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平岡公彦のボードレール翻訳ノート https://kimihikohiraoka.hatenablog.com/

ボードレール『悪の華[1857年版]』(文芸社刊)の訳者平岡公彦のブログ

ボードレールの韻文詩集『悪の華』の韻文訳や解説を公開しています。

平岡公彦
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富山市
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富山市
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2009/01/18

  • 闇――highfashionparalyze「蟻は血が重要である」について(『Bar触手』始動を祝して)

    われわれの身に起こる数々の善きものの中でも、その最も偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである。――プラトン『パイドロス』*1 闇が光の欠如であるなどというのは迷信である。闇とは、殊に人間精神の闇とは、開花を待つ豊穣な潜勢力を秘めた領野にかかったベールである。 人は反抗する犬を怖れはしない。真に人を畏怖させるのは享楽する闇である。未知なる享楽を狂気と区別することは難しい。だが、そのような享楽だけがポエジーと呼ばれるに値する。この、決して飼い馴らすことのできない無尽蔵の闇にこそ、人は戦慄するのだ。 highfashionparalyzeの1st single「spoiled/蟻は血が重要で…

  • 「アヴェ・マリア」とミューズたち――黒百合姉妹とナターシャ・グジー

    宗教というものについて、ボードレールは『火箭』の冒頭に、「たとえ神が存在しないとしても、〈宗教〉はやはり〈神聖〉かつ〈神々しい〉ものであるだろう」*1という有名なテーゼを遺している。おそらくこれは、サド侯爵のキリスト教批判へのボードレールの答えである。 さまざまな解釈が可能だろうが、ここでは文字どおりの意味で受け取ればいいだろう。すなわち、神がいようがいまいが、「神聖さ」や「神々しさ」を感じるものは存在する。それも、私たちが実際に見たり聞いたりして体験することができるものとして確かに存在しているのだ。もしかすると、それは神とはなんの関係もないのかもしれないが、私たちが「神聖さ」や「神々しさ」と…

  • 『悪の華』の謎を解く1――「アヴェ・マリア」と「祝福」

    シャルル・ボードレールの韻文詩集『悪の華』は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』と同じく、キリスト教の『聖書』の知識がないと、なにが書かれているかを充分に読み説くことがむずかしい書物である。 韻 文 訳悪 の 華シャルル・ボードレール平岡公彦訳トップページにほんブログ村 聖書の物語は、欧米のキリスト教文化圏の人々にとっては一般教養というよりも常識と呼ぶのがふさわしい知識だろう。私たち非キリスト教国の国民でも、「創世記」におけるアダムとイブの物語や、『新約聖書』におけるイエスの誕生からゴルゴダの丘での刑死にいたる神話の大筋くらいはだれでも知っているはずだ。これまでの『悪の華』の解説も、読者も聖書の物…

  • シャルル・ボードレール/平岡公彦訳『韻文訳 悪の華』トップページ

    韻 文 訳悪 の 華1861年版シャルル・ボードレール平岡公彦訳© 2021-2023 Kimihiko Hiraoka 申し分なき詩人完璧なフランス文学の魔術師こよなく親愛と敬愛を寄せるわが師にして友テオフィル・ゴーティエに最も深き謙譲の気持ちとともに私は捧げるこれらの病多き花たちを C.B. 目次 000 読者に(2022.10.23一部改訳) 鬱屈と理想 001 祝福 (2023.1.1全面改訳)(解説増補)(朗読動画追加) 002 アホウドリ(2021.8.22一部改訳) 003 上昇(2021.11.7一部改訳) 004 照応(2022.5.8一部改訳) 005 無題(私が愛するのは…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――010「敵(1861年版)」

    敵(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 わが青春は、輝かしき陽光もあちこちに 通り抜けた暗澹たる雷雨でしかなかった。 落雷と雨のもたらした荒廃にさらされた私の庭に、 残ったものはごくわずかな紅緋色の実だけだった。 いまやこの私も理念の秋にさしかかった。 これからは私もシャベルやレーキを使い、 洪水が墓場のようにいくつも大きな穴をえぐった、 水浸しの土地を集めて新生させなければならない。 果たして、私の夢見る新たなる花たちは、 砂浜のように洗い流されたこの地からも、 力強くしてくれる神秘なる糧を見出せるだろうか? ――おお痛い! おお痛い! 時が生命を食えば、 われらの心を蝕んで…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――009「けしからぬ修道者(1861年版)」

    けしからぬ修道者(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 昔日の修道院にある回廊の大きな壁には、 聖なる真理が壁画に描かれて並んでいた。 その効果は、敬虔なる胎を温め直しては、 その謹厳さの孕む冷たさを和らげていた。 キリストのまいた種が花開いていたそのご時世に、 今日では、その名を引かれることも少なくなった、 一人ならぬ著名な修道者が、埋葬場をアトリエに、 純朴なる心で死神の栄光を称えていたものだった。 ――わが魂は、けしからぬ共住修道士のこの私が、 永遠の過去から歩きまわり、住み続けている墓場。 この忌々しき回廊の壁を飾るものなどなにもない。 おお、無為なる修道者よ! いつにな…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――008「魂を売るミューズ(1861年版)」の誤訳について

    前回公開したボードレール『悪の華』第8の詩「魂を売るミューズ」の韻文訳に、誤訳を発見してしまった。 今回の誤訳も、些細な解釈のズレや微妙なニュアンスのちがいのようなものではなく、確認不足と勉強不足によるごまかしようのないまちがいだった。それに加えて、この誤訳のせいで「LA MUSE VÉNALE」と続く「けしからぬ修道者(LE MAUVAIS MOINE)」とをつなぐ大事な蝶番が外れてしまっていることも新たに発見した。ということで、今回はいつものように部分改訳では済ませずに、どこをどうまちがったのかしっかりと説明しておきたいと思う。 念のため断っておくと、以前の韻文訳に加えている改訳は、主に訳…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――008「魂を売るミューズ(1861年版)」

    魂を売るミューズ(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 おお、わが心のミューズよ、宮殿に恋い焦がれる人よ。 君のもとには、一月がボレアスたちを放す頃、 雪の降る晩の黒い退屈がずっと続くあいだに、 紫色になった二本の足を暖める燃えさしはあるのかい? 君の大理石のようなまだら模様になった肩は、 鎧戸から洩れる夜の光線にでも蘇らせてもらう気かい? 君の財布が君の口と同じくらい渇いたときは、 紺青の丸天井から星の黄金でも獲り入れてくる気かい? 君もやるしかないんだよ。毎晩のパン代を稼ぐために、 聖歌隊の子供のように、振り香炉をふったり、 君もろくに信じていない「テ・デウム」を歌ったりさ。…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――007「病を得るミューズ(1861年版)」

    病を得るミューズ(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 わが不憫なミューズよ、ああ! 今朝はどうしたんだ? 落ちくぼんだ君の両目に、夜の幻が住みついているよ。 それに君の面持ちにも、冷たく無口になった 狂気と怖気が、代わるがわる映って見えるよ。 薄緑色のサキュバスと、薔薇色のリュタンが、 それぞれの水甕から恐れと恋心でも君に注いだのかい? そうやって横暴で悪戯な拳をふるった悪夢が、 伝説のミントゥルナエの沼の底まで君を沈めたのかい? 私は願っているよ。君の胸がまた健康の匂いを発散し、 いつでも力強い考えの訪れる場となってくれるように。 君のキリスト者の血も滔々とリズムよく流れるよ…

  • ボードレール『悪の華』韻文訳――006「灯台(1861年版)」

    灯台(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 ルーベンス、忘却の河、自堕落の庭、 そこはだれも愛せぬ瑞々しき肉の枕。 だが、生命は流れ込み、絶え間なく揺れ動く。 空に満ちたる空気や海に満ちたる海のごとく。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、奥深く薄暗い鏡、 そこに現れる魅力あふれる天使たち。 一面に神秘を湛えた甘い微笑を浮かべながら、 彼らの国を閉ざす氷河と松の陰から。 レンブラント、一面にざわめきの立ちこめる、 大きな十字架像だけが飾られた悲しき施療院。 泪ながらの祈りが汚物から立ち昇る。 にわかに通り抜ける一条の冬の光線。 ミケランジェロ、ヘラクレスたちと キリストたちが混在して見える…

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