当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
いろいろなものが、上昇気流に乗って拡大している時は勢いがあり、ゆとりもありますから皆笑顔で、それなりの充実感を味わえる雰囲気がありますが、今、このたった今をみたときに、世界全体は停滞と衰退、難航と迷走というキーワードばかりでなかなかそうい
冒頭から何だか住まいとは全く関係のないこのところの社会情勢のお話をしましたが。胸を締め付けるような今の現状が、住まいづくりにも影響しないわけがないわけで、コロナ、戦争によって世界的に刺々しい今を見ていると、住まいはより優しくなければならな
ウクライナの戦争は未だ終息の見込みもつかず、泥沼の様相を呈してきました。極東の離れた島国にいる我々が、やれどっちが悪い、いや本当はこっちなんだ、裏で糸を引いているのは…とネット上でしたり顔で論議しているのを見ると、本当に切な
住まいは何十年も住まい手と語らいます。そのための仕掛けを私たちはたくさん住まいの中に織り込みます。起きている時も寝ている時も、住まい手の安らぐ暮らしのベースとして、能弁に語ります。手すりを握った瞬間にその握りよさや絶妙な位置に感動したり。
私は住まいづくりが終わると、できるだけ住まい手にその住まいの主座に座っていただいて、創り手である私たちは見守りのほうに周り、名実ともにその住まいのフィット感を感じていただくために用がなければなるべく存在を消したいと思うほうです。大昔は建築
文筆業が専門ではありませんから、拙い語りで恐縮なのですが、やはり字面を追いかけて、私の駄文を読んでくださる方たちとは、ある種の共感が前提としてあり、そこから始まるがゆえに色々な意思疎通がうまくいく気がしてしまいます。よく言われる行間が語る
例えば、一冊の本を世に出すためには、草稿から校正を何度も重ねて手間暇かけなければなりません。それだけに、一冊の本には英知が詰まり、私たちは擬似的にその筆者の叡智を少なからず享受できるのですが、近年のネット社会はそういうプロセスをきちんと踏
10年以上も毎日このブログを綴っていて、何が口籠るだと言われそうなタイトルになってしまいました(笑)。ただ、このブログに文章を綴るという事は、公明正大に何かを派手に発表しているというよりは、日々の生業のなかで感じている事を呟いているような
「安心」とはいつまでも、変わらなくてよいものは安定した形で普遍に当たり前にそこにあって、逆に住まい手の成長とともに変わるべきところは躊躇わず変わっていくような柔軟性をも持ち合わせる、そんな住まいに宿るものではないかなと思ったりします。基本
よくメンテナンスがいらないようにと私たちも結構簡単に話しますが、実は時間スパンをどう考えるかでこの言葉の持つ意味も変わってきます。恒久的な意味でのメンテナンスフリーはまやかしであり、あり得ません。本当は、10年、20年という時間スパンで考
このところの高性能ブームが皆さんの安心につながるか?という部分で言えば、流布されている情報が極めて曖昧な定義と物差しで語られているものも多く含むカオスであるために、それだけでは判断つかないというのが私の感覚です。これから少しこのブームが続
一口に「安心」と言っても。切り口は無限にあって、心身ともに大安心を得るためには、さまざまな要素が入り混じって作用しているからなかなか大変です。 まず身体に対しての部分から言えば、安心とはつまり反対語である不安、ストレスがないということです
世情の不安は一向に改善する気配もなく、コロナと戦争でズタズタにされた社会の中で、住まい創りをしている者の一人として、常から思っていることではあるのですが、いよいよ住まいというものは、皆さんの安らぐ場所という意味合いが濃くなってきているので
コロナ禍のインターネット依存の拡大の中、御多分に洩れず高性能住宅分野でもカオスなインターネット情報が真理の如く取り扱われる昨今、一抹の不安を感じながらその流れの中でいかに実感のある上質な空間を創り得るかということをこのところずっと考えてい
この数年のコロナで、なかなか叶わなかったオープンハウスが、少し立て続けに開催できたことで改めて感じることがすごく多かった。皆さんとの時間の共有で、その空間に包まれて感る感覚を語り合えるということの贅沢さは、むしろしばらくそうできなかったこ
だからと言って、懇切丁寧に私がなぜそんな住まいを創り出したかを事細かに解説するのも少し違います。例えば郊外の住宅展示場に行って、ビルダーの営業マンがされるようなセールストークも私の仕事を見ていただくには必要ないと思ったりします。まだご入居
思えば、入居前の大切な住まいで、傍若無人にも私が茶道具を持ち込み、私の好みの音楽をかけて お客様をお迎えをするわけですから、本当に理解のあるお客様に恵まれてありがたいことだと思います。なぜ、そのようなままごとのようなことをするかといえば、
清々しい陽気の日々が続いていますね。バタバタとイベントが立て続けに開催され、私もお客様と目の前で生でお話しする機会に恵まれ、久しぶりにたくさんの元気をいただく期間でした。やはり机の上で悶々と作業に追われている日々よりは、その努力が片時報わ
30年前から、住まいの性能を向上させることを旨として住まい創りをしている者としては、近年の高性能住宅へのニーズの高まりは大変喜ばしいことで、当時九州で「断熱」なんておかしいとか「気密」なんてガス室作るようなものだと、散々ご同業たちに揶揄さ
住まい創り報告 小城市OGYCAL K邸 13 子どもクローク
K邸では、2階のヴォリウムの中に、3人の子供さんの部屋をとらなければならなかったために、それぞれのスペースはミニマルなものにして、子供用に別途専用のクロークを設ました。3人の子どもさんが学校から帰るとまずはこのクロークでそれぞれの棚にものを
住まい創り報告 小城市OGYCAL K邸 12 換気システム
K邸もモデル棟同様、階間部に熱交換換気システムを導入していますが、このシステムの大切なところは豆なフィルターのお手入れになります。階間部接地の場合、1階の天井からのアプローチが多いのですが、お年を召されてからの作業としてはNGだと思います
モデル棟とは異なり、家族構成が多いK邸では、2階は3つの子ども室と主寝室がメインの構成になっていますが、そのためにどうしても間仕切りが多く空気の循環は不利になります。そこで、主寝室はプライバシー上完全独立の部屋としましたが、3つの子ども室
モデル棟の階段はリビングから独立して玄関ホール側に設けましたが、K邸はリビング階段としています。そして今回はストリップ型の手すりではなくて、腰壁型の手すりとしています。これは、この壁際に電子ピアノを設置することが予め想定されているからです
どうにもこうにも、今の社会状況を考えれば、リアルで補えないものを効率よくネット世界に置き換えて折り合いをつけて進んでいかなければならないのだけれど、通信画面で微妙な視線や表情、声の強弱、もっと言えば人同士ならわかる気配とか空気感の共有まで
K邸もモデル棟と同じく、セミオープンの対面きつちんを採用していますが、仕様に関してはグレードが何段階かあるもののBOSHの食洗機を標準装備の弊社オリジナル仕様のキッチンを採用しています。軸足回転で作業効率が良いように、絶妙な寸法でできたバ
この移りゆくデジダル社会に、要は少々くたびれた髭が、ついていけていないだけのことなのかもしれませんが、例えそうだとしたらそれは明らかな事実で(笑)、このところの私の心持ちとしては、周回遅れで遅れたのであれば開き直り(笑)このまま自分なりの
もしかしたら、メタバース内の空間デザインを特化して職業とする方などが、もういらっしゃるかもしれないなと思いますが、そういう仮想現実とリアルの垣根が日に日に希薄になっていく中で、このところのオープンハウスは、私が本来しなければならない「仕事
社会不安も大きく、コロナ、ウクライナ戦争、低迷する経済とこれからを想うと不安材料ばかりの昨今ですね。髭は今、昨年コロナ禍の中、大変ありがたいことですが、お陰様で奔走した結果としての竣工案件が立て続き、俗にいうオープンハウスに駆け回る日々を
ご家族5人が集うダイニングは、モデル等より若干広め。ご夫妻がご用意したおしゃれなダブルフェイスクロックが取り付けられました。ダイニングテーブルが配置される奥には、一部奥行きを大きくしたカウンター部分があって、子供たちはここで宿題を済ませま
住まい創り報告 小城市OGYCAL K邸 07 居間ダイニング
丸柱を中心に、大格子戸から階段、キッチンへの動線、さらに居間の奥にダイニング空間が広がっています。ご家族の導線が錯綜する場所ではありますが、逆にこの丸柱を中心に最短で連続していく放射状の構成は盛り沢山の構成の解決策として落ち着きました。な
大きな格子戸を入るとリビングが広がっています。モデル棟では玄関側にあった階段がリビング階段として取り込まれ、家族構成上増床となったことで吹き抜けは階段を含む一部となり、上部の居室を支える丸柱がLDと通路空間の無理のないポイントに立てられて
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史