当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
混沌とした情報のカオスの中で、住まい手の皆さんは、自分たちが建てる住まいが少しでも快適で省エネな住まいになるように様々な情報を収集します。最近はYouTubeなどのネット情報も溢れていますから、プロはだしの性能値の値を鸚鵡返しに連呼して、
この国の人口に対して色々な立場で住まい創りを生業とする人の割合は、こんな時代になっても案外まだまだ多いのではないかと思ったりします。このところの高性能化推進の動きで、むしろ新規参入の方も増えてきているのかもしれません。かつて土建立国といわ
コロナ禍が始まって1年余り、未だ収束の糸口は見出せないままに、なんとなく騙し騙しの日々が続いています。緊急事態宣言も解除の方に向かうというし、政治は未だG0T0を再開していくという。本当に大丈夫なのだろうか、第4波、5波は来ないのだろうか
お分かりいただけたでしょうか。降って沸いたような流行には、かなりの部分、副作用のようなものも伴いますから注意が必要です。外出自粛で急速に発達したSNSなどのデジタルツールは、分け隔てなく皆を発信者にしてくれますし受信者にもしてくれます。そ
活字になり、メディアが書き立て、さまざまな制度が補助金や優遇でサポートすれば当然先進で良いものという感覚をまずは外した方が良いかもしれません。この国は、こと省エネに関しては後進国です。住まいの高性能化についての動きも、先進の国からすれば周
世の中が、なんだか一気に高性能住宅に向かっているような体ですが、実はそうでもない。さまざまな利害を含んで、私から言わせるとじわじわ進んでいると言わざるをぇないというお話をしています。さまざまな制度も、業界の認識も、これから段階を踏んでじわ
国の基準があれば、そこにこれも悪しき慣例ですが、補助金や税制優遇がついてきます。ただ、これは義務基準でもないこの低いレベルを後押ししてしまうことになってしまっていて、さまざまな手続きが、抜きん出たコアなものよりも、そこそこの量産住宅の方に
住宅業界の混迷は、このコロナ禍でいよいよ極まり、誰に聞いても高性能と言いだし、どれが本当の高性能なのか、どれが自分の望むものなのかが 非常にわかりにくい状態にあると言えるかもしれません。国交相が出している、まあその上がないからということな
住まいを高性能にというニーズが高まる中、もう少し先を考えると、新型コロナによる社会の激変を契機として、私たちは大きな波を一つ超える必要があるような気がしてならないのです。一介の建築屋が生意気なことを言って恐縮ですが、私たちは今、第二第三の
人と人とが直接会ってさまざまなコミュニケーションを取ることが制限されて、それをデジタルツールに置き換えることになって、自宅外の社会の要素がさまざまなフライベート空間に混在して取り込まれていっています。この変化も劇的なスピードで、私のような
私たち一人一人が、内面の変化を大きく余儀なくされているこの社会状況下で、今までと同様のしつらえの暮らしでは、計り知れないストレスが溜まるのは自明のことで、何らかの変化があって当然のことですが、私たちは今まだその鳥羽口にいると言えるかもしれ
近代のこの国の住まいを考えれば、狭い茶の間に丸い卓袱台を据えて、丸く囲み食事をとって、終わればそれを取り払い布団を敷いてそこで寝ていた時代。戦後の80年余りの日本の住まいのはじまりはそんなところからだったのかもしれませんね。いわゆる西山夘
2月にはいり、私たちが新型コロナと言う未知なる恐怖を感じ始めした暮らしを余儀なくされて一年が経過しました。長い長いトンネルは、未だ出口を模索しながらも決定打に欠き、先進国の中でも部類の検査数の少なさが混乱を招き、実態が把握されないまま時ば
さて、みなさんが衝動的に窓を開けたいと思う気持ちと、かつて高気密高断熱と呼ばれた高性能住宅はなんらそれを妨げるものではないというお話をしてきました。気持ちのままに開けてくださいと私は言いたい。高気密をして高性能化するということは、そういう
平常、計画的に計算された換気ルートで有効に換気ができるように、他所から変な流入や流出がないように高性能住宅では気密性能が保たれています。ただ、大切な要素の一つですが、この国ではやはり「気密」と言う言葉の敬遠からなのか
換気システムが空気環境、換気のベースだと考えると、一方、窓を開けるという行為は、いわば内外を大きく解放して、外と一緒になろうとするということですから、温度も外と一緒になるわけです。真冬にこれをやれというのはちょっと酷ですし、換気と呼ぶには
そもそも換気システムが24時間、室内の空気を入れ替え続けて鮮度を保つということと、窓を開けるということはまた全くの別のものだと理解していただければ分かりやすいかもしれません。コロナ禍で「定期的に窓を開けで室内の換気を促しましょう」と言って
その昔、高気密高断熱住宅を創り始めた頃は、どうにも「高気密」という言葉が皆さんに馴染んでいただけなくて、「ビニール袋を頭からかぶって息苦しそう」などと敬遠されたものです。ずいぶんご理解いただくのに苦労しました。流石に最近はそんなことを言う
さて、高性能住宅もどこを起点にしているかということによって、随分言い方にも差ができてしまう。近年のエコ・省エネブームによって、居並ぶビルダーが皆そんなお話をして、一般の方から見れば何が本当に高性能なのか分からない状況が続いていると言えるか
「寒くない」快適な空間を作れるかどうかという点は、室内の空気の温度変化の制御以上にハイスペックでなければなかなか難しいというお話をしています。室内の床・壁・天井の面温度が外部の影響をもろに受けてしまえば、空気の温度を冷暖房で整えたところで
さて、私たちが寒さ暑さを感じるのは、実際の室温と、もう一つ床・壁・天井の表面温度の二つの要素が大きく影響しているとお話ししました。これに実際は湿度や空気の動きである気流も関係しているのですが、今回はこの二つの要素を考えていただければ、「あ
そもそも高気密高断熱の住まいづくりの流れは、オイルショックの時代に遡ります。燃料高騰の時代に寒冷地ではこれまでの造りの住まいではどれほど燃料がかかるかわからないから、「断熱材」を外皮に入れて熱が逃げにくい住まいを作ることで、いわゆる省エネ
暦の上ではもう2月に入り、節分すぎて春ですね。実際も、寒暖を繰り返しながら、少しずつ春に向かっていく季節なのですが、この時期に室内環境のことをよくお話しする時に、はっきりと使い分けている言葉があります。「冬に暖かい」空間と「寒くない」空間
混沌とした情報の坩堝の中で、猫も杓子もエコ・省エネを語る昨今、みなさんが本当の意味でそういう住まい創りをしようと考え始めた瞬間から、何が真実なのかわからずに迷ってしまう可能性が少なくない現状に、冬のこの季節に判断を誤らないための判断基準に
さて、ここまで書いておわかりいただいたかもしれませんが、近年の酷暑のパターンを考えると、私たちのエリアの冷暖房を考えていくと、冬にそこそこ暖房が効くという断熱レベルであると、夏に厳しい状況が生まれてきてしまう可能性があるということを十分考
さて、冬は屋外は低温、窓からの日射などが少し助けてくれ、さらに室内は人が居て発熱したり、家電が動いたりで発熱している状態なので総じてプラス要素がベースで、それでは足りない部分を暖房装置で温めて室温を上げてプラスしています。この温度差をなる
私の経験値からお話しすると、住まいの性能は実感として、効果が比較的わかりやすいのは、夏と冬で考えると冬の暖房期のほうが至って簡単です。だから、この季節に見極めるのであればその点の注意が必要なのです。例えば、私はいつも高性能住宅と呼べる外皮
この時期に、住宅展示場の見学などをして、ホワッと暖かい床暖房などを体験すると、まさに全館暖房の魅力を体験したような気持ちになって、迷わずその性能を信頼してしまうという事が多分そこここで起きているので、少し気になっています。最近のネット上の
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資