当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
スペックと坪単価のみで比較検討するのならば、まどろっこしい弊社の住まい創りなど(少々自虐的)とは全く別のアプローチですから、音信不通になるのも仕方ないのですが、そもそも「家を売る人」「家を作って売る人」そして「家を創る人」がバラバラな立場
このところ、頭の中をぐるぐるとへ巡っていることがあって、気がつけばタイトルのような言葉を繰り返している自分がいます。それは、昨今、俄かに脚光を浴びている、私たちから言わせれば言い回しの新ジャンルとも言えそうな「高性能住宅」であっても同じこ
この国の住まいは、性能を考えていない住まいと、性能ことを考えた住まい二種類しかないと言いました。考えた住まいを「高性能」などというからおかしくなる。あるのは低性能の漏気密低断熱住宅がほとんどで、今まさにそこからスタートとようとしているわけ
これくらいが妥当だと、言い切ってくれたほうが聞き手は心地良いです。自分で判断しなくてよいのですから。特に、書籍でなくネット情報はその速さと明確さで人気度合いが決まりますから、近頃はその影響力も少なくなく、あたかもそれが真理でごとく映ってし
急速な高性能化の流れに対して、じゃあどれくらいの性能が良いかという論議は危ないとお話ししてきました。なぜならすでに10年前にドイツのパッシブハウス研究所認定の福岡パッシブハウス(国内3棟目九州発)の設計に携わった者として、どのくらいなんて
何をもって高性能というのかなと言われても、この定義も少しあいまいと言わざるをえませんね。そもそも国の断熱性能などを定める省エネ基準も今あるものはもうずいぶん時代遅れの基準です。私はお客様に説明するときに、この国の基準を少し口が悪くて恐縮で
にわかに、住まいの性能を語る機会が世の中に増えて、日本の住まいづくりは、それぞれのレベルは実にまちまちではありますが、いずれにしてもこれから確実に高性能化していくということは言えると思います。世界の潮流に周回遅れと言われながら、忸怩たる思
根拠のない全国区のブランド力は、偏ったメディアにつくられた価値観だと言えば言い過ぎでしょうか。最近このメディアがあまりにも資本に従順で公平な立場を臆面もなくかなぐり捨てて、利益誘導に走っている傾向は他分野でも見受けられるものだと思います。
多勢に無勢、大資本が投入されるとどうしてもその流れが大きく私たちを圧迫します。地方のショッピングモールは、このコロナ禍でも何だか賑わっていますが、そこに漂う空気感はどことなく空虚で薄っぺらく感じてしまうのは私だけでしょうか。かつて賑わった
淡々と、必要な分だけ、地元の業者が地元の木材を主に使って住まいづくりをしていれば、ウッドショックなどというものは起きないのですが、どうやらさまざまな世の中の歪みがここに湧き出している気がしないでもありません。木が足りないなら、本当に必要な
私はチャンスだと言いましたが、この国のいまの住まいづくりは敗戦による焼け野原から始まっていると言っても良いかも知れません。国策として、焼け野原に叩き出された国民の居場所を早急に作らなければならなかった。その時に誕生したのが 連綿と続く大手
この国の住宅業界は、今コロナ禍とウッドショックというダブルパンチでちょっとしたパニック状態を起こしています。輸入木材がぷつりと海外から入って来なくなって、軒並み高騰しているのです。この業界の常として、木材が上がれば、コンクリートも金属も上
どの分野でも同じだと思いますが、スマホやPCからワードをググれば、すぐに映像付きで HOW TO が可視化する便利な時代。人と人とのコミュニケーションが制限を受け、なかなか触れ合えない今だから、そう言う世界が無限のかくだいをし始めてリアル
もちろん、こうなったのには理由があるかもしれません。皆さん達の知識にも明らかに劣るプロが、性能の足りない住まいを、稚拙な間取りの住まいを量産してきた経緯があるのだと思います。自己防衛しなければ、良い住まいなど建たないと自ら腰をあげ、情報収
もちろん、幸福に暮らしたいから、より良い住まいとするべく色々情報をかき集めて勉強してあらゆるメーカーさんの住まいも見て、ネットのコンテンツもほとんど観てきたという事は、決して悪いことではありません。ただ、そこで得られた知識項目を全て列挙す
いつも思いますが、住まい創りはありとあらゆる雑多な事柄の集合体で、私などの立場はそれを総合的に俯瞰して完成した住まいとしてまとめ上げていくことがその役割だと思っています。断熱材を規定の性能を満たすためにはどんなものをどれくらい入れなくては
コロナ禍になって、いきなり自宅での時間が膨大になり、自分の住んでいる家のことにも唐突にいろいろ考えさせられるという状況になって、皆さんの想いも一気に変わらざるを得なくなってきたという方も多いのかもしれません。暑い寒いは当然のこと、この家は
コロナ禍という厳しい時代に入っても、人々の営みとしての住まいづくりは止まりません。弊社にも、以前にもまして超高性能住宅を望む方達からのお問い合わせはむしろ増え続けています。「ウッドショック」という現実を前に、私たちは大きな変革を迫られてい
もう、生産主導のシステムで消費行動をし続けるほど、この国の国力にゆとりがあるとも思えませんし、世界の潮流からしてもサスティナブルに社会が継続可能になるように、大きな変化をしていかなければならないというのに、未だスクラップアンドビルドの権化
コロナ禍で、さまざまな周辺環境が変わって、私たちが一頭の住まいを作り出すということが、今までよりは少しハードルが高い状況下にある事は確かですが、私はむしろこの機会に、住まい創りいうものをしっかりと見直す機会として捉え、着実に進歩した、しか
まず、今回のウッドショックの原因と言われる輸入木材ですが、私たちは今迄それほど輸入材に依存してきたかという話なのですが、正直、私の住まいづくりで言えば、柱材となるものはほとんどが九州産の杉やヒノキで来ていましたから、なんとなく実感と今の事
「ウッドショック」今、業界ではその言葉が毎日のように飛び交い、現実的にも受発注の目処が難しくなったり、様々な価格高騰で企画の見直しを要したりと住宅業界にたち込めた暗雲は、住まい手の皆さんに様々な影響を与え始めました。すでにメディアが説明し
先の日曜日。伊万里市の S邸の地鎮祭が執り行われました。山間の小高い丘にちく100年余りの古民家で暮らされていた Sご家族は、昨年新たな暮らしを求めて弊社の門を叩かれました。さまざまな諸条件を一つ一つ超えられながら、旧宅の解体、そして今回
同じG2でも快適性に幅があると言えば、 YouTubeなどでこの数値をにわかに知られて万能の物差しのようなイメージを持たれた方は違和感を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。ただ、実際にあくまで性能を示す一つの値にしか過ぎないわけですか
国が定める省エネ基準( ずいぶん時代遅れなものですが )にしても、HEAT20が示すG1グレードにしても、全舘空調が成立するレベルとしては外皮が弱過ぎる。つまり、ただ漏れ状態、外で焚き火をするのとあまり変わらないかつての日本の民家からすれ
にわかに皆さんが意識し始めたUa値は、外皮の断熱性能を語る数値ですが、その建物の外皮全体の平均の値です。数値ばかりが一人歩きしてその数値が建物の性能ぜんたいを示しているような理解はちょっと危険と言わざるを得ません。しかも、その数値の基準が
人によっては、「九州はこのくらいで十分」とか「福岡は温暖なので」などと前置きをしてもの言いをしますが、こういうもの言いをする営業マンさんや工務店の社長のほとんどは、自分のところが作り出す性能が一番エリアに合っていると言いたいのだと思います
長年さまざまな人が取り組んできた地道な運動のこの国の住宅の高性能化が、様々な要因でにわかに加熱し始めました。理由はいくつかありますが、政府が発表した他の先進国に遅れをとるCO2削減目標を遂行するためには、この国の住宅分野も自ずと高性能化し
住い手の皆さんには、正直な現状をお話ししつつ、複数のプロジェクトをなるべく良い形で進行させていくべく、奔走する日々が続いています。これから暫くは、こんな日々が続くのではないかと思われます。ウッドショックなどというもので、資本力がある大手ブ
これは住まい創りの世界ばかりではないですが、全てが中央集権的にみかじめられて、大量生産大量消費の一貫としての製品売買という手法でものが消費されていく仕組みを変えなければならないのではないかと思ったりします。本来住まいなど、地面に張り付いて
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史