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2024/05/30

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  • 2024年の終わり

    ◎準備の一年の終わり例年末には、『〇〇年末の終わり』という記事を上げるが、2023年分は上げていないのに気がついた。ジェイド・タブレット執筆中だったので、それどころではなかったのだろう。ジェイド・タブレットは、瞑想とか宗教にほとんど知識がない青少年や大人を念頭に、日々の冥想が世界平和と真の幸福をもたらすものだという流れを、簡単に書いてみたもの。構成は、ライフ・ステージ別の窮極に至る道と天国希求以降のポイント。本編の方は、2024年6月17日に完了。外典の方は、本編に書ききれない分を入れ、同年6月6日に完了。ジェイド・タブレットのストラクチャージェイド・タブレット外典のストラクチャーこの先入観と抑圧を必要とする時代は、間もなく終わる。2024年は、最高気温30度以上が6月中旬から4か月続き、いかに健康で正気...2024年の終わり

  • 坐禅中の妄想

    ◎のっぺら坊に出会う黄檗宗のある老僧が、さる婦人に臨済無位の真人の公案を授けて坐禅させた。無位の真人は、凡でもなく聖でもなく、目もなく鼻もない。この人に出会えば、大悟覚醒することができる、と。すると婦人は、昼も夜も只管打坐三昧となった。すると彼女の前に眉も目もない身長3メートルほどの僧侶が突然やってきて面前に立った。彼女は、怖くなって坐るのをやめた。そしてこの現象は坐るごとに繰り返した。ある日、彼女は、老僧にこのことを相談した。老僧は、昔さる修行僧が犬に仏性があるかどうかという公案に取り組んだところ、面前に巨大な犬が出現した。あなたのもそれと同じである。皆妄想だ。ただし三界六道(世界全体)も妄想によってできている。だからこの公案で釈尊の肝心なところを示している。婦人は、しっかり反省し終には大悟したという。...坐禅中の妄想

  • 預言者ベラ・コチェフスカ(Vera Kochovska)死から生き返る

    ◎命の川を一人で渡るベラ・コチェフスカは、生後まもなく親に捨てられ孤児院で育った。最初からネガティブな生い立ちを選んで生まれてきたわけである。12歳の時にトラックにはねられ臨死状態になった。2か月間昏睡状態が続いたが生還した。ベラは、その時白髪を肩まで伸ばした赤いマントの長身の男性に出会い、「命の川を一人で渡りなさい」と言われた。命の川はごうごうと炎が燃え盛り、炎の中で666という数字と999という数字が燃えていた。ベラは髪の毛のように細い糸の上を歩いて渡り切った。その後、亡くなった父に出会い、天使に導かれて戻ってきた。死の側から生の側に戻ってきたわけだが、たいていの人は三途の川を渡った程度の記憶しかなくほとんど無意識である。これに対しベラは、髪の毛のように細い糸の上を渡り、炎の中で666という数字と99...預言者ベラ・コチェフスカ(VeraKochovska)死から生き返る

  • 年末のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

    ◎立ちピラティス(目のかすみ、うすら貧血、嚥下のひっかかり、痰のからみ、呼吸が浅くなる対策)午後の運動10分×3とおちょこ2杯の飲酒をスータートして20日ほどになる。特に効果がみられたのは、立ちピラティス(STANDINGPILATES)である。おすすめはこれ。“30MINUTESTANDINGPILATESWORKOUTFORWEIGHTLOSS-NoRepeats FatBurning”https://www.youtube.com/watch?v=uk0znADBVFU膝の力がなかなかつかず、運動の絶対量が少ないせいだと考え、午後の室内散歩メニュー10分×3回を増やして3週間ほどになるが、その際どのエクササイズをやるかが問題と考えていた。スクワットとランジを入れた方が良いのはわかっていたが、中野ジェ...年末のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

  • ベラ・コチェフスカ(Vera Kochovska)の予言

    ◎人類の人口が三分の一になるブルガリアの予言者ベラ・コチェフスカは、人類の人口が三分の一になると予言している。それは、突然起こるようだ。人類が三分の一になる予言は、出口王仁三郎やダンテス・ダイジと同じ。出口王仁三郎は、その後みろくの世が来ることを予言しているが、ベラ・コチェフスカはどのような時代が来るかは見切れていないようだ。『ベラ・コチェフスカの大予言/宮﨑貞行/ヒカルランド』という本はベラ・コチェフスカの話題が三分の一程度で、他はそれ以外の話題であったので、やや食い足りなかった。マリア様の力で病気を治し、予言もするが、神人合一の話はない。つまり霊能力者は最後まで自分を捨てないといわれるが、まさしく自分を捨てて神様と一つになるなどということはできないのだろう。彼女は、魔除けの金の十字架は手放してマドモア...ベラ・コチェフスカ(VeraKochovska)の予言

  • 大祓と大洪水-2

    ◎霊界物語の大洪水(2019-04-05)霊界物語では、第六巻第三篇大峠の中の2章が大洪水に当てられている。大洪水そのものは、禽獣、鳥類が、発生直前に一斉に山を目指して逃げるのに気づいた人間が、真っ先に山に逃げ、事前に大洪水があるのを予知した人間は、船を用意する。うち何百隻かが山の麓にたどりついて生き延びるのだが、サブマリンみたいな目無堅間の船でないとだめというようなことが書いてある。そもそも大洪水は、霊界の太陽が、霊界高山の氷を溶かし、その水が地球に流れ込んできたものという霊界的説明であり、現界と霊界をチャンポンにした説明である。大洪水の最中は、グルグル回るが上部の床がすべりやすい巨大黄金橋に乗ることができれば、洪水から助かるとか、銅橋から出る金属製の救ひの鈎につかまれば助かるなどと書いてはいるが、こう...大祓と大洪水-2

  • 大祓と大洪水-1

    ◎古事記仲哀天皇の段(2019-04-04)古事記仲哀天皇の段で、これから熊曽の国を撃とうとしている前に、建内宿祢大臣は、神功皇后に神託を請うた。すると神功皇后に懸いた神は、「金銀本位制度で、享楽的な西の国を帰順させようと思う」とお告げになった。すると仲哀天皇は、「高い所に登って西の方を見れば、国土は見えず、ただ大きな海があります。」と述べ、神功皇后に懸いた神は嘘を言っていると思い込んで、琴を押しやって黙っていた。すると神がこのような仲哀天皇のことを怒って最後に崩御に追い込むシーンに続く。西の国が大海になるというのが、見間違いでなく、大洪水のことであるとは、思いもしなかった。洪水になると屋根に上がった人が下に降りられなくなるのは、洪水災害シーンで時々目にする。出口王仁三郎のつぶやき集に『大祓になったら大変...大祓と大洪水-1

  • ベラ・コチェフスカ(Vera Kochovska)と伊勢神宮

    ◎伊勢神宮にヤーウェが祀られている東日本大震災の一か月前に故人となったが、ブルガリアの予言者ベラ・コチェフスカが伊勢神宮に参拝した。その際、伊勢神宮にヤーウェが祀られていると述べた。これを聞いた人が、古神道の神社に異教のユダヤ教の神が祀られているとは・・・と驚いていた記事を読んで、そんなことを意外に思っているとはと、私も意表を突かれた。全知全能にしてすべてのすべてである神は、当たり前のことだが、世界各国に存在して、これは一般に主神や主宰神などとされ、呼び名は異なるが、実体は共通であって、天之御中主神(古神道)道(道教)ニルヴァーナ(インド)ヤーウェ(ユダヤ教)ゴッド(キリスト教)大日如来(真言密教)等々宗派が変われば呼び名は変わるが、主神そのものが別の主神に入れ代わるわけではない。出口王仁三郎が万教同根と...ベラ・コチェフスカ(VeraKochovska)と伊勢神宮

  • 今北洪川の悟り

    ◎自我の内部が完全に一となり今北洪川は、明治初期の禅僧。鎌倉円覚寺の管長までやった。彼の悟りとされる体験。『明治時代の著名な禅僧今北洪川は、もと儒教徒であったが、この体験について次のように述べている。「ある夜、坐禅に没頭していると、突然全く不思議な状態に陥った。私はあたかも死せるもののようになり、すべては切断されてしまったかのようになった。もはや前もなく後もなかった。自分が見る物も、自分自身も消えはてていた。私が感じた唯一のことは、自我の内部が完全に一となり、上下や周囲の一切のものによって充たされているということであった。無限の光が私の内に輝いていた。しばらくして私は死者の中から甦ったもののごとく我に帰った。私の見聞き、話すこと、私の動き、私の考えはそれまでとはすっかり変わっていた。私が手で探るように、こ...今北洪川の悟り

  • 雪の落ちる様は見飽きぬもの

    ◎龐居士が禅客を咎めるここ一週間ほどは、北日本の大雪のニュースが伝えられ、例年の二倍三倍の積雪ということで、私は雪国で育ったから、ことさらに高齢化した各地の除雪の苦労が思い起こされる。というわけで雪の禅語録。薬山、龐居士、雪竇(せっちょう)とも、有力な禅僧。薬山のところには、禅客と呼ばれる老師上堂説法時に質問だけをするけしからん輩がいたようだ。雪竇頌古から薬山を訪ねた龐居士が辞去した。薬山は十人の禅客に門のところまで見送らせた。居士は空中に舞う雪を指さして言った、「見事な雪だ、一ひらひらが余計な場所には落ちない(最初からそこに落ちることが決まっていたかのように、きちんきちんと落ちる)。」折から全禅客という男がいて、「どこに落ちますか。」居士は一発平手打ちをくらわせた。全禅客、「居士どの、乱暴は困ります。」...雪の落ちる様は見飽きぬもの

  • 大地平沈-只管打坐と下降

    ◎天童如浄の語録からダンテス・ダイジは、クンダリーニ・ヨーガは上昇、只管打坐は下降と唱える。クンダリーニ・ヨーガの上昇は異論のないところだと思うが、只管打坐の下降は結構論証が大変だ。まず道元の師の天童如浄の清涼寺語録から。天童如浄が弟子たちに説法する。『法座。大地平沈し、この座は高く広い。千変万化、功無くして賞を受ける。』(天童如浄禅師の研究鏡島元隆/著春秋社P151から引用)(大意)『説法の座に拠っていう。大地は等しく沈んでも、この法座は高く広く巌としている。世界は千変万化しても、この法座は無為の功によって賞を受ける。』大地は等しく沈んで、身心脱落する。そこで無為の功(無用の用)が達成されて、その報酬を得る。さらに清涼寺語録から、『衆寮を建てて上堂す、喝一喝、大地平沈、徧く黄金を布く。』(上掲書P183...大地平沈-只管打坐と下降

  • タラビッチのクレムナの予言

    ◎瞑想と東方の賢者たちセルビアのミタール・タラビッチ(1899年没)は、読み書きができなかったので、その予言をザハリヘ司祭に記録してもらっていた。クレムナの予言を注目した理由は、瞑想を評価していることと、東方の賢者たちが終わりの時代をリードするということである。ところが、『新釈・クレムナの予言/たくきよしみつ』を見たところ、瞑想という言葉は見当たらず、代わりに「自分の心の中に真実を見つけようとすること」みたいな表現がそれに該当するようだった。「自分の心の中に真実を見つけようとすること」で瞑想をイメージする人はほとんどいないので、残念なことだった。東方の賢者たちの教えは、最初受け入れられないが後に受け入れらるようになるということだけ書いてあって、東方の賢者たちが誰で、その教えがどのようなものかどうかは何も言...タラビッチのクレムナの予言

  • キリスト教の神殿の眠り

    ◎救いと癒しキリスト教の神殿の眠り(神殿の御籠り)というのは、病人や助けを求める者が教会に泊まり込んで、夢の中で聖人に出会い、願いを叶えてもらおうとすること。初期キリスト教は、当初この神殿の御籠りの風習に激しく抵抗したものの、すでに四、五世紀には、夢の中で聖人からじかに指示を受けたり、また聖人と直接的に触れ合うことにより癒しを得ようと、多くの人々が殉教者の墓や巡礼地を訪ねるようになった。神殿では、現れた神に心配事や悩みをすべて打ち明け、そして癒しのために必要な指示を受け取る。聖人は心の聖なる領域を示し、魂の隠れた次元への入口を開く。癒しの夢の話では、大天使ミカエルおよびコンスタンティノープルの殉教者コスマスとダミアヌスに奉献された教会に由来するものが多い。これらの巡礼地の評判を聞きつけ、キリスト教徒でない...キリスト教の神殿の眠り

  • 雲水は経を読まず、坐禅もしない

    ◎雲水の誰もが仏になるわけではない臨済録から。『王常侍が、ある日臨済禅師を訪ねた。師と僧堂の前で出会うと、そこでたずねた、「この雲水諸君は、いったいお経を読みますか。」師、「読まない。」常侍、「坐禅をしますか。」師、「しない。」常侍、「お経も読まず、坐禅もしないとすれば、いったい何をするのですか。」師、「あいつらをみんな、仏にならせ祖師にならせる。」常侍、「『黄金の粉は貴いが、眼に入ったら病気になる』といいますが、これはどうです。」師、「今までそなたは一箇の俗物だとばかり思っていた。」』雲水は経を読まず坐禅もしないというのが、黄金の粉で、雲水だからといって誰もが仏になるわけではない。高官の王常侍に厳しいところを突かれた。禅堂には、UFO(UAP)も宇宙人もないが、中間段階を認めないその作法でもって究極に至...雲水は経を読まず、坐禅もしない

  • UFOと宇宙人の印象

    ◎大災害の時代の直前に「今だ、今だ」と叫ぶUFO最近アメリカを中心に世界各地で目撃されるUFO。米海軍報告では、これは中ロのものではなく、かつレーダーに映っておらず、地球製飛行体では不可能な迅速、敏捷な動きをするという。UFOを考える基本線は、以下。UFOは、現実(肉体レベル)のものでなく、霊界(エーテル体、アストラル体レベル等)にある。UFOといえば宇宙人だが、ダンテス・ダイジの言い方では、映画館に行ったら複数名の宇宙人がいたなどと言っていたので、人間には、外見は人間だが中身が宇宙人の人間がいるらしい。また宇宙人の判別についてダンテス・ダイジは、人類に友好的かどうかという見方を披歴していたので、これには「おや」っと思った。霊界の生き物に対しても同じような区分をとることがあること、そしてジョージ・アダムス...UFOと宇宙人の印象

  • アメリカの遠隔透視の実情

    ◎無意識の支配下にあっても意識的であること熟眠中に夢を見てしまうケン・ウィルバーは、やがて熟眠中に夢を見ない状態を達成した。これが冥想修行の極み。熟眠中に夢を見ないとは、熟眠という無意識の支配下にあっても意識的であることを継続できていることだろうと思う。アメリカの遠隔透視部隊のマクモニーグル(マックモンイーグル)は、トランスという無意識優勢な状態に入っても遠隔透視のために意識的な部分を残すことができた。※マックモンイーグルの上司がアットウォーター。マックモンイーグルは、オーストリアでの臨死体験があり、おそらくアストラル体で肉体を離脱したことがある。『さまざまな要因のなかでも、ケルト人の血とオーストリアでの臨死体験のふたつが、マックモンイーグルにとって非常に有用な能力を与えたようだ。つまり、夢を見ているよう...アメリカの遠隔透視の実情

  • 真実の道心はむずかしい

    ◎臨済録-心心不異2024年12月15日、世界各地にレーダーで捕捉できないUFO群が出現。同日イスラエルのシリア攻撃で、きのこ雲が目撃され核使用を疑われているようだ。世界全面核戦争の予言あるいは警告として、霊界からUFOが出現したのか。ダンテス・ダイジは、UFOは霊界のものと言っている。「究極を悟ることができずに一生を終えれば、この世でむだ飯を食ったその飯代を請求される。」などとダンテス・ダイジは語っていたものだ。河北省で活躍した禅マスター臨済が弟子たちに同じようなことを語る。『「修行者たちよ、真実の道心を発(おこ)すことはむずかしく、仏法は幽玄で奥深いものだが、しかしみんながわかることは相当にわかっているのだ。わしは一日じゅう、彼らに説き明かしてやっているが、修行者たちはまったく問題にしてくれぬ。彼らは...真実の道心はむずかしい

  • 生き通しの次元

    ◎大宇宙己が所有と為すときは心にさやるなにものもなし人間の本質は神の宮。肉体を生きかわり死にかわりして人間は、永久に生き続ける。釈迦と仏教者は人生を苦と見るが、肉体人間が永久に生き続ける場合は、苦に始まり苦に終わるので、解脱あるいは苦の卒業がなければいささか都合が悪い。出口王仁三郎は、人間の本質は、精霊、神の宮であって、神と人間が合一した立場にあって、そこで人間も神も永久に生き通しと説いているように思う。出口王仁三郎の歌集言華より。『あめ地に神なきものとほこりつつまさかのときに手を合す曲(まが)衣食住これより外に望みなき獣のはばる世こそさびしき日の本の国の名のみは残れども外国人やけもののみ住むくにの為め世人の為めと言ひながら世の大方は身のためにする霊肉の分離したのを死と言へどその本体は生き通しなる人の世の...生き通しの次元

  • ダンテス・ダイジの『死生観』-2

    ◎生まれて死んでまた生まれ、死んで生まれてまた生まれダンテス・ダイジの死生観続き。『死ぬというのは人の世の果てにはあらず生魂(いくみたま)の重荷下して休むとき神のみ前に遊ぶとき栄えの花の開くとき歓喜充てる時ぞかしまたもや神の命令に神世の宿を立ち出でて再び人生の旅をする旅は憂いもの辛いもの辛い中にもまた一つ都に至る限りなき歓喜の花は咲き匂う神の御子たる人の身は生まれて死んでまた生まれ死んで生まれてまた生まれ*死んで生まれてまた生まれ*どこどこまでも限りなく堅磐常盤に栄えゆく常磐の松の美し世の五六七(みろく)の神の太柱玉の礎つき固め高天原に千木高く宮居を造る働きは神の御子たる人の身の勤めの中の勤めなりああ頼もしき人の旅ああ頼もしき人の身の人は神の子神の宮神と人とは生きかわり死にかわりして永久に五六七の世まで栄...ダンテス・ダイジの『死生観』-2

  • ダンテス・ダイジの『死生観』-1

    ◎古神道の奥義開陳ダンテス・ダイジの断簡に古神道関係のものはほとんどない。道場の壁に墨色黒々と、出口王仁三郎の高熊山での開悟の歌『われは空行く鳥なれや』の一節を彼が揮毫したのを見たことがある程度だ。以下は、珍しいダンテス・ダイジの古神道の死生観を歌ったもの。出口王仁三郎の霊体からダンテス・ダイジは、古神道の奥義を受けたが、誠に出口王仁三郎直伝をうかがわせる。『天と地とは永久に陰と陽との生き通し神の水火(いき)より生まれたる人は神の子神の宮生くるも死ぬるも同じことこれをば物にたとうれば神の世界は故郷の恋しき親のいます家この世に生まれた人生は露のしとねの草まくら旅に出でたる旅人のクス野をたどるが如くなり辿りたどりて黄昏にいずれの家か求めつつこれに宿りしその時はこの世を去りし時ぞかし一夜の宿を立ち出でてまたもや...ダンテス・ダイジの『死生観』-1

  • 本山博の個別神霊との合一と創造神との一致

    ◎個人は完全に消滅し神となる本山博は、お不動さんなどの個別神霊が人間と合一する場合は、人間は死にはしない。その人間も残ったままで、お不動さんも残っている。つまり二つのものが合わさるが、二つのままでいる。これが合一。霊能者は、このパターン。一方創造神(第六身体アートマン)と個人が一致した場合は、個人は完全に消滅する。個人はその時死なねばならない。大死一番である。創造神とは、場所的神のことであり、有の側のことである。第七身体は、無の側であり、創造神(場所的神)とは別のことになる。第七身体(無、ニルヴァーナ)のことを本山博は、絶対者と呼び創造神と区別している。本山博は、神秘家は、有である神を感得し接し得るが、それは無の側ではないと見ている。さらに有が絶対無に接する時、有は絶対的に無となるので、生死の場所は有であ...本山博の個別神霊との合一と創造神との一致

  • OSHOバグワンは頓悟の方法を開示しない

    ◎頓悟の大なるリスク(2021-01-12)OSHOバグワンは頓悟の方法を開示しない。その理由の一つは、その方法を用いれば、修行者は死んだり発狂したりすることがあり得るからである。もう一つの理由は、開示すると文書として伝承され、単なる好奇心の結果、不幸な修行者が増えるからである。翻ってその教えは邪教として廃されかねない。さらに頓悟の方法はグループで為されるべきであるとする。理由は修行者が長期にわたって無意識に留まり日常生活ができなくなることがあるから。一人で修行する代表例は、経典やハウツー本やマニュアルだけで冥想修行するものだが、これも危険だとする。頓悟するのに必要な鍵は、経典の外に師から弟子への口伝として存在しているからである。(以上参照:究極の錬金術Ⅰ/OSHOバグワンP177-181)またそういった...OSHOバグワンは頓悟の方法を開示しない

  • 自己中心人間は眠れない

    ◎坐って目を閉じても冥想などできない人が多い(2020-11-07)インドでは、人間のたどり着くべき境地が、熟睡中の夢を見ない状態であることを古来唱える。それを枕に、OSHOバグワンは、『自己中心人間は眠れない』とする(死・終わりなき生/OSHO/講談社P155-162)。彼は、西洋における無神論の根底には、西洋人の乱れて混沌とした睡眠の状態があるとし、ニューヨークでは、三割以上の人が精神安定剤なしで眠れないという。つまり、世界の広汎な赤化の原因のひとつは、その睡眠を奪われつつある生活スタイルだと断じている。睡眠薬や精神安定剤なしで眠れるようになれば、無神論と赤化の勢いは止まるということがあろう。科学的論証は困難だが、そこに冥想が広まれば、自然な睡眠を取り戻す人が増え、無神論の暴走は止まるという法則が推測...自己中心人間は眠れない

  • 本山博の「場所的個」

    ◎「場所」には、創造神と個別神霊がある。本山博の「場所的個」とは、神人アヴァターラのことのようである。三身、三位一体の構成要素としての人間のことだと思う。「場所的個」とは、「場所的個」とは、ヨーガでは「アヴァターラ」、仏教では「応化身」、キリスト教では「神が受肉をしてキリストになった」、あるいは「神の子」のこと。この場合の「場所」というのは「神様そのもの」。だから、「場所的個」とは神とイコールな人間で、普通の人間ではない。人間なのだけれども、神様になった状態でいる人。「絶対」と個人とのつながりを本当にこの人の存在全体で体験した人が「場所的個」絶対と現実(相対)とをつなぎ、両方を成り立たせるものが「場所的個」。「場所」には、創造神と個別神霊がある。創造神とは、一切のものがそこで死んだり生きたりするような、そ...本山博の「場所的個」

  • 本山博の最初の三次元

    ◎心霊、神霊との一致の宗教体験と色界の四禅ダンテス・ダイジの実家はかつて井の頭線三鷹台にあって(今は何もない)、駅二つ隣が吉祥寺。吉祥寺の井の頭公園の南側には、クンダリーニ・ヨーギ本山博ゆかりの玉光神社があった(今もあるかどうかは知らない)ダンテス・ダイジは、クンダリーニ・ヨーガの教授を求められると本山博のところを勧めていたという。出家並みの修行に打ち込める衣食住の整った環境がなければ、クンダリーニ・ヨーガの修行の継続、深化はないのだろうから、ダンテス・ダイジはクンダリーニ・ヨーガの自らの伝授には慎重だったのだろうか。本山博は、七つの身体論ではないが、それなりに究極についてどう見ているかは、考えさせらるところがある。『人間が、他の人間や自然と区別される小さな自分を見てと思っている間は、より大きな存在との一...本山博の最初の三次元

  • 鳥に餌をまいても逃げられる人

    ◎私に殺す心があるからです禅の食事作法では、生飯といって餓鬼に施すため米飯数粒を膳のわきにのけて、係が全員の生飯を集めて野鳥に供する。ある日、院主が鳥に生飯をやろうとしているのに、なぜか鳥が皆飛んで逃げる。趙州「鳥はあなたを見て、どうして鳥が飛んで逃げるのですか?」院主「私がこわいからです。」趙州「なんということを言っているのだ。」趙州は、院主に代わって言った「私に殺す心があるからです。」現代人は、何はさておきメリット・デメリット、タイパ、コスパと他人を出し抜いて一円でも儲かってやろうという気持ちの人が多い。幼少時から、敵をせん滅することを繰り返すモバゲーで成長してきたせいか他人を殺し続けるのはお手のもの。だが四六時中そればっかりでは、一日のうちにどうしても安らぐ時間を求めることになる。冥想、瞑想は、本来...鳥に餌をまいても逃げられる人

  • ダンテス・ダイジの8チャクラ説-3

    ◎八番目のチャクラならざるチャクラ(2019-04-12)「八つのチャクラが、人間の絶対性の基本的ポイント」とダンテス・ダイジは、云う。人間の絶対性とは、人間を外的な部分・社会と内的な部分・個人とに自分というものを区分して認識し、個々人が分かれていながら、同時に神・絶対者から個々人が流れ出ているものであって、今ここしかない今しかないが、過去現在があるものとして時間の流れを想定してしまう認識形態とでも言おうか。個と全体の並立・共存と七つの次元に亘りながら、今ここという一つながりのものの不断の変容を現実と認識する一方で、それが夢幻でもあることをよく承知することもできる。その意味で、芭蕉がその庵を幻住庵と名付けたのは至高のネーミングだと思う。ダンテス・ダイジの『戯れに冥想を』から以下引用の続き。『だが、アメンテ...ダンテス・ダイジの8チャクラ説-3

  • ダンテス・ダイジの8チャクラ説-2

    ◎大涅槃とクンダリニー(2019-04-11)サハスラーラ・チャクラ(ブラフマランドラ、泥丸)をチャクラに数えるかどうかの議論は、頻出であって珍しいものではない。だが、チャクラを解説した本を開くと、なにげなく会陰のムラダーラとクンダリニーが接して描かれているものだが、決してそうではないことを、ダンテス・ダイジは、8チャクラで暗示する。ダンテス・ダイジの『戯れに冥想を』から以下引用の続き。『クリヤ・ヨーガつまり、クンダリニー・ヨーガの場合は、クンダリニーをチャクラの一つに加えるかどうかで、七チャクラズの流派と六チャクラズの流派とに別れる。同様に、サハスラーラ(ブラフマ・ランドラ)を、チャクラの一つに入れるかどうかについても言える。一方、アメンティー・タントリズムにおいては、八つのチャクラが、人間の絶対性の基...ダンテス・ダイジの8チャクラ説-2

  • ノストラダムスのセザールへの手紙を読む-3

    ◎神の意志は果たされるのであるセザールへの手紙の続き。『天空の、目に見える判断について言うと、私たちは今すべてを終息させる七〇〇〇年代にいるけれども、八〇〇〇年代に近づいてもいるのだ。そのとき、広大な次元にある第八番目の天球をもつ天空となり、そこで、偉大な永遠の神が変革を仕上げ、星座群は自らの運動と、地球を揺るぎない安定したものにする超越的な運動とを再開するだろう。「その運行はいつの世までも続くものではない」――神の意志が果たされないというのはありえないのだから。マホメットの夢想のようなあらゆる自然の理性を超える曖昧な説がどう言おうと、神の意志は果たされるのである。だから、創造主たる神は幾度も、炎を携えた火の使者を仲介として、予知する人にはっきりと示されるはずの未来の出来事を明かす。未来に関する予言の諸々...ノストラダムスのセザールへの手紙を読む-3

  • ダンテス・ダイジの8チャクラ説-1

    ◎私が始めて地球へやって来たのは(2019-04-10)街も老い、国も老い、世界も老いる。するとその中の数少ない若者の中から新しい大地の到来を予感する者が出て来始める。ダンテス・ダイジの8チャクラ説は、それまでの5チャクラ説や7チャクラ説とは一線を画す説である。まずどのボディにおけるチャクラかという前提すら、彼らにとってはあまりにも自明なのことなのか、説明を省く。ダンテス・ダイジの『戯れに冥想を』から以下引用。『私が始めて地球へやって来たのは、今からおよそ七万年ぐらい前だったと思う。今の私は、地球ロゴスの流れに乗って、ニルヴァーナに充足した存在である。通常、地球ロゴス内のアラハンのレヴェルにある覚醒、すなわち悟りを開きつつ人間としての生存を続ける生命は、七回又は八回の転生を選ぶ者が多い。そして八回目の転生...ダンテス・ダイジの8チャクラ説-1

  • ノストラダムスのセザールへの手紙を読む-2

    ◎世界は天地がひっくり返るような変革に近づいているセザールへの手紙の続き。『なぜなら火星(戦争)がその世紀(二〇世紀)を終了させるのだが、その最後の期間の終わり(一九七五―一九九九年)に火星がその世紀を支配するからである。これら異変のいくつかは数年間は宝瓶宮〔一月二一日-二月二〇日〕に、また他のいくつかはさらに長年月にわたり巨蟹宮〔六月二二日―七月二三日〕に集中するだろう。―今、永劫不滅なる神の全能に助けられて私たちは月(共和国)に統轄されていて、月がその周期を完(まっとう)するや、太陽(君主制)に、続いて土星(黄金時代)(一九九九年以後は宝瓶宮の時代)に統轄されることになろう。というのは、天の徴にしたがうと、土星の統治が再びめぐって来るからだ。いかように予測しようとも、世界は天地がひっくり返るような変革...ノストラダムスのセザールへの手紙を読む-2

  • 原爆の投下目標の選定

    ◎人命尊重という美辞麗句(2012-08-16)原爆の投下目標の選定については、まず軍事設備、工業設備だけを戦略爆撃するかあるいは、住居地域を含めて文字通り絨毯爆撃するかという議論が米軍内部にあったが、焼夷弾による爆撃はドレスデンの爆撃で既に実地に試されていたという経緯を見ると、米軍は広島、長崎以前から日本については軍民を差別しない無差別爆撃を意図していたようである。だから1945年3月10日の東京大空襲では原爆に匹敵する10万人の死者を出している。ドイツへの爆撃では、無差別爆撃はドレスデン以外ではほとんど行われなかったのに、日本では無差別爆撃をやりすぎて、原爆投下の候補地となる無傷な都市を選定するの困るほど全国各都市に無差別爆撃をやっていた。この点で日本とドイツ人への扱いは根本的に異なっていたわけである...原爆の投下目標の選定

  • ノストラダムスのセザールへの手紙を読む-1

    ◎出口王仁三郎曰く、東洋は火で滅び、西洋は水で滅ぶノストラダムスは、予言詩集百詩篇の他に、予言を解くカギとして、息子セザールへの手紙とアンリ二世への手紙を残している。息子セザールもアンリ二世も未悟の者だが、セザールへの手紙の方がより後世の冥想修行者向けに書かれているように思う。王だから悟っているかと言えば、むしろそうではないのが常識。またアンリ二世への手紙には予言イベントは書いてあるが、ほとんど何のことかわからないように書いてある。何のためにそうしているかと言えば、世の終わりに振り返ってみれば、初めてその予言がすべて当たっていたことがわかるように。また世の終わり以前に予言内容がわかるようであれば、必ずキリスト教会に迫害され、焚書されることを避けるため。以下、セザールへの手紙。『けれども、わが子よ、おまえの...ノストラダムスのセザールへの手紙を読む-1

  • 日本の皇統文献を破却したらしい聖徳太子

    ◎神代文字を消滅させるほど、当時の日本は爛熟していたのだろうかウガヤフキアエズ尊は、死の床で統治関係文書をわが子である15歳の神武天皇に譲ったと、秀真伝に記述がある。先代旧事本紀大成経では、神武天皇の御代に彼の腹心の天種子命に対し、この粘土板を焼いた文書は神魂と称する大切なもの(おそらく皇統などの古記録であって、神代文字で書かれた文書)だから、忌部、卜部両家が永久に保存せよと命じられたものであった。昔は、皇位継承に際しては、文書と鏡と剣を引き継ぐものであって、鏡は右の臣、剣は左の臣が奉持した。文書は、神魂と称する大切なものである。ところが、聖徳太子は、小野妹子と秦河勝に命じて、この土器文書すべてを保管元の忌部、卜部両家から差し出させて、聖徳太子自ら蓋を回して土器文書を見たという。この土器文書は神代文字文書...日本の皇統文献を破却したらしい聖徳太子

  • ダンテス・ダイジの原典『救世主入門』-君の素直さ

    ◎君はどこで生まれ、どこで育ち、どこで何をしようとしているのか?ダンテス・ダイジの原典『救世主入門』の大悟覚醒時の実感についての解き明かしの続き。『君はどこで生まれどこで育ちどこで何をしようとしているのか?これらの答えは君たち自身と共に常に変化しているはずである』(十三番目の冥想原典『救世主入門』雨宮第慈講話録/渡辺郁夫編p106から引用)これは、ニルヴァーナを生きている人すなわち悟った人向けに言っている。悟った人は今ここを生きていて、過去現在未来がいわば一枚の液晶モニターみたいになった世界に生きている。君の現在は常に変わり続けるが、それに合わせて未来も変わるし、過去すらも変わる。『このことは憶えておく必要はない君はいつも見知らぬ世界にいつも見知らぬ旅人としてある君たちは常に今からまったく新しい旅へ出発す...ダンテス・ダイジの原典『救世主入門』-君の素直さ

  • ダンテス・ダイジの原典『救世主入門』の眼目

    ◎なぜ君はいるのか?君とは何なのか?かつてのベストセラー小説『イリュージョン/リチャード・バック』の中に救世主のハンドブックという本の抜き書きが何回か登場してくる。この抜き書きは、ダンテス・ダイジがアトランティス時代に聖者だった時に彼の著作『救世主入門』が出版されていたのだが、当時それを読んだリチャード・バックが前世記憶から出してきたものだとダンテス・ダイジが説明している。ダンテス・ダイジの原典『救世主入門』には、いくつかの大悟覚醒時の実感についての解き明かしがある。『人間というものはどこにもいない人間というものが君のイメージの一つにすぎないように時間の持続としての永遠もまた永遠の夢にすぎない場所も時間もない君自身のことである。』(十三番目の冥想原典『救世主入門』雨宮第慈講話録/渡辺郁夫編p105から引用...ダンテス・ダイジの原典『救世主入門』の眼目

  • ダンテス・ダイジが語る「冥想とは何か」

    ◎本当の当たり前さを出す、ただそれだけダンテス・ダイジが冥想の求めることを語っている。彼の片言隻句では、イメージする範囲が広すぎて迷うかもしれないが、このブログの『Overviewofthemeditation冥想の全体像』や『ジェイド・タブレット』を読んだ人ならおおよその方向性は見当をつけることができるのではないか。『ここは冥想の会なんだ。冥想の会っていうのはね、ギリギリのギリギリっていうより、本当の当たり前さを出す。ただそれだけ。そう、まるでそう。人にはね、身体のある一カ所にね、中心っていうようなものがあるんだ。合気道の植芝盛平の弟子の誰かがね、腹の一点っていうのに気付いた時に合気道に開眼したんだ。合気道の奥義を達成したんだ。腹一点ものすごくしみじみとしたもんだぜ。それは腹でなくてもいい。胸でもいい。...ダンテス・ダイジが語る「冥想とは何か」

  • 世界の秘密を見たがる者は、見たくもないものを見る

    ◎世界の秘密へのアクセスに堪えられる自分かどうかダンテス・ダイジは、今後の人類は見たくないものを見ると予言している。最初これを聞いた時は、全面核戦争、ポール・シフト、大地震大洪水などの天変地異をイメージして、いやな気分になったものだ。最近はそれについては、釈迦もイエス・キリストも大悟直前に悪魔に襲われたのだが、人類全体が至福千年に入るには人類全体が大悟せねばならないが、その直前に人類も釈迦やイエスのような見たくもない体験を経ねばならないことを示唆していると考えるようになった。世界の秘密や都市伝説もののyoutubeを見ると、焦点はひたすら世界の秘密を知りたいであって、いやなものを見ることへの恐怖や不安はほとんど感じられない。感性がフラットであるというのはわかるが、私の感じでは、善悪の切り分けと虐げられたも...世界の秘密を見たがる者は、見たくもないものを見る

  • ヤバい世界の秘密や都市伝説

    ◎人類絶滅と世界の裏ボスナオキマンはじめコヤッキーなど各youtuberのヤバい世界の秘密や都市伝説ものを何本か見た。こうしたものは雑誌ムーと同じで、ある一線を越えず、決して窮極にまで突っ込んでいかないという特徴があるように思う。だからエンタメなのだと思う。こうした不思議関連のエンタメ・コンテンツに触発された人は、昔は、伝統宗教や新興宗教の門をたたいて、中にはカルトに入ってえらい目にあった人もあるだろう。でもどんな教団、組織に入っても生きる情熱が一定以上あれば、窮極、悟り、ニルヴァーナ、神、仏を目指し続けるものではないのだろうか。最近の不思議関連のエンタメ・コンテンツを見てもう一つ思うのは、最後にぐれんと返る一厘の仕組とは何かとか、人類削減して5億人になったとしても人間そのものに多数悪人が混じっていたら今...ヤバい世界の秘密や都市伝説

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