本城に寄り、さらに八ヶ岳の清里の清泉寮の広い牧場の前で車を停め、富士山や甲斐駒岳の遠景をしばし眺めて帰ってきました。走行650Kmの家内と2人だけののんびりした旅でした。旅の間、この地方の歴史や30歳で夭折した彫刻家の碌山のことや明治時代のことをいろいろと考えました。今日は以前の旅で撮った風景写真をお送りします。1番目の写真は大町山岳博物館の前から撮った大町市と北アルプスの山並みです。数多くの登山家達が大町から穂高、槍、大天井、燕岳、そして白馬、唐松、五竜、立山へと登ったのです。そして何人もの若者が帰らぬ人になったのです。2番目...「安曇野、大町、仁科3湖、松本城をめぐる旅」

  • 「鹿児島県の出身の有名人」

    鹿児島県の出身の有名人は以下の通りです。◎西郷隆盛(陸軍大将、教育者)大西郷、南洲翁、西郷どんとして親しまれる鹿児島県出身のシンボル的な存在。薩摩国鹿児島城下加治屋町(現在の鹿児島県鹿児島市加治屋町)出身。◎大久保利通(初代内務卿)明治維新の三傑の1人。鹿児島市出身。◎海音寺潮五郎(小説家)鹿児島県伊佐郡大口村(現・伊佐市)生まれ。◎坂井宏行(料理人)人気テレビ番組『料理の鉄人』のフレンチの鉄人としても活躍。出水市出身。◎稲盛和夫(経営者)京セラ創業者・名誉会長、KDDI最高顧問、日本航空名誉会長。鹿児島市出身。◎フランキー堺(俳優・コメディアン)鹿児島市出身。◎榎木孝明(俳優)伊佐市(旧:菱刈町)出身。◎沢村一樹(俳優)鹿児島市出身。◎山田孝之(俳優)薩摩川内市出身。◎綾小路きみまろ(漫談家)志布志市(...「鹿児島県の出身の有名人」

  • 「史上で最大の噴火は200年前のインドネシアのタンボラ山の大噴火」

    今から200年前の1815年4月10日、インドネシアのタンボラ山が大噴火を起こした。それによって村ひとつが丸ごと消滅し、地球全体の気温は数度低下し、世界中で飢饉と疫病が蔓延した。これは歴史上最大規模の噴火として、今もその記録は塗り替えられていない。これは歴史上最大規模の噴火として、今もその記録は塗り替えられていない。イタリアの古代都市ポンペイを地図上から消し去ってしまったベスビオ山の噴火と比べると、実に20倍の規模である。詳しくは、https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/041500050/をご覧ください。写真はインドネシアのタンボラ山です。「史上で最大の噴火は200年前のインドネシアのタンボラ山の大噴火」

  • 「日本にある火山の一覧表と北海道のサマッケヌプリ山の写真」

    日本は火山列島です。日本にある火山の一覧表葉、日本にある火山の一覧表は、https://ja.wikipedia.org/.../%E7%81%AB%E5%B1%B1%E3%81%AE...に出ています。それによって少し情報を以下に示します。ランクAの火山(13山)8十勝岳北海道10樽前山北海道13有珠山北海道16北海道駒ヶ岳北海道43浅間山群馬県・長野県56伊豆大島東京都60三宅島東京都66伊豆鳥島東京都82阿蘇山熊本県83雲仙岳長崎県88桜島鹿児島県91硫黄島鹿児島県95諏訪之瀬島鹿児島県北海道だけ詳しく示します。知床岳知床硫黄山(B)知床半島にある高純度の融解硫黄を噴出させた活火山。羅臼岳(B)知床半島にある溶岩円頂丘を持つ活火山。天頂山知西別岳遠音別岳海別岳斜里岳武佐岳サマッケヌプリ山摩周湖(B)...「日本にある火山の一覧表と北海道のサマッケヌプリ山の写真」

  • 「巨大火山直下にある鹿児島市の写真」

    巨大な火山の直下に鹿児島市という大きな街が在ります。人々が平和に暮らしています。そんな写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.kagoshima-kankou.com/houjin/photo?st=acs&page=3です。「巨大火山直下にある鹿児島市の写真」

  • 「鹿児島の桜島の写真」

    約29,000年前、今の桜島の噴火の100万倍くらいの巨大噴火が起こりました。噴出したマグマの量は鹿児島県全土を60mの厚さで埋め尽くすほどでした。マグマが出た後の地面はへこんで、錦江湾奥部にあたる姶良カルデラになります。鹿児島の地には、軽石、火山灰、火山ガスが600℃以上の高温で混ざりあった火砕流がなだれ込み、たった1週間で山も谷も埋め尽くして、平らな地形となりました。その後、川にけずられて残った地形が現在の鹿児島のシラス台地です。約26,000年前には、姶良カルデラの南端で噴火が始まり、桜島(現在の北岳)ができました。現在の鹿児島のシラス台地も、眼前に広がる桜島や錦江湾も、大昔の巨大噴火とつながっているのです。桜島の写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.kagoshima-kan...「鹿児島の桜島の写真」

  • 「ざわわ ざわわ、この悲しみは消えない、沖縄戦の悲しみ」

    太平洋戦争において、日米の最大規模で最後の戦闘となったのが沖縄戦でした。1945年3月26日から始まり、6月23日に終わりました。沖縄の日本側犠牲者は約19万人でアメリカ側犠牲者は14000人で他に何万人もの負傷者がでました。沖縄戦に関する多数の本を読むといかに悲惨な戦争だったかがよく分かります。沖縄本島は勿論、石垣島や周辺の島々でも熾烈な戦いがあったのです。沖縄諸島には悲しみの声が埋まっているのです。白いサンゴ礁に砕ける美しい波は悲しみの歌を唄っているのです。最後の激戦地となった糸満市では遺族などが参列して、毎年、戦没者追悼式が開かれます。沖縄戦の数々の悲しい戦争のようすは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6に詳しく掲載され...「ざわわざわわ、この悲しみは消えない、沖縄戦の悲しみ」

  • 「日本の最西端、与那国島の家の写真」

    日本の最南端、与那国島の家の写真をお送り致します。与那国島の多くの人はエアコンつきの近代的な家に住んでいます。これらの写真は与那国島の伝統的な家の写真です。写真はインターネットからお借りしました。 「日本の最西端、与那国島の家の写真」

  • 「沖縄周辺に散在する離島への旅」

    沖縄ぼ周辺には実に数多くの離島が散在しています。ある離島愛好家それらの沖縄の離島を訪問した旅日記の抜粋をご紹介致します。詳しくは、https://okinawa-labo.com/ishigakiisland-isolatedisland-12561をご覧下さい。===========================「石垣島からゆく離島めぐり!9島紹介&体験レポ」沖縄をとことん満喫したいなら、離島トリップが最適です。「これぞ沖縄!琉球!」という町並みや、(ありきたりな表現ですが)夢のような美しさの海・緑・星空が楽しめます。石垣島離島ターミナルからは毎日何便もの離島往復船がでていて、とっても手軽に離島めぐりが楽しめるんです。行けるのは八重山諸島の9島。石垣島は、美しい島々からなる「八重山諸島」の中心的な島。...「沖縄周辺に散在する離島への旅」

  • 「日本とは非常に違う琉球、沖縄の歴史」

    現在の日本の領土は北海道から沖縄までの長い列島にまたがっています。従ってその地方や地域の歴史は随分と異なっています。北海道の歴史は最近の数編の記事でご紹介しました。さてそれでは南の沖縄の歴史はどんなものだったのでしょうか?簡略に書けば本州、九州、四国にあった縄文時代、弥生時代、古墳時代は沖縄には存在していません。石器時代に続き貝塚時代が鎌倉時代の頃まで続きます。そして12世紀に農耕が普及し豪族たちが石垣で館を囲った「グスク時代」が始まります。3人の豪族が沖縄本島を3分割するようになると、その時代を三山時代といいます。その後1429年に尚巴志(しょうはし)が三山を統一し「琉球王国」が誕生することになるのです。この第一尚氏王国は第二尚氏王国へと発展し「琉球王国」は合計約450年続きます。この450年の琉球王国...「日本とは非常に違う琉球、沖縄の歴史」

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