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歩・探・見・感 https://citywalk2020.hatenablog.com/

街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。

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2022/12/12

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  • 埼玉県秩父市で発見した電力プレート

    2025年1月30日、数年ぶりに秩父市を訪問した。 同じ県内とはいえ、2時間以上かかり、遠かった~。 すごい寒いイメージがあったが、風があったけれど、晴れていたので、最高気温8℃、耐えられない程ではなかった。この日は主に秩父鉄道の左側を探索。 その中で大きな収穫があったのが電力プレート。 複数枚を発見することが出来たので、紹介することにしよう。①クマギ 発見場所 埼玉県秩父市熊木町 ②サクラギ 発見場所 埼玉県秩父市桜木町 ③ドウジヨ 発見場所 埼玉県秩父市道生町 ドウジヨ? 「道生町」の街区表示板を見ていたがすぐには、気が付かなかった。 "道生町"は"ドウジョウマチ"と読むのだった。 この琺…

  • シュールな"かえる"の水飲み場がある「杉並区立かえる公園」

    探索していたところ、入口に"かえる"がいる公園があった。 目が怖いよ。開園は昭和50年(1975年)1月 公園などでたまに見かける形の"かえる"だが、このような色合いになっているのは初めてかもしれない。 うしろに控えているのは、だるま?ふくろう?遊具にも"かえる"がいた。 この形の"かえる"が水飲み場になっているのを見たのは初めて。 どうよ。 水を飲もうと思うか?横から 口にくわえさせられてかわいそうにも見える。うしろ姿 "かえる"の胴体の中にどのようにして水道管を設置したのかキニナル。撮影日 2025年1月11日 撮影場所 杉並区高円寺南1丁目16番12号

  • 今日の何かに見えた雲

    何かの顔のように見える雲 撮影日 2024年12月21日 撮影場所 両国橋

  • 東京イチ狭隘のバス路線?『小金井市コミュニティバス「CoCoバス・ミニ 野川・七軒家循環」』

    JR中央線武蔵小金井駅から約800mほど離れた野川近くの住宅街に、通行できる車両の最大幅「1.7m」と記載された標識の下に、「コミュニティバス除く」の補助標識がある。 この狭い道をバスが通るというので、中前橋バス停付近で出待ちすることにした。 ここは、狭いだけではない。 一方通行ではなく双方向通行路となっている。 本当にこんなところバスが来るのか? しばらく待っていると、来た~。 これがバスか。 小さかあ。 それもそのはず、ワゴン車(ハイエース)だった。 桜色の車体に白い雲と虹、笑顔のCoCoバスロゴがデザインされている。次のバス停「第二中学校東バス停」に向かって走り去っていく雄姿。 第二中学…

  • 廻田緑道沿いに残る境界標

    せせらぎとみどりの散歩道 廻田緑道 廻田緑道を歩いていると道路脇に境界標があった。 発見日 2025年1月4日 発見場所 東京都東村山市廻田 元は埋まっていたと思われる部分も出ていた。 正面 古そうな感じがするけど東京市紋章ではないよね。 左側面「境」 裏面「界」 右側面「標」 それぞれの側面に一文字ずつ刻まれていて、「境界標」となっていた。その場では「界」の文字が読めなくて、そうなっていることに気が付かなかった。 このようなタイプの「境界標」を見たのは初めてかもしれない。廻田緑道の最高地点付近 その先の降りたところに展望デッキがあるのだが、ちょうど人が下から登ってきていたので、行かなかった。…

  • 「昇り龍」と「降り龍」に見える木の枝

    車が通れないような細い道を歩いているとすごい形をしている木の枝を見つけた。 上に伸びている枝、下に伸びている枝。 どうしたらこのように伸びるのだろう? よく見ると「昇り龍」と「降り龍」に見えてきた。昇り龍 降り龍 辰年は終わってしまったが、いいものを見れた。 去年だったら、ちょっとしたブームになっていたかもしれない。 知らんけど。 最も、龍に見えるかどうかはあなた次第だけどね。撮影日 2025年1月14日 撮影場所 東京都小金井市貫井南町二丁目

  • 町名看板「調布市入間町一丁目」

    昨年下記の記事で調布市で発見した琺瑯町名看板を紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com ちょうど同じ頃、調布市内で別な琺瑯町名看板の目撃情報があった。少し時間が経ってしまったが、会いに行くことにした。 ストビューで「調布市入間町一丁目31番地」と入れて、ピンが立ったところを見るが、ここは「31番地」なの? 何回かチャレンジして過去の画像(2009年7月)に見えるものがあることにようやく気が付き、確認することができた。 2022年10月の画像でも見えるが、あることが分かっていて、画像を拡大しないと気が付かないかもしれない。 どう、分かる?2025年1月23日、…

  • 旧町名「東京都西多摩郡五日市町」

    2025年1月24日、はるばる五日市線の終着駅「武蔵五日市駅」までやってきた。 真冬の山奥(失礼!)だから寒いのかと思っていたが、1日中穏やかな天候で、探索を楽しむことが出来た。村時代の旧町名の発見を期待して訪れたのだが、古くから残っている建物があまり見当たらなく、事前調査不足もたたり、空振りに終わってしまった。 しかも、あきる野市になったのが、1995年なので、五日市町時代の痕跡は大量に残っているかと思いきや、あにはからんや、それほど見つからず。まあ、探索不足と言えばそれまでだが・・・。①東京都西多摩郡五日市町五日市 ②五日市町舘谷 他にもなかったわけではないが、完全体のものではなかったので…

  • 南北青山二丁目町会創立三十五周年記念の時計塔

    たまに前を通り、写真を撮ったこともあるのだが、まだ記事にはしていなく、この時計塔に書かれているプレートについて書かれている方もいないようなので、今回は記事を書いてみることにした。 撮影日 2024年12月30日 外苑前交差点角に設置されている時計塔 下に設置されているプレート 我が街青山 人生が「旅」であるならば、都市の変遷も亦都市にとっての「旅」でありましよう。 天正十九年(一五五九)青山藤右衛門忠成 徳川家康より此の地域を拝領、以未「青山」の地名が生まれたと伝えられる。此の辺りは、標高三十七メートル 都心の中で最高位にあり、曾て、此の台地より遥か南に三浦房総の山々が紺碧の海洋に浮かび 西に…

  • 阿佐谷パールセンターを散策する。

    阿佐ヶ谷駅前の阿佐谷イルミネーション 昼間でも輝いていた。 阿佐ヶ谷駅近くの阿佐谷パールセンター出入口 2025年1月9日現在まだ「謹賀新年」の看板があったが、2025年1月11日再訪した時は取り外されていた。ホームから 出入口付近にある説明板 阿佐ヶ谷の由来江戸時代、阿佐ヶ谷村は、武州多摩郡阿佐ヶ谷村と呼ばれ、幕府直轄の天領でした。寛永十二年(一六三五)、三代将軍家光は、江戸城内紅葉山にあった江戸城の鎮守・山王日枝神社を麹町へ移し、寄進し、繁栄を祈願。以降、阿佐ヶ谷村を含む周辺四ヶ村は、幕末まで山王日枝神社領となりました。江戸時代の阿佐ヶ谷村には、本村、小山、原、向の小名がありました。阿佐ヶ…

  • 旧町名「麻布桜田町」の表札と境界石

    今回は、「麻布桜田町」時代の痕跡を紹介することにしようと思い、2025年1月21日現存を確認しに行く。 そうしたら、テレビ朝日通り沿いが仮囲いで覆われていて、再開発の真っ最中だった。 撮り忘れていた櫻田神社を撮りに来たのだけど、無くなっていた。 こっち? ビルの1階の仮社殿に移転していた。 室内は撮影禁止だったので、外見だけ。 再開発が完了する2026年に新社殿に再移転することになっているらしい。まず、随分前に発見していたものだが、消滅してしまったものを紹介することにしよう。発見日 2021年2月6日 発見場所 東京都港区西麻布三丁目 櫻田神社の参道付近にあったはずだが、周辺の建物ごと無くなっ…

  • 板橋区西台のコンクリート擁壁アート。

    西台に行くはずだったのだが、途中の前野町の急坂の連続に悪戦苦闘。 更に中台を西台だと勘違いし、ここでも急坂に苦しめられる。 ようやく目的地の西台へたどり着いた。 そうしたら、素敵なアートに出会い、心が和む。 ハト 太陽、雲、月 ハト 曲がった所の左側には高い擁壁が続いていた。 テントウムシ カブトムシのメスかな? 林? キノコ ハトの群れ 自転車 右側の擁壁は低い 果物 チョウ ハト ここを開発したデベロッパーが設置したものなのかもしれない。撮影日 2024年12月26日 撮影場所 東京都板橋区西台

  • 「照光寺 多摩湖町別院」にある石像群

    坂道を登っていると大きな石像があるお寺があった。 アンパンマンとバイキンマンがお出迎え 眺望もよさそうで、石像がたくさんあったので、立ち寄ってみることにした。 金剛力士像 石像がWELCOMEボードを掲げている 眼下に住宅地が一望できる。 ニワトリと二宮金次郎 天女? イノシシとウマ 四国八十八箇所霊場巡りの碑 八十八ケ寺の砂が埋まっているそう。郵便ポストも石製 布袋様 一番奥に鎮座している龍達 龍 虎 更に上の方にもあった。 如意宝珠 龍 まだ他にもあったのはずだが、撮り忘れてしまった。照光寺の掲示板 お寺には掲示板があるところが多く、大体目を通すことにしている。訪問日 2025年1月4日 …

  • 石の門柱にかぶりつく松の木

    探索中に立派な松の木に出会った。 普通の松の木と違う様な感じがする。 幹が赤いからアカマツなのかもしれない。その下に松の木を支えているような石製の門柱が見えた。 表札は付いているかな? 木製の表札が付いていたのだが、劣化していて書かれている文字を確認できなかった。 ちぇっ。 気を取り直して、松の木をよく見てみると、あれ? 門柱にかぶりついているように見えるじゃあ~りませんか。 撮影日 2025年1月9、11日 撮影場所 東京都杉並区和田二丁目

  • 旧町名「貫井村池ノ上草分」

    2025年1月14日、小金井市内を探索していると、立派な門柱が見えた。 右側の門柱の上の方に長い住所が書かれている表札が遠目に見えた。 もしかしたら・・・。 近づいて、右側に書かれている住所を見ると、現町名だったので、がっかり。 しかし、左側を見ると、なんと「貫井村」時代のものだった。①貫井村池ノ上草分 残念ながら、当時のものではないが、旧町名を併記してくれているのはとてもうれしい。 それも「貫井村」時代のものなんて。 感激。 正式には「東京府北多摩郡貫井村大字池ノ上字草分」になると思われ、番地は書かれていないが、"219~386"の間になると思われる。家に帰ってから調べていたところ、ここには…

  • 目黒新橋といちご目黒ビルに映る幾何学模様のビル

    目黒新橋 目黒新橋は、江戸時代初期(延宝年間)より橋が現在の位置にあったことが確認されています。昭和8年にアーチ橋としてかけられ、現在、東京都の著名橋に指定されています。修復などの際に少しづつ変わってしまった歴史的な橋の原型復元を試みました。平成8年、橋の本来持っている橋梁美を残しつつ、新しい目黒新橋として再現しました。 ふるさとの川案内図 目黒新橋は下の方に書かれている。いちご目黒ビルに映るビルの形が面白い 撮影日 2025年1月2日

  • 小金井町時代の校名板「小金井町立第二中学校」

    小金井神社の東側の道を歩いていると、小金井第二中学校の裏門があった。 その右側の校門に「小金井町立第二中学校」と刻まれた校名板が設置されていた。 このように残されていることはマニアにとってはとてもうれしいことだ。正門の校名板 体育館に貼られていたタイル絵 沿革 昭和29年2月27日小金井町立小金井第二中学校設立認可 昭和29年4月1日小金井第一中学校に併設開設 昭和29年8月8日現在地に新校舎完成・移転 昭和33年10月1日小金井市立小金井第二中学校と校名変更小金井第一小学校 正門 右側に木製、左側に石製の校名板が設置されていた。 左側の校名板の文字がはっきりと見えなくなっていたので、もしかし…

  • 旧町名「武蔵野市西窪」PartⅡ

    約3年前、武蔵野町時代の西窪を下記のふたつの記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 2024年12月17日、現存を確認しに訪れたところ、なんと、武蔵野町時代のものは両方とも消滅していた。 びっくりぽん! 上があったところは更地になっており、桜と紅葉の木が残されていた。 下の「三谷」の字名があったところはアパートか戸建てが建設中だった。 字名がある「武蔵野町西窪三谷」の表札は消滅してしまったが、他に残っている痕跡が結構あった。上の記事では紹介していなかったが、今更であるが、折角撮ってきたので、紹介…

  • 赤羽台けやき公園の仮囲いのトリックアートと隣接する古民家群

    はまっているわけではないのだけれど、仮囲いに描かれているアートが気になる。 2024年12月26日、次の目的地に向かう途中に出会ってしまった。 赤羽台けやき公園 今回は赤羽台けやき公園の下水道工事の仮囲い 東京都北区洪水ハザードマップ 下水道局 安全心得が貼られていた。 何の工事現場でもいえることだろう。 げすいどうクイズ Q A アースくんの地域探索 当然全部行ったことがある。 たぶん。 トリックアート 2面にわたって展示されていた。 使いまわしされているのだろうけれど、これだけまとまってあるところは見たことがないっす。この公園と道を挟んだ所に古民家がいくつか建ち並んでいる。 この裏にも一軒…

  • 昭和レトロ感漂う注意看板「とび出すな! 車は急に止まれない」

    初めて見るタイプの注意看板 正面からだと葉っぱが邪魔で全体が見えないので、斜めから 賢い犬が飛び出そうとしている男の子の服をくわえている。 昭和感満載の車の車種を知りたいところだが、架空のものだろう。発見日 2025年1月2日 発見場所 東京都目黒区目黒1丁目9-15(目黒東児童遊園)

  • 小字町名「川崎市多摩区登戸字癸耕地」

    2024年11月30日、ここに載っている旧町名「○○耕地」を探しに来たのだが、短時間の訪問だったせいもあり、ひとつも見つけられなかった。 その代わりにマンションの事業計画に書かれていた字名のものを発見。 上の地図には載っていない。 字は現存していないと思っていたが、現存しているようだ。 「癸耕地」の読みは「みずのとこうち」 登戸村は、明治六年の地租改正によって地番がつけられた際、それ以前からあった地字に関係なく、甲耕地~癸耕地という字名がつけられた。しかし、人々の生活の中ではほとんど根つかず、現在では登記簿だけでのみ使用される地名となっている。 明治二十二年市制・町村制で菅、中野島、登戸、宿河…

  • 陽光と木々が織りなす仮囲いアート

    杉並第十小学校横の歩道を歩いていると、外国人男性が仮囲いの写真を撮っているのが見えた。 何を撮っているんだ? これか。 木々の空いた隙間から漏れる光と影が仮囲いに映っていた。 墨絵みたいな世界が広がっていた。撮影日 2025年1月11日 撮影場所 東京都杉並区和田3丁目56

  • 歩道にニョキニョキ生えている魚の車止め

    以前からこの存在を知っており、写真も撮っていたのだが、今回改めて近くに来たこともあり、これを記事にしようと急に思いたち、少し熱を入れて撮ることにした。 この地図だと蚕糸の森公園の左側(蚕糸の森公園の南側)に生息を確認できた。 左側の歩道の生息状況 この光景、ちょっとギョッとするよね。魚だけに。 魚の種類は2種類 白い線があるものとないもの目の色が違うものもあった。 目が反射板になっているものとなっていないもの(取れてしまった?)1匹を細かく見ていこう。 正面 裏面 背びれと尾びれらしきものが付いている。真上 結構大きなお口だこと。先を進んだ所の魚群 先を探してみたが、切り株の形をしているものが…

  • 夕映えの前川に佇むシロサギ

    橋の上から川を見ると夕焼けに輝く川に1羽のシロサギが佇んでいた。 撮影日 2025年1月4日 撮影場所 東京都東村山市廻田町

  • 旧町名「杉並区和田本町」

    3年以上前に発見していたものもあったのだが、久しぶりに杉並区を探索したところ、新たに発見できたものもあるので、まとめて紹介することにしよう。①発見日 2021年7月19日 ②発見日 2021年7月19日 ③発見日 2021年7月19日 ④発見日 2025年1月6日 下のケース内のものも「和田本町」になっているので、「1粒で2度おいしい」にあやかって、「1ヵ所で2度おいしい」というめったにないやつだ。⑤発見日 2025年1月6日 ⑥発見日 2025年1月6日 ⑦発見日 2024年1月6日 歴史 1969年(昭和44年)7月1日住居表示が実施され、和田本町(全)、高円寺1・2、方南町、堀ノ内1・2…

  • 字名がたっぷり載っていた「水の郷 日野」用水路マップ

    2024年11月15日、日野市内を探索していると「水の郷 日野」用水路マップが目に入った。 全体 右半分 左半分 現存しないと思われる字名がたくさん書かれていた。 しばし見入ってしまった。用水路の説明 用水路巡りも楽しそうだ。ここに書かれている旧町名(字名)見つけられればいいなあと思ったが、これだけ書かれていたにもかかわらず、この日はひとつも見つけることができなかった。 残念。

  • 東村山市の野火止用水沿いに残る陸軍境界標石

    東村山市ふるさと歴史館に展示されていた陸軍少年通信兵学校関連の資料 左下に陸軍境界標石の写真があり、市内に境界標石が4本現存しているらしいことを知り、探してみることにした。 撮影日 真夏の2024年8月24日 真冬の2025年1月4日東村山市立東村山第一中学校 東村山市指定旧跡 東京陸軍少年通信兵学校 所在地 東村山市富士見町一・二丁目 指 定 平成二三年(二〇一一) 二月四日指定第三四号 東京陸軍少年通信兵学校は一四歳から一八歳位までの少年を対象とした通信兵養成学校で、昭和一七年(一九四二)から昭和二〇年の終戦まで、富士見町一・二丁目周辺にありました。昭和八年、東京市杉並区馬橋(杉並区)の陸…

  • 2024年12月7日狛江市探索中に刺さったもの

    言い換えると個人的遺産、気になったものでもある。 狛江ひかり商店会 どこかで見た円盤型の街路灯がここにもあった。 営業している店はないと思っていたが、令和6年10月発行の「商店街ガイドブック」に掲載されていた。令和5年に街路灯をLEDに交換したそうだ。狛江市の電話番号は市外局番が「03」だった。 調べてみると、調布市にある桐朋学園大学仙川キャンパスは市外局番が「03」。ほか、入間町・国領町8丁目・仙川町・西つつじヶ丘2丁目・東つつじヶ丘・緑ヶ丘・若葉町も市外局番は「03」。三鷹市は中原2丁目だけが「03」。 いずれも現在の世田谷区側から電話線を敷いた名残として、同じ市域で市外局番が違っていると…

  • 「国産マッチ発祥の地」と薬局の看板に書かれていた旧町名

    2024年12月21日、いくつかの目的物の探索を終え、案内図に書かれている「マッチ産業発祥之地碑」へ向かう。 「発祥の地」探しも重要な任務の一つだ。 東京都立両国高等学校 それは高校の敷地内にあった。 「マッチ産業発祥之地」ではなく、「国産マッチ発祥の地」となっていた。 いつからか変わったのかな? 日本で初めてマッチを生産した新燧社(しんすいしゃ)の所在地を記念するもので、1986年(昭和61年)に建立された。 裏面も見てみたいところだが、校内に入れないので、確認できないが、 金沢市出身清水誠(1845~1899) 1986年8月 東京都 と書かれているらしい。表面に旧町名「本所柳原町」が書か…

  • 日比谷U-1ビル解体工事の仮囲いアートに描かれていた女性たちがカワ(・∀・)イイ!!

    以前、NTT日比谷ビルの仮囲いアートを紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 東京駅に向かうため、日比谷通りの歩道を歩いていると、その隣の日比谷U-1ビル解体工事の仮囲いにもアートが描かれていた。 キャッチコピー「君のいた街。君といた街。」 イラストと写真 ① 日生劇場と東京ミッドタウン日比谷 市政会館 ② 日比谷仲通り ③ 日比谷公園 ④ 日生劇場と帝国ホテル どなたが描かれたのかなと調べたところ、江口寿史氏だった。 三井不動産株式会社が「内幸町一丁目街区中地区」の新築工事に向けて、工事中の現場においても街のにぎわいを創出する施策として、工事用仮囲いに約…

  • 新宿通り沿いの四谷二丁目に設置されている重厚感のある住所プレート。

    新宿通りの歩道を歩いていると他では見たことがない住所プレートが設置されているこに気が付いた。 発見日 2024年12月28日 四谷は一丁目から四丁目まであるのだが、二丁目だけにしかなかった。 四谷二丁目は住居表示が実施されておらず、1番地から14番地まであるのだが、全部あるのだろうか? 新宿通りの両側に位置しているが、1~14番までどういう順番で付けたのだろうか?①四谷二丁目1番地 ②四谷二丁目2番地 ③四谷二丁目3番地 ④四谷二丁目4番地 5番地、6番地、7番地は見つからない。 ほとんど四谷小学校が占めていて新宿通り沿いではないからかもしれない。⑤四谷二丁目8番地 9番地は見つからない。 以…

  • 2024年12月3日、さいたま市で発見した看板類3選

    ①浦和競馬場の公園にあったもの。 金網の中には浦和競馬場調節池がある。 男の子がおぼれているので、釣りをしていた犬が、釣り竿を投げて、まっすぐ土手の上を走っている。 さあ、どこへ行く?②あまり危険感を感じられない注意書きの絵。 ③よくぶつけられていたのかな? 撮影日 2024年12月3日 撮影場所 さいたま市浦和区、南区

  • 「電気通信大学100周年記念の碑」に書かれていた旧町名

    2024年12月19日、甲州街道沿いにある電気通信大学の前を通る。 正門前に電気通信大学100周年記念の碑があり、そこに旧町名が書かれていた。 電気通信大学は、無線電信講習所を前身とし以下の経緯を経て今日に至っている。この間、時代を切り拓く技術教育と先端的な科学研究を通じて、幾多の有意な人材を輩出し、社会に貢献してきた。創立100周年を迎えるにあたり、電気通信大学のより一層の発展を祈念して、ここに碑を建てる。 1918(大正7)年12月8日社団法人電信協会管理無線電信講習所を創設 東京市麻布区飯倉町(仮校舎)で開講 1920(大正9)年12月15日 東京府荏原郡目黒村大字下目黒(新校舎)に移転…

  • 2025 年 新年のご挨拶

    今年ももう1月3日になってしまい、遅ればせながらとなりますが、新年あけましておめでとうございます。 本年も当ブログをよろしくお願いします。2024年12月31日のGoogleのロゴが大晦日仕様になっていたが、なんかおどろおどろしい感じ。。 2025年1月1日のロゴはいつもと変わっていなかったような。2024年の振り返り ・きょうのはてなブログに2回取り上げてもらった。(6、10月) ・累計10万アクセス達成(6月) ・ブログ開設3周年(8月) ・連続投稿日数945日達成(12月) ・投稿記事数は、442で2023年と全く同じ(12月) ・累計投稿記事数は1,579となる(12月) ・2024年…

  • 街のB級言葉「錦糸町路上喫煙禁止町」

    「錦糸町」と赤い字の「禁止町」の掛詞。 自分的には日本全国の市区町村が「路上喫煙禁止町」になってほしい。 でも、「路上喫煙禁止町」になっているところでも吸っている奴らはいるし、現実的には無理だろうな。ちなみに「錦糸町」は旧町名。 1967年(昭和42年)の住居表示実施で消滅している。 現在の町名は、駅北側が墨田区錦糸一丁目から錦糸四丁目、南側が江東橋一丁目から江東橋五丁目となっている。 発見日 2024年12月21日

  • 奥多摩駅周辺と旧町名「氷川町氷川」

    2024年12月25日、奥多摩町で目撃情報があった旧町名を探索するために奥多摩駅へ。 御茶ノ水駅 8:44発 JR中央・青梅線快速 青梅行 グリーン車の2階席に乗る。 2025年3月15日のダイヤ改正まではグリーン車お試し期間として、グリーン料金不要で乗車することができる。 終点の青梅駅まで満席というほどには全然ならず、隣の席も独占でき、快適な旅だった。 途中見かける上りはグリーン車のデッキにまで人があふれ、混雑していたので、少し優越感があった。 青梅駅からは、東京アドベンチャーラインに乗り換える。 室内 平日だからか終点の奥多摩駅までガラガラだった。 奥多摩駅ひとつ前の白丸駅から奥多摩駅に向…

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