昔、南ドイツに住んでいたことがあります。スイスにはよく遊びに行きました。そしてアルプスの山々と花畑を眺めたmぽのです、アルプスの山々と花畑の写真をお送り致します。写真は、「スイスのアルプスの花畑の写真」を検索してインターンットからお借りしました。「スイスのアルプスの山々と花畑の写真」
花園の写真を撮って来ました。小金井公園まで行って来ました。花がいきよいよく咲いていました。春が真っ盛りです。「花園の写真を撮って来ました」
生涯、面白くてやめられない趣味があります。趣味にはいろいろありますが、私が続けてる趣味は少数民族の暮らし方を調べる趣味です。例えばアイヌや琉球人の歴史や暮らし方を調べます。中国の少数民族のことを調べます。そして日本人の歴史や現在の暮らし方と比較します。以前はアイヌや琉球人や他の少数民族に関する本を手当たり次第買って読んでいましたが、最近はインターネットを駆使して調べています。便利な世の中になったものです。この興味が尽きない趣味は若い頃読んだルース・ベネデクト著の「菊と刀――日本文化の型」によって始まったのです。火が付けられたのです。この趣味は一般にはつまらない趣味と思われるかも知れません。しかし私にとっては一生、興味が尽きない趣味なのです。私に元気と勇気も与えてくれる趣味なのです。今日は少数民族の暮らし方...「生涯続けた面白い趣味の話と台湾の少数民族」
何年も前のことですが、妻が吉野山の桜を見たいと言うので、はるばる訪れたことがあります。遠方の山の中に桜木が程良く散在し、満開になっているのです。険し過ぎない山並みの暗い色の樹々が白や薄紅色の桜の花を浮きたてています。その風景は華麗でもあり、心を雄大な気分にもさせてくれます。それ以来、東京の近隣の奥多摩や高尾山系の山々の桜を注意深く見るようになりました。そうしたら吉野山のように山林の中にソメイヨシノの木を植林して櫻花を楽しんでいる場所を数カ所見つけました。その場所は人の住む集落の傍です。ソメイヨシノは種からは育ちません。ですから野鳥が運んだ種で育った桜木ではないのです。里人が何十年もかけて苗木を植え、周囲の雑草を刈って育てたのです。その上、山の形や雑木林のたたずまいに調和するように配置して植えたのです。山里...「山に咲く桜を探して秘境、檜原村に分け入った思い出」
都立武蔵野公園を根気良く東へ行き、都立野川公園まで行って来ました。野川公園は遠いのでたまにしか行きません。今日は新緑が綺麗なので遠方まで行って来ました。爽快な気持ちになりました。写真は都立野川公園の西口付近の風景です。野川公園の東西を東八道路が横切り、その北側を野川が西から東に流れています。この公園には武蔵野の雑木林が多く残っています。「今日は都立野川公園まで行って来ました」
今年も庭の卯の花の咲く季節になりました。この花を見ると、卯の花の匂う垣根に…という歌を小声で唄います。良い季節です。『夏は来ぬ』卯の花の匂う垣根に時鳥(ホトトギス)早も来鳴きて忍音(しのびね)もらす夏は来ぬさみだれのそそぐ山田に早乙女が裳裾(もすそ)ぬらして玉苗(たまなえ)植うる夏は来ぬ『夏は来ぬ』は、作詞:佐佐木信綱、作曲:小山作之助により1896年に発表されました。「庭の卯の花の写真をお送り致します」
「今日の散歩、隣町の栗山公園と東小金井駅まで行って来ました」
今日は初夏の晴天の日のようでした。隣町まで足をのばし栗山公園と東小金井駅まで行って来ました。栗山公園と東小金井駅の写真です。「今日の散歩、隣町の栗山公園と東小金井駅まで行って来ました」
「今日の復活節第5主日のミサは広島市のカトリック幟町教会からの動画配信であずかりました」
カトリック幟町教会の今日の復活節第5主日のミサにあずかりました。カトリック幟町教会のミサの風景写真をお送り致します。「今日の復活節第5主日のミサは広島市のカトリック幟町教会からの動画配信であずかりました」
2024年4月28日復活節第5主日のミサ動画配信です。広島市のカトリック幟町教会のミサ動画配信,のご案内です。今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/@noborichoです。第1朗読使徒言行録9章26~31節第2朗読ヨハネの手紙一3章18~24節福音朗読ヨハネによる福音書15章1~8節添付の写真は広島市のカトリック幟町教会です。広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「2024年4月28日復活節第5主日のミサ動画配信」
北海道の東部の野付半島の近くにキラクという幻のまちがありました。それを説明した文章をご紹介致します。https://kai-hokkaido.com/feature_vol44_episode1/にあります。「幻のまちキラク」知床半島と根室半島のちょうど中間あたりに、地図上で見ると釣り針のような形をした全長28km、日本最大の砂嘴、野付半島がある。ドドワラ・ナラワラの特異な景観、水と緑と野生鳥獣、湾内に生息するホッカイシマエビの打瀬舟漁などの風景は多くの観光客を魅了している。今でこそ人けのない荒涼としたこの半島に、かつては人々の喧騒が存在したという言い伝えが残っている。昭和39(1964)年に北海道大学探検部が行った調査報告書によると、「地元の人々にキラク町と呼ばれている場所ある。キラクの由来は気が楽にな...「北海道にあった幻のまちキラク」
道東の知床半島は世界遺産に登録されている国立公園です。知床半島周辺の美しい風景は知床五湖、オシンコシンやカムイワッカの滝、夕陽の綺麗なプユニ岬、秘境感満載の羅臼湖などがあります。ここでは、イワウベツ川、知床五湖、オシンコシンの滝、羅臼湖・三の沼の順に写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.pixpot.net/al_lists/dview/117/hokkaido-spです。夏になると知床半島に美しい花々が咲きます。その写真もお送り致します。写真は「知床半島に咲く花々」を検索してインターネットにある写真をお借りしました。「世界遺産の知床半島周辺の美しい風景写真」
「覚えていらっしゃるでしょうか下村湖人の書いた『次郎物語』」
昔、下村湖人の書いた『次郎物語』読んで感動しました。しかし内容の具体的なことは忘れました。小金井市には下村湖人が『次郎物語』を執筆した家があります。市が「浴恩館」と名前をつけて保存し公開しています。その屋敷跡には巨木が茂り大きなツツジが綺麗な花を咲かせています。新宿から開館と同時に移植したツツジです。先程「浴恩館」とツツジと巨木の写真を撮って来ました。その写真をお送り致します。「覚えていらっしゃるでしょうか下村湖人の書いた『次郎物語』」
野付半島のトドワラに咲くハマナスと赤い実の写真をお送り致します。背景に16Km沖にある国後島が写っている写真もあります。写真は「野付半島に咲くハマナス」を検索してインターネットにある写真をお借りしました。「北海道の野付半島に咲くハマナスと赤い実の写真」
小金井公園は広々した芝生だけでなく巨木の森もあります。今日は森の中に入り、美しい新緑の木立の風景の写真を撮りました。「美しい新緑の木立の風景の写真を撮りに行った」
年年歳歳ナンジャモンジャの並木が花を咲かせます。近所の並木道です。今年も見事に咲いたので先程撮って来ました。その写真をお送り致します。「今年もナンジャモンジャの並木が咲きました」
お稲荷さんと親しまれている稲荷神社は全国の津々浦々にあります。庶民が信仰し日本人の日々の心の支えになっています。家々の屋敷の中の小さな祠のお稲荷さんから壮大な稲荷神社までいろいろな規模のものが無数にあります。今日はまず私が撮ったお稲荷さんの写真をご覧下さい。1番目の写真は近所の江戸時代からの大久保家のお稲荷さんです。屋敷稲荷を道路に出して皆がお祈り出来るようにしています。2番目の写真は小金井街道に面した大松の下の稲荷神社です。3番目の写真は小金井市で一番大きな八重垣稲荷神社です。元禄13年に渡辺家の邸内に建てられました。渡辺家は代々神官の家だったので祠ではなく神社のような構造になっています。訪ねてみると樹々が鬱蒼と生い茂り何故か怖いような、そして神秘的なお稲荷さんです。渡辺家の家屋敷は無くなっていて八重垣...「日本人の心の支えとしてのお稲荷さん信仰」
都会に生まれ育った人でも故郷というものに憧れを持っています。そうして農村風景をあたかも自分の故郷の心象風景として心の底に大切に持っています。そうでない人もいますが、多くの日本人は故郷の心象風景を持っているのです。私の農村の風景に憧れています。それは美しい日本の原風景です。今日はそんな故郷の心象風景にピッタリの宮崎県の椎葉村をご紹介いたします。家屋が美しいので国の重要文化財に指定されています。椎葉村は険しい山地で急な斜面に点々と集落が存在しています。椎葉村は壇ノ浦の戦いで滅亡した平氏の残党が落ち延びた場所なのです。1191年(建久2年)、追討のため那須大八郎宗久が襲って来ますが、平氏に再挙の見込み無しと見て追討を取り止め引き揚げます。那須大八郎宗久が椎葉に滞在中に侍女の鶴富が娘を生みます。この娘に後に婿を娶...「日本人の魂を揺さぶる椎葉村の風景」
ライラックの花の写真です。写真の出典は、https://www.accespourtous.org/hanakotoba/h048.htmlです。「ライラックの花の写真」
気温が高くなって花々もいきいきとなってきました。「小金井公園の花々もいきいきと咲いています」
私は50歳の時に趣味として霞ヶ浦でヨットを始めました。今日はそんなヨットの趣味の写真をご紹介いたします。1番目の写真は「あけび号」の姿です。50歳の頃琵琶湖から霞ヶ浦へ陸送して来た中古のYAMAHA19です。10年間乗りました。長い舵とヤマハ5馬力の船外機がついています。2番目の写真はYAMAHA19を陸揚げした姿です。ヨットの構造で一番重要なのは船底から下へ伸びているキールです。厚い鉄製で船体の重さの40%位もあります。これで船は疾走中に横倒しになるのを防いでいます。3番目の写真は60歳の頃買った長さ26フィートのルナ3世です。長さのわりに大きなキャビンがついていて炊事用の2口コンロ、調理台、流しがついていました。霞ヶ浦であるお医者から中古を買いました。このヨットには75歳まで乗りました。4番目の写真は...「霞ヶ浦と私のヨットの写真」
ヨットの趣味は50歳の頃から始めました。大学時代の友人の星野君がすすめてくれたのです。彼は猪苗代湖で大型ヨットのクルーザーに乗っていました。私も中古のクルーザーを買い霞ヶ浦で乗り始めました。その頃、星野君が横浜に係留展示してある帆船日本丸をよく見学して帆走の勉強をしろと言ったのです。以下は今は亡き星野君が教えてくれた帆船日本丸の訪問記です。星野君に感謝しながら書きました。横浜の「みなと未来」に係留し一般公開している大型帆船日本丸は現役の帆船です。今でもたまに東京湾に出て帆走しています。以前何度か訪れて撮った写真でこの帆船をご紹介します。帆船日本丸は、姉妹船海王丸とともに昭和3年の第55帝国議会で予算案が可決し、英国のリース市のラメージ&ファーガソン社へ発注されました。ラメージ&ファーガソン社は設計と鋼材の...「今は亡き星野君が教えてくれた帆船日本丸のこと」
私は昭和11年に生まれ24歳まで仙台の向山に住んでいました。向山には三つのお寺があります。長徳寺、大満寺、大年寺です。懐かしいので長徳寺、大満寺、大年寺の写真を示します。1番目の写真は向山から見下ろした仙台市の中心街です。2番目の写真は長徳寺の門です。3番目の写真は長徳寺の本堂です。4番目の写真は大満寺です。5番目の写真は大満寺の虚空蔵堂です。6番目の写真は大年寺です。「懐かしい仙台市の長徳寺、大満寺、大年寺の写真」
先程、小金井小次郎の墓の写真を撮って来ました。小次郎は我が町、小金井市でただ一人の有名人です。まずお墓のある西念寺の写真です。1番目の写真は小金井市にある西念寺です。小金井市には昔、小金井小次郎という侠客がいました。武蔵と相模にわたる縄張りに数千人の子分を擁していたのです。2番目の写真は小金井次郎の記念碑です。西念寺にあります。3番目の写真は小金井次郎の記念碑の角石に刻まれた組代々の総長の名前です。小金井小次郎(1818~1881年)は幕末・明治の俠客でした。武蔵小金井の名主、関勘右衛門の次男でした。明治に刊行された戯作「落花清風慶応水滸伝」で有名になった俠客です。小次郎は、博打で三宅島流しになり、明治のご赦免で帰還します。しかし三宅島の貧乏な人々に同情し、有志を集め再度三宅島に渡り井戸を掘ったり農業や牧...「我が町でただ一人の有名人の小金井小次郎の墓と俠客の世界」
老境に至って自分の人生を振り返ると、外国への留学で深い影響を受けたことをつくずく思います。以前に「若い時のアメリカ留学で私の受けた影響」という記事を書きました。留学のおかげで私はアメリカが大好きになりました。アメリカ留学は24歳から26歳まででしたが、34歳のときドイツに留学し、今度はドイツにも魅了されました。外国に住むと、その国が好きになってしまうのです。今日はドイツでどのような影響を受けたか二つほど書いてみます。まず初めに私が3ケ月住んでドイツ語を集中的に勉強したローテンブルグの風景写真と隣町のバンベルグのをご紹介しましょう。1番目の写真はローテンブルグの夜の風景です。写真の出典は、https://beautiful-photo.net/medieval-town-of-rothenburg-ob-…...「ドイツ留学で受けた影響」
日本は1945年8月15日に米英連合軍に無条件降伏をしました。日本の津々浦々は米英連合軍に占領されます。日本の歴史開闢以来の出来事です。この破滅を招いたものの一つは日独伊三国同盟でした。今日は日本の破滅へ導いた日独伊三国同盟が結ばれた歴史を簡略に書いてみたいと思います。日独伊三国同盟は、1940年(昭和15年)9月27日にベルリンの総統官邸で調印された日本、ドイツ、イタリアの軍事同盟です。日独伊三国間条約の始まりは1936年(昭和11年)の日独防共協定でした。続いて1937年(昭和12年)には日独伊防共協定が出来ました。三国の協力関係が具体的に明記され、アジアにおける日本の指導的地位及びヨーロッパにおける独伊の指導的地位の相互確認をしたのです。これで調印国いずれか1か国が他国から攻撃を受けた場合に相互に援...「日本の破滅へ導いた日独伊三国同盟」
「今日の復活節第4主日のミサはイグナチオ教会からの動画配信であずかりました」
イグナチオ教会の今日の復活節第4主日のミサにあずかりました。イグナチオ教会のミサの風景写真をお送り致します。「今日の復活節第4主日のミサはイグナチオ教会からの動画配信であずかりました」
2024年4月21日復活節第4主日のミサ動画配信,のご案内です。今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=Ozkbr1RTngYです。司式はデニ神父です。「2024年4月21日復活節第4主日のミサ動画配信,」
小金井公園には長い藤棚があります。藤の花が咲くと毎年写真を撮りに行く藤棚です。先ほど今年の藤の花の写真を撮って来ました。美しい藤の花をご覧ください。「藤の花が今年も華麗に咲きました」
昨日の記事は、「私の人生の一番大きな出来事はオハイオ留学だった!」というものでした。しかし考えてみると人生での大きな出来事は他にもいろいろあります。今日は、「私の人生の一番大きな出来事は結婚だった!」という記事を書きたいと思います。しかし差し障りがある書きにくい話題です。あまり深刻に考えないで軽い気持ちで書きながします。私は見合い結婚をしました。幸運にもいろいろな点で良い女性と一緒になりました。優しくて賢い女性です。しかし女としてのあまり尊敬出来ない特徴も持っています。このように抽象的に書くと何や何だか分かりません。そこで具体的に書きます。妻は戦前に鎌倉で生まれ鎌倉の幼稚園と小学校に行きました。群馬県の下仁田に疎開しその後は東京に戻り青山短期大学と国学院大学を卒業しました。日本文学をよく知っており特に源氏...「私の人生の一番大きな出来事は結婚だった!」
久しぶりにウグイスの鳴声を聞きながら散歩をしました。以前は自宅の庭木によく来て鳴いていたものです。家々が立て込んでから来なくなりました。本物の春に遭ったような気分になりました。「ウグイスが鳴く武蔵野公園まで散歩」
オハイオ州には通算、4年間住んでいました。懐かしい州なのでその州花の真紅のカーネーションの写真をお送りいたします。他の色のカーネーションの写真も添えました。写真は「カーネーションの花の写真」を検索して、インターネットの写真から綺麗な写真を選びました。「オハイオ州の州花は真紅のカーネーション」
老人ボケになると同じことを繰り返し書きます。今日も同じことを書きます。我が人生の一番大きな出来事を考えてみますとやはりオハイオへの留学だったと思います。若かった私は「青雲の志を抱いて郷関をいづる」の文字通うりアメリカのオハイオ州立大学へ留学したのです。まだ戦後の貧しさのあった1960年でした。オハイオで迎えてくれたのがセント・ピエール教授でした。1番目の写真の右がセント・ピエール教授です。オハイオ州立大学での勉強は想像以上に厳しいものでした。それでも1962年の8月には、DoctorofPhilosophy、博士の学位記を手にすることが出来たのです。「青雲の志を抱いて郷関を出づる」は高校の漢文の時間に習いました。漢文の先生は情熱的にいろいろな漢詩を朗読しながら教えてくれたのです。若い私はこの言葉を人生の道...「私の人生の一番大きな出来事ははオハイオ留学だった!」
今日は曇り日です。午後の散歩として小金井公園まで行って来ました。公園には人陰も無く静かです。良い気分で散策しました。今日の小金井公園の風景写真をお送り致します。「今日の小金井公園の風景」
プロが撮った美しい西伊豆の風景写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.jalan.net/kankou/210000/211400/g1_22/です。1番目の写真は御浜岬です。戸田港口を弓形に海に突き出した半島で、松やイヌマキが繁茂しています。又花は6月スカシユリ、7・8月ハマユウ、10月ツワブキが群生し開花します。2番目の写真は浮島海岸です。砂浜半分・磯半分で波は多少荒いが磯遊びによく、景観に優れています。2018年4月に世界認定された伊豆半島ジオパークならではの自然の造形を見ることがでます。真ん中に穴が開いている海に突き出した岩を三ツ足と呼んでいます。3番目の写真は大浜海水浴場(静岡県西伊豆町)です。西伊豆の中でも、比較的ゆったりと楽しめる海水浴場です。浜辺で混み合うこともなく、約...「美しい西伊豆の風景写真」
「伊豆半島の最南端の「ヒリゾ浜」と西伊豆の「堂ヶ島天窓洞」の絶景」
伊豆半島の2ケ所の絶景写真をお送り致します。1番目の写真は伊豆の最南端にある「ヒリゾ浜」です。南国のリゾート地のような美しい海岸です。あたりは国立公園で手つかずの自然がたくさん残っています。2番目の写真は西伊豆町にある「堂ヶ島天窓洞」です。国の天然記念物に指定されています。「青の洞窟」としても有名で、神秘的な洞窟内を探索できる「洞くつめぐり遊覧船」の体験がおすすめです。「伊豆半島の最南端の「ヒリゾ浜」と西伊豆の「堂ヶ島天窓洞」の絶景」
新緑が美しい季節になりました。遅咲きの桜も競演です。今日の午後小金井公園で撮った写真です。「新緑と遅咲きの桜の競演」
雲の姿がドラマチックなので、空が広く見える小金井公園まで行って雲の写真を撮って来ました。「なにやらドラマチックな雲の姿の写真を撮りに行った」
仙台からよく見える山です。標高1,175メートルcです。これまで何度か爆発を繰り返したと火山です。溢れ出た溶岩流が南側の山腹に三つの段丘を作っています。私も中学時代に登りました。汗をかき苦しい登山でした。しかし頂上からの眺めは雄大で、仙台市街、から仙台湾の海まで見渡せました。「懐かしい仙台の山、泉ケ岳」
名門小金井カントリークラブの写真を撮りに行って来ました。小金井カントリークラブは1937年に高石真五郎氏が初代理事長に就任し開場しました。戦前から東京の上流階級の人がプレイした名門ゴルフ場です。先程行って写真を撮って来ました。広々して気持ちの良い場所です。「名門小金井カントリークラブの写真を撮りに行った」
「大友君や星野君とヨットに乗った懐かしい葉山マリーナの写真」
大友君や星野君とヨットに乗った懐かしい葉山マリーナの写真をお送り致します。私は38年前の50歳の時、趣味としてヨットを始めました。始めは江の島のヨットスクールと葉山マリーナでデンギィの操船方法を1年間ほど習いました。その後、故人になってしま大友君や星野君とよく葉山の海でヨットに乗ったものです。懐かしい葉山マリーナの写真をお送り致します。「大友君や星野君とヨットに乗った懐かしい葉山マリーナの写真」
親友の大友君が働いていた石川島播磨重工の写真です。1番目の写真は大友君が作っていたジェットエンジンです。2番目の写真は石川島播磨重工の呉造船所の写真です。3番目の写真は石川島播磨重工の本社の写真です。「親友の大友君が働いていた石川島播磨重工の写真」
今日は東京のカトリック松原教会の動画配信であずかりました。カトリック松原教会の動画配信は、https://matsubara-cath.chu.jp/ja/です。カトリック松原教会の住所などは下記の通りです。〒156-0043東京都世田谷区松原2丁目28番5号TEL.03-3321-0941FAX.03-3321-0009京王線・井の頭線「明大前」駅下車徒歩4分です。ミサの式次第、開祭司祭:父と子と聖霊のみ名によって。会衆:アーメン。回心の祈り、栄光の賛歌、ことばの典礼、感謝の典礼、奉献文、感謝の賛歌、閉祭添付の写真はカトリック松原教会の今日のミサの風景です。「東京のカトリック松原教会の今日のミサの動画配信」
小金井公園の一画に「江戸東京たてもの園」があります。そこにある江戸時代の3県軒の農家の写真を撮りに行って来ました。「江戸時代の農家の写真を撮りに行った」
以下はゴルバチョフ元ソ連大統領の死亡記事です。2022年8月31日、ByReuters[モスクワ30日ロイター]-東西冷戦の終結をもたらしたゴルバチョフ元ソ連大統領が30日、死去した。91歳だった。モスクワの病院関係者が明らかにした。ゴルバチョフ氏は1985年に54歳でソ連共産党書記長に就任。「ペレストロイカ(改革)」や「グラスノスチ(情報公開)」政策でソ連の政治、経済の改革を断行した。米国と軍縮合意を結んだほか、第2次世界大戦後に欧州を分断していた「鉄のカーテン」を開放し東西ドイツ統合を実現するため、西側とのパートナーシップを構築。90年にノーベル平和賞を受賞した。ただ、グラスノスチ政策で以前は考えられなかった党や国家に対する批判が可能になったと同時に、ソ連内の民族主義を刺激。ラトビア、リトアニア、エス...「ゴルバチョフ元ソ連大統領は2022年に死す」
春爛漫の日々が続きます。良い季節になりました。しかしウクライナでは悲惨な戦乱が起きています。何故人間は戦争をするのでしょうか。ウクライナでの戦争を考えざるを得ません。少し考えてみました。ウクライナの戦乱を歴史的に考えてみます。ロシアが悪いと非難すべきは明白です。しかし歴史的かつ客観的に考えると別な理解が出てきます。ウクライナの戦乱は旧ソ連の内戦です。旧ソ連の中枢を担ったウクライナとロシア・ベラルーシが対立し戦争になったのです。1991年に旧ソ連が崩壊します。ロシア・ベラルーシは共産主義体制のままですがウクライナは資本主義の国家になってしまったのです。旧ソ連時代にロシアの親友だったウクライナがロシアを裏切ったのです。当然ロシアは怒り心頭です。恥じも外聞のなくウクライナへ軍事侵攻したのです。この経緯を見ると現...「春爛漫の日々に思う悲惨なウクライナの戦乱」
春爛漫の日々が続きます。良い季節になりました。何故か心がうきうきします。こんな朝は花を描いた名画を眺めると良いと思います。花を描い美しい絵の写真をお送りいたします。1番目の写真はルドンの「野の花」です。1840年、フランス出身の象徴主義オディロン・ルドンの作です。2番目の写真はルノワールの「花瓶の花」です。3番目の写真はセザンヌ作の「花と果物のある静物」です。4番目の写真はゴッホの「青い花瓶の花」です。今朝は花を描い美しい絵の写真をお送りいたしました。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)「春爛漫の日々、花を描いた名画を楽しもう」
武蔵野公園へ行く道は野川に沿って下って行きます。その道沿いのシダレザクラが華麗に咲いていました。桜は種類によって満開になる時期が違うので3月中旬から4月中旬まで楽しめます。今日のシダレザクラが今年の最後になるのでしょうか。今日のシダレザクラの写真をお送り致します。「今日は武蔵野公園まで散歩しました」
今日は巨木の森の中を散歩してきました。森の中にひっそりと花が咲いていました。「今日の小金井公園の午後の散歩」
国立の桜並木を眺めてピエトロで昼食をして来ました。葉桜の並木も良いものです。国立の桜並木を通ってイタリアンレストランのピエトロで昼食です。息子が運転して家内と3人でパスタの食事をしました。息子は孝行息子になりました。「国立の桜並木とピエトロで昼食」
「東京の世田谷城、八王子城、片倉城、渋谷城、江戸城、そして仙台城の石組の写真」
鎌倉時代の後は室町時代と言います。しかし室町幕府の力が弱く、その権力は遠い関東には届きませんでした。関東地方は鎌倉時代の直後からいきなり戦乱の続く戦国時代に突入したのです。その時代に関東地方では数多くの城や砦が作られたのです。現在の東京都にあった城や館は次の通りです。江戸城、御殿山城、荏原氏館、品川氏館、池上氏館、馬込城、赤堤砦、奥沢城、世田谷城、渋谷城、滝野川城、板橋城、志村城、石神井城、練馬城、深大寺城、立川氏館、平山氏館、小野路城、小山田城、八王子城、滝山城、片倉城、高月城、桧原城などなどです。東京都だけでこれだけあるのですから関東地方一円にはもっともっと数多くの城が存在していたのです。今日は世田谷城、八王子城、滝山城、片倉城、渋谷城、江戸城などの石組をご紹介したいと思います。そして我が故郷の仙台城...「東京の世田谷城、八王子城、片倉城、渋谷城、江戸城、そして仙台城の石組の写真」
サレジオ学院の聖堂のミサに通っていた時期がありました。懐かしいので時々散歩に行きます。先ほど行って写真を撮って来ました。「サレジオ学院の風景写真を撮りに行った」
東北地方の六大祭りを書くと次のようになります。青森県(青森ねぶた祭)七夕祭り灯篭流しが変形して出来たと言われる「青森ねぶた祭」。...秋田県(秋田竿燈まつり)真夏の病魔や邪気を取り払う“ねぶり流し行事”として、長い歴史を持つ「秋田竿燈まつり」。...岩手県(盛岡さんさ踊り)...山形県(山形花笠まつり)...宮城県(仙台七夕まつり)...福島県(福島わらじまつり)さて写真は「青森ねぶた祭」です。「東北地方の六大祭り」
昨日久しぶりに旧友、及川源悦郎さんから南部鉄器の会社の紹介のパンフレットが送って頂きました。及川源悦郎さんは大学の同級生でした。東北大学金属工学科を1958年に卒業後、家業である及源(オイゲン)鋳造に入社しました。第四代目社長になり、その後は会長として後進の指導に当たっていました。お子さんが社長を継いでいます。そこで頂いたパンフレットに出ていた「鹿踊り」の写真をお送りいたします。1番目の写真は南部地方の「鹿踊り」の写真です。そして及源(オイゲン)鋳造の鉄の鋳造製品の写真も示します。2番目の写真は鉄瓶です。下の写真は戦前の及源鋳造の店の前の写真です。3番目の写真は源鋳造の店の前の写真です。南部鋳鉄は11世紀に平泉に藤原3代が隆盛をきわめたおりに鋳物職人を近江(現在の滋賀県)から招いたことに始まりました。南部...「及源さんと南部鉄器のことなど」
午後から玉川上水の樹々の新緑の写真を撮り行にました。ついでに和食の店いろりの里の写真も撮りました。いろりの里は人生の節目、節目に使った懐かしい店です。そんな樹々の新緑と懐かしい料亭の写真をお送り致します。玉川上水は江戸初期に江戸へ生活用水を送るため、多摩川上流の羽村から取水し四ツ谷まで43Kmの堀を作ったものです。江戸幕府から委託され、1653年(承応2年)に工事を完成させた玉川兄弟の銅像は羽村の堰の岸辺に立っています。現在も樹々はよく手入れされ大きな樹々が繁っています。江戸時代の自然がそのまま残っているようです。その樹々の新緑がこの季節に美しいので何度も眺めに行きます。今日は近所の範囲の玉川上水の樹々の写真をお送り致します。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人...「玉川上水の樹々の新緑といろりの里」
陽春の季節になりました。いろいろな花々も一斉に咲き出し素晴らしい季節です。そして新緑が萌え出でて明るく輝いています。埼玉県に近い清瀬市の金山緑地公園の新緑です。以前に写真を撮りながら歩いていると、体中が新緑の色に染まるような感じがしました。若い葉の香りもします。爽快でした。写真をお楽しみ頂けたら嬉しいです。「水辺に輝く新緑の風景」
小金井公園で瑞々しい新緑の写真を撮って来ました。去年の4月下旬です。「小金井公園の瑞々しい新緑の写真を撮って来ました」
桜と菜の花の競演です。小金井公園の西の花園で桜と菜の花が競演していました。「桜と菜の花の競演」
今日の小金井公園の中央広場の桜です。もう散り始めました。桜の命は儚いです。こうして春も過ぎ行くのでしょうか。「今日の小金井公園の中央広場の桜」
円覚寺にはよく行きました。私が好きな鎌倉のお寺は円覚寺です。平和な雰囲気で境内がゆったりとしています。境内を散歩しながら鎌倉仏教のことを考えます。さっそくですが円私が好きな覚寺をご紹介します。円覚寺は鎌倉五山の第2の大きなお寺です。境内には総門、山門、仏殿、選仏場、方丈、国宝の舎利殿、12の塔頭(たっちゅう)など多くの建物があります。しかし今日は禅宗のお寺で重要な坐禅堂の選仏場の写真からご紹介いたします。1番目の写真は坐禅堂の選仏場の写真です。円覚寺は一般向けの座禅会や学生座禅会など毎日のように座禅会を開催していて誰でも気軽に座禅が組めます。2番目の写真は坐禅堂の内部の写真です。この坐禅堂は元禄12年(1699年)建立の茅葺き屋根の建物です。内部には写真にあるように薬師如来立像(南北朝時代)を安置していま...「私が好きな鎌倉の円覚寺の写真」
平林寺には武蔵野が広がっています。四季折々に散策が楽しいのですが紅葉の頃も素晴らしいのです。今は春ですが紅葉の平林寺の写真をお送り致します。私がよく散歩したお寺の一つに平林寺という禅宗の臨済宗のお寺があります。家内が撮ったお墓の写真を示します。5番目の写真は修行なかばにして死んでしまった禅僧のお墓です。このお寺は南北朝の頃に創建され江戸時代には川越城主の松平家のお寺として栄えました。ですから立派な松平家の代々のお墓が並んだ墓地もあります。そしてお寺の右奥には歴代住職のお墓が並んだ墓地もあります。しかしそれとは別にこのお寺で病没した禅僧たちのお墓が丁寧に保存されているのです。彼等の子孫は何処に行ったか分かりせん。無縁墓です。しかし現在でも線香を上げる台が新しく作ってあります。6番目の写真はおもに江戸時代の無...「今は春ですが紅葉の平林寺の写真をお送り致します」
小金井駅の北側の住宅地にある上の原公園の桜も見事に咲きました。「自宅に近い上の原公園の桜も見事です」
本物の春の陽気に誘われて武蔵野公園の桜花の写真を撮りに行って来ました。久しぶりに青空の写真が撮れました。「今日の都立武蔵野公園の桜花の写真」
今日はイグナチオ教会のミサのインターネットの動画配信とともに預かりました。祈りました。イグナチオ教会のミサの風景の写真をお送りいたします。「今日の四谷のイグナチオ教会のミサの風景です」
イグナチオ教会の今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=LoCtqZEz8y0です。通常のミサの式次第、開祭司祭:父と子と聖霊のみ名によって。会衆:アーメン。回心の祈り、栄光の賛歌、ことばの典礼、感謝の典礼、奉献文、感謝の賛歌、閉祭添付の写真はカトリック小金井教会の先週の復活祭のミサの風景です。「谷のイグナチオ教会の今日のミサの動画配信」
名勝小金井桜の起源は元文2年(1737年)江戸幕府の新田開発の一環として玉川上水の両岸に植樹されたヤマザクラの並木です。奈良県の吉野山と茨城県桜川から取り寄せたとされる由緒ある桜です。このヤマザクラの並木は、江戸時代から地元の農民たちにより守られてきましたが、幕府の代官たちも雑木の伐採や桜の苗木の補植を進めるなど、桜を守る努力を続けてきました。https://koganeizakura.com/4indexkoganeisakura.htmlをご覧下さい。1番目の写真は大正時代の小金井桜の花見です。玉川上水の土手でした。小金井公園は無かったのです。「小金井桜とは?」
小金井桜は江戸時代から有名な名勝でした。昔は小金井村の玉川上水の土手に植えてありました。戦後に小金井公園が都立公園として整備されると中央広場に数十本のソメイヨシノが植えられました。広い場所に数十本の桜花が満開になると多くのお客が来て広場を埋めつくします。先程行ってきましたら満開で、大勢の花見客でした。撮って来た写真をお送り致します。「名勝の小金井桜の数十本が遂に満開になりました」
今日の桜花の写真です。近所の公園に今日の桜花の写真を撮りに行きました。曇り日なので鮮明な写真ではありませんがお送りいたします。「今日の桜花」
吉野山の桜の風景です。写真の出典は、https://weathernews.jp/sakura/spot/346/です。「吉野山の桜の風景」
この写真はインターンットからお借りしました。https://hanami.walkerplus.com/detail/ar0313e60411/全国1300カ所の桜名所・お花見スポット情報を掲載。2024年の桜の見頃時期がわかる!開花情報を毎日更新でお届け。満開の桜を楽しもう「武蔵野公園の桜の開花状況の写真」
小金井公園の現在の桜の開花状況です。先程行ってきました。まだ満開ではなく8分咲きのようでした。あと2,3日で見事に満開になるでしょう。写真は、インターンットからお借りしました。https://weathernews.jp/sakura/spot/109/「小金井公園の現在の桜の開花状況」
パブロ・ルイス・ピカソは、1881年ましに、スペイン南部アンダルシア地方のマラガ市で生まれました。1973年南仏ニース近くにあるムージャンの自宅で肺水腫により死去。1899年、バルセロナに戻る。バルセロナにある「四匹の猫」というカフェに通い、芸術家たちと交わりながら絵を描く。簡素ではあるが、このときに自身初の個展を開催する。ラ・バングアルディア紙で好意的に批評され、ピカソに注目が集まり始めた。ピカソは非常に多作な作家であり、世界中の多くの美術館がピカソの作品を保有している。ピカソの名を冠する美術館だけでも、まず生まれ育ったスペインではバルセロナに1963年にピカソ美術館(バルセロナ)が開館し、2003年には遺族がピカソの出身地であるスペインのマラガにピカソ美術館(マラガ)を開館した。ピカソは1973年の死...「ピカソの抽象画」
寒い日が続いていますが日本の抽象画の岡本太郎の絵を見て元気になりましょう!写真の出典は、https://www.tokyoartbeat.com/.../exhibition-okamoto-taro...です。「日本の抽象画、岡本太郎の絵」
西洋の絵画に抽象画があります。その抽象画を見て楽しむためには抽象画のちょっとした歴史を知っておいたほうが良いと思います。今日は抽象画にてついて少し書きたいと思います。さて抽象画を最初に描いたのはカンディンスキーと言われています。ワシリー・カンディンスキー(1866年~1944年)は、ロシア出身の画家であり、美術理論家でした。https://www.musey.net/artist/80から抜粋致します。カンディンスキーはモンドリアンやマレーヴィチと共に、純粋抽象絵画の理論の創始者知られております。彼が書いた「芸術における精神的なもの」は代表的著作でした。カンディンスキーは1866年にモスクワで生まれ、オデッサで幼少期を過ごし、グレゴフ・オデッサ美術大学で美術を学びました。卒業後は、モスクワ大学に入学し、法...「抽象絵画を楽しむために知っておくと良いこと」
庭に咲く花の写真をお送り致します。春ですね。小さな庭にもいろいろな花が咲きだしました。「庭に咲く花の写真」
今日は、「甲州街道の日野宿の本陣と新選組のことなど」という記事を書きました。その続きとして新選組の成立のいきさつと明治維新後の日野宿について書きたいと思います。(1)新選組の成立のいきさつまず新選組が作られた様子を示す八坂神社の奉納額をご紹介します。面倒な話は止めて早速写真で説明を致します。1番目の写真は日野市の八坂神社の写真です。本殿は、寛政一二年(1800年)に完成したもので、江戸後期の典型的な社殿建築です。この本殿には、安政五年(1858年)に天然理心流近藤周助の門人達により奉納された額があり、欅板に大小二本の木刀が架けられています。ちなみに近藤周作は新選組の局長の近藤勇の養父であります。2番目の写真は八坂神社に現存している天然理心流の奉納額です。天然理心流近藤周助の門人25名の名前が明記してありま...「新選組の成立のいきさつと明治維新後の日野宿の発展」
今日は曇り日です。曇り日の桜も風情があります。先程散歩しながら撮ってきました。「今年の野川沿いの桜花」
『注文の多い料理店』宮沢賢治二人の若い紳士しんしが、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲てっぽうをかついで、白熊しろくまのような犬を二疋ひきつれて、だいぶ山奥やまおくの、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いいながら、あるいておりました。「ぜんたい、ここらの山は怪けしからんね。鳥も獣けものも一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ。」「鹿しかの黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞みまいもうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒たおれるだろうねえ。」それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。それに、あんまり山が物凄ものすごいので、その白熊...「宮沢賢治の『注文の多い料理店』」
三陸海岸の絶景の写真は下記に出ています。https://recotripp.com/area/district-23/small-1ここでは1枚だけを示します。「岩手の三陸海岸の絶景の写真」
北上川は岩手町の弓弭の泉(ゆはずのいずみ)に源を発し、盛岡市、花巻市、北上市、奥州市、一関市などを通って北から南へと水量豊かに滔々と流れる大きな川です。石巻市で太平洋へ流れています。その写真をインターネットからお借りお送りします。岩手の北上川をご紹介致しました。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)「滔々と流れる北上川」
「ブログリーダー」を活用して、後藤和弘のブログさんをフォローしませんか?
昔、南ドイツに住んでいたことがあります。スイスにはよく遊びに行きました。そしてアルプスの山々と花畑を眺めたmぽのです、アルプスの山々と花畑の写真をお送り致します。写真は、「スイスのアルプスの花畑の写真」を検索してインターンットからお借りしました。「スイスのアルプスの山々と花畑の写真」
蔵王山は奥羽山脈の中にあって宮城県と山形県の県境にあります。火山活動によって出来た山です。仙台で生まれ育った私は何度も蔵王山の樹氷の間でスキーをしたことがあります。当時は仙山線で山形駅に行き、そこからバスで高湯温泉(現在の蔵王温泉)に上がりました。高湯温泉からはスキーを履いてドッコ沼の山小屋に逗留するのです。ドッコ沼の上の懺悔坂から地蔵岳までが樹氷地帯なのです。地蔵からの帰りは急坂の懺悔坂は怖いので、なだらかな大平コースを下ります。夕日を浴びた茜色の樹氷の光景が今でも私の網膜に焼き付いています。あれから茫々60年以上も経ちました。毎年、懺悔坂の怖さと夕日の樹氷の姿を思い出します。今日は皆様に蔵王山の美しい樹氷の写真をお楽しみ頂きたいと思います。お送りする写真は「山形蔵王の樹氷写真集」、http://www...「我が青春の山、蔵王山の樹氷の写真」
南アルプスの主峰3つは北岳(富士山の次に高い3193M)、間ノ岳、農鳥岳(白峰三山)です。その前山は甲斐駒、地蔵、観音、薬師です。このうち離れている甲斐駒を除き、地蔵、観音、薬師を鳳凰三山と言います。学生時代、北の穂高、大キレット、槍、常念、と縦走し、南アルプスの甲斐駒、地蔵、観音、薬師に登りました。その後、仕事が忙しくなり、南アルプスの主峰連山(上写真)に登れなくなりました。年をとり体力が衰え、もう登れません。1番目の写真は地蔵、観音、薬師の鳳凰三山です。撮影場所:中央高速道路の釈迦堂サービスエイリア(下り)裏の階段より、西方角を撮る。2番目の写真は甲斐駒岳です。「南アルプスの鳳凰三山の写真」
夏になると若い頃の北アルプス縦走を思い出します。その北アルプス縦走の思い出を写真に従ってお送り致します。しかし私は当時写真機を持っていなかったので、インターネットからお借りしました。さて縦走は大糸線の穂高駅から中房温泉への登高から始まりました。そこに一泊して燕岳、大天井、西岳、槍の肩の小屋で一泊し、南岳、キレット渡り、北穂高、涸沢、横尾と歩いて上高地に降りて来ました。歩いた行程は全部で2泊3日の山歩きでした。毎日10時間ほど歩きました。写真で説明します。1番目の写真は中房温泉から1時間ほど登ると突然見える燕岳です。この地点から槍ヶ岳を遥かに見ながら縦走路を行くのです。2番目の写真は燕岳と大天井岳の間の尾根から見える槍ガ岳です。まだ遠方です。3番目の写真は大天井岳の肩を回りこみ近くなった槍ガ岳です。4番目の...「夏の北アルプス縦走の写真」
月日の流れは早いものです。私の青春は1960年代1970年代でした。今朝はその頃のことを思い出しています。谷川岳の一ノ倉沢の岩登りが若者の胸を熱くした時代でした。今日は1960年代1970年代のことを書きたいと思います。その頃は谷川岳が流行っていました。谷川岳の一ノ倉沢の岩肌を命がけで登っている人がいる一方、街には安保闘争のデモが渦巻いていました。デモは学生の情熱でした。若者が燃えていた時代でした。そんな時代の空気が懐かしいです。あの空気は二度と来ません。その頃、ある山の遭難記事を掲載しましたところその時代の空気をまざまざと思い出させるコメントを2人の方から頂きました。非常に活き活きした文章なのでそのまま転載致します。(1)すけろくさんから2018年10月06日に頂いたコメント若い頃は毎週のように谷川岳東...「懐かしい谷川岳がはやり安保闘争デモの時代」
外国の火祭りは聖ヨハネの前夜祭です。洗礼者ヨハネの誕生日とされる「聖ヨハネの日」に世界の各地でキリスト教徒が祝う火祭りです。キリスト教と関係ない各地の夏至祭と結びつき、火祭りとして祝われる例も多いようです。「外国の火祭り」
吉田の火祭りの写真と全国の火祭りの一覧表です。吉田の火祭り(鎮火祭)は北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の両社のお祭りで、毎年8月26日、27日に行われます。450年以上の歴史を持ち、日本3奇祭、日本10大火祭りにもなっております。全国の火祭りの一覧表オロチョンの火祭り-北海道網走市青森ねぶた-青森県青森市竿燈-秋田県秋田市松明あかし-福島県須賀川市大日向の火とぼし-群馬県南牧村愛宕社の火祭り-富山県魚津市、魚津神社滑川のネブタ流し-富山県滑川市向田の火祭り-石川県七尾市能登島、伊夜比咩神社鬼ヶ嶽火祭り-福井県越前市、大虫神社左義長まつり-福井県勝山市吉田の火祭-山梨県富士吉田市、北口本宮冨士浅間神社・諏訪神社(境内社)南部の火祭り-山梨県南巨摩郡南部町中里の火の花祭-東京都清瀬市中里、中里の富士塚秋葉の火ま...「吉田の火祭りの写真と全国の火祭りの一覧表」
北海道は空気が澄んでいるので花々が生き生きと咲いています。北海道の夏の花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://prezo.jp/column/2837です。1番目の写真は大通公園のライラックです。2番目の写真は網走郡大空町の芝桜公園です。3番目の写真は紋別郡遠軽町丸瀬布水谷町のまるせっぷ藤園です。4番目の写真は北海道のシンボルフラワーはハマナスです。「夏の北海道の生き生きとした花の写真」
山梨の甲斐駒の麓に小さな山の家を作りました。1974年に作りました。その小屋を中心としたて上高地や軽井沢や白馬などへ旅行を楽しみました。今日は白馬山麓の白馬東急ホテルと周囲の美しい風景をご紹介いたしたいと思います。1番目の写真は白馬東急ホテルです。後ろの山々は白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮華岳などです。2番目の写真はホテルの庭から見た客室です。3番目の写真は泊った客室の写真です。バルコニーに出て庭の向こうの山々を見ながらビールを何度も飲んだものです。家内の両親と一緒に泊ったこともありました。4番目の写真は八方尾根に上がるゴンドラです。このゴンドラの終点は標高が1400mと高く、その大きな展望台からは北に戸隠山や飯綱山まで見えます。5番目の写真はゴンドラの終点、標高1400mの展望台です。残雪に輝く白馬鑓...「白馬東急ホテルと周囲の美しい風景」
関東の山々ではとっくに散ってしまいましたが、白馬山の麓では大雪渓から下る水が冷温で、松川のそばだけ季節が遅れているようです。白馬山の麓に咲く小さな花の写真をお楽しみ下さい。・「白馬山の麓に咲く小さな花の写真」
以前によくドライブしていた頃は諏訪湖から登る白樺湖高原、車山高原、霧ケ峰高原へはよく行きました。風景が雄大で可憐な草花が咲いているのです。標高2000m位の高原の連なりには白いシシウド、ギボシ、青いツリガネニンジン、ピンクのヤナギラン、オレンジのキスゲ、オニユリ、そしてフジバカマ、アザミ、などなどの花の群れが咲いています。写真を撮っていると乾いた涼風が吹き渡り花々が揺れています。都会の暑さが嘘のようです。涼しい風をご想像されながら写真の花々をお楽しみ下さい。今日は2008年8月に撮影した写真をお送りいたします。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)「夏の白樺湖高原、車山高原、霧ケ峰高原の草花の群れ」
旧友の馬場駿さんから『岩礁』33号が送られてきました。詩や小説などの文芸作品がぎっしり詰まっています。数編読みました。完成度の高い作品です。馬場駿さんとは甲斐駒岳の麓の山林の中で知り合いました。情熱的な文学青年でした。その後『岩礁』を創刊し33号まで続けてきたのです。立派な人生です。文学のお好きな方へお勧めします。購入申し込みは;電話とFax共通で、0558-76-5582へ。会員は主に伊東市なので挿絵代わりの写真は伊東マリーナの風景写真をお送りいたします。「総合文芸誌、『岩礁』33号のご紹介」
小金井市にも夏祭りがあります。多くの家族連れがワイワイ楽しそうにしています。そして全国のは各地に賑やかな夏祭りがあります。末尾に全国のお祭りの8月の一覧表を示します。ご覧下さい。全国の8月の表ですから非常に数多くあります。私はその数の多さに吃驚しました。小金井市のような小さな納涼祭りはこの一覧表には入っていません。従って小さな夏祭りの数まで含めると全国には数百の夏祭りがあるのではないでしょうか?この数の多さは日本だけかも知れません。私は祭りに関しては素人ですが、欧米の祭りはそんなに数多くは無いように思っています。狭い経験ですが自分が住んだオハイオ州ではStateFair(州の農産物市場)という大規模なイベントが年に一回あり、それには数多くの出店や見世物小屋が並んで日本の夏祭りのようです。そして南ドイツでは...「全国の夏祭り一覧表と日本の祭り文化」
夏祭りの印象深い一つの例を示します。能登半島の津々浦々のキリコ祭りです。ご紹介致します。キリコ祭りは能登地方の住民にとって最も重要な祭りです。能登地方で生まれて東京や大阪などに出て行っている人たちが、自分の町でキリコ祭りがある時には戻ってきて、祭りに参加するのです。祖父母に孫たちを会わせ家族全員でキリコ祭りを楽しむのです。キリコは巨大な灯籠のことです。背が高い直方体で、前面中央部には漢字3文字で表した「キリコ吉祥文字」と呼ばれる地区ごとの願いや祈りを込めた文字が書かれています。写真に七尾市で行われる石崎奉燈祭(キリコ祭り)の様子を示します。写真は「七尾市、石崎奉燈祭の写真」を検索して鮮明な写真を選んで転載させて頂きました。若い人でも賢い人は祭りを大切にしています。重要だと思っています。老境に至って全国の地...「夏の風物詩、能登地方のキリコ祭り」
盆踊りの季節になりました。いろいろな盆踊りを思い出します。故郷の仙台の盆踊りや旅先の盆踊りを懐かしく思い出します。特に印象が深かったのは「郡上八幡の盆踊り」でした。今日は郡上市の盆踊りをご紹介いたいと思います。岐阜県の郡上市の「郡上八幡の盆踊り」を見ったのは15年ほど前でした。人がいっぱい楽し気に踊っている光景に圧倒されました。郡上の市役所の女性が駒下駄をカラカラと響かせて踊っています。観光客も加わって踊っています。賑やかで楽しい盆踊りです。木曽の谷間に盆踊りの唄が木霊しています。その上、踊りの振り付けが洒脱で軽妙です。曲も楽しいのです。例えば「春駒」という踊りはいかにも可憐で躍動感に満ちて居ます。ほかにも「ヤッチク」「げんげんばらばら」など歌詞も曲も面白いものです。郡上八幡に住んでいる人々の創意工夫が溢...「懐かしい郡上八幡の盆踊り」
中国の瀋陽訪問の直後の1981年に、東北工学院の金応培先生を東京の私の研究室へ招んだのです。一年間の研究留学です。金応培先生は中国東北地方に散在している朝鮮族自治区の出身の朝鮮族でした。日本の朝鮮併合のあと、彼の両親が朝鮮を脱出し中国の東北地区へ移住したのです。新しい農村に少し落ち着いたら、今度は満州帝国建国で再び悲劇が起きたのです。日本の武装開拓団が金さん一家の農地を強制的に安く買い上げたのです。戦後は暫くは旧満州の奥地に住んでいましたが、その後は瀋陽に引っ越しました。私が瀋陽の東北工学院を訪問したとき、金さんはその大学で助教授をしていました。私は金応培さんの案内で瀋陽市にあるカトリック教会のミサに出ました。金応培さんは瀋陽のいろいろな所へ私を観光に連れて行ってくれました。瀋陽は何と言っても、清朝の発祥...「中国の瀋陽の金応培先生の思い出」
筆者を1980年から何度も北京へ招待してくれたのは北京鋼鉄学院の周教授でありました。もう故人になってしまいましたが友情の深い、年上の男でした。1945年頃には既に天津の北洋大学の学生だったそうです。学生共産党員として天津を国民党の軍隊から解放する作戦へ参加し、解放後は天津市の行政に参加した時期もあったと話していました。善い共産党員の見本のような人で、何時も北京の貧しい人々への同情を話していました。よく私を庶民的な北京ダック専門店へ招待してくれました。そして北京ダックの美味しい店は少し汚くて、観光客の来ない所ですと教えてくれます。彼は北京鴨が自慢なのです。縦長の白い顔は眉が太く、昔の中国の大人の風貌です。いつも静かな微笑みを浮かべ、ゆっくりした英語で話し合いました。以下は1980年代の終わりころ、残留孤児が...「北京ダックと周栄章さんの思い出」
中国は古い歴史があります。しかも現在の中国は世界2位の経済大国なのです。その事実を以下に示します。世界の名目GDP(USドル)ランキングです。出典は、https://ecodb.net/ranking/imf_ngdpd.html#CNです。1位アメリカ29,184.90-北米2位中国18,748.01-アジア3位ドイツ4,658.53-ヨーロッパ4位日本4,026.21-アジア5位インド3,909.10-アジア6位イギリス3,644.64-ヨーロッパ7位フランス3,162.02-ヨーロッパ8位イタリア2,372.06-ヨーロッパ9位カナダ2,241.25+1北米10位ブラジル2,171.34-1中南米11位ロシア2,161.21-ヨーロッパ12位韓国1,869.71-アジア13位メキシコ1,852.72...「そして現在の中国は世界2位の経済大国になった」
西安の近くには紀元前246年に作られ始めた秦の始皇帝陵と兵馬俑があります。私は1982年に西安に泊り郊外の秦の始皇帝陵と兵馬俑を訪れ非常に感動しました。特に兵馬俑坑にある武人像の表情が千差万別で活き活きとしていることに感動したのです。始皇帝陵と兵馬俑の写真を示します。写真は「秦の始皇帝陵」と「兵馬俑」を検索して出て来た数多くの写真から鮮明な写真を選びました。1番目の写真は西安から約30Kmにある秦の始皇帝陵です。陵の小山にはわけなく登れました。頂上には幾つかの石像が祀られていました。眺めが良かったです。2番目の写真は始皇帝陵から1Kmはなれた兵馬俑坑です。巨大な覆いの屋根がかけてあります。武士俑は等身大の素焼きで8000体あるそうです。3番目の写真は軍馬と武人の像です。馬の手綱まで精巧に出来ています。4番...「秦の始皇帝陵と兵馬俑の写真」
近くに始皇帝陵墓と兵馬俑がある西安の風景写真をお送り致します。始皇帝陵墓と兵馬俑は西安の北東30kmの驪山北側にあります。以前に西安に旅して4番目の写真にある塔に登ったことを懐かしく思い出します。西安の風景写真と塔の写真をお送り致します。「近くに始皇帝陵墓と兵馬俑がある西安の風景を懐かしく思う」
白鳥は人に懐く野生の鳥のようです。今日は私自身が白鳥一家と仲良くなった不思議な体験をご紹介したいと思います。日本で見られる白鳥は冬になると遥々シベリアのアムール河の河口付近から飛んで来ます。しかし幾羽かの白鳥は日本に棲みついています。春になってもシベリアに飛んで行かないのです。私が霞ヶ浦でヨットをしていた頃、そこに棲みついている白鳥の4羽の一家と仲良くなったのです。それは不思議な体験でした。白鳥は霞ヶ浦だけでなく猪苗代湖や屈斜路湖など全国の湖や川に沢山来ます。白鳥のいる風景は日本の冬の風物詩です。さて仲良くなった4羽の一家は夏になってもシベリアに帰らないで霞ヶ浦に棲みついていたのです。当時私は土浦港にヨットを係留していました。その係留していた岸壁から湖沿いに600mほど歩いた芝生のところに2007年の春か...「白鳥は人に懐く、仲良くなった不思議な体験」
冬の日本の風物詩はシベリアから渡って来るハクチョウ、ツル、カモ、ガン、カモメなどの冬鳥が湖沼河川に群れ遊ぶ風景です。国境を自由に越えて、はるばる4000キロメートルくらいも飛んで来るそのロマンを感じ心が楽しくなります。私はカモメ類は漁港に棲んでいて冬になると内陸の湖や川に飛んでくると思っていました。しかし冬鳥、夏鳥、留鳥、漂鳥などの分類を調べてみると大部分のカモメ類は日本とシベリアの間を渡っている冬鳥なのです。毎年毎年、悪天候の中長距離を飛んで来ることを想像すると胸が締め付けられる感慨も覚えます。1番目の写真は霞ヶ浦の岸辺を飛んでいるカモメが群れです。私の車を覆うように沢山のカモメが舞っていました。2番目の写真もは霞ヶ浦の岸辺を飛んでいるカモメが群れです。岸辺の地面には鳩の大群がまかれた餌をしきりについば...「白鳥などの渡り鳥のロマン」
私たち日本人は豊かな野鳥たちに囲まれています。美しい野鳥たちに囲まれています。しかし毎日が忙しくて美しい野鳥たちに気がついていません。そこで今日は自然界に身を置いて美しい野鳥たちと一緒に遊んでみようと思いました。1番目の写真は自分で撮った写真です。霞ヶ浦の沖には無数の水鳥が列を作って遊んでいる光景です。春になるとアムール河のさらに北へ渡っていく白鳥やカモメやカモの群れです。私たちはこんなにも多くの野鳥たちに囲まれて住んでいるのです。多くの人々はこの豊かな自然に囲まれていることに気がついていません。しかしバードウオッチングを趣味にしている人々はこの豊かな野鳥の世界を楽しんでいるのです。その様子は、「日本野鳥の会」のHP(http://www.wbsj.org/about-us/summary/about/)...「豊かな野鳥たちに囲まれている日本人の幸せ」
私共は豊かな野生の鳥たちに囲まれて生活しています。渡り鳥もいますし棲み着いている留鳥もいます。日本を通過するだけの旅鳥もいます。間違って日本へやって来た迷鳥もいます。さらに渡り鳥の一部が日本に住み着いているものもいます。例えばコハクチョウは霞ヶ浦や牛久沼やあちこちの湖沼に少しずつ棲みついて日本で繁殖します。さて冬の日本で見られるオオワシは大変珍しい鳥なので少し調べてみました。日本最大の猛禽類で、1970年1月23日にオジロワシと同時期に天然記念物とされましたが今や絶滅危惧種に指定されています。(http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/bird-ohwashi_large.html)オオワシ(大鷲)は、タカ目タカ科ウミワシ属の鳥です。体は雌の方が大きいのです。全身黒褐色...「日本最大の猛禽類、天然記念物、絶滅危惧種オオワシの生態と写真」
鳥の世界は奥が深いようです。いろいろ調べてみると渡り鳥、旅鳥、漂鳥、留鳥そして迷鳥などという言葉が出て来て混乱します。しかしその違いを簡単に言ってしまうと以下のようになると思います。渡り鳥・・・日本を中心にしてシベリアや中国大陸北部へ渡る冬鳥と東南アジア各地に渡る夏鳥のことです。夏鳥主として繁殖のために日本より南の国から渡ってきて、夏を日本で過ごし、繁殖期が終わると再び越冬のために南の国に渡って行く鳥。ツバメ、アマサギ、オオルリ、キビタキ、クロツグミ、ハチクマ、サシバなど。2、冬鳥主として越冬のために日本より北の国から渡ってきて、冬を日本で過ごし、冬が終わると再び繁殖のために北の国に渡って行く鳥。ツグミ、ジョウビタキ、ユリカモメ、マガモ、オオハクチョウ、マナヅル、オオワシなど。旅鳥・・・シベリアや中国大陸...「渡り鳥、旅鳥、漂鳥、留鳥そして迷鳥・・・区別して考えて見る」
アジサイはドイツでも咲いています。アジサイはドイツ語でHortensie(ホルテンジエ)と言い、英語ではHydrangea(ハイドランジア)と言います。日本だけでなく欧州でも広く普及してます。いろいろな派生種があります。水が酸性かアルカリ性かによって、花の色が変わるのは、有名な話ですね。示した写真の出典は、https://minkara.carview.co.jp/userid/314846/blog/44079793/です。「アジサイはドイツでも咲いています」
アジサイの原産地は日本で、その元はガクアジサイです。アジサイは日本から中国にわたり、シルクロードを伝わってヨーロッパへと伝わっていき、イギリスなどで東洋の花として人気が出て、品種改良が進んだのです。写真はアジサイの原産地、日本のガクアジサイです。「アジサイの原産地は日本」
鎌倉は古都で魅力ある場所です。そのうえ家内が生まれ育った所なので何度も訪れました。アジサイが美しい古都です。鎌倉のアジサイの花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/amazing/ajisai-kamakuraです。写真は順に長寿寺、円覚寺、成就院、長谷寺のアジサイです。「鎌倉にはアジサイがあちこちに咲いている」
この季節はアジサイが静かに美しく咲ています。私の家の庭にも咲いています。梅雨が降りかかり一層あざやか色です。日本の梅雨の季節の美しい風物詩です。今日は美しいアジサイの写真をお送り致します。1番目の写真は美しい古刹として知られる鎌倉の長谷寺のアジサイです。写真の出典は、https://clubtravelerjapan.com/article/spot/9430/です。まったく余談ですが家内はこの近所で生まれ育ちました。2番目の写真は山里の梅雨の季節の霧の中のアジサイです。写真の出典は、https://ganref.jp/m/tkrphoto/portfolios/photo_detail/2156726です。3番目の写真は滋賀県長浜市のお寺の山門とアジサイです。出典は、https://www.excite...「日本の梅雨とアジサイの詩的な風景」
仙台で生まれ育ったので松島の瑞巌寺へは何度か行きました。松島の瑞巌寺は国宝で伊達家の菩提寺です。懐かしいので写真を示します。写真はインターネットからお借りしました。写真は順に、本堂、庫裏,総門、お寺の前の杉並木です。「平安時代に創建された松島の瑞巌寺の写真」
『人間国宝美術館』とは変な名前の美術館です。怪しい作品が展示してあるのではないかと恐る恐る訪れました。ところが重要無形文化財保持者(人間国宝)が創った絵画や焼き物の展示に感動しました。これらの美術品を蒐集した館主の山口伸廣さんの審美眼にと収集品の確かさに感動したのです。展示品の数も多く4階にわたる展示室も充分です。写真撮影が自由にできるのも嬉しいものです。最後に有名陶芸家の作品の中から自分の好きな茶碗を選んで、その茶碗で抹茶を楽しめるサービスに感心しました。心憎い気配りです。ホームページ(http://www.nikobi.com/cont/about.html#02)も良く出来ています。館長矢部良明さんの「ごあいさつ」をそのホームページから下に示します。「高級な美に触れて快い、時間を過ごすことは、多忙な...「箱根の麓の湯河原温泉にある「人間国宝美術館」のご紹介」
幕末から明治にかけての箱根の風景の写真をお送り致します。写真はインターンットからお借りしました。「幕末から明治にかけての箱根の風景」
箱根の芦ノ湖の風景の写真をお送り致します。芦ノ湖は奈川県南西部にある県内最大の湖です。水源の大部分が湖底からの湧き水です仙石原から流れ出る早川の水源です。写真の出典は、https://stock.adobe.com/jp/search?k=%E7%AE%B1%E6%A0%B9です。「箱根の芦ノ湖の風景」
箱根は昔から温泉として有名でした。江戸時代には関所が置かれていました。現在は車だけでなく小田急ロマンスカーや箱根登山電車などで気軽に行けます。私どもも何十回も訪れました。今日は私どもが撮った写真にしたがって箱根をご紹介したいと思います。1番目の写真は箱根観光の中心的な芦の湖です。奥に富士山が写っています。2番目の写真は旧東海道の杉並木です200m位よく保存されています。3番目の写真は復元されている江戸時代の箱根の関所です。4番目の写真は元箱根にある成川美術館です。日本画の収集が抜群でした。5番目の写真は芦の湖の畔に立つ「山のホテル」です。1963年に新婚の妻と一緒に泊まりました。当時は木造の小さなホテルでした。箱根へ行くと泊まる定宿のようなホテルでした。6番目の写真は強羅公園です。「山のホテル」の他に強羅...「魅力溢れる箱根を巡る旅」
美しい竹林の写真を撮りに行って来ました。小金井には規模が小さいながらも美しい竹林があります。武蔵野公園の近くです。先程その写真を撮って来ました。「美しい竹林の写真を撮りに行く」
鰻は美味しい魚なのでアジア諸国だけでなくイギリス、ベルギー、イタリア、オランダ、スウェーデン、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどではよく食べられています。昔ドイツに居た頃は生き鰻を売っていました。買って蒲焼きにしました。欧米人はウナギを燻製にして食べます。そして、ぶつ切りにしてスープにして食べます。蒲焼きは面倒なのでしません。欧米人がよく食べるウナギの燻製とウナギ入りのスープの写真をお送り致します。写真はインターンネットからお借りしました。「ドイツのウナギ料理の写真」
先程、駅前のウナギ専門店に行って撮ってきました。「ウナギの蒲焼きいろいろな写真」
今年の夏の土用の丑の日は2日あり、2024年7月24日(水)と8月5日(月)です。夏の土用の丑の日は立秋前に訪れ、毎年日付は変わります。季節の変わり目で体調を崩しやすい時期に、うなぎなど栄養のある食べ物を食べて英気を養いましょう。うなぎ以外にも、「うどん」「梅干し」「瓜科の野菜」「牛肉」など「う」のつく食べ物を食べて、健康を願いながら土用の丑の日を過ごします。土用丑の日にウナギを食べる習慣の発祥には江戸時代の平賀源内説や春木屋善兵衛説や蜀山人説があります。現在のように蒲焼にして食べる風習は江戸時代に広く普及したことには間違いありません。しかし夏痩せを防ぐためにウナギを食べる風習は万葉集の出来た時代にもあったのです。痩(や)す痩すも生けらばあらむを将(はた)やはた鰻(むなぎ)を漁(と)ると河に流れな大伴家持...「間もなく土用丑の日、ウナギも蒲焼きにまつわる話」
小金井の金蔵院の蓮の花は毎年必ず咲きます。先程今年の蓮の花の写真を撮ってきました。美しい色合いをお楽しみ下さい。「今年も咲きました蓮の花」
エドワード・モースは大森貝塚の発見で有名ですが、それ以上に日本の陶磁器の収集と民具や風景写真の収集でも偉大な功績を上げました。ボストンの近くのセイラムという港町に終生住んでいて、その町にあるピーボディー博物館に収集品を保存し、展示しました。彼の収集品には約130年前の日本の風景写真が数多く含まれています。その風景写真を編集して出版したのが小学館です。それは、「百年前の日本」(1983年11月25日初版発行)という写真集です。今日は、昔の箱根の風景、江の島の風景、そして農村の人々の写真を7枚お送りします。撮影時期は1980年(明治13年)から1990年(明治23年)頃と考えられています。1番目の写真は現在の関所跡から北方面へ伸びる町並の風景写真です。手前の左近辺には現在、遊覧船の桟橋があり車の駐車場が広がっ...「明治時代の箱根の風景、江の島の風景、そして農村」