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2024/05/30

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  • 意識の隙間、想念の隙間はニルヴァーナで、それに気づくことは悟り

    ◎隙間理論について簡単なまとめ隙間理論により、人類は科学的に悟りを理解する。1.前提(1)人間の七つの身体のうち、時間のあるボディは、第一身体肉体から第五身体コーザル体まで。一方時間のない身体は、第六身体アートマンから第七身体ニルヴァーナである。(2)時間には3種あって、「時間的」時間、「心理的」時間、「現実的」時間。「現実的」時間が大悟覚醒者の時間だが、過去も未来もなく現在だけある。理由は、過去と現在、未来と現在をつなぐ時間がないから。これは、理屈でなく、体験とはいえない体験を経ないと納得できないのだろう。2.基本(1)人間の意識の連続の間には隙間がある。(2)隙間はニルヴァーナである。(3)隙間理論では、現象の一刹那は、人間は、『隙間』『現象』『隙間』『現象』『隙間』『現象』と流れている。『隙間』がニ...意識の隙間、想念の隙間はニルヴァーナで、それに気づくことは悟り

  • ネガティブ予言と霊がかり

    ◎霊に襲われるなど出口王仁三郎の随筆から、『山上の家山の上に掘っ立て小屋などを建てた時には、その周囲に三尺の間隔をもって、縄をぐるりと一廻ししておかねばならない。そうしておかないと、霊に襲われる。また普通の人家でも、縁側などに寝てはならない、必ず家の礎から三尺内側に寝るべきものであって、そうしないとこれまた霊に襲われる。石は悪魔を防ぐものであるから、礎から三尺以内に寝れば大丈夫である。』(出口王仁三郎の随筆集水鏡から引用)これは、結界ですね。さらに『面会のこと私はどういうものか昨年来から(昭和元年、すなわち大正十五年)人に面会することが嫌になってきた。近頃はそれが一層ひどくなって、未信者はもちろんのこと、役員信者といえども面会することが極端に嫌になったのだ、近侍といえどもあまり大勢が長く傍にいられることは...ネガティブ予言と霊がかり

  • 出口王仁三郎の一口の水

    ◎一滴の水のとうとさを思う出口王仁三郎の高熊山の洞窟修行は、一週間断食で、たまさかの水が甘露だった。その際の歌。『二十八歳の頃四十八宝座の右手に一筋の滝ちよろちよろと落つるを認めしむらむらと木漏れ陽ゆらぐ谷川の清水掬(むす)びて咽喉をうるほす旱天に雨を得たるのここちして谷底ふかき溜り水飲む一口の水に甘露のあぢはひを覚えたりけり初夏の真昼を珍宝(うずたから)黄金(こがね)白銀(しろがね)何かあらんと一滴の水のたふとさを思ふ渇きたるときに一口飲む水の味は甘露にまさるおもひすちよろちよろと落つる滝水の溜りたるを掬ひて飲めば殊更(ことさら)味よし夏草のしげる山腹わけのぼり宝座のまへに復(かえ)りて端坐す谷水に咽喉うるほして更生の気分ただよふ高熊のほら』(歌集霧の海生命の水/出口王仁三郎から引用)海外では、日本のよ...出口王仁三郎の一口の水

  • 霊を込める、心を込める

    ◎何の仕事にも霊をこめる出口王仁三郎は、心を込めると霊を込めるとを区別している。霊を込めるの方がより深い。『霊と記念物霊というものは、込めれば込めるほど深くなるものである。私は茶碗を一つひねるにもいちいち性念を込めてやるのであるから、深く霊が入っている。それ故、この器で毎日湯でも茶でも飲んでいると、相応の理によって、おかげを頂けるのである。私がやろうとも思わないのに、くれくれと言って貰っても、おかげは少ない。またやろうと思うものを辞退するのもおかげがなくなる。めったに人から記念物を貰うのも良くない事である。霊が反対していると、品物を貰ったが為めに、とんだ災難を受ける事がある。生前お互いが好意を持ち合っていたものの記念物でなくては貰うものではない。また自分が一番愛していたものに一番霊がこもるものであるから、...霊を込める、心を込める

  • 暗黒の三日間あるいは72時間について

    ◎暗黒の三日間は、聖書には三か所ある暗黒の三日間に相当するものは、古事記では、天照大御神の岩戸隠れや、出口王仁三郎のいう大峠だが、三日間とはされていない。西洋では、暗黒の三日間は、ヨハネの黙示録には記載されていないが、聖書には3か所ある。また19世紀の聖アンナ・マリア・タイギによって語られたとされる予言もある。1.「出エジプト記」のモーセによる濃い暗闇の三日三晩。奴隷状態にあったイスラエル人を救出する際、神はエジプトに対し十の災をもたらしたが、その9番目が「暗黒の三日間」。「出エジプト記」(10章21:23節)三日の間、人々は互に見ることもできず、まただれもその所から立つ者もなかった。しかし、イスラエルの人々には、みな、その住む所に光があった。2.旧約聖書「ヨナ書」ヨナが、神の命令に背いてニネベから逃れよ...暗黒の三日間あるいは72時間について

  • 九月九日に高いところに登る

    ◎災難を避ける(2007-04-06)『後漢の費長房は、あるとき弟子の桓景にむかって、「九月九日にはお前の家に大きな災難がふりかかる。だから急いで家族に赤い袋を作らせ、そのなかに、茱萸(はじかみ)をいっぱい入れておき、当日それをもって山にのぼって菊酒を飲め。そうすれば、災難を避けることができるだろう。」といった。そこで桓景は、いわれたとおりにして、九月九日に一家こぞって山にのぼった。日が暮れてから家に帰ると、飼っていた鶏、犬、牛、羊などがみな死んでいた。今のならわしは、この故事に基づいている。(『歴世真仙体道通鑑』巻二十、壺公)』(道教百話/窪徳忠/講談社から引用)この故事に基づいて、平安時代の人も9月9日には高いところに登って菊酒を飲む習慣があった。この話のモチーフは、ノアの方舟や、過越の祭と共通したと...九月九日に高いところに登る

  • 陶弘景の物語

    ◎白日昇天のタイミングが遅れた理由『陶弘景陶弘景、字を道明といい、秣陵の人である。彼が母の胎内にいたとき、一頭の青龍が懐の中から躍り出て、二人の天人が香を持って、自分の傍に立っているのを夢見たそうである。彼は幼い時から才智が人に優れ、十歳の時、葛洪の『神仙伝』を読んで、日夜これを研究したが、これより彼は養生の術を究めようという志を起こし、ある日人に向かって、人間が心を一つにして励めば、道を得るのは左程困難なことでもあるまいと言ったことがある。彼は身長七尺七寸、色白く眉秀で、顔は細長く額広く、耳は聳えていた。そして耳の穴に七十本の毛が生えていて、外部に二寸ばかり出ていた。右の膝には数十の黒いイボがあって、その形が七星の形に似ていた。彼の父は妾のために殺害されていたので、彼はひどく女色の害に懲りたものと見え、...陶弘景の物語

  • 出口王仁三郎の輪廻転生論

    ◎そういうものに決着はつくものではない出口王仁三郎の随筆月鏡から『輪廻転生およそ天地間の生物は、輪廻転生の法則をたどらないものはありません。蚕が蛹となり孵化して蝶となり産卵するのも、ガット虫が蛹となり、糞虫が孵化してハエとなり、瀬虫が孵化してトンボとなり、エンドウが蛹となり羽を生やして空中を駆け、麦が蝶と変じ、米はコクゾウムシと変化し、栗の木からクリムシが湧き、クヌギのアマハダから甲虫が発生するなどは、いずれも輪廻転生の道をたどっているのです。ある老人の話に、田舎の寺の高い梁の上にスズメが巣を組んでヒナをかえしていたところ、ヘビがそのヒナを飲み込もうとして、寺の柱を這い上がり、巣に近づこうとして、地上に転落し、庭石に頭をぶつけてもろくも死んでしまいました。それを寺男が、竹の先に挟んで裏の竹藪へ捨てておきま...出口王仁三郎の輪廻転生論

  • 愛国心と外国人と仲良くすること

    ◎悟りを開いて初めてわかることLGBTの影響か、日本人と仲良くするよりも外国人と仲良くすべきだと思っている人が少なくない。ところが、自分には本当に好きな異性がいて、それが魂の伴侶だとわかるには、どうも大悟覚醒せねばならないようだということがわかって来た。悟りを開いて初めて、自分の本当に好きな異性が誰かわかり、自分の本当に好きな国がどれであって、自分に本当にふさわしい宗教がわかるようになる。そうなって初めて愛国心である。その辺は、自分本人の抵抗感も強いだろうから、ダンテス・ダイジも性愛冥想の中でちらっとしか触れていない(男女の霊的因縁をふまえた相手)。国家意識のある宗教のことも出口王仁三郎は、あまり強弁していない。どちらも自分でわかってもらう類のことなのだから。※誰もが悟れるチャンスだが最悪のピンチでもある...愛国心と外国人と仲良くすること

  • 人工的に作られた心はエゴイズムだけから生まれる

    ◎人間は、すでに手に入れたものを、わざわざ求めているためにほとんど狂っているOSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第10巻第1章”人工的な心を落とす”から。冒頭1~5がヨーガスートラの本文です。『(仮訳)第10章人工的な心を捨てる1976年5月1日午前、仏殿にてパタンジャリの経典「カイヴァリヤパダ」の最後のセクションが始まります。力は生まれつき現れるか、薬物、聖なる言葉の繰り返し、苦行、あるいはサマディ(三昧)を通して獲得される。ある階級、種、あるいは種類から別のものへの変容は、潜在的なるものの自然な傾向の溢れ出しによるものである。偶発的な原因が、自然な傾向を活動に駆り立てるものではない。それは単に障害物を取り除くだけである。まるで畑を灌漑する農夫のように。彼は障害物を取り除き、すると水は自ら自由に...人工的に作られた心はエゴイズムだけから生まれる

  • 解放・カイヴァリヤは同一化から起こる

    ◎だが、特定されてはならない。決して何にも同一化されてはならないOSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第9章”絶対的な孤独:解放”から。※存在の4つの層は(1)ヴァイハーリ(果実)、物事。(2)マディヤマ(木、「中間」)感情、経験。(3)パシャンティ(何かを経験する前に内部では種子の形で動きます。)(4)パラ(すべてが生まれる根本的な存在)『(仮訳)1.経文「プルシャとサットヴァの純粋さが等しいときに解放が得られます。」しかし、どうやって解放を達成するのでしょうか?まずあなたはサットヴァの純粋さ、知性を達成しなければなりません。それでさらに奥へ進みます。ヴァイハリは知性の現れです。マディヤマは、世界に対してではなく、あなただけに現れる知性です。パシャンティは種子の形をした知性です。そしてパラは...解放・カイヴァリヤは同一化から起こる

  • 安期生の物語

    ◎千年経ったら己を再び蓬莱山の麓に尋ねるように『安期生は瑯琊阜郷の人である。平生あるいは海辺に出て薬を売っていたが、時の人々は皆彼を呼んで千歳公と言っていた。秦の始皇帝は彼の賢明であることを聞いて宮中に呼び寄せ、共に語ること三昼夜。安期生が帰る時に金帛数万贈られたが、いよいよ阜郷亭を出る時彼はその贈られた品々を皆そこに置き捨て、更に赤玉の沓一足と書一巻とを残し、これから千年経ったら己を再び蓬莱山の麓に尋ねるように皇帝へ伝言して、そのままそこを立ち去った。ここにおいて始皇帝は使者数人を遣わして、海上遥かに彼の跡を尋ねさせたが、舟まだ蓬莱山に至らないうちに、大風波に遭って空しく帰ってきた。そこで新たに阜郷亭の側と他の海辺十箇所とに祠を立て、永く彼を祀ってあった。』この『千年経ったら己を再び蓬莱山の麓に尋ねるよ...安期生の物語

  • 本当のものは道ではなく、探求者の真正性のほう

    ◎誠実であれば、必ず目標に到達する久々に、OSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第9章”絶対的な孤独:解放”から。『(仮訳)人々は立ち往生しています。自分の体や習慣に執着している人もいます。自分の心、イデオロギー、思考、夢のパターンに囚われている人もいます。カタ・ウパニシャッドはこう言います、「物を超えたところに感覚がある。感覚を超えたところに精神がある。精神を超えたところに知性がある。知性を超えたところに魂がある。魂を超えたところに非顕現。非顕現の向こうにブラフマン。そしてブラフマン自身の向こうには何もない。」これが終わりです、純粋な意識です。そして、この純粋な意識は、さまざまな道を通じて達成できます。本当のものは道ではありません。本物とは、探求者の真正性です。これを強調しておきます。どのよ...本当のものは道ではなく、探求者の真正性のほう

  • 林霊素の物語

    ◎人間以上の最も高いところ『林霊素は字を通叟といい、宋の永嘉の人である。初め彼の母が彼を孕んだ時、或る夜、外から帰って室へ入ると、紅雲が自分の身の周囲を取り巻いているような心持ちがしたそうである。そして懐妊してから二十四ヶ月目の或る夜、夢に緑の袍衣を着て、玉を帯びた、一人の神人が現われ、手に筆を執って、明日ここを暫時借用するぞと認めたものを自分に差し示すと、翌日になって林霊素がにわかに生まれた。その時室一杯に金色の光が満ちていたとのことである。林霊素は年五歳になるまで少しも言語を発しなかったが、或る日一人の道人がいてしばらく林霊素を見るや、その後おひさしぶりであると言って、互いに手を取り合い、さも嬉しそうに手を叩いて笑い興じていたが、それから林霊素はにわかに言語を話すようになったのである。彼は幼少の時から...林霊素の物語

  • 聖胎長養とは

    ◎人牛倶忘(ニルヴァーナ)に到った後のこと1.禅仏教(1)一般に「聖胎長養」とは、仏教、特に禅宗において用いられる重要な概念です。これは、仏となる可能性を秘めた「聖胎」(仏の種子、悟りの境地)を、まるで母が胎児を大切に育てるように、大切に養い育てる修行を意味します。聖胎長養は、「悟後の修行」を指すことが多いです。これは、一度「見性」(悟りを開くこと)を体験したとしても、そこで修行が終わるのではなく、その悟りをさらに深め、揺るぎないものにするために、心を鍛え続ける必要があるという考え方です。(2)唐代の有名禅マスターの馬祖は、聖胎長養について、『景徳伝灯録』の中で、「諸君よ、めいめい自己の心が仏であると知れ。もしこのことが分かれば、もうその場その場で、身に服をつけ飯を食い、聖胎を長養して、ありのままに時を過...聖胎長養とは

  • 聖遺物と善霊悪霊、縁起がよい悪い

    聖者への本当のリスペクトがあるか人は、縁起がよいものや善霊のものは手に入れ、集めたがるものだ。紀元約1000年頃、隠者の誉れ高い聖ロムアルドゥスが、たまたまフランスから故郷イタリアに帰郷の途中に、イタリア中部のウンブリア山村に立ち寄り、村人はこのような高徳の人物がこの地を去ってはどんな災難がふりかかるかもしれないと恐惶を来たし、強引に引き止めにかかった。ところが、ロムアルドゥスは、翻意しなかったので、村人たちはロムアルドゥスを撲殺して、聖遺物として村に永久に留まってもらおうと考えた。この計画を察知したロムアルドゥスは、剃髪した上に、にわかに暴飲暴食して、気ちがいになった振りをして難を逃れた。1274年にトマス・アクィナスがフォッサ・ヌォヴァの僧院で没すると、そこの修道士たちは貴重な遺物が彼らの手から失われ...聖遺物と善霊悪霊、縁起がよい悪い

  • 張果の物語

    ◎一匹の白い蝙蝠『張果張果はどこの者であるか、その伝記は詳しくない。彼は平素恒州の中条山に隠れていて、仙術を修行していたが、当時すでに余程の年になっていた老人がまだ見てあった時分に彼はもう数百年歳の若者であったといえば、彼の年はすでに幾百年歳になるか、ほとんど推測することができないくらいである。平生一匹の白い驢馬に乗って、毎日数万里の道を歩いていたが、休息する時分は件の驢馬を折りたたんでそれを箱の中に入れるに、その厚さわずかに紙くらいしかなかった。そしてまた乗るときには水を口に含んでそれに吹きかけると、またもとのように白い驢馬となるのであった。唐の太宗・高宗の二帝は使いを遣わして彼を召し寄せたけれど、彼はその命を奉じなかった。そのご則天武后が彼を召した時に、彼は妬女廟の前でばったり死んだ真似をすると、時は...張果の物語

  • 呂巖(呂洞賓)の物語

    ◎天皇(天帝、宇宙の最高神)に仕え、玉清(道教における最高の仙境)に上る呂巖は、唐代に大周天で究極に達した呂洞賓のこと。以下の文は、一生の通観だが、成道前と以後では見方を変えねばならないが、参考となるのは成道前のことだろう。『呂巖(りょがん)呂巖、字(あざな)は洞賓(どうひん)、唐の蒲州(ほしゅう)永楽県(えいらくけん)の人である。その祖先は渭(い)の礼部侍郎(れいぶじろう)で、父の呂は海州(かいしゅう)の刺史(しし)であった。彼は貞元十四年(798年)四月十四日、巳の刻(午前9時から11時頃)に生まれたので、「純陽子(じゅんようし)」とも呼ばれていた。彼が生まれた時、珍しい香りが四方に立ち込め、どこからともなく天楽の響きが聞こえ、ちょうどその時一羽の白鶴が部屋の中に入ってきて、窓に掛けてあった帳(とばり...呂巖(呂洞賓)の物語

  • どんどん貧しくなる日本

    ◎チベット女戦士アデ(2020-10-01)『チベット女戦士アデ/アデ・タポンツァン/総合法令』を読んだ。これは1959年に強制収容所という名の餓死をさせるための監獄ゴタンギャルゴに入れられていたチベット女性の話。当初一万2千人くらいだった収容者は1963年には数十人に減っていた。ほとんどが餓死やその過程での病死と見られる。収容者の大半が体力が弱り過ぎて、歩くことはおろか立っていさえもできなかったという。人権もないし、人としての尊厳もない。今話題のウイグルや内蒙古も最後はそうなっていくのだろう。チベットのこうした弾圧を中国では成功例と考えていなければ、そういう風には進むまい。日本は小泉政権下で竹中平蔵らをブレーンに非正規労働者を大幅に増加させ、「正社員はなくせばいい」「若者には貧しくなる自由がある」という...どんどん貧しくなる日本

  • 中国ガラガラ

    ◎暗い秘密があるかもね以下は、個人の根拠のない妄想です。中国旅行の日本人youtuberの旅行記では、最近の中国の高速鉄道、自動車道、ショッピングモール、空港は、どこもガラガラで、施設内の食堂は混んでいる食堂でも3割くらいがせいぜい。春節も同様のガラガラぶりであったらしい。実際SUchannelは、わりに旅行先中国が多いのだが、実際にどこへ行ってもすいている。春節は、日本で言えば、お盆と年末年始であって、この時期に帰省しないというのも異常事態だし、平時に北京、上海、広州などの大都市のショッピングモールも閉店テナントが多いし、市内の商業市街がシャッター商店街に変貌しているのも異様である。当局が、どこへ行ってもガラガラの原因を説明しないので、その原因を想像してみた。想像される原因の一つは、疫病である。つまり新...中国ガラガラ

  • カルロス・カスタネダの最終跳躍

    ◎下降か上昇かカルロス・カスタネダは、最後は崖から飛び込むのだが、無限やイーグルと呼ばれる窮極は、中心太陽への上昇であって下降ではないと思っていた。よってカルロス・カスタネダの最終跳躍が、意外にも崖からの下降であったのには驚いた。そこでカルロス・カスタネダのことはちゃんと読んでいるっぽいGEMINIに分析してもらった。『質問:カルロス・カスタネダで、無限とは中心太陽のこと。飛び込もうとチャレンジした者の多くは宇宙の藻屑として消えてしまう。最後にカスタネダはこれに飛び込むが、なぜか断崖に向かって勢いよく走っていて深淵に飛び込むと書いてある。飛び込んだ先のことは下降でしょうか?GEMINIの回答:』カルロス・カスタネダの著作における「無限(インフィニティ)と中心太陽」の概念、そして彼自身の最後の行為に関するご...カルロス・カスタネダの最終跳躍

  • 司馬承禎の物語

    ◎夜寝ていて自然に言語を発する『司馬承禎、字は子微、温州の人である。潘師正に従って仙道を学び、その秘訣を授けられ、その後しばしば諸国の名山を遊歴していた。唐の武后に召されて朝廷へ行ったが、まもなくその地を立ち去った。そして陳子昂、王維、李白、孟浩然、賀知章、盧蔵用、宋之問、王道、畢構らと往来して、悠々自適に過ごしていた。世人は以上の十人を指して「仙宗十友」と言っている。睿宗の時代、京師に召されて身を修める道を尋ねられた時、彼は「道は日に減損していき、無為という静寂の境地に達するのが極致であり、これがすなわち身を修める法である」と答えた。また重ねて国を治める道を尋ねられたことに対しては、「国は身体と同じ理屈であり、心を静め、気を養い、物と共に消長して相容れないところがなく、また何事についても私心を持つことさ...司馬承禎の物語

  • YouTube開始2カ月半

    ◎地味ですが、着実に登録者、視聴数増加中2025年3月23日にスタートしたYouTubeもおかげさまで、コンテンツ数も170を越え、日に視聴回数も200を越えるようになってきました。登録者は69人。過去28日間では視聴回数3千越え、総再生時間は90時間と地味ですが、着実です。シリーズは、・冥想の手ほどきウェブ・冥想の手ほどきチャット(音声概要、アップ完了)・ジェイド・タブレット・ジェイド・タブレット・トーク(音声概要)・老子狂言ジャム(音声概要)・冥想非体験(性愛冥想)を語ってみる(アップ完了)(音声概要)と沢山あるが、ほとんどの方はシリーズを気にせずサムネイルで見るかどうか決めているっぽいです。なお過去最高視聴数のコンテンツは、「肉体が死んでもほとんどの人は悟らない冥想の手ほどきチャット02062025...YouTube開始2カ月半

  • 酆去奢の物語

    ◎卯山の大石で、世俗の欲望のテストを受ける『酆(ほう)去奢は衢州龍丘(浙江省)の人で、崇仙宮の道士となって九峯山の麓に住んでいた。幼い時から仙道を学び、苦学精励して、年三十余歳の時、すなわち劉宋の初年、処州嵩陽県の安和観に退隠した。この安和親というのは葉静が道を学んだ所である。観の北五里に卯山という山があって、高さ五十余丈、仰げば白雲が常にその頂を覆っていた。世に伝わる所によれば、この山は張天師と葉静の二人が道を修行された所であるという。これを聞いて酆去奢はひそかに昔の仙聖の跡が慕わしくなり、この山に一つの庵を作ってそこに暫時住んでいた。この山の東南にあたって一つの四角な大石がある。面の広さは二丈余りもあって、青嵐が朝夕その四辺を包んで俗気が届かず、松風が常にその上に響き、丹を練るにはこの上もない佳境であ...酆去奢の物語

  • 老子と下降

    ◎谷神不死、是れを玄牝と謂う垂直の道であるクンダリーニ・ヨーガの極みは上昇であって、無上の垂直道を経て中心太陽に突入。一方水平の道の極みは、下降であることがほのめかされている。水平の道の代表格である老子の道徳経に具体的な下降シーンがあるわけではないが、以下のような記述、特にタオの極みを「谷神不死、是れを玄牝と謂う」(第六章)と称していることで、プロセスが下降であることは想像される。下降した底なしの底(無底の底)で玄牝に出会うのだ参考までにGeminiの意見を挙げる。『老子道徳経の窮極は、下降によって起こると思われるが、分析お願い致します。ご指摘の通り、「老子道徳経」の思想における究極の境地は、一般的な上昇志向や積極的な行動とは逆の、下降、あるいは「柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ)」、そして「無為自然(むいし...老子と下降

  • ヤコブ・ベーメの無底の底は下降か

    ◎水平の道の窮極は、無底の底への下降か?垂直の道、すなわちクンダリーニ・ヨーガ系の窮極は、中心太陽への上昇である。それでは、水平の道の窮極は、ダンテス・ダイジの言うように無底の底への下降なのだろうか。そこで17世紀靴職人ヤコブ・ベーメの大悟を例に、GEMINIで、「ヤコブ・ベーメの無底の底は下降か」について分析してもらった。結論は、下降で間違いないのだろうと思う。大きな論拠の一つは、1600年の彼の重要な神秘体験では、日光がピューターの皿に反射するのを見た際に、「存在の存在、深淵と奈落、三位一体の永遠の生成、この世界の起源と下降」を見たのだが、この「この世界の起源と下降」。世界全体と私は諸共に下降していっている。大きな論拠の今一つは、彼はまた、「神性が私の中に登ってきた」とも述べていること。さらに、「自己...ヤコブ・ベーメの無底の底は下降か

  • 生成AIとバベルの塔の崩壊

    ◎神は塔の天辺にいる?生成AIの発展は限りなく、その先にはとても素晴らしい未来が広がっているなどという言説が幅を利かす昨今。生成AIには、ジャンプはなく、一歩一歩の積み重ねであって、何かすばらしいものが塔の天辺にあるだろうという期待はバベルの塔に似ている。神仏、タオ、究極は、一歩一歩の積み重ねの上にはなく、ジャンプの先にあるからだ。シュメール人のジグラートの昔からバベルの塔(旧約聖書創世記一一章)は、(1)天を仰ぎみる目(つまり絶対者は天にいる)と、(2)ブロックをひとつひとつ積み重ねていくうちにいつかは天に達するという観念の二つの上に立っている。ブロックを積む技術を知っているのは、学者や僧侶、その指示にしたがって働くのは奴隷の群れ、そして塔の階段を登っていくのは、両者というパターンがみられる。地を離れれ...生成AIとバベルの塔の崩壊

  • 裴航の物語

    ◎断食、五穀断ちの効果と弊害『裴航は唐の長慶頃の人で、進士の試験を受けたが不幸にして落第したので、鄂渚の附近に遊んで胸の鬱屈を癒していた。然るにここに彼の旧友に崔相国という者がいて、彼にひどく同情を寄せて銀子二十万ばかりを彼に贈った。そこで彼はこれを持って落第の恥辱を雪ぐために再び京都へ引き返し、道中船に乗って二三日を波の上に暮らし、急がぬ旅で悠々と諸方を見物していたが、同じ船に樊夫人という一人の美人が乗っていることを聞き、一度その姿を見ようと思い、種々工夫して機会を伺っていたけれど、夫人は常に室の中に閉じ籠っていてめったに外へ出なかったので、彼はついに夫人を見ることができなかった。そこで或る日彼は心に一策を案じ、夫人の侍婢の雲英という者に頼んで一篇の詩を夫人の許へ送って遣った。その詩に曰く、「向為相越猶...裴航の物語

  • 張伯端の物語

    ◎陰神と陽神『張伯端は天盛の人である。晩年に混元の道を学び諸国を遊歴して名山大川を訪ねていたが、宋の神宗皇帝の熙寧二年(1069年)に蜀の地を遊んだ時、劉海蟾(りゅうかいせん)に逢って金液還丹火候の秘訣を授けられ、それから名を成と改め、字を平叔と称し、紫陽と号していた。彼と極く懇意にしていた一人の僧侶がいて、平生、戒・定・慧(かい・じょう・え)の行を修し、自分では既に禅の奥妙に達した一名僧になったつもりで、密かに自負していたが、この者が座して入定(にゅうじょう)する時、常に神を数百里の間に飛ばして、自分が思う所は何処へでも歴巡っていた。ある日、伯端が彼と面会した時、当時揚州の一名物である瓊花(けいか)を観ることを約束し、そこで二人は一室の中に退いて対座し、各々その神を飛ばして遠く揚州へ赴いた。そして伯端の...張伯端の物語

  • 盧山人の物語

    ◎食事をとらず民衆を救い続ける『盧山人はどこの人であるか詳らかでない。唐の貞元年間、荊中という所に住んでいて、木材や石灰などを売って生活していたが、時々不思議な奇術を行っては人々を驚かしていた。ここに商人に趙元卿という好事家がいて、盧山人の仙術に達していることを知り、すなわち彼に従ってその術を習い覚えようと思い、木材等の買物に事寄せて足繁く彼の許に出入りし、その都度いつも多少の茶菓などを買っては盧山人の機嫌を取っていたが、盧山人は早くも彼の心中を見抜き、ある日彼に向かって言うように、「君は木材などを買うために自分の許へ来るのではあるまい、実は自分が仙術を知っていることを見て、それを知りたいためにこうして時々自分の許へ来るのであろう」と図星を指されて、趙元卿も今更その明晰なのに敬服し、審らかに自分の意中を明...盧山人の物語

  • 董奉の物語

    ◎屍解もするし、白日昇天もする『董奉、字は君異といい、侯官県の人である。その時、同県に長余姓という者がいて、年なお幼い時に或る機会から董奉に面会したことがあった。その時、董奉は既に三十余であった。その後五十年経て、長余姓がある他の栄職に就いて再び侯官県を通った時、その地の役人共皆彼の許に往いて拝謁したことがある。その時、董奉もその中に居ったが、長余姓は彼を見て驚き、「足下は恐らく仙道を得られたのではあるまいか、という訳は、自分が年なお幼くて郷里に居た時に足下に面会したことがある。それは足下もまた記憶して居られることであろう。その時足下は最早可なりの年頃であったが、今日お目にかかって見ると、足下は炯々として昔のままで少しも年老った容子がない。如何にも不思議なことである」と話した。その時、董奉はわざととぼけた...董奉の物語

  • 麻姑の物語

    ◎玉冠を戴いた仙女『麻姑は晋の石勒の頃の人で、麻秋の娘である。この麻秋という人は気性が猛々しく、城を築くことがあった時、人夫を使うのに極めて苛酷で、一晩中少しもその手を休ませない、ただ鶏が鳴く頃少し休息させるのみであった。しかし麻姑は生まれつき慈悲心の深い女で、父のために使われている工夫たちを見て不憫に思い、適当な時期をみて、鶏の声色を使うと、そばにいる数多の鶏はこれを真似て、皆一斉に鳴き出し、そのため工夫たちはいつもよりも早く仕事を止めることができた。しかしその後父の麻秋はこれを知って大いに怒り、麻姑をむち打とうとしたので彼女は遂に家を逃げ出して仙姑洞に入り、そこで長年仙道を修行した後、城北の石橋の上で遂に昇天した。そこで後世その石橋を望仙橋と名付けていた。ここに元の時に劉氏鯉という者がいたが、その家の...麻姑の物語

  • 孫思邈の物語

    ◎水底の城郭での歓待『孫思邈(そんしばく)は華原(陝西省)の人である。幼い時から才知人に優れ、七歳の時能く千言の文章を暗記してあった。そして成長するに及んで深く老荘の学を好み、周の宣帝の時、周の天下が薄く隠れんとするのを見て、にわかに世を厭い、終に太白山に入って道を学び、気を煉り神を養う事に努めていた。彼は天文の学に精しく、医薬の事にも通じていたので、人民の難病を済う事極めて多かった。ある日のこと道に一人の童子が一匹の小蛇を苦しめているのを見て、不憫に思い件の蛇を貰い受け、之を衣に包み、薬を其傷処に塗って、其蛇を傍の草藪の中へ放して遣った。するとそれから十日ばかり経て、彼再び郊外へ散歩に出掛けると途中に一人の白衣を着た少年に遇った。その時、件の少年は急いで馬から下りて彼の前に躍り、自分は彼が為めに生命を救...孫思邈の物語

  • 淮南王劉安の物語

    ◎八仙人の神通力にもこだわらない淮南王劉安は、淮南子の著者。『淮南子』は、前漢の武帝の時代(紀元前2世紀頃)に、劉安が多くの賓客(学者や方術の士)を招いて編纂させた思想書だが、オカルト的に見るべきものがある。『生を出て死に入るとは無より有にゆき、有より無にゆき、そして衰賤す。この故に清静は徳の至りにして、柔弱は道の要なり』淮南子の原道訓など。。『淮南王劉安は漢の高帝の孫で、平生仙術を好み、内書二十一篇を著し、次に鴻宝万年二巻を著して錬化の道を説いた。ある日、八人の老人が劉安の門前で面会を求めた時、門番の男が彼らに向かって言った。「我が主人が第一に求めているものは、病の根を断ちて不老不死の長生を得る道である。」「第二は学広く識高き賢者である。」「第三に力は鼎を挙げるに足り、勇は暴虎を制するに足るほどの豪傑で...淮南王劉安の物語

  • 茅盈の物語

    ◎白日昇天と二兄弟茅盈(ぼうえい)、字(あざな)は叔申といい、茅漆の玄孫である。弟は固(こ)といい、字を季偉という。その次の弟は衷(ちゅう)といい、字を思和という。盈は景帝中元五年に生まれたが、小さい時から尋常の小児と異なっていて、浮世の事を厭うて清虚神仙の道を喜び、年十八の時、家を飛び出して恒山に入り、禾(か)を食して専心に修業を積んでいたが、後、王君に従って更に道を学び、西の方、亀山(きざん)に至って西王母に謁見し、太極玄真経を授けられ、年四十九歳の時恒山に帰って北の谷に隠れていた。この時彼の両親はなお達者で生存していたが、父は彼が久しく家を出て帰らないのを憤り、杖を携えて彼を撃たんとした時、彼は厚く己が罪を謝し、かつ自分は今や仙人の仲間に入っているので、自分の身体は天帝の兵士が常に護衛しているので、...茅盈の物語

  • 徐福の物語

    ◎不死の草と小さな飯椀『徐福、字は君房といい、秦の道士である。ある時、なぜとも知らず、道行く人ごとに瘴気(熱病を起こさせる山川の毒気)にあたってにわかに卒倒し、死骸が黒々として道の上に積み、親に別れ、子に別れた者たちの嘆き悲しむ声が四方に聞こえて、この先どのような事が起こるかと人々は安心できる心もなかった。その時、どこからか鳥のような鳥数十羽が飛来し、口々に一茎の草をくわえて、それを死人の顔の上に覆い被せると、不思議なことに、死人は皆息を吹き返して蘇生した。始皇帝はこの由を聞き、急ぎその草を持って、人を鬼谷先生のもとへ遣わしてその名を問わせたところ、「これから東に当たって海中に十の島がある、その中の祖洲というところに不死の草があって、瓊田の中に生える。それは養神芝といって、簇々(※群がり生えるさま)と叢生...徐福の物語

  • 許栖岩の物語

    ◎石の髄を飲む『許栖岩は岐山の麓に住んでいましたが、唐の貞元年間進士の試験に落第してから長安に住居を移しました。その時一匹の蕃馬(異民族の馬)が市へ売りに出たので、彼はこれを見るとすぐに欲しくなり、まずある道士に会って件の馬を占ってもらうと、この馬は龍の血を引いた物で、もしこの馬を手に入れることが出来たならばたちまち昇天することが出来るであろうとの事であったので、許栖岩は大いに喜び、早速千金の値を出して件の馬を購いました。その時魏の令公が蜀の国の王となっていましたが、許栖岩はある日右の令公に謁見しようと思い、件の馬に乗って剣閣山を通ると、馬は足を滑らせて百丈もあろうと思われる深い谷底に墜落しました。然るに幸にも谷の底には枯葉が高く積んでいましたので、自分も馬も別に負傷も何もしませんでした。そこで彼は馬の足...許栖岩の物語

  • 魏伯陽の物語

    ◎弟子の覚悟を試す魏伯陽は、内丹(クンダリーニ・ヨーガ系)の中国最初の専門書である周易参同契を著した人物。周易参同契の特徴は五行(木火土金水)、八卦の易の体系でもって内丹の手法を説明したところ。クンダリーニ・ヨーガといえば、この世の次元を超えて何かぶっ飛んだ素晴らしい体験が待っているかのようなイメージが先行するかもしれないが、その修行に入るためには、この世に対するあらゆる未練とか、世俗の欲望をすべて捨ててかからなければまず成功することはないだろうということが、以下の逸話の中に見て取れる。魏伯陽は呉の国の人である。生まれつき道術を好み、山に入って一心不乱に神丹(しんたん)を練っていた。その時、三人の弟子が常に彼の側に仕えていたが、そのうち二人の弟子は本当に道を求める心がないのを、彼は早くも見抜いていた。ある...魏伯陽の物語

  • 費長房の物語

    ◎ひょうたんからタオを求める費長房は汝南(じょなん)の人で、市長の役を務めていた。ある時、市中に一人の老翁がいて薬を売っていたが、夜は店に吊してある一つのひょうたんの中に入って寝るのであった。しかし、市中の人は誰一人としてこれを知っている者はいなかったが、ただ長房一人だけはある日、楼上からこれを見て、早くもその老翁が普通の人でないことを悟り、ある日老翁の許へ赴いて酒肴を振る舞った。そして、その翌日もまた酒肴を携えてその老翁の許を訪れると、老翁は彼を連れて一緒にそのひょうたんの中へ入ったが、中には美麗な殿堂がいつもあって、美酒佳肴(びしゅかこう)がうず高く並べられていた。そこで二人は飽きるまで飲み、飽きるまで食い、やがてその中から這い出たが、その時老翁は長房に向かってこの事を決して他人に告げてはならぬと呉々...費長房の物語

  • 劉越の扉の奥

    ◎二度と開かぬ石の扉周の世に匡先生、名を績と呼ぶものがいて、南樟山の虎渓のほとりに修道をしていると、一人の少年がいつ頃からかしばしばやってくるようになったが、その言うことを聞くと、なかなか奇警で普通のものとは格段違っているので、匡先生は心中に深くこれを怪しみ、ある日彼の少年に向かって、貴殿がここへ遊びに来るようになったのももう久しいことだ。しかし今なお君がどこのだれであるかを明かしてくれないのは何よりも残念だ。今日はぜひこれを伺いたいと言うと、件の少年は、自分は劉越といって、この山の陰に住んでいるものだと答えた。この山の麓に高さ二丈ばかりの一つの大きな石がある、この石を手で叩くと、内に応ずるものがあって戸が忽ち開かれることを告げた。そこで匡先生はある日、彼の少年に言われた通り、山の麓に行ってみると、果たし...劉越の扉の奥

  • 戦後の日本の巨額経済事件

    ◎おもしろうてやがて悲しき○○○○以下の話は、根拠のない妄想である。金融庁は2025年5月8日、インターネット証券口座の乗っ取りによる不正取引金額が1月から4月末時点の合計で約3049億円となったと発表した。得た資金を中国株に購入に充てていることから犯人は○○系という記事も出始めた。経済戦争は、開戦されたと見るのだろう。過去の日本の巨額経済事件を見ると毎度外国がからむ。イトマン事件は損失2800億円ともいわれ、半島に資金が流れたとも言われる。商工ローン事件も損失2000億円ともいわれる。新銀行東京は、総損失額は不明だが、総資産は4千億で、都の出資金の棄損だけで、800億円以上。経済事件とは考えられていないが、最近話題の韓国系教団への資金の流れも累積数千億円規模と想像される。さらに国民が再エネ賦課金で苦しむ...戦後の日本の巨額経済事件

  • 時所位、TPO

    ◎霊的共同体としての家庭、社会、世界、宇宙の中の本来的位置禅語録の無門関第十一則州勘庵主から。『趙州和尚がある庵主の処を訪問してたずねた、「居るかい。」。するとその庵主がグッと拳を立てた。そこで趙州は「ここは水が浅くて船を泊めることができない」といってすぐに出て行った。また他の庵主の所に行って「居るかい」とたずねた。するとその庵主もまたグッと拳を立てた。そこで趙州は、「おまえさんこそは自由に物を与え、自由に奪い去ることができて、活殺まことに自在である」といって、ただちに礼拝した。』二人どちらも拳を立てたが、一人は正解で一人は不正解に見えるが、そうではなくて、正解の人が時所位(「time」、「place」、「occasion」)を得ていたということ。つまり合気道の植芝盛平言うところの天之浮橋に立っているとい...時所位、TPO

  • 自分が損すれば他人が儲かるからよい

    ◎我が失えば、他が得るではないか雲居希膺は、江戸時代初期の禅僧。51歳で大悟、松島瑞巌寺や妙心寺の住職をやった。見かけは地味なエピソードがいくつかあるが、盗賊など半グレ、反社、敵方の戦国武将さえ感服させる威徳があった人物。メリデメばかり念頭にあって、1円でも1ポイントでも得をしようと考えている人には、自分が損すれば他人が儲かるという考え方は奇妙かもしれないが、悟り・究極の幸福の方向性は、その方面であって、自分を小さくするという方向。それが無用の用である。『我が失えば他が得る雲居は街道を歩く時は、いつも手を背に回して腰のあたりに杖を横たえ、てくてくと歩き、侍者ははるかに後からついて来させるのがつねであった。ある夏の日、やはりそのようにして街道を歩いていた。この日はあまりにも暑い日だったためか、雲居は歩きなが...自分が損すれば他人が儲かるからよい

  • 龍樹の末路

    ◎乱行三昧の末路(2021-07-14)龍樹(ナーガールジュナ)は、バラモン出身で、家は裕福で秀才の誉れ高く、若くして各地を遊学し、天文、地理、星宿などを学びほとんどの道術を体得していた。彼には道友が三人いて、皆優秀で眉目秀麗だったが、揃って好色を追求するために隠身の術を、さる術者について学んだ。この術はさる薬物を瞼に塗ることで身を隠すことができるものだった。四人は、この薬でもって自由に遊び回り、終には王の後宮に入り、宮中の美女を手当たり次第犯して回った。強姦から百日経つと宮中では懐妊する婦人が多く、王に告白して処罰を求める者が多かった。王は、これは方術によるものと見て、細かな砂を宮廷内にまき、足跡を追えるようにした。果たして、龍樹以外の三名は、足跡によって待ちかまえていた勇者たちに首を切り落とされた。龍...龍樹の末路

  • 天地一杯の水が 手桶に汲みとられた

    ◎内山興正氏の詩内山興正氏は、日本の曹洞宗の僧侶、詩人。澤木興道に長年師事し、その死後に安泰寺の住職となる。兄弟子に横山祖道、弟弟子に弟子丸泰仙がいる。『生死手桶に水を汲むことによって水が生じたのではない天地一杯の水が手桶に汲みとられたのだ手桶の水を大地に撒いてしまったからといって水が無くなったのではない天地一杯の水が天地一杯のなかにばら撒かれたのだ人は生まれることによって生命を生じたのではない天地一杯の生命が私という思い固めのなかに汲みとられたのである人は死ぬことによって生命が無くなるのではない天地一杯の生命が私という思い固めから天地一杯のなかにばら撒かれたのだ』(求道自己を生きる/内山興正/柏樹社P52-53から引用)詩人は、歌人と同じで、心の中に淡い恋心のようなものがないと、詩は作れないと思う。自我...天地一杯の水が手桶に汲みとられた

  • 生成AIの威力と時代の急激な変貌ぶり

    ◎人間の進化に役立てる道もある私にとっても最近の生成AIの威力は、驚愕畏怖すべきものがあったので、次のように挙げて見ます。わたしは、GEMINIを主力として使っていますが、OpenAIは、日本語の調べものをしている時に、候補として半数以上中国語の文章が上がって来たので、怪しいと思いほとんど使っていません。1.英文和訳PCのゴミと化してしたOSHOバグワンの英文講話録300本弱を粗いが和訳をGEMINIでできた。これによって講話の4割弱が禅にかかわるもので、また質疑集の大半は同じような内容の繰り返しが多く、OSHOバグワンも辟易したであろうことがわかった。ただ、中にはレベルの高い講話があって、そうしたものは、わりに和訳、刊行されているものが多い。GEMINIなかりせば、「本当はもっとすごいことをしゃべってい...生成AIの威力と時代の急激な変貌ぶり

  • 神霊界とは、神界のこと

    ◎真心一つで天と地の大きな計画をしっかり果たし遂げることができる神霊界とは、神界のことだが、霊界とは、顕界、幽界、神界の総称。ダンテス・ダイジも『行為は霊界から来るのだ。』(冥想非体験(性愛冥想))で言っている。『霊界と神霊界ええとですね、「霊界」っていうのは、言葉の通り、何かこう「霊妙な世界」という意味なんですけれども、実はこれ、「顕(けん)の世界」「幽(ゆう)の世界」「神(しん)の世界」という三つの世界を全部ひっくるめて、そう呼んでいるんですよ。時々、ある方が『霊界物語』という本について、こんなふうに言われることがあるんです。「本のタイトルは『霊界物語』となっているのに、書かれている内容は、私たちの目に見える現実世界、つまり『顕現界(けんげんかい)』の出来事がすごく多いじゃないか。どうしてこんなに内容...神霊界とは、神界のこと

  • 出口王仁三郎が死から再生する

    ◎隻履(せきり)の達磨出口王仁三郎は、六度死んだと語る。古神道の極みは、死からの再生だが、それがどのようなものであったかを、明らかに語っているものはない。ここでは、自分が死から復活したことだけを述べているが、鎮魂法の窮極はそこなのだろう。出口王仁三郎の復活と言えば、二度の牢獄入りと釈放をイメージする人が多いのだろうが、古神道家は、黄泉からの帰還をイメージする。生還後の予後は、煙でいぶされたり大変だったことも書かれているものがある(一週間の床縛りの修業など)。出口王仁三郎の随筆集水鏡から『隻履の達磨』。GEMINIで現代仮名遣いに直してもらいました。『達磨没後、ある二人の若人が寄って其(その)死について話し合っていた。甲曰く「お前は達磨さんが死んだというけれど、それは嘘だ。現に私は昨日会ったのだもの」という...出口王仁三郎が死から再生する

  • 恋愛と、恋と、愛

    ◎恋愛は神聖である国立社会保障・人口問題研究所の調査では、未婚・晩婚どころか、交際したことがない、セックスしたことがない人が多い。出生動向基本調査では、30~34歳の未婚者で異性との交際経験なしが、女性約3割、男性約4割。30~34歳の性交経験のない未婚女性が、約4割、30~34歳の性交経験のない未婚男性が、約3割強。50代以上の独身世帯は、約4割だそうだから、50代以上では、既婚未婚合わせ全体の2割程度の人が性交経験がないのだろう。こうした環境下で、「冥想非体験(性愛冥想)」を語るのも意外に大変である。出口王仁三郎の随筆集水鏡から『恋愛と、恋と、愛』。GEMINIで現代仮名遣いに直してもらいました。『恋というのは、子が親を慕う如き、又は夫婦が互に慕い合う如き情動をいうのであって、愛とは親が子を愛するが如...恋愛と、恋と、愛

  • 冥想非体験(性愛冥想)読了

    ◎定力強化、光輝く生命の海、窮極の悟りダンテス・ダイジの冥想非体験(性愛冥想)を読了し、やはり40年前読んでも何を書いているのかわからなかったであろうことを再確認した。最終節に、接して漏らさずの話が出てきたことで、間違いなく40年前、自分は通読していたことがわかった。今回ネットにアップできたのは、GEMINIの手書き原稿の文字起こし機能のお蔭です。そうでなければ、これだけの分量をyoutube編集をやりながら1か月で完遂することはできませんでした。GEMINIに感謝です。ダンテス・ダイジの著作は、短い文章を寄せ集めて一冊にまとめたようなのが多いが、本書は、書下ろしスタイルで、一気に集中的に書き上げた様子が、うかかがえる。本書は、終始一貫して窮極の悟りが中心であり、窮極の悟りの前段に、光輝く生命の海があるが...冥想非体験(性愛冥想)読了

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-25(最終回)

    ◎あなたの愛人と現われた自分自身と、性愛生活を表現する冥想非体験(性愛冥想)の続き『楽とは、性的快楽のことであり、空とは宇宙意識、ニルヴァーナのことであるが、立川教はついに宇宙意識の戯れとしての性感覚を、しかつめらしい『空』の観念によって自己弁護したように受け取れる。理趣経の十七清浄句を素直に読みとれば、そこに純粋神秘主義としての「楽空一如」がある。この世が仮象であることを見抜いた者からすれば、性愛が清らかな悟りの境地であるのは、あたりまえのことである。性愛を神聖なものとして弁護するために性愛神秘主義があるのではない。私達は何よりもこの世とかの世を超越した無限生命としてあり、この至福を自覚し、そしてこの世の性愛を戯れるために、楽しみ充実した生命を生きるために性愛神秘主義をあえて提起するにすぎない。ここまで...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-25(最終回)

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-24

    ◎神秘主義は、人間を完全な歓びに導くためにあるのであって、はかない人間的幸福を相手にはしない。冥想非体験(性愛冥想)の続き『中国房中術にしても、インドのシャクティズムにしても、アラビアの性典『匂える園』においても、とにかく性愛を冥想にまで高めようとする過程にある性愛術は、射精がなされてはならないか、長時間持続するようにコントロールされねばならないと主張されている。『ガマの聖談』の南喜一氏も、その女房七人説は、彼の保留性交の技術によって、初めて主張されるものといえる。性愛における男性原理は、接して漏らさずというところに行き着く。それは、悦楽にのたうちまわる女体を見て、楽しむという通俗的な立場のみを意味するのではない。女性のあられもない姿を見て、楽しむということは、はかない権力欲の一つにすぎない。それは愛着に...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-24

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-23

    ◎女性に性的満足を与え、男性が同時に生命力を養う秘訣はあるが、要大悟覚醒冥想非体験(性愛冥想)の続き『新しいこの神の国では、神秘という言葉を使うことすら愚かしい。色欲に迷う時が、越えるべき時である色欲を制御し、さらにそれを越えて道を生きる欲がなくなるのではなく煩わされないのである伊福部隆彦『禅の教えるもの』ところで欲情離脱のために、あえて欲情世界の中へ入って行くことが、常になれ合いや単なる神秘的装飾の中でのセックスになりやすい危険を持っていることには、すでにふれたとうりである。純粋冥想行為は、もっとも純化された神秘体験への入口であり、それは人間存在の虚無的危険を超克する危険少なき安楽の法門である。例えば、神智学や、心霊主義や超能力を重要なものとする宗教が、その修行者が、神秘の名を借りた奇異な現象への好奇心...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-23

  • YouTube開始から1か月半

    ◎わからない部分をここがわからないと説くYouTubeのコンテンツ数も1か月半で72個になり、過去1カ月の累計アクセス数も1000を超えた。チャンネル登録数は29件だが、インプレッションは、4万件超で、YouTube側で検索に上げてくれ始めたのだろうと思う。このインプレッション数は、ブログとは二けた違う数字で、まさに新天地である。それと今週ポッドキャストも始めた。意外に視聴者数がある。ポッドキャストを始めた理由は、ブログの『冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる』の記事が長いので、なんとかならないかという動機だった。これをGoogleのNotebookLMが男女二人のDJ形式で6、7分でブリーフィングしてくれるもの。Googleは、一般社会人の常識的視点から語ってくれているのが新鮮。ここが、内容的に受け入れが...YouTube開始から1か月半

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-22

    ◎「色情修行」の結論は、人間の自我妄想を死ぬこと冥想非体験(性愛冥想)の続き『完全に現象存在の無を自覚した絶対自由なる霊的主体は、神が天地創造をしているのと同様に、その人自身の「霊的現象生命」を創造する。この世の喜怒哀楽はそれが一度消滅すると、まったく新しい鮮明さを帯びて霊的人間生活の多様な風光を顕わしはじめる。近世インド最大の聖者の一人、ラーマクリシュナは、「金と女とへの執着がある限り、人は、決して神と合一することはできない。しかし、一度神を本当に知ってしまえば、金銭も女も、その人の障害にはならない。」と述べている。しかしラーマクリシュナは、神との合一を成就した後も、生涯、金銭と女性とに手をふれなかった。彼にとっては、霊的法悦感と弟子達―――とりわけヴィヴェーカーナンダとの交流だけで、完全に満ち足りた人...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-22

  • 典型的な素人(しろうと)考え

    ◎自分がどうか(2007-11-08)ニューエイジ的な精神の成熟についての典型的な考え方はこんなものだ。まず悟りを開いてはいないが、求道に邁進するあなたがいる。あなたは何度も転生を繰り返して生まれ変わり、その都度宗教修行をして精神的成熟を深めていく。悟りを開かない限り、あなたの積んだ悪業(カルマ)の影響は逃れること(解脱)ができない。こうした成熟のことを進化とも呼び、進化のある段階に到ると、あなたは超人や聖者のいる教団のメンバー(弟子)になることができる。その教団は世界を管理、支配している。つまりエリートのみが集まる選ばれた一人になるのだ。そして更に修行が深まると自分自身もいつかは超人や聖者になれるというもの。出世魚物語や相撲の番付や双六ではないが、この話はその類であって、わかり易すぎるところが違うのでは...典型的な素人(しろうと)考え

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-21

    ◎神秘体験は人間体験ではない。冥想非体験(性愛冥想)の続き『~神秘性愛の実践〜欲情離脱修行山岡鉄舟がその悟道上の工夫ゆえに剣術修行と平行して「色情修行」なるものを実践したことは、前述したとうりである。彼は、結局、四十幾歳の時に庭前の花を見て、忽然として男女・色情の差別観を忘越する。ここに色情という恐らく人間にとって、死の問題の次に根深い問題の解決と有様が、鉄舟という希世の卒直果敢な一禅者によって、その行き先を提示されている。鉄舟が男女の差別観や情欲の束縛から一つの悟りによって、超越したからといって、その妻や家族達と離別することはなかった。心底、色情から自由になった人は、色情という、クサいものにフタをして抑圧する必要など、どこにもない。彼は、空を飛ぶ鳥や花々を賞でるようにその妻に対するであろう。そこには解放...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-21

  • 十字架 全体性としての四位一体

    ◎死の世界は水(2011-01-03)三位一体こそが、キリスト教のシンボルみたいに思われているが、キリスト教も含めて宗派の枠を超えて四位一体は、全体性のシンボルであり、十字架としても現れ、大本教の十曜の神紋とも、卍マークとしても現れる。まず古代エジプトでは、死者の書において、四つの顔を持つメンデスの牡羊として登場し、冥界の神オシリスの霊魂、太陽の神ラーの生命、大気の神シューの生命、大地の神ゲブの生命と、四位一体を表現する。これは、やがてホルスの四人の息子達へと変化し、ハピは北、トゥアムテフは東、イムセティは南、ケベフセヌエは西、となる。旧約聖書エゼキエルのビジョンでは、人の姿をとった四つの生き物ケルビムが出てきて、各人が四つの顔を持っていた(ダブルの四重性)。その顔は、それぞれ人、ライオン、牛、鷲。彼らは...十字架全体性としての四位一体

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-20

    ◎身体レヴェル・心理レヴェル・潜在意識レヴェルには、あなたを不幸にする嘘が含まれている冥想非体験(性愛冥想)の続き『例えば、以上の事実からして、男性型の性愛が権力欲、支配欲的な方向をもちやすく、女性型の性愛が感性的,脱我的方向を持ちやすいという特徴も説明しうる。だからこそ、宇宙意識の広大な脱我法悦の神秘修行者は、男性の方が圧倒的多数を占め得るのであり、女性は、ある意味で局部的とも言える性愛的脱我の中に満足しきることができる。純粋な宗教神秘主義的な志向性は、男性の非陶酔的性格とそれから、必然的に派生する強烈なロマンチシズムを、原動力としている。女性の正統宗教修行者は、どうしても「神がかり」やシャーマニズム的な形式をとりやすく、それには秘められたセクシャルな匂いを感じることができる。私は性的オルガズムのトラン...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-20

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-19

    ◎男性原理と女性原理冥想非体験(性愛冥想)の続き『男性原理と女性原理虚無とは、この現象世界の人間の維持しているあらゆる偏見、世界認識、価値観が崩壊したところに現れる。虚無は恐怖と戦う人間の最大の脅威であるとともに、人間にとってもっとも自由な宇宙を開く糸口でもある。私達は、虚無のこの逆説的構造を心ゆくまで、賛美することもできる。現実を唯一として受容する者にとって、虚無は、得体の知れぬ恐怖だが、現実を嫌悪する者にとっては、あらゆる世界観の崩壊したよるべのないこの人間実存の広がりは、時には一つの自由への突破口ともなり、時にはこの神秘的宇宙へ合一するための入口ともなる。結局、人間の魂の到着点は、自然主義的自然法則によって束縛され、ただ自我と肉体とを維持防衛するための、無意味な人生をいかにして超越するかということに...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-19

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-18

    ◎神の中で、神と神とがセックスし、家庭生活も神行する冥想非体験(性愛冥想)の続き『しかし、このエマーソンの普遍的エロスへの上昇としての恋愛、結婚観には、人間の霊的本質における恋愛対象の原型的イメージ、さらには神の創りしままの男女一体の霊的原型に就いての記述が抜けている。確かに絶対美への求道的方向からの、エロスの解明には、霊的原型としての夫婦像を考慮する必要はなく、とにもかくにも、人間努力のすべては、普遍的エロスへの到達というゴールから考察すれば足りるとも言える。だが現実には、それが求道上にある魂の場合であろうと、神の絶対愛の戯れの人間生活の現象化としての立場に立っていようと、男女の出会い結合には、霊的因縁相性というものがある。ニルヴァーナ、絶対愛の神秘体験に人が到り得たとしても、その人間の個別的生存がある...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-18

  • 過去は記憶にすぎず、未来は空想でしかない

    ◎覚者の現実感覚(2018-07-11)釈迦は、三世(前世・現世・来世)の輪廻転生を語り、ダンテス・ダイジはその座談の中で、『今ここ』だけに生きる現実感覚がどういうものかを断片的に語る。OSHOバグワンにも『今ここ』という現実感覚がどのようなものかを述べている部分がある。『実際、すべてのものごとはつねに今起こる。種子は今死に、つぼみは今花になり、鳥は今鳴きはじめる。すべてのものごとは今この瞬間がもたらす空間でのみ起こる。過去では何も起こらず、未来では何も起こらない。すべてのものごとはつねに現在において起こる―――――ものごとはそのようにしか起こらない。現在が存在する唯一の時間だからだ。過去とはあなたの記憶にすぎない。そして未来とはあなたの空想にすぎない。ところがあなたは過去に生きるよう催眠術をかけられてい...過去は記憶にすぎず、未来は空想でしかない

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-17

    ◎人間が出会う一つ一つの美質の輝きは、神への部分的認識経験なのだ冥想非体験(性愛冥想)の続き『少なくとも、霊的人間の完全性に向かっている価値ある内面体験、内的覚知を含まぬシンボルなど、現実に存在しもしない地形や地名を書きつけた地図と同じようなものである。そしてこの現実性ではなく、自我妄想の御都合からでっち上げられた地図は、単に無害無意味であるにとどまらず、旅する人を誤った場所や、危険な目的地に導く結果になる。日本の立川邪教や左道タントリズム中の非純粋神秘主義の一派には、シンボリズムの現実的適応を誤った危険が示されている。立川教の性愛神秘主義には、純粋神秘体験、冥想における絶対無即自己解放という人間の根源的救済が見られない。月経の血や精液を骸骨に塗りたくって、それを本尊としたり、相手の誰かれを問わず性交する...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-17

  • ボディ間移動の所要時間

    ◎刹那(2019-01-27)人間の意識の連続の間には隙間があるという。七つの身体のうち、時間のあるボディは、第一身体肉体から第五身体コーザル体まで。一方時間のない身体は、第六身体アートマンから第七身体ニルヴァーナである。この最初の五身体が同時並行に存在するものと仮定して、クンダリーニ上昇にみるように次々にボディ間を移転する場合、例えば、肉体からアストラル体に行く所要時間は何秒なのだろうか。仏教には刹那という概念がある。指を弾く時間の1/65を刹那とする説や1/75を刹那とする説がある。この刹那の間に発生と消滅があるという考え方もあり、なんとなれば消滅とは(時)が過ぎ去っていくことだとする。各ボディ間の移動に時間がかかるとすれば、意識が入っていない場合のボディとは何か?本当に並行して存在しているのか?など...ボディ間移動の所要時間

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-16

    ◎人間の性衝動は、自我忘却の欲求の最も根深いものの一つ冥想非体験(性愛冥想)の続き『人間はあたりまえの自己自身を自覚せねばならない。それが、個別的生命達の、必然的な流れであり、生長であるからだ。神秘主義とか宗教とかいう用語で、何かを語らねばならないのは、現代文明人類が、この生長の過渡期にいるからにすぎない。神秘主義・神秘体験・宗教・悟り、これらは、何と余計な概念であろうか。まして私がこの文章で語ろうとする「性愛神秘主義」という概念なぞ、まったく屋根の上に屋根を作ろうとする愚かな葛藤事にすぎない。私たちは自然のままに働き、愛し、冥想遊行世界を賛美すればよいのだ。大自然・大宇宙のままの人間には、生老病死の苦悩も、もはやありはしない。しかしこのあたりまえな「自然」という言葉一つを私が言う時、この現代に生きている...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-16

  • トリックスターがやってきた

    ◎半ば面白半分、半ば悪意で大事件を起こす(2017-01-08)今をときめくトリックスターがやってきた。その名はトランプである。娘も娘婿もユダヤ教なのでユダヤ色が強いと言われるが、それだけではない。トリック・スターとは、その時代の社会通念に照らして絶対にやってはいけないことをやってしまうのがトリックスターでもある。スサノオノミコトは高天原秩序を乱しに乱し地上を真っ暗闇にし、北欧神話のロキは、殺してはいけない美しき神バルドルを殺す引き金を引いた。その他にディオニュソス、サテュルヌス、ヘルメス、東方朔などがある。C.G.ユングの元型論に出てくるトリックスターの説明では、その性質として、半ば面白半分、半ば悪意がある狡猾ないたずらをする癖があり、変身の能力を持ち(他人や他の動物になりすます)、獣神的な二面性をも持...トリックスターがやってきた

  • アメリカのゴールド・ラッシュの頃

    ◎人は金のためなら何でもした(2017-02-08)アメリカンフットボールのスーパーボールは、2月5日、AFC王者ペイトリオッツが史上初の延長戦でNFC王者ファルコンズに34-28で大逆転勝ちを収めた。アメリカンフットボールには、別にSanFrancisco49ersという名門もあるが、この名前はゴールド・ラッシュにちなんだもの。1849年にカリフォルニアの金鉱発見によるゴールド・ラッシュのにわか景気が起こり、金を目指して西へ西へと一攫千金を夢見る人々が大量に移動した。こうした人々をフォーティ・ナイナーズと呼ぶ。法治の及ばない当時のカリフォルニアはでは、人々にもっと残酷な運命が待ち構えていた。フォーティ・ナイナーズでは、12人に一人が金鉱に向かう途中で死亡し、それ以外に現地や帰途で、亡くなる人もいた。死因...アメリカのゴールド・ラッシュの頃

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-15

    ◎神秘主義とは、人間性最後にして、最高のリアリズムなのだ冥想非体験(性愛冥想)の続き『ある人が、ある事業を起こして、経済的繁栄や名声を獲得するのに成功するとしても、その人に本当に価値あるものと感じさせているものは、経済的繁栄という内面的安心感であったり、名声という内面的充実感であったりするにすぎない。人間はすべてその本性において内面的なのだ。幸福感、安心感、充実感といったものは、あくまでも個人的、実存的なものだからである。そして人間の充実感は、それがより内面的に深くあればあるほど、外的条件の束縛に規定されることが少なくなる。神秘体験とは、あらゆる外的条件に左右されることのない絶対的な内的充実にほかならない。あらゆる個別的生命達は、絶対不動の充実を求めてやまない。コリン・ウィルソンはその、『アウトサイダー』...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-15

  • 出口王仁三郎の神の目

    ◎この世の狂人(2006-09-19)神を知らない者は狂人(きちがい)であるとは、覚者から見た、神を知らない人に対する率直な評価。しかし、それは禅の世界などでもごくあたり前のこと。平常心これ道などというが、平常心とは、神を知る心のことであって、神を知らない者のウツウツとして楽しまぬ気分のことをいうのではない。だから私のように神を見たことがない者が神のことを語るのは、狂人のたわごとということになってしまう。『今の世の人間社会を見渡せば皆狂人(きちがい)の寄り合いなりけり神という尊きものをかかへながらそれを知らざる人間狂人(きちがい)知らず知らず悪魔の器となりながら聖人ぶれる人間狂人(きちがい)人間は神と悪魔をかかへつつ喜怒哀楽の巷に迷ふ大方の今の人間神の目ゆ見たまふ時は狂人(きちがい)なりけり現世に孤独の生...出口王仁三郎の神の目

  • 一万以上の都市

    ◎出口王仁三郎のビジョン(2010-04-19)次なるは出口王仁三郎のビジョン。『○一万以上の都市一万以上の都市は全部焼ける。(昭和20年5月29日)』(新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店から引用)『○火の雨(終戦三ヶ月前に)(問)火の雨が降りましたね。(答)あれは人間の造ったものだ。今にほんまの火の雨が降る。戦争は負ける。(問)負けることはありますまい。(答)馬鹿、お前たちにわかるかい。(佐藤尊勇氏拝聴)』(新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店から引用)先の大戦の空襲でも一万以上の都市が全部焼けたわけではないので、これからのことを言っている。物質文明、火力文明がほとんど残らないのであれば、日本だけの災厄ではなく、世界的な事象として起きるのだろうか。一万以上の都市

  • 上泉伊勢守と禅僧

    ◎誘拐事件と上泉伊勢守(2013-09-06)戦国時代の剣の達人上泉伊勢守は、神陰流の創始者である。上泉伊勢守は、一日、武者修行にあって、山々に囲まれた小さな村を通りかかった。するとその村では、荒くれ男が、村の子供をさらって一軒家に立てこもって、「自分に怪我をさせたり、自分を捕まえようとするならば、その子供を殺してしまうぞ」と脅迫し、村じゅうの騒ぎになっていた。この状況を理解した上泉伊勢守は、たまたま一人の旅の禅僧が通りかかるのを見かけ、その墨染めの衣を借用したいと申し入れ、更に本物の禅僧に見えるように自分の頭を剃ってもらった。さて上泉伊勢守は、弁当を二つ抱えて件の一軒家の方へ近づいた。その狼藉者に、「拙者は出家の身で、貴殿をどうこうしようというつもりはない。ただ子供の親がわが子もひもじかろうとて、弁当を...上泉伊勢守と禅僧

  • 出口王仁三郎のパパ

    ◎有栖川宮熾仁親王説(2007-10-28)出口王仁三郎は、第二次大本事件の時も、大罪(不敬罪)であったにも係わらず、拘留途中で刑務所から謎の釈放を遂げている。この理由は官憲からは勿論通告はないが、出口王仁三郎が有栖川宮熾仁親王のご落胤であったためではないかという説が有る。戦前に、天皇周辺にも影響力のあるあれだけの大教団を作り上げるには、本人の実力もさることながら、そういった血脈がなければ、なかなか大を成すことはむずかしかったのではないか。有栖川宮家は、寛文七年(1667年)に幸仁親王が有栖川宮家を称したのが始まり。有栖川宮熾仁親王は、1851年、17歳で孝明天皇の異母妹和宮(6歳)とご婚約。11年後の1862年勅命により、和宮は婚約解消され、将軍家茂とご婚約となった。熾仁親王は、和宮の一件から当然に倒幕...出口王仁三郎のパパ

  • 出口王仁三郎のアウトライン

    ◎天地(あめつち)の神の宮居(みやい)と生まれたる人の神魂(みたま)ぞ清くもたまし出口王仁三郎は、いまの日本では大本教の関係者と日月神示に関心のある人くらいにしか興味を持たれていないが、実は江戸時代初期の天海僧正以来の大クンダリーニ・ヨーギ=古神道家であり、生涯6度死んだと広言し、クンダリーニ・ヨーガとは死の世界を窮めることであることを文字通り体現した人物。更に昭和神聖会運動を契機として第二次大本教弾圧事件を惹起せしめたことで、現代日本の将来を霊的に方向付けた人物。彼の影響力は広大で、生長の家など戦後興隆した有力新興宗教の半数以上が大本教系であることでもそれが知れる。宗教界以外でも軍部、皇族、政界、財界、官界に広く支持を集め、昭和10年頃大本の信者は8百万人に達していた。彼の主著霊界物語は、文字どおり、霊...出口王仁三郎のアウトライン

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-14

    ◎私と女神とは生命エネルギーの光の中へ、無限にまで溶け合っていく冥想非体験(性愛冥想)の続き『ここにセックスは、不安としての享楽刺激から、言詮不及の愛の一表現として甦る消息がある。すでに、いかなる対立も戦いもありえない。時・空・物の三元のない至福はもう至福と名づけるのも愚かしい。女神には、無数のオルガズムからの忘我的極点を。男神には射精しない持続的快感と、思いやり深き態度から、さらには、あの遙かな性愛三昧を。男性の性愛冥想者は、自我意識を霊的広がりに向かって捨て去らねばならない。射精のはかない生理的快感は、とるに足らぬものだ。女性の中に歓びと安住を頼るのではない。まず高次元意識への自己解放があり、その絶対的歓喜が魂の半身同志の交合を受容せしめるのだ。性愛は何も産まない悦楽も安らぎも産まない子供さえも産まな...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-14

  • 神の子カッサパが釈迦に質問しながら自分で回答する

    ◎想念停止、空、善行、えり好みをしない(2022-08-30)修行僧カッサパは、「釈迦が修行者として実行するための教えを説いてくれなかった」と釈迦にぼやきながら、「それは一人で暮らし瞑想し、心を静めることだ」と自分で回答し、これを釈迦に誉められた。『第二節カッサパ(その二)一〔あるとき尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の園に住しておられた。そのとき、カッサパという〈神の子〉は、夜が更けてから、容色うるわしく、ジェータ林を遍く照らして、尊師のもとにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに立った。二傍らに立ったカッサパなる〈神の子〉は、尊師のもとで次の詩をとなえた。「修行僧が瞑想に入り、心が解脱し、心の思いの起こらぬことを望み、世の興亡盛衰をさとって、善い心で、こだ...神の子カッサパが釈迦に質問しながら自分で回答する

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-13

    ◎女への情欲的束縛をやめる方法は、ただやめること冥想非体験(性愛冥想)の続き『巨大な情熱は部分的な不条理と、決して戦わないようにできている。巨大な情熱は、人間性そのものの全体的な不条理を、虚無を、眺める。彼は人間性そのものがもっているどうしようもなさを、恋女房の浮気の姿によって見切ったのだ。虚無そのものを徹見したのだ。このような全身全霊的な人間性のどうしようもなさに対する直視は、二度と彼に欲情という錯覚を起こさしめまい。もはや、彼を充実させるものは、人間性のしがらみの中にはない。彼の残された道は、この人間的世界を、絶対否定することによって、絶対肯定することしかない。それゆえ、第一ステップの欲情離脱とは、人間的世界の虚無性をどれだけ深く直視するかにかかっている。そして、虚無性の直視の深さの度合は、彼のよりよ...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-13

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-12

    ◎人間である限り、味わわねばならぬ人間のどうしようもなさ冥想非体験(性愛冥想)の続き『よろける肩を組んで浴場の方向に消えた女の顔には見覚えがあった夕刻、フロントで遇然会った芸者の一人だ四人いた中で一番美しいひとだった部屋に帰るとこんどは真剣に蛾を追いつめた襖にとまったところを叩き落として殺した蛾は仰むけになり、僅かに足を痙攣させ繊毛のある白い腹をむきだして終息したこぼれた鱗粉が死骸のまわりで鈍く光った客をよそおって泊った芸者は男とともに風呂からあがった時刻だ芸者はいい匂いがするのをぼくは知っている汚れて錆臭い処があることも知っているそこを洗って、素性の知れない団体客の一人にまたどう汚されるのであろうかそしてさっきぼくが殺した蛾のようにしどけなく夜の泥土にねむるのであろう私たちが人間の眼でこの宇宙のすべてを...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-12

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-11

    ◎あなたには、最もふさわしい妻、あるいは夫が与えられている冥想非体験(性愛冥想)の続き『これは、サルトルの哲学書『存在と無』の中に出てくる存在欲求の永遠の不満足という法則の小説化というべきものであろう。いづれにせよ自我の観念的束縛を捨てる時、人は緊張状態から自由になるのだ。緊張は深さの度合いと多様な形式を持っているが、それはつねに人間活動の自然な働きをさえぎるという点で同じである。柏木にとって性的障害は虚無を認識させる一つの契機であったが、私にとって性的障害は虚無さえも虚無化してしまう「霊的愛」への一つの出発点であった。確かに虚無には神的側面が含まれる場合がある。柏木にとって虚無は、彼の表層的な自我観念の崩壊であり、自我の植えつけられた観念的制約が崩壊することは、より深い自己自身を自由に活動せしめる。しか...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-11

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-10

    ◎自己が一切万物と本来一体であったことの歓喜冥想非体験(性愛冥想)の続き『私はあらゆる欲望の捨離を願っていたし、他のあらゆる存在から遠く離れて孤高に生きられることが自由そのものであり、私の願っているものだと考えていた。そして、思春期の欲情の嵐に苦しんでいた私に幕末の禅者、山岡鉄舟の言葉と行為は強い影響を与えた。「もし、情欲が真個、自由な人となりたければ、自ら進んで情欲海の激浪中に飛び込んで、その正体を見破って来い。」そう鉄舟は弟子に語っている。そして鉄舟自身も自身の情欲に苦しみ抜いて、二十から四十歳ぐらいの間、自ら情欲海の激浪中に飛び込むという仏教徒としては破戒的な所行を身をもって実践している。そして「情欲を疑い出してから二十年、女と接すること無数。その間に幾度となく言語を絶する苦汁をなめた。」と述懐する...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-10

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-9

    ◎光輝く生命の海冥想非体験(性愛冥想)の続き『この神であるあなたの、現実そのものの姿にほかならない。嫌悪すべき偽善的な社会性などというものが、今やどこにあろう。あなたが一切の抑圧から解放され、あなたの霊的主体を回復した時、虚無という観念の仮想はもうどこにもなく、それゆえ性愛行為は不安からの逃避のための道具ではなく、『神的愛』の一体性を表現する自然な戯れとなるのである。あなたは、あなたの自我という仮存在の虚無性を、とことん直視せねばならない。そして、そこに『冥想』という宇宙意識的自己を自覚する行が始まる。あなたは心の底の底から、本当に願うものが何であるかを知り、素直にそれを選ぶ。霊的因縁の出会いが、あなたに起こり、あなたは永遠に持続する霊的性愛の何であるかを、全身全霊で体感するであろう。自我防衛戦争の社会性...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-9

  • 生活の安定

    ◎大乗の大般涅槃経-5(2006-03-10)ある時釈迦のところに、修行僧がやってきて、「私は、いつも仏道を修行しているが、阿羅漢(修行者としての最高の境地)に達することができません」と言った。釈迦は、弟子の阿難に、この修行僧のために、生活必需品を用意するように指示した。阿難は、この修行僧を叢林に連れて行き、精舎の一室を与えた。すると件の修行僧は、さらに、ここを掃除して、調度品を整え、いろいろな宝石で装飾するように頼んできた。阿難は、その要求を怪訝に思い、お金がないのでできないとことわった。するとその修行僧は納得せず、自分で釈迦に頼みに行くと言い出したので、阿難は、修行僧より先に釈迦のところに相談に行ったところ、意外にも釈迦は、「戻って、修行僧の言うとおりに必要とする物を揃えてあげなさい」という指図をして...生活の安定

  • 死の領域を超えて彼岸に至る

    ◎三途の川の評価(2009-06-13)釈迦の言葉。『人々は多いが彼岸に達する人々は少ない。他の(多くの)人々はこなたの岸に沿ってさまよっているだけである。真理が正しく説かれたときに、真理を見通す人々は、まったく死の領域を超えて彼岸に至るであろう。』(感興のことば(第29章)/中村元訳/岩波文庫から引用)彼岸とは、日本人にとっては三途の川を渡った向こう側だと認識されている。でもおそらくそれは死の世界そのものであり、ここで釈迦が指し示している「まったく死の領域を超えた彼岸」ではない。三途の川を渡っても、別の母胎を見つけて入り込んでしまえば、もう一度迷いの人生を繰り返すだけで、まったく死の領域を超えることなどできやしない。生きながら死をも超えてしまうことこそが、釈迦の狙いであって、生前に善根を積んで、三途の川...死の領域を超えて彼岸に至る

  • 百万遍

    ◎虚空蔵菩薩のマントラ(2009-11-12)京都大学のあたりの地名が百万遍である。百万遍とは、虚空蔵菩薩求聞持法のことである。一日一万遍で、百日やるから百万遍である。虚空蔵菩薩求聞持法は、結願の日を日蝕か月蝕の日に当てる。(西洋魔術で春分、秋分を重視するのと似ているが、死の世界を扱う技術では、もともとこうしたサポートを用いるのだろう。)日蝕は数年に一回、月蝕は年2回くらいのものだから、覚鑁(かくばん)が9回虚空蔵菩薩求聞持法をこなすには5年くらいはかかるので、22~29歳の頃は、ほとんどそればかりに日を費やしていたのだろう。覚鑁(かくばん)の行状記によれば、虚空蔵菩薩求聞持法成就の時、地上に乳が湧きだし、たちまち悉地を成じ、これから身通を得て、願うところは意のままとなった。どういう悉地(シッディ)かはよ...百万遍

  • イエス出現の因縁

    ◎野立彦神の跡を慕いて(2010-05-23)霊がかりの話題はあまりしてはいけないが、出口王仁三郎は、イエス出現の因縁は、伊邪那岐尊(イザナギ)、伊邪那美尊(イザナミ)の二神の最初の出会いで、女性の伊邪那美尊(イザナミ)の方から声をかけたのだが、それで生まれた淡嶋の少名彦神のなれの果てであるとする。つまり葦船で流された蛭子が外国に長くあって、幽界修業を積んで、やがてユダヤにイエスとして現われたるものとする。女性から声をかけるという、順逆を犯すという昨今の世間的常識では問題にならないことが、イエスを十字架での贖罪に陥れせしめたもともとの原因になっている。誰が誰の生まれ変わりという話は、低級霊能者の見解(誰々は爬虫類の生まれ変わりなど)を始め、いくらでもどんな話でも転がっているもので、基本的には信用しないこと...イエス出現の因縁

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-8

    ◎人間はその霊的本質に反する状態をいつまでも持続できない冥想非体験(性愛冥想)の続き『W・ヴレイクの恋人達の渦巻きの絵画的ヴィジョンも、W・ライヒが偏執的誤解の中で、その一端をとらえたオルゴン・エネルギーも、仙道房中術でいう気ということもエロティック・タントラ・ヨーガにおける性交中のプラーナも私には実感できる現実以上の現実なのである。連帯性人間自我が虚無を見れば見るほど、彼はあらゆる外的存在との連帯を失う。現代文明の常識やモラルが人々に強制する社会適応性という規律は、弱肉強食の中で各人の自我をもっとも無難に保護するために考え出されたものにすぎない。社会人に与えられた社会的適応性の規律は、共同体の一員としての一体感、連体感の上に立てられたものではなく、無数の相克対立をくり返すエゴとエゴとの防衛合戦によって、...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-8

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-7

    ◎セックスは時間と空間を越えた神秘体験冥想非体験(性愛冥想)の続き『死と虚無とを超越した神秘的一体感は、人間関係の中で発現する美しい神秘的高揚体験であり男性原理と女性原理からなる神秘体験も結局、これと同様のものであると言える。私は、情死・心中を賛美しているのではない。性愛の神秘体験に虚無を滅尽させる世界があることを主張しているのである。性愛においては肉体的結合を除外することはできぬが、人々が一律に肉体と考えているような個定的肉体性というようなものは、実は、人々の通念が仮作した一つの幻影にすぎない。イエス・キリストにとって意味する肉体性と、現代西洋文明人の大多数が考えている肉体性とには、月とスッポンほどの違いがある。性愛神秘主義における肉体的結合とは、陰と陽との霊的結合・一体感の象徴的表現の道具にすぎない。...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-7

  • にわかyoutuber 1か月

    ◎何が本当で何がうそなのかわからない人とYouTubeYoutubeを開始してほぼ1か月。コンビニのおにいさん、おねえさんでもわかるスピリチュアルを目指してやっていますが、中味はジェイド・タブレットなので、少々難しいかもしれませんが、本物は評価される時代なので、わかってくれる人が徐々に増えればと思っています。最初に、ダンテス・ダイジのクンダリーニ上昇動画を上げて、それなりに手ごたえはありました。それから1か月たってみると、水平の道、只管打坐の下降動画もやらないといけないと考えています。只管打坐の身心脱落は、下降、無底の底への下降なので、大気圏外からのフリーフォールのイメージで、無底の底への下降動画の構想を始めました。作画では、具象に強いのはGemini、抽象、観念に強いのはcopilot、先入観が強くてす...にわかyoutuber1か月

  • 皇居の激しい空襲被害

    ◎神知らぬ民草のできることと結果(2022-05-09)第二次世界大戦末期の皇居の空襲被害については、あまりまとめて書かれたものを見たことがなかった。戦後になっても、いろいろと憚られることが多かったのだろう。『日本史の内幕/磯田道史/中央公論新社』では、宮内省主馬寮職員の日誌に次のことが書いてある由。『最初の被害は二月二十五日で「主馬寮分団・厩舎区に焼夷弾約百五十発落下」「火災を発生せる箇所、御裁縫所・済寧館(道場)前倉庫・・・用度課倉庫・内閣文庫(書庫)・御局(つぼね)等焼失」。二度目は三月十日の大空襲。「庁舎に対しては集団的焼夷弾の落下「あり」。宮内省主馬寮は全焼した。三度目は四月十三日で、皇室一家にミルクを提供する御料乳牛場の飼料庫などが焼けた。この日、雅楽奏者の職員等が焼死し、霊柩が二つ、宮内省内...皇居の激しい空襲被害

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-6

    ◎満ち足りるということの霊的意義を発見でき冥想非体験(性愛冥想)の続き『あなたは神秘的法悦の中で現象のあらゆる束縛を越えて存在するあなた自身を実感するのである。古来、宗教的冥想-坐禅や題目念仏や祈りや鎮魂帰神などは神秘体験を開示する最も直接的方法として伝授されてきた。そして宗教的冥想によって開示された絶対的充足は、冥想者の日常の生活行為すべてを神聖化するところにまで至る。神秘体験-宇宙意識との統合の上になされる性愛は他の一切の日常的行為と同じように限りなく深い価値を帯びてくる。私はこのような神聖化されたセックスが、人間の本来あるべきセックスだと考えている。ある種の隠者や宗教修行者は禁欲的生活を自らに課し、宗教的冥想のみに内的情熱のすべてをそそぎ込む。その禁欲的宗教生活の道も、その道にふさわしい個性の持ち主...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-6

  • 審神なき世界

    ◎チャネリングという修行形態の評価(2016-07-29)この時代は、人間が悪意を持つということに寛容であり、無感覚な時代である。審神とは憑依あるいは降臨した神がまず善神か悪神かを決めること。巷間では、「霊界では高位」の人物だと自称する人がしばしばあるが、その人の居る霊界が善なる霊界とは限らず、地獄的霊界であることはままある。それを見分ける技術が審神(さにわ)である。出口王仁三郎の審神論(霊界物語から)。『総て神界には正神界と邪神界との二大別あるは、この物語を一ぺん読みたる人はすでに諒解されしことならむ。されど正邪の区別は人間としていかに賢明なりといへども、これを正確に審判することは容易でない。邪神は善の仮面を被り、善言美辞を連ね、あるひは一時幸福を与へ、あるひは予言をなし、もつて審神者の心胆を蕩(とろ)...審神なき世界

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-5

    ◎性的エロティシズムは宇宙意識との合一に接近し得るか冥想非体験(性愛冥想)の続き『愛の不毛はセックスパーティーやドラッグパーティーという孤独な現代人達のゲームによく表現されているが、この愛の不毛という言い古された言葉の意味する現代的な事実は、しかし、何も現代だけのものではない。アトランティス・レムリアなどの古代黄金時代を別にすれば、人類の歴史とは愛の不毛との戦いの歴史だとも言い得る。人類にとって愛はいつも不毛であったし、人類は完全な自己解放を求めて、あらゆる事件を歴史にきざみ続けてきた。現代において特に愛の不毛やニヒリズムの問題が、人間自体の最重要問題の一つになったのは、現代人の自我意識が自我意識としての発達の臨界点にまで来たからであり、それゆえ、現代人は自我意識自体からの脱却解放を求めるようになったこと...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-5

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-4

    ◎性愛により宇宙そのものにも『無』にもなる冥想非体験(性愛冥想)の続き『あなたは逃避的な刺激としてのセックスに別れを告げることによって、この世というあらゆる錯覚から自由になる。「大死」そのものは久遠の甦りだからあなたはすべてを捨てることによって、すべてを手に入れ、セックスと現れた宇宙をすみからすみまで味わい来たり、味わい去る。私達は私達の自我と宇宙との不如意な生存に嫌になり果てている。金輪際、浮世狂言の茶番を生き続けたいとは思っていない。おめでとう、あなたの徹底的な弱さと愚かさとが、全智全能のあなた自身を誕生させたことを。冥想でない冥想や、行為でない行為や、セックスでないセックスを。あなたが楽しみはじめたことよ、おめでとう。どんなポルノグラフィーも到底及ばないめくるめく陶酔、初夏の大気にさらされるあなたと...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-4

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-3

    ◎人間としてのあなたが終わったところに、宇宙的人間としてのあなたが始まろうとする。冥想非体験(性愛冥想)の続き『この雑文には行法の具体的記述は少ない。性愛冥想の具体的行法については、別の機会に書くかもしれないが、本当は性愛冥想に関してのみ言えば、行法なぞたいした意味はない。人はセックスの超人になるために生きているのではなく何よりもこの世と、現われた神秘を戯れるためにあるのだから。性愛の冥想行法の秘儀は、いたって単純明快なものだが、単純明快なほど難しいものはないことも忘れてはならない。性愛冥想行の秘儀は、人生の秘儀や武道芸道の秘儀などと別のものではない。定力・気力の養成と智恵・愛の体得の二つを出ない。定慧不二とか絶対愛と絶対力のバランスとかは坐禅やヨーガを待つまでもなく、この世の神秘を十全に生きるための必須...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-3

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-2

    ◎はじめに◎セックスという名の自己憎悪を打ち切りにする『~はじめに~セックシャル・メディテーションナンセンスな引用を「ビー・ヒア・ナウ」の一節から取り出そう。「マイトゥナという女性の騎乗位。これは性的快感とオーガズムを弱め、実修の全コースを通じて、ふたりの意識を醒めたままにしておきやすい姿勢です」マイトゥナの性交体位とは対面坐位のことでラマ教などのヤブ・ユムの御神体の姿を思い出せばいい。どこから流行したのか知らないが、意識を醒めたままにしておくというのがメディテーションだとマインド・トリップしている人々が多い。ナンセンス。醒めたままにしておくと称する、その「意識」とやらは、一体どの意識のことをさしているのか?もともと冥想三昧には意識もヘッタクレもありはしないというのに何を血迷って『醒めた意識』なぞと主張す...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-2

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-1

    ◎由来ダンテス・ダイジの『冥想非体験(性愛冥想)』は、結構大部な原稿だが、今まで読むことのできなかったダンテス・ダイジの書のひとつである。確かにいきなり本文の最初の方から、生半可な求道者では理解できない言葉が並ぶものだから、性愛冥想という魅惑的テーマとは裏腹に読むのを断念した人も少なくないのではないか。そういう点では老子狂言と同レベルなのではないかと思う。私が老子狂言を読めるようになったのは最近である。さて、40年ほど前の夏のある日、私は南武線Y駅に降り、Iさんがやっているゲームセンターをのぞいたら、高弟のNさんがいた。Nさんから『冥想非体験(性愛冥想)』のコピーを渡され、これは、Hさんという女性が書写してくれたものだと説明してくれた。ついにダンテス・ダイジが、カーマ・ヨーガの奥秘を明かしてくれるのかと、...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-1

  • OSHOバグワンの世界の二元の始まり

    ◎表現するのは、舌であって、言霊であって、天の沼矛OSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第9章”絶対的な孤独:解放”の説明。※ヨガは存在を顕現しないものと、顕現するものに分ける。顕現しないものは1つですが、顕現するものは2つになる。顕現するとは、二元、選り好みのこと。※表現する時点で、ヨガは現実をプルシャとプラクリティの2つに分割する。表現するのは、舌であって言霊であって、天の沼矛。表現する、言葉の意義は深遠である。二元性にからんでいるとはね。※最後に知性と意識の違いについて述べ始める。知性は心身の一部であり、意識はプルシャ、究極、超越の一部。理解するのは簡単ではない。ポイントは、以下。1.クリシュナは『シュリマド・バガヴァッド・ギータ』でこう述べています、「人間が歩む道が何であれ、それは私の...OSHOバグワンの世界の二元の始まり

  • OSHOバグワンの沈黙から生まれ沈黙に返る

    ◎ブラフマン自身の向こうには何もないOSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第9章”絶対的な孤独:解放”の説明。※『人生とは、沈黙の表現。私たちは沈黙から生まれ、再び沈黙の中に溶けていく』これは、唐突だが、以降の説明で納得できる。※存在の4つの層は(1)ヴァイハーリ(果実)、物事。(2)マディヤマ(木、「中間」)感情、経験。(3)パシャンティ(何かを経験する前に内部では種子の形で動きます。)(4)パラ(すべてが生まれる根本的な存在)※物事に執着しすぎず、自分の体に執着しすぎず、自分の心に執着しすぎず、まったく執着していなければ、あなたは突然、パラに溶け込んでしう。それが解放。ポイントは、以下。1.ヨーガスートラの経文:プルシャ(純粋意識)とサットヴァ(光明、純粋さ)の間に純粋さが等しければ、解放...OSHOバグワンの沈黙から生まれ沈黙に返る

  • 臨死での冥想

  • 親切な師家

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