当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
洗面化粧台は弊社のいつもの手法での制作ものでの大手メーカーさんのコンポものは多機能で使いやすそうなのですが、風合いや好みによってはやはり木製の製作家具にしたい部分です。弊社の設計では、洗面台を極めてプライベート空間である脱衣室に追い込むと
玄関ドアを開けて視界に見える玄関ホールの様子です。大格子戸の向こうはLDKが続いていて右奥に入っていけば洗面や浴室空間、見返り左奥に入ればシュークロークがあるという感じです。格子戸の左のカウンターの上には、お持ちの水槽が置かれる予定になっ
玄関ホールのしつらえとして、モデル棟のように他のLDKとはプライバシー上の視線制御以外の間仕切りは必要ないのですが、K邸には大きな格子戸が取り付けられています。これはファミリーの一員である猫のためのものです。玄関ホールと水回りゾーンに猫が
モデル棟は玄関ドアを開けると対面にシューズ棚でしたが、K邸は限られたヴォリウムの中でご家族のスペースを創り出すために、省スペースながら玄関ドアを開けた視点から死角になる部分にシュークロークを設け、コンパクトな玄関としました。東のFIX窓か
佐賀県小城市にて山東美建さんが展開しているOGYCALの2棟目、B号地のK邸が完成お引き渡しとなりました。市内でご商売をされているご夫婦と3人の子供さん、そして猫ちゃんがクラスK邸。隣棟のモデル棟を気に入ってくださり、家族が暮らせる間取りに
今の暮らしはとても便利ですが、肝心なことが目に見えづらくなっているきらいがあります。コンセントにプラグを挿せばどこからでも電気が取れて、蛇口をひねれば水が出る。私たちか食べて消化して出すものも、今はトイレの水が流されれば瞬く間に消えてなく
かねてより工事を進めていました伊万里市の郊外、小高い丘の上に建つS邸が完成いたしました。ご入居前の日曜日1日限定の公開となります。4月3日10時から17時までの間。(新型コロナ感染予防の観点から、マスク手洗いなど安全対策を徹底し、完全予約制
2016年、ドイツのダルムシュタットで開かれた国際パッシブハウスカンファレンスの基調講演、ジャーナリスト/フランツ・アルト氏の2050年までのエネルギーシフトのグラフのお話は、このコラムでもこれまで何度かお話ししてきていますが、会場で固唾
再生可能エネルギーの普及が進んでいる国々では、非常に小さな単位のグリッドで発電システムを構築して、網の目上にそれをネットワークで繋げるという手法が用いられていることが多いようです。屋根の上の太陽光パネルは個々の住まいで使うのが一番エネルギ
突然降って沸いたように電力が足りない、火力発電所の耐震性の問題、太陽光エネルギーなどの再生可能エネルギーは自然任せで晴れてる昼間しか使えないなどと、ネガティブな記事が踊っているのですが、違和感を覚えるのは私だけでしょうか。あの、東北の震災
なんだか急に、先日の東北の大きな揺れの地震直後から、暖房需要が膨らんで電力会社が国民に節電を呼びかけるなどという事態が始まっています。諸官庁から電力会社、メディアがこぞって言い始めましたが、皆さん至極納得しながらこの報道を見ていらっしやい
「住まい」は、平和のベースだといつも考えます。心安らぎ、ストレスから解放されて、住まい手それぞれがホッとする場所、そんな住まいを少しでも増やすことが私の仕事だと思っています。どんな立場の人でも、平和への貢献、意思表示ばできると思いますが、
戦後教育を受けたきた私たちは、戦争の絶対悪を懇々と口酸っぱく言われてきました。現実に戦争体験者の方達も沢山ご存命の頃に幼少期がありましたから、いろいろな場面で二度と戦争なんかしてはダメだと聞かされたものです。経験値に基づく人々の苦言には説
「戦争」は、一人の人間の心の中に宿った種が徐々に集まり、爆発的に肥大化したものではないかという表現をしましたが、うまく言えないのですが、私の中には常にそういう感覚があります。誰の心の中にもちょっとした他者への怒りや嫉妬、邪な利害の計算の狡
「建築」という崇高な言葉に魅了されて学び始めた若い頃、かつての近代建築の父と称される巨匠たちも戦争という愚行に翻弄される時があったことを知りました。ル・コルビュジェはパリでの活動ができなくなり、故郷スイスのラ・ショードフォンで教鞭をとって
ロシアのウクライナ侵攻という戦争の現実が、私たちの目の前に魔物のように現れて結構な時間が経ちました。日常は淡々と過ぎていきますが、時折遠い国の戦況を告げるニュースを見聞きする度に、我が身の淡々とした時間とのギャップに耐えられず、時折大声で
近頃ヴァーチャル世界になんとなく押され気味で、住まい創りもそういう風潮からか一番大切なリアルな空間の質のようなものがおざなりにされてしまっているようで、その抵抗感をどうしたら良いかこのところずっと考えていました。リアルな二日間の見学会で少
設計の上手い下手という意味ではなくて、その住まい手と設計者の相性というものは大変重要かもしれません。私が一つの住まいを依頼されて、ファーストプランをお出しするまでには、それはそれは住まい手のことを精一杯想い巡らせながら考えますから、こちら
名もなき建築YAが創った空間でも、私などがとうに消えてしまってからも、何かを雄弁に語ってくれていることを、30年以上こんな仕事をしていて最近改めて実感しています。築後間もない真新しい時ならいざ知らず、それから何十年も経って、私の仕事を見ら
住まいは一度作り上げられて、住まい手の暮らしが始まれば、私たち創り手の存在は見る見る消えていくものだと普段から思っています。またそれで良いとも思います。有名な建◯家大先生は、住まい手の暮らしが始まってからも、家具の配置ひとつとってもいちい
二日間のオープンハウスほ終えて、久しぶりにリアルなお客さまとの住まい談義をお腹いっぱいすることができました。現実に目の前に出来上がった空間を前にして語らうことの大切さ、またそれが本来であるこの大切さを心から再確認した二日間となりました。コ
本日は佐賀県小城市の山東美建によるOGYCAL B棟K邸の見学会が昨日今日と二日館行われています。今回はA号地モデル棟に隣接するB号地にKご家族のご要望に応じてカスタマイズしたB棟が完成しました。ご覧の様に外観はモデル棟とほぼ同じフォルム
OGYCALのこの景色が少し現実に見え始めて、分譲地前の道路を通行している自動車がスピードを緩めて眺めたり、歩く人が立ち止まりしばらく歩道で眺めていたりという光景に出くわすことがあります。実は道路から緩やかな坂を上がっていくと新興の住宅街
「自由」とは、自らを自らの価値判断で振る舞うことには違いがありませんが、ただただ勝手気ままという意味ではなく、「自らのしっかりした価値判断」というところが大切なのだと思います。この部分が、例えば育まれていないとか、全く抜け落ちてしまってい
3.11以来11年、毎年同じことをこのプログに残しています。 宮崎県日向の木材加工工場の応接室のテレビ画面に突如映し出されたのは、津波で押し流される三陸の街でした。それから遠い日向でも、けたたましいサイレンが鳴り出し、海抜が低い工場でも津
「脈絡のなさ」と書きました。景色となりうる住まいの外観に関して、たとえばヨーロッパなどに規範を求めれば、どんな街にもその街区を一定程度抑制し統一感が出るように意匠を見極めるアーキテクト(日本の街にゴロゴロ居るそれとは違い、本当の意味での建
日本の風景も、かつては各地方ごとに特色のある街並みが形成されて、住まいにも地方独特の風土を反映した「型(かた)」というものがありました。使う素材も物流がそこまで発達していない時代では、選択肢として地場のものの利用が必須ですから、自ずと色、
今週末の土日二日間は、株式会社山東美建の佐賀県小城市でのOGYCALプロジェクトの見学会が予定されています。私は普段、住まい手であるクライアントとじっくり腰を据えてお付き合いし、その方のためだけのカスタムメイドの住まい創りを生業としていま
例えば、今の私の暮らしなどは、コロナ前とほとんど変化がありません。社会との関わりもそれほど濃くないし、通勤も元々なく、自分の仕事場と自宅との往復は徒歩で数分です。自分の仕事場は全て私の息のかかったもので埋め尽くされ、私に仕事を依頼してくだ
色々な状況をみても、社会不安やパニックは社会を何となく全体主義的な方向へ導き、「一個人」というものを蔑ろにする方向へ引っ張られてしまいます。個人同士でも知らず知らずのうちに同調圧力を生み、いよいよ閉塞感が増していきます。歴史を振り返ると、
私たちを刺激するあらゆる情報ソースもカオスなら、場所で切り変えてきた身分や肩書き、立場ですら渾然一体として住まい中に入り込んでしまい、心身ともにカオスの中に首までどっぷりと浸かってしまった感のある私たちの暮らしは、いよいよ「安らがない」状
コロナから始まったここ数年のパニック的な社会状況は、人と人とのコミュニケーションを分断し、一人一人の個人というものをとかく孤立しがちな方向へ導く傾向があるように思います。また、それとは真逆に、この分断を補おうと急速に進んだメディア媒体とS
いよいよコロナ禍はなす術もなく、行政は蔓延防止を緩める方向へ舵を切るようですね。未だ減少傾向とは言ってもかなりの死者も出ていますし、何らかの対策は継続して然るべきなのですが、検査は抑制する、社会保障はできるだけしないを徹底しているようです
今の流行も含めて、ネット情報というものが大きく影響していることは間違いないのですが、ネット情報の危うさは、情報ソースがどこから来たのかわからないことで、良し悪しは完全に個人の判断に委ねられるカオスな世界であることと、受動体である私たち一人
どのご家族もそれぞれ個性があり、社会との関わり方や一人一人のキャラクターの関わり方にも特徴があります。結構な数のご家族たちと住まいづくりを、七転八倒しながらしてきましたが、そこには二つとして同じものはありません。また、絵に描いたような標準
そこへ来て、このところの高性能住宅ブームです。もしかするとそれが、私が今綴った住まいづくりのパターンの結末から、逃れるための「特効薬」のように感じている方も少なくないのかもしれません。しかし、長年、高性能住宅と言われる範疇の住まい創りをし
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史