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歩・探・見・感 https://citywalk2020.hatenablog.com/

街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。

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2022/12/12

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  • 電力プレート「コウズ- 」とその仲間たち in 神奈川県小田原市

    2025年3月25日の最初の目的地、小田原市国府津。 目的は下記のふたつ。 一つ目は、「国府津町」の琺瑯町名看板を見に行くこと。 二つ目は、国道一号線沿いの出桁造り商家や看板建築を見に行くこと。 初上陸の東海道線国府津駅を降りて、探索を開始する。 一つ目の「国府津町」の琺瑯町名看板を見に行くことを予定していたのだが、駅を出てすぐにあったものに心を奪われしまい、先に二つ目の目的を果たすことにした。その前に、難読駅名のひとつ「国府津」。 読めるだろうか? 小田原市民やマニアの方ならわかるだろうが、一般の方は「コクフツ」「コクフヅ」「クニフツ」「クニフヅ」くらいしか思い浮かばないだろう。 正解は「コ…

  • 壱岐坂通りで"岐"の文字がある蓋に出会う。in 東京都文京区本郷

    今回の探索範囲はこの辺り。 歴史ある坂の説明から入ろう。 壱岐坂(壱岐殿坂) 江戸時代には、社寺や大名屋敷は、ほとんど移転することもなかったので交通の重要な目印となていました。この坂は昔、この地にあった小笠原壱岐守の下屋敷にちなんで壱岐殿坂と呼ばれていました。当時、小笠原家は、九州佐賀県唐津六万石の大名でした。壱岐坂は、白山通り(本郷1丁目20・22の間)から上り、東洋女子短大の所で通称大横町へ至る細い坂道です。 「壱岐殿坂」ともいう。江戸時代からある占い坂である。近隣に屋敷があった武家の名前から坂名がつけられたとみられるが、江戸時代の地誌に「彦坂壱岐守」の屋敷があったことによって名付けられた…

  • 東京都立小山台高等学校に残る東京府立第八中学校時代の正門

    名前からだと期待してしまう商店街「東天地通り GOLDEN TOWN」だが、 完全に名前負けしていて、どこがという感じだった。その後、品川区と目黒区の区界辺りを歩いていたら、古そうな門柱が見えた。 東京都立小山台高等学校の門柱だった。 小山台100周年WEBに旧校舎の正門の写真が載っていた。 門柱が3つある。校名標がある中央の門柱は撤去されてしまったようだ。この元正門が北側にある理由を知らべてみると、 1924年(大正12年)、現校地に旧校舎の一部が竣工した。府立八中が小山の地に決定した経緯は分かっていないが、当時東急目蒲線(現:東急目黒線)が開設目前であり、東京府が今後この地域が住宅地域の中…

  • 横川橋(復興局)→マンホール蓋(逓信省)→厩橋地域安全センター(元厩橋交番)→御蔵前書房

    北千住から秋葉原へと、結構ハードスケジュールの中、移動中にいくつか気になったものがあったので紹介することにしよう。 何度も通ったことがある横川橋 下に見たいものがあったので下りてみた。(それについては、時間の関係で後日再訪することにした。) 橋の下から東京スカイツリーが見えた。 古そうな橋だ。橋名板があるのに気が付いた。 昭和二年株式会社横河橋梁製作所製作復興局株式会社横河橋梁製作所は現株式会社横河ブリッジ、1907年創業。 復興局と書かれている銘板は初めて見たかもしれない。 1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災後、9月27日に政府機関である帝都復興院が設置された。1924年(…

  • 文京区と台東区の区界にある街区表示板

    以前も撮ったことがあるはずだが、2025年2月15日同じ日に出会ったため、区界シリーズの一環として紹介することにした。①ピッタリ寄り添っているもの ②少し離れているもの 他でも撮ったことがあるはずだが、見つけた時に紹介しないと忘れてしまう。 次からは見つけた時に紹介していくことにしよう。

  • 「旧北豊島郡尾久町」時代のマンホール蓋

    今回の対象は「旧北豊島郡尾久町」時代のマンホール蓋。 目撃情報を確認し、それらが現存しているかどうか確認するため、2025年2月17日調査隊を派遣した。 久しぶりの荒川区編となる。①荒川区立八幡児童遊園 所在地 東京都荒川区西尾久二丁目5-9 公園の脇には「八幡堀」と呼ばれる農業用水路跡の八幡堀プロムナードが整備されていた。 北側から 南側から この途中に尾久町のマンホール蓋が展示されている。 尾久 ヲクこの付近は、昭和2年から7年にかけて下水道が整備されました。(北豊島郡尾久町下水道、昭和7年以降は荒川区尾久町)このマンホールの蓋は、この時造られたもので、ヲが9ケで「ヲク」と読ませたユーモア…

  • 放送100年「超体験NHKフェス2025」 ― 第75回NHK紅白歌合戦出場者サイン 前編 ―

    今年も「超体験NHKフェス」を見学してきた。(2025年3月20日) 開催日時:2025年3月20日(木)〜23日(日) 会 場:NHKホール(東京都渋谷区神南2丁目2-1) 紅白歌合戦出場者のサインはコンテンツ一覧に掲載されていなかったので、今年はないのかと思っていたが、入口を入って少し行った所の両側にあった。 出場者一覧 まず右側から 右から左へ、上から下に紹介していこうと思ったのだが、めんどうくさいので、出場者、ゲスト審査員、司会者に分けただけにしておく。出場者 ゲスト審査員 司会者 後編へ続く。

  • たばこ住所看板「江東区東陽一丁目19-10」

    これは目撃情報があったものだ。 ストビューでは確認できたが、果たしてまだ残っているだろうか?発見日 2025年2月27日 まだ残っていてよかった。 表側 裏側 まだ、他にも残っているだろうか?

  • 琺瑯町名看板「足立区千住寿町21」と電力プレート「コトブキ-19」

    琺瑯町名看板を最初に発見したのは、かなり前のことになるが、記事を書いていなかったのと再会を果たしてきた(2025年3月6日)ので、琺瑯町名看板と電力プレートの同町内のダブル痕跡を紹介することにしよう。①琺瑯町名看板「足立区千住寿町21」 発見日 2020年2月3日 ②電力プレート「コトブキ-19」 自分のスマホの記録によると初見のものとなるようだ。 発見日 2025年3月6日 歴史 1932年(昭和7年)10月1日千住町が西新井町、梅島町、舎人村、渕江村、東渕江村、伊興村、江北村、綾瀬村、花畑村とともに東京市へ編入され足立区となる。千住町大字寿町から足立区千住寿町に変更される。

  • 「市電灯 NO」の文字がある東京市電氣局のものと思われる角蓋

    東京市電氣局のマンホール蓋は下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 東京市電氣局のものは「市電燈」の文字があるものだけと思っていたが、「市電灯」の文字があるものを発見した。 発見日 2024年3月16日(再訪日2025年3月15日) 東京都千代田区神田美倉町 「市電燈」のものより新しいものと思われるが、自分で調べた限り「市電灯」と書かれたのものはこれしかないようだ。 さあ、ここで気になるのは"燈"と"灯"の字だ。 「燈」と「灯」はもともと成り立ちも意味も違うそう。 灯の右側の「丁」はクギを描いた象形文字で、ぶつかることをあらわし、灯は固定された…

  • 2025年2月25日、神奈川県藤沢市で発見した個人的遺産

    丸石サイクルの看板 よく見るとお腹の袋の中に子供がいた。 結構厚みがあった。 藤沢清運の清掃票プレート 藤沢清運って何? 清掃票とあるから、ごみ収集の会社? このような小さなプレートを発見すると、何者だろうととても気になる。 そんな古いものでなくても、見たことがないものは気になる。 誰にも注目されていないものは特に気になる。 ネットで情報を調べてみた。 1958年(昭和33年)4月㈲藤沢清運(一般廃棄物収集運搬業)、鵠沼神明1丁目1-7に開業快適な市民生活の環境保持と公衆衛生の向上を目指し、市内9業者が企業合同して有限会社藤沢清運として発足。 設立当時の基幹業務 し尿汲取り業務 1959年(昭…

  • 東京大学本郷地区キャンパスで前方後円形マンホール蓋を探す

    2025年2月13日理学部1号館東棟の裏あたりを歩いていたら、変わった形のマンホール蓋を4基(⑪~⑭)発見した。 丸蓋と角蓋が連結されており、前方後円形と呼ばれているようだ。下記の記事によると、正門から安田講堂へ向かう途中に5基あるらしい。 massneko.hatenablog.com 2025年2月15日再訪する。 イチョウの木の剪定が行われていた。 何人でやっているんだ? 6人?正門から安田講堂に行く間に4基あった。上の5基というのは、横の道にもあるものを数えたのだと思われるが、それを加えると6基になるので、自分がカウントしているものと違うのかもしれない。 写真を何回か撮り直しに行ったり…

  • ビックリガードと雑司が谷いろはかるた

    たぶん初めて通るビックリガード 壁に「ビックリガードの由来」のプレートが設置されていた。 池袋の通称ビックリガードは、むかし山の手線の下を通るガードを指したもので、西武池袋線は道路と平面交差の踏切でした。当時のガードは天井も低く、頭上を通る列車の轟音と振動で、人も荷馬車の馬もビックリ仰天、こどもは、耳をふさいで逃げ出す始末で、これがビックリガードの名のおこりとなったのでした。また、大雨が降ればガード下は水が溜まり、急勾配の狭い入り口は運転手泣かせ、対向車がくれば、両者の意地くらべになったとも言われます。現在のようになって全面開通したのは、昭和38年(1963)10月で、ちなみに正式名称は「都道…

  • レンガ塀だけが残る本郷尋常小學校跡&文京区立第四中学校跡

    まだレンガ塀に関心がなかった頃(2021年2月25日)だったようで、説明板だけ撮った写真があった。 約4年後の2025年3月9日、たまたま再会することになり、改めて撮り直して、記事にすることにした。 創立明治九年 本郷尋常小學校跡 明治九年一月二十日 本郷区元町二丁目六十番地にて開校明治十六年二月 本郷区本富士町三番地に新校舎落成(現在地)初代校長 合志林藏 師範学校訓導(教授)兼任明治二十一年四月 英語科を設ける 校舎及運動場を拡張六代校長 松下專吉 正六位 勲六等瑞宝章 奏任官 明治三十五年九月東京府師範学校訓導より赴任 昭和十年九月退職 この間政府より北米及中国の視察を命ぜられ又国語調査…

  • 2025年2月17日、荒川区で出会った昭和遺産たち

    ビーボ スペシャルコーヒー 屋根付きを見たのは初めてかもしれない。 うまさイキイキ!冷た~い飲物 右から はごろもフーズ オレンジ こつぶ ? サントリー はちみつレモン コーヒー 不二家 ココア ドリンク COFFEE「ラッキーセブン」の当たり付き おそらく電話台 文字が薄くなってしまっているが、「かけて損? うけて迷惑」と書いてある。 どこかに「迷惑電話」と書かれているのかもしれない。カーレース 赤や黄のものは見かけるが、青は珍しいかも。 投入した10円硬貨をレバーで弾いて、ゴールを目指す。 複数回レバーで10円を弾いてゴールに入ると当たり。お寺にあった郵便ポスト もちろん現役ではない。

  • 関東配電株式会社の屋外用単相小型計器箱

    旧千住宿の旧日光街道沿いの路地を歩いていたところ、古そうなボックスを発見する。 発見日 2025年3月6日 発見場所 東京都足立区千住 隣にある木材はかつての細身の木製電柱か?謎のボックス。 プレートを見ると「関東配電」とある。 あの関配が設置したもののようだ。 関配の電力プレートは見かけたことがあるが、これは初見のもの。 関東配電は、1942年(昭和17年)から1951年(昭和26年)まで存在した企業。日本最初の電力会社東京電燈の後身であり、現在の東京電力グループの前身にあたる。 製作は昭和25年8月とある。今から70年以上前のもので、東京電力のものに変えられていてもおかしくないと思うが、よ…

  • 大型車両通行困難 傾いた電柱に接触の恐れがあります

    2025年3月15日、昭和通りを歩いていたら、こんな注意書きを発見した。 お~、確かに傾いている。 倒れないのか心配。 東京電力に連絡しなくても大丈夫なのか?

  • 摂政宮関東大震災視察碑と臨幸記念碑

    西郷さんの銅像近くにあるのだが、あまり注目されていないものと思われる。 自分もその存在に今回(2025年2月15日)初めて気が付いた。 大正十二年九月十五日 摂政殿下大震災ノ惨状御視察ニ際シ畏クモ此地ヨリ御展望遊サレ被害ノ情況ヲ聞召サル越エテ七歳昭和五年三月二十四日天皇陛下此ニ臨御アラセラレ親シク街衢ノ復興ヲ曫ハセ給フ乃テ石ヲ此處ニ樹テ以テ 聖恩ヲ不朽ニ傳ヘントス大正12年9月15日 摂政殿下大震災の惨状御視察に際し、畏くも此地より御展望遊され被害の情況を聞召さる。越えて7歳昭和5年3月24日 天皇陛下此に臨御あらせられ親しく街衢の復興を曫はせ給ふ。乃て石を此處に樹て以て 聖恩を不朽に傳へんと…

  • 西片町会が発行している「西片まちあるき」が秀逸

    掲示板に貼ってあった「西片まちあるき」 300円か。 買うのかい、買わないのかい、どっちなんだい? 買わない。 下側が見えていた。 これだけで十分だ。 何回も探索したことがあるので、ほとんどは知っている。 その中から、厳選したもの?を紹介することにしよう。旧長岡半太郎旧居跡 撮影場所 東京都文京区西片一丁目 北側 北西側 西側 穴あきと溝ありレンガが印象的 二連長屋の石畳の先にレンガ塀が見える。 撮影場所 東京都文京区西片二丁目 裏側 奥まで続いている。 文京区立第一幼稚園 正門左側にある鳥に乗った少年 幼稚園の同窓会から昭和34年8月に贈られたもののようだが、文字が読めない。ホームページも充…

  • 電力プレート PartⅡ in 東京都足立区

    以前、足立区で発見した電力プレートは、以下の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 次に紹介するものは、以前発見したものもあるのだが、上の記事では未紹介だったものと今回新たに発見したものと合わせてお披露目することにしよう。①サクラギ-4 発見日 2022年1月24日 発見場所 東京都足立区千住桜木 1932年(昭和7年)10月1日千住町が西新井町、梅島町、舎人村、渕江村、東渕江村、伊興村、江北村、綾瀬村、花畑村とともに東京市へ編入され足立区となる。千住町大字桜木町から足立区千住桜木に変更される。②セン4-7 発見日 22022年1月24日 発見場所 …

  • 旧町名「東京都文京区春木町」

    以前発見していたものだが、2025年3月11日約4年ぶりに再会してきたので、紹介することにしよう。 発見日 2021年5月1日 発見場所 東京都文京区本郷三丁目 以前はシールが貼られ、隠されていたようだ。それが取れて、旧町名が見れるようになった。 どこにあったか覚えていないが、まだいくつかシールが貼られているのがある。自然にはがれるのを待つしかないが、待っている間に建物ごと無くなってしまったケースもあり、待つ身はつらい。旧町名案内 もと、本郷村の内であった。元和2年(1616)、徳川家康の死去により駿府から引上げた御中間、御駕籠方が大縄拝領(広い土地を一括してもらう)、その後元禄9年(1696…

  • 旧町名「滋賀縣愛知郡湖東町」

    さいたま市見沼区染谷を探索中に、何に付いていたか忘れてしまったが、随分離れたところの旧町名の痕跡を発見した。 現地に行かなくても、地元さいたま市で見つけることが出来て、ラッキー!発見日 2025年1月27日 発見場所 埼玉県さいたま市見沼区染谷 愛知郡(えちぐん)湖東町(ことうちょう)と読む。歴史 1954年(昭和29年)11月3日愛知郡豊椋村・西押立村・東押立村が合併して愛知郡湖東町が発足。 2005年(平成17年)2月11日八日市市・愛知郡愛東町・神崎郡永源寺町・五個荘町と合併して東近江市が発足。同日湖東町廃止。町名の由来「湖東平野」に位置することと、3村合併以前から存在する「湖東中学校」…

  • 「東京府北豊島郡高田町」時代の汚水升角蓋を探す。

    「東京府北豊島郡高田町」時代の丸い形をしたマンホール蓋を下記の記事で紹介したことがある citywalk2020.hatenablog.com 調べていると、目白二丁目付近に四角い形をしたマンホール蓋があるらしいということが分かった。 場所は公開されていないので、西巣鴨町の角蓋を発見したように、Googlマップの航空写真で上空から目白二丁目付近を探してみると、それらしきものが見つかった。 ストビューでは行けないところにあり、Googlマップの航空写真の撮影日は確認できないので、もしかしたら、消滅してしまっているかもしれない。早速、2025年2月8日、探索隊を派遣した。 探し回ることなく、Goo…

  • 電力プレート「タイヘイ」 in 神奈川県藤沢市

    現地探索による長年の実施訓練の結果、電力プレートはかなり遠目からでも分かるようになった。 たまに似たような形をしているものに出会うこともあり、「あっ、違った。」ということになることもあるが、今回のようにすべてが見えなくても、離れた所からすぐにフォーカスできた。 発見日 2025年2月25日 発見場所 神奈川県藤沢市辻堂元町三丁目 タイヘイ? 見つけたのだが、近くに痕跡(自治会・町会、電柱など)は見つからなかった。 そこでネットで調べてみた。 1967年10月1日に実施された住所表示は、 辻堂元町一丁目 大字辻堂字熊之森・字土打辻堂元町二丁目 大字辻堂字土打・字後山・字ガル池・字大荒久・字高山・…

  • 2025年2月6日探索中に見かけた石製のもの。

    ランダムな形の御影石のアプローチ 撮影場所 東京都豊島区駒込付近 御影石が敷石になっていると、思わず撮りたくなってしまう。違和感ありありのブロック塀に張り付いている大師道の道標 撮影場所 東京都豊島区駒込六丁目 染井通りから染井よしの桜の発祥の寺として知られている西福寺(所在地駒込6-11-4)までの道らしい。何だかわからない石造物 撮影場所 東京都北区西ケ原一丁目付近 結構大きいものだった。塀の途中に埋め込まれている2本の石柱 撮影場所 東京都文京区大塚五丁目付近 上に丸い穴があるから、測量関連のもの?

  • 東京メトロの「かけこみ乗車は危険です!!」のポスターがとてもユニーク。

    あまり東京メトロには乗らないので、今年初めて貼ってあるのに初めて気が付いた。 かけこみ乗車をしようとしたのか、ヘビがドアに挟まれていて、イエローカードを提示されている。 ヘビなら、そのまま行けそうな気がするが。 イエローカードの絵は人じゃなくて干支の絵が良かったのではないかな。左下には昨年の干支の龍のイラストがあり、ドアに挟まれてケガをしたようで、松葉杖をついている。 今年になってまだ直らないなんて、かなり重症のようだ。年末にけがをしたのか?干支をモチーフとしたシリーズが始まったのは2019年の猪年からで、6年前からほぼ同じ構図で、その年の干支に合わせて作り替えられているらしい。撮影日 202…

  • 足立区千住で発見した戦前物と思われるプレート類

    今回紹介するものは、以前撮っていたのだが、記事にしていなかった。2025年3月6日、久しぶりに旧千住宿を再訪したので、記事にすることにした。千住絵馬屋・吉田家 吉田家は、江戸中期より代々絵馬をはじめ地口行灯や凧などを描いてきた際物問屋である。代々東斎を名乗っている。手書きで描く絵馬は都内にほとんど見掛けなくなって、稀少な存在となった。当代の絵馬師は八代目で、先代からの独特の絵柄とその手法を踏襲し伝統を守り続けており、昭和五十八年(一九八三)十二月、千住絵馬づくりが足立区登録無形民俗文化財となった。絵馬は、縁取りした経木に、胡粉と美しい色どりの泥絵具で描く小絵馬で、千住絵馬と呼ばれる。絵柄は、安…

  • 国土交通省と東京都の道界キスマーク

    2025年2月15日、千石一丁目の北東側交差点にて発見。 今まで気にしていなかったのだが、マンホール蓋などを確認するために歩道をよく見るようになったので気が付いた。 「境界協会」という会があるようで、2つ並んでいる境界プレートのことを『境界キスマーク』と呼んでいるらしい。 探そうとして中々見つかるものではない。 積極的に探すことはするつもりはないが、偶然見つけた場合があったら、紹介することがあるかもしれない。

  • 東京大学本郷キャンパスに残る木製電柱

    東京大学本郷キャンパスの工学部の船型試験水槽の裏に木製電柱が5本あるらしいとの情報を入手した。 2025年2月8日、言問通りの歩道から上を見上げて確認してみたが、見えなかった。構内に入って確認したかったが、夕方になってしまっていたので、後日再訪することにした。 2025年2月10日、現存しているか確認に向かった。(追加撮影日2025年2月13日) 西片門から入る。 あったよ! 現存していた。 1本目 右横から 左横から 木製の支柱に支えられている。プレート 63という数字が見えるので、1963年(昭和38年)のものか? 1本目から2本目方面へ 2本目 これにだけ電灯が付いていた。 3本目 3本…

  • 旧町名「下谷區池之端仲町」時代のものと思われる旗竿ボックス

    不忍通りを歩いていたら、「伊豆栄 不忍亭」の前の歩道に小さな蓋があるのに気が付いた。 この道は何回も歩いているが、初めて気が付いた。 今まではあまり下にあるものを見ることはなかったが、探蓋師のまねごともするようにになったので、気が付くことが出来た。「下谷池仲」の文字 「下谷池仲」? "下谷"は下谷區のことだろう。 "池仲"は何の略だろう? その答えはすぐ近くにあった。旧町名由来案内 本町は、寛永五年(一六二八)に寛永寺門前町として起立した。町名の池之端については、不忍池のほとりにあることから付けられたが、仲町についての由来は不詳である。町内に、吹貫横丁という不忍池の南側から本町を南北に縦断した…

  • 文京区内の幹線道路で最高地点と書かれている三角点を探す。

    2025年2月8日、護国寺を後にして不忍通りを歩いていると「富士見坂」の説明板があった。 富士見坂大塚2丁目と5丁目の間坂上からよく富士山が見えたのでこの名がある。 高台から富士山が眺められたのは、江戸の町の特色で、区内には同名の坂が他に二か所ある。 坂上の三角点は、標高28.9mで区内の幹線道路では、最高地点となっている。 むかしは、せまくて急な坂道であった。大正13年(1924)10月に、旧大塚仲町(現大塚3丁目交差点)から護国寺前まで電車が開通した時, 整備されて坂はゆるやかになり, 道幅も広くなった。 また、この坂は、多くの文人に愛され、歌や随筆にとりあげられている。 とりかごをてにと…

  • 2025年2月3日、豊島区で出会った壁画・仮囲いアート

    豊島区内を探索しているといろいろな場所でいろいろなアートに出会った。千川上水公園 正面 右側面 左側面 裏面 千川上水公園トイレ再生プロジェクト 完成年月日:2023年8月30日 参加団体巣鴨庚申塚まちづくりを考える会大正大学 宮崎ゼミ・美術部淑徳巣鴨中学高等学校 美術部塗魂ペインターズ原画は大正大学美術部の制作で、ふくろうが都電を運転しているデザインになっている。明治と1940と書かれているのは、旧千川上水水路敷地を市民により旧東京市へ寄付されたのが、1880年(明治13年)、現在のような公園として開放されたのが、1940年(昭和15年)だからと思われる。仮囲いの迷路の絵 みんな同じだと思っ…

  • 千登世橋と夕景

    三日月 撮影日 2025年2月3日林 撮影日 2025年2月6日

  • 「東京府北豊島郡巣鴨町」時代のものと思われる境界石

    「巣鴨町」時代のものと思われる境界石が2ヶ所にあるらしいということが分かった。 2025年2月6日、調査隊を派遣する。1ヵ所目は豊島区駒込三丁目と北区西ヶ原一丁目の境界上にあるらしい。旧巣鴨町と旧瀧野川町の境界ということになるだろう。北区の住居表示街区案内板。 豊島区は道路だけになっていて、道路もかなり端折られているようだ。自分の地図を見ながら、豊島区駒込三丁目と北区西ヶ原一丁目の境界辺りと思われるところを探索してみる。 ない。 結構な路地も入り込み、探すが、見つからない。 途中で豊島区の案内板を見つけた。 案内図を見ると、まだ、探索していないところがあるのがわかった。 行ってみるとこんな場所…

  • 上野公園にある仮水準点

    2025年2月13日、上野公園を歩いていたら、公園管理所近くの植え込みの中に小さめの石柱があるのに気が付いた。 正面 東京都北部公園緑地事務所右側面 AP(霊岸島)19.666米左側面 仮水準点裏面 TP(東京湾)18.532米家に帰ってから調べてみると、摺鉢山古墳の上にもあるらしいことがわかり、2025年2月15日確認しに行った。摺鉢山古墳 摺鉢山は、その形状がすり鉢を伏せた姿に似ていることから名づけられた。ここから弥生式土器、埴輪の破片などが出土し、約千五百年前の前方後円形式の古墳と考えられている。現存長七十m、後円部径四十三m、前方部幅は最大二十三m。後円部の道路との比高は五mである。丘…

  • 旧番地「辻堂」&電力プレート「ツジドウ」と街区表示板

    ①藤澤市辻堂 発見日 2025年2月25日 発見場所 神奈川県藤沢市辻堂元町二丁目 "澤"が旧字体になっている。 辻堂は現存している町名なので、旧番地扱いにしている。②ツジドウ-11 発見日 2025年2月25日 発見場所 神奈川県藤沢市辻堂元町一丁目 歴史 1873年(明治6年)5月1日神奈川県が区番組制を施行し、辻堂村は第17区となる。小字および地番が制定される。 1878年(明治11年)11月18日郡区町村編制法により、行政区画としての高座郡辻堂村が編成され、当地はその一部となる。 1889年(明治22年)4月1日町村制が施行され、辻堂村、大場村、羽鳥村および稲荷村が合併し、神奈川県高座…

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