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2005/08/02

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  • 桜日記2025.4.27

    昨日に続いてのアサドリ(朝採りではなく朝撮り)の桜を…一番足を運ぶ我が町のアルカディア公園へ。なんと、堤は早朝からの太公望の方々でいっぱいでした。まだ風もあまりなく、穏やかな空気が流れていました。昨日の強風でほんの少し散り始めたようでしたが、もう二、三日は見頃でしょう。さてそれから、ここも毎年行く明治のポイントへ。遠くから望むとこんな感じで見えます。あっと思います。少し望遠を利かせてポイントを定めると…色もくっきりします。そして、最大限近づける道路端で。これ以上は私有地なので勝手に入れません。角度が下からだと、ちょっと粗さが感じられますね。どんな対象も、そこまでの距離や視線によって見え方が異なります。それは人づきあいもまたしかり、などと「桜」に教えられた気がしています。桜日記2025.4.27

  • 桜日記2025.4.26

    4時半頃に目を覚まし、仕方なく朝読書をしていたら、なんだか天気が良さそうなことに気づいた。町の桜はほぼ満開。こんな時間帯に撮れるのはそうめったにないことだ。さっそく、一番のポイントに出かけた。思った通りに見事に咲き誇っていた。グラウンド横の野球場に植えられた樹も、今が盛りである。時刻は午前6時12分。時計も何か誇らしげである。昨年はタイミングが悪かったり、私事に紛れたりして、「桜日記」は一日のみ(午前・午後に分けて2回)だった。それでも、毎年天気が良ければ足を運んでいる場所であることを、去年のブログが証明してくれた。2024.4.15AMさて、「朝日」を浴びて一層の輝きを放つポイントがもう一箇所あるので、道を引き返した。この場所もお気に入りだが、開花と天気が合うタイミングはめったにない。自分がこんなふうに...桜日記2025.4.26

  • 桜日記2025.4.25

    午前中のこども園読み聞かせに向かうために、別ルートで七曲峠を通った。見晴らしがいい地点からは、点在する樹木や並木が美しい。峠は、昔は桜の名所として知られていたが、さすがに今はそう言えない。朽ちかけた看板の名がやや痛々しい。ただ幹を伐られた老木からも、毎年確実に芽吹きがあり、小さな花を咲かせる。登りつめたカーブの一本も今が盛りを迎えようとしていた。数年前のネット記事に載っていた一節を、メモ帳に記していた。「人間が桜を見ている時、桜もまた人間のことを見ているのかもしれない」毎春、見ることの嬉しさ。見られることの幸せ。桜日記2025.4.25

  • 読書録18 ~手に甦る感触

    友人が「ベスト・エッセイ」集を読んでいるのを知り、面白そうだと寝床読書の友とした。字数が程よいこと、作家ばかりでなく様々なジャンルの方の執筆、そして2022年の文章という同時代感もあり、読みやすかった。ただ容易く読み流していいものかと、ページを閉じて想う。例えば冒頭の一編の結びはこうだ。どっちにしても、自死した者との「あの素晴らしい愛」の再生は絶対にない。精神科医のきたやまおさむが、盟友である今は亡き加藤和彦について語っている。「横並びの愛」を歌った名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」は、加藤と一緒に作られた。結局「心と心」を通い合わせられなかった自責の念が漏らされる。しかしそれはある意味で、個々の通じ合いの限界を語っていて、複雑だった。小説家の田中慎弥が寄せた映画監督青山真治への文章は、人との出会いが刺激...読書録18~手に甦る感触

  • 桜日記2025.4.22

    2年生の孫は開校記念日で学校が休み。絶好の日和となったので、こども園での読み聞かせを終えてから隣市の公園へ向かう。桜の樹の下で昼食を摂る。ノンアルも美味しい。満開(一歩手前か)。ほぼ無風。これ以上ない桜日だろう。平日なので、人出は多くないが駐車場は満杯になっている。25度ぐらいまで気温が上がり、噴水に戯れる子どもたちもいる。「平和」を感じる風景である。いったん家へ帰って、夕方。今度は、孫の自転車乗り練習も兼ねて、町内の公園へ。いつもながらの風景であるが、満開とお天気がぴたりと合うことは少ないので嬉しくなる。多くの親子連れが遊具などで遊んでいた。ここもまた、平穏な夕暮れである。桜日記2025.4.22

  • 「いい日」ってどういうことだ

    昨日、遠い地で働いている教え子のFB記事をみたら、誕生日だったので久しぶりにコメントを送った。「めでたい!!きっと明日は、もっといい日になる」と常套句でもあり、県出身シンガーの作った歌詞にも似ているその言葉…夕方、風呂に入っていたら、突然脈絡なく頭に浮かんだ…「『いい日』ってどういうことだ?」それはE子にもし「先生、『いい日』って何ですか」と問われたら、どう答えるかである。もちろん、答えは人様々。しかし、自分がどういうつもりで発したのか。また自分にとっての「いい日」とは何を指しているか。考えてみることも無駄ではない。肌触りのいい、優しさをまとっただけの言葉に終わらせたくない。もう五十路にある教え子へは、例えば「健康」「仕事の充実」「生活のはり」のようなイメージで語ることはできる。しかし自分に向ければ、間違...「いい日」ってどういうことだ

  • 読書録17~図書室に似合う

    お気に入り作家の児童書を、久しぶりに読んでみた。一種のファンタジー、そして寓話的要素も入っている。中学年あたりから読んでほしい一冊である。主人公のチイは、花屋をしているおばあちゃんに憧れ「花屋」を目指しているのだが、おばあちゃんからは、「花にためされる日が来ることだろうね」と言われる。小学生の将来の夢、女の子なら「花屋さん」が定番の一つだったが、今時はどうだろう。いずれ子どもが今見る将来の夢は他愛無くとも、対象となる「何かに試される」機会はある。それは学校で計画的に行うより、自由度の高い場面で訪れる気がする。仮に「職業」として実らなくても、そのキャリアは人を鍛える。内田麟太郎という名に惹かれて、中味もわからないままに購入した一冊だ。帯に「少年詩集としてはたぶん初めてのコンクリートポエトリー」と記されている...読書録17~図書室に似合う

  • 中途半端が暗黒画面を呼ぶ

    PC画面が真っ暗になった。寝床から出て、いつものように電源オンをして初期始動画面になったので、PINナンバーを入れた。えっ、カーソルは動くのに一向にディスプレイが戻らない。前兆はあった。昨夜寝る前にシャットダウンできずスリープで済ませたのだ。しかしそれが原因ではないはず…スマホで調べる。結局、何度か再起動を試みて復旧した。異状はないかとOutlookを確認する。えっ、受信トレイに並ぶのは「〇〇銀行」「A〇〇〇〇N」「××証券」など、とうにスパム処理した送信元だ。またルールで移動元を設定し直す。何かが起こったのは明らかだが、生半可な知識でこれ以上は突っ込んでも徒労に終わるだろう。そう言えば、昨日車の点検があり相談したこともそうだ。時々、車のエンジンをかけるとBluetooth接続しているスマホの電話機能が、...中途半端が暗黒画面を呼ぶ

  • 始まりのページを開く

    昨日4月15日友引より、こども園のお話し会(読み聞かせ)をスタートさせた。今年はどの園も今月からOKということで、この時期にふさわしい本を選べることが嬉しい。初めて読むものを2つ取り入れた。まずは、この一冊。題名そのものがとてもいい。生きとし生ける者たちの、春を迎える喜びにあふれている。色調のやさしさ、展開の明快さ、そして「もぞもぞ」という語の響きが、心に染み入ってくれるはずだ。「もぞもぞ」ってどんな感じなのか、ちょっと尋ねてもいい。身体をごそごそし始める。その時の心の動きは、春の日差しにふさわしいとも言えるだろう。出来ないけれど、日差しを浴びて、外で読むのも素敵だ。もう一冊は意外な題名、独特の画調に惹きつけられる。新年度、一匹のワニが入園してくる。そのことを子どもから聞いた母親たちはびっくりして、連絡を...始まりのページを開く

  • 「金持ち」が遠くなる

    定期預金を解約して少しまとまった額を現金で受け取る必要があるので、銀行へ事前に電話を入れた。予想はしていたが、詐欺事件多発は影響が大きい。使い道を行員が軽く訊いてくることは以前もあった。しかし今回は「警察」からの指導もありときた。事情を訊かれても…という話に『かまいませんよ』と応える。電話口でそう言った自分の声が少し弾んでいることに気がついた。「事情聴取」かあ、いつ以来だろう…そう言えば職場である事件があり、経緯を尋ねられたり隠しカメラ設置を話し合ったりしたことがあり…それはともかく、数十分後店を訪ねたらもう二人の警官(私服)が先着しており、行員から別室へと案内された。例の写真付き証明書を見せられ、聴取が始まる…と中味は個人情報満載なので控えるが、防犯上「安心」のお墨付きをもらい手続き解禁となる、そこで警...「金持ち」が遠くなる

  • あの「波」が来ても踏ん張る

    まだ半ばだが、世界的に見れば(笑)この4月は「トランプ関税発動」が刻まれることになるのか。その影響について様々に解説がされ、そう動くだろうと思いつつ、何かができるわけでもなく、いつものように冬の始末をして、春に備えるしかない。仮に「関税の波」が押し寄せても、この場で踏ん張っているために…今年も木瓜は花をつけました。2025.04.07選挙で始まった今週は、月曜日の午前にタイヤ交換を終えた。2台分を結構スムーズに行った。毎度書きながら自分に念押しするのだが、省力化のための事前準備と作業の工夫は怠らないことだ。力任せにやってその疲労度を満足感と思うほど若くはない。これを「年の功」と言うのか。多くの失敗により得たものだ。冬囲いも外して収納した。劣化は仕方ないし、やれる範囲で手入れを続けていくしかない。これは人間...あの「波」が来ても踏ん張る

  • 読書録15~65点くらい…

    どちらも中古で買い求めた短編集。初めから定めていた他の本とともに、送料のことも考えて少し漁って選んだ。一つはお気に入り作家、もう一冊は初めて読む作家なので、それなりに選んだ理由はあった。しかし本とは読んでみなければわからない。期待外れとまでは言わないが、刺激が今ひとつで共に65点くらい(笑)。この本は以前図書館で立ち読みしたことを覚えている。少し見ただけであまり印象に残らなかったので、今まで買い求めていなかった。改めて読み直してみたが、帯にある惹句のような印象は持てなかった。確かに「人生について考える7つの動物寓話」には違いない。しかし「胸がすくような」までには至らない。寓話とはもっとわかりやすいと思っていた。繰り返しの筋というのが定番で、どれもがその構造を持っているが、そのテンポや人物(動物)設定と今の...読書録15~65点くらい…

  • 読書録14~「腹落ち」した本

    今年1月、著者をEテレ「ハートネットTV」で見た。4年前に脳出血で倒れながら、リハビリを重ねAPU学長に復帰したその姿は、自分の意思と意志を今出来る手段で懸命に(いや自然に)伝えようとしていた。本物だけに感じる「気」が忘れられない。この一冊は倒れる前年(13冊も出版した年だ)に書かれている。今もって「教えること」に自分の興味が在るのは、かつての職業柄か。いや、人間は教えたがるものだし、「教育欲」(by斎藤孝)という語もあるくらいだ。何のためと自問してみても、結局価値を分かち合う行為の満足でしかない。肝心なのは、「何」を「どのように」伝えていくか。見いだせる価値はその点にある。「何」について、著者は「自分の頭で考える力」と「社会を生き抜く武器」を挙げる。そのために必要な「社会常識」の知見は、今までいろいろな...読書録14~「腹落ち」した本

  • 手詰まりからの脱却~選挙雑感

    一度も棄権はしたことがない。今回も県民、町民としての務めをきちんと果たしたいと考えた。それにしても…と、選挙運動期間中に頭をよぎったのは、どの候補も「政策に手詰まり感がある」。明確な争点があると見えるものも、方向性にそれほどの差も感じない。さらに選挙公報に載せられている文言の曖昧さ…。かつてスタッフとして公報に載せる文面とレイアウトを考えた経験がある。改めてデータを見直してみた。もちろん、限られた紙幅でありスローガン的な言葉に留まるが、自賛めくにしても今回配られた内容よりかなりマシな気がした。短いなりに「筋」が通っている。集票のための多方向アピールで終わっては駄目だ。我が家の玄関先に今年も咲いた福寿草さて、改めて感じたこと「データ(統計)は凄い」。投票時間の終わった直後に、知事、秋田市長の当落判明が出た。...手詰まりからの脱却~選挙雑感

  • だらりと、独り視聴者委員会

    春からの連続ドラマが始まる前に、1月期のドラマについてだらりと書きつけよう。なかなか面白く視た印象がある。NHKでは連ドラ『おむすび』は世間の評判通り低調だったが、大河ドラマ『べらぼう』は異色の展開だし、『東京サラダボウル』『リラの花咲くけものみもち』などは、丁寧に作られていて楽しんだ。民放では、フジTV騒動があるにしろ『1195エマージェンシーコール』が良かった。NHKドキュメントとして放送している実際の現場には及ばないが、結構上手に取り入れられていた。日テレの『ホットスポット』は、脚本・設定が採用した俳優たちとぴったり合って、バカリズムらしさが際立ったエンタメとなった。と、それらはともかく、今回もTBSは強い(一週遅れ放送が少し情けないが)。『御上先生』には独特の魅力があった。ここ数年、一つのクラスを...だらりと、独り視聴者委員会

  • 読書録13~おせっかい者が読む

    先月下旬に読み終えた、久々の教育書。といっても15年も前のあるセミナーの記録である。まずは、何度も繰り返し読んでいるはずだが、内田樹氏の「学校教育を子供たちに授けることによって、最大の利益を受けるのは共同体そのものなんです」という一節に、改めて頷く。教育基本法の「目的」に立ち返りたい。「人格の完成を目指し」という冒頭の部分を、「個人の受益」と勘違いしている印象が昨今の情勢ではないか。「平和で民主的な国家及び社会の形成者」にしっかり注目し各県、各市町村の教育委員会はもっと自分たちの共同体を見据えた内容を目指すべきだ。これは首長に振り回されてはいけない事項だ。と、現在の選挙公約を皮肉っているのだが…(ここにも経済優先思想が蔓延り、どうしようもないなあ)と愚痴はまずこれでお終い。「教育の危機的状況」は、今も15...読書録13~おせっかい者が読む

  • 「手入れ」を嘆き、石を見る

    前月と比べて明らかに早く過ぎた。この感覚にちょっと戸惑ってしまう。ボランティアの読み聞かせはこども園のみで四回、あとは公的な会議等もなかった。親しい方々と一献できたのがちょうど中間地点だ。その後の関西旅行の前後が慌ただしかったからだろうか。ブログ更新も「羽後噺」は目標値7に届かなかった。手元に1枚メモを置いていて、「手入れ」と記してある。書斎環境を対象に…これが三月のポイントであった。書いた当初は意識して、手帳にチェックもしていたが、旅行を挟んで行動化が止まってしまった。復元力がないなあ。体力的な点はもともとそうだが、精神面もこれでは益々フレイル化(笑)が進行しそうだ。3月のベストショットか。ちょっと絵葉書みたいになったけど…ただ、体調はあまり崩さなかった。花粉は飛んでいたが、服薬を早く始めたし、帰宅時の...「手入れ」を嘆き、石を見る

  • 自分のための、自分だけの

    旅のお供に新書でもと思い、書棚から引き出した。この書名に惹きつけられる。それは「自分のため」と「エコロジー」が結びつくかという問いが沸き起こるからだ。ちょうど五年前の三月に読んでいたこの本を、感想メモはこう締め括っていた…「刺激的で、戦略的な一冊」。改めてそう思いつつ、詳しく見ていたら。汎用性の高い考え方だなと印象づけられた。それは「他人と共生するための『エゴ合わせ』テクニック」という箇所だ。ここでは快適な住環境がモチーフとなっているが、そのためにコミュニティを手段にして「合意形成」を図る技術論がある。目指す状況に向かって利益をすり合わせていく原則が示されている。ポイントは「感情の対立」と「利害の対立」を分けて考えていくこと。なかなか難しく思えるが、結果的に「自分のため」と割り切りながら、合理的な関係を築...自分のための、自分だけの

  • 「最強」でも「弱虫」でも

    春休みになった孫が暇そうにしているので、図書館へ。まだまだ自分で本選びは出来ない様子だが、ほったらかしにして(笑)こちらはこちらで新刊コーナーへ。目についた絵本をぺらぺらとめくりながら、何冊かを借りてきた。それにしても集団への読み聞かせを続けていると、どうしても選書が偏りがちと少し反省。ともあれ、まずはじっくりと読み進んでみよう。くすのきしげのり氏が、昨年末に発刊した本はちょっとユニークだった。恐竜好きの孫にはぴったりと、宿題を終えてから読んでやることにする。話はくすのきさんが作ったが、絵は「恐竜画家」と「貼り絵作家」の共作という形になっている。それには仕掛けがあった。冒頭の5ページまでを、恐竜画家がその世界をリアルに描いている。そして、雷に打たれて一気に「ワニ」たちが暮らす世界に転換するのだが、そこから...「最強」でも「弱虫」でも

  • 年度最後の読み聞かせには…

    年度の最終週になっても、施設(こども園)での読み聞かせはある。定職を持たない者にとってはごく普通の日常だが、訪れる場所はやや雰囲気が違う。どことなく慌ただしさが感じられる。そして、卒園式を終えた子どもたちは来月からの新しい世界への希望が心の中に詰まっているだろうと想像する。そんな時に…。これは、落語家の桂文我が手掛けているシリーズの一つ。山の中にある小学校の入学式に、タヌキの親子が化けてもぐり込むお話。変身する動作も面白くみんなが見入る。フィクションであってもこんな学校があれば楽しいだろうと、新生活の想像をしてくれたかな。落語仕立てなので、オチがついているのも良い。1月に『ウィルとふゆのおきゃくさん』を取り上げた。このお話はいわば冬の季節の「暖かさ」がテーマと言えるが、これに続く『ウィルとはるのおきゃくさ...年度最後の読み聞かせには…

  • 春旅寸描からの教訓

    先週末から関西方面へ小旅行。何度か出向いたことのある場所だが、今回は今まで足を運ばなかったところへ、と思っていくつか選んだ。その一つは先日読書録に書いた、琵琶湖の観光船「ミシガンクルーズ」。大津港発着の90分コースは天気にも恵まれ、デッキで飲む昼ビールが美味しかった。北国では味わえない。京都の寺院の有名どころで、まだ行っていない伏見稲荷大社。あの千本鳥居だけは見ておきたかった。確かにその規模はアピール度が高い。バスや電車の便がいいので迷わず行けたが、それにしても外国人観光客の多さに辟易してしまう。平日でも休日でもそんなに変わらないのかもしれない。観光立国の核を見た。もう一つ、昔からの伝統的(笑)施設だが、映画村も見ておきたかった。時代劇というより、朝ドラファンの一人として「オードリー」や「カムカム~」の舞...春旅寸描からの教訓

  • 読書録11~「ちょい」でいいのだ

    ある意味、非常に対照的な二冊の文庫本が、先週の御伴だった。一つは短編小説集、もう一つは対談本。どちらも名の知れた方々であるが、前者は小説家、そして後者の二人は探検家兼作家だ。テーマは比べる必要はないが、いわば、ありそうな話ととても踏み込めない世界の話だ。何一つ共通しないと振り返ったが。「ちょいな人々」はもう十数年前の発刊。著者が得意?とする会社や家庭、ご近所を舞台に些細な「事件」の顛末が描かれる。携帯やメールがモチーフになっている作品には古さを感じつつ、結局機器に翻弄される姿は現在もあまり変わらないかもしれない。人間の心の機微を扱う小説に必要なのは、見通す眼なのか。表題作の終末にふっと書かれた一節。「しょせん、ちょい。『超』も『すご』も『めちゃ』も望めないから『ちょい』か」。表現としての「ちょい」は廃れて...読書録11~「ちょい」でいいのだ

  • イソップ童話を語ってみれば…

    先月末から今月上旬のこども園で語った紙芝居は、イソップ童話である。どちらも有名なお話だが、今の子どもにはあんまり馴染みはないようだ。新しい魅力的な絵本やお話は次々と出版されている。しかし、それだけ扱っているのも正直忙しない心持ちになる。こうした昔から語り続けられた話には安心感を持つ。今回取り上げた2冊はどちらも2022年発刊であり、新しくシリーズ化されているようだ。長谷川義史、スズキコージという超有名な画家たちによって描かれていて、絵を見せるだけでも十分価値があると思う。筋は知ってのとおりだが、紙芝居なりのシンプルさ、そして聴かせどころもあり、心地よく演じられた。「きたかぜとたいよう」。人を動かす場合によく用いられる比喩だ。しかし、子どもたちにとっては登場する形象を楽しめればそれでいい。歌いながら旅人が登...イソップ童話を語ってみれば…

  • 読書録10~待っている何かを

    この2冊を読了してから半年ちょっとしか経っていないが、再び手にした。実は、今週末から滋賀方面へ出かけることになっており、そう言えば…と思い出したのだ。寝床での朝読書に限ったが、4日間、実質2時間程度で読みきった。この読みやすさはまた格別だ。主人公を語る人物たちの造形がくっきりしている。「成瀬」の魅力は言うまでもない。変人扱いから始まる成瀬とのつき合いは、それぞれの人物が心の底に持つ「真っ当さ」に気づかせてくれるように、展開する。成瀬が放つ言葉は、必ず一面の「真実」をとらえていて、何らかの事情に縛りつけられていたり、思い込んでいたりする自分を俯瞰でき、クリアにする。2作目の「やめたいクレーマー」という話は、目のつけどころが面白い。この世の中は様々な環境、色々なレベルでクレームが満ちあふれている。その点を深掘...読書録10~待っている何かを

  • 「もうあきてしまった」から…

    一月半ばに町歴史民俗資料館主催の「郷土かるた大会」が行われた時に、所属している団体として協賛したい旨を相談し、内容の一つに「羽後町クイズ」を入れ、主担当になった。図書館勤務時にも似たような企画をしたので、それをもとに手直しをして完成させた。当日は、概ね好評のうちに終えることができた。クイズ作成で新しく付け加えたなかに、冊子「羽後町の伝説」にある「あぐりこ神社」のことを入れた。各地にある稲荷神社だが、「あぐりこ」という名の由来が面白かったので、取り上げた。意味が「もうあきてしまった」だという。それゆえ、子どもの誕生に関すること、雨ごいなども祈願されたのかもしれない。「羽後噺」と題してホームページを開いている。サイト内の「羽後のはなし」へ、改めて「あぐりこ」の伝説を載せようとしたときに、もう一度その名の由来を...「もうあきてしまった」から…

  • この日に聴く歌

    記憶のあやふやさにどう歯止めをかけようか、などと時々思う。「今、ここ」が大切と分かっていながら、自分を形作っているのは間違いなく、過ぎ去った一日一日の積み重ねだ。ただ、思い起こさずとも「実」になっているものだけが本物。それを十分承知しつつ、欠落を埋めるように取り出すことにも価値があるはずと。2011.3.1112:34その日は卒業バイキング給食だった3月11日には、やはりあの時のことを思い出そう。昨年記した拙著にもこのブログから引用し、翌々日に認めたメモ、そしておよそ半年後の修学旅行引率について書いたことを入れた。何度となく読み返した。ただ、もう少し掘り出しもっと確かめるべきこともあるだろうし、今後も開くだろう。そして、この歌たちも…。東日本大震災後に、様々なアーティストらによって作られた曲がある。なかで...この日に聴く歌

  • 読書録9~天災は、忘れさせまいと…

    「天災は忘れた頃にやってくる」という警句は、昨今の状況をみると「天災は、忘れさせまいとやってくる」と言い換えてもよいほどだ。先日、NHK震災関連で1月に大船渡綾里地区を取材した番組が放送されていて、過去の津波災害を教訓にして高台へ移転した歴史と経緯を知り、なんとも言えない気持ちになった。「天災は忘れた頃にやってくる」は、寺田寅彦のことばとされている。この随筆集にも「災難雑考」の章があり、20ページ弱にわたって地震、台風だけでなく事故も含めた災害について語っている。「吾々人間はこうした災難によって養いはぐくまれて育って来た」と受けとめる、この先達の見方に学ぶことは多い。「(歴史は)殆どあらゆる災難の歴史という事実」を「科学的宿命観」と位置付けながら、対策はどの範囲でできるか、またその結果予想されることなど、...読書録9~天災は、忘れさせまいと…

  • 坂道を転がる心身を…

    去年の今日、記した駄弁に今の自分を問いかけてみると、「19歳の半世紀」なのか「18歳の半世紀+1年」なのか…。言うまでもなく後者か。きっと生物年齢の18から19は、実に様々な出逢いや変化があったはずだ。なんせ初めての一人暮らし、大学生活、ゼミやサークルへの参加、そして当然のように飲酒、喫煙…まさに「何者でもなかった」時代だ。学生運動のデモは初めて見たがすぐ下火になって、燃えかすのような先輩がいた。その姿に不満を持ちつつ、自分は何一つ踏み出せないまま、ただ髪を長くしジーンズを穿き、下手なギターを掻き鳴らす、昭和50年代初頭の典型だ。「三無主義」という言葉が投げつけられていた。「無気力・無関心・無感動」だと認識していたが、「無感動」ではなく「無責任」だと辞書にはある(後に無感動が入り「四無主義」らしい)。これ...坂道を転がる心身を…

  • 読書録8~乱読し春待つ

    2月も相変わらず乱読。2冊は数年前のことが書かれてあり、改めて大事な「とき」であったことを思い起こす。このエッセイが週刊文春の連載であることは知っていた。まれにその雑誌を買ったときに読んでいた。改めて文章の上手さを感じるが、「好きなもの」について絶えず関心を払っていると、材料が豊富にあり、手順も一通りでなく多彩になるから、いい仕上がりになると想像してみた。料理の本道は執筆に通ずるのだ。「あてのない湯」という一篇が心に残る。料理の手間を語るとき、料理店「吉兆」の主人の話に「むだ湯を用意する」という話があったことを思い出す。「使い道のわからない湯」が、様々な役に立つという場があることを、達人たちは身をもって知っている。初めから効率の奴隷でいては見えぬ境地だと思った。2020年の3月~6月頃に書かれた論考である...読書録8~乱読し春待つ

  • 弐月は、逃げたか

    一月はずいぶん長かったと振り返りをしている。その反動?なのか、二月はずいぶん早く過ぎてしまった感がする。立春後に降った雪はさほどではなかったが、車庫の屋根は締まった結構積もっていて、重い腰を上げ少し排雪した。一昨年までなら一気にやっていた。しかし、今冬は短時間で二日続けるやり方にした。体力に合わせつつという心がけは肝要だろうが、若干寂しくもある。中旬、車のバッテリ劣化が目立ち、仕方なく交換した。通勤等もなくなり使用頻度が落ち、放電が進んだのだろう。機器だから交換可能だが、人間の身体はそうはいかない。まあ、孫の雪遊びに付き合うことは多少できるし、億劫がらずに維持を図ろう。読み聞かせは、こども園が4つ、小学校2つ。5年生相手に「おまけ」として谷川俊太郎の「ひとりひとり」という詩を読んだことが印象深い。高学年な...弐月は、逃げたか

  • 本に寄り添って語るため

    明日は年度最後の小学生読み聞かせ。読みたい本はいくつかあるのだけれど、中学年という対象を考えて2冊をピックアップした。どちらも初めて語る。一つはマイブームの安東みきえで、昨年購入した本である。もう一つは、図書館で見つけた。県立図書館の巡回的なラインナップにあった内田麟太郎・作である。『メンドリと赤いてぶくろ』の絵は、アニメ風と言ってもよいだろう。ただ色彩は優しくはっきりして見やすい。舞台は現代だろうが、手編みの手袋であったり、鶏の声が朝を告げたりする設定は「昭和」だな…。中学年であっても鶏の雌雄についてちょっと前置きが必要だろう。鶏冠はどれほどの子が知っているか。メンドリの集団が声をあわせる台詞が面白く、物語に変化を与える。会話する相手が替わるので、その辺りの「間」に注意しなければならない。また場面転換も...本に寄り添って語るため

  • 哲学を我が身に引き寄せる

    学術書や専門書は必要もないし興味もないが、こうしたタイトルには惹かれ、思わず注文してしまう。結果ツマランかナカナカかは、半々ぐらいだろうか。この新書は後者だった。哲学のガイダンスではないけれど、名前ぐらいは知っている古今東西の哲学者や文豪、研究者等が登場する。著者なりの紹介が面白かった。引用の仕方で印象付けられたかもしれないが、哲学者とはまさに「言い切る人」だ。極端とも感じられる章句こそが哲学の肝と言っていいか。冒頭のデカルトはかく語る。「決断したら迷うな」。そこに到る根拠は「どうせ(道は)わからない」。そしてその先にはもちろん、失敗しても繰り返して進む決意が鎮座している。古代ギリシアのパルメニデスは「存在しないものについては考えるな」と言った。これがグローバル化の考え方につながっていると著者は示す。当然...哲学を我が身に引き寄せる

  • 如月雨水の頃、日録

    2月16日(日)全国ニュースは盛んに「最強寒波」の様子を伝えているが、我が町周辺は比較的平穏である。明日の読み聞かせに向けてのチェック後、E先生の火葬へ向かう。若く生意気だった頃に同僚としてお世話になった。常に笑みを絶やさない方の遺影は当時のままのように感じた。久方ぶりに恩師に出会い、言葉を交わす。2月17日(月)先月都合で行けなかったので、今年初の小学校読み聞かせとなる。5年生相手に、初物『せっかちなハチドリ』を語る。締め括りに谷川俊太郎の詩を一編読んだが、感想がそこに集中したのは複雑な気分だ。元同僚から頂き物、気を遣わせてしまった。自宅のHDDレコーダーが不調。使用頻度が高いので心配になる。2月18日(火)雨水読みきれなかった本も含めて「読書録」をアップする。その後、山間部のこども園へ。天気は良かった...如月雨水の頃、日録

  • 「時」や「場」がひらくとき

    人気作家の名前がずらりと並んだ表紙に惹かれて、久々に短編集を読む。これも風呂場読書に最適だ。共通項を知らず『時ひらく』という書名に惹かれ手にとったが、舞台として「三越百貨店」が設定されていた。三越の持つ歴史、伝統や言い伝えが素材になりえるのはやはり物語性か。田舎者には縁遠いけれど。伊坂幸太郎は仙台在住であり、そこの三越を取り上げていた。4年間暮らした身であり親近感がわいた。主要人物として「フジサキ」「エンドウ」という他の百貨店の名が登場させてウイットに富んでいる。そんなこともあり六篇の中では、その『Haveaniceday!』と、阿川佐和子の『雨上がりに』を面白く読んだ。東野の『重命る』はガリレオシリーズ。トリックは見事ながら、短編では深まらない印象があり物足りなかった。ほとんど会話のみで進行する恩田陸の...「時」や「場」がひらくとき

  • 二人の話を、二つ続けて語る

    一昨年からの小さなマイブームは安東みきえである。『ふゆのはなさいた』『星につたえて』この二つの絵本を皮切りにして、児童書(物語)を読み、他の絵本も買い求めてみた。『ヒワとゾウガメ』(絵・ミロコマチコ)は昨秋に取り上げた。昨春に発刊されたのは『せっかちなハチドリ』(絵・降矢なな文溪堂)も素敵な話だ。ヒワとゾウガメという対照的な二人が一つの島で暮らしている。ヒワは「ゾウ」という未知の動物がいることを知り、探しに出かけてしまう。おしゃべりなヒワを煙たがっていたゾウガメは、いなくなってから初めてその存在の大きさに気づく。途中で挫折し帰ってきたヒワとのやりとりに、時を超えた永遠性を見る。寿命の長さは、数々の別れを意味していた。だから簡単に「ともだち」にならないほうがいいと思ったゾウガメが、考え直す最終場面はシンプル...二人の話を、二つ続けて語る

  • 生の燃焼度を視る人

    小学生の頃の漫画月刊誌といえば、「少年画報」「まんが王」それに「冒険王」が思い出される。ここで「冒険」という語が使われたのは、読者対象の心を強く揺さぶると考えられたからだろう。昭和30年代後半から40年代、広い意味で冒険は未来だったとも言える。そして今、限られた者の強烈な光を指している。読み応えのある一冊だった。対談と記事・解説のエッセイが集められていて、内容として重複する箇所も散見されるが、それでも著者たちの熱い思いが伝わってくる。角幡唯介の文章に惹かれ、昨年秋に古雑誌の記事に対する雑感を記したこともあった。今回、彼の活動のほぼ全貌を知ることができて、益々納得した。彼は「初めから文章や本を書くことを前提に探検や冒険に出かけている」とずばり記している。登山や極地探検等それ自体も「表現」であることに違いない...生の燃焼度を視る人

  • 無理せず、諦めず、偏らず

    相変わらずの風呂場読書は新書か文庫に限る。何より軽いし、短時間でも一週間ぐらいで読了するのがいい。時に鋭い一節に考え込むこともあるにしろ、ゆったりと身体へ活字を流し込む時間は貴重だ。宗教や健康ジャンル、小説なら短編が多い。新しい知識、一歩先を行く知見…心開けば、染み入るものは必ずある。『「始末」~』は再読。4年前に読んでいてメモを残している。その時思ったことに加え、今回ぐっと考えさせられたのは「葬」だった。義母を最近逝去したこともあるし、たまたま見ていたTVでインタビューを受けた外国人が「なぜ日本人は亡くなった骨を大事にするのか」とその慣習を疑ったことが重なった。今の一般的な葬送の仕方は、極めて限定的と再認識する。この国の、平時の、経済優先の、現代社会に通用しているだけだ。人が人を弔うあり方に目が向くよう...無理せず、諦めず、偏らず

  • 油断してたら大敵、怖い

    TVニュースの画面を見て、こんなに安堵したことは最近なかったなあ。データが一番でよく目立つ本県、(それは人口やら何やらの悲観的なものが圧倒的だが)これなら大歓迎だよお…。何しろ自分にとっての大敵が、例年に比べて唯一「非常に少ない」と出たのだから。でも理由は何か。いや、ともかくメデタイ。と気分良くいたら、何だかくしゃみが出る。鼻水も…。それに目の端が若干痒いような。えーーっ、まだ立春になったばかり。TVでは「最強寒波」がどうのこうの言っているし、酷い降雪はないけど十分に寒いよ…いや、振り返れば30年以上のベテラン花粉症患者。そう言えば風雪のある日は要注意なのだった。かつて同病相憐れむ同僚と、一月中に「来てますかね」「来てるね」という会話を交わしたこともある。気象庁発表は平均値に過ぎないだろうし、様々な条件に...油断してたら大敵、怖い

  • 「今=ここ」に留まらず

    日本人の見通しの甘さや、同じ過ちを繰り返す国民性、さらには「空気」に支配される風潮について書かれている本を何冊も読んできた。なぜそうなのかを著した部分はあったかもしれないが、あまり覚えていない。『日本文化における時間と空間』はまさにその答に迫ったものだ。難解だったが、興味深く向き合った。「日本では人々が『今=ここ』に生きているようにみえる」。そうした「世界観」を持つに至った、日本文化の歴史を「時間」と「空間」の両面から解説している。「過去は水に流す」「明日は明日の風が吹く」の慣用句に頷いてしまう精神性もそのなかで作り上げられ、私たちの多くは、視角90度程度で生きている。中国や韓国外交で繰り返される戦争保障問題や、現在戦争が行われている地域に関して、一通りの歴史や原因は分かっていても、真底から理解していない...「今=ここ」に留まらず

  • 冷静に「負けてたまるか」と

    米国野球殿堂入りに関わるイチローへのインタビューは興味深かった。大リーグ活躍以前から、様々なコトバで注目されたのは周知の通り。心に残るフレーズは多いが、今回「これから野球を始める選手やプロになったばかりの選手にアドバイスをするとしたら」の返答こそ、イチローのイチローたる所以ではないか。「才能ある人たちもたくさんいます。僕なんかもうとても比較にならないぐらい才能にあふれた人がいっぱいいます。でもそれを生かすも殺すも自分自身だということです。自分の能力を生かす能力はまた別にあるということは知っておいてほしい。才能があるのになかなかそれを生かせない人はいっぱいいます。」一日早い今年の立春。無事に口に出来るこの幸せよ。「自分の能力を生かす能力」に傑出していた存在がイチローと言えるだろう。それを単に「努力」と言い換...冷静に「負けてたまるか」と

  • 長い一月の「七(質)」は…

    長いひと月だった。いささか気負って「元日の弁」を書きつけたことが遠く感じる。最初の週はいつも通りだったが、二週目以降それぞれに、公私含めてやや非日常的な出来事があったからだろう。いくつかはこのブログやFBに書きつけている。そんな中で、今年の一字と決めた「七(質)」はどうだったか、振り返る。キーナンバーを決めて暮らしてみるというのは、なかなかいい手だと思った。考え付いたときに「制限としての七」「負荷としての七」という言葉をメモしている。この年齢で心がけることは、だいたい決まっているわけだし、毎日にめりはりを持つ意味で有効になるのでは…恥ずかしくて(笑)記せない項目もあるが…。ポイント交換で注文したラーメン。なかなか美味だった。身体管理としての細やかな体操習慣の回数基準など、数値設定したことは、万全とは言えな...長い一月の「七(質)」は…

  • お正月のご褒美

    火曜日に地元のこども園へ行き、今月の読み聞かせは終了。事情があって小学校に行けなかったので、計4回だけとなった。まだ一月中であり同じプログラムでもいいかと思ったが、正月ネタを半分やめて変更した。図書館に行き、面白い一冊を見つけ試してみたかった。題名がいい!!『うちゅういちのたかいたかい』専門サイトに【書店員が選ぶ絵本新人賞2023特別賞】と挙げられていて、開いてみたら頷けた。「たかいたかい」がどこまでもエスカレートする、いわばナンセンスジャンルだが、その意外性は「夢」だ。もちろん「たかいたかい」が嫌いな子はおらず、目を丸くして聴いてくれた。帰って親にネダル子はきっといただろう。もう一つ大型絵本をと思い、個人的に好きな『うがいライオン』を読んだ。今さらながら、この文章には読点がなく、そして文末表現は最後にし...お正月のご褒美

  • 生き様を多くの人に見せつけて

    森永卓郎氏が亡くなった。素人にもわかりやすい経済情報や独特の信念を伝え続けてくれた人だ。結構多く読んでいると思ったが、実際は単著ではなく雑誌記事などが多かったようだ。ブログ検索してみたら、20年前『児童心理』という教育雑誌に載った文章に触発されていたことが記されていた。本質は変わらない。教育者が一番やらなくてはいけないこと(2005.6.22)最後に、その考えに触れたのも雑誌だった。昨年12月のPRESIDENT誌の冒頭で医師との対談が掲載されている。末期がん患者であることはずいぶん前から公表していたが、改めて強固な考え方に感服した。殺到した仕事に応えて猛烈に原稿を書き、30日間徹夜を続けた精神力は、正直ちょっと想像がつかない。記事には「森永卓郎の『後悔しない生き方』」として次の三カ条が載っている。「①『...生き様を多くの人に見せつけて

  • 読書録3~その目線が決める

    TVニュースで耳にした政治家の発言の違和感がどうしても拭えない。高校の授業料無償化がなった場合に「塾代に充てるなど高額の所得者に対して有利に働くのではないか」という箇所だ。教育の機会均等という点を念頭に置いているのかもしれない。しかしどのレベルの機会均等が肝心なのか。やはり目線は上だ。「塾に行くことは有利」…常識には違いないが「有利」の中味はやはり価値観・人生観を反映しているし、それは喧伝されている「多様化」と擦り合わせできていることか。「年収●●●円の壁」問題にしても、どうにも政策提案が小手先じみている。もはや小国の悲哀か。とそんなことを前置きに読書メモを書く。『コーヒーカップの耳』(今村欣史朝日新聞出版)。「阪神沿線喫茶店『輪』人情話」という副題の通りに、詩人である著者が夫婦で営む喫茶店で見聞きした話...読書録3~その目線が決める

  • 大寒の頃、時間を想う

    降雪は少なかったが、大寒の朝はずいぶんと冷えた。買い物に出かけようと車庫で車のエンジンをかけようとしたら、なんとバッテリーがあがっている。何年ぶりだろうか。まだ4年も経たない愛車だが、確かに昨年点検時ディーラーから劣化は指摘されていたのだ。乗車頻度もあるだろうし、少し甘くみていた。人間の心身も同様、動かしていなければ錆びつく。さて、学校での読み聞かせを始めて6年ほど経つが、自己都合で出向けなかった時は一度もなかった。昨日は複数の事情が重なり、断りの連絡をした。たった一度の機会に過ぎないが、ふと声を子どもたちに届けただろう時間は戻すことはできないのだと改めて気づく。自分にとって「親」と呼べる最後の人であった、妻の母が一昨日逝去した。若い頃から苦労を重ねた人生だ。しかしそれは、一家を守り歩み続けて、成し遂げた...大寒の頃、時間を想う

  • 子どもの悪さに意味がある

    久しぶりにバスに乗り、傍にいた小学生の他愛のないおしゃべりに耳を傾けると、子どもというのは本質的に昔も今も変わっていないのでは…という気がした。「しりしりをしよっ」と二人の男の子が始めたのは、無限?しりとりだった。「リンゴ⇒ゴリラ⇒ラッパ」と定番があって次が「パセリ」。それが「リンゴ」と続く…これを何度も繰り返し、通常ルールに逆らいながらリズムよく言い合う面白さを楽しんでいるのだと思う。また2時間近い乗車は、窓から見える景色や通過する道筋に変化を求めないと、どうにも退屈だ。そこで多くの子が目をつけるのはトンネル。それはどの時代でも同じかもしれない。ある男の子はこう言った。「トンネルに入ったら出るまで、息を止めるんだよ」。隣や後ろの子と一緒に「せいーの」…「ふうっ」とやっている。国道107号には短いトンネル...子どもの悪さに意味がある

  • 読書録2~こころが着る服

    今シーズン一番の降雪だった10日金曜日、山間部にあるこども園へ。峠道は朝に除雪していても10時半頃にはまた結構な量が積もっていた。車体はフラれるし、道幅が狭く、白さが強くて視界が悪い。こうした道路は慣れているはずだが、やはり不安が出てくるお年頃か…だから、この本を読む視点は複雑だった。『うちの父が運転をやめません』(垣谷美雨角川文庫)。知り合いが寄稿していた読書記録にあり、興味が惹かれた。地方在住者にとって重要度が高いテーマだ。物語は50代の息子と80代に手が届く父親が対象であるが、免許返納に関わって描かれた事象や個々の思いは、この国の政治、社会課題と直結している。解説を書いた国際政治学者の言葉が鋭い。「決断せよ、50代。」内容はさておき、焦点が当てられた年代からズレてしまった自分が少し哀しい。とはいえ、...読書録2~こころが着る服

  • 年の「頭」の読み聞かせは…

    急な予定が入り、8日スタートとなったこども園読み聞かせ。今日まで3日間連続通うことになった。新年ということを意識したラインナップ。最初は「餅」をテーマにしたこの一冊。『おもちのきもち』(かがくいひろし講談社)。とても好きな作家だが年長児向けはあまり数はない。今回は季節モノなので導入に最適だ。「お正月にお餅を食べた人はいるかな」と訊いても、全員の手は挙がらない。地域差がある印象だ。もっとも自分も今年はまだ…。少し餅つきのことに触れてから読み聞かせた。次は「今年はナニ年か、わかる?」と干支を出して、へびの話を2冊続ける。最初は「へびのくび」(織田道代・きくちちきフレーベル館)。生物学的には蛇の首があるとは思えないが、「スカーフをまいて似合うところ」というオチはなかなか素敵である。短いがウイットに富んでいた。次...年の「頭」の読み聞かせは…

  • 読書録1 ~座布団20枚

    元旦の読み始めは例年と違った。『残酷人生論』のことは一区切りついたように思ったのか、昨年末に買い貯めた中から『未来のだるまちゃんへ』(かこさとし文春文庫)をまず選んでみた。2018年に92歳で没した偉大なる絵本作家、児童文学者のいわば自伝とも呼んでいい一冊だ。「迷い道人生」に学ぶべきことは多い。大正生まれの生き様を見る時、なんいっても「肚のすわり方」に圧倒される。学ぼうと思って学べるものではない。戦争体験がそれを支えていることには間違いなく、修羅場のくぐり方が決定づけるのかもしれない。「だるまちゃん」シリーズはその結晶であろう。重みを感じつつ、想像力を発揮して軽やかに読みたい。併行して読んでいたのが『噺は生きている「古典落語」進化論』(広瀬和生ちくま文庫)。落語評論家の著者が、有名な5つの噺をその成り立ち...読書録1~座布団20枚

  • タクミとシクミを引き寄せる

    元日に放送された政治経済の番組を観ていて印象深い一言があった。「タクミからシクミへ」…日本の会社の経営者となった外国人が「成長」に関わって述べたフレーズである。なるほどと思いつつあれっという気がした。一人や少数に頼らず組織全体を機能させ…個別対応ではなくシステムを作って…昔からそんなことを自分は…子どもたちを教える時、構成や法則を重視しながら自らの技術が「科学」的に通用する姿を求めたし、に憧れも抱いた。しかし、それが大きな問題を孕むと気づいたのはいつ頃だろうか。もちろん「仕組み」は重要なことだし、組織を整えていく役職を長く務めたし努めもした。ただ、ともすればその過程で見失うことは多い。仕組みを整えることに目がいくと、力を注ぐ方向が肝心な点からずれていく。細かい仕組みを作れば作るほど、人はそこに縛られていく...タクミとシクミを引き寄せる

  • 元日の弁、「何」をつくる

    録画していた年末番組を観ていたら、秋田に県外から移住してきた方が「秋田は何もない、と言わないこと。言霊になる」と真っ当なことを語っていた。それは本県だけでなく過疎の地方であれば言いがちなことだ。つい口にしがちなその文章は、「何」とは何かと問われた時に、価値観があぶり出されることになる。「何もないけど、何でもある」という逆手をとる言い方もよくされるが、通ずるものがある。しかしどんな国の奥地の映像を見てもスマホを使う人の姿が映し出される世界を、どう把握すればいいのか。AIが解決してくれる問題の範囲は拡大していくかもしれないが、結局行くのも引くのも、一人一人に委ねられる。教職最後の年、次年度から統合する学校の教育目標の案を作成してきた。「つくる」というシンプルな語に込めた意味はいくつかあった。しかし芯の部分には...元日の弁、「何」をつくる

  • 選書に未来が透けるか…

    年頭に書いた漢字一字は「真」だった。これは既に今年図書館の仕事を退くと決めていたことも頭にあったと思う。種田山頭火の言「新は必ずしも真ではあるまい。しかし真には常に新がある」から、心構えとして選んだ。しかし、振り返ると「真」に近づけたか、甚だ心許ない。ただ、「新」らしいことはやり遂げた。令和6年を表わす私の一字は「本」と言っていい。それは絵本の読み聞かせを継続していること以上に、自費出版として拙著を2冊も仕上げたからだ。今まで書き残してあった文章を読み返しながらの編集作業は楽しく、さらに差し上げた方々に会まで催してもらい、はずみで(笑)次の一冊にも取り組むことが出来た。何を今さらアナログな書籍を…という気もありつつ、やはり手にした時に、重みの感触が嬉しい。過分な評価や励ましも頂いた。このブログを含めて「書...選書に未来が透けるか…

  • 今年初!の独り視聴者委員会

    思えば2020年頃から「独り視聴者委員会」と称し、結構テレビ番組のことを書き散らしてきた。しかし今年は一度も取り上げてないようだ。心に残るドラマなどが少なかったからか…そうかもしれない。正直に書けば一番多く観た?のは『相棒』シリーズ再放送。なんといっても昼寝の友、安心してこっくりできる。NHKの朝ドラ、大河は一応観ている。今年はそれほどのインパクトはなかった。『虎に翼』はまあまあで、『おむすび』は駄作だ。『光る君へ』はちょっと現代的過ぎた。ドラマはやはりTBS日曜劇場(翌週放送が情けない)が面白かった。やはりつくりが凝っている。これは、もはやブランド化しているような印象を持つ。他に印象深く残っているのは、『アンメットある脳外科医の日記』(関西)、『新宿野戦病院』(フジ)、『季節のない街』(テレ東)『海のは...今年初!の独り視聴者委員会

  • つまりは、自分次第だと…

    久しぶりの池谷本は新刊。Re101『生成AIと脳この二つのコラボで人生が変わる』(池谷裕二扶桑社新書)。本書に人々のAIに対する態度は5つに分類されるとある(今年9月のアンケート結果)。それによれば現在の自分は「5観察派:AIを活用しておらず、様子を窺っている」タイプだ。それゆえに手にした一冊だ。予想以上に進化していてビックリ!という高齢者にありがちな感想を持つ。著者の示す例や論理は納得のいいものが多く、例えば、特にAIによるカウンセリング、授業などは今まで信じていた常識を覆すものだった。つまり、「人間味」などという粗い情緒面に対する評価だ。「仕事をする側」の偏見の有無が刺激される。「第4章生成AIが抱える10の問題」では危惧される点が明確に整理されている。総じて思うのは、人間は結局ラクにはならない。新し...つまりは、自分次第だと…

  • 12月が妙に長く思うのは…

    今月は妙に長い気がする。日曜日スタートだからか…全然関係ないはずだが。最初の週は読み聞かせが2回、そして役員をしている団体の町民大会があり、気忙しかった。土曜日の午後、積雪が増えないうちにと思い、隣県の温泉へ出かけた。そしてそこで強烈な場面を目にする。三週間も経ったがまだ忘れられない。事件や事故の類ではない。実は夕食時に隣のテーブルについた親子に目が惹き付けられて、どうにも落ち着かなかった。おそらく20代の夫婦に、2、3歳頃の男児だろう。席に着き、最初に子どもの食事(お子様向け)を夫が世話して細かく砕いていた。それ自体今どき普通だろうが、母親はその様子に一瞥もしない。その子は一言も喋らず、一人でスプーンやフォークを使い落ち着いた様子で食べ続けていた、それにも驚いたが、私たちが席を離れる40分ほどの間、父親...12月が妙に長く思うのは…

  • 100冊目が問いかける

    Re100『〈ひと〉の現象学』(鷲田清一筑摩書房)。予想はある程度していたけど、難しい本を手にしてしまった。風呂場で読んだ(そんな類の本ではないが)けれど、何日ぐらいかかったのか。ざっと半月以上は確かだろう。正直に言えば、理解度1割ちょっとか。しかし、それだけでありながら印象深い記述は多い。第一章の「顔存在の先触れ」は特にうぅむと唸ることが多かった。私たちは日常、他者の顔を真正面から凝視できないことに初めて気がついたように思う。「いわば盗み見するというかたちでしか、じっと見つめることができない」という事象は何を意味するのか。一体、何のために顔を見るのかという問いが始まる。そこで第二章「こころしるしの交換」に移ると面白い一節に合う。筆者はある小学校の出前授業で、子どもたちに心の存在を問うてから、こんなふうに...100冊目が問いかける

  • 物語が嗅覚を刺激する

    久しぶりに小説を、と思って手に取ったのが、この名作Re98『蛍川・泥の河』(宮本輝新潮文庫)。この作家には一度手を出したが、そんなに馴染みがあったわけではない。しかし、さすがにこの作品は心に染み入った。昭和30年代という時代。当時の大阪、北陸富山という舞台を、色濃くイメージさせてくれた。なんといってもニオイがする。それは匂いであり臭いだ。土地の自然環境だけでなく社会環境も景色となり、全体的に強く迫ってきた。現代とはかなりかけ離れた人間の機微を感じさせる。自分も少しだけ懐かしく思うのは、貧しさ、醜さそして意地のような部分が心底にかすかに残っているからではないかと考えた。ことし8冊目のドリアン著作本。Re99『あなたという国』(ドリアン助川新潮社)。自身のバンドやニューヨーク滞在経験をもとに、劇的な展開のある...物語が嗅覚を刺激する

  • ほぉおと思って締めくくる

    今週は3日間こども園に通い、今年最後の読み聞かせの締め括りをした。4つの絵本を取り上げた。前半は『めをさませ』と『うえきばちです』。短い本で、テンポよく攻めてみる。これらは、まず「テッパン」と言っていいほどウケる。「うえきばち」はこども園では初めてだけれど、反応は小学校とほとんど同じ。もちろん、絵の面白さが抜群なわけだが、大人になっても楽しめるのは「同音異義語」を使う工夫があるからで、その空想と馬鹿馬鹿しさが本当に楽しい。さて、後半はクリスマスを意識した2冊。いくつかサンタクロースが登場する話も考えたが、結局選んだのは次の本だった。最初は「ちいさなもみの木」。しみじみとした味わいがある。年に一度の機会に読んでみたくなる本だ。「ちいさなもみの木」が大きく育ち、この後、毎年続くクリスマスにつながるような終末が...ほぉおと思って締めくくる

  • 三年ぶりのお猫さまたち

    今年最後の小学校での読み聞かせは4年生。何を選ぼうかと多少迷った。時期的なクリスマスものは学年としてどうかと思い、困った時の猫頼み(笑)ということで、この2つをピックアップした。『ねこはるすばん』(町田尚子)と『のら猫のかみさま』(くすのきしげのり)、どちらもいい本で、前に取り上げたことがある。調べてみたら、どちらもおよそ3年前。『ねこはるすばん』は楽しい妄想が軽快なテンポで語られる。絵本の楽しさがつまっているような一冊だ。ある学校のPTA時に親子で聴いてもらったことも印象深い。語りは、出だしはゆるく「なんだ?」と思わせておき、徐々に明るくしていくパターン。終末をアドリブで締める。『のら猫のかみさま』…これは物語として大好きな一つだ。かつて別ブログで紹介していた。その時に対象は年中児から大丈夫と考えていた...三年ぶりのお猫さまたち

  • それは、幸せな出会わせ方

    『野口芳宏一日一言』(野口塾文庫)には、こう記されている。9月29日<詩を虫食い(□の空欄)にして扱うことに関して>虫食いは完全なる回答が明らかになっていないと、学力形成にはならない。『これ以外に正解はない』という時に虫食いを指導に位置付けることができるが、そうでない場合は単なる当てずっぽうとなる。伏字を使うとクイズ的面白さになり、どういう学力を形成するのかが曖昧になりがち…という意味で心しなければいけない警句である。私の「詩の伏字クッキング」という実践及び提案を改めてみると、当時その危険性に対する意識はどうだったろうか。指導のメリットを挙げ、授業づくりのパターンも例示していた。先行実践(青木幹勇氏)から「理解することと密接な関係にある」「詩を読みながら、詩を作るという、学習をする」という考えをもとに、パ...それは、幸せな出会わせ方

  • 一言から、己の存在を確かめる

    編者である照井孝司先生よりご恵送いただいた。Re97『野口芳宏一日一言』(野口芳宏・著野口塾文庫)。「教育箴言集」と銘打たれ、365項目にわたって人生観、教育観から始まり、国語科指導のポイントまでが並べられている。致知出版社の一日一言シリーズと同形式といってよい。野口語録のエッセンスである。編者が野口先生に学んだ足跡でもある。長きにわたり真摯な姿勢を続けてこられたからこその労作と思う。私も講座や著書に触れ、何度も同じ言葉を聞いてきたつもりではあるが、半端な根性ゆえに受けとめる深さは到底叶わない。一見ランダムのように並べられたと感じる箇所にも、明確な流れの意図を汲み取れる。「向上的変容の連続的保障」…4月の扉にあるその言葉は、授業の本質として常に心に留めていた。そこはぶれずに歩んできたが、振り返ってみると「...一言から、己の存在を確かめる

  • 呑み込まれつつ呑み込む

    発刊は2006年。見逃すほど忙しかった頃ではないはずだが、関心が他に向いていた時期だったのか。Re94『詩の風景谷川俊太郎詩集すき』(谷川俊太郎理論社)は子ども向けだが面白かった。先週読んだ『赤ちゃん・絵本・ことば』の中で谷川が朗読した「ひとりひとり」という詩を調べ、この詩集に行きついた。ひとりひとり違う小さな物語を生きてひとりひとり大きな物語に呑みこまれる読み進めたら校歌の詞が5編あり、それもさすがの出来栄えだと思う。例えば「わたしがたねをまかなければはなはひらかない」や「はみ出せこころとび出せからだ」という歌いだし。「ごくふつう」の言葉をこれほど巧みに操る人はいない。自ら職人という形容もしたように思うが、作るべき像が見えていたからだ。何年振りか忘れるほどに久しぶりの、光のページェント拙著第二集の執筆途...呑み込まれつつ呑み込む

  • 生きるの宝石箱を見つける

    図書館で、ある挨拶のための材料探しをしていたら、詩集の棚にB6版横型の本を見つけた。それはRe91『生きるわたしたちの思い』(谷川俊太郎withfriends角川SSC)。続編のRe92『生きるわたしたちの思い~第2章~』(同前)である。2008年、2009年の刊となっている。初期のSNS「mixi」から始動した。そこで、谷川俊太郎コミュニティが作られ、著名な詩『生きる』というトピックが立てられ、その詩をつなげていく試みが呼びかけられた。自分もやったなあと思い出したのは、このトピックの参加ではなく、担任していた教室で子どもたちに向けてだった。あの詩の持つ解放性、拡散性とリズムは、魅力的だった。「生きているということいま生きているということ」…作者がその後に記したコトバを、失礼ながら例示と考えると、読者一人...生きるの宝石箱を見つける

  • 歴史は、その書名に

    11月23日に行われた「野口芳宏先生師道の碑」の除幕式と祝賀会への参加は叶わなかったが、賛同者として名を連ねたので実行委員会より当日発刊の著書が送られてきた。Re90『教師人生を楽しむ』(野口芳宏・編著さくら社)。先生の自選論文集と、全国諸氏からの寄稿(野口語録、野口実践)で構成されている。自選論文にある随想、論考のどれもを記憶していると喜びながら、その教えがしっかり身についているかと言えば甚だ心許ない。浅学菲才はもちろんだが、コラムにある「素直さ」に欠けているのかもしれない。「秋田の子どもは素直だから学力が高いよ」…かつて師から掛けられた誉め言葉を複雑な気持ちで思い出す。見開きの形で紹介された「野口語録」と選んだ方の思いや解釈は、共感できることが多い。長い間に私も似たようなエピソードは限りなくある。身近...歴史は、その書名に

  • あっち思ったりこっち見たり

    Re87『魂のみなもとへ』(谷川俊太郎・長谷川宏朝日文庫)。5年前の冬に読んでいて感想を残してある。再読し付加しておきたい箇所が二つあった。一つは「子どもは駆ける」という詩に付けられた「駆ける子ども」の文章だ。かなりの頻度で幼い子と接しているからだろうか。やけに心に響いてくる一節がある。「子どもが反復を厭わないのも、まるごとの体がいまを精一杯に生きているからだ。(略)いまという時間をまるごと生きるからだは、同じことを何度くりかえしても、そのたびに経験が新鮮なのだ。」「精神は反復をきらう」(ヴァレリー)から導くと自然、肉体は反復を好む。理解出来るのは、いかに子どもの精神が自然と肉体から分化していないかだ。ここに教育のヒントがある。さて、もう一つは「結構な死にかた」。これは谷川の詩「しぬまえにおじいさんのいっ...あっち思ったりこっち見たり

  • 「最後から二番目の…」という心地

    『最後から二番目の恋』…続編も含めてもう十年以上前のドラマだ。中井貴一と小泉今日子の主演で、鎌倉を舞台にした物語は本当にお気に入りだった。「事件」らしい出来事はほとんどなく、日常風景を織り込ませ中高年の恋模様を淡々と描いていた。脚本は岡田惠和。かの山田太一から褒める手紙が送られてきたという。極楽寺駅が印象的で、鎌倉観光をした折に立ち寄ったことが懐かしい。さて内容はもちろん、この「最後から二番目の恋」というタイトルが洒落ていた。実際にそんな台詞があったわけではない(と思う)が年齢設定からのイメージだろう。では、なぜ「最後」ではなく「二番目」なのか。そんな些末なことに気を留めてみる。「最後」の持つ本気度、切実感が、「二番目」と添えたことで多少和らぎ、それが肩の力の抜けた雰囲気に結びつくのだろうか。しかし、実際...「最後から二番目の…」という心地

  • 冬に備える「ココロのヒカリ」

    三週続けて、こども園の読み聞かせに通った。今回は「紙芝居」を中心にしようと構想した。時期的にふさわしいと思い「てぶくろを買いに」は取り上げようと決めていた。原作とは少し異なり端折っている部分は惜しいが、初めて買い物にいく子ぎつねへ共感する子は多いだろうし、読み手としての安心感があった。もう一つは悩んだ。イソップや笑い話系統も考えたが、今回は久しぶりの宮沢賢治を選んでみた。「どんぐりとやまねこ」である。一種のファンタジー要素があるなかで、魅力的?個性的?な登場人物が惹き付けるのではないか。さらにどんぐりたちの諍いも面白い。園内での争い事を思い出す子もいたかもしれない。難しい言葉もあるが、子どもたちはじっと聞き入ってくれた。これも原作と違うとはいえ、賢治のもつ世界観のようなものが惹き付けているか。二作とも紙芝...冬に備える「ココロのヒカリ」

  • 霜月晦日に何思う。

    上旬に行きつけの理髪店で、ずいぶんご無沙汰していた人と逢って話が弾んだ。「あの頃はよかった」はこの齢では定番中の定番だが、実に多くのエピソードがある。学校勤めが苦しいと感じたことは少ないが、それらさえもうみんな沈殿してしまい、上澄みのきれいな水がゆらゆらと光に照らされているひと時だった。ほぼ一年ぶりに参加した研修会は「道徳」が内容だった。学力の落ちこぼれはなんとかなる?が、道徳の落ちこぼれは大変だ…この考えの意味するところを大方の者は理解できる。しかし、問うべきは大人だ。子どもが道徳を学ぶ多くは、けして教室の場ではない。はるかに多くのことを、現実社会で、家庭で身につける。取りかかっていたプロジェクト(笑)が終わり、では…と考えた時にまた片付けかと、今年何度目かの書棚整理に手をつける。今回は段ボール一個分を...霜月晦日に何思う。

  • 谷川俊太郎を、まぜっかえす

    Re84『谷川俊太郎の問う言葉答える言葉』(イースト・プレス)。いわば「詩片」+「語録」という形の一冊。十章に分かれていて、そのなかに「年をとる」「死」も含まれる。もっともその篇には六十代の頃の記述が多いようだ。逝ってしまった後でも、そのコトバはずっと生き続ける。いったい、誰が死んだのか。「子ども」の章に心響く一節がある。「ぬかるみで遊ぶから、草原の上に立ったから子どもは喜ぶのではない、喜びはすでに子どもの身内にみなぎっていたのだ、ぬかるみや草原に足や手で触れること、すなわち世界に自分の肉体で触れることが喜びを目ざめさせ開放する、それはひとつの爆発だ。」大人の役割を知る。整理しようと思っていた2冊Re85『わらべうた』(集英社)とRe86『わらべうた続』(集英社)を改めて読んだ(音読した)。「おならうた」...谷川俊太郎を、まぜっかえす

  • 読書の晩秋、しぶとく残る

    読み聞かせのための絵本を立て続けに購入し、プチマイブームになっている著者のRe82『夕暮れのマグノリア』(安東みきえ講談社)を読んだ。女子中学生を主人公とした連作短編的な小説。「マグノリアって…」と表紙を見れば想像がつくようなことも見逃してしまう読者なので、平易なYAはちょうどいいのかもしれない。「世界は見えているものだけでできているんじゃない」というテーマ?に沿って物語は進む。今どきの現実にファンタジーを織り込みつつ、結構味わいのある展開だ。最終編の「夕暮れ時・たそがれ」について語りながら「異界」に触れる場面はドラマチックに感じ、想像する力を高める。平易といって侮れない。以前から気になっていた新書Re83『「利他」とは何か』(伊藤亜紗・編集英社新書)を読了。編者を含めた5名がそれぞれ一章ずつ担当し、専門...読書の晩秋、しぶとく残る

  • 訃報は初雪の日に

    兵庫県知事再選から何を学べるだろう。情報社会の困難さと一言で片づけられるのか。マスメディア、SNSいずれにしても何かしら加工された情報であり発信者の主観を伴う判断、見解が述べられる。万人共通の「正しさ」など幻想と分かっているならば、極力、第一次情報以外の事に関心を持たなければいいのか。そんな暮らしに憧れはあっても、地縛と自縛の世界で生きている者としては、半径5メートルの幸せに貢献するためにも、まず思慮深くありたい。明快さはほしいが単純化しないように…喜びも哀しみも。今朝は芸能人同士の結婚が話題となったが、共に評価している俳優であり、持ち味がいい方向へ行くことを願う。同時にもたらされた詩人の訃報。その存在は大きかった。詩を読み始めた頃『二十億光年の孤独』を目にしているのは確かだし、詩集に限らず、対談集やエッ...訃報は初雪の日に

    地域タグ:羽後町

  • 読書の晩秋、信じること

    Re80『絵本のまにまに』(長野ヒデ子石風社)。去年の三月発刊のエッセイ集。ちょっと前に買って読みきれていなかったが、今回通読した。一昨年にお招きした頃に、最終校正をしていたのだろうか。親しく話した夕食の席を思い出しながら読んだ。八十路の方には失礼かもしれないが「純真さ」の印象は今も残る。一番熱く語られた「紙芝居」のことが、この本でも記されていて興味深い。自分でも演じた『くわず女房』の絵の描き方の部分では、プロ作家としての技術や思いを教えられる。簡単に読める、抜くのではなく、そこに深みを求めたいと思わされる。「演じ手にも心地いい声」…そのためには間違いなく「心」が問題だ。東京駅で財布を落とし、保管センターに取りに行った経験がある。大都会でよく見つかったものだと国民性に感謝した良き思い出だ。Re81『ゆめみ...読書の晩秋、信じること

  • 握りしめる刀を想う映画

    映画館へ行くのは、夏前に『碁盤斬り』を観に行って以来だ。その程度の頻度だから、今回は迷ってしまった。結構な話題作が並んでいる。「踊る~~」の室井慎次はTVの予告編で観た気になった(笑)。『八犬伝』は面白そうだし、『碁盤~』の白石和彌監督が撮った『十一人の賊軍』も惹かれるなあ…と思いつつ…選んだのは『侍タイムスリッパー』。自主映画のロケ隊が東映京都撮影所を使い撮った作品。昨年京都国際映画祭で取り上げられ、都会での単館上映から話題になり全国拡大開催になって…。なんと大曲イオンでやっているではないか。こういう機会を逃すと観られないだろうからと、朝の最初の回に入ることにした。確かに有名な俳優はいない。武士がタイムスリップするという設定や構想自体は以前にあったはずだ。しかし、なかなか物語の筋がよく、喜劇的側面を織り...握りしめる刀を想う映画

  • 小春日和に小春おばさん

    まさに小春日和の続くいい週となった。昨日は、午前中にほんの数か所だが冬囲い作業をしてからタイヤ交換を1台分終えた。自力で作業できるうちは、なんとかやりたいと思っている。一つの体力のバロメーターかなとも考える。まあ、何はともあれ天気がよいと、気持ちよくやれるものだ。今日も1台取りかかる。さて小春日和からの連想で、ふと井上陽水の歌った「小春おばさん」を思い出す。その曲イメージが温かい日和と通ずるからかと言えば、ずいぶん離れているが…。しかし、♪小春―おばさんー、会いにいくよ♪というサビのメロディは妙に耳の中で騒ぐ。あのアルバム『氷の世界』から半世紀が過ぎているというのに。youtubeで改めて聴いてみた。哀調を帯びたメロディ…、歌詞を改めてみてみると、陽水らしい独特の世界観を展開させているようだ。検索をすると...小春日和に小春おばさん

  • 闘争心を持って逃走しても…

    ほぼ一年ぶりに野口芳宏先生にお会いし、お話を拝聴した。今回の内容は道徳。「思うようにならないこの世」と題された授業提案は、世の中に蔓延している、見せかけの優しさと思いやりに満ちたこども中心主義の教育を厳しく警告するものだった。まさしく、毎日営まれている実践、大人の言動が問われている。変化の激しい社会にどう対していくか。認識と行動で区分し粗く四つ考える。つまり「変化を良しとし進める」「変化を認めるが、是としない」「変化は認めないが、流れに任せる」「変化を認めず抗う」。多数は、中間項がより細分化され、具体的な姿になって現れるだろう。それを講座のテーマに照らし合わせてみる。思い通りにならないことにどう向かうか。それは「トーソー」の判断、かの『スマホ脳』にある「逃走か闘争か」となる。価値観の基底をそこに据えれば、...闘争心を持って逃走しても…

  • 絵本で、幸せと自由と

    先月末からこども園で読み聞かせていたのは、今の時期に合わせ『りんごがドスーン』。これはやや幼少児向けであろうが、大きなリンゴがドスーンと落ちてきて、みんながそれを食べて幸せになる、そして雨宿りまでするという、単純明快な「幸せ」のストーリーこそ、繰り返し話して聞かせたい本だという気がする。何かモノを持ち込んで生かしてみたい思った。今回は、少し大きめのリンゴを用意していく。一個しかないので「食べたあい」という声には応えられないが、「これは触ると幸せになるリンゴだよ」と言って、最後に全員にタッチさせた。家で食べる時でもちょっとだけ思い出してくれれば、こちらとしてはそれが幸せ。もう一つの大型絵本は『ゆうたはともだち』。「ゆうたくんちのいばりいぬ」というシリーズの初作品で発刊は1988年だ。これはビックブックにする...絵本で、幸せと自由と

  • 読書の晩秋、あちこち

    10月中に書いていたことをすっかり失念していた。まさに、人生の晩秋の面持ち。Re77『こんがり、パン』(津村記久子、穂村弘、他河出文庫)。副題?として「おいしい文藝」と記されているように、パンをモチーフとした短編アンソロジー。重鎮の小説家からエッセイスト、思想家まで40名が並ぶ。「米」でも「酒」でもありそうな企画だ。「食」こそが、人間を描くにふさわしい行為ということか。当然ながら個人の食体験に基づいたエッセイが内容だ。しかし、心に残るのは別の観点もある。開高健の文章に久々に触れたがぐんと心に残る。曰く「経験には鮮烈と朦朧がほぼ等質、等量にある」。また米原万理の著した、ソ連がパン(主食)の扱いをきっかけに財政破綻し、崩壊した歴史は根本を突いていると感じた。一年前に『ふゆのはなさいた』という絵本を手にしてから...読書の晩秋、あちこち

  • 神無月、面倒だが許す

    今月は珍しくアナログ日記のつけ忘れが少なかった。わずか4行ほどの紙幅であるが、しばしば三、四日空けてしまっている。その意味ではリズムある暮らしぶりだったか。これは「修活第二弾」の雑文集執筆が大詰めで、少しずつ取り組んでいたことが大きい。同時に編集者との数度の往信返信で学んだことも多い。プロにはプロの目のつけどころがある。当然とわかっていても実感するには直接の見聞ややり取りが必要だ。面倒だがこうした場を今でも持てていることは老化防止には何よりだろう。プロと言えば、昨日見たイベントは少し残念だった。ある分野では間違いなく能力があるのだろうが、対象への洞察が足りなかった。ドジャースのポストシーズンがあり楽しみが増えたひと月でもあった。一人の傑出した者が動かす力の大きさを感じる。選挙・政治の話題も多かったが、そう...神無月、面倒だが許す

  • とぶことが、生命力

    先月末日に読み始め、今月5回つまり6回も取り上げた絵本がある。名作『とべバッタ』(田島征三偕成社)だ。秋の定番の一つと言っていいだろう。どこの教室でも、この本を出すと「知ってる」と声を上げる子がいた。しかしそう言った子も含めて、どこでもじいっと絵を見入り、聴き入ってくれる時間が続いた。4つのこども園では大型絵本を用いた。著者の絵の迫力を存分に伝えるにはふさわしい。改めてふりかえると、題名の「とべ」には2種類の意味が込められている。最初は、周囲の捕食動物たちの恐怖に負けず、思い切って「跳ぶ」。もう一つは、落下しながら羽根の存在に気づき、それを使って「飛ぶ」ということだ。「跳ぶ」は逃げるため、渾身の力を振り絞る。それに目的地はなく、ただ「たかくのぼりつめ」限界をむかえる。しかし、落ちる過程で知った自らの新たな...とぶことが、生命力

  • 境界をはるかに超えて…

    前日よりつづく男の「後厄」であり、冒険家等がその齢で死ぬ者が多いのには理由があり「43歳が人生のある種の頂点を形成しているからだ」と持論を展開している。一個の生命体として見た時、肉体的な強さは20代の方が強いかもしれないが、精神的能力を加えた「総合力」として、43歳までは「登り坂の局面がつづく」とする。大きな視点では納得できる。経験値はそれ以降も上昇するが、肉体的な低下傾向は顕著になり、何かを成し遂げるための限界がある例は、長く続けたプロ野球の一流選手の引退時期等を見てもわかる。「冒険家・登山家」という極限のチャレンジをする者たちにとって、その意味はさらに深く重いことも想像できる。同じ遭難死に何故意味の軽重があるのか。角幡は「他者への訴求力」という判断基準を持つ。人生の登り坂の方が人々に訴えるというのであ...境界をはるかに超えて…

  • 43歳という境界

    今年は町の図書館だけでなく、隣市施設も利用している。先日、予約していた本を取りに行ったら、エントランスで除籍されていた月刊誌が並んでいた。一昨年までの分が十数冊揃っていて、誰でも自由に持ち返ることができる。歴史ある雑誌だがあまり馴染みのなかった『中央公論』があったので、手に取ってみた。風呂場読書には最適かと思い、2冊頂いてきた。一つは「非・保守という選択肢」と「人生後半戦の作法」という特集が組まれていて興味をもち、それなりに面白かった。なかでも、尾辻参院議長の「気づけば『左』に立っていた」の記事はいわゆる「右」の象徴的存在の氏が「軸のずれ」を指摘していて、目を惹いた。一通り見た中で、ぐっと惹き込まれたのは、「連載再開」と銘打った冒険家角幡唯介の文章だった。著書を読んだ記憶があり、検索したら10年以上前だっ...43歳という境界

  • 本に求める「言葉の躍動」

    全く日本列島の気象はどうなっているのか…天気予報では毎日のように気温変化が流動的だと知らせている。それに伴って植物や動物の生態も変わりつつあることが常態化している。だから…と何の脈絡もなく「読書の秋」も捗らない…ってことはないか。先月下旬から数少なく読んでいるのは、ドリアンの本ばかり。「旨辛ラーメン」。辛みが勝っていました。75点。Re74『新宿の猫』(ドリアン助川ポプラ文庫)。講演で著者がかつて勤めた放送関係の仕事や、自分が色弱で苦労したことを話していたので、この小説を読むとかなり重なっているという印象を持つ。書名から連想できるのは、都会に住む者の孤独や集散、個としての自立の姿という点か。ドラマとして象徴性がある。マガジンハウスから出ていた隔週刊の『ダ・カーポ』を愛読していた。連載がいつも楽しみで、ドリ...本に求める「言葉の躍動」

  • 鍛えられた瞬発力を観る

    先月下旬、大曲市で開かれた「おおまがり寄席2024」を聴きにいった。いつもなら感想は記しておくのだが、それほど心動かされなかったからか手が動かなかった。ただ、瀧川鯉昇はさすがベテランの味だったなと思い起こす。「時そば」という初心者向け噺にアレンジを加え、こなれた口調で会場の笑いを誘った。会場の笑いから連想した事を思い出し、実は昨日見に行ったTV番組の公開収録の様子を書こうと思う。長寿番組である「なんでも鑑定団」が我が町にやってきて(2回目)、出演者の応援に誘われて観に出かけた。正直あまり期待していたわけではないが、2時間ちょっとの間、非常に興味深く、楽しませてもらった。大きな理由はMC役の存在だった。アルコ&ピースの平子祐希は、この番組の司会は初めてと言っていたが、さすが場慣れしているツッコミとはこういう...鍛えられた瞬発力を観る

  • 神無月寒露の頃日記

    10月7日(月)土曜日の学習発表会の代休で孫が一日いる。この機会を生かそうと初めての電車体験をさせる。湯沢駅から横手駅まで一緒に行った。目的地は新施設Ao-na。図書館が開館する10時ちょうどに到着。ずいぶんと贅沢なつくりだなと感心する。孫は絵本を横目に、自走する清掃ロボットに興味津々だった。そりゃそうだ。10月8日(火)「寒露」。霜はまだだが、徐々に寒さを感じる。室内温度が20℃近くまで下がる。「長い夏」がようやく終わる。親類から川蟹(モクズガニ)を頂く。学校から帰ってきた孫は、その姿に夢中になり、いろいろとちょっかいを出して遊んでる。今月から久しぶりにNHK放送モニターをするので、リポート送信をした。10月9日(水)大リーグポストシーズンの試合をちらちら見る。それにしてもパドレスの応援は熱狂的だ。ドジ...神無月寒露の頃日記

  • あの頃、渾身の演出を

    孫の学習発表会を観に出かけた。9年ぶりの「学校」の発表会。長く続けているこのブログには、何度となく発表会のことやその時期のことを書いている。直截に「発表会の季節が好きだ」と綴った文章もあるほどだ。担任をしていた時と離れて携わった時の違いはあるけれど、時季の醸し出す雰囲気が好きなのだ。孫は一年生なので、見終わってふと思い出したのは、唯一自分が一年生を担任していた時のこと。これは拙著には記していないが、実は印象深い出来事だ。発表会の定番はいつも一年生によるオープニングである。ここにも自分はある工夫を凝らした。山間小規模校のわずか9名の子どもたちを、存分に照らしたいと。舞台だけでなく会場の体育館をフルに使った。5人を幕の後ろに控えさせ、4人は体育館の四隅に一人ずつ配置した。観客を取り巻くように声を響かせてから、...あの頃、渾身の演出を

  • 長月の世の中を緩く語れば

    九月前半は暑さが続いた。しかしそれもここ最近当たり前になったようにも感じる。彼岸入りを前に能登半島を襲った豪雨被害は、正月の地震のこともあり本当に同情を禁じ得ない。報道ではわからない部分も多くあるだろう。結局、傍観者のような言い方になるが「明日は我が身」という構えは捨ててはいけない。ニュースを賑わした某県知事のパワハラ騒動。普通に報道に接すれば、本人はいったいどのような心持ちでいるのか、想像してしまう。メンタルが強いだけは確かであり、周囲とどのような軋轢を重ねても我が身を貫く姿となる。政策上のことを評価する向きもあるようで、問題の芯は何なのか見えにくくなっている。明るい話題と言えば、レギュラーシーズン終盤になっても衰えない大谷の活躍か。シンプルに競技スポーツの素晴らしさを甘受できる気がする。ただ、付随する...長月の世の中を緩く語れば

  • ヒト・人の非力を想う読書

    Re71『確かなリスの不確かさ』(ドリアン助川集英社)は、講演と朗読の会があると知り、事前に読んでおきたいと買い求めた。「動物哲学物語」と題され、21のストーリーが入っている。動物の生態と哲学を絡ませてつまるところ人間を描く。会で朗読された「絶滅危惧種」はアホウドリの話だが、その種とは、実は…。冒頭の「クマ少年と眼差し」は、今私たちが直面している問題とも重なり合って、なかなかに心迫るものがあった。第20話の「飛べない理由」はコウテイペンギン。わずか十数ページで語られるにはあまりに過酷な生態だと入れ込んでしまった。もちろん「物語」に違いないが、ヒトのあまりの非力さを改めて感じた。Re72『すべてきみに宛てた手紙』(長田弘ちくま文庫)は、新聞等へ書かれたエッセーがまとめられた一冊。2001年刊で一昨年文庫化さ...ヒト・人の非力を想う読書

  • 長月彼岸の頃日記

    9月17日(火)今日は十五夜だが天気は良くないらしい。明日からの読み聞かせの下読みや準備をする。お昼はシーズン最後になるか、冷やし中華を食する。10日目を迎えた大相撲は、霧島の不甲斐ない立ち合いで大の里がぐっと優位に立った。今晩から祭典のサイサイ(祭り囃子)の練習に孫が参加するという。どうなることやら。9月18日(水)午前中は今取り掛かっている原稿の手直しをする。やはりプリントアウトして紙面でみると作業しやすい。午後は山間部へ。だいぶ涼しくなってきているのがわかる。高瀬小上学年への読み聞かせは落語絵本『平林』と『星につたえて』。読みこなしてはいるが字が小さく見えづらさが募ってくる。さあ、どうする。9月19日(木)午前中は羽後高校2年生で保育の授業。読み聞かせの話と実演をする。面白い選書があって刺激を受ける...長月彼岸の頃日記

  • 話題の場所で多様性を聴く

    「話題」とは、「全国最年少市長誕生」ということ。むろん、といって半月も経ずに何かが変わるわけはない。街を見れば、以前感じた「ここも隣市と同じシャッター通りが続くなあ」という表現はそのまま当てはまる。ただ市民が託したい何かが、その場所の空気を少し揺るがすかなと、かなり文学的な想いは浮かんだ。ところで訪れた9月15日は、名優樹木希林の七回忌。目的の図書館主催講演会で、講師のドリアン助川氏が語った。小説『あん』の作者で、映画化されたことで深く付き合うようになったという。それまで映画祭などに興味を示さなかった樹木希林とともに、カンヌやウクライナに出向いた時の写真が興味深かった。今回は、彼の朗読が聴ける機会であり非常に楽しみにしていた。結果的に、取り上げられた最新作『確かなリスの不確かさ』(全21話)中の1話のみで...話題の場所で多様性を聴く

  • 読み手は「自分」を確認したい

    SNSやブログなどを通じその動静などを知る実践者や研究者が、今でも数人いる。発信する中には本の紹介もあり、選書の参考にしている。今回、たまたま自己啓発系?の2冊があり読んでみた。お薦め本にはやはり読み手の個性が出る、という当たりまえのことに気づく。生き方や学び方の確認は読書の大事な要素だ。Re69『コロナの時代の暮らしのヒント』(井庭崇晶文社)。書名でわかるように2020年9月の発刊であるが、内容自体は今でも十分通用する。先行き不透明な時代にあって生活をよりよくするために、「いろいろな分野で見出されたコツ・秘訣」が32並ぶ。パターン・ランゲージという方法によってまとめられた。現実との向き合い方、発想の転換、提案、工夫等々、著者が実践していることを含め、豊富な例がある。個人的にピピッと来たのは「13どの未来...読み手は「自分」を確認したい

  • いい本に出合えて、初秋

    先月から結構な時間をかけて、風呂場読書をした一冊Re67『大事なものは見えにくい』(鷲田清一角川ソフィア文庫)。新聞などに掲載したエッセイがまとめられている。ページの角を折る箇所が多かった。今、取り掛かっている書き物にも引用したい部分がいくつかある。10年以上前の本だが古さを感じさせない。例えば子育て、例えば介護、人と関わることの基本にはどんなに社会が変化しようと、蔑ろにはしてはいけない芯がある。「じぶんがていねいに、そして大事に扱われている、そういう体験こそが…」「『じぶんもこんなになりたい』とおもえるかどうか、そこにこそ…」…他者へ向ける眼差しが持つ心がけの重さを知る。。俳優の岸部一徳を取り上げた「脇役」という項目は、ドラマ好きで俳優に詳しい(笑)自分も納得した文章だ。言われれば岸部は「語りのテンショ...いい本に出合えて、初秋

  • 怖さ?は心惹きつける

    「怖い」絵本をテーマに考えてのこども園読み聞かせ選書だったが、結局それなりになってしまった。子どもの怖がる対象は様々だろうし、まして個々の心もそれぞれだから…と諦めて、評判の高い本や名作を中心に選んでみた。切りだしは、以前語って面白かった仕掛け絵本。やはりこうした動きがあるのはウケる。近づいてくるおおかみを、ページめくりを利用して阻止しようとするが、なかなかしぶとい奴で、最後に直前まで迫られ…という展開。どこでも人気が高く、最後の園ではリクエストに応えてもう一度演じた。注意しなければいけないのは、スムーズにページをめくること。手の巧緻性が落ちてきたかなあとやや不安(笑)続いて大型絵本で2冊を読む。『へんしんオバケ』と『へんしんトンネル』。これは後者の方が評判はいいのだが、実は「オバケ」からの続きパターンに...怖さ?は心惹きつける

  • 八月は、ひろがる虹で

    去年も暑い8月だったが、今年はとうとうエアコンをつけずに寝る日が一日もなかった。データはわからないが、蒸し暑さがずっと続いた感じがする。それでも生き物は正直なのか、盆踊りの終わる日を待ち構えていたように秋の虫が鳴きだしていた。気象に関する状況がどうであっても、ここで生きるというように。パリ五輪のことはちょっとだけ書いた。正直あまり印象深いことがなかった。誰の顔が忘れられず残っていくのだろうか…メディアによる軽重のつけ方で左右される気がするし、今はなんとも言えない。ただ、チームプレーが求められる団体競技が、ことごとく今一歩だった。大雑把であっても、これは記憶に留めたい。私事では、自費出版した記念の会を開いていただいたこと、それに孫との結構長い(笑)夏休みが印象に残る。拙著を一冊仕上げたことで次への意欲もやや...八月は、ひろがる虹で

  • 「秋波」の色は泥水のよう

    何度か引用しているが、かの名曲『命の別名』は♪知らない言葉を覚えるたびに、僕らは大人に近くなる♪と始まる。しかしいくら「大人」になっても使ったことのない言葉は結構ある。聞いたことがあり、なんとなく雰囲気はわかっても意味は明確に言えないフレーズを新聞紙上に見つけた…「秋波を送る」である。新聞はこう記していた。「ハリス陣営は『トランプ氏にうんざりし新しい道を探している皆さん、われわれの選挙運動はあなた方のためにある』と訴え、秋波を送った」。慣用句であり広辞苑には「いろめをつかって、異性の関心をひこうとする」と記されていた。他の辞書では使用者が「女性」限定とも書いていた。なるほど。記事では、「皆さん」とは大統領選の行方を左右しそうな「ケネディ支持層」を指す。個人ではなく、集団を対象とした場合にも使われるわけか。...「秋波」の色は泥水のよう

  • そこに愉しさや懐かしさが…

    木曜日の朝刊一面トップに、教員の「教職調整額」増額の話題が出た。むろん、そのこと自体は賛成だが、付随している様々な「処遇改善案」なるものをみると、本当にそれが学校現場にプラスになることなのかは、疑わしく思えてくる。これは教員志望者の減少に歯止めをかけるための政策でもあろう。そもそもが違う。思い出すのは、教員採用試験!!を受けた時だった。確か二次の面接(あの頃は集団などなく、全部個別だった)で「ジンカクホウとは何か」という問いが出た。ええっ、全く頭になく思い浮かんだ字は「人格法」、思想上のことかと思ったが、正直に「わかりません」と答えた。「人確法」いわゆる人材確保法であった。公務員であるメリットは知っていても待遇がどうかという点には疎かった。時代的には、採用時に数万円台から始まった給料が急激に増えていく。そ...そこに愉しさや懐かしさが…

  • 働きを最高レベルで味わうために

    お盆前から約10日間、寝床でゆっくり読んだ一冊、Re66『寂しさから290円儲ける方法』(ドリアン助川産業編集センター)。「相談料290円」という「麦わらさん」が、メールをくれた困っている人、悩んでいる人に「麦わら料理」をこしらえ、会いに行くという設定で11話からなる連作集だ。さすがの面白さ、深さ。小説であるのは間違いないが、「麦わらさん」には著者の生き様が反映されていることは疑いなく、納得の結びとなっていく。例えば、第一章の相談者は多くの悩みに振りまわされてコントロールできない三十代後半(らしき)女性。待ち合わせ場所の、豪徳寺の招き猫と、作った料理ペコロスで「一粒だけ味わう習慣」に導く。国内各地とニューヨークが舞台となり、様々な悩み、困り事が寄せられていく。ただし最話終の相談相手が「昔の自分」と設定され...働きを最高レベルで味わうために

  • あの時、何を祈って踊ったか

    久しぶりに盆踊り本番の日に通りへ向かう。コロナ禍になってからずっと観ていなかったので数年経ってしまった。2019年の時は初日にその場で町CM撮影をしたことを思い出した。今夏は小学生になった孫も、少しの時間は列に加わったようでぎこちなく手足を動かす姿を笑いながら観た(ただし、スマホ画面で)。様々な問題はあるにしろ、大勢の観光客が来る現状は町にとって嬉しいことだ。貴重な文化が残っていくことを誇りと思うし、継承する方々には励みとなるだろう。ただ、ここで生まれ育ち、間近に接してきた者としてより注意深く見れば、文化継承は夢中になってやる、自己感情に従うだけでは陥穽となるかもしれない。先日、NHKBS再放送で「スピリアル・ジャパン」で盆踊りを取り上げた番組を視聴した。リポーターであるスペイン女性は、自分が体験してきた...あの時、何を祈って踊ったか

  • 空はパリにも広がっている

    三年前の東京五輪の事は読書と関連付けて書いて残してあった。今回も熱心に見たわけではないが、備忘の一つとしてメモしておきたい。まずは、従来とは違う開会式の設定は面白かった。ただ入場行進?はダラダラ感が強く、何で締まったかというといわゆるパフォーマンス部門だと感じた。「芸術の都」だからね。新聞等でも取り上げられていたが、選手の活躍は大会前予想と違っていた部分が多数あった。当事者にすれば強化の時点から可能性の範囲を掴んでいたはずで、「勝負の綾」という面はあるにしろ、結果だけが今の力を示している。ただ、メダル数が国力を示しているなんていう乱暴な見解は、奢りに感じてしまう。いわゆるアーバンスポーツが前回に続いて注目された。カントリー(笑)に住む高齢世代にはまさしく縁遠い。映像やメディアを通してなんとなく普及している...空はパリにも広がっている

  • 読書もまためぐりあい

    最近の風呂場読書でようやく読みきった文庫本はRe65『短編伝説めぐりあい』(集英社文庫編集部)。短編小説集は手軽さとともに、アンソロジーであればまさに作家との「めぐりあい」を期待して手にする。この一冊も13人の作品が並んでいるが、馴染みのあるのは4人ほどであとは名前を知っている程度だった。短編としているが、掌編と呼んでもいい話も三つほどあった。なかに三島由紀夫、五木寛之という大家の作品が並び、やはり五木がくりだす設定が好きだなと単純に感じたりした。考えると、短ければ短いほど作家の世界観、人間観が如実に表れるのではないか。表現意欲を喚起する事象への眼、そして結末の価値観。さて心に残った一つは「二人ぼっち」(森瑤子)。おそらく初めて読む。妙に人間臭さを感じる文体で会話の自然さで読ませていく。題名の「二人ぽっち...読書もまためぐりあい

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