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あるきメデス https://blog.goo.ne.jp/saikoroat/

カントリーウオーク、四国遍路や古道・街道歩き、京都・奈良の社寺巡りなど、ウオーキングの記録を中心に

ウオーキングレポートは、距離やコースタイムを記したものもあり、コースガイドとしてご利用いただけます。英国・コッツウオルドウェイや、ドイツ北西部の8日間歩行記、国内では四国遍路のほか塩の道、中山道、熊野古道などの歩行記録、関東百駅巡礼歩行やカタツムリ歩行といったユニークな歩き、ウオーキング協会の催しの参加レポートなど、幅広いウオーキングの楽しみ方がご理解いただけます。鉄道、地図や所沢便りも。

saikoroat
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住所
所沢市
出身
小川町
ブログ村参加

2010/12/13

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  • 鎌倉街道上道を歩く⑦ =北府中から町田まで=(東京)

    2002年9月14日(土)〈北府中から町田まで〉予報は雨だったが曇り空。気温も20℃前後と歩きやすそうな日和である。JR武蔵野線北府中駅に集まった6人は、一応雨具を付けて9時40分にスタートした。==府中の寺社を回り多摩ニュータウンへ==府中街道を南へ進み、京王線を越えて府中市の中心部に入る。大きな高札場のある交差点を東に回り大国魂(おおくにたま)神社へ。京王線府中駅まで続く参道には大ケヤキが並ぶ。源頼義・義家父子が奉納したのが始まりとか。太いケヤキのそばに源義家像が立っていた。大国魂神社は、武蔵国の国府だった府中の中心にある。立派な社殿に参拝。嘉永7(1854)年再建という鼓楼(ころう)や、国の重要文化財に指定されている子供を乗せた狛犬↓などを見て西に抜ける。JR府中本町駅の北西、南武線の北側にある善明...鎌倉街道上道を歩く⑦=北府中から町田まで=(東京)

  • 2023年 今年の中秋の名月は満月で

    2023年9月29日(金)今日は旧暦の8月15日の「中秋の名月」で、ちょうど満月のお月様が見られました。18時23分頃の満月、薄雲がかかっていたためか、赤みがかったお月様です。まだ高度が低く、電線が横切ってしまいました。旧暦では「秋」は7月~9月の間を言うようで、8月15日はその真ん中にあたるので「中秋」と呼ばれているとのこと。昨年もそうでしたが、今年も中秋の名月と満月がちょうど重なりましたが、必ずしも毎年重なるわけではないようです。それは、月の公転軌道が楕円形なので、新月から満月までの日数が13.9日から15.5日と年により変化しているからとのこと。今年も、2021年から3年連続で中秋の名月と満月の日がちょうど一致したようですが、次に一致するのは7年後の2030年になるとのこと。21時15分頃、東の空高...2023年今年の中秋の名月は満月で

  • 鎌倉街道上道を歩く⑥ =東村山から北府中まで=(東京)

    第6回2002年7月13日(土)〈東村山から北府中まで〉鎌倉街道も東京都に入り、今回はほぼ府中街道沿いの商店街や住宅地。緑や展望はあまり期待できず、曇っているが蒸し暑い。西武新宿線東村山駅を9時45分にスタートした。==府中街道を恋ヶ窪へ==祭りの準備が進む東口広場を出て、府中街道を南に向かう。東村山の中心街を通過、新青梅街道の先で、西側の八坂神社に寄る。屋台が店を開け、氏子がちょうちんを吊して夏祭りの準備中。ヤマブドウのつるを輪にした「カマエビ」というのが並べてあった。玄関に吊して疫病の侵入を防ぐという古い信仰のひとつ。Toさんは一輪分けてもらい、頭にかぶる。本殿には、金色の大きな獅子頭の雌雄と大太鼓が飾ってあった。西武多摩湖線の八坂駅南側は、「九道の辻」と呼ばれるところ。いまは七差路だが、昔は九差路だ...鎌倉街道上道を歩く⑥=東村山から北府中まで=(東京)

  • 久しぶりに航空記念公園へ(埼玉・所沢)

    2023年9月21日(木)市役所で開催中の『みどりのカーテンコンテスト』を観覧した後は、いつものように南側の所沢航空記念公園へ。梅雨明けの日の7月22日(土)に、市役所へ県知事選の期日前投票に出かけたとき以来なので、ほぼ2か月ぶりです。日本庭園の西側、正面入口近くのハギの花はあまり花が付いていない感じ。園内西南側の樹林は、まだ緑がいっぱい。樹林下のヒガンバナは2,3カ所しか見られません。築山を反時計回りに回って流れの横から池の西側へ。東屋から池を見下ろすと、コイが集まってきます。茶処・彩翔邸(さいしょうてい)前に咲き残るサルスベリ池のスイレンは数輪咲き残るのみ池の東側のハスは花どきを終えて種を付けています。風も無く、ススキは真っ直ぐに。今年の中秋の名月は9月29日(金)のよう。日本庭園を北西側出口から抜け...久しぶりに航空記念公園へ(埼玉・所沢)

  • 市役所での「みどりのカーテンコンテスト」へ(埼玉・所沢)

    2023年9月21日(木)昨日は、16時前後に39㎜の激しい降雨があり、その後は気温も下がり今日は30℃にはならない予報なので、午前中に久しぶりに市役所に行き、昨日から開催中の「みどりのカーテンコンテスト」の観覧と投票をしてきました。会場は、1階中央部の市民ホールです。このコンテストは、所沢市内の建築物や工作物に設置したみどりのカーテンの出来映えを、観覧者の投票により選ぶもので、応募部門は個人部門、事業者・団体部門、公共施設部門の3部門に分かれています。最初のコーナー昨年(令和4年度)の大賞作品の展示が。その横には、今年の応募作品のうちの「公共施設部門」、応募は11の公共施設から。背面には事業者・団体部門と個人部門があり、入口側は事業者・団体部門の作品5点。その左側に個人部門があり、私を含めて10点の応募...市役所での「みどりのカーテンコンテスト」へ(埼玉・所沢)

  • 残暑が続いたが 彼岸入りで秋の気配も(埼玉・所沢)

    2023年9月20日(水)今日は彼岸入りの日、ずっと続いていた残暑も明日からは少し治まるとの予報で、外歩きもチョットは楽になるのではないかと期待しています。暑いとはいえ、木々や草花は少しずつ季節のうつろいをを感じ取っているようで、昨日通院した病院の近くの栗の木は、まだ緑いっぱいながら実が大きくなっていました。今年の栗は、猛暑のためか実の付きがよくないところもあるようですが、甘さは強いとのニュースも聞かれます。遅れていたヒガンバナも、彼岸に入って咲き出しました。これは市内上新井の神社の境内に咲き出したもの。境内のフヨウは、まだつぼみもあるのでこの先も花が見られそう。近くの川の岸辺にあるハナミズキの葉は、少し色づいてきました。川に近い民家の白ハギも咲き出しました。残暑でザックにしまい込んだままだったデジカメも...残暑が続いたが彼岸入りで秋の気配も(埼玉・所沢)

  • 鎌倉街道上道を歩く⑤ =武蔵高萩から東村山まで=(埼玉、東京)

    第5回2002年6月22日(土)=武蔵高萩から東村山まで==明け方に激しい雨のところもあったが、JR川越線武蔵高萩駅に着いたら、ほぼ雨の心配は無くなった。気温も20℃以下か、歩くには絶好の日和となった。地図を配ろうとザックを開けたが無い。忘れてしまったようだ。しばらくは、Kaさんが用意してくれた絵図だけで歩いてもらうことにして、9時42分に出発する。==智光山公園から狭山市内へ==駅前の桜並木を下って県道を横切る。以前の例会でも歩いた住宅地を抜けて霞野神社へ。「女影ケ原古戦場の記」があり、「建武2(1335)年に北条時行が幕府軍の足利直義などに撃破された古戦場だ」との説明が記されている。近くの交差点には、鎌倉街道の案内板も立っていた。第二小畦川に沿って、緑が色濃くなった水田が広がる。川の先、道の東側に「鎌...鎌倉街道上道を歩く⑤=武蔵高萩から東村山まで=(埼玉、東京)

  • 鎌倉街道上道を歩く④ =武蔵嵐山から武蔵高萩まで=(埼玉)

    第4回2002年5月18日(土)〈武蔵嵐山から武蔵高萩まで〉鎌倉街道上道も4回目となり、埼玉県の中央部にかかった。明け方の激しい雨で午前中は傘が必要かと思ったが、東武東上線武蔵嵐山駅に下りたらほぼ止んでいた。橋上駅に代わった新しい駅舎の天井に、かわいいツバメの子が見える。一応雨具を付けて9時50分に、7人がスタートした。==笛吹峠を越えて鳩山町へ==駅前を南進して国道254号線に出る。200mほどで国道に分かれて右折、国道バイパスを越えて都幾川の学校橋に下る。川原にはコサギやゴイサギが見えた。雨に濡れた新緑の山々がみずみずしい。大蔵集落に入り、まず向徳寺に寄る。鎌倉時代に創建されたと伝えられる古寺。宝治3(1249)年に造られた銅造阿弥陀如来像及び両脇侍立像は、国の重要文化財。以前は墓地にあった正応6(1...鎌倉街道上道を歩く④=武蔵嵐山から武蔵高萩まで=(埼玉)

  • 残暑続く二百二十日の雲の表情(埼玉・所沢)

    2023年9月11日(月)今日は早くも二百二十日ですが、今週も残暑が続くという首都圏の予報で、あいかわらず近くのスーパーへの買い物を兼ねた気温上昇前の短距離のウオーキングのみです。そのような日々なので新しいレポートのアップが出来ず、今日もわずかの歩きの帰路で目にした雲の表情を中心に。今日の関東地方は天気が不安定との予報の通り、上空の雲も変化に富んでいます。口を空いた動物のよう真ん中の雲は、左向きの白蛇にも見える怪しい雲と秋空の雲とがあちこちに上の3つの雲全体を引いてみると住宅の庭先に咲く花も数少ない感じで、ノウゼンカズラももう終期で頭を垂れています。地面に落下した花サツマイモ畑では、葉をいっぱいに広げて一生懸命に大きな芋造り中モロヘイヤも良く葉が伸びました。ヒマワリももう花どきはかなり前に過ぎました。わず...残暑続く二百二十日の雲の表情(埼玉・所沢)

  • 鎌倉街道上道を歩く③ =用土から武蔵嵐山まで=(埼玉)

    第3回2002年4月13日(土)〈用土から武蔵嵐山まで〉スタートのJR八高(はちこう)線用土〈ようど〉駅に、10時01分着で下りたのは8人。JR埼京線が遅れて、4人は次の列車との携帯での連絡がある。待ち合わせ場所を決めて10時33分に出発した。==花園大橋で合流、今市へ==駅前から県道に出て左折すると諏訪神社がある。本殿は新しいが、創建は応和年間(961~4)という古社。江戸時代から続く獅子舞は、町の無形文化財という。踏切の少し先に、文政12(1830)年と記された馬頭観音など、3基の古い石塔が並んでいた。その先の十字路には、「川越街道脇往還」と記された↑2mくらいある石の道標が立ち、そばに文化元(1804)年銘の大黒天や庚申宝塔などが並んでいる。そばの畑のコバンソウが、もうすぐ咲きそう。住宅の庭に咲き競...鎌倉街道上道を歩く③=用土から武蔵嵐山まで=(埼玉)

  • 鎌倉街道上道を歩く② =群馬藤岡から用土まで=(群馬・埼玉)

    第2回2002年3月30日(土)〈群馬藤岡から用土まで〉前日の大雨が去り、好天となったJR八高線の群馬藤岡駅には、前回より多い13人集まる。私が用意した地形図と、Kaさんが、読みやすいように8時間余りかけて文字の上下を入れ替えたという「鎌倉街道夢紀行」掲載の地図を持って、9時50分に駅を出た。=神流川を越えて埼玉県へ=まず、八高線の西に平行する道と南に向かう。大きな鬼瓦のある寺があった。南側から回ると大本堂が新しい成道寺。鬼瓦があるのは旧本堂らしい。鬼瓦は屋根の上下だけでなく中間にもある。庭には大きな布袋さんが座っていた。寛政9(1797)年銘の道祖神の横から踏切の東に出る。梨畑ではもう花が咲きだしていた。国道254号線に合する手前の寿楽寺にも、大きな鬼瓦が載っている。神流川(かんながわ)の藤武橋を渡る。...鎌倉街道上道を歩く②=群馬藤岡から用土まで=(群馬・埼玉)

  • 鎌倉街道上道を歩く① =高崎から群馬藤岡へ=(群馬)

    残暑が治まらず、新しいレポートづくりのための歩きが出来ないので、21年前の2002年2月から11月にかけて歩いた、鎌倉街道上道(かみつみち)のレポートを9回に分けて報告します。当時、私はまだデジカメでなくてフィルムカメラで撮り、プリントがやや色あせていますがご了承下さい。========================================第1回2002年2月16日(土)〈高崎から群馬藤岡まで〉カントリーウオークグループの2月例会にて、「この指止まれ」で「鎌倉街道上道(かみつみち)を高崎から鎌倉の鶴岡八幡宮まで歩きませんか」と呼びかけ、第1回をさっそくその週末の今日実施することにした。ちなみに鎌倉街道とは、鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網のことで、鎌倉幕府の御家人が有事の際に「いざ鎌...鎌倉街道上道を歩く①=高崎から群馬藤岡へ=(群馬)

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