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2024/05/30

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  • 一遍の三段目

    ◎仏と個人の二重の世界を生きている一遍は、「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」の歌を詠んで、由良の法燈国師心地覚心に印可(さとりを証明)されたと思っていたが、その先があったようだ。一段目。兵庫の宝満寺で一遍は、紀州由良の法燈国師に参禅していた。国師が、「念仏して覚醒」を公案として提示されたので、一遍は、次のように詠んだ。となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏の声ばかりして法燈国師は、この歌を聞いて「未だ徹していない。」とおっしゃった。二段目。そこで、一遍は、また「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」と詠じ直したところ、国師は、その歌を悟りと認めた、とかつて書いた。ところが三段目があるらしい。なるほど、この歌では仏もわれもないのは、ニルヴァーナっぽいが、南無阿弥...一遍の三段目

  • 虚堂智愚の小悟、大悟

    ◎疎山寿塔の公案は曲者虚堂智愚(1185-1269)は、宋末の人。京都紫野の大徳寺は、この人なくしては成立しなかった。虚堂智愚(1185-1269)は16歳で出家。運庵普巌に参禅し、古帆未掛(こはんみか:舟に古くからの帆すらかかっていなかった時はどうか?)の公案をもらい、最初は何を言っても師運庵に罵倒された。ある日、ものごとに大小の区分はないという見解をもって師に参禅したところ、古人のことを論評していつ終わりがあるかと返され、退散した。虚堂智愚は、ひどく落ち込んだ。ところが突然、古帆未掛の公案が見極められ、さらに「清浄な行者は涅槃に入らない」という公案をも会得し、他のいくつかの初歩的公案もわかってきたことを自覚したので、翌朝参禅(師に回答を呈示すること)した。運庵師は、彼の顔色が違っていたので、古帆未掛の...虚堂智愚の小悟、大悟

  • 道元が子猫を斬らず

    ◎禅マスター南泉の子猫斬り(2021-06-02)猫はかわいいものだが、子猫は無邪気さが加わってさらにかわいい。南泉が住職の寺で、ある時、東堂の僧たちと西堂の僧たちとが、一匹の子猫をどちらが飼うかについて言い争っていた。そこに南泉がやってきて猫をぶら下げて言った。「僧たちよ、誰か大正解の一語を言い得るならば、この猫を助けよう。言い得ぬならば、斬り捨てよう。」暫時待ったが、残念ながら誰一人答える者はなかった。南泉はついに猫を両断した。そこに趙州が外出先から帰ってきた。南泉は彼に猫を斬った公案を呈示すると、趙州は履(くつ)を脱いで、それを自分の頭の上に載せて出て行った。南泉は、あいつがあの時いれば、子猫は斬られずに済んだのに、とつぶやいた。この出来事以後の南泉はダメになったと評価されたりもしている。道元は、衆...道元が子猫を斬らず

  • 疎山の寿塔の値段

    ◎自分の墓とその費用のことを気にする疎山匡仁(洞山良价禅師の法嗣)は、くる病で背が低く、食べたものをすぐに吐き出す病気を持っていた。疎山に主事僧が寿塔(生前に建てておく墓)を造り終わった旨を伝えた。疎山「石屋にいかほど銭を与えたか」と問うた。僧は、「すべて和尚様次第です。」疎山、「石屋に三文を与えたらよいか、それとも二文を与えたらよいか、一文を与えたらよいか、言ってみよ!もし言えたら、本当に私のために寿塔を造ったことになる。」主事憎は、これを聞いて茫然自失して、何も言えなかった。後にある僧が、大嶺に住庵していた羅山道閑にこのことを告げた。羅山は、まだ誰も答えていないと聞いて、「お前は帰って疎山に、羅山は次のように言っていたと告げよ。もし三文を石屋に与えたならば、疎山は生きている限り決して寿塔を得ることはで...疎山の寿塔の値段

  • 南泉が生まれ変わって水牛になる

    ◎盗人のとりのこしたる窓の月南泉普願(七四八~八三四)が、病を得て亡くなるとき、第一座の僧の趙州がたずねた。趙州「和尚は有(有の側)を知る人ですが、百年の後(亡くなった後)どこに生まれ変わるのでしょうか。南泉「山の下の檀家の一頭の水牛となる」趙州「お示しありがとうございます。」南泉「昨夜の真夜中、月がおれを迎えに来た。」半生を善を行い続けた南泉にして水牛に転生するしかない。宗教や信仰の窮極は、永遠の安楽な生活にあると思っている人が多いのかもしれないが、そんな淡い願望を高僧南泉の臨終のやりとりは打ち砕いていく。それでも人は何のために生き、何のために生まれ変わってくるのだろう。盗人のとりのこしたる窓の月(良寛)南泉が生まれ変わって水牛になる

  • イエスが海の怪物リヴァイアサンを吊り上げる

    ◎無意識である魚を神化するこの絵は、旧約ヨブ記41章1節の海の怪物リヴァイアサンが、餌としての十字架に喰らいついている図(フォン・ランツベルク「快楽の園」(1180年頃))。リヴァイアサンの口は上を向き、十字架を飲み込もうとしているが、十字架の先には七つのチャクラにして七つの次元、七つの身体である七つのイエスの顔がついてる。そして神としてのイエス・キリストが、餌にかかったリヴァイアサンを引き上げようとしている。リヴァイアサンは、地獄であって欲望の表象だが、地獄の底も天国の天辺も根こそぎ引き上げるのだ。一本の釣り糸なる霊線。七つの次元、七つの身体を用いるキリスト教は、クンダリーニ・ヨーガ系だが、冥想方があまり明かされていないのはなぜだろうか。イエスのシンボルは魚である。魚は無意識の表象で、無意識を意識化する...イエスが海の怪物リヴァイアサンを吊り上げる

  • 巌頭の剣(碧巌録第六十六則)

    ◎僧は自分の首がストンと落ちたことに気がつかなかった『巌頭が僧に問うた、「どこから来た」。僧「長安から来ました」。巌頭「黄巣が通り過ぎてから、剣を手に入れたか」。〔安禄山の乱後100年ほどして黄巣の乱が起きて、唐朝滅亡に導いたが、黄巣は「天賜黄巣」と銘のある剣を手に入れて、反乱を起こし、880年長安を陥れ大斉国を建てたが、唐朝の反撃にあい、884年郷里の山東で自決した。その剣のこと。〕僧「手に入れました」。巌頭は首を伸ばし差し出して、「ストン」。僧「先生の首が落ちました」。巌頭はカラカラと大笑いした。僧はその後、雪峰のところに来た。雪峰「どこから来た」。僧「巌頭から来ました」。雪峰「なんと言っていたか」。僧は先の話を提起した。雪峰は三十棒食らわして追い出した。』巌頭も雪峰も、さっさと自分の首を落としなさい...巌頭の剣(碧巌録第六十六則)

  • 神秘主義

    ◎無時間の神秘ダンテス・ダイジの文章には、神秘という言葉が神の実相を語る表現としてしばしば登場してくる。『人間を越えようとする意味づけることのできぬ永劫の情熱それがいつ人間性の極限をもつき破って無時間の神秘を実在せしめたのかは誰も知ることがない』(ダンテス・ダイジの詩:【何と人間らしいことか】から引用)OSHOバグワンは、神秘主義について、もっと平易に語る。すなわち、科学は、世界を「知られたもの」と「未知なるもの」に分けるが、「知りえないもの」などないと思っている。神秘主義では、「知られたもの」と「未知なるもの」と「知りえないもの」の3区分に分ける。知る人と知られるものが一体となるとき、知ることはあり得ない。知る人と知られるものが一体となることを体験とは呼べない体験と呼び、この体験を知ることはできず、ただ...神秘主義

  • 恋人たちは互いのなかに死ぬ

    ◎愛は死だ愛は死だ。自分が落ちる。これは、真剣な恋愛経験者なら誰でも知っている。近松門左衛門の情死物に心が揺すぶられるのは、現代人も同じ。OSHOバグワンの説明。『そしてこれらだけが死の形ではない。さらにもっと微妙な死の形もある。恋に落ちるとき、あなたは死ぬ。愛は死だ。それは最も純粋な死だ。死をもいとわない者だけが愛することができる。死ぬことを恐れる人は、愛することもまた恐れる。世界に愛が欠けているのはそのためだ。人々はいつも愛について考える―それについて幻想を抱くが、そのなかに入っていこうとはしない。なぜなら、愛は死だからだ。死があなたをおびえさせる。恋人たちは互いのなかに死ぬ。互いのなかに死ぬことができる者たちだけが恋人どうしになる。ほかの者たちはゲームを演じているにすぎない。愛のゲームはほんとうの愛...恋人たちは互いのなかに死ぬ

  • 万有と道

    ◎祖先が一番初めに通った道出口王仁三郎の随筆から『万有と道鳥獣類にも皆彼等が通行する道というものが定まっているのである。そして、その道以外、決して他の道を通らぬものである。だから猪でも鴨でもその通る道に待伏せしていると、きっとそこを通るから捕獲することが容易に出来るのである。その道というのは彼等の祖先が一番初めに通った道であって、子々、孫々その道を通るのである。決して勝手次第に歩くもので無い、総てのものは道によって立っている。神も道によって立ち、人も道によって立ち、万有も道によって立つ。』(水鏡/出口王仁三郎から引用)人間にも道があって、それは祖先が一番初めに通った道。その道は、完全人、あるいは真の人を念頭に置いている。イブを分離する以前のアダムが完全人アダムカドモン。アダムカドモンとは、原人、原始の人な...万有と道

  • 魂の入れ替え

    ◎意につくす能はざるところに神の権威があり、また真理がある出口王仁三郎の随筆から『神様と味はひ書は言を竭(つく)す能はず、言は意を竭す能はず、意は真を竭す能はずと云ふことがある。意に竭す能はざるところに神の権威があり、又真理がある。神は説明することは出来ぬ。恰(あたか)もボタ餅がうまいと云つても、どんなに甘いといふことは、味はぬ人に説明することが出来ないやうなものである。』(玉鏡/出口王仁三郎から引用)神様は味わってみなくては、わからない。見るだけでは、足らないのだ。さらに『魂の入れ替え人間は誰でも毎日魂を入れ替へてもらつてゐる。そのために善悪の言心行となつて現はれる。改心慢心は魂の入れ替つてゐる證拠である。』(玉鏡/出口王仁三郎)これは、隙間理論によれば、刹那毎に人間の魂は入れ替わっている。あるいは、夢...魂の入れ替え

  • OSHOバグワンの見る小悟

    ◎見神、見仏、見性、一瞥(ちら見)が小悟白隠は、何度も小悟した。その都度、渾身で感謝、感激と思い上がりを見せるものだから、かえって40代の大悟の印象が淡いものと思われるほどである。さて、OSHOバグワンが、小悟の説明をしているが、要するに見神、見仏、見性、一瞥(ちら見)が小悟なのだ。曰く、小悟は、その敏感でかそけき花のような性質のために、雑にあるいは乱暴に取り扱うと元に戻ってだめになる。小悟は、得るのは大変だが、壊したり、だめにしたり、捨てるのは簡単である。曰く、小悟は妊娠のようなものだから、注意深く扱わねばならない、と。これは、至道無難が、「悟ったと同時にそれを守らせよ。そうすれば悪念が出ることはない。長年この心を養えば道人となる。悟ったと同時に万事はこれだと教えると、大方悪人になるものである。悟りばか...OSHOバグワンの見る小悟

  • 周史卿

    ◎仙丹を完成直前に盗まれる周史卿は浦城の人である。宋の淳祐年間、一人の異人に逢って養生の秘訣を授けられ、それより油果山に上って略二十年計り修煉し、仙丹ようやく出来上らんとした時、ある晩、雨風雷鳴烈しく起こって、長年の間丹精を入れて作り上げた仙丹はその夜、何者かに盗まれてしまった。そこで、史卿は、「自分はこれから神魂を飛ばしてあまねく世界中を探し求めるから、自分の遺骸はしばらくの間大切に保護をして置いてくれ。七日目にはきっと帰って来るから。」と妻に告げて、そのまま身を横にすると、たちまち息が絶えてしまった。然るに六日目になると、ここに一人の僧侶が訪ねて来て彼の妻に向い、一体道士という者は唯だ精神のみを重んじて、形骸は糞土の程にも思っていない、否むしろ却って自分の心を累はす邪魔物位に思っている。故に遺骸などは...周史卿

  • 主客逆転:ムラダーラとサハスラーラ

    ◎個人の歓喜から世界のすべての至福へ性的オルガズムとサマーディ(霊的な歓喜、大悟覚醒)では、会陰のムラダーラ・チャクラと頭頂のサハスラーラ・チャクラが同じ波長で振動し、歓喜が得られる。ムラダーラ・チャクラとサハスラーラ・チャクラの間に生のすべての戯れ、すべてのスペクトルがある。ところがこの歓喜の波動は、性的オルガズムにおいては、ムラダーラが主であり、サハスラーラはこだまであって従。ところが、サマーディにおいては主客逆転し、サハスラーラが主であり、ムラダーラはこだまであって従。すなわち性的オルガズムは、大悟覚醒以前のことであり、サマーディは大悟覚醒以後のこと。つまり大悟覚醒以前はムラダーラ・チャクラが世の帝王なのだが、大悟覚醒以後はサハスラーラ・チャクラが主客逆転して世の帝王となる。これは、世の終わり以前は...主客逆転:ムラダーラとサハスラーラ

  • 寒露のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

    ◎酷暑モードから錦秋モードへの切り替え最高気温が連日30度を下回るようになってから、膝の動きが悪くなったり、胃腸の調子が悪くなったり、いささか不調が出るようになった。思い当たるのは、肉体が酷暑モードから錦秋モードへの切り替わったということ。酷暑モードでは、顔や身体全体にうっすら汗ばみ続けるものだが、最近の錦秋モードでは、顔にあぶらが浮くのは午後の一時だけで、あきらかに全身の代謝は落ちている。そこで、室内散歩を屋外散歩に切り替えることとした。一番違うのは、足の踏ん張りと全身の筋肉が連動する感があること。よって酷暑時は、室内散歩でも所定のカロリー消費ができていたが、最近は、気温低下で運動負荷を増加させる必要があることに気づいた。最近のエクササイズ・メニューは、散歩が室内から屋外に変わったのが変更点。きくち体操...寒露のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

  • 隙間理論の断片

    ◎見守ることを通して奇跡が起こる意識の流れと言えば、小説家のジェイムズ・ジョイスやマルセル・プルースト。若い時に読んで全然面白いとは思わなかった。意識の流れ、心理の流れといえば、精神方面のことであって、物質方面、現実のできごと方面のこととは、まず思わないのだろうが、実はそこにのっぴきならない、ままならない現実がある。ニルヴァーナ、悟りは、物質でもなく、心理でもなく、精神でもなく、感情でもないことを原始仏教の9段階説は示しているのだが、OSHOバグワンは、ここに現実とは、ニルヴァーナがはさみ込まれていることを示す。その発想は、ヨーガ・スートラを描いたパタンジャリもそうだっただろうとOSHOバグワンは見ている。時間とは、〈現象〉〈現象〉〈現象〉とのべつ幕無しに進行しているわけでなく〈現象〉〈隙間〉〈現象〉〈隙...隙間理論の断片

  • 梁野人-2

    ◎梁戴は宿に大量の黄金を置いて屍解する。ところが梁戴の兄の顔は、その時州の太守となって居たが、ある日突然弟の梁戴が訪ねて来たので、顔は大いに喜び、早速酒を出して共に快く飲んであった。その時顔は弟が身にボロを着て居るのを見て不憫に思い、新しい衣を出して彼に着せてやると、彼は稍や不機嫌らしい顔をして、平生山林に生活して居る我々風情の者は、唯だ精神の修養を重んじて形骸のことなどはもとより念頭に置いて居ない。美しい衣、美しい邸宅等は我々から見れば、あたかも糞土にも劣った物であると言って兄が親切に留めるのを振り払って、そこを辞し、その夜はとある旅舎に泊った。然るにその夜半になって蔵の座敷で夥しく金銭の響がするので、宿の主人は不審に思い、彼をばてっきり盗賊の類と思い込み、ひそかにその座敷を覗いて見ると別に何のこともな...梁野人-2

  • 梁野人-1

    ◎無際限の富を得て酒食乱倫に使う梁野人、名は戴、長沙の人である。彼の父兄は共に儒学を治めたけれど、彼のみは独り仙道を学び、日夜研鑽して鉛汞修煉の術を得た。三清殿の後苑に一の銅像があって、ある日、彼はその下に憩って居ると、頻りに唾気が催して堪えられぬので、ふとウトウトとすると夢に長さ一丈あまりの金人が現れ、右の手に一個の金貨を持って、それを彼に与え、あなたがもし銭が欲しいと思う時は左の手を袖の中へ突込み劇(はげ)しく手を振動かせば銭はいくらでも欲しいと思うまで出て来るであろう。但しこの事は決して他人に漏らしてはならぬぞと言うかと思うと、その姿はたちまち消え失せて了った。梁戴は、夢が醒めてからもなお精神恍惚として居たが、しばらくたって我に返って見ると、左の手が少し痛みを感ずるので、おそるおそる掌を見ると、うす...梁野人-1

  • 張先生

    ◎ある草で鉄を煮ると銀に変わる張先生は、貴池の人である。幼少の時に一人の異人に逢って仙術を授けられ、斉の国の山中に草廬を構えてそこに住んでいた。彼は平生極めて無口な男で、終日ただ室の中に端座して神を煉ることに努めていたが、頭髪は黒く光沢があって漆のごとく、肌理は艶々していて玉を並べたようであった。そうして宋の政治年間に屍解仙化してしまった。めん陽というところに蕭行美という者がいて、90歳になったが孜々として道教修行をやめず継続していた。ある日対融山に遊んで一人の老人に逢った。その時件の老人は自ら張先生と名乗り、傍らの路側に生えていた草を指して、「もしこの草を持ち帰って、これで鉄を煮るならば、化して銀にすることができる」と告げ、最後に「ただこの事を決して他人に悟られないように注意せよ。」と戒めた。そこで彼は...張先生

  • クラリネットの一音だけで奏者の人生を知る

    ◎音をきっかけに自分の奥底をのぞき込む著者のピーター・バスティアンは、デンマーク人のバスーン奏者にして、巨匠チェリビダッケの愛弟子。ハタ・ヨーギ。一日、彼は、ブルガリアのクラリネット奏者を訪問することにした。彼は、クラリネットの一音を聞いただけで、奏者の人生のすべてを直観した。『-音-七〇年代の中頃、私はレコードで聞いたジョルジ・コエフという名前のブルガリアのクラリネット奏者を追いかけたことがある。私は先生のニコラ・ヤンコフから彼の居場所を聞き出し、捜し回ったあげく、ブロヴディフの近郊の小さな村の外で彼を見つけた。突如、車のヘッドライトのなかに浮かび上がった彼は、錆だらけの自転車を引いていた。通訳は車から飛び出すと、すさまじい勢いでデンマークとブルガリアの文化的協調や、テーブ録音やラジオ・デンマークなどと...クラリネットの一音だけで奏者の人生を知る

  • 能と禅

    ◎霊界止まりでなく、一足飛びに脱落昔、能楽とはどんなものかということで謡曲集を読んでみたが、霊界止まり気味であって、あまり感心しなかった。薪能の由来の一説に、一休禅師の時代に京田辺市薪里で能をやったのが、薪能の始まりという説がある。この薪の里の口伝によると、そこで金春太夫が舞ったから薪能という。京田辺市には、一休の寺酬恩庵がある。また一休の塔頭大徳寺真珠庵には、観阿弥、世阿弥の墓があり、今の観世の家元が墓参に来るという。一休には、大徳寺で大勢の僧が大燈国師の忌日に読経をしている声がする中、愛妾を真珠庵?に連れ込んでセックスにふけっちゃうという漢詩がある。悟った人がセックスにふけって何が悪い。カーマ・ヨーガである。霊的に言えば、確かに一休には、無常の自覚から逃げないで無常を見つめるという方向性の歌はある。だ...能と禅

  • ダライ・ラマの託宣僧ネーチュン―3

    ◎ネーチュンという未来予知システムの功罪と限界『やがて彼は助手に助けられ、わたしの前に設けられた小さなスツールに坐り、トランス状態に入ってゆく。一回目の祈りが終り、二回目が始まるにつれ彼の恍惚は深まる。この時点で巨大な冠が乗せられる。冠の重さは約一四キロだが、かつては三六キロ以上もあったのだ。さて、“クテン"の顔が変ってくる。荒々しい顔付きになり、やがて目が飛び出し頬が膨らみ、ぷーっ、ぷーっと荒い息を吐きはじめるとまったく違った形相を帯びてくる。息が短くなり、しゅっ、しゅっと激しい音を発しだす。と、一瞬彼の呼吸が止まる。この時点でもし本当に真実何かが起こらなければそのまま窒息してしまうにちがいないと思われるほど、冠が物凄くきつく締め直される。憑依は今まさに完成し、彼の肉体的限界が明らかに乗り超えられてゆく...ダライ・ラマの託宣僧ネーチュン―3

  • ダライ・ラマの託宣僧ネーチュン―2

    ◎ネーチュンは非常に控えめで峻厳ネーチュンの予言の実際。ダライ・ラマとネーチュンは、親密であった。『こうした親愛さはあっても、ネチュンはわたしに対する敬意をつねに示していた。摂政時代の最後の数年間のように、政府との関係が悪くなったときでも、彼はわたしに関する質問にはどんなときでも心から反応してくれた。だが政府の政策に対する彼の反応は無残なものであった。ときには辛辣な高笑いだけのこともあった。わたしが十四歳のとき起こった出来事をよく覚えている。中国のことについてネチュンが問われたときのことだ。直接答える代りに、“クテン(霊媒)"は東方を向き、激しく前に体を曲げはじめた。見ていて恐ろしいほどだった。というのは彼の被っている巨大な冠の重さで首の骨が折れるおそれがあったからである。彼はその動作を少なくとも十五回は...ダライ・ラマの託宣僧ネーチュン―2

  • ダライ・ラマの託宣僧ネーチュン―1

    ◎ダライ・ラマは審神者、ネーチュンは依代。ダライ・ラマは、重要な決定を迫られる場合は、国営託宣僧ネーチュンにトランスに入らせ、ドルジェ・ダクデンをその身に憑依させ、質問に対する回答を行わせる。ダライ・ラマは、チベット脱出時にもネーチュンを用いたという。ダライ・ラマという覚者であっても、自分で自分の寿命を延ばせるような人物でも、そういうものを使うことがあるのだ。というよりも、ダライ・ラマは、ネーチュンよりも上位者なので、審神者。依代ネーチュンには、当然に審神者が必要ということか。『オラクル(神託、予言者、お告げ師)"という言葉が誤解を招きやすいという点である。オラクルは予言力をもつ人という意味で使われるが、それは間違っている。ティベットの伝統では、自然と精神領域間の媒体として行動する一定の男女――ティベット...ダライ・ラマの託宣僧ネーチュン―1

  • チベットの託宣僧制度

    ◎観想法からトランス(2010-07-14)ダライ・ラマのインド亡命以前は、チベットに全国的な託宣僧(ネーチュン)制度というのがあった。託宣僧(ネーチュン)の根拠地は、ラサのネーチュン僧院である。そこでチベットの護法神ペハル・ギャルポとその最も重要なチベットへの使者ドルジェ・タクデンとの霊的コンタクトを、一日4回、毎日8時間にわたる観想法を中心とした儀式を通じて行っていた。熟達した託宣僧(ネーチュン)は、この儀式によらず、平素の祈りのなかでもドルジェ・タクデンを見ることができる。国王の要請により託宣を行う時は、託宣僧(ネーチュン)がトランスに入り、ドルジェ・タクデンがその託宣僧に憑依した状態で予言を告げる。よってその予言がはずれることはない。超長期予言ははずれることもあろうが、短期的な予言については、はず...チベットの託宣僧制度

  • 脳内麻薬-ソーマ・パイロットの言葉-6(完)

    ◎君はあらゆるものとともに死ぬ『ソーマ・パイロットの言葉』の続き。『君はつねに今からまったく新しく出発する言うことがない考えることがないすることがない君はいちばんなつかしいところにいるさあ、つきあいなぞどうでもいいから君のマントラでも公案でも合唱せよそれとも叫べ!静けさもない冥想に入ろう今がお買得のチャンスだよ君は何がほしいんだ?君は何がほしいんだ?君は何がほしいんだ!私は何を求めているのかなぞとつまらないことを考えないでくれ時間はない私は無い何もかも無いということを考えてもしようがない何もかも無いそれ自身だ君はあらゆるものとともに死ぬ君がもともとありもしないここにあらゆるものが戯れているマインド・ゲームというどうどうめぐりのトリックにだまされるなよマインドゲームを考えるくらいなら「マインド・ゲーム!」と...脳内麻薬-ソーマ・パイロットの言葉-6(完)

  • ダライ・ラマと出口王仁三郎が他人の寿命を延ばす

    ◎神の言葉でなくては効果はない寿命を延ばすのは超能力の話だが、ダライ・ラマ、出口王仁三郎とも恣意的に行使していない点が注意。1.ダライ・ラマダライ・ラマがインド亡命後、インドでは、チベット密教の力量ある師の不足に悩んでいた。かつてセラ大僧院のチェ学堂の管長を務めていたロサン・ワンチュク師(1901~1978)は、1975年頃、僧院に大きな布施をして法要を行い始めた。ダライ・ラマは、これは死ぬ準備をしていると直感し、師に「あなたはもうすぐ死ぬ気ですね。今チベットがどういう状況かお分かりですか。仏教のためにもう少しこの世に留まってください」と頼んだ。すると師は「私にはあなた様のように自分の意志で寿命を延ばす力がありません」と答えると、ダライ・ラマは「できるかできないかを言ってない。この世に留まりなさい」と言う...ダライ・ラマと出口王仁三郎が他人の寿命を延ばす

  • 脳内麻薬-ソーマ・パイロットの言葉-5

    ◎情熱があってこそ宇宙が宇宙としてあるドラッグを服用してハイになって、その状態で文章を書いたり、あるいはその状態を描いたものは、アンリ・ミショーやオルダス・ハックスレー、ウィリアム・ジェームズなど捜せば結構出てくるものだが、窮極に届いてそれを描写し得たものは、極く稀れである。『ソーマ・パイロットの言葉』は、その稀れな一例。『ソーマ・パイロットの言葉』の続き。『ソーマ・トリップは体験ではないソーマはドラッグではないソーマはすべてを越えた君自身でありすべてである君自身でありただひとりの君自身であるだからソーマ・トリップに終わりはないおまえが永遠が好きなら永遠にいればいい永遠を終わらせたいのなら終わらせればいいんだどこまでも、どこまでもこのアシッド一つぶいくらしたの横丁のラーメン屋のおやじ競馬が大好きなんだぜお...脳内麻薬-ソーマ・パイロットの言葉-5

  • 夫婦別姓と中国の行動原理そして台湾侵攻

    ◎夫婦別姓の狙いは、日本の家庭破壊の促進と、外国スパイの潜入を容易にすること「中国の行動原理国内潮流が決める国際関係-益尾知佐子著/中公新書」を読んだ。気のついた点は、以下。1.日本は長子相続制だが、中国は外婚制共同体家族。これは、日本では、長男が父のすべてを相続し、次男三男は家を出され自由にやる。よって相続はもめにくい。一方中国では、子どもは成人・結婚後も親と同居し続けるため,家族を持つ兄弟同士が一人の父親の下に暮らす巨大な家族形態が生まれる。遺産は兄弟間で平等に分配され、父親の相続権は、兄弟全員が平等に持つので、相続争いは発生しがち。これは、下剋上、易姓革命を誘発しがち。権威主義的な親子関係と平等主義的な兄弟関係。家族全体を仕切るためには父親の権威・権力は強力でないと混乱しがち。全体としてみれば、日本...夫婦別姓と中国の行動原理そして台湾侵攻

  • 脳内麻薬-ソーマ・パイロットの言葉-4

    ◎耐えられるぎりぎりのトリックを解く方法『ソーマ・パイロットの言葉』の続き。『素直であればいい混乱や恐怖や不可解な中でもただ素直であるしかない天国だろうと地獄だろうとおれはあるがままでいるしかないドラッグ・ソーマの神は時にトリップ者をトリップの袋小路に誘い込むそれはトリップ者が耐えられるぎりぎりのトリックだそしてこの耐え難いトリックパズルを解くやり方は素直であることそれのみである恐れるな恐れにどんな根拠もない今こそ君はすべてのすべてを見る君がすべてのすべてだ今は死ぬに最高の時だとっくにおれは死んでいるどこにもどろうというんだいもどる場所なぞありはしないおれがあらゆる場所それ自体だ宇宙とか神とか悟りとかを気にしていない君は無限にそれ以上だ君にとって一番すてきなものそれが君なんだよ』(メディテーション/トラベ...脳内麻薬-ソーマ・パイロットの言葉-4

  • 悟りと文化的生活は別

    ◎趙州十二時の歌(2008-08-13)虚心坦懐に趙州が、悟った者の生活実感を語る「十二時の歌」。その一節の辰の刻(午前8時)の段というのがあって、『食事どき、辰の刻-炊飯の煙は四隣にたつが、わしは空しく望み見るだけ。饅頭もむし餅も去年別れたきり。今思い出して空しく唾をのむ。正念を相続するのは、ごくわずかの間で、愚痴ばかりこぼしている。百軒の檀家に善人はおらぬ。寺を訪れる者は、ただ茶を飲ませろというだけ。茶を飲ませてもらえぬと、立ち去る時にぷんぷんだ。』(世界古典文学全集禅家語録Ⅰから引用)この中で、正念を相続するのはわずかの間であって、(実生活では)愚痴ばかりこぼしているというというのが核心。※正念を相続:悟りを持続する。クリシュナムルティなどは、正念がしょっちゅう向こうからやってきて、いわば正念相続を...悟りと文化的生活は別

  • 自分に対してけちな人間

    ◎ベン・シラの知恵-1(2013-03-01)真剣な求道者でもって、敬虔な生活態度であればあるほど、その物質生活は質素なものである。さて日本では、他人の富や成功へのねたみ、そねみが文化として根付いてしまっている。これを、旧約外典の一つである「ベン・シラの知恵」では、けちな人物と称する。けちな人物が数ある中で、最低のけちを自分に対してけちな人間とする。この文脈からすると自分に対してけちな人間ほど、自分に今すでに与えられているもので満足せず、他人の富をねたむ者であろう。自分や先祖の幸福を願って感謝報恩行をやっていても、平素から他人の成功をねたみ他人のリッチなことをうらやんでいるような手合い、こうした人こそ自分に対してケチな人なのではないか。本来人は、少なきを憂えず均からざることを気にしないものである。そうした...自分に対してけちな人間

  • 知恵の真の始まりは教えを切に求めること

    ◎ソロモンの智恵西洋錬金術師たちもソロモンの智恵からヒントを得ていたというので、久しぶりに見返してみた。ソロモンの智恵は、ベン・シラの智恵に比べて当時のユダヤ教信者向けの戒めのようなのが多く、純度に欠ける点がある。以下に示すのは、わりと純度の高い部分。未悟者を友人として扱っているところはなく、あくまで師と弟子が基調であって、一部時間のない世界から書かれたものもある。智恵は、般若心経の般若であって、ヴィシュダ・チャクラの窮極の智恵。早起きはすべての基本。『七すべての者の主にいます方は人の顔を恐れず、人の大きさを心にかけない。何故なら小も大も彼自らが造ったのだし、すべての者を彼は同様に心にとめられるから。八力ある者には厳しい検(しら)べが臨む。九だからわが言葉は、暴君たちよ、君たちにこそ向けられる。君たちが知...知恵の真の始まりは教えを切に求めること

  • 脳内麻薬-ソーマ・パイロットの言葉-3

    ◎やすらげ、やすらいでいい、やすらいでいるヨハネの黙示録にある「わたしはアルパであり、オメガである」これと同義なのが、以下の引用文に出てくる『私こそすべて』『すべてとつきあっている私はすべてだ』『ここに終わりここに始まる』等々。以下の引用文では、三つの要素が混然としてばらばらに登場している。すなわち私個人、有(世界全体・宇宙全体・過去現在未来)、無(ニルヴァーナ、なにもかもなし)。ここまで悟りを単純化して韻文にしてくれたものに出会うことは稀である。個から全体への逆転、有から無への進行をダイナミックに表現している。『ソーマ・パイロットの言葉』の続き。『——ソーマ・パイロットの言葉あらゆるものは私が無いことを示している私こそすべてすべてとつきあえすべてとつきあっている私はすべてだすべてだ今ここ今じゃない今ここ...脳内麻薬-ソーマ・パイロットの言葉-3

  • 脳内麻薬-ソーマ・パイロットの言葉-2

    ◎宇宙とか神とか悟りとかを気にしていない君は無限にそれ以上だジェイド・タブレット-外典で、ダンテス・ダイジのソーマ・パイロットの言葉の前半(それが、脳内麻薬-ソーマ・パイロットの言葉-1にあたる)だけを示したが、続きを示して注釈してみる。インドラ神は、卑しい漁師の姿になって、不死の聖水アムリタを多量の尿として、ウッタンカ仙人に与えようとした。この尿がソーマである。ダンテス・ダイジの断簡では、もう少しで大悟しそうな人や、一度大悟した人がもう一度それをゲットしたり、維持したりするためにソーマを用いる場合もあることが唆めかされている。酒をソーマとして使う人もいる。北欧神話では、ミーミルの泉の水である。さて『ソーマ・パイロットの言葉』の冒頭に、次のような文がある。『精神変容をもたらす薬物は、そのドラッグ・トリップ...脳内麻薬-ソーマ・パイロットの言葉-2

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