昔、南ドイツに住んでいたことがあります。スイスにはよく遊びに行きました。そしてアルプスの山々と花畑を眺めたmぽのです、アルプスの山々と花畑の写真をお送り致します。写真は、「スイスのアルプスの花畑の写真」を検索してインターンットからお借りしました。「スイスのアルプスの山々と花畑の写真」
済州島は行ったこと無いけど済州島は楽しい観光地らしいです。https://www.klook.com/ja/blog/things-to-do-in-jeju/をご覧ください。「済州島は楽しい観光地?」
韓国の国花のムクゲの写真をお送り致します。写真の出典は、https://pixta.jp/.../%E9%9F%93%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E8%8A%B1...です。「韓国の国花のムクゲの写真」
野川沿いの散歩道に咲いていた花々の写真です。「今日の散歩道に咲いていた花々の写真」
都立武蔵野公園には手付かずの武蔵野が保存してります。その茫々とした武蔵野の写真を撮りに行って来ました。「茫々とした武蔵野の写真を撮りに行った」
韓国の釜山の北の慶尚北道にある河回村と良洞村の平和な農村風景の写真をお送りいたします。何故か昔の日本の農村を思い出させる韓国の田舎の風景です。何故か懐かしい農村風景です。この2つの村は農村ながらも世界の文化遺産に認定されています。李朝朝鮮時代の農村が昔のまま残っている珍しい文化遺産なのです。写真はいろいろありますが、何と言っても次の写真集が抜群の出来なので、その写真集から7枚を選びお借りすることにしました。韓国の歴史村:河回と良洞の絶景写真画像、https://dlift.jp/photo/photoDisplayWorldHeritage921これらの写真を撮った方へ敬意を表します。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)「何故か昔の日本の農村を思い出させる韓国の田舎の風景」
今日は五月晴の青い空に白い雲が流れています。小金井公園まで写真を撮りに行って来ました。「今日は雲が綺麗なので写真を撮りに行った」
札幌ではアカシアの白い花が札幌を象徴する花でした。古き良き札幌を思い出させてくれる花です。北国らしさの漂う花です。札幌の風物詩とも言われたアカシアは、正確には「ニセアカシア」という外来種で、明治初期に輸入され、札幌駅前通の並木道として使われたものが最初でした。札幌のアカシアの白い花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://poros.exblog.jp/13485739/です。「札幌のアカシアの白い花」
ライラックは東京だと5月に咲く花木で、葉はハート形、花は円錐形に小花が房咲きになり紫色、藤色、紅色、白色などの一重や八重の花をたわわにつけます。香りが良いので世界中で愛されている花木です。フランス語でリラ、和名はムラサキハシドイと呼ばれています。ハシドイは、日本に自生する近縁種の落葉小高木のことです。ライラックは冷涼な気候を好み、特に夏の夜温が下がる環境を好みます。そのため東北北部や北海道、本州の高原地帯が適地といえます。ライラックとアカシアの関係:ライラック(あるいはリラ)は札幌の樹でです。赤紫や青紫、ピンクや白などが5月中旬から下旬にかけて花開きます。一方、アカシアは6月中旬から下旬にかけて白い花を咲かせ、通りの緑の列に白い飾りが加わります。札幌のアカシアは植物辞典的にはニセアカシアです。「5月に咲くリラの花をお楽しみ下さい」
『アカシヤの大連』は詩人の清岡卓行の最初の小説作品です。雑誌『群像』1969年12月号に発表し、第62回芥川賞(1970年)を受賞しました。当時読んで感動しました。それを思い出したので大連のアカシヤの花の写真をご紹介いたしす。写真の出典は、https://4travel.jp/travelogue/10244256です。大連は昔から「東方魁城」(東方のアカシアの都)と呼ばれており、毎年5月になると一斉にアカシアの花が咲きます。アカシア祭りが毎年5月に開催されます。アカシアと言えば清岡卓行著の『アカシアの大連』で、この花を見たいと思う人も多いと思います。アカシヤの花はその清楚とも言える白い花と芳醇な香りに大いに酔いしれます。この花は注意深く見ると日本の山にも沢山咲いています。札幌などにははアカシヤの並木道が...「美しいアカシヤの大連の花の写真」
中国の各地の花園の写真です。写真は「中国の花園の写真」を検索して出て来た数多くの写真の中から美しいものを選びました。1番目と4番目の写真は洛陽の中国国家花園です。2番目と3番目の写真は福建省の国家花園です。「中国の各地の花園の写真」
中国の農村の写真をお送り致します。写真は「中国の農村の写真」を検索してインターネットからお借りしました。「中国の農村の写真」
何故か分かりませんが私は大きな樹々を見ると幸せな気分になるのです。小金井公園で大きな樹々を眺めて来ました。「大きな樹々を見ると幸せな気分になる」
建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさと物珍しさから付近の住民たちが多数見物に訪れていた。プティジャン神父には「今でも何処かでカトリック教徒が密かに信仰を伝えているのではないか」という僅かな期待があった。1865年3月17日(元治2年2月12日)、浦上(長崎市)の住民十数名が天主堂を訪れた。そのうちの40~50歳くらいの女性がひとり、祈っていたプティジャンに近づき、「私どもは神父様と同じ心であります」(宗旨が同じです)と囁き、自分たちがカトリック教徒であることを告白した(この女性の名は、イザベリナ杉本百合だったと言われている)。彼らは聖母像があること、神父が独身であることから間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分たちが迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきたいわゆる隠れキリ...「長崎の大浦天主堂にまつわる話」
広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信です。2024年5月26日三位一体の主日https://www.youtube.com/live/IQ_4_i5DUYM第1朗読申命記4章32~34、39~40節第2朗読ローマの信徒への手紙8章14~17節福音朗読マタイによる福音書28章16~20節広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」
美しくい国、フィンランドの写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.gettyimages.co.jp/search/2/image-film?phrase=%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89です。「美しくい国、フィンランドの写真」
昔、北の国のヘルシンキの工科大学のハイケンハイモ教授を訪問したことがありました。そうしたら大学のサウナに招待されたのです。北欧のサウナは、極北の香り高い白木で内装されています。隣に談笑する大きな部屋が付いていて、窓からは広々とした風景が見えるのです。その談笑室には白木のテーブルと椅子があり、酒を飲みながら裸で談笑するのです。そんなことを思い出しながらヘルシンキの路面電車やサウナの写真をお送り致します。「北の国のヘルシンキのサウナ」
ドイツスズランはヨーロッパ原産で、日本のスズランと似ています。ドイツスズランは日本のスズランより大きな花を咲かせ、香りが強く、葉幅が広いのです。他のスウェーデンの花々の写真をつけてお送り致します。お楽しみ下さい。写真は「スウェーデンの野原に咲く花の写真」を検索して、インターネットの写真から美しい写真を選びました。「スウェーデン王国の国花はドイツスズラン」
ドイツの花と言っても特に特徴がないように見えます。オランダの花卉栽培農家が品種改良した園芸種を情熱的に窓枠に植えたり庭に植えています。ドイツ人は花を飾ることに対して強い情熱を持っています。彼等は何事に対しても徹底的にするのです。お墓にもいつも色鮮やかな花々を飾っています。ドイツ文化の長所でもあり怖さでもあります。南ドイツに家族と共に住んでいました。子供は小学校とキンダーガルテンに通っていました。週末には近郊へのドライブを習慣にしていました。冬の間一面雪に覆われていた地面が復活祭の頃一気に春の兆しを見せます。牧場地帯や麦畑の農村地帯を車で走っていると一面の菜の花に遭遇したり、黄色いレンギョウの茂みを見つけたりします。そして5月になるとサクランボの花が青い空にピンクに輝いています。リンゴの花も咲いています。コ...「美しいドイツの花々」
ドイツには1969年の夏から1970年の秋まで一年4ケ月住んでいました。そして一番吃驚したことはヨーロッパは国々や地域によって文化の非常に違うということでした。日本から眺めると西洋文化という一つの文化があるように見えますが、住んでみると国々や地域によってそれぞれ歴史や文化が非常に違うのです。ドイツも北では「こんにちは」はグーテンターグと言いますが、私共が住んでいた南ドイツではグリュースゴットと言います。言葉だけでなく考え方が違うのです。シュツットガルトでアパートを探しましたらシュバーベン出身の人以外には貸さない家主が多いのです。シュツットガルト地方は昔、シュバーベン王国だったのです。要するに地元の人にしか貸さないのです。新聞広告にはっきり「シュバーベン人に限るに」と明記してあります。理由を聞くとシュバーベ...「ドイツの文化とハプスブルグ家の影響」
「冒険の連続だった私の人生(2)中世の町、ローテンブルグとドイツ留学」
外国への留学は私の冒険でした。1960年、24歳から2年間オハイオの大学に留学しました。アメリカに行く冒険の次はヨーロッパにも行く冒険でした。今度は34歳のときドイツに留学しました。アメリカ留学でその社会や文化に魅了されましたが、今度はドイツにも魅了されました。外国に住むと、その国が好きになってしまうのです。今日はまず初めに私が3ケ月住んでドイツ語を集中的に勉強したローテンブルグの風景をご紹介しましょう。暗い城壁に囲まれた中世の町です。5枚の写真はインターネットからお借りしました。1番目の写真は町を囲む城壁です。城壁の上には回廊があり守備兵が並んで防戦出来るようになってきます。写真の左側が町になっています。私はこの城壁の上をよく散歩しました。懐かしいです。2番目の写真も町を囲む城壁です。3番目の写真は城壁...「冒険の連続だった私の人生(2)中世の町、ローテンブルグとドイツ留学」
よく行く武蔵野公園の帰り道に江戸時代からの祠があります。立ち止まって江戸時代からの人々の祈りの内容を想像します。単純に家族の幸せを祈ったのでしょう。何故か私も幸せになった気分になりました。「江戸時代からある道端の祠」
野川そいの道です。武蔵野へ続く散歩道です。今日もウグイスが鳴いていました。悠々と散歩して来ました。写真をお楽しみください。「美しく花が咲いてる散歩道」
よく散歩するハケの道の風景写真をお送り致します。写真の出典は、https://tachikawaonline.jp/walk/30koganei.htmです。1番目の写真は美術館脇にあるハケの小道です。石畳の小路にせせらぎが沿って流れています。2番目の写真はムジナ坂です。昔は農民が田畑へと通った道です。3番目の写真は武蔵野公園の中心を流れる野川です。はけの湧水が野川を形成し、その先は多摩川へと流れています。4番目の写真は武蔵野公園の中央広場です。「よく散歩するハケの道の風景写真」
自分の性格を考えてみると結構冒険好きだったと思います。東北大学在学中から冒険の人生が始まりまりました。北アルピスや南アルプスを単独で縦走したのがその始まりでした。そしてその後アメリカ留学に挑戦したのです。アハイオ州立大学のセントピエール教授にいきなり手紙をだしました。月謝と生活費を出してくださいと頼みました。OK!という返事がきました。1番目の写真の左側の人がセントピエール教授です。私どもの結婚式の後のレセプションヘの客を迎えるレセプション・ラインです。留学先の大学はオハイオ州のコロンバス市にありました。感動したことはアメリカ人の先生方と同級生がとても親切だったことです。もう少し正確に書くと、フルブライト留学生として1960年から1962年までオハイオ州立大学の金属工学科に留学したのです。アメリカ人はいつ...「冒険の連続だった私の人生(1)徒手空拳でアメリカへ留学」
盛岡市から北西約12kmの所にある小岩井農場はロマンチックな雰囲気です。岩手山の南麓にあり約3,000ヘクタールもの広大な敷地です。1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義眞、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同で作った牧場です。その3名の姓の頭文字をとり小岩井牧場と名付けらました。小岩井牧場はその後、小岩井農場となり東京に本社をおき大きく発展しました。宮沢賢治もこの牧場とその周辺の景観が好きで、しばしば散策しました。詩集『春と修羅』に収録された長い詩「小岩井農場」も書きました。15年位以前に私どもも行って、そのロマンチックな雰囲気に感動しました。インターネットからお借りした小岩井農場の写真をお送り致します。「ロマンチックな小岩井農場の写真」
北上川の水源は岩手県岩手町御堂にある「弓弭(ゆはず)の泉」とする説が一般的です。そこから岩手県の中央を南下して宮城県に入り石巻湾の太平洋へ流れ出ています。北上川のように北から南へ流れる川は全国でも珍しい川です。北上山地と奥羽山脈の間を流れているため、それぞれの山地からいくつもの支流が流れ込み、その数は大小合わせて200以上もあります。1番目の写真は盛岡市を流れる北上川です。背後の山は岩手山です。ここへは2度ほど訪れましたが北上川にそった遊歩道を歩くと実に気持ちが良い場所です。この北上川が流れている岩手県は宮沢賢治や石川啄木の故郷です。彼等の関連のある土地の盛岡や花巻も私は何度も訪問しました。小岩井牧場にも行きました。盛岡城跡の高い石垣を登ると広い草原になっています。青草の上にあおむけに寝て大空を見ていたら...「川物語(5)北上川と石川啄木と宮沢賢治」
小諸市の市内の広い範囲から南に蓼科山、北に浅間山が見え、空気の澄んだ日には遠く富士山をも望めます。「関東の富士見百景」に選定されています。千曲川は市の南部から西部を、流向を北から西へと大きく変えながら貫流しています。何度か訪れた懐かしい町です。「小諸市の紹介」
千曲川は長野県、埼玉県、山梨県の3県の境にある甲武信ヶ岳にその源にして、佐久、上田の2つの盆地を経て長野市のある善光寺平で犀川と合流します。犀川は新潟県に入ると信濃川と呼ばれ日本海へ流れ出ます。千曲川と呼ばれている部分は214kmです。1番目の写真は千曲川です。写真の出典は、https://stock.adobe.com/jp/search?k=%E5%8D%83%E6%9B%B2%E5%B7%9Dです。千曲川と言えば藤村の「千曲川旅情の歌」を思い出します。藤村は明治の後半に7年余、小諸の私立学校の先生をしながら「千曲川旅情の歌」を作ったのです。私どもも小諸に旅をしました。小諸は美しい城下町です。すぐ後ろに浅間山が悠々と広がり眼下には千曲川が碧く光っています。何となく詩情を感じさせます。特に城跡は懐古園と...「川物語(4)千曲川と藤村記念館のある懐古園」
大きな樹々の写真を撮りに行ってきました。近所の学芸大学には大きな樹々が緑豊かに茂っています。散歩しながら大きな樹々をしばし眺めて来ました。「大きな樹々の写真を撮りに行く」
多摩川の上流の風景の写真をお送り致します。多摩川の上流のある奥多摩は立川駅から青梅線で青梅まで簡単に行けます。そこで乗り換えると奥多摩駅まで電車で行けます。さて多摩川は何処から流れて来るのでしょう?山梨県の笠取山を源とし、上流部では柳沢峠から流れ込んでくる柳沢川と合流し、そこから下流は丹波川(たばがわ)と呼ばれ奥多摩湖に注いでいます。多摩川と呼ばれているのは奥多摩湖の湖水の出口である小河内ダムより下流からなのです。多摩川は両岸に堤防のない部分が多いので、野草や野鳥が数多く自然豊かな昔のままの川なのです。それこそが多摩川上流の一番の魅力なのです。それでは多摩川の上流の風景の写真をお送り致します。1番目の写真は御岳駅から3Kmほど上流の多摩川です。2番目の写真は御岳駅から2Kmほど上流の多摩川にあるマス釣り場...「多摩川の上流の風景」
多摩川と相模川には夏になると鮎がいっぱい泳いでいます。鮎を釣る人々で賑わいます。そんな写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「多摩川と相模川の鮎釣り」
利根川の源流は群馬県の大水上山で関東平野を北から東へ流れ太平洋に流れています。信濃川についで日本で二番目に長い川で322Kmの長さです。1番目の写真は銚子の利根川の河口の雄大な風景です。写真の出典は、https://www.jalan.net/kankou/sta_033638/g1_22/です。利根川は坂東太郎とも呼ばれ江戸時代は霞ヶ浦を経由して太平洋へ流れ出ていました。利根川で一番印象深かったのは中流の渋川にある坂東梁の鮎料理です。家内も鮎が好きなので何度も行きました。坂東簗の料理場の外の廊下に古い写真が沢山飾ってありました。明治、大正時代に前橋の金持ちが人力車で乗り付けていました。芸者さんの乗った人力車も続いているのです。2番目の写真は坂東梁の入り口です。関越道路の渋川インターを出て、前橋方向に戻り...「川物語(3)利根川と坂東梁の思い出」
昔ドイツで住んでいたアパートの写真です。1969年から1年余シュツットガルトに住んでいました。cottastrasseの45番地でした。写真のアパートの3階です。そこから毎日Max-Plank研究所へ通っていました。娘はドイツの小学校、息子は幼稚園に行っていました。「昔ドイツで住んでいたアパートの写真」
ライン川の中流に歌で有名なローレライの岩があります。その写真をお送り致します。出典は、https://imagenavi.jp/search/...です。「ライン川の中流にあるローレライの岩の写真」
今日はインターネットを通うして広島のカトリック幟町教会のミサにあずかりました。広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真をお送り致します。「広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真」
広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信です。聖霊降臨の主日(祭日)ミサhttps://www.youtube.com/live/iTxvvOlarq8第1朗読使徒言行録2章1~11節第2朗読ガラテヤの信徒への手紙5章16~25節福音朗読ヨハネによる福音書15章26~27、16章12~15節広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」
武蔵野公園です。「何度見ても感動する巨木の風景」
今日は初夏のようです。水辺で子供達が遊んでいます。そんな風景の写真を撮って来ました。「今日は初夏のようです」
広瀬川は仙台市のシンボルとして親しまれている川です。『青葉城恋唄』(歌/さとう宗幸)にも唄われています。中流では仙台市の西縁から南縁を経て東へ流れています。両岸には自然が多く残され、初夏の鮎釣り、秋の芋煮会など市民がレジャーを行うことも多い川です。仙台七夕花火祭や広瀬川灯籠流しなど祭りの会場にもなっています。上流には紅葉の名所の作並温泉があります。宮城県仙台市青葉区作並の山形県境にある関山峠付近に源になっています。全長は45Kmの一級河川です。江戸時代に伊達氏が居城にした仙台城は、広瀬川中流の右岸にある青葉山に築かれ、川を第一線の守りにしていました。幕末に広瀬川中流域で亜炭が発見されて以降、家庭で亜炭が広く使われてきました。しかし亜炭採掘は1950年代に終わりました。江戸時代には、広瀬川は上流から流れる場...「広瀬川」
昨日まで日本の美しい湖を沢山ご紹介しました。北海道の摩周湖から九州の池田湖まで丁寧にご紹介しました。今日からは「川物語」として数々の川にまつわる思い出を書き進めたいと想います。第一回の今日は故郷の仙台の広瀬川にまつわるいろいろな思い出です。いろいろありますが、広瀬川の川下りから始めます。仙台には青葉城跡があります。そばの経ケ峰の上には伊達政宗の霊廟があります。その青葉城跡の下には戦前の第二師団の軍隊の兵舎が並んでいました。そしてそばの広瀬川の岸辺に上陸用舟艇が15隻ほど放置されていたのです。1番目の写真は上陸用舟艇での川下りをした場所です。上陸用舟艇はここから500メートル位上流の第二師団跡の河原に放置してありました。上陸用舟艇は折り畳んであったので両方の側面を起こして棒で支えて乗り込みます。あとは持参し...「川物語(1)故郷、仙台の広瀬川にまつわる思い出」
皐月晴れに誘われて小金井公園まで新緑の写真を撮りに行きました。瑞々しい新緑の写真をお楽しみ下さい。「新緑の写真を撮りに行く」
新緑の琵琶湖の写真もお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「新緑の琵琶湖の写真」
皐月晴れで薫風が吹いていました。気分爽快でドジョー池まで行って来ました。「午後の散歩、武蔵野公園のドジョー池まで」
私どもは2012年9月に北海道の東部の川湯に3泊し阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖、風蓮湖、シラルトロ湖、塘路湖、達古武湖、網走湖、能取湖、そしてオンネトーの湖などの幻想的な美しさを写真に撮りました。今日は北海道の風蓮湖、能取湖、シラルトロ湖、網走湖の4つの湖の風景写真を示します。1番目の写真は風蓮湖です。風蓮湖は白鳥の飛来地として有名です。そのせいで何故か素晴らしい湖という印象が心に焼き付いていました。しかし何も無い寂寥とした風景が広がっているだけです。2番目の写真は能取湖(ノトロ湖)です。網走湖の北隣にあってオホーツク海へつながっている能取湖(ノトロ湖)は観光地ではありません。岸辺に立って沖を見やればただ広い海の水が静かな風波をたたえているだけです。という実感に身が震えます。そして浩然たる気分になるのです。3...「北海道の風蓮湖、能取湖、シラルトロ湖、網走湖の風景写真」
以前に新緑に埋まるような山道をドライブし山中湖に行きました。山中湖は晴れていましたが富士山の上の方は厚い雲に覆われていました。山中湖の沖には30年くらい係留しているヨットがいます。昔ヨットの趣味をしていたので懐かしくて写真を撮りました。そして岸辺を見ると見慣れないヨットが半分陸揚げしてあります。船底のキールが見えないので浅い場所ではキールが上げられる構造になっているようです。こういうキールなら山中湖の浅い岸辺に何処へでも着けられて楽しいのでしょう。そんなことを考えながら帰りは一気に中央高速を飛ばしてきました。「山中湖と富士山の風景」
「花園、巨木の森、建て家の門、江戸時代の農家の写真を撮って来た」
小金井公園にはいろいろなものがあります。今日は散歩しながら花園、巨木の森、建て家の門、江戸時代の農家の写真を撮って来ました。1番目の写真は花園です。2番目の写真は巨木の森です。3番目の写真は伊達家の門です。建築年代大正期、所在地港区白金二丁目。解説旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。〈起り屋根(むくりやね)〉の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現したような形をしています。総欅(けやき)造りで、門柱の上に架けられた冠木(かぶき)には、宇和島藩伊達家の家紋が木彫りで施されています。4番目の写真は江戸時代の農家です。吉野家(農家)(よしのけ)、建築年代江戸時代後期、所在地三鷹市野崎二丁目解説江戸時代後期に建てられた民家です。吉野家は江戸時代に野崎村(現在の三鷹市野崎)の名主役を務めた家とい...「花園、巨木の森、建て家の門、江戸時代の農家の写真を撮って来た」
富士五湖は自宅から車で1時間30分くらいで行けるので四季折々何度も行きました。山中湖や河口湖は広大で富士山の眺めも美しい所です。そして精進湖は奥の方にあって開発もあまりされていない自然の残る湖です。海抜900mの静かな高原の湖です。湖畔に昭和天皇も泊まった山田屋旅館があり昔は家族で何度か泊まった懐かしい宿です。古い廊下の壁一面に昭和天皇が泊まったときの写真が誇らしげに飾ってありました。精進湖の魅力は岸辺まで車を入れることが出来ることです。そこから湖の向こう側に見える富士山が絶景なのです。昔の500円札に精進湖からの富士山の風景が使われていました。そんなことを思い出したので今日は精進湖から眺めた富士山の写真をお送りしたいと思います。秋の風景です。プロの撮った精進湖と富士山の写真の出典は、https://ww...「精進湖と富士山の風景」
若い頃から私は湖への憧れがありました。日本の湖はほとんど訪れました。今日は特に私が美しさに感動した三方五湖の5つの湖をご紹介致します。三方五湖は、福井県三方郡美浜町と若狭町にまたがってあります。五胡とは三方湖、水月湖、菅湖、久々湖、日向湖の5つの湖のことです。15年ほど以前に車で5湖を丁寧に巡り、その美しさに感動しました。何時ものよ三方五湖のうに妻も一緒でした。それでは五つの湖を順々に説明致します。三方湖五湖の中で最も南にあり、唯一の淡水湖です。鰣川、別所川、観音川、山古川、中山川が流入しています。1980年(昭和55年)に、湖底の堆積物を採取するためのボーリングが三方湖で行われました。採取した堆積物から花粉、珪藻などの微化石、あるいは植物が検出され過去7万年間の記録を保管していることが分かったのです。ま...「5つの湖が静かに並んでいる三方五湖の美しい風景」
ある秋の晴天の日に八ヶ岳の大泉高原、清里の清泉寮、野辺山に遊び夜は何時もの八ヶ岳ロイヤルホテルに泊まりました。翌日も秋の青空に太陽が輝いています。大泉のホテルから八ヶ岳高原ラインを小淵沢に下り、中央高速で茅野・諏訪湖まで走りました。後は大門街道とビーナスラインで白樺湖、蓼科山、車山、そして霧ヶ峰までの雄大な風景を楽しみます。やはり自然の風景にまさるものはものは無いと感動したので帰路も樹林の中を走ることにしました。樹林の続く北八ヶ岳の麓を根気よく走り蓼科温泉に出ました。蓼科湖の湖畔を散歩して帰って来ました。帰りは中央高速の茅野・諏訪湖インターから入り一路、府中出口まで帰って来ました。天気に恵まれたので風景写真が良く撮れと思います。写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。1番目の写真は大泉高原から間近かに見た八...「八ヶ岳、白樺湖、霧ヶ峰、蓼科湖への旅」
どういう訳か私は若い頃から高原にある湖への憧れています。日本の高原のの湖はほとんど訪れました。さて今日は特に私が美しさに感動した4つの湖をご紹介致します。摩周湖、屈斜路湖、桧原湖と猪苗代です。北海道と福島県にある湖です。1番目の写真は北海道の摩周湖です。https://www.visit-hokkaido.jp/spot/detail_10052.html2番目の写真は屈斜路湖です。写真の出典は、http://inakaseikatsu.blog.so-net.ne.jp/2013-04-30です。3番目の写真は桧原湖です。https://www.tohokukanko.jp/attractions/detail_1691.html4番目の写真は猪苗代湖です。猪苗代湖の写真の出典は、http://blog...「高原にある日本の湖への私の憧れ」
鰻のかば焼きはもともと、江戸前とはうなぎから生まれた言葉であり、大川(今の隅田川)河口付近で獲れた鰻を江戸前鰻と称していたことがはじまりです。江戸前「鰻のかば焼き」は、生きた鰻を割いて串打ちにし、白焼きにして蒸したものにたれをつけて焼く。関東と関西では、調理法が異なり、関東では、鰻を背開きにして骨、内臓を取り、串に刺して白焼きにし、蒸す。そして、炭火でたれをつけながら焼きあげる。関西では、蒸さずに焼きあげる。腹開きにすることで、蒸しても串から落ちずに焼くことが出来る。名前の由来には、鰻をぶつ切りにした鰻を、竹串に刺して焼いたものが蒲(がま)の穂に似ていることからという説、焼き上がった際の色や形が「樺の木」に似ているからとする説、いい香りが早く鼻に入るという意味の「香疾(かばや)」が転じたとする説など、諸説...「鰻のかば焼き」
泥鰌はコイ目ドジョウ科の淡水魚です。小川や田などにすみ、冬は泥に潜ります。全長約20センチにもなり、体は細長い筒形で尾部は側扁し、背側は緑褐色、腹側は淡黄褐色で、口ひげは五対です。うろこは細かく、厚い粘液層で覆われ、補助的に腸呼吸を行います。柳川鍋やどじょう汁などにして食べます。分布:日本列島(伊豆・小笠原諸島、琉球列島を除く)、朝鮮半島、アムール川、中国中南部からベトナム北部、台湾、海南島。移植として、ヨーロッパ、北アメリカ、北海道などです。雑食性で、ユスリカの幼虫、イトミミズなどを主に摂食する。主に用水路や田などに生息しており、冬に水温約7℃を下回ると、泥の中で冬眠を始める。口ひげは上顎に3対下顎2対で合計10本ある。このひげには味蕾(みらい)があり、食物を探すのに使われる。えらで呼吸するほか、水中の...「泥鰌はどんな魚?」
山梨県の秘境と言えば瑞垣山一帯ではないでしょうか。瑞垣山を知っている人は少ないと思います。しかし美しい山です。1番目の写真は山梨県の秘境にある瑞垣山です。この山は私の小屋に近いので何度も行きました。山容の美しさに魅了されて何度も行きました。そして瑞牆山(みずがきやま)から流れ下る渓流を堰き止めた塩川ダム湖、「みずがき湖」も美しい湖です。瑞牆山の見える山頂直下の公園から20kmくらい下にある湖です。2番目の写真は塩川ダム湖、「みずがき湖」です。3番目の写真は塩川ダム湖、「みずがき湖」の拡大写真です。4番目の写真は塩川ダム湖の全容です。この瑞垣山は私の山林の中の小屋に近いので以前に何度も行き山容を見上げたり「みずがき湖」の静かさに息をのんだりしました。懐かしい所なので写真を示しました。「山梨県の秘境、瑞垣山とみずがき湖の写真」
広島のカトリック幟町教会の今日のミサの風景写真です。今日はインターネットの広島のカトリック幟町教会のミサにあずかりました。「広島のカトリック幟町教会の今日のミサの風景写真」
日本のカトリックにとって五島列島は巡礼地と私は思っています。日本の全てのカトリック教会はローマ法王へ直属していますので「日本本山」というものはありません。しかし私は長崎の大浦天主堂が「日本本山」だと思っています。日本を訪問したフランシスコ教皇も長崎へ巡礼の旅をなさいました。五島列島には江戸時代に隠れキリシタン達が沢山住んでいたのです。明治時代になって禁教が解けた以後に隠れキリシタン達が美しい教会をたくさん作ったのです。数年前、私は家内とともにこれらの美しい教会を巡る旅に行ったのです。それは隠れキリシタン達を偲ぶ巡礼の旅でした。そこで今日は美しい五島列島の風景写真をお送りしようと思います。写真は五島列島の風景写真です。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)「日本のカトリックにとって五島列島は巡礼地」
広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信です。2024年5月12日主の昇天(祭日)-日本語-(youtube.com)第1朗読使徒言行録1章1~11節第2朗読エフェソの信徒への手紙4章1~13節福音朗読マルコによる福音書16章15~20節広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」
何年か前に実際に行って感動しましたのでお知らせ致します。潮来あやめまつりは昭和27年にはじまった歴史あるまつりです。当初は、あやめや花菖蒲の愛好家たちがビール瓶などに花菖蒲やあやめの切り花を入れて行なわれていました。園内には、約500種100万株のあやめ(花菖蒲)が植えられており、見頃を迎えると一面に咲き誇ります。一番の見頃は例年6月10日頃です。期間令和6年5月17日(金)~令和6年6月16日(日)詳しくは、https://www.city.itako.lg.jp/page/page005638.htmlをご覧ください。『第73回水郷潮来あやめまつり』開催のお知らせ
今日は午前中にイトーヨーカドーに食料品を買いに行き、午後の散歩は小金井公園の花園の写真を撮りに行って来ました。「今日の散歩、花園の写真を撮りに行って来た」
潮来のあやめが満開になり、初夏の川風に揺れていました。お楽しみ頂ければ幸いです。(続きの写真は明日に掲載します)撮影日時:6月17日午後2時前後「潮来のあやめをお楽しみ下さい!」
今年も間もなくアヤメ、ハナショウブ、カキツバタの花の咲く季節になりまた。今日はこのお互いに似た花の識別法をご紹介したいと思います。知っていると便利です。私の大切にしている庭の花に潮来から15年前に持って来た潮来アヤメがあります。毎年、もう少しすると見事な花を咲かせます。毎年のように、庭の潮来のアヤメの写真を掲載します。すると必ず「それはハナショウブです。間違った名前で書かないで下さい」というコメントを頂きます。しかし私は訂正しません。潮来の人々がアヤメと言っていることを尊重するのです。そして15年前から分類学の視点からいろいろ調べています。そうしたら昔から地方地方によってアヤメを菖蒲と呼んだり、逆に花菖蒲をアヤメと呼んだりしていたことが判明したのです。もう少し詳しく書けば、アヤメ類の総称として、ハナショウ...「アヤメ、ハナショウブ、カキツバタの花の美しい季節」
皐月晴れに誘われて蔵野公園をさブラブラして来ました。ウグイスが鳴いていました。写真はインターネットからお借りしました。「今日の散歩、都立武蔵野公園をさブラブラ」
小金井公園にある「江戸東京たてもの園」では江戸時代の農家や明治時代の商店や大正時代の田園調布の住宅などが移築、展示してあります。昨日は特に昔の商店の店先を丁寧に見ました。見ながら当時の生活を懐かしく思い出しました。今日は昔の商店の店先の写真を示します。そして思い出した当時のことなどを書きます。1番目の写真は「江戸東京たてもの園」の昔の商店を移築してある通リの風景です。この通りの左右に昔の商店を移築されて並んでいます。2番目の写真は花屋さんの店先です。昔は真っ赤な真っ赤なバラを妻の誕生日に贈ったことを思い出しました。3番目の写真は鍋釜を売っている店です。特に少年の頃の昔風の釜が懐かしいです。随分以前から我が家では昔風の釜を使っておりません。4番目の写真は鰹節の専門店です。昔は鰹節は貴重でした。山里のお寺で育...「昔の店の風景を見ながら当時の生活を懐かしく思い出す」
青い空に白い雲がゆっくり流れています。小金井公園へ行きながら空の写真を写しました。「今日は特に空が美しいので写真を撮る」
日本人が誇りにすべきことを書いてみたいと思います。それは日本がアジア諸国を欧米の植民地から解放し東南アジア諸国を独立させたことです。太平洋戦争で東南アジアの諸国を独立させたことです。1946年12月8日の真珠湾攻撃で第二次世界大戦に参戦した日本は、快進撃を続け、瞬く間に東南アジアを占領してしまいました。その地域はイギリス、フランス、オランダ、アメリカの植民地だったところです。ですからその地域の日本軍の占領は植民地の解放とも言えます。欧米人を追い出し、大東亜共栄圏という経済圏を作るというのが日本が主張した大義名分でした。東條総理は各地の首脳を東京に集め、大東亜共栄圏を作るためのアジア会議を開催しました。しかし1945年の夏に日本が敗北するとビルマ(ミャンマー)、ラオス、カンボジア、ベトナム、マレーシア、イン...「日本が太平洋戦争でアジア諸国の植民地を独立させた」
「一生の前半は不遇でしたが後半は幸せだった小泉八雲と『耳無しに芳一』」
八雲の生涯は不遇な一生でしたが、セツという素晴らしい女性と結婚したお陰で最後の14年間は幸福になります。セツから聞き出した数々の怪談話を文学作品として英語で発表したのです。しかしその文学作品が翻訳され日本で有名になったのは彼の死後10年以上経過した大正時代の末頃でした。平川呈一などの名訳でさらに広く読まれるようになったのです。そのような悲しい、そして幸せな人生もあるのです。以前に松江に行き彼の旧居と記念館を見てまわりました。記念館を見て、その雰囲気に感動しました。記念館には家庭の愛が感じられたのです。どんなに八雲がセツや子供を愛したかがすぐに分かるように展示してあるのです。遺族が経営に参加し展示を受け持っているようです。そこで小泉八雲の一生をかいつまんでご紹介しておきます。ギリシャで生まれ父母の離婚で親類...「一生の前半は不遇でしたが後半は幸せだった小泉八雲と『耳無しに芳一』」
山里の山林の中の小屋に以前は時々泊りました。でも最近はその元気もなくなりめったに行きません。時々思い出すのは漆黒の闇に包まれた森の奥の小屋に泊まったことです。周囲の木々が暗い森の中を歩き回るような恐怖を感じました。考えてみたらこんなにも暗い夜に人魂が飛んでいるのを見たことがありました。そして「のっぺらぼう」や「かまいたち」や「おいてけぼり」が人間に悪さをする話もよく聞きました。半信半疑ながら熱心に聞いたものです。妖怪たちは身近にいたのです。小泉八雲の怪談に出て来る「雪女」は雪国に本当にいると思い込んでいました。「耳無芳一の話」や「鳥取の蒲団」を読んではゾクゾクしたものです。そのような私の楽しみが最近消えてしまっていたのです。街中に住んでいると暗闇の不気味さを忘れていました。ところが暗い森の奥の山小屋に泊ま...「日本人が忘れてしまった夜の暗さ、妖怪も怪談も消えて行く」
「エロシェンコを描いて、37歳で夭折した画家、中村彝の物語」
新宿の中村屋で中村彝(つね)の「エロシェンコ像」という油彩画を見た時の感動が忘れられません。暗い悲しげな表情に芸術への憧れがみなぎっているのです。表情が詩的美しさでほのかに輝いているのです。直観しました。エロシェンコはただ者でない!、描いた中村彝もエロシェンコの芸術に共鳴している!それ以来、エロシェンコと中村彝が忘れられない存在になったのです。今日は盲目の詩人、エロシェンコと夭折の画家、中村彝の絆の物語を書いてみたいと思います。まずエロシェンコですが、彼はウクライナ人で詩人、童話作家でした。モスクワの盲人学校に学びエスペラントを習得します。ロンドンに学んだ後の1914年(大正3)東京にきて、日本語とエスペラントで童話を発表しました。東京では大杉栄、神近市子、中村彝らと親交を結びます。1919年、ソ連のスパ...「エロシェンコを描いて、37歳で夭折した画家、中村彝の物語」
それは本当に小さな美術館です。南には甲斐駒岳が花崗岩を白く輝かせて聳え、北には八ヶ岳連峰が望める高台にあります。その高台は少しだけ平地になっていて、一歩足を踏み入れると何故か芸術的な香りが漂ってくるのです。毎年、初夏になると白いマロニエが咲いています。今年は行けませんでしたので以前の写真をお送りいたします。この山里にある美術館は清春白樺芸術村の中にあります。白樺林に囲まれた小さな美術館の前の広場には幾つかの建物があります。エッフェルが設計した画家たちの集合アトリエのラ・ルーシュがパリから移築されています。そしてエッフェル塔の階段の一部も移築されています。その奥にはジョルジュ・ルオーの記念礼拝堂もあります。茶室もあり梅原龍三郎のアトリエも復元されています。美術館にはルオーの油彩画や白樺派の作家達の作品を多数...「マロニエの白い花が咲く山里の小さな美術館」
調布市にあった「京王フローラルガーデン」は営業を終了して閉園しました。跡地は駅周辺とともに再開発されました。1956年(昭和31年)に「東京菖蒲園」として後に「京王フローラル・ガーデン」と改名し以来65年間、美しい花々を見せてくれた花園でした。私は仕事を一切止めた70歳の時から15年間足繁く毎月のように通った花園です。何時も家内が一緒でした。この花園は文字通リ私と妻の最後の「花道」でした。老境を幸せにしてくれた楽しい花園でした。春にはいろいろなマグノリアが咲きます。春夏秋と季節の草花が色どり、そして冬でも足もとの小径にはパンジーが咲いています。夏の芝生の原には球体のギガンジュームが咲きます。そしてバラ園には一年中いろいろなバラが咲いています。この花園は四季折々いつも花が絶えないのです。家内は花々が好きなの...「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その三
消滅した京王フローラル・ガーデンには実にいろいろな花が咲いていました。そのいろいろな花の写真をお送り致します。写真の撮影日は2014年5月8日でした。消滅した京王フローラル・ガーデンのいろいろな花の写真をお送り致しまじた。「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その二
東京に京王電鉄という会社があります。新宿から西の郊外に電車を走らせています。その会社が京王多摩川駅の前に「京王フローラル・ガーデン」という花園を公開していました。もう3年前に閉鎖して今はありません。しかし以前は妻と一緒に何度も訪れた懐かしい花園でした。今日はその京王フローラル・ガーデンの懐かしい写真をお送り致します。かつて訪れた方々は懐かしくご覧になると思います。京王フローラル・ガーデンにはいろいろな花々が盛んに咲いています。花々が豪華に咲いています。その花園の中に遊歩道が出来てるのです。写真は10年前の2014年5月9日に撮りました。1番目の写真は遊歩道の足元に咲いている草花です。2番目の写真は花が溢れるように咲いている風景です。3番目の写真は歩きやすいように板を敷いた遊歩道です。さて京王フローラルには...「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その一
今日は晴天です。午後から小金井公園に行き巨木の写真を撮り、教会に寄ってお祈りをして来ました。気分爽快な一日です。「今日は巨木の写真を撮り、教会に寄りお祈りをして来ました」
今日はは以前に撮った新緑の宮ケ瀬湖の風景をお送り致します。この湖は神奈川県の丹沢山系の水を集めた高原のダム湖です。静かな湖面にウグイスの声が美しく響きわたっていました。山々の新緑から薫風が吹いてきました。新緑の山と湖の風景写真をお楽しみ下さい。「新緑の山と湖の風景をお楽しみください」
「2024年5月5日 復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真」
今日は復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真をお送り致します。「2024年5月5日復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真」
2024年5月5日復活節第6主日のミサ動画配信です。カトリック葛西教会のミサ動画配信,のご案内です。今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=oW5kJwxQ8KQ1969.6.24松江教会献堂式初代主任司祭エドワード・グリフィン神父1979.6二代主任司祭ジョン・マカティ神父着任聖アウグスチノ・カトリック葛西教会東京都江戸川区中葛西1-10-15TEL:03-3689-0014東西線西葛西駅または葛西駅から(徒歩15~20分)「2024年5月5日復活節第6主日のミサ動画配信」
今日の散歩は武蔵野公園を通りすぎて野川公園まで行って来ました。家から4Km弱くの野川公園まで電動車椅子に乗って行って来ました。とにかく新緑の美しさに魅了され夢心地でした。それにしても良い季節になったものです。1番目の写真は武蔵野公園です。続く写真はすべて野川公園です。「今日の散歩、武蔵野公園を通りすぎて野川公園まで」
宮戸島には大高森という山があります。その頂上から見た松島はまさに絶景です。私も何度も登りました。その写真はインターネットからお借りしてお送り致します。4番目の写真は大高森へ登る坂道です。懐かしi坂道です。写真はインターネットからお借りしました。「宮戸島の大高森から見た懐かしい松島の絶景」
韓国の少数民族を調べてみると朝鮮民族以外見つかりません。高句麗、百済、新羅の三国時代(4世紀中葉-676年)から朝鮮半島には朝鮮族だけでした。日本にはアイヌ民族や北方民族が住んでいましたが朝鮮民族以外は住んでいなかったのです。そこで朝鮮半島、特に韓国の宗教事情を調べてみました。日本の宗教事情とは大きく違ってます。大多数の韓国人は日本人と違って宗教を堅く信じているのです。韓国にはシャーマニズムから仏教、儒教、キリスト教、イスラム教まで様々な宗教が共存しています。2015年の統計によると、韓国の人口の44%が宗教を信じています。韓国人にとって根強い思想は仏教と儒教で、韓国の遺跡や文化財の半分以上が、仏教や儒教に関連しています。仏教は西暦372年に伝わり、全国に数万ヶ所の寺があります。儒教は朝鮮時代(1392~...「大多数の韓国人は日本人と違って宗教を堅く信じて」
この季節は春うららです。良い季節です。そんな季節でも私は時々戦争のことを思い出します。一面に焼け野原になった仙台の風景を思い出します。79年前の8月15日は日本が無条件降伏しました。人にはそれぞれの思い出があります。私も時々終戦直後のことをいろいろ思い出します。私は男3人の兄弟の長男でした。その3人だけで宮城県北部の農村に疎開してました。7月10日の空襲で仙台が焼け野原になった後に疎開したのです。今でも時々自分が聞いた玉音放送を思い出します。真夏の太陽が照りつける田舎の国民学校の校庭で聞きました。雑音が大きくてよく聞き取れませんでしたが、敗戦を告げる昭和天皇の悲しそうな声が途切れ途切れに聞こえました。先生が敗戦だから今日は家に帰れと言います。田圃のあぜ道をつたい歩きしながら疎開先の農家に帰りました。その夜...「春うらら、でも時々思い出す戦争のこと」
自宅から3Kmくらいの所に都立多摩墓地があります。広大で緑リの多い公園のような墓地です。散策に良い場所なのでち時々行きます。今日も晴天なので先程行って来ました。都立多摩墓地は新宿の西方約20kmの緑に囲まれた武蔵野の面影を残す霊園です。面積は128ヘクタールと都立霊園の中で最大の広さです。この霊園は海外の森林墓地を参考にして作られたわが国最初の公園墓地であります。各界の有名な人の墓も多いので訪れる人も多い霊園です。写真をインターンットからお借りしましてお送り致します。「今日の散歩、都立多摩墓地へ行く」
ブログは2007年に書き始めました。それ以来17年間毎日書き続けました。17年間も毎日書き続け続けられたことに自分ながら驚いています。このように毎日書いている理由は過去の楽しかった日々を思い出すからです。例えば山林の中の小屋に来てくれた友人との楽しかった日々を思い出すからです。いつも妻が一緒でした。写真は私の小さな小屋です。山梨県の甲斐駒岳の麓の山林の中にあります。晩秋に撮ったので木々が紅葉しています。電気、ガス、水道の無い小屋でした。スウェーデンの学生さん達も来ました。楽しい思い出がたくさんある小屋です。写真の手前には一年中、水の涸れない小川が写っています。小川にはヤマメが棲んでいます。小川の水は小屋に泊まるときの生活用水です。飲み水は自宅から持って行きます。小屋の冬は非常に寒いのです。山林の中の小屋に...「ブログを毎日書くのは過去の楽しかった日々を思い出すから」
今日は身近な庭や花園に無い花の話です。山や遠い海辺に咲いている花々の写真とそれらにまつわる思い出をお送り致します。1番目の写真は石楠花の写真です。写真の出典は、https://horti.jp/2152です。シャクナゲは山に咲いています。若いころ蔵王山に登った時に見ました。きつい登攀で疲れたとき一面に咲いている白い石楠花に会いました。その瞬間に疲れが消えてしまったことが忘れられません。この写真の石楠花は園芸種です。山に咲いているのは純白の美しい花です。2番目の写真は数年まえの5月に山梨県の上野原市の山奥で私が撮った朴(ホウ)の木の花です。朴の木は山奥に生えている大きな木です。大木の高い梢に咲くのでめったに見ることが出来ない珍しい花です。初夏に白い大き花を開き、芳しい香りを漂わせます。そして甲斐駒岳の麓にあ...「5月から初夏にかけて山野に咲く花々とその思い出」
少数民族と言えばアーミッシュの人々も少し変わった少数民族です。私が実際に見た少数民族です。総数は22万人だけです。自動車や電気・ガス・水道のような近代文明の利器を一切拒否して、牧畜と農業だけで完全な自給自足の生活をしているのです。彼等はアメリカのペンシルベニア州やオハイオ州の中西部やカナダ・オンタリオ州などの農村に住んでいるキリスト教の一派の人々です。その総数の約22万人は年々増加しているようです。増加の原因は多産にあると言われています。私は1990年の前後に2年間ほどオハイオ州に住んでいました。その時、同僚のアメリカ人がアーミッシュの生活は面白いから行って見なさいと盛んに勧めたのです。数回遊びに行きました。一度はアーミッシュの村のランプの宿に泊まる体験もしました。それでは写真に従って彼らの生活ぶりを見て...「少数民族のアーミッシュの人々の暮らしぶり」
山口県防府市奈美の小野小学校近くの佐波川に行くと、たくさんの鯉のぼりが水の中を悠々と泳いでいるという全国的にも珍しい光景を楽しむことが出来ます。晴天の日が続いていれば流れる川の水がとっても綺麗で、川底まで透けて見えるほど。泳いでいるのが水の中というを忘れてしまいそうです。https://www.travel.co.jp/guide/article/17383/より。「水の中を泳ぐ鯉のぼり」
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昔、南ドイツに住んでいたことがあります。スイスにはよく遊びに行きました。そしてアルプスの山々と花畑を眺めたmぽのです、アルプスの山々と花畑の写真をお送り致します。写真は、「スイスのアルプスの花畑の写真」を検索してインターンットからお借りしました。「スイスのアルプスの山々と花畑の写真」
蔵王山は奥羽山脈の中にあって宮城県と山形県の県境にあります。火山活動によって出来た山です。仙台で生まれ育った私は何度も蔵王山の樹氷の間でスキーをしたことがあります。当時は仙山線で山形駅に行き、そこからバスで高湯温泉(現在の蔵王温泉)に上がりました。高湯温泉からはスキーを履いてドッコ沼の山小屋に逗留するのです。ドッコ沼の上の懺悔坂から地蔵岳までが樹氷地帯なのです。地蔵からの帰りは急坂の懺悔坂は怖いので、なだらかな大平コースを下ります。夕日を浴びた茜色の樹氷の光景が今でも私の網膜に焼き付いています。あれから茫々60年以上も経ちました。毎年、懺悔坂の怖さと夕日の樹氷の姿を思い出します。今日は皆様に蔵王山の美しい樹氷の写真をお楽しみ頂きたいと思います。お送りする写真は「山形蔵王の樹氷写真集」、http://www...「我が青春の山、蔵王山の樹氷の写真」
南アルプスの主峰3つは北岳(富士山の次に高い3193M)、間ノ岳、農鳥岳(白峰三山)です。その前山は甲斐駒、地蔵、観音、薬師です。このうち離れている甲斐駒を除き、地蔵、観音、薬師を鳳凰三山と言います。学生時代、北の穂高、大キレット、槍、常念、と縦走し、南アルプスの甲斐駒、地蔵、観音、薬師に登りました。その後、仕事が忙しくなり、南アルプスの主峰連山(上写真)に登れなくなりました。年をとり体力が衰え、もう登れません。1番目の写真は地蔵、観音、薬師の鳳凰三山です。撮影場所:中央高速道路の釈迦堂サービスエイリア(下り)裏の階段より、西方角を撮る。2番目の写真は甲斐駒岳です。「南アルプスの鳳凰三山の写真」
夏になると若い頃の北アルプス縦走を思い出します。その北アルプス縦走の思い出を写真に従ってお送り致します。しかし私は当時写真機を持っていなかったので、インターネットからお借りしました。さて縦走は大糸線の穂高駅から中房温泉への登高から始まりました。そこに一泊して燕岳、大天井、西岳、槍の肩の小屋で一泊し、南岳、キレット渡り、北穂高、涸沢、横尾と歩いて上高地に降りて来ました。歩いた行程は全部で2泊3日の山歩きでした。毎日10時間ほど歩きました。写真で説明します。1番目の写真は中房温泉から1時間ほど登ると突然見える燕岳です。この地点から槍ヶ岳を遥かに見ながら縦走路を行くのです。2番目の写真は燕岳と大天井岳の間の尾根から見える槍ガ岳です。まだ遠方です。3番目の写真は大天井岳の肩を回りこみ近くなった槍ガ岳です。4番目の...「夏の北アルプス縦走の写真」
月日の流れは早いものです。私の青春は1960年代1970年代でした。今朝はその頃のことを思い出しています。谷川岳の一ノ倉沢の岩登りが若者の胸を熱くした時代でした。今日は1960年代1970年代のことを書きたいと思います。その頃は谷川岳が流行っていました。谷川岳の一ノ倉沢の岩肌を命がけで登っている人がいる一方、街には安保闘争のデモが渦巻いていました。デモは学生の情熱でした。若者が燃えていた時代でした。そんな時代の空気が懐かしいです。あの空気は二度と来ません。その頃、ある山の遭難記事を掲載しましたところその時代の空気をまざまざと思い出させるコメントを2人の方から頂きました。非常に活き活きした文章なのでそのまま転載致します。(1)すけろくさんから2018年10月06日に頂いたコメント若い頃は毎週のように谷川岳東...「懐かしい谷川岳がはやり安保闘争デモの時代」
外国の火祭りは聖ヨハネの前夜祭です。洗礼者ヨハネの誕生日とされる「聖ヨハネの日」に世界の各地でキリスト教徒が祝う火祭りです。キリスト教と関係ない各地の夏至祭と結びつき、火祭りとして祝われる例も多いようです。「外国の火祭り」
吉田の火祭りの写真と全国の火祭りの一覧表です。吉田の火祭り(鎮火祭)は北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の両社のお祭りで、毎年8月26日、27日に行われます。450年以上の歴史を持ち、日本3奇祭、日本10大火祭りにもなっております。全国の火祭りの一覧表オロチョンの火祭り-北海道網走市青森ねぶた-青森県青森市竿燈-秋田県秋田市松明あかし-福島県須賀川市大日向の火とぼし-群馬県南牧村愛宕社の火祭り-富山県魚津市、魚津神社滑川のネブタ流し-富山県滑川市向田の火祭り-石川県七尾市能登島、伊夜比咩神社鬼ヶ嶽火祭り-福井県越前市、大虫神社左義長まつり-福井県勝山市吉田の火祭-山梨県富士吉田市、北口本宮冨士浅間神社・諏訪神社(境内社)南部の火祭り-山梨県南巨摩郡南部町中里の火の花祭-東京都清瀬市中里、中里の富士塚秋葉の火ま...「吉田の火祭りの写真と全国の火祭りの一覧表」
北海道は空気が澄んでいるので花々が生き生きと咲いています。北海道の夏の花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://prezo.jp/column/2837です。1番目の写真は大通公園のライラックです。2番目の写真は網走郡大空町の芝桜公園です。3番目の写真は紋別郡遠軽町丸瀬布水谷町のまるせっぷ藤園です。4番目の写真は北海道のシンボルフラワーはハマナスです。「夏の北海道の生き生きとした花の写真」
山梨の甲斐駒の麓に小さな山の家を作りました。1974年に作りました。その小屋を中心としたて上高地や軽井沢や白馬などへ旅行を楽しみました。今日は白馬山麓の白馬東急ホテルと周囲の美しい風景をご紹介いたしたいと思います。1番目の写真は白馬東急ホテルです。後ろの山々は白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮華岳などです。2番目の写真はホテルの庭から見た客室です。3番目の写真は泊った客室の写真です。バルコニーに出て庭の向こうの山々を見ながらビールを何度も飲んだものです。家内の両親と一緒に泊ったこともありました。4番目の写真は八方尾根に上がるゴンドラです。このゴンドラの終点は標高が1400mと高く、その大きな展望台からは北に戸隠山や飯綱山まで見えます。5番目の写真はゴンドラの終点、標高1400mの展望台です。残雪に輝く白馬鑓...「白馬東急ホテルと周囲の美しい風景」
関東の山々ではとっくに散ってしまいましたが、白馬山の麓では大雪渓から下る水が冷温で、松川のそばだけ季節が遅れているようです。白馬山の麓に咲く小さな花の写真をお楽しみ下さい。・「白馬山の麓に咲く小さな花の写真」
以前によくドライブしていた頃は諏訪湖から登る白樺湖高原、車山高原、霧ケ峰高原へはよく行きました。風景が雄大で可憐な草花が咲いているのです。標高2000m位の高原の連なりには白いシシウド、ギボシ、青いツリガネニンジン、ピンクのヤナギラン、オレンジのキスゲ、オニユリ、そしてフジバカマ、アザミ、などなどの花の群れが咲いています。写真を撮っていると乾いた涼風が吹き渡り花々が揺れています。都会の暑さが嘘のようです。涼しい風をご想像されながら写真の花々をお楽しみ下さい。今日は2008年8月に撮影した写真をお送りいたします。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)「夏の白樺湖高原、車山高原、霧ケ峰高原の草花の群れ」
旧友の馬場駿さんから『岩礁』33号が送られてきました。詩や小説などの文芸作品がぎっしり詰まっています。数編読みました。完成度の高い作品です。馬場駿さんとは甲斐駒岳の麓の山林の中で知り合いました。情熱的な文学青年でした。その後『岩礁』を創刊し33号まで続けてきたのです。立派な人生です。文学のお好きな方へお勧めします。購入申し込みは;電話とFax共通で、0558-76-5582へ。会員は主に伊東市なので挿絵代わりの写真は伊東マリーナの風景写真をお送りいたします。「総合文芸誌、『岩礁』33号のご紹介」
小金井市にも夏祭りがあります。多くの家族連れがワイワイ楽しそうにしています。そして全国のは各地に賑やかな夏祭りがあります。末尾に全国のお祭りの8月の一覧表を示します。ご覧下さい。全国の8月の表ですから非常に数多くあります。私はその数の多さに吃驚しました。小金井市のような小さな納涼祭りはこの一覧表には入っていません。従って小さな夏祭りの数まで含めると全国には数百の夏祭りがあるのではないでしょうか?この数の多さは日本だけかも知れません。私は祭りに関しては素人ですが、欧米の祭りはそんなに数多くは無いように思っています。狭い経験ですが自分が住んだオハイオ州ではStateFair(州の農産物市場)という大規模なイベントが年に一回あり、それには数多くの出店や見世物小屋が並んで日本の夏祭りのようです。そして南ドイツでは...「全国の夏祭り一覧表と日本の祭り文化」
夏祭りの印象深い一つの例を示します。能登半島の津々浦々のキリコ祭りです。ご紹介致します。キリコ祭りは能登地方の住民にとって最も重要な祭りです。能登地方で生まれて東京や大阪などに出て行っている人たちが、自分の町でキリコ祭りがある時には戻ってきて、祭りに参加するのです。祖父母に孫たちを会わせ家族全員でキリコ祭りを楽しむのです。キリコは巨大な灯籠のことです。背が高い直方体で、前面中央部には漢字3文字で表した「キリコ吉祥文字」と呼ばれる地区ごとの願いや祈りを込めた文字が書かれています。写真に七尾市で行われる石崎奉燈祭(キリコ祭り)の様子を示します。写真は「七尾市、石崎奉燈祭の写真」を検索して鮮明な写真を選んで転載させて頂きました。若い人でも賢い人は祭りを大切にしています。重要だと思っています。老境に至って全国の地...「夏の風物詩、能登地方のキリコ祭り」
盆踊りの季節になりました。いろいろな盆踊りを思い出します。故郷の仙台の盆踊りや旅先の盆踊りを懐かしく思い出します。特に印象が深かったのは「郡上八幡の盆踊り」でした。今日は郡上市の盆踊りをご紹介いたいと思います。岐阜県の郡上市の「郡上八幡の盆踊り」を見ったのは15年ほど前でした。人がいっぱい楽し気に踊っている光景に圧倒されました。郡上の市役所の女性が駒下駄をカラカラと響かせて踊っています。観光客も加わって踊っています。賑やかで楽しい盆踊りです。木曽の谷間に盆踊りの唄が木霊しています。その上、踊りの振り付けが洒脱で軽妙です。曲も楽しいのです。例えば「春駒」という踊りはいかにも可憐で躍動感に満ちて居ます。ほかにも「ヤッチク」「げんげんばらばら」など歌詞も曲も面白いものです。郡上八幡に住んでいる人々の創意工夫が溢...「懐かしい郡上八幡の盆踊り」
中国の瀋陽訪問の直後の1981年に、東北工学院の金応培先生を東京の私の研究室へ招んだのです。一年間の研究留学です。金応培先生は中国東北地方に散在している朝鮮族自治区の出身の朝鮮族でした。日本の朝鮮併合のあと、彼の両親が朝鮮を脱出し中国の東北地区へ移住したのです。新しい農村に少し落ち着いたら、今度は満州帝国建国で再び悲劇が起きたのです。日本の武装開拓団が金さん一家の農地を強制的に安く買い上げたのです。戦後は暫くは旧満州の奥地に住んでいましたが、その後は瀋陽に引っ越しました。私が瀋陽の東北工学院を訪問したとき、金さんはその大学で助教授をしていました。私は金応培さんの案内で瀋陽市にあるカトリック教会のミサに出ました。金応培さんは瀋陽のいろいろな所へ私を観光に連れて行ってくれました。瀋陽は何と言っても、清朝の発祥...「中国の瀋陽の金応培先生の思い出」
筆者を1980年から何度も北京へ招待してくれたのは北京鋼鉄学院の周教授でありました。もう故人になってしまいましたが友情の深い、年上の男でした。1945年頃には既に天津の北洋大学の学生だったそうです。学生共産党員として天津を国民党の軍隊から解放する作戦へ参加し、解放後は天津市の行政に参加した時期もあったと話していました。善い共産党員の見本のような人で、何時も北京の貧しい人々への同情を話していました。よく私を庶民的な北京ダック専門店へ招待してくれました。そして北京ダックの美味しい店は少し汚くて、観光客の来ない所ですと教えてくれます。彼は北京鴨が自慢なのです。縦長の白い顔は眉が太く、昔の中国の大人の風貌です。いつも静かな微笑みを浮かべ、ゆっくりした英語で話し合いました。以下は1980年代の終わりころ、残留孤児が...「北京ダックと周栄章さんの思い出」
中国は古い歴史があります。しかも現在の中国は世界2位の経済大国なのです。その事実を以下に示します。世界の名目GDP(USドル)ランキングです。出典は、https://ecodb.net/ranking/imf_ngdpd.html#CNです。1位アメリカ29,184.90-北米2位中国18,748.01-アジア3位ドイツ4,658.53-ヨーロッパ4位日本4,026.21-アジア5位インド3,909.10-アジア6位イギリス3,644.64-ヨーロッパ7位フランス3,162.02-ヨーロッパ8位イタリア2,372.06-ヨーロッパ9位カナダ2,241.25+1北米10位ブラジル2,171.34-1中南米11位ロシア2,161.21-ヨーロッパ12位韓国1,869.71-アジア13位メキシコ1,852.72...「そして現在の中国は世界2位の経済大国になった」
西安の近くには紀元前246年に作られ始めた秦の始皇帝陵と兵馬俑があります。私は1982年に西安に泊り郊外の秦の始皇帝陵と兵馬俑を訪れ非常に感動しました。特に兵馬俑坑にある武人像の表情が千差万別で活き活きとしていることに感動したのです。始皇帝陵と兵馬俑の写真を示します。写真は「秦の始皇帝陵」と「兵馬俑」を検索して出て来た数多くの写真から鮮明な写真を選びました。1番目の写真は西安から約30Kmにある秦の始皇帝陵です。陵の小山にはわけなく登れました。頂上には幾つかの石像が祀られていました。眺めが良かったです。2番目の写真は始皇帝陵から1Kmはなれた兵馬俑坑です。巨大な覆いの屋根がかけてあります。武士俑は等身大の素焼きで8000体あるそうです。3番目の写真は軍馬と武人の像です。馬の手綱まで精巧に出来ています。4番...「秦の始皇帝陵と兵馬俑の写真」
近くに始皇帝陵墓と兵馬俑がある西安の風景写真をお送り致します。始皇帝陵墓と兵馬俑は西安の北東30kmの驪山北側にあります。以前に西安に旅して4番目の写真にある塔に登ったことを懐かしく思い出します。西安の風景写真と塔の写真をお送り致します。「近くに始皇帝陵墓と兵馬俑がある西安の風景を懐かしく思う」
白鳥は人に懐く野生の鳥のようです。今日は私自身が白鳥一家と仲良くなった不思議な体験をご紹介したいと思います。日本で見られる白鳥は冬になると遥々シベリアのアムール河の河口付近から飛んで来ます。しかし幾羽かの白鳥は日本に棲みついています。春になってもシベリアに飛んで行かないのです。私が霞ヶ浦でヨットをしていた頃、そこに棲みついている白鳥の4羽の一家と仲良くなったのです。それは不思議な体験でした。白鳥は霞ヶ浦だけでなく猪苗代湖や屈斜路湖など全国の湖や川に沢山来ます。白鳥のいる風景は日本の冬の風物詩です。さて仲良くなった4羽の一家は夏になってもシベリアに帰らないで霞ヶ浦に棲みついていたのです。当時私は土浦港にヨットを係留していました。その係留していた岸壁から湖沿いに600mほど歩いた芝生のところに2007年の春か...「白鳥は人に懐く、仲良くなった不思議な体験」
冬の日本の風物詩はシベリアから渡って来るハクチョウ、ツル、カモ、ガン、カモメなどの冬鳥が湖沼河川に群れ遊ぶ風景です。国境を自由に越えて、はるばる4000キロメートルくらいも飛んで来るそのロマンを感じ心が楽しくなります。私はカモメ類は漁港に棲んでいて冬になると内陸の湖や川に飛んでくると思っていました。しかし冬鳥、夏鳥、留鳥、漂鳥などの分類を調べてみると大部分のカモメ類は日本とシベリアの間を渡っている冬鳥なのです。毎年毎年、悪天候の中長距離を飛んで来ることを想像すると胸が締め付けられる感慨も覚えます。1番目の写真は霞ヶ浦の岸辺を飛んでいるカモメが群れです。私の車を覆うように沢山のカモメが舞っていました。2番目の写真もは霞ヶ浦の岸辺を飛んでいるカモメが群れです。岸辺の地面には鳩の大群がまかれた餌をしきりについば...「白鳥などの渡り鳥のロマン」
私たち日本人は豊かな野鳥たちに囲まれています。美しい野鳥たちに囲まれています。しかし毎日が忙しくて美しい野鳥たちに気がついていません。そこで今日は自然界に身を置いて美しい野鳥たちと一緒に遊んでみようと思いました。1番目の写真は自分で撮った写真です。霞ヶ浦の沖には無数の水鳥が列を作って遊んでいる光景です。春になるとアムール河のさらに北へ渡っていく白鳥やカモメやカモの群れです。私たちはこんなにも多くの野鳥たちに囲まれて住んでいるのです。多くの人々はこの豊かな自然に囲まれていることに気がついていません。しかしバードウオッチングを趣味にしている人々はこの豊かな野鳥の世界を楽しんでいるのです。その様子は、「日本野鳥の会」のHP(http://www.wbsj.org/about-us/summary/about/)...「豊かな野鳥たちに囲まれている日本人の幸せ」
私共は豊かな野生の鳥たちに囲まれて生活しています。渡り鳥もいますし棲み着いている留鳥もいます。日本を通過するだけの旅鳥もいます。間違って日本へやって来た迷鳥もいます。さらに渡り鳥の一部が日本に住み着いているものもいます。例えばコハクチョウは霞ヶ浦や牛久沼やあちこちの湖沼に少しずつ棲みついて日本で繁殖します。さて冬の日本で見られるオオワシは大変珍しい鳥なので少し調べてみました。日本最大の猛禽類で、1970年1月23日にオジロワシと同時期に天然記念物とされましたが今や絶滅危惧種に指定されています。(http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/bird-ohwashi_large.html)オオワシ(大鷲)は、タカ目タカ科ウミワシ属の鳥です。体は雌の方が大きいのです。全身黒褐色...「日本最大の猛禽類、天然記念物、絶滅危惧種オオワシの生態と写真」
鳥の世界は奥が深いようです。いろいろ調べてみると渡り鳥、旅鳥、漂鳥、留鳥そして迷鳥などという言葉が出て来て混乱します。しかしその違いを簡単に言ってしまうと以下のようになると思います。渡り鳥・・・日本を中心にしてシベリアや中国大陸北部へ渡る冬鳥と東南アジア各地に渡る夏鳥のことです。夏鳥主として繁殖のために日本より南の国から渡ってきて、夏を日本で過ごし、繁殖期が終わると再び越冬のために南の国に渡って行く鳥。ツバメ、アマサギ、オオルリ、キビタキ、クロツグミ、ハチクマ、サシバなど。2、冬鳥主として越冬のために日本より北の国から渡ってきて、冬を日本で過ごし、冬が終わると再び繁殖のために北の国に渡って行く鳥。ツグミ、ジョウビタキ、ユリカモメ、マガモ、オオハクチョウ、マナヅル、オオワシなど。旅鳥・・・シベリアや中国大陸...「渡り鳥、旅鳥、漂鳥、留鳥そして迷鳥・・・区別して考えて見る」
アジサイはドイツでも咲いています。アジサイはドイツ語でHortensie(ホルテンジエ)と言い、英語ではHydrangea(ハイドランジア)と言います。日本だけでなく欧州でも広く普及してます。いろいろな派生種があります。水が酸性かアルカリ性かによって、花の色が変わるのは、有名な話ですね。示した写真の出典は、https://minkara.carview.co.jp/userid/314846/blog/44079793/です。「アジサイはドイツでも咲いています」
アジサイの原産地は日本で、その元はガクアジサイです。アジサイは日本から中国にわたり、シルクロードを伝わってヨーロッパへと伝わっていき、イギリスなどで東洋の花として人気が出て、品種改良が進んだのです。写真はアジサイの原産地、日本のガクアジサイです。「アジサイの原産地は日本」
鎌倉は古都で魅力ある場所です。そのうえ家内が生まれ育った所なので何度も訪れました。アジサイが美しい古都です。鎌倉のアジサイの花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/amazing/ajisai-kamakuraです。写真は順に長寿寺、円覚寺、成就院、長谷寺のアジサイです。「鎌倉にはアジサイがあちこちに咲いている」
この季節はアジサイが静かに美しく咲ています。私の家の庭にも咲いています。梅雨が降りかかり一層あざやか色です。日本の梅雨の季節の美しい風物詩です。今日は美しいアジサイの写真をお送り致します。1番目の写真は美しい古刹として知られる鎌倉の長谷寺のアジサイです。写真の出典は、https://clubtravelerjapan.com/article/spot/9430/です。まったく余談ですが家内はこの近所で生まれ育ちました。2番目の写真は山里の梅雨の季節の霧の中のアジサイです。写真の出典は、https://ganref.jp/m/tkrphoto/portfolios/photo_detail/2156726です。3番目の写真は滋賀県長浜市のお寺の山門とアジサイです。出典は、https://www.excite...「日本の梅雨とアジサイの詩的な風景」
仙台で生まれ育ったので松島の瑞巌寺へは何度か行きました。松島の瑞巌寺は国宝で伊達家の菩提寺です。懐かしいので写真を示します。写真はインターネットからお借りしました。写真は順に、本堂、庫裏,総門、お寺の前の杉並木です。「平安時代に創建された松島の瑞巌寺の写真」
『人間国宝美術館』とは変な名前の美術館です。怪しい作品が展示してあるのではないかと恐る恐る訪れました。ところが重要無形文化財保持者(人間国宝)が創った絵画や焼き物の展示に感動しました。これらの美術品を蒐集した館主の山口伸廣さんの審美眼にと収集品の確かさに感動したのです。展示品の数も多く4階にわたる展示室も充分です。写真撮影が自由にできるのも嬉しいものです。最後に有名陶芸家の作品の中から自分の好きな茶碗を選んで、その茶碗で抹茶を楽しめるサービスに感心しました。心憎い気配りです。ホームページ(http://www.nikobi.com/cont/about.html#02)も良く出来ています。館長矢部良明さんの「ごあいさつ」をそのホームページから下に示します。「高級な美に触れて快い、時間を過ごすことは、多忙な...「箱根の麓の湯河原温泉にある「人間国宝美術館」のご紹介」
幕末から明治にかけての箱根の風景の写真をお送り致します。写真はインターンットからお借りしました。「幕末から明治にかけての箱根の風景」
箱根の芦ノ湖の風景の写真をお送り致します。芦ノ湖は奈川県南西部にある県内最大の湖です。水源の大部分が湖底からの湧き水です仙石原から流れ出る早川の水源です。写真の出典は、https://stock.adobe.com/jp/search?k=%E7%AE%B1%E6%A0%B9です。「箱根の芦ノ湖の風景」
箱根は昔から温泉として有名でした。江戸時代には関所が置かれていました。現在は車だけでなく小田急ロマンスカーや箱根登山電車などで気軽に行けます。私どもも何十回も訪れました。今日は私どもが撮った写真にしたがって箱根をご紹介したいと思います。1番目の写真は箱根観光の中心的な芦の湖です。奥に富士山が写っています。2番目の写真は旧東海道の杉並木です200m位よく保存されています。3番目の写真は復元されている江戸時代の箱根の関所です。4番目の写真は元箱根にある成川美術館です。日本画の収集が抜群でした。5番目の写真は芦の湖の畔に立つ「山のホテル」です。1963年に新婚の妻と一緒に泊まりました。当時は木造の小さなホテルでした。箱根へ行くと泊まる定宿のようなホテルでした。6番目の写真は強羅公園です。「山のホテル」の他に強羅...「魅力溢れる箱根を巡る旅」
美しい竹林の写真を撮りに行って来ました。小金井には規模が小さいながらも美しい竹林があります。武蔵野公園の近くです。先程その写真を撮って来ました。「美しい竹林の写真を撮りに行く」
鰻は美味しい魚なのでアジア諸国だけでなくイギリス、ベルギー、イタリア、オランダ、スウェーデン、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどではよく食べられています。昔ドイツに居た頃は生き鰻を売っていました。買って蒲焼きにしました。欧米人はウナギを燻製にして食べます。そして、ぶつ切りにしてスープにして食べます。蒲焼きは面倒なのでしません。欧米人がよく食べるウナギの燻製とウナギ入りのスープの写真をお送り致します。写真はインターンネットからお借りしました。「ドイツのウナギ料理の写真」
先程、駅前のウナギ専門店に行って撮ってきました。「ウナギの蒲焼きいろいろな写真」
今年の夏の土用の丑の日は2日あり、2024年7月24日(水)と8月5日(月)です。夏の土用の丑の日は立秋前に訪れ、毎年日付は変わります。季節の変わり目で体調を崩しやすい時期に、うなぎなど栄養のある食べ物を食べて英気を養いましょう。うなぎ以外にも、「うどん」「梅干し」「瓜科の野菜」「牛肉」など「う」のつく食べ物を食べて、健康を願いながら土用の丑の日を過ごします。土用丑の日にウナギを食べる習慣の発祥には江戸時代の平賀源内説や春木屋善兵衛説や蜀山人説があります。現在のように蒲焼にして食べる風習は江戸時代に広く普及したことには間違いありません。しかし夏痩せを防ぐためにウナギを食べる風習は万葉集の出来た時代にもあったのです。痩(や)す痩すも生けらばあらむを将(はた)やはた鰻(むなぎ)を漁(と)ると河に流れな大伴家持...「間もなく土用丑の日、ウナギも蒲焼きにまつわる話」
小金井の金蔵院の蓮の花は毎年必ず咲きます。先程今年の蓮の花の写真を撮ってきました。美しい色合いをお楽しみ下さい。「今年も咲きました蓮の花」
エドワード・モースは大森貝塚の発見で有名ですが、それ以上に日本の陶磁器の収集と民具や風景写真の収集でも偉大な功績を上げました。ボストンの近くのセイラムという港町に終生住んでいて、その町にあるピーボディー博物館に収集品を保存し、展示しました。彼の収集品には約130年前の日本の風景写真が数多く含まれています。その風景写真を編集して出版したのが小学館です。それは、「百年前の日本」(1983年11月25日初版発行)という写真集です。今日は、昔の箱根の風景、江の島の風景、そして農村の人々の写真を7枚お送りします。撮影時期は1980年(明治13年)から1990年(明治23年)頃と考えられています。1番目の写真は現在の関所跡から北方面へ伸びる町並の風景写真です。手前の左近辺には現在、遊覧船の桟橋があり車の駐車場が広がっ...「明治時代の箱根の風景、江の島の風景、そして農村」