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2024/05/30

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  • 和歌に見えるアストラル・トリップ

    ◎神を知らない段階でのアストラル体の漏出は危険(2010-06-07)アストラル・トリップと中心太陽突入とは全く異なるもので、昨今世間で話題の体外離脱はほとんどがアストラル・トリップのことである。そして人間の根本的救済、あるいは苦悩からの超脱は、アストラル・トリップにはなく、中心太陽への突入の側にしかない。そもそも肉体レベル(物質レベル)には無数の銀河、宇宙があり、エーテル体レベルにもおそらくは無数の宇宙があり、またアストラル体レベルにも無数の宇宙があるのだろうから、たとえばポイント50やエリア70を探検したからといって、それは実に膨大な宇宙の中の極く一部を垣間見たに過ぎないのだと思う。出口王仁三郎の雑誌神霊界の中に鎮魂御伝という文章があり、和歌に見えるアストラル・トリップを特集している。鎮魂とは、瞑目静...和歌に見えるアストラル・トリップ

  • エッセンス オブ ジェイド・タブレット(裏)

    《1.出生と乳児》意識することなく、神(仏)と人間の結節点(結び)を生きている。《2.三歳》一旦神を喪失し、再び神を生きることを目指す探求の旅が始まった。《3.思春期の水平の道》心身のアンバランスをてこに、自分自身に向き合い、物質、時間、空間という固定観念を打破する。《4.思春期の垂直の道》霊能力や超能力にこだわらず、トランスに入り、脱身して神人合一を真似ぶ。《5.青春期以降の水平の道》大悟覚醒し、その馥郁たる香気を持ちながら仕事も家事も行う。《6.青春期以降の垂直の道》あらゆるマインド・コントロールを払拭し、一段一段、脱身から神人合一を目指す。《7.天国まで》ひたすら天国的に生きて行けば、神も悪魔も超える試練があるが、それが自分自身に直面するということ。《8.地獄も超えて》天国を乞い願う気持がピークにな...エッセンスオブジェイド・タブレット(裏)

  • エッセンス オブ ジェイド・タブレット(表)

    《1.出生と乳児》乳児は幼き帝王だが、生まれながらにして覚醒しておらず、無意識にいる。《2.三歳》人は三歳で、全能感を感じ、初めて神を喪失する。《3.思春期の水平の道》神を感じやすい時期で、自分の希望を持ち、生への希望を持って生きる。《4.思春期の垂直の道》しみじみとした心で、目覚めた神秘のエネルギーにより究極を目指す。《5.青春期以降の水平の道》大悟徹底を目指し、中間段階はなく、身心脱落した後は、日常生活がそのまま真理あるいは仏法として生きる《6.青春期以降の垂直の道》まず見神見仏を目指し、中間の段階をステップアップしつつ、最終的に神人合一する。《7.天国まで》人はまず天国的なものを希求するが、肝心の神仏は、天国にはなく、天国の先にあるけれど、天国の側を窮めることだけが神仏への道。《8.地獄も超えて》そ...エッセンスオブジェイド・タブレット(表)

  • 禅の孤独と寄る辺なさ

    ◎枯淡、峻厳、孤独伝灯録15の洞山の章から。洞山の室に、燈明もつけないで真っ暗なところに、一人の僧が参禅にきた。以下の先生とは洞山のこと。『ある夜、灯明に火がついていなかった。僧がでてきて、質問した。あとで、先生は侍者に火をつけさせて、今の僧をよび出させる。僧は、進みよる。先生、「二つぶ三つぶ、香をもってきて、この上座にやってくれ」僧は、袖をはらってさがるが、これがもとで道理に気づく。そこで、持っていた衣を売りはらって、みんなに食事を供養した。僧は三年たって、先生にいとまをつげる。先生、「気をつけてな」ちょうど、雪峰がそばにひかえていて、こうたずねる。「この僧、あんなふうに出ていって、いつ帰ってくることか」先生、「あいつは行くことしか知らん、再来はできまい。」僧は僧堂にかえり、自分の座席で、坐ったまま死ん...禅の孤独と寄る辺なさ

  • 炊事の繰り返しで悟る

    ◎焼餅屋だった龍潭道元のことにも出てくるが、禅寺の典座(炊事係)でも悟りの修行ができる。以下に示す龍潭は、もともと門前の焼餅屋さんであったが、出家してからは、食事係ばかりやらせられて、一年経っても和尚が悟れる秘訣を教えてくれないとぼやく話である。禅の六祖恵能は、坐らせてもらえず、ずっと寺で米つきばかりやってた。実は、これらは坐らないからには、一行専心の修行であって、坐る冥想とは全く異なる行である。禅の坐る冥想とは、只管打坐、隻手や無字などのマントラ禅、公案禅に大別されるが、一行専心は、坐らないので全く別種。一行専心とは、仕事を精密にやり続ける事上磨錬、武道(柔道、剣道、合気道)、芸道(書道、茶道、華道、香道、歌道、舞踊、ダンスなど)に加え、絵画、彫刻、建築、工芸、デザイン、写真、作曲、声楽、器楽、指揮、ダ...炊事の繰り返しで悟る

  • 禅問答の二つの相

    ◎いつまでも続けることができない禅は、悟っているか悟っていないかであって、中間段階はない。そして禅問答の大半は、悟っていない弟子が悟った師に問答をしかけるが、けんもほろろに相手にされていない問答になっている。だから退屈なのが多い。禅の公案は、ジュニャーナ・ヨーガのネタであり、そもそも正解のない問題を「正解のない」ことを世界全体が受け容れるまでやる。だが、そのような問答の中には、悟った後の世界の二重性について言及しているものがある。長沙和尚の話。『三百則下56則の「長沙刈茅割稲」の話も、自己の立場を明確に示している。ある僧が長沙に問うた、「本来人は、一体、成仏するのでしょうか」。長沙、「あなたは「中国の天子が茅(かや)を刈り稲を割(か)るかどうか』言ってみよ」。僧、「成仏するのは、誰でしょうか」。長沙、「外...禅問答の二つの相

  • 米欧ロ核戦争の噂

    ◎かいなき終わり世の終わり2024年6月4日米紙ニューヨーク・タイムズは4日、米国製の武器を使って、ウクライナ軍がロシア国内を初めて攻撃したと報じた。米国製武器をウクライナがロシア領攻撃に使用するのは、核兵器を保有するロシアと米国の直接戦闘につながると懸念されていたが、これでNATOの欧州とアメリカ対ロシアの核戦争の可能性がぐっと高まった。実際に各紙や専門家の論調は、数か月以内の欧米とロシア間での核戦争を予想するものが増えている。なぜ数か月以内かというと2024年11月の米大統領選挙以前での開戦の可能性を予想しているからである。NEWSWEEK日本版“【動画】米ロ全面核戦争シミュレーション”2022年9月15日(木)19時07分では、米ロ核戦争がエスカレーションして、両国とも全滅する核戦争が上がっている。...米欧ロ核戦争の噂

  • 少年宗峰妙超、ペットの子犬を難詰する

    ◎播磨の悪童(2017-11-11)今の日本の禅は、曹洞宗と臨済宗に分かれ、臨済の方は大燈国師宗峰妙超の系流だけが残っている。宗峰妙超は、大徳寺の開山だけあって、日本人の精神性に相当に大きな影響を残してきた。少年宗峰妙超は、ある時子犬を綱でつないで引っ張ったが、犬はついてこようとせず、一歩も動かなかった。彼は怒り、子犬を竹杖でたたいた。あわれ子犬は、悲しそうにキャンキャンと吠える。なおも彼は「畜生のくせに死を恐れるのか」と子犬を叱る。これを見かねた通りすがりの人が、「お前だって死を恐れるだろう。まして子犬のことだ。」宗峰妙超は、「生あれば必ず死がある。人が死を恐れるようでは、犬と何ら異なることはないではないか。」と。通りすがりの人は、この小童の言葉を聞いて舌を巻いて驚いたという。一日、ある人が刀を磨いてい...少年宗峰妙超、ペットの子犬を難詰する

  • 夏至のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

    ◎きくち体操復活、身体バランス練習、シニア向け1か月ばかりOliviaLawsonの室内散歩20分×2を中心のエクササイズにしたら、膝裏が硬くなり、猫背になってきたので、これは、猫背、へっぴり腰、膝を曲げたままの老人の歩行姿勢になりそうなことがわかったので、きくち体操を復活した。といっても、きくち体操は一貫して継続して朝一番の体操メニューに10ポーズ程度は入っていたが、短時間過ぎて効果がなかったということ。1年ほど前にきくち体操を大幅カットした理由は、ふくらはぎなどの筋肉がついてこないことが理由だった。確かにOliviaLawsonの室内散歩は強度があって、筋肉の張りは出る。だけれど筋肉増強までには至らなかった。最近一日にきくち体操を40分から1時間やってみると、きくち体操は、老化により筋肉がやせたり弱っ...夏至のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

  • ヴィパッサナーとボクシング

    ◎感情が優勢で思考は効かなくなるブリザードでの冥想現象という動画は、無数の静止画と隙間によってできている。隙間が無(ニルヴァーナ)であって、静止画が有(アートマン)。よって人間は静止画は認識できていると思い込んでいるから、冥想とは、隙間を認識しようとすること。2千年前は人間の中心は肚だったが、次第に胸に移り、今人間の中心は頭に移った。これを頭人間と云う。標高8千メートル以上の高山では、感情が優勢となり、思考は効かなくなる。感情とは無意識の側であり、思考とは意識の側。無意識の側にも静止画の側と隙間の側の両方がある。人間は無意識の側が完全に優勢になれば、これを発狂と呼ぶ。冥想修行とは、無意識を操作することだが、コントロールしづらくなる無意識のブリザードの中で、神仏のサポートを受けつつ、素直で冷静に最終段階まで...ヴィパッサナーとボクシング

  • 白隠の和風公案

    ◎男も女も、恋愛に、ライフ・プランに惑う(2020-06-18)本木くんの出演する映画ファンシィダンスの法戦式シーンでは、華麗な禅問答が漢語で次々と戦われるのだが、初めて聞いてわかる人は相当に禅籍を読みこなせている人だけだろう。事ほど左様に中国の禅問答は、よほど古代中国の歴史と仏教の歴史、禅僧の来歴、中国の風俗、生活習慣に詳しくないと意味がとれないところがある。十牛図であってもそう。そこで、中国公案では単なる記憶力ゲームになるとして白隠が和風公案を出してきた。「海上の帆掛け船をここにいて止めなさい」「印籠の中から富士山を出してみなさい」「東海道に一人も人が通らないのはなぜか」「両手をうてば声がするが、隻手(せきしゅ)(片方の手)には何の音があるか」こうして漢文の素養のない者でもストレートに疑団に取り組むこ...白隠の和風公案

  • 中国ドラマ「花散る宮廷の女たち」

    ◎禅の六祖壇経(2020-09-21)東京12チャンネルで中国宮廷ドラマ「花散る宮廷の女たち」を放映している。中国宮廷ドラマは、時々見ることがあるのだが、今回のドラマの特徴は、キスシーンが多いこと。それと、いつも必ず出てくる「皇帝が何枚もある夜伽の女性札から一枚をひっくり返すと、簀巻きにされた当の女性が皇帝の寝室に運び込まれるシーン」がないこと。康熙帝には、35男20女の子がいて家康もびっくり。後継者争いは年長の9男くらいで争ったが、後継者争いのしこりは、四男雍正帝が即位してからも残った。雍正帝は自らの後継者問題を防止するために皇太子を置かず、後継者の名は錦の箱に入れて乾清宮の正面の額の裏に置いて、皇帝の死後に衆人立会いの下でこれを開くという「太子密建の法」を採った。この方法で後継者争いは起きなかったとさ...中国ドラマ「花散る宮廷の女たち」

  • ジェイド・タブレット外典のストラクチャー

    《1.出生と乳児》水平と垂直(冥想十字マップ)《2.三歳》世界的に意識レベルが低下していく時終わりの世の意識レベルの低下《3.思春期の水平の道》科挙不合格組、不登校組-1-呂洞賓科挙不合格組、不登校組-2-王重陽科挙不合格組、不登校組-3-空海科挙不合格組、不登校組-4-ダンテス・ダイジ《4.思春期の垂直の道》《5.青春期以降の水平の道》天の露あるいは天の精気-1天の露あるいは天の精気-2タロットの宇宙天の露とオルゴン月の露天の露、コエンドロの実コリアンダー、パクチー、香菜(シアンツァイ)から天の露千利休の一碗の茶の真の味丿貫の利休評など《6.青春期以降の垂直の道》イエス・キリストができたこと、できなかったこと(薔薇十字団、薔薇色の血の意味)イザヤの召命(木の切り株だけ残っても)宇宙空間への一時疎開(第三...ジェイド・タブレット外典のストラクチャー

  • ネガティブ予言をどう考えているか

    ◎まずは自分が神仏を知る私がネガティブ予言を考える場合に、次のような判断軸がある。実現するのかしないのか。現実化する予言なのか、単に霊界だけで起きていて、現界に移ってこない予言なのか。予言をした人は、悟っているのか、悟っていないのか。予言をした人は、予言の実現時期をわきまえている人なのか、そうでない人なのか。ネガティブ予言は、一人でも多くの人が神仏を知ることで、ネガティブ予言が現実化しないようにすることができる。ただし、極ジャンプのように神仏を知る人の多い少ないにかかわらず、起きてしまうようなものもあるようだ。「1.実現するのかしないのか。」は、その予言を発した瞬間に、事象はズレはじめ、結果的にはずれることがままある。つまり、予言した瞬間にはずれはじめるというのが、予言一般の基本性質。「2.現実化する予言...ネガティブ予言をどう考えているか

  • 上実下虚と下実上平

    ◎憑依と脱身日本では、古事記以来帰神の伝統があるので、神下ろしすなわちシャーマニズムが津々浦々にある。神下ろしに好適な状態は、上実下虚。本山博によれば、上実下虚は、気が胸、背部、頭部に上がった状態で(上実)、特にスワジスターナ(丹田)とムラダーラ(会陰)で気が足りなくなった状態を言う。この状態は、非常に不安定な状態であって、変な霊がとりつきやすい状態である。こうなると呼吸は速く、浅く、心拍も速く、意識はぼーっとしていて、神仏の信仰心がないか薄い場合は、アストラルの変な霊がとりつきやすいという。これに対して、ムラダーラ、スワジスターナが気が充実し活性化され、胸部、頭部が羽毛のように軽く、明るく、呼吸がないようになるのが、これが、下実上平。(以上参照:神秘体験の種々相1/本山博P172-179)下実上平は、定...上実下虚と下実上平

  • チベットの愛と慈悲の引き寄せの法則

    ◎トンレンの行世上に流布している引き寄せの法則のほとんどは、自分がうまい汁を吸おうというものであって、その後の反作用を考えるとおいそれとは取り組めない代物だ。チベットのトンレンという引き寄せの技は、次のようなものである。1.慈しみの心という泉の封印をとく誰かにやさしくされた時や、誰かに愛された時に、そのことを思い出す。そこで心を開くと、してくれた人に向かって愛が流れ出す。2.自己を他者とみなし、あわれみの心を持つ他人を自分と同じ一人の人間だとありありと想像する。快いものは受け容れ、いやなもの苦しいものは受け容れたくない同じ人間だと想像する。3.自分を他者に置き替えて憐みの心を持つ苦しんでいる人がいたら、自分をその人に置き替えて憐みの心を持つ4.最良の友や最愛の人を、その苦しんでいる立場の人に置き替えて想像...チベットの愛と慈悲の引き寄せの法則

  • ジェイド・タブレットのストラクチャー

    【ジェイド・タブレット】《0.自序》ジェイド・タブレットについて(自序)《1.出生と乳児》出生と乳児の時期《2.三歳》三歳黒人掃除婦の三歳になる息子芭蕉、三歳の捨て子に会う郭巨が三歳の子を捨てに行く三歳の全能感と神の喪失の始まり《3.思春期の水平の道》思春期の水平の道冥想フリーク盤珪正受慧端トレヤ・キラム・ウィルバー思春期の見性《4.思春期の垂直の道》垂直の道のエッセンス垂直の道の世界観脱身の各種トランス-微細身への通路想念の隙間とその深度ダンテス・ダイジの脱身柳華陽の脱身出口王仁三郎の脱身《5.青春期以降の水平の道》青春というもの塩沼亮潤大阿闍梨-1-九百九十九日、人生生涯小僧の心塩沼亮潤大阿闍梨-2-四無行、断食、断水、不眠、不臥塩沼亮潤大阿闍梨-3-悟りと人格の陶冶は別物、人間関係に悩む塩沼亮潤大阿...ジェイド・タブレットのストラクチャー

  • オージャスの実際

    ◎エクソシストよりニルヴァーナを生きること房中術といえば、接して洩らさずであって、それでため込んだエネルギーのことをオージャスと呼ぶ。ダンテス・ダイジのオージャスへのコメントは、次のようなところ。1.隠者タイプのヨーガ行者は、ある行法によって、情欲をオージャスという霊的エネルギーに変換することができる。2.だがそれは隠者タイプの人間に適合した生き方であって、この世の人間生活を余すところなく全うする生き方ではない。3.オージャスというエネルギーは超能力・霊能力といった心霊能力に変換できる程度のもの。4.そうした心霊能力でもって、邪悪な霊を追い払ったり支配するよりも、もともと邪悪な霊など存在しないという大悟覚醒の中で、あるがままの人間生活を送ることの方がより豊かな霊的生活である。これは、オージャスを蓄積する中...オージャスの実際

  • 火と水による滅亡(ティマイオス)

    ◎高地の破壊、低地の破壊(2011-07-13)ティマイオスにあるクリティアスの談話。火と水による人類の滅亡がクリティカルなものであるとし、その他の要因、例えば核戦争みたいなものは破壊が限定的であることを示唆する。これは出口王仁三郎や仏教の、大三災は風水火、小三災は飢病戦という認識と共通している。そして生き残るものは、火による破壊ならば、河海に近い者、低地の者、水による破壊ならば、高地の者。現代文明は低地に発達した文明なので、水による破壊の方が被害は甚大である。聖書では大雨が降り続いてノアの大洪水となると描くが、それはむしろレア・ケースであって、津波や地盤沈下による海水面上昇の方が、水による大破壊では多いという見解であると読める。『すると神官のうちでも大そう年とった一人が、こう言ったというのである。『おお...火と水による滅亡(ティマイオス)

  • 冥想が冥想を冥想し続ける

    ◎ジェイド・タブレット-13-10◎冥想自在-10◎冥想自在の構造-10◎過去25年のモラトリアムの意義1970年代から、冥想に本格的に打ち込んだ人たちの生活の面倒を見ることは、冥想修行者にとって重要なテーマの一つだった。だが、それがとても困難だったことは、1970年代も今も変わらないし、今は状況はさらに悪化している。そもそもノストラダムスは、1999年7月を指し、ダンテス・ダイジも20世紀末の大変動を指摘していた。20世紀末にそれは発生することなく、なぜか2024年までモラトリアムは延びている。これは、20世紀末に発生した場合、人類の成熟が不十分で生き残る人数が少なすぎるので、延期して更なる成熟を図ろうという、神様の大慈悲によるものだったのだろうと思う。ところが、状況は1999年から改善したかと言えば、...冥想が冥想を冥想し続ける

  • イスカリオテのユダは特別扱だった

    ◎13番目の係累(2015-12-26)「原典ユダの福音書」からイスカリオテのユダについてイエスが言及している部分。※[]は、英訳者が推定して復元した部分。イエスは、弟子たちに、あなた方には、私がわからないだろうと、やや挑発する発言をした。『これを聞いて弟子たちは腹を立て、怒りだし、心の中でイエスをののしり始めた。彼らが[理解]していないのを見ると、[イエスは]彼らに[言った]。「なぜこの興奮が怒りに変わったのか。あなたがたの神があなたがたの内にいて、[・・・]があなた方に心魂の[中で]腹を立てさせたのだ。あなたがたの内にいる、[勇気のある]完全なる人を取り出して、私の眼前に立たせなさい。」彼らは口を揃えて言った。「私たちにはそれだけの勇気があります」しかし彼らの霊は、イスカリオテのユダを除いて、[イエス...イスカリオテのユダは特別扱だった

  • ケルソス反駁に見るユダ像

    ◎不安定な悪役(2015-12-09)ケルソス反駁という文章は、オリゲネスが著したもので、何かとイエス・キリストの事績を批判するケルソスに対し、オリゲネスが公平な立場で、ある程度イエスを擁護していくものいである。福音書を見る限り、銀貨30枚で師匠を売り渡したユダは、イエスに接吻することで、イエスに対して尊敬の念を持っていたようである。またイエス刑死後は、銀貨を返しに行ったり、反省の念からか自殺するという挙に出ている。ユダはイエスを敬慕していた。ところが、イエスは官憲から逃亡の旅をしているところ潜伏先を急襲されて逮捕されたのではなく、ユダヤ官憲に誰がイエスかと問われ、自分がイエスだと答え進んで官憲に我が身を引き渡している。だから、官憲に対してユダが潜伏先情報を銀貨30枚で売ったからイエスは身柄を確保されたと...ケルソス反駁に見るユダ像

  • ケルソスの語るイエス一家

    ◎イエスの生い立ちの真相(2015-12-10)ケルソスは、イエス一家の姿について当時の有力説を以下のようなものだと披瀝する。イエスは、ユダヤの村の出身で、田舎の貧しい糸紡ぎ女から生まれた。彼女の夫は大工で、彼女は姦淫の咎めにより、夫から追い出された。彼女は夫に放逐されて恥辱に満ちた放浪を続けているときに、ひそかにイエスを産んだ。イエスは貧困のためにエジプトに出稼ぎに行き、そこで超能力(奇跡力)を披露して、ユダヤに帰還したときに、この超能力ゆえに神と自称したと。(出典:キリスト教教父著作集第八巻オリゲネス/日本教文館P35)この話は、広く伝わっていたがゆえに真相に近いものだったろう。我らは週刊誌ではないので、生い立ちについてはあまり興味はないのだけれど。2000年前に、すでに救世主イエスは、現代の覚者のよ...ケルソスの語るイエス一家

  • 義の教師メモ

    ◎十字架で殉教せず(2012-11-11)死海文書が発見されてから、義の教師という聖なる修行者が当時いて、義の教師は十字架にかけられて殉教し、彼の弟子らは、義の教師がメシアとして復活するだろうと考えたということが定説の一つとして流布している。これに対して、「イエスと死海文書/ジェームズ.H.チャールズウァース編著/三交社」では、次のような結論を下している。『(1)義の教師が殉教したとか、十字架刑を受けたという証拠は何もない。(2)彼は確かにある点ではイエスの先駆者であったが彼は十字架につけられはしなかった。そして確実に彼は、十字架につけられたメシアとして崇敬されはしなかった』(イエスと死海文書/ジェームズ.H.チャールズウァース編著/三交社P403から引用)要するに義の教師とイエスは別人だという説である。...義の教師メモ

  • 愛、不思議に静かな夜だった

    ◎ジェイド・タブレット-13-9◎冥想自在-9◎冥想自在の構造-9◎救いなどない絶望の極みから愛が開ける愛とは、慈悲のこと。大慈大悲のこと。愛とは、とてもとても悲しいということ、悲しみの極み。好きだ嫌いだの愛情と、愛とは違う。愛が悲しみであるということはダンテス・ダイジの胸のアナハタ・チャクラの説明に出てくる。『ステップ4.すべてが自己である愛・慈悲大いなるすべてのものに対するいとおしさすべてが一体であるという感謝底知れぬ生命の絶望と悲しみ』(「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」/ダンテス・ダイジ/森北出版P120から引用)愛が極まる超能力とは、他心通なのだろう。人間には七つのチャクラに配当される属性があるが、なぜ愛だけが推されるのだろうか。『ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ』の只管...愛、不思議に静かな夜だった

  • 的確に学ぶ

    ◎ジェイド・タブレット-13-8◎冥想自在-8◎冥想自在の構造-8◎冥想は的確に学ばないと一生を誤りかねない何もわかっていなかった頃、ダンテス・ダイジの話の中に『的確に学ぶ』という言葉がでてきた。20代前半のことで、禅とクンダリーニ・ヨーガ(密教系)は違うということは、漠然とはわかっていたが、個人として禅に行き詰まればクンダリーニ・ヨーガに移るくらいのことは、よくあることと認識していたので、その区別さえいい加減に考えていた。その後、いろいろな場面で冥想は的確に学ばないと一生を誤りかねないということを身に染みて知ったので、『的確に学ぶ』ということで記事を挙げる。20代前半の頃、地下鉄サリンの某カルトや昨今世間を騒がせている某カルトの勧誘が非常に盛んだったが、幸運にも私はそういう場面に出くわすことはなかった。...的確に学ぶ

  • 人間のどうしようもなさ

    ◎ジェイド・タブレット-13-7◎冥想自在-7◎冥想自在の構造-7◎醒めていて同時にもの狂おしい仲村八鬼の温泉宿という詩に、人間のどうしようもなさを見る。『温泉宿仲村八鬼真珠の粉をまき散らす深夜の雨が廂や木の葉をたたいて秋の霊魂をひしひしと浄めはじめた主観を客観におきかえて精緻に抽出した明快な村野四郎の現代名詩鑑賞に時を忘れていた誰にも書けない煮えたぎるぼくだけの詩を書きに来たのだが、書けないから寝られないのだ食事の時からまつわりついていた大きな蛾は.襟首にまで飛び込んだので放置できない妊婦のような動作なのだが手におえない素早さもあるこれはどうしても寝る前に殺さねばならぬ手洗いに立つと赤い絨毯を踏んで階段を下りてくる男女に出会ったよろける肩を組んで浴場の方向に消えた女の顔には見覚えがあった夕刻、フロントで...人間のどうしようもなさ

  • 女性的自我の充足-2

    ◎ジェイド・タブレット-13-6◎冥想自在-6◎冥想自在の構造-6◎女性的自我なる鉢かづき姫美人でしとやかな若い女性が、なぜ鉢をかぶって世を生きなければならないのだろう。これが、童話鉢かづき姫を知った幼児における最初のインプレッションである。鉢は女性的自我で、最愛の夫との結婚でハッピーエンドを迎える。おとぎ草子では、姫が13歳のみぎり、母が病気となって、死を予感する。そこで母は、一人残される姫のことを案じて、なぜか鉢を姫の頭にかぶせる。これが鉢かづき姫の始まり。母の死後、父は再婚するが、継母によって鉢かづき姫は追放され、大きな川に身を投げる。ところが鉢が浮き袋となって沈まず、親切な漁師に引き上げてもらう。九死に一生を得た鉢かづき姫だが、村人は頭に鉢のある奇妙な姿をみて嘲り笑う。ここにリッチマン山蔭の中将が...女性的自我の充足-2

  • 女性の殉死

    ◎それでも幸せ?(2007-05-25)明の成祖永楽帝が亡くなったその日、永楽帝と親密であった三十人あまりの宮女が庭園で豪華な昼食にあずかった。昼食が終わると皆殿堂に案内された。殿堂には、木製の小さな寝台がずらりとならんでおり、それを見た宮女の泣く声に殿堂全体が震えたという。宮女を寝台に立たせると、梁につながっている縄を首にかけて、役人が寝台を取り除いて縊死させたのである。周の幽王の墓では百体以上の遺体が発見されているが、一体以外はすべて女性。危篤の床にあった唐の武宗が、寵愛する王才人に、わしが死んだらお前はどうすると訊くと、王才人は「殿とともに九泉に参ります。」と答えたところ、すぐに首吊り用の布を与えられたので、自ら首を吊って死んだ。王才人は、後にその節操を讃えられたそうな。これらは、人に厳しい中国の、...女性の殉死

  • 女性的自我の充足-1

    ◎ジェイド・タブレット-13-5◎冥想自在-5◎冥想自在の構造-5◎最もあなたにふさわしい夫は与えられているあまりにも常識過ぎてかえって知られていないものの一つが、本当の自分に直面し、最後は自分が大死一番を敢行し、自分と世界を棄て、絶対無(神)となる冥想修行は、男性のチャレンジであって、女性のチャレンジではないということ。女性は、最愛の男性に巡り合い、恋愛の果てに、その男性の子を出産することが女性的自我の充足である。このストーリーは、LGBT公認で、孤独生活者4割の時代に、とても時代遅れなことを言っていると思われるかもしれないが、人間の元型には男女の別があり、そこから導きだされる根本原則とでもいうべきものだと思う。ダンテス・ダイジは、10代の頃、女性をとっかえひっかえ交際、同棲などしてセックスの何たるかを...女性的自我の充足-1

  • 菩薩と見仏・見神・見性

    ◎ジェイド・タブレット-13-4◎冥想自在-4◎冥想自在の構造-4◎君子、神の子、神の生き宮、菩薩菩薩は、元々は、釈迦成道以前の釈迦を指して、悟りが確定した人という意味だった。釈迦の成道は明星望見なので、正確には見仏であるように思う。つまり成道以前の釈迦は、未見仏であるにもかかわらず、悟りが確定していたと考えられていたわけである。これが菩薩の原義。ところが、成熟バロメーターには見仏見神を入れていない。その理由は、見仏見神後において、悪の側に戻るケースがあるからであるよって釈迦は未見仏であるにもかかわらず、悟りが確定していたというのは、ジャータカなどの過去の無数の前生の釈迦の事績を考えれば当然と言えば当然だが、一般的とはいえない。普通の人は、見仏見神してももとに戻るのに、いわんや未見仏で究極に対して不退転に...菩薩と見仏・見神・見性

  • メリットを求めない冥想へ

    ◎ジェイド・タブレット-13-3◎冥想自在-3◎冥想自在の構造-3◎無用の用への動機どうすればあらゆる実感を経ることができるか。あらゆる実感を得るためには、冥想しなければならない。さて冥想には、メリットを求める冥想とメリットを求めない冥想があるが、あらゆる実感を得るための冥想は、メリットを求めない冥想である。メリットを求めない冥想とは、無用の用である。無用の用には二つの次元がある。最初の次元は有の世界の中のこと。最初の無用の用は、物質的なことより、精神的なことに価値があるということ。つまり金や権力や地位やセックスなどより、神、仏、聖なるものの方に価値があるということ。あるいは、自分のことより他人のことに価値があるということ。OSHOバグワンは、無用の用のことを、『逆のものどうしが助け合いバランスをもたらし...メリットを求めない冥想へ

  • 百億の誕生と死と再生を見る

    ◎ジェイド・タブレット-13-2◎冥想自在-2◎冥想自在の構造-2◎あらゆる実感を経るということ冥想は、一般にメディテーションを指すが、ダンテス・ダイジが冥想を戯れるという場合の冥想は、その意味ではない。全知全能にしてすべてのすべてであって、なにもかもなしである神にして、みじめで情けなく、髪の毛一本白くも黒くもできない人間であるもの、それが冥想。要するに全宇宙にも過去現在未来にも、個人にも共通して存在するクンダリーニのエネルギー・コードだが、そのことを「冥想」と呼んでいる。つまり冥想とは、意識、心理、身体の総称。個も世界全体も含む総称として冥想と呼んでいる。よって、すべてを棄てられるようになって、初めて冥想自在の入口と言える。留意すべきは、現代文明はメディテーションとしての冥想のめの字もない文明だが、アト...百億の誕生と死と再生を見る

  • すべてを棄てるのは容易ではない

    ◎ジェイド・タブレット-13-1◎冥想自在-1◎冥想自在の構造-1◎冥想自在のスタート地点万人は、自分が神であることに気づいていないだけであるという立場に立てば、まず冥想とは、神である自分を生きることと人間である自分を生きることのバランサーである。冥想は、神人合一以前にも以後にも存在する。そうすると、自分が全知全能の神であって、みじめで情けない人間であるということは、世界観の二重性である。世界観の二重性とは、悟っている人は、二重のリアリティ、二重の現実に生きているということ。ここで、大雑把に組織宗教の教義を見てみると、宗教的教説には次のように3種あるように思われる。1.悟りを目指さず悟っていない人向け天国希求をメイン目標とし、天国地獄を超えたものは、かすかにしか示さない。そして見神、見仏を具体的目標とはし...すべてを棄てるのは容易ではない

  • 万人の召命

    ◎ジェイド・タブレット-12-14◎ニルヴァーナ-14◎人生、輪廻転生、運命とニルヴァーナ-4◎イエスのことを三度しらばっくれたペトロは二度召命現代人は、ほとんどすべての人が召命されて生きている。召命とは、自分が神とコンタクトするべく、神の側から召されること。道元の言う現成(げんじょう)公案とは、自分が生きていること自体が公案となって日々を生きることだが、それと同じ意味。禅では、啐啄同機と言って、原義は卵が孵化するときは、卵の中のヒナが殻を自分のくちばしで破ろうとし、また親鳥も外からその殻を破ろうとすることだが、転じて自分の方からも仏法を得るために殻を破ろうとし、同時に仏法の方からも自分の殻を破ってくれようとすること。啐啄同機では、仏法の方から殻を破ろうとしてくれるのが召命。人が召命されるというのは、どう...万人の召命

  • 22段の生の側の道、死の側の道

    ◎ジェイド・タブレット-外典-12-16◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-16◎前半は顕教的、後半は密教的ユダヤのセフィロト(生命の木)は10球から成り、それを結ぶ22の線はパス(小径)と呼ばれている。ただしこれは、一つの球から8本パスが出たり4本パスが出たりということがあり、22人図としての一本道の悟りへの道の説明にはならない。おそらくタロットの大アルカナを最初に作った人物は、セフィロトの22パスは意識せず、人が悟りへの道をたどる場合のモデルとして一気通貫のイメージで並べたのだと思う。前半の1魔術師から10運命の輪までは、単に迷いの世界ということでなく顕教的な求道の道、すなわち生の世界から道を究めるということがイメージされている。9隠者一人は例外的に密教的だが、現代社会でも辺縁部にそうした人物は...22段の生の側の道、死の側の道

  • まるで一輪の野の花のように

    ◎ジェイド・タブレット-12-13◎ニルヴァーナ-13◎人生、輪廻転生、運命とニルヴァーナ-3◎何もかもが時間でない今を楽しんでいるさらにダンテス・ダイジの老子狂言から。『まるで一輪の野の花のように・・・何が何だと言うのだこれはこれなんだいいや、これはこれだという必要もない何もかも、何もかもいいんだこんなことを言うのも愚かしいそれ位、これはこれなんだ生命はジグザグに進む絶対の到達点などありもしないからだこの静けさをわかってくれるだろうか?しかも、生命は流れるニルバーナといったところでそれもまたひとときのふるさとにすぎない何もかもがすてきだ何もかもが時間でない今を楽しんでいる極限の極楽と極限の地獄とを戯れている私は何と無駄な言葉を書いているのだろう!とことん無駄だと知りながら・・・まるで一輪の野の花のように...まるで一輪の野の花のように

  • 0 愚者(無番号)

    ◎ジェイド・タブレット-外典-12-15◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-15◎神、仏、タオには2つの顔がある21世界は第六身体であって、終着点の第七身体ニルヴァーナではない。そこで0愚者がニルヴァーナとなる。人間から見れば、21世界も0愚者も神仏に相違ない。いわゆる神、仏、タオには2つの顔があり、有の側と無の側である。どちらが奥かと言えば、無の側である。有の側はアートマンであるのに対し、無の側はニルヴァーナである。古代インドなら、アートマン、ニルヴァーナだが、古神道では、有の側が天照大御神と素盞嗚神の事であり、無の側が、天御中主神。出口王仁三郎はニルヴァーナである天御中主神の特性を無形、無声。無限絶対、無始無終の宇宙の大元霊と評す。いわゆる大神とは、無の側の方である。キリスト教の旧約聖書では、天...0愚者(無番号)

  • 最初の指と後の指

    ◎ジェイド・タブレット-外典-11-17◎世界樹-15◎この指は只の指ではなくて、世界樹である『倶胝和尚は、質問を受けると、いつもただ指一本を立てた。ある時、外来の客が一人の少年僧に対して「ここの和尚はどんな法を説くのだ」と尋ねてきた。すると少年僧は間髪を入れずに指を一本立てた。これを聞きつけた倶胝和尚は、くだんの少年僧を呼びつけて、その指を刃で切り落としてしまった。少年僧は、突然のことで、痛みと驚きで号泣してその部屋から走り去ろうとした。倶胝和尚は、「ちょっと待て」と少年僧を呼び止めた。少年僧が和尚に首を向けた瞬間、指を1本にゅっと出してみせた。少年僧は、忽然として大悟した。』これは無門関第三則にある話。この指は只の指ではなくて、世界樹である。その一本の中に生の世界も死の世界も三千世界もあらゆる宇宙も含...最初の指と後の指

  • タオ

    ◎ジェイド・タブレット-12-12◎ニルヴァーナ-12◎人生、輪廻転生、運命とニルヴァーナ-2◎秋の虫たちが鳴いているよ・・・タオは、ニルヴァーナの一呼称。タオと合体したことのあるダンテス・ダイジが、タオのある生活を歌う。『タオこれは絶対でも相対でもない流れているわけでもないし久遠の静寂というわけでもなしこれはこれだろうあれはあれなんだ静かじゃないかい・・・うれしいじゃないか哀しくもあるしねもちろん恐ろしくもありんすみんな生きているなにもかも死ぬそんなにツッパルなよ!もっともっとどうしようもなく、ツッパレ、ツッパレ、ツッパレ!!無が有を産んだのだろうか?有が無をあらしめたのだろうか?それとも、無と有が同時にからまっているのか?ニルヴァーナが真実なのだろうか?マーヤーが真実なんだろうか?それとも、ニルヴァー...タオ

  • 21 世界

    ◎ジェイド・タブレット-外典-12-14◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-14◎過去現在未来の万物のすべての実感を生きる◎おれは神既に12吊るされた男で見神、見仏を経て、15悪魔の誘惑も退け、16塔からは、善の側に不退転となった。生きる姿そのものが、善だけを行い悪を行わない姿(諸悪莫作衆善奉行)となった。17星では、悟りの確証の体験として星を得て、18月、19太陽で、太陽と月の合体により完全無欠の両性具有を達成した。20審判では、個なる自分は、世界全体、宇宙全体、すなわち神に向かって最後の一歩を踏み出すが、まだそこには届かない。21世界で届いたが、そこは七つの身体論で言えば第六身体アートマン。神には、有の側と無の側があって、有の側がアートマン。アートマンは既に人間の側のものではない。現象全体をまと...21世界

  • 古神道の天の柱

    ◎ジェイド・タブレット-外典-11-16◎世界樹-14◎地球の中心火球の黄金柱さし絵は、キリスト教のヨアンネス・クリマコス(579年-649年)の最後の審判の梯子。いまや天上に昇らんとする多くの篤信者をこれでもかこれでもかといわんばかりに引きずり下ろす一群の黒い者がいる。これと似た雰囲気の天の梯子、いや天の柱が出口王仁三郎の霊界物語にある。これは、地球の中心火球(中心太陽、宇宙意識、ニルヴァーナ、神、仏、道のこと)の吹き上がる金気の威徳をパワーとして国の御柱がある。その天辺が二つに分かれて、左が男神の渡る橋、右が女神の渡る橋となっている。この橋は黄金の丸木橋であるとされるが、そのものずばりで、葦の茎の如き黄金のクンダリーニの表象である。日本では古来、人のことを神柱と美称するが、この黄金柱こそ国の柱であり、...古神道の天の柱

  • 名状しがたい光明の体験

    ◎ジェイド・タブレット-12-11◎ニルヴァーナ-11◎人生、輪廻転生、運命とニルヴァーナ-1◎リアリティーとは、永遠の対立であり久遠の統合である『生きとし生けるものはすべて数えきれない回数、死しては生まれ変わってきている。彼らはこの名状しがたい光明を幾度となく体験しているにもかかわらず、無知の闇に妨げられて、無限の輪廻を果てしなく彷徨っている。』(パドマサンバヴァ(仏教をチベットに伝えた人)(チベットの生と死の書/ソギャル・リンポチェ/講談社P427から引用))※名状しがたい光明:ニルヴァーナあるいは母の光明、原初の光。『霊界の中心太陽とは、創造の光の発出源にすぎない。個生命達は、顕界と霊界とに交互に転生しながら、果しない旅の途上のどこかで、中心太陽へ飲み込まれていく。リアリティーとは、対立の統合ではな...名状しがたい光明の体験

  • 20 審判(永劫)

    ◎ジェイド・タブレット-外典-12-13◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-13◎過去も未来も現在も、現界も霊界も20審判は、次の21世界なる神との一体化直前のステイタス。21世界は、七つの身体で言えば、第六身体であるアートマン。最後の審判は、現界で起こるわけではなく、霊界で起こる。世の中のあらゆる物事は、まず先に霊界で発生して、その後現界で起こる。※世の終わりの大筋は、何十年も前に霊界で起きており、ディテールの一部が決まっていないだけという見方はある。さて個なる自分と世界全体が合一することを想像すると、世界の側にはあらゆる他人が居て、生きている人は勿論死んだ人もいる。そこで、最後の審判ではあらゆる死んだ者も生き返り、チャンスを与えられるという話になる。カモワン・タロットの20審判の図柄の十字の旗は...20審判(永劫)

  • ミトラ教の梯子

    ◎ジェイド・タブレット-外典-11-15◎世界樹-13◎七つの惑星から情念と性質を受け取るキリスト教以前にもエスカレーター、梯子のイメージが存在する。ミトラ教では、霊魂はまず天上界に住み、その後肉体に閉じ込められることになって地上に降下する際に、霊魂は星辰界を通過するが、その時七つの惑星から、それぞれの情念と性質をうけとるものとされた。これが梯子であり、階梯である。『その天界は、それぞれ一つの惑星に該当した七つの帯に区分された。八つの連続した門から成る一種の梯子があり、その最初の門は、七つの異なった金属で造られ、神殿の中では恒星のある最高区域に達するために辿る道程を象徴していた。(中略)霊魂はこうした様々な圏域を越えていくにつれて、それが地上に下りてくる時に受け取った情念と能力をあたかも着物を脱ぐように脱...ミトラ教の梯子

  • クンダリーニ・ヨーガのクンダリーニとニルヴァーナ

    ◎ジェイド・タブレット-12-10◎ニルヴァーナ-10◎宗派別のクンダリーニとニルヴァーナ-3◎故意に文献での精確な定義を避けてきたインドインドでは、不二一元論に代表されるように表向きの議論では、アートマンとブラフマン(ニルヴァーナ)の実体は故意に明らかにされて来なかった節がある。20世紀になってダンテス・ダイジとOSHOバグワンが、真相を明かしたのは、エポックメイキングだったと言える。その理由は、万人がそれを体験することを前提にしているのではないかと思われる。すなわち、文献を学ぶのでなく、『体験とはいえない体験をする』のが必須の時代になったからである。またクンダリーニ・ヨーガの核心部分が、何千年も明文化されなかったのは、文字記録よりは記憶を優先するインドの伝統と、神が許し給わねば何事も秘密になる密教の伝...クンダリーニ・ヨーガのクンダリーニとニルヴァーナ

  • 19 太陽

    ◎ジェイド・タブレット-外典-12-12◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-12◎月と合体して、真夜中の太陽を見る月の次は太陽。この太陽は中心太陽のことでなく、月とペアで機能する太陽のこと。なぜならカモワン・タロットの絵柄において男女が契りを結んでいるからである。古事記で言えば、月とは素盞嗚(スサノオ)神の瑞霊で、太陽とは天照皇太神の厳霊。この世界を席巻する近代西欧文明は、アポロン型文明であって闇は駄目で光一辺倒の太陽偏重の文明であって、(母なき)父なる神を主と仰ぐキリスト教がバックボーンにあり、これまた太陽を偏重し、母なる月の扱いは低い。黒い聖母像などはまま子扱いである。これに対し、古神道は古事記において天の安の川原で、太陽たる天照大神と月たる素盞嗚尊が誓約し合い、その太陽と月の合体により完全無欠...19太陽

  • キリスト教の梯子

    ◎ジェイド・タブレット-外典-11-14◎世界樹-12◎人一人が通れるだけの巾の狭い青銅製のはしごキリスト教の世界では、梯子を昇って天上に至るビジョンがしばしば語られる。梯子は世界樹のデフォルメの一つである。まず天上へのビジョンを見てみよう。1.ローマ時代の22歳の女性殉教者ペルペトゥアは、闘技場で牛の角で突かれた後に剣で命を落としたのだが、彼女の最初の幻視は、人一人が通れるだけの巾の狭い青銅製のはしごが天まで達しており、梯子の下には巨大な龍がいたというもの。2.「アイオーン/CGユング/人文書院P327」の挿絵によれば、ローマのカタコンベの中のバルビナ墓所の壁画には、梯子を登る人(僧?)の絵があり、梯子の下には蛇がいる。3.創世記第28章12節で、ヤコブが天の梯子を見た。「そのうちに、彼は夢を見た。見よ...キリスト教の梯子

  • 古神道のクンダリーニとニルヴァーナ

    ◎ジェイド・タブレット-12-9◎ニルヴァーナ-9◎宗派別のクンダリーニとニルヴァーナ-2◎世界の構造は四段構えストレートに言えば、クンダリーニは霊線、玉の緒であって、ニルヴァーナは、天御中主神。神直日とは、アートマン。大直日は、コーザル体と思われる。10チャクラは十種神宝と見る。(10チャクラ説を採用。ニルヴァーナのプロセスとテクニックP13)※十種神宝嬴都鏡(おきつかがみ)・・・《サハスラーラ・チャクラ》辺都鏡(へつかがみ)・・・《アジナー・チャクラ》八握の剣(やつかのつるぎ)・・・《ヴィシュダ・チャクラ》生玉(いくたま)・・・《アナハタ・チャクラ》死返玉(よみかへしのたま)・・・《マニピュラ・チャクラ》足玉(たるたま)・・・《スワジスターナ・チャクラ》道返の玉(みちかへしのたま)・・・《ムラダーラ・...古神道のクンダリーニとニルヴァーナ

  • 我と神の真の合体

    ◎OSHOバグワンの逍遥訣解説-8(2022-07-16)逍遥訣の呂洞賓の解説の続き。『この二つの実体が出会うと、それらは固く結ばれて離れなくなり、尽きることのない生命が発現する。それはおのずと根元の気(エネルギー)の宮のなかを去来し、浮き沈みをくり返す。人は光輝く無限なるものを目のあたりにする。全身が軽やかになり、今にも飛びそうになる。「雲が千の山々にかかる」と呼ばれる状態である。それはあちこちを軽やかに去来し、覚知しえぬほど静かに浮沈する。脈拍は穏やかになり、呼吸は止まる。これが真の創造的な交合の瞬間であり、「月が無数の水面を吸引する」と呼ばれる状態である。この暗黒の只なかに、突然、天上のこころが動きはじめる。これが一陽来復であり、新しい生命が兆すときである。』(黄金の華の秘密/和尚/メルクマールP4...我と神の真の合体

  • 18 月

    ◎ジェイド・タブレット-外典-12-11◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-11◎水底の世界にも月の光の救済は行われるカモワン・タロットの18月の図柄では、天の露が降っているので、既に不退転の善の側に居て、大吉祥。月と言えば、自らの号を瑞月と称していた出口王仁三郎の説明が詳しい。出口王仁三郎は、教団本部内に破壊されることのないように石で”月宮殿”を建立したが、二度にわたって官憲により徹底的に破壊された。月宮殿とは、弥勒さまを祭る宮だが、みろくの世(地上天国)にならなければ、月宮殿もさびれる一方で、今はむじなやイタチが住み家にするほど寂しく荒れ放題。『人間の運命にも栄枯盛衰がある。潮にも満干がある。此宮さまは今は干潮時ぢや。それだからかう見窄らしく荒廃して居るのだ。之でも五六七の世に成れば、此お宮は金...18月

  • 中国の天への階段

    ◎ジェイド・タブレット-外典-11-13◎世界樹-11◎崑崙山エスカレーターといえば、アセンションを幻視した人たちの天の梯子が有名だが、ここは、まず中国の天への階段。中国の天への階段=天梯は、2種あり、ひとつは世界樹である建木、もうひとつは崑崙山である。建木は既に紹介したので、崑崙山。崑崙山に宮居があり、崑崙山は黄帝の地上の帝都である。崑崙山の山頂は天に達し、山麓は弱水の深淵があり、外縁は火山に囲まれ常に噴火が発生している。このように崑崙山には登るどころか、近づくのも難しい。古籍には、天梯を自由に昇降できるのは、神人、仙人、巫女の三種に限るとされる。また天梯とされる山には、他に華山、青水の東の肇山があり、仙人柏高はこの山から昇天し、また西方の荒野に登葆山があり、巫師たちがそこから上下往来したという。さて、...中国の天への階段

  • キリスト教のクンダリーニとニルヴァーナ

    ◎ジェイド・タブレット-12-8◎ニルヴァーナ-8◎宗派別のクンダリーニとニルヴァーナ-1◎七つの中枢を通って人の子は神に向かって上昇平たく言えば、聖霊がクンダリーニであって、父なる神がニルヴァーナ。まず黙示録の著者のヨハネは、十二使徒の漁師のヨハネで、イエスが十字架に架けられた際に、使徒の中でただひとり十字架の傍らにいた人物。ババジの弟子であるユクテスワは、聖書のヨハネの黙示録の第1~2章で次のように説く。”七つの金の燭台または七つの教会”は七チャクラ。”右手に七つの星を持ち”については、七つの星は、聖霊の御使い、”右手”は神に至る正しい道筋ということなので、クンダリーニのエネルギー・コード上のチャクラ。”七つの金の燭台の真ん中を歩く者”とは、クンダリーニのエネルギー・コード。『これら七つの中枢を通って...キリスト教のクンダリーニとニルヴァーナ

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