昔、南ドイツに住んでいたことがあります。スイスにはよく遊びに行きました。そしてアルプスの山々と花畑を眺めたmぽのです、アルプスの山々と花畑の写真をお送り致します。写真は、「スイスのアルプスの花畑の写真」を検索してインターンットからお借りしました。「スイスのアルプスの山々と花畑の写真」
キリスト教の修道院は日本に沢山あります。しかし社会からかなり孤立した場所なので、その内部はあまり公には知られていません。そこで今日はその訪問記をお送りします。そしてイエズス会のことや、その修道院の内部をご紹介したいと思います。1番目の写真はイエズス会石神井修道院の若い修練者が小金井教会で聖なるパンを信者に与えている場面です。この修道士は以前、日曜のミサのお手伝いに小金井教会へ来てくれていました。この方のご縁で修道院を訪問することになったのです。それは2010年の7月のことでした。イエズス会石神井修道院を訪ねたのです。お会いして下さった方はイエズス会士の塩谷恵策神父様でした。博識な方です。修道院の歴史を明快にご説明して下さいました。何も知らない小生へ分かり易くお話して下さったのです。昔から東洋文庫から出版さ...修道院とはどういう所でしょうか?その内部をご紹介します。
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昔、南ドイツに住んでいたことがあります。スイスにはよく遊びに行きました。そしてアルプスの山々と花畑を眺めたmぽのです、アルプスの山々と花畑の写真をお送り致します。写真は、「スイスのアルプスの花畑の写真」を検索してインターンットからお借りしました。「スイスのアルプスの山々と花畑の写真」
蔵王山は奥羽山脈の中にあって宮城県と山形県の県境にあります。火山活動によって出来た山です。仙台で生まれ育った私は何度も蔵王山の樹氷の間でスキーをしたことがあります。当時は仙山線で山形駅に行き、そこからバスで高湯温泉(現在の蔵王温泉)に上がりました。高湯温泉からはスキーを履いてドッコ沼の山小屋に逗留するのです。ドッコ沼の上の懺悔坂から地蔵岳までが樹氷地帯なのです。地蔵からの帰りは急坂の懺悔坂は怖いので、なだらかな大平コースを下ります。夕日を浴びた茜色の樹氷の光景が今でも私の網膜に焼き付いています。あれから茫々60年以上も経ちました。毎年、懺悔坂の怖さと夕日の樹氷の姿を思い出します。今日は皆様に蔵王山の美しい樹氷の写真をお楽しみ頂きたいと思います。お送りする写真は「山形蔵王の樹氷写真集」、http://www...「我が青春の山、蔵王山の樹氷の写真」
南アルプスの主峰3つは北岳(富士山の次に高い3193M)、間ノ岳、農鳥岳(白峰三山)です。その前山は甲斐駒、地蔵、観音、薬師です。このうち離れている甲斐駒を除き、地蔵、観音、薬師を鳳凰三山と言います。学生時代、北の穂高、大キレット、槍、常念、と縦走し、南アルプスの甲斐駒、地蔵、観音、薬師に登りました。その後、仕事が忙しくなり、南アルプスの主峰連山(上写真)に登れなくなりました。年をとり体力が衰え、もう登れません。1番目の写真は地蔵、観音、薬師の鳳凰三山です。撮影場所:中央高速道路の釈迦堂サービスエイリア(下り)裏の階段より、西方角を撮る。2番目の写真は甲斐駒岳です。「南アルプスの鳳凰三山の写真」
夏になると若い頃の北アルプス縦走を思い出します。その北アルプス縦走の思い出を写真に従ってお送り致します。しかし私は当時写真機を持っていなかったので、インターネットからお借りしました。さて縦走は大糸線の穂高駅から中房温泉への登高から始まりました。そこに一泊して燕岳、大天井、西岳、槍の肩の小屋で一泊し、南岳、キレット渡り、北穂高、涸沢、横尾と歩いて上高地に降りて来ました。歩いた行程は全部で2泊3日の山歩きでした。毎日10時間ほど歩きました。写真で説明します。1番目の写真は中房温泉から1時間ほど登ると突然見える燕岳です。この地点から槍ヶ岳を遥かに見ながら縦走路を行くのです。2番目の写真は燕岳と大天井岳の間の尾根から見える槍ガ岳です。まだ遠方です。3番目の写真は大天井岳の肩を回りこみ近くなった槍ガ岳です。4番目の...「夏の北アルプス縦走の写真」
月日の流れは早いものです。私の青春は1960年代1970年代でした。今朝はその頃のことを思い出しています。谷川岳の一ノ倉沢の岩登りが若者の胸を熱くした時代でした。今日は1960年代1970年代のことを書きたいと思います。その頃は谷川岳が流行っていました。谷川岳の一ノ倉沢の岩肌を命がけで登っている人がいる一方、街には安保闘争のデモが渦巻いていました。デモは学生の情熱でした。若者が燃えていた時代でした。そんな時代の空気が懐かしいです。あの空気は二度と来ません。その頃、ある山の遭難記事を掲載しましたところその時代の空気をまざまざと思い出させるコメントを2人の方から頂きました。非常に活き活きした文章なのでそのまま転載致します。(1)すけろくさんから2018年10月06日に頂いたコメント若い頃は毎週のように谷川岳東...「懐かしい谷川岳がはやり安保闘争デモの時代」
外国の火祭りは聖ヨハネの前夜祭です。洗礼者ヨハネの誕生日とされる「聖ヨハネの日」に世界の各地でキリスト教徒が祝う火祭りです。キリスト教と関係ない各地の夏至祭と結びつき、火祭りとして祝われる例も多いようです。「外国の火祭り」
吉田の火祭りの写真と全国の火祭りの一覧表です。吉田の火祭り(鎮火祭)は北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の両社のお祭りで、毎年8月26日、27日に行われます。450年以上の歴史を持ち、日本3奇祭、日本10大火祭りにもなっております。全国の火祭りの一覧表オロチョンの火祭り-北海道網走市青森ねぶた-青森県青森市竿燈-秋田県秋田市松明あかし-福島県須賀川市大日向の火とぼし-群馬県南牧村愛宕社の火祭り-富山県魚津市、魚津神社滑川のネブタ流し-富山県滑川市向田の火祭り-石川県七尾市能登島、伊夜比咩神社鬼ヶ嶽火祭り-福井県越前市、大虫神社左義長まつり-福井県勝山市吉田の火祭-山梨県富士吉田市、北口本宮冨士浅間神社・諏訪神社(境内社)南部の火祭り-山梨県南巨摩郡南部町中里の火の花祭-東京都清瀬市中里、中里の富士塚秋葉の火ま...「吉田の火祭りの写真と全国の火祭りの一覧表」
北海道は空気が澄んでいるので花々が生き生きと咲いています。北海道の夏の花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://prezo.jp/column/2837です。1番目の写真は大通公園のライラックです。2番目の写真は網走郡大空町の芝桜公園です。3番目の写真は紋別郡遠軽町丸瀬布水谷町のまるせっぷ藤園です。4番目の写真は北海道のシンボルフラワーはハマナスです。「夏の北海道の生き生きとした花の写真」
山梨の甲斐駒の麓に小さな山の家を作りました。1974年に作りました。その小屋を中心としたて上高地や軽井沢や白馬などへ旅行を楽しみました。今日は白馬山麓の白馬東急ホテルと周囲の美しい風景をご紹介いたしたいと思います。1番目の写真は白馬東急ホテルです。後ろの山々は白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮華岳などです。2番目の写真はホテルの庭から見た客室です。3番目の写真は泊った客室の写真です。バルコニーに出て庭の向こうの山々を見ながらビールを何度も飲んだものです。家内の両親と一緒に泊ったこともありました。4番目の写真は八方尾根に上がるゴンドラです。このゴンドラの終点は標高が1400mと高く、その大きな展望台からは北に戸隠山や飯綱山まで見えます。5番目の写真はゴンドラの終点、標高1400mの展望台です。残雪に輝く白馬鑓...「白馬東急ホテルと周囲の美しい風景」
関東の山々ではとっくに散ってしまいましたが、白馬山の麓では大雪渓から下る水が冷温で、松川のそばだけ季節が遅れているようです。白馬山の麓に咲く小さな花の写真をお楽しみ下さい。・「白馬山の麓に咲く小さな花の写真」
以前によくドライブしていた頃は諏訪湖から登る白樺湖高原、車山高原、霧ケ峰高原へはよく行きました。風景が雄大で可憐な草花が咲いているのです。標高2000m位の高原の連なりには白いシシウド、ギボシ、青いツリガネニンジン、ピンクのヤナギラン、オレンジのキスゲ、オニユリ、そしてフジバカマ、アザミ、などなどの花の群れが咲いています。写真を撮っていると乾いた涼風が吹き渡り花々が揺れています。都会の暑さが嘘のようです。涼しい風をご想像されながら写真の花々をお楽しみ下さい。今日は2008年8月に撮影した写真をお送りいたします。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)「夏の白樺湖高原、車山高原、霧ケ峰高原の草花の群れ」
旧友の馬場駿さんから『岩礁』33号が送られてきました。詩や小説などの文芸作品がぎっしり詰まっています。数編読みました。完成度の高い作品です。馬場駿さんとは甲斐駒岳の麓の山林の中で知り合いました。情熱的な文学青年でした。その後『岩礁』を創刊し33号まで続けてきたのです。立派な人生です。文学のお好きな方へお勧めします。購入申し込みは;電話とFax共通で、0558-76-5582へ。会員は主に伊東市なので挿絵代わりの写真は伊東マリーナの風景写真をお送りいたします。「総合文芸誌、『岩礁』33号のご紹介」
小金井市にも夏祭りがあります。多くの家族連れがワイワイ楽しそうにしています。そして全国のは各地に賑やかな夏祭りがあります。末尾に全国のお祭りの8月の一覧表を示します。ご覧下さい。全国の8月の表ですから非常に数多くあります。私はその数の多さに吃驚しました。小金井市のような小さな納涼祭りはこの一覧表には入っていません。従って小さな夏祭りの数まで含めると全国には数百の夏祭りがあるのではないでしょうか?この数の多さは日本だけかも知れません。私は祭りに関しては素人ですが、欧米の祭りはそんなに数多くは無いように思っています。狭い経験ですが自分が住んだオハイオ州ではStateFair(州の農産物市場)という大規模なイベントが年に一回あり、それには数多くの出店や見世物小屋が並んで日本の夏祭りのようです。そして南ドイツでは...「全国の夏祭り一覧表と日本の祭り文化」
夏祭りの印象深い一つの例を示します。能登半島の津々浦々のキリコ祭りです。ご紹介致します。キリコ祭りは能登地方の住民にとって最も重要な祭りです。能登地方で生まれて東京や大阪などに出て行っている人たちが、自分の町でキリコ祭りがある時には戻ってきて、祭りに参加するのです。祖父母に孫たちを会わせ家族全員でキリコ祭りを楽しむのです。キリコは巨大な灯籠のことです。背が高い直方体で、前面中央部には漢字3文字で表した「キリコ吉祥文字」と呼ばれる地区ごとの願いや祈りを込めた文字が書かれています。写真に七尾市で行われる石崎奉燈祭(キリコ祭り)の様子を示します。写真は「七尾市、石崎奉燈祭の写真」を検索して鮮明な写真を選んで転載させて頂きました。若い人でも賢い人は祭りを大切にしています。重要だと思っています。老境に至って全国の地...「夏の風物詩、能登地方のキリコ祭り」
盆踊りの季節になりました。いろいろな盆踊りを思い出します。故郷の仙台の盆踊りや旅先の盆踊りを懐かしく思い出します。特に印象が深かったのは「郡上八幡の盆踊り」でした。今日は郡上市の盆踊りをご紹介いたいと思います。岐阜県の郡上市の「郡上八幡の盆踊り」を見ったのは15年ほど前でした。人がいっぱい楽し気に踊っている光景に圧倒されました。郡上の市役所の女性が駒下駄をカラカラと響かせて踊っています。観光客も加わって踊っています。賑やかで楽しい盆踊りです。木曽の谷間に盆踊りの唄が木霊しています。その上、踊りの振り付けが洒脱で軽妙です。曲も楽しいのです。例えば「春駒」という踊りはいかにも可憐で躍動感に満ちて居ます。ほかにも「ヤッチク」「げんげんばらばら」など歌詞も曲も面白いものです。郡上八幡に住んでいる人々の創意工夫が溢...「懐かしい郡上八幡の盆踊り」
中国の瀋陽訪問の直後の1981年に、東北工学院の金応培先生を東京の私の研究室へ招んだのです。一年間の研究留学です。金応培先生は中国東北地方に散在している朝鮮族自治区の出身の朝鮮族でした。日本の朝鮮併合のあと、彼の両親が朝鮮を脱出し中国の東北地区へ移住したのです。新しい農村に少し落ち着いたら、今度は満州帝国建国で再び悲劇が起きたのです。日本の武装開拓団が金さん一家の農地を強制的に安く買い上げたのです。戦後は暫くは旧満州の奥地に住んでいましたが、その後は瀋陽に引っ越しました。私が瀋陽の東北工学院を訪問したとき、金さんはその大学で助教授をしていました。私は金応培さんの案内で瀋陽市にあるカトリック教会のミサに出ました。金応培さんは瀋陽のいろいろな所へ私を観光に連れて行ってくれました。瀋陽は何と言っても、清朝の発祥...「中国の瀋陽の金応培先生の思い出」
筆者を1980年から何度も北京へ招待してくれたのは北京鋼鉄学院の周教授でありました。もう故人になってしまいましたが友情の深い、年上の男でした。1945年頃には既に天津の北洋大学の学生だったそうです。学生共産党員として天津を国民党の軍隊から解放する作戦へ参加し、解放後は天津市の行政に参加した時期もあったと話していました。善い共産党員の見本のような人で、何時も北京の貧しい人々への同情を話していました。よく私を庶民的な北京ダック専門店へ招待してくれました。そして北京ダックの美味しい店は少し汚くて、観光客の来ない所ですと教えてくれます。彼は北京鴨が自慢なのです。縦長の白い顔は眉が太く、昔の中国の大人の風貌です。いつも静かな微笑みを浮かべ、ゆっくりした英語で話し合いました。以下は1980年代の終わりころ、残留孤児が...「北京ダックと周栄章さんの思い出」
中国は古い歴史があります。しかも現在の中国は世界2位の経済大国なのです。その事実を以下に示します。世界の名目GDP(USドル)ランキングです。出典は、https://ecodb.net/ranking/imf_ngdpd.html#CNです。1位アメリカ29,184.90-北米2位中国18,748.01-アジア3位ドイツ4,658.53-ヨーロッパ4位日本4,026.21-アジア5位インド3,909.10-アジア6位イギリス3,644.64-ヨーロッパ7位フランス3,162.02-ヨーロッパ8位イタリア2,372.06-ヨーロッパ9位カナダ2,241.25+1北米10位ブラジル2,171.34-1中南米11位ロシア2,161.21-ヨーロッパ12位韓国1,869.71-アジア13位メキシコ1,852.72...「そして現在の中国は世界2位の経済大国になった」
西安の近くには紀元前246年に作られ始めた秦の始皇帝陵と兵馬俑があります。私は1982年に西安に泊り郊外の秦の始皇帝陵と兵馬俑を訪れ非常に感動しました。特に兵馬俑坑にある武人像の表情が千差万別で活き活きとしていることに感動したのです。始皇帝陵と兵馬俑の写真を示します。写真は「秦の始皇帝陵」と「兵馬俑」を検索して出て来た数多くの写真から鮮明な写真を選びました。1番目の写真は西安から約30Kmにある秦の始皇帝陵です。陵の小山にはわけなく登れました。頂上には幾つかの石像が祀られていました。眺めが良かったです。2番目の写真は始皇帝陵から1Kmはなれた兵馬俑坑です。巨大な覆いの屋根がかけてあります。武士俑は等身大の素焼きで8000体あるそうです。3番目の写真は軍馬と武人の像です。馬の手綱まで精巧に出来ています。4番...「秦の始皇帝陵と兵馬俑の写真」
近くに始皇帝陵墓と兵馬俑がある西安の風景写真をお送り致します。始皇帝陵墓と兵馬俑は西安の北東30kmの驪山北側にあります。以前に西安に旅して4番目の写真にある塔に登ったことを懐かしく思い出します。西安の風景写真と塔の写真をお送り致します。「近くに始皇帝陵墓と兵馬俑がある西安の風景を懐かしく思う」
白鳥は人に懐く野生の鳥のようです。今日は私自身が白鳥一家と仲良くなった不思議な体験をご紹介したいと思います。日本で見られる白鳥は冬になると遥々シベリアのアムール河の河口付近から飛んで来ます。しかし幾羽かの白鳥は日本に棲みついています。春になってもシベリアに飛んで行かないのです。私が霞ヶ浦でヨットをしていた頃、そこに棲みついている白鳥の4羽の一家と仲良くなったのです。それは不思議な体験でした。白鳥は霞ヶ浦だけでなく猪苗代湖や屈斜路湖など全国の湖や川に沢山来ます。白鳥のいる風景は日本の冬の風物詩です。さて仲良くなった4羽の一家は夏になってもシベリアに帰らないで霞ヶ浦に棲みついていたのです。当時私は土浦港にヨットを係留していました。その係留していた岸壁から湖沿いに600mほど歩いた芝生のところに2007年の春か...「白鳥は人に懐く、仲良くなった不思議な体験」
冬の日本の風物詩はシベリアから渡って来るハクチョウ、ツル、カモ、ガン、カモメなどの冬鳥が湖沼河川に群れ遊ぶ風景です。国境を自由に越えて、はるばる4000キロメートルくらいも飛んで来るそのロマンを感じ心が楽しくなります。私はカモメ類は漁港に棲んでいて冬になると内陸の湖や川に飛んでくると思っていました。しかし冬鳥、夏鳥、留鳥、漂鳥などの分類を調べてみると大部分のカモメ類は日本とシベリアの間を渡っている冬鳥なのです。毎年毎年、悪天候の中長距離を飛んで来ることを想像すると胸が締め付けられる感慨も覚えます。1番目の写真は霞ヶ浦の岸辺を飛んでいるカモメが群れです。私の車を覆うように沢山のカモメが舞っていました。2番目の写真もは霞ヶ浦の岸辺を飛んでいるカモメが群れです。岸辺の地面には鳩の大群がまかれた餌をしきりについば...「白鳥などの渡り鳥のロマン」
私たち日本人は豊かな野鳥たちに囲まれています。美しい野鳥たちに囲まれています。しかし毎日が忙しくて美しい野鳥たちに気がついていません。そこで今日は自然界に身を置いて美しい野鳥たちと一緒に遊んでみようと思いました。1番目の写真は自分で撮った写真です。霞ヶ浦の沖には無数の水鳥が列を作って遊んでいる光景です。春になるとアムール河のさらに北へ渡っていく白鳥やカモメやカモの群れです。私たちはこんなにも多くの野鳥たちに囲まれて住んでいるのです。多くの人々はこの豊かな自然に囲まれていることに気がついていません。しかしバードウオッチングを趣味にしている人々はこの豊かな野鳥の世界を楽しんでいるのです。その様子は、「日本野鳥の会」のHP(http://www.wbsj.org/about-us/summary/about/)...「豊かな野鳥たちに囲まれている日本人の幸せ」
私共は豊かな野生の鳥たちに囲まれて生活しています。渡り鳥もいますし棲み着いている留鳥もいます。日本を通過するだけの旅鳥もいます。間違って日本へやって来た迷鳥もいます。さらに渡り鳥の一部が日本に住み着いているものもいます。例えばコハクチョウは霞ヶ浦や牛久沼やあちこちの湖沼に少しずつ棲みついて日本で繁殖します。さて冬の日本で見られるオオワシは大変珍しい鳥なので少し調べてみました。日本最大の猛禽類で、1970年1月23日にオジロワシと同時期に天然記念物とされましたが今や絶滅危惧種に指定されています。(http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/bird-ohwashi_large.html)オオワシ(大鷲)は、タカ目タカ科ウミワシ属の鳥です。体は雌の方が大きいのです。全身黒褐色...「日本最大の猛禽類、天然記念物、絶滅危惧種オオワシの生態と写真」
鳥の世界は奥が深いようです。いろいろ調べてみると渡り鳥、旅鳥、漂鳥、留鳥そして迷鳥などという言葉が出て来て混乱します。しかしその違いを簡単に言ってしまうと以下のようになると思います。渡り鳥・・・日本を中心にしてシベリアや中国大陸北部へ渡る冬鳥と東南アジア各地に渡る夏鳥のことです。夏鳥主として繁殖のために日本より南の国から渡ってきて、夏を日本で過ごし、繁殖期が終わると再び越冬のために南の国に渡って行く鳥。ツバメ、アマサギ、オオルリ、キビタキ、クロツグミ、ハチクマ、サシバなど。2、冬鳥主として越冬のために日本より北の国から渡ってきて、冬を日本で過ごし、冬が終わると再び繁殖のために北の国に渡って行く鳥。ツグミ、ジョウビタキ、ユリカモメ、マガモ、オオハクチョウ、マナヅル、オオワシなど。旅鳥・・・シベリアや中国大陸...「渡り鳥、旅鳥、漂鳥、留鳥そして迷鳥・・・区別して考えて見る」
アジサイはドイツでも咲いています。アジサイはドイツ語でHortensie(ホルテンジエ)と言い、英語ではHydrangea(ハイドランジア)と言います。日本だけでなく欧州でも広く普及してます。いろいろな派生種があります。水が酸性かアルカリ性かによって、花の色が変わるのは、有名な話ですね。示した写真の出典は、https://minkara.carview.co.jp/userid/314846/blog/44079793/です。「アジサイはドイツでも咲いています」
アジサイの原産地は日本で、その元はガクアジサイです。アジサイは日本から中国にわたり、シルクロードを伝わってヨーロッパへと伝わっていき、イギリスなどで東洋の花として人気が出て、品種改良が進んだのです。写真はアジサイの原産地、日本のガクアジサイです。「アジサイの原産地は日本」
鎌倉は古都で魅力ある場所です。そのうえ家内が生まれ育った所なので何度も訪れました。アジサイが美しい古都です。鎌倉のアジサイの花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/amazing/ajisai-kamakuraです。写真は順に長寿寺、円覚寺、成就院、長谷寺のアジサイです。「鎌倉にはアジサイがあちこちに咲いている」
この季節はアジサイが静かに美しく咲ています。私の家の庭にも咲いています。梅雨が降りかかり一層あざやか色です。日本の梅雨の季節の美しい風物詩です。今日は美しいアジサイの写真をお送り致します。1番目の写真は美しい古刹として知られる鎌倉の長谷寺のアジサイです。写真の出典は、https://clubtravelerjapan.com/article/spot/9430/です。まったく余談ですが家内はこの近所で生まれ育ちました。2番目の写真は山里の梅雨の季節の霧の中のアジサイです。写真の出典は、https://ganref.jp/m/tkrphoto/portfolios/photo_detail/2156726です。3番目の写真は滋賀県長浜市のお寺の山門とアジサイです。出典は、https://www.excite...「日本の梅雨とアジサイの詩的な風景」
仙台で生まれ育ったので松島の瑞巌寺へは何度か行きました。松島の瑞巌寺は国宝で伊達家の菩提寺です。懐かしいので写真を示します。写真はインターネットからお借りしました。写真は順に、本堂、庫裏,総門、お寺の前の杉並木です。「平安時代に創建された松島の瑞巌寺の写真」
『人間国宝美術館』とは変な名前の美術館です。怪しい作品が展示してあるのではないかと恐る恐る訪れました。ところが重要無形文化財保持者(人間国宝)が創った絵画や焼き物の展示に感動しました。これらの美術品を蒐集した館主の山口伸廣さんの審美眼にと収集品の確かさに感動したのです。展示品の数も多く4階にわたる展示室も充分です。写真撮影が自由にできるのも嬉しいものです。最後に有名陶芸家の作品の中から自分の好きな茶碗を選んで、その茶碗で抹茶を楽しめるサービスに感心しました。心憎い気配りです。ホームページ(http://www.nikobi.com/cont/about.html#02)も良く出来ています。館長矢部良明さんの「ごあいさつ」をそのホームページから下に示します。「高級な美に触れて快い、時間を過ごすことは、多忙な...「箱根の麓の湯河原温泉にある「人間国宝美術館」のご紹介」
幕末から明治にかけての箱根の風景の写真をお送り致します。写真はインターンットからお借りしました。「幕末から明治にかけての箱根の風景」
箱根の芦ノ湖の風景の写真をお送り致します。芦ノ湖は奈川県南西部にある県内最大の湖です。水源の大部分が湖底からの湧き水です仙石原から流れ出る早川の水源です。写真の出典は、https://stock.adobe.com/jp/search?k=%E7%AE%B1%E6%A0%B9です。「箱根の芦ノ湖の風景」
箱根は昔から温泉として有名でした。江戸時代には関所が置かれていました。現在は車だけでなく小田急ロマンスカーや箱根登山電車などで気軽に行けます。私どもも何十回も訪れました。今日は私どもが撮った写真にしたがって箱根をご紹介したいと思います。1番目の写真は箱根観光の中心的な芦の湖です。奥に富士山が写っています。2番目の写真は旧東海道の杉並木です200m位よく保存されています。3番目の写真は復元されている江戸時代の箱根の関所です。4番目の写真は元箱根にある成川美術館です。日本画の収集が抜群でした。5番目の写真は芦の湖の畔に立つ「山のホテル」です。1963年に新婚の妻と一緒に泊まりました。当時は木造の小さなホテルでした。箱根へ行くと泊まる定宿のようなホテルでした。6番目の写真は強羅公園です。「山のホテル」の他に強羅...「魅力溢れる箱根を巡る旅」
美しい竹林の写真を撮りに行って来ました。小金井には規模が小さいながらも美しい竹林があります。武蔵野公園の近くです。先程その写真を撮って来ました。「美しい竹林の写真を撮りに行く」
鰻は美味しい魚なのでアジア諸国だけでなくイギリス、ベルギー、イタリア、オランダ、スウェーデン、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどではよく食べられています。昔ドイツに居た頃は生き鰻を売っていました。買って蒲焼きにしました。欧米人はウナギを燻製にして食べます。そして、ぶつ切りにしてスープにして食べます。蒲焼きは面倒なのでしません。欧米人がよく食べるウナギの燻製とウナギ入りのスープの写真をお送り致します。写真はインターンネットからお借りしました。「ドイツのウナギ料理の写真」
先程、駅前のウナギ専門店に行って撮ってきました。「ウナギの蒲焼きいろいろな写真」
今年の夏の土用の丑の日は2日あり、2024年7月24日(水)と8月5日(月)です。夏の土用の丑の日は立秋前に訪れ、毎年日付は変わります。季節の変わり目で体調を崩しやすい時期に、うなぎなど栄養のある食べ物を食べて英気を養いましょう。うなぎ以外にも、「うどん」「梅干し」「瓜科の野菜」「牛肉」など「う」のつく食べ物を食べて、健康を願いながら土用の丑の日を過ごします。土用丑の日にウナギを食べる習慣の発祥には江戸時代の平賀源内説や春木屋善兵衛説や蜀山人説があります。現在のように蒲焼にして食べる風習は江戸時代に広く普及したことには間違いありません。しかし夏痩せを防ぐためにウナギを食べる風習は万葉集の出来た時代にもあったのです。痩(や)す痩すも生けらばあらむを将(はた)やはた鰻(むなぎ)を漁(と)ると河に流れな大伴家持...「間もなく土用丑の日、ウナギも蒲焼きにまつわる話」
小金井の金蔵院の蓮の花は毎年必ず咲きます。先程今年の蓮の花の写真を撮ってきました。美しい色合いをお楽しみ下さい。「今年も咲きました蓮の花」
エドワード・モースは大森貝塚の発見で有名ですが、それ以上に日本の陶磁器の収集と民具や風景写真の収集でも偉大な功績を上げました。ボストンの近くのセイラムという港町に終生住んでいて、その町にあるピーボディー博物館に収集品を保存し、展示しました。彼の収集品には約130年前の日本の風景写真が数多く含まれています。その風景写真を編集して出版したのが小学館です。それは、「百年前の日本」(1983年11月25日初版発行)という写真集です。今日は、昔の箱根の風景、江の島の風景、そして農村の人々の写真を7枚お送りします。撮影時期は1980年(明治13年)から1990年(明治23年)頃と考えられています。1番目の写真は現在の関所跡から北方面へ伸びる町並の風景写真です。手前の左近辺には現在、遊覧船の桟橋があり車の駐車場が広がっ...「明治時代の箱根の風景、江の島の風景、そして農村」