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「済州島は楽しい観光地?」
済州島は行ったこと無いけど済州島は楽しい観光地らしいです。https://www.klook.com/ja/blog/things-to-do-in-jeju/をご覧ください。「済州島は楽しい観光地?」
2024/05/31 11:43
「韓国の国花のムクゲの写真」
韓国の国花のムクゲの写真をお送り致します。写真の出典は、https://pixta.jp/.../%E9%9F%93%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E8%8A%B1...です。「韓国の国花のムクゲの写真」
2024/05/31 11:02
「今日の散歩道に咲いていた花々の写真」
野川沿いの散歩道に咲いていた花々の写真です。「今日の散歩道に咲いていた花々の写真」
2024/05/30 16:03
「茫々とした武蔵野の写真を撮りに行った」
都立武蔵野公園には手付かずの武蔵野が保存してります。その茫々とした武蔵野の写真を撮りに行って来ました。「茫々とした武蔵野の写真を撮りに行った」
2024/05/30 15:30
「何故か昔の日本の農村を思い出させる韓国の田舎の風景」
韓国の釜山の北の慶尚北道にある河回村と良洞村の平和な農村風景の写真をお送りいたします。何故か昔の日本の農村を思い出させる韓国の田舎の風景です。何故か懐かしい農村風景です。この2つの村は農村ながらも世界の文化遺産に認定されています。李朝朝鮮時代の農村が昔のまま残っている珍しい文化遺産なのです。写真はいろいろありますが、何と言っても次の写真集が抜群の出来なので、その写真集から7枚を選びお借りすることにしました。韓国の歴史村:河回と良洞の絶景写真画像、https://dlift.jp/photo/photoDisplayWorldHeritage921これらの写真を撮った方へ敬意を表します。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)「何故か昔の日本の農村を思い出させる韓国の田舎の風景」
2024/05/30 13:08
「今日は雲が綺麗なので写真を撮りに行った」
今日は五月晴の青い空に白い雲が流れています。小金井公園まで写真を撮りに行って来ました。「今日は雲が綺麗なので写真を撮りに行った」
2024/05/29 16:25
「札幌のアカシアの白い花」
札幌ではアカシアの白い花が札幌を象徴する花でした。古き良き札幌を思い出させてくれる花です。北国らしさの漂う花です。札幌の風物詩とも言われたアカシアは、正確には「ニセアカシア」という外来種で、明治初期に輸入され、札幌駅前通の並木道として使われたものが最初でした。札幌のアカシアの白い花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://poros.exblog.jp/13485739/です。「札幌のアカシアの白い花」
2024/05/29 10:29
「5月に咲くリラの花をお楽しみ下さい」
ライラックは東京だと5月に咲く花木で、葉はハート形、花は円錐形に小花が房咲きになり紫色、藤色、紅色、白色などの一重や八重の花をたわわにつけます。香りが良いので世界中で愛されている花木です。フランス語でリラ、和名はムラサキハシドイと呼ばれています。ハシドイは、日本に自生する近縁種の落葉小高木のことです。ライラックは冷涼な気候を好み、特に夏の夜温が下がる環境を好みます。そのため東北北部や北海道、本州の高原地帯が適地といえます。ライラックとアカシアの関係:ライラック(あるいはリラ)は札幌の樹でです。赤紫や青紫、ピンクや白などが5月中旬から下旬にかけて花開きます。一方、アカシアは6月中旬から下旬にかけて白い花を咲かせ、通りの緑の列に白い飾りが加わります。札幌のアカシアは植物辞典的にはニセアカシアです。「5月に咲くリラの花をお楽しみ下さい」
2024/05/29 09:12
「美しいアカシヤの大連の花の写真」
『アカシヤの大連』は詩人の清岡卓行の最初の小説作品です。雑誌『群像』1969年12月号に発表し、第62回芥川賞(1970年)を受賞しました。当時読んで感動しました。それを思い出したので大連のアカシヤの花の写真をご紹介いたしす。写真の出典は、https://4travel.jp/travelogue/10244256です。大連は昔から「東方魁城」(東方のアカシアの都)と呼ばれており、毎年5月になると一斉にアカシアの花が咲きます。アカシア祭りが毎年5月に開催されます。アカシアと言えば清岡卓行著の『アカシアの大連』で、この花を見たいと思う人も多いと思います。アカシヤの花はその清楚とも言える白い花と芳醇な香りに大いに酔いしれます。この花は注意深く見ると日本の山にも沢山咲いています。札幌などにははアカシヤの並木道が...「美しいアカシヤの大連の花の写真」
2024/05/28 13:08
「中国の各地の花園の写真」
中国の各地の花園の写真です。写真は「中国の花園の写真」を検索して出て来た数多くの写真の中から美しいものを選びました。1番目と4番目の写真は洛陽の中国国家花園です。2番目と3番目の写真は福建省の国家花園です。「中国の各地の花園の写真」
2024/05/28 10:29
「中国の農村の写真」
中国の農村の写真をお送り致します。写真は「中国の農村の写真」を検索してインターネットからお借りしました。「中国の農村の写真」
2024/05/28 09:12
「大きな樹々を見ると幸せな気分になる」
何故か分かりませんが私は大きな樹々を見ると幸せな気分になるのです。小金井公園で大きな樹々を眺めて来ました。「大きな樹々を見ると幸せな気分になる」
2024/05/27 15:37
「秦の始皇帝陵と兵馬俑を見た時の驚き」
中国に行って驚くことは古い歴史的なものが昔のままに保存されていることです。例えば古都、西安の近くには紀元前246年に作られ始めた秦の始皇帝陵と兵馬俑があります。私は1982年に西安に泊り郊外の秦の始皇帝陵と兵馬俑を訪れ非常に感動しました。特に兵馬俑坑にある武人像の表情が千差万別で活き活きとしていることに感動したのです。さっそく始皇帝陵と兵馬俑の写真を示します。写真は「秦の始皇帝陵」と「兵馬俑」を検索して出て来た数多くの写真から鮮明な写真を選びました。1番目の写真は西安から約30Kmにある秦の始皇帝陵です。陵の小山にはわけなく登れました。頂上には幾つかの石像が祀られていました。眺めが良かったです。2番目の写真は始皇帝陵から1Kmはなれた兵馬俑坑です。巨大な覆いの屋根がかけてあります。武士俑は等身大の素焼きで...「秦の始皇帝陵と兵馬俑を見た時の驚き」
2024/05/27 12:59
「長崎の大浦天主堂にまつわる話」
建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさと物珍しさから付近の住民たちが多数見物に訪れていた。プティジャン神父には「今でも何処かでカトリック教徒が密かに信仰を伝えているのではないか」という僅かな期待があった。1865年3月17日(元治2年2月12日)、浦上(長崎市)の住民十数名が天主堂を訪れた。そのうちの40~50歳くらいの女性がひとり、祈っていたプティジャンに近づき、「私どもは神父様と同じ心であります」(宗旨が同じです)と囁き、自分たちがカトリック教徒であることを告白した(この女性の名は、イザベリナ杉本百合だったと言われている)。彼らは聖母像があること、神父が独身であることから間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分たちが迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきたいわゆる隠れキリ...「長崎の大浦天主堂にまつわる話」
2024/05/26 16:34
「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」
広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信です。2024年5月26日三位一体の主日https://www.youtube.com/live/IQ_4_i5DUYM第1朗読申命記4章32~34、39~40節第2朗読ローマの信徒への手紙8章14~17節福音朗読マタイによる福音書28章16~20節広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」
2024/05/26 09:06
「美しくい国、フィンランドの写真」
美しくい国、フィンランドの写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.gettyimages.co.jp/search/2/image-film?phrase=%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89です。「美しくい国、フィンランドの写真」
2024/05/25 11:10
「北の国のヘルシンキのサウナ」
昔、北の国のヘルシンキの工科大学のハイケンハイモ教授を訪問したことがありました。そうしたら大学のサウナに招待されたのです。北欧のサウナは、極北の香り高い白木で内装されています。隣に談笑する大きな部屋が付いていて、窓からは広々とした風景が見えるのです。その談笑室には白木のテーブルと椅子があり、酒を飲みながら裸で談笑するのです。そんなことを思い出しながらヘルシンキの路面電車やサウナの写真をお送り致します。「北の国のヘルシンキのサウナ」
2024/05/25 10:41
「スウェーデン王国 の国花はドイツスズラン」
ドイツスズランはヨーロッパ原産で、日本のスズランと似ています。ドイツスズランは日本のスズランより大きな花を咲かせ、香りが強く、葉幅が広いのです。他のスウェーデンの花々の写真をつけてお送り致します。お楽しみ下さい。写真は「スウェーデンの野原に咲く花の写真」を検索して、インターネットの写真から美しい写真を選びました。「スウェーデン王国の国花はドイツスズラン」
2024/05/25 10:20
「美しいドイツの花々」
ドイツの花と言っても特に特徴がないように見えます。オランダの花卉栽培農家が品種改良した園芸種を情熱的に窓枠に植えたり庭に植えています。ドイツ人は花を飾ることに対して強い情熱を持っています。彼等は何事に対しても徹底的にするのです。お墓にもいつも色鮮やかな花々を飾っています。ドイツ文化の長所でもあり怖さでもあります。南ドイツに家族と共に住んでいました。子供は小学校とキンダーガルテンに通っていました。週末には近郊へのドライブを習慣にしていました。冬の間一面雪に覆われていた地面が復活祭の頃一気に春の兆しを見せます。牧場地帯や麦畑の農村地帯を車で走っていると一面の菜の花に遭遇したり、黄色いレンギョウの茂みを見つけたりします。そして5月になるとサクランボの花が青い空にピンクに輝いています。リンゴの花も咲いています。コ...「美しいドイツの花々」
2024/05/24 13:25
「ドイツの文化とハプスブルグ家の影響」
ドイツには1969年の夏から1970年の秋まで一年4ケ月住んでいました。そして一番吃驚したことはヨーロッパは国々や地域によって文化の非常に違うということでした。日本から眺めると西洋文化という一つの文化があるように見えますが、住んでみると国々や地域によってそれぞれ歴史や文化が非常に違うのです。ドイツも北では「こんにちは」はグーテンターグと言いますが、私共が住んでいた南ドイツではグリュースゴットと言います。言葉だけでなく考え方が違うのです。シュツットガルトでアパートを探しましたらシュバーベン出身の人以外には貸さない家主が多いのです。シュツットガルト地方は昔、シュバーベン王国だったのです。要するに地元の人にしか貸さないのです。新聞広告にはっきり「シュバーベン人に限るに」と明記してあります。理由を聞くとシュバーベ...「ドイツの文化とハプスブルグ家の影響」
2024/05/24 12:58
「冒険の連続だった私の人生(2)中世の町、ローテンブルグとドイツ留学」
外国への留学は私の冒険でした。1960年、24歳から2年間オハイオの大学に留学しました。アメリカに行く冒険の次はヨーロッパにも行く冒険でした。今度は34歳のときドイツに留学しました。アメリカ留学でその社会や文化に魅了されましたが、今度はドイツにも魅了されました。外国に住むと、その国が好きになってしまうのです。今日はまず初めに私が3ケ月住んでドイツ語を集中的に勉強したローテンブルグの風景をご紹介しましょう。暗い城壁に囲まれた中世の町です。5枚の写真はインターネットからお借りしました。1番目の写真は町を囲む城壁です。城壁の上には回廊があり守備兵が並んで防戦出来るようになってきます。写真の左側が町になっています。私はこの城壁の上をよく散歩しました。懐かしいです。2番目の写真も町を囲む城壁です。3番目の写真は城壁...「冒険の連続だった私の人生(2)中世の町、ローテンブルグとドイツ留学」
2024/05/24 08:58
「江戸時代からある道端の祠」
よく行く武蔵野公園の帰り道に江戸時代からの祠があります。立ち止まって江戸時代からの人々の祈りの内容を想像します。単純に家族の幸せを祈ったのでしょう。何故か私も幸せになった気分になりました。「江戸時代からある道端の祠」
2024/05/23 16:06
「美しく花が咲いてる散歩道」
野川そいの道です。武蔵野へ続く散歩道です。今日もウグイスが鳴いていました。悠々と散歩して来ました。写真をお楽しみください。「美しく花が咲いてる散歩道」
2024/05/23 15:28
「よく散歩するハケの道の風景写真」
よく散歩するハケの道の風景写真をお送り致します。写真の出典は、https://tachikawaonline.jp/walk/30koganei.htmです。1番目の写真は美術館脇にあるハケの小道です。石畳の小路にせせらぎが沿って流れています。2番目の写真はムジナ坂です。昔は農民が田畑へと通った道です。3番目の写真は武蔵野公園の中心を流れる野川です。はけの湧水が野川を形成し、その先は多摩川へと流れています。4番目の写真は武蔵野公園の中央広場です。「よく散歩するハケの道の風景写真」
2024/05/23 11:46
「冒険の連続だった私の人生(1)徒手空拳でアメリカへ留学」
自分の性格を考えてみると結構冒険好きだったと思います。東北大学在学中から冒険の人生が始まりまりました。北アルピスや南アルプスを単独で縦走したのがその始まりでした。そしてその後アメリカ留学に挑戦したのです。アハイオ州立大学のセントピエール教授にいきなり手紙をだしました。月謝と生活費を出してくださいと頼みました。OK!という返事がきました。1番目の写真の左側の人がセントピエール教授です。私どもの結婚式の後のレセプションヘの客を迎えるレセプション・ラインです。留学先の大学はオハイオ州のコロンバス市にありました。感動したことはアメリカ人の先生方と同級生がとても親切だったことです。もう少し正確に書くと、フルブライト留学生として1960年から1962年までオハイオ州立大学の金属工学科に留学したのです。アメリカ人はいつ...「冒険の連続だった私の人生(1)徒手空拳でアメリカへ留学」
2024/05/23 10:02
「ロマンチックな小岩井農場の写真」
盛岡市から北西約12kmの所にある小岩井農場はロマンチックな雰囲気です。岩手山の南麓にあり約3,000ヘクタールもの広大な敷地です。1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義眞、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同で作った牧場です。その3名の姓の頭文字をとり小岩井牧場と名付けらました。小岩井牧場はその後、小岩井農場となり東京に本社をおき大きく発展しました。宮沢賢治もこの牧場とその周辺の景観が好きで、しばしば散策しました。詩集『春と修羅』に収録された長い詩「小岩井農場」も書きました。15年位以前に私どもも行って、そのロマンチックな雰囲気に感動しました。インターネットからお借りした小岩井農場の写真をお送り致します。「ロマンチックな小岩井農場の写真」
2024/05/22 15:22
「川物語(5)北上川と石川啄木と宮沢賢治」
北上川の水源は岩手県岩手町御堂にある「弓弭(ゆはず)の泉」とする説が一般的です。そこから岩手県の中央を南下して宮城県に入り石巻湾の太平洋へ流れ出ています。北上川のように北から南へ流れる川は全国でも珍しい川です。北上山地と奥羽山脈の間を流れているため、それぞれの山地からいくつもの支流が流れ込み、その数は大小合わせて200以上もあります。1番目の写真は盛岡市を流れる北上川です。背後の山は岩手山です。ここへは2度ほど訪れましたが北上川にそった遊歩道を歩くと実に気持ちが良い場所です。この北上川が流れている岩手県は宮沢賢治や石川啄木の故郷です。彼等の関連のある土地の盛岡や花巻も私は何度も訪問しました。小岩井牧場にも行きました。盛岡城跡の高い石垣を登ると広い草原になっています。青草の上にあおむけに寝て大空を見ていたら...「川物語(5)北上川と石川啄木と宮沢賢治」
2024/05/22 10:35
「小諸市の紹介」
小諸市の市内の広い範囲から南に蓼科山、北に浅間山が見え、空気の澄んだ日には遠く富士山をも望めます。「関東の富士見百景」に選定されています。千曲川は市の南部から西部を、流向を北から西へと大きく変えながら貫流しています。何度か訪れた懐かしい町です。「小諸市の紹介」
2024/05/21 13:03
「川物語(4)千曲川と藤村記念館のある懐古園」
千曲川は長野県、埼玉県、山梨県の3県の境にある甲武信ヶ岳にその源にして、佐久、上田の2つの盆地を経て長野市のある善光寺平で犀川と合流します。犀川は新潟県に入ると信濃川と呼ばれ日本海へ流れ出ます。千曲川と呼ばれている部分は214kmです。1番目の写真は千曲川です。写真の出典は、https://stock.adobe.com/jp/search?k=%E5%8D%83%E6%9B%B2%E5%B7%9Dです。千曲川と言えば藤村の「千曲川旅情の歌」を思い出します。藤村は明治の後半に7年余、小諸の私立学校の先生をしながら「千曲川旅情の歌」を作ったのです。私どもも小諸に旅をしました。小諸は美しい城下町です。すぐ後ろに浅間山が悠々と広がり眼下には千曲川が碧く光っています。何となく詩情を感じさせます。特に城跡は懐古園と...「川物語(4)千曲川と藤村記念館のある懐古園」
2024/05/21 08:43
「大きな樹々の写真を撮りに行く」
大きな樹々の写真を撮りに行ってきました。近所の学芸大学には大きな樹々が緑豊かに茂っています。散歩しながら大きな樹々をしばし眺めて来ました。「大きな樹々の写真を撮りに行く」
2024/05/20 16:22
「多摩川の上流の風景」
多摩川の上流の風景の写真をお送り致します。多摩川の上流のある奥多摩は立川駅から青梅線で青梅まで簡単に行けます。そこで乗り換えると奥多摩駅まで電車で行けます。さて多摩川は何処から流れて来るのでしょう?山梨県の笠取山を源とし、上流部では柳沢峠から流れ込んでくる柳沢川と合流し、そこから下流は丹波川(たばがわ)と呼ばれ奥多摩湖に注いでいます。多摩川と呼ばれているのは奥多摩湖の湖水の出口である小河内ダムより下流からなのです。多摩川は両岸に堤防のない部分が多いので、野草や野鳥が数多く自然豊かな昔のままの川なのです。それこそが多摩川上流の一番の魅力なのです。それでは多摩川の上流の風景の写真をお送り致します。1番目の写真は御岳駅から3Kmほど上流の多摩川です。2番目の写真は御岳駅から2Kmほど上流の多摩川にあるマス釣り場...「多摩川の上流の風景」
2024/05/20 13:36
「多摩川と相模川の鮎釣り」
多摩川と相模川には夏になると鮎がいっぱい泳いでいます。鮎を釣る人々で賑わいます。そんな写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「多摩川と相模川の鮎釣り」
2024/05/20 11:52
「川物語(3)利根川と坂東梁の思い出」
利根川の源流は群馬県の大水上山で関東平野を北から東へ流れ太平洋に流れています。信濃川についで日本で二番目に長い川で322Kmの長さです。1番目の写真は銚子の利根川の河口の雄大な風景です。写真の出典は、https://www.jalan.net/kankou/sta_033638/g1_22/です。利根川は坂東太郎とも呼ばれ江戸時代は霞ヶ浦を経由して太平洋へ流れ出ていました。利根川で一番印象深かったのは中流の渋川にある坂東梁の鮎料理です。家内も鮎が好きなので何度も行きました。坂東簗の料理場の外の廊下に古い写真が沢山飾ってありました。明治、大正時代に前橋の金持ちが人力車で乗り付けていました。芸者さんの乗った人力車も続いているのです。2番目の写真は坂東梁の入り口です。関越道路の渋川インターを出て、前橋方向に戻り...「川物語(3)利根川と坂東梁の思い出」
2024/05/20 10:29
「昔ドイツで住んでいたアパートの写真」
昔ドイツで住んでいたアパートの写真です。1969年から1年余シュツットガルトに住んでいました。cottastrasseの45番地でした。写真のアパートの3階です。そこから毎日Max-Plank研究所へ通っていました。娘はドイツの小学校、息子は幼稚園に行っていました。「昔ドイツで住んでいたアパートの写真」
2024/05/19 16:50
「ライン川の中流にあるローレライの岩の写真」
ライン川の中流に歌で有名なローレライの岩があります。その写真をお送り致します。出典は、https://imagenavi.jp/search/...です。「ライン川の中流にあるローレライの岩の写真」
2024/05/19 14:40
「 広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真」
今日はインターネットを通うして広島のカトリック幟町教会のミサにあずかりました。広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真をお送り致します。「広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真」
2024/05/19 11:57
広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信です。聖霊降臨の主日(祭日)ミサhttps://www.youtube.com/live/iTxvvOlarq8第1朗読使徒言行録2章1~11節第2朗読ガラテヤの信徒への手紙5章16~25節福音朗読ヨハネによる福音書15章26~27、16章12~15節広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」
2024/05/19 09:15
「何度見ても感動する巨木の風景」
武蔵野公園です。「何度見ても感動する巨木の風景」
2024/05/18 17:11
「今日は初夏のようです」
今日は初夏のようです。水辺で子供達が遊んでいます。そんな風景の写真を撮って来ました。「今日は初夏のようです」
2024/05/18 16:39
「広瀬川」
広瀬川は仙台市のシンボルとして親しまれている川です。『青葉城恋唄』(歌/さとう宗幸)にも唄われています。中流では仙台市の西縁から南縁を経て東へ流れています。両岸には自然が多く残され、初夏の鮎釣り、秋の芋煮会など市民がレジャーを行うことも多い川です。仙台七夕花火祭や広瀬川灯籠流しなど祭りの会場にもなっています。上流には紅葉の名所の作並温泉があります。宮城県仙台市青葉区作並の山形県境にある関山峠付近に源になっています。全長は45Kmの一級河川です。江戸時代に伊達氏が居城にした仙台城は、広瀬川中流の右岸にある青葉山に築かれ、川を第一線の守りにしていました。幕末に広瀬川中流域で亜炭が発見されて以降、家庭で亜炭が広く使われてきました。しかし亜炭採掘は1950年代に終わりました。江戸時代には、広瀬川は上流から流れる場...「広瀬川」
2024/05/18 13:12
「川物語(1)故郷、仙台の広瀬川にまつわる思い出」
昨日まで日本の美しい湖を沢山ご紹介しました。北海道の摩周湖から九州の池田湖まで丁寧にご紹介しました。今日からは「川物語」として数々の川にまつわる思い出を書き進めたいと想います。第一回の今日は故郷の仙台の広瀬川にまつわるいろいろな思い出です。いろいろありますが、広瀬川の川下りから始めます。仙台には青葉城跡があります。そばの経ケ峰の上には伊達政宗の霊廟があります。その青葉城跡の下には戦前の第二師団の軍隊の兵舎が並んでいました。そしてそばの広瀬川の岸辺に上陸用舟艇が15隻ほど放置されていたのです。1番目の写真は上陸用舟艇での川下りをした場所です。上陸用舟艇はここから500メートル位上流の第二師団跡の河原に放置してありました。上陸用舟艇は折り畳んであったので両方の側面を起こして棒で支えて乗り込みます。あとは持参し...「川物語(1)故郷、仙台の広瀬川にまつわる思い出」
2024/05/18 09:32
「新緑の写真を撮りに行く」
皐月晴れに誘われて小金井公園まで新緑の写真を撮りに行きました。瑞々しい新緑の写真をお楽しみ下さい。「新緑の写真を撮りに行く」
2024/05/17 14:58
「新緑の琵琶湖の写真」
新緑の琵琶湖の写真もお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「新緑の琵琶湖の写真」
2024/05/17 10:53
「午後の散歩、武蔵野公園のドジョー池まで」
皐月晴れで薫風が吹いていました。気分爽快でドジョー池まで行って来ました。「午後の散歩、武蔵野公園のドジョー池まで」
2024/05/16 16:49
「北海道の風蓮湖、能取湖、シラルトロ湖、網走湖の風景写真」
私どもは2012年9月に北海道の東部の川湯に3泊し阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖、風蓮湖、シラルトロ湖、塘路湖、達古武湖、網走湖、能取湖、そしてオンネトーの湖などの幻想的な美しさを写真に撮りました。今日は北海道の風蓮湖、能取湖、シラルトロ湖、網走湖の4つの湖の風景写真を示します。1番目の写真は風蓮湖です。風蓮湖は白鳥の飛来地として有名です。そのせいで何故か素晴らしい湖という印象が心に焼き付いていました。しかし何も無い寂寥とした風景が広がっているだけです。2番目の写真は能取湖(ノトロ湖)です。網走湖の北隣にあってオホーツク海へつながっている能取湖(ノトロ湖)は観光地ではありません。岸辺に立って沖を見やればただ広い海の水が静かな風波をたたえているだけです。という実感に身が震えます。そして浩然たる気分になるのです。3...「北海道の風蓮湖、能取湖、シラルトロ湖、網走湖の風景写真」
2024/05/16 13:29
「山中湖と富士山の風景」
以前に新緑に埋まるような山道をドライブし山中湖に行きました。山中湖は晴れていましたが富士山の上の方は厚い雲に覆われていました。山中湖の沖には30年くらい係留しているヨットがいます。昔ヨットの趣味をしていたので懐かしくて写真を撮りました。そして岸辺を見ると見慣れないヨットが半分陸揚げしてあります。船底のキールが見えないので浅い場所ではキールが上げられる構造になっているようです。こういうキールなら山中湖の浅い岸辺に何処へでも着けられて楽しいのでしょう。そんなことを考えながら帰りは一気に中央高速を飛ばしてきました。「山中湖と富士山の風景」
2024/05/16 11:07
「花園、巨木の森、建て家の門、江戸時代の農家の写真を撮って来た」
小金井公園にはいろいろなものがあります。今日は散歩しながら花園、巨木の森、建て家の門、江戸時代の農家の写真を撮って来ました。1番目の写真は花園です。2番目の写真は巨木の森です。3番目の写真は伊達家の門です。建築年代大正期、所在地港区白金二丁目。解説旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。〈起り屋根(むくりやね)〉の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現したような形をしています。総欅(けやき)造りで、門柱の上に架けられた冠木(かぶき)には、宇和島藩伊達家の家紋が木彫りで施されています。4番目の写真は江戸時代の農家です。吉野家(農家)(よしのけ)、建築年代江戸時代後期、所在地三鷹市野崎二丁目解説江戸時代後期に建てられた民家です。吉野家は江戸時代に野崎村(現在の三鷹市野崎)の名主役を務めた家とい...「花園、巨木の森、建て家の門、江戸時代の農家の写真を撮って来た」
2024/05/15 15:46
「精進湖と富士山の風景」
富士五湖は自宅から車で1時間30分くらいで行けるので四季折々何度も行きました。山中湖や河口湖は広大で富士山の眺めも美しい所です。そして精進湖は奥の方にあって開発もあまりされていない自然の残る湖です。海抜900mの静かな高原の湖です。湖畔に昭和天皇も泊まった山田屋旅館があり昔は家族で何度か泊まった懐かしい宿です。古い廊下の壁一面に昭和天皇が泊まったときの写真が誇らしげに飾ってありました。精進湖の魅力は岸辺まで車を入れることが出来ることです。そこから湖の向こう側に見える富士山が絶景なのです。昔の500円札に精進湖からの富士山の風景が使われていました。そんなことを思い出したので今日は精進湖から眺めた富士山の写真をお送りしたいと思います。秋の風景です。プロの撮った精進湖と富士山の写真の出典は、https://ww...「精進湖と富士山の風景」
2024/05/15 11:05
「5つの湖が静かに並んでいる三方五湖の美しい風景」
若い頃から私は湖への憧れがありました。日本の湖はほとんど訪れました。今日は特に私が美しさに感動した三方五湖の5つの湖をご紹介致します。三方五湖は、福井県三方郡美浜町と若狭町にまたがってあります。五胡とは三方湖、水月湖、菅湖、久々湖、日向湖の5つの湖のことです。15年ほど以前に車で5湖を丁寧に巡り、その美しさに感動しました。何時ものよ三方五湖のうに妻も一緒でした。それでは五つの湖を順々に説明致します。三方湖五湖の中で最も南にあり、唯一の淡水湖です。鰣川、別所川、観音川、山古川、中山川が流入しています。1980年(昭和55年)に、湖底の堆積物を採取するためのボーリングが三方湖で行われました。採取した堆積物から花粉、珪藻などの微化石、あるいは植物が検出され過去7万年間の記録を保管していることが分かったのです。ま...「5つの湖が静かに並んでいる三方五湖の美しい風景」
2024/05/15 09:01
「八ヶ岳、白樺湖、霧ヶ峰、蓼科湖への旅」
ある秋の晴天の日に八ヶ岳の大泉高原、清里の清泉寮、野辺山に遊び夜は何時もの八ヶ岳ロイヤルホテルに泊まりました。翌日も秋の青空に太陽が輝いています。大泉のホテルから八ヶ岳高原ラインを小淵沢に下り、中央高速で茅野・諏訪湖まで走りました。後は大門街道とビーナスラインで白樺湖、蓼科山、車山、そして霧ヶ峰までの雄大な風景を楽しみます。やはり自然の風景にまさるものはものは無いと感動したので帰路も樹林の中を走ることにしました。樹林の続く北八ヶ岳の麓を根気よく走り蓼科温泉に出ました。蓼科湖の湖畔を散歩して帰って来ました。帰りは中央高速の茅野・諏訪湖インターから入り一路、府中出口まで帰って来ました。天気に恵まれたので風景写真が良く撮れと思います。写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。1番目の写真は大泉高原から間近かに見た八...「八ヶ岳、白樺湖、霧ヶ峰、蓼科湖への旅」
2024/05/14 11:18
「高原にある日本の湖への私の憧れ」
どういう訳か私は若い頃から高原にある湖への憧れています。日本の高原のの湖はほとんど訪れました。さて今日は特に私が美しさに感動した4つの湖をご紹介致します。摩周湖、屈斜路湖、桧原湖と猪苗代です。北海道と福島県にある湖です。1番目の写真は北海道の摩周湖です。https://www.visit-hokkaido.jp/spot/detail_10052.html2番目の写真は屈斜路湖です。写真の出典は、http://inakaseikatsu.blog.so-net.ne.jp/2013-04-30です。3番目の写真は桧原湖です。https://www.tohokukanko.jp/attractions/detail_1691.html4番目の写真は猪苗代湖です。猪苗代湖の写真の出典は、http://blog...「高原にある日本の湖への私の憧れ」
2024/05/14 08:54
「鰻のかば焼き」
鰻のかば焼きはもともと、江戸前とはうなぎから生まれた言葉であり、大川(今の隅田川)河口付近で獲れた鰻を江戸前鰻と称していたことがはじまりです。江戸前「鰻のかば焼き」は、生きた鰻を割いて串打ちにし、白焼きにして蒸したものにたれをつけて焼く。関東と関西では、調理法が異なり、関東では、鰻を背開きにして骨、内臓を取り、串に刺して白焼きにし、蒸す。そして、炭火でたれをつけながら焼きあげる。関西では、蒸さずに焼きあげる。腹開きにすることで、蒸しても串から落ちずに焼くことが出来る。名前の由来には、鰻をぶつ切りにした鰻を、竹串に刺して焼いたものが蒲(がま)の穂に似ていることからという説、焼き上がった際の色や形が「樺の木」に似ているからとする説、いい香りが早く鼻に入るという意味の「香疾(かばや)」が転じたとする説など、諸説...「鰻のかば焼き」
2024/05/13 14:11
「泥鰌はどんな魚?」
泥鰌はコイ目ドジョウ科の淡水魚です。小川や田などにすみ、冬は泥に潜ります。全長約20センチにもなり、体は細長い筒形で尾部は側扁し、背側は緑褐色、腹側は淡黄褐色で、口ひげは五対です。うろこは細かく、厚い粘液層で覆われ、補助的に腸呼吸を行います。柳川鍋やどじょう汁などにして食べます。分布:日本列島(伊豆・小笠原諸島、琉球列島を除く)、朝鮮半島、アムール川、中国中南部からベトナム北部、台湾、海南島。移植として、ヨーロッパ、北アメリカ、北海道などです。雑食性で、ユスリカの幼虫、イトミミズなどを主に摂食する。主に用水路や田などに生息しており、冬に水温約7℃を下回ると、泥の中で冬眠を始める。口ひげは上顎に3対下顎2対で合計10本ある。このひげには味蕾(みらい)があり、食物を探すのに使われる。えらで呼吸するほか、水中の...「泥鰌はどんな魚?」
2024/05/13 13:13
「山梨県の秘境、瑞垣山とみずがき湖の写真」
山梨県の秘境と言えば瑞垣山一帯ではないでしょうか。瑞垣山を知っている人は少ないと思います。しかし美しい山です。1番目の写真は山梨県の秘境にある瑞垣山です。この山は私の小屋に近いので何度も行きました。山容の美しさに魅了されて何度も行きました。そして瑞牆山(みずがきやま)から流れ下る渓流を堰き止めた塩川ダム湖、「みずがき湖」も美しい湖です。瑞牆山の見える山頂直下の公園から20kmくらい下にある湖です。2番目の写真は塩川ダム湖、「みずがき湖」です。3番目の写真は塩川ダム湖、「みずがき湖」の拡大写真です。4番目の写真は塩川ダム湖の全容です。この瑞垣山は私の山林の中の小屋に近いので以前に何度も行き山容を見上げたり「みずがき湖」の静かさに息をのんだりしました。懐かしい所なので写真を示しました。「山梨県の秘境、瑞垣山とみずがき湖の写真」
2024/05/12 14:04
「広島のカトリック幟町教会の今日のミサの風景写真」
広島のカトリック幟町教会の今日のミサの風景写真です。今日はインターネットの広島のカトリック幟町教会のミサにあずかりました。「広島のカトリック幟町教会の今日のミサの風景写真」
2024/05/12 11:55
「日本のカトリックにとって五島列島は巡礼地」
日本のカトリックにとって五島列島は巡礼地と私は思っています。日本の全てのカトリック教会はローマ法王へ直属していますので「日本本山」というものはありません。しかし私は長崎の大浦天主堂が「日本本山」だと思っています。日本を訪問したフランシスコ教皇も長崎へ巡礼の旅をなさいました。五島列島には江戸時代に隠れキリシタン達が沢山住んでいたのです。明治時代になって禁教が解けた以後に隠れキリシタン達が美しい教会をたくさん作ったのです。数年前、私は家内とともにこれらの美しい教会を巡る旅に行ったのです。それは隠れキリシタン達を偲ぶ巡礼の旅でした。そこで今日は美しい五島列島の風景写真をお送りしようと思います。写真は五島列島の風景写真です。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)「日本のカトリックにとって五島列島は巡礼地」
2024/05/12 09:31
広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信です。2024年5月12日主の昇天(祭日)-日本語-(youtube.com)第1朗読使徒言行録1章1~11節第2朗読エフェソの信徒への手紙4章1~13節福音朗読マルコによる福音書16章15~20節広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」
2024/05/12 09:08
『第73回水郷潮来あやめまつり』開催のお知らせ
何年か前に実際に行って感動しましたのでお知らせ致します。潮来あやめまつりは昭和27年にはじまった歴史あるまつりです。当初は、あやめや花菖蒲の愛好家たちがビール瓶などに花菖蒲やあやめの切り花を入れて行なわれていました。園内には、約500種100万株のあやめ(花菖蒲)が植えられており、見頃を迎えると一面に咲き誇ります。一番の見頃は例年6月10日頃です。期間令和6年5月17日(金)~令和6年6月16日(日)詳しくは、https://www.city.itako.lg.jp/page/page005638.htmlをご覧ください。『第73回水郷潮来あやめまつり』開催のお知らせ
2024/05/11 16:26
「今日の散歩、花園の写真を撮りに行って来た」
今日は午前中にイトーヨーカドーに食料品を買いに行き、午後の散歩は小金井公園の花園の写真を撮りに行って来ました。「今日の散歩、花園の写真を撮りに行って来た」
2024/05/11 15:45
「潮来のあやめをお楽しみ下さい!」
潮来のあやめが満開になり、初夏の川風に揺れていました。お楽しみ頂ければ幸いです。(続きの写真は明日に掲載します)撮影日時:6月17日午後2時前後「潮来のあやめをお楽しみ下さい!」
2024/05/11 11:09
「アヤメ、ハナショウブ、カキツバタの花の美しい季節」
今年も間もなくアヤメ、ハナショウブ、カキツバタの花の咲く季節になりまた。今日はこのお互いに似た花の識別法をご紹介したいと思います。知っていると便利です。私の大切にしている庭の花に潮来から15年前に持って来た潮来アヤメがあります。毎年、もう少しすると見事な花を咲かせます。毎年のように、庭の潮来のアヤメの写真を掲載します。すると必ず「それはハナショウブです。間違った名前で書かないで下さい」というコメントを頂きます。しかし私は訂正しません。潮来の人々がアヤメと言っていることを尊重するのです。そして15年前から分類学の視点からいろいろ調べています。そうしたら昔から地方地方によってアヤメを菖蒲と呼んだり、逆に花菖蒲をアヤメと呼んだりしていたことが判明したのです。もう少し詳しく書けば、アヤメ類の総称として、ハナショウ...「アヤメ、ハナショウブ、カキツバタの花の美しい季節」
2024/05/11 08:54
「今日の散歩、都立武蔵野公園をさブラブラ」
皐月晴れに誘われて蔵野公園をさブラブラして来ました。ウグイスが鳴いていました。写真はインターネットからお借りしました。「今日の散歩、都立武蔵野公園をさブラブラ」
2024/05/10 15:23
「昔の店の風景を見ながら当時の生活を懐かしく思い出す」
小金井公園にある「江戸東京たてもの園」では江戸時代の農家や明治時代の商店や大正時代の田園調布の住宅などが移築、展示してあります。昨日は特に昔の商店の店先を丁寧に見ました。見ながら当時の生活を懐かしく思い出しました。今日は昔の商店の店先の写真を示します。そして思い出した当時のことなどを書きます。1番目の写真は「江戸東京たてもの園」の昔の商店を移築してある通リの風景です。この通りの左右に昔の商店を移築されて並んでいます。2番目の写真は花屋さんの店先です。昔は真っ赤な真っ赤なバラを妻の誕生日に贈ったことを思い出しました。3番目の写真は鍋釜を売っている店です。特に少年の頃の昔風の釜が懐かしいです。随分以前から我が家では昔風の釜を使っておりません。4番目の写真は鰹節の専門店です。昔は鰹節は貴重でした。山里のお寺で育...「昔の店の風景を見ながら当時の生活を懐かしく思い出す」
2024/05/10 11:36
「今日は特に空が美しいので写真を撮る」
青い空に白い雲がゆっくり流れています。小金井公園へ行きながら空の写真を写しました。「今日は特に空が美しいので写真を撮る」
2024/05/09 15:58
「日本が太平洋戦争でアジア諸国の植民地を独立させた」
日本人が誇りにすべきことを書いてみたいと思います。それは日本がアジア諸国を欧米の植民地から解放し東南アジア諸国を独立させたことです。太平洋戦争で東南アジアの諸国を独立させたことです。1946年12月8日の真珠湾攻撃で第二次世界大戦に参戦した日本は、快進撃を続け、瞬く間に東南アジアを占領してしまいました。その地域はイギリス、フランス、オランダ、アメリカの植民地だったところです。ですからその地域の日本軍の占領は植民地の解放とも言えます。欧米人を追い出し、大東亜共栄圏という経済圏を作るというのが日本が主張した大義名分でした。東條総理は各地の首脳を東京に集め、大東亜共栄圏を作るためのアジア会議を開催しました。しかし1945年の夏に日本が敗北するとビルマ(ミャンマー)、ラオス、カンボジア、ベトナム、マレーシア、イン...「日本が太平洋戦争でアジア諸国の植民地を独立させた」
2024/05/09 11:19
「一生の前半は不遇でしたが後半は幸せだった小泉八雲と『耳無しに芳一』」
八雲の生涯は不遇な一生でしたが、セツという素晴らしい女性と結婚したお陰で最後の14年間は幸福になります。セツから聞き出した数々の怪談話を文学作品として英語で発表したのです。しかしその文学作品が翻訳され日本で有名になったのは彼の死後10年以上経過した大正時代の末頃でした。平川呈一などの名訳でさらに広く読まれるようになったのです。そのような悲しい、そして幸せな人生もあるのです。以前に松江に行き彼の旧居と記念館を見てまわりました。記念館を見て、その雰囲気に感動しました。記念館には家庭の愛が感じられたのです。どんなに八雲がセツや子供を愛したかがすぐに分かるように展示してあるのです。遺族が経営に参加し展示を受け持っているようです。そこで小泉八雲の一生をかいつまんでご紹介しておきます。ギリシャで生まれ父母の離婚で親類...「一生の前半は不遇でしたが後半は幸せだった小泉八雲と『耳無しに芳一』」
2024/05/08 13:00
「日本人が忘れてしまった夜の暗さ、妖怪も怪談も消えて行く」
山里の山林の中の小屋に以前は時々泊りました。でも最近はその元気もなくなりめったに行きません。時々思い出すのは漆黒の闇に包まれた森の奥の小屋に泊まったことです。周囲の木々が暗い森の中を歩き回るような恐怖を感じました。考えてみたらこんなにも暗い夜に人魂が飛んでいるのを見たことがありました。そして「のっぺらぼう」や「かまいたち」や「おいてけぼり」が人間に悪さをする話もよく聞きました。半信半疑ながら熱心に聞いたものです。妖怪たちは身近にいたのです。小泉八雲の怪談に出て来る「雪女」は雪国に本当にいると思い込んでいました。「耳無芳一の話」や「鳥取の蒲団」を読んではゾクゾクしたものです。そのような私の楽しみが最近消えてしまっていたのです。街中に住んでいると暗闇の不気味さを忘れていました。ところが暗い森の奥の山小屋に泊ま...「日本人が忘れてしまった夜の暗さ、妖怪も怪談も消えて行く」
2024/05/08 09:45
「エロシェンコを描いて、37歳で夭折した画家、中村彝の物語」
新宿の中村屋で中村彝(つね)の「エロシェンコ像」という油彩画を見た時の感動が忘れられません。暗い悲しげな表情に芸術への憧れがみなぎっているのです。表情が詩的美しさでほのかに輝いているのです。直観しました。エロシェンコはただ者でない!、描いた中村彝もエロシェンコの芸術に共鳴している!それ以来、エロシェンコと中村彝が忘れられない存在になったのです。今日は盲目の詩人、エロシェンコと夭折の画家、中村彝の絆の物語を書いてみたいと思います。まずエロシェンコですが、彼はウクライナ人で詩人、童話作家でした。モスクワの盲人学校に学びエスペラントを習得します。ロンドンに学んだ後の1914年(大正3)東京にきて、日本語とエスペラントで童話を発表しました。東京では大杉栄、神近市子、中村彝らと親交を結びます。1919年、ソ連のスパ...「エロシェンコを描いて、37歳で夭折した画家、中村彝の物語」
2024/05/07 12:59
「マロニエの白い花が咲く山里の小さな美術館」
それは本当に小さな美術館です。南には甲斐駒岳が花崗岩を白く輝かせて聳え、北には八ヶ岳連峰が望める高台にあります。その高台は少しだけ平地になっていて、一歩足を踏み入れると何故か芸術的な香りが漂ってくるのです。毎年、初夏になると白いマロニエが咲いています。今年は行けませんでしたので以前の写真をお送りいたします。この山里にある美術館は清春白樺芸術村の中にあります。白樺林に囲まれた小さな美術館の前の広場には幾つかの建物があります。エッフェルが設計した画家たちの集合アトリエのラ・ルーシュがパリから移築されています。そしてエッフェル塔の階段の一部も移築されています。その奥にはジョルジュ・ルオーの記念礼拝堂もあります。茶室もあり梅原龍三郎のアトリエも復元されています。美術館にはルオーの油彩画や白樺派の作家達の作品を多数...「マロニエの白い花が咲く山里の小さな美術館」
2024/05/07 10:17
「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その三
調布市にあった「京王フローラルガーデン」は営業を終了して閉園しました。跡地は駅周辺とともに再開発されました。1956年(昭和31年)に「東京菖蒲園」として後に「京王フローラル・ガーデン」と改名し以来65年間、美しい花々を見せてくれた花園でした。私は仕事を一切止めた70歳の時から15年間足繁く毎月のように通った花園です。何時も家内が一緒でした。この花園は文字通リ私と妻の最後の「花道」でした。老境を幸せにしてくれた楽しい花園でした。春にはいろいろなマグノリアが咲きます。春夏秋と季節の草花が色どり、そして冬でも足もとの小径にはパンジーが咲いています。夏の芝生の原には球体のギガンジュームが咲きます。そしてバラ園には一年中いろいろなバラが咲いています。この花園は四季折々いつも花が絶えないのです。家内は花々が好きなの...「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その三
2024/05/06 13:07
「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その二
消滅した京王フローラル・ガーデンには実にいろいろな花が咲いていました。そのいろいろな花の写真をお送り致します。写真の撮影日は2014年5月8日でした。消滅した京王フローラル・ガーデンのいろいろな花の写真をお送り致しまじた。「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その二
2024/05/06 12:09
「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その一
東京に京王電鉄という会社があります。新宿から西の郊外に電車を走らせています。その会社が京王多摩川駅の前に「京王フローラル・ガーデン」という花園を公開していました。もう3年前に閉鎖して今はありません。しかし以前は妻と一緒に何度も訪れた懐かしい花園でした。今日はその京王フローラル・ガーデンの懐かしい写真をお送り致します。かつて訪れた方々は懐かしくご覧になると思います。京王フローラル・ガーデンにはいろいろな花々が盛んに咲いています。花々が豪華に咲いています。その花園の中に遊歩道が出来てるのです。写真は10年前の2014年5月9日に撮りました。1番目の写真は遊歩道の足元に咲いている草花です。2番目の写真は花が溢れるように咲いている風景です。3番目の写真は歩きやすいように板を敷いた遊歩道です。さて京王フローラルには...「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その一
2024/05/06 10:15
「今日は巨木の写真を撮り、教会に寄りお祈りをして来ました」
今日は晴天です。午後から小金井公園に行き巨木の写真を撮り、教会に寄ってお祈りをして来ました。気分爽快な一日です。「今日は巨木の写真を撮り、教会に寄りお祈りをして来ました」
2024/05/05 15:41
「新緑の山と湖の風景をお楽しみください」
今日はは以前に撮った新緑の宮ケ瀬湖の風景をお送り致します。この湖は神奈川県の丹沢山系の水を集めた高原のダム湖です。静かな湖面にウグイスの声が美しく響きわたっていました。山々の新緑から薫風が吹いてきました。新緑の山と湖の風景写真をお楽しみ下さい。「新緑の山と湖の風景をお楽しみください」
2024/05/05 12:43
「2024年5月5日 復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真」
今日は復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真をお送り致します。「2024年5月5日復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真」
2024/05/05 11:12
「2024年5月5日 復活節第6主日のミサ動画配信」
2024年5月5日復活節第6主日のミサ動画配信です。カトリック葛西教会のミサ動画配信,のご案内です。今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=oW5kJwxQ8KQ1969.6.24松江教会献堂式初代主任司祭エドワード・グリフィン神父1979.6二代主任司祭ジョン・マカティ神父着任聖アウグスチノ・カトリック葛西教会東京都江戸川区中葛西1-10-15TEL:03-3689-0014東西線西葛西駅または葛西駅から(徒歩15~20分)「2024年5月5日復活節第6主日のミサ動画配信」
2024/05/05 09:32
「今日の散歩、武蔵野公園を通りすぎて野川公園まで」
今日の散歩は武蔵野公園を通りすぎて野川公園まで行って来ました。家から4Km弱くの野川公園まで電動車椅子に乗って行って来ました。とにかく新緑の美しさに魅了され夢心地でした。それにしても良い季節になったものです。1番目の写真は武蔵野公園です。続く写真はすべて野川公園です。「今日の散歩、武蔵野公園を通りすぎて野川公園まで」
2024/05/04 15:52
「宮戸島の大高森から見た懐かしい松島の絶景」
宮戸島には大高森という山があります。その頂上から見た松島はまさに絶景です。私も何度も登りました。その写真はインターネットからお借りしてお送り致します。4番目の写真は大高森へ登る坂道です。懐かしi坂道です。写真はインターネットからお借りしました。「宮戸島の大高森から見た懐かしい松島の絶景」
2024/05/04 10:39
「大多数の韓国人は日本人と違って宗教を堅く信じて」
韓国の少数民族を調べてみると朝鮮民族以外見つかりません。高句麗、百済、新羅の三国時代(4世紀中葉-676年)から朝鮮半島には朝鮮族だけでした。日本にはアイヌ民族や北方民族が住んでいましたが朝鮮民族以外は住んでいなかったのです。そこで朝鮮半島、特に韓国の宗教事情を調べてみました。日本の宗教事情とは大きく違ってます。大多数の韓国人は日本人と違って宗教を堅く信じているのです。韓国にはシャーマニズムから仏教、儒教、キリスト教、イスラム教まで様々な宗教が共存しています。2015年の統計によると、韓国の人口の44%が宗教を信じています。韓国人にとって根強い思想は仏教と儒教で、韓国の遺跡や文化財の半分以上が、仏教や儒教に関連しています。仏教は西暦372年に伝わり、全国に数万ヶ所の寺があります。儒教は朝鮮時代(1392~...「大多数の韓国人は日本人と違って宗教を堅く信じて」
2024/05/03 16:11
「春うらら、でも時々思い出す戦争のこと」
この季節は春うららです。良い季節です。そんな季節でも私は時々戦争のことを思い出します。一面に焼け野原になった仙台の風景を思い出します。79年前の8月15日は日本が無条件降伏しました。人にはそれぞれの思い出があります。私も時々終戦直後のことをいろいろ思い出します。私は男3人の兄弟の長男でした。その3人だけで宮城県北部の農村に疎開してました。7月10日の空襲で仙台が焼け野原になった後に疎開したのです。今でも時々自分が聞いた玉音放送を思い出します。真夏の太陽が照りつける田舎の国民学校の校庭で聞きました。雑音が大きくてよく聞き取れませんでしたが、敗戦を告げる昭和天皇の悲しそうな声が途切れ途切れに聞こえました。先生が敗戦だから今日は家に帰れと言います。田圃のあぜ道をつたい歩きしながら疎開先の農家に帰りました。その夜...「春うらら、でも時々思い出す戦争のこと」
2024/05/03 08:59
「今日の散歩、都立多摩墓地へ行く」
自宅から3Kmくらいの所に都立多摩墓地があります。広大で緑リの多い公園のような墓地です。散策に良い場所なのでち時々行きます。今日も晴天なので先程行って来ました。都立多摩墓地は新宿の西方約20kmの緑に囲まれた武蔵野の面影を残す霊園です。面積は128ヘクタールと都立霊園の中で最大の広さです。この霊園は海外の森林墓地を参考にして作られたわが国最初の公園墓地であります。各界の有名な人の墓も多いので訪れる人も多い霊園です。写真をインターンットからお借りしましてお送り致します。「今日の散歩、都立多摩墓地へ行く」
2024/05/02 15:31
「ブログを毎日書くのは過去の楽しかった日々を思い出すから」
ブログは2007年に書き始めました。それ以来17年間毎日書き続けました。17年間も毎日書き続け続けられたことに自分ながら驚いています。このように毎日書いている理由は過去の楽しかった日々を思い出すからです。例えば山林の中の小屋に来てくれた友人との楽しかった日々を思い出すからです。いつも妻が一緒でした。写真は私の小さな小屋です。山梨県の甲斐駒岳の麓の山林の中にあります。晩秋に撮ったので木々が紅葉しています。電気、ガス、水道の無い小屋でした。スウェーデンの学生さん達も来ました。楽しい思い出がたくさんある小屋です。写真の手前には一年中、水の涸れない小川が写っています。小川にはヤマメが棲んでいます。小川の水は小屋に泊まるときの生活用水です。飲み水は自宅から持って行きます。小屋の冬は非常に寒いのです。山林の中の小屋に...「ブログを毎日書くのは過去の楽しかった日々を思い出すから」
2024/05/02 10:28
「5月から初夏にかけて山野に咲く花々とその思い出」
今日は身近な庭や花園に無い花の話です。山や遠い海辺に咲いている花々の写真とそれらにまつわる思い出をお送り致します。1番目の写真は石楠花の写真です。写真の出典は、https://horti.jp/2152です。シャクナゲは山に咲いています。若いころ蔵王山に登った時に見ました。きつい登攀で疲れたとき一面に咲いている白い石楠花に会いました。その瞬間に疲れが消えてしまったことが忘れられません。この写真の石楠花は園芸種です。山に咲いているのは純白の美しい花です。2番目の写真は数年まえの5月に山梨県の上野原市の山奥で私が撮った朴(ホウ)の木の花です。朴の木は山奥に生えている大きな木です。大木の高い梢に咲くのでめったに見ることが出来ない珍しい花です。初夏に白い大き花を開き、芳しい香りを漂わせます。そして甲斐駒岳の麓にあ...「5月から初夏にかけて山野に咲く花々とその思い出」
2024/05/02 09:45
「少数民族のアーミッシュの人々の暮らしぶり」
少数民族と言えばアーミッシュの人々も少し変わった少数民族です。私が実際に見た少数民族です。総数は22万人だけです。自動車や電気・ガス・水道のような近代文明の利器を一切拒否して、牧畜と農業だけで完全な自給自足の生活をしているのです。彼等はアメリカのペンシルベニア州やオハイオ州の中西部やカナダ・オンタリオ州などの農村に住んでいるキリスト教の一派の人々です。その総数の約22万人は年々増加しているようです。増加の原因は多産にあると言われています。私は1990年の前後に2年間ほどオハイオ州に住んでいました。その時、同僚のアメリカ人がアーミッシュの生活は面白いから行って見なさいと盛んに勧めたのです。数回遊びに行きました。一度はアーミッシュの村のランプの宿に泊まる体験もしました。それでは写真に従って彼らの生活ぶりを見て...「少数民族のアーミッシュの人々の暮らしぶり」
2024/05/01 13:52
「水の中を泳ぐ鯉のぼり」
山口県防府市奈美の小野小学校近くの佐波川に行くと、たくさんの鯉のぼりが水の中を悠々と泳いでいるという全国的にも珍しい光景を楽しむことが出来ます。晴天の日が続いていれば流れる川の水がとっても綺麗で、川底まで透けて見えるほど。泳いでいるのが水の中というを忘れてしまいそうです。https://www.travel.co.jp/guide/article/17383/より。「水の中を泳ぐ鯉のぼり」
2024/05/01 11:39
2024年5月 (1件〜100件)
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