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2024/05/30

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  • 至道無難の慈悲(愛)

    ◎慈悲を行って慈悲の作為がなければ、既に仏になっている至道無難は、心はもともと何もないが、その姿を仏、神、菩薩と呼ぶ。その心の変化の相は、第一に慈悲、そして和、そして素直である。最初に慈悲が出るのが特徴で、慈悲は別名“愛”である。仏と云い、神と云い、菩薩と云い、如来と云う。色々有り難き名は、人の心をかへて云う也。心本(もと)一物もなし。心の動き、第一、慈悲なり、和なり、直(すなお)也。(『即心記』奥書)じひ(慈悲)するうちは、じひに心あり。じひ(慈悲)じゆく(熟)するとき、じひをしらず。じひしてじひしらぬとき、仏といふなり。(『即心記』)※コメント:イエスは、マタイによる福音書第六章で、どのようなことが善行であるかを説明している。「自分の義を、見られるために人の前で行わないように注意しなさい。もしそうしな...至道無難の慈悲(愛)

  • 悟りまであと一歩の秘密

    ◎賢者の石、第五元素など悟りとは、個人が宇宙全体に逆転すること。西洋錬金術の最終目的は、土くれたる肉体が黄金に変成すること。それは、実は悟りのこと。そのために必要な最後のトッピングは、賢者の石とも第五元素ともチンキとも言う。最後のトッピングは、発見する手順はあるらしく、その形状・色などは伝えられているが、どちらもはっきりしていない。禅では、いきなり法に飛び込むため、大悟の直前になにか共通するこつのようなものがあるだろうと修行者は誰もが考えるので、禅関策進のような悟りの直前直後の様子集のようなものが作られた。実際は、鍵をがちゃりと置いた音で悟ったり、投げた石が竹に当たりカーンと音がしたので悟ったり、背中を壁にのっかかろうとしたら壁がなくて後ろに倒れて悟ったりなどなど様々であり、一定のパターンなどないと言って...悟りまであと一歩の秘密

  • 殺人命令

    ◎ミッション・インポシブル(2009-06-27)臨済宗の開祖の臨済は、「仏に逢ったら仏を殺せ。達磨に逢ったら達磨を殺せ。羅漢に逢ったら羅漢を殺せ。父母に逢ったら父母を殺せ。親類に逢ったら親類を殺せ。これができて始めて解脱を得るだろう。」と宗教者にあるまじき、ギョッとするようなことを言う。親鸞だって、弟子の唯円に、「オレの命ずることを信じるか」と質し、唯円が決して背きませんと誓った途端に、「だったら人間を千人殺してくれ、そうすれば往生間違いなし」などと命じて見せた。臨済は、専門道場でこれを言っているのであるから、リアルの殺人ではなく、坐禅中の殺人を云う。あらゆるなつかしい者に別れを告げよと呼びかけているのだ。唯円が「とてもじゃないけど殺人なんかできません」と応酬したのに対し、親鸞は、「業縁によって殺せない...殺人命令

  • 至道無難の悟り

    ◎悟りとは、本心にして無一物にして言葉では言えない悟(さとり)を以て仏法と云う。悟る人まれなり。問う、悟とは、如何。予云わく、本心也。問う、如何なるか是れ本心。予云わく、無一物。又問う、如何なるか是無一物。無言。(『自性記』)※コメント:悟りとは、本心にして無一物にして言葉では言えない。凡夫のあやまり、ここにあり。無一物ならば見聞覚知あるまじとおもふ。聖人は見聞覚知直(じき)に無一物なり。こゝをよく心得べき事也。(『自性記』)※コメント:悟った人は、ぼーっとしているだけで、見たり聞いたりしゃべったりわかったりしないというような俗説にまどわされてはいけない。見たり聞いたりしゃべったりわかったりが、先入観や偏見なくストレートに、常に法そのものから来るのだ。いろいろに工夫とて、むつかしき事をこのむぞや。平常はみ...至道無難の悟り

  • 至道無難の現実感

    ◎たちまちに死にはてて見る心こそかりに仏と名はつけにけれ至道無難は、江戸時代初期の禅僧だが、元は関ケ原の宿屋の主人にて、出家は40代と遅かったが、その悟境は、一休、大燈国師に引けをとらない。語録だけ読むと、禅の常として説明不足気味のがあるが、特に道歌は、時代を越えて直截に迫ってくるものがある。ころ(殺)せころせ我身をころせころしはてて何もなき時人の師となれ(『道歌集』)たちまちに死にはてて見る心こそかりに仏と名はつけにけれ(『道歌集』)いきながら死人となりてなりはてておもひのままにするわざ(業)ぞよき(『即心記』)月も月花もむかしのはなながらみるもののものになりにけるかな(『即心記』)※コメント;みるものと見られるものが一つになる。主(ぬし)なくて見聞覚知する人をいき仏とは是(これ)をいふなり(『道歌集』...至道無難の現実感

  • 一度(ひとたび)は死なねばならぬ人の身と思ひて命の神を祈りつ

    ◎出口王仁三郎が無常を歌う昭和の大宗教家出口王仁三郎の歌集言華(下)から「無常」『無常春の日を咲きほこりたる山桜の一夜の嵐に散る世なりけり友垣と語らふ間さへ死の神のかげはその身を襲ひ入るなり青空の奥の奥まで澄みきりし日も夜の間に雨となるなり死の神の手にゆだねたる人の身を生き通しなる神にすがれよ生き生きて生きのはてなき命こそ天津御神の賜(たまもの)なりけり肉体はよし死(まか)るとも魂は幾万劫の後まで生きん栄枯盛衰常なき人の身にしあれば栄えの神を夢な忘れそ親しげに語り合ひたる友垣の一夜(ひとよ)さのまに訃を聞く世なり露の身のはかなき命を思ふかな若かりし友の訃を聞く夕べを若返り若返りつつ幾千代も生き通すなり神にある身は今日ありて明日なき命を持ちながら欲のかはきて人に憎まる風なきに桐の葉ひとり落つるごとはかなきも...一度(ひとたび)は死なねばならぬ人の身と思ひて命の神を祈りつ

  • 中国が正常だった古代と正常化の夢

    ◎中国に関する予言など中国が正常だった時代は、古代聖帝の堯・舜・禹の鼓腹撃壌の時代。それは、民が日が出れば耕作し、日が沈めば休み、井戸を掘って水を飲み、田を耕して食べる。皇帝の力など民に関係ないと民が語っていた時代。現代中国は、ITで全国民の思想、財産、居所まで管理し、歴史的に食料事情が厳しい上に、約1億人の共産党員が賄賂や投資で残りの約13億人を収奪している時代で、最近公務員給与の遅配まで報道されるようなり、暴動は多発し、鼓腹撃壌の時代は程遠い。鼓腹撃壌の時代とは、万人が善いことだけをして、悪いことはしない、そして誰もが嘘をつかず正直な時代。そういう風になれば中国にも聖人覚者が多く出てきて、ネオ鼓腹撃壌の時代が実現しようというもの。もっとも聖人覚者が多数出るには、宗教が保護され、精神的なものに価値がある...中国が正常だった古代と正常化の夢

  • ドルネウスの脱身の次第-2

    ◎霊魂と肉体の人為的分離ドルネウスの続き。『正しく理解されねばならないが故に、今、分離から始めよう。弁えておられるように、人はある期間にのみ生き、その後、おのずと、霊、魂、肉体へと分解する。肉体は、死に際し、分解し、腐敗する。そうして、肉体の自然の火、肉体の温もりはやみ、肉体の根本湿気の流れはやむ。そのとき、霊と魂は肉体を去り、肉体は大地に埋められる。そこで、腐敗過程を経て、基本要素へと風化し、要素それぞれは、四大へと帰還する。すなわち、大地は肉体の大地的部分を呑みこみ、水は液状部分を呑みこむ、というように。しかしながら、霊と魂はその源泉へと戻るが、永遠にその肉体から分離されたままであるべきではないがゆえに、後には、神の巧妙な計画により、以後は分離されることなきように、よりよき構成で肉体と再結合される。結...ドルネウスの脱身の次第-2

  • ドルネウスの脱身の次第

    ◎ニルヴァーナ突入後に肉体に生還する機序周辺心理学者C.G.ユングの弟子の本は浩瀚な錬金術書の知識がほとばしり、人格統合などという言葉がなければ、土くれから黄金を作りたいのか、精神病を治療したいのかわからなくなるほどである。そこで16世紀の錬金術ドルネウスを読んでみる。『読者が、混乱してしまい、事態全体に疑いを抱きはじめないように、ここで、ある種の区別を施すように注意を促さねばならない。私が魂なきものという場合、植物界、鉱物界のことを指している。つまり、草木や石や金属等の大地世界である。しかし、それらのものにも植物や鉱物の魂が存在する。それが故に、私の話題が生命なき物体(コルプス)であるとしても、自然界のすべてのものに、霊魂(スピーリトウス)、肉体(コルプス)が備わると信じる錬金術師達に反対する意図はない...ドルネウスの脱身の次第

  • 秋分のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

    ◎ホムンクルス人形と手指、足指今年最後と思われる猛暑日が過ぎたかと思えば、もう秋分の日。最近のエクササイズ・メニューは、前回とほとんど変更がないが、なんと太ももに肉がついてきたのと膝周辺、腰周辺、股関節周辺に肉が付き始めて来た。理由は、きくち体操のやり方が根本的に変わったことである。つまり従来“漫然”とポーズをやっていたのを、長座時に意識でもって膝上の筋肉を繰り返し上側に引き上げ“続ける”。ほとんどのポーズで、肚に力を入れ“続ける”。この2ポイント。ポーズそのものより、この“続ける”ところがこつのように思う。きくち体操は、1年前はポーズを真似するだけで精一杯だった。それと腿上げ時にももが水平より上に上がらないのに気づいた。これは片足上げが鋭角にできないということ。さらに冥想で坐る前に、坐って両足首を持って...秋分のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

  • ニルヴァーナへの神秘修行者は男性が圧倒的多数の理由

    ◎ダンテス・ダイジの性愛冥想からダンテス・ダイジは、射精をしたことのない男性はほとんどいないが、一方オルガズムを経験したことのない女性はかなりいる事実をまず指摘。よって、平たく言えば、男性の性愛の極致は射精だから生理的であり、一方女性のそれは心理的精神的なものに大きく支配されていると述べる。トランスは、ニルヴァーナ(宇宙意識)、悟りの入口ではある。阿片系統の麻薬使用は、男性の性能力は減退するが、逆に女性の性欲は亢進する由(ダンテス・ダイジ説。阿片服用で陰萎になる話は、それ系の書物で時々読むところではある)。『この潜在意識の作用の一つであるトランス状態は、人を脱我的陶酔へ導く入口であり、種々の仕方で誘発するトランスの中で薬物による肉体的トランス状態においても、なおかつ、その肉体性トランスを性的オルガズムに結...ニルヴァーナへの神秘修行者は男性が圧倒的多数の理由

  • 自分自身を経験する新しい方法

    ◎アイデンティティと意識を抜き取られ、永遠の亡者になる朝顔違法ドラッグ、脱法ドラッグが以前より手に入りやすくなっているようだが、そうしたものに手を出すのは人生を棒に振る危険も死に至る危険もはらんでいる。植物だろうが、化学製剤だろうが、向精神薬は、用量を誤ると死に至るものが多い。「ドラッグ・シャーマニズム/ジム・デコーン/青弓社」にも用量を誤って死んだ学者やパイオニアの話が沢山出ている。冥想修行も向精神薬も精神を操作するということでは同様であり、相応の危険性があることは言うまでもない。奥山で見つけた見目麗しいきのこが毒キノコであるかどうかは、素人にはわからないように、自分が悟っていない限りその人物が大悟覚醒しているかどうかわからないということはある。そしてまた同じ用量でも効果に個人差があることは知られている...自分自身を経験する新しい方法

  • ジム・デコーンの見神体験

    ◎サマディは日常意識の近くにあるが、到達、維持は難しいサンフランシスコ州立大学の学生ジム・デコーンは、27歳で最初のLSDトリップで見神したようだ。残念ながら、彼はそれ以上の体験とはいえない体験を求めて、以後20回以上のLSDトリップを行ったが、最初の体験に匹敵するものはなかった。具体的には、地獄体験、アストラル・トリップ、共時性体験、前世体験(18世紀の誕生から老年を経て死まで)、物体の念力移動、他次元の戦士の世界への旅、「おまえが責任をとるのか?」という声(ハイアーセルフの声?)などの、悟りとは言えない体験に止まった。以下引用文は、最初のLSDトリップでの見神時と思われる体験の記述。『その頃私は、東洋宗教に強い関心を持っていた。そのためか意識の上にドラッグの効果が現れると、サマディ(深瞑想)としか形容...ジム・デコーンの見神体験

  • 現実としての超能力と現実認識の実際

    ◎エネルギーとしての意識笹目秀和の出会った超能力みたいなものは、白頭山で200歳のリョ神仙に出会ったこととテレパシー通信したこと。崑崙山脈で500歳の疏勒神仙に出会ったことと肉体でトラック並みの大型鶴(鶴仙)に乗って崑崙山中を何十キロか高高度を飛行したこと。リョ神仙宅にも疏勒神仙宅にもラジオも新聞もないが、ヒトラー、スターリン、ムソリーニを悪玉の中心人物の一人として天眼通にて承知していたこと。また両神仙は、宿命通にて、笹目秀和の人生全体のディテールを、その死に至るまで承知していたこと。このような超能力は、真正の覚者には普通にあることである。ただし、両神仙など覚者の世界観人生観は次のようなものであるように思う。1.人間の精神は物質的存在を超越する。したがってわれわれは多次元的存在である。2.自我は精神の中核...現実としての超能力と現実認識の実際

  • 主食として芋を食べる話

    ◎飢饉の予言キリスト到来以前は、世界にパンはなかった。ドイツ人も最初じゃがいもを食べなかった。フィリポによる福音書から。『キリストが到来する以前には、世界にパンは存在しなかった。アダムがいた楽園と同じように、そこ(世界)にはたくさんの木々があったが、動物たちの食べ物としてであった。そこには人間の食べ物としての小麦は存在しなかった。人間は動物たちと同じようにして自分たちを養っていたのである。だが、キリスト、とはすなわち完全なる人間が到来したとき、彼は天からパンをもたらした。それは人間が人間のための食物によって自らを養うためであった。』(ナグ・ハマディ文書2福音書/荒井献/〔ほか〕訳/岩波書店P60から引用)これは単純に主食の変化による肉体の変化を言っているのだろうが、イエスキリスト在世当時の人に理解できたの...主食として芋を食べる話

  • エミー賞『SHOGUN 将軍』作品賞・真田広之主演男優賞など18冠達成

    ◎見返りを求めない行動、これをZENという『SHOGUN将軍』エミー賞おめでとう。受賞の深因は、アメリカ人が求めるZENを、このドラマ・シリーズ全体に流れる個人的には自害のような大事でも「見返りを求めない行動」として淡々と行っていくところに発見したからではないか。『SHOGUN将軍』の特徴は、キリスト教では禁じられている自害が10例ほどはああるのだが、あろうことか誰もがそれを主君の命などを受け淡々とこなしていること。イギリス人航海士の按針は、最初は理解し難く、驚いたり怒ったりしているが、最後はそれを骨身に染みて理解するほどまでになる。それが西洋と東洋の融合であった。鞠子のモデルは、逆臣明智光秀の娘細川ガラシャだが、その何重にも抱えた重層的不条理が、薙刀での立ち回りの虚無性を増幅させ、生きること自体の困難さ...エミー賞『SHOGUN将軍』作品賞・真田広之主演男優賞など18冠達成

  • 目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、手がまだ触れなかったこと

    ◎言葉で語れないニルヴァーナ、白髪の子トマス福音書から、『一七イエスが言った、「私はあなたがたに、目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、手がまだ触れず、人の心に思い浮かびもしなかったことを与えるであろう』(ナグ・ハマディ文書2福音書/荒井献/〔ほか〕訳/岩波書店P24から引用)これは、言葉で語れないニルヴァーナのことであり、出口王仁三郎の次の歌と同じ。耳で見て目できき鼻でものくうて口で嗅がねば神は判らず耳も目も口鼻もきき手足きき頭も腹もきくぞ八ツ耳(出口王仁三郎)『一一イエスが言った、「この天は過ぎ去るであろう。そして、その上(の天)も過ぎ去るであろう。そして、死人たちは生きないであろう。そして、生ける者たちは死なないであろう。あなたがたが死せるものを喰う日に、あなたがたはそれを生かすであろう。あなたがたが光にあ...目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、手がまだ触れなかったこと

  • 死ぬものが死なないものを着る

    ◎終りのラッパの響きとともに、またたく間に、一瞬にして変えられる神の国を継ぐとは、大悟覚醒のことであって、天国的なものを超えるということ。朽ちるものとは、天国的な幸福。朽ちないものとは、天国も地獄も越えた幸福。終りのラッパの響きとは、家族、恋人、金、地位、名誉など自分と自分に属するあらゆる宇宙と別れを告げること。その時に起こるのが、人は朽ちない者によみがえらされるということ。一瞬にしてそれが起こるということは、徐々に起きるイベントではない。個人が宇宙全体として逆転するのだ。これは、有の方の悟りだが、なかなかこの説明は理解しにくかっただろうが、一方これを書いた使徒パウロはわかっていた人だった。以下新約聖書コリント人への第一の手紙15:50~54。『兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継...死ぬものが死なないものを着る

  • 薔薇十字団とフリーメーソンと米ロ

    ◎薔薇十字団の流れは、現代でも継承されている17世紀に勃興した薔薇十字団は、17世紀末までには消え、入れ代わるようにフリーメーソンが登場した。フリーメーソンは、欧州全域で最初からフリーメーソンとして活動していたわけでなく(発祥は1717年イギリスとされる)、ドイツでは、イルミナティ啓明結社が中心となり、ゲーテが『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』でフリーメーソンの理想郷について触れ、モーツァルトは、『フリーメーソンのための音楽』や『魔笛』を書いた。18世紀末ドイツのイルミナティ壊滅後は、残党はフランスに流れ込み、ロベスピエールのジャコバンクラブ結成の基盤となった。ロベスピエールの父は熱心なフリーメーソンだった。19世紀後半に薔薇十字団はパリ中心に復活し、イギリスでは、黄金の曙と改称し、詩人のイエイツ、作...薔薇十字団とフリーメーソンと米ロ

  • 緑の獅子が太陽を食べる

    ◎クンダリーニのエネルギー・コードが中心太陽に突入する中世錬金術書の哲学者の薔薇園の図版に『緑の獅子が太陽を食べる』イラストがある。緑の獅子とは、ヘルメスの金属であって水銀(錬金術書逃げるアタランタの図版37)。つまり緑の獅子とは、クンダリーニのエネルギーコードのことである。よって『緑の獅子が太陽を食べる』とは、クンダリーニのエネルギー・コードが中心太陽に突入する寓意である。種村季弘によれば、獅子の口は、死の口であり、再生のためには死に飛び込まねばならない(黒い錬金術/種村季弘P236)。緑の獅子の獅子の口から血がしたたり大地に落ちているのは、再生の意図。インドでは、クンダリーニ・ヨーガは再生を展望しないが、西洋錬金術では再生もありなのだろうか。C.G.ユングは、人間が穴に落ち熊に襲われる夢を材料に、『熊...緑の獅子が太陽を食べる

  • ネット詐欺横行と強欲な人-3

    ◎実は人間は人に騙され続けている出口王仁三郎は、だまされる被害者は心の中に悪と欲と利己心が充満していると指摘した。もう一つの見方がある。『人間は人に騙され続けている』のが自分ということと、誰にも騙されない自分があるということが両方とも存在するというもの。水平の悟りにあっては、何者にも騙されない自分と人に騙され続けている自分を両方もって生きている。その片側を指して『実は人間は人に騙され続けている』と云う。一方、何者にも騙されない自分とは、鎌倉円覚寺の開山無学祖元やスーフィの聖者ホセイン・マンスール・ハッラージのように、首をちょん切ると脅しても譲らないで、ああ切るなら切れ、これが真実だと言う場合。無学祖元は、鎌倉円覚寺の開山。中国の温州(浙江省)の能仁寺に住していたとき、南宋攻略で、モンゴル兵が寺に侵入し白刃...ネット詐欺横行と強欲な人-3

  • 笹目秀和がシベリア抑留列車から一旦脱走したが、自ら列車に戻る

    ◎人間としてのどうしようもなさは、個人の天命と裏腹笹目秀和は、シベリア抑留列車がハイラル駅(現在の中国内モンゴル自治区)の停車中にソ連兵の警備をかいくぐって一旦脱走に成功したが、自分一人だけが楽な思いをすることをあきらめて、なんと自分で列車に戻っていった。さて1945年日本に帰還する列車だとソ連に騙されて、笹目秀和は興安駅からシベリア抑留列車に乗車。列車がハイラル駅に入ったことで、日本に向かっていないことに気がついた。そこでハイラル在の20年来の友人の中国人を頼って、ハイラル駅で脱走しようと笹目秀和はチャンスをうかがっていた。列車はハイラル駅に停車した。『やがて扉の外鍵を外し”オボルニー"と、警備兵が叫んで、次々に各貨車を同じようにして過ぎてゆく。あッ!これは警備兵の多くは寝ていて、一人が各貨車を回って鍵...笹目秀和がシベリア抑留列車から一旦脱走したが、自ら列車に戻る

  • ネット詐欺横行と強欲な人-2

    ◎人にだまされる者は、心の中に悪と欲と利己心が充満している出口王仁三郎は、ネット詐欺にだまされる人は、心の中に悪と欲と利己心が充満していると、厳しく指弾している。最近ではほとんど誰もそのようなことは思いつきもしなくなった。出口王仁三郎は、まず人間の想念及び情動は、発する声音に現はれ、皮膚に現はれるものであるとする。よって、心に悪なく欲なく、善の徳に充たされた人は、相手の一言一語で腹のドン底まで見抜けるので、だまされることはない。一方、心に悪と欲と利己心が充満している人は、情動は鈍り智性は衰え、意思は狂い、容易に相手の心中を見透かす事はできないので、だまされるのだと説明している。これは、(詐欺で)だまされた被害者側の問題点を挙げているので、ほとんどの日本人から見れば、非常識で極端な説に見えるかもしれない。だ...ネット詐欺横行と強欲な人-2

  • ネット詐欺横行と強欲な人-1

    ◎出口王仁三郎の罪人橋最近ネット詐欺など、人に騙される話が多い。ところがその被害者は一般に善人であるという前提に立っているが、被害者が詐欺にあったことで、逆恨みし、神も仏もあったものかと神仏を離れ、地獄への道を進む者がいると、出口王仁三郎は注意している。そうした被害者でもそんな悪の道に入ると、その地獄から娑婆に戻るには、大きな川にかかっている細い長い橋を無事に渡らねばならない。この橋を罪人橋という。出口王仁三郎は、罪人橋を渡らねばならぬ人は、そもそも自分の強欲と不注意によって損害をこうむったのだが、それを棚に上げて、神仏を逆恨みすることがあるという。最近は、何も悪いことをしていなくても、システムや法律、手続の不備をついて、詐欺を行う人間が出てきている。そうした犯罪に遇う人間には何の罪もないのではないかと思...ネット詐欺横行と強欲な人-1

  • 笹目秀和の事上磨錬

    ◎日本人ヘイトと日本人逆差別は亡国への道笹目秀和が、仕事に打ち込むことで開ける、すなわち事上磨錬について語っている。笹目秀和は、終戦時民間人でありながら、兵士でもないのに不当にもソ連に11年も抑留され、シベリアで炭鉱掘りや薪割りをやらされ。最後まで共産主義思想へ転向しなかったので、11年目の昭和32年まで帰国ができなかったらしい。笹目秀和が、サーヤさまの山本護衛官に語る。『どんな仕事であっても、それになりきり、打ち込むことだね。そうすると宇宙にみなぎっている霊気、先天の炁(き)がどっと流入してくる。ヨガでは、先天の炁(気)のことをプラーナと呼んでいるのではないかな。山本君の護衛の仕事は楽ではないけれども、己を捨て、こだわりを捨てて無心に打ち込むことだ。そこから自然と楽しみが生まれてくる。わしが、炭鉱掘りや...笹目秀和の事上磨錬

  • 笹目秀和のクンダリーニ

    ◎頭頂から尾骶骨までクンダリーニがつきささった笹目秀和は、長白山の天池のそばで年齢200歳のリョ神仙に出会うのだが、その直前に天池のほとりでクンダリーニ現象があったことを記録している。『私は極天(北極星の位置)に向かって九拝すると、なにか、ズシーンと頭頂から尾骶骨まで、金色の延べ棒がつきささった。それから発散する光波が無限の細胞に作用したかと思うと、やがてそれらの光波が丹田に集結して、爆発したような音が感じられたのでわれに返った。まさに瞬間的神秘な事象であった。さらに“無事天池に浴する機会を賜りましたことを感謝する”と哮(さけ)びを発して、無形の存在である天に向かって礼拝したのだった。』(神仙の寵児2神秘篇(上)P108から引用)この段階で、まだ笹目秀和は悟ってはいない。神人合一に至るクンダリーニ覚醒プロ...笹目秀和のクンダリーニ

  • 霊界の魔法の山に秘蔵されている宝捜し-5

    ◎高貴なチンキという賢者の石エウゲニス・フィラレテスの宝捜しメモの続き。『やがて夜が明ける。そのとき宝物の山を目にするであろう。中でも最高にして完全であるのは高貴なチンキである。このチンキによって世界は、(神の役に立ち、このような贈物に適わしいかぎり)金色に輝き出し、最も純粋な金へと変容するのである。」「『指導霊』が教える通り、このチンキを使えば、たとえ貴兄が老いていても、たちまち若返り、体のどこにも病気を認めることがなくなるだろう。またこのチンキにより想像を絶する素晴らしい真珠の輝きを目のあたりにするであろう。しかし、自分が身につけた能力を自慢して何もかも自分の手柄だといい気になってはいけない。『指導霊』が伝えるもので満足すべきである。この神の贈物に対し神を絶えず讃えよ。そして世俗的なうぬぼれのために利...霊界の魔法の山に秘蔵されている宝捜し-5

  • 日本のカルマ

    ◎天地公事『日本のカルマを背負った男「笹目秀和」と二人の神仙/宮崎貞行/ヒカルランド』に天地公事のことが書いてある。天地公事とは、世界の運命は大筋は神様が決めているが、人間の行動状況を見て、節目節目で大きな転換点すなわち天変地異や戦争などが神様の決定で起こることをいう。天地公事という言葉自体は、出口王仁三郎と同時代の朝鮮の神人姜甑山の言行録には頻出していた。出口王仁三郎は、信者を交えた座談会では、話題がしばしば政治や戦争の行方に及んだ場合、決まって『人間が様々に議論しても詮無い、神様がお定めになることである。』というようなことを言って、あまり積極的に語らなかったものだ。天地公事は、半ばは人間の行為の結果であるが、将来の方針を決めるのは神様なのだろう。現実の出来事は、先に霊界において決定していて、後に現界に...日本のカルマ

  • 霊界の魔法の山に秘蔵されている宝捜し-4

    ◎大いなる静けさに、明けの明星がのぼるのを見るエウゲニス・フィラレテスの宝捜しメモの続き。『「地震が去ると次いで火事が起こる。地上のがらくたをすべて燃やし尽した後、はじめて宝物が姿を現わす。しかしまだ貴兄には見えないだろう。これら一連の現象の後、明け方近く、大いなる静けさがやってくる。貴兄は明けの明星がのぼるのを見よう。』(象徴哲学大系4錬金術マンリー・P・ホール/著人文書院P68-69から引用)『地震の次に火事が起こり、地上のがらくたをすべて燃やし尽くす』というのは、あらゆるこの世的なものに別れを告げるということ。風、土、火というエレメントを問題にするならば、次は水だろうと予想する。そこで初めて宝物が姿を現す。『明け方近く、大いなる静けさがやってくる。貴兄は明けの明星がのぼるのを見よう。』この光景は釈迦...霊界の魔法の山に秘蔵されている宝捜し-4

  • 笹目秀和氏のご神業

    ◎業障を負う(2011-12-14)笹目秀和氏は大本のご神体を崑崙山に返還してきた人物。彼のモンゴル神仙邂逅記を読んだ頃は、彼の山あり谷あり苦あり楽ありの人生記は、通常人の10倍20倍の密度で展開しているので、とてもではないが、こんな人生では私ならやっていけないと思ったものだが、これぞ「ご神業」というものであったと、今しみじみと思う。深山幽谷を訪問しておまじないみたいなことをやったり、集団でパワースポットとされる神社仏閣を参拝するだけが、ご神業ではないのだと思う。召命、神の側に使命を課されるというのがあって初めてご神業であり、自発的に参拝して回るようなのはご神業と言えるのかどうか。笹目秀和氏が、崑崙山中の疏勒神仙を訪問したとき、疏勒神仙は洞窟に居た。『疏勅神仙は、その奥のほうに胡座しておられた。小児かと思...笹目秀和氏のご神業

  • 願望実現時にちらりと兆す虚無感、倦怠感こそクリティカル

    ◎人が冥想に真剣に取り組むモチベーションあるいは分水嶺人は欲望が充足・実現すれば満足するが、同時にむなしさ、虚無を感じるものだ。一般に人はあらゆるレベルで多数の欲望を抱えており、手あたり次第あるいは順序にそれを実現しようとするのだが、次々に人はそれをクリアしては喜びを感じ、同時に願望実現したことでの倦怠感をも都度感じるものだ。人が冥想に真剣に取り組むモチベーションあるいは分水嶺は、実はその虚無感、倦怠感にある。冥想には、二つの方向性しかない。一つは各人の最もふさわしい欲望を生きるということ。もう一つは、「何も無い」ということを逃げずに生きるということ。個人の最も相応しい欲望を生きるとは、欲望実現のことだが、その際の願望実現の虚無にまじまじと向き合って初めて、「何も無い」ということを逃げずに生きるということ...願望実現時にちらりと兆す虚無感、倦怠感こそクリティカル

  • 中国の運命、日本の運命-2

    ◎人は神々を得て働き、神々は人を得て動く(2021-04-09)中国の経済、軍事、ITにわたる影響力は、まさに八岐大蛇の如くであり、自由主義陣営と共産主義陣営のまた裂きとなりバルカン国家化しているのは、日本だけでなく、米国や欧州もそうなってしまっている。ネット上の噂では、中国は日本のみならず世界各国の戸籍データやマイナンバーを集めているとか、着々と世界制覇への布石を打っているだろうと想像され、そら恐ろしいことである。『「笹目秀和」と二人の神仙/宮崎貞行/ヒカルランド』の予言では、一つのシナリオとして、中国で大規模な飢餓が発生し、それをきっかけに中国が世界戦争に打って出るということが書いてあるが、これはやや書き過ぎかもしれないと思う。笹目秀和の予言集的なものとしては、「ストップ・ザ・富士大爆発」を読んだが、...中国の運命、日本の運命-2

  • 冥想の二つしかない方向性

    ◎最深の欲望実現、虚無、解脱ダンテス・ダイジが、冥想の二つしかない方向性を語る。表現はとても硬いが、要するに冥想テーマは、一つには各人の最もふさわしい欲望を生きるということ。もう一つは、「何も無い」ということを逃げずに生きるということ。『冥想には、二つのテーマしか存在しない。一つは欲念相続の当体としての自己自身を最高の情熱と充足の中に生きようとすることであり、そして今一つの冥想の極意は、「何も無い」そのことの絶対を絶対自体で覚知することである。冥想には、あらゆる人間をしてその人自身の最も根本的欲望を知らしめ、そしてその欲望を実現する力がある。しかも、冥想は、あらゆる欲望が最終的に欲望そのものからの解脱を目指す時に、その純粋冥想の極点で、解脱即涅槃を成就せしめるのである。どのような豊かな幸福もそれがこの地上...冥想の二つしかない方向性

  • 知られざる日露の二百年

    ◎軍事政策は平和ボケした外交と同様に無原則(2015-11-07)対ソ連、対ロシアの情報に関しては、基礎となる事実についてあまりにも公表されていない件が多く、常に群盲象をなでるが如き気分で、時々出るマスコミ報道に接するのが一般的ではないだろうか。「知られざる日露の二百年/アレクセイ・A・キリチェンコ/現代思潮新社」は、これらの蒙を一部晴らしてくれる。曰く、シベリア抑留の日本人は、ロシアは軍事捕虜だと主張するが、ポツダム宣言違反である。曰く、(ヤルタ?)秘密協定でアメリカはソ連が北海道の上半分を占領するのを認めていたがソ連は結局間に合わなかった。曰く、満州侵攻したソ連軍は、日本無条件降伏の1945年8月15日までにアメリカから認められた38度線?まで進むことができなかったため、その日以後も38度線に向かって...知られざる日露の二百年

  • 中国の運命、日本の運命-1

    ◎『「笹目秀和」と二人の神仙』(2021-04-08)笹目秀和は、モンゴル神仙邂逅記が出された頃は、奥多摩の御岳山に行けばいつでも会えるが如く思っていたのだが、もう亡くなって20年以上経つ。ダンテス・ダイジが著作の巻末に自分の電話を載せていつでも会えるようにしていたが、それも数年のことだったのに似ている。『「笹目秀和」と二人の神仙/宮崎貞行/ヒカルランド』は、前半が大著『神仙の寵児』のダイジェスト。ただ、設定がサーヤ内親王と従者2名が笹目秀和と対話することになっているのは面白い。『神仙の寵児』は読んだことがあるので、前半は読まず、いきなり最終章から読んだのだが、昭和10年に中国南寧の紅卍会(大本教の提携先宗教)の道院でフーチを行ったところ、当時5億人だった中国の人口が○人に激減するという結果が出たという話...中国の運命、日本の運命-1

  • 霊界の魔法の山に秘蔵されている宝捜し-3

    ◎如何なる災難もふりかからないエウゲニス・フィラレテスの宝捜しメモの続き。『「山を発見して最初に起こると思われる驚異的現象はこうである。烈風が山を揺るがし、岩を粉々に打ち砕く。貴兄は獅子や龍、その他の恐ろしい獣に遭遇することとなろう。しかし決して恐れてはならぬ。断固たれ。そして不退転の決意を固めよ。貴兄を山へ連れてきた『指導霊』が如何なる災難もふりかからせはしないだろう。宝物はまだ発見されていないが、すぐ間近にある。烈風の後、地震が起こり、風が残していったものすべてを壊し、地に倒すであろう。だが決して倒れて死ぬようなことはないと確信するのだ。」』(象徴哲学大系4錬金術マンリー・P・ホール/著人文書院P68から引用)山を発見するのが、見神に当たる。如何なる災難もふりかからせはしないとは、自分を本当に傷つける...霊界の魔法の山に秘蔵されている宝捜し-3

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