「五月雨を集めてはやし最上川」は有名な芭蕉の句です。この俳句に誘われて私は2度の最上川を見に行きました。最上川は水量が多く滔々と流れていました。水量が多い急流です。・・・はやし最上川・・・ということを実感しました。最上川の写真をお送り致します。「五月雨を集めてはやし最上川」
花園の写真を撮って来ました。小金井公園まで行って来ました。花がいきよいよく咲いていました。春が真っ盛りです。「花園の写真を撮って来ました」
生涯、面白くてやめられない趣味があります。趣味にはいろいろありますが、私が続けてる趣味は少数民族の暮らし方を調べる趣味です。例えばアイヌや琉球人の歴史や暮らし方を調べます。中国の少数民族のことを調べます。そして日本人の歴史や現在の暮らし方と比較します。以前はアイヌや琉球人や他の少数民族に関する本を手当たり次第買って読んでいましたが、最近はインターネットを駆使して調べています。便利な世の中になったものです。この興味が尽きない趣味は若い頃読んだルース・ベネデクト著の「菊と刀――日本文化の型」によって始まったのです。火が付けられたのです。この趣味は一般にはつまらない趣味と思われるかも知れません。しかし私にとっては一生、興味が尽きない趣味なのです。私に元気と勇気も与えてくれる趣味なのです。今日は少数民族の暮らし方...「生涯続けた面白い趣味の話と台湾の少数民族」
何年も前のことですが、妻が吉野山の桜を見たいと言うので、はるばる訪れたことがあります。遠方の山の中に桜木が程良く散在し、満開になっているのです。険し過ぎない山並みの暗い色の樹々が白や薄紅色の桜の花を浮きたてています。その風景は華麗でもあり、心を雄大な気分にもさせてくれます。それ以来、東京の近隣の奥多摩や高尾山系の山々の桜を注意深く見るようになりました。そうしたら吉野山のように山林の中にソメイヨシノの木を植林して櫻花を楽しんでいる場所を数カ所見つけました。その場所は人の住む集落の傍です。ソメイヨシノは種からは育ちません。ですから野鳥が運んだ種で育った桜木ではないのです。里人が何十年もかけて苗木を植え、周囲の雑草を刈って育てたのです。その上、山の形や雑木林のたたずまいに調和するように配置して植えたのです。山里...「山に咲く桜を探して秘境、檜原村に分け入った思い出」
都立武蔵野公園を根気良く東へ行き、都立野川公園まで行って来ました。野川公園は遠いのでたまにしか行きません。今日は新緑が綺麗なので遠方まで行って来ました。爽快な気持ちになりました。写真は都立野川公園の西口付近の風景です。野川公園の東西を東八道路が横切り、その北側を野川が西から東に流れています。この公園には武蔵野の雑木林が多く残っています。「今日は都立野川公園まで行って来ました」
今年も庭の卯の花の咲く季節になりました。この花を見ると、卯の花の匂う垣根に…という歌を小声で唄います。良い季節です。『夏は来ぬ』卯の花の匂う垣根に時鳥(ホトトギス)早も来鳴きて忍音(しのびね)もらす夏は来ぬさみだれのそそぐ山田に早乙女が裳裾(もすそ)ぬらして玉苗(たまなえ)植うる夏は来ぬ『夏は来ぬ』は、作詞:佐佐木信綱、作曲:小山作之助により1896年に発表されました。「庭の卯の花の写真をお送り致します」
「今日の散歩、隣町の栗山公園と東小金井駅まで行って来ました」
今日は初夏の晴天の日のようでした。隣町まで足をのばし栗山公園と東小金井駅まで行って来ました。栗山公園と東小金井駅の写真です。「今日の散歩、隣町の栗山公園と東小金井駅まで行って来ました」
「今日の復活節第5主日のミサは広島市のカトリック幟町教会からの動画配信であずかりました」
カトリック幟町教会の今日の復活節第5主日のミサにあずかりました。カトリック幟町教会のミサの風景写真をお送り致します。「今日の復活節第5主日のミサは広島市のカトリック幟町教会からの動画配信であずかりました」
2024年4月28日復活節第5主日のミサ動画配信です。広島市のカトリック幟町教会のミサ動画配信,のご案内です。今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/@noborichoです。第1朗読使徒言行録9章26~31節第2朗読ヨハネの手紙一3章18~24節福音朗読ヨハネによる福音書15章1~8節添付の写真は広島市のカトリック幟町教会です。広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「2024年4月28日復活節第5主日のミサ動画配信」
北海道の東部の野付半島の近くにキラクという幻のまちがありました。それを説明した文章をご紹介致します。https://kai-hokkaido.com/feature_vol44_episode1/にあります。「幻のまちキラク」知床半島と根室半島のちょうど中間あたりに、地図上で見ると釣り針のような形をした全長28km、日本最大の砂嘴、野付半島がある。ドドワラ・ナラワラの特異な景観、水と緑と野生鳥獣、湾内に生息するホッカイシマエビの打瀬舟漁などの風景は多くの観光客を魅了している。今でこそ人けのない荒涼としたこの半島に、かつては人々の喧騒が存在したという言い伝えが残っている。昭和39(1964)年に北海道大学探検部が行った調査報告書によると、「地元の人々にキラク町と呼ばれている場所ある。キラクの由来は気が楽にな...「北海道にあった幻のまちキラク」
道東の知床半島は世界遺産に登録されている国立公園です。知床半島周辺の美しい風景は知床五湖、オシンコシンやカムイワッカの滝、夕陽の綺麗なプユニ岬、秘境感満載の羅臼湖などがあります。ここでは、イワウベツ川、知床五湖、オシンコシンの滝、羅臼湖・三の沼の順に写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.pixpot.net/al_lists/dview/117/hokkaido-spです。夏になると知床半島に美しい花々が咲きます。その写真もお送り致します。写真は「知床半島に咲く花々」を検索してインターネットにある写真をお借りしました。「世界遺産の知床半島周辺の美しい風景写真」
「覚えていらっしゃるでしょうか下村湖人の書いた『次郎物語』」
昔、下村湖人の書いた『次郎物語』読んで感動しました。しかし内容の具体的なことは忘れました。小金井市には下村湖人が『次郎物語』を執筆した家があります。市が「浴恩館」と名前をつけて保存し公開しています。その屋敷跡には巨木が茂り大きなツツジが綺麗な花を咲かせています。新宿から開館と同時に移植したツツジです。先程「浴恩館」とツツジと巨木の写真を撮って来ました。その写真をお送り致します。「覚えていらっしゃるでしょうか下村湖人の書いた『次郎物語』」
野付半島のトドワラに咲くハマナスと赤い実の写真をお送り致します。背景に16Km沖にある国後島が写っている写真もあります。写真は「野付半島に咲くハマナス」を検索してインターネットにある写真をお借りしました。「北海道の野付半島に咲くハマナスと赤い実の写真」
小金井公園は広々した芝生だけでなく巨木の森もあります。今日は森の中に入り、美しい新緑の木立の風景の写真を撮りました。「美しい新緑の木立の風景の写真を撮りに行った」
年年歳歳ナンジャモンジャの並木が花を咲かせます。近所の並木道です。今年も見事に咲いたので先程撮って来ました。その写真をお送り致します。「今年もナンジャモンジャの並木が咲きました」
お稲荷さんと親しまれている稲荷神社は全国の津々浦々にあります。庶民が信仰し日本人の日々の心の支えになっています。家々の屋敷の中の小さな祠のお稲荷さんから壮大な稲荷神社までいろいろな規模のものが無数にあります。今日はまず私が撮ったお稲荷さんの写真をご覧下さい。1番目の写真は近所の江戸時代からの大久保家のお稲荷さんです。屋敷稲荷を道路に出して皆がお祈り出来るようにしています。2番目の写真は小金井街道に面した大松の下の稲荷神社です。3番目の写真は小金井市で一番大きな八重垣稲荷神社です。元禄13年に渡辺家の邸内に建てられました。渡辺家は代々神官の家だったので祠ではなく神社のような構造になっています。訪ねてみると樹々が鬱蒼と生い茂り何故か怖いような、そして神秘的なお稲荷さんです。渡辺家の家屋敷は無くなっていて八重垣...「日本人の心の支えとしてのお稲荷さん信仰」
都会に生まれ育った人でも故郷というものに憧れを持っています。そうして農村風景をあたかも自分の故郷の心象風景として心の底に大切に持っています。そうでない人もいますが、多くの日本人は故郷の心象風景を持っているのです。私の農村の風景に憧れています。それは美しい日本の原風景です。今日はそんな故郷の心象風景にピッタリの宮崎県の椎葉村をご紹介いたします。家屋が美しいので国の重要文化財に指定されています。椎葉村は険しい山地で急な斜面に点々と集落が存在しています。椎葉村は壇ノ浦の戦いで滅亡した平氏の残党が落ち延びた場所なのです。1191年(建久2年)、追討のため那須大八郎宗久が襲って来ますが、平氏に再挙の見込み無しと見て追討を取り止め引き揚げます。那須大八郎宗久が椎葉に滞在中に侍女の鶴富が娘を生みます。この娘に後に婿を娶...「日本人の魂を揺さぶる椎葉村の風景」
ライラックの花の写真です。写真の出典は、https://www.accespourtous.org/hanakotoba/h048.htmlです。「ライラックの花の写真」
気温が高くなって花々もいきいきとなってきました。「小金井公園の花々もいきいきと咲いています」
私は50歳の時に趣味として霞ヶ浦でヨットを始めました。今日はそんなヨットの趣味の写真をご紹介いたします。1番目の写真は「あけび号」の姿です。50歳の頃琵琶湖から霞ヶ浦へ陸送して来た中古のYAMAHA19です。10年間乗りました。長い舵とヤマハ5馬力の船外機がついています。2番目の写真はYAMAHA19を陸揚げした姿です。ヨットの構造で一番重要なのは船底から下へ伸びているキールです。厚い鉄製で船体の重さの40%位もあります。これで船は疾走中に横倒しになるのを防いでいます。3番目の写真は60歳の頃買った長さ26フィートのルナ3世です。長さのわりに大きなキャビンがついていて炊事用の2口コンロ、調理台、流しがついていました。霞ヶ浦であるお医者から中古を買いました。このヨットには75歳まで乗りました。4番目の写真は...「霞ヶ浦と私のヨットの写真」
ヨットの趣味は50歳の頃から始めました。大学時代の友人の星野君がすすめてくれたのです。彼は猪苗代湖で大型ヨットのクルーザーに乗っていました。私も中古のクルーザーを買い霞ヶ浦で乗り始めました。その頃、星野君が横浜に係留展示してある帆船日本丸をよく見学して帆走の勉強をしろと言ったのです。以下は今は亡き星野君が教えてくれた帆船日本丸の訪問記です。星野君に感謝しながら書きました。横浜の「みなと未来」に係留し一般公開している大型帆船日本丸は現役の帆船です。今でもたまに東京湾に出て帆走しています。以前何度か訪れて撮った写真でこの帆船をご紹介します。帆船日本丸は、姉妹船海王丸とともに昭和3年の第55帝国議会で予算案が可決し、英国のリース市のラメージ&ファーガソン社へ発注されました。ラメージ&ファーガソン社は設計と鋼材の...「今は亡き星野君が教えてくれた帆船日本丸のこと」
私は昭和11年に生まれ24歳まで仙台の向山に住んでいました。向山には三つのお寺があります。長徳寺、大満寺、大年寺です。懐かしいので長徳寺、大満寺、大年寺の写真を示します。1番目の写真は向山から見下ろした仙台市の中心街です。2番目の写真は長徳寺の門です。3番目の写真は長徳寺の本堂です。4番目の写真は大満寺です。5番目の写真は大満寺の虚空蔵堂です。6番目の写真は大年寺です。「懐かしい仙台市の長徳寺、大満寺、大年寺の写真」
先程、小金井小次郎の墓の写真を撮って来ました。小次郎は我が町、小金井市でただ一人の有名人です。まずお墓のある西念寺の写真です。1番目の写真は小金井市にある西念寺です。小金井市には昔、小金井小次郎という侠客がいました。武蔵と相模にわたる縄張りに数千人の子分を擁していたのです。2番目の写真は小金井次郎の記念碑です。西念寺にあります。3番目の写真は小金井次郎の記念碑の角石に刻まれた組代々の総長の名前です。小金井小次郎(1818~1881年)は幕末・明治の俠客でした。武蔵小金井の名主、関勘右衛門の次男でした。明治に刊行された戯作「落花清風慶応水滸伝」で有名になった俠客です。小次郎は、博打で三宅島流しになり、明治のご赦免で帰還します。しかし三宅島の貧乏な人々に同情し、有志を集め再度三宅島に渡り井戸を掘ったり農業や牧...「我が町でただ一人の有名人の小金井小次郎の墓と俠客の世界」
老境に至って自分の人生を振り返ると、外国への留学で深い影響を受けたことをつくずく思います。以前に「若い時のアメリカ留学で私の受けた影響」という記事を書きました。留学のおかげで私はアメリカが大好きになりました。アメリカ留学は24歳から26歳まででしたが、34歳のときドイツに留学し、今度はドイツにも魅了されました。外国に住むと、その国が好きになってしまうのです。今日はドイツでどのような影響を受けたか二つほど書いてみます。まず初めに私が3ケ月住んでドイツ語を集中的に勉強したローテンブルグの風景写真と隣町のバンベルグのをご紹介しましょう。1番目の写真はローテンブルグの夜の風景です。写真の出典は、https://beautiful-photo.net/medieval-town-of-rothenburg-ob-…...「ドイツ留学で受けた影響」
日本は1945年8月15日に米英連合軍に無条件降伏をしました。日本の津々浦々は米英連合軍に占領されます。日本の歴史開闢以来の出来事です。この破滅を招いたものの一つは日独伊三国同盟でした。今日は日本の破滅へ導いた日独伊三国同盟が結ばれた歴史を簡略に書いてみたいと思います。日独伊三国同盟は、1940年(昭和15年)9月27日にベルリンの総統官邸で調印された日本、ドイツ、イタリアの軍事同盟です。日独伊三国間条約の始まりは1936年(昭和11年)の日独防共協定でした。続いて1937年(昭和12年)には日独伊防共協定が出来ました。三国の協力関係が具体的に明記され、アジアにおける日本の指導的地位及びヨーロッパにおける独伊の指導的地位の相互確認をしたのです。これで調印国いずれか1か国が他国から攻撃を受けた場合に相互に援...「日本の破滅へ導いた日独伊三国同盟」
「今日の復活節第4主日のミサはイグナチオ教会からの動画配信であずかりました」
イグナチオ教会の今日の復活節第4主日のミサにあずかりました。イグナチオ教会のミサの風景写真をお送り致します。「今日の復活節第4主日のミサはイグナチオ教会からの動画配信であずかりました」
2024年4月21日復活節第4主日のミサ動画配信,のご案内です。今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=Ozkbr1RTngYです。司式はデニ神父です。「2024年4月21日復活節第4主日のミサ動画配信,」
小金井公園には長い藤棚があります。藤の花が咲くと毎年写真を撮りに行く藤棚です。先ほど今年の藤の花の写真を撮って来ました。美しい藤の花をご覧ください。「藤の花が今年も華麗に咲きました」
昨日の記事は、「私の人生の一番大きな出来事はオハイオ留学だった!」というものでした。しかし考えてみると人生での大きな出来事は他にもいろいろあります。今日は、「私の人生の一番大きな出来事は結婚だった!」という記事を書きたいと思います。しかし差し障りがある書きにくい話題です。あまり深刻に考えないで軽い気持ちで書きながします。私は見合い結婚をしました。幸運にもいろいろな点で良い女性と一緒になりました。優しくて賢い女性です。しかし女としてのあまり尊敬出来ない特徴も持っています。このように抽象的に書くと何や何だか分かりません。そこで具体的に書きます。妻は戦前に鎌倉で生まれ鎌倉の幼稚園と小学校に行きました。群馬県の下仁田に疎開しその後は東京に戻り青山短期大学と国学院大学を卒業しました。日本文学をよく知っており特に源氏...「私の人生の一番大きな出来事は結婚だった!」
久しぶりにウグイスの鳴声を聞きながら散歩をしました。以前は自宅の庭木によく来て鳴いていたものです。家々が立て込んでから来なくなりました。本物の春に遭ったような気分になりました。「ウグイスが鳴く武蔵野公園まで散歩」
オハイオ州には通算、4年間住んでいました。懐かしい州なのでその州花の真紅のカーネーションの写真をお送りいたします。他の色のカーネーションの写真も添えました。写真は「カーネーションの花の写真」を検索して、インターネットの写真から綺麗な写真を選びました。「オハイオ州の州花は真紅のカーネーション」
老人ボケになると同じことを繰り返し書きます。今日も同じことを書きます。我が人生の一番大きな出来事を考えてみますとやはりオハイオへの留学だったと思います。若かった私は「青雲の志を抱いて郷関をいづる」の文字通うりアメリカのオハイオ州立大学へ留学したのです。まだ戦後の貧しさのあった1960年でした。オハイオで迎えてくれたのがセント・ピエール教授でした。1番目の写真の右がセント・ピエール教授です。オハイオ州立大学での勉強は想像以上に厳しいものでした。それでも1962年の8月には、DoctorofPhilosophy、博士の学位記を手にすることが出来たのです。「青雲の志を抱いて郷関を出づる」は高校の漢文の時間に習いました。漢文の先生は情熱的にいろいろな漢詩を朗読しながら教えてくれたのです。若い私はこの言葉を人生の道...「私の人生の一番大きな出来事ははオハイオ留学だった!」
今日は曇り日です。午後の散歩として小金井公園まで行って来ました。公園には人陰も無く静かです。良い気分で散策しました。今日の小金井公園の風景写真をお送り致します。「今日の小金井公園の風景」
プロが撮った美しい西伊豆の風景写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.jalan.net/kankou/210000/211400/g1_22/です。1番目の写真は御浜岬です。戸田港口を弓形に海に突き出した半島で、松やイヌマキが繁茂しています。又花は6月スカシユリ、7・8月ハマユウ、10月ツワブキが群生し開花します。2番目の写真は浮島海岸です。砂浜半分・磯半分で波は多少荒いが磯遊びによく、景観に優れています。2018年4月に世界認定された伊豆半島ジオパークならではの自然の造形を見ることがでます。真ん中に穴が開いている海に突き出した岩を三ツ足と呼んでいます。3番目の写真は大浜海水浴場(静岡県西伊豆町)です。西伊豆の中でも、比較的ゆったりと楽しめる海水浴場です。浜辺で混み合うこともなく、約...「美しい西伊豆の風景写真」
「伊豆半島の最南端の「ヒリゾ浜」と西伊豆の「堂ヶ島天窓洞」の絶景」
伊豆半島の2ケ所の絶景写真をお送り致します。1番目の写真は伊豆の最南端にある「ヒリゾ浜」です。南国のリゾート地のような美しい海岸です。あたりは国立公園で手つかずの自然がたくさん残っています。2番目の写真は西伊豆町にある「堂ヶ島天窓洞」です。国の天然記念物に指定されています。「青の洞窟」としても有名で、神秘的な洞窟内を探索できる「洞くつめぐり遊覧船」の体験がおすすめです。「伊豆半島の最南端の「ヒリゾ浜」と西伊豆の「堂ヶ島天窓洞」の絶景」
新緑が美しい季節になりました。遅咲きの桜も競演です。今日の午後小金井公園で撮った写真です。「新緑と遅咲きの桜の競演」
雲の姿がドラマチックなので、空が広く見える小金井公園まで行って雲の写真を撮って来ました。「なにやらドラマチックな雲の姿の写真を撮りに行った」
仙台からよく見える山です。標高1,175メートルcです。これまで何度か爆発を繰り返したと火山です。溢れ出た溶岩流が南側の山腹に三つの段丘を作っています。私も中学時代に登りました。汗をかき苦しい登山でした。しかし頂上からの眺めは雄大で、仙台市街、から仙台湾の海まで見渡せました。「懐かしい仙台の山、泉ケ岳」
名門小金井カントリークラブの写真を撮りに行って来ました。小金井カントリークラブは1937年に高石真五郎氏が初代理事長に就任し開場しました。戦前から東京の上流階級の人がプレイした名門ゴルフ場です。先程行って写真を撮って来ました。広々して気持ちの良い場所です。「名門小金井カントリークラブの写真を撮りに行った」
「大友君や星野君とヨットに乗った懐かしい葉山マリーナの写真」
大友君や星野君とヨットに乗った懐かしい葉山マリーナの写真をお送り致します。私は38年前の50歳の時、趣味としてヨットを始めました。始めは江の島のヨットスクールと葉山マリーナでデンギィの操船方法を1年間ほど習いました。その後、故人になってしま大友君や星野君とよく葉山の海でヨットに乗ったものです。懐かしい葉山マリーナの写真をお送り致します。「大友君や星野君とヨットに乗った懐かしい葉山マリーナの写真」
親友の大友君が働いていた石川島播磨重工の写真です。1番目の写真は大友君が作っていたジェットエンジンです。2番目の写真は石川島播磨重工の呉造船所の写真です。3番目の写真は石川島播磨重工の本社の写真です。「親友の大友君が働いていた石川島播磨重工の写真」
今日は東京のカトリック松原教会の動画配信であずかりました。カトリック松原教会の動画配信は、https://matsubara-cath.chu.jp/ja/です。カトリック松原教会の住所などは下記の通りです。〒156-0043東京都世田谷区松原2丁目28番5号TEL.03-3321-0941FAX.03-3321-0009京王線・井の頭線「明大前」駅下車徒歩4分です。ミサの式次第、開祭司祭:父と子と聖霊のみ名によって。会衆:アーメン。回心の祈り、栄光の賛歌、ことばの典礼、感謝の典礼、奉献文、感謝の賛歌、閉祭添付の写真はカトリック松原教会の今日のミサの風景です。「東京のカトリック松原教会の今日のミサの動画配信」
小金井公園の一画に「江戸東京たてもの園」があります。そこにある江戸時代の3県軒の農家の写真を撮りに行って来ました。「江戸時代の農家の写真を撮りに行った」
以下はゴルバチョフ元ソ連大統領の死亡記事です。2022年8月31日、ByReuters[モスクワ30日ロイター]-東西冷戦の終結をもたらしたゴルバチョフ元ソ連大統領が30日、死去した。91歳だった。モスクワの病院関係者が明らかにした。ゴルバチョフ氏は1985年に54歳でソ連共産党書記長に就任。「ペレストロイカ(改革)」や「グラスノスチ(情報公開)」政策でソ連の政治、経済の改革を断行した。米国と軍縮合意を結んだほか、第2次世界大戦後に欧州を分断していた「鉄のカーテン」を開放し東西ドイツ統合を実現するため、西側とのパートナーシップを構築。90年にノーベル平和賞を受賞した。ただ、グラスノスチ政策で以前は考えられなかった党や国家に対する批判が可能になったと同時に、ソ連内の民族主義を刺激。ラトビア、リトアニア、エス...「ゴルバチョフ元ソ連大統領は2022年に死す」
春爛漫の日々が続きます。良い季節になりました。しかしウクライナでは悲惨な戦乱が起きています。何故人間は戦争をするのでしょうか。ウクライナでの戦争を考えざるを得ません。少し考えてみました。ウクライナの戦乱を歴史的に考えてみます。ロシアが悪いと非難すべきは明白です。しかし歴史的かつ客観的に考えると別な理解が出てきます。ウクライナの戦乱は旧ソ連の内戦です。旧ソ連の中枢を担ったウクライナとロシア・ベラルーシが対立し戦争になったのです。1991年に旧ソ連が崩壊します。ロシア・ベラルーシは共産主義体制のままですがウクライナは資本主義の国家になってしまったのです。旧ソ連時代にロシアの親友だったウクライナがロシアを裏切ったのです。当然ロシアは怒り心頭です。恥じも外聞のなくウクライナへ軍事侵攻したのです。この経緯を見ると現...「春爛漫の日々に思う悲惨なウクライナの戦乱」
春爛漫の日々が続きます。良い季節になりました。何故か心がうきうきします。こんな朝は花を描いた名画を眺めると良いと思います。花を描い美しい絵の写真をお送りいたします。1番目の写真はルドンの「野の花」です。1840年、フランス出身の象徴主義オディロン・ルドンの作です。2番目の写真はルノワールの「花瓶の花」です。3番目の写真はセザンヌ作の「花と果物のある静物」です。4番目の写真はゴッホの「青い花瓶の花」です。今朝は花を描い美しい絵の写真をお送りいたしました。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)「春爛漫の日々、花を描いた名画を楽しもう」
武蔵野公園へ行く道は野川に沿って下って行きます。その道沿いのシダレザクラが華麗に咲いていました。桜は種類によって満開になる時期が違うので3月中旬から4月中旬まで楽しめます。今日のシダレザクラが今年の最後になるのでしょうか。今日のシダレザクラの写真をお送り致します。「今日は武蔵野公園まで散歩しました」
今日は巨木の森の中を散歩してきました。森の中にひっそりと花が咲いていました。「今日の小金井公園の午後の散歩」
国立の桜並木を眺めてピエトロで昼食をして来ました。葉桜の並木も良いものです。国立の桜並木を通ってイタリアンレストランのピエトロで昼食です。息子が運転して家内と3人でパスタの食事をしました。息子は孝行息子になりました。「国立の桜並木とピエトロで昼食」
「東京の世田谷城、八王子城、片倉城、渋谷城、江戸城、そして仙台城の石組の写真」
鎌倉時代の後は室町時代と言います。しかし室町幕府の力が弱く、その権力は遠い関東には届きませんでした。関東地方は鎌倉時代の直後からいきなり戦乱の続く戦国時代に突入したのです。その時代に関東地方では数多くの城や砦が作られたのです。現在の東京都にあった城や館は次の通りです。江戸城、御殿山城、荏原氏館、品川氏館、池上氏館、馬込城、赤堤砦、奥沢城、世田谷城、渋谷城、滝野川城、板橋城、志村城、石神井城、練馬城、深大寺城、立川氏館、平山氏館、小野路城、小山田城、八王子城、滝山城、片倉城、高月城、桧原城などなどです。東京都だけでこれだけあるのですから関東地方一円にはもっともっと数多くの城が存在していたのです。今日は世田谷城、八王子城、滝山城、片倉城、渋谷城、江戸城などの石組をご紹介したいと思います。そして我が故郷の仙台城...「東京の世田谷城、八王子城、片倉城、渋谷城、江戸城、そして仙台城の石組の写真」
サレジオ学院の聖堂のミサに通っていた時期がありました。懐かしいので時々散歩に行きます。先ほど行って写真を撮って来ました。「サレジオ学院の風景写真を撮りに行った」
東北地方の六大祭りを書くと次のようになります。青森県(青森ねぶた祭)七夕祭り灯篭流しが変形して出来たと言われる「青森ねぶた祭」。...秋田県(秋田竿燈まつり)真夏の病魔や邪気を取り払う“ねぶり流し行事”として、長い歴史を持つ「秋田竿燈まつり」。...岩手県(盛岡さんさ踊り)...山形県(山形花笠まつり)...宮城県(仙台七夕まつり)...福島県(福島わらじまつり)さて写真は「青森ねぶた祭」です。「東北地方の六大祭り」
昨日久しぶりに旧友、及川源悦郎さんから南部鉄器の会社の紹介のパンフレットが送って頂きました。及川源悦郎さんは大学の同級生でした。東北大学金属工学科を1958年に卒業後、家業である及源(オイゲン)鋳造に入社しました。第四代目社長になり、その後は会長として後進の指導に当たっていました。お子さんが社長を継いでいます。そこで頂いたパンフレットに出ていた「鹿踊り」の写真をお送りいたします。1番目の写真は南部地方の「鹿踊り」の写真です。そして及源(オイゲン)鋳造の鉄の鋳造製品の写真も示します。2番目の写真は鉄瓶です。下の写真は戦前の及源鋳造の店の前の写真です。3番目の写真は源鋳造の店の前の写真です。南部鋳鉄は11世紀に平泉に藤原3代が隆盛をきわめたおりに鋳物職人を近江(現在の滋賀県)から招いたことに始まりました。南部...「及源さんと南部鉄器のことなど」
午後から玉川上水の樹々の新緑の写真を撮り行にました。ついでに和食の店いろりの里の写真も撮りました。いろりの里は人生の節目、節目に使った懐かしい店です。そんな樹々の新緑と懐かしい料亭の写真をお送り致します。玉川上水は江戸初期に江戸へ生活用水を送るため、多摩川上流の羽村から取水し四ツ谷まで43Kmの堀を作ったものです。江戸幕府から委託され、1653年(承応2年)に工事を完成させた玉川兄弟の銅像は羽村の堰の岸辺に立っています。現在も樹々はよく手入れされ大きな樹々が繁っています。江戸時代の自然がそのまま残っているようです。その樹々の新緑がこの季節に美しいので何度も眺めに行きます。今日は近所の範囲の玉川上水の樹々の写真をお送り致します。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人...「玉川上水の樹々の新緑といろりの里」
陽春の季節になりました。いろいろな花々も一斉に咲き出し素晴らしい季節です。そして新緑が萌え出でて明るく輝いています。埼玉県に近い清瀬市の金山緑地公園の新緑です。以前に写真を撮りながら歩いていると、体中が新緑の色に染まるような感じがしました。若い葉の香りもします。爽快でした。写真をお楽しみ頂けたら嬉しいです。「水辺に輝く新緑の風景」
小金井公園で瑞々しい新緑の写真を撮って来ました。去年の4月下旬です。「小金井公園の瑞々しい新緑の写真を撮って来ました」
桜と菜の花の競演です。小金井公園の西の花園で桜と菜の花が競演していました。「桜と菜の花の競演」
今日の小金井公園の中央広場の桜です。もう散り始めました。桜の命は儚いです。こうして春も過ぎ行くのでしょうか。「今日の小金井公園の中央広場の桜」
円覚寺にはよく行きました。私が好きな鎌倉のお寺は円覚寺です。平和な雰囲気で境内がゆったりとしています。境内を散歩しながら鎌倉仏教のことを考えます。さっそくですが円私が好きな覚寺をご紹介します。円覚寺は鎌倉五山の第2の大きなお寺です。境内には総門、山門、仏殿、選仏場、方丈、国宝の舎利殿、12の塔頭(たっちゅう)など多くの建物があります。しかし今日は禅宗のお寺で重要な坐禅堂の選仏場の写真からご紹介いたします。1番目の写真は坐禅堂の選仏場の写真です。円覚寺は一般向けの座禅会や学生座禅会など毎日のように座禅会を開催していて誰でも気軽に座禅が組めます。2番目の写真は坐禅堂の内部の写真です。この坐禅堂は元禄12年(1699年)建立の茅葺き屋根の建物です。内部には写真にあるように薬師如来立像(南北朝時代)を安置していま...「私が好きな鎌倉の円覚寺の写真」
平林寺には武蔵野が広がっています。四季折々に散策が楽しいのですが紅葉の頃も素晴らしいのです。今は春ですが紅葉の平林寺の写真をお送り致します。私がよく散歩したお寺の一つに平林寺という禅宗の臨済宗のお寺があります。家内が撮ったお墓の写真を示します。5番目の写真は修行なかばにして死んでしまった禅僧のお墓です。このお寺は南北朝の頃に創建され江戸時代には川越城主の松平家のお寺として栄えました。ですから立派な松平家の代々のお墓が並んだ墓地もあります。そしてお寺の右奥には歴代住職のお墓が並んだ墓地もあります。しかしそれとは別にこのお寺で病没した禅僧たちのお墓が丁寧に保存されているのです。彼等の子孫は何処に行ったか分かりせん。無縁墓です。しかし現在でも線香を上げる台が新しく作ってあります。6番目の写真はおもに江戸時代の無...「今は春ですが紅葉の平林寺の写真をお送り致します」
小金井駅の北側の住宅地にある上の原公園の桜も見事に咲きました。「自宅に近い上の原公園の桜も見事です」
本物の春の陽気に誘われて武蔵野公園の桜花の写真を撮りに行って来ました。久しぶりに青空の写真が撮れました。「今日の都立武蔵野公園の桜花の写真」
今日はイグナチオ教会のミサのインターネットの動画配信とともに預かりました。祈りました。イグナチオ教会のミサの風景の写真をお送りいたします。「今日の四谷のイグナチオ教会のミサの風景です」
キリスト教を簡単至極に説明したいと思います。分かり易く説明するためにお釈迦さまの教えと比較しながら話を進めて行きたいと思います。さて、ユダヤ民族だけの民族宗教として旧約聖書が前900年頃に出来ました。それから、長い年代にわたって改正が続きましたが、ユダヤ民族がバビロニアに捕囚されていた時代に大部分が編集されたそうです。この旧約聖書は長い間、ユダヤ教の基本でしたが2000年前にイエス・キリストが改正をして世界の全ての民族に通用するキリスト教を作ってしまったのです。この宗教の特徴は『神はヤハウエ神だけである。偶像崇拝は行わないこと』ということにあります。仏教と比較しますとキリスト教では唯一の神が存在しますが、仏教では神の存在を認めていません。お釈迦さま自身はあくまでも人間であって死んだら空(クウ)になるだけで...「分かりやすい仏教とキリスト教の比較」
イグナチオ教会の今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=LoCtqZEz8y0です。通常のミサの式次第、開祭司祭:父と子と聖霊のみ名によって。会衆:アーメン。回心の祈り、栄光の賛歌、ことばの典礼、感謝の典礼、奉献文、感謝の賛歌、閉祭添付の写真はカトリック小金井教会の先週の復活祭のミサの風景です。「谷のイグナチオ教会の今日のミサの動画配信」
名勝小金井桜の起源は元文2年(1737年)江戸幕府の新田開発の一環として玉川上水の両岸に植樹されたヤマザクラの並木です。奈良県の吉野山と茨城県桜川から取り寄せたとされる由緒ある桜です。このヤマザクラの並木は、江戸時代から地元の農民たちにより守られてきましたが、幕府の代官たちも雑木の伐採や桜の苗木の補植を進めるなど、桜を守る努力を続けてきました。https://koganeizakura.com/4indexkoganeisakura.htmlをご覧下さい。1番目の写真は大正時代の小金井桜の花見です。玉川上水の土手でした。小金井公園は無かったのです。「小金井桜とは?」
小金井桜は江戸時代から有名な名勝でした。昔は小金井村の玉川上水の土手に植えてありました。戦後に小金井公園が都立公園として整備されると中央広場に数十本のソメイヨシノが植えられました。広い場所に数十本の桜花が満開になると多くのお客が来て広場を埋めつくします。先程行ってきましたら満開で、大勢の花見客でした。撮って来た写真をお送り致します。「名勝の小金井桜の数十本が遂に満開になりました」
今日の桜花の写真です。近所の公園に今日の桜花の写真を撮りに行きました。曇り日なので鮮明な写真ではありませんがお送りいたします。「今日の桜花」
吉野山の桜の風景です。写真の出典は、https://weathernews.jp/sakura/spot/346/です。「吉野山の桜の風景」
この写真はインターンットからお借りしました。https://hanami.walkerplus.com/detail/ar0313e60411/全国1300カ所の桜名所・お花見スポット情報を掲載。2024年の桜の見頃時期がわかる!開花情報を毎日更新でお届け。満開の桜を楽しもう「武蔵野公園の桜の開花状況の写真」
小金井公園の現在の桜の開花状況です。先程行ってきました。まだ満開ではなく8分咲きのようでした。あと2,3日で見事に満開になるでしょう。写真は、インターンットからお借りしました。https://weathernews.jp/sakura/spot/109/「小金井公園の現在の桜の開花状況」
パブロ・ルイス・ピカソは、1881年ましに、スペイン南部アンダルシア地方のマラガ市で生まれました。1973年南仏ニース近くにあるムージャンの自宅で肺水腫により死去。1899年、バルセロナに戻る。バルセロナにある「四匹の猫」というカフェに通い、芸術家たちと交わりながら絵を描く。簡素ではあるが、このときに自身初の個展を開催する。ラ・バングアルディア紙で好意的に批評され、ピカソに注目が集まり始めた。ピカソは非常に多作な作家であり、世界中の多くの美術館がピカソの作品を保有している。ピカソの名を冠する美術館だけでも、まず生まれ育ったスペインではバルセロナに1963年にピカソ美術館(バルセロナ)が開館し、2003年には遺族がピカソの出身地であるスペインのマラガにピカソ美術館(マラガ)を開館した。ピカソは1973年の死...「ピカソの抽象画」
寒い日が続いていますが日本の抽象画の岡本太郎の絵を見て元気になりましょう!写真の出典は、https://www.tokyoartbeat.com/.../exhibition-okamoto-taro...です。「日本の抽象画、岡本太郎の絵」
西洋の絵画に抽象画があります。その抽象画を見て楽しむためには抽象画のちょっとした歴史を知っておいたほうが良いと思います。今日は抽象画にてついて少し書きたいと思います。さて抽象画を最初に描いたのはカンディンスキーと言われています。ワシリー・カンディンスキー(1866年~1944年)は、ロシア出身の画家であり、美術理論家でした。https://www.musey.net/artist/80から抜粋致します。カンディンスキーはモンドリアンやマレーヴィチと共に、純粋抽象絵画の理論の創始者知られております。彼が書いた「芸術における精神的なもの」は代表的著作でした。カンディンスキーは1866年にモスクワで生まれ、オデッサで幼少期を過ごし、グレゴフ・オデッサ美術大学で美術を学びました。卒業後は、モスクワ大学に入学し、法...「抽象絵画を楽しむために知っておくと良いこと」
庭に咲く花の写真をお送り致します。春ですね。小さな庭にもいろいろな花が咲きだしました。「庭に咲く花の写真」
今日は、「甲州街道の日野宿の本陣と新選組のことなど」という記事を書きました。その続きとして新選組の成立のいきさつと明治維新後の日野宿について書きたいと思います。(1)新選組の成立のいきさつまず新選組が作られた様子を示す八坂神社の奉納額をご紹介します。面倒な話は止めて早速写真で説明を致します。1番目の写真は日野市の八坂神社の写真です。本殿は、寛政一二年(1800年)に完成したもので、江戸後期の典型的な社殿建築です。この本殿には、安政五年(1858年)に天然理心流近藤周助の門人達により奉納された額があり、欅板に大小二本の木刀が架けられています。ちなみに近藤周作は新選組の局長の近藤勇の養父であります。2番目の写真は八坂神社に現存している天然理心流の奉納額です。天然理心流近藤周助の門人25名の名前が明記してありま...「新選組の成立のいきさつと明治維新後の日野宿の発展」
今日は曇り日です。曇り日の桜も風情があります。先程散歩しながら撮ってきました。「今年の野川沿いの桜花」
『注文の多い料理店』宮沢賢治二人の若い紳士しんしが、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲てっぽうをかついで、白熊しろくまのような犬を二疋ひきつれて、だいぶ山奥やまおくの、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いいながら、あるいておりました。「ぜんたい、ここらの山は怪けしからんね。鳥も獣けものも一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ。」「鹿しかの黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞みまいもうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒たおれるだろうねえ。」それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。それに、あんまり山が物凄ものすごいので、その白熊...「宮沢賢治の『注文の多い料理店』」
三陸海岸の絶景の写真は下記に出ています。https://recotripp.com/area/district-23/small-1ここでは1枚だけを示します。「岩手の三陸海岸の絶景の写真」
南部藩は岩手県中部と青森県東部から秋田県北東部にかけての地域を治めた藩でした。藩主が南部氏でした。盛岡藩とも呼ばれます。この地域には独特な文化があります。魅力ある地域です。甲斐国にいた南部氏の始祖の南部光行が、平泉の奥州藤原氏征討の功で現在の青森県八戸市に来て現在の南部町(青森県)に宿をとったのが始まりです。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで覇権を確立した徳川家康から南部藩は所領が安堵されました。10万石の大名として認められたのです。明治維新では奥羽越列藩同盟への参加します。そして南部藩は新政府側へ屈服しました。南部藩は終わったのです。なお遠野南部家は藩の新政府側につき、八戸藩は藩主・南部信順が薩摩藩主・島津重豪からの養子であり新政府側へついたのです。この地域の独特な文化や魅力を写真で示します。1番目...「岩手の南部藩の歴史と写真」
北上川は岩手町の弓弭の泉(ゆはずのいずみ)に源を発し、盛岡市、花巻市、北上市、奥州市、一関市などを通って北から南へと水量豊かに滔々と流れる大きな川です。石巻市で太平洋へ流れています。その写真をインターネットからお借りお送りします。岩手の北上川をご紹介致しました。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)「滔々と流れる北上川」
「ブログリーダー」を活用して、後藤和弘のブログさんをフォローしませんか?
「五月雨を集めてはやし最上川」は有名な芭蕉の句です。この俳句に誘われて私は2度の最上川を見に行きました。最上川は水量が多く滔々と流れていました。水量が多い急流です。・・・はやし最上川・・・ということを実感しました。最上川の写真をお送り致します。「五月雨を集めてはやし最上川」
今日はインターネットを通うしてカトリック高円寺教会のミサにあずかりました。そのミサの風景をお送り致します。「カトリック高円寺教会の今日のミサの風景」
梅雨の時期は長雨が続いて、晴れた青空と太陽がなかなか見られません。憂鬱な季節になりました。そこで少しでも明るい気持ちになるように美しい詩を5つほどお送り致します。気持ちをさっぱりとさせ、心にしっとりと寄り添うような作品です。以下は、https://mahoblog.com/tsuyu/から引用致しました。茨木のり子「六月」どこかに美しい街はないか食べられる実をつけた街路樹がどこまでも続きすみれいろした夕暮は若者のやさしいさざめきで満ち満ちる中原中也「六月の雨」またひとしきり午前の雨が菖蒲のいろのみどりいろ眼うるめる面長き女たちあらはれて消えてゆく谷川俊太郎「生きる」生かす六月の百合の花が私を生かす死んだ魚が生かす雨に濡れた仔犬がその日の夕焼が私を生かす萩原朔太郎「こころ」こころをばなににたとへんこころはあ...「梅雨の季節の詩、5編」
今日は印象派の油彩画を見ております。印象派の画家は何人かいますがクロード・モネから始めたいと思います。何度見ても感動するクロード・モネの油絵から始めたいと思います。ClaudeMonet,は1840年11月14日に生まれ、1926年12月5日に亡くなりました。彼の絵を見ると私はしみじみと旧懐の情が湧いてきます。100年前のフランスの風景に強く魅了されるのです。昔の風景に魅了されるのです。そんな7枚の風景画をお送りいたします。出典は、https://ja.wikipedia.org/.../%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC...です。1番目の写真は『サン=ラザール駅』1877年です。(油彩、キャンバス、75×104)2番目の写真は『かささぎ(英語版)』1868-69年です。(油彩、キャ...「何度見ても感動するクロード・モネの油絵」
今日は印象派の油彩画を見ております。印象派の画家は何人かいますがクロード・モネから始めたいと思います。何度見ても感動するクロード・モネの油絵から始めたいと思います。ClaudeMonet,は1840年11月14日に生まれ、1926年12月5日に亡くなりました。彼の絵を見ると私はしみじみと旧懐の情が湧いてきます。100年前のフランスの風景に強く魅了されるのです。昔の風景に魅了されるのです。そんな7枚の風景画をお送りいたします。出典は、https://ja.wikipedia.org/.../%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC...です。1番目の写真は『サン=ラザール駅』1877年です。(油彩、キャンバス、75×104)2番目の写真は『かささぎ(英語版)』1868-69年です。(油彩、キャ...「何度見ても感動するクロード・モネの油絵」
岡鹿之助の『雪の発電所』は私の好きな絵なのでお送り致します。堅固な建造物が纏うはだら雪の柔らかさが静謐な雰囲気を醸し出しています。またパンジーの思索深い表情は画家の精神性の高さや穏やかな人柄を表しているように思えるのです。岡鹿之助は1898年(明治31年)に生まれ1978年(昭和53年)に没しました。昭和時代に活躍した洋画家で文化勲章受章者です。1956年には『雪の発電所』が現代美術日本展最優秀賞を受けます。また1957年には毎日美術賞も受けました。なお小松裕文さんの感想文を読むとこの絵が描かれた場所が分かります。https://www.danube4seasons.com/search/013/01.htmlそれにパンジーの絵を3枚つけます。「岡鹿之助の『雪の発電所』と『パンジーの花』の絵」
大原美術館は、倉敷で幅広く活躍した事業家大原孫三郎が画家児島虎次郎を記念して1930(昭和5)年に設立しました。日本で最初の西洋美術の私立美術館です。孫三郎は、友人の児島虎次郎の才能を高く評価し、三度にわたる渡欧を支援しました。そこで児島虎次郎はヨーロッパの美術作品を選び取るという作業をしました。彼は、エル・グレコ、ゴーギャン、モネ、マティス等、今も大原美術館の中核をなす作品を丁寧に選び、倉敷にもたらします。大原美術館は、その後も、倉敷の地にあって活発な活動を続け、西洋の近代から現代の美術作家たちの仕事等にコレクションを広げ民間総合美術館として大原美術館を作ったのです。私どもも大原美術館を訪れ、その絵画の数の多さと美しさに感動しました。はるばる倉敷まで行ったかいがありました。それでは写真で大原美術館をご紹...「日本で最初の西洋美術館の大原美術館」
エミール・ガレ(1846-1904)やドーム兄弟の独創的なガラス器の作品を700点も収蔵、展示してあるのが諏訪湖のほとりにある北澤美術館です。その展示品はフランスのアール・ヌーヴォー期のガラス工芸品です。芸術的な工芸品です。バルブ製造会社で財をなした北澤利男氏が設立し、1983年に開館したのです。隣にはやはり北澤利男氏が設立したサンリツ服部美術館があります。エミール・ガレやドーム兄弟はガラス工芸の新しい技法を次々と創作していったことが素晴らしいと思うのです。深い芸術性を感じるのです。今日は北澤美術館に展示してあるエミール・ガレやドーム兄弟の作品をご紹介いたします。1番目の写真は一夜茸というキノコを模した作品です。高さ83cmの大きなものです。北澤美術館で非常に大切にしていて、貸し出し厳禁の展示品です。北澤...「諏訪湖の湖畔の北澤美術館とエミール・ガレの作品」
この美術館は伊豆半島の山の中、美しい一碧湖の畔にあります。車で行くと道中が風光明媚で楽しいのです。さて池田20世紀美術館をご紹介したいと存じます。この美術館は本格的現代美術館です。1975年5月伊豆の一碧湖の岸辺にできました。この美術館の土地、建物と約1400点の所蔵作品の大半は、ニチレキ(株)の創立者池田英一氏が寄付したものです。建物は彫刻家井上武吉氏の設計で、展示館外壁は日本ではじめてのステンレススチール張りです。入口から出口まで連なる展示作品が大へん観賞しやすい美術館です。所蔵作品は20世紀に制作された絵画・彫刻で《人間》をテーマとするものを中心に約1400点収蔵しています。館内には、ルノワールをはじめ、ボナール、ピカソ、マティス、レジェ、シャガール、アンディ・ウォーホール、ミロ、ダリ、デ・クーニン...「伊豆半島の一碧湖の畔にある池田20世紀美術館」
鬱蒼とした樹々の写真を撮ってきました。近所の学芸大学の構内です。撮ってきた写真をお送り致します。「鬱蒼と生えている樹木の写真」
日本4大アヤメ園とは、広大な敷地に多数の品種が植えられ、特に大規模なあやめ園として知られる4つの場所を指します。具体的には、山形県長井あやめ公園、茨城県水郷潮来あやめ園、千葉県水郷佐原あやめパーク、そして新潟県新発田市五十公野公園あやめ園です。1,長井あやめ公園(山形県長井市):120種以上のあやめが植えられ、毎年6月には「長井あやめまつり」が開催されます。2,水郷潮来あやめ園(茨城県潮来市):150種類以上のあやめが咲き誇り、6月には「水郷潮来あやめまつり」が開催され、花菖蒲にちなんだイベントも行われます。3,水郷佐原あやめパーク(千葉県香取市):300品種以上のあやめが植えられ、見頃には一面の花菖蒲が広がります。4,五十公野公園あやめ園(新潟県新発田市):300品種、60万本のあやめが咲き競う...「日本の4大アヤメ園」
一面にアヤメが咲いている場所はもう一つ東村山市にもあります。北山公園のアヤメです。撮ってきた写真をお送り致します。撮影は2013年6月6日でした。「東村山市北山公園のアヤメの花々」
毎年、茨城県の潮来では『潮来あやめ祭り』を開催しています。それは色とりどりのアヤメが一面に咲く華やかな花まつりです。今年も潮来のあやめ祭りの季節になりました。この『潮来あやめ祭り』は以前から関東地方では有名でした。そして昭和30年に美空ひばりさんの「娘船頭さん」のロケが水郷潮来で行われたのがきっかけとなり、その名は全国的にも知られるようになったのです。美しい娘さんが船頭になった小さな船に観光客が乗り、水郷を巡りながらアヤメの花を楽しむのです。何かロマンチックで美しい風景です。私も長い間、潮来につながる霞ヶ浦でヨットをしていたので一度行って見たいと思っていました。そこでついに2008年の6月17日に行ったのです。それでは写真に従ってお話を進めて行きたいと思います。1番目の写真は妻をヨットに乗せ、霞ヶ浦の沖に...「今年も潮来のあやめ祭りの季節になりました」
庭の花の写真です。10年以上前に潮来から買って来たアヤメが今年も咲きました。他の花の写真も含めてお送り致します。「庭の花の写真」
今日の小金井公園の風景です。小金井公園は東西に2kmあります。今日行った場所は西の端の部分です。撮ってきた写真をお送り致します。「今日の小金井公園の風景」
毎年、お盆のころになると日本のあちこちで灯篭流しや精霊流しがあります。この世を去ってしまった家族や友人の魂を弔うのです。あの世で平安に暮らしていることを祈るのです。そして故人があの世から暗い水面をゆらゆら揺れて流れてていく灯を見て慰められるのです。それは日本の夏の美しい風物詩です。そんな光景を下の写真で示します。真は灯篭流しと精霊流しの画像検索によって転載させて頂きました。1番目の写真は長崎と佐賀県の一部で作られる精霊船を町中を引いて海辺に運んでいる様子です。2番目の写真は佐世保市の灯篭流しです。3番目の写真は曹洞宗本山、永平寺の灯篭流しです。4番目の写真は灯篭流しと精霊流しの画像検索によって転載させて頂きました。それはそれとして、毎年、実際に灯篭流しをしている人はそんなに多くありません。テレビや新聞で灯...「灯篭流し、精霊流しは夏の美しい風物詩」
我が故郷、仙台の広瀬川の灯篭流しは江戸時代から引き続き灯ろう流しは行われ、昭和に入ると花火大会も同時に開催されるなど、「夏の終わりを告げるの風物詩」として親しまれるようになりました。仙台市内有数の夏祭りです。その風景写真をお送り致します。「我が故郷、仙台の広瀬川の灯篭流し」
今年も7月になるとお盆が来て各地で精霊流しをします。お盆の期間は、8月13日~16日の4日間(8月盆)が一般的ですが、東京をはじめとする一部地域では、7月13日~16日の4日間(7月盆)で行われます。また、東京の多摩地区では7月31日〜8月2日に行う場合もあります。お盆には、お盆提灯やキュウリ・ナスで作った牛馬など、お盆独自のお飾りをして故人様をおもてなしする風習があります。ご自宅の玄関先・庭先やお墓などの場所で「迎え火」を焚き、ご先祖様の霊をお迎えします。迎え火と同様にお盆が終わると、玄関先・庭先やお墓などの場所で「送り火」を焚き、ご先祖様の霊をお見送りします。そしてお盆の風物詩は「精霊流し」です。有名なのは長崎の江迎千灯籠祭りです。毎年8月23日と24日に行われる祭りです。3000個以上の灯籠で飾られ...「今年もお盆が来て精霊流しをします」
家内の夏の思い出と言えばまず由比ヶ浜での海水浴、親類の若者が大勢泊りに来て砂浜にビーチパラソルを立てて、水浴びしたり海の家で食事やかき氷を食べたり小屋掛けの射的・ボットル落としや楽焼をした楽しい思い出をよく話しています。戦争末期に群馬県の下仁田町に疎開したのですがそこでも楽しい思い出が沢山あるようです。本来楽天的というか人懐こく物おじしない性格なので山あいの生活や小学校にすぐ慣れて、友達とカブラ川へ水浴びに行き、帰りに河原の桑の実を食べるのがとても楽しかったそうです。ママのお土産にしようとポケット一杯摘んで帰ったら白いワンピースのポケットが真っ赤に染まってしまったそうです。川の上流の浅瀬でバチャバチャしていたら流されて大渕という深みまで行って溺れていたら、大岩の上にいた3歳上の姉が飛び込んで救ってくれた。...「家内の夏の思い出」
1945年の7月10日にB29の空襲があり仙台はすっかり焼け野原になってしまいました。そしてB29の焼夷弾空襲によってし全国の200市町村が焼け野原になってしまったのです。まず東京大空襲の写真をお送りいたします。東京大空襲は1945年(昭和20年)3月10日のアメリカ空軍による夜間空襲でした。その7枚の写真をお送り致します。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2です。1番目の写真は東京を空襲しているB-29爆撃機です。多量の焼夷弾を落としています。2番目の写真は1945年1月27日の空襲で数寄屋橋上を逃げ惑う親子です。この日の爆撃の主目標は郊外にあった中島飛行機武蔵製作所でしたが、...「夏の思い出はB29の空襲と焼け野原の光景」
何故かこんな風景が美しく見えます。写真はインターネットからお借りしました。「托鉢僧の写真です」
平成29年3月10日、国の文化審議会が文部科学大臣の諮問に対し、深大寺の銅造釈迦如来倚像(飛鳥時代)を国宝に指定することを答申しました。深大寺釈迦如来倚像は博物館や美術館を除いて、関東の寺院所蔵の国宝仏では、鎌倉大仏に次ぐ二例目、制作年数は鎌倉大仏より約500年古く、東日本最古の国宝仏となります。深大寺開創の天保5年(733)より前に文化の中心であった畿内地域において、作られたと考えられます。白鳳時代(飛鳥後期645-710)同時期の傑作である奈良県新薬師寺薬師如来立像(香薬師)、奈良県法隆寺観音菩薩立像(夢違観音)と深大寺釈迦如来倚像は銅の成分が極めて近似するなど共通する部分が多く認められ、同一の工房又は同系統の工人によって作られたと考えられます。「深大寺の銅造、釈迦如来倚像(飛鳥時代)は国宝」
今日は少し有名な深大寺をご紹介します。国宝の飛鳥時代の銅造釈迦如来像(白鳳仏)もあります。深大寺は733年に創建され、浅草寺と並んで東京では最も古いお寺の一つです。天台宗別格本山の寺です。武蔵国の国分寺は760年代始め頃に完成していますので、それより20年も古いお寺です。以前に撮った門前の店と山門などの写真をお送りします。1番目の写真は山門の左にある店です。門前には名物の「深大寺ソバ」の蕎麦屋や土産物屋が沢山並んでいます。深大寺ソバは家内と何度も食べました。この土産物屋だけ特に示した理由は店の右に坂道があり、そこを登ると神代植物公園の東口があるからです。2番目の写真は深大寺の山門です。3番目の写真は本堂です。阿弥陀如来が本尊の本堂です。4番目の写真は本堂の左にある元三大師堂です。天台座主、元三慈恵大師の像...「東京で最古の寺、深大寺の写真」
私は1936年に仙台で生まれ24歳まで仙台に住んでいました。その間に何度も蔵王山に登りました。蔵王山は故郷の山なのです。その蔵王山に咲く花をインターネットで調べ幾つかみつけました。その写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1493です。1番目の写真はハクサンイチゲです。2番目の写真はシラネアオイです。3番目の写真はユキワリコザクラです。4番目の写真はミヤマオダマキです。「我が故郷、懐かしい蔵王山に咲く花の写真をお楽しみ下さい」
松島は故郷の仙台から仙石線の電車で1時間くらいです。仙台に住んでいた頃はよく行った曾遊の地です。そこで四季折々の美しい松島の写真をお送り致します。写真は、「松島の景色の写真」を検索して、出て来た多くの写真から美しいものを選びました。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。1番目の写真は松島湾を一望出来る大仰寺の庭からの眺めです。大仰寺は標高116メートルの山頂にあります。山を背に東、南、西の三方向が開けていて、島々が湾内に連なる様子が見えます。2番目の写真は松島湾の東側、宮戸島の大高森の山頂からの風景です。何度も登った山頂です。松島湾の向こうには遠く奥羽山脈の山々も望めます。3番目の写真は寒い冬が終わり桜が満開になっている松島の夕暮れ風景です。「西行戻しの松公園」という公園からの風景です。写真は、https://...「我が故郷、松島の四季折々の写真をお楽しみ下さい」
今日の散歩は小金井公園まででした.今日は曇りですが乾燥した軽やかな風が吹いていました。気分爽快に小金井公園まで行って来ました。「今日の散歩は小金井公園まで」
郷愁を誘う昔の町の面影をお送り致します。郷愁を誘う昔の町の写真が沢山掲載されているブログを見つけました。https://4travel.jp/travelogue/11815459です。そこから4枚の写真をお借りして示します。「郷愁を誘う昔の町の面影」
安曇野の奥、木崎湖や青木湖のさらに奥の白馬東急ホテルに泊ったことがありました。そのホテルはスイスの山岳ホテルのような三角屋根の木造でした。部屋は屋根裏部屋の感じのような内装で、小さな縦型の窓がついていました。バルコニーの椅子に座って眺めると、芝生に覆われた広い庭の向こうは森になっています。ヨーロッパの古いホテルの雰囲気でした。写真をお送り致します。1番目の写真は白馬東急ホテルの玄関です。写真はインターネットからお借りしました。2番目の写真は私どもが泊まった部屋と同じような部屋の写真です。写真はインターネットからお借りしました。ここのホテルを出て、暗い森の中を歩き、崖の道を下るとゴンドラの駅があり八方池まで登れたのです。そ八方池まで登る道からは、八方尾根の向うに広がる白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮華岳など...「安曇野の奥の白馬東急ホテルの寫眞」
大糸線の大町駅から白馬駅の間に車窓から3つの湖が見えます。その周囲には何も無い静かな湖沼群で標高が一番高い西端の青木湖から中綱湖、そして木崎湖と農具川でつながっていて、木崎湖から流れ出ているのも農具川といい、それは高瀬川に合流し、信濃川になります。この仁科三湖は透明度の高い水で、遥か遠方には残雪の白馬連山が横たわっています。そんな美しい水をたたえた風景写真をお楽しみ下さい。大糸線の車窓から撮った写真です。そして下の写真はこの仁科三湖と北アルプスの山々ととの位置関係を示しています。この写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E6%B9%96です。「安曇野の仁科三湖、木崎湖、中綱湖、青木湖の寫眞」
思い出ばかり書いているのは老人の悪い傾向です。と知りながら今日も書きます。安曇野の風景と大きな水車の思い出です。思い出すたびにすがすがしい気分になります。元気が出ます。そして老境を格調高く生きることが出来るのです。1番目の写真は残雪が輝く北アルプス連峰です。写真の出典は、https://www.kabegamikan.com/p/i.php?url=www.kabegamikan.com%2Fimg%2Fna14%2F169619.jpgです。2番目の写真は北アルプスの麓に広がる水田の風景です。写真はインターンットからお借りしました。続いて自分が2017年6月に撮った安曇野の清流と水車の写真をお送りいたします。3番目の写真は訪れた安曇野の山葵園の脇にある美しい流れの光景です。川底の藻がゆらゆら揺れていて、...「安曇野の風景と大きな水車の思い出」
武蔵野公園までの道すがら撮った写真です。順に真蔵院、小金井市立美術館、昔風の農家の写真です。「今日の散歩道の風景」
初夏の陽に輝く草原の風景です。今日は初夏の碧い空が広がっています。先程、その写真を撮って来ました。「初夏の陽に輝く草原の風景」
牡丹は花びらを何枚も重ね大輪の花を咲かせます。牡丹の花言葉は「王者の風格」「富貴」「恥じらい」です。原産国の中国では、観賞用の花として牡丹が大人気です。唐代の詩人・白居易は牡丹の人気を「街中の人が狂ったようだ」と記しています。その大きく鮮やかな花姿から、牡丹は「花王」「花神」とも呼ばれ、中国でもっとも格式の高い花とされました。その牡丹の花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://news.biglobe.ne.jp/trend/0222/mwk_230222_4045486843.htmlです。「中国人が大好きな牡丹の花」
皆様ご存知のように中国は共産党独裁の国です。ですから民主主義の日本の仮想敵国でしょうか?しかし私はその中国の数人の人と親しく付き合っていました。今日は中国の周恩来、鄧小平、胡耀邦、温家宝などの思い出を書いてみたいと思います。私は1981年に北京と瀋陽に行きました。私を紫禁城(故宮)、頤和園、明の13陵、万里の長城、天壇、北京原人の周口店、瀋陽の清朝の発祥の宮殿、そして文化大革命で荒らされたキリスト教の教会(天主堂)などなどに行きました。西安の大雁塔や玄奘法師の墓のある慈恩寺も行ました。1番目の写真は紫禁城、故宮です。この故宮は多くの日本人も観覧していますので説明は省略します。そして頤和園のいかにも離宮らしいロマンチックな雰囲気に圧倒されました。湖も山上の楼閣も素晴らしいのですが、特に美しい左右の風景を見な...「周恩来、鄧小平、胡耀邦、温家宝などの思い出」
昔の武蔵野にあった農家はそれぞれ屋敷森に囲まれていました。そんな屋敷森に囲れている家が現在の小金井市に数軒あります。今日は北はずれにある屋敷森の写真を撮ってきました。家は森に隠れて写真には写っていません。「昔の武蔵野の屋敷森の写真を撮って来た」
ある時代に繫栄していたが現在はすっかり忘れられている町が沢山あります。時代の変化についていけず寂れてしまうのです。私はそんな町を訪れて繁栄していた頃の様子を偲ぶのが好きです。現在住んでいる人の静かな息づかいが感じられ、しみじみと旅愁を憶えます。そんな町の一例に北海道の松前藩の松前町があります。北海道の南端にあります。以前に独りで旅をした曾遊の地です。今日はこの松前藩の歴史と独り旅の思い出を書いてみたいと思います。松前藩は徳川幕府に正式に認められた北海道唯一の藩でした。慶長九年(1604年)に徳川家康から安堵状が与えられ、蝦夷地の領地権、蝦夷地の交易の独占権を得ます。こうして日本最北の藩、松前藩が成立しました。(town.matsumae.hokkaido.jp)しかし領内に米の生産がないので、幕府の『武鑑...「北海道の魅力(2)松前藩の盛衰と現在の寂しい町の風景」
北海道は魅力溢れる旅先です。特に夏の北海道は暑くなく旅行が快適です。私も何度も旅を楽しみました。北海道には美しい湖や原野が広がっています。今日は美しい洞爺湖と隣接する新しい昭和新山をご紹介します。そして洞爺湖を見下ろすザ・ウインザー・ホテル洞爺をご紹介します。この地は千歳空港から近いので何度も訪れました。さて洞爺湖ですが、この湖は北海道の虻田郡の洞爺湖町にあります。周辺は支笏洞爺国立公園に指定されています。また、「日本百景」や「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選ばれている美しい湖です。1番目の写真は洞爺湖の全景です。湖の中心に島のある大きなカルデラ湖です。2番目の写真は湖の中心の中島の近景です。島にはエゾシカが棲んでいます。洞爺湖には在来種のアメマス、ウグイ、ヨシノボリ、ハナカジカ等が棲んでいま...「北海道の魅力(1)洞爺湖、昭和新山、ザ・ウインザー・ホテル」
近所の道沿いに咲いているムクゲの花です。道沿いに沢山咲いています。素晴らしい7眺めです。「近所の道沿いに咲いているムクゲの花」
狭い庭にも花々が今年も綺麗に咲きました。家内が世話をしている花々です。「庭に綺麗に咲いた花々」
カトリック松原教会の今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=NQfCUMTgGW8にあります。「カトリック松原教会の今日のミサの動画配信」