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2005/08/02

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  • 自分のための、自分だけの

    旅のお供に新書でもと思い、書棚から引き出した。この書名に惹きつけられる。それは「自分のため」と「エコロジー」が結びつくかという問いが沸き起こるからだ。ちょうど五年前の三月に読んでいたこの本を、感想メモはこう締め括っていた…「刺激的で、戦略的な一冊」。改めてそう思いつつ、詳しく見ていたら。汎用性の高い考え方だなと印象づけられた。それは「他人と共生するための『エゴ合わせ』テクニック」という箇所だ。ここでは快適な住環境がモチーフとなっているが、そのためにコミュニティを手段にして「合意形成」を図る技術論がある。目指す状況に向かって利益をすり合わせていく原則が示されている。ポイントは「感情の対立」と「利害の対立」を分けて考えていくこと。なかなか難しく思えるが、結果的に「自分のため」と割り切りながら、合理的な関係を築...自分のための、自分だけの

  • 「最強」でも「弱虫」でも

    春休みになった孫が暇そうにしているので、図書館へ。まだまだ自分で本選びは出来ない様子だが、ほったらかしにして(笑)こちらはこちらで新刊コーナーへ。目についた絵本をぺらぺらとめくりながら、何冊かを借りてきた。それにしても集団への読み聞かせを続けていると、どうしても選書が偏りがちと少し反省。ともあれ、まずはじっくりと読み進んでみよう。くすのきしげのり氏が、昨年末に発刊した本はちょっとユニークだった。恐竜好きの孫にはぴったりと、宿題を終えてから読んでやることにする。話はくすのきさんが作ったが、絵は「恐竜画家」と「貼り絵作家」の共作という形になっている。それには仕掛けがあった。冒頭の5ページまでを、恐竜画家がその世界をリアルに描いている。そして、雷に打たれて一気に「ワニ」たちが暮らす世界に転換するのだが、そこから...「最強」でも「弱虫」でも

  • 年度最後の読み聞かせには…

    年度の最終週になっても、施設(こども園)での読み聞かせはある。定職を持たない者にとってはごく普通の日常だが、訪れる場所はやや雰囲気が違う。どことなく慌ただしさが感じられる。そして、卒園式を終えた子どもたちは来月からの新しい世界への希望が心の中に詰まっているだろうと想像する。そんな時に…。これは、落語家の桂文我が手掛けているシリーズの一つ。山の中にある小学校の入学式に、タヌキの親子が化けてもぐり込むお話。変身する動作も面白くみんなが見入る。フィクションであってもこんな学校があれば楽しいだろうと、新生活の想像をしてくれたかな。落語仕立てなので、オチがついているのも良い。1月に『ウィルとふゆのおきゃくさん』を取り上げた。このお話はいわば冬の季節の「暖かさ」がテーマと言えるが、これに続く『ウィルとはるのおきゃくさ...年度最後の読み聞かせには…

  • 春旅寸描からの教訓

    先週末から関西方面へ小旅行。何度か出向いたことのある場所だが、今回は今まで足を運ばなかったところへ、と思っていくつか選んだ。その一つは先日読書録に書いた、琵琶湖の観光船「ミシガンクルーズ」。大津港発着の90分コースは天気にも恵まれ、デッキで飲む昼ビールが美味しかった。北国では味わえない。京都の寺院の有名どころで、まだ行っていない伏見稲荷大社。あの千本鳥居だけは見ておきたかった。確かにその規模はアピール度が高い。バスや電車の便がいいので迷わず行けたが、それにしても外国人観光客の多さに辟易してしまう。平日でも休日でもそんなに変わらないのかもしれない。観光立国の核を見た。もう一つ、昔からの伝統的(笑)施設だが、映画村も見ておきたかった。時代劇というより、朝ドラファンの一人として「オードリー」や「カムカム~」の舞...春旅寸描からの教訓

  • 読書録11~「ちょい」でいいのだ

    ある意味、非常に対照的な二冊の文庫本が、先週の御伴だった。一つは短編小説集、もう一つは対談本。どちらも名の知れた方々であるが、前者は小説家、そして後者の二人は探検家兼作家だ。テーマは比べる必要はないが、いわば、ありそうな話ととても踏み込めない世界の話だ。何一つ共通しないと振り返ったが。「ちょいな人々」はもう十数年前の発刊。著者が得意?とする会社や家庭、ご近所を舞台に些細な「事件」の顛末が描かれる。携帯やメールがモチーフになっている作品には古さを感じつつ、結局機器に翻弄される姿は現在もあまり変わらないかもしれない。人間の心の機微を扱う小説に必要なのは、見通す眼なのか。表題作の終末にふっと書かれた一節。「しょせん、ちょい。『超』も『すご』も『めちゃ』も望めないから『ちょい』か」。表現としての「ちょい」は廃れて...読書録11~「ちょい」でいいのだ

  • イソップ童話を語ってみれば…

    先月末から今月上旬のこども園で語った紙芝居は、イソップ童話である。どちらも有名なお話だが、今の子どもにはあんまり馴染みはないようだ。新しい魅力的な絵本やお話は次々と出版されている。しかし、それだけ扱っているのも正直忙しない心持ちになる。こうした昔から語り続けられた話には安心感を持つ。今回取り上げた2冊はどちらも2022年発刊であり、新しくシリーズ化されているようだ。長谷川義史、スズキコージという超有名な画家たちによって描かれていて、絵を見せるだけでも十分価値があると思う。筋は知ってのとおりだが、紙芝居なりのシンプルさ、そして聴かせどころもあり、心地よく演じられた。「きたかぜとたいよう」。人を動かす場合によく用いられる比喩だ。しかし、子どもたちにとっては登場する形象を楽しめればそれでいい。歌いながら旅人が登...イソップ童話を語ってみれば…

  • 読書録10~待っている何かを

    この2冊を読了してから半年ちょっとしか経っていないが、再び手にした。実は、今週末から滋賀方面へ出かけることになっており、そう言えば…と思い出したのだ。寝床での朝読書に限ったが、4日間、実質2時間程度で読みきった。この読みやすさはまた格別だ。主人公を語る人物たちの造形がくっきりしている。「成瀬」の魅力は言うまでもない。変人扱いから始まる成瀬とのつき合いは、それぞれの人物が心の底に持つ「真っ当さ」に気づかせてくれるように、展開する。成瀬が放つ言葉は、必ず一面の「真実」をとらえていて、何らかの事情に縛りつけられていたり、思い込んでいたりする自分を俯瞰でき、クリアにする。2作目の「やめたいクレーマー」という話は、目のつけどころが面白い。この世の中は様々な環境、色々なレベルでクレームが満ちあふれている。その点を深掘...読書録10~待っている何かを

  • 「もうあきてしまった」から…

    一月半ばに町歴史民俗資料館主催の「郷土かるた大会」が行われた時に、所属している団体として協賛したい旨を相談し、内容の一つに「羽後町クイズ」を入れ、主担当になった。図書館勤務時にも似たような企画をしたので、それをもとに手直しをして完成させた。当日は、概ね好評のうちに終えることができた。クイズ作成で新しく付け加えたなかに、冊子「羽後町の伝説」にある「あぐりこ神社」のことを入れた。各地にある稲荷神社だが、「あぐりこ」という名の由来が面白かったので、取り上げた。意味が「もうあきてしまった」だという。それゆえ、子どもの誕生に関すること、雨ごいなども祈願されたのかもしれない。「羽後噺」と題してホームページを開いている。サイト内の「羽後のはなし」へ、改めて「あぐりこ」の伝説を載せようとしたときに、もう一度その名の由来を...「もうあきてしまった」から…

  • この日に聴く歌

    記憶のあやふやさにどう歯止めをかけようか、などと時々思う。「今、ここ」が大切と分かっていながら、自分を形作っているのは間違いなく、過ぎ去った一日一日の積み重ねだ。ただ、思い起こさずとも「実」になっているものだけが本物。それを十分承知しつつ、欠落を埋めるように取り出すことにも価値があるはずと。2011.3.1112:34その日は卒業バイキング給食だった3月11日には、やはりあの時のことを思い出そう。昨年記した拙著にもこのブログから引用し、翌々日に認めたメモ、そしておよそ半年後の修学旅行引率について書いたことを入れた。何度となく読み返した。ただ、もう少し掘り出しもっと確かめるべきこともあるだろうし、今後も開くだろう。そして、この歌たちも…。東日本大震災後に、様々なアーティストらによって作られた曲がある。なかで...この日に聴く歌

  • 読書録9~天災は、忘れさせまいと…

    「天災は忘れた頃にやってくる」という警句は、昨今の状況をみると「天災は、忘れさせまいとやってくる」と言い換えてもよいほどだ。先日、NHK震災関連で1月に大船渡綾里地区を取材した番組が放送されていて、過去の津波災害を教訓にして高台へ移転した歴史と経緯を知り、なんとも言えない気持ちになった。「天災は忘れた頃にやってくる」は、寺田寅彦のことばとされている。この随筆集にも「災難雑考」の章があり、20ページ弱にわたって地震、台風だけでなく事故も含めた災害について語っている。「吾々人間はこうした災難によって養いはぐくまれて育って来た」と受けとめる、この先達の見方に学ぶことは多い。「(歴史は)殆どあらゆる災難の歴史という事実」を「科学的宿命観」と位置付けながら、対策はどの範囲でできるか、またその結果予想されることなど、...読書録9~天災は、忘れさせまいと…

  • 坂道を転がる心身を…

    去年の今日、記した駄弁に今の自分を問いかけてみると、「19歳の半世紀」なのか「18歳の半世紀+1年」なのか…。言うまでもなく後者か。きっと生物年齢の18から19は、実に様々な出逢いや変化があったはずだ。なんせ初めての一人暮らし、大学生活、ゼミやサークルへの参加、そして当然のように飲酒、喫煙…まさに「何者でもなかった」時代だ。学生運動のデモは初めて見たがすぐ下火になって、燃えかすのような先輩がいた。その姿に不満を持ちつつ、自分は何一つ踏み出せないまま、ただ髪を長くしジーンズを穿き、下手なギターを掻き鳴らす、昭和50年代初頭の典型だ。「三無主義」という言葉が投げつけられていた。「無気力・無関心・無感動」だと認識していたが、「無感動」ではなく「無責任」だと辞書にはある(後に無感動が入り「四無主義」らしい)。これ...坂道を転がる心身を…

  • 読書録8~乱読し春待つ

    2月も相変わらず乱読。2冊は数年前のことが書かれてあり、改めて大事な「とき」であったことを思い起こす。このエッセイが週刊文春の連載であることは知っていた。まれにその雑誌を買ったときに読んでいた。改めて文章の上手さを感じるが、「好きなもの」について絶えず関心を払っていると、材料が豊富にあり、手順も一通りでなく多彩になるから、いい仕上がりになると想像してみた。料理の本道は執筆に通ずるのだ。「あてのない湯」という一篇が心に残る。料理の手間を語るとき、料理店「吉兆」の主人の話に「むだ湯を用意する」という話があったことを思い出す。「使い道のわからない湯」が、様々な役に立つという場があることを、達人たちは身をもって知っている。初めから効率の奴隷でいては見えぬ境地だと思った。2020年の3月~6月頃に書かれた論考である...読書録8~乱読し春待つ

  • 弐月は、逃げたか

    一月はずいぶん長かったと振り返りをしている。その反動?なのか、二月はずいぶん早く過ぎてしまった感がする。立春後に降った雪はさほどではなかったが、車庫の屋根は締まった結構積もっていて、重い腰を上げ少し排雪した。一昨年までなら一気にやっていた。しかし、今冬は短時間で二日続けるやり方にした。体力に合わせつつという心がけは肝要だろうが、若干寂しくもある。中旬、車のバッテリ劣化が目立ち、仕方なく交換した。通勤等もなくなり使用頻度が落ち、放電が進んだのだろう。機器だから交換可能だが、人間の身体はそうはいかない。まあ、孫の雪遊びに付き合うことは多少できるし、億劫がらずに維持を図ろう。読み聞かせは、こども園が4つ、小学校2つ。5年生相手に「おまけ」として谷川俊太郎の「ひとりひとり」という詩を読んだことが印象深い。高学年な...弐月は、逃げたか

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