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2024/05/30

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  • 超熱帯夜のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

    ◎普通に起きて活動して眠るのも大変な夏昔、ブラジルのアマゾン河口に近い胡椒農園の日本人入植者が、毎日気温30度超、湿度99%なので、一日に水20リットルを飲んでいたということを読んだことがある。幸い日本ではエアコンが使えるので、そうした体温低下法は使わなくて済むが、生きるというのは、そこまで頑張らせるものなのだろう。熱中症の半数近くは室内で発生するというが、最低気温30度以上の超熱帯夜の連続ともなれば、身体からの水分発散量も多く、いつもより更に水分摂取して、夜の熱中症防止に努めなければ。ここのところのフェーン現象は、秋田、山形の大雨によるものだが、気温38度の日差しは痛いものだと初めて知った。中東の民族衣装が肌を隠すようになっているのもむべなるかな。このところ、きくち体操20分×2と、OliviaLaws...超熱帯夜のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

  • 第二次大本教事件と日本の将来

    ◎日本の立替は外国の手による昭和11年3月十日綾部署は二代教主出口すみを連行し、教団の綾部の土地処分の委任状に捺印をせまった。「土地は神のもの信者のもの、大本には一切を清算しなければならぬような悪事のおぼえはない」とつっぱね、出口すみは一貫して「大本は日本のひな型、大本でおこったことは必ず日本に、世界に写る。この神苑を手渡すことは、やがて日本が外国に奪(と)られる型になると神さまがいわれますのや。それでも(土地売却委任状に)捺印せいというのなら、私を殺してからにしなはれ」と抵抗した。ところが、結局教団の土地は、二束三文で綾部町、亀岡町にそれぞれ2万数千坪が売却されてしまい。日本が外国に奪(と)られる型を作ってしまった。(参照:出口なお・王仁三郎の予言・確言/出口和明/みいず舎P265)大本教への二度の弾圧...第二次大本教事件と日本の将来

  • 天国体験から見神体験へ

    ◎エベン・アレグザンダーエベン・アレグザンダーは、ハーヴァード・メディカルスクールで脳神経外科医だったが、急性髄膜炎により7日間の深い昏睡状態にあって、天国を見た。最初は、彼がミミズの目の世界と呼ぶまるで土の中に埋もれているような感覚を味わったが、そこから抜け出す時が来た。『やがて、上方からゆっくりと、光の存在が降りてきた。それはあとで“回転する光のメロディ“と名づけた美しい調べを響かせながら、金や銀にきらめく閃光を放つ、まぶしい球状の光だった。私のいた砂をかむような世界に降りてきたきらめく光は、中に裂け目をつくり、私はポータルともいうべきその穴をくぐると、目がくらむばかりに美しい谷あいの世界に抜け出していた。青々と緑が広がり、澄みわたる水に滝がしぶきを散らしていた。私は認識の一点と言えるような意識体にな...天国体験から見神体験へ

  • ある天国的体験

    ◎自分が残っている定という体験以下は、ふとした拍子に意識レベルが低下し、自分が残っている定に入り、愛と歓喜に満ちた深い体験をしたもの。ヨーガ・スートラで言えば有尋定。原始仏教の分類でいえば、初禅あるいは二禅。この体験は天国的ではある。さらに言えば、この後50年を経て、この深い愛と歓喜と光の体験は、戻ってしまって、思い出になっている。天国を求めるということに関して、考える材料として取り上げてみた。なお、この本の著者のエベン・アレグザンダーも天国体験者だが、全然見ている自分が残っている。『それは数秒のことだったろう。船室に光が満ち溢れた。眩しさに目がくらんでなにも見えなくなったので、そうとしか表現しようがない。愛に満ちた、力強く輝かしい何者かの意図に包み込まれた感覚を覚えた。あのときほど謙虚な気持ちにさせられ...ある天国的体験

  • ジェイド・タブレットの3つのハードル-3

    ◎『2.天国にあまりひっかからないこと』原始仏典では、彼岸とはニルヴァーナのこと。天国は『天』などとして登場。地獄の住人は多いが天国の住人は少ないなどとは出てくるが、天国そのものが問題だという表現は出てこない。以下は『ブッダのことば』からの引用だが、『快美な事物に対する欲望』とは、天国のことである。人間は快いものをまず求めるようにできているが、釈迦は、それすらも除き去ることが求められると踏み込んでいる。『九、学生ヘーマカの質問1085聖者さまあなたは、妄執を滅しつくす法をわたくしにお説きください。それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えましょう。」1086(ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァ...ジェイド・タブレットの3つのハードル-3

  • 日本の運命と占い全般が当たらなくなっていることについて

    ◎出口王仁三郎予言などフリーメーソンの第一階級の儀式における言葉に『あらゆる荘厳な、もしくは壮麗な建物の建立の際には、この建物の北東の隅に、第一の、基盤となる要石を置く慣わしとなっている。』(封印のイエス/クリストファー・ナイト/学研P71から引用)更に、新約の福音書には、家造りらの捨てた石のことが見える。『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』。(マタイによる福音書21-42)つまりユダヤ・キリスト教では、人に打ち捨てられた石が北東に置かれるのだが、それが長い年月の末に、滅びることのない神の神殿の基礎となるという伝承があるのだ。これは、大本教で北東のトイレに落ちていた艮の金神が、現代に至って地球の主宰神である国之常立神として復活するモチーフ...日本の運命と占い全般が当たらなくなっていることについて

  • ジェイド・タブレットの3つのハードル-2

    ◎1.霊がかりをやめること20世紀前半までは、悟りはごく一部の精神的エリートのものであった。そういった状況下では、神がかり・霊がかり・シャーマニズムにより主神の意向を知るというのは、意義あることだったと思う。つまり、自意識が十分に発達していない人が大半である社会において、上意下達のスタイルで宗教組織全体を進歩向上させていこうとするためにシャーマニズム・霊がかりを用いることで、成果は上がっていたものだと思う。ところが20世紀後半以降、自意識の充分な発達により、個々人が自分の悟りの実現を意識的に無意識的に課題とする社会となったところで、霊がかり・神がかりは、事実上その役割を終えたかに見える。すなわち万人に主神を霊がかりさせるのはほとんど不可能なのであることが大正時代の終わりにははっきりしたのである。神がかり・...ジェイド・タブレットの3つのハードル-2

  • ジェイド・タブレットの3つのハードル

    ◎誰もが薄々感じているが言葉にしにくいこと現代人が神に成るには、現代人に特徴的な3つのハードルがある。『1.霊がかりをやめること』『2.天国にあまりひっかからないこと』『3.中味のわからない神仏を求めて進まなければならないこと』これを越えて、ジャンプアウトという個人が世界全体、宇宙全体になるという大逆転、倒立が起こる。『1.霊がかりをやめること』については、昔から何度もいろいろな形で述べて来た。チャネリング、シャーマニズム、神下ろしで発生するのが霊がかりだが、いわゆる浅い霊感もそれに属する場合がある。『2.天国にあまりひっかからないこと』については、求道者たるもの、一般にどんな宗派でも善を行い悪を行わないという戒律を守りながら修行しているものであって、修行のあり方そのものが天国的である。これの真逆である、...ジェイド・タブレットの3つのハードル

  • 張良と仙人

    ◎仙人出現を招く(2007-04-07)始皇帝の秦を倒して漢を開いた劉邦の軍師が張良である。張良はもともと病弱であり、漢の統一成った後、一年以上外出せず、穀類を食べず、導引を行って養生に努めていた時期がある。張良は、秦に滅ぼされた韓の五代の王に仕えた宰相の家の生まれであり、私財を投げ打って始皇帝を暗殺しようと、大力の士を雇い重さ120斤の鉄槌を作り、その機会を窺っていた。始皇帝が東に行幸している時、河南省博浪沙で、張良と大力の士は襲撃を敢行した。ところが失敗して、鉄槌を始皇帝の属官の車に当てただけに終り、以後始皇帝により全国指名手配されることになった。そうした中で張良は、名前を変え、江蘇省下邳に逃亡、潜伏していた。ある日下邳の町をぶらぶらしていると、粗末な身なりの老人が張良の前でわざと靴を橋の下に落とし、...張良と仙人

  • 人間の進化とアトランティス-3

    ◎人類史上最大の大輪の花が咲く時代へダンテス・ダイジによれば、レムリア人は意欲人、アトランティス人は感情人、現代人は知性人。そして知情意を完備した姿が人間の完成形である。現代文明はメディテーションとしての冥想のめの字もない文明だが、アトランティス文明でも冥想は意識せられていたし、アトランティス文明に先行したレムリア文明においても生活の中に冥想は息づいていた(ダンテス・ダイジ/戯れに冥想を)。現代の近代西欧文明とはまことに冥想砂漠であって、文明の精華である神の息吹がほとんど感じられない文明となり果てた。OSHOバグワンは、人間の水平方向の発達は既に停止し、これからは、垂直に進化するだけだと云う。『進化は水平に働くが、方法や技法や宗教は垂直に働く。人間の体は停止した―――すでにある一点に達した。終点だ。もはや...人間の進化とアトランティス-3

  • 初期の天皇とアジア

    ◎艮の金神の復活(2015-10-20)艮の金神の東北へのご退隠とは、天皇が極東の島国だけを治めている様をいうのだとも出口王仁三郎は言う。天皇の欠史八代とは、2代綏靖天皇から、3代安寧天皇、4代懿徳天皇、5代孝昭天皇、6代孝安天皇、7代孝霊天皇、8代孝元天皇、9代開化天皇のことで、事績の記述がないことをいう。出口王仁三郎のいうように、9代開化天皇で、世界の統一が完成したということであれば、初代神武天皇の東征以来、9代開化天皇までの時代の天皇の事績は、この日本列島のことではなく、ユーラシア全域のことであった可能性がある。先代旧事本紀の神武天皇の段に饒速日の命が、空を飛ぶ天の磐船で大空を飛翔した記述が出てくるが、この時代は飛行機を持っていたが、まもなくそのテクノロジーは失われた。飛行機のある時代であれば、天皇...初期の天皇とアジア

  • 人間の進化とアトランティス-2

    ◎肉体の変遷あるいは肉体のなかった頃ダンテス・ダイジは、過去の人類について、レムリア人種、アトランティス人種、現代西洋人種(肌の色は問わない)と古い順に三区分する。アトランティス人種ですら8万年前とかに遡れるのだから、レムリア人種はさらに10万年以前の人種なのだろう。肉体も、レムリア人種、アトランティス人種、現代西洋人種共通で、現代のように肉体、エーテル体、アストラル体などの七つの身体を備えていたとは思えないところがある。曰く、現代人は粗雑だと漠然と言われるが、ひょっとすれば、レムリア人種、アトランティス人は現代人のような肉体を備えていなかった可能性がある(エーテル体以上ベースあるいはアストラル体以上ベース)。その傍証として、ダンテス・ダイジの前世において、彼は半人半馬のケンタウロス族だったこと。またエド...人間の進化とアトランティス-2

  • 人間の進化とアトランティス-1

    ◎言葉の変遷と文書の散逸、核による人類自殺体制アトランティス情報の出典といえば、プラトンのティマイオスとエドガー・ケイシーがトランス状態で入った多数の幻視の数々。この二つだけでは雲をつかむような話であるが、これになにがしかの人間の進化に関するヒントを与えてくれるのがダンテス・ダイジ。それを聞く前提になるのは、言葉は時代の変遷によって、すべて変わってしまうということ。せいぜい150年前の明治の初めの北村透谷の文ですら読みこなすのは結構大変であるように、言葉は全く変わってしまう。そして失われた書物がその価値の如何にかかわらず、多数発生すること。佚書、佚文は数多く、春秋戦国時代には当たり前に読まれていた古典も伝わっていないものが多い。仏教文典は、中国における仏教の衰退とともに失われて行き、20世紀敦煌で多数の仏...人間の進化とアトランティス-1

  • 三峡ダム-メモ

    ◎長大なダム湖と人智の限界(2020-07-20)2020年7月17日、長江にある武漢と重慶の間にある三峡ダムの警戒水位145mに対し、157.11メートルと12メートルオーバーになっている(堤高185m)。(https://www.ntdtv.com/b5/2020/07/18/a102897120.html)同時に流域の恩施や宜昌などコロナ禍の始まった頃、都市封鎖となった都市の洪水の動画が続々とネットで流されている。三峡ダムといえば、ダム周辺のことと思いがちなのだが、三峡ダムの特殊性は、同ダムから上流に600キロまで遡った重慶市の長江水面(http://jp.xinhuanet.com/2019-10/27/c_138506743.htm:写真は175m試験貯水時)までダム湖が広がっていることである。...三峡ダム-メモ

  • 中国の水害2024夏、三国志の故地たち

    ◎報道規制、食料不足、民の怨嗟去年の今頃は、三国志の劉備玄徳の故郷である北京近郊の涿州の水害で、実は被災者百万人とも言われ、中国の水害対策の無慈悲に啞然としたものだ。今年は三国志の故地たちが次々と水害に見舞われている。最初は洞庭湖の堤防決壊による華容県の水害。ここは、赤壁の戦いの後曹操と若干の残党が落ち延びてきてここで関羽が尾羽打ち枯らした曹操と相まみえる。ところが関羽は、あろうことか武士の情けで曹操の逃亡を見逃したのだった。そして、関羽が太守を務めていた荊州、そして諸葛孔明の三顧の礼などのゆかりの襄陽、南陽だが、ここも洪水の動画が上がっている。他にも宜昌、夷陵、さらには蜀の国では、綿陽、剣閣なども水害に見舞われている。三国志とは関係ないが、観光地九寨溝も洪水の動画が上がっている。また重慶市の水害は、沢山...中国の水害2024夏、三国志の故地たち

  • 一休、霊照女の画像に賛す

    ◎阿ホウ居士の娘(2016-12-25)南宋の画人牧渓の描いた霊照女の画像を大切に持っている人がいて、一休に賛を入れてもらおうと持ってきた。霊照は、ホウ居士の娘であって、ホウ居士が坐脱しようと時をうかがっていたら、先に坐脱したという並々ならぬ冥想修行者。ホウ居士は富裕層だったが、家財珍宝すべてを舟に積み洞庭湖に沈めてから、竹細工を売りながら清貧な生活を送り修行に打ち込んだという。ホウ居士は馬祖の弟子。さて一休はすらすらと賛を入れた。汝の親の笊(いかき)作り馬祖にだまされて宝を海に捨つる阿ホウ居士の娘これを見た周りの一同あっけにとられた。釈迦といふいたづらものが世にいでておほくの人をまよはするかなというという一休の歌があるが、馬祖といういたづらものに騙されて、あたらホウ居士も財産を失った。私財を持つ持たない...一休、霊照女の画像に賛す

  • 終わりの印と時を選ぶこと

    ◎霊照女からモンゴル(2017-10-27)10月後半になってからの超大型台風など終わりの印には事欠かない。唐代の禅僧ホウ居士の娘霊照は、臨終間近のホウ居士に「日の高さを見ていてくれ。正午になったら、知らせてくれ」と言いつけられた。さて正午に霊照は、「正午になりました。しかも日蝕です。」と父ホウ居士に知らせてきた。ホウ居士が、入り口を出て空を見ている隙に、霊照は、父の座に坐り込んで合掌し坐亡した。父は、彼女の遺骸を見るや「すばしこい奴だ」と云い、自分の命日を7日後と決めた。7日間で、月は90度動く。死は時を選ぶタイプの技なのだろう。兆しを見て時を知れば、心得た者は、そこで覚醒に動く。第二次大本事件前夜、笹目秀和が大本教のご神体を崑崙山中に奉還する旅の出発に際して、日本が、将来モンゴルに移ることが大本幹部か...終わりの印と時を選ぶこと

  • ホウ居士が働きながらでの修行を選ぶ

    ◎働きながら修行できる環境と覚悟今の時代は、よほど稀な境遇でない限り、禅道場やキリスト教修道院のような専門道場で何年も過ごすことはむずかしい。そこで現代は、勢い働きながら修行するというのが主流となる。修行の進み具合によっては、全然働けなくなるシーンがあるもので、衣食住の面倒を見てくれる支援者(細君、愛人、友人、近親など)が、本当に真剣に取り組もうとする冥想修行者には必要なものである。冥想の進み具合によって、そうした環境も自ずと整ってくるということはあるが、そこは考えなくてはいけない部分ではある。ホウ居士は、師匠の石頭希遷に「出家するのか在家で修行するのか。」と問われ、在家を選んだ。その時のホウ居士の偈。『【大意】日常の仕事は特別なことはない。ただこれ自ずからうまく運んでいくだけのこと何一つ選びもせねば捨て...ホウ居士が働きながらでの修行を選ぶ

  • 牛の児を買う

    ◎杜鵑(ホトトギス)の一声が、孤雲を切り裂く道元の正法眼蔵第43巻諸法実相から、天童如浄がある夜、弟子たちを方丈に集めて言った。『【訓読】天童今夜牛児あり黄面の瞿曇(ゴータマ)実相を拈ず買わんと要するに、那(なん)ぞ定価無かるべき一声の杜宇、孤雲の上【大意】わしのところに今夜牛の児がいる黄金の釈迦は、あらゆる真理を手でひねっているそれを買おうとするが、定価がないはずはない。(その定価は、)杜鵑(ホトトギス)の一声が、一片の雲の上を行く』牛の児は、十牛図の牛のイメージであり、あらゆる真理。最後にホトトギスの一声が世界を切り裂くが、これは、チベット密教のpatoの一声と同じ。これで目覚めるのだ。牛の児を買う

  • 盤山宝積

    ◎亡くなった人はどこに行く唐の時代に中国禅で余りにも多くの悟った弟子を出したのは馬祖。その馬祖の孫弟子に当たる普化は、飛びぬけた聖者だった。その普化の師が盤山宝積。盤山宝積は馬祖にその悟りを認められている。『ある時盤山が、托鉢して肉屋の前に立った。その時、一人の客が「精底(生きのいい肉)一斤をくれ」と言うと、主人は庖丁を置いて「俺の店に腐った肉はないぞ」と怒鳴った。盤山は、かたわらにあってこの会話を聞いて、豁然として悟った。また、一日門を出たら、葬式に出会った。坊さんが鈴を振って、「夕日(紅輪)は行く先を決めて西に沈んだが、まだ行く先が決まっていない、亡くなった人はどこに行く」と歌うと、遺族が声を揚げておいおいと哭泣した。盤山は、これを見ておのずから心身玲琅となり、欣喜雀躍して帰り、師の馬祖に話をすると、...盤山宝積

  • 神聖なるものを抱きしめる

    ◎世界は夜明けの最後の星のようインド18世紀のチャランダスの女性の弟子にダヤとサハジョがいた。そのサハジョの詩。『世界は夜明けの最後の星のようサハジョは言うそれはすぐに消えてしまう露の真珠のよう掌(てのひら)に受けた水のよう』(ラスト・モーニング・スター女性の覚者に関する講話OSHO/講話市民出版社P26から引用)明星を見て大悟覚醒したのは、釈迦、空海、クリシュナムルティと多い。だがその明星は金星のことでなく、鉛直の頭上の中心太陽だったに相違ない。おまけに明けの明星はどの季節でも出ているわけではない。この詩の『夜明けの最後の星』は、いつでもある星のひとつであって、最後に輝きを残しているもの。人は、それを手にしようと頑張るが、『掌(てのひら)に受けた水のよう』にすぐに流れ去る。この世のことにもあの世のことに...神聖なるものを抱きしめる

  • 宇宙全体と無、なにもかもなし

    ◎すべての人々を愛するとは、誰も愛さないのと同じ第六身体アートマンを宇宙全体と置いているが、それでは無とは何か。OSHOバグワンも宇宙全体は無、なにもかもなしだと言っている。これを一言で言ってのける人(一休、至道無難、ダンテス・ダイジ)もいて、それで納得できない人は傾聴すべきだろう。『存在と非存在、無とすべて、そうしたものは一見反対だが、実際は同じものを意味している。すべてと無は、同じものを意味する。辞書上では反対だが、生においては反対ではない。たとえば、「私はすべての人々を愛する」というのと、「私は誰も愛さない」というのは同じ意味だ。特定の誰彼を愛して初めて、違いが現れる。すべての人々を愛するとは、誰も愛さないのと同じだ。そこに違いはない。違いというものは、つねに程度問題であり、相対的だ。両極端には程度...宇宙全体と無、なにもかもなし

  • 海底のレアアース

    ◎世の中のものは、すべてが人間が好き勝手にできるものでなく、神様のものがある中国の海洋調査船が目的も説明せず2024年6月、沖ノ鳥島周辺の日本の大陸棚に位置する公海上の海域にブイを設置し、日本政府はこれに対し遺憾を表明した。霊界物語に海底のレアアースという宝が恐るべきものであることが描かれている。欲得で海底のレアアースを取りに行くとその後が良くないという。『船頭は舳に立ちて唄ふ。『ここは竜宮の大海原よ、可惜宝は海の底』と海上の風に慣れたる声を張り上げて繰り返し繰り返し唄ふ。日の出神は、『オイ船頭、今お前の唄つた歌は、あたら宝は海の底といつたなあ、それや又どういふ訳か聞かして呉れないか』『ハイ左様でございます。この頃のやうな春の海では判りませぬが、やがて秋が来ると海の底がハツキリと見えます。それはそれは綺麗...海底のレアアース

  • 如何に時代的な奇跡を起こすか

    ◎岩から湧く水から人と神の逆転へこの時代の奇跡と言えば、万人が覚醒し、至福千年、みろくの世を作ることである。まれに一人二人が覚醒するのはいわば当たり前だが、万人が覚醒するのは奇跡である。なおのこと、いきなりある日突然同時に多数の人が悟りを開くのは、常識的には困難だが、これができれば奇跡である。旧約聖書出エジプト記17に、その骨格を想像させるモーセのエピソードがある。イスラエル人は、モーセが割った紅海を渡りエジプトを脱出したが、旅路を重ねて、レピデムに宿営したが、そこには飲み水がなかった。渇きのあまり民はモーセに詰め寄り、水をくれなければモーセを石で撃ち殺さんばかりの勢いであった。困り果てたモーセが神に伺うと、かつてナイル川を打って血に変えた杖でもって岩を打てとのこと。モーセが杖で岩を打つと、果たして水が湧...如何に時代的な奇跡を起こすか

  • 小暑のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

    ◎きくち体操と平田篤胤の養父篤穏、身体バランス練習、シニア向けきくち体操20分×2と、OliviaLawsonの室内散歩20分×2を一日の目標としてやっている。猛暑により、屋外散歩は、竹脇まりなの室内散歩20分に振り替えている。なお竹脇まりなの室内散歩メニューは、全部で数種類と少な過ぎ。きくち体操は、足首回しと長座の比重が高いが、ポーズに気をとられずに指図をおもに聞いていると、『ポーズや形でなく、意識で動かす』と盛んに言っている。要するに筋肉のやせは、その筋肉について無意識になったところから発生するというニュアンスのようだ。翻って若い人向けの筋トレは、いわば筋肉をつけやすいところからつけているような節があるのではないか。きくち体操では、過去何十年の実績から老人の筋肉のやせがちなところから重点的に強化してい...小暑のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

  • エメラルド・タブレット、ジェイド・タブレット、アメジスト・タブレット

    ◎すべてのものが、この一者の瞑想によるものだエメラルド・タブレットは、至福千年の基本思想。アメジスト・タブレットは、人類がすんなり至福千年に移行すれば、制作されることはない。アメジスト・タブレット・プロローグ(ダンテス・ダイジ)を讃してジェイド・タブレットを書いてみた。12世紀頃西欧に現れたとされるエメラルド・タブレットは、ヘルメス・トリスメギストスの作とされ、心理学でもなく、哲学でもなく、物質変成の化学でもなく、クンダリーニ・ヨーギの見る現実そのものである。ただし、西洋錬金術師達には様々に研究されたが、短すぎて内容に乏しいことから、ダンテス・ダイジの評価は低い。『一、こは真実にして偽りなく、確実にしてきわめて神聖なり。二、唯一者の奇跡の成就に当たりては、下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるも...エメラルド・タブレット、ジェイド・タブレット、アメジスト・タブレット

  • 女神には、無数のオルガズムからの忘我的極点を

    ◎男神には、あの遙かな性愛三昧を秦の始皇帝の母親の趙姫は、女盛りの34歳で前秦王である夫を失い、息子が秦の始皇帝であったので皇太后となったが、孤閨をかこつことになった。丞相呂不韋は、自分と趙姫の関係を清算しようとしたのか、にせ宦官ロウアイを趙姫のつばめとして送り込み、趙姫はこれを寵愛した。これは、儒教の支那でも不道徳と思われたか、あるいは曲がったことでもあるものはあるという支那の合理性の容認するところだったのかどうかはわからない。後にロウアイは趙姫に息子二人を産ませ、秦王政9年には、ロウアイはクーデターを敢行したがロウアイと息子は処刑された。儒家の声が大きい支那では、趙姫は淫乱ということになっているが、ことわざに三十後家は立たずとあるように、その年代の後家さんは性欲お化けになるのはむしろ自然であって、淫乱...女神には、無数のオルガズムからの忘我的極点を

  • 今ここは口に苦し

    ◎生が絶望的だったら、絶望し、それを受け容れる口に苦い絶望を前面に出さない『今ここ』は嘘っぽい。OSHOバグワンが、そこを指摘する。『この現瞬間に生きるよう努める。けっして希望を抱かない―――どんな希望であれ。現世のものにしろ、彼岸のものにしろ、何の変わりもない。たとえ宗教的な希望であったとしても・・・・・・未来なり、彼岸なり、天国なり、ニルヴァーナなり、死後に関わるものであっても、何の変わりもない。希望を持ってはいけない。たとえ今ここにおいてまったく絶望的であっても、ここにとどまり、今この瞬間から動かない。動いてはいけない!それを苦しみなさい。けっして希望を入り込ませてはいけない。希望を通じて夢が現れる。だから絶望するのだ。もし生が絶望的だったら、絶望し、それを受け容れる。けっして未来の物事にしがみつか...今ここは口に苦し

  • スカイ・ダイビングでのパノラマ現象

    ◎数秒で急速な意識レベルの低下(2013-11-21)自衛隊の草創期に習志野第一空挺団に所属していた方の述懐。この方は、人間の高所恐怖は33フィート(約10メートル)が上限で、それより高度が高くなると逆に恐怖感が薄らぐものだとする。これはおそらく自衛隊での定説であり、この理論に沿って訓練メニューが作られていたりするのだろう。そこで33フィートからの飛び出し訓練を終えて、飛行機からのスカイ・ダイビングに挑む。飛行機からは眼下に習志野演習場が見えてきた。『私は二番目に飛び出した。4秒以内に傘が自動的に開く開傘ショックがなければ、予備傘を開く紐を引かねばならない。「一降下、二降下、三降下、四降下」と心で数える。その瞬間にズシンと開傘によるショックがあった。この4秒間の何と長いことか。そして、不思議なことにこのわ...スカイ・ダイビングでのパノラマ現象

  • パノラマ記憶

    ◎カルマを上映するスクリーン(2011-06-04)オランダの心理学者ダウエ・ドラーイスマによるパノラマ記憶についての表現。『パノラマ記憶の最近の体験話で、それよりはるかに共通して用いられる隠喩は映画であり、フラッシュバック、再生、スローモーションのような映画用語である。以下の例は、臨死体験の研究から取ったものである。・「私の人生が瞬間的に再生されているあいだ、時間がわからなくなり・・・・・・」・「カメラから外れたフィルムに写っている」かのように時間が通り過ぎていきました。・温かい人間関係の記憶だけが「選別されてスローモーションで流れました」・「フィルムの早送りのように、画面の一つひとつが、きちんと枠に収まって、はっきりした映像で、速い速度で連続して現れました」・「非常に高速の映画です。ほんのいくつかの出...パノラマ記憶

  • 隙間理論と華厳経

    ◎霊眼とパノラマ現象華厳経では、一粒の微塵の中に巨大な仏国土が存在している。『一一の微塵の中に仏国海が安住し、仏雲が遍く護念し、弥綸して、一切を覆う。一つの微塵の中において、仏は自在力を現じ、神変することもまたかくの如し。諸仏及び神力は、盧遮那の示現したもうなり』(華厳経盧遮那仏品第二之二)つまり時間とは、〈有〉〈隙間〉〈有〉〈隙間〉〈有〉と進行しているが、この〈有〉に過去現在未来を含むあらゆる無数の微塵が含まれている。微塵の中味には滅するものも多いが不滅のものもある。それは、どういう見え方かと言えば、出口王仁三郎が語っている。『ここで自分は神界幽界の現界に対する関係をちょっと述べておこうと思う。神界と幽界は、時間空間を超越して、少しも時間的の観念はない。それゆえ霊界において目撃したことが、二三日後に現界...隙間理論と華厳経

  • 呼吸を用いる冥想法と隙間

    ◎ヴィパッサナーから道元の不思量底とクリシュナムルティの死までパタンジャリが見たとする隙間理論は、想念と想念の隙間。その隙間の時間的長さがあるとすれば、刹那であり千分の一秒とも称する。これに対して人間の呼吸の数は、一分間に12から20であり、冥想で落ち着いた場合には、さらに少ない。つまり呼吸と呼吸の隙間の長さは、千分の一秒どころでなくもっと長いのだろうと思う。その意味で、呼吸の隙間と想念の隙間をとりあえず同列に扱うことには疑問がある。だが、異なるものとも思えない。シヴァが、宇宙への帰一の方法を問われた時に語った呼吸テクニックには四つあって、『-1-光り輝く者よ、この体験は二つの息の間に起こる。息が入った後、息が出る直前-そこに賜物がある。』(内なる宇宙の発見/OSHO/市民出版社から引用)これは、ヴィパッ...呼吸を用いる冥想法と隙間

  • 隙間理論とヴィパッサナー-2

    ◎出入りする息だけが世界となる【呼吸のすき間を見守る】の続き。ここでは、実際のやり方が述べられる。入ってくる息を鼻孔から先(の肺?)まで、息とともに息と同時に意識が一緒になって、急がず遅れず、息とともに内に入り、息とともに外に出る。そうすると、出入りする息だけが世界であり、自分の意識の全領域になる。突如として、息をしていないすき間を感じる。ところが、実際は最初は息と意識を同時に進めることはできないので、まずは息の通路を感じるようにする。慣れてきたら息を感じることができる。だがこのヴィパッサナーは、前世でさんざん訓練を積んだ釈迦ですら6年、マハーヴィーラですら12年かかったので、およそ簡単ではない。ところで、最終的に隙間に至る冥想ならば、隙間の方を強く意識すれば早いのではないかと誰でも思うが、OSHOバグワ...隙間理論とヴィパッサナー-2

  • 隙間理論とヴィパッサナー-1

    ◎呼吸のすき間を見守る隙間理論は、ヴィパッサナーとも親縁性がある。隙間理論とは、時間とは、〈有〉〈有〉〈有〉とのべつ幕無しに進行しているわけでなく〈有〉〈隙間〉〈有〉〈隙間〉〈有〉と進行しているが、〈有〉だけが現象であるというもの。これがヴィパッサナーによると、〈呼気〉〈隙間〉〈吸気〉〈隙間〉〈呼気〉〈隙間〉〈吸気〉〈隙間〉になる。人間は、〈呼気〉で死に、〈吸気〉で再生を繰り返している。ただし、厳密に見ると、これらは、連続しているわけでなく、〈隙間〉で分断している。〈隙間〉には何もない。これぞ色即是空の実態。OSHOバグワンによると、ヴィパッサナーは、もともとはインド発祥だが、東洋全体に広がったテクニックだという。釈迦がこれで菩提樹下で悟ったテクニック。以下の引用文は、『新瞑想法入門』からだが、日本語の字...隙間理論とヴィパッサナー-1

  • 冥想における意識と無意識-2

    ◎ヴィパッサナー(アナパナサティ・ヨーガ)と不眠冥想とは一般に意識的である訓練であるが、只管打坐も意識的であり、ヴィパッサナー(アナパナサティ・ヨーガ)も出入りの息を見つめ続けるのだから意識的である。ある日、OSHOバグワンのところに三か月眠れない仏教僧がやってきた。彼の手足は震え、絶えず汗をかき、ひどいノイローゼだった。精神安定剤も不眠には効かず、落ち着かないまま横たわるだけだった。彼が、ヴィパッサナー(アナパナサティ・ヨーガ)をやっていたことを確認すると、OSHOバグワンは、なんと、眠ろうとするのはあきらめなさい、ヴィパッサナーは、眠りを不可能にする修行だから、と宣告した。OSHOバグワンは、実はヴィパッサナーには、不眠の第一ステップのままでは、狂ったり死んだりすることがあるので、それを避ける第二ステ...冥想における意識と無意識-2

  • 論語と算盤

    ◎ある一定の時期に達するまでは(2011-10-16)さすがに私の本棚には、論語はない。孔子は、晩年に覚醒したのだが、論語は孔子の若い時の言行録であって、未悟なる者の言行は、絶対的なものとして採用することなどできないからである。苦心の経過として参考になるところはあるのだが。孔子の言行は、荘子などの求道者から見て妙なことを大真面目にやっているようなところがあって、荘子などでは、論語そのものではないが孔子をネタに大ボケをかましている部分がしばしばある。「論語と算盤」は、明治の実業家渋沢栄一の口述になるものだが、論語の一条一句を説明しているものでなく、論語をネタに処世、人生をコメントしているもの。渋沢栄一は、悟ってはいないが、私心のない人物とされており、後の三井、住友、三菱などといった、自分の一族郎党の勢力を数...論語と算盤

  • 渋沢栄一の実験論語処世談を読む

    ◎魂年齢が若い(2021-05-31)渋沢栄一は、老子や禅は読まないそうだ。その点では、西郷隆盛や勝海舟に比べると、魂年齢が若い。西郷隆盛や勝海舟も相当に禅で行けているのに比べると、人生への洞察は未だしの感がある。渋沢栄一は、論語を座右の銘として処世してきた。彼は易はこれから学ぶなどと云っているので、孔子の域には達していない。最近のスピリチュアルに関心のある人向けに言えば、四書五経の中で、ストレートで究極を説いているのは、大学、中庸、書経。あの世とこの世の構造を描いているのは易経。孔子は晩年大悟したと思われるのだが、それ以前の言行は論語に多く拾われているものの、禅家、道家から見れば、この世にまだ未練が残っている段階であって、自分を死ぬ準備はできていない。そんな具合だから、荘子においては孔子の言行は突っ込み...渋沢栄一の実験論語処世談を読む

  • 冥想修行者の人生観

    ◎神である自分と人間である自分の両様の自分を生きる人生観冥想修行者の人生観とは、覚者の人生観に近づくことである。思想、信教の自由の下では、人間の人生観など他人に教えてもらうものではないと思っているのだろうが、その自分の考えの9割以上が外からきたものであるからには、その人生観とは現代のあらゆる形でのマインド・コントロールの結果であって、いわば自分の人生観は、「自分の」ではなく、どこかの知らない他人の人生観の複合物であろう。人間には、社会人・肉体人としての公生活とあらゆるとんでもない思いまで含む私生活がある。だが、ジェイド・タブレットに示した通り、本来人は、神である自分と人間である自分の両様の自分を生きるべきものである。本来あるべき人生観とは、『時間も空間も現象もない神仏である私は、時間と空間と現象の中に、あ...冥想修行者の人生観

  • 冥想における意識と無意識

    ◎肉体意識から夢を見ないまで古代インドでプラジャーパティが熟眠中でも夢を見ない意識状態を至高のものとして求めて以来、冥想修行者にとって無意識をすべて意識化することが、最終的目標である。アメリカの覚者ケン・ウィルバーですら、熟眠中でも夢を見ない意識状態到達には苦戦した。無意識の意識化について、OSHOバグワンは、一歩踏み込んだことを言っている。薬物のように肉体レベルの化学作用が人を酔ったり無意識にしたりできるということは、一般に薬物の方が人間の意識より強力だということ。ところが、タントラの技法では、人を酔ったり無意識にしたりする薬物を摂取しても人は意識的なままでいることができるとする。このような例としては、ラム・ダスの出会ったニーム・カロリ・ババ(マハラジ)が、普通の人が飲む6倍もの強烈な効き目のLSDを3...冥想における意識と無意識

  • コア オブ ジェイド・タブレット

    1.人間には、各々霊線があって、これを根源までさかのぼると、自分がすべてのすべてである神仏であることに気がつくことができる。2.すべての他人が、神仏である自分の一部であることがわかれば、もはや他人を傷つけることはできない。そこには愛だけがある。3.時間も空間も現象もない神仏である私は、時間と空間と現象の中に、あらゆる物語を戯れている。それと同時に、人間である私は、私にしかできない生き方で生き切り、そして死んでゆく。これが、神仏と人間を同時に生きる二重性。コアオブジェイド・タブレット

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