当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
昨今、取り沙汰されている外皮性能を示すUa値などの値は、住まいの性能を語る物差しとして有効ではあるけれども、その部分のみをクローズアップしてみても、すべてを語っているわけではないということと、そもそも日本のこれまでの基準自体が甘々な上に、
ご存知の通り、この国の省エネの基準(未だ戸建て住宅に関しては義務でもなんでもないですが)は、日本列島を区分化して、地域ごとに外皮性能Ua値を定めていますが、その数値も今となっては甘々な上に、南下するほどに軽微なものになるという状態のものに
さて、福岡はこれから梅雨を挟んで厳しい夏を迎えていく時期に入っていきます。業界全体は、政府のカーボンゼロ目標宣言に始まる一連の省エネ関連の動きの影響で、にわかにさまざまな方が一斉に省エネ、省エネと連呼するようになってきました。かつて皆さん
最近私が「省エネ」という言葉をためらいを持って使うようになっているのは、お話をしてきたように「なんちゃって」や「やってるふり」が図らずも沢山含まれてしまっている現状にあります。皆さんの普通の暮らしを堅持して、本当に消費エネルギーがそれまで
これから私が一番懸念するのは、今の政治に象徴する「やってるふり」の危険性です。大真面目に環境を考え、CO2削減を国際レベルにひきあげるのならば、一気に三段跳びで住まいの性能を上げていく必要があります。未だに古めかしい国の省エネ基準などを引
確かに全く意識されることなく、これまで建てられていた住宅へのボトムアップという意味では一定の効果はあるにしても、あたかもその最低限のお話が、住まい手の実感として「省エネ」でもなんでもないという現実はもやはり大変問題だと思います。皆さんが「
時の流れに「言葉」というものは、次第に本来の意味からずれを生じで使い古されると輝きが薄れて陳腐化していくという傾向は世の常なのかもしれません。このところの「省エネ」という言葉も、30年以上も業界でその言葉を使ってきた私にしてみれば、とみに
なんだかこのところの住宅業界を見渡すと、蜂の巣をつっついたような状態で口々に「省エネ」を連呼していますね。俯瞰で見ればこれは悪いことではなくて、今まで一切関心を示さなかった業態までが、これは遅れをとっては大変と目覚め始めていますから良いこ
今年の後半はコロナに相まって材料供給の問題で、地場中小は大変な苦境に立たされると思われます。これからしばらく、本当に大変です。ただ、本来の住まい創りとは、そういうところが一棟一棟創り上げていくべきものです。コンビニでこんなものかと妥協して
もう、大量生産、大量消費、その上に成り立つ経済というものの至上主義に限界が来ていることは誰の目にも明らかだと思います。ただ、現状を変えたくないという思いは根強く、なんとなく気づかないふりをして突き進んでいる感が最近とみに多い気がしてなりま
噂のように、この急難の時に我欲で買い漁った買い占め材がそこにあるとして、それで作られた住まいに暮らすことが、あなたにとってどれほど幸福かを少し想像してみてください。本当に、旧態然とした産業構造の一旦を下支えしてしまうことに、あなたの生涯を
コロナ禍が始まった頃も、全界が大きなパラダイムシフトの渦に引き摺り込まれていく不安とともに、私などはそれを好転的に捉えれば、旧態然とした価値観の変化とともに、長年の檻のように溜まった現代社会の歪みが変わっていくチャンスだと思ったものでした
業界は、ただでもコロナの影響を受けて喘いでいるというのに、「ウッドショック」なる言葉が飛び交い、欧米の建設ラッシュやコンテナ不足も伴い、市場から輸入木材があっという間に消えてしまうというお話で騒然となっています。なんだかこの騒ぎ方が天邪鬼
いつの時代もそうですが、もう、高性能とか省エネという言葉の賞味期限が、心ない人たちの使い倒しできてしまっているのかもしれないと、私などは思ってしまいます。これだけ認知度が上がってきたのだから、もうそれが当たり前と言っても良いのかもしれませ
いつも申し上げてきていることですが、物差しを持つことは大切です。自分の判断で様々な要素の中から、自分に一番あったもの、望むものを選択できる自由を得ることは、幸福になるために大変大切なことだと思います。自らの終の住処を創り上げていく過程にお
最近、認識の深まった外皮性能のUa値や、気密性能である隙間相当面積C値をメディア発信で知られて、いきなりそこからお話になる方も増えてきました。そういう物差しが普及しすることは良いことですが、その物差しだけをピックアップして、数値競争になり
なんだか猫も杓子も省エネだ高性能だと言い始めると、私などは天邪鬼だから、それがそれまで取り組んできた30年余りの悲願の形であるとしても、少し疑いの目を持って見てしまいます。往々にして、全てが賛同に回る事柄というのは、すでに内容や発願の志も
世界的なCO2削減の取り組みに大きく遅れをとっているこの国でも、ようやくそれに追いつこうという動きが出始めています。私たち住宅関連の分野においても、これまでわかっていながらもなかなか議論されず手付かずであった省エネ性能に関して、国策的に何
ちょっと斜に構えた言い方ですが、「法律が後からついてくる」というお話をしてきました。私のイメージでは実践の10年遅れという感じです。悪いことではなく、あくまでボトムアップですからどんどんそうなっていくべきだとは思います。ただ、一番怖いのは
法制化で懸念されるのは、形骸化です。シックハウスが取り沙汰されていく時期がありました。この頃導入されたのが、24時間機械式換気の義務化ですが、これもそんなことが法制化するずっと以前から、私は集中ダクト式の24時間換気システムを導入していま
例えば、基礎断熱の合法化も、もうずいぶん古いお話ですが、今では当たり前の基礎下にスラブを打ち、立ち上がりに断熱材を貼り、いわゆる床下を室内と同じ領域に取り込むという方法論は、私が見様見真似で始めた頃にはまだ非合法な工法でした。
いずれにしても無法だった住宅の性能が、少しばかり皆さんの意識に刷り込まれて、良い方向へ行くのであれば歓迎なのですが、さてそこに焦点を当てさえすれば全て良しというわけでもないと、いつも斜めな私には見えてしまいます。10年くらい遅れて法律が追
この4月から、法改正で、いわゆる住宅設計者に対して、住まい手に対して性能説明義務化が始まりました。長らく住まいの性能にはこだわり続けて、俯瞰すれば周回遅れのこの国の住まいの性能向上を訴え続けながら、少しでも高性能な住まいを建てていきたいと
我慢を強いることなく、ご要望を整理しながら、面積や規模、予算をシンプルにしていく作業は、まさに大変な作業で、ここがプロに委ねられるべき部分だと言いました。大変なお時間をいただきながら、引き算をしていくのですが、この引き算がうまく行われなけ
足し算を散々やった後に、贅肉をおとし、スリム化していく引き算をやらなければ、住まいは住まい手に寄り沿うような空間にはなっていきません。一旦出しきった複雑なものを今度は間引いて整理していきます。これが住まい手ご本人たちにはなかなかできないも
生産性やコストを考えると、木造住宅の場合はモデュールという寸法単位が重要になります。合板の規格サイズや畳のサイズを基準としたいわゆるマス目(グリッド)を頼りに間取りをしていくのですが、基本的には91センチを基準にしたものや1メートルを基準
「間取り」という言葉がありますが、いわゆる紙の上にこれは何の部屋、これは何の部屋と思いのままに必要な望む部屋を描いて行くことがプランのはじまりです。一通り、住まい手のご要望を出し切ったら、そのご要望を項目種別に少し整理してそれに準じて描き
住まいづくりを長年やっていいると、まさに加減乗除の繰り返しだといつも思います。取捨選択の中で、何を優先して何を切り捨てて行くかということを時間をかけて繰り返して行くことでその住まいは住まい手の本当の意味での「我が家」になっていくのです。お
なぜに高性能にするかと言えば、皆さんのより良い豊かな暮らしの実現のためであって、それが主眼目ではありません。行き過ぎた健康オタクの方を例えて「死んでも健康になる」などというジョークがありますが、生きていてこその健康であって、命懸けで健康に
そう言う意味では、住まい創りが本来は、このコロナでライフスタイルの見直し、社会との距離感の個々の変化などにより、より個性的に展開していくべきなのに、より良くなっていくべきツールとしてある物差しとしての性能の数値化で、今度はクローズアップし
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資