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平岡公彦のボードレール翻訳ノート https://kimihikohiraoka.hatenablog.com/

ボードレール『悪の華[1857年版]』(文芸社刊)の訳者平岡公彦のブログ

ボードレールの韻文詩集『悪の華』の韻文訳や解説を公開しています。

平岡公彦
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2009/01/18

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  • ボードレール『悪の華』韻文訳――016「驕慢の懲罰(1861年版)」

    驕慢の懲罰(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 神学が、最も豊かな樹液と精気に満ちみちて 花開いていた、あの驚嘆すべき時世において、 伝えでは、ある日、最たる偉大さの神学者が、 ――無関心な者たちの心すらもこじ開けては、 その黒き深みからも感動を呼び起こしたあと、 純粋な精霊たちだけは来られるかもしれぬも、 彼自身には未知のものだった特異な道までも、 天上の栄光に向け踏み越えていったあと―― 高く登りすぎてパニックに陥った男のごとく、 サタンのごとき驕慢を昂らせ、叫んだという。 「イエスよ、小さきイエスよ! 汝を高々と押し上げてやった! だが、もしも余が汝の甲冑の隙間を攻撃する…

  • ボードレールとシャネル――ダンディスムと皆殺しの天使

    分裂症者は、資本主義の極限に位置する。彼は、資本主義の発展の傾向であり、その剰余生産物であり、そのプロレタリアであり、皆殺しの天使である。彼はあらゆるコードを混乱させ、欲望の脱コード化した流れをもたらす。――ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』*1 「女は〈ダンディ〉の反対だ」*2というボードレールの愚説を華麗に覆した女性がいる。だれもが知っているファッションブランド「CHANEL」の創業者、ココ・シャネルだ。 女性のショートヘア、ハンドバッグに肩紐をつけたショルダーバッグ等々、シャネルが現代ファッションに及ぼした影響は枚挙に暇がないが、レディーススーツの発明も彼女の功績の一つに数えられ…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――015「冥界のドン・ジュアン(1861年版)」

    冥界のドン・ジュアン(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 ドン・ジュアンが地下の水辺へと下っていき、 カロンに渡し賃のオボロス銀貨を払ったとき、 アンティステネスのごとく誇らかな目をした 陰気な乞食は、復讐者の強き腕に櫂を握った。 垂らした乳房とはだけたドレスを見せつけて、 黒き天蓋の下で身をよじらせている女たちは、 犠牲に供された牛の大群のごとくつめかけて、 彼の背後に長き鳴き声の尾を引きずっていた。 スガナレルはにこやかに給金の支払いを請い、 一方でドン・ルイは、指をわななかせながら、 岸辺をさ迷い歩くすべての死者たちに向かい、 白髪面を嘲った不敵な息子を見せつけていた。 …

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――014「人と海(1861年版)」

    人と海(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 自由人よ、いつでもおまえは海を愛おしむだろう! 海はおまえの鏡。おまえは無限に繰り広げられる 波濤の刃のなかに、おまえの魂を見つめるだろう。 おまえの精神には、海にも劣らぬ苦汁の淵がある。 おまえは喜んでおまえの鏡像の胸中に身を投じる。 おまえはそれを眼と腕で抱きしめる。そして時に おまえの心は、自身のざわつきをまぎらせもする。 飼い馴らしえぬ野生の苦悶の声が立ち騒ぐなかに。 おまえたちには二人とも闇があり、口も堅くなる。 人よ、おまえの深淵の底を測深しえた者はいない。 おお、海よ、おまえの内奥の富を知る者もいない。 それほどに、おま…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――013「旅のボヘミアン(1861年版)」

    旅のボヘミアン(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 熾烈に瞳を燃え立たせた予言者たちの部族は、 昨日旅路についた。一行の女たちはてんでに 小さな子をおぶったり、その見上げた食欲に、 垂らした乳に常備した宝を委ねたりしていた。 彼女らが身を寄せあって乗る荷馬車のそばで、 担いだ武器を光らせて、徒歩で行く男たちは、 不在のキマイラたちへの陰鬱な愛惜のせいで、 動きの鈍くなった眼に、空を散歩させていた。 砂に覆われた小部屋の奥に潜む、コオロギが、 彼らが通るのを見るなり、歌声を倍にすれば、 彼らを愛するキュベレーは、緑を広がらせて、 岩場に川を流れさせて、砂漠に花を咲かせて、 この旅…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――012「前世(1861年版)」

    前世(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 私は長いあいだ、海辺の太陽が千の火で 染め上げた広大な柱廊の下に住んでいた。 その大きな柱は、まっすぐ厳かに並んで、 夕暮れは、玄武岩の洞窟と同様に見えた。 大空の姿を映して巻きこむ波のうねりは、 その豊かな音楽に備わった全能の和音と、 私の眼にも照り映えた沈む夕日の色彩を、 厳粛で神秘なる仕方で混ぜ合わせていた。 そこが私の静かな愉悦に生きたところだった。 蒼穹と、白波と、光輝と、全身に香の染みた 裸の奴隷たちに取り巻かれていたというのに、 棕櫚の葉で私の面に涼を取らせていた彼らに、 唯一できた世話は、私をもの憂くさせていた 痛ましい…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――011「不遇(1861年版)」

    不遇(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 これほど重い重石を持ち上げるとなると、 シシュフォスよ、汝の勇気が必要だろう! よくよく作品に心をこめようと、 芸術の道は長く、時は短かろう。 名立たる墓所からは遠く離れた、 孤立した墓地のほうへと向かう、 わが心臓は、幕のかかったドラムめいた、 送葬のマーチを打ち鳴らして進むだろう。 ――数多の宝石が埋もれて眠る。 闇と忘却のなかで、 鶴嘴と測鉛からよくよく遠くで。 数多の花が悔しげに打ち明ける。 秘密めいた甘い香りを惜しんで、 深き孤独のなかで。 LE GUIGNON Pour soulever un poids si lourd,…

  • 闇――highfashionparalyze「蟻は血が重要である」について(『Bar触手』始動を祝して)

    われわれの身に起こる数々の善きものの中でも、その最も偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである。――プラトン『パイドロス』*1 闇が光の欠如であるなどというのは迷信である。闇とは、殊に人間精神の闇とは、開花を待つ豊穣な潜勢力を秘めた領野にかかったベールである。 人は反抗する犬を怖れはしない。真に人を畏怖させるのは享楽する闇である。未知なる享楽を狂気と区別することは難しい。だが、そのような享楽だけがポエジーと呼ばれるに値する。この、決して飼い馴らすことのできない無尽蔵の闇にこそ、人は戦慄するのだ。 highfashionparalyzeの1st single「spoiled/蟻は血が重要で…

  • 「アヴェ・マリア」とミューズたち――黒百合姉妹とナターシャ・グジー

    宗教というものについて、ボードレールは『火箭』の冒頭に、「たとえ神が存在しないとしても、〈宗教〉はやはり〈神聖〉かつ〈神々しい〉ものであるだろう」*1という有名なテーゼを遺している。おそらくこれは、サド侯爵のキリスト教批判へのボードレールの答えである。 さまざまな解釈が可能だろうが、ここでは文字どおりの意味で受け取ればいいだろう。すなわち、神がいようがいまいが、「神聖さ」や「神々しさ」を感じるものは存在する。それも、私たちが実際に見たり聞いたりして体験することができるものとして確かに存在しているのだ。もしかすると、それは神とはなんの関係もないのかもしれないが、私たちが「神聖さ」や「神々しさ」と…

  • 『悪の華』の謎を解く1――「アヴェ・マリア」と「祝福」

    シャルル・ボードレールの韻文詩集『悪の華』は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』と同じく、キリスト教の『聖書』の知識がないと、なにが書かれているかを充分に読み説くことがむずかしい書物である。 韻 文 訳悪 の 華シャルル・ボードレール平岡公彦訳トップページにほんブログ村 聖書の物語は、欧米のキリスト教文化圏の人々にとっては一般教養というよりも常識と呼ぶのがふさわしい知識だろう。私たち非キリスト教国の国民でも、「創世記」におけるアダムとイブの物語や、『新約聖書』におけるイエスの誕生からゴルゴダの丘での刑死にいたる神話の大筋くらいはだれでも知っているはずだ。これまでの『悪の華』の解説も、読者も聖書の物…

  • シャルル・ボードレール/平岡公彦訳『韻文訳 悪の華』トップページ

    韻 文 訳悪 の 華1861年版シャルル・ボードレール平岡公彦訳© 2021-2023 Kimihiko Hiraoka 申し分なき詩人完璧なフランス文学の魔術師こよなく親愛と敬愛を寄せるわが師にして友テオフィル・ゴーティエに最も深き謙譲の気持ちとともに私は捧げるこれらの病多き花たちを C.B. 目次 000 読者に(2022.10.23一部改訳) 鬱屈と理想 001 祝福 (2023.1.1全面改訳)(解説増補)(朗読動画追加) 002 アホウドリ(2021.8.22一部改訳) 003 上昇(2021.11.7一部改訳) 004 照応(2022.5.8一部改訳) 005 無題(私が愛するのは…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――010「敵(1861年版)」

    敵(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 わが青春は、輝かしき陽光もあちこちに 通り抜けた暗澹たる雷雨でしかなかった。 落雷と雨のもたらした荒廃にさらされた私の庭に、 残ったものはごくわずかな紅緋色の実だけだった。 いまやこの私も理念の秋にさしかかった。 これからは私もシャベルやレーキを使い、 洪水が墓場のようにいくつも大きな穴をえぐった、 水浸しの土地を集めて新生させなければならない。 果たして、私の夢見る新たなる花たちは、 砂浜のように洗い流されたこの地からも、 力強くしてくれる神秘なる糧を見出せるだろうか? ――おお痛い! おお痛い! 時が生命を食えば、 われらの心を蝕んで…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――009「けしからぬ修道者(1861年版)」

    けしからぬ修道者(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 昔日の修道院にある回廊の大きな壁には、 聖なる真理が壁画に描かれて並んでいた。 その効果は、敬虔なる胎を温め直しては、 その謹厳さの孕む冷たさを和らげていた。 キリストのまいた種が花開いていたそのご時世に、 今日では、その名を引かれることも少なくなった、 一人ならぬ著名な修道者が、埋葬場をアトリエに、 純朴なる心で死神の栄光を称えていたものだった。 ――わが魂は、けしからぬ共住修道士のこの私が、 永遠の過去から歩きまわり、住み続けている墓場。 この忌々しき回廊の壁を飾るものなどなにもない。 おお、無為なる修道者よ! いつにな…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――008「魂を売るミューズ(1861年版)」の誤訳について

    前回公開したボードレール『悪の華』第8の詩「魂を売るミューズ」の韻文訳に、誤訳を発見してしまった。 今回の誤訳も、些細な解釈のズレや微妙なニュアンスのちがいのようなものではなく、確認不足と勉強不足によるごまかしようのないまちがいだった。それに加えて、この誤訳のせいで「LA MUSE VÉNALE」と続く「けしからぬ修道者(LE MAUVAIS MOINE)」とをつなぐ大事な蝶番が外れてしまっていることも新たに発見した。ということで、今回はいつものように部分改訳では済ませずに、どこをどうまちがったのかしっかりと説明しておきたいと思う。 念のため断っておくと、以前の韻文訳に加えている改訳は、主に訳…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――008「魂を売るミューズ(1861年版)」

    魂を売るミューズ(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 おお、わが心のミューズよ、宮殿に恋い焦がれる人よ。 君のもとには、一月がボレアスたちを放す頃、 雪の降る晩の黒い退屈がずっと続くあいだに、 紫色になった二本の足を暖める燃えさしはあるのかい? 君の大理石のようなまだら模様になった肩は、 鎧戸から洩れる夜の光線にでも蘇らせてもらう気かい? 君の財布が君の口と同じくらい渇いたときは、 紺青の丸天井から星の黄金でも獲り入れてくる気かい? 君もやるしかないんだよ。毎晩のパン代を稼ぐために、 聖歌隊の子供のように、振り香炉をふったり、 君もろくに信じていない「テ・デウム」を歌ったりさ。…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――007「病を得るミューズ(1861年版)」

    病を得るミューズ(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 わが不憫なミューズよ、ああ! 今朝はどうしたんだ? 落ちくぼんだ君の両目に、夜の幻が住みついているよ。 それに君の面持ちにも、冷たく無口になった 狂気と怖気が、代わるがわる映って見えるよ。 薄緑色のサキュバスと、薔薇色のリュタンが、 それぞれの水甕から恐れと恋心でも君に注いだのかい? そうやって横暴で悪戯な拳をふるった悪夢が、 伝説のミントゥルナエの沼の底まで君を沈めたのかい? 私は願っているよ。君の胸がまた健康の匂いを発散し、 いつでも力強い考えの訪れる場となってくれるように。 君のキリスト者の血も滔々とリズムよく流れるよ…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――006「灯台(1861年版)」

    灯台(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 ルーベンス、忘却の河、自堕落の庭、 そこはだれも愛せぬ瑞々しき肉の枕。 だが、生命は流れ込み、絶え間なく揺れ動く。 空に満ちたる空気や海に満ちたる海のごとく。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、奥深く薄暗い鏡、 そこに現れる魅力あふれる天使たち。 一面に神秘を湛えた甘い微笑を浮かべながら、 彼らの国を閉ざす氷河と松の陰から。 レンブラント、一面にざわめきの立ちこめる、 大きな十字架像だけが飾られた悲しき施療院。 泪ながらの祈りが汚物から立ち昇る。 にわかに通り抜ける一条の冬の光線。 ミケランジェロ、ヘラクレスたちと キリストたちが混在して見える…

  • ボードレールと三島由紀夫――三島由紀夫『潮騒』について

    前回新訳を公開した、シャルル・ボードレールの『悪の華』の5番めに収録されている無題詩は、三島由紀夫にとっての『潮騒』(1954年)のような作品だったのではないかと私は考えている。 潮騒 (新潮文庫)作者:三島 由紀夫新潮社Amazon 三島由紀夫も、代表作である『仮面の告白』(1949年)や『金閣寺』(1956年)がまさにそうであるように、鬱々とした内面の苦悩を描くイメージの強い作家だ。その三島が遺した膨大な作品のなかで、唯一の純愛小説と言われているのが、離島で暮らす漁師の少年、新治と、島の外から帰ってきた海女の少女、初江の恋を描いた『潮騒』である。 三島が人生初のギリシャ旅行の「昂奮のつづき…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳の試み6――韻文訳「無題(私が愛するのは、……)(1861年版)」

    無題(私が愛するのは、……)(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 私が愛するのは、フォイボスが彫像を黄金に 染めるのを好んだ、あの裸の時代の思い出だ。 その頃は、男も女も立ち居ふるまいも機敏に、 嘘もなく、不安もなく、楽しく過ごしていた。 恋しているような空は彼らの背中を愛撫して、 その高貴な機関を健やかに鍛え上げてくれた。 キュベレーはその頃、豊饒に作物を実らせて、 その息子たちを過剰な重石とは思わなかった、 共通の優しさに心を膨らませた雌狼となって、 その褐色の乳房をもって万物を潤してくれた。 優雅で、頑健で、強い力をもっていた男には、 彼を王と呼ぶ美女たちを誇れる権利があ…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳の試み5――韻文訳「照応(1861年版)」

    照応(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 自然とは一つの神殿。そこに生きる柱たちは、 時折、混迷した言葉を芽生えさせた。 そこを訪ねる人間は、親しげな視線で見守る、 象徴たちの森林のなかを通り抜ける。 遠くから響いて混ざりあう長き反響のように、 夜のように、明かりのように広がる、 暗闇に包まれた深遠な統一のうちに、 香りと、色彩と、音声とがお互いに応えあう。 ある香りは、幼い子供の肌のように瑞々しく、 オーボエのように甘く、牧草地のように青く、 ――別の香りは、堕落し、豊満し、勝ち誇り、 無限の諸事物にも等しく膨れ上がる、 龍涎香や、麝香や、安息香や、薫香のように、 精神と諸感…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳の試み4――韻文訳「上昇(1861年版)」

    上昇(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 いくつもの沼を越え、谷を越え、 いくつもの山を、森を、雲を、海を越え、 太陽の彼方、エーテルの彼方へ、 星々をきらめかせた天球の果ての彼方へ。 わが精神よ、おまえは機敏な動きで進む。 陶然と波間に戯れる泳ぎの名人のように、 おまえは言葉にならぬ雄々しき愉悦とともに、 深遠で計り知れぬ広がりに陽気に軌跡を刻む。 飛べ、この病の瘴気のよくよく遠くまで。 行け、上層の空気のなかまで身を浄めに。 そして飲め、純粋な神のリキュールのように、 澄み切った空間を満たしている明るい火まで。 靄に包まれた実存を圧する重石となった、 退屈も、広がる憂愁もみ…

  • ひどい翻訳の見本――ボードレール『悪の華』堀口大學訳「信天翁(あほうどり)」全文解説

    シャルル・ボードレール生誕200周年を機に『悪の華(1861年版)』の韻文訳に取りかかり、前回「アホウドリ」の新訳のために改めて「L’ALBATROS」の原文を読み直した。この詩は初版の1857年版には収録されていないため、しっかりとすみずみまで読んだのは今回がはじめてである。 悪の華 (新潮文庫)作者:ボードレール新潮社Amazon 新訳にあたっては、参考にするため既存の邦訳も精読することになる。すると、どうしても過去の翻訳にある間違いや欠陥が目についてしまう。私自身の旧訳でもそうなのだ。以前にも書いたことだが、誤訳はどんな翻訳にもある。だから、以前に書いた記事でも、たんなるミスを執拗に非難…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳の試み3――韻文訳「アホウドリ(1861年版)」

    アホウドリ(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 しばしば、気晴らしに船乗りたちは、 海の巨鳥、アホウドリをつかまえる。 こののんびり屋の旅の道連れたちは、 苦汁の淵を滑りゆく船についてくる。 船乗りたちが甲板に置いたとたんに、 この蒼穹の王は、不器用で恥晒しに、 その大きな白い翼をオールのごとく、 憐れにも両脇に引きずったまま歩く。 あの翼の生えた旅人が、なんと不格好で自堕落に! 先ほどのそれは美しき鳥が、なんと珍妙で醜悪に! ある者は、スモールパイプでその嘴を苛つかせる、 別の者は、ずり足で、飛んでいた不具者をまねる! 詩人は、嵐に出没し、射手を嘲笑う、 この雲上の貴公子に似…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳の試み2――韻文訳「祝福(1861年版)」

    祝福(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 至高なる者の力能の命により遣わされる、 詩人がこの退屈な世界に姿を現すに際し、 彼の母親は恐れ慄き、心を冒瀆に満たし、 憐れみ給う神に向け、拳をわななかせる。 ――「ああ! こんなお笑い種を養うくらいなら、 いっそ絡みあった蝮でも産めなかったものかしら! あたしの腹がこんな贖いのもとを宿してしまった、 あの儚い快楽の夜など、呪われてしまうがいいわ! あんたが情けない夫から嫌われる女にするために、 あらゆる女のあいだからあたしを選ばれたのなら、 こんなまともに育たない怪物でも、恋文のように、 炎へと投げ入れてしまうわけにもいかないのなら、…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳の試み1――韻文訳「読者に(1861年版)」

    読者に(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 愚行と、誤謬と、罪悪と、吝嗇とが、 われらの精神を占領し、肉体までをも変容させる。 かくして乞食が虱の類を養うごとく、 われらは愛すべき悔恨に餌を与えるというわけだ。 われらの罪悪は頑固だが、悔悛はたるんだものだ。 罪を告白すればたっぷり代償を払った気になって、 下卑た泪でことごとく汚点を洗い流したと信じて、 われらは泥だらけの道へと陽気に帰ってくるのだ。 悪の枕の上にはサタン・トリスメギストスが見え、 魔法のかかったわれらの精神を長く静かに揺する。 われらの意志という高い値打ちのある金属でさえ、 この博識の化学者にかかればことごとく…

  • 國分功一郎の奇説――國分功一郎「傷と運命――『暇と退屈の倫理学』新版によせて」を読む

    久しぶりにブログを更新する気になったので、今年3月に刊行された哲学者の國分功一郎の『暇と退屈の倫理学 増補新版』(太田出版)の書評を書くことにしよう。 暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)作者:國分 功一郎発売日: 2015/03/07メディア: 単行本 気がつくと、以前に記事を書いたのは10ヶ月もまえになるから、ほんとうに久しぶりだ。こんなに長くブログを放置していたのははじめてである。どうしてこんなにあいだが空いたのかというと、ほんとうに哲学の勉強をやめてしまったからだ。哲学者の千葉雅也の『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)関連の雑誌…

  • 哲学と文学の距離――いとうせいこう/千葉雅也「装置としての人文書――文学と哲学の生成変化論」を読む

    前々回、千葉雅也の『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)の書評の続きを書くと予告してから、またしてもずいぶんと間が空いてしまった。 動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学作者: 千葉雅也出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2013/10/23メディア: 単行本この商品を含むブログ (31件) を見る このまま放り出してもいいかなとも思っていたのだが、私もわからないままでは気持ちが悪いので、この間も『動きすぎてはいけない』関連の書評や対談が雑誌に載るたびにチェックはしていた。しかし、困ったことにそれでも私の理解は一向に前進しない。にも…

  • まさに奇跡の名曲――アミュー『この音とまれ!』作中オリジナル箏曲「龍星群」を聴く

    『ジャンプSQ.』の公式HPで公開されているアミューの『この音とまれ!』(ジャンプ・コミックス)の作中オリジナル筝曲「龍星群」を聴いた。 この音とまれ! 5 (ジャンプコミックス)作者: アミュー出版社/メーカー: 集英社発売日: 2014/04/04メディア: コミックこの商品を含むブログ (5件) を見る もう10回以上は動画を観たと思うが、何度観ても目のまえの映像が信じられない。最初に観たときはただただ圧倒されて呆然とし、二度目に観たときは自然と涙が出てきた。いま観ても油断するとちょっと涙ぐんでしまう。そうだ! 私はこういう曲が聴きたかったのだ! 私が待ち望んでいたのはまさにこの曲だ!!…

  • 切断の原理と肯定――千葉雅也『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』を読む2

    前回の『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)の書評を著者の千葉雅也さんご本人が読んでくださったようだ。おかげでやる気が出たので、続きを書いてみた。 動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学作者: 千葉雅也出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2013/10/23メディア: 単行本この商品を含むブログ (31件) を見る 誤解のないように最初に断っておくけれども、前回わからないと言ったところは、謙遜でも皮肉でもなく、ほんとうにわからない。考えに考えて、「これはこういうことだろうか?」とそれらしい解釈を思いついたところも、あとで考えなおして…

  • 千葉雅也の問題作――千葉雅也『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』を読む1

    紀伊國屋書店が主催する「紀伊國屋じんぶん大賞2013――読者と選ぶ人文書ベスト30」の大賞を受賞した哲学者の千葉雅也のデビュー作『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)を読んだ。 動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学作者: 千葉雅也出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2013/10/23メディア: 単行本この商品を含むブログ (31件) を見る この本は昨年2013年に刊行されたときに購入し、年内には読み終えていたのだが、うまく感想を整理することができなくて、書評を書くのがずいぶんと遅くなってしまった。やる気が起こらなかったせいもあ…

  • 名曲は不滅である――highfashionparalyze/GASTUNK/矢野沙織/DEAD END

    先週11月2日に、名古屋のAnoterInfernoで毎月開催されているhighfashionparalyzeのヴォーカリスト・kazumaさんのバーイベント、BlindFleshLounge riz-knight vol.25にお邪魔してきた。 そこでkazumaさんから直接YouTubeで公開しているライブの動画をシェアしてくれと依頼されたので、ここで紹介しよう。hfpの音源の発表は1st single「spoiled/蟻は血が重要である/形の無い 何よりも 愛したのは お前だけが」以来2年ぶりだ。それにしても、最新の音源がライブ映像とは! ファンとしては最高の幸せである。

  • 哲学を捨てる勇気――國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』を読む2

    前回は、哲学者の國分功一郎の『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)第Ⅲ章までのドゥルーズ論を読んできたので、今回は第Ⅳ章以降のドゥルーズ=ガタリ論を読んでいくことにしよう。 ドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書)作者: 國分功一郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2013/06/19メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログ (28件) を見る 今回もずいぶん更新に時間がかかってしまった。時間がかかった理由は、書いているうちにだんだんどうでもよくなってきて、途中で何度も放り出しそうになったからである。考えれば考えるほど、國分の解説がドゥルーズの哲学の理解としておかしかろうが、…

  • 克服すべき失敗作――國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』を読む1

    哲学者の國分功一郎によるドゥルーズ論『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)は、『思想』の連載で全部読んでいたので、単行本で新たに書き足されたところをざっと読んで放置していた。 ドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書)作者: 國分功一郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2013/06/19メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログ (28件) を見る 思えば、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)以来、國分の仕事にケチをつけてばかりいる。私としては、ただおかしいと思ったところや疑問に思ったところをそのとおり書いているだけなのだが、それがほかの人にどう見えているかはわからない。私も、そ…

  • 2013年最高の収穫――アミュー『この音とまれ!』を読む

    2013年はまだ半分ちょっとが過ぎたところだが、今年私が見つけた最高のマンガはアミューの『この音とまれ!』(ジャンプ・コミックス)でもう確定のようだ。これだけ夢中になれる作品にはそうそう出合えるものではない。 この音とまれ! 1 (ジャンプコミックス)作者: アミュー出版社/メーカー: 集英社発売日: 2012/11/02メディア: コミック クリック: 3回この商品を含むブログ (45件) を見る

  • まだまだある誤訳――ボードレール『悪の華』の邦訳の誤訳について2

    「どの翻訳を選ぶか――ボードレール『悪の華』の邦訳の誤訳について」がずいぶんと好評だったので、調子に乗ってもう少し続きを書くことにしよう。幸か不幸か、ボードレールの『悪の華』の誤訳についてはまったくネタに不自由することがない。すでに『悪の華』を読まれた方も、これから読んでみようとお考えの方も、少しでも参考にしていただければ幸いである。 Les fleurs du mal作者:Baudelaire, CharlesGallimardAmazon とはいえ、前回の記事も今回の記事も、じつは2007年に以前のブログ『平岡公彦のボードレール翻訳日記』をはじめたばかりのときに書いた記事をただまとめなおし…

  • 音楽のない思春期――押見修造『惡の華』を読む

    前回のボードレールの『悪の華』の堀口大學訳をはじめとする既存の邦訳の誤訳を解説した記事に予想外の反響をいただき、驚いている。押見修造の『惡の華』(講談社コミックス)の影響力は私が思っていた以上にすさまじかったようだ。 惡の華 (8) (講談社コミックス)作者:押見 修造講談社Amazon 正直に言うと、私は押見が『惡の華』で描いているような思春期は、私たちの世代までで終わっていて、いまの若い人たち(と書くとじじいのようだが)はもうこんなことで悩んだりはしていないのではないかと思っていた。だが、それはまちがいだったようだ。考えてみれば、ボードレールやスタンダールやドストエフスキーがこうした思春期…

  • どの翻訳を選ぶか――ボードレール『悪の華』の邦訳の誤訳について

    今年アニメ化された押見修造の『惡の華』(講談社コミックス)のおかげで、ボードレールの『悪の華』にふたたび注目が集まっているようだ。訳者の一人として、喜ばしく思う。 惡の華(1) (少年マガジンKC)作者:押見 修造講談社Amazon 押見の『惡の華』は読んでいたが、私自身、しばらくボードレールから遠ざかっていたし、そもそも読んだことを公言することがはばかられるようなマンガだということもあり(笑)、なかなかそのことを書く機会がなかった。これだけ大きくボードレールを看板に掲げた作品なのだから、おそらく私以外のボードレールの訳者や研究者も一巻くらいは読んでいるのではないか。 いい機会なのでこのマンガ…

  • 國分功一郎の迷走――國分功一郎/宇野常寛「いま、消費社会批判は可能か」を読む1

    いつまでもブログをほったらかしにしておくわけにもいかないので、最近読んだ『PLANETS vol.8』に掲載された評論家の宇野常寛による哲学者の國分功一郎へのインタビュー「いま、消費社会批判は可能か」の感想でも書いておくことにしよう。 PLANETS vol.8作者: 濱野智史,安藤美冬,猪子寿之,荻上チキ,開沼博,萱野稔人,國分功一郎,駒崎弘樹,鈴木謙介,速水健朗,福嶋亮大,藤村龍至,古市憲寿,水無田気流,吉田徹,與那覇潤,尾原和啓," "宇野常寛,中川大地宇野常寛出版社/メーカー: 第二次惑星開発委員会発売日: 2013/01/04メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 7人 クリック:…

  • 納富信留の迷解説――プラトン『ソクラテスの弁明』を読む

    光文社古典新訳文庫からプラトン研究者の納富信留によるプラトンの『ソクラテスの弁明』の新訳が刊行されたので、久しぶりに読んでみた。ちょうどなにもかも一からやり直したいと思っていたところだったから、いい機会だったと思う。 ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)作者: プラトン,納富信留出版社/メーカー: 光文社発売日: 2012/09/12メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 13回この商品を含むブログ (12件) を見る

  • 哲学は役に立つか――プラトンの倫理学3

    「人はいかに生きるべきか」という問いは、人が生涯をつうじて絶えず問い直すべき問いである。そう言明する者には、求道者としての高潔さや矜持さえ感じられるかもしれない。だが、この問いを問う者が、いつまでもみずからの生き方を決められずにいるとすれば、それはおおよそ人のめざすべきあり方ではない。 プラトン全集〈9〉 ゴルギアス メノン作者: 加来彰俊,藤沢令夫出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2005/09/23メディア: 単行本 クリック: 4回この商品を含むブログ (2件) を見る 人はみずからの生き方を決めなければならない。しかし、「人はいかに生きるべきか」という問いは、それを問う者の生き方を…

  • 倫理と人生の目的――プラトンの倫理学2

    人はいかに生きるべきか。プラトンの『ゴルギアス』において、ソクラテスが「少しでも知性をもつ人間をそれ以上に真剣にさせる問題は存在しない」と断言したこの問いから出発する哲学書や倫理学書は無数に存在する。 プラトン全集〈9〉 ゴルギアス メノン作者: 加来彰俊,藤沢令夫出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2005/09/23メディア: 単行本 クリック: 4回この商品を含むブログ (2件) を見る そこで、友情の神ゼウスの名にかけて、カリクレスよ、どうか、君自身としても、ぼくに対して冗談半分の態度をとるべきではないと考えてくれたまえ。また、その場その場の思いつきを、心にもないのに、答えるようなこ…

  • プラトンの偉大さ――プラトンの倫理学1

    哲学を学ぼうと考える人がプラトンの対話篇を手に取ることは、いくつかある哲学へのよい入口の一つではなく、考えうる最良の入口である。そして、みずから哲学することをはじめたければ、人はできるだけはやくプラトンの対話篇と出会い、ソクラテスをはじめとする登場人物たちとみずから対話しなければならない。 プラトン全集〈1〉エウテュプロン ソクラテスの弁明 クリトン パイドン作者: プラトン,今林万里子,松永雄二,田中美知太郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2005/01/25メディア: 単行本 クリック: 8回この商品を含むブログ (11件) を見る このように書くと、すぐさま時代錯誤の権威主義の腐臭…

  • ハイデガー超入門――『暇と退屈の倫理学』をめぐる國分功一郎さんとの質疑応答2

    哲学者の國分功一郎さんに再度した『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)についての質問のお返事を待っているあいだに、ちょっとハイデガーの哲学を復習しておこうと思います。 暇と退屈の倫理学作者: 國分功一郎出版社/メーカー: 朝日出版社発売日: 2011/10/18メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 13人 クリック: 146回この商品を含むブログ (128件) を見る 前回までの質疑応答の内容に関係のあるところを中心にハイデガーのテクストを読んでいこうと思いますので、以下の記事は、次のリンク先にある國分さんのブログの記事のコメント欄を熟読してからお読みください。 『暇と退屈の倫理学』今日発売、…

  • ハイデガーと決断――『暇と退屈の倫理学』をめぐる國分功一郎さんとの質疑応答1

    昨年哲学者の國分功一郎さんにした『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)についての質問にご回答をいただきました。非常にご多忙にもかかわらず、時間をかけて真剣に答えてくださったことがわかる長文の論考に感動しております。ほんとうにありがとうございました。 暇と退屈の倫理学作者: 國分功一郎出版社/メーカー: 朝日出版社発売日: 2011/10/18メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 13人 クリック: 146回この商品を含むブログ (128件) を見る ということで、今回は唐突に文体を変更し(笑)、國分さんの労にお応えするため、いただいたお返事にしっかりとお答えしたいと思います。 以下の記事は、次…

  • 消費をどう見るか――宇野常寛/國分功一郎「個人と世界をつなぐもの」を読む2

    『すばる』2012年2月号に掲載された批評家の宇野常寛と哲学者の國分功一郎の対談「個人と世界をつなぐもの」における議論のなかでいちばん目を引くのは、やはり消費社会をめぐる両者の見解の対立である。 すばる 2012年 02月号 [雑誌]出版社/メーカー: 集英社発売日: 2012/01/06メディア: 雑誌購入: 2人 クリック: 19回この商品を含むブログ (4件) を見る 「消費社会にいかに対抗するか」という問題は、國分の『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)の一つの大きな柱となっている。それに対する國分の処方箋が適切であるかどうかを判断するには、まずはその診断が正しいかどうかを確かめてみる必要…

  • 宇野常寛について――宇野常寛/國分功一郎「個人と世界をつなぐもの」を読む1

    『すばる』2012年2月号に掲載された批評家の宇野常寛と哲学者の國分功一郎の対談「個人と世界をつなぐもの」を読んだ。 すばる 2012年 02月号 [雑誌]出版社/メーカー: 集英社発売日: 2012/01/06メディア: 雑誌購入: 2人 クリック: 19回この商品を含むブログ (4件) を見る 対談の内容は、昨年2011年に刊行された宇野の『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)と國分の『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)のプロモーションをしつつ、そこで論じられている個別の論点について意見交換をするというオーソドックスなものだ。とはいえ、なかにはかなり突っ込んだ議論もあり、とりわけ消費社会につい…

  • 概念の創造の実践――國分功一郎『スピノザの方法』を読む

    「それではこの神のことを、われわれは、その寝椅子の『本性(実在)製作者』、または何かこれに類した名で呼ぶことにしようか?」 ――プラトン『国家』*1 哲学者の國分功一郎の博士論文であり、初の著書でもある『スピノザの方法』(みすず書房)のテーマは、タイトルのとおりスピノザの方法である。 スピノザの方法作者: 國分功一郎出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2011/01/21メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 106回この商品を含むブログ (38件) を見る スピノザの方法といえば、だれもが幾何学的方法と呼ばれる『エチカ』(1677年)の記述スタイルを想起するだろう。だが、本書が課題と…

  • 概念の創造の方法――國分功一郎「ドゥルーズの哲学原理(1)」を読む

    ジル・ドゥルーズの哲学は、なによりその難解さで悪名高い。とりわけフェリックス・ガタリとの共同執筆を開始してからのテクストは、もはやそこでなにが論じられているのかさえわからないと匙を投げる人は専門の哲学研究者のなかにさえ多く、あげくの果てには、ミシェル・フーコーやジャック・デリダといった、他のいわゆるポストモダン思想家と一括りに相対主義のレッテルを貼って片づけてしまう竹田青嗣のようなエセ哲学者がのさばる始末だった。 それゆえ、日本ではドゥルーズの名を広く知らしめた浅田彰のベストセラー『構造と力』(勁草書房)に端を発した80年代のニューアカ・ブームが終息して以降、ドゥルーズの哲学は長らく誤解と無視…

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