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2024/05/30

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  • 出口王仁三郎の神の目

    ◎この世の狂人(2006-09-19)神を知らない者は狂人(きちがい)であるとは、覚者から見た、神を知らない人に対する率直な評価。しかし、それは禅の世界などでもごくあたり前のこと。平常心これ道などというが、平常心とは、神を知る心のことであって、神を知らない者のウツウツとして楽しまぬ気分のことをいうのではない。だから私のように神を見たことがない者が神のことを語るのは、狂人のたわごとということになってしまう。『今の世の人間社会を見渡せば皆狂人(きちがい)の寄り合いなりけり神という尊きものをかかへながらそれを知らざる人間狂人(きちがい)知らず知らず悪魔の器となりながら聖人ぶれる人間狂人(きちがい)人間は神と悪魔をかかへつつ喜怒哀楽の巷に迷ふ大方の今の人間神の目ゆ見たまふ時は狂人(きちがい)なりけり現世に孤独の生...出口王仁三郎の神の目

  • 一万以上の都市

    ◎出口王仁三郎のビジョン(2010-04-19)次なるは出口王仁三郎のビジョン。『○一万以上の都市一万以上の都市は全部焼ける。(昭和20年5月29日)』(新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店から引用)『○火の雨(終戦三ヶ月前に)(問)火の雨が降りましたね。(答)あれは人間の造ったものだ。今にほんまの火の雨が降る。戦争は負ける。(問)負けることはありますまい。(答)馬鹿、お前たちにわかるかい。(佐藤尊勇氏拝聴)』(新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店から引用)先の大戦の空襲でも一万以上の都市が全部焼けたわけではないので、これからのことを言っている。物質文明、火力文明がほとんど残らないのであれば、日本だけの災厄ではなく、世界的な事象として起きるのだろうか。一万以上の都市

  • 上泉伊勢守と禅僧

    ◎誘拐事件と上泉伊勢守(2013-09-06)戦国時代の剣の達人上泉伊勢守は、神陰流の創始者である。上泉伊勢守は、一日、武者修行にあって、山々に囲まれた小さな村を通りかかった。するとその村では、荒くれ男が、村の子供をさらって一軒家に立てこもって、「自分に怪我をさせたり、自分を捕まえようとするならば、その子供を殺してしまうぞ」と脅迫し、村じゅうの騒ぎになっていた。この状況を理解した上泉伊勢守は、たまたま一人の旅の禅僧が通りかかるのを見かけ、その墨染めの衣を借用したいと申し入れ、更に本物の禅僧に見えるように自分の頭を剃ってもらった。さて上泉伊勢守は、弁当を二つ抱えて件の一軒家の方へ近づいた。その狼藉者に、「拙者は出家の身で、貴殿をどうこうしようというつもりはない。ただ子供の親がわが子もひもじかろうとて、弁当を...上泉伊勢守と禅僧

  • 出口王仁三郎のパパ

    ◎有栖川宮熾仁親王説(2007-10-28)出口王仁三郎は、第二次大本事件の時も、大罪(不敬罪)であったにも係わらず、拘留途中で刑務所から謎の釈放を遂げている。この理由は官憲からは勿論通告はないが、出口王仁三郎が有栖川宮熾仁親王のご落胤であったためではないかという説が有る。戦前に、天皇周辺にも影響力のあるあれだけの大教団を作り上げるには、本人の実力もさることながら、そういった血脈がなければ、なかなか大を成すことはむずかしかったのではないか。有栖川宮家は、寛文七年(1667年)に幸仁親王が有栖川宮家を称したのが始まり。有栖川宮熾仁親王は、1851年、17歳で孝明天皇の異母妹和宮(6歳)とご婚約。11年後の1862年勅命により、和宮は婚約解消され、将軍家茂とご婚約となった。熾仁親王は、和宮の一件から当然に倒幕...出口王仁三郎のパパ

  • 出口王仁三郎のアウトライン

    ◎天地(あめつち)の神の宮居(みやい)と生まれたる人の神魂(みたま)ぞ清くもたまし出口王仁三郎は、いまの日本では大本教の関係者と日月神示に関心のある人くらいにしか興味を持たれていないが、実は江戸時代初期の天海僧正以来の大クンダリーニ・ヨーギ=古神道家であり、生涯6度死んだと広言し、クンダリーニ・ヨーガとは死の世界を窮めることであることを文字通り体現した人物。更に昭和神聖会運動を契機として第二次大本教弾圧事件を惹起せしめたことで、現代日本の将来を霊的に方向付けた人物。彼の影響力は広大で、生長の家など戦後興隆した有力新興宗教の半数以上が大本教系であることでもそれが知れる。宗教界以外でも軍部、皇族、政界、財界、官界に広く支持を集め、昭和10年頃大本の信者は8百万人に達していた。彼の主著霊界物語は、文字どおり、霊...出口王仁三郎のアウトライン

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-14

    ◎私と女神とは生命エネルギーの光の中へ、無限にまで溶け合っていく冥想非体験(性愛冥想)の続き『ここにセックスは、不安としての享楽刺激から、言詮不及の愛の一表現として甦る消息がある。すでに、いかなる対立も戦いもありえない。時・空・物の三元のない至福はもう至福と名づけるのも愚かしい。女神には、無数のオルガズムからの忘我的極点を。男神には射精しない持続的快感と、思いやり深き態度から、さらには、あの遙かな性愛三昧を。男性の性愛冥想者は、自我意識を霊的広がりに向かって捨て去らねばならない。射精のはかない生理的快感は、とるに足らぬものだ。女性の中に歓びと安住を頼るのではない。まず高次元意識への自己解放があり、その絶対的歓喜が魂の半身同志の交合を受容せしめるのだ。性愛は何も産まない悦楽も安らぎも産まない子供さえも産まな...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-14

  • 神の子カッサパが釈迦に質問しながら自分で回答する

    ◎想念停止、空、善行、えり好みをしない(2022-08-30)修行僧カッサパは、「釈迦が修行者として実行するための教えを説いてくれなかった」と釈迦にぼやきながら、「それは一人で暮らし瞑想し、心を静めることだ」と自分で回答し、これを釈迦に誉められた。『第二節カッサパ(その二)一〔あるとき尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の園に住しておられた。そのとき、カッサパという〈神の子〉は、夜が更けてから、容色うるわしく、ジェータ林を遍く照らして、尊師のもとにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに立った。二傍らに立ったカッサパなる〈神の子〉は、尊師のもとで次の詩をとなえた。「修行僧が瞑想に入り、心が解脱し、心の思いの起こらぬことを望み、世の興亡盛衰をさとって、善い心で、こだ...神の子カッサパが釈迦に質問しながら自分で回答する

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-13

    ◎女への情欲的束縛をやめる方法は、ただやめること冥想非体験(性愛冥想)の続き『巨大な情熱は部分的な不条理と、決して戦わないようにできている。巨大な情熱は、人間性そのものの全体的な不条理を、虚無を、眺める。彼は人間性そのものがもっているどうしようもなさを、恋女房の浮気の姿によって見切ったのだ。虚無そのものを徹見したのだ。このような全身全霊的な人間性のどうしようもなさに対する直視は、二度と彼に欲情という錯覚を起こさしめまい。もはや、彼を充実させるものは、人間性のしがらみの中にはない。彼の残された道は、この人間的世界を、絶対否定することによって、絶対肯定することしかない。それゆえ、第一ステップの欲情離脱とは、人間的世界の虚無性をどれだけ深く直視するかにかかっている。そして、虚無性の直視の深さの度合は、彼のよりよ...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-13

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-12

    ◎人間である限り、味わわねばならぬ人間のどうしようもなさ冥想非体験(性愛冥想)の続き『よろける肩を組んで浴場の方向に消えた女の顔には見覚えがあった夕刻、フロントで遇然会った芸者の一人だ四人いた中で一番美しいひとだった部屋に帰るとこんどは真剣に蛾を追いつめた襖にとまったところを叩き落として殺した蛾は仰むけになり、僅かに足を痙攣させ繊毛のある白い腹をむきだして終息したこぼれた鱗粉が死骸のまわりで鈍く光った客をよそおって泊った芸者は男とともに風呂からあがった時刻だ芸者はいい匂いがするのをぼくは知っている汚れて錆臭い処があることも知っているそこを洗って、素性の知れない団体客の一人にまたどう汚されるのであろうかそしてさっきぼくが殺した蛾のようにしどけなく夜の泥土にねむるのであろう私たちが人間の眼でこの宇宙のすべてを...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-12

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-11

    ◎あなたには、最もふさわしい妻、あるいは夫が与えられている冥想非体験(性愛冥想)の続き『これは、サルトルの哲学書『存在と無』の中に出てくる存在欲求の永遠の不満足という法則の小説化というべきものであろう。いづれにせよ自我の観念的束縛を捨てる時、人は緊張状態から自由になるのだ。緊張は深さの度合いと多様な形式を持っているが、それはつねに人間活動の自然な働きをさえぎるという点で同じである。柏木にとって性的障害は虚無を認識させる一つの契機であったが、私にとって性的障害は虚無さえも虚無化してしまう「霊的愛」への一つの出発点であった。確かに虚無には神的側面が含まれる場合がある。柏木にとって虚無は、彼の表層的な自我観念の崩壊であり、自我の植えつけられた観念的制約が崩壊することは、より深い自己自身を自由に活動せしめる。しか...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-11

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-10

    ◎自己が一切万物と本来一体であったことの歓喜冥想非体験(性愛冥想)の続き『私はあらゆる欲望の捨離を願っていたし、他のあらゆる存在から遠く離れて孤高に生きられることが自由そのものであり、私の願っているものだと考えていた。そして、思春期の欲情の嵐に苦しんでいた私に幕末の禅者、山岡鉄舟の言葉と行為は強い影響を与えた。「もし、情欲が真個、自由な人となりたければ、自ら進んで情欲海の激浪中に飛び込んで、その正体を見破って来い。」そう鉄舟は弟子に語っている。そして鉄舟自身も自身の情欲に苦しみ抜いて、二十から四十歳ぐらいの間、自ら情欲海の激浪中に飛び込むという仏教徒としては破戒的な所行を身をもって実践している。そして「情欲を疑い出してから二十年、女と接すること無数。その間に幾度となく言語を絶する苦汁をなめた。」と述懐する...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-10

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-9

    ◎光輝く生命の海冥想非体験(性愛冥想)の続き『この神であるあなたの、現実そのものの姿にほかならない。嫌悪すべき偽善的な社会性などというものが、今やどこにあろう。あなたが一切の抑圧から解放され、あなたの霊的主体を回復した時、虚無という観念の仮想はもうどこにもなく、それゆえ性愛行為は不安からの逃避のための道具ではなく、『神的愛』の一体性を表現する自然な戯れとなるのである。あなたは、あなたの自我という仮存在の虚無性を、とことん直視せねばならない。そして、そこに『冥想』という宇宙意識的自己を自覚する行が始まる。あなたは心の底の底から、本当に願うものが何であるかを知り、素直にそれを選ぶ。霊的因縁の出会いが、あなたに起こり、あなたは永遠に持続する霊的性愛の何であるかを、全身全霊で体感するであろう。自我防衛戦争の社会性...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-9

  • 生活の安定

    ◎大乗の大般涅槃経-5(2006-03-10)ある時釈迦のところに、修行僧がやってきて、「私は、いつも仏道を修行しているが、阿羅漢(修行者としての最高の境地)に達することができません」と言った。釈迦は、弟子の阿難に、この修行僧のために、生活必需品を用意するように指示した。阿難は、この修行僧を叢林に連れて行き、精舎の一室を与えた。すると件の修行僧は、さらに、ここを掃除して、調度品を整え、いろいろな宝石で装飾するように頼んできた。阿難は、その要求を怪訝に思い、お金がないのでできないとことわった。するとその修行僧は納得せず、自分で釈迦に頼みに行くと言い出したので、阿難は、修行僧より先に釈迦のところに相談に行ったところ、意外にも釈迦は、「戻って、修行僧の言うとおりに必要とする物を揃えてあげなさい」という指図をして...生活の安定

  • 死の領域を超えて彼岸に至る

    ◎三途の川の評価(2009-06-13)釈迦の言葉。『人々は多いが彼岸に達する人々は少ない。他の(多くの)人々はこなたの岸に沿ってさまよっているだけである。真理が正しく説かれたときに、真理を見通す人々は、まったく死の領域を超えて彼岸に至るであろう。』(感興のことば(第29章)/中村元訳/岩波文庫から引用)彼岸とは、日本人にとっては三途の川を渡った向こう側だと認識されている。でもおそらくそれは死の世界そのものであり、ここで釈迦が指し示している「まったく死の領域を超えた彼岸」ではない。三途の川を渡っても、別の母胎を見つけて入り込んでしまえば、もう一度迷いの人生を繰り返すだけで、まったく死の領域を超えることなどできやしない。生きながら死をも超えてしまうことこそが、釈迦の狙いであって、生前に善根を積んで、三途の川...死の領域を超えて彼岸に至る

  • 百万遍

    ◎虚空蔵菩薩のマントラ(2009-11-12)京都大学のあたりの地名が百万遍である。百万遍とは、虚空蔵菩薩求聞持法のことである。一日一万遍で、百日やるから百万遍である。虚空蔵菩薩求聞持法は、結願の日を日蝕か月蝕の日に当てる。(西洋魔術で春分、秋分を重視するのと似ているが、死の世界を扱う技術では、もともとこうしたサポートを用いるのだろう。)日蝕は数年に一回、月蝕は年2回くらいのものだから、覚鑁(かくばん)が9回虚空蔵菩薩求聞持法をこなすには5年くらいはかかるので、22~29歳の頃は、ほとんどそればかりに日を費やしていたのだろう。覚鑁(かくばん)の行状記によれば、虚空蔵菩薩求聞持法成就の時、地上に乳が湧きだし、たちまち悉地を成じ、これから身通を得て、願うところは意のままとなった。どういう悉地(シッディ)かはよ...百万遍

  • イエス出現の因縁

    ◎野立彦神の跡を慕いて(2010-05-23)霊がかりの話題はあまりしてはいけないが、出口王仁三郎は、イエス出現の因縁は、伊邪那岐尊(イザナギ)、伊邪那美尊(イザナミ)の二神の最初の出会いで、女性の伊邪那美尊(イザナミ)の方から声をかけたのだが、それで生まれた淡嶋の少名彦神のなれの果てであるとする。つまり葦船で流された蛭子が外国に長くあって、幽界修業を積んで、やがてユダヤにイエスとして現われたるものとする。女性から声をかけるという、順逆を犯すという昨今の世間的常識では問題にならないことが、イエスを十字架での贖罪に陥れせしめたもともとの原因になっている。誰が誰の生まれ変わりという話は、低級霊能者の見解(誰々は爬虫類の生まれ変わりなど)を始め、いくらでもどんな話でも転がっているもので、基本的には信用しないこと...イエス出現の因縁

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-8

    ◎人間はその霊的本質に反する状態をいつまでも持続できない冥想非体験(性愛冥想)の続き『W・ヴレイクの恋人達の渦巻きの絵画的ヴィジョンも、W・ライヒが偏執的誤解の中で、その一端をとらえたオルゴン・エネルギーも、仙道房中術でいう気ということもエロティック・タントラ・ヨーガにおける性交中のプラーナも私には実感できる現実以上の現実なのである。連帯性人間自我が虚無を見れば見るほど、彼はあらゆる外的存在との連帯を失う。現代文明の常識やモラルが人々に強制する社会適応性という規律は、弱肉強食の中で各人の自我をもっとも無難に保護するために考え出されたものにすぎない。社会人に与えられた社会的適応性の規律は、共同体の一員としての一体感、連体感の上に立てられたものではなく、無数の相克対立をくり返すエゴとエゴとの防衛合戦によって、...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-8

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-7

    ◎セックスは時間と空間を越えた神秘体験冥想非体験(性愛冥想)の続き『死と虚無とを超越した神秘的一体感は、人間関係の中で発現する美しい神秘的高揚体験であり男性原理と女性原理からなる神秘体験も結局、これと同様のものであると言える。私は、情死・心中を賛美しているのではない。性愛の神秘体験に虚無を滅尽させる世界があることを主張しているのである。性愛においては肉体的結合を除外することはできぬが、人々が一律に肉体と考えているような個定的肉体性というようなものは、実は、人々の通念が仮作した一つの幻影にすぎない。イエス・キリストにとって意味する肉体性と、現代西洋文明人の大多数が考えている肉体性とには、月とスッポンほどの違いがある。性愛神秘主義における肉体的結合とは、陰と陽との霊的結合・一体感の象徴的表現の道具にすぎない。...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-7

  • にわかyoutuber 1か月

    ◎何が本当で何がうそなのかわからない人とYouTubeYoutubeを開始してほぼ1か月。コンビニのおにいさん、おねえさんでもわかるスピリチュアルを目指してやっていますが、中味はジェイド・タブレットなので、少々難しいかもしれませんが、本物は評価される時代なので、わかってくれる人が徐々に増えればと思っています。最初に、ダンテス・ダイジのクンダリーニ上昇動画を上げて、それなりに手ごたえはありました。それから1か月たってみると、水平の道、只管打坐の下降動画もやらないといけないと考えています。只管打坐の身心脱落は、下降、無底の底への下降なので、大気圏外からのフリーフォールのイメージで、無底の底への下降動画の構想を始めました。作画では、具象に強いのはGemini、抽象、観念に強いのはcopilot、先入観が強くてす...にわかyoutuber1か月

  • 皇居の激しい空襲被害

    ◎神知らぬ民草のできることと結果(2022-05-09)第二次世界大戦末期の皇居の空襲被害については、あまりまとめて書かれたものを見たことがなかった。戦後になっても、いろいろと憚られることが多かったのだろう。『日本史の内幕/磯田道史/中央公論新社』では、宮内省主馬寮職員の日誌に次のことが書いてある由。『最初の被害は二月二十五日で「主馬寮分団・厩舎区に焼夷弾約百五十発落下」「火災を発生せる箇所、御裁縫所・済寧館(道場)前倉庫・・・用度課倉庫・内閣文庫(書庫)・御局(つぼね)等焼失」。二度目は三月十日の大空襲。「庁舎に対しては集団的焼夷弾の落下「あり」。宮内省主馬寮は全焼した。三度目は四月十三日で、皇室一家にミルクを提供する御料乳牛場の飼料庫などが焼けた。この日、雅楽奏者の職員等が焼死し、霊柩が二つ、宮内省内...皇居の激しい空襲被害

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-6

    ◎満ち足りるということの霊的意義を発見でき冥想非体験(性愛冥想)の続き『あなたは神秘的法悦の中で現象のあらゆる束縛を越えて存在するあなた自身を実感するのである。古来、宗教的冥想-坐禅や題目念仏や祈りや鎮魂帰神などは神秘体験を開示する最も直接的方法として伝授されてきた。そして宗教的冥想によって開示された絶対的充足は、冥想者の日常の生活行為すべてを神聖化するところにまで至る。神秘体験-宇宙意識との統合の上になされる性愛は他の一切の日常的行為と同じように限りなく深い価値を帯びてくる。私はこのような神聖化されたセックスが、人間の本来あるべきセックスだと考えている。ある種の隠者や宗教修行者は禁欲的生活を自らに課し、宗教的冥想のみに内的情熱のすべてをそそぎ込む。その禁欲的宗教生活の道も、その道にふさわしい個性の持ち主...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-6

  • 審神なき世界

    ◎チャネリングという修行形態の評価(2016-07-29)この時代は、人間が悪意を持つということに寛容であり、無感覚な時代である。審神とは憑依あるいは降臨した神がまず善神か悪神かを決めること。巷間では、「霊界では高位」の人物だと自称する人がしばしばあるが、その人の居る霊界が善なる霊界とは限らず、地獄的霊界であることはままある。それを見分ける技術が審神(さにわ)である。出口王仁三郎の審神論(霊界物語から)。『総て神界には正神界と邪神界との二大別あるは、この物語を一ぺん読みたる人はすでに諒解されしことならむ。されど正邪の区別は人間としていかに賢明なりといへども、これを正確に審判することは容易でない。邪神は善の仮面を被り、善言美辞を連ね、あるひは一時幸福を与へ、あるひは予言をなし、もつて審神者の心胆を蕩(とろ)...審神なき世界

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-5

    ◎性的エロティシズムは宇宙意識との合一に接近し得るか冥想非体験(性愛冥想)の続き『愛の不毛はセックスパーティーやドラッグパーティーという孤独な現代人達のゲームによく表現されているが、この愛の不毛という言い古された言葉の意味する現代的な事実は、しかし、何も現代だけのものではない。アトランティス・レムリアなどの古代黄金時代を別にすれば、人類の歴史とは愛の不毛との戦いの歴史だとも言い得る。人類にとって愛はいつも不毛であったし、人類は完全な自己解放を求めて、あらゆる事件を歴史にきざみ続けてきた。現代において特に愛の不毛やニヒリズムの問題が、人間自体の最重要問題の一つになったのは、現代人の自我意識が自我意識としての発達の臨界点にまで来たからであり、それゆえ、現代人は自我意識自体からの脱却解放を求めるようになったこと...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-5

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-4

    ◎性愛により宇宙そのものにも『無』にもなる冥想非体験(性愛冥想)の続き『あなたは逃避的な刺激としてのセックスに別れを告げることによって、この世というあらゆる錯覚から自由になる。「大死」そのものは久遠の甦りだからあなたはすべてを捨てることによって、すべてを手に入れ、セックスと現れた宇宙をすみからすみまで味わい来たり、味わい去る。私達は私達の自我と宇宙との不如意な生存に嫌になり果てている。金輪際、浮世狂言の茶番を生き続けたいとは思っていない。おめでとう、あなたの徹底的な弱さと愚かさとが、全智全能のあなた自身を誕生させたことを。冥想でない冥想や、行為でない行為や、セックスでないセックスを。あなたが楽しみはじめたことよ、おめでとう。どんなポルノグラフィーも到底及ばないめくるめく陶酔、初夏の大気にさらされるあなたと...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-4

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-3

    ◎人間としてのあなたが終わったところに、宇宙的人間としてのあなたが始まろうとする。冥想非体験(性愛冥想)の続き『この雑文には行法の具体的記述は少ない。性愛冥想の具体的行法については、別の機会に書くかもしれないが、本当は性愛冥想に関してのみ言えば、行法なぞたいした意味はない。人はセックスの超人になるために生きているのではなく何よりもこの世と、現われた神秘を戯れるためにあるのだから。性愛の冥想行法の秘儀は、いたって単純明快なものだが、単純明快なほど難しいものはないことも忘れてはならない。性愛冥想行の秘儀は、人生の秘儀や武道芸道の秘儀などと別のものではない。定力・気力の養成と智恵・愛の体得の二つを出ない。定慧不二とか絶対愛と絶対力のバランスとかは坐禅やヨーガを待つまでもなく、この世の神秘を十全に生きるための必須...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-3

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-2

    ◎はじめに◎セックスという名の自己憎悪を打ち切りにする『~はじめに~セックシャル・メディテーションナンセンスな引用を「ビー・ヒア・ナウ」の一節から取り出そう。「マイトゥナという女性の騎乗位。これは性的快感とオーガズムを弱め、実修の全コースを通じて、ふたりの意識を醒めたままにしておきやすい姿勢です」マイトゥナの性交体位とは対面坐位のことでラマ教などのヤブ・ユムの御神体の姿を思い出せばいい。どこから流行したのか知らないが、意識を醒めたままにしておくというのがメディテーションだとマインド・トリップしている人々が多い。ナンセンス。醒めたままにしておくと称する、その「意識」とやらは、一体どの意識のことをさしているのか?もともと冥想三昧には意識もヘッタクレもありはしないというのに何を血迷って『醒めた意識』なぞと主張す...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-2

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-1

    ◎由来ダンテス・ダイジの『冥想非体験(性愛冥想)』は、結構大部な原稿だが、今まで読むことのできなかったダンテス・ダイジの書のひとつである。確かにいきなり本文の最初の方から、生半可な求道者では理解できない言葉が並ぶものだから、性愛冥想という魅惑的テーマとは裏腹に読むのを断念した人も少なくないのではないか。そういう点では老子狂言と同レベルなのではないかと思う。私が老子狂言を読めるようになったのは最近である。さて、40年ほど前の夏のある日、私は南武線Y駅に降り、Iさんがやっているゲームセンターをのぞいたら、高弟のNさんがいた。Nさんから『冥想非体験(性愛冥想)』のコピーを渡され、これは、Hさんという女性が書写してくれたものだと説明してくれた。ついにダンテス・ダイジが、カーマ・ヨーガの奥秘を明かしてくれるのかと、...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-1

  • OSHOバグワンの世界の二元の始まり

    ◎表現するのは、舌であって、言霊であって、天の沼矛OSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第9章”絶対的な孤独:解放”の説明。※ヨガは存在を顕現しないものと、顕現するものに分ける。顕現しないものは1つですが、顕現するものは2つになる。顕現するとは、二元、選り好みのこと。※表現する時点で、ヨガは現実をプルシャとプラクリティの2つに分割する。表現するのは、舌であって言霊であって、天の沼矛。表現する、言葉の意義は深遠である。二元性にからんでいるとはね。※最後に知性と意識の違いについて述べ始める。知性は心身の一部であり、意識はプルシャ、究極、超越の一部。理解するのは簡単ではない。ポイントは、以下。1.クリシュナは『シュリマド・バガヴァッド・ギータ』でこう述べています、「人間が歩む道が何であれ、それは私の...OSHOバグワンの世界の二元の始まり

  • OSHOバグワンの沈黙から生まれ沈黙に返る

    ◎ブラフマン自身の向こうには何もないOSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第9章”絶対的な孤独:解放”の説明。※『人生とは、沈黙の表現。私たちは沈黙から生まれ、再び沈黙の中に溶けていく』これは、唐突だが、以降の説明で納得できる。※存在の4つの層は(1)ヴァイハーリ(果実)、物事。(2)マディヤマ(木、「中間」)感情、経験。(3)パシャンティ(何かを経験する前に内部では種子の形で動きます。)(4)パラ(すべてが生まれる根本的な存在)※物事に執着しすぎず、自分の体に執着しすぎず、自分の心に執着しすぎず、まったく執着していなければ、あなたは突然、パラに溶け込んでしう。それが解放。ポイントは、以下。1.ヨーガスートラの経文:プルシャ(純粋意識)とサットヴァ(光明、純粋さ)の間に純粋さが等しければ、解放...OSHOバグワンの沈黙から生まれ沈黙に返る

  • 臨死での冥想

  • 親切な師家

  • OSHOバグワンの全知と時間

    ◎究極の知識は稲妻のようなもので、突然、単一のビジョンで全体が見えますOSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第7章”最高の知識:すべてを一度に”の説明。※『究極の知識は完全かつ絶対的なものです。一瞬ですべてが明らかになる。』とは、パノラマ現象とか、一炊の夢というようにソフトに表現されているのだろう。(まことかたればきくひとはなし(本居宣長))ポイントは、以下。1.ヨーガスートラの経文:現実の認識から生まれる最高の知識は超越的であり、すべての対象の同時的な認識を含み、過去、現在、未来のあらゆる対象とプロセスに関わり、世界のプロセスを超越する。...そしてプロセスの世界を超え、すべてのプロセスの世界を超えます。タラカムサルヴァヴィシャヤムサルヴァヴィシャヤムアクラム・チェティ・ヴィヴェカジャム・ギ...OSHOバグワンの全知と時間

  • OSHOバグワンのすべての事物の同時認識

    ◎覚者は、過去、現在、未来のすべてのオブジェクトとプロセスを知るOSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第7章”最高の知識:すべてを一度に”の説明。※時間には、時系列時間(「時間的」時間)、心理的時間、現実的時間がある。※ここでは、覚者の現実認識が、物事の中に入り込み、外側からの定義なしに知ることができるとしている。だから覚者は弟子の一挙手一投足を、話もしないのに知っている。※冥想修行者は、狂人の世界を意識的に通過しないときつい。ポイントは、以下。1.ヨーガスートラの経文瞬間とその連続(時間の流れ)に対するサンヤマ(集中、瞑想、没入)によって、識別から生じる知識(識別知)が得られる2.あなたは時系列の中で生きています。そうすればあなたは新聞の世界で生きます。そして、あなたは政治家、狂った野心的な...OSHOバグワンのすべての事物の同時認識

  • OSHOバグワンの現在、未来、過去の区別が消える

    ◎サトリ、サマディの目を通して時間を見ることができれば、時間は消える。OSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第7章”最高の知識:すべてを一度に”の説明。※過去、現在、未来というプロセスとしての時間は、欲望によって生み出される。※サマーディを意識して見る瞬間から、現在、未来、過去の区別が消える。その時、欲望は消える。「サマーディを意識して見る」とは、見ている自分がなくなるということか。ポイントは、以下、1.ヨーガスートラの経文『現在の瞬間、過ぎ去った瞬間、そしてこれから来る瞬間に対してサンヤマ(結合、集中、瞑想)を行うことは、究極の現実の認識から生まれる知識をもたらす。』2.もしあなたがサマーディの意識を時間の過程に、つまり過ぎ去った瞬間に、そしてこれから来る瞬間に――サマーディをもたらしたなら...OSHOバグワンの現在、未来、過去の区別が消える

  • OSHOバグワンの時間の謎

    ◎時間には「時間的」、「心理的」、「現実的」の3種の時間がある。OSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第7章”最高の知識:すべてを一度に”の説明。※時間には3種あって、「時間的」時間、「心理的」時間、そして3つ目は「現実的」時間。「現実的」時間が大悟覚醒者の時間だが、過去も未来もなく現在だけある。理由は、過去と現在、未来と現在をつなぐ時間がないから。これは、理屈でなく、体験とはいえない体験を経ないと納得できないのだろう。またこの話は、隙間理論とからんでいる。ポイントは、以下1.ヨーガスートラの経文『現在の瞬間、過ぎ去った瞬間、そしてこれから来る瞬間に対してサンヤマ(結合、集中、瞑想)を行うことは、究極の現実の認識から生まれる知識をもたらす。これによって、種類、特徴、場所によって識別できない類似...OSHOバグワンの時間の謎

  • OSHOバグワンの霊能力、超能力にこだわるな

    ◎霊能力、超能力にこだわれば、悪の復活の可能性OSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第5章”エゴの最後の攻撃”の説明。※OSHOバグワンは、霊能力、超能力にこだわれば、悪の復活の可能性があることをパタンジャリが述べたことを、賞賛している。霊能力、超能力は、いわば人生のチート技であって、そうした能力を持たない人にとっては垂涎の的。霊能力者、超能力者は、人間にも歓迎され、あの世の生き物にも歓迎されるが、そこがかえって危ない。最後はすべてを捨てねばならないのに。ポイントは、以下。1.ヨーガスートラの経文『様々な次元を司る超自然的な存在からの誘いに対して、いかなる執着や誇りも避けるべきです。なぜなら、それは悪の復活の可能性をもたらすからです。』2.各チャクラには独自の力があります。それらを通過すると、...OSHOバグワンの霊能力、超能力にこだわるな

  • にわかYouTuberの思い

    ◎コンビニのおにいさん、おねえさんでもわかるスピリチュアルここ1か月、結構忙しくしていたのは、前半は、OSHOバグワンの未邦訳文の英訳で忙しく、後半は本格的にYouTube動画作成に参戦し、一日1~2本のペースでアップしているから。チャンネル登録は、今のところ6人です。ありがとうございます。ここにきて、人工音声の読み間違い訂正のこつがわかってきたが、それでも3分以下の動画なら制作に1時間、7分から10分動画なら3時間かかっている。そもそも動画作りをやろうと思ったのは、YouTubeでクンダリーニで検索すると、闇雲にクンダリーニを上げるのがいいんだみたいな動画が無数にあるのとNAOKIMANの大成功である。NAOKIMANは、ミステリー、スピリチュアル、精神世界、宇宙、陰謀、都市伝説、ライフハックなどのネタ...にわかYouTuberの思い

  • OSHOバグワンの異性を愛す、犬猫を愛す

    ◎OSHOバグワンが飼い犬の本音を聞くOSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第5章”エゴの最後の攻撃”の説明。※超能力、霊能力を得た時こそ、あなたに対するエゴの最後の攻撃。※束縛の種は執着。そして解放の種は愛。※OSHOバグワンが聞いた飼い犬の本音は、なにか男社会の処世術の香りがする。※異性への愛着、犬への愛着、猫への愛着、モノへの愛着、霊能力への愛着、超能力への愛着などすべて捨てられねばカイヴァリヤはない。第9巻第5章”エゴの最後の攻撃”の冒頭のヨーガスートラの経文。『これらの力にさえ執着しないことによって、束縛の種は破壊されます。そして、カイヴァリヤ、すなわち解放が続きます。様々な次元を司る超自然的な存在からの誘いに対して、いかなる執着や誇りも避けるべきです。なぜなら、それは悪の復活の可能...OSHOバグワンの異性を愛す、犬猫を愛す

  • OSHOバグワンの自分がエゴイストであることを知る

    ◎あなたがエゴイストであることは誰もが知っているOSHOバグワンが、グループセラピーの有効性について説く。個人セラピーより、患者本人が、自分の問題点について気がつきやすいからだ。これは精神病患者のことを言っているが、冥想修行者にとって、どの程度自分の我欲、見ている自分を残しているかを覚るのに参考となるところがある。だが、最後は、自分で自分に向き合わねばならない。OSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第5章”エゴの最後の攻撃”から仮訳。『(仮訳)あなたを除いて、ほとんどの人があなたのどこが間違っているかを知っています。あなたがエゴイストであることは誰もが知っています-あなたを除いて。自分が謙虚な人、単純な人だと思っているのはあなただけです。あなたの複雑さは誰もが知っています。あなたのダブルバイン...OSHOバグワンの自分がエゴイストであることを知る

  • OSHOバグワンのすべてを捨ててすべてを得るメカニズム

    ◎効果も目的もない冥想に向かうためにOSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第5章”エゴの最後の攻撃”の説明。※効果も目的もない冥想に向かうには、次の3段階がある。まず世俗の達成した願望が死によってすべてなくなることを思い知り、世俗の願望を見切り、捨てる。次に霊能力、超能力のスピリチュアルな欲望を見切り、捨てる。ここでスタート地点。やがて冥想により、すべてを捨ててすべてを得る。ポイントは、以下。この世で無執着になるのは非常に難しいですが、スピリチュアルな世界が扉を開くと、無執着になるのはさらに難しくなります。なぜなら、世俗的な権力は決してあなたを満足させませんから。世俗的な事柄において無執着であることはそれほど難しいことではありません(どんなに大きな家を建てることができても、政治的、経済的、社会...OSHOバグワンのすべてを捨ててすべてを得るメカニズム

  • OSHOバグワンの人が自分自身の内面の状態の外側になること

    ◎気づきについて冥想するOSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第3章瞬間的な認知”の説明。※『あなたは肉体ではないことを知り、あなたは感覚ではないことを知り、あなたはタンマトラではなく、感覚の背後にあるエネルギープールではないことを知り、知性もエネルギーのプールであることがわかる』このように徐々に進むから垂直の道。※『「瞑想のテクニックは、人が自分自身の内面の状態の外側になることを可能にするアプローチを提供します。」そして瞑想の究極は、自分が知ることができるものは何でも、それは自分ではないことを知ることです。既知のオブジェクトに還元できるものは何であれ、あなたはそれではありません。なぜなら、あなたはオブジェクトに還元できないからです。あなたは永遠に従属し続ける――知る者、知る者、知る者。そして...OSHOバグワンの人が自分自身の内面の状態の外側になること

  • 中国ガラガラ、中国スカスカ

    ◎嵐の前の静けさ中国では、春節期間中も、主要駅、空港、大型ショッピングセンターで人がいないことが話題になっている。春節期間中は、帰省の時期だから、駅、空港には、人があふれるのが常だから異様である。春節期間中でない時期も、中国の主要駅、空港、大型ショッピングセンター、昔の繁華街の散歩(王府井など)もひどく閑散としている。その理由は、表向き、中国経済は現在、不動産市場の低迷や若年層の失業率の高さなど、多くの課題に直面していること。これにより、消費者の購買意欲が低下し、旅行や買い物などの支出を控える傾向が強まっていることなど。だが、どこへ行っても中国のスカスカぶりは、目にあまり、異形なので、最近は、外国のメディアが記事に上げ始めた。上海ロックダウンは、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、2022年3月末~...中国ガラガラ、中国スカスカ

  • OSHOバグワンの微細なエネルギー、タンマトラ

    ◎タンマトラを見ることができれば、より粗大な道具を使わずに認知を使えるOSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第3章瞬間的な認知”の説明。※人は、石や岩など何かを拾うとき、手を通してエネルギーを使う。超能力者は、手は通さないものの何かエネルギーを使う。よって、手でお茶をいれるのも、超能力でお茶をいれるのも、結局同じこと、などという。輪廻を超えれば、超能力で悪いことをしようなど思わない。※ここでは、視覚聴覚を例にとり、感覚から解放されて、認知を使えるようになることを勧めている。※タンマトラは、核戦争後の体内からの放射性物質除去の基本原理になるかも。ポイントは、以下。1.通常、あなたはタンマトラの感覚を知るのではなく、感覚を抑圧するように教えられてきました。とても愚かなことですが、とても便利です。感...OSHOバグワンの微細なエネルギー、タンマトラ

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