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2024/05/30

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  • 笹目秀和の見る日中外交

    ◎日中関係予言(2015-06-19)笹目秀和の栄枯盛衰観は、独特に見えるが、四書五経の易経に見える栄枯盛衰観であり、独特とは言えず、中国の正統的なものごとの栄枯盛衰観と言える。この本は1983年の著作であり、日中国交正常化まもない頃であるが、既に人災である中国の共産主義支配の反作用(赤化刧の悪影響)が終わらないのに文明や人口を衰亡させる大災害(掃滅の刧)がやがて起き、これに続く文章では中国人口の三分の二が減ずるなどということまで書いている。日中関係も相互に外国を巻き込んで世界大戦までいかないと終わらないと見ている。尖閣とか中国人ハッカーとか中国移民とか話題に上らない日はないが、本当の日中雪解けの気運はそこまでいかないと具体化しないのかもしれない。※刧とは三種あり、いずれも人災のことである。※小混沌とは、...笹目秀和の見る日中外交

  • 霊界の魔法の山に秘蔵されている宝捜し-2

    ◎一切が静かで闇に隠れる真夜中エウゲニス・フィラレテスの宝捜しメモの続き。『「この山へは、最も長く暗い日の夜がきたときに)行くがよい。まず祈りにより覚悟を固めよ。そしてひたすら山へ通じる道を求めること。しかしその道がどこにあるのか誰にも尋ねてはならぬ。『指導霊』にのみ従うのだ。彼は自ら案内を申し出、途中で貴兄を出迎えるであろう。だが彼と懇意にしてはならぬ。この『指導霊』が汝を山へ連れてくるのは、一切が静かで闇に隠れる真夜中である。そこで起こるできごとに恐れをなしてしりごみすることのないよう、決然たる勇気をもって身を固めることが必要である。剣など入用でない。その他の武具もしかりである。ただ精魂込めて神にすがれ。」(象徴哲学大系4錬金術マンリー・P・ホール/著人文書院p68から引用)霊界の魔法の山と言っている...霊界の魔法の山に秘蔵されている宝捜し-2

  • 霊界の魔法の山に秘蔵されている宝捜し-1

    ◎世界の中心にある山には莫大な宝が隠されている17世紀に薔薇十字団のトップであったらしいエウゲニス・フィラレテス宛に薔薇十字団から来たらしい宝捜しメモ。薔薇十字団は、西洋錬金術の奥義を復興したと目されるグループだが、それはクンダリーニ・ヨーガ系であって、垂直の道である。よって言葉で奥義が明かされることはないが、その真理の属性は遠回しで隔靴掻痒の感のある言い回しに終始する。薔薇十字団は、キリスト教の影に隠れて延命していくが、その伝統は、アレイスター・クロウリーやブラヴァツキー夫人、現代のフリーメーソンなどに継承されている。さて薔薇十字団では、霊界の魔法の山には、宝が秘蔵されているという。『「地球の中央あるいは世界の中心に位置するひとつの山がある。それは小さくて大きい。柔かくて、同時に石のように堅い。遠くにあ...霊界の魔法の山に秘蔵されている宝捜し-1

  • 古代モンゴルと新モンゴル

    ◎出口王仁三郎のモンゴル行き出口王仁三郎のモンゴル特別視は、彼の独特のモンゴル観、アジア観、素盞嗚(スサノオ)観なくして理解し難い。およそこの150年程度の歴史でモンゴルを理解しても出口王仁三郎のモンゴル脱出のことや笹目秀和のモンゴル人脈への献身の理由などはわからなかったのである。まして、「評伝出口王仁三郎/村上重良/三省堂」に出口王仁三郎のモンゴル行と軍部のつながりの経緯が詳しいといっても、ご神業としてのモンゴル行の意義は測り知れなかった。以下の二つの文を見れば、出口王仁三郎は、大峠での地殻変動後のアジア全域を見て、その上でモンゴルがやがて世界の中心になることを幻視していたのだろうと思う。小は日本のモンゴルへの西遷ということも暗示しているが、誰もが神を知り、神を生きる時代に、地球の神業の中心がそれまでの...古代モンゴルと新モンゴル

  • 中国軍機の日本空襲の予兆

    ◎出口ナオ、出口王仁三郎の予言2024年8月26日午前、中国軍のY9情報収集機が、長崎県五島市の男女群島沖で日本領空を侵犯した。中国軍機の領空侵犯は、史上初で、完全に日中関係は新たな戦争への時代に入った。これまで日本軍機が中国を飛行することはあってもその逆はなかったのだから。今後中国軍機の日本空襲があり得ることは、既に100年前から出口ナオ、出口王仁三郎の次のような予言に出ている。また聖徳太子未来記には、『西鳥来たり東魚を食う』という思わせぶりな一節もある。まず唐土(中国)の鳥が生物化学兵器を投下する予言。『なづな七草昔から「なづな七草唐土の鳥が渡らぬさきに云々」と云ふ歌がある。これは唐土の鳥即ち外国の飛行機から毒瓦斯(ガス)を投下するその時に、なづな七草を食べて居れば毒瓦斯(ガス)にあたらぬと云ふ予言警...中国軍機の日本空襲の予兆

  • 処暑のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

    ◎自分に合った運動メニューの選定と分量のむずかしさ摂氏35度以上で日差しがあると痛い。そうした日々もようやく薄らいできたと思ったら次は妙なコースを奔る台風10号である。最近は、朝の体操後に、竹脇まりなの室内散歩15分。その後、きくち体操20分×2と、OliviaLawsonの室内散歩20分×3を一日の目標としてやっている。https://www.youtube.com/watch?v=uDPyIKq1sHw&t=89s熱中症対策で、頭と首に冷やしタオルを巻いてやっている。巻かないと発汗するので。ウォーキング・メニューを増やしたのと、きくち体操の復活のせいか、ひざ回りの筋が太くなり、尻裏、太股、ふくらはぎの筋肉が若干ついてきた感じがある。きくち体操は、1年前はポーズを真似するだけで精一杯だったが、長座を20...処暑のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

  • 人間の洗脳は何年で解けるか

    ◎1950年代初頭の中国共産党洗脳以後(2014-01-18)オウム真理教事件の裁判の報道があり、既にかの事件から19年も経ったことを知った。オウム事件では、カルト宗教という看板を隠れ蓑にして、洗脳というものがかくも強引にかつ粗暴なやりかたで行われていることに日本中が驚かされたものだ。それは一教団内部で行われていたことだが、共産主義国家では、大規模に広汎に徹底的に行われるものである。中国共産党は、1948年に中国統一を成し遂げて、その直後の数年において中国全土の思想改造という名の洗脳を、対中国人はもとより対外国人に対しても行った。アメリカは、朝鮮戦争からの帰還兵の中共による洗脳されぶりを見て、その後洗脳技術研究にいそしんだようである。このあたりは、「CIA洗脳実験室/ハービー・M・ワインスタイン/wave...人間の洗脳は何年で解けるか

  • 中国不動産バブルと末路

    ◎全人民スマホ管理の結末直前決算で中国事業で大赤字を出した複数の企業が、普段TVCMなど流さないのに、にわかに有名タレントを使ってTVCMを流すので、そういえば、中国関係で損失を出したのだなとかえって思い出されるこの頃。『中国不動産バブル(文春新書)/柯隆』を読んだ。柯隆さんは、好漢である。中国不動産バブルに関して、特に日本人にあまり理解されていない事がいくつか書いてあり、読書メモがてら、感じたことも書いてみる。中国は三権分立ではない。三権を超える絶対的権力を中国共産党が保有している。腐敗というのは賄賂とインサイダー取引のこと。中国のサラリーマンの賃金水準は一般に日本より低いので、中国富裕層の収入は、賄賂とインサイダー取引と不動産投資で構成されているのだろう。中国富裕層は悪銭の人々か。10年前で賄賂1千万...中国不動産バブルと末路

  • 世界的な海水面の上昇と大都市の放棄

    ◎埋立地は海に還る世界的に徐々に海水面が上昇し、やがて世界の相当数の大都市群は、海水中に没し、人類はそれまでに主に集中的に低地に投資が蓄積されたことを嘆くだろうというのは、ダンテス・ダイジ予言の一節。原因が地球温暖化だったとはね。世界的な海水面の上昇は、火力文明の帰結である。またこれを見越したのか、出口王仁三郎は、『日本は艮の金神様のご神体だから、埋立地などはいかぬ。元の通りになる。(昭和19年12月12日)』(新月の光下巻/木庭次守/八幡書店P243から引用。)と述べている。ダンテス・ダイジは、そもそも土地は神のものであり、土地売買は神にそむく行為であるというニュアンスのことを言っている。土地売買は合法だが、本来神が許し給わぬのだ。この延長線上に上記の出口王仁三郎予言がある。合法だが神が許し給わぬ行為と...世界的な海水面の上昇と大都市の放棄

  • 白隠禅師坐禅和讃のエッセンス-4

    ◎ここはニルヴァーナであってこの身は仏である白隠禅師坐禅和讃の続き『因果一如の門ひらけ無二無三の道直し無相の相を相として行くも帰るも余所ならず無念の念を念として謡うも舞うも法の声三昧無礙の空ひろく四智円明の月さえんこの時何をか求むべき寂滅現前するゆえに当所即ち蓮華国この身即ち仏なり』『因果一如の門ひらけ無二無三の道直し』原因も結果も一つということは、時間のない世界であって、過去も現在も未来も合わせて一枚の動くイラストのような世界。これが二もなく三もなく純粋に無相だけがある。『無相の相を相として行くも帰るも余所ならず』無相について、ダンテス・ダイジの冥想十字マップでは、有種子三昧に相当する有相三昧と、無種子三昧に相当する無相三昧とを空間的進化の横ラインに置き、第六身体の知恵と第七身体ニルヴァーナを時間的進化...白隠禅師坐禅和讃のエッセンス-4

  • 白隠禅師坐禅和讃のエッセンス-3

    ◎自分自身のオリジナルな姿は何もかもなし白隠禅師坐禅和讃の続き『一座の功をなす人も積し無量の罪ほろぶ悪趣何処にありぬべき浄土即ち遠からずかたじけなくもこの法を一たび耳にふるる時讃歎随喜する人は福を得る事限りなしいわんや自ら回向して直に自性を証すれば自性即ち無性にて既に戯論を離れたり』『一座の功をなす人も積し無量の罪ほろぶ』一座とは、30~40分だが、実際に究極に到達しているタイムはわずか数秒なのではないかと考えられる。また精神状態が坐相postureを決めるの法則から言えば、言ってみれば大死一番あるいは身心脱落してしまう姿勢があって、それにマッチした坐相になれば、悟りを開く(だからといって坐相固定マシーンで身体を押さえつけて坐相を決めてもそうはならないと、ダンテス・ダイジは言っている。)。よって白隠は、き...白隠禅師坐禅和讃のエッセンス-3

  • 白隠禅師坐禅和讃のエッセンス-2

    ◎闇路に闇路をさまよい歩いても真の幸福はない白隠禅師坐禅和讃の続き。『六趣輪廻の因縁は己が愚痴の闇路なり闇路に闇路を踏そえていつか生死を離るべき夫れ摩訶衍の禅定は称歎するに余りあり布施や持戒の諸波羅蜜念仏懺悔修行等その品多き諸善行皆この中に帰するなり』『闇路に闇路を踏そえていつか生死を離るべき』むさぼり、怒り、迷い、惑い、何もわからないまま暗黒の輪廻転生の道を繰り返していては、生も死も超え、天国も地獄も踏み越えて、最後には生死の違いを離れ、窮極の救いに至ることはできない。『夫れ摩訶衍の禅定は称歎するに余りあり』白隠は、20歳の頃美濃加茂市の岩滝で1年9か月修行。後に白隠は41歳の時に、深山巌崖、人跡不到、清閑瀟洒の岩滝時代よりまさる遥かに優れた境地にあると自認し(壁生草-下15丁裏)、さらに42歳秋に大悟...白隠禅師坐禅和讃のエッセンス-2

  • 白隠禅師坐禅和讃のエッセンス-1

    ◎衆生本来仏なり禅メディテーションをやろうと思う人ならば、一度は禅の教義を知りたいと思うものだ。ところが、基本書である信心銘・証道歌・十牛図・坐禅儀を見ても、ぶっ飛び過ぎて何のことかわからなかったり、十牛図に至っては説明が簡略過ぎてこれまたわからなかったりする。あるいは、達磨の語録や禅語録、国宝になっている雪舟の慧可断臂図を見ても、師はその理由を説明しないのがエチケットみたいなところがあり、ますます面食らうものだ。ところが白隠禅師坐禅和讃は、平易世俗の語り口の中に禅のエッセンスが置いてあり、これだけでも悟れるというような代物だ。『白隠禅師坐禅和讃衆生本来仏なり水と氷の如くにて水を離れて氷なく衆生の外に仏なし衆生近きを知らずして遠く求むるはかなさよたとえば水の中に居て渇を叫ぶが如くなり長者の家の子となりて貧...白隠禅師坐禅和讃のエッセンス-1

  • 世の終末と立替

    ◎正しい教えが伝わらなくなった時と伝わり切った時出口王仁三郎の説明では、立替には、破壊シーンと復興シーンがあって、破壊シーンが立替であってノア、復興シーンは立直しであってナオ。立替とは、自分の心のことであって、「立替を世人のこととな思ひそ立替するは己が身魂(みたま)ぞ(出口王仁三郎)」のことで、神人合一を言う。この結果の人間を、水晶身魂、クリスタル・ピープルと呼ぶ。出口王仁三郎の随筆集水鏡から。『世の終末と立替キリストの本当の教が伝はらぬやうになつた時。仏法に於ては釈迦の誠の教が伝はらないやうになつた時、それが世の終りである。即ちキリスト精神の滅亡、仏法精神の滅亡を意味する。此時にあたつて、本当の耶蘇教、誠の仏法を起すのが世の立替である。』(水鏡_世の終末と立替/出口王仁三郎から引用)このようにキリスト教...世の終末と立替

  • 石鞏一矢で一群のすべての鹿を射れず

    ◎弓矢で狙われた三平は胸を開いて受けようとしたある日、猟師だった石鞏は、馬祖大師の庵の前を通りかかって馬祖に問うた。「旦那、わしの鹿の通るのをみただろう。」馬祖「おぬしは何者だ。」石鞏「わしは猟師だ。」馬祖「おぬしは矢を射れるか?」石鞏「射れるとも。」馬祖「一矢でどれだけ射る?」石鞏「一矢で一頭は仕留める。」馬祖「おぬしはさっぱり射れないな。」石鞏「旦那はまさか射れまい。」馬祖「おれの方が射れる。」石鞏「一矢でどれだけ射る?」馬祖「一矢で一群は仕留める。」石鞏「どいつもこいつも生きものなのに、どうして一群が射れるのだ。」馬祖「おぬしは、そこまでわかっていて、どうして自分を仕留めないのだ。」石鞏「私に自分を仕留めよと言われると、まったくお手上げです。」馬祖「この男は、無明煩悩が一度に吹っ切れたわい。」石鞏は...石鞏一矢で一群のすべての鹿を射れず

  • マイトレーヤ小史

    ◎古代インドとイラン(2007-11-19)古代インドのベーダなどでは、インドの神々とイランの神々は混在しているので、イラン原産のゾロアスター教のものであるマイトレーヤが、もともと仏教の弥勒であるとする説がある。その後弥勒は、仏教のものとして、中国に入り、一方マイトレーヤは、マニ教にあって、イランから、8世紀頃アッバス朝の圧迫により、シルクロードを東進。則天武后の時代の中国に進出した。中国へのマイトレーヤ輸入はこの時期であって、それ以前ではないと思われる。という理由は、もともと515年の北魏の大乗の乱は、弥勒下生の信仰を持つ宗教秘密結社の乱なので、中国には、弥勒信仰はもともと存在したからである。そして、唐の武宗の宗教弾圧(845年会昌の法難)により、マイトレーヤのマニ教は地下に潜り、仏教の弥勒信仰と結びつ...マイトレーヤ小史

  • 666の獣とは

    ◎ミロク様に抵抗する者新約聖書のヨハネの黙示録に666の獣というのが出てくる。これについて、出口王仁三郎は、ミロク様に抵抗する者のことだと述べている。人が神に向かって開くのがミロクの世。人が神に向かって開くとは、人間が大逆転、倒立、改心して神を知ること。ミロク様に抵抗する者とは、本当は神様などないと思っている者。宗教が滅びるとは、万人が神という体験とはいえない体験をした場合、宗教不用となるが、そのことではなくて、実質無神論がはびこり、宗教の真理を知る者がほとんどいなくなることを宗教が滅びると云う。弥勒とは、釈迦後継としての未来仏弥勒菩薩のことであり、マイトレーヤという未来神のことであり、イエス再臨であり、ダンテス・ダイジ史観で言えば、アトランティス末期から予定されていた現代における万人が神知る時代のことを...666の獣とは

  • 睡眠の間に神に出会う-2

    ◎人は眠りを通して神に入っていくがそれだけでは決して神を知るには至らない次の文は、OSHOバグワンの『眠りのなかで目覚めていること』だが、字義どおり読むと誤解を招く。あたかも読者が神人合一という体験とは言えない体験を承知しているのを前提に語っているようである。ヨーガ行者(ヨーギ)全員が、ニルヴァーナを徹底して知っていれば、ヨーガ行者は、睡眠中に夢を見ないが、まるでヨーガ行者全員がニルヴァーナを知っているような書きぶりである。ヨーガ行者だからといって、覚醒しているのはひと握りにすぎない。アメリカの覚者ケン・ウィルバーだって、最初の覚醒から、熟眠中に夢を見ないようになるまでは時間がかかったものだ。普通の人は、一晩に10分以下の夢を見ない時間があってそれが神の時間。これは、いわゆる隙間であって、肉体死のプロセス...睡眠の間に神に出会う-2

  • 睡眠の間に神に出会う-1

    ◎"わたしであること"のうちに存在するのをやめたとき、人間はまどろみなき眠りに落ちる日中の覚醒時に思考あるいは想念の連続の間には隙間が断続的にあって、その隙間こそが神であることは知られている。一方OSHOバグワンは、睡眠時の夢のない時間帯こそ神であると述べている。ただし睡眠時は人は無意識であり、睡眠時の思考あるいは想念が夢にあたる。よって覚者たちは、まず最初に冥想により日中の覚醒時に隙間を意識できるような方向で冥想修行し、その後、睡眠時にも夢を見ないことを目指す。睡眠時に夢を見ないことで、無意識である睡眠時においても意識的に神であることを目指すのである。OSHOバグワンは、アメリカでヨーガや瞑想が流行している原因は、生活が重苦しく、抑圧や緊張で一杯なので、睡眠不足であることが一般的なせいだと見ている。それ...睡眠の間に神に出会う-1

  • 一厘の仕組-5

    05:57:00 古神道の手振り◎天津祝詞(2010-05-19)古神道には、窮極も悟りもないだろうと思っていたが、それは身近なものにあった。天津祝詞にあったのである。一厘の仕組は、結局のところニルヴァーナと悟りである。○出口王仁三郎の天津祝詞【高天原に神留坐す、神魯岐神魯美の命以て、皇御祖神伊邪那岐命、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、御禊祓ひ給ふ時に生坐せる祓戸の大神達、諸々の枉事罪穢を払ひ賜へ清め賜へと申す事の由を、天津神国津神八百万の神達共に、天の斑駒の耳振立て聞食せと恐み恐みも申す。】字義どおり読めば、伊邪那岐命が九州の阿波岐原で禊ぎをなさったときにできた祓戸の神たちにまが事や罪穢れを祓い清めて下さいと奏上したという、個人の都合のいいようにはからって下さいという、とりたてて特筆すべき内容のないも...一厘の仕組-5

  • 一厘の仕組-4

    04:56:20 古神道の手振り◎衝立船戸神(2010-05-17)『○三種の神器と十種の神宝二二岐命(ににぎのみこと)は三種の神器で、饒速日命(にぎはやひのみこと)は十種の神宝である。古事記の禊祓いの段にある衝立船戸神(つきたてふなどのかみ)は上と下とに衝立って遮る神様で、これを取り払われるのである。王仁が書いている通りである。これから誠の天照大神が表われるのである。○○○○伊勢や熱田や宮中の三種の神器のあるところ○○○○○○○○○○。(昭和二十年九月四日)(参照)皇居、昭和二十年五月二十五日空襲。二十六日朝、表宮殿、大宮御所炎上。伊勢神宮外宮神域、昭和二十年四月十四日五カ所六発の爆弾投下。七月二十八日夜半より翌朝にかけ大空襲を受けた。宮城内に投下された焼夷弾は八百五十発に及んだが、御正殿のみは被害がな...一厘の仕組-4

  • 一厘の仕組-3

    ◎大量死と復活(2010-05-16)さて三個の神宝には仕掛けがあって、三個の珠の体は島に隠し、珠の精霊をばシナイ山に隠すということで、これを奪って天地を牛耳ろうという企みを防いでいた。天地を我が物にしようと思うのは、近代的自我の極限まで発達した人間の成れの果てというべきもので、不自然ではないと思う。あるいは、そうした現象世界をコントロールする知恵を手に入れたので、世界征服に乗り出したグループがいた。ということで,悪玉武熊別は、現代人一般のシンボルでもあり、また世界征服を狙う一派のシンボルでもある。地上には最後の戦場となる国が2カ所あり、悪玉軍がその2カ所に押し寄せて、いまや上陸せんという土壇場となった。ここで対抗策として潮満の珠(水)、潮干の珠(火)が効かなかったとは、既成の組織宗教がそこでは救済という...一厘の仕組-3

  • 一厘の仕組-2

    ◎三個の神宝(2010-05-15)更に出口王仁三郎の示す一厘の仕組みは霊界物語にある。それは、第一巻第三五章「一輪の秘密」と同第三六章「一輪の仕組」に見える。この段は、艮の金神国常立尊が、三個の神宝である、潮満の珠(水)、潮干の珠(火)、真澄の珠を冠島、沓島に隠し置くところ。真澄の珠には効能については、なぜだか説明がない。三個の神宝は、三種の神器。三個の神宝は、出口王仁三郎の表現体系の中では、絶対の側、永遠の側、(人間に対して)神の側のシンボルとして用いられる。冠島、沓島に隠し置くとは、10チャクラのうち、冠島がサハスラーラ・チャクラ、沓島は足の裏のチャクラのことだろう。人間の10チャクラに三個の神宝は既に備わっているが、それを活用できるに至らぬ状態に置いたというのが、この段の意義なのだと思う。またクン...一厘の仕組-2

  • 一厘の仕組-1

    ◎古事記の仲哀天皇の段(2010-05-14)戦争の噂を聞くようになった。一厘の仕組とは、世の立替の時に、99.99%滅亡のところから大逆転するメカニズムのこと。出口王仁三郎は、そのヒントは、古事記の仲哀天皇の帰神の段にあるという。仲哀天皇の帰神の段。大后息長帯比賣命は神功皇后のこと。「その大后の息長帯比賣〔オキナガタラシヒメ〕命はある時、帰神をした。それは、天皇が筑紫の香椎宮にいて、熊曾国を討伐しようとした時で、天皇は琴を弾いて、建内宿禰の大臣は沙庭にいて神託を求めた。すると大后が帰神となると、「西の方に国がある。金銀をはじめとして目の輝くような種々の珍宝が、その国に多くある。私が今から、その国を与えよう」との御告げであった。しかし天皇は、「高い所に登って西の方を見ても、国土は見えず、ただ大海があるだけ...一厘の仕組-1

  • スケートボード堀米雄斗選手、1%の可能性を最後まで信じて

    ◎九分九厘から一厘の大逆転とは、個人が逆転して世界全体になること2024年パリ五輪、スケートボードの男子ストリートで、堀米雄斗選手は、1%の可能性を最後まで信じて、最終の5回目の演技に成功し、2大会連続の金メダルを獲得した。釈迦が成道できたことで英雄と呼ばれるのも、悟る可能性が1%もなくても可能性を最後まで信じて冥想修行に取り組んだから。また古神道家ならこれを一厘の仕組という。一厘の仕組とは、世の立替の時に、99.9%滅亡のところから大逆転するメカニズムのこと。出口王仁三郎は、そのヒントは、古事記の仲哀天皇の帰神の段にあるという。さらに冥想シーンで、九分九厘から一厘の大逆転とは、個人が逆転して世界全体あるいは神になること。冥想シーンでのそれを、確率百分の一の無謀なギャンブルと見れば、常識的社会人や青少年は...スケートボード堀米雄斗選手、1%の可能性を最後まで信じて

  • 見神と言いながら神人合一を説く

    ◎ふたつのものを同時に見ることはできないOSHOバグワンは、見神と言いながら神人合一を説いている。『あなたのなかに神を見はじめるというのは間違っている。――――もはやあなたを見なくなるのだ。聖なるものだけを見るようになる。木のなかに神を見るのではない。もはや木を見るのではなく、聖なるものだけを見る。あらゆる原子のひとつひとつのなかに神が存在するという人がいたら、その人は完全に間違っている。原子と神の両方を見ているのだから。ふたつのものを同時に見ることはできない。この場合の真理は、「あらゆる原子のひとつひとつがまさに神だ」であって、「あらゆる原子のひとつひとつのなかに神がいる」ではない。原子のなかに閉じこめられて神が坐しているのではない。何であれ在るもの、それが神だ。神とは〈在るもの〉への愛ゆえに与えられた...見神と言いながら神人合一を説く

  • プレゼントに霊を込める

    ◎お互いが好意を持っている場合に贈り合う出口王仁三郎が、プレゼントについて述べている。贈り主がプレゼントを上げようと思っていないのにねだるのは、霊がこもっていないのでいけないとする。また贈り物を辞退するのは、功徳(お蔭)がなくなるといいながら、一方で贈り物をむやみにもらうのは危険だとも言っている。それをもらったばかりに思わぬ災難にあう場合があるという。新品のプレゼントもさることながら、中古、古○、アンティークも当然気をつけねばならない。せんじ詰めると、お互いが好意を持っている場合にプレゼントを贈り合う場合だけがよいと言っている。只ほど高いものはないとか、金を集めるとは因縁カルマを集めるということだとかの、一見全体的には功利的発想から来るように見えるものの、更に深遠な法則が仄見える。だがここでは、もともと自...プレゼントに霊を込める

  • 人間は玉の緒(クンダリーニ)が神様と結ばれている

    ◎善いことは容易にできない世の中だが、善いことをし続ける出口王仁三郎は、クンダリーニは神様とつながっていると明言。だから人は神の生き宮、神の分霊などというのだが、さらりと人間はクンダリーニのエネルギー・コードによって神様につながっていると説明している。もとより神様とつながっている以上、誰にでも仏性があるとか神性があるというような表現は、とても妙な言い回しであるように思う。最近の人間は、自分が神様とつながっているという自覚のない人もいるし、他人も神様とつながっていると知れば他人にひどいことなどできないはずなのに、よろしからざる仕打ちをする人もいる。『人間は玉の緒が神様と結んであるので、それを神様が切られると、命が切れるのであつて、人は其(その)もとを大切にせねばならぬ。生死は全く神の御手にあるので、人力をも...人間は玉の緒(クンダリーニ)が神様と結ばれている

  • 訓練によって見えるようになった神はにせもの

    ◎心理上の投影を神と思い込む昔、OSHOバグワンのところに、いたる所に神を見る男がやってきた。この30年間、彼は、花や木や岩などあらゆる物の中に神を見て来たという。OSHOバグワンは、男に直接確認したところ、彼は修練(サダーナ)によって万物のうちに神を見るようになったと答えた。彼は、万物のうちに神を見ることを想像したり、強く願ったりしたという。その修練を30年前に開始し、やがてあらゆるところに神を見ることができるようになったという。OSHOバグワンは、彼に三日間ここでOSHOバグワンと一緒にいてその間、「あらゆるところに神を見ること」をやめるように申し入れたところ、彼は応諾した。図らずも男は、その修練をやめてわずか12時間後、岩を岩として見、山を山として見始めてしまったので、もう神を見れなくなったと、OS...訓練によって見えるようになった神はにせもの

  • 自己へ入って行くとすべてがある

    ◎"わたし"も"あなた"も消え、〈すべて〉が残るOSHOバグワンは、自己へ入って行くとすべてがあると説明するが、なぜどうしてそうなるかは説明しない。自己へ入って行くとすべてがあることを逆転と云い、タロットでは、吊るされた男。すべてとは、既に天国も地獄も超えている。『非常に興味深いことには、自己へと入っていった人間は、突如としてすべてに通ずる入口をみつけるのだ。自己への扉は万物への扉なのだ。自己に入ってゆくやいなや、人は自分がすべてへと入っていったことに気づく。というのも、われわれは外面的には異なっていても、内面的には異なってはいないからだ。外見上すべての木の葉は互いに異なっている。だが、もし人間がわずか一枚の木の葉のなかに浸透してゆけたなら、すべての木の葉がひとつに融けあうその木の源にゆき着くことだろう。...自己へ入って行くとすべてがある

  • 心のキャパシティ

    ◎大悟覚醒と前世記憶OSHOバグワンは、前世記憶はいたずらに覗きにいくものではないと言っている。今生の思いだけでもアップアップなのに、その上に前世記憶を受け容れるなど、泣き面に蜂もいいところだからである。その説明の中に心のキャパシティに関する説明がある。これは、大悟覚醒のための準備の一つであるとも見れる。OSHOバグワンは、さる女性教授に前世記憶をオープンにしてくれるようしつこく迫られていた。それも4つの過去世だ。OSHOバグワンは、それが愉快な結果を生まないことを承知していて、そういう説明もしたが、根負けして彼女に過去世記憶をオープンさせた。まずいことにその女性教授は、日頃から自分が敬虔で一点も曇りもない女性だと信じこんでいた。『それでなくても、ひとつの人生の記憶だけでも耐え難いのに、三つも四つもの過去...心のキャパシティ

  • 意志力と餓鬼

    ◎女子レスリングのビネシュ計量失敗レスリング女子50キロ級絶対女王須崎優衣を破り、決勝に進んでいたビネシュ(29歳=インド)が計量失敗で失格した。何でも前日に2,3キロの食事をとって、その後すぐに減量を開始、血を抜き、サウナで水を抜き、髪を切るという窮極の技を繰り出したが、150グラムオーバーしたらしい。レスリングでもボクシングでも柔道でも試合前の減量のつらさのことはさらりと触れられるが、あまり詳述されることはないが、飢えというものがいかに恐ろしいものか痛感させられるシーンなのだろう。昔、知り合いの二人が名古屋の方にあるという断食道場に行ったが、断食道場終了後に外に出た途端、甘いものやら、炭水化物ものやら食べまくり、餓鬼道に堕ちたと口をそろえて語っていたことがあった。ビネシュ選手も餓鬼道に一瞬落ちたのだろ...意志力と餓鬼

  • 天には平和、いと高きところには栄光あれ

    ◎石ころも叫ぶイエスがオリブ山の下りの道をろばに乗って進んで行くと、イエスの弟子たちと群衆が言った。『「天には平和、いと高きところには栄光あれ。」ところが、群衆の中にいたあるパリサイ人たちがイエスに言った、「師よ、あなたの弟子たちを黙らせなさい。」答えて言われた、「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」。』(ルカによる福音書19/38-40)天には平和、これは天国のポジティブ面をことほぐ。いと高きところには栄光あれ、これは神そのものを賛美しているのであって、天国と地獄を超えている。パリサイ人は、神の子あるいは王を自称するイエスのことを不遜であると思って、黙らせよと要求したが、天意、神威は、そのような抑圧で抑えられるものでなく、人間の最奥から噴出する強烈な情動として叫ばれたものだった...天には平和、いと高きところには栄光あれ

  • 人間とは、連続的に気づいている意識だ

    ◎飢えや渇きを感じている肉体を観照している自分一般に人は、自分の肉体と同一化して生きている。そこでOSHOバグワンは、人間は、飢えや渇きなど、自分の肉体に起きていることについて、連続的に気づいていることから、『人間とは意識、連続的に気づいている意識だ。彼は体験者ではない。単なる知る者だ。』(死ぬこと生きること/OSHO/市民出版社P204から引用)と述べる。飢えや渇きを感じている行為者は、自分ではなく、「飢えや渇きを感じている肉体を観照している自分」こそが、本当の自分であり、連続的に気づいている意識だとOSHOバグワンは、言う。肉体を観照している自分とは、エーテル体もアストラル体も、メンタル体もコーザル体も観照できるに違いない。なぜなら肉体からコーザル体は自分の個なるボディだからだ。よって、肉体を観照して...人間とは、連続的に気づいている意識だ

  • 蜀からきた錬金術士輔神通

    ◎黄金変成の素材は入手したが、本人には何も起こらなかった輔神通という者が蜀に住んでいた。幼くして孤児となり、人の牛を追って生活していた。牛追いのたびに、一人の道士とすれちがうので会釈をするようにしていた。そんなことが数年も続いたが、ある日、その道士が「わしの弟子にならないかね」と声をかけてくれたので、輔神通はすぐに応諾した。道士は輔神通を連れて、「これから滝の中に入るから、わしの後についてなさい。こわがることはない。」といって、滝の中に入った。中には凛として清潔な部屋があり、薬袋と錬金術の竈があった。ベッドの下には「大還丹」(最高の金丹)が多数置かれていた。ここで輔神通は竈の火の番をさせられ、錬金術士の見習いとなった。三年が過ぎ、彼も二十歳をすぎ、人の世が恋しくなってきた。そこでちょうど道士がいない間に還...蜀からきた錬金術士輔神通

  • 神はどこまでIT、科学をお残しになるか

    ◎愛の代用品としての白狐あるいはホワイト・フォックス私が小学生の頃は、科学の発達により、食料がある程度増産されれば、人間も国家も食料を求めて相争うことはなくなり、自ずと世界平和に向かうのだろうと漠然と考えていた。昭和39年の東京オリンピックを一つのエポックとして私の育った東北の農村は、細かく不整形だった田んぼが一区画が大きいものに、町村全体で耕地整理され、それ以後泥鰌もほとんどいなくなり、夏の闇夜の夢幻であった蛍は、ごくわずかにしか見られなくなった。日本経済の高度成長は既に始まっていたが、東北への恩沢は、この頃から狂乱物価の昭和48年頃までの短い期間だったのではないかと思う。それから50年経過して、世界は相変わらず食料の分捕り合いを繰り返し、金の奪い合いはIT、科学の発展によりなくなるどころか、ますます瞬...神はどこまでIT、科学をお残しになるか

  • 秦の始皇帝天下統一後は神仙を求める

    ◎始皇帝もみじめで情けないままに死すスポーツ・ヒーローも芸能アイドルも公的部分を除けば、みじめで情けない只の人であることに変わりない。秦の始皇帝も天下統一後は、人生上でクリアすべき問題は、みじめで情けない只の人である部分であったため、それを神仙の道に求めた。始皇帝は、廬生の神仙についての説明を聞いて、水に入っても濡れず、火に入っても焼けず、雲気を凌いで、天地とともに長久である神人を、羨んでやまず、以後朕と称さず真人と称することにしたほどであった。この羨望の方向性は、天国的なものであって、真正な求道の道から言えば初歩的だが、正統な人間精神の発達過程ではある。欲望満足が極大に至って自我は極大化し、英雄の夢は破れるのだ。始皇帝は、金と権力に飽かせて、封禅などの儀式を各地で行い、仙薬を求める探検隊を海上に出したが...秦の始皇帝天下統一後は神仙を求める

  • 一生の使い方

    ◎資金運用と黄金への修行西洋錬金術ものを読むと、錬金術実験の資金を得るために貴族や王に金の無心をするが、大体実験はうまく行かず、詐欺だとそしられるシーンが多数出てくる。錬金術師の側から言えば、一生の半分を資金調達に費やし、うまく資金ができても大体成功はせず、遅くとも一生の終わりごろには、経典の読み方を誤っていたのか、師匠の教えが悪いのか、実験の回数が足らなかったのかなどと悩むことになる。一生を黄金変成という冥想修行に使うか、金集めに使うか。中国の有名錬金術書抱朴子の著者、葛洪は金丹の真経を手に入れたあとで、「わたしはそれを手に入れてから、もう二十数年になる。だが少しの財産もなく、実験のしようがなく、長嘆息するだけである。櫃にあふれるほど黄金を積み、山のように銭を貯めた人は、逆にこのような不死の法があること...一生の使い方

  • 不死の薬を飲みそこねる

    ◎羿(げい)と楚王中国には、長生術というのがある。もののあはれが染みついた日本人は、長生きしても寝たきりになったり介護されるのはたまらないので、長寿もそこそこにと思うのも人情である。だから中国人が長生術と言って専ら寿命の長いのをよしとするのは奇妙なことだと思う日本人は少なくないだろう。ところが中国でいう長生は、意外にも不死のことなのである。『羿(げい)が、死をつかさどる神である西王母に不死の薬をねだってもらい受けた。ところがある日、妻の嫦娥(こうが)が不死の薬を盗み出して、早速服用して飛昇成仙し、月に逃亡した。これを知った羿は追いかけるでもなく、ただがっかりして茫然自失し、がっかりして死を待つばかりとなった。』(「淮南子」「覧冥訓」)。月というのは、異世界ということを強調するもので、西洋オカルト本で金星人...不死の薬を飲みそこねる

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