外国の火祭りは聖ヨハネの前夜祭です。洗礼者ヨハネの誕生日とされる「聖ヨハネの日」に世界の各地でキリスト教徒が祝う火祭りです。キリスト教と関係ない各地の夏至祭と結びつき、火祭りとして祝われる例も多いようです。「外国の火祭り」
日本にプロ野球が誕生したいきさつです。仙台では八木山の吊り橋とベーブルースが自慢だった頃のことです。昭和のはじめの頃の話です。1934年にアメリカ選抜チームが日本にやって来て、ベーブ・ルースらがホームランを打ったのです。そして日米試合がきっかけになり1934年の12月に現在のジャイアンツの前身の大日本東京野球倶楽部が発足したのです。それが日本のプロ野球の歴史の始まりです。今年が90年目になるのです。この1934年にはアメリカ選抜チームが日本の各地でも試合をし、野球というものを広く日本人に見せてくれたのです。私の生まれ故郷の仙台にも来て、八木山球場でベーブ・ルースが2本のホームランを打ったのです。私は1936年生まれなので見てはいません。しかし八木山球場の近くに住んでいたのでこの八木山球場は勝手に走り回れる...「日本にプロ野球が誕生したいきさつ」
「今日は年間第18日のミサをイグナチオ教会であずかりました」
今日は年間第18の主日です。ミサをインターネットを通うしてイグナチオ教会であずかりました。ミサの写真をお送り致します。https://www.ignatius.gr.jp/news/streaming.html「今日は年間第18日のミサをイグナチオ教会であずかりました」
善光寺は3つあります。飯田市と長野市と甲府市の善光寺です。私はこの3つを参拝しました。何故か幸福感につつめる良い雰囲気のお寺です。そんな訳なので善光寺を建てた善光さんのことを書きたいと思います。今から1400年ほど前、現在の飯田市郊外(信州麻績の里)に本多善光(よしみつ)さんという人が住んでいた。ある時、善光さんが都へ帰る国司について行った。ところが難波の堀の中から一光三尊の像を見つけて、それを拾い上げ、持ち帰った。自宅の臼の上に像を祀り、拝んでいたところ、台座の臼が光り輝いた。それで座光寺(善光寺)を作ったという(推古天皇10年)。それから41年ほどして皇極天皇元年に勅命によりご本尊を長野へ移し、現在の長野、善光寺が出来た。移転した善光寺のあとには以前のご本尊と同じ形の木像をつくり、座光寺を存続させた。...「長野県出身の善光さんと飯田市と長野市と甲府市の善光寺」
「長野県の上高地の絶景風景」何度も訪れた上高地です。上高地は神々しい別世界です。険しい山々をバスで根気よく登り、最後の長いトンネルを抜けると、いきなり眼前に穂高の連峰が広がり、大正池と梓川が夢幻のように美し盆地を作っているのです。撮った写真で上高地をご紹介しましょう。1番目の写真は上高地の梓川と河童橋から見た穂高岳です。この河童橋は上高地の中心付近にあります。2番目の写真は上高地の入り口にある大正池です。奥に見えるのは穂高岳です。この写真の左側には焼岳があります。学生の頃の1959年に行ったときは立ち枯れの木が林立していましたがその木々も朽ち果てて、ほんの数本が残っている状態になりました。風景も年を取って変わって行くのです。3番目の写真は田代橋から河童橋の中間にある中の瀬から見た穂高と明神岳です。明神岳は...「長野県の上高地の絶景風景」
ハインリッヒ・エドモンド・ナウマン博士は1875年、明治8年から10年間も日本人を指導した地質学者です。彼は全国の現地調査をして日本の地質地図を始めて作り、日本人へ地質学の重要性を教えてくれたのです。そして地質調査の結果、日本には昔、象が棲んでいたことを発見しました。そして糸魚川から静岡にいたるフォッサマグマを発見し、その東西では地質が異なることを指摘したのです。ナウマン博士が日本に象が棲んでいたことを発見したのです。このアジア象はナウマン象と呼ばれています。私は日本に象が棲んでいたことに衝撃を受けました。そこで今日は日本に棲んでいたナウマン象の話を致したいと思います。さて日本で縄文時代が始まったのは12000年前です。その以前は無土器の旧石器時代でした。その旧石器時代は約40000年前から12000年前...「長野県に棲んでいた象とナウマン博士」
長野県域では旧石器時代の遺跡がいくつか発掘調査されています。以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8Cからの抜粋です。・・・野尻湖遺跡群(立ヶ鼻遺跡)から人類が活躍していたことを示す槍状木器・骨器・剥片石器などの遺物が発見されている。この遺跡はナウマンゾウやオオツノシカなどの大型哺乳動物を解体したキルサイトと推定されている。時期は約2万5000年前から3万年前のものである。全国で発見されている斧形石器の約4分の1にあたる239点を出土し、刃の部分を砥石で研磨したものが多く、世界でももっとも古い磨製石器と言われている。そのほか、この時代の遺跡としては仲町(信濃町)・日向林B(信濃町)・石子原(飯田市)遺跡が発見されている。200...「旧石器時代の遺跡がある長野県」
数年前に信州への旅をしました。安曇野を中心にして碌山美術館、大王山葵園、大町山岳博物館、仁科3湖、白馬村などを丁寧にめぐりました。大町温泉の黒部ビューホテルに泊まりました。帰りに松本城に寄り、さらに八ヶ岳の清里の清泉寮の広い牧場の前で車を停め、富士山や甲斐駒岳の遠景をしばし眺めて帰ってきました。走行650Kmの家内と2人だけののんびりした旅でした。旅の間、この地方の歴史や30歳で夭折した彫刻家の碌山のことや明治時代のことをいろいろと考えました。今日は以前の旅で撮った風景写真をお送りします。1番目の写真は大町山岳博物館の前から撮った大町市と北アルプスの山並みです。数多くの登山家達が大町から穂高、槍、大天井、燕岳、そして白馬、唐松、五竜、立山へと登ったのです。そして何人もの若者が帰らぬ人になったのです。2番目...「安曇野、大町、仁科3湖、松本城をめぐる旅」
鹿児島県の出身の有名人は以下の通りです。◎西郷隆盛(陸軍大将、教育者)大西郷、南洲翁、西郷どんとして親しまれる鹿児島県出身のシンボル的な存在。薩摩国鹿児島城下加治屋町(現在の鹿児島県鹿児島市加治屋町)出身。◎大久保利通(初代内務卿)明治維新の三傑の1人。鹿児島市出身。◎海音寺潮五郎(小説家)鹿児島県伊佐郡大口村(現・伊佐市)生まれ。◎坂井宏行(料理人)人気テレビ番組『料理の鉄人』のフレンチの鉄人としても活躍。出水市出身。◎稲盛和夫(経営者)京セラ創業者・名誉会長、KDDI最高顧問、日本航空名誉会長。鹿児島市出身。◎フランキー堺(俳優・コメディアン)鹿児島市出身。◎榎木孝明(俳優)伊佐市(旧:菱刈町)出身。◎沢村一樹(俳優)鹿児島市出身。◎山田孝之(俳優)薩摩川内市出身。◎綾小路きみまろ(漫談家)志布志市(...「鹿児島県の出身の有名人」
「史上で最大の噴火は200年前のインドネシアのタンボラ山の大噴火」
今から200年前の1815年4月10日、インドネシアのタンボラ山が大噴火を起こした。それによって村ひとつが丸ごと消滅し、地球全体の気温は数度低下し、世界中で飢饉と疫病が蔓延した。これは歴史上最大規模の噴火として、今もその記録は塗り替えられていない。これは歴史上最大規模の噴火として、今もその記録は塗り替えられていない。イタリアの古代都市ポンペイを地図上から消し去ってしまったベスビオ山の噴火と比べると、実に20倍の規模である。詳しくは、https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/041500050/をご覧ください。写真はインドネシアのタンボラ山です。「史上で最大の噴火は200年前のインドネシアのタンボラ山の大噴火」
日本は火山列島です。日本にある火山の一覧表葉、日本にある火山の一覧表は、https://ja.wikipedia.org/.../%E7%81%AB%E5%B1%B1%E3%81%AE...に出ています。それによって少し情報を以下に示します。ランクAの火山(13山)8十勝岳北海道10樽前山北海道13有珠山北海道16北海道駒ヶ岳北海道43浅間山群馬県・長野県56伊豆大島東京都60三宅島東京都66伊豆鳥島東京都82阿蘇山熊本県83雲仙岳長崎県88桜島鹿児島県91硫黄島鹿児島県95諏訪之瀬島鹿児島県北海道だけ詳しく示します。知床岳知床硫黄山(B)知床半島にある高純度の融解硫黄を噴出させた活火山。羅臼岳(B)知床半島にある溶岩円頂丘を持つ活火山。天頂山知西別岳遠音別岳海別岳斜里岳武佐岳サマッケヌプリ山摩周湖(B)...「日本にある火山の一覧表と北海道のサマッケヌプリ山の写真」
巨大な火山の直下に鹿児島市という大きな街が在ります。人々が平和に暮らしています。そんな写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.kagoshima-kankou.com/houjin/photo?st=acs&page=3です。「巨大火山直下にある鹿児島市の写真」
約29,000年前、今の桜島の噴火の100万倍くらいの巨大噴火が起こりました。噴出したマグマの量は鹿児島県全土を60mの厚さで埋め尽くすほどでした。マグマが出た後の地面はへこんで、錦江湾奥部にあたる姶良カルデラになります。鹿児島の地には、軽石、火山灰、火山ガスが600℃以上の高温で混ざりあった火砕流がなだれ込み、たった1週間で山も谷も埋め尽くして、平らな地形となりました。その後、川にけずられて残った地形が現在の鹿児島のシラス台地です。約26,000年前には、姶良カルデラの南端で噴火が始まり、桜島(現在の北岳)ができました。現在の鹿児島のシラス台地も、眼前に広がる桜島や錦江湾も、大昔の巨大噴火とつながっているのです。桜島の写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.kagoshima-kan...「鹿児島の桜島の写真」
太平洋戦争において、日米の最大規模で最後の戦闘となったのが沖縄戦でした。1945年3月26日から始まり、6月23日に終わりました。沖縄の日本側犠牲者は約19万人でアメリカ側犠牲者は14000人で他に何万人もの負傷者がでました。沖縄戦に関する多数の本を読むといかに悲惨な戦争だったかがよく分かります。沖縄本島は勿論、石垣島や周辺の島々でも熾烈な戦いがあったのです。沖縄諸島には悲しみの声が埋まっているのです。白いサンゴ礁に砕ける美しい波は悲しみの歌を唄っているのです。最後の激戦地となった糸満市では遺族などが参列して、毎年、戦没者追悼式が開かれます。沖縄戦の数々の悲しい戦争のようすは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6に詳しく掲載され...「ざわわざわわ、この悲しみは消えない、沖縄戦の悲しみ」
日本の最南端、与那国島の家の写真をお送り致します。与那国島の多くの人はエアコンつきの近代的な家に住んでいます。これらの写真は与那国島の伝統的な家の写真です。写真はインターネットからお借りしました。 「日本の最西端、与那国島の家の写真」
沖縄ぼ周辺には実に数多くの離島が散在しています。ある離島愛好家それらの沖縄の離島を訪問した旅日記の抜粋をご紹介致します。詳しくは、https://okinawa-labo.com/ishigakiisland-isolatedisland-12561をご覧下さい。===========================「石垣島からゆく離島めぐり!9島紹介&体験レポ」沖縄をとことん満喫したいなら、離島トリップが最適です。「これぞ沖縄!琉球!」という町並みや、(ありきたりな表現ですが)夢のような美しさの海・緑・星空が楽しめます。石垣島離島ターミナルからは毎日何便もの離島往復船がでていて、とっても手軽に離島めぐりが楽しめるんです。行けるのは八重山諸島の9島。石垣島は、美しい島々からなる「八重山諸島」の中心的な島。...「沖縄周辺に散在する離島への旅」
現在の日本の領土は北海道から沖縄までの長い列島にまたがっています。従ってその地方や地域の歴史は随分と異なっています。北海道の歴史は最近の数編の記事でご紹介しました。さてそれでは南の沖縄の歴史はどんなものだったのでしょうか?簡略に書けば本州、九州、四国にあった縄文時代、弥生時代、古墳時代は沖縄には存在していません。石器時代に続き貝塚時代が鎌倉時代の頃まで続きます。そして12世紀に農耕が普及し豪族たちが石垣で館を囲った「グスク時代」が始まります。3人の豪族が沖縄本島を3分割するようになると、その時代を三山時代といいます。その後1429年に尚巴志(しょうはし)が三山を統一し「琉球王国」が誕生することになるのです。この第一尚氏王国は第二尚氏王国へと発展し「琉球王国」は合計約450年続きます。この450年の琉球王国...「日本とは非常に違う琉球、沖縄の歴史」
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外国の火祭りは聖ヨハネの前夜祭です。洗礼者ヨハネの誕生日とされる「聖ヨハネの日」に世界の各地でキリスト教徒が祝う火祭りです。キリスト教と関係ない各地の夏至祭と結びつき、火祭りとして祝われる例も多いようです。「外国の火祭り」
吉田の火祭りの写真と全国の火祭りの一覧表です。吉田の火祭り(鎮火祭)は北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の両社のお祭りで、毎年8月26日、27日に行われます。450年以上の歴史を持ち、日本3奇祭、日本10大火祭りにもなっております。全国の火祭りの一覧表オロチョンの火祭り-北海道網走市青森ねぶた-青森県青森市竿燈-秋田県秋田市松明あかし-福島県須賀川市大日向の火とぼし-群馬県南牧村愛宕社の火祭り-富山県魚津市、魚津神社滑川のネブタ流し-富山県滑川市向田の火祭り-石川県七尾市能登島、伊夜比咩神社鬼ヶ嶽火祭り-福井県越前市、大虫神社左義長まつり-福井県勝山市吉田の火祭-山梨県富士吉田市、北口本宮冨士浅間神社・諏訪神社(境内社)南部の火祭り-山梨県南巨摩郡南部町中里の火の花祭-東京都清瀬市中里、中里の富士塚秋葉の火ま...「吉田の火祭りの写真と全国の火祭りの一覧表」
北海道は空気が澄んでいるので花々が生き生きと咲いています。北海道の夏の花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://prezo.jp/column/2837です。1番目の写真は大通公園のライラックです。2番目の写真は網走郡大空町の芝桜公園です。3番目の写真は紋別郡遠軽町丸瀬布水谷町のまるせっぷ藤園です。4番目の写真は北海道のシンボルフラワーはハマナスです。「夏の北海道の生き生きとした花の写真」
山梨の甲斐駒の麓に小さな山の家を作りました。1974年に作りました。その小屋を中心としたて上高地や軽井沢や白馬などへ旅行を楽しみました。今日は白馬山麓の白馬東急ホテルと周囲の美しい風景をご紹介いたしたいと思います。1番目の写真は白馬東急ホテルです。後ろの山々は白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮華岳などです。2番目の写真はホテルの庭から見た客室です。3番目の写真は泊った客室の写真です。バルコニーに出て庭の向こうの山々を見ながらビールを何度も飲んだものです。家内の両親と一緒に泊ったこともありました。4番目の写真は八方尾根に上がるゴンドラです。このゴンドラの終点は標高が1400mと高く、その大きな展望台からは北に戸隠山や飯綱山まで見えます。5番目の写真はゴンドラの終点、標高1400mの展望台です。残雪に輝く白馬鑓...「白馬東急ホテルと周囲の美しい風景」
関東の山々ではとっくに散ってしまいましたが、白馬山の麓では大雪渓から下る水が冷温で、松川のそばだけ季節が遅れているようです。白馬山の麓に咲く小さな花の写真をお楽しみ下さい。・「白馬山の麓に咲く小さな花の写真」
以前によくドライブしていた頃は諏訪湖から登る白樺湖高原、車山高原、霧ケ峰高原へはよく行きました。風景が雄大で可憐な草花が咲いているのです。標高2000m位の高原の連なりには白いシシウド、ギボシ、青いツリガネニンジン、ピンクのヤナギラン、オレンジのキスゲ、オニユリ、そしてフジバカマ、アザミ、などなどの花の群れが咲いています。写真を撮っていると乾いた涼風が吹き渡り花々が揺れています。都会の暑さが嘘のようです。涼しい風をご想像されながら写真の花々をお楽しみ下さい。今日は2008年8月に撮影した写真をお送りいたします。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)「夏の白樺湖高原、車山高原、霧ケ峰高原の草花の群れ」
旧友の馬場駿さんから『岩礁』33号が送られてきました。詩や小説などの文芸作品がぎっしり詰まっています。数編読みました。完成度の高い作品です。馬場駿さんとは甲斐駒岳の麓の山林の中で知り合いました。情熱的な文学青年でした。その後『岩礁』を創刊し33号まで続けてきたのです。立派な人生です。文学のお好きな方へお勧めします。購入申し込みは;電話とFax共通で、0558-76-5582へ。会員は主に伊東市なので挿絵代わりの写真は伊東マリーナの風景写真をお送りいたします。「総合文芸誌、『岩礁』33号のご紹介」
小金井市にも夏祭りがあります。多くの家族連れがワイワイ楽しそうにしています。そして全国のは各地に賑やかな夏祭りがあります。末尾に全国のお祭りの8月の一覧表を示します。ご覧下さい。全国の8月の表ですから非常に数多くあります。私はその数の多さに吃驚しました。小金井市のような小さな納涼祭りはこの一覧表には入っていません。従って小さな夏祭りの数まで含めると全国には数百の夏祭りがあるのではないでしょうか?この数の多さは日本だけかも知れません。私は祭りに関しては素人ですが、欧米の祭りはそんなに数多くは無いように思っています。狭い経験ですが自分が住んだオハイオ州ではStateFair(州の農産物市場)という大規模なイベントが年に一回あり、それには数多くの出店や見世物小屋が並んで日本の夏祭りのようです。そして南ドイツでは...「全国の夏祭り一覧表と日本の祭り文化」
夏祭りの印象深い一つの例を示します。能登半島の津々浦々のキリコ祭りです。ご紹介致します。キリコ祭りは能登地方の住民にとって最も重要な祭りです。能登地方で生まれて東京や大阪などに出て行っている人たちが、自分の町でキリコ祭りがある時には戻ってきて、祭りに参加するのです。祖父母に孫たちを会わせ家族全員でキリコ祭りを楽しむのです。キリコは巨大な灯籠のことです。背が高い直方体で、前面中央部には漢字3文字で表した「キリコ吉祥文字」と呼ばれる地区ごとの願いや祈りを込めた文字が書かれています。写真に七尾市で行われる石崎奉燈祭(キリコ祭り)の様子を示します。写真は「七尾市、石崎奉燈祭の写真」を検索して鮮明な写真を選んで転載させて頂きました。若い人でも賢い人は祭りを大切にしています。重要だと思っています。老境に至って全国の地...「夏の風物詩、能登地方のキリコ祭り」
盆踊りの季節になりました。いろいろな盆踊りを思い出します。故郷の仙台の盆踊りや旅先の盆踊りを懐かしく思い出します。特に印象が深かったのは「郡上八幡の盆踊り」でした。今日は郡上市の盆踊りをご紹介いたいと思います。岐阜県の郡上市の「郡上八幡の盆踊り」を見ったのは15年ほど前でした。人がいっぱい楽し気に踊っている光景に圧倒されました。郡上の市役所の女性が駒下駄をカラカラと響かせて踊っています。観光客も加わって踊っています。賑やかで楽しい盆踊りです。木曽の谷間に盆踊りの唄が木霊しています。その上、踊りの振り付けが洒脱で軽妙です。曲も楽しいのです。例えば「春駒」という踊りはいかにも可憐で躍動感に満ちて居ます。ほかにも「ヤッチク」「げんげんばらばら」など歌詞も曲も面白いものです。郡上八幡に住んでいる人々の創意工夫が溢...「懐かしい郡上八幡の盆踊り」
中国の瀋陽訪問の直後の1981年に、東北工学院の金応培先生を東京の私の研究室へ招んだのです。一年間の研究留学です。金応培先生は中国東北地方に散在している朝鮮族自治区の出身の朝鮮族でした。日本の朝鮮併合のあと、彼の両親が朝鮮を脱出し中国の東北地区へ移住したのです。新しい農村に少し落ち着いたら、今度は満州帝国建国で再び悲劇が起きたのです。日本の武装開拓団が金さん一家の農地を強制的に安く買い上げたのです。戦後は暫くは旧満州の奥地に住んでいましたが、その後は瀋陽に引っ越しました。私が瀋陽の東北工学院を訪問したとき、金さんはその大学で助教授をしていました。私は金応培さんの案内で瀋陽市にあるカトリック教会のミサに出ました。金応培さんは瀋陽のいろいろな所へ私を観光に連れて行ってくれました。瀋陽は何と言っても、清朝の発祥...「中国の瀋陽の金応培先生の思い出」
筆者を1980年から何度も北京へ招待してくれたのは北京鋼鉄学院の周教授でありました。もう故人になってしまいましたが友情の深い、年上の男でした。1945年頃には既に天津の北洋大学の学生だったそうです。学生共産党員として天津を国民党の軍隊から解放する作戦へ参加し、解放後は天津市の行政に参加した時期もあったと話していました。善い共産党員の見本のような人で、何時も北京の貧しい人々への同情を話していました。よく私を庶民的な北京ダック専門店へ招待してくれました。そして北京ダックの美味しい店は少し汚くて、観光客の来ない所ですと教えてくれます。彼は北京鴨が自慢なのです。縦長の白い顔は眉が太く、昔の中国の大人の風貌です。いつも静かな微笑みを浮かべ、ゆっくりした英語で話し合いました。以下は1980年代の終わりころ、残留孤児が...「北京ダックと周栄章さんの思い出」
中国は古い歴史があります。しかも現在の中国は世界2位の経済大国なのです。その事実を以下に示します。世界の名目GDP(USドル)ランキングです。出典は、https://ecodb.net/ranking/imf_ngdpd.html#CNです。1位アメリカ29,184.90-北米2位中国18,748.01-アジア3位ドイツ4,658.53-ヨーロッパ4位日本4,026.21-アジア5位インド3,909.10-アジア6位イギリス3,644.64-ヨーロッパ7位フランス3,162.02-ヨーロッパ8位イタリア2,372.06-ヨーロッパ9位カナダ2,241.25+1北米10位ブラジル2,171.34-1中南米11位ロシア2,161.21-ヨーロッパ12位韓国1,869.71-アジア13位メキシコ1,852.72...「そして現在の中国は世界2位の経済大国になった」
西安の近くには紀元前246年に作られ始めた秦の始皇帝陵と兵馬俑があります。私は1982年に西安に泊り郊外の秦の始皇帝陵と兵馬俑を訪れ非常に感動しました。特に兵馬俑坑にある武人像の表情が千差万別で活き活きとしていることに感動したのです。始皇帝陵と兵馬俑の写真を示します。写真は「秦の始皇帝陵」と「兵馬俑」を検索して出て来た数多くの写真から鮮明な写真を選びました。1番目の写真は西安から約30Kmにある秦の始皇帝陵です。陵の小山にはわけなく登れました。頂上には幾つかの石像が祀られていました。眺めが良かったです。2番目の写真は始皇帝陵から1Kmはなれた兵馬俑坑です。巨大な覆いの屋根がかけてあります。武士俑は等身大の素焼きで8000体あるそうです。3番目の写真は軍馬と武人の像です。馬の手綱まで精巧に出来ています。4番...「秦の始皇帝陵と兵馬俑の写真」
近くに始皇帝陵墓と兵馬俑がある西安の風景写真をお送り致します。始皇帝陵墓と兵馬俑は西安の北東30kmの驪山北側にあります。以前に西安に旅して4番目の写真にある塔に登ったことを懐かしく思い出します。西安の風景写真と塔の写真をお送り致します。「近くに始皇帝陵墓と兵馬俑がある西安の風景を懐かしく思う」
日本を代表する印象派の画家は児島虎次郎です。岡山県倉敷市にある大原美術館は、日本で初めて設立された西洋美術中心の私設美術館として知られています。このミュージアムを創設した大原孫三郎は、洋画家の児島虎次郎と深いつながりがありました。児島虎次郎が残した作品は多数存在します。写真は児島虎次郎の《朝顔》です。児島虎次郎は明治時代から昭和時代にかけて活躍した洋画家です。岡山県倉敷市にある大原美術館の礎を築いた人物であり、その功績はいまも語り継がれています。大原美術館の礎を築く虎次郎は1909年にパリから日本へ帰り、翌年に孫三郎夫妻の仲介で社会実業家の娘と結婚しました。虎次郎のヨーロッパ滞在は三度にわたり、のちに大原美術館のコレクションとなる芸術品を集めました。エル・グレコの《受胎告知》やゴーギャンの《かぐわしき大地...「日本を代表する印象派の画家、児島虎次郎」
北海道にある木田金次郎記念館と岩内漁港の写真をお送りいたします。写真はインターネットからお借りしました。「北海道にある木田金次郎記念館と岩内漁港の写真」
展覧会の会場に入ると人々がシーンと静まって、絵を見て立ちつくしています。何事ならんと絵を見ると何かにガーンと殴られたような感じがします。この感じを受ける絵画展は何度かありますが、その瞬間、「嗚呼、来て良かった」と思うのです。そして78点の木田金次郎の油彩画を静かに見ました。暗い、しかし透明で美しい青色を基底にした色彩で北海道の漁港や山を描いた絵画です。何故か悲しい色彩です。でも悲しみだけではありません。描いている画家の研ぎ澄まされた独創性が絵画に深味を与えています。北海道の淋しさが偲ばれます。岩内という漁港に住みついて貧しさの中で彼の心は絵を描くことだけを考えていたのです。有島武郎、ただ一人、木田金次郎の絵画を認め、励ましていました。しかし中央の画壇では誰も見向きもしない無名の画家だったのです。そして美し...「北海道の孤高の画家、木田金次郎展」
カミーユ・ピサロ(CamillePissarro)は1830年に生まれ1903年に没しました。、19世紀フランスの印象派の画家でした。ピサロは1830年にカリブ海の、当時デンマーク領だったセント・トーマス島で生まれます。父フレデリック・アブラハム・ピサロはボルドー出身のユダヤ教徒で金物屋でした。パリでは、アカデミックな画家たちの指導も受けたがより自由にモデルを描くことが許される画塾アカデミー・シュイスに通っていました。1859年にはクロード・モネが、1861年にはポール・セザンヌやアルマン・ギヨマンがパリに来て同じアカデミー・シュイスで学び始めており、ピサロはこの頃彼らと知り合ったようです。そしてコローに会いに行きアドバイスを求めています。ピサロは1903年の夏をル・アーヴルで過ごした後、10月にパリに戻...「温厚なカミーユ・ピサロの油彩画」
私が好きなユトリロのパリの風景画の写真をお送りします。モーリス・ユトリロは1883年に生まれ1955年に亡くなりました。生涯アルコール依存症に苦しみ私生活は悲惨なものでした。1883年12月、パリ・モンマルトルの丘の麓に私生児として生まれモーリスと名付けられました。精神薄弱児だったそうです。母の薦めで絵を描くことに目覚めました。そんなユトリロが多くの人々を感動させる美しい油彩画を沢山描いたのす。私は昔からユトリロの絵が大好きでした。7枚の彼の絵をお送り致します。1番目の写真はサクレクール寺院の見える風景画です。出典は、http://nekoarena.blog31.fc2.com/blog-entry-2628.htmlです。晩年の作品です。ユトリロがモンマルトルに居た期間は短かったそうですが、過去の自分...「私の好きなユトリロのパリの風景画」
アジサイはドイツでも咲いています。アジサイはドイツ語でHortensie(ホルテンジエ)と言い、英語ではHydrangea(ハイドランジア)と言います。日本だけでなく欧州でも広く普及してます。いろいろな派生種があります。水が酸性かアルカリ性かによって、花の色が変わるのは、有名な話ですね。示した写真の出典は、https://minkara.carview.co.jp/userid/314846/blog/44079793/です。「アジサイはドイツでも咲いています」
アジサイの原産地は日本で、その元はガクアジサイです。アジサイは日本から中国にわたり、シルクロードを伝わってヨーロッパへと伝わっていき、イギリスなどで東洋の花として人気が出て、品種改良が進んだのです。写真はアジサイの原産地、日本のガクアジサイです。「アジサイの原産地は日本」
鎌倉は古都で魅力ある場所です。そのうえ家内が生まれ育った所なので何度も訪れました。アジサイが美しい古都です。鎌倉のアジサイの花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/amazing/ajisai-kamakuraです。写真は順に長寿寺、円覚寺、成就院、長谷寺のアジサイです。「鎌倉にはアジサイがあちこちに咲いている」
この季節はアジサイが静かに美しく咲ています。私の家の庭にも咲いています。梅雨が降りかかり一層あざやか色です。日本の梅雨の季節の美しい風物詩です。今日は美しいアジサイの写真をお送り致します。1番目の写真は美しい古刹として知られる鎌倉の長谷寺のアジサイです。写真の出典は、https://clubtravelerjapan.com/article/spot/9430/です。まったく余談ですが家内はこの近所で生まれ育ちました。2番目の写真は山里の梅雨の季節の霧の中のアジサイです。写真の出典は、https://ganref.jp/m/tkrphoto/portfolios/photo_detail/2156726です。3番目の写真は滋賀県長浜市のお寺の山門とアジサイです。出典は、https://www.excite...「日本の梅雨とアジサイの詩的な風景」
仙台で生まれ育ったので松島の瑞巌寺へは何度か行きました。松島の瑞巌寺は国宝で伊達家の菩提寺です。懐かしいので写真を示します。写真はインターネットからお借りしました。写真は順に、本堂、庫裏,総門、お寺の前の杉並木です。「平安時代に創建された松島の瑞巌寺の写真」
『人間国宝美術館』とは変な名前の美術館です。怪しい作品が展示してあるのではないかと恐る恐る訪れました。ところが重要無形文化財保持者(人間国宝)が創った絵画や焼き物の展示に感動しました。これらの美術品を蒐集した館主の山口伸廣さんの審美眼にと収集品の確かさに感動したのです。展示品の数も多く4階にわたる展示室も充分です。写真撮影が自由にできるのも嬉しいものです。最後に有名陶芸家の作品の中から自分の好きな茶碗を選んで、その茶碗で抹茶を楽しめるサービスに感心しました。心憎い気配りです。ホームページ(http://www.nikobi.com/cont/about.html#02)も良く出来ています。館長矢部良明さんの「ごあいさつ」をそのホームページから下に示します。「高級な美に触れて快い、時間を過ごすことは、多忙な...「箱根の麓の湯河原温泉にある「人間国宝美術館」のご紹介」
幕末から明治にかけての箱根の風景の写真をお送り致します。写真はインターンットからお借りしました。「幕末から明治にかけての箱根の風景」
箱根の芦ノ湖の風景の写真をお送り致します。芦ノ湖は奈川県南西部にある県内最大の湖です。水源の大部分が湖底からの湧き水です仙石原から流れ出る早川の水源です。写真の出典は、https://stock.adobe.com/jp/search?k=%E7%AE%B1%E6%A0%B9です。「箱根の芦ノ湖の風景」
箱根は昔から温泉として有名でした。江戸時代には関所が置かれていました。現在は車だけでなく小田急ロマンスカーや箱根登山電車などで気軽に行けます。私どもも何十回も訪れました。今日は私どもが撮った写真にしたがって箱根をご紹介したいと思います。1番目の写真は箱根観光の中心的な芦の湖です。奥に富士山が写っています。2番目の写真は旧東海道の杉並木です200m位よく保存されています。3番目の写真は復元されている江戸時代の箱根の関所です。4番目の写真は元箱根にある成川美術館です。日本画の収集が抜群でした。5番目の写真は芦の湖の畔に立つ「山のホテル」です。1963年に新婚の妻と一緒に泊まりました。当時は木造の小さなホテルでした。箱根へ行くと泊まる定宿のようなホテルでした。6番目の写真は強羅公園です。「山のホテル」の他に強羅...「魅力溢れる箱根を巡る旅」
美しい竹林の写真を撮りに行って来ました。小金井には規模が小さいながらも美しい竹林があります。武蔵野公園の近くです。先程その写真を撮って来ました。「美しい竹林の写真を撮りに行く」
鰻は美味しい魚なのでアジア諸国だけでなくイギリス、ベルギー、イタリア、オランダ、スウェーデン、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどではよく食べられています。昔ドイツに居た頃は生き鰻を売っていました。買って蒲焼きにしました。欧米人はウナギを燻製にして食べます。そして、ぶつ切りにしてスープにして食べます。蒲焼きは面倒なのでしません。欧米人がよく食べるウナギの燻製とウナギ入りのスープの写真をお送り致します。写真はインターンネットからお借りしました。「ドイツのウナギ料理の写真」
先程、駅前のウナギ専門店に行って撮ってきました。「ウナギの蒲焼きいろいろな写真」
今年の夏の土用の丑の日は2日あり、2024年7月24日(水)と8月5日(月)です。夏の土用の丑の日は立秋前に訪れ、毎年日付は変わります。季節の変わり目で体調を崩しやすい時期に、うなぎなど栄養のある食べ物を食べて英気を養いましょう。うなぎ以外にも、「うどん」「梅干し」「瓜科の野菜」「牛肉」など「う」のつく食べ物を食べて、健康を願いながら土用の丑の日を過ごします。土用丑の日にウナギを食べる習慣の発祥には江戸時代の平賀源内説や春木屋善兵衛説や蜀山人説があります。現在のように蒲焼にして食べる風習は江戸時代に広く普及したことには間違いありません。しかし夏痩せを防ぐためにウナギを食べる風習は万葉集の出来た時代にもあったのです。痩(や)す痩すも生けらばあらむを将(はた)やはた鰻(むなぎ)を漁(と)ると河に流れな大伴家持...「間もなく土用丑の日、ウナギも蒲焼きにまつわる話」
小金井の金蔵院の蓮の花は毎年必ず咲きます。先程今年の蓮の花の写真を撮ってきました。美しい色合いをお楽しみ下さい。「今年も咲きました蓮の花」
エドワード・モースは大森貝塚の発見で有名ですが、それ以上に日本の陶磁器の収集と民具や風景写真の収集でも偉大な功績を上げました。ボストンの近くのセイラムという港町に終生住んでいて、その町にあるピーボディー博物館に収集品を保存し、展示しました。彼の収集品には約130年前の日本の風景写真が数多く含まれています。その風景写真を編集して出版したのが小学館です。それは、「百年前の日本」(1983年11月25日初版発行)という写真集です。今日は、昔の箱根の風景、江の島の風景、そして農村の人々の写真を7枚お送りします。撮影時期は1980年(明治13年)から1990年(明治23年)頃と考えられています。1番目の写真は現在の関所跡から北方面へ伸びる町並の風景写真です。手前の左近辺には現在、遊覧船の桟橋があり車の駐車場が広がっ...「明治時代の箱根の風景、江の島の風景、そして農村」
今日はインターネットを通して東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました。カトリック松原教会にのミサの風景写真をお送り致します。「今日は東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました」
五島列島のカトリック教会の風景写真です。写真はインターネットからお借りしました。1番目の写真は楠原教会の写真です。リブ・ヴォールト天井で、レンガ造りのゴシック様式。下五島に現存する教会としては、堂崎教会に次ぐ2番目に古い教会です。2番目の写真は堂崎教会です。五島のシンボル的教会。県指定有形文化財です。3番目の写真は水の浦教会です。ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会です。4番目の写真は江上天主堂の写真です。世界文化遺産「奈留島の江上集落」構成資産。国指定重要文化財です。「五島列島のカトリック教会の風景」
人間はだれでも高齢になると病気がちになります。退職して年金生活をしているのでお金の心配もあります。体力が無くなるのでスポ-ツなどの趣味は出来なくなります。ですから一生の間で一番不幸な時期と考える人がいても不思議ではありません。しかし老境ほど一番はなやかで幸せなときは無いという人もいます。私自身もそのように思います。私だけでなくこのような記事にコメントを下さる方々は皆元気溌剌で幸せそうです。その上毎週一回通っているリハリビ施設で会う15人位の80歳、90歳の高齢者も意識の上では若々しいのです。これらの高齢者を毎週一年以上仔細に観察しました。そうしたら男女にかかわらず達観の境地にあるようです。勿論、達観していると言っても人間なので迷いもあり愚痴もこぼします。しかし全体的に観察していると高齢者ほど達観の境地に近...「老境の幸せと達観の境地の具体的な説明」
何度通っても飽きない野川沿いの散歩道です。不思議に思います。そんな散歩道の写真をお送り致します。「何度通っても飽きない散歩道」
武蔵野公園への散歩道に人が死に絶えて門だけが残った屋敷跡があります。建物は朽ちて消えてしまい鬱蒼とした森になっています。立派な門だけがムジナ坂の下にあります。その門の前を通るたびに人の世のはかなさを感じます。そんな風景の写真を撮って来たのでお送り致します。「人が死に絶えて門だけが残った」