当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
いきなりなタイトルをつけてしまいましたが(笑)。これから年の暮れに向かおうとしている季節、世相はあまり良いとも思えない状況で、終わらない戦争、波のように寄せては引くを繰り返すコロナ、揺れるカルトとズブズブの政権与党の支持率低迷と、あげれば
地域タグ:福岡県
接客空間としての畳間がなくなったり、収納が多目的な押し入れから、シュークロークやファミリークロークというような収納物を想定したスペースになったり、LDKプランがありきたりなものではなく、ご家族の在り方により多種多様化したり、これからも住ま
全体の気積を小さくすることは、維持管理する空気の温湿度にかけるエネルギーを小さくすることにつながります。住まいづくりをするタイミングとしては、子育て世代で家族が一番マックスヴォリウムにある瞬間であることが多いので、その瞬間に必要な大きさで
この30年の変遷の中でも、子供室の考え方などは、大きく変わってきた部分なのかもしれません。当初はやはりかなり贅沢な子供室を所望される方が多かった。施主様自体が子供の頃、満足した子供室が与えられなかったこともあって、子供達には独立した部屋を
もう、30年あまりこの仕事についていますが、 住まいづくりも徐々に、でも随分変わってきました。最初の頃の私の仕事は40坪50坪は当たり前で、今からすると随分大きな住まいばかりだったと思います。今から思えばまだ若く、住まい手のいうままに創っ
一口に「住まい」と言っても、この国の場合は、その住まいの業態や販売システムなどが多種多様、さまざまなプロセスがあって、一般の方からは分かりにくい部分がとてもあると思います。要は広告を見てローンの算段だけして出来上がったものをポっと買ってし
丁度、福岡パッシブハウスを着工したのが、あの東日本大震災の前日ですから、ガラガラと変わる価値観の中で、私たちも必死にそのニーズに応えようとしていたことを思い出します。お一人お一人の快適を求めて始めた住まいづくりですが、あの3.11以降はそ
10年ほど前に、これも奇遇にもある方の紹介で、ドイツ由来のパッシブハウスのノウハウを持ち帰り帰国された森さんをご紹介いただきました。すでに著書「世界基準のいい家を建てる」は読んでいましたが、お会いしてすぐ意気投合してお誘いがあり、瞬く間に
ポツリポツリと住宅の引き合いが来始めた頃は、本当に嬉しかった。一棟建てさせていただく度に課題は生まれ、北海道の先輩たちに支えられて創り始めた高気密高断熱住宅を、当地福岡のためにカスタマイズさせていくのに必死でした。やはり圧倒的な気候の違い
折しもバブルが弾け、デベロッパーや不動産絡みからの企画がいくつか立ち消えになった時点で私は北海道に通うようになっていたのです。当時のお仲間たちは、あなたが九州で真面目に取り組まれるのならと、口々に協力を惜しまないと言ってくださって、そのお
鉄骨鉄筋コンクリート造8階建ての複合ビルは、街の中心部にあって、1階が店舗、2〜6階がオフィス、7.8階がオーナーの住居というものでしたが、スーパーゼネコンの下請け時代で複合開発的な大規模なものから様々な構造のもの
近年、非常に短くなってしまいましたが、中間期という私たちの暮らしに最もやさしい気候を十分に満喫して、その感覚を深くご自分に刻むことは大変重要なことだと思います。とかく数字が見えてくると、そのことばかり頼りすぎて、その値に一喜一憂して、とも
住まいは、非常にベーシックな土台作りという部分が多くて、最近やたら脚光を浴びていますが、省エネであるとか室内温湿度をより整えるということは、まさにベーシックで、住まい手が意識しないですむ環境を求めて仕立てていくものです。いわば、取り立てて
春夏の気候の良い時をイメージすると、少し蘇ってくるのは「何も感じない」という言葉です。暑くも寒くもないちょうど良い感じというポイントが、人それぞれにあるのだと思います。これには若干の個人差がありますが、その感覚をキープしていくことが室内環
私たちが高性能住宅の設計を始めた30年ほど前は、夏と冬の間に要は窓を開ければ気持ち良い空気であるという結構な長さの中間期があって、それを少しだけ補いながら、冷暖房が必要な時期を少しでも短くするというイメージが高性能の役割でした。その頃から
暑かった夏から、少しずつ空も高く澄んだ空気感に包まれていって、少しずつ気温も過ごしやすい季節に入り、時折朝晩は冷え込んでくる季節になりました。日中も過ごし良い日が多い福岡です。夏と冬の間の「秋」と、今度は冬から夏の間の「春」のこの過ごしや
この、今の住まいの高性能化の流行も、いつか伸び代を消化してしまい、それ以上は商売ネタとしてはあまり面白くないなどとなると、一気に騒がなくなるものだと思ったりします。何十年もやっているお仲間はいざ知らず、少なからずブームに乗った人々はそのう
住まいの高性能化がボトムアップされて、全体のレベルが上がっていくことは、私たちとしても悲願であるし、そのことに何の依存もありません。ただ、この流れで注意しなければならないのは、性能というものはあくまで前提条件であって、住まいの一要素である
材料高騰や景気の低迷で、住まい創りを誰にでも手軽にという時代は、実はもうこの国ではとっくの昔に過ぎていってしまっているのかもしれません。35年の住宅ローンが成立するのも、物価スライドに並行して賃金も上がり、景気が安定して俯瞰できるからで、
これまでも、「買うから創るへ」などという表現を使って、大多数の住まいづくりへのプロセスに疑問を投げかけてきました。いわゆるお仕着せの完成品を何十年というローンを組んで買うという、今では当たり前の住宅建設のプロセスに私などは大きな違和感を覚
私たちは、住まいという巨大なものを構築していくことを生業としています。よく思うのは、私たちは一つの大変大きなヴォリウムのあるものを作っているのだけれど、中味は実は住まい手の暮らしそのものであるから、ほとんどその外皮と言われる皮の部分を作っ
住まいの性能に関しては、まだまだ上げていかなければならないとずっと言い続けてきました。業界のマイノリティーの頃から、その想いは全く変わりません。ただ、極端な言い方をすれば、住まいそのものの本質は、全く別の部分にある
異端児が踏ん張っていた時代は、言うなれば創り手も建てる側も、まさに真剣勝負でしたから、心を一つにする分、言い方は変ですが、確実に中身の濃い住まいづくりができていたような気がします。そう言う部分では、今、
当時は、周りから何を言われても、真理はそこにあると志を持って高気密高断熱を実践している猛者が全国にポツリポツリとおられました。「九州と言う断熱途上エリアでお前が頑張るなら、いくらでも協力は惜しまない」と北海道のお仲間たち、諸先輩は言ってく
では、今と当時とでは何が違ったかというと、根本的に「高気密高断熱」というものが関東以西ではあまり知られていなかったために、ほとんどアウェイというか、とにかく大変でした。一言物申せば九州で断熱など狂ってると言わんばかりの扱いで、よく興味本位
ちょいと振り返れば、20代の半ばに向こうみずにポンと開業した事務所も35年目を歩んでいて、ただ潰れようがなかっただけのことですから威張れたものではないですが(笑)、ずいぶん時が経ってしまったなと思うことが多くなりました。最初のうちは店舗や
私たちがヒアリングの途中で、必ず今の暮らしぶりを見させていただくのは、そういう些細な住まい手の感覚の部分を少しでも理解するためです。そこからそのまま引き継いで行った方が違和感なく暮らせる普遍の部分と、少しでも改善し、今までとは違ったアプロ
間取りはともすると汎用のLDKプランを意識するあまり、なんとなくありきたりなものに陥りやすいし、盲目的にバリアフリーばかりを意識するとかえって段差がないことでメリハリのない空間構成になってて行ったりもします。手すりも、至る所につければ良い
例えば、階段に関してはあらゆる基準よりも緩い勾配となるように、自社の基準寸法を決めてしまっていますし、その寸法で階段を創れば、おおよその方は手すりを使わずに上階から降りてくることができたりします。階段は登る時よりも降りる時の方がずっと心身
一口に、間取りと言っても、簡単で汎用性がありそうなLDKプランで、はたして良いかということはいつも考えます。であれば、私などがない頭を絞る必要はないわけで、私の今までの仕事を見てくださって依頼をかけてくださるお客様は、それ以上のものを期待
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史